福井巡礼 vol.6:ああ旧車よ(中篇の続き)

平成29年7月17日
クノッソス宮7
巡礼団4人衆は膨大な旧車コレクションを前にして、まる
でクレタ島の迷宮(ラビリンス)クノッソス宮殿にでも迷い
込んだ如くになりました。
クノッソス宮2-2
途中には悩ましいお姿をした数々のオクルマが微笑ん
でおり、その都度そのお姿に見とれることになると、一行
は果たしてその迷宮から出て来られるのでしょうか。
MGTF
あれはいつの頃の事だったのか・・・。タバコ屋がこのオ
クルマかっこいいな!と思ったのは。遠いセピア色の記
憶を辿ってみると、多分その皮切りは小学生時代、タバ
コ屋の母校松山東高校の先輩でもある故、伊丹十三氏
が愛用した大英帝国のスポーツカーMGだったと思うん
です。(伊丹先輩はTFでしたがタバコ屋の思い出にある
のは初期のTDでした。写真はTFです)さっそく安モンの
プラモデルを組み立て、後生大事に飾っていたのを思い
出します。
DSCN3589.jpg
時は過ぎ、今から思えばタバコ屋の先代は随分キカイ
好きで、SONYのバカ重いオープンリールのテープレコー
ダーを愛用し、ショウバイのセンセの講義録を熱心に聞
いていたのを覚えています。さてその父はタバコ屋が高
校3年の頃、ということは昭和43年(1968年)なんですが、
NISSANサニー4ドアセダンを購入しました。タバコ屋は
まだ免許がなかったので横に乗せて貰うだけでしたが
随分モダンな印象がありました。博物館にはその同じ年
に登録されたサニークーペが展示されていました。
サニー1000クーペ-3
タバコ屋がMG-TDの次にかっこいいなと思ったのは実は
このサニークーペでした。スリムで無駄のないボディに当
時としては斬新なファストバックデザインを採用したとても
おしゃれなオクルマでした。リアゲートが跳ね上げ式では
なく、トランク部しか開かない形式でしたので実用面では
今一つでしたが、スマートさに惹かれて購入した人が多
かったのではないでしょうか。リアトランクのエンブレムが
またかっこよくて・・・。
サニー1200GX-6
サニーで特徴的だったのはその軽量(645kg!)でスマ
ートなボディもさることながら、軽やかに吹け上がるエン
ジンでした。A型エンジンと呼ばれ、L型エンジンとともに
NISSANの屋台骨を支えた看板エンジンでした。L型の
重くて眠い特性とは真逆で、ビューンと軽快によく回り、
給排気が同じ側にあるターンフローでしかもOHV機構
のいわば古めかしいメカだったにも拘わらず性能は抜
群で、後に傑作エンジンと呼ばれるようになりました。
旧ミニ-16
ルーツはミニなどにも搭載された大英帝国のオースチ
ン製エンジンで、戦後の一時期NISSANにとってはオー
スチン社がセンセだった訳です。見た目もそっくりだと
思いませんか。
さてサニーの評価ですが、「隣のクルマが小さく見えま~
す」なんていうセコいCMを流す前の初代サニーは軽量
コンパクト、必要十分の動力性能を備え近代的大衆車
の草分けとして高度成長時代を切り開いた意味で「アッ
パレ」を差し上げます。
DSCN3590.jpg
続いてはNISSANチェーリーです。こちらはサニーより
やや遅れて開発されたものの、合併前の旧プリンスが
総力をあげて開発した意欲作で、前輪駆動横置きエン
ジン、2層式ギヤボックスレイアウト等、アレック・イシゴ
ニス博士が発明したオースチン・ミニのメカをそっくりパ
クッたものでした。エンジンはNISSANと合併したために
サニーと共通のA型エンジンを横置きにして搭載されま
した。それにより偶然ながらパッケージデザインからエン
ジンまでオースチン・ミニの完全パクリ版となりました。
以後、大衆車クラスはすべてこの合理的なレイアウトが
採用されることになりますが、アレック・イシゴニス博士
はさぞかし面目躍如たるものがあったことでしょう。
展示車は昭和昭和45年(1970年)の登録ですから、タ
バコ屋が同志社大学自動車部2回生の頃のものです。
チェリーX1-2
チェリーはその斬新なメカもさることながら、ネーミング
同様可愛らしいデザインが特徴で、特にスポーティ版で
あるX・1はグリルのオレンジ色のウインカーランプが特
徴的で結構精悍なフェイスとなりタバコ屋にとってはサニ
ークーペの次にかっこいいなと思ったオクルマでした。
チェリーX1-3-1
リアがまたシンプルながらも可愛らしいデザインでタバコ
屋のお気に入りでしたが、Jラインと呼ばれるCピラー周
辺のデザインは今一つで、斜め後方視界はゼロに近く、
もっと他に方法があったように思います。
ケンメリスカイライン1
余談ながら、このデザインコンセプトは4代目スカイライン
通称「ケンメリ」にも引き継がれ、確かに個性があり格好
良かったのかも知れませんが、斜め後方視界ゼロという
悪しき伝統は引き継がれました。
チェリーX1-25
チェリーのエンジンはサニーと同じA型OHVエンジンを
横置きに搭載しエンジン下部にギヤBOXをくっつける
方法でプロペラシャフトを省略し、軽量(670kg!)かつ
広いキャビンを確保することに成功しました。写真は
スポーティ版のX・1のものですがSUツインキャブでチュ
ーニングし、1200ccで80馬力程度ながら車重がメチャ
軽いためキビキビとよく走りました。
北陸遠征-1
ところで、そのチェリーX・1と同志社大学自動車との間
には深いご縁と思い出があるのですが、いったん話せ
ばフェアレディZの記事よりも長くなってしまいますので、
かいつまんでお話し致しますと、昭和46年(1971年)、
タバコ屋が自動車部の幹部を拝命した3回生の時です
が、大阪ニッサンチェリーより、新発売を記念して光栄に
も、モニターとして我が自動車部に1年間そのX・1を貸与
して頂ける事になったのです。
S575-1.jpg
当時はモータースポーツの一環としてレースほどオカネ
が掛からないラリーが盛んで、我が自動車部も「同志社
ラリー」を主催し第3回まで開催するに至っていました。
部内にもラリーおたく、メカおたく、レースおたく、部活の
取り仕切りおたくと、そのカテゴリーにおいてそれぞれ得
意な科目でグループ化していたのですが、このチェリー
X・1貸与のお話しは平尾センセを中心とするラリーおたく
にとっては願ってもないおいしいお話で、その後平尾セン
セを中心に部員一丸となり、何と第4回、5回と続けさまに
同志社ラリーを成功させたのでしたが、その裏でコース
作成の試走にはこのチェリーX・1が縦横の働きをしてく
れたのでした。その間、筆舌に尽し難い様々なトラブル
も経験し、苦渋の決断もあったりしましたが、幸い死亡
事故等による破滅的なアクシデントが起こらなかった事
は不幸中の幸いだったのかも知れません。

蛇足ながら、写真は同志社ラリーのコース作成で試走
中に写した若き日の平尾青年と庄坪青年です。チェリー
X・1を挟んでお二人の胸の三つ葉のクローバーが誇ら
しげです。
チェリーX1-34-1
さてチェリーの評価ですが、当時としては極めて斬新な
エンジン横置き前輪駆動車として、特にX・1は和製ミニ
クーパーとして颯爽とデビューし、タバコ屋を始めとする
オクルマ好きの若い衆をビビらせた点で「アッパレ」を差
し上げたいと思います。ただし横置きミッションゆえにシ
フトチェンジには無理があり、特徴的なゴキッというシフ
トフィールだったのには「喝」です。

