次の記事の予告 vol.10

平成29年5月27日
今回タバコ屋のブログはシステムトラブル、その他により
予期せぬ事態となり、一時熱心な定期読者の方々にご
心配をお掛けしましたが、無事復旧しましたので今後は
今までどおり楽しい記事を書かせて頂きたいと思います。
砂の器2-2
福井巡礼の入り口付近で足止めとなりましたので、次は
いよいよ巡礼再開です。思えばブログなんていうハヤリ
ものも清張の「砂の器」同様儚いもので、ちょっとしたこと
で無に帰してしまうもののようです。記事を製本して残す
という手段もありますが、経験上一度読むとあとは埃を
被ってしまうものなので、気が進みません。

残り少ない人生ながら、これからは自分の持ち物を増や
すのではなく、どんどん捨てていかねばならないのです。
OKANEは無理に捨てることもないでしょうが、本も含め
て身の回りの品々は現在お持ちの7割は不要だと思い
ます。

最近狭心症の手術を受けやや弱気にはなっているもの
の、今後いかに身の回りのものを捨て去ることが出来る
か、挑戦してみたいと思っています。だって生まれてきた
時は誰も裸一貫で、死ぬ時も持って行けません。諸々の
品を死ぬまで貯め込むのは地球上の生物で人間だけだ
と思います。
CG2
ちなみに、タバコ屋のお宝で創刊号以来全冊揃えてい
たCAR GRAPHICはある日突然なくなってしまいました。
それを強制執行した奥様によれば、どうせ埃被っていて
いらないものかと思ったので捨てましたよと・・・。
ショックで数日間熱が出ましたが、それ以来親鸞の比叡
山下山の如く悟り(諦め)の境地に達したのでした。
240Zサファリ11-1
ただし、それでも諦め切れないものがあったのか、昨年
松山でクラシックカーショーがあった時、中古本を売って
いたので「初代フェアレディZ発売記念号」と「フェアレディ
240Zサファリラリー優勝記念号」の2冊だけは死に土産
として買い求めました。懲りないオバカさんですよね。

福井巡礼 vol.2:同釜の再会

平成29年5月12日
今回の福井訪問にあたり、京都の平尾センセと大阪の
上山青年、そしてタバコ屋の同釜3名で野尻君のところ
へ押しかけることにしたのですが、実は福井、石川の地
はかつてタバコ屋が島の特産品のみかんを売りに行っ
たことがあるのは以前の記事で申し上げたとおりです。
また、平尾センセにとっては京都石田小学校の校長時
代、修学旅行で何度も訪問している地(らしく)、あちこち
思い出の場所があり、従って訪問プランは平尾センセの
大構想に基づきそれを地元の上山、野尻両氏に修正し
てもらうという形にしました。言いだしっぺのタバコ屋は
と言うと、もともとMARUNAGEが得意技でもあり、まる
で修学旅行の生徒のように付き従うことにしました。

余談ながら、以前「野尻君の青春オデッセイア」の記事
では彼が同志社大学自動車部に入部したあとのことを
主に書いたのでしたがそのBEFORE部分がありました。
愛車遍歴1
この写真は野尻君から送って頂いた膨大な写真の中の
一枚で、恐らく昭和40年初頭のものだと思われますが、
オクルマはいすゞベレット4ドアセダンで正面のお嬢ちゃ
んは野尻君の妹さん、後ろに恥ずかしそうに写っている
のが中学生時代の野尻君です。前回の記事で福井の
イメージは雪深く風すさぶ日本海だと申し上げましたが
何の何の、暑い夏があるんじゃないですか。

藪から棒ながら、小学生と思しき野尻君の妹さん、心な
しかほのかな品性が漂っており、このお写真を写したの
がお父さんだとしても「早よ、写しよし」とか言ったんだろ
うか?。遠い記憶の中の夏休み、妹の麦藁帽子は何処
へ飛んでいったのだろう・・・。
ひまわり1
彼の当時の思い出の文言を引用しますと「実家がコン
クリート関係の仕事でトラックはいすゞだったこともあり、
乗用車もずっといすゞ車でした。フローリアンを買うと言
うので格好が嫌いだからと言って反対したことを覚えて
います。」
7月25日10-1
「父はじゃあカッコいい117クーペを買おうと終始言って
いましたが、何せ高価なクルマでしたから結局は実現し
ませんでした。当時ベレットがほぼ2台買える!価格で
したからね。」
IMG_0785.jpg
懐かしい写真と言えば、タバコ屋の手元にはこんな写真
があります。これは何を隠そう、今をときめく京都教育界
の重鎮、平尾センセのご幼少の頃の写真です。恐らく昭
和20年代後半のものと思われますが、ウイリスJEEPの
動くお子様用ジドウシャで、戦後食べるのに精一杯だっ
た時代にこのような希少かつ高価なノリモノをよくぞ買っ
て貰えたものだと思います。センセは既にこの頃から暴
走癖が芽生えていたらしく、前方の丸太に堂々と衝突を
試みているようです。

手前味噌ではなはだ恐縮ながら、タバコ屋の初孫はそ
の平尾センセよりPORSCHE911のノリモノオモチャを
昨年夏お誕生のお祝いに頂戴しており、現在は未来の
PORSCHEドライバーを目指して特訓中です。
IMG_5013-3.jpg
PORSCHEと言えばタバコ屋の同期で九州のラーメン
王こと末永氏の愛車がPORSCHE911カレラ4Sで(6代
目のポルシェ911で通常997の名称で呼ばれる)、彼
は九州地区のポルシェクラブのメンバーでもあります。
ちなみにタバコ屋は歴代ポルシェ911の中ではこのタイ
プのデザインが一番お気に入りでしたが、期せずして
末永センセも同じお気持ちだったようです。

そら、今出川で共に過ごした4年間は伊達ではなく、甘い
も辛いも共有した故に、価値観も同じようなものが芽生
えたのかも知れません。
IMG_5005-2.jpg
そのようなことで、タバコ屋がいつも申し上げている塊感
がありかつシンプルで無駄のない面とラインで構成され
たGOODデザインだと思いますが、NIPPON人デザイナ
ーは何故これが出来ないのだろう?。特にHONDAのデ
ザイナー諸君よ、この際猛反省しなさい

老婆心ながら末永氏に一つだけお願いしたいことは、お
年の割にはアドレナリンの分泌が多すぎるようなので、
福岡県警と仲良くならないようにして頂きたい。警察が
お好きであれば兵庫県警のギーちゃんがいらっしゃる
ではありませんか。

早くも話しが脱線しつつあるので、福井巡礼に戻します。
実は今回の訪問話より少し前、タバコ屋の赤いお嬢ちゃ
んこと愛車フェアレディS30Zを、親しくさせて頂いている
静岡の川嶋さんちに長期ホームステイをしエンジン・足
廻りを徹底的に再レストア?することになりました。
DSCN9545-1.jpg
蛇足ながら彼にご提示したタバコ屋のコンセプトは鉄人
28号の如く「ビューンと飛んでく鉄人28号」にして頂き
たいという意味不明なもので、川嶋さんも当惑している
ことと推察しますが、いずれ近い将来、上山、野尻両氏
がこの赤いお嬢ちゃんに試乗し、この世にこんな素晴ら
しくもパワフルなフェアレディS30Zが存在するのかという
カルチャーショックを味わって頂きたいというささやかな
望みもありました。
鉄人28号1
陸送でお届けすることにしたのですが、丁度福井訪問の
時期と重なったので、福井へ出発する日に松山へ乗って
行き、行きつけの整備屋に持ち込むことにしました。つい
て行きたいような心境で、後ろ髪を引かれる思いでしたが
しばしのお別れです。
DSCN3479.jpg
さて、いつもの上阪のパターンであるオレンジフェリーに
夜遅く乗って翌早朝の大阪南港に到着です。
DSCN3481.jpg
ニュートラムというモノレールに乗り、途中からは乗り慣
れた大阪地下鉄で上山青年の待つ緑地公園を目指しま
す。
DSCN3482.jpg
早朝にてスムーズに目的地に到着です。ただし田舎者
ゆえカードの金額が不足していて改札口を出られず、
まごまごしていると親切な若い女性駅員さんが丁寧に
チャージ代行をしてくれつつあったのですが、そこへい
きなり後ろから「チャンさん朝っぱらから何イチャイチャし
てるんです?」なんて言うけしからぬ男が出現しました。
振り返ると上山氏でした。
DSCN9965.jpg
余談ながら、同志社大学自動車部創部80周年大会の
前後でオーテス・ケーリ先生及びアーモスト館繋がりの
ご縁で親しくさせて頂いている、アーモストクラブOBの
吉﨑さん(川崎市在住)は、ここ緑地公園にもご自分の
マンションをお持ちで、東京、大阪を行ったり来たりの
羨ましい境遇です。
DSCN3484.jpg
上山青年の愛車VOLVO-XC70が駅前でお行儀良く停ま
っていました。タバコ屋はVOLVOに乗るのは久しぶりで
す。
DSCN3485.jpg
一瞬左ハンドルかなと思ったのですが、上山青年は右側
のドアを開けたので右ハンドルであることが判明しました。
リアゲートにはスエーデン製であることを示すSのマーク
やスエーデンの国旗が貼られていましたが中々良いご趣
味だと思いました。

余計なことながら、タバコ屋はVOLVOのアイデンティティ
でもある特徴的なリアコンビランプのデザインがお気に入
りで、あの独特のRを描くラインは中々他のプレミアムメー
カーも真似が出来ないところです。
DSCN3487.jpg
挨拶もそこそこに、平尾センセの待つ京都インター近く
の待ち合わせ場所まで急がねばなりません。上山青年
が随分使い倒したVOLVO-XC70ではありますが、快調
に名神をひた走ります。

メカマニアの上山青年らしくコクピットにはタバコ屋の知
らない計器類があれこれ取り付けられていましたが何に
使うのかは聞きそびれました。ご愛用のXC70は一世代
前のものながらコクピットのデザインはタバコ屋好みのシ
ンプルかつシンメトリカルなもので、個人的には最新の
XC70よりもこちらの方がGOODデザインだと思いました。

上山氏とは一昨年の大阪モーターショーでご一緒して
以来の再会だったのですが、途中上山氏はふるさと福
井の福井城址が県庁になってしまっており地方文化を
代表するランドマークであるべき福井城が県庁や消防
署では嘆かわしいといった話や、片やタバコ屋の住む
中島には信号が2つしかないというような話しをしました。
後日訂正
越前アオリイカこと野尻君よりご指摘があり、福井城の
テナント!は県庁以外では県警本部だそうで、タバコ屋
も道中、上山青年からそのようにお聞きした筈なんです
が記憶違いでした。
BMW5-4.jpg
突然の写真で恐縮ながら、かつてタバコ屋がアコード
ハッチバックに乗っていた頃、カミさんには内緒での次
の愛車として、ローヴァーと合作のHONDAレジェンドに
すべきかそれともBMW5シリーズにすべきかハムレット
のごとく真剣に悩んだことがありました。

これはBMWのチーフデザイナーだったNIPPON人!の
永島譲二さんがデザインしたBMW5ですが当時のBMW
は、PORSCHE同様無駄のない面とラインで構成された
塊感と清潔感のある
デザインで、タバコ屋はいたくお気に
入りでしたが結局はNIPPON人として、また同志社大学
自動車部の元キャプテンとしての矜持からという奇妙な
思い入れによりHONDAレジェンドを選択したのでした。
上山君1
道中で上山青年がポロッと漏らしたお話によると、どうも
彼の次期愛車候補はBMWであるらしく、彼の過去の凛々
しいパンタロンな人としてのお姿はともかく、現在のアピア
ランスからしてBMWが似合うのかどうか、また彼特有の
メカオタク的かつ変人っぽいご性格から総合判断して、
PORSCHEのSUV(マカンあたり)がお似合いだと老婆心
ながら思うのですが彼はPORSCHEはあまり関心がない
ようなので、それ以上はツッコまないことにしました。
DSCN7249.jpg
彼は情緒的なお話よりはオクルマのメカのお話の方が
お好きなようで、昨今流行のオンデマンド方式4WDシス
テム(コンピューターが自動的に最適な駆動方式を選択)
はホンモノの4WDではなくニセモノでけしからんという彼
独特の持論を展開し始めました。こうなるともう雪国福井
出身の彼の独壇場でメカオンチのタバコ屋はかなり閉口
気味でしたが、間もなく平尾センセとの待ち合わせ場所
「竹田」に到着したのでやや救われる思いでした。

平尾センセとも再会出来、いよいよ福井に向けて出発で
す。名神で米原まで行き、そこから北陸自動車道へ入り
敦賀経由で福井北ICを目指します。同釜の3人は久しぶ
りの再会を果たし、福井への道中は飽きることのない話
題でまったく退屈はしなかったのですが、南国育ちのタ
バコ屋にとっては3月下旬とは言えその残雪まだ解けや
らぬ景色は異国情緒たっぷりでした。
伊吹山6-1
敦賀までは琵琶湖東岸を走るので秀吉ゆかりの長浜を
皮切りに伊吹山を右手に見ながら途中信長亡き後羽柴
秀吉と柴田勝家が雌雄を決した「賤ヶ岳(しずがたけ)の
戦い
」の古戦場あたりを通過しました。

福井に至る道筋の地形は起伏のある深い谷間を縫うよう
になっていて、500年前武将はともかく足軽兵隊はすべて
徒歩で移動したわけで、賤ヶ岳の合戦どころか戦場にたど
りつくまでにヘトヘト状態だったのではないかと思います。

皆さんご存知の如く、この戦に破れた柴田勝家は北ノ庄ま
で退却し、自分の命運はもはやこれまでと、お市の方ととも
に自害して果てた戦国の世の悲劇の歴史がありますよね。
賤ヶ岳の戦い1
余談ながら、このやや手前に木の本というところがあり、
実は平尾センセのお嬢さんが嫁がれていて、ご主人は
NISSANのディーラーにお勤めの関係で最近娘婿殿の
お世話で平尾センセはパジェロミニ改めNISSANキック
ス(OEM車)を購入されました。平尾センセにしてみれば
京都で自称ミツビシPTA会長を長年に亘り拝命して来た
以上、そのようなオクルマの一台や二台無償でも手に入
るお立場ながら、ジジバカと申しますか、娘婿は可愛い
のでしょうね。
IMG_2615.jpg IMG_2618.jpg
今まで長年に亘りご愛用だったパジェロを手放し、ダウン
サイジングの実践としてご購入されたのでしたが、フツー
の人と違い彼はネジお父さん(キカイいじりエンスー)で
あるため、いじり倒さねば気が済まず最近とうとうキック
スをパジェロミニに改造してしまいました。
IMG_2616.jpg IMG_2640.jpg
リアのスペアタイヤケースには誇らしげに第3回同志社ラ
リーのカーバッジが取り付けられています。また最近では
ホイールハウスのブラック塗装から始まりタイヤスペーサ
ー装着によるワイドトレッド化等、そのネジ遊びは留まる
ところを知らず、タバコ屋はスニーカー代わりにとお勧め
したものの全く違う方向に暴走中のようです。予言して
おきますが今冬には、ラリータイヤ履いて雪深い今庄!
あたりに出没するかも知れません。

