今出川慕情 vol.4:上山青年のこと

平成29年2月19日
パンタロンな人
古今東西、おしゃれと言えば女性の専売特許で、お猿
さんから分岐した人類創生の原始の時代はさておき、
アダムとイヴがオカラダのある部分を意識的に隠すよう
になって以来、女性は男性に対しより良い自分を見せる
ためにOSHAREをするようになりました。そうでないと
世界の絶対真理としてより優秀な男性はゲット出来ませ
んよね。
ジュリアナ東京2
余談ながら、鳥さんの世界ではそれが逆のようで、オス
がかつてのバブル時代、ジュリアナ東京のお嬢さん方
の如く極彩色の衣装で踊り狂い、メスの気を引くという
珍なる現象が特に熱帯地方のジャングルでは日々延々
と繰り広げられていますよね。
戦後復興3
さて、NIPPONです。太平洋戦争の敗北によりアメリカ及
びその連合国によって完膚なきまでに叩きのめされ滅
亡寸前にまで追い込まれた我が祖国NIPPONですが、
幸いなことに占領国が自由の国Americaであったため、
奴隷国に成り下がることなく、かろうじて国体が保たれ
戦後の復興期を経てやがて奇跡の高度成長期を経験
し、今日のNIPPONがあることは皆さん良くご存知の現
代史です。

戦後の復興期には今までの衣食住をすべて失った国民
はまずどうやって食べるか、どうやって夜露をしのぐかと
いうことが最大テーマでありオシャレなどというコトバ自
体が存在しませんでした。しかしその混沌もやや落ち着
きを取り戻してくると、世の女性は少しずつオシャレに目
覚めるようになりました。
暮しの手帖1
そのような時に、昨年NHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」のモデ
ルとなった大橋鎭子とそのパートナーだった花森安治さ
んが創刊した「暮しの手帖」は、戦後の荒廃した日本の
日常生活を憂い、衣食住にわたりその生活文化の改善
及び啓蒙を試み、女性の洋服の直線裁ち等、オカネを
掛けずに女性のおしゃれが楽しめる方法を提案したり
また当時普及しつつあった家電製品を中心とした生活
用品のテストを実施して、読者に公平な評価を伝えたり
して多大な貢献を果たしました。
君の名は4
一方娯楽面においては戦後間もない昭和22年(1947年)
君の名は」がラジオドラマ化され、その放送時間帯は
銭湯の女湯が空っぽになるほどの人気で、やがて昭和
28年(1953年)には映画化され後宮春樹役の佐田啓二
と氏家真知子役の岸恵子がじれったい恋の道行きを演
じました。
君の名は8
ヒット映画にはつきものの副産物として、主演の岸恵子
さんが着用していたショールの巻き方が「真知子巻き」
として当時大流行したことなんか、タバコ屋を含め、皆さ
んもご存知ない遠い昔の出来事だと思います。

さてそのようなことで、女性は徐々におしゃれに目覚め
て行くのですが男性はおしゃれとは無縁で、依然として
国民服に毛の生えたイメージのままでした。
VAN-1.jpg
タバコ屋の偏見ながら男性特に若者のおしゃれと言える
ものが芽生えるには昭和40年(1965年)頃まで待たねば
なりませんでした。その火付け役であり推進役だったの
は服飾デザイナーだった石津謙介氏が大阪で創業した
VANヂャケット」でした。
IVY-1.jpg
コンセプトはアメリカ東部のアイビーリーグと呼ばれる
名門大学校の男子生徒が着用し、社会人になってから
も愛用していた一連のトラディショナル(保守的)な上流
階級のステイタスファッションでした。時代を見抜く感性
を持っていた石津氏は、推測ながら渡米時にアイビー
リーグファッションを一目見るなり「これ、パクッた!」と
言ったかどうかは知りませんが、当時ファッションなど無
きに等しかったNIPPONで売ったらメチャ売れるんと違う
やろかと思った筈なんです。
フェアレディZ5
カテゴリーは異なるものの、当時北米NISSANの社長だ
った片山豊氏が初代フェアレディZ開発時に神戸の異端
児でありアバンギャルドであった松尾良彦氏が中心とな
ってデザインしつつあったZのプロトタイプを一目見るな
り「これ買った!」と叫んだのは有名な逸話ながら、石津
謙介氏も同様のヒラメキがあったんではないでしょうか。
ファミリア4
現在NHKの朝ドラで放映中の「べっぴんさん」に於いて
メインテーマであるベビーファッションの「ファミリア」創業
に関わる物語と並行して「VANヂャケット」の創業当時と
思われるストーリーが度々出て来ますよね。その両社
にからむ源流にあるのは意外にも近江商人の出自であ
る佐々木商会(後のレナウン)であったとは驚きです。
みゆき族1
「VANヂャケット」の出現により、また東京銀座のみゆき
通りにVANの店舗を出店したことにより、その追っかけ
ファンがVANの紙袋をもってみゆき通りを徘徊した事が
一つの社会現象となり「みゆき族」なるものが生まれた
りもしました。
平凡パンチ1
それに便乗したと言うか、同様のコンセプトで当時の若
者に圧倒的支持を受けたのが週刊誌の「平凡パンチ」
でアイビーファッションを大々的に取り上げることで当時
ファッションに飢えていた若者はグラビアの悩ましいセミ
ヌード写真等にも煽られて先を争って買い求めたもので
した。
生沢徹1
余談ながら、当時ファッションと並行して若者に関心の
あったことと言えばオクルマで特にモーターレーシング
は若者の憧れであり、生沢徹、福沢幸雄(福沢諭吉の
ひ孫)、浮谷東次郎、本田博俊(宗一郎氏のご長男)、
杉江博愛(ひろよし、後年のペンネーム徳大寺有恒)、
等々錚々たる顔ぶれが活躍していました。
VANヂャケットはモーターレーシングにも密接に関わり、
生沢徹(いくざわ てつ)などはそのスポンサーになって
もらっていました。蛇足ながら写真のオクルマは滝レー
シング所属のPORSCHE-910で、当時国内レースで
ワークス相手に生沢徹を擁して大暴れしたマシンです。
201702202.jpg
(後日追加写真)
野尻君よりご提供があり、当時自動車部のバイトで鈴鹿
サーキットへ行った時に幸運にも生沢徹選手からクラブ
ジャンパーの背中にサインを頂き、今でも大切に保存して
いるそうです。タバコ屋が現役時代はベージュのよれよれ
のジャンパーでそれに比べると随分立派なジャンパーに
なっており羨ましい限りです。右胸のホイヤーのロゴワッ
ペンは多分野尻君が個人的に貼り付けたものだと思わ
れます。お宝鑑定団に出品した場合はさていくらのオネ
ダンが付きますことやら。
レーシングメイト2
また、杉江 博愛氏はレーサー引退後、時代のトレンドに
乗っかったカー用品ファッションブランドの「レーシング
メイト」を創業しましたが、経営には素人であったため程
なく破綻してしまい、やがて得意分野のジドウシャ評論
家として再出発し、「間違いだらけのクルマ選び」がベス
トセラーとなり一世を風靡したことで、想像ながらかつて
の「レーシングメイト」時代のトラウマは相殺されたものと
思われます。

そのような時代の真っ最中にタバコ屋は大学生活を送っ
た訳ですが、所詮はボンビー学生ゆえ、体育会の制服と
も言えるガ・ク・ラ・ンをもっぱら愛用し、最先端のファッシ
ョンなどとは無縁の生活を送りました。
JUNロゴ1
一方、世の中は一筋縄では行かないのが常で、アメリカ
上流階級のトラディショナルファッションであるアイビー
がお好きでない方もいらっしゃる訳で、その対抗勢力と
して「JUN」が台頭しました。コンセプトはアンチVANで
ヨーロピアンスタイルのコンチネンタルファッションを基
本とし、アイビーとは全く異なったディテールを売り物に
していました。例えればパンツはアイビーがストレートで
あるのに対しコンチネンタルは裾広がりのパンタロンな
んです。またシャツの襟はアイビーがボタンダウンの立
ち襟なのに対し、コンチネンタルはボタンなどない広襟
といった具合でした。

タバコ屋はこのパンタロンというコトバを導くために随分
長い前置きを書いてしまいました。そのパンタロンです
が、具体的なイメージとしては「太陽にほえろ」のGパン
刑事と言ったところでしょうか。

実は今回のテーマである「パンタロンな人」それはタバコ
屋がかつて過ごした同志社大学自動車部の後輩の中に
も実在しました。「君の名は」と尋ねし時、その人の名は
何を隠そう上山和彦青年その人でありました。
上山君6
同郷で1期後輩の野尻君が撮影して残してくれた若き日
の上山青年です。雪深い福井の今庄から上洛した彼で
すが、まだ恥じらいを残した初々しいオカオです。事実
タバコ屋が4回生の時に1回生だった訳で大きな声で騒
いだりすることのない物静かな好青年であった印象が
強く残っています。この写真は彼が2~3回生の時だった
のかどうか、まだ本格的パンタロンな人と言うよりはその
予備軍といった感じでしょうか。写真提供者の野尻君の
回想によるとこれは鈴鹿で行われたサーキットラリー時
のもので、野尻君は男女5~6名の選抜ドライバーの一
人だったそうです

余談ながら、ご本人の話によると1回生の時、タバコ屋
と同期で九州のラーメン王こと末永氏にガレージのコン
クリート上に正座させられるという手荒い指導を賜わっ
たそうですが当の末永氏はまったく記憶にないそうです。
上山君5
う~ん、中々精悍な面構えになってきました。私服姿な
ので遠征時ではないかと思われますが、右には同期の
細川君、下村君が写っています。下村君はフィギュア競
技で大型貨物車専攻であったためタバコ屋の直接後輩
にあたり、卒部後、彼がおもちゃのキディランドにご奉職
された後、梅田の店へ激励訪問したことがあるのを覚え
ています。
(後日訂正:野尻君よりご指摘がありこの写真は遠征時
ではなく滋賀県で行われたジムカーナ大会時のものだ
そうです)
上山君4
北海道遠征時、青函連絡フェリーの船中ではないかと
思われますが、ヘアスタイルと言い、パンタロンのジーン
ズと言い、だんだんファッションが決まりつつあります。
ちなみに彼は米どころ福井でうまい米を食って育ったせ
いかスクスク成長され180cmはあろうかという長身にて
やはりアイビーよりはパンタロンが似合うと思います。
蛇足の手前味噌ながら、彼の着用しているネイビーの
クラブトレーナーのD.U.A.Cのロゴマークは、タバコ屋が
現役の時にデザインしたものです。こほん。
(追加説明:野尻君よりの指摘で、正確には北海道遠征
の帰路、函館から舞鶴に帰る途中のものだそうです)
上山君1
その後、精悍さはさらに増し「パンタロンな人」の究極の
お姿です。ヘアスタイル、ジャケット、シャツ、パンタロン
とすべてがビシッと決まっていてもう文句の付けようが
ありません。また後ろにドドーンと写っているのが彼の
愛車でSUBARU-1300G・SPORTSです。写真がモノ
クロなので色がわかりませんが実車は黄色だったそう
です。
当時からメカマニアだった彼のお好みらしく誰も買おうと
しなかったSUBARU-BOXERを購入されたことは彼の
偏った趣味を反映していて面白いと思います。多分ヘッ
ドライトはCIBIEに交換されておりタイヤはラリー用の悪
路走行タイプに交換されています。よくもまあこのタイヤ
で日常の走行をしたもので、乗り心地は最悪だったと推
察されます。その後ろには言わばヒッチコック監督のノリ
で下村君と思しき顔がちょこんと写っていますよね。
また右のオクルマは同期の山田君のブルP510-SSS
2ドアクーペで、上山君同様ラリーマスターと思しきごっ
ついタイヤを履いています。
ホンダシビック3
ついでながら、上山青年のその後の愛車遍歴ですが、
卒部後はまずグリーンのHONDA-CIVIC・1200RSを
購入。5速マニュアル、ケイヒンのCVツインキャブ仕様
でHONDAらしくよく回ったそうでそのエンジンは排ガス
対策を施した1.5LのCVCCエンジンとは別物だったの
ではないでしょうか。
うさぎ(マー君)
余談ながら、タバコ屋は彼の卒業後はてっきり婦人服
のアパレルメーカーにご奉職されたものと思っていまし
た。何故かと申しますとタバコ屋の同期はレナウンとか
山陽商会等に就職した者が何人かいたので、そのよう
に思い込んでいたのです。ところが事実は異なり、彼は
当時急成長中だった玉屋とか婦人服の小売りチェーン
の一つである「うさぎ屋」という婦人服チェーン店に就職
されたそうですが、推測ながら誇り高き彼のこと故、数
年でいやになり一念発起退職し、何と公認会計士を目
指し見事合格、今日に至っていると思われます。
HONDA-CIVIC・1200RSはその当時に乗っていたオ
クルマだった訳です。蛇足ながらステアリングは同志社
大学自動車部御用達であった京都・八幡のスクラップ
屋に足を運んで中古のウッドに替えていたそうです。

尚、写真のうさぎさんは上山青年とは直接関係はござい
ませんが、間接的には同釜で3期先輩の平尾センセが
お飼いになっている「マー君」で、まんざら関係がないと
も言えません。平尾センセがマー君を飼い始めた理由と
言うのはタバコ屋も同様ながら、子育ても終わりご夫婦
二人で寂しくなったのでつい近所のペットショップ(デカイ)
で買ってしまったそうです。ちなみにタバコ屋の倅もマー
君なので、やや複雑な心境です。失礼ながらそう言えば
野尻君もマー君でしたよね。
グランドワゴン1
その後は再びビョーキがぶり返しSUBARUへと回帰して
行ったようです。車名をご紹介しますと、
まずレオーネツーリングワ ゴン1700cc・ターボ・4WDに
始まりレガシイツーリングワゴン・2000GT(新車)へとご
出世、しかしSUBARU病は収まる気配を見せず、懲りも
せずにレガシイグランドワゴン・ランカスターリミテッド・
2500ccへと発展、これは現在のアウトバックの祖先だ
そうで上山青年が一番のお気に入りのオクルマだった
そうです。
しかしさすがのビョーキもやや変化が見え始め、次には
VWパサートワゴンV6・2800 cc、続いてAUDI-A4アバ
ント・クアトロ・V6・2400ccと遍歴を重ねました。
XC70-1.jpg
人生の表裏を十分経験された後現在はVOLVO・XC70
・5気筒・2500ccをご愛用で、メカマニアの彼らしくブレー
キはブレンボに換装・スタビライザー強化・ブッシュ強化・
マフラーはRモデルのものに換装、交換部品はすべて
アメリカから輸入し、車屋に持ち込んで取り付けてもらっ
ているそうですから、車屋泣かせのOSSANですよね。
その点タバコ屋は丸投げ主義でビス1本自分で触った
ことがないのが秘かな自慢です?。だってクライアント
が自社で決算書まで作られてしまったら公認会計士の
上山センセはオシゴトがなくなってしまうじゃないですか。
マカン13
上山センセお気に入りのVOLVOも最近は飽きてきたら
しく、近いうちに買い替えを予定されているようです。
タバコ屋は先般老婆心ながら、上山青年の次期主力戦
闘機としてSUVのPORSHEマカンをお勧めしましたが・・。
彼のお話によるとマカンは購入時にマカンないので気に
入らないとか?。
DSCN7237.jpg
突然の写真で恐縮ながら、これは一昨年の12月、大阪
モーターショーを4人で見学に行った時のものです。その
4人とは、タバコ屋及び同釜同期の平尾センセ、元兵庫
県警のギーちゃんこと森本氏、そして上山青年です。
今では同志社大学自動車部OB会の「ユル・ブリンナー
と言われている彼ですが、今回ご紹介した若かりし頃の
上山青年と現在の彼・・・、このギャップはどうご説明して
良いのやらタバコ屋は言葉を知りません。
DSCN7249.jpg
これは推測ながら、彼がVOLVOのブースでマニアック
な質問をして担当者を困らせているところだと思うので
すが、担当者もわきまえたものでろくに上山青年の質問
には応えてないように思われます。ちょっと~、話し聞い
てんの?。

いくら同釜と申しましても、親しき仲にも礼儀ありで、彼
のプライベートについてはあまり立ち入るべきではない
ものの、聞くところによるとチョンガーらしく、今後老後
の茶飲み友達がご所望ではなかろうかと思うんです。
その意味でも、婚活用のオクルマが必要で、前回の記
事で野尻君にも忠告申し上げましたが、ラリーマスター
を履いたオクルマなどは論外でキャデラックかポルシェ
あたりがお勧めですけどダメでしょうか。

今回は野尻君が送ってくれた貴重な写真をもとに同釜
の上山君の青春をお送りしました。いかがだったでしょ
うか。次回は懐かしい香里体育ハウスのことを書いてみ
たいと思います。お楽しみに。

追記:だらだらと書き連ねるうちに、はや4部まで来てしま
いました。実は数日後には松山市主催の「松山の観光と
物産展」が札幌東急で開催され、一週間ほど出張します
ので、記事が書けません。続編は帰ってからということに
なりますので、ご了解願います。