蛇足ながらメカオンチのタバコ屋にとってはシフト方向が
ギヤBOXと直角になる構造のシフトってどうやってやるん
だろうと今でもミステリーの部分です。
DSCN3540.jpg
次はNISSANブルーバードです。当時NISSANはフェアレ
ディと言い、このブルーバードと言い、オーナー自らが
夢に溢れたネーミングをし、それが多くの人に愛された
という微笑ましくものどかな時代でもありました。展示車
は昭和55年(1980年)の登録ですから6代目ということに
なります。
ブルーバード3
ブルーバード、幸せを運ぶ青い鳥ですよね。初代が発
売されたのは昭和34年(1959年)ですが、その後例の
ピニンファリーナがデザインしたタレ尻の2代目となり、
タバコ屋の青春時代にはスーパーソニックラインと呼ば
れる直線的でスマートなデザインの3代目となりました。
ブルーバードは2代目以降曲線デザイン、直線デザイン
を交互に繰り返し、直線デザインのみが成功するという
ジンクスが出来、その中でも最も成功したのがこの3代
目でした。
P510サファリ仕様-1
当時NISSANは世界に打って出ようと目論んでいる最中
であり、世界に認めてもらう手っ取り早い方法として、世
界ラリー選手権に果敢に挑戦しつつありました。我らが
裕ちゃんこと石原裕次郎が映画化した「栄光への5,000
キロ」で一躍有名になったDATSUNブルーバードP510-
SSSは、エドガー・ハーマンのドライブにより、昭和45年
(1970年)悲願のサファリラリー総合優勝を遂げることに
なりました。タバコ屋が大学2回生の頃の出来事です。
P510サファリ仕様-3-1
ビックリポンのこのお写真はタバコ屋の1期後輩で、京
都の某和紙製品老舗のいとはんである福ちゃんが銀
座のニッサンギャラリーに立ち寄られた際、偶然P510
ワークス仕様車が展示されてあった時のものを頂いた
貴重なお写真です。尚彼女からは掲載許可を頂いてお
りますので念のため。

ついでながら、彼女が同志社大学自動車部在籍中には
ご両親におねだりしてブルーバード1600SSSを買って貰
い、クラブのガレージに乗り付けたものの、心ない先輩
に無断乗車され、乙女の心はいたく傷付いたとか・・・。
その時無断乗車したやつ、出て来い!。
サファリP510-3
ブルーバードの評価につきましては、ある意味昭和40年
代のNIPPONを代表するオクルマでもあり、その国際ラリ
ー特にサファリラリーでの活躍により世界で最もタフで壊
れないオクルマというイメージを獲得したことは「アッパレ」
印以外にはあり得ません。ただしチェリー同様そのシフト
フィールはポルシェシンクロ特有のグニュッとした感覚で
メリハリがなく、シフトの爽快さという点ではサニー等の
ワーナータイプに数段劣っており、「喝」でしょう。
DSCN3560.jpg
さてオクルマ好き、ラリー好きの御三家メーカーと言えば
昭和40年代当時、NISSAN、ミツビシ、スバルだったので
はないでしょうか。その中でもマニアックでメカ志向のや
や変態っぽい方が好まれたのがSUBARUだったと思う
んです。その理由は独創的なメカニズムにありました。
写真はSUBARU1000で昭和42年(1967年)登録のもの
です。
スバル1000-11
SUBARU1000が独創的だったのはそのメカニズムで、
水平対向4気筒(BOXER)エンジンを縦置きにし、前輪
駆動としたことでフラットで広いキャビンを生み出しまし
た。ボディデザインもシンプルで無駄なラインがなく好
感が持てるものでしたが、2代目以降は徐々にやぼっ
たいデザインとなり、タバコ屋の好みからはズレていき
ました。そのBOXERエンジンはボロボローという独特の
エキゾーストノートを発し、マニア好みの個性的メカニズ
ムと相まって後にスバリストと呼ばれる熱烈ファン集団
を生み出すこととなりました。

余談ながら、それまでもっぱら欧米車の技術のパクリを
重ねてきたNIPPON車でしたが、SUBARUのエンジニア
の意地の結晶でもあるこのオクルマのメカは初めて欧
米のエンジニアの注目するところとなり、アルファロメオ
のコンパクトセダン、アルファ・スッドにはSUBARU1000
のメカが丸パクリされたことは知る人ぞ知る裏話です。
上山君1
今回の巡礼団4人衆の一人、タバコ屋の3期後輩で通称
パンタロンな人」上山青年もメカマニアの例に漏れず、
SUBARUの熱心な信奉者で、自動車部在籍中から中古
の1300G・SPORTSを購入し武骨なラリータイヤを装着し
て乗り回したようですが、雪深い福井のご出身という出
自が影響し、その後はSUBARUの4WDを延々と乗り継
ぎ、VOLVO等の遍歴の後、最近BMW・330Xi(4WD)と
いう誰も買わないようなオクルマを購入された由、変態
メカマニアの面目躍如たるものがあると思いませんか。

さて、SUBARU1000の評価ですが、その独創的メカニズ
ムにより欧米の技術者の鼻を明かしたという点で「アッ
パレ」を差し上げたいと思います。2代目以降のデザイ
ンについてはその野暮ったさに対し「喝」でしょう。
DSCN3561.jpg
ミツビシギャランGTO・MRです。昭和46年(1971年)登録
となっていますから、タバコ屋が大学3回生の頃のオクル
マです。GTOは当時流行り始めていたスペシャリティー
カー、もしくはアメリカンマッスルカーの草分け的な存在
で、ギャランの派生車でした。
ギャランGTO-2
そのエンジンルームです。ギャランンのSOHC1600cc
エンジンをDOHC化したものを搭載し高性能を誇りまし
た。ボンビー学生だったタバコ屋はこんな高級なオクル
マには乗ったことがありませんが、ギャランのフツーの
セダンには乗ったことがあり、そのエンジンはNISSAN
のL型エンジンとは雲泥の差で軽やかに吹け上がりまし
た。しゃれにもなりませんが、ギャラーンというようなエ
キゾーストノートだったのを覚えています。
ギャランサザンクロス
当時のミツビシはNISSAN同様ラリーに力を入れていて
オーストラリアのサザンクロスラリー等に果敢に挑戦し
昭和47年(1972年)には名手アンドリュー・コーワンの
ドライブでギャランが悲願の初優勝を果たしました。
奇しくも丁度同じ年、NISSANはフェアレディ240Zでサフ
ァリラリー総合優勝を果たし、日本が最も輝き始めた時
代でした。
大阪産業大ラリー1
突然の写真で恐縮ながら、これは今回の巡礼4人衆の
ご先達である平尾センセの若かりし頃の写真で大阪産
業大学主催のラリーで初優勝した時のものと推察され
ます。尚、撮影は自動車部今出川ガレージ前です。

ラリーおたくの平尾青年がミツビシの活躍に影響を受け
ない筈はなく、彼の愛車はギャラン1600GSでした。それ
にしても平尾センセのお若いこと。ABURAぎってますわ。
DSCN3564.jpg
マツダの広場に移動します。マツダのアイデンティティ
(自己証明)は何かと言えばロータリーエンジンですよね。
写真は世界初の実用・量産ロータリーエンジンを搭載した
マツダ・コスモ・スポーツです。
ロータリーエンジン1
アイデアは超革新的ではあったものの実際は出来損な
いのヴァンケルエンジンの特許をボッタクリ価格で当時
のNSU(現アウディ)から買い取ったマツダはその後聞く
も涙、語るも涙の苦闘により世界で初めて実用化に成
功したことはNHKのプロジェクトXにも採り上げられまし
たよね。展示車の登録年度は昭和43年(1968年)で、
タバコ屋が高校3年生の時のものです。
コスモ24
さてロータリー・コスモの評価ですが、誰も成し得なかった
夢のロータリーエンジンを実用化し搭載したということに
対し「大アッパレ」を差し上げたいと思います。ただし妙に
現実感のない宇宙的(まさしくコスモ)ボディデザインは
好みの問題でしょうがタバコ屋は「喝」です。
ずっと後のMAZDA787Bによるルマンでの執念の総合優
勝のお話しなどは別記事で紹介していますし長くなるの
で今回は省略致します。
DSCN3563.jpg
続いては、マツダ・カペラです。展示車の登録が昭和45
年(1970年)ですから、タバコ屋がハタチの青春真っ盛り
の頃のオクルマです。カペラの特徴は何と言っても夢の
ロータリーエンジンを搭載していたことです。結果として
ゼロヨン加速は凄まじくGTRと互角かそれ以上の15秒台
でした。ただ哀しいかな、バカッ速いのが取り柄ではある
ものの、当時としては二流メーカーの哀しさ、前回の記事
でも申し上げた「イメージの構築」及び「アイデンティティ
の確立」がまったく出来ておらず、正直なところタバコ屋
世代の話題にも上らないオクルマでした。そういう訳で
夢のロータリーエンジンを実用化し、またそれを実用セダ
ンに搭載した快挙には「アッパレ」を、またイメージ戦略の
稚拙さには「喝」を差し上げたいと思います。「愛のスカイ
ライン」に対し「風のカペラ」では勝負になりませんよね。
DSCN3541.jpg
浦島太郎の如く、まばゆいばかりの旧車達を目の前にし
て、鯛やヒラメの舞踊りを堪能しつつある巡礼団ご一行
ですが、次は我がHONDAのコーナーです。SONYと共に
戦後のNIPPONを牽引してきた双璧のメーカーと言えば
HONDAですよね。創業者本田宗一郎は原動機付き自転
車、バタバタからスタートしベンリイ号やカブ号の大ヒット
によりあれよあれよと言う間に二輪車のトップメーカーへ
とのし上がったのでしたが、次なる一手は四輪車への進
出でした。
ホンダS800-2-1
宗一郎の目論みはまずバイクのエンジン技術を応用して
360ccエンジンを開発し、それをこともあろうに軽のトラッ
クに搭載したのでした。しかし彼のホンネはスポーツカー
をやりたかった訳で、その証拠にそのエンジンとは凝り
に凝ったDOHC4気筒4キャブレター仕様で、当時参戦し
ていたF1エンジンの技術!が流用されていました。
その後、すぐにS600・800が発表され、非常にいびつな
形で、四輪車参入を果たしたのでした。