福井巡礼に戻ります。一行は途中賤ヶ岳S・Aは言うに及
ばず、南条S・Aやらあちこち休憩の後、やがて福井北
ICへ到着です。そこには若々しい同志社MANの野尻君
が待ってくれていました。尤も彼は年甲斐もなく野球帽
を被っていたのでそのように見えたのかも知れません。
DSCN3490.jpg
上山青年のオクルマは待ち合わせ場所の駐車場に置
いておき、野尻君の愛車メルセデス・BENZ-Eクラス
2.4Lステーションワゴンに乗り換えて本日の目的地に
移動です。
後日訂正
野尻君からご指摘があり、彼の愛車のBENZ-Eクラスは
正確な車名はE240ステーションワゴンでそれも後期型
にて、2.4Lから2.6Lにスケール(ボア)アップされている
そうです。

このドイツ製のオクルマはサンルーフを装備していたの
ですが、それに何とスリットの仕掛けがあり、暑い時は
サンシェードとして使えるという優れモノでした。気配り
おもてなしでは世界一のNIPPON車ですが、この仕掛け
は今まで見たことがなかったです。

前席パッセンジャーシートには土地勘のある地元出身
の上山青年にお乗り頂き、平尾センセとタバコ屋は黄
門さんよろしく後席でくつろぐことにしました。平尾センセ
は「いや~、野尻君久しぶりやな~」と言ったかどうか
忘れましたが、同釜4名が仲良く同乗して気分はいきな
り40数年前にワープです。

正直、平尾センセは卒業後も京都在住でしたので、同志
社大学自動車部新町ガレージにはかなりな頻度で出没
し、当時新入生だった野尻君らを相手に垂涎の的であっ
たミツビシ・ランサー1600GSラリースペックを前にして、
最新のラリー理論をご教授されたことでしょう。
12 A73
片やタバコ屋は卒業後、今出川からは遠ざかっていた
ので、野尻君との邂逅(めぐりあい)は今回が最初とい
うことになりますが、たとえ一度もお会いしていなくても
同志社大学自動車部の同釜というだけの「浮世の契り
で「竹馬の友」の如き信頼と交友が生まれるというのは
現代科学では解明出来ないことかも知れません。
7月21日 (9)-1
正確に言えばタバコ屋は卒業の翌年、昭和49年の卒業
生歓送会(早よ、しよし及びそんなんいやや~のお姉さ
ん方が卒業された年)には出席していますので間接的
には一度お会いしている筈です。

これから第一の目的地である「ゆのくにの森」へと向かう
のですが、途中抱腹絶倒のお話等もありまして、話せば
長くなりそうです。紙数も尽きてきましたので、そのお話
は次回の記事でご紹介したいと思います。お楽しみに。

福井巡礼 vol.1:プロローグ

平成29年5月9日
太陽がいっぱい1
いきなりの写真で恐縮ながら、タバコ屋を含む万博世代
の皆さんにとってはあまりにも有名なフランス・イタリア
の合作映画「太陽がいっぱい」は、哀愁溢れるテーマ曲
をバックに、アラン・ドロンのデビュー作とも言えるサスペ
ンス映画でしたが、ボンビーで野望を秘めた陰のある青
年が、アメリカから来た裕福な青年を殺害し彼女を騙し
て奪ったうえその青年になりすまそうという完全犯罪を
目論んだのでした。
太陽がいっぱい6
彼女を演じたのはマリー・ラフォレという女優さんでした
が、タバコ屋はあまり記憶に残っていません。その後の
ストーリーは警察がそれを嗅ぎ付け、最後はヨットから
海に投げ込んだ筈の遺体がひっかかったロープによっ
てヨットとともに陸揚げされるという劇的なラストシーンに
よってFINとなるのですが封切りは昭和35年(1960年)
ですから、愛しのオードリー・ヘップバーンとジョージ・ペ
パードが演じた「ティファニーで朝食を」が発表される前
年ということになり、タバコ屋なんかはまだ小学4年生の
頃のお話です。
イスキア島1
何故冒頭から「太陽がいっぱい」かというと、そのロケ地
は南イタリアのリゾート地、イスキア島で、陽光溢れる
地中海の眩しいイメージがタバコ屋の生まれ育った島、
瀬戸内海の「中島」に若干ながらも似ているからなんで
す。
イスキア島2
明るい海の色も似ており、電気もガスも水道も同様に付
いていますが、ただ違うのは建物のデザインと色です。
日本と地中海地方が全く異なるのはこの点です。一方
は絵になり片方は残念ながらあまり絵になりません。
IMG_1580.jpg
これはやや手前味噌ながら、もう30年以上!も続いてい
る恒例の「中島トライアスロン大会」の前座で、お子達の
ジュニア版トライアスロンの競技風景なんですが、大人
顔負けの結構な迫力バトルです。
IMG_1606.jpg
大人たちはと言うと美しい多島美を満喫しながら(でも
ないでしょうが)、スイム1.5kmバイク40kmラン10km
をこなしへとへと状態でゴールするという鉄人競技です。
ちなみに毛色の変わったところではこの中島大会に元
ヤクルトスワローズの古田選手が参加されていました。
また世界的にはF1ドライバーのジェンソン・バトン選手も
著名なトライアスリートですよね。
IMG_2873.jpg
こんなコスチュームで出場するお調子者もいます。にわ
かスコールにてその辺ドロドロでした。
IMG_2822.jpg
これは毎年、前夜祭で見事な京の舞を披露して頂くホン
モノの舞妓ハン親子です。おかあハンの方はややイメー
ジ壊れそうなお姿をしていらっしゃいますが・・・。
「おきばりやして、はよ、走りよし」とか・・・、そんなん言
われると気力も萎えるっちゅうの。

さて長い前置きとなりました。その南国育ちのタバコ屋
なんですが、この度は昨年夏に送られてきた一通のメ
ールが発端となり、その当事者である野尻青年の青春
オデッセイ全7編を執筆するに至り、挙句の果てはお住
まいの雪深い福井の地へ京都の元祖アオリイカ大魔王
こと平尾センセ及びやはり福井が故郷である大阪在住
で同志社大学自動車部のユル・ブリンナーこと公認会計
士上山氏とご一緒に殴り込みを掛けることになりました。
今回は崇高な目的で訪問するため、いわば巡礼と言う
ほうが相応しい旅となることでしょう。
砂の器3
上記のような環境で育ったタバコ屋ですので、福井と言う
とどうしても雪深く寒くて風の強い日本海の冬のイメージ
を描いてしまいます。
日本海と言えば松本清張の推理サスペンス小説の代表
作である「砂の器」を思い出しますよね。既に何度も映画
化やTVドラマ化されて皆さんよくご存知だと思いますが、
タバコ屋が最も印象に残っているのはやはり最初の映画
化作品で昭和49年(1974年)封切られました。昭和49年
と言うとタバコ屋が同志社大学自動車部を卒業した翌年
と言うことになり、随分若い頃の作品であった訳です。

主演は加藤剛でその恋人役が島田陽子、脇役として丹波
哲郎、森田健作、緒方挙、加藤嘉、等々豪華キャストで監
督は野村芳太郎でした。
砂の器2-1
「砂の器」は昭和35年(1960年)5月から翌年4月にかけ
て「読売新聞」夕刊に連載されたいわゆる推理小説もの
で、時代背景としては、戦中から終戦直後及び戦後にか
けての日本が描かれています。
おさらいの意味であらすじをご紹介しますと、ある日の
早朝、国電蒲田操車場内にて、男の殺害死体が発見さ
れた。前日の深夜、蒲田駅近くのバーで、被害者と連れ
の客が話しこんでいたことが判明するが、被害者のほう
は東北訛りと思しきズーズー弁で話し、また二人はしき
りと「カメダ」の名前を話題にしていたという。当初「カメダ」
の手がかりは掴めなかったが、ベテラン刑事の今西栄太
郎は、秋田県に「羽後亀田」の駅名があることに気づく。
今西は若手刑事の吉村と共に周辺の調査に赴くが結果
は芳しいものではなかった。帰途につこうとする二人は、
そこに評論家・関川重雄と前衛音楽家・和賀英良がいる
のを発見した。
砂の器13
一方殺人事件の捜査は行き詰まっていたが、被害者が
島根県出雲地方の元巡査「三木謙一」であることが判明
する。実は島根県出雲地方は東北地方と似た方言を使
用する地域であることがわかり島根県の地図から「亀嵩」
の駅名を発見する。続いて第二・第三の殺人が発生し、
事件の謎は深まっていくが、長い探索の末に、今西はつ
いに犯人の過去に迫ることになる。
砂の器12-1
捜査はやがて、本浦秀夫という一人の男にたどり着く。
秀夫は石川県の寒村に生まれた。父・千代吉がハンセ
ン氏病に罹患したため村を追われ、やむなく父と巡礼
(お遍路)姿で放浪の旅を続けたが、秀夫が7歳の時に
父子は、島根県の亀嵩に到達し、当地駐在の善良な巡
査・三木謙一に保護された。三木は千代吉を療養所に
入れ、秀夫をとりあえず手元に置こうとしたが、秀夫は
すぐに三木の元を逃げ出し姿を消した。
砂の器12-11
大阪まで逃れた秀夫は、和賀英蔵・キミ子夫妻のもとで
住み込み奉公していたが大阪市浪速区付近が空襲に遭
い、住民の戸籍が原本・副本ともに焼失した。当時18歳の
秀夫は戸籍の焼失に乗じて、和賀夫妻の長男・和賀英良
として年齢も詐称し、新たな戸籍を作成していた。
砂の器8-2
いまわしい過去を消し去り長じては前衛音楽家として華々
しい再スタートを切ったかに思われた矢先、その三木巡
査から英良のもとへ便りが届き、父千代吉が生きている
ことを告げようと東京に上京し、事件の冒頭のバーで英良
に再会するが英良は自分の過去がバレるのを恐れ三木を
殺害する。第二・第三の殺人も犯し完全犯罪になるかと思
われたが、今西刑事の執念の捜査はそれを許さず、英良
の新作発表会の会場へ逮捕状を携え吉村刑事と赴くので
あった・・・。
砂の器7
加藤剛演じる英良の恋人役で英良の子を宿しながら捨て
られ失意のうちに流産出血多量で死んでしまう可愛そう
な女性を演じたのが若き日の島田陽子ちゃんです。これ
がまたタバコ屋にとってはTOTEMOお気に入りでした。

「あなた、今晩はすき焼きにする?、それとも水炊き?」
なんてもし陽子ちゃんが言ったとしたら、タバコ屋はその
場で失禁、気絶することでしょうよ。これを究極の楽園と
申しますが、イエスだって、空海だって、親鸞だって、
果ては日蓮だって現出することは不可能だと思います。
HONDA-F1チームでは1,000馬力のエクスタシーなんて
言っていた時代もかつてあったようですけど・・・。
砂の器11-2
タバコ屋より3つ年下のお嬢ちゃん(だったの)ですが、
持って生まれた品の良さというのは争えません。陽子
ちゃんお願いですから、タバコ屋の方を見ないで下さい。
ハイライト10本まとめて吸ったくらいクラクラが来てしま
います。そうでなくとも最近狭心症のカテーテル手術で
一命を取りとめたばかりなんですから。

余談になりますが、上記二つの映画が作られたのは10
年程の開きがありますが「太陽がいっぱい」が封切られ
た頃、「砂の器」が新聞に連載されたのでした。偶然なが
ら二つの物語の主人公は暗い過去を持ったボンビーな
青年で、犯罪を犯してまで自己中な野望を果たそうとした
ことがよく似ていますよね。

タバコ屋が何故「砂の器」を持ち出したかと言いますと
小説の舞台は石川県だった訳ですが、福井、石川とい
うのは隣接しており、他県からみると同じに思えてしま
うのです。よってタバコ屋のイメージする日本海の厳し
い感じをご説明しようとこのようなお話しになりました。

さてタバコ屋は福井巡礼をしなくてはならないのですが
またもや寄り道をしてしまいました。この現象をダッチロ
ールと言うのか、ミスコースと言うのか、4輪ドリフトと言
うのか分かりませんが、ステア修正をしていよいよ巡礼
に出発です。

大阪で上山青年が愛車に乗せてくれて、途中京都で
平尾センセをお迎えし、3人そろっていざ福井へという
算段ですが紙数も尽きてしまったようですので、この続
きは次回の記事で詳しくお伝えします。お楽しみに。

次の記事の予告 vol.9

平成29年5月8日
タバコ屋は、同志社大学体育会自動車部に入部するま
ではアオリやプレッシャーというコトバには無縁だったよ
うに思うのですが、その後4年間でそのような事態に数
多く遭遇し「ああ都会での学生生活の何と不自由な事よ」
と松山ゆかりの夏目漱石の如く嘆いたものでした。
(ちなみに彼は松山では親友子規と愉快に過ごしたよう
ですが、ロンドンでの留学生活時代は半ばノイローゼ状
態だったようです)
夏目漱石1
そのような諸々の事も卒業後は開放されたかに思いき
や、よわい60有余年を経て昨今やたらとその類の現象
に遭遇しつつあります。京都宇治の元祖アオリイカ大王
を筆頭に、福井には新種の越前アオリイカが発生しつつ
あり、また大阪豊中あたりにも珍種のアオリイカが、大阪
福井間を回遊大繁殖しつつある実態を見るに付け、タバ
コ屋としては、やや恐怖に近いプレッシャーを感じつつあ
る昨今です。「次の記事、早よ書きよし!」とか?。