今出川慕情 vol.3:野尻君の青春1

平成29年2月12日
世紀の大発見
これはタバコ屋の偏った歴史観ながら、19世紀末から20
世紀初頭に掛けて、歴史上の2大発見と言えばトロイヤ
の遺跡とツタンカーメンの王墓だと思うんです。
トロイア戦争1
皆さんご存知の如くトロイヤの遺跡はかつて紀元前8世
紀(西洋暦の紀元より800年前)頃に吟遊詩人ホメロス
によって伝えられたと言われる、トロイの木馬で有名な
トロイヤ戦争の前後を描いた神話絡みの叙事詩「イーリ
アス・オデッセイア」の舞台ですよね。
シュリーマン3
当初はあまりにも荒唐無稽な物語であったため単なる
神話と思われていたのですがハインリッヒ・シュリーマン
少年は母親からその物語を聞かされて育ち、これは史
実に違いないと確信するようになり、長じてショーバイに
よる莫大な利益を得た後、発掘に乗り出し、明治6年
(1873年)ギリシャの対岸トルコの南端部にあるヒッサリ
クの丘でついにトロイヤと思われる遺跡を発見したので
した。
トロイア遺跡1
しかし彼はショーバイ人上がりの俄か考古学者であった
ことや、功名心を焦ったため乱掘や発掘品の私物化が
甚だしく、その後ひんしゅくを買い晩節を汚しました。
しかしホメロスの描いたトロイヤの都市が現実にあった
ことを証明したシュリーマンは大したものだとタバコ屋は
思います。尚、シュリーマンはそれ以前に世界旅行の途
中、幕末の動乱期に来日しています。
HONDAオデッセイ2
ちなみに現代のNIPPONにおいて平成6年(1994年)当
時、オクルマの主流がそれまでのセダンや2BOXカーか
らミニバンに移行しつつあった頃、その波に乗り遅れた
我がHONDAは起死回生の策として「オデッセイ」を送り
出しました。想定外の大ヒットとなりその後のHONDAの
屋台骨を支えたのですが、オデッセイという車名はこの
「オデッセイア」から取ったネーミングであったことは皆さ
んご存知でしたか。
ツタンカーメン2-1
一方、ハワード・カーター博士が大正11年(1922年)に
エジプトの王家の谷で発掘したツタンカーメンの王墓は
紀元前14世紀という気が遠くなるような昔に栄えた古代
エジプト時代のもので、若くして亡くなった少年王ツタン
カーメンを葬った墓です。それまでエジプトの王墓はこと
ごとく盗掘されてしまい、完全な状態で保存されている
ものはありませんでしたが、この一大発見により当時の
エジプトの王家の暮らしぶりがどのようなものであった
のかが次第に解明されることになりました。現在では世
界各地で「ツタンカーメン展」が開催されており、皆さん
もご覧になったことがあるのではないでしょうか。

さて野尻君のことです。シュリーマンやカーター博士が
これらの遺跡を発見した時、「これは世紀の大発見だ」
と言ったかどうかわかりませんが、野尻君から最初メー
ルを頂いた後、かつて野尻君が今出川で過ごした青春
時代の貴重な写真が大量に送られて来たのです。
タバコ屋はその大量の写真を拝見して、独り言ながら、
これは世紀の大発見だ!と叫びたい心境でした。

何故かと申しますと、タバコ屋が現役当時カメラというも
のはまだ高級品でボンビー学生が気軽に所持出来るも
のではなく、当時の記録は遠征時とかごく限られた僅か
なものしか残っていないのです。しかし野尻君はお父様
がレントゲン技師だったそうで、撮影技術に長けており、
おまけに自宅には現像用の暗室設備があったと言いま
すからもうプロ並みですよね。そのご子息である野尻君
は自然カメラオタクになったという訳で、その彼のお陰で
タバコ屋の現役時代とも重なる同志社大学自動車部の
数々の懐かしい記録が蘇ることになりました。

長い前置きとなりましたがそれでは断片的ながら野尻
君が4年間を過ごした今出川での青春時代をご紹介さ
せて頂くことにしましょう。
duac-03-1.jpg
いきなりの写真で恐縮ながら、これは同志社大学自動
車部の部誌であるDER-WINKERですが、昭和40年代
初期から昭和50年の野尻君の幹部時代までの6冊が
写っています。左下がタバコ屋の期のもので、編集長
は元兵庫県警のコワ~イおじさんで、現役時代のあだ
名はギーちゃんこと神戸っ子の森本氏でした。
7月21日 (1)-1
野尻君の期の第18号ですが、そこに残っている彼の紹
介文によると、カメラ、オクルマ大好き青年だった野尻君
は入部当初、家から持ち出したいすゞベレットに乗って
いたようです。その後ご両親におねだりをして、旧車ファ
ンなら誰でも知っているあの懐かしいTOYOTA-S800を
手に入れることになりました。
7月22日7
これは野尻君が購入当時、ドライブに行った時と思われ
る貴重な写真で、極めて斬新だったタルガトップのS800
(通称ヨタハチ)が写っています。このオクルマは当時の
若者のエントリースポーツカーとして、HONDA-S800と
ともに憧れの的でしたよね。石柱には法然院と彫られて
いますので、京都北西部の鹿ヶ谷にある浄土宗の寺院
の山門付近だと思われます。

ちなみに浄土宗の開祖、法然は鎌倉時代、比叡山での
難しい仏教の修行に嫌気がさし、「こんなもんやってられ
ますかいな」と言ったかどうかは知りませんが、それを
放棄し「南無阿弥陀仏」という念仏を唱えるだけで、衆生
は幸せになりお浄土へ行けるんです、という当時として
は革新的な教えを広めました。同様に比叡山で悩んで
いたのが親鸞で、法然同様「こんなチンケな教え、人間
否定もええとこやんか!」と言ったかどうかは知りませ
んが、親鸞はこの法然の教えに共鳴し弟子となりその
後、浄土真宗を興しました。しかし世の中を乱すものと
して迫害され雪深い越後へ流されましたよね。
その間北陸一帯で布教し、一向衆の勢力が生まれるこ
とになり、やがて織田信長と対立したため長い抗争に
明け暮れた時代がありました。前の記事でお話した柴
田勝家などもその最前線にいた訳ですが、野尻君の住
む北ノ庄、福井の地も禅宗の一大修行寺院である永平
寺(曹洞宗)を擁しているものの、一般庶民にはこの一
向宗が広まったのではないでしょうか。

ついでながら、タバコ屋の家の宗派は浄土真宗です。
タバコ屋の一期後輩の和君こと奥村氏も安芸門徒で
有名な広島の地にお住まいなので、ご実家の宗旨は
浄土真宗の筈です。また同期の平尾センセの宇治の
ご実家の宗派は浄土宗だとお聞きしています。しかし
プロテスタント・キリスト教の流れを汲む同志社大学に
学び、家においては仏教でまつりごとをし、またお祝い
事は神道で行うというこのNIPPON人のチャランポラン
さはいかがなものかと思うと同時に、それはイデオロギ
ーに寛容な民族であるとも言え、争いを避ける知恵で
あるのかも知れません。
1607129.jpg
多分同じ場所で写したと思われる野尻君のS800です。
フロントには第4回と第5回の同志社ラリーの記念カー
バッジが誇らしげに装着されているのが見て取れます。
これはタバコ屋が現役の時、平尾センセ等熱心な部員
を中心に欲張って年に2回開催した時のもので、その後
社会情勢が事故の多発により公道でのラリー開催に否
定的な状況となり程なく警察から開催許可が降りなくな
ったのでその後は同志社ラリーも廃止されました。その
間、タバコ屋にとっては幹部としてリーダーとして、筆舌
に尽くし難い苦くも辛いトラウマもありましたが、もう言い
ますまい。
S800-1.jpg
実はタバコ屋の一期後輩の小西君もこのヨタハチをご
愛用でした。控えめな性格で皆から愛された小西君で
すが残念なことに創部80周年を迎えた頃難しい病気に
なり、その後若くして天国に召されてしまいました。
彼は元気な頃はポルシェを愛し、また晩年にはかつて
WRCを制した往年の名車TOYOTAセリカGT-FOURを
愛用するというカーマニアでした。
1607128.jpg
さてここに一枚の瑞々しい写真があります。この青年が
何を隠そう若かりし頃の野尻君なんですが、白のツナギ
に赤いヘルメットの出で立ちでなかなか決まっています。
野尻君がさりげなく腰掛けているオクルマがまた別格物
で、昭和44年(1969年)タバコ屋が同志社大学に入学し
自動車部に入部した年に発売されたNISSANフェアレディ
S30Zではないですか。当時タバコ屋世代にとってはまる
で「坂の上の雲」のオクルマであり、憧れを通り越して諦
めの存在であったと記憶しています。やや大げさな言い
方をすれば日本版のPORSHE911だった訳で、当時は
京都市内でも滅多に遭遇することはありませんでした。
従いましてボンビー学生がそのオクルマを拝見するのは
今出川キャンパス向かいの書店のおっちゃんのハタキ
を気にしながらカーグラフィックやオートスポーツを立ち
読みするしか方法がなかったんです。

このS30Zは野尻君の説明によると、クラブの先輩のオ
クルマだったようでもあり、正確には記憶不確かだそう
ですが(え~、タバコ屋世代前後の同志社OBでS30Zの
オーナーは聞いたことがなかったけどな~)
それはともかく、フロントバンパーはワークスタイプの一
段下がったものを装着し、シビエと思しき特大のスポット
もしくはドライビングランプがZのあご一杯に埋められて
いますよね。結局これが寝た子を起こす誘発剤となった
のかどうか、その後、野尻君の頭脳に化学反応が起こっ
てしまい、彼が3回生の時憧れのS30Zを入手することに
なるのでした。
サファリP510
余談ながら当時NISSANは世界に打って出ようと目論ん
でいる最中であり、世界に認めてもらう手っ取り早い方
法として、世界ラリー選手権に果敢に挑戦しつつありま
した。我らが裕ちゃんこと石原裕次郎が映画化した「栄
光への5,000キロ」で一躍有名になったDATSUNブルー
バードP510-SSSを擁し、エドガー・ハーマンのドライブに
より、昭和45年(1970年)悲願のサファリラリー総合優勝
を遂げることになりました。
240Zサファリ1-2
続く翌年、昭和46年(1971年)はポルシェ、フォード等他
のワークスチームが打倒DATSUNと言うことでパワーア
ップを果たし、優勝を狙っていました。NISSANはP510-
SSSではパワー競争に勝てないと判断し、発売されたば
かりのフェアレディ240Zを投入したのです。E・ハーマン
H・シュラーの前年同様のコンビは見事な走りでポルシェ
等他のワークスチームを蹴散らし、2年連続での総合優
勝を飾りました。
240Zモンテ6-2
続く翌昭和47年(1972年)雪のモンテカルロラリーで奇
跡の総合3位入賞を果たしたもう一方のヒーローである
ワークスドライバーの名手R・アールトーネン(サイドブレ
ーキターンで有名)の話しによればDATSUN-240Zは直
線では明らかにポルシェ911より速かったそうで、当時
の我等がNIPPON若者としては神様、仏様、240Z様の
心境でした。

このような快挙が、血気盛んなオクルマ好きの若者の心
を捉えない筈はなく、タバコ屋などは当時2回生だったと
思うのですが、カーグラフィックの速報記事を読んで、手
に汗握ったものでした。
7月22日9-1
初志貫徹、遂に野尻君はフェアレディS30Zを手に入れ
たのでしたが、彼の説明によれば 立っちゃん(立命館)
の自動車部先輩からこのオクルマを譲り受けたそうで、
先ほどの白いS30Z同様、当時のZのラリー仕様ファッシ
ョンの定番だったモンテカルロタイプの段差バンパーに
シビエと思しき特大補助ランプを装着していますよね。
野尻君の得意満面な気分が伝わって来ます。
S30Z-3-3.jpg
う~ん、懐かしい新町キャンパスガレージです。タバコ屋
が現役時代はもっとみすぼらしかったと思うのですが、
お色直しがされているようで、庇の壁面には誇らしげに
D.U.A.Cの文字が描かれています。我々の時代までは
エルフの停まっている壁面には窓があったように思うの
ですがなくなっているようです。ガレージを拡幅したのか
も知れません。
(後日訂正:野尻君よりご指摘で、部室はそのままあり、
懐かしい鉄サッシの窓は残っていたそうです)

停まっているオクルマがまた錚々たるもので、正面には
野尻君のモンテ仕様風S30Zがドドーンと鎮座しており、
その横には同じくNISSANのもう一つの憧れのオクルマ
だった後期型スカイライン2000GTが停まっています。奥
のガレージにはミツビシランサーと思われるオクルマが
ジャッキアップされているようです。推測ながら1~2回生
の時は個人車を堂々と部のガレージに停めるなんてこと
は許されないことだったので、恐らくすべて幹部諸兄のも
のと思われます。
(後日訂正:野尻君よりご指摘で、スカイラインは1800GX
だったそうで、オーナーは衛藤君、またランサーGSRは
森君のかつての愛車だそうです)
16071220.jpg
これは推測ながら野尻君が福井のご実家へ里帰りした
時のものではないかと思うのですが、S30Zが一番美しく
見えるアングルから撮影されています。デザイナーはご
存知神戸出身の異端児だった松尾良彦氏で、当時新進
気鋭の若手デザイナーとしてNISSANに在籍し、不評だ
ったピニンファリーナデザインのブル410を改良したば
かりか、新たにSSSシリーズを発案し大ヒットしました。
その実績を買われたせいかどうか、秘かに開発されて
いた次期フェアレディであるS30Zのデザインをまかされ
たという訳です。しかし実際は松尾氏一人がデザインし
たものではなく、数人のチームであれこれアイデアを持
ち寄って最終デザインを決めたようです。ただモチーフ
としてあったのはジャガーEタイプ等の流麗なロングノー
ズショートデッキのファストバッククーペデザインだったと
思われます。
(後日訂正:野尻君よりご指摘で、この家は福井のご実家
ではなく、京都の下宿先の「忠兵衛」だそうで、主将の二
村君や樋口君も住んでいたらしく、タバコ屋世代で言えば
ガレージ向かいの小森酒店のようなもので、溜まり場だっ
たことでしょう。そこに同期の佐々木君と住んでいたタバコ
屋は同期後輩に関わらず、しょっちゅう誰かが出入りをし、
またマージャンなどという亡国の遊びを覚え、挙句の果て
は同期のあだ名付けの帝王佐々木から「チャンタ」などと
言う有難くもないあだ名を拝命してしまいました。お陰で
OB会では現在でも先輩から富永と呼ばれたことはなく、
ええ年こいだOSSANがいつまでもチャンタなんです。
ここだけの話しながら、今となっては出入りした連中に
俺の青春を返せ!と言いたい)
フェアレディアメリカ試走
余談ながら、初代フェアレディZは後年NHKのプロジェク
トXに取り上げられ、また専門誌がさかんに開発秘話を
掲載したためZに関心のあるお方はよくご存知だと思い
ますが、巷間言われているイメージは当時北米NISSAN
の社長だった片山豊氏が松尾良彦氏のZデザインに惚
れ込み、「これ買った!」という鶴の一声でZが出来上が
ったように思われていますが、事実はそうではなく車両
設計部の植村斎(ひとし)氏を中心とする設計陣により
コンセプトから始まり車両レイアウト、車両設計、量産シ
ステム、北米での実走テストに至るまで実施された後に
満を持して発売されたと言うのが真実です。尚、写真の
テンガロンハットを手に持っていらっしゃるのが植村氏
その人です。
フェアレディZ2
結果として世界一売れた!スポーツカーが我がNIPPON
から生まれた訳で、タバコ屋は一NIPPON人としてその事
を今でも誇りに思っています。ただその後のZについては
タバコ屋の期待をことごとく裏切り続け現在のチンケなZ
(オーナーには失礼)に至っているのですが、老いてます
ます盛んな松尾良彦氏も多分現在のZを嘆いていること
だと推察致します。タバコ屋と松尾氏がイメージするZとは
最新のテクノロジーで武装した、軽快かつ颯爽としたスポ
ーツカーですから。
16071221.jpg
野尻君のS30Zに戻ります。もうラリー好きの若者の好き
そうな基本アイテムはすべて揃っていて、フロントのモン
テ風ワークスタイプバンパーはもとより、フェンダーに貼
られているDUNLOPのステッカーが示すように、タイヤは
悪路走行用のラリータイヤに交換されています。
またホイールは当時珍しかった(ということは高価だった)
アルミホイールを履いています。車高は標準よりやや上
がった感じにてなかなか精悍です。多分ダンパーは固い
はずです。マッドフラップもセンス良く装着されていて、
当時の野尻君にしてみれば「どっからでも掛かって来い」
のご心境だったのではないでしょうか。