写真の展示車S600は昭和39年(1964年)登録で、タバコ
屋世代より一世代上の方々が憧れたオクルマにて自動
車部で言えば3期上の石黒先輩が乗られていたのを覚
えています。
ホンダS800-3-1
タバコ屋も一度だけ横に乗せてもらった記憶があります
が、その乗り心地はスパルタンを通り越してまるで戸板
の上に乗っているような感覚でした。一方そのコクピット
は非常に斬新で、またギヤシフトはカチッとした感じの
極小ストロークで、節度のあるものでした。
F1メキシコGP
余談ながらS600・800の設計者は元ヒコーキエンジニア
でHONDA-F1の監督を務めた中村良夫さんでした。彼
はまっとうで賢い技術者でしたが、きかん坊の宗一郎氏
はなかなか勝てないF1に業を煮やして彼と対立し、勝手
に別の空冷マシンを開発した挙句J・シュレッサーの事故
死という痛ましい事態となり、F1撤退に追い込まれたこと
はHONDAの負の歴史としてタバコ屋の記憶に痛々しく残
っています。
DSCN3582.jpg
軽四トラックにDOHCエンジンを積むなんていう無謀な
ことをやらかしたその記念すべきオクルマがコレで、
ボンネットには初期のHONDAロゴマークが描かれてい
ます。尚、このオクルマは珍しい雪上車仕様!です。
DSCN3580.jpg
町工場あがりのオッサン経営者、本田宗一郎氏が全身
全霊を傾けて開発したのがこのN360でした。HONDAに
とっても四輪車に参入したのはいいものの、軽四トラック
とスポーツカーではオクルマメーカーとしての面目が立
たず、是非とも大衆乗用車の開発が必要でした。

まだ若かった宗一郎氏は不眠不休で開発に没頭し、極
めてユニークと言うか、バイクエンジンを流用したような
空冷!4サイクルSOHC2気筒エンジンを完成させたので
した。独創的なエンジン同様、パッケージもモダンな前輪
駆動方式でボディデザインも当時の常識を覆すシンプル
かつ可愛らしい2BOXカーでした。ま、言ってみれば和製
ミニのパクリ版であり事実宗一郎おじさんはミニの影響
を相当受けていたと思います。展示車は昭和44年(19
69年)登録ですから、タバコ屋が大学に入学した年のも
のでやがてその2年後には大伴先輩からこの通称Nコロ
のお下がりを譲り受けることになるのですが・・・。

その結果、当時は若者だった団塊の世代に爆発的な支
持を受け、大ヒットとなり販売台数ダントツ1位のオクル
マとなったのでした。ただその大成功の後遺症?として
宗一郎氏はF1エンジンを始め市販車のエンジンも排気
量を問わずすべて空冷でなければ気が済まず、その拘
りがあだとなり、F1での失敗や若手エンジニアとの空冷
水冷理論を巡って深刻な対立を招き、天才技術者として
の限界を示すことになりました。

蛇足ながら、事実として空冷が適しているのはエンジン
が外気にさらされるバイクのしかも500cc程度までの小
中排気量のノリモノに適したメカニズムだと思います。
(大排気量のゼロ戦も空冷でしたが大空で冷気に晒さ
れるのでオクルマとは全く状況が異なります)
DSCN3577.jpg
本田宗一郎の信念を具体化したオクルマの代表として
HONDA1300がありますが、写真の展示車は昭和45年
(1970年)登録の1300クーペ9です。
ホンダ1300エンジン-2
HONDA-1300の最大の特徴としては、空冷に拘る本田
宗一郎氏の信念によりF1マシン、RA302からのフィード
バックである一体式二重空冷(DDAC)と呼ばれる冷却
方式を採用した空冷エンジンを用いていた点で、そのス
ペックはオールアルミ製 1,298 cc 直4 SOHC 8バルブ
クロスフローで、当時の1.3 L級エンジンとしては驚異的
なシングルキャブレター仕様で100馬力、4連キャブレター
仕様は115馬力!を発生しました。

ただエンジンに力を入れすぎたために重くなり、また足
回りがそれに付いて行けず、フロントヘビーによるアン
ダーステアやタックインといった挙動で、乗りにくいオク
ルマになってしまい、宗一郎氏渾身の作にも拘わらず
N360の成功作に比べ世紀の失敗作となってしまったの
でした。
ホンダ1300クーペ11-1
ただそんなこととは夢にも思わないタバコ屋はひたすら
HONDA神話を信奉しまた自動車部の同期の連中もこの
1300にはぞっこんだったと思います。それが証拠に2期
先輩の下村キャプテンは奈良のオウチが裕福だったの
かどうか、発売間もない1300クーペ9の新車!を購入し
普段のアシにしてました。
ホンダ1300クーペコクピット
タバコ屋は一度だけ横に乗せて頂いたことがあるのです
がそのメカと言い、ボディデザインと言い、コクピットと言
い、当時の国産車とは一線を画するスポーティでアカ抜
けたシロモノで、後にタバコ屋が自称HONDA-PTA会長
を拝命する一因ともなったオクルマでした。
HONDARA109(V10)-14D.jpg
余談ながら、タバコ屋は軽やかに吹け上がるエンジンに
ぞっこんで、重くて眠いNISSAN-L型にはあまり良い印象
を持ってなかっただけに、8,000rpm!までストレスなく吹
け上がるHONDAエンジンは大のお気に入りでした。まし
てやその後のF1での大活躍は強烈なインパクトとなり、
自称HONDA-PTA会長を拝命したのでしたが、今となっ
てはそれも遠い日の懐かしい思い出となりつつあります。

さてHONDAの評価です。創業者の本田宗一郎氏の志
やよし、それには「アッパレ、アッパレ」ですが、ご自身が
あまりにもオクルママニアだったためメカに懲りすぎたこ
とには「喝」でしょう。そのレベルは客の要求をはるかに
超えていたにしろ、「過ぎたるは・・・・」という事なんです。
DSCN3598.jpg
さて国産車のシンガリは王者トヨタです。トヨタも最初か
ら王者であった訳ではなく、地道な開発、改良と丁寧な
販売活動によってその地位を築いたのですが、技術の
NISSANに対し販売のトヨタと言われ、それはタバコ屋が
ハタチの頃からだったでしょうか。写真はそこに至る前
のトヨタが開発したスポーツ800で、展示車は昭和40年
(1965年)の登録ですから、まだタバコ屋が中学生だった
頃の作品です。この可愛らしいオクルマはHONDA-S600
・800のよきライバルとして当時の若者の憧れとなったの
ですが、HONDA同様、元ヒコーキのエンジニアが設計し
ただけあってメカ及びボディは斬新かつ独創的で、エンジ
ンはパブリカの流用ながらボディは空気力学を取り入れ
た抵抗の少ない形状でしかも徹底した軽量化により重量
は僅か580 kg !に抑えられていました。
S800-2.jpg
余談ながら、今回の巡礼4人衆の一人、越前アオリイカ
こと野尻君は自動車部時代初期にこのオクルマに乗っ
ていた幸福な青年のお一人だったようですが、お聞きす
るとお父様がメチャオクルマが好きなお方(エンスー)で
まずかなりくたびれたスポーツ800を購入し、続いて中古
のパブリカを買ってきて主な部品をすべて移し変えて完
成させたワンオフカー(手作り別注品)だったそうで、蓼
食う虫も好き好きというのはこのお方のためにある言葉
ではないでしょうか。う~んその執念に脱帽ですが、一
方、大切なお父様のオクルマをパクッて京都で乗り回す
ご子息がいたとは、言語道断のようにも思われます。ま、
お父様が倅のために作られたのならハナシは別です。
S800-7.jpg
トヨタスポーツ800の評価ですが肩肘張ったものでなく、
慎ましくも可愛らしい国産初のライトウエイトスポーツカ
ーとして「アッパレ」を差し上げたいと思います。
DSCN3620.jpg
次は言わずと知れたトヨタのドル箱車種カローラですが
ブルーバードとともに当時のNIPPONを代表するオクル
マでしたよね。展示車は昭和48年(1969年)登録で発売
4年後のものですが、高度成長期の絶頂を迎えようとし
ていた当時、カローラVSサニー、コロナVSブルーバード
の開発競争及びシェア争いが激しく行われました。挙句
の果ては「となりのクルマが小さく見えま~す」なんて言
う品性に欠けるCMの登場となりました。