札幌大紀行 vol.3:ああ203高地

平成29年4月21日
JR貨物車の脱線事故というよもやまさかの事態により
一時パニックになりかけた物産展でしたが、追加補給の
砲弾(商品)に頼らず、また正面突破の正攻法(柑橘を
中心とした売上内容)をやめ、今ある在庫を売り尽くす
という戦略の一大転換を実施した結果、危機を脱しつつ
ある「フレッシュファクトリートミナガ」でした。
DSCN3316.jpg
当初から朝は開店準備のためろくにホテルでの朝食が
取れなかったタバコ屋親子でしたが、事件が一段落した
翌日の朝は、ホテルの立派なお庭の白樺を眺めながら、
デラックスなバイキング朝食を頂きつつ、やや心の余裕
を取り戻したタバコ屋でした。しかし最後の2日間で所期
の売り上げ目標450万を達成出来るかどうか、まだまだ
予断は許せません。
DSCN3319.jpg
猛吹雪の昨日とは打って変わってこの日は快晴でした。
どうかうまくいきますように、手は打ったのであとは祈る
ような気持ちです。東急の社員食堂から見える向かい
の立派なビルはJA北海道さんの建物のようです。
DSCN3235.jpg
昨日まで大活躍してくれたマドンナ大使のお嬢ちゃんも
松山へ帰ってしまいましたし、やっとの思いで届いた追
加商品(みかん類)も実際は半分以上がバックオーダー
品(事前売約済みの商品、しかしまあ現品なしでご予約
頂くとは有難いやら恐ろしいやら!)だったので、この後
が何とも心細い気もしましたが、タバコ屋はいくさ(商い)
のプロであり、後に引く訳にはいきません。
DSCN3350.jpg
お客様は弾(商品)が底を尽きつつあることなどは露知
らず、怒涛の如く押し寄せて来ています。
ちょっと~、「せとか」っていうの欲しいんだけど、箱で届
けてよ、え、もう売り切れ?、じゃあ「ひめのつき」って言
うのでいいから箱で届けてね、大丈夫?お願いよ!。
こまどり姉妹6-1
戦闘員(マネキンさん)達は補充する弾がないことがわ
かっているだけに、「顔で笑って心で泣いて」まるでかつ
ての「こまどり姉妹」の如くけなげにお客様に振舞ってく
れたのでした。
DSCN3348.jpg
しかし、作り笑顔にも限度があり、ご覧の有様になって
きました。もう弾が枯渇しつつあります。マネキンさん達
は最後の力を振り絞り、パック詰めとかにして白兵戦
持ち込もうとしています。どういう意味かと申しますと、
一撃必殺、パックしたものはお客様に必ず買って頂くん
です、それが全く押し売りではなく、買わなきゃ損みた
いな気分にさせるのはマネキンさん達の匠の技では
ないのでしょうか。

蛇足ながら、札幌ではその場合「早よ、買いよし」などと
は言いません。「ちょっと~、もう来年までないんだから
さっさと買っときなさいよ、何も考えることないっしょ!
(ないでしょ)」札幌のお姉様方、結構迫力あります。
タバコ屋の同級生に和田アキ子と山本リンダがいます
が、う~ん、いい勝負です。
DSCN3349.jpg
かくしてご覧のような戦場(売場)となりました。あれほど
うず高く積み上げてあった壁面のみかん箱も跡形もなく
消えています。お客様は寂しそうです。え~、何もないじ
ゃない。ちょっと~、何かないの。
DSCN3351.jpg
数時間が経過後、ご覧の如くになりました。「旅順港は
見えるか
」・・・、そらここまでスカスカ(空っぽ)状態なら
旅順港の端から端まで丸見えですわ!!!。
203高地1
今回苦し紛れとは言え、タバコ屋は一世一代の大博打
を敢行したのでしたが、結果は203高地陥落(売り尽くし)
をもって、作戦は終了したのでした。
DSCN3345.jpg
東急の正規軍レジ担当佐藤さんです。もう入力なんか
は目にも止まらぬ早業で打ちまくりです。オープン当初
からお世話になり、いよいよ最後を迎えつつあります。
佐藤さんも今まで何年もこの催事に関わっているので
タバコ屋の過去の売上げデータは感覚でわかっていら
っしゃるようで、今回の特別作戦は意表を突かれたよう
でしたが、刻々と過去の記録を塗り替えつつある売上げ
額に彼女自身も、これって新記録と違いますか!と驚い
ていました。道産子のお嬢さんゆえ「島のおっちゃん、無
茶苦茶しはるわ~」とは言いいませんでしたが、内心そ
のように思われていたのでは・・・。
マー君も危機を乗り越え、ご満足そうな表情です。推測
ながら「佐藤さん、今現在の売上げ合計打ち出して頂け
ませんか」などと言っている様子が見て取れます。
DSCN3359.jpg
いよいよ閉店30分前となりました。旅順は陥落したもの
の、撃つべき弾も無くなり果て、マー君は呆然と天井を
見上げています。残ったものは希望の島のダンボール
空箱だけなんですがタバコ屋はとっさにそれを切り取り、
お客様への御挨拶メッセージを書くことにしました。
その文言とは「またお会いしましょう!」でした。このよう
な結末を迎えるにあたり、6日間の激闘が思い起こされ
閉店までの数分間が何やら愛おしくも感じられたことで
した。
結局今回23日から28日までの6日間の催事(今回は変
則的で通常は7日間)で、東急からの希望額は450万で
したが470万を売り切ることが出来ました。消費税込み
ですと500万をオーバーし、過去最高の売上げとなりま
した。大阪京都あたりで最も良く売れた時でも250万程
度ですから札幌がいかに桁外れかおわかり頂けるので
はないでしょうか。
マジェスタ3
今回達成した売上げでもしオクルマを買うとしたら、せめ
てTOYOTAマジェスタあたりは余裕で買えると思ってい
ましたが現実は甘いものではなく、お値段を調べてみる
ともっとお高い値段でした。え!マジェスタってこんなに
高くなってたの?、古き良き時代は去りつつあるのです。
DSCN3363.jpg
戦い済んで日が暮れて。実はこの夜、松山市観光協会
主催の慰労パーティが「すすきの」のとある料亭で開催
されるとのことで地下鉄で移動です。
DSCN3368.jpg
北の大都市、札幌の繁華街「すすきの」です。内地の繁
華街とあまり変わりませんが、雪が積もり肌を刺すような
寒さで、ああここは札幌なんだと自覚されます。
DSCN3371.jpg
会場は札幌の海産卸大手の「佐藤水産」さんが経営す
る「まるだい亭」という海鮮料理のお店でした。
DSCN3376.jpg
松山市観光協会会長で「小池養蜂園」のオーナーでもあ
る新居田さんより、皆さんへの慰労の御挨拶です。
DSCN3379.jpg
ご招待している東急の偉いさんはやや遅れるということ
でとりあえず乾杯です。マー君の奥隣に座っていらっしゃ
るのが、この会場をお世話頂いた同釜の「マキノ海産」
さんです。マキノさんは瀬戸内海産の魚の一夜干しで有
名な会社で伊予鉄高島屋の海産物コーナーにも出店さ
れています。タバコ屋とは古くからのお取引先で親しく
させて頂いています。その2代目若社長です。
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東急の催事の総責任者で営業推進部長という肩書き
の北村さんが到着されました。さっそくご挨拶を頂きま
したが、結構多忙のご様子で寸暇を割いて駆けつけて
頂きました。
DSCN3383.jpg
札幌と言えば北海の恵みKANIですよね。本日のメイン
ディッシュはKANI鍋でした。でっかいつみれも食べ切れ
ないほど入っていて、もうお刺身とこれだけで満腹なん
ですが、焼き物から揚げ物から次々出てきて結局食べ
切れず勿体無いことをしました。というのもお酒が入ると
お話が忙しくなり、食べる方がおろそかになるのです。
DSCN3387.jpg
新居田会長と北村部長も目標達成で満足そうです。
想像の会話ながら「北村部長、この度はお世話になり
ました、今度松山にいらっしゃった時は是非一献交わし
ましょうよ。」「新居田さん、JR脱線事故等で随分ご心配
をお掛けして申し訳ございませんでした。そら次回松山
出張の折は是非ご一緒したいものです。」とか。
追加記事
実は、その後新井田会長よりお呼びが掛かり、タバコ屋
も松山遠征軍の一員として北村部長にご挨拶をという
事になりました。タバコ屋はせっかくのご縁のお席ゆえ、
名刺交換だけでは面白くもなく、北村部長に何か差し上
げるものはないかと一瞬考えたのですが、今回の遠征
前にタバコ屋お気に入りで、毎年参拝する道後湯の町
伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)でご祈念頂いた破魔
矢(はまや)の必勝祈願のお守りを持参していたのに気
付きました。これなら小さなものでお持ち帰りの邪魔に
もならないと思い、失礼とは思ったものの「東急の繁栄
をご祈念したお守り
」として差し上げることにしました。
その趣旨はいずれ松山にも次回のご相談でいらっしゃ
るでしょうから、少しでも松山のことを気持ちの隅に残し
てほしいという思いがありました。
ただし、タバコ屋の浅はかな思い付きはすぐに見抜か
れ、新居田会長と北村部長の失笑及び爆笑を買った
のは言うまでもありません。
DSCN3391.jpg
マー君とマキノ水産さんも随分話しがはずんでいるよう
です。実はマキノさんは以前地元の銀行にお勤めだった
のですがお父様が病気で倒れられたのを機会に後を継
ぐことになりました。元銀行勤めだけにマー君よりもかな
り年上にも拘わらず物腰の柔らかい紳士でした。

余談ながら、マキノ水産さんに札幌行きをお勧めしたの
は何を隠そうこのタバコ屋で、1級戦犯としてマキノ水産
さんには今後是非成功して頂きたいと思っています。

プロのマキノさんには僭越とは思いますが、老婆心から
申し上げますと、成功のメニューは「高級一夜干し」の
提供だと思います。それも鯛とかメバルとか北海道では
獲れない瀬戸内海特産のオサカナでしょうか。
DSCN3397.jpg
さて一次席は豪華料理で盛り上がり「すすきの」の夜は
更けていきつつありましたが、予期せぬことに中締めの
発声のご指名がタバコ屋のところに舞い込みました。
恥ずかしながらもビッグ3のトップとしては受けて立たざ
るを得ないと判断し、同志社大学自動車部直伝のエー
ルとタバコ屋流変則3・3・4拍子で締めることにしました。

まずエールは松山市観光協会と東急百貨店に対して
発しました。続いて最後の締めですがシャシャシャン・
シャシャシャン・シャシャシャンシャンという締め拍子を
ご披露させて頂きました。通常は一本締めなどと言って
味も素っ気もない締めなので、この日は中締めが大い
に盛り上がりました。同志社大学自動車部が体育会で
ある所以をエールと締めで示した一瞬でした。

余談ながら、この中締めには新居田会長も北村部長も
意表を突かれ体育会的場違いなムードにやや呆れた
ようでしたが、これも一夜の座興にてお許し頂きたいと
思います。

その後、すすきの別席にて二次席、三次席と続くのでし
ょうが、タバコ屋は老体ゆえその使命はマー君に託し、
やや後ろ髪を引かれつつも「すすきの」を後にしたので
した。あとは安らかなおやすみが待っているのみです。
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「逢うは別れの始めなり」とはよく言ったものですが、一
週間過ごした札幌ともお別れです。翌日の朝、これから
新千歳空港に向かいます。
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札幌駅には鉄道オタクの元校長、京都の平尾センセが
ご覧になったら泣いて喜ぶであろう、「スーパーカムイ」
などと名付けられた列車が停まっていました。
5イルカ
タバコ屋も空港に向かうひと時、このカムイ号が雪のツ
ララをぶら下げて札幌駅に佇んでいたりするとつい感
傷的となり、同級生のイルカのことなんか思い出します
よね。彼女は昭和50年(1975年)「なごり雪」の大ヒット
で不動のフォーク歌手の地位を得たのですが、その歌
詞は同級生ながらアッパレで胸キュンとなるようなセリ
フが散りばめられていました。
「汽車を待つ君の横で 僕は時計を気にしてる、
季節はずれの 雪が降ってる、東京で見る雪は
これが最後ねと、さみしそうに 君がつぶやく
なごり雪も 降るときを知り、ふざけすぎた季節の
あとで、今春が来て 君はきれいになった
去年よりずっと きれいになった・・・。」

考えてみればこれは男子が女子に向かって歌っている
歌で、女子のイルカが歌うというのもちょっと変だと思い
ますし、歌詞もやや意味不明なところ(何考えてんねん)
もありますが、要するに事情はともかく東京駅で恋人同
士が別れに至った決定的シーンを歌っているんだと思う
んですが、タバコ屋流に言えば、「おまえら何ジクジクし
てんねん、早よ駅弁でも買うて、自由席確保しいや!」と
言いたいです。
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さて、新千歳空港です。ここでささやかなハプニングが起
こりました。昨晩マー君は新居田会長のご指名に遭い、
二次席、三次席のご同伴の栄誉を賜ったのは良いので
すが体力が持たず、本日は病人状態となりました。昼時
なんですがロビーのソファーに横たわっているのはマー
君でタバコ屋は仕方なく一人寂しく昼食を済ませました。

若いマー君のことゆえその後ほどなく元気回復し、「俺
腹へった~」などと勝手な事をほざいていましたが。
DSCN3406.jpg
旅と言えば土産がつきものですが、今回は東急さんでお
世話になった関係上、空港でも東急さんのショップを利用
させて頂くことにしました。北海道のお土産ビッグ3と言え
ば、白い恋人、ROYCE´、六花亭でしょうか。タバコ屋も
かつて30年前!後継者育成セミナーで六花亭の2代目と
机を並べてオベンキョウした時期もありました。今となって
は懐かしい思い出ですが、六花亭さん今頃どうしているん
だろうか。
DSCN3420.jpg
今回の旅も終わりを告げようとしています。東京まで帰
ると、ああ内地に帰ったとつくづく実感します。乗り換え
までのしばしの時間を過ごし、住み慣れた松山へと向か
うタバコ屋親子でした。