ただしタバコ屋の老婆心ながら里のご両親にしてみれば、
倅の雅人はこげな妙なクルマを乗り回していて、京都で
何か悪いものでも食べたのではなかろうかとご心配され
ていたことと推察致します。
大統領専用キャデラック3
事実、野尻君が帰郷後ご縁があってご結婚されたフィア
ンセは「このクルマ何だか変!」と言われたのかどうか
知りませんが、「こんな固いのいやや」とブーイングに逢
い、野尻君は涙ながらに愛車Zを手放したとお聞きして
います。野尻君に忠告しておきます。女性を乗せる場合
はキャデラックが一番なんです。このオクルマなら誰だっ
て気に入って頂けます。オードリーだってジャクリーン妃
だってはたまたトランプ夫人だって、キャデラックがお気
に入りなんです。蛇足ながら、写真のキャデラックはアメ
リカ大統領専用車なので、対テロ用にドアが金庫のよう
に分厚いですが、普通のキャデラックはこんなに大げさ
なものではありませんので念のため。こんなぶっといドア
レディではご自分で開けられないっちゅうの。

ただしタバコ屋の場合は、西山先輩がミナミですき焼き
おごったるわと言う甘言に惑わされて先輩のキャデラッ
ク・エルドラドを大阪まで走らせたという単純な理由に
過ぎませんが・・・。バカですよね。
240Zモンテ4
タバコ屋にとって初代フェアレディZのことを書き出すと
同級生の山本リンダ嬢でもないでしょうが「もうどうにも
止まらない」と言うことになり、卒業論文2個分くらいに
なってしまいますので、野尻君はもとより、読者の方々
にご迷惑を掛けてしまいます。本日は紙数も尽きたよう
なのでこれくらいにして、次回以降また野尻君の青春を
ご紹介したいと思います。ついでながら、次回は野尻君
にとってもタバコ屋にとっても少なからぬご縁があり、同
志社大学自動車部の同釜である上山青年のことを少し
お話ししてみたいと思っています。お楽しみに。

今出川慕情 vol.2:野尻青年上洛す

平成29年2月7日
やや古いお話しになりますが、今から150年も前、それ
まで250年余りも続いた江戸徳川幕府は明治維新とい
う革命ないしはクーデターにより薩摩、長州、土佐、肥
前いわゆる薩長土肥の新勢力に取って代わられました。
八重の桜3
その間「勝てば官軍」の諺通り旧幕府勢力は賊軍とし
て追われ特に会津藩の如きは腰抜け徳川家の言わば
身代わりとして壮絶な戦いをしたものの、最後は悲惨な
結末を迎えたことはNHK大河ドラマ「八重の桜」で放映
され、またそのストーリーが同志社大学のルーツに関わ
る歴史ドラマでもあったので、皆さんよくご存知の事です
よね。
(関連記事:八重のこと vol.1 vol.2 vol.3及び(付録)
参照願います)
元寇11
尚、その時何故徳川が腰抜けだったのかという疑問を
皆さんお持ちだと思うのですが、そもそも尊王攘夷の思
想は遠く南宋時代、蒙古(夷)に追われた漢民族が南へ
逃れ、南宋を興したのですが、悔しくてたまらず、尊王
攘夷(宋の君主を敬い、夷(えびす=蒙古)を打ち払え
という思想)を書物に残したのです。それが日本に伝わ
り、よりによって徳川の親藩である水戸藩がその思想を
研究、奨励した(いわゆる朱子学)のですが、維新前夜
にはその水戸藩出身の徳川慶喜が江戸幕府の頂点に
立った訳です。
ペリー来航4
皮肉なことに当時幕府は長き鎖国時代を経て、西洋列
強国から開国を迫られており、力の差から言って攘夷
どころではない状況下にありましたが、倒幕勢力は水戸
藩自らが推進した尊王攘夷思想を突き付けて打開を迫
った訳で、徳川慶喜としてはその金科玉条に対してすで
に腰が引けており、当時圧倒的軍事力を有していたにも
拘わらず、大政奉還はもとより、鳥羽伏見の戦いに際し
ては一夜にして大阪から逃亡し江戸へ逃げ帰ったと言う
お粗末な歴史の一ページが生まれたという訳です。でも
その身代わりとなった会津藩はたまったものではないで
すよね。タバコ屋ならずとも「責任者出て来~い」と叫び
たくなります。
白虎隊3-1
私見ながら、徳川慶喜は維新後も生き長らえたようです
が、トップリーダーとしての資質において、たとえ有能だ
ったとしても会津藩をむざむざ維新の生贄にしたその生
き様は男の器量として許されるべきものではないとタバ
コ屋は今でも思っています。

さてその維新時に越前福井藩は徳川の親藩であったも
のの一転、官軍に味方したため維新後は波風立てずに
すんなり明治政府に溶け込めたのでした。その背景に
はタバコ屋の推測ながら、親藩であったにも拘わらず、
江戸時代後期には随分幕府からいじめに逢ったようで、
その恨みが反幕府へと動く遠因になったのかも知れま
せん。
日露戦争3
一方同じ親藩でも伊予松山藩は最後まで抵抗したため
一時は土佐藩に占領され惨めな思いをすることになる
のですが、旧松山藩の連中はろくな仕事にもありつけな
い中、今後は子弟の教育によって活路を開くしかないと
判断し力を注ぎました。その結果明治期を代表するよう
な3人、即ち近代俳句の祖、正岡子規、及び日露戦争を
勝利へと導いた秋山好古、真之兄弟を輩出することに
なりました。詳しいことは司馬遼太郎さんの小説「坂の
上の雲」に書かれていますのでお読み頂きたいと思い
ます。
(関連記事:博多・熊本巡礼 vol.3:蒙古襲来参照願い
ます)
鉄道馬車1
なぜ長々とこのようなお話をするかと申しますと、明治
維新当時、官軍側、賊軍側にしろ世の中がゴロッと変
わった訳ですから「文明開化」という新しい国づくりのた
めにそれこそ熱病にうなされた如く突っ走ったものと思
われます。ただ皮肉なことに維新のスローガンは尊王
攘夷(西洋を打ち払う)だったのに維新後は逆に西欧化
を推し進めたことですが、そうしなければNIPPONは中
国同様西欧列強の餌食となっていたでしょう。
戦後復興1
時を経て、あの悲惨な太平洋戦争の終結後、滅亡寸前
まで追い込まれたNIPPONは「戦後復興」という名のもと
明治維新の時と同様、再び熱病にうなされた如く突っ走
りやがて奇跡の高度成長期を迎えることになりました。
(関連記事:初夢、イノベーション・オブザイヤー vol.1
参照願います)
三波春夫1-1
我々万博世代(タバコ屋の造語です)は多感な時期に東
京オリンピック、新幹線、名神高速道路、大阪万博を経
験した訳で、高度成長期の申し子と言っても差し支えな
いと思うのです。しかしその熱病の歪は戦後の団塊世代
に表れ、安保闘争以降、全学連とか全共闘とか言った
過激な大学生を中心とする若者が社会の改革を訴え、
最後は実力行使にて東大を始め京大、同志社等全国の
主だった大学を占拠し機能マヒに陥らせたのでした。
東大安田講堂1-1
タバコ屋は運の悪いことに大学受験がちょうどその時期
昭和44年(1969年)に当たり、入学試験は何とかあった
ものの入学後は学内封鎖状態の中、期末試験はすべて
妨害されレポートで済ませるという異常事態が続きました。
今から思うと当時の過激な学生は思想はともかく、具体
的な要求と言えば学費値上げ反対とか次元の低いもの
が多かったような気がします。しかしやがてその騒動も
1~2年で治まり元の学生生活が送れるようになりました。

その間、一般教養課程の授業は行われていて、商学部
であったタバコ屋は平山玄センセの「経済原論」などとい
うカビ臭くアクビを連発しそうな講義に失望し、反面春の
入部勧誘時にはそれこそサギのような甘言でフラフラと
入部してしまった体育会自動車部というところに身を置
き、失望した講義内容への反動もあって以後4年間部活
動に邁進することになりました。タバコ屋は今でも商学部
及び自動車部の2つの学部を卒業したと思っています。
(関連記事:東京大紀行 vol.4:ウォーターフロント参照
願います)

それはさておき野尻君のことです。彼は4期後輩に当た
りますのでその激しかった大学紛争も沈静化した昭和
48年(1973年)、タバコ屋が卒業するのと入れ替わりに
雪深い北ノ庄(福井)から上洛し入学された訳ですが、
1期上には同郷の上山君がいて今出川キャンパスでの
入部勧誘時に声を掛けたのかどうか、ただ上山青年は
生まれてこの方「甘言」というコトバを知りませんので、
多分他の誰か「人たらし」部員に言いくるめられて入部
されたことと推察します。
(関連記事:異説:007私を愛したスパイ参照願います)
ホンダ・北アメリカ本社
恥ずかしながらタバコ屋は当時、明治期の正岡子規や
秋山兄弟がそうであったように、青雲の志とはいかない
までもHONDAオハイオで自分の能力を試してみたいと
言う儚い夢がありましたが、田舎で待つ養父母のことを
思うとそれも果たせず、先代の友人の広島江田島でご
商売をされている店へ丁稚見習いという形で出奔する
ことになり、自動車部とは一旦ご縁が遠くなってしまいま
した。そのような訳で入れ替わりに入部された野尻君と
は全く面識がなかったのです。
(関連記事:オハイオの夢参照願います)
8 KIU RALLY
その点、このブログの常連出演者で同期同釜の元校長
平尾センセは京都在住にて現役部員やOBの方々とも
途切れることなく交流していましたので、野尻君のこと
は知っていた筈です。また平尾センセはことラリーに関
しては「同志社に平尾あり」と言われた凄腕だったゆえ、
当時の野尻君もややビビリながら遠目で見ていたと推
察されます。
(関連記事:校長先生の青春 vol.1:ラリーへの熱き思い
参照願います)

かく言う我々48年組も大阪のパチンコ王であった故西山
先輩がガレージへSOLEXで武装したラリーチューンの
NISSAN510-SSSや、あるいは黒塗りのキャデラックで
乗り付けたりすると相当ビビッたものです。
キャデラックエルドラド
余談ながら、その西山先輩がガレージに来訪された時
「これから大阪へ帰るんやけど、誰か俺のキャデラック
運転してくれへんか」と仰いました。さっと手を上げた部
員がいて、「そしたらおまえ大阪まで頼むわ」と言われた
のは良かったものの良く考えたらその日の午後の授業
をすべてサボルことになったバカな部員がいました。
何を隠そう、「君の名は」と問うまでもなくその部員とは
「島のタバコ屋」でした。
(関連記事:神様とリムジーン参照願います)

野尻君が入部したのはタバコ屋が卒業して間もなくで
あったので、ガレージは新町キャンパス隅、小森酒店の
向かいにあり、また部車の構成内容も変わってなかった
と思われます。ただその後タバコ屋は他の同期生と同様、
実社会への適応に忙しく、自動車部とはかなり遠ざかっ
ていたためその後の経緯がほとんどわかりませんが、
新町ガレージは若干のお色直し?のあと岩倉に移転し
その後は新設なった広大な京田辺キャンパスの一角へ
移転しました。
(関連記事:京都・静岡巡礼 vol.1:今出川慕情参照願い
ます)
IMG_4406-1.jpg
今から30年以上も前になると思うのですが、同志社大学
自動車部創部50周年大会の時だったかどうか、同期が
誘い合ってその京田辺ガレージを見学に行った事があ
りました。それこそ出来立てのピカピカで、おまけに隣接
してメチャ広い舗装!の練習グラウンドを備えており、
我々が現役時代の狭く老朽化したガレージ、部室とは
雲泥の差にて、溜息混じりで羨ましく思った懐かしい記
憶があります。
(関連記事:大阪・京都・奈良・巡礼 vol.3参照願います)

例によって野尻君上洛までの前置きが随分長くなってし
まいました。野尻青年上洛後の今出川での出来事につ
いては次回の記事にて詳しくお話しすることに致します。
お楽しみに。

追記:ここだけの内緒話ながら、野尻君からは膨大な量
の写真、その他の資料をお預かりしていますが、一気に
ご紹介したいため今回は敢えて掲載しませんでした。
出し惜しみではございませんので念のため。

今出川慕情 vol.1:プロローグ

平成29年2月4日
それは昨年7月、島のタバコ屋手帳に、ある一通のメー
ルが送られてきたことに端を発します。そのメールとは
同志社大学自動車部時代の後輩である、福井在住の
野尻君からでした。彼は昭和52年(1977年)卒ですの
で、タバコ屋よりも4期後輩ということになります。
IMG_3663.jpg
タバコ屋のイメージとしては、NOJIRIと言う名前は我々
の神(GOD)であり、現在同志社大学体育会自動車部
といういかつい名前の組織のOB会副会長をされている
野尻先輩のビッグネームと言うことになるのですが、
そのようなことで最初野尻君からメールを頂いた時は
ややビビりました。ひょっとして野尻先輩の従兄弟か、
甥っ子ではないのかと。しかしそれは間もなく杞憂に終
わりました。
(関連記事:終わりなき旅 vol.3:宴のあとさき参照願い
ます)
DUAC80thロゴマーク
その彼のことです。現在は郷里の福井で家業のコンクリ
ート2次製品や生コン製造(要するにコンクリート製品の
デパート)会社の社長をされていて現役バリバリの実業
家であり、お話しによると息子さんも親子揃って同志社
MANだそうで、現在後継者としてご一緒に活躍されて
いる由、理想的なパターンですよね。多分彼は福井で
は名士と呼ばれるカテゴリーに属しているのではない
でしょうか。
浜矩子2
福井の地は同志社大学自動車部とはよっぽどご縁が
あるのかどうか、野尻君の1期上の先輩にはタバコ屋も
親しくさせて頂き、またタバコ屋のブログでも常任コメン
テーターとして鋭い舌鋒を振るわれている公認会計士
の上山氏がいます。彼はユニクロ亡国論で有名な同志
社大学大学院教授の浜矩子(のりこ)女史か、あるいは
憂国の政治評論家、桜井よし子女史に匹敵する論客に
て(タバコ屋の私見)、上山センセの論文によりNIPPON
の将来が大きく変わろうかという程の有能かつ過激なお
方です。ちなみに彼の論旨は「資本主義自己中論」です。
(関連記事:大阪・京都・奈良・巡礼 vol.1及びvol.2
参照願います)
柴田勝家2
さて皆さん意外に思われるかも知れませんが、福井と
タバコ屋の地元である松山とは深いご縁があるのをご
存知でしたか。古いお話しで恐縮ながら、今から400年
も前の戦国時代には越前の国、北ノ庄(福井)は朝倉
氏が治めていたものの全国制覇を目論む織田信長に
より滅ぼされ織田軍北陸方面総司令官だった柴田勝家
が北ノ庄を本拠地としました。
お市の方3
その後勝家は、朝倉氏攻略の際、朝倉氏に加担したた
めこれまた信長により滅ぼされた浅井氏のもとへ嫁い
でいた信長の妹で当代随一の美女と謳われた「お市の
方」と結婚した訳ですが、最後は秀吉との壮絶な権力闘
争の末、お市の方ともども滅び去ったという悲しい物語
があります。

どうでもよいことながら、「お市の方」という超ブランド品
を妻にめとった勝家は戦に明け暮れる荒武者だった故
に高貴な女性の扱いには慣れてなかったはずで、さぞ
かし気苦労が多かったものとタバコ屋は推察致します。
えてしてこの手の女性は扱いにくい一面があるもので
すが、同志社自動車部OBの中にもそういうご経験をさ
れた方がいらっしゃるかも知れません。
(関連記事:終わりなき旅 vol.4:姫路での再会参照
願います)
結城秀康2
時は移り江戸時代の初期、関ヶ原の戦いで武勲のあっ
た徳川家康の次男結城秀康が北ノ庄の地を治めること
になりました。秀康は家康の子供の中で最も優秀だった
と言われており、一旦は秀吉の養子となりその後結城
家の婿養子となった経緯がありますが、江戸幕府となり
北ノ庄に赴任した後は、姓を松平姓に改め越前松平家
を興しました。
IMG_4385.jpg
一方伊予の国松山は戦国時代、安芸の国(毛利氏及び
小早川氏)の勢力下にありましたが、関ヶ原の戦い後、
武功のあった加藤嘉明が治めることになりました。以降
紆余曲折があった後、桑名藩の当主であった松平定行
が松山藩を治めることになったのですが、松平定行は
父定勝が徳川家康の異父弟であったため家康の甥っ子
にあたり、福井藩の始祖である結城秀康(松平秀康)と
は従兄弟になる訳です。福井藩と松山藩には深いご縁
があると申し上げたのはそういう理由によるものです。

以後福井、松山両藩は明治維新まで続くのですが、双
方がどのような交流があり親戚付き合いをしていたのか
についてはタバコ屋は知る由もありません。
タルト3
余談ながら、伊予のお殿様松平定行公はなかなかアイ
デアマンであったらしく、長崎の警護を仰せつかった時
長崎の地で見かけた南蛮渡来のスイーツ「タルト」を松
山に持ち帰った後、元々パイのような形状であったタル
トをロール巻きにし中にあんこを入れるという斬新な改
良を施し、松山藩の銘菓として普及させたという逸話が
残っています。今ではその「タルト」が愛媛・松山を代表
するスイーツとなり、かつてはタバコ屋の高校時代の先
輩である伊丹十三氏がユニークな伊予弁でそのCMに
一役買った時代もありました。
(関連記事:校長先生西瀬戸を行く vol.2:松山編及び
島のスイーツ開発 vol.3:続タバコ屋のお気に入り参照
願います)
マイカル宇多津2
また私事で恐縮ながら、前の記事でタバコ屋がかつて
ニチイ(マイカル)の主宰するボランタリーチェーンNAC
に加盟していたことは申し上げました。その間タバコ屋
が島興しのためもあって特産品のみかんを全国に販売
する事業を立ち上げるにあたり、チェーンの仲間の方々
にも買って頂く運びとなりました。その際当時福井県や
お隣の石川県でスーパーを展開されていた「だいとら」
さんその他のお店にみかんを買って頂いた懐かしい思
い出があります。今となっては20年以上も前のことであ
り記憶も薄らいでしまいましたが、訪問した時は南国の
中島とは異なり雪深い地であったような色褪せた記憶
があります。
(写真はマイカルの店舗で直接関係ありません)
(関連記事:東京大紀行 vol.4:ウォーターフロント参照
願います)