その熾烈なシェア争いに関して、専門的なお話しながら
トヨタは敵の2倍の販売力を持つには4倍の戦力を投入
する必要があるといういわゆるランチェスターの法則
実践したのでした。この法則は第二次大戦で投入戦力
とその結果(勝敗)を科学的に研究したランチェスター
によって発見された法則なんですが、戦後は戦争では
なく実業の世界でも応用されるようになりました。その
方程式は2乗または平方根の数式ながら、逆に言えば
4倍の戦力で戦ってやっと2倍の効果があらわれるとい
うことで、技術で劣っていたトヨタがNISSANを抜くため
に人、物、カネを販売に集中的に投入した結果、徐々に
引き離すようになり、やがてNISSANがどのように努力
しようと二度と追い付けないことになったのです。
結果は三河あきんどの勝利に終わったのでした。
DSCN3618.jpg
続いてはそのカローラの派生車種でスポーティ版と言う
より本格的なメーカーチューング車であるレビンです。
特徴はエンジンでセリカ1600GTから移植された2T-G型
1.6L のそれは、2バルブながらも高度なDOHCが採用さ
れ、115馬力を誇っていました。また当時流行のオーバー
フェンダーを装着し、ボンビーな若者の垂涎の的でした。
展示車は昭和48年(1973年)の登録ですから丁度タバコ
屋が大学を卒業した年になります。

世にボーイズレーサーという言葉があるようですが、この
オクルマはまさにそれで、高性能かつお手頃価格のオク
ルマに飢えていた当時の若者はこぞってこのレビン(しか
も中古車)のお世話になったのではないでしょうか。ライ
バルはNISSANサニー1200GX-5で、どちらとも甲乙付け
がたい魅力があったように覚えています。
DSCN3619.jpg
さて、販売のトヨタと言われながら性能イメージで劣って
いたトヨタですが、そのダルい!イメージを払拭したのが
セリカではないでしょうか。写真の展示車はセリカ・リフト
バックGTで昭和49年(1974年)の登録ですからタバコ屋
が大学を卒業した翌年のものだと思います。
セリカ6
セリカは昭和46年(1970年)に発売されましたが、日本
初のスペシャリティ・カーとして70年代に一世を風靡した
オクルマですよね。そのずっと後の4代目にはWRC(世界
ラリー選手権)への挑戦にからみ、4WDシステムを備えた
GT-FOURを発売するに至り、初代から数えて20年後!
の平成2年(1990年)に名手カルロス・サインツの手によっ
て日本車初のドライバーズタイトルを獲得することとなっ
たのですが、販売のトヨタのみならず技術のトヨタとなり
得た歴史的な一瞬でした。
DSCN3543.jpg
ご先達の平尾センセが3期後輩の上山青年にレクチャー
しているオクルマは5代目セリカGT-FOURですが、偶然
にもC・サインツが4代目セリカを駆りドライバーズチャン
ピオンに輝いた同じ年の平成2年(1990年)に登録された
ものです。ワークスカラーに塗られていますが、本物の
ワークスカーかどうかは確認出来ませんでした。

勢いに乗ったトヨタはこの5代目セリカをインタークーラ
ーやターボで重武装し、再びWRCに挑戦、3年後の平
成5年(1993年)には名手C・サインツを擁して並み居る
世界の強豪ランチア、アウディ、プジョー等を蹴散らし、
悲願のドライバーズ&メイクスダブルタイトルを獲得、
ついに世界の頂点に上り詰めたのでした。
セリカWRC-1
平尾センセのレクチャーの中味は推察ながら「なあ上山
よ、トヨタもこのセリカで世界一になったんやけど、やっぱ
4WDやないと世界では通用せ~へんのやなあ。」とか。
受講生の上山青年も普段はかなりの論客ながら、相手
が先輩にて、フムフムとかいう感じで神妙に聞き入って
いる風情です。

まったくの余談ながら、タバコ屋はその頃に何をしていた
かと申しますと、当時全国で急成長中だったホームセン
ターを中島で開設すべく研究中でしたが数年間の開発
期間を経てそのトヨタの快挙と同じ年の4月、ついに念
願の島で唯一のホームセンターを開設するに至りまし
た。コホン。
DSCN3613.jpg
さてトヨタのというか国産車の最後を飾るのは言わずと
知れた、珠玉の名車トヨタ2000GTです。展示車の登録
は昭和44年(1969年)となっていますが、形式には前期
型と後期型があり、各部のディテールからして後期型で
すが、この年はタバコ屋がちょうど同志社大学自動車部
に入学?(入部)した年なんです。
DSCN3614.jpg
トヨタ2000GTは、トヨタとヤマハが共同開発し、実際の生
産はヤマハが担当したいわゆるOEM(委託)生産車で、
昭和42年(1967年)から数年間販売された国産初の超高
級スポーツカーでした。
トヨタ2000GTエンジン-1
開発の裏話として当初ヤマハが企画した夢のスポーツ
カー構想をNISSANに持ち込んだのですがNISSANでは
既にフェアレディZの企画が始まりつつあり断られた結
果、トヨタに採用されトヨタの設計陣との共同開発という
ことになりました。芸術品のようなエンジンはトヨタのクラ
ウン用2M型エンジンをヤマハが改良チューニングし、ヘ
ッドをDOHC化するとともに当時としてはレーシングカー
用だったSOLEXキャブを3連装するという夢のようなスペ
ックでした。その結果150馬力を発生しましたが今でこそ
大した数字ではないものの、ベースの2Lエンジンの馬力
が100馬力程度であったことを考えると5割増しであり、
当時の国産2Lクラス市販車では最強馬力を誇りました。
007トヨタ2000GT-1
発売時の価格が238万円で、トヨタ自動車の高級車であ
るクラウンが2台、大衆車のカローラが6台買える程に高
価でした。昭和42年(1967年)当時の日本における大卒
者の初任給がおおむね2万6000円前後であったので、
現在の価格に換算すると1500万円から2000万円程度の
超高額車でした。

トヨタはその価格で販売しても赤字だったそうですが、世
界への宣伝の意味があった訳で、そのせいもあって話題
にはことかかず、娯楽映画「007は二度死ぬ」でも定番の
ボンドカーであるアストンマーティンDB5とは別に写真の
若林映子さんが乗るトヨタ2000GTロードスター(別注品)
が採用されました。裏話として若林さんは免許を持ってお
らず実際の走行シーンはカツラを被った別の男性が運転
したそうです。
トヨタ2000GTコクピット-4
タバコ屋の思い出としては、自動車部時代5年先輩で通
称ミナミのパチンコ王と言われた西山さんのキャデラック
をご自宅まで運転して行った時、トヨタ2000GTがドドーン
と鎮座しており、その後何度かクラブのガレージにも乗っ
て来られました。タバコ屋ふぜいはこの世のものとは思
われないそのオクルマにただただ憧れと畏怖を感じて
そっとフェンダーを撫でる程度ではあったもののヤマハ
のピアノ木工技術を駆使したそのコクピットは芸術品の
如きに輝いていたのをはっきり記憶しています。
トヨタ2000GT-11
さてトヨタ2000GTの評価ですが、浮世離れしたオクルマ
だけに恐れ多く評価も何もあったものではありません。
しいて言えば高度成長時代の技術革新の頂点とも言う
べきこのトヨタ2000GTは発売に際し、当時の長時間走
行スピード記録を塗り替える等、NIPPONが世界にその
技術を誇らしげに示したことに対し「大アッパレ」を差し
上げたいと思います。またそのデザインといいクオリティ
と言い、非の打ち所がなくこれはもうオクルマというより
は「神(ゴッド)」と申し上げたほうがよろしいでしょう。