札幌大紀行 vol.2:東急での戦い 

平成29年4月17日
「多数ノオ客様ヲ見ユトノ警報ニ接シ、タバコ屋艦隊ハ
直チニ出動、コレヲ捕捉セントス。本日札幌ハ、天気晴
朗ナレドモ雪多シ。

日本海海戦1-3
2月23日(木)午前10時、年に一度の待ちに待った戦い
の火蓋が切って落とされました。ただし決戦の場は対馬
海峡でも津軽海峡でも中島沖でもなく札幌東急百貨店
催事場です。
DSCN3223.jpg
お客様が一斉に雪崩れ込んで来られました。どこへ行
かれるのかと思いきや一斉にタバコ屋の店目がけて来
るではありませんか。やや恐怖を覚えましたが、マネキ
ンのお姉さん方は手馴れたもので、来たぞ、来たぞと
腕まくりで、倅のマー君が「撃ち方始め!」と叫んだかど
うかは知りませんが、一斉射撃(販売)を開始しました。
DSCN3224.jpg
(エピソード1)
「ちょっとお兄さん、それ頂戴」「はい、いよかん何玉ほど
お入れしましょう?」「何言ってんの、玉じゃなくて箱で頂
戴!」「5kgと10kg箱がございますが」「5kgじゃ少なくて
だめよ、あ、10kg箱1箱じゃなくて3箱届けてね、すぐ無く
なっちゃうから。そうそう、はるみって言うみかんもおいし
そうだから1箱いよかんと一緒に届けて頂戴、あ、それと
今日家に帰って食べるのがいるからテキトーにおいしそ
うなの見繕って袋に入れて頂戴な」・・・・。
お客様とマー君の想像の会話ながらかつて内地(大阪、
京都、東京)の催事でこのような会話を交わしたことが
あったでしょうか。大陸的と申しますか、ダイナミックと
言いますか、お買い物の仕方がまるでNIPPON離れし
ているんです。今はやや下火とはなりましたが中国の方
々の爆買いにもひけを取らない「買いっぷり!」には4才
の頃から前垂れ掛けてきた商いのプロであるタバコ屋も
正直ビビリました。
DSCN3230.jpg
開店(開戦)早々の一斉射撃で「まあ一年ぶりね、今年
の味はどう?とりあえずこれ頂戴!」と次々に押し寄せ
て来るお客様を恐る恐るご満足させつつある秋山隊長
改めマー君は、幸先の良いスタートに手応えを感じつつ
「いらっしゃいませ~」と声を張り上げるのでした。
ちなみに札幌というか北海道の方々の言葉は基本的に
東京弁でとても歯切れが良いです。タバコ屋などは関西
系ですので、マネキンさんなどのハキハキした言葉に遭
遇すると何か叱られているような気がしないでもありませ
ん。
(エピソード2)
開戦直前「さつまいも」試食用焼き芋に必要なトースター
を入れ忘れてきたことに気付き、現地調達をすることに
なりました。マネキンさんたちも早く焼き芋を作ってお客
様に試食をして頂かねばなりません。「社長、突っ立っ
てないで、早くトースター買って来て下さい!」とか言わ
れるとやはり何か叱られている様な気分です。京都風
ですと「早よ行ってきよし」もしくは「早よう行ってくれはり
ませんか」ですが、これでは気が抜けて戦にならないか
も知れませんよね。ちなみにトースターはビックカメラで
2,000円で入手出来ました。
DSCN3229.jpg
タバコ屋がトースターを調達に行って帰って来ると会場
はご覧の通り大混雑で、身動きが取れないほどです。
やがてトースターはマネキンさんにひったくられ、程なく
芳ばしい香りが漂い、みかんの香りと相まって、集客の
強力なシカケが完成致しました。尤も、そのシカケは必
要ないほどお客様が押しかけていたのでしたが・・・。
DSCN3264.jpg
押し合いへし合いもうお祭り騒ぎです。右に腰掛けてい
らっしゃるのは発送の手続きをしているお客様で、大抵
がみかんを箱単位で(5~10kg)で購入され、ご自宅届け
もしくは贈答品としての発送となります。まあ、ビックリし
たのはその比率が他の百貨店に比べ格段に高いのです。
札幌市内ですと送料も300円とかタダみたいな料金なの
で皆さん気軽に利用されるのかも知れません。
この発送コーナーが終日満席だという事実をもってして、
「フレッシュファクトリートミナガ」がビッグ3の頂点である
理由がおわかり頂けると思います。専門的に申しますと
お一人当たりのお買い上げ額(客単価)がべらぼうに高
いということなんです。
IMG_2585.jpg
(エピソード3)
送りと言えば忘れもしませんが、今から10年程前ご縁が
あって京都大丸でみかんの催事をさせて頂いたことがあ
りました。とある上品な高齢の奥様がお買い物をして頂
き、やはりご自宅届けという段になり、ふとご住所を拝見
すると、「中京区千本通り元誓願寺西入・・・」アレレレ、
これって同志社大学自動車部時代、一期後輩のT女史
のご実家の近くやんかと思いつつ、その奥様にT女史の
ことをさりげなくお聞きすると、どうもお隣にお住まいだ
そうで、「Aちゃん(T女史のお名前)は生まれた時からよ
く存じてますけど、遠方へお嫁に行かはって時々は実家
のお母さんのところへ帰ってはるみたいやわ・・・・。」
35年の時の流れを感じたひと時でした。
その奥様は、その後も催事の度にご来店頂きましたが
数年でこの企画はなくなり、大丸にお邪魔することもなく
なりました。今頃お元気にされていらっしゃるだろうか。
DSCN3232.jpg
愛媛・松山の催事らしいと言えばこのシーンでしょうか。
夏目漱石の小説「坊ちゃん」に出てくるマドンナ嬢をモチ
ーフにした「マドンナ大使」です。赤い矢絣の小紋にマル
ーン(海老茶色)の袴のいでたちで、観光協会の新居田
会長の粋な計らいにより、タバコ屋のところが多忙を極
めているのを見かねて、販売応援のためマドンナ大使
を派遣してくれたのでした。
DSCN3236.jpg
マドンナ嬢が手にしているのは「ひめのつき」という新品
種みかんの試食容器で、さわやかでジューシーなお味
のため、てんこ盛りだった試食品があっという間になくな
ってしまいました。
ちなみにこのお嬢ちゃんは地元松山の国立愛媛大学の
学生さんで今回マドンナ大使に選ばれて札幌に同行し
て来ました。可愛らしいでしょう。
祇園花見小路2
(エピソード4)
空想ながら京都祇園は花見小路のとあるお座敷あたり
で、このお嬢ちゃんが舞妓はんの格好をして出てきて一
通り舞を披露した後、お席の横にしとやかに座し、おも
むろかつにこやかに「タバコ屋はん、お一つど~え?」
などと言われたらもうどうしよう。盃2~3杯で酔っ払って
しまうんではないだろうか。

などと考えているとマー君から「おやじ、ボーっとせんと
早よ、裏からみかんの追加運んで来てや!」と檄が飛
び現実に引き戻されたタバコ屋でした。
DSCN3238.jpg
初日は地元北海道TVもレポート番組を計画していて、
松山から来ている坊ちゃんとマドンナ嬢にレポーターと
して出演して貰い、出店企業をいろいろご紹介するとい
う企画のようです。
ちなみに弊社はマドンナ嬢が紹介する「紅まどんな」と
行きたかったのですが、紅まどんなはもう時期が終わっ
てしまっており、今回は「甘平(かんぺい)」という新品種
のご紹介になりました。
DSCN3202.jpg
せっかくですので、出店仲間のお店を若干ご紹介して
おきましょう。まず弊社の向かいは「後藤商店」という味
噌屋さんです。地味なお店で向かいのみかん屋が派手
に大騒ぎしているだけにやや可愛そうな気もします。
店長の小林さんとはすぐに仲良しになりました。
DSCN3253.jpg
会場の真ん中あたりに陣取っている会長の新居田さん
のお店です。養蜂とハチミツ採取は「小池養蜂園」で、
各種製品加工は「サンビーフーズ」という会社が行って
おりどちらもオーナーはいっしょです。タバコ屋は新居田
さんとはひょんなご縁でお近づきになり、希望の島の
「みかんハチミツ」はこの新居田さんから分けて頂いて
います。非常に高品質です。
DSCN3256.jpg
夏目漱石ゆかりの地、松山はその作品にまつわるご当
地スイーツも数多く開発されていますが、その中でも有
名なのが「うつぼ屋」さんの「坊ちゃん団子」です。
坊ちゃん団子2
普通お餅は中に餡子が入っているのですが、このお団
子はお餅を餡子でくるんで団子にしている訳で、お菓子
としての団子はそれが普通なのかそれとも特殊なのか
タバコ屋は今一つ不勉強にて・・・。
DSCN3322.jpg
続いて「田川椎茸」さんです。左の巨体にオレンジ色の
ハッピをまとったお方がその田川さんです。椎茸の専門
店なのでスペースはそんなに必要でなく非常にコンパク
トにまとまって比較的静かに販売されていました。
但しオーナーの田川さんはおもしろキャラクターのお方
で、松山遠征軍団の重要な一角を構成されています。
DSCN3323.jpg
このブースはビッグ3の一つ森水産さんと同じ中島対岸
の北条地区から出店されている「忽那醸造」さんです。
弊社は三津浜地区の「村要醸造」さんと長いお取引なの
で忽那さんとはご縁がありませんが、同釜の仲間であり
この催事では常連さんです。お醤油がメインですが、だい
だいを使ったポン酢等持参されているようでした。
DSCN3291.jpg
そのようなことでまずは上々のスタートとなりました。宿
泊はマー君が事前にフライト込みの格安プランを押さえ
てくれており、中島公園横の「札幌パークホテル」でした。
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タバコ屋親子にとっては勿体無いような立派なホテルで
正面エントランスもご覧の如く重厚なしつらえです。
お部屋も広く調度も立派で、朝の食事も豪華バイキング
にて3拍子揃っており、仕事以外でも是非宿泊したいと
思いました。
北海道クリスチャンセンター3
(エピソード5)
4年前に同じ目的で札幌に来た時は同志社大学自動車
部ゆかりの地としてオーテス・ケーリ先生の故郷であり
また我等が裕ちゃんの故郷でもある小樽と裕ちゃん記
念館を訪問し、また自動車部OBの矢島先輩が館長をさ
れていた「北海道クリスチャンセンター」を訪問したりしま
した。(残念なことに矢島先輩はタバコ屋が訪問させて
頂いた時、危篤状態にてその後程なくして天に召されま
した)従って駅の北へ宿泊する時は、北海道大学前に
あるクリスチャンセンター、駅の南へ宿泊する時は札幌
パークホテルにしたいと思いました。
DSCN3308.jpg
札幌パークホテル最上階のレストラン「灘万」さんから見
た雪の札幌市南方面です。南の瀬戸内海の島から来て
いるタバコ屋にとってこのような純白の凛とした光景は
異質のものです。
DSCN3286.jpg
異質なものは風景だけではありませんでした。エントラン
スにはタバコ屋お気に入りのSUVであるPORSCHEマカ
ンの兄貴分であるカイエンが雪のツララをぶら下げて止
まっていました。お出かけなのかチェックインされるのか
わかりませんでしたがしばし未知との遭遇がありました。
DSCN3288.jpg
フロントは塊感とボリューム感があり申し分ないと思うの
ですが、リアエンドはPORSCHEにしては雑なデザイン
で、特にリアコンビネーションランプにはもう一工夫が
要ると思います(造形が安っぽいと思いませんか)。
ま、PORSCHEのSUVを横目で眺める心の余裕が生ま
れるくらいこの時点(3日目の朝)までは諸事、順風満帆
でした。
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★3日目の朝、よもやまさかの緊急事態が発生しました。
各社が商品補給のために松山から送った荷物がJR貨
物列車の函館郊外での脱線事故により入荷の見通し
が立たないと言うんです。ここで致命的な打撃を蒙るお
店は約3社あったのですが、その中の1社が弊社でした。
何故致命的かと申しますと、今回の商品搬入について
は初回及び中日(なかび)の3日目に到着するものに限
り観光協会が送料全額負担してくれるのでそれに頼れ
ば輸送コストは劇的に低減される訳です。

秋山参謀改めマー君は事故が起こるなどというシミュレ
ーションは想定しておらず、その補給作戦に賭けていま
した。ところがよもやまさか、追加商品が届かないとなる
と作戦は大失敗となり、目の前に押し寄せるお客様を前
に「打つ弾」もなく、むざむざと敗退の白旗を揚げるしか
なくなるのです。札幌の奥様方の「え~!もうないの~」
という悲痛な叫びを聞かされつつ・・・・。
DSCN3294.jpg
観光協会としても新居田会長を始めメンツに関わること
でもあり、かなり殺気立って来ました。マー君もJR及び
日通との事後交渉(いかに早く荷物を着けるか)のため
一時、戦艦三笠(店)を離れ、あちこち飛び回っている
ようです。
さて、タバコ屋です。マー君の留守中、マネキンさん達に
も動揺が広がりました。どうする、どうするの大合唱の中
タバコ屋も悩みましたが決断しました。「よし、こうなった
らあるもの全部売り尽くそう!」とマネキンのお姉さん方
に宣言したのです。それには根拠がありました。毎年こ
の催事を横目で見て来ましたが、必ずジュースやジャム、
さつまいも等が余って帰ってくるのです。つまり柑橘類は
売り易いので全品捌けるけどそれ以外は意外にもかな
り残るんです。
日本海海戦2-1
タバコ屋は決断しました。「弊社ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。
各員(各女子)一層奮励努力シ、売リ尽シヲ完遂セヨ。

戦略が決まるとあとは簡単ですよね。要するに今ある品
を限りなく横に広げてボリュームを付け売り尽くすんです。
DSCN3293.jpg
さっそく戦闘配置(レイアウト変更)です。写真の如く新品
種で好評の「ひめのつき」は2倍のスペースでもって販売
再開です。(たまたま多く持参していたのが幸いしました)
DSCN3270.jpg
さつまいもコーナーも2倍のスペースに広がりました。
また、割安感を演出するため、パックに詰め直して販売
する等、あの手この手で再アプローチです。
DSCN3269.jpg
その間にも在庫はどんどん減っていき、しまいにはスイ
ーツのいよかんマドレーヌやいよかんゼリーも横一線
全品陳列という事態となり、それもどんどん売れていく
ので、内心心細い状態となってきました。尚、後ろ壁面
にうず高くみかんの箱が積まれていますが、悲しい事
にすべて空箱です。
DSCN3310.jpg
万策尽き、もうダメかと思われた頃、JR及び日通の必死
の配送作業が実り、追加商品の入荷が実現したのです。
タバコ屋はヤッターと声には出しませんでしたが、心の
中で叫びました。これで最後の2日間が存分に戦えると
言いたいところだったんですが、実際はそれどころか、
すでに売れているご注文分(バックオーダー)だけで、そ
の追加商品は無くなってしまうほど売れてしまっていた
んです。