またお取引はなかったものの、経営者育成セミナーで
同期だった金沢の三崎君(三崎ストアー)等も懐かしい
かつての仲間でした。他の同期には帯広の「六花亭」
さんや静岡の「ちゃんこ江戸沢」さんなんかもいて、僅か
1年間のお付き合いでしたが島のタバコ屋にとっては貴
重な体験となっています。当時は若かった三崎君も今
ではいい年こいだOSSANになっていると思うんですが
今頃どうしているんだろう?。

長い前置きとなりました。そのご縁のある北ノ庄、福井
から、しかも同志社大学自動車部の後輩野尻君から届
いた一通のメールを巡ってその後驚愕の過去が次々に
明かされることになります。長たらしい記事になるといけ
ませんので本日はこの辺で失礼致しますが、詳しいお
話はVOL.2以降にさせて頂こうと思います。お楽しみに。

東京大紀行 vol.4:ウォーターフロント

平成29年1月20日
タバコ屋が40才の頃ということは今から25年以上も前の
時代ですが、ウォーターフロントと言う言葉(記号)が盛
んに使われたことがありました。湾岸、ベイサイド等色々
表現方法はあるでしょうが要するに都市の海岸もしくは
港沿いまたは埋立地のことです。間違っても瀬戸内海
の島の波打ち際
のことではございません。
織田信長1
古い話で恐縮ながら、今から400年以上前の戦国時代
から織豊時代(安土桃山時代)にかけてのお話しになり
ます。当時は下克上の何でもありの時代でその混乱(カ
オス)の中から風雲児、織田信長が出現しその後継者
として取るに足らない一農民の倅だった豊臣秀吉の二
人が2代かかって天下統一を成し遂げたことは今さら言
うまでもないサクセスストーリーですよね。
(関連記事:終わりなき旅 vol.4:姫路での再会参照願い
ます)
安土城2

安土城3
その織田信長なんですが、出身が美濃であり美濃と言
うのは廻りが平野で交通の便がよく、古くから農業より
も広域の商業で栄えた地でした。ゆえに戦国武将として
は革新的な思想の持ち主で、当時築城は攻撃されにく
い峻険な山の頂上に造営するのが常識でしたが、天下
統一が近付いた頃、何と琵琶湖湖畔の安土に居城を
構えたのです。その理由は信長が商人的感覚を持って
おり、交易のための水上交通の要所に拠点を置くと言う
発想をしたことと、防衛についても片一方が水面なので
比較的守りやすいという、一石二鳥を狙っており、言って
みればウォーターフロント開発の先駆者でした。また志
半ばにて倒れはしましたが、その間約10年にもわたって
大坂石山の地にあった一向宗の本拠地(石山本願寺)
を執拗に攻略したのも、湾岸の大坂を貿易の一大拠点
として活用する構想があったためです。
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大阪城7
一方豊臣秀吉は信長の構想(ビジョン)を忠実に受け継
ぎ天下統一事業と並行してその大坂の地に空前絶後の
巨城「大坂城」を築き天下にその威を示したのでした。
それにより大坂の地は以前にも増して商業をベースに
して大繁栄を遂げ、また従来より貿易港として栄えた
大坂南郊の堺を控えており、大坂は名実ともに豊臣政
権の首都として最重要拠点となりました。また天下統一
直前に徳川家康に江戸入植を勧めたのも海に面した大
平野(湿地帯)を有していたからで、その後江戸幕府と
なり当時世界有数の大都市になったのも、その発想の
ルーツは豊臣秀吉でした。
安土城5
いずれにせよ、信長、秀吉の商人的、事業家的発想が
安土、大坂、引いては江戸に結びついた訳で、この二
人がNIPPONのウォーターフロント開発の元祖と申せま
しょう。

さて話しはタバコ屋が40才頃の平成2~3年頃に飛びま
す。いわゆるバブル時代の末期に当たり金融や不動産
関係の業種は黄色信号が灯っていたのですが、流通業
は依然として急成長を遂げていました。
ダイエー1
代表的企業としてはダイエー、ジャスコ、ヨーカドー、ニチ
イ等々ですが、既にそれから遡ること20年以上前から全
国の駅前周辺に都心型の多層型(日本的)ショッピング
センターを怒涛の如く出店していました。
ダイエー5-3
忘れもしませんが、タバコ屋が同志社大学自動車部に
入部したての頃、合宿は京都大阪の中間にある香里に
合宿所があり、そこに通っていたのです。食事の買出し
と調理はもっぱら下級生の仕事で、よく買出しに出かけ
ましたがその入部した年、昭和44年(1969年)に香里園
駅の近くにダイエー香里ショッパーズプラザがオープン
したのです。
ダイエー5
これは後で知ったことですが、当時飛ぶ鳥を落とす勢い
だったスーパーのダイエーが、日本初の郊外型ショッピ
ングセンターを香里園にオープンさせたのです。1階が
食品で2階が衣料品、雑貨、3~4階が立体駐車場で、
何もかも安いプライスの品で構成され百貨店とはまた
違ったモダンでデイリー(カジュアル)な雰囲気を持って
いました。以後、ダイエーはこの店舗スタイルと徹底し
たディスカウンント商法により、全国の主要都市駅前を
席捲する事になります。
(関連記事:大阪・京都・奈良・巡礼 vol.2参照願います)
マイカル本牧1
全国の大都市駅前にショッピングセンターをほぼ出店し
終えた革新的流通勢力(総合スーパー)は次の戦略と
して、郊外に1万坪!程度の敷地を有し、ショッピング
だけでなく映画やレジャーが楽しめるアメリカ型の複合
ショッピングセンターを模索するようになりました。中でも
それに最も熱心だったのがニチイで開発には莫大なオ
カネが必要だったにも拘わらず果敢に挑戦しつつありま
した。横浜本牧のマイカルタウンなどがその走りでした
が、当時のオカネで1年間に500億円も投資していたよう
で、その金額は新日鉄とかNISSANなど大手メーカーと
ほぼ同額でしたからそのスケールはハンパではなかっ
たということです。(尚マイカルとはニチイの後日の社名
です)
スーパートミナガ2
一方ニチイはそれより10年程前から全国の主に地方の
小規模な小売業者を対象に商品供給や店舗運営ノウ
ハウを提供する独特なボランタリーチェーン(ゆるい提
携)を推進しつつありました。名称はニッポン・アライド
・チェーン(通称NAC)でしたが、ご縁あってタバコ屋は
そのNACに加盟させて頂き、昭和53年(1978年)瀬戸
内海の小さな島、中島に近代的な総合スーパーを開設
することとなりました。
(関連記事:人生いろどり参照願います)
マイカル宇多津1
そのニチイは後年、郊外型複合ショッピングセンターを
開発するにあたり、1万坪級!の広大な敷地は全国そう
ザラにある訳ではないので、湾岸埋立地に造られた既
存の造船所や工場が閉鎖や移転した跡地、いわゆる
ウォーターフロントを再利用しようとしたのでした。この
目論見は理に叶ったものであったにも拘わらず、何分
投資がハンパではなかったので持ちこたえることが出
来ず、結局破綻してしまったのでしたが、一時代を象徴
する出来事として、皆さんの知るところです。
マイカル茨木1
ちなみに当時マイカルが推進していたイメージコンセプト
はYMCAL(ヤング・マインド・カジュアル・アメニティ・ライ
フ)と言うややマニアックかつ難解なもので当時の社長
だった京都出身の小林敏峯さんの考えたことなんでしょ
うが、過ぎたるは・・・という結果になりましたよね。どの
ようなことであれ難解なものはダメです。シンプルイズ
ベストなんです。じかにお聞きした訳ではありませんが
MYCAL(マイカル)という社名自体も(マインド・オブ・
ヤング・カジュアル・アメニティ・ライフ)の略称だったの
かも知れません。

小林敏峯社長とは偶然同姓にてシャレにもなりません
が、オクルマ・ジャーナリスト業界でかつてはカリスマ的
存在だった故小林彰太郎さんの口癖であった「ヤング・
アット・ハート」という言葉(記号)も同様の意味があった
と思います。直訳すれば「熱き心に」ならぬ「若き心に」
とでも言うんでしょうか。
(関連記事:時事雑感 vol.8:とと姉ちゃんのこと参照願
います)

それにしてもSATYやVIVREなどというストアブランドは
若い方にはチンプンカンプンでしょうが、我々万博世代、
特に関西方面にお住まいの方にとっては懐かしいヨコ
モジ記号ではないでしょうか。

蛇足ながら、マイカルの崩壊はカリスマ社長だった小林
敏峯さんが難しいご病気で急逝したことにより求心力を
急激に失い、残された経営陣では彼の壮大なビジョンを
継承し発展させ得なかったというのが真相だと思います。
それは400年前の豊臣家が滅亡に至る過程にも似たよ
うなドラマがありましたよね。
イオン1

モール7
マイカルの志が途中で破綻してしまったのはストアコン
セプトが時代を先取りし過ぎていたとも言えますが、ある
意味その後今日に至る大規模複合ショッピングセンター
の礎となりました。
尚、どうでも良いことながら、近年ではショッピングセンタ
ーでなくショッピングモールと呼んでいるようです。
(関連記事:混沌と秩序 vol.3:流通編(後編)参照願い
ます)

さてウォーターフロントをご説明するための長い前置き
となってしまいました。今回のお話は現代の大東京湾
岸(ウォーターフロント)での出来事なんです。
東京湾岸2
今話題の豊洲、築地等、大東京のかなりの重要部分は
広大な江戸湾の埋め立てを中心に、徳川時代に始まり
長い年月にわたって造成開発されてきた人工都市であ
ることは皆さんご存知の事ながら、今回はそのウォータ
ーフロントの一角にある大田市場訪問のお話しです。
DSCN8336.jpg
以前の記事にも書かせて頂き、このブログにも何度か
ご登場頂いている、同志社アーモストクラブ(通称DAC)
のOBでそのOB会報(DACニュース)の編集長でもある
吉﨑さんが川崎にお住まいで長きにわたり三菱銀行に
お勤めの後、今は奥様と悠々自適のご生活にて、時折
ふるさと大阪の緑地公園に所有されているマンションに
息抜きに帰られている由、また吉﨑さんにとってはご自
分の庭みたいな京都及びオーテス・ケーリ先生ゆかりの
アーモスト館にも度々行き来されている現況だとお聞き
しています。
(関連記事:京都・宇治・巡礼 vol.1参照願います)

今回の上京に当たり、第3日目の予定として、その吉﨑
さんに久しぶりにお会いしたかったのと、タバコ屋として
はまだ一度も見学したことのなかったウォーターフロント
の大田市場を訪問したいと思い、その旨を吉﨑さんに
ご相談したところ、吉﨑さんも興味を示されたようでトン
トン拍子に話が進み、一緒に見学することとなりました。
DSCN2512.jpg
前回の記事でCLUB-S30の昼食ミーティングの模様をご
報告しましたが、すべての予定が終わった後、銀座三越
の塩昆布?みたいな名前の婦人服ショップ(マーク・ジェ
イコブス)で店長を拝命している娘の陽子のところへ一
晩殴り込みを掛けたのでしたが結局HOTELに泊まる方
がまだマシだったくらいの高いお化粧料(おひねり)を渡
すハメになったのでした。娘に嫌がられつつも阿佐ヶ谷
での一夜を過ごしました。
DSCN9944.jpg
さて吉﨑さんとお約束した当日となりました。東京モノレ
ールの流通センター駅で待ち合わせることにしましたが
吉﨑さんがやや遅れるとのことで、タバコ屋は徒歩にて
大田市場を目指すことにしました。写真はその流通セン
ター駅を大田市場の反対方向に向けて撮ったものです。
DSCN9947.jpg
京浜運河に掛かる大和大橋を大田市場に向けてただひ
たすら歩きます。(後でわかりましたが、直通バスで行っ
たほうが時間も断然早く迷わなくてよっぽどマシでした)
DSCN9949.jpg
さすが大東京の台所を賄う大田市場の周辺です。途中
にはデッカイ倉庫群があちこち建っていてスケールの大
きさを感じました。
DSCN9952.jpg
かれこれ20分以上歩いたところにそれらしき看板があり
近付いてよく見るとそこは大田市場花き部とあり、花を
扱うところで目指す青果市場はもっと先だと守衛さんに
言われました。
DSCN9958.jpg
いよいよ大田市場と書かれた大きな建物が見えて来ま
した。もうすぐそこです。
DSCN9960.jpg
目指す大田市場到着です。建物には東京都中央卸売
市場 大田市場と書かれています。吉﨑さんが到着す
るまでしばらく休憩です。
DSCN9964-1.jpg
吉﨑さんが到着されました。息せき切っているのでお尋
ねしたところ市場に隣接する広大な野鳥公園の方向へ
行ってしまい、大回りとなったのでダッシュして来られた
とのこと。スマートな体型ながらお若いです。
DSCN9965.jpg
一昨年5月にはタバコ屋の住む中島へ遠路ご夫婦でお
越し頂き貴重なひと時を過ごさせて頂いたのでしたが、
その時以来にて懐かしい再会でした。
DSCN5967.jpg
話せば長くなりますが、このブログにも時々ご登場頂く
同志社自動車部の一期後輩で福ちゃんこと石川女史と
吉﨑さんの親友で同期の中山さんもご一緒で計4名で
のご来島でした。福ちゃんと吉﨑さんとのご縁と言うの
は福ちゃんの幼なじみである京都河道屋の植田さんが
吉﨑さんとは同志社香里の同期であり親友であったこ
とからソバボウロ繋がりで交流されているという訳です。

ご案内する所とて何もない島ながら一通り島内巡りをし
た後、タバコ屋のスーパーに戻り、恥ずかしながらオリ
ジナルの中島いよかんマドレーヌ等を品定めして頂い
たりしました。
DSCN5943.jpg
夜は倅のマー君やタバコ屋のカミサンも交えての楽しい
夕食会となり、その後2次会に繰り出したまでは良かっ
たのですが福ちゃんが得意の喉をご披露されている時、
ちょっとしたハプニングがありタバコ屋はそれがトラウマ
になりつつあります。何があったのかですって。それは
タバコ屋が福ちゃんのスカートを踏んづけてしまって彼
女共々転倒しかかったオソマツな出来事です。

翌日には司馬遼太郎さんの小説「坂の上の雲」の主人
公である秋山好古、真之兄弟の実家や松山城、あるい
は高校時代の先輩である伊丹十三記念館や同志社ゆ
かりの東雲(しののめ)女学校等をご案内致しました。
DSCF2299-1.jpg
松山城ではかつての自動車部時代の乙女に還られたの
かどうか、このようなお茶目なことをされる某女史もいら
っしゃいました。
(関連記事:校長先生西瀬戸を行く vol.2:松山編参照
願います)
ことり10

ことり5
お腹がすいたところで、かつて高校時代タバコ屋がよく
通ったことり食堂へご案内して昔懐かしい鍋焼きうどん
を召し上がって頂いたりもしました。ちなみに50年前か
らメニューも味も器さえも全く変わっていないのです!。

タバコ屋はかつてショーバイと言うのは時流適応業で
あると偉いコンサルのセンセから教わりましたが、ことり
食堂なんてその真逆のやり方で、それでも大繁盛してる
んですから世の中わかりませんよね。
DSCN5978.jpg
かくして、もう二度とない一期一会のひと時はあっという
間に過ぎてしまい、それぞれ帰途につかれたのでしたが
ただ残念なことに吉﨑さんのご親友の中山さんはその
後、難しい病気が急激に悪化し若くして天に召されてし
まったのです。まさに一期一会の貴重な旅となりました。
DSCN9967.jpg
話しが随分それてしまいました。大田市場に戻ります。
さすが日本一の青果市場だけあって上段に専用の見学
通路があり、係員さんの簡単な説明の後さっそく見て回
ることにしました。吉﨑さんは同志社ではタバコ屋より一
期後輩に当たりますが、同じ商学部にて、学んだ講義等
も似たようなものにて、見学当日もその当時の話題となり
「経済原論」の平山センセなんかカビの生えたような退屈
な講義をされていて、タバコ屋はあれで大学の講義に失
望したんですよと申し上げたら、吉﨑さんも同意見でした。