巡礼団4人衆はこれでやっと国産車を回り終えたのです
がまだ外国車が残っています。ふ~。
それにしても昭和30年代後半から40年代にかけての国
産車を見て回りそれぞれに忘れ難い思い出があるので
すが、不思議なことにフェアレディZの実車での思い出と
いうものがまったくないのです。あれだけの名車でカーグ
ラフィック等の雑誌を華々しく飾っていたにもかかわらず
先輩の誰も乗っていませんでしたし、京都の街中でも滅
多に見ることはありませんでした。
IMG_2789-1.jpg
それゆえ卒業後40年もたってからせめて「死に土産」に
乗ってみたいと思うようになったのかも知れません。
誓って申しますが、一部宇治方面のアオリイカ大魔王
氏が目論んでいる様なこれでレジェンド・オブ・ラリー
に出場し篠塚建次郎氏に一泡吹かせるなどという野望
を持っている訳ではありません。
しかし40年以上も前の昭和48年(1973年)に製造され
たオクルマをまともに走らせること自体が大変なことで、
そこには「地獄のレストア」が待ち構えていようとは当時
夢にも思いませんでした。
手前味噌になりますが、この度タバコ屋の「赤いお嬢ち
ゃん」は2度目の大規模なレストア及びチューニングを
実施し見違えるように若返ったことをご報告致します。
そのいきさつについては別の記事にて詳しくお話しする
ことに致しましょう。山口百恵ちゃんでもないでしょうが、
「♪緑の中を走り抜けてく真っ赤なZ~」なんて。
S30Z-4.jpg
後日談ながら昨年4期後輩の野尻君から膨大なお写真を
頂いた時、彼が現役時代そのZのオーナーだったのを知
りビックリ仰天し、何やら戦友に巡り会ったような懐かしい
気分がしたのですが、それ以後彼とは親密な交友が始ま
り今日に至っています。

タバコ屋は今回の記事で迷宮から這い出たかったのです
が、国産車だけで紙数が尽きてしまいました。外国車に
ついては次回の記事でお伝えすることに致します。お楽し
みに・・・。長時間のご精読有難うございました。

福井巡礼 vol.5:ああ旧車よ(中編)

平成29年6月22日
今回いよいよ昭和40年代のオクルマ達を見て回ること
にします。タバコ屋達、巡礼団4人衆はやっとの思いで
大聖堂の奥に静かに佇む聖母マグダラのマリアならぬ
初代フェアレディZ432にご対面です。
マグダラのマリア1
一部ワタナベのホイールやシビエのヘッドライト以外は
ほぼ発売当時のオリジナルの状態が保たれていました。
ボディカラーはZ432純正色なのかどうか、朱赤のような
カラーでしたが、S30Zの純正色であるグランプリ・レッド
とはやや異なっているように見受けられました。
DSCN3547.jpg
マグダラのマリア様のおなかの中味を拝見することなど
罰当たりで恐れ多いことながら、多分エンジンルームは
このようになっていると推察されます。言わずと知れた
S20エンジンで、日産に合併する以前のプリンスが開発
したプロトタイプレーシングカーR380に搭載されたレース
用GR8型エンジンをデチューンしたものですよね。
S20エンジン1
スペックはZ432の由来でもある4バルブ、ソレックス3キャ
ブレター、ツインカム(DOHC)で160馬力を発生しました。
当時としては夢のようなエンジンでタバコ屋世代はただ
ただ「仰げば尊し」の存在でした。しかし実際は相当ナー
バスなエンジンで調整が難しく、またZに搭載した場合は
車体の剛性が低いため高速で振動が激しくなる欠点が
あり、レースでは実力を発揮出来ませんでした。つまり
(私見ながら)相性が悪かったということです。

Z432の名誉のために申し添えますとタバコ屋の所属す
るクラブS30のお仲間でANAの国際線パイロットである
某氏の愛車Z432は完璧なチューニングで素晴らしい状
態と性能を保たれています。稀なことでしょうけど。
DSCN3549.jpg
この博物館は粋な計らいがされていて、ナンバープレー
トに登録年月日が表記されているんです。即ちこのオク
ルマは日本製で昭和45年(1970年)に登録されたという
ことです。初代フェアレディZが発売されたのは昭和44年
(1969年)ですから、発売1年後のオクルマということでし
ょうか。

昭和45年と言いますとタバコ屋が同志社大学自動車部
2回生でしかもハタチの頃ということになり、今や当時の
思い出はセピア色に褪せてはしまったものの、人生で
最も多感な時期ではありました。
フェアレディZ5
当時は高度成長時代、モータリゼーションの真っ只中で
戦争で打ちのめされたヒコーキ産業にかわりNIPPONが
カデン産業と共に今後の国の夢を託したジドーシャ産業
が熱にうなされた如く開発に明け暮れた時代で、目まぐ
るしいくらいに次々と新しいオクルマが発売されましたが、
その中でも一際異彩を放ったのがフェアレディZでした。
フェアレディアメリカ試走-1
その開発背景として当時北米NISSAN社長だった片山
豊氏の国際的視野に立った新型スポーツカーの開発
要請に基づき、基本コンセプトの具体化及び車両設計
は東大卒の優秀な設計技師だった植村斎氏を中心と
するチームが、またデザインは神戸生まれの異端児、
松尾良彦氏を中心とするチームが担当し、何と、東洋
の小さな島国からやがて世界を席捲するスポーツカー
が生み出されたのでした。尚、写真中テンガロンハット
を持たれているのがZ開発の中心人物、植村氏です。
片山豊氏Z-2
ちなみに片山豊氏がZの開発を促すにあたり、そのイメ
ージとして伝えた言葉は「ジャガーEタイプみたいなスポ
ーツカー作ってよ」だったそうです。写真は後日片山氏が
アメリカでは発売しなかったロングノーズのZGを日本か
ら取り寄せご自分の愛車としてモディファイしたものです
がある意味ジャガーEタイプよりデザインも性能も洗練さ
れたものとなり、「Z生みの親」である片山豊氏ご自身は
面目躍如たるものがあったと思います。
フェアレディZ2
結果として販売開始直後からアメリカで大ヒット、1978年
までの10年間で世界総販売台数55万台(日本国内は8
万台)という空前の大記録を打ち立て、ジャガー、ポルシ
ェ等世界の強豪を押しのけて世界で最も売れたスポーツ
カーとなりました。当時ジャガーやポルシェは1万ドル以
上したのですが、初代フェアレディZは約3分の1の価格
3,600ドル前後と、当時世界一の文明国アメリカに於いて
は一般庶民でも無理をすれば手の届く価格だったことか
ら、プアマンズポルシェまたは秘書などを務めるやや上
級のオフィスレディがよく購入したことからセクレタリーズ
カーなどと陰口を叩かれたこともありました。
(しかしあの重いステアリングを秘書のお嬢ちゃんはど
うやって乗りこなしたんだろう?)
240Zサファリ1-2
またNISSANは満を持して発売したこのフェアレディZを
当時宣伝目的もあって積極的に参戦していた国際ラリー
に投入しました。特に世界で最も過酷なラリーと言われ
たサファリラリーにおいて初参戦の昭和46年(1971年)
E・ハーマン、H・シュラーのコンビは見事な走りでポルシ
ェ、フォード等他のワークスチームを蹴散らし、前年の
ブルーバードP510の優勝に続き2年連続での総合優勝
という快挙を成し遂げました。
240Zモンテ11
続く翌昭和47年(1972年)雪のモンテカルロラリーでは
名手R・アールトーネン(サイドブレーキターンで有名)は
狭く曲がりくねった道路でのハイスピード走行には不利
なロングノーズ、FR車のZを駆り天才的なドライビングに
より奇跡の総合3位入賞を果たしました。彼の話しによ
ればDATSUN240Zは直線では明らかにポルシェ911よ
り速かったそうで、当時の我等がNIPPON若者衆として
は神様、仏様、240Z様の心境でした。
240Zモンテ5-1
このような快挙が、血気盛んなオクルマ好きの若者の
心を捉えない筈はなく、タバコ屋などは当時大学2回生
だったと思うのですが、カーグラフィックの速報記事を読
んで、手に汗握ったものでした。
240Z-1.jpg
一方、国内では当初PRINCEの桜井真一郎氏を中心と
するワークスチームが開発したレーシングカーR380の
流れを汲むツインカムのS20エンジンを搭載したZ432を
国内レースに投入したものの振動が激しく思うような性
能が発揮出来ずその後NISSAN製のL型SOHC2.4Lエン
ジンに換装してからは目覚ましい活躍を見せ、当時の
NISSANワークスドライバー北野元選手(京都出身)が
昭和48年(1973年)全日本鈴鹿1000kmレースにおいて
総合優勝を飾ったことなど今となっては懐かしい思い出
です。
フェアレディZ9
ついでながら日本国内では2LのS30Zと高性能なツイン
カム仕様Z432の2タイプが売られたのですが広大なアメ
リカでは高速巡航性能重視のため排気量を2.4Lにアップ
した240Zが販売され「DATSUN・Z(ダッツン・ズィー)」また
は「Z・CAR(ズィー・カー)」の呼び名で親しまれました。
当時のアメリカでのNISSAN車はDATSUNブランドで売ら
れていたのです。
ダットサンエンブレム4
余計なことながら後日談として、NISSAN首脳はブランド
統一(CI再構築)のためDATSUNブランドを廃止しました
が、結果としては大失敗で販売ががた落ちとなりました。
タバコ屋に言わせれば机上またはコンサルが進言する
CIの統一などと言うものは吐き違いをしていてむやみに
ブランドを変更したりするものではないのです。何故かと
言えば、そのブランド醸成には長い年月が掛かっており
それ自身の自己証明書みたいなものだからです。
NISSANにとっては極めて恥ずかしいことに今ではブラ
ンド変更の失敗例として大学のセンセの講義材料にな
っているそうですから、悔しいですよね。