ま、パニックは収束に向かいつつある中、やや残念なこ
とに、松山のマドンナ看板娘2人が松山へ帰るそうでタ
バコ屋の店にご挨拶に来たのです。お着物姿とはまた
違うお嬢様方のなまめかしいOIROKEを感じたタバコ屋
でしたが決して変態オジサンではないと思っています。
DSCN3304.jpg
外は事の経緯を象徴するような猛吹雪の一日でした。
社員食堂からの眺めなんですが、北海道札幌ならでは
の風景ですよね。四国松山、ましてや瀬戸の中島では
全く考えられない景色です。
DSCN3314.jpg
その吹雪も夕刻には収まり、一安心です。これで明日以
降の戦にも望みが持てたので、倅殿に相談し、ここは
明日でもサッポロビール園に繰り出して疲れを癒そうじ
ゃないかと。
DSCN3326.jpg
やって来ました、サッポロビール園です。タバコ屋はかつ
て45年前、同志社大学自動車部北海道遠征において
札幌では矢島先輩の北海道クリスチャンセンターでお世
話になったのでしたが、当時ビール園に立ち寄った記憶
が全く無いのです。多分一期後輩の奥村氏か井村氏な
ら遠征はず~っと一緒だった訳で真相を覚えていると思
うのですが、さて。
DSCN3333.jpg
とにかく、パニックは収束し不十分ながらも最終決戦に
臨む体制が整いました。東急の閉店後にのこのこ出か
けたビール園にて、閉店までわずかしかなく気ぜわしい
夕食となりましたが、あまり好きではないラム肉のジン
ギスカンとソーセージを焼き、慌しく店を後にしたタバコ
屋親子でした。
さてサッポロビール園ですが、ヘリテージとしての意義
は大きいのでしょうが、レストランとしてはあまり感動す
るものはありませんでした。時間が無かったことも残念
でした。

かくして最大の危機を脱し、いよいよ最後の2日間の戦
いへと突入することになりましたが続きは次回の記事で
お話することにし、今日のところはこの辺で終わりにした
いと思います。タバコ屋はかなりお疲れモードです。

札幌大紀行 vol.1:プロローグ

平成29年4月16日
「長崎は今日も雨だった」は内山田洋とクールファイブ
が昭和44年(1969年)に発表し前川清の渋い歌声で
大ヒットしその後不動の地位を築いた曲ですが、札幌
は雨でなく、今日も雪だったんです。ちなみに昭和44
年というのはタバコ屋が同志社大学今出川キャンパス
にふらふらと迷い込み、イケイケ詐欺同然の入部勧誘
被害に逢った年です。
DSCN3165.jpg
実は今を去ること4年前、松山市及び松山市観光協会
が主催し、札幌東急さんを会場にして年一回開催される
恒例の「四国松山の物産と観光展」というタイトルのご当
地催事に倅の要請で引っ張り出され、大雪の札幌で販
売の応援をした経緯がありました。
DSCN3164.jpg
前回はオノボリさんで付いて行ったのでしたが、今回は
販売の主力部隊として倅から勝手に実戦配備されてし
まったようです。
DSCN3172.jpg
松山からは東京で乗り換えて新千歳空港までフライト、
その後はJRで移動し、いよいよ札幌駅に到着です。とて
もモダンな駅の作りで左は大丸札幌店で、右には専門
店街とホテルその他を配した典型的な大都市駅ビルの
佇まいです。
DSCN3176.jpg
さて心ははやるものの、百貨店の催事は営業時間中の
準備はさせてもらえず、閉店後ということは大体午後8時
以降に入店し、翌日開店までに店を作らなくてはなりま
せん。さあこれから深夜までひたすら肉体労働が待ち構
えています。
恋の町札幌1-2
我等が石原裕ちゃんにとっては「恋の町札幌」なんでし
ょうがタバコ屋にとっては「戦の町札幌」なんです。だっ
て今回の主催者及び東急の幹部さんは一週間の販売
目標を5,000万以上目論んでいるようで、松山ゆかりの
司馬遼太郎さんの代表作「坂の上の雲」流に言えば、
203高地攻略か、はたまた日本海海戦であり、その中で
もトップの売上を拝受しているタバコ屋の店、「フレッシュ
ファクトリートミナガ」としては相当なプレッシャーが掛か
ります。
DSCN3182.jpg
結局準備のこの日は写真の日付が変わっていることでも
お分かりのように、退出リミットの午後11時以降まで掛か
り、遅すぎる夕食を倅のマー君と終えて宿に向かったの
は午前0時を過ぎていました。雪の札幌駅前です。
DSCN3227.jpg
さあいよいよ大いくさ本番の朝です。一応の準備は前夜
に出来ているものの最後の飾り付けが必要で、午前8時
には入店し10時の開店に備えます。
DSCN3193.jpg
倅のマー君もさて最後の仕上げをどうやるか思案中のよ
うですが、戦闘意欲は十分のようです。
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当社からはタバコ屋と倅のマー君が参戦しているのです
が、売上規模が大きいので実戦では4~5名のマネキン
さん(販売お手伝いのお姉さん方)が必要で、現地の斡
旋会社(芸者さんの置屋みたいなもの)にお願いしまし
た。さて当日はそのお姉さん方に商品説明や販売方法、
値段等、説明が必要です。
DSCN3190.jpg
「中島」は柑橘の島だけあって、いよかんを筆頭に7~
8種類ものみかんを持ち込んだのですが、数年前より
「さつまいも」の要望が強く、東急さんの要請で中島産
ではないものの同じ四国鳴門産の「金時いも」を揃えま
した。
DSCN3189.jpg
生の果実に比べれば、販売ボリュームは小さいものの
当社自家製のジュース、ジャムを始め、スイーツのいよ
かんマドレーヌや自家製ではないもののいよかんゼリー
等も持参して花を添えました。尚、生果実は「希望の島」
加工品は「希望の島本舗」というブランドを使用させて
頂いていますが恥ずかしながら「希望の島」は登録商標
です。
DSCN3200.jpg
さて午前10時の開店まで1時間を切りました。これから
試食用のみかんを小さくカットし食べやすくしてタッパー
に入れておきます。種類がハンパではないので試食の
準備だけでも大変なんです。
DSCN3196.jpg
開店まで30分を切りました。あとはお客様にお渡しする
買い物袋のセットや販売時にマネキンさんが値段を見
易いようにサンプル箱の裏側にえんま帳(品種ごとに
バラ売りの場合や箱売りの場合の値段一覧表)を貼り
付けたりの作業中です。
DSCN3217.jpg
開店まであとわずかとなり、日本海海戦の戦闘準備完
了です。結局マネキンさんは当社が4名用意し、東急さ
んから1名派遣して頂き計5名、また別に東急さんから
販売応援1名、レジ要員1名を手配して頂きました。結局
タバコ屋親子を加えますと計9名の大部隊となりました。
DSCN3203.jpg
開店に際し、恒例の「開展式」がありました。今回で18
回目になるそうで、弊社が参加させて頂いてからでも
8年目ですからかなり歴史のある催事です。
DSCN3204.jpg
一番手前でハッピを着ていらっしゃるのは松山市観光協
会の会長さんで、タバコ屋のお取引先でもあるハチミツ
製造メーカー「小池養蜂園」の新居田さんです。松山から
は通常ですと市長を始め地域振興の関係者さんや観光
協会の職員さんまた販促員としてマドンナや坊ちゃんが
参加します。また札幌側としては東急の札幌店長を始め
関係者の方々や札幌市の食品行政のえらいさんが多数
出席しての式典です。
DSCN3248.jpg
催事場の正面ゲートです。ここは松山の物産というよりは
愛媛のイメージを代表する真珠、珊瑚や今治産のタオル
また砥部焼き等の展示即売コーナーになっています。
タルト3
松山を代表するスイーツといえば「タルト」ですよね。その
ルーツはかつて江戸時代、長崎探題職を兼務していた
伊予松山藩のお殿様、松平定行公がポルトガル船が長
崎に入港した際に南蛮菓子(パイ)に接しその味にいたく
感動しその製法を松山に持ち帰ったといわれています。
現在の餡入りのタルトは定行公が独自に考案したものと
言われ、その後久松松平家の家伝とされ、明治以降は
松山の菓子職人に技術が伝わり今に至る松山の銘菓と
なりました。
DSCN3209.jpg
本来のポルトガル語のタルトというスイーツはあのような
ロール巻きではなく平らなパイなのですが、アレンジの名
手、我が日本人殊に伊予の国のお殿様はフルーツパイ
を大胆にアレンジしロールケーキに変えてしまったという、
ウソのようなほんとの話です。松山では地元銘菓として
数社がタルトを製造していますが、その中でも代表的な
菓子舗が「一六本舗」さんですよね。今回もよく目立つ一
等地に出店されていました。
DSCN3210.jpg
続いてスイーツのライバルメーカーである「畑田本舗」
さんです。こちらは同じタルトでも、餡に栗の入った「栗
タルト」を独自に考案し、他のメーカーさんとの差別化を
図っています。本社は今治で純粋には松山の菓子舗で
はありませんが、松山市内に多数出店しているので、
ご当地物ということになったのでしょう。
DSCN3213.jpg
さてオクルマ業界ではかつてアメリカにビッグ3というの
がありましたが、松山の物産連合艦隊のビッグ3はどこ
かと言いますと、まずは地元北条地区(中島の対岸)の
「森水産」さんでしょうか。ちりめんといりこが主力商品で
自社で水揚げから製造まで一貫して行っているため鮮
度抜群で価格も安く、地元でも有名な網元です。
DSCN3212.jpg
次にビッグ3の一角を占めるのは宇和島じゃこ天で有名
な「安岡蒲鉾」さんでしょうか。何故宇和島のメーカーが
松山でということですが、これも菓子舗のハタダさん同
様、宇和島が本社ではあるもののJR松山駅とか松山市
内で店舗を展開しているためなのか、あるいは本社は
松山なのかよくわかりませんが、常連出店メンバーにて
いつも長蛇の行列が出来る繁盛店です。
DSCN3194.jpg
ところでビッグ3の2社は出揃ったのですがあと1社はどこ
なんでしょう。それは恥ずかしながら「希望の島」ブランド
の「フレッシュファクトリートミナガ」なんです。またその立
ち位置もオクルマで言えばGMのポジションなので催事
全体での売上げにも大きく影響しその責任は重大です。

さて売場の配置、品出し、プライスカード、試食品等、す
べての準備は終わりました。以前には京都、大阪大丸
や難波高島屋等の催事に度々お邪魔したことがありま
すが、売台はせいぜい4台で、今回のように6台も用意
して頂く例はほとんどありませんでした。一度だけ地元
松山の高島屋で6台パターンをやりましたが、みかんの
産地でみかんを売ったって大して売れませんよね。その
点札幌はスケールが違いました。恐ろしいほどの売れ方
です。もうこれは商いを通り越して戦争です。

この数分後からは怒涛の攻撃(販売)が始まるのですが
紙数も尽きたようですので、会戦の模様は次回の記事
でお伝えしたいと思います。お楽しみに。

次の記事の予告 vol.8

平成29年4月4日
「今出川慕情」と題した「野尻君の青春オデッセイア」
全7編を投了後しばらく放心状態となり、またその直後
ご本人の住む北ノ庄福井へ京都のアオリイカこと平尾
センセと殴り込みを掛けたりしたせいで、次の記事が書
けないままです。ま、収穫としましては福井には新種の
アオリイカが生息しており、また大阪豊中あたりにも珍
種のアオリイカが大阪福井間を回遊している実態を掴
んだことでしょうか。
DSCN3529.jpg
書きたいことは山ほどあるのですが、次回は先般行って
来た札幌での出来事をお話したいと思います。
福井紀行をお待ちかねの方には申し訳ありませんが、
その次とさせて頂きます。お楽しみに。

今出川慕情 vol.7:野尻君の愛車遍歴

平成29年3月11日
オーティスケリー先生2
突然の古い写真で恐縮ながら、これはタバコ屋が同志
社大学自動車部に入部した昭和44年(1969年)から恐
らく卒業した昭和48年(1973年)春までの4年間、自動
車部の部長先生を務めて頂いた、オーテス・ケーリ先生
なんですが、もしそれが事実であれば、タバコ屋の同期
はケーリ先生と共にあった訳で、今となっては言葉には
表せないご縁の不思議を感じます。

またケーリ先生は学生の寄宿舎であったアーモスト館
の館長も拝命されており、そこは俳優の二谷英明先輩
等を輩出した由緒ある施設でした。(ケーリ先生がお亡
くなりになった後、現在は学生の寄宿舎としての使命を
終え、主に外国人研究者の長期滞在用の宿泊施設とし
て再利用されているようです)
(関連記事:京都・宇治・巡礼 vol.1参照願います)
DSCN8336.jpg
さて、今から4年前の平成25年(2013年)10月に同志社
大学自動車部創部80周年大会がありましたがそれより
やや早く前年にアーモスト館も80周年を迎えていました。
ケーリ先生が関わった二つの歴史の営みが、奇しくも
同じ年月を刻んで来た訳です。

ところでアーモスト館80周年の1年前平成23年(2011
年)のことながら、一期後輩のヘータこと井村氏は久し
ぶりに上洛を果たし、醍醐寺や哲学の道の桜がお目当
ての散策を終えた後、懐かしい今出川キャンパスに立
ち寄り、アーモスト館にも足を伸ばしました。そこで偶然
にもケーリ先生のお嬢さんであるベスさんと初対面遭遇
し、知己を得ることとなりました。尚、ケーリ先生の3人の
お嬢さんのご長女であるベスさんはアメリカ在住ながら
その時たまたま帰国しアーモスト館に滞在されていたそ
うで、双方が偶然ながらもまさに奇跡的な出会いだった
と申せましょう。この写真はその時の奇跡の瞬間を井村
氏から送って頂いたものです。
DSCN3444-2.jpg
ただ一部の読者の方は初対面の井村氏は何故その女
性がベスさんだと分かったのか、不思議に思われるで
しょうから、そのいきさつをご説明しますと、アーモスト
館の前を歩く年配の外人男性と若きLADYを発見した
井村氏はその男性がてっきりケーリ先生と思い込み、
とっさに「君の名は」とは言わなかったようですが、つた
ない英語で「私は元自動車部員だった者ですが、ケーリ
先生ではないでしょうか?」と尋ねると横のLADYが「父
は5年前に亡くなりました」と日本語で仰ったので、ああ
先生は既に亡くなられており、目の前にいらっしゃっる
のがケーリ先生のお嬢さんであることがわかったという
次第なんです。ちなみにベスさんは日本人男性とご結
婚されており日本語が堪能であるのも頷けます。