だってタバコ屋は一回生の当時、アメリカから導入されつ
つあった最新のスーパーマーケット理論を書籍等で既に
見聞していましたので、大学ではその最先端の知識が
吸収出来るものと淡い期待を抱いていたのです。それは
3回生の専門ゼミ課程でも満たされることはなく、例えは
悪いながらも、ジェット機の最新技術を学びに来たのに
プロペラ機の技術しか教えてもらえなかった訳で、その
反動が自動車部での精力的な活動源になったとも言え
ますがそれはもう言いますまい。
DSCN9970.jpg
とにかく見渡す限りの膨大なみかん、りんご、メロン、バナ
ナ等、この世のフルーツ全部集合です。特にみかん、りん
ごが量的には突出していました。東京の巨大な胃袋を満
たすためにこれだけの量が1日で消えてしまうとお聞きし
て2度ビックリでした。タバコ屋はみかんの産地で生まれ
育ち、また何の因果かみかんを扱う事業も手掛けている
のでこの日本一の市場は死に土産に見ておきたかった
のですが、これで思いが叶いました。ただしセリはもうと
っくに終わっていました。
DSCN9976.jpg
主に果物の部を見学したかったので、野菜の部は素通り
し、あとは仲卸さん達がズラリと入居している区域を見学
しました。
DSCN9978.jpg
その仲卸さんストリートを歩いている途中、全く予期せぬ
ビックリポン事件がありました。タバコ屋が数十年前から
お取引頂いており三越果物売場を運営されているサン・
フルーツさんの仕入れ担当で、中島にも度々お越し頂い
た事のあるMさんにバッタリお会いしたのです。
Mさんも20年以上お勤めされた名門サン・フルーツを
つい最近退社され第二の人生を模索中であることをお
聞きしていたのですが、偶然お会いしたことで双方懐か
しさが込み上げ近日中の再会を約してお別れしました。
(後日談ながらつい先日そのMさんが約束どおり中島に
視察訪問されました。かくなる上はタバコ屋も再度Mさん
のところへ表敬訪問する必要がありますよね)

蛇足ながら、ご一緒した吉﨑さんも三菱銀行東京勤務
時代、お歳暮等のギフトを発注するにあたって、神田明
神下のサン・フルーツ本社へは何度か足を運ばれてい
る由、タバコ屋も絡めて不思議なご縁としか言いようが
ありません。
DSCN9974.jpg
見学コースのうち屋上の通路沿い駐車場部分に福岡ナ
ンバーのハデなオクルマが停まっていました。これは
アメリカのかつてのビッグ3の一つクライスラー社(現在
はフィアットと合併したのでFCA社)の唯一まともに売れ
ている品(失礼)と言ってもよい300シリーズセダンです。
まるでエジプトのファラオの被り物のようなデザインの
ホイールと超扁平ワイドタイヤを装着しており、オーナー
さんのものすごい趣味の片鱗が偲ばれました。内装は
もう見なくてもわかります。
DSCN9983.jpg
かくして急ぎ足でしたが、念願の大田市場見学を終え
市場の裏側にあるバス停へと向かいました。2人とも往
路にこりて大森までバスで移動することにしました。
この後は地元川崎の吉﨑さんの気配りにて新橋へ、そ
の後浜松町界隈を散策することになりました。
IMG_0523.jpg
まずは新橋駅前の新橋マリンビルにある「せとうち旬彩
館」に向かいます。ここは愛媛県と香川県が合同で展開
している今流行のいわゆるご当地特産品のアンテナショ
ップで愛媛から上京したタバコ屋のために吉﨑さんが粋
な計らいをしてくれました。ちなみに吉﨑さんは三菱銀行
にご奉職されていた東京時代にここ新橋支店に2年間お
勤めだったそうで彼にとってこの界隈は庭みたいなもの
なんです。
旬彩館1
店内は愛媛と香川の特産品が所狭しと並べられている
のですが、実はタバコ屋の展開しているみかん事業の
「希望の島」ブランド商品の一部であるジュース類やレモ
ン果汁等を採用展示して頂いており、既に何度も訪問
している馴染みのショップでもあります。
旬彩館2
2階は「かおりひめ」という名前のせとうち郷土料理のお
店で満員の大盛況ではありましたがちょうどお腹もすい
てきたところだったのでここでランチタイムとなりました。
レーズンウィッチ1
食事後、吉﨑さんがおもむろに「有楽町で逢いましょう」
ならぬ「小川軒へ行きましょう」と言われるので、え?今
食事したばかりなのに、ラーメン屋か洋食屋へランチの
はしごかなと思いましたが、田舎者の早とちりにて、そこ
は有名な洋菓子屋さんだったのです。吉﨑さんは名物
のレーズンウィッチを買いたかったようでしたが、いつも
早々に売り切れるそうでこの日も売り切れにて仕方なく
他の品を買い求めました。
六花亭マルセイバターサンド1
ふと思ったのですが、以前から経営者研修セミナーの
同期生だったご縁で面識があった帯広の六花亭さんの
マルセイバターサンドとよく似た品だなと思いました。
小川軒さんはトビキリの老舗なので、似たような品であ
るとすれば、それは六花亭さんのパクリだと思います。
(関連記事:札幌紀行 vol.1:お仕事参照願います)
DSCN9985.jpg
次はタバコ屋の推測ながら、吉﨑さんの気配りでこの後
羽田へ向かうため近い場所がよかろうと浜松町へ移動し
「旧芝離宮恩賜庭園」を見学することになりました。
旧芝離宮恩賜庭園は江戸幕府の老中・大久保忠朝の
上屋敷内に造営した楽寿園を起源とする回遊式庭園で
明治以後は宮内庁管理の離宮を経て大正13年(1924年)
東京市に下賜され、旧芝離宮恩賜庭園として現在に至っ
ているそうです。
DSCN9989.jpg
さっそく入り口案内所を訪れたのですが、ここでビックリ
ポンなことが起こりました。というのは吉﨑さんが同志社
アーモスト館(学生寄宿舎)のOBであることはすでにご紹
介しましたがその一期後輩で大西君という方がこの施設
の庭園管理スタッフとして働いているというのです。ちょう
ど事務所にいらっしゃったのでお会いし、吉﨑さんは先程
小川軒で買い求めたお菓子を手土産に渡されつつ、タバ
コ屋に引き会わせてくれました。
DSCN9991.jpg
恐縮ながらその大西君が自ら園内を案内してくれること
になりました。その道すがら今度は2度目のビックリポン
な事が起こりました。その訳というのは、大西君がかつ
て同志社自動車部に数ヶ月ながら在籍していたと言う
のです。ということはタバコ屋が現役の3回生の時に1回
生として入部された筈であり後輩の肥塚、水谷、高須君
達と同期だった筈です。
DSCN9992.jpg
ごっつい体格の大西君でしたが、タバコ屋は痴呆がかっ
て来たのかどうか、当時のことがどうしても思い出せない
のです。多分今のご体格とはやや違っていたことと僅か
の期間の在籍だったので記憶に残っていないのかも知
れません。
IMG_1644.jpg
余談ながら大西君は昭和46年頃(1971年頃)には同志
社大学自動車部の部員としてまたその後はお聞きする
ところアーモスト館の寄宿生として、双方にご縁があっ
た訳で、奇しくもかつては同時期の創始にて今では80
有余年の歴史を有するアーモスト館と自動車部ではあ
りますが、タバコ屋や大西君が在籍していた当時、アー
モスト館館長としてまた自動車部の部長先生として随分
お世話になった故オーテス・ケーリ先生がその両方に
関わっていらっしゃったというのも数奇なご縁と申せま
しょう。
(関連記事:終わりなき旅 vol.3:宴のあとさき参照願い
ます)

その意味で、やや大げさながらケーリ先生同様双方に
関係していた唯一の生き証人として、大西君の存在意
義は大きいものがあると思います。歴史にIFはないもの
の、大西君が最後まで部活を全うしてくれていたら、また
別の物語となったことでしょう。
DSCN9998.jpg
ざっくばらんな大西君の薀蓄話として、江戸時代末期、
お台場が砲台として江戸湾の防衛拠点だったのに対し、
このウォーターフロントの美しく広大な庭園は、幕府の
要人の政治サロンだったそうで、よく手入れされたお庭
の一角で抹茶でも立てながら重要な政治案件が語られ
たことでしょう。「クロフネ来たけど一体どないすんねん」
とか。

ついでながら、このような名所旧跡を復刻(レストア)し、
維持して行くには古今東西を問わず、莫大な費用と手
間がかかる訳で、現在は樹木医の資格を持つ大西君
を始めとするメンテナンス専門部隊が常駐管理してい
るそうです。
DSCN8389-1.jpg
昨年訪問させて頂いた平尾センセの地元である宇治の
平等院も同様に数十人の維持管理スタッフが常駐して
お手入れをしている旨お聞きしました。まさにゴミ一つ、
チリ一つ落ちていない状態にて、究極の環境整備と申
せましょう

ま、それからすればタバコ屋の赤いお嬢さんのレストア
なんぞはままごと遊びの範疇かも知れません。
DSCN0002.jpg
大西君とお別れした後、タバコ屋は羽田に向かったので
したが、義理堅い吉﨑さんはわざわざ羽田まで見送りに
同行して頂きました。お茶でもと思いましたが出発ゲート
が混んでいて、時間も迫りつつあったので仕方なく断念し
ましたが、吉﨑さんとのあっという間の再会と別れとなり
ました。温かいお人柄に触れ機知に富んだお話しやおも
てなしに対し、タバコ屋はややウルッと来るものがあり、
吉﨑さんに感謝しつつ松山へと飛び立ったのでした。

いつもながら脱線だらけの長たらしい記事にて恐縮です
が、今回の東京大紀行4部作いかがだったでしょうか。
またご意見をコメント欄にご投稿頂ければ幸いです。

東京大紀行 vol.3:上板橋にて

平成29年1月15日
思えば、タバコ屋が平素親しくさせて頂いている静岡の
川嶋さんのご推薦で、新規入部させて頂いた初代フェ
アレディZオーナーズクラブであるCLUB-S30ですが、
事務局長遠田さんから10月始め頃、1通のメールが届
いたことに端を発します。
240Z-2.jpg
内容は11月27日(日)東京・上板橋でかつてのNISSAN
ワークスドライバー北野元(もと)氏やプライベーターな
がら240ZGを駆りワークスに伍して豪快な走りを披瀝し
た柳田春人氏、また当時のNIPPONのレース界の生き
字引みたいな方でかつてレーシングエンジンのチュー
ナーとして名を馳せた東名自動車の創設者のお一人で
ある久保靖夫氏を来賓としてお迎えし、昼食を頂きなが
ら当時のお話を交え懇親を深めようというものでした。
都平健二1
渡邉会長、川嶋副会長、遠田事務局長等クラブ役員さ
んの当初9月頃の構想では、上記の業界有名人に加え
同じく元NISSANワークスドライバーの都平健二氏、
長谷見昌弘氏、星野一義氏にも参加して頂くべく調整
されたそうですが、日程その他が折り合わず、結局
上記のご来賓のメンバーに落ち着きました。
マックーン5
蛇足ながら上の都平さんの写真、かつてS・マックイーン
が製作、主演した「栄光のルマン」のマックイーンのスチ
ール写真を思い出したのはタバコ屋だけではないと思う
んですけど・・・。映画製作はシロウトであったマックイー
ンはこの映画に入れ込み過ぎて(マニアック過ぎて)莫大
な費用がかかってしまい、興行的には成功したにも拘わ
らずマックイーンは破産してしまったのでした。どの世界
でも、過ぎたるは・・・のセオリーがあるようです。
マックーン7
ただ、マックイーンの隠れファンであるタバコ屋の老婆心
から申し上げますと、俳優さんというのは洋の東西を問
わず、金銭感覚は無きに等しいため、「栄光のルマン」
製作に当たってはちゃんとソロバン勘定を合わせられる
コンサルを雇うべきだったんです。それは我らが裕ちゃ
んの「栄光への5,000キロ」も同様にて、その際一言タバ
コ屋にご相談頂ければ、感動の映画製作と並行してソロ
バン勘定も合わせて差し上げられたのにと思います。
栄光のルマン4
「マックイーンさん撮影用ポルシェ917とフェラーリ512S
は合わせて10台も必要ないでしょうが」とか。
何、タバコ屋への謝礼なんてマックイーンさんも裕ちゃん
も考えなくていいんです。色紙と、にわか購入のヘルメッ
トにサインを頂けるだけでもう・・・、お宝ですから。
(関連記事:荒ぶる心 vol.4:栄光のルマン参照願います)
裕次郎記念館P510-0
ちなみにタバコ屋は過去から現在に至るまでこれほど迫
真的でスリリングなレース映画を見たことがありません。
我らが裕ちゃんの「栄光への5,000キロ」とともにタバコ屋
にとっては不朽の2大名作コンペティション映画です。
(関連記事:札幌紀行 vol.2:小樽へ参照願います)
栄光のルマン6
どうでも良いことながら、都平さん、マックイーン、裕ちゃ
ん演じる五代のヘルメットデザインがほぼ同じだと思い
ませんか。最初の写真、240Zのレースシーンで写ってい
るドライバーは北野さんですが、そのヘルメットもよく見
ると同じデザインですよね。
栄光のルマン2
タバコ屋は時代錯誤ながらも、この時代(昭和40年代)
に使用されたヘルメットデザインに強い郷愁と愛着を覚
えています。全く架空のお話しながら、もしタバコ屋が
死に土産に鈴鹿サーキットを赤いお嬢ちゃんで疾走す
るようなことがあるとすれば、そらもうエンジンも足回り
もヘナヘナでも何でもいいから、いの一番にこのデザイ
ンのヘルメットだけは使用したいものです。ま、その前
に購入する必要がありますけど・・・。
(マクラーレン・HONDA-MP4/4)
F1マクラーレンホンダMP4・4-1
(PORSCHE-917Kショートボディ)
栄光のルマン9-1
蛇足のつけ足しながら、タバコ屋が過去現在を問わず
最もお気に入りのレーシングカーは、かつてのF1で大
活躍し世界を席巻したマクラーレン・HONDA-MP4/4
及びマックイーンの「栄光のルマン」の時代にこれまた
F1とはカテゴリーは異なるもののスポーツカー分野で大
活躍したPORSCHE-917(特にショートボディの917K)
だと今でも思っています。
(関連記事:荒ぶる心 vol.5:ポルシェのこと参照願い
ます)
240Z-3.jpg
話しを元に戻します。来賓の北野元氏はCLUB-S30の
名誉会長でもあり、また柳田春人氏は名誉副会長、
久保靖夫氏は名誉会員兼当クラブ技術顧問という晴れ
がましいお立場です。ついでながら、その他の名誉会
員には、故人となられましたが、初代Zの生みの親であ
る片山豊氏を始め、Zデザイナーの松尾良彦氏、総括
設計者の植村斎氏、等々初代Zゆかりの錚々たる方々
が名を連ねています。

さて今回の上板橋ですが何故この地になったかと申しま
すと北野氏が板橋で2輪用タイヤショップ「ウルフ」を経営
されていてそのすぐ近くにある北野氏行きつけのお店で
もある「レッドロブスター」というアメリカンシーフードレス
トランをご紹介頂き会場はその場所に決まったようです。

前日平尾センセと新橋に宿泊したタバコ屋でしたが、当
日は二人して池袋経由で東武東上線に乗車し上板橋を
目指すことに致しました。東武東上線!懐かしい名前で
す。実は10年程前、還暦が近付いた頃タバコ屋は死に
土産に初代フェアレディZの取得を模索していましたが、
40年も前に製造されていた旧車にて市場にはほとんど
出回っておらず、安易には入手困難な状態でした。

そんな時、皆さんご存知の旧車専門誌ノスタルジックヒ
ーロー(通称ノスヒロ)誌上にちょくちょくお名前が出てい
たリバイブジャロピーさんが目に留まり、HPを拝見した
ところZとGTR専門のレストア屋さんであることがわかり、
また紹介記事もほのぼのとしてタバコ屋の好みだった
ので思い切ってオーナーの西通男さんに電話し諸々の
お話しをした結果、この方ならタバコ屋の希望を叶えて
くれると思ったので、後日訪問することに致しました。
その西さんの工房所在地が東武東上線の終点である
寄居町だったのです。
(関連記事:好みの基準 vol.2:愛車変歴及び
終わりなき旅 vol.2:愛車ミーティング参照願います)
(サン・フルーツ銀座三越店)
DSCN1688.jpg
(京橋千疋屋本店)
DSCN2501-1.jpg
前の記事でトウキョーはタバコ屋にとって外国だと申し
上げましたが、実はそれ以前よりタバコ屋が試みていた
中島特産みかんの産地直送事業によりそのトウキョー
にお取引先が出来、三越全店でフルーツ売場を展開さ
れているサンフルーツさんや京橋千疋屋さん等、著名
なお店とご縁を重ねつつありました。ですので商談上京
の折にその寄居町の西さんを訪ねることにしました。
(関連記事:千葉・東京巡礼 vol.2:銀座界隈参照願い
ます)

ホンダ2-1

余談ながら、東武東上線沿線はHONDAにとっては縄張
り地区で和光、朝霞、小川町の重要拠点を始め、将来
国内でのアキュラ展開を目指してその生産拠点として目
論んでいた寄居等、関西の鈴鹿周辺に次ぐ重要エリア
で、自称元HONDA-PTA会長のタバコ屋にしてみれば、
かなり気になっていた場所でした。
寄居工場7-2