タバコ屋の独り言、「当時の日産の責任者、出て来い
と言いたい。「おまえら、何してんねん!」と言いたい。
4才から前垂れ掛けて道端の草にまで「こんにちは」と
言って来たタバコ屋にしてみれば、こんな商いの大切な
基本を無視するようなアホな決定を誰がしたんやと責め
たい気持ちになってしまいます。

前回の記事同様、再びクールダウンが必要ですが、それ
はもう言いますまい。さて上記の如くNIPPONの夢を託し、
アメリカで爆発的な人気を勝ち得たポクらの240Zでした
が、当時ボンビー学生だったボクら、即ちタバコ屋達は
国内仕様のS30Z、輸出仕様の240Zなんて和製スーパ
ーカーであり、まして購入なんて夢のまた夢で、言わば
「坂の上の雲」のオクルマでした。
フェアレディZコクピット1
ちなみに日本国内での販売価格が当時90万~100万程
度、アメリカでの価格が排気量が違うにしても130万程度
だった訳で、今の価格に換算すると550万~600万くらい
になるので、やはりボンビー学生などお側に寄れるオク
ルマではなく荒稼ぎして銀座、キタあたりで豪遊している
お兄さんか、もしくはえーとこのボンが親にねだってお乗
りになるシロモノでした。

たとえ買えはしなくても、当時のタバコ屋を始めボンビー
な若者の憧れとしてフェアレディZは存在していたように
思います。
DSCN3548.jpg
以上長たらしい解説はさておき、ヘッドライトはシビエ製
に換えられていました。実は当時の照明技術は今から
思えばショボイものでヘッドライトはもとよりコクピットの
各種計器類の照明もろくに役に立たないくらいのレベル
でした。このオーナーもたまりかねてシビエに換装され
たのだろうと思うのですが、確かにハロゲンランプでは
シビエと言うのは一流ブランドで、我らボンビー学生もか
つて憧れた一品でした。
シビエ1
余談ながら、先般元祖宇治のアオリイカ大魔王こと平尾
センセに、タバコ屋の赤いお嬢ちゃんのヘッドライトが暗
いとグチを漏らしたところ、さっそく煽り攻撃を受け、シビ
エのヘッドライトを買わされました。いつ装着するか迷っ
ているところです。また大阪豊中の別のアオリイカ青年
からは手持ちのシビエドライビングランプを親切にもご送
付頂いたのですが、サイズが巨大過ぎて装着を断念しま
した。
さてフェアレディZの評価です。その栄光の歴史と現車の
素晴らしい保存状態には「超アッパレ!」なんですが、
これほどの博物館にS30(2L版)もしくはHS30(240Z)が
無かったことには「喝!」でしょうか。

蛇足ながら、初代Zはその後アメリカの厳しい排ガス規
制の洗礼を受け、また徐々にゴージャスなGTの方向に
軌道修正された結果、片山氏、植村氏、松尾氏、ひいて
はタバコ屋達が夢見た颯爽としたライトウエイトGTカー
のコンセプトは壊れてしまい、現在のだるくて重々しい
Zに成り果ててしまいました。タバコ屋の激しい失望は
皆さんのご想像に任せることに致します。
DSCN3604.jpg
次に初代フェアレディZと共に、昭和40年代を代表する
オクルマ界の2大スターの一台である3代目スカイライン
2000GTのコーナーに行く前にそのお父さんである2代目
スカイライン2000GTを見ることに致しましょう。
写真はスカイライン2000GT-AかBか確認し忘れたので
すが、外観のイメージからは想像がつかないほど速い、
そうしたクルマのキャラクターを示すのに「羊の皮をかぶ
った狼」という言葉が初めて使われたと言われているの
が、昭和39年(1964年)に誕生したスカイライン 2000GT
-A/Bです。Aタイプはシングルキャブなのに対しBタイプ
はウェーバーキャブ3連装で武装した高性能版で、個人
的にはこのBタイプこそが「羊の皮をかぶった狼」に相応
しいと思います。
2代目スカイライン4-1
コクピットにしても、まるで零戦のそれを移設したような
ビジネスライクなもので、タコメーター、スピードメーター
を中心に、油圧、電流、水温、燃料の各種計器を配した
その出で立ちは、タバコ屋世代にとってはそのスパルタ
ンなムードと共に決して忘れられない室内風景です。
ステアリング中央には誇らしげにPRINCEのロゴが貼ら
れていて、まるでイタリアの毒サソリ、アバルトを彷彿と
させますよね。
第2回日本GP-3
余談ながら、そもそも2代目スカイラインは昭和30年代
後半から過熱しだした自動車メーカー(ワークス)同士の
戦い、即ちその集大成であり絶好の宣伝ともなった日本
GPに勝利を収めるべく各社しのぎを削る中で、プリンス
が第2回日本GP(昭和39年(1964年)開催)に於いてGT
-II(1001〜2000cc)のカテゴリーでクラス優勝を果たす
ために開発されたオクルマでもありました。1500ccクラス
のボディに2000ccのエンジンを無理やり押し込んだので
すから、当然高性能となり、実際のレースでは式場壮吉
氏のPORSCHE・904VS生沢徹氏のスカイライン2000GT
との一騎打ちとなりました。
第2回日本GP-2
理論的にも実際も式場壮吉氏のPORSCHE・904の圧勝
となったのですが、途中一瞬ながら生沢徹氏のスカイラ
イン2000GTがポルシェを抜いたラップがあり、そらもう当
時の観客は総立ちで、単純にもプリンスがPORSCHEに
勝ったなどと勘違いをしたのですがそもそもレース目的
に開発されたプロトタイプスポーツカーのPORSCHE904
にフツーのセダンであるプリンス2000GTがどんなに逆立
ちしようとも勝てるはずがなかったのです。
第2回日本GP-1
しかしイメージというのは恐ろしいもので、その第2回日
本GPにおいて一周なりともプリンスがPORSCHEを抜い
たという事実のみが誇張され、いわゆる「スカイラインは
我らの神なり
」という伝説が誕生することになりました。

タバコ屋はこれらの鮮烈な事実を体験したうえで、究極
の商いというのは「イメージの構築」だと思うようになり
ました。販促も安売りも要らないんです。企業イメージの
構築(アイデンティティの確立)こそ、各企業が目指すべ
きものなんです。

母校同志社において、かつては経済学部の平山センセ
が「経済原論」などと言ってカビの生えたような講義を懲
りもせずお話され、他の教授も五十歩百歩似たようなも
ので、ゼミに進級してからもそのクオリティの低さは覆い
がたく、最新の流通理論を学びたいという夢は果たせず
同志社大学そのものに対し多大な幻滅を感じたタバコ
屋でしたが、当時の過激派学生のように「授業料返せ」
とまでは言う勇気がありませんでした。と言うより、その
うちに自動車学部での幹部としてのオシゴトが山積し、
本来のオベンキョウは放ったらかし状態になりました。