その後井村氏はケーリ先生及びベスさん繋がりで次女
のアンさんやアーモスト館OB会(DAC)のお世話をされ
ている吉﨑さんと知り合いになりました。その吉﨑さん
より両部を結び付ける重要生き証人として、井村氏に
アーモスト館80周年記念OB会報への執筆依頼があり、
その時のいきさつを寄稿されたようです。こう見えても
井村氏はかつて高砂の神童と言われ、学園紛争による
入試の中止がなければ東大に軽く合格したであろうと
言う逸材だったそうですが、残念なことにそれは彼自身
が語った言葉にて信憑性がやや疑われます。

ついでながら井村氏には心秘かにアーモスト館に対す
る憧れと入寮願望があったらしく、どのような事情があ
ったかは存じませんが結果的には果たせなかったもの
の、一連のアーモスト館との数奇な!ご縁もそのような
心情が背景にあったのではないかと推察されます。
(尚、井村氏の愛車遍歴に興味のある方は、
アウディな人 vol.1:高砂での出来事参照願います)
オーティスケリー先生4-1
その後話は更に進展し、そのOB会報へ「ケーリ先生の
思い出
」の執筆依頼が、こともあろうにタバコ屋のところ
に来たのです。丸投げが得意種目のタバコ屋にとっては
井村氏より逆丸投げをやられた訳で、しまったとは思い
ましたが、我慢強く忠誠心の厚いタバコ屋のこと、そこは
耐えて寄稿させて頂きました。

蛇足ながら、その記事が掲載されたOB会報(DACニュ
ース72号)は80周年大会時に吉﨑さんのご好意でOB
諸氏に配布しましたので、ご記憶の方もいらっしゃるの
ではないでしょうか。
(関連記事:終わりなき旅 vol.3:宴のあとさき参照願い
ます)
DSCN5967.jpg
それ以来、共通の師と思い出を共有していることから
吉﨑さんとは急速に親しくさせて頂くことになり、一昨年
はタバコ屋の一期後輩の福ちゃんこと石川女史及び吉
﨑さんのご親友の中山氏と吉﨑さんご夫妻の計4名で、
名も知らぬ遠き島「中島」にご来島頂く等、親密な交友
が続いています。
(関連記事:東京大紀行 vol.4:ウォーターフロント参照
願います)
オーティスケリー先生3
ケーリ先生はお爺さんが同志社大学で教鞭を取られた
同志社ゆかりのご一家なんですが、お父様が宣教師だ
ったため、幼少時代を北海道小樽で過ごされ、青い目
をした日本人ではありましたが、日米開戦となり一旦は
帰国し、USネイビー情報将校として日本通のドナルド・
キーン氏とともに日本軍捕虜への対応をし、戦後はご縁
の同志社大学に教授としてご奉職、以来終生同志社の
ために尽くされました。
(関連記事:今出川でのこと vol.1及び
札幌紀行 vol.2:小樽へ参照願います)
ケイトねえちゃん
この写真はケーリ先生の愛車ケイトねえちゃん7号の前
でのもので、戦後いち早く軍用ジープで幼いベスお嬢ち
ゃんを伴い北海道遠征を敢行する等、カーマニアでもあ
りました。ケーリ先生はオクルマに愛称を付けるのがお
好きで、それには必ずケイトねえちゃんの愛称が付けら
れました。ケイトねえちゃんネーミングのいきさつについ
ては別記事にて詳しくご紹介しているので今回ははしょ
ります。先生はカーマニアではあったものの、オクルマ
自体にのめり込むタイプではなくあくまでも生活をエンジ
ョイするためのツールとして割り切るというタイプでした。
(関連記事:大阪・京都・奈良・巡礼 vol.2参照願います)

そのケーリ先生が、自動車部の部長先生をして頂いて
いた頃、クラブへ寄稿された文章が残っていますので
抜粋させて頂くと、
「クルマが社会の貴重品だった時代は、自動車部という
ものはクルマ自体を動かすということに意義があり、一
種のステイタスのようでもあったでしょうが、これからは
もっと他のことで若い人が共通の何か目的を持って自
動車部を楽しんでいく必要があるでしょうね・・・。」
今読み返しても示唆に富んだお話だと思います。
タバコ屋達はそのケーリ先生の願いを実現出来たので
しょうか・・・。自問する必要はあると思います。
D:クラーク記念館2
さて長い前置きとなりましたが、野尻君の青春に戻りま
す。思い出深い今出川での4年間を過ごした野尻青年
でしたが、ふるさと福井に帰りご実家のコンクリート製品
製造業に携わることになりました。
S30Z-13-1.jpg
いきなりビックリポンな写真ながら、これは野尻君が親
戚の叔父さんちへ恐らく婚約の報告に行った時のもの
だと思われます。当時としては超モダンなS30Zの前で
写されているのは叔父さん夫婦だそうで、ラリー仕様Z
の勇姿もさることながら、元ゴフク屋のタバコ屋としては
叔父さん夫婦のファッションが気になったんです。

後日注釈:実は当初野尻君からお預かりした写真は、
横に伸びた形になっており叔父様夫妻が実際よりずん
ぐりした体型になっていたので、何とかして差し上げた
いと思い、丸投げが得意種目のタバコ屋は平尾センセ
に丸投げ依頼したところ、見事に復刻!してくれました。
平尾センセには誌面をお借りしてお礼申し上げます。)

今の若い方や、当時タッセル・スリッポンで新宿界隈を
のし歩いていた上山青年などはかなり違和感があるか
も知れませんが、タバコ屋にとってはお正月など、押し
なべてこういうファッションが一般的でした。

若干の解説を試みますと、叔父さんはU首のメリヤス下
着の上に長襦袢という下着を着て、その上にウール又
は正絹(しょうけん)=シルクのアンサンブル(羽織+着
物)の上着を着用し多分角帯に黒足袋+スリッポンなら
ぬ桐下駄という出で立ちです。
また奥様はこれまた正絹の小紋または付け下げ(フォー
マルウエア)に袋帯を締め、和装用のバッグに「君の名
は」の氏家真知子もご愛用だった毛糸のショール、白足
袋に草履という出で立ちです。

ここだけの話しながら、超近代的なS30ZとNIPPONの
トラディショナルな衣装との組み合わせが何とも可笑し
く、あえてご紹介させて頂きました。飲み意地の張った
タバコ屋が気になるのは赤いお嬢さんのボンネット上
にある清酒の一升瓶と風呂敷包みなんですが、恐らく
野尻君が叔父さん夫婦に持参したお土産だったのでは
ないでしょうか。
ヂャイアント号1
ちなみにその叔父さんは若い頃、島のタバコ屋の先代
が終戦後間もない昭和28年から昭和33年まで経営して
いた島のバス会社で運行していた「ヂャイアント号」を作
っていた愛知機械(後のコニー)にお勤めだったそうです。
ご縁はわからないものですよね。
(関連記事:異説:007私を愛したスパイ参照願います)
ヂャイアント号資料1-3
その野尻君も良きご縁があり、地元のご親友との繋が
りで現在の奥様と一目惚れ電撃結婚を敢行されたとお
聞きしていますが、デートに際しそれまで得意絶頂で乗
っていた高貴なお名前のフェアレディZながら彼女にとっ
てはすこぶる評判が悪く、かつての鈴木女史のように
「こんなんあかんえ!」とか「乗り心地硬いのいやや!」
とか言われたのかどうか、あれほど愛したフェアレディZ
を泣く泣く手放したとお聞きしています。

老婆心ながら、デートに際し、S30Zでは巨大なフロアト
ンネルのせいで、彼女の手をそっと握るのが精一杯で、
それ以上のエスカレートしたアクションなんて到底無理
なお話しです。やはりデートはキャデラックなんですよ、
野尻君!。
(関連記事:今出川慕情 vol.3:野尻君の青春1及び
今出川慕情 vol.5:野尻君の青春2参照願います)
愛車遍歴2-1 愛車遍歴3-1
その後、TOYOTAランクル、ミツビシJEEP、とワイルド
カントリーライフをテーマとしたオクルマを乗り継がれる
のですが、野尻君の会社がコンクリート製品を扱う会社
なので山間部の工事現場等に出かけることも多かった
のではないかと推察されます。ま、何はともあれ野尻君
の壮大な愛車遍歴はこのあたりから始まるのでした。
愛車遍歴4-1
写真は黄色のSUBARUレオーネツーリングワゴンです。
ターボに乗ってみたくてご購入されたようです。冬はレオ
ーネ、夏は奥に停泊している彼(または会社?)のクル
ーザーヨットでブイブイ言わせたらしく、卒業後もボンビー
生活を送っていたタバコ屋と比べると月とスッポン程の
差があります。
蛇足ながら、この写真を見たらSUBARISTの上山青年
なんか泣いて喜ぶのではないでしょうか。上山君、泣く
のはいいけど、机叩いてまで泣かないように。
アコードハッチバック3
余談ながら、その頃は丁度タバコ屋が島に還った頃だ
と思うんですが、当時タバコ屋はHONDAがお気に入り
で自分のなけなしのお給料で初めて買ったのが野尻君
のレオーネ同様黄色のHONDAアコード・ハッチバック
CVCCスペックでした。当時黄色は斬新で結構流行りま
したよね。
愛車遍歴5
当時京都帰りの舶来品として福井では結構目立つ存在
だったであろうと推察される野尻君の次なるテーマは
キャンピングカー」でした。恐らくケーリ先生がそのこと
を聞けば泣いて喜んだであろう「オートモービルのある
トラベル生活」というアメリカ発祥の新しいライフスタイル
です。ご購入されたのは三菱オタクの平尾先輩が聞け
ばケーリ先生同様大いに喜んでくれたであろう三菱スペ
ースギアでした。
愛車遍歴5-1
今でこそキャンピングカー、百花繚乱のご時勢ですが、
当時としては野尻君なんかそのハシリだったのではな
いでしょうか。まあオトナのママゴトの延長ながら、すべ
ての新しいイノベーションはママゴトから始まるんです。
P1070664.jpg
野尻は野尻でもタバコ屋世代にとっては「坂の上の雲」
の存在である、京都在住の野尻先輩(OB会副会長)の
場合は、同志社大学自動車部創部80周年大会の目玉
イベントであった、「愛車ミーティング」に於てご自分で
は愛車メルセデス・BENZを出すべきか、それともお気
に入りのNISSANシビリアン・キャンピングカー特別改造
スペックを出品すべきか、かなり迷われたようです。
(ちなみにそのオクルマはありとあらゆる情報機器+贅
沢装備満載でフロントシートは何とRECARO!でした)
IMG_3375.jpg
富永君どうやろか?と仰るので、その実行責任者であ
ったタバコ屋は迷わず申し上げました。「野尻副会長、
僭越ながらかつてのオーテス・ケーリ先生のご遺志に
より、是非キャンピングカーのご出品をお願いします」
と。タバコ屋は今でもその時の「愛車ミーティング」に於
いて、野尻先輩のキャンピングカーは自動車部の示す
ニュー・ライフスタイルについてのプレゼンテーションが
果たせたと思っています。タバコ屋としても卒部40年以
上を経てケーリ先生の思い描いていたオクルマのある
楽しい生活
というライフスタイルを少しでも現実化出来
たと自負しています。

しかしまあ、大人のママゴトもここまで来ると、もうハイソ
サエティの高貴なご趣味となり、そうでなくともタバコ屋
にとっては「坂の上の雲」のお人であった野尻先輩は、
いよいよそのまた上のゼウス(神)という存在になりつ
つあります。
(関連記事:終わりなき旅 vol.2:愛車ミーティング参照
願います)
愛車遍歴6
野尻君の愛車遍歴に戻ります。その後野尻君もかつて
明治期の大日本帝国陸軍が新興の強国ドイツに憧れ
たように、質実剛健のメルセデス・BENZに傾倒していく
ようになりました。写真は3Lのメルセデス・BENZ-Eクラ
ス・ステーションワゴンですが、左ハンドルだったゆえ、
またもや鈴木女史でもあるまいに「こんな変な位置の
ハンドルいやや!」とか言う奥様の大ブーイングに会
い、あえなく手放したという苦い思い出を持たれている
ようです。
愛車遍歴7
仕方なく乗り換えたのが写真のBENZ・S320だったそうで、
排気量は似たようなものながらEからSへとご出世されま
した。右ハンドルにしたまでは良かったもののしかしまた
もや奥様からのブーイングで「こんなデカイのいやや!」
とか言われて、またもや手放すという悲劇に見舞われま
した。ちなみに野尻君が購入されたのは、3代目のSクラ
スだと思われます。

野尻君、老婆心ながら申し上げておきます。大和撫子は
毛唐は嫌いなんです。そんなけなげな奥様に何故最初
からフツーのNIPPON製のオクルマをご用意して差し上
げなかったのかと思います。たとえばTOYOTA製の足の
いい奴「カリーナ・セダン」とか。千葉ちゃんのCMもさるこ
とながら、タバコ屋は好きなオクルマでした。
2代目Sクラス7-1
タバコ屋はメルセデス・BENZのオーナーになったことは
ありませんが、親戚のおじさんがBENZオタクでSクラス
以外は目もくれないような方でしたから、横に乗せてもら
う機会は多くありました。

余談ながら、タバコ屋が過去現在とも最もお気に入りの
メルセデス・BENZは2代目のSクラス5Lサルーンで、当
時世界各国のV・I・P御用達のオクルマでしたよね。
塊感と存在感のある重厚なボディは無駄なラインがなく
意外とシンプルで、しかもラジエーターグリルなどにシル
バーメッキを多用することにより、BENZのアイデンティ
ティを上手に表現しています。今でもプレステージサル
ーンはこうあるべきだと思います。特にHONDAのデザ
イナー諸君、今のレジェンドなんてかつてのタバコ屋の
愛車ながら、嘆かわしいデザインにて、宗一郎氏がご
存命なら「やめちまえ!」と怒鳴っているはずです。