寄居工場4
結局寄居はリーマンショック以降紆余曲折の末、アキュ
ラではなくフィットの専用工場としてまた今後の製造方式
のモデル工場(マザー工場)として平成25年(2013年)
に完成したのでした。賢明な選択ですよね。
(関連記事:オハイオの夢参照願います)

さてジャロピーさんです。実際お会いしてみてNISSAN
旧車専門のNISISANとはしゃれにもなりませんが、Iが
一文字増えはするものの誠実素朴なお方でした。後日
そのNISISANよりご連絡頂きフルレストアした240Zを
購入しませんかとのことで、次の上京の機会に再度訪
問致しました。さっそく拝見し横に同乗させてもらって試
乗にも出かけました。
IMG_0520.jpg
シルバーメタリックの240Zでしたが、さすが匠の手で仕
上げられたものにてコンディションは新車同然、ビス1本
に至るまでピカピカ状態でした。試乗に際してはレスポン
スが凄まじく踏めば即座に5,000回転くらいは回っている
ような感じを受けました。キャブレターはウエーバーの3
連装、排気はもちろん6気筒独立式(タコ足)で、サイレン
サーは縦2連のトラストマフラーが付いていました。
IMG_0516.jpg
タバコ屋は若かりし頃、かつて自動車部で所有していた
スカイライン2000GTの重くて眠いL型エンジンのフィーリ
ングしか知らず、L型エンジンってチューニング次第でこ
んなに軽やかに豪快に回るものなのかと驚きました。
ただ残念なことにトラストマフラーがけたたましい爆音を
発するのには閉口し、この状態では瀬戸内海のガラパ
ゴス島では走れないだろうな~という予感がしました。
またリミテッドスリップデフ(LSD)のカシャカシャ音も若干
気になりました。
IMG_0521.jpg
NISISANがご提示頂いたオネダンは非常に良心的で、
諭吉の100枚重ねの束を3つ程度用意すればよく、買え
ば買えない事はなかったのですが、当時のタバコ屋は
Zに関する経験と知識が全くなく、結局、マフラーやLSD
なんか取り替えれば済むのに、自分の好みにするには
ボディの再塗装も含め相当追加の費用が掛かるだろう
とビビってしまい、またその頃、下の倅が大学に行って
いて費用もかさんでおり、HONDAレジェンドを所有して
いる上にZを購入することについて、カミサンを説得する
自信をやや失ったせいもあって、あれこれ迷った挙句、
その極上の240Z購入を辞退してしまったのでした。

当然そのピカピカの240Zはすぐに売れ口が付きNISIS
ANにお聞きしたところでは三重県のさる外科医のドクタ
ーのところにお輿入れされたそうです。タバコ屋にとって
は今でもその極上品を購入出来なかったことがトラウマ
になっています。

例えは悪いものの恋愛や結婚においても「ああ、あの
時なあ」と言うのを経験された方も結構いらっしゃるの
ではないでしょうか。
納車後のZ
もうZの取得を諦めかかったタバコ屋でしたが、それから
1年程たった頃、松山の友人からZの出物があるけど見
に来ませんかとお誘いがあり拝見したところタバコ屋の
好みとは正反対のローダウン、チンスポ付きのS30Z改
2.8L湾岸ミッドナイト仕様でした。もうZのボディ自体の取
得が難しいと判断していたタバコ屋は気に入らないなが
らもベース車両と割り切って購入することに決めました。
その費用は車検も含めて諭吉100枚の束1つ程度でした。

さっそくNISISANに連絡し、これをベースにレストアを実
施して頂くよう依頼したまではよかったのですが、お送り
してみるとボディの程度が悪く、NISISANもフルレストアし
た場合はいくらかかるかわかりませんよと言われるし、
また遠方ゆえレストアの進捗をたびたびお邪魔して拝見
することもかなわず、遠交(援交とは違います)の限界を
感じて、結局NISISANからは純正シートやZ432用純正
マフラー等々、重要なパーツ提供と軽整備のみをやって
頂き、レストアは地元松山でやることになった訳ですが、
地方都市ゆえ信頼出来る専門業者など皆無ではあった
ものの、それからレストア地獄の5年間が待っていようと
は夢にも思いませんでした。

余談ながら、タバコ屋がCLUB-S30に入部後にわかっ
たことなんですが、リバイブ・ジャロピーのオーナー西さ
んはCLUB-S30の重要な会員さんのお一人でした。
ご縁と言うものはわからないもので、世の中案外狭いも
のですよね。
(関連記事:好みの基準 vol.2:愛車変歴参照願います)
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目くら蛇に怖じずとはよく言ったもので、悪戦苦闘の末
何とかレストアを施し、タバコ屋の好みに仕上げたのが
現在の赤いお嬢さんなんですが、出来の悪い子供ほど
可愛いとは巷間よく言われることながら、フェアレディと
いう高貴なお名前に似合わず、タバコ屋にとってはまる
で悪魔の如きやんちゃなお嬢ちゃんです。
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東武東上線のことから話しがすっかり脱線してしまいま
したので元に戻します。タバコ屋と平尾センセは上板橋
の駅に到着し旧商店街を通って目指す「レッドロブスター
上板橋店」に到着です。時間も早かったので会員さんは
まだお見えになっていなかったようですが、ただお一人
群馬の前橋で歯科医ドクターをされている金子さんにお
会いし初対面ゆえご挨拶をさせて頂きました。
DSCN9880.jpg
やがて事務局の遠田さん、渡邉会長が到着されタバコ
屋は新入部員のため初対面だったのでさっそく今回の
ご好意(平尾センセと2名で特別参加させて頂いたこと)
に対して感謝とご挨拶を申し上げました。

ここでよもやまさかのことが起こりました。渡邉会長が
初対面の挨拶もそこそこに、いきなり「これから北野さん
をお迎えに行きますのでご一緒しませんか」と仰るので
す。タバコ屋と平尾センセは夢心地にて了解しすぐ近く
で北野さんが経営されている2輪タイヤショップ「ウルフ」
へ出かけました。
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結局歩いて5分程度の道を往復し北野さん、渡邉会長
金子ドクター、タバコ屋、平尾センセのメンバーで昼食
会場まで同行致しました。
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会場には川嶋副会長も到着し、会が始まる前にはタバ
コ屋が依頼していたロゴプリントと刺繍入りのクラブジャ
ケットを川嶋さん自らが持参してくれていました。
また想定外にも渡邉会長がZの設計者であり事実上の
開発総責任者であった植村斎さんが書かれたZ開発記
「フェアレディZ開発の記録」の直筆サイン入り本と色紙
を2人にプレゼントして頂いたのです。もう恐縮至極にて
返す言葉もなかったのですが、せっかくのご好意なので
有難く拝受致しました。
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いよいよランチミーティングが始まりました。各地から
というよりはおもに東京周辺から十数名のメンバーさん
が出席されていましたが、川嶋さんのお話によれば、
タバコ屋は最遠方からの出席者だと言うことでした。
DSCN9892.jpg
当然のことながら、まずは名誉会長の北野元氏よりご
挨拶がありました。タバコ屋が昔雑誌で拝見していた頃
の北野さんは口ヒゲを蓄え精悍で怖い感じの方でした
が現在は角が取れ?非常に穏かな印象でした。
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続いて雨の柳田こと名誉副会長の柳田春人氏より挨拶
がありました。かつて240ZGレース仕様を操りワークスに
引けを取らない活躍をされた名ドライバーです。
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奥のご来賓席は当然、久保さんを加えた御三家が着座
され、あとは渡邉会長、川嶋副会長、遠田事務局長が座
り、和やかに懇談が進むであろうと予測されました。
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しかしここでとんでもない事態が発生したのです。川嶋
副会長がそっと耳打ちし、ご遠方から来られたのでお2
人で北野さん達とお話されてはどうですかと言って新参
の2名のためにお席を用意して頂いたのでした。推測な
がら渡邉会長と打ち合わせての気配りだったのでしょう。
これには平尾センセ共々ビックリ仰天しましたが、2度と
ない機会だと思ったので僭越は承知ながら、有難く同席
させて頂くことにしました。
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当日のランチはシーフードのフルコースでディナーとも
言えるメニュー内容でした。メインディッシュは看板どおり
でっかいロブスターでしたが大変美味にてお酒も進むに
つれ、最初の緊張は解けご来賓や川嶋さん達ともお話し
をさせて頂くことが出来ました。
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以前から北野さんが京都出身であることは存じ上げて
いたのですが、お話しが進む中、君ら同志社自動車部
のOBですか。同志社ゆうたらええとこのボンが行く大学
と違いますか?とか仰り、やや事実とは異なるご認識を
されているようでした。実態はボンビー学生の集まりでし
たわと申し上げたかったのですが、ただ北野さんのお話
しを拝聴するに留めました。平尾センセは自称ミツビシ
PTA会長を自負するミツビシオタクにてワークスの増岡
氏他とも交流があり話題も豊富なので、いろいろお話が
はずんでいたようです。ただ一通りお話しと食事が進行
した後、新参の我々が来賓席を占拠していては他の先
輩メンバーさん達に申し訳がないので、お席を替わって
頂くことにしました。
DSCN9905.jpg
その後、写真の空飛ぶZ432オーナーこと奈良ご在住の
現役ANA国際線パイロット遠藤氏を始め各自が持ち寄っ
た思い出の品や本などにご来賓のサインをお願いされて
いました。
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ちょっとマニアックな持参品として、Z432搭載のS20エン
ジンのヘッドカバーにサインをすべく北野氏、柳田氏が
やや苦労されている様子です。
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変り種と言っては失礼ながら、240ZGを所有でイギリス国
籍のアラントーマス氏と思しき御仁も楽しそうに歓談され
ていました。
DSCN9899.jpg
壁にはクラブ20周年記念行事として現在進行中のフラッ
グリレーの旗も飾られました。恥ずかしながらタバコ屋も
先般倉敷にて旗の端っこの方にサインさせて頂きました。
(関連記事:アイビーで朝食を vol.2:粋な別れ参照願い
ます)
IMG_2191.jpg
名誉会員でクラブの技術顧問でもある久保氏とお話しし
ているところですが、久保氏の着用されているのが今回
タバコ屋が購入したクラブジャケットです。メーカーはミズ
ノ製ですが、背中と胸には別注のロゴがプリントされ、袖
にはクラブロゴの刺繍ワッペンが貼られていてなかなか
マニアックなジャケットです。

肝心のお話しの中味はというと、かつてタバコ屋のZをレ
ストアするに当たり、エンジンのレスポンスが悪いので
どう改善するかとなった時、松山のエンジン屋さんはピス
トンリングが磨耗しているので交換ボアアプするしかない
という見解だったのに対しタバコ屋はおかしいと感じたの
で、当時思い余って、面識のない久保さんに飛び込みで
直接お聞きしたことがあったのです。久保さんの見解は
ピストンリングの磨耗なんてありえない、それはソレックス
キャブの調整不良です。と仰いました。実際その通りだっ
たのですが、松山の業者はリングのせいだと言い張り、
ボアアップ以外は請合わないと言い出したので仕方なく
3Lにボアアップした経緯があったのです。その頃の思い
出話しをした訳ですが、久保さんは多忙のためそのこと
は覚えていらっしゃらなかったようです。オクルマにしろ
ヒトにしろ藪医者にかかるととんでもないハメになるとい
う見本みたいな出来事でした。
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奈良から単駆Z432で駆けつけられた遠藤さんとのワンシ
ョットですが、タバコ屋はもともと細い目をつむってしまっ
ています。平尾センセもうちょっと何とかなりませんでした
かね。
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ランチミーティングは食事もお話しも進行し、いよいよ
コーヒータイムとなりました。タバコ屋はほとんどのメン
バーさんと面識がないのですが、皆さん楽しそうに歓談
されているところへ割って入るのもいかがなものかと思
い、今後に委ねることに致しました。つたない経験から
判断しても、学生時代4年間同じ釜の飯を食って初めて
同釜の親友ということになる訳ですから、何でも時間は
掛かるのです。
IMG_2188.jpg
楽しくも濃厚なランチミーティングもいよいよお開きの時
間となりました。皆で記念撮影です。平尾センセが写っ
ていませんが、ご自分のNikon一眼レフで撮影したもの
で写らないのは当然ですよね。正面左手前でフラッグを
持っていらっしゃるのが事務局長の遠田さんです。
IMG_2194.jpg
さてその後皆さん各地へ散っていかれましたが、川嶋さ
んは静岡から愛車のブリティッシュグリーンS30Zで来ら
れていたので記念に一枚撮らせて頂きました。
今時、ジャガーEタイプを彷彿とさせるメッシュホイールを
ご着用のオクルマなんてそうざらに見つかるものではご
ざいません。しかもボディカラーにジャストマッチで大変
渋いご趣味です。
(関連記事:アイビーで朝食を vol.2:粋な別れ参照願い
ます)
IMG_2196.jpg
前述の奈良の遠藤さんもZ432で上京でしたが、平尾セン
セは初対面だったので、オクルマのご紹介をしたところ
根堀り葉堀り細部までご撮影に励む平尾センセでした。
手前味噌ながら、10年前寄居のNISISANちで拝見した
240Zもスペックこそ違え、ボディはずばりこのイメージ
及びコンディションでした。
(関連記事:アイビーで朝食を vol.1:いざ倉敷へ参照
願います)
IMG_2197.jpg
ホームステイ3人衆?の記念写真です。Zを巡る不思議
なご縁ですが、今後も大切にしていきたいものです。
(関連記事:京都・静岡巡礼 vol.2:静岡詣で参照願い
ます)
DSCN9917.jpg
また事務局長の遠田さんは都内新宿にお住まいのバリ
バリの江戸っ子にて愛車240ZGでお越しでした。
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川嶋さんと遠藤さんをお見送りしたあと、遠田さんをお
見送りしようとした時とんでもない事態が発生しました。
駐車場の床にあるフラップの昇降装置(赤い箱)の片方
がオクルマのサイレンサーに当たって出られなくなった
のです。遠田さんはお店の方にフラップを下げてもらい
脱出を試みましたが、BOXが当たっているのでうまくい
きません。見かねたタバコ屋達は手押しで左右に小刻
みに幅寄せを敢行し、大汗をかいた後、遠田さんの大
切なオクルマを傷付けることなく脱出に成功致しました。
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遠田さんには入部にあたり何かと親切にして頂いてい
るので、ささやかながらお役に立てたかな思い、赤いハ
ンカチならぬ白いハンカチで額の汗をぬぐったタバコ屋
でした。
JSCN9932.jpg
すべての行事が終わり、タバコ屋はもう一泊するものの
平尾センセは京都へお帰りになるので東京駅までご一
緒しそこで名残を惜しむことになったのでしたが、どうし
たことでしょう、東京駅の地下は来る東京オリンピックに
向けて大改装中で、まあえげつないほどショーバイっ気
丸出しで、お土産店のオンパレードでした。若いカップル
の立ち寄るカフェらしきものはちらほらあったものの全席
禁煙、お酒なしときては2人の取り付く島はありません。
ビール1
結局30分近く歩いた末、やっと万博世代の感性にピッタ
リのビヤホール銀座ライオンを見つけたのですがそれも
日曜日休館にて、途方に暮れかかりましたがやっと小さ
な中華料理店を見つけ、そこで今日の余韻を楽しみつつ
別れの杯ならぬビールで乾杯したのでした。

このあと娘の陽子のところへ殴り込みを掛けるのですが
長くなるので今回はこれで筆を置きます。次回 vol.4を
お楽しみに。

東京大紀行 vol.2:目黒界隈

平成29年1月14日
瀬戸内海のガラパゴス中島で生息している身とは言え
幼少時より年に一度は梅田HANKYUUの大食堂や枚方
パークで馴染んできたタバコ屋です。また長じては大学
生活を京都同志社で4年間過ごすことになりました。
(関連記事:大阪・京都・奈良・巡礼 vol.2参照願います)
阪急お子様ランチ
また卒業後も家業がゴフク屋兼総合衣料品店だった故
に京都室町、大阪船場へは足繁く通ったため、タバコ屋
にとっては大阪・京都というのは僭越ながら自分の庭み
たいなもので、愛着と郷愁を覚えます。
(関連記事:オハイオの夢参照願います)
ユニクロ1
ちなみにユニクロの柳井さんとは多分同年代で、彼の
実家は山口県光市のVANジャケットのメンズ専門店、
一方タバコ屋は瀬戸内海の小島の総合衣料品店という
違いはありましたが、考えていた事は似たようなもんで
す。だって同世代ですもの。
IVY-1.jpg
当時石津謙介さんの仕掛けたアイビーファッションが
一世を風靡しましたよね。ミユキ族とかハマトラとか。
ボートハウスも今となっては懐かしいブランドです。
オクルマ業界もその影響を受け、今はなき徳大寺有恒
さんこと杉江博愛(すぎえ ひろよし)さん達が創業した
オクルマ用品のファッションメーカーである「レーシング
メイト」なども懐かしい思い出です。
(関連記事:混沌と秩序 vol.3:流通編(後編)参照願い
ます)
レーシングメイト2
話しが脱線してしまいましたが、一方東京というのは
タバコ屋にとって基本的に外国で、高校時代に修学旅
行で行ったくらいで、守屋浩でもないでしょうが「僕の恋
人東京へ行っちっち」程度のイメージしかありませんで
した。しかし大学時代ともなると自動車部の全国組織で
ある日本学生自動車連盟を介して全関西、全国大会と
いった全国規模の運転競技(コンペティション)が行わ
れ、トウキョーの明治、青学、慶応、早稲田といった連
中と覇を競いながらも交流を重ねることとなり、田舎者
のタバコ屋はトウキョーにも沢山の大学があることを知
りました。
フランシスコザビエル1
余談ながら、同志社は新島襄先生を創設者とするプロ
テスタント系キリスト教を建学理念とするのに対し、同じ
キリスト教系でも青学(青山学院大学)はフランシスコ
ザビエルのイエズス会を源流とするカトリック系キリスト
教がルーツであり、生い立ちを異にします。そのせいか
どうか、本来なら親戚付き合いをしてもよさそうなのに、
タバコ屋の記憶では青学とはまったく交流がなく、逆に
建学のルーツはキリスト教とは全く関係のない明治大
学の自動車部と親戚付き合いをしていました。何故な
んだろう。今から思えば富士吉田での合同合宿時や
東京以北の遠征時は明治に随分お世話になったもの
でした。
(関連記事:異説:007私を愛したスパイ参照願います)