その結果、タバコ屋は皮肉にも大学の講義ではなくオク
ルマの世界での見聞によって「商いの真髄」を知ること
となりました。その真髄とは「自分は何者かというアイデ
ンティティ(自己証明書、個性)の確立」と「良きイメージ
の構築」だと思います。
DSCN3603.jpg
そのような時代背景の下で昭和43年(1968年)日産との
合併を経てプリンス荻窪で開発された3代目スカイライン
2000GT(通称ハコスカ)がデビューしたのでした。展示車
両は後期型で、フロントグリルのデザインが初期型より
も洗練されたものになっています。それが証拠にナンバ
ープレートには発売4年後の昭和47年(1972年)製となっ
ていますよね。
スカイライン2000GTR-16
さてスカイライン2000GTことスカGですが、話せばブログ
記事3回分の長さになるくらいタバコ屋及びタバコ屋世代
にとっては思い出深いオクルマゆえにここは読者のご迷
惑を考えて簡潔にお話しする必要があります。
スカイライン2000GTR-7
まず、第2回日本GPにおいて「神」となったスカGは3代目
となってその集大成と言うべく、国内レースにおいて空前
の52勝という大記録を打ち立て、やがて神から一歩前進
し「不滅のスカイライン神話」となったのでした。

またフェアレディZが2シーターのスポーツカーであったの
に対し、スカGは2ドアハードトップ/4ドアセダンであり実
用的であったことと、当時のお値段がGTRの150万は例
外としても2000GTが80~90万だったことから、我々庶民
の中でも比較的オカネ持ちの家では無理をすれば買え
た価格でした。
スカイライン2000GT-2
スカイラインはGTRのレースでの活躍によってメチャ高性
能なオクルマという「イメージ!」が確立しそれによって大
ヒットした訳ですが、この「イメージ戦略」というのが商い
にとっては最も高級で重要なことであることがわかります
よね。ただ3代目スカイライン(通称ハコスカ)のキャッチ
フレーズは広告代理店の電通あたりが考えたものかも知
れませんが「愛のスカイライン」で「なんのこっちゃ」と思い
ますが、4代目が「ケンとメリーのスカイライン」ですから、
キャッチフレーズと言うのは荒唐無稽で非現実的なもの
が好まれるのかも知れません。
L型エンジン
ところで、フェアレディZ432とGTRにはプリンス製DOHC
4バルブのS20エンジンが搭載されたのですが、フェアレ
ディS30Zとスカイライン2000GTにはそれとは逆に日産
製のSOHCターンフロー(吸排気口が同じ側にあるもの)
式のL型エンジンが搭載されました。このエンジンはとに
かく丈夫に作られていたのですが、その結果重くて眠い
エンジンとなり、軽快な吹け上がりを期待して購入した
ユーザーをがっかりさせるものでした。
IMG_6034-1.jpg
それにまつわるお話として、タバコ屋が同志社大学自動
車部3回生の時、クラブ員の皆がアルバイトで稼いだお
金をもとに中古の3代目スカイライン2000GT4ドアセダン
を部車として購入したのでした。もうそれはそれは「神」
のごとく部車の旗艦としてまた幹部専用車として大切に
されましたが、「竜頭蛇尾」の言葉どおりレースでの輝か
しいイメージとは裏腹に重々しいフィーリングのオクルマ
で、タバコ屋は内心ああ、竜のアタマをイメージしていた
のに蛇のシッポだったのかと、やや失望した思い出が残
っています。
スカイライン2000GT-15
尚、L型エンジンの名誉のために申し添えますと、それ
だけチューニングのキャパシティが大きかった訳で、事
実L型2000ccエンジンはボアアップと高速走行用チュー
ニングを施した場合は、見違えるようにレスポンスが良
くなり、もともとトルクが大きく扱い易いエンジンであった
ため、スカGはもとより、フェアレディZとの相性も良く、中
でもワークス240Zは国際ラリーで驚異的な活躍を見せ、
また国内レースで240ZRはS20エンジン搭載のZ432を
凌ぐ大活躍を果たしたのでした。
鉄人28号3
さて桜井真一郎氏を中心とする旧プリンスチームの渾
身の作品であるスカイライン2000GTの評価ですが、極
めてNIPPON的な感性のGTとして、またレースでの輝か
しい実績に対して「アッパレ」を差し上げたいと思います。
しかしタバコ屋が抱いていた颯爽と軽やかに「ビューン
と飛んでく鉄人28号
」というイメージに対しては「喝」で
しょう。

今回は一気に40年代オクルマ見学を済まそうと思った
のですが意に反しフェアレディZとスカイライン2000GT
のことだけで紙数が尽きてしまいました。まだまだ書き
残したことは多いのですが、このあたりで終わりに致し
ます。次回は昭和40年代を彩ったその他のオクルマ達
を駆け足で一気に見て行く事に致します。お楽しみに。

福井巡礼 vol.4:ああ旧車よ(前編)

平成29年6月15日
前の記事で、タバコ屋は何故「ゆのくにの森」などという
名前を付けたのか意味がわからなかったのですが、ま
わりをよく見ると加賀温泉を始め山中温泉、その他温泉
だらけで後になってなるほどそうだったのかと思った次
第です。印象深いその「ゆのくにの森」を後にし、同釜4
人は自動車部OBとして是非とも訪問しておかねばなら
ない聖地「日本自動車博物館」を目指します。ここは我
々にとってはエルサレムよりも永平寺よりも本願寺より
も果てはガンジス川の畔よりも崇高な場所なのです。
モーゼ3
その聖地はあっけないほど近くにありました。「ゆのくに
の森」から北へ少し走って国道8号線に行き当たる少し
手前の閑静な場所にいきなり場違いとも思われる建物
が出現したのでした。ああモーゼよ、紅海が二つに割れ
ようが割れまいが、約束の地カナン改め小松の地に導
いて頂いた事に感謝致します。

これも後から知ったことですが、「ゆのくにの森」も「日本
自動車博物館」も加賀市ではなくお隣の小松市に所在
しており小松市としては加賀温泉に来られたお客をうま
く取り込むというなかなか賢いやり方です。
14737417385.jpg
建物の外観はまるでベルサイユ宮殿か赤坂の迎賓館か
と思わせる重厚なもので、やはり美術館とかコレクション
ホールと言われるものはまず入れ物からして「華」がなく
てはなりません。大英美術館にしてもルーブル美術館に
してもドロボーして自分のものにした世界の遺産を誇らし
げに見せびらかすその神経は厚顔無恥レベルではある
ものの、そのプレゼンテーション自体は洗練されたもの
ですよね。(但し、今からでも遅くないから返却しなさい)

英国よ、フランスよドイツよロシアよ、強欲、搾取、強奪、
あなた達は時代に沿ったとは言え何と破廉恥なことをし
て来たのでしょうか。大航海時代の前段で活躍したスペ
イン、ポルトガルに至っては言語道断で、強盗国家と断
定してもよく、当時のチンケな世界地図を前にして半分
っこしようやなどと笑止千万な目論見を企てたと言いま
すから呆れ果てます。
帆船9
勝てば官軍という言葉があるのはタバコ屋とて知らない
筈はありませんが、人類としてあまりにも品性に欠ける
行為をやり過ぎたと思わないのでしょうか。タバコ屋の
独り言、「おまえら毛唐連中、許さへんど