ただ残念なことは、お金があればこれを誰でも買えると
いうことで、中東の王族が金にあかせて特別仕様のSに
乗るのはご愛嬌にしても、今世界中の鼻つまみ者であ
る北朝鮮の元指導者の故金正日(キムジョンイル)が御
愛用だったことなどは、タバコ屋にとっては極めて苦々
しい過去の出来事です。
(関連記事:東京モーターショー異聞 vol.6:外国車編
参照願います)
愛車遍歴8
「いつかはクラウン」というのは高度成長期に誰しも思い
描いた理想のオクルマ購入パターンでしたが、野尻君
の場合も「いつかは5LのBENZ-Sクラス」という夢があり
ました。その夢は以外にも早く叶ったようで、今度は二
度と奥様のブーイングを食らうことのないよう周到に右
ハンドルでメタルトップのBENZ-SL500を見つけ、格安
で購入されたようです。
愛車遍歴8-1
野尻君はこれで理想の桃源郷にたどり着いた訳で、用
もないのにメタルトップを開けたり閉めたりして子供じみ
た喜びを満喫していたものの、さらに落とし穴が待って
いました。今度はよもやまさか、奥様は「こんな税金の
高いのいやや!」というブーイングによりまたしても手放
さざるを得ないはめになりました。こうなるともうBENZに
よる妙なる悦楽どころか地獄のBENZ選びですよね。
愛車遍歴8-3
その間、三菱パジェロ・ミニやNISSANテラノ等、つまみ
食いをされた後、どさくさまぎれと言いますか、野尻君
ご乱心と言いますか、あれほど質実剛健、信頼性の塊
であるかの如きメルセデス・BENZを愛用されていたの
に、ある日突然香里体育ハウスの思い出が蘇ったのか
どうか、一度ローヴァーに乗ってみたいと思うようになり
ました。
(関連記事:今出川慕情 vol.5:野尻君の青春2参照願い
ます)
愛車遍歴9
購入したのはローヴァー・フリーランダーでローヴァー社
の中ではコンパクトで取り回しの良いオクルマであった
筈なんですが、野尻君の場合はアタリが悪くてエンジン
廻りで次々とトラブルが発生しこれも泣く泣く手放したと
いうか返品したと言うか。短い同棲生活だったようです。

それにしても007に出てくるようなゴッツいフロントマスク
は今にもそこからマシンガンが出てきそうで軍用車の様
でもあり異様です。オプションだったのでしょうが、タバコ
屋は初めて拝見しました。
ローヴァー3500-3
タバコ屋にとってローヴァーというブランドは格別の響き
を持っています。その理由はかつて我がHONDAがロー
ヴァーと提携関係にあったからです。ローヴァーというメ
ーカーは戦時中は戦車等の軍用車両を作っていたので
すが戦後はアメリカのジープに刺激されランドロ-ヴァー
なる元祖SUVを開発し、その後上質なサルーンやレンジ
ローヴァー等の高級SUVを生産し英国王室御用達のメー
カーとなりました。

余談ながら当時カーグラフィックの編集長をされていた
小林彰太郎氏は大の英国車贔屓でローヴァーのサル
ーンを絶賛するとともにご自身の愛車もローヴァーV8・
3500でした。
(関連記事:時事雑感 vol.8:とと姉ちゃんのこと参照願い
ます)
初代レジェンド7-1
しかしその後、怒涛のようなNIPPON車、ドイツ車の攻勢
に押しまくられ倒産の危機に瀕しましたが昭和54年(19
79年)に当時破竹の勢いだった我がHONDAと資本及
び技術提携し、ドマーニ、クイント、さらには集大成とし
て満を持して開発していた初のプレステージサルーンで
ある初代HONDAレジェンドの開発に主導的な役割を果
たし、その結果当時のNIPPON高級車とは一線を画する
ヨーロッパの香りのする国産車が誕生したのでした。

タバコ屋はこのようなオクルマが買える身分ではありま
せんでしたが、「HONDAの志やよし!」としてディーラー
に押しかけ、無謀にも「このクルマ、下さい!」と叫んで
しまったのでした。それ以来自称HONDA-PTA会長とし
て、20年もレジェンドを乗り継ぐとは夢にも思いませんで
した。バカですよね。
(関連記事:好みの基準 vol.7:カーデザイン及び
好みの基準 vol.2:愛車変歴参照願います)
愛車遍歴10-2
さてメルセデス・BENZを中心に様々な愛車遍歴を重ね
てきた野尻君ですが、近年は不惑の年からさらにロマン
スグレーのお年となりつつあり、オクルマ選びも落ち着
いて来て、浮世離れしたものからは遠ざかりつつありま
す。写真は現在お乗りになっているメルセデス・BENZ
Eクラス2.4Lステーションワゴンで、現役社長がオーナ
ーとしてお乗りになるのには極めて妥当だと感じます。
またもや老婆心ながら、いいお年ですのでAMG欲しい
などと言って奥様を困らさないで下さいね。
愛車遍歴11-3
またセカンドカーとして、BENZのチョロQことスマート・
フォー2にお乗りで、フツーのお方はベンツのマークが
付いていないため分かりづらいでしょうが、れっきとした
BENZなんです。
IQ-1.jpg
TOYOTAにもスマートと全く同じコンセプトでIQというの
がありますが、そら存在感から言って圧倒的にスマート
フォー2だと思います。その意味でマニアックなセカンド
カーのご趣味ですよね。
シグネット1
尚、蛇足ながら高級スポーツカーメーカーであるアストン
マーティン社は、何を思ったのかよりによってこのTOYO
TA・IQをベースにシグネットというシティカーを開発し販
売しています。メカはIQですがお顔はアストン顔でそれ
なりに高級感を演出しています。最近ではMAZDAロー
ドスターをベースにFIATが124スパイダーというのを発
売しましたが、それと同じ手法です。ただ違うところは
シグネットはアストンマーティン社が仕上げを行うのに
対し、FIATはMAZDAに対し、タバコ屋の得意技である
丸投げをしていることです。
愛車遍歴12-1
それ以外にもサードカーなのかどうか、BENZ・A180も
所有されているようで羨ましい限りです。その内メルセ
デスBENZ・JAPANから表彰状が届くことはほぼ間違
いないと思います。
ディスカバリースポーツ9
最後になりましたが、かつてローヴァーで大やけどをさ
れているだけに、やや申し上げにくい事ながら、BENZ
も乗り尽くしたと思われるので、雪深い北ノ庄福井で乗
られるのであれば、この際ローヴァー・ディスカバリー
スポーツあたりにチャレンジされてはいかがかなとも思
います。
ディスカバリースポーツ5-3
雪国では必需品の4WDは元祖SUVメーカーゆえ当然の
ことながらも、タバコ屋が気に入っているのはかねてより
主張している「ダウンサイジングすべし!」のコンセプト
にぴったりな2L・ターボ仕様だからです。240馬力ありま
すから普段の使用には十分ではないでしょうか。
ディスカバリースポーツ6-1-2
手前味噌で恐縮ながら、タバコ屋は品性漂うコクピット
が大のお気に入りで、安らぎと癒しを感じるのです。
親鸞も蓮如も果ては日蓮上人だってここまでの癒しの
世界のプレゼンテーションは創出出来なかったと思い
ます。それにしてもああ国産車よ、デザイナー諸君よ、
何故このような凛とした品性の漂うハイクオリティな
コクピットをデザイン出来ないのか!。タバコ屋は残念
でなりません。
(関連記事:品性とダイナミズム vol.2:NSXどうやねん
参照願います)

蛇足ながら、同志社大学自動車部OB諸氏の中にも
何人かはローヴァーオーナーがいて欲しいものです。
だってタバコ屋の古くからのお取引先である芦屋の
いかりスーパーさんなんか駐車場にゴロゴロ停まって
ますから。
後日追加
この記事を投了した後、タバコ屋の古くからのお取引先
でオクルマで言えばメルセデス・BENZ-Sクラスやレンジ
ローヴァーを専門にお売りになっているような東京の一
流フルーツ専門店の社長さんから写真付きのお便りを
頂きました。それはビックリ仰天の内容でした。
069.jpg
何とそこに写っていたのは、ランドローヴァー・ディフェン
ダーでした。皆さんピンと来ないでしょうが、ローヴァー
は元々大英帝国陸軍御用達の軍用車両メーカーであり
戦後ジープの影響を受けてランドローヴァーなるSUVを
開発したことは既に述べましたが、その進化系と言いま
すか、かつて野尻君が灼熱の香里体育ハウスグラウン
ドで汗水流してフィギュア競技の練習をした、あのランド
ローヴァーの末裔がこのオクルマなんです。

2015年(平成27年)に生産終了されるまで67年!の長
きに亘り生産され続けたガラパゴスなオクルマですが、
幸運にもその社長さんは製造末期の2012年(平成24
年)頃に直輸入にて入手されたようです。それにしても
タバコ屋がローヴァーのお話をあれこれするものです
からエールの意味で写真をお送り頂いたのではないか
と推察されます。
069-2.jpg
かつてドイツのメッサーシュミットやV2ロケットによる怒
涛の攻撃でスピットファイアによる絶望的な戦いを挑ん
だ大英帝国ですが、パトロンのアメリカの参戦と絶大な
バックアップによりかろうじて薄氷の勝利を得た、アング
ロサクソン・グレートブリテンの意地と誇りがこのディフェ
ンダーという勇ましいブランドとフロントグリルにも感じら
れると言えばタバコ屋の考えすぎかも知れません。
ステッカー01 ステッカー04
尚、その社長さんと言うのはお茶目な方で、何とご自分
でオリジナルのステッカーを作ってはボディのあちこちに
貼られているようです。間違いだらけならぬ「楽しみだら
けのステッカー選び?」皆さんもやってみてはいかがで
しょうか。長年に亘り自称HONDA-PTA会長を拝命して
きたタバコ屋などはPOWERED BY HONDAというステ
ッカーを後生大事に今でも硬く握り締めています。貼る
べきオクルマとて今は無いのに、もうバカですよね。
DSCN6805.jpg
蛇足ながら、その社長さんというのは懐かしいWEBER
キャブの時代からオクルマに親しんで来た、タバコ屋世
代の感性と合い通ずるオクルマのエンスーで、公認会計
士の上山センセ同様、熱烈なSUBARISTでもあり、ちな
みに現在のアシは泣く子も黙るSUBARU・WRX!です。

誰も知らないことながら、数十年前には名も無き瀬戸内
海の島へ行幸頂き、ご一緒に遊んだ懐かしい思い出も
あります。
リゾート風景1(ミリアム)
それにしても野尻君の初恋のオクルマ、初代NISSAN
フェアレディZはもう野尻君の地元の日本自動車博物
館とかいった特別の場所でしか見ることが出来なくなり
つつあります。しかしある内部情報によれば、例外的に
瀬戸内海の名も無き島で、かつての赤いお嬢ちゃんの
残影を垣間見ることが出来るかも知れないそうです。
後日追加
その日本自動車博物館を近々訪問予定なんですが、
事前に展示車両リストを見ると、フェアレディZが載って
ないのです?。もしそれが事実とすればあとは神奈川
の日産座間工場跡地にある日産ヘリテージコレクション
(旧、日産記念車車庫)か、瀬戸内海の名も無き島を訪
れるしかないと思います・・・。
フェアレディZG-1
終わりにあたり上山青年と野尻青年には次の言葉を捧
げたいと思います。蓮如上人のパクリながら、
寂しくば、今出川と唱うべし、我ら同釜は三文字の内
にこそ住め
」  
(作者注:三文字はみもじと読みます)

長きに亘った野尻君の青春オデッセイアもこれをもって
終わりにしたいと思います。7編に亘り辛抱強くご精読
頂いた読者の皆様に感謝申し上げます。タバコ屋も
さすがに疲れました。少し休みます。

今出川慕情 vol.6:野尻君の青春3

平成29年3月8日
青春のカケラ
さて北ノ庄福井から上洛した野尻青年も地獄の1~2回
生を経験し、花の3回生幹部となり青春絶頂期を迎えよ
うとしていました。その後はアルバイトをしない限り収入
は仕送りに頼らざるをえないにしろ、部内においては過
酷な幹部生活からも解放され、お殿様生活が味わえる
4回生の後期を残すのみとなります。
自動車部、贅沢などは望みもせぬが、せめて成りた
や4回生
」という句があるように、卒業までの一瞬ながら
上げ膳据え膳、夢心地のクラブ生活が待ち構えている
のです。ちなみにその句は誰の作かですって?、何を
隠そうタバコ屋の自作です。
高石かつ枝4
突然の写真で恐縮ながら、元青春スターの高石かつ枝
さんです。かつ枝さんは昭和37年(1962年)コロムビアレ
コードから「旅の夜風」でデビューしその後「林檎の花咲
く町」の映画化では主演及びその主題歌を歌い大ヒット、
60年代を代表する青春歌謡歌手の一人になりました。
高石かつ枝9-1
昭和39年(1964年)にはその前年、不滅の学園ソング
「高校三年生」で衝撃のデビューを果たした我らが舟木
一夫さんとデュエットで「東京新宿恋の街」をリリースす
る予定でしたが、かつ枝さんは日本クラウンに引き抜か
れたためこの夢の企画は没となり舟木一夫さん単独で
歌うこととなりました。ちなみに舟木一夫さんの数多くの
ヒット曲の中でタバコ屋が最もお気に入りはこの曲です。
しかし残念なことにこの曲はCDにもカラオケ店にも残っ
ておらず、今やマイク片手にほろ酔い気分で歌うことが
出来ないのです。
(関連記事:荒ぶる心 vol.5:ポルシェのこと参照願い
ます)
高石かつ枝1
高石かつ枝さんはタバコ屋より4つ年上のお姉さんなん
ですが永遠の美女夏目雅子ちゃんとはまた違ったやや
親しみのある顔立ちでしかも何ともいえぬ優しさとほの
かな品性を備えており、恥ずかしながらタバコ屋の最も
お気に入りの青春スターの一人です。

タバコ屋なんかその目で見つめられると、ハイライト10本
吸ったくらいクラクラが来てしまうので、かつ枝さんあまり
タバコ屋を見つめないで下さい。

かつ枝さんはその後、タバコ屋が同志社大学自動車部
に入部する以前に数々のヒット曲を出しましたが、その可
憐さとトップスターだったゆえに吹原産業事件と言う政治
スキャンダルに巻き込まれ、不遇な後半生を送り引退さ
れました。タバコ屋に一言ご相談頂ければ名も知らぬ遠
き島「中島」にかくまって差し上げたのにと思うと今でも心
が痛みます。
高石かつ枝2
タバコ屋は何を喋っているのかわからなくなりそうですが
そのときめきのヒロイン、高石かつ枝ちゃんが歌った
夢見る頃」という歌がタバコ屋のお気に入りなんです。
ちなみに一番の歌詞をご紹介しますと、
「♪あの頃、その頃、楽しい夢の日~
輝く瞳に若さが一杯、若さが若さが一杯~
喜びも悲しみも共に泣いたり笑ったり~
みんな良かった~、みんな良かった~」
何ともまあ乙女チックな青臭い歌詞ではありますが、
上山青年や野尻青年、はたまたタバコ屋世代が過ごし
た今出川での4年間は「♪喜びも悲しみも、過ぎてしまえ
ば懐かしい~」夢の日々だったのだと思います。
大阪産業大ラリー2
さてまたもや突然の写真で恐縮ながら、これは同釜同
期の平尾センセが先輩である大阪ミナミのパチンコ王
西山先輩のチーム・サンダースに所属し大阪産業大学
主催のラリーに出場した時のもので、左から一期後輩
の上田君、平尾センセ、タバコ屋と小森酒店で同居して
いた佐々木氏、かつて高校時代岡山の神童と言われて
いたらしい三宅氏、同志社香里高校元水泳部のター坊
こと井上氏の面々です。平尾センセの愛車はギャラン
1600GSセダンラリー仕様だったように思うのですが。
(関連記事:平尾先生の青春 vol.1:ラリーへの熱き思い
参照願います)