長い前置きはさて置き、今回のお話しの主題である「全
国少年少女チャレンジ創造コンテスト全国大会」のこと
です。前述の平尾センセからのご案内によると11月26
日の開催で、偶然にもCLUB-S30の昼食ミーティングが
翌27日だったので、両方に参加することにしたのは前
稿でお話しした通りです。

会場は目黒区、大岡山にある東京工業大学キャンパス
内体育館となっていました。はて東京オンチのタバコ屋
にとっては目黒なんて山手線の駅があることくらいは知
っていましたが行った事もなく、ましてや大岡山なんて
生まれて初めて訪問する場所でした。
IMG_2202.jpg
やって来ました大岡山、東京工大キャンパスです。つい
最近この大学の栄誉教授である大隅 良典(おおすみ
よしのり)先生の長年の研究成果である「細胞が自らの
タンパク質を食べて栄養源にする自食作用『オートファ
ジー』の仕組みを解明した」ことにより一部のガンの治
療に道を開いたとして平成28年度(2016年度)ノーベル
生理学・医学賞を受賞されたのですが、大学の正面に
はその垂れ幕が大きく飾られていました。

タバコ屋は医学のことはわかりませんが、自分の体内に
ある正常細胞が、遺伝子の故障によりガンとなってしまっ
た異変細胞を食べてしまって消滅させ、正常に戻すこと
が出来るとすれば、そら天照大神が天の岩戸からお出ま
しになって以来の一大事件と申せましょう。
DSCN9818.jpg
キャンパス入り口には親切にも大会会場の案内板が
あり、それに沿って会場へと向かいます。
DSCN9820.jpg
京都チームを引率されている平尾センセはタバコ屋が多
分迷子になるであろうと思いわざわざ大岡山の駅までお
出迎え頂いたのですが、センセとご一緒に会場に向かう
途中、東京工大自動車部の宣伝?看板を目ざとく見つ
け記念に1枚写すことになりました。免許が安く取れま~
すなんて効能書きがありましたが、これを見てかつての
タバコ屋も同志社大学自動車部に入部したての頃、先
輩にグラウンドで免許特訓をして頂き、帰省した時に松
山の試験場で1発合格した思い出があります。従いまし
てコストは試験場での受験費用のみで大変安上がりな
免許取得ではありました。

どうでもよいことながら、彼がぶら下げているぶっとい
一眼レフカメラはNikonなんですが、センセはNikonク
ラブの会員で結構オカネ掛かっていると推察致します。
ちなみに我々万博世代の3大趣味と言えばオクルマ、
カメラ、オーディオあたりではなかったかと思いますが、
そのどれもが現在では当時と全く様変わりのスペックと
なり時代の流れを痛感します。だって45年も前のことで
すから。ただしタバコ屋を含むボンビー学生はそれらを
雑誌でただ見てるだけ~でしたが。
DSCN9824.jpg
いよいよ会場到着です。タバコ屋は以前京都で恒例開
催のやはり動くオモチャを使用した創造性表現及びエキ
サイティングな走行スピードを競う(ミニ四駆的)「トイコン
テスト」という大会に同志社のアオリイカこと平尾センセ
に煽られて(強制されて)見学に行ったことがあるのです
が、今回の全国大会はオクルマ業界用語で言えばそれ
のデチューン版(ゆるくしたもの)とも言えるものでした。
(関連記事:校長先生の見果てぬ夢 vol.1:プロローグ
及び校長先生の見果てぬ夢 vol.2:晴れ舞台参照願い
ます)
DSCN9837.jpg
全国から集まったお子達が体育館に所狭しと集結です。
引率のセンセも自校の生徒が冷静に競技に向かえる様
アドバイスしながらも内心気が気ではありません。
選手宣誓
熱血指導を実践している平尾センセ始め京都教育陣の
スタッフが指導するお子達は優秀でないはずがなく、常
に強豪チームの一角を占めており、今回も女子チーム3
名が試合に先立ち選手宣誓をしました。

ちなみにこの全国大会は公益社団法人発明協会が主
催運営している恒例行事で、お子達の創造性を高め
未来のノーベル賞をも受賞出来るような人材を育むこと
が目的です。
DSCN9861.jpg
競技の方法は、まず予選段階において審査員スタッフ
の前でチームメンバーが自分達の創作した作品のコン
セプトとからくり?の作動説明(プレゼン)をした後、実際
に作動させながら規定時間内にゴールを目指すというも
ので、スペック通りに作動しなかったり、時間内にゴール
出来なかった場合は減点され、勝ち残ったチームが決勝
へ進むという方式です。
DSCN9830.jpg
競技前の京都チームの事前メンテナンス状況です。本番
で、あれ動かないとかがあっては最悪なので念入りに調
整しているようです。
DSCN9831.jpg
京都は強豪なのでワークス部隊?を2チーム派遣して
いました。一つは電車をテーマにしたもので、もう一つ
はかぐや姫をテーマにしたものでした。
DSCN9863.jpg
甲乙付け難かったものの、決勝にはかぐや姫チームが
勝ち残り、入賞の運びとなりました。お子達とは言え浴
衣がチームユニホームとはなかなか平尾センセも粋な
計らいをするものです。
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全国大会ゆえに各地から様々な工夫をこらした作品が
登場していて、ご紹介すればキリがないのでやめてお
きますが、お子達とは思えない程ハイテクメカが搭載さ
れた作品がありました。京都はもとより愛知なども地元
有力メーカーがかなり肩入れをしていて舞台裏ではその
メーカーさん派遣のアドバイザーがあれこれ助言をして
おり、コンセプトは子供らしいものの、そのメカは非常に
高度なものだとタバコ屋は感じました。
DSCN9849.jpg
競技の直前、引率の平尾センセがお子達にアドバイスを
しているところです。「君ら、普段通りにやれば絶対うまく
いくんやからあわてんようにな」とか何とか言われている
のでしようがタバコ屋には聞こえませんでした。また隣の
同じく引率のTセンセも心配そうな表情です。また手前は
島津製作所OBで愛媛県出身!のアドバイザーY氏です。
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愛媛県松山市のチームは決勝に残れなかったので早々
と作品を荷造り撤収の準備です。タバコ屋は地元なので
放っておくわけにはいかず思わず声をお掛けしたところ
松山市南郊の砥部小学校からのご参加でした。ご苦労
様です。平尾センセがかつてタバコ屋のところへ訪問頂
いた時「念ずれば花開く」の句碑で有名な坂村真民先生
の記念館にお立寄り頂いたのですが、その地区にある
小学校です。
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電車チームは残念だったものの、かぐや姫チームは決勝
で入賞を果たしました。平尾センセにしてみれば開会式で
京都チームが選手宣誓をしているだけにベスト3とか行き
たかったのではないかと推察しますが、まあこれも人間の
欲と煩悩の世界にてキリがないことです。
DSCN9872.jpg
競技も無事終わり表彰式の風景です。
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タバコ屋の不確かな記憶ですが、愛知の小学校が優勝し
たと思います。勝手な想像ながら、やはり大トヨタが控え
ているだけに側面のバックアップも半端ではなかったので
はと思います。
DSCN9822.jpg
戦い済んで日が暮れて・・・。平尾センセはこの足で京都
へ帰る同僚のセンセ達をお見送りしたあと、タバコ屋と一
緒に今夜の宿泊地新橋へ移動することにしました。

余談ながら、京都御所に隣接する真っ平な敷地の同志
社とは異なり東京工大のキャンパスはブラタモリのタモ
リさんが喜びそうなかなりの高低差(アップダウン)のあ
る敷地で、初めて訪問したにも拘わらず印象的でした。
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新橋到着後、今夜の別予定である同志社大学自動車部
OBで3期先輩の石原さんと夕食を共にすべく恵比寿へ移
動です。東京にお住まいの石原先輩は広島に本社がある
精密機器メーカーの会長さんなのですが、恵比寿駅近く
の広島県人が経営されている居酒屋で石原先輩、平尾
センセ、タバコ屋の3人が落ち着きました。ただし怖い先
輩でしたので終始緊張の数時間後、2次会には近くのテ
キーラ専門のバーへ連れて行って頂きました。近況やら
今後のOB会のことやら夜の更けるのも忘れて楽しく語り
合ったのでした。
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ようやくお開きとなったまでは良かったのですが、タバコ屋
は大ポカにて持参していた石原先輩への手土産を渡し忘
れていることに気付き、あわててタクシーで西麻布のご自
宅までお届けするという事態となりました。結局タクシーも
頼りないおっちゃんでしたが、恵比寿から西麻布周辺を走
りまくって新橋に帰った時は野口英世の肖像のお札が5枚
程度消失することになったのでした。バカですよね。

次回はいよいよCLUB-S30の昼食ミーティングの模様を
ご報告致します。お楽しみに。

東京大紀行 vol.1:プロローグ

平成28年1月8日
皆さん明けましておめでとうございます。今年もポジティ
ブで楽しい記事をお届けしたいと思いますのでよろしく
お願い致します。
clubs30.gif
さて、昨年の11月東京でのある昼食会のご案内が届き、
それに出席することになりました。その昼食会とは初代
フェアレディZオーナーズクラブである「CLUB-S30」主催
の昼食ミーティングで「日産ワークスドライバー&メカニッ
クを囲む会」というテーマで元日産ワークスの北野元氏
やプライベートの強豪、柳田春人氏、また元レーシング
メカニックとして高名な久保靖夫氏をゲストにお迎えして
昼食を共にするというものでした。
240Z-1.jpg
青春時代を京都同志社でオクルマと共に過ごしたタバコ
屋にとっては当時のNISSANワークスという名前は憧れを
通り越して坂の上の雲の上の存在でしたから、そのゆか
りの方々にお会い出来ることは、千載一遇の機会であり
この際、死に土産に行ってみようと思いました。

また広島に本社があるものの年の半分以上東京在住と
お聞きしている同志社自動車部OBで3期先輩のトテモ
怖かった石原先輩にお会いしたく、僭越は省みずお願
いしたところ快くご了解を頂きました。
平尾(生き方探求館)
一方、このブログの常連ゲストでありタバコ屋の同志社
自動車部時代の同釜である京都の元校長、平尾センセ
は日頃「京都まなびの街 生き方探究館」にてお子達相
手にご自分のライフワークである動くオモチャ制作を通じ
て創造性を育むべく熱血指導をしているのですが、今度
東京でその動くオモチャを使った創造性を競う全国大会
があり、京都チームの引率として出場するので応援をよ
ろしくというご案内がありました。
著作4
両方の日程をよく見ると何と1日違いで前後しているでは
ありませんか。これはひょっとすると両方に参加出来る
かも知れないと思い、センセにCLUB-S30のミーティング
のことや日程のことをお知らせすると平尾センセは元々
「ネジお父さん」という異名があるくらいのオクルマエンス
ーゆえに、逆に2人で2ヶ所へ相互乗り入れはど~やと
言い放ちました。アオリイカこと平尾センセのポジティブ
な発想の面目躍如と言ったところでしょうか。

ただしCLUB-S30のミーティングは会員制なので、原則
会員しか参加出来ないのですが、タバコ屋の赤いお嬢
さんをホームステイさせたご縁で親しくさせて頂いている
静岡の川嶋さんが偶然ながらCLUB-S30の副会長をさ
れており、また赤いお嬢さんを引き取りにお邪魔した時、
平尾氏も同行してもらったので川嶋さんとは面識があり
ました。
IMG_2321.jpg
そこで今回のミーティングにタバコ屋と平尾センセと2名
で特別に参加させて頂けないでしょうかと恐る恐るお願
いしたところ、原則会員制ゆえに平尾さんは姿が見えな
かった(透明人間?)ということにして、参加して頂いて
結構です。ということになりました。どうも会長や事務局
長にも根回しして頂いたようで、川嶋さんの粋な計らい
により実現の運びとなりました。
DSCN8336.jpg
さらに、普段瀬戸内海のガラパゴス中島にて文明と旧友
に飢えているタバコ屋はこの際同志社アーモストクラブ
(DAC)OBでDAC及び自動車部両部の創部80周年記念
大会が前後して行われて以来、双方に深いご縁のある
オーテス・ケーリ先生繋がりでご縁になり親しくさせて頂
いている川崎在住の吉﨑さんにも翌日お会いして、まだ
一度も見学したことのない全国の野菜果物の一大集荷
場であり東京の台所でもある、大田市場の見学その他
で旧交を温めたく思いました。幸い吉﨑さんも快諾して
頂きました。
DSCN5960.jpg
太田市場の見学を思い立ったのはタバコ屋が島の特産
品であるみかんの販売や加工製造事業を長年手掛けて
来たにも拘わらず、日本一の青果市場である大田市場
を訪問したことがなかったためで、これもNISSANワーク
スの方々との面会同様、死に土産にしようと思ったのと、
吉﨑さんも行ったことがないらしく興味を持たれていた
ようなので、実現に至った次第です。
クラブS30表紙1
欲張りなタバコ屋は結局、CLUB-S30から配達された1
通のメールから3日間に及ぶ東京大紀行を実施するに
至った訳ですが、その詳しい模様はCM2の後で、では
なくvol.2以降の記事にてご紹介したいと思います。

次の記事の予告 vol.8

平成28年12月22日
島のタバコ屋は、何の因果か、島の特産品であるみかん
やそれを加工したジュースを全国にお届けする事業を
約15年ほど前に立ち上げてしまったのでしたが、時を経
て、やがてその事業は倅が引き継ぐことになりました。
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タバコ屋は懐ろ手で、「励みなされよ」と言えばよい立場
なれど、「事件は現場で起こってる」を地で行くが如く、
お客様からのご注文がハンパではなく、倅がその対応
に四苦八苦しているのを見るにつけ、居ても立ってもお
れず、「俺な~お給料いらんし、みかんの出荷手伝うわ」
と軽率にも言ってしまったのでした。
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おかげでここ1週間ほどはブログの記事を書く余裕もなく
内心あせっています。年末にはやや時間の余裕も出来
るでしょうから、先日京都の平尾センセと共に過ごした
東京での数日の出来事をご報告したいと思います。
お楽しみに。

蘇る青春 vol.2:旧車恋しや

平成28年12月3日
前回の記事に引き続き、クラシックカーショーのはしごを
して来ましたのでその模様をご報告したいと思います。
ショーの名前は「クラシックCarニバルin小松」で場所は
松山ハイウェイ石鎚山SAにしつらえられた特設会場で
す。例によってあおりイカの辻田氏にお誘い頂いたの
ですが、松山に泊りがけだったので朝早く出発しスムー
ズに会場へ到着出来ました。彼はもう何年も前からの
常連客らしく事前レクチャーにて案外出品車よりもそれ
を見に来るギャラリーの方のオクルマに珍車、希少車
が多くて見応えがあり、面白いですよということでした。
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9時前には会場のギャラリー用駐車場に到着、お隣は
高知からお越しのケンメリスカイライン2000GTでした。
それにしても今から思うと初代のフェアレディZは大変
コンパクトなサイズでスカGやお隣のエスティマと比べ
ても大変つつましく感じます。