ま、今回のテーマとは関係ない事でカッカすることもない
ので、しばしクールダウンすることに致します。
DSC_3865-1.jpg
実は福井巡礼の少し前、スケジュールが決まった後、何
もかも皆さんにMARUNAGEでは申し訳ないと思い「日本
自動車博物館」にどのようなオクルマが保存展示されて
いるのか調べてみようと思い立ちました。博物館のHPを
拝見するとタバコ屋お目当てのフェアレディS30Zが展示
リストにないのです。え~日本屈指のコレクションを誇る
この博物館にS30Zがないなんて、嘘やろ~と思いました
がその代わり後ろに補助座席の付いたフェアレディZ2+2
とGTRと同じDOHCエンジンを搭載したフェアレディZ432
がリストアップされていました。ま、百聞は一見に如かず
でまずは見学あるのみです。
DSCN3535-1.jpg
建物に入る前からして、すでに他を圧する威容を漂わせ
つつ、かつての大英帝国のオクルマのシンボルである
ロールスロイス・シルバーシャドウのお出迎えです。我ら
同釜4人のうちアオリイカ3人衆がさっそく記念撮影です。
DSC_3866-1.jpg
余談ながら、シルバーシャドウが発売されたのは昭和40
年(1965年)で、タバコ屋がまだ中学生の頃でしたので
知る由もなかったのですが、後日今出川時代にオクル
マに興味を持って以降はプレステージサルーンとして
世界で最も気品と格調のあるデザインだと思うようにな
りました。
ゴースト12-1
ちなみにその後継車種であるゴーストはプレステージカ
ーのカテゴリーにおいてタバコ屋が世界で最もお気に入
りのデザインです。乗ることは一生ないでしょうけど・・・。
DSCN3537-1.jpg
気のはやる一行は横のリンカーンには目もくれず、正面
エントランスからそそくさと入館したのでしたが、さて膨大
なコレクションをどのように見学するか、修学旅行ではな
いので、別に打ち合わせた訳ではありませんがタバコ屋
なりに一定のテーマは携えて来ました。そのテーマとは
我ら同釜が今出川時代に親しんだオクルマ」を見学す
ることでした。

タバコ屋の定義によれば、戦前から敗戦直後(昭和30年
年代前半まで)のオクルマをクラシックカー(ビンテージカ
ー)と呼び、昭和30年代後半から40年代及び50年代にか
けてのオクルマをネオクラシックカー旧車)と呼びます。

今回、「今出川時代」と言うことはNIPPONのオクルマ産
業が最も輝き熱病にうなされた如く成長、発展した昭和
40年代のオクルマ達を見たいという下心がありました。
DSCN3559.jpg
博物館側では粋な計らいをしていて、昭和30年から40
年にかけて日本のライフスタイルをイメージする展示ブ
ースをしつらえていました。そうなんです、こういうイメー
ジのもとでボクらは育ったんです。
梅ちゃん先生16-1
つつましくも向上心に燃え、3種の神器(じんぎ)と言われ
た、白黒TV、冷蔵庫、洗濯機を購入するという夢に憧れ
た時代でした。昭和40年代になるとその夢は更にエスカ
レートし3C即ちカラーTV、クーラー、マイカーへと高度化
していきました。我々同釜4人はまさにそのうなぎ上りの
狂気の時代に青春時代を過ごした訳です。
B29空襲4-1
さて太平洋戦争の敗戦によりアメリカによって完膚なき
までに叩きのめされたNIPPONのヒコーキ産業ですが、
敗戦後行き場のなくなったそのヒコーキ産業の若きエン
ジニア達は活路をオクルマ産業に求めました。その萌
芽となったのは昭和20年代に試みられた数々の国産車
開発でした。お目当ての狂気の時代(昭和40年代)のオ
クルマを見る前に、それまでの時代のオクルマを見学す
ることに致します。
DSCN3569.jpg
まずは昭和30年(1955年)発売のフライングフェザー号
です。メーカーは何と現在ではカーペット製造の大手で
あるスミノエ織物の子会社であった住江製作所製で、
日産自動車出身の富谷専務が中心となって開発されま
した。当時の国産小型セダンと言えばダットサンでした
が、それよりも更に小型軽量のオクルマを企画開発し
発売したものの、前輪ブレーキを省略する等の超合理
化!や、簡素すぎる装備・デザインにより評判が悪く、
わずか50台足らずの生産で中止されたようです。

ただタバコ屋は世間の評判とは全く逆で、このオクルマ
を実用軽自動車としてではなくスポーツカーとして見た
場合、タイヤはまるでバイクのように超大径で、ボディは
超軽量(400kg!)、まるでイギリスのライトウエイトスポ
ーツカーの趣があり、前輪ブレーキがない等は論外と言
うか笑ってしまうものの、造形も斬新かつ個性的でむしろ
GOODデザインだと思うんです。
オースチン・ヒーレースプライト6
愛嬌のあるヘッドライトなんかオースチン・ヒーレー・スプ
ライトを彷彿とさせるじゃないですか。
DSCN3570.jpg
リアデザインにしても、初代フェアレディZで松尾良彦氏
が試みたコーダトロンカ(リアエンドをスパッと切ったデザ
イン)が採用されていて、なかなかモダンで渋いです。

本日の見学評価の目安としてフライング・フェザー号に
は「アッパレ!」印を差し上げたいと思います。以下、
関口宏さんのサンデーモーニングのパクリにて、タバコ
屋のお気に入りには「アッパレ!」、気に入らないものに
は「喝(かつ)!」を差し上げたいと思います。
DSCN3574.jpg
続いて、コニー・グッピーです。このオクルマはかつて存
在した愛知機械工業が、昭和36年(1961年)に発売した
軽商用自動車(ピックアップトラック)なんですが、今とな
っては笑ってしまうほどつつましいスペックで、排気量は
何と200ccの空冷エンジン、車両重量は290kgとメチャ軽
く、しかも4輪独立懸架を備えたユニークなものでした。

さてこのオクルマの評価ですが、商業的にはデザインが
ダサく、性能もメカがユニークな割にはパッとせず、失敗
作としてやがて生産中止となりました。したがって「喝!」
印を差し上げたいと思います。
ヂャイアント号1
実はこのオクルマにまつわるオハナシが2つ程あるんで
す。一つは昭和20年代の新興メーカーだった愛知機械
は「ヂャイアント号」というトラックを製造していて、島の
タバコ屋の先代はゴフク屋でありながら島で最初のバス
事業を試みるにあたり、その運行車両としてコンパクトな
「ヂャイアント号」をバスに改造し、ろくな道とてない島の
デコボコ道を果敢に走らせたのでした。
IMG_0048-1.jpg
しかし道路整備に金はかかるは、しょっちゅう故障で走る
よりピットに居座る時間の方が長いはではショウバイに
はならず、結果大赤字となり、悪戦苦闘した訳でしたが
昭和28年の開業5年後の昭和32年に旧中島町がバス
事業を丸ごと引き受け町営バスとなり、それにより先代
は危機を脱したのでした。

タバコ屋は当時4~5才だったのですが、ガソリンの懐か
しい匂いと、子供なりに大きなオクルマだったのを鮮明
に覚えていますが実際は現在のミニバン程度の大きさ
で乗車定員も10人程度だったのではないでしょうか。
ダットサンベビー1
もう一つのオハナシはその後、愛知機械工業はうまくい
かなくなり昭和40年(1965年)頃より日産自動車と業務
提携するに至ったのですが、昭和45年頃(1970年頃)
その日産が神奈川県の遊園地「こどもの国」の遊戯車
用にダットサン・ベビイという可愛いオクルマをコニー・
グッピーのパーツを使って開発し100台程製造したので
したが、何とそのデザインには初代フェアレディZの主な
デザインスタッフだった松尾良彦氏が入社前の職場体
験時に関わったそうで、知る人ぞ知る意外な裏話ですよ
ね。

愛知機械工業は結局、昭和45年(1970年)日産自動車
に吸収され日産の子会社となったのですが、生産面で
はエンジン、トランスミッション等一部の精密部品の製
造に特化しまた販売面では日産・コニーから日産・チェ
リーを経て現在のレッドステージ店系列に吸収されまし
た。

ビックリ・ポンながら、愛知機械工業の技術力は相当優
秀で、現行ZやGTRのトランスミッションを始めミツビシ・
ランエボⅧのマニュアルミッションは愛知機械製だと言い
ますから大したものだと思います。元「故障だらけのヂャ
イアント号」の末裔?として誇らしく思います。
コニーフランシス1-1
脱線ついでの余談ながら、コニーと言えば我ら団塊の
端っこの世代で思い出されるのは、コニー・フランシス
ですよね。戦後のオールディーズと呼ばれるアメリカン
ポップスの代表的な歌手としてその甘ったるくも伸びの
ある歌声で世界中を魅了しました。
コニーフランシス3
代表曲は「大人になりたい」「ボーイハント」「夢のデイト」
「ヴァケイション」など多く、日本では弘田美枝子や伊東
ゆかり等がその日本版を歌いこれまた大活躍しました。

コニー・フランシスはその歌もさることながら、イタリア系
のオカラダもよくご成長され、上半身のある部分などは
重いほどたわわに実っており、吸引?は望めないまでも
せめて両手で支えてあげたいほどです。
DSCN3585.jpg
さて続いてダイハツ・初代ミゼットです。昭和