余談ながら、平尾センセはもともとアタマの良い男で、
工学部という超多忙な学部に所属していたにも拘わら
ずラリーに熱中し、数々の輝かしい戦績とともに同志社
に平尾ありと言われるようになりました。それにしても
4年で卒業出来たというのは奇跡を通り越してミステリ
ーです。

かく言うタバコ屋も4回生の時、上記の夢のお殿様生活
が送れると思いきや、抜き差しならぬ事情で卒業論文を
二人分書くこととなり(時効ながら出石教授には内緒で
す)余裕生活どころではなかった苦渋の思い出がありま
す。前代未聞の事件であったにしても、それについては
あまり多くを語りますまい。(学校関係者はこの項を読ま
ないように)
240Zサファリ4
NIPPONのラリー熱というのは我らがNISSANが昭和
45年(1970年)灼熱のサファリでブルーバードP510を
擁して初の総合優勝を飾り、続く翌昭和46年(1971年)
にはハイスピードラリーに対応した待望のマシン、新星
フェアレディ240Zを駆って2年連続総合優勝を果たした
時から始まったと言っても過言ではなく、それはタバコ
屋がハタチの多感な時期でもありました。
一方ミツビシはやや地味な挑戦ではありましたが、奇し
くもDATSUN-240Zがサファリで総合優勝を飾った翌
年の昭和47年(1972年)オーストラリアのサザンクロス
ラリーに於いて名手A・コーワンがギャランを駆って総合
優勝を飾ることになりました。それはDATSUN240Zが
雪のモンテで名手R・アールトーネンの手によりFR車と
しては奇跡の3位入賞を果たした年でもあり、それらの
輝かしい実績により国内のラリー熱は最高潮に達しま
した。
(関連記事:NISSANについては今出川でのこと vol.1
及び零戦の末裔参照願います。ミツビシについては
校長先生の青春 vol.2:されどもラリー参照願います)
ギャランサザンクロス
ちょうどその頃、タバコ屋世代は同志社大学自動車部で
の4年間を過ごした訳で、そのNIPPONの栄光にあやか
りたいたいと思うのは人情というもので、部内でもラリー
は大人気でした。しかし光には影がつきもので、ラリー
熱がさかんになるにつれ、競技者、オフィシャルを問わ
ず重大な事故や大怪我、はては死亡事故も発生する
ようになり、警察としてもこれを放置する訳にはいかず、
我々が現役時代に主催した同志社ラリー第4回と5回を
もって、その後は公道でのラリーは許可が降りなくなり
ました。

その間タバコ屋は幹部を拝命していた訳ですが、同志
社ラリーは平尾センセを始めとする熱心な部員とOBの
献身的な努力によって4回、5回と奇跡的な成功を収め
たのでしたが、その前後では重大な事故も発生し、死亡
事故には至らなかったものの、タバコ屋としては最終責
任者としてのトラウマが今でも残っています。
多分、上山君、野尻君の代でも似たような苦い経験をお
持ちではないかと推察致します。
16071210.jpg
この写真は、それから数年後、懐かしの新町ガレージ前
と思われる場所で恐らくミツビシ・ギャランGSハードトップ
ラリー仕様車をバックに写した写真と思われます。右端
の「パンタロンな人」上山青年と森君はわかるのですが
あとは誰なんだろう?。
後日追加
上山青年よりのご指摘で、左横は野尻君の同期の樋口
君、また左端は同じく同期の山藤君であることが判明しま
した。
S30Z-6-1.jpg
血気盛んな野尻君も、居ても立ってもおれず、前の記事
でご紹介したように立っちゃんの先輩から幸運にもS30Z
を購入し、幹部時代以降を過ごしたのでした。
(関連記事:今出川慕情 vol.3:野尻君の青春1参照願い
ます)
7月22日12
ビックリポンなことに、野尻君はオクルマ競技用の国内
A級ライセンスを取得していたようで、大したものだと感
心します。タバコ屋なんかせいぜい簿記の3級を取得し
たくらいですから。
S30Z-12-1.jpg
夜間走行における野尻君の愛車S30Zです。こうして見
ると、かつてNISSANワークスのエース、R・アールトーネ
ンが240Zを駆り、雪のチュリニ峠をサイドブレーキターン
という神技を駆使しながら力走しているようなイメージが
浮かびそうです。
S4792-1.jpg
そのような訳で、かつてのように公道でのラリーが大らか
に認められない社会風潮とそれに伴う警察の規制の中
で、大学自動車部連盟が模索した新たな活路はクロー
ズドされたサーキットを使用した変則的なラリーである
サーキットラリー」なる新競技でした。これもタバコ屋が
幹部時代に始まったものですが、尾篭な話しながら丁
度その頃、タバコ屋は痔を患い郷里の中島に帰って島
の赤ひげ先生に執刀手術を受け療養中でしたので、
この新しい競技であるサーキットラリーは全く未経験の
まま卒業に至りました。

写真はその第1回サーキットラリーが鈴鹿サーキットで行
われた時のものだと思うのですが、同期の平尾センセ、
九州のラーメン王こと末永氏、同期一番の力持ち庄坪氏、
一期後輩のジャンボ奥村氏、らが中心となって精力的に
チャレンジしてくれたことを後から聞かされました。

尚、競技車であった部車のスカイライン2000GTのエンジ
ンフードは全開にされ、誇らしげに同志社のロゴマーク
が描かれていますよね。間違っても放射能のマークでは
ありませんので念のため。タバコ屋は我が母校のマーク
はシンプルでお気に入りです。
(関連記事:異説:007私を愛したスパイ参照願います)
16071214.jpg
さて上山、野尻君の代の鈴鹿サーキットラリーの模様で
す。タバコ屋は松山出身の明治期を代表する俳人正岡
子規でもないでしょうが、当時病に臥せっていたので、
未だにルールさえわかっていないのです。
7月19日 (11)-1
その時の、同志社自動車部オールキャストです。この時
は妙にこざっぱりした上山青年が左端に見て取れます
が後日のギンギラギンにパンタロンで決めまくった上山
青年とは別人のようでタバコ屋にとっては謎の一つです。
16071216-1.jpg
野尻君から頂いた膨大な写真の中から拾い出したカケ
ラの中で、これだけはご紹介しておきたい写真です。
野尻君からかつて鈴鹿サーキットでバイトがありその時
生沢徹選手からジャンパーにサインをもらった話しは前
の記事でご紹介しましたが、後ろのフォーミュラカーから
判断してどうもその時の写真ではないかと思うのですが
右端の肥塚君と隣の鈴木君はタバコ屋の2期後輩で、
二人とも人柄の良い好青年でした。特に鈴木君はかつ
てF1日本GPにおいてNIPPON人初の3位入賞を果たし
た鈴木亜久里選手似の長身ハンサムボーイでした。
タバコ屋の記憶では性格は極めて温厚で、しかも要領
が悪く、損な役柄を率先してやるようなタイプだったと
記憶しています。
IMG_1941.jpg
これはタバコ屋が4回生の時に実施した北海道遠征で
函館郊外において例の抜き打ちランニングを強行して
いる模様です。全員かなりバテておりしんがりの鈴木君
はあえぎながらも完走を目指しています。
これを旗艦スカイライン2000GTの車中で指示したのは
誰あろうタバコ屋だった訳で、鈴木君ばかりをしごいた
のではないことを実証するためタバコ屋は数日後旭川
へ向かう見渡す限りの直線道路に於いて同様のことを
自らに課し実施しましたので、鈴木君始め部員達への
トラウマはありません。
(関連記事:今出川でのこと vol.3:地獄の北海道遠征
参照願います)

ただ極めて残念なことに、鈴木君はよもやまさか卒業を
待たずして天に召されてしまったのです。心残りです。
後日訂正
上山氏よりご指摘があり、鈴木君が亡くなったのはご卒
業後、住友生命にご勤務の時だったそうで、推察ながら、
生き馬の目を抜くような激しい職場の中で彼の優しい性
格が災いしてしまったのかも知れません。タバコ屋に一
言ご相談頂けていれば、上司のところに殴り込みを掛け
ていたものを。返す返すも残念です。
北海道遠征15
さてこの写真は野尻君の代に同志社大学創立100周年
を記念して実施された遠征の時のものだと思われます
が、それが北海道だったのかどうか、タバコ屋には判断
が出来ませんが、いすゞエルフを先頭に整然とコンボイ
で艦隊走行が行われている様子です。
後日追加
野尻君のコメントにより、この写真は一連の北海道遠征
時の記録写真の一枚と判明しました。
北海道遠征18
さてここは何処なんでしょう。部車の大量部員輸送車で
あるMAZDAマイクロバスが停まっています。我々の時
代から現役だったこのオクルマは直線走行が苦手種目
でダッチロールが得意でした。少しスピードを上げた時
などはかなり怖い思いをしたのはタバコ屋だけではなか
ったと思います。ご覧の通り、ボディに対しホイールベー
スが極端に短か過ぎますよね。
後日追加
野尻君のコメントにより、MAZDAマイクロバスに同志社
創立百周年記念遠征と書かれているのは北海道遠征
であったことが判明しました。よくよく見れば後ろに大雪
山国立公園の看板が見えますのでまぎれもなく北の大
地北海道です。
北海道遠征17
旗艦スカイライン2000GTです。L型エンジンはこれがGT
かと思うくらい眠くて重いものでしたが、とにかくノントラブ
ルで、我々の北海道遠征の時も他のオクルマが次々と
へたってしまうのを横目に無傷で5,000キロ以上を走破し
ました。トテモ頼りになるオクルマでした。
後日追加
後で見直してみてやや気になったのが旗艦スカイライン
2000GTをドライブしている某幹部のドライビングポジショ
ンです。少なくともタバコ屋時代には大切な部車を運転
する場合、片肘運転というのは許されるものではありま
せんでした。とっさの対応が出来ないばかりではなく、
同志社大学自動車部という看板を背負っている訳です
から人目というものもあります。ちなみにP・フレール先
生にしろ、R・アールトーネンにしろ、A・セナにしろこの
ようなドライビングポジションを取っているのをタバコ屋
は見たことがありません。
DSCN9568-1.jpg
余談ながら、その40年後にそのエンジンと基本的に同じ
シロモノを搭載したくず鉄同然のS30Z-280改を入手し
5年を要してレストアとフルチューンをやってしまい、後で
死ぬほど後悔しつつあるタバコ屋はここだけの話し自分
でもバカなOSSANだと思います。ただしエンジンだけは
チューニング次第でこれがあのL型かと思うくらい軽い
吹け上がりとなりましたが、それはSOLEXという特殊兵
器で武装する必要がありました。
(関連記事:蘇る青春 vol.2:旧車恋しや参照願います)
北海道遠征14
さてこの写真は北海道なのかどうか、そうであるとすれ
ば、数え切れないほどの湖の名所の一つでしょうが、
霧の摩周湖なのかはたまた阿寒湖なのかそれとも・・・。
後日追加
野尻君のコメントによりここは霧の摩周湖であることが
判明致しました。それにしては見事な快晴ですよね。
ちなみに左端が「パンタロンな人」の若き日のお姿であ
るとはタバコ屋には信じがたいのですけど。
北海道遠征25
蛇足ながら、タバコ屋の代の北海道遠征時の霧の摩周
湖です。高石かつ枝ちゃんでもないでしょうが、あの頃は
みんな若かったんです。ちなみに左より憂いを含んだ表
情から同志社の太宰治と言われていたギーちゃんこと元
兵庫県警のエライさん森本氏、同志社自動車部のマドン
ナこと鈴木女史、三条麩屋町のイトハン福ちゃん、九州
のラーメン王こと末永氏(実家を継ぐより二谷英明先輩
を頼って日活に入社したほうが良かったのでは)、それ
と恥ずかしながら、夢もTOUHATUも一杯あったかつて
のタバコ屋です。
7月22日2-2
かくして野尻青年の今出川での4年間は終わりました。
数々の甘苦い思い出を残して、恒例の弁慶楼にて昭和
52年度卒業生歓送会が挙行されました。こうして見ると
野尻君の代は卒業生が14名おり、タバコ屋の代が13名
でしたからそれよりも一人多い訳で40年経った今、今後
のOB会での活躍が切に望まれます。
duac-09.jpg
これは伝統的に卒業生に対し自動車部より送られる卒
部の記念ペナントでタバコ屋も当時の品はほとんど残っ
ていないにも拘わらずこのペナントだけは後生大事に保
存しています。TO M.NOJIRIと書かれているのがはっきり
見て取れますよね。野尻君卒部おめでとう。
7月29日2-1
最後になりましたが、この写真があの野尻青年だなんて
今の上山青年同様、誰が信じてくれましょう。しかし、
頭部のあるパーツは上山青年やタバコ屋よりも格段に
まともで羨ましい限りです。

現役の大社長を前に釈迦に説法ながら、今元気で生か
されているご自分に感謝し、自動車部OB会が何をして
くれるかではなく、OB会のために何が出来るかをご一
緒に考えようではありませんか。でも既に野尻君は今回
自動車部時代の貴重な思い出写真を提供されることに
より多大な貢献を果たしつつあると思います。

次回はいよいよ野尻青年シリーズの最終回として、卒業
後の野尻君のオクルマ遍歴をご紹介したいと思います。
お楽しみに。

★★島のタバコ屋の独り言★★
【4月10日:ああ創業100年】    島のタバコ屋は先々代が呉服屋を創業以来3代目となり、その間戦後間もない頃には島のバス運営事業を試みる等様々な営みを経て今日に至っています。皆さんよくご存知のNIKONも創業100年なんですが、比較にはならないものの同じ時代を生きてきた訳です。かつてオハイオのメアリーズビルで活躍する夢を抱いたこともあった青年も年を取りました。さて今後の100年をどのように生きて地域のお役に立っていくか、タバコ屋にとっては後継者である倅への「死に土産」としてそのコンセプトを確立しておく必要があると考えています。しかし倅にとっては年寄りの余計なおせっかいに写るかも知れませんよね。
◆◆島のタバコ屋メニュー◆◆
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