実は泊りがけでクラシックカーショーのはしごをしたのに
はもう一つの理由がありました。以前よりタバコ屋の愛
車、赤いお嬢ちゃんこと初代フェアレディZはデザインを
優先したためオメメが奥まった位置にありボディが邪魔し
て夜間ヘッドライトを照射した時、内側が暗いんです。
物理の法則ながら、特にロービームの時は付けマツゲ
が邪魔して手元が暗くなるのは推測出来ますよね。
DSCN9519.jpg
そこでさっそくタバコ屋が勝手に任命させて頂いている
メカニカルコンサルタントの元校長センセ、平尾氏に相
談したところ、まずヘッドライトを現状の小糸製HIDライ
トからシビエのハロゲンライトに交換するよう勧められ
ました。というか、もうさっさとヤフオクで探し出し、これ
やこれやとか言って半強制的に買わされました。
DSCN9514.jpg
ちなみにシビエは今ではもうクラシックアイテムで現在
は社外の復刻品しか新品で入手出来ません。たまたま
新品がオークションに出ていたので2万円強の大枚をは
たいて購入しました。ついでながら売主は沖縄在住の
愛媛県出身者で、ややの親近感を覚えました。
タバコ屋のシビエに対するイメージとしてはあの特徴的
なスーパーオスカーのややえぐれた凹面のレンズ断面
を想像していたのでしたが、届いたのは逆に凸面に膨
らんだ形状でした。効果はともかく、ファッションとしては
現状の小糸製がフラットな平面レンズで気に入っており、
このシビエの装着は保留にすることにして、別に補助
ライトを2個装着することにしました。
スーパーオスカー1
その間、ことの経緯を知ったおなじみ梅田の悪徳改め
良識公認会計士(失礼)である同志社大学自動車部三
期後輩の上山センセが、ご親切にも上の写真のシビエ・
スーパーオスカーの手持ちの中古品を送ってきてくれた
のです。
大変有難いお申し入れだったのですが何分スーパーオ
スカーは馬鹿でかく(直径18cm)ヘッドライトと同じ直径
でしかも奥行きがあるので、バンパーに装着した場合
ボディに干渉する恐れがあるのと、バランスの面でもか
なり難点があり、これもあきらめることにしました。
ドライビングランプ868S
思い余って再び平尾コンサルタントにご相談したところ、
昔取った杵柄にて、さっそく補助ライトのチョイスを提案
してくれました。かつて故渡辺和博さん著作の「お父さん
のネジ」の愛読者でそれを実践しているラリーオタクの
平尾氏にしてみれば、朝飯前の所業にてたちどころに
競技用と思しきマニアックなIPFの補助ライトを探し出し
てくれました。タバコ屋のイメージとしては補助ライトは
シビエ、マーシャル、キャレロ、といった懐かしいメーカ
ーなんですが国産ではPIAAくらいしか知らずIPFという
メーカーは初耳でした。しかもオネダンが大変手頃で
2個セットで1マン円程度なのでさっそく購入することに
しました。
IPFロゴ1-1
何でも自分でやらねば気が済まないマニアックなネジ
お父さん
の平尾センセならご自分で装着するところで
しょうが、タバコ屋の場合は松山の行き付けのメカニッ
ク氏に依頼してバンパー下に装着してもらうことにしま
した。余談ながら平尾センセの場合は自分の趣味の事
で人様に迷惑をかけてはいけないというポリシーがあり、
タバコ屋には人様のお仕事を取ってはいけないというポ
リシーがあるので、やることは同じでも方法が異なる訳
です。以下劇的ビフォーアフターです。
(装着前)
IMG_3846-1.jpg
バンパーに直接穴をあけるのは嫌だったので、バンパー
の内側にスチールのベロを2ヶ所溶接してそこに取り付け
てもらいました。ちなみにアイデアはタバコ屋です。
DSCN9559.jpg
(装着後)
DSCN9544-1.jpg
レンズ径は16cmでヘッドライトよりやや小さいサイズです。
イメージどおりの仕上がりです。
DSCN9546.jpg
やや遠目から見ても、取り付け位置、サイズバランスと
もなかなかいい感じだと思います。
DSCN9569.jpg
保護カバーをはずした状態です。余計なことながらライト
を上下さかさまに取り付けたのでレンズは180度ひっくり
返しています。
DSCN9728.jpg
HIDのヘッドライトをハイビームにした時の照射状態です。
当然ながら手前が暗いのが見て取れます。タバコ屋は
この青白い光があまり好きではありません。
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補助ライト点灯時の状態です。手前は随分明るくなりまし
たが補助ライトはハロゲン球なのでやや赤みがかった色
であり、2色のマッチングはあまり良くないと感じました。
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機能を取るかファッションを取るか、タバコ屋はハムレット
並みに悩みましたが、今回はこれでよしとします。

話しが脱線してしまいましたが、クラシックカーショーの
前日、担当メカのU君からオクルマを受け取り、上機嫌
でいざ出陣となったタバコ屋ではありました。石鎚山SA
でのショーの話しに戻ります。
DSCN9631-1.jpg
待つこと1時間、来るわ来るわ懐かしい旧車が勢揃い
です。このイベントは地元の周桑商工会青年部が15年
前から町おこしを目的に開催してきたもので今年は15
回目だそうです。数百台が大集合にて全部はとても紹介
出来ませんが、特別気になったオクルマをご紹介しまし
ょう。
DSCN9656.jpg
懐かしいダイハツミゼットです。タバコ屋が小学生の頃
ですから昭和35年頃(1960年頃)だったと思いますが、
タバコ屋の島でもハイカラな農家さんがいてこのミゼット
を購入していました。今から思えば積める荷物など知れ
たものでしたが、キカイ好きの方にはたまらなく魅力的
に写ったのだと思います。
蛇足ながら、元祖リアオーバーフェンダーはこのミゼット
からだと思いますが、間違ってますかね。
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運転席はもうこれ以上簡素化出来ないほどシンプルで
すが当時はこれで十分事足りたのでしょう。実はこれを
買ったのはタバコ屋の親戚のお兄さんでしたが、その弟
で悪ガキ大将がいて、中学生の癖に無免許でミゼットを
乗り回していました。タバコ屋もそれに便乗して横に乗せ
てもらった懐かしい思い出があります。
DSCN9692.jpg
新旧2台のNコロことHONDA-N360が仲良く並んでいまし
た。それも申し合わせたかのように2トーンカラーに塗っ
たおしゃれな外観でした。このパターンを流行らせた元祖
は言うまでもなくオースティン・ミニで、そもそもN360開発
者の本田宗一郎からして、その開発コンセプトはミニの
パクリだった訳ですから。
DSCN9696.jpg
その派生車種であるステップ・バンです。当時としては
とてもハイカラな商用車というか若者のレジャーカーでし
た。出品車は残念ながら十分なレストアがされておらず
かなりくたびれた状態でしたがこういう晴れ舞台に出品
されるのであれば、せめて外観だけでも小ぎれいにして
ほしかったと思います。
DSCN9662-1.jpg
クラシックカーでは超定番の後期型箱スカGTRです。どう
でも良いことながら、正確に言えばオーバーフェンダーは
リアのみが正しいのですが、このオクルマは何故かフロ
ントもオーバーフェンダーでかなりのワイドタイヤした。
パワステなしのステアリングではさぞかし操作が重いと
思うんですけど余計なお世話かも。
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それにしても、この角度からの眺めはいつ見てもセクシー
ですよね。尤も、その時代々により殿方が欲情する対象
(価値観)は変わるものなんでしょうが、タバコ屋を含む
万博世代はこれを見て、鼻から出血する方が多いのは
事実です。
DSCN9643.jpg
かに目で親しまれた大英帝国のオースティン・ヒーレー
です。第二次世界大戦に勝利はしたものの、へとへとに
疲れ果てたイギリスは戦後細々とこのようなオクルマを
世に出し、主に親戚のアメリカに買ってもらっていた訳で
すが、やがて気合十分の我らがNIPPON車、特にブルー
バード1600-SSSや初代フェアレディZの猛烈な殴り込み
により、ジャガーEタイプはもとより、ことごとく駆逐されて
しまったのでした。当時小川ローザのオー、モウレツ!
なんてCMが流行しましたよね。タバコ屋もローザ嬢が押
さえていた下半身のある部分なんかはかなり気になって
いましたけど。
ちなみにお隣はスズキ・フロンテクーペですが、馬鹿にし
ちゃいけません。何を隠そうこのオクルマは当時世界中
に大売り出し中だった、若き日のジウジアーロ氏がデザ
インしたものなんです。ご存知でしたか?。
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ヴィンテージ・ポルシェです。多分550スパイダーです。
若い方はチンプンカンプンでしょうが、かつて戦後間もな
い頃活躍し、残念なことに昭和30年(1955年)若干24才
で自動車事故によりこの世を去ったアメリカの若手スタ
ー、ジェームズ・ディーンが愛用していたオクルマですよ
ね。事故の時もこのオクルマで撮影現場に向かう途中
だったとか。う~ん愛媛にこのようなマニアックな希少車
をお持ちの方がいらっしゃったとは、レストアの状態も完
璧で、もう絶句です。
DSCN9681.jpg
多分2代目ポルシェ911です。タバコ屋が同志社大学自動
車部を卒業後の昭和49年(1974年)から10年以上も生産
されたオクルマで初代ナローポルシェと共にポルシェと言
えばこの2代目ポルシェ911の印象が強いです。
ただしサファリ、モンテで我がフェアレディ240Zと死闘を繰
り広げたポルシェは初代の911でした。今回のショーでは
外国車では圧倒的にポルシェが多かったように思います。

さて、出品車の紹介はこれくらいにして、辻田さんご推奨
のギャラリーの方々の愛車をご紹介したいと思います。
DSCN9632.jpg
まず度胆を抜かされたのがフェラーリ・テスタロッサでバブ
ル華やかな頃のいわゆるスーパーカーブームの代名詞
のようなオクルマですよね。う~んしかしタバコ屋の好み
ではないので、ご立派と言うしかありません。後方は3代
目のフェアレディZでしょうか。もはや軽快さも躍動感も失
われつつあった頃のモデルで、タバコ屋はあまり多くを語
りたくありません。
DSCN9633.jpg
高知からお越しの言わずと知れたフェアレディ240ZGです。
もうレストアの見本のようで、新車同然にピカピカでした。
ZGのカラーは圧倒的にマルーン(あずき色)が多いので
すが、このホワイトも清潔感があってなかなかいいなと思
いました。
DSCN9634.jpg
そのリヤビューです。ZGにかかわるあらゆる文法が満た
されており、どこにもスキがありませんがオーナーの方
は相当なオカネを注ぎ込んだに違いありません。出品車
と比べてもベストで本日の白眉と申せましょう。
DSCN9636.jpg
ビックリしたのは現代のスーパーカーの一つ、マクラーレ
ンMP4・12Cが来ていた事です。公道では滅多にお目に
かかることはないオクルマですがしかも愛媛ナンバーだ
ったのには二度ビックリでした。只今F1ではHONDAと組
んで頑張ってはいますが何分強豪がひしめいているの
で全く勝てません。今や人気のなくなってしまったF1で
すが来年あたり新生マクラーレン・HONDAで初優勝し
てほしいものです。
(関連記事:荒ぶる心 vol.6:マクラーレン物語参照願い
ます)
DSCN9641-1.jpg
そのHONDAがマクラーレンと組んでF1に挑戦し、天才
ドライバーアイルトン・セナを擁してF1を席巻しつつあっ
た頃に開発された初代NSXです。当時としては画期的
なオールアルミのモノコックボディを採用し、国産車初
のミッドシップエンジン搭載のスーパーカーとして衝撃
的なデビューを果たしました。またその走行フィールの
熟成にあたっては、当時の著名なジャーナリストである
ポール・フレール氏やアイルトン・セナを総動員して改良
した結果、NIPPONの自動車史上初めてフェラーリに負
けない国産スーパーカーが出来上がったという訳です。
(関連記事:品性とダイナミズム vol.2:NSXどうやねん
参照願います)
DSCN9641-2.jpg
ただ残念なことに後ろにゴルフバッグが積める様に配慮
したり日本流気配りをしすぎたせいで妙に縦長の扁平な
デザインになってしまい、タバコ屋の好きな塊感の表現
はついに出来ずじまいでした。
DSCN9663.jpg
もうひとつビックリポンだったのはこのオクルマです。皆さ
ん何だと思いますか。タバコ屋はてっきりF1のハミルトン
選手が愛用しているイタリアのスーパーカー、パガーニだ
と思ったのでしたが、全く筋違いで正解はHONDA-NSX
だったのです。
DSCN9663-1.jpg
まあここまでボディを変えてあれば、見分けが付く人はま
ずいないと思います。タバコ屋もコクピットとエンジンルー
ムを覗いて初めてわかったくらいですから。しかし改造も
ここまでくるとNSXもう一台買うくらいかかったのではない
かと思います。本日のビックリ大賞差し上げます。
DSCN9684.jpg
最新のポルシェ911カレラです。ポルシェの美点はモデ
ルチェンジに当たって、基本デザインは変えず時代に合
わせて各部を徐々にリファインしていく方法をとっている
ことです。ギュッと詰まった塊感の中に無駄なラインや過
剰なデコレーションがなく、タバコ屋が好きなデザインの
オクルマ、例えばアストンマーティンやレンジローヴァー
とそのポリシーが良く似ています。一瞬ながらタバコ屋と
自動車部同期で九州のラーメン王こと末永氏の愛車と
見まがうほどでした。
DSCN9685.jpg
高知からお越しの方でしたが、ポルシェ911カレラでした。
末永センセのオクルマはこれの上等版で911カレラ4Sと
いう4輪駆動タイプです。ちなみに末永氏はポルシェクラ
ブの会員なのですが、このオクルマもよくよく見るとバン
パー右にポルシェクラブのバッジが貼られていました。
末永センセのお友達かも知れません。
しかしまあこのリア斜めからのお尻の眺めはプリプリ感
があって、タバコ屋ならずともクラクラッと来ますよね。
(関連記事:荒ぶる心 vol.5:ポルシェのこと参照願います)
DSCN9715.jpg
自動車部OBでタバコ屋の3期先輩の小田柿氏もご愛用
のトヨタMRSです。ただしこのオクルマは先ほどのNSX
同様かなりの改造がされていてボディは大迫力です。
一般にはこのようなオクルマのことをコンプリートカーと
言いますが、ミッドシップの本格的なスポーツカーながら
国産車には珍しく非常にシンプルなデザインでしかも控
えめなところがタバコ屋のお気に入りでもあります。
(関連記事:終わりなき旅 vol.2:愛車ミーティング参照
願います)
DSCN9717.jpg
そのリアビューですが一体式のオーバーフェンダーあり
~の、エアスリットはあり~の、おまけに羽根が付いてい
て大迫力です。このオクルマのオーナーには申し訳ない
のですが確かに大迫力ではあるものの、やり過ぎです。
見掛け倒しということもあり、やや品性に欠けると思いま
す。おかげでその横の2代目フェアレディZもタジタジ状
態です。
IMG_0752.jpg
余談ながら、タバコ屋はこのお気に入りのMRSのドアミラ
ーを流用して愛車Zに装着を試みましたが、奇跡的にも
カーブが一致してピッタリだったという経緯があります。

尚、旧車をレストアするに当たってタバコ屋は完璧なオリ
ジナル復刻派ではなく、ゆるやかな復刻派であり、ホイー
ルや今回の補助ライト装着でもお分かり頂けると思いま
す。ただこれ見よがしの過剰な改造はしたくありません。
(関連記事:好みの基準 vol.4:品性とダイナミズム参照
願います)
IMG_3269-1.jpg
それ以来この恐らく日本で1台しかないと思われるMRS
ミラー仕様フェアレディZ嬢を駆ってお出掛けするのが
タバコ屋の秘かな楽しみとなりました。写真は3年前に
同志社大学自動車部創部80周年大会が京都で開催さ
れた時、母校の今出川キャンパス前で写したものです。
(関連記事:終わりなき旅 vol.1:いざ京都へ参照願い
ます)

手前味噌のような記事になってしまいました。旧車マニア
の辻田さんに煽られて初めて参加させて頂いたクラシッ
クカーショーでしたが、辻田さんの予言通り出品車よりも
ある意味ギャラリーの方々のオクルマの方が見ごたえの
ある車が多かったように感じました。
DSCN9630-1.jpg
蛇足ながらその証拠にタバコ屋は見学するのが目的だ
ったにもかかわらず、駐車していた赤いお嬢ちゃんのま
わりに人だかりが出来てしまい、見学どころかタバコ屋
のオクルマのプレゼンに大忙しとなり、あげくの果ては
やれエンジンルームを見せてくれの、エンジン掛けてみ
ての、ご要望が多く正直見学どころではなかったんです。
ただ唯一の救いとして、タバコ屋のZを見て頂いたある
紳士が「これラリー車でしょう今日のイチオシはこのZや」
と言って頂いたのにはやや顔が赤らみました。

まだまだ面白いオクルマは沢山あったのですが、長くな
るので今回はここまでと致します。今回のクラシックカー
ショーはしご記事、いかがだったでしょうか。牛に引かれ
て善光寺参りという諺がありますが、辻田さんに煽られ
て旧車ショー詣でということになりました。
今回のクラシックカーショー報告記、皆さんは喜んで頂
けたでしょうか。

★★島のタバコ屋の独り言★★
【2月5日】かつてケネディは大統領就任時に極めて格調高い演説をしました。「国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何が出来るかを考えようではありませんか。」あまりにも有名な演説文であり置き換えればすべての組織に当てはまることにて、タバコ屋は生まれてこの方、これほど感銘を受けたコトバを知りません。我がNIPPONには「立つ鳥あとを濁さず」というコトバがあります。「露と落ち、露と消えにし我が身」なれども現在の自分を精一杯生き抜き、次世代にバトンタッチをしなくてはなりません。その時に「私は損得抜きで全力を尽くしました」と言える自分でありたいと思うのです。このブログの常連である上山センセが嫌悪する「資本主義自己中論」の対極にある思想と言えます。
◆◆たそがれメニュー◆◆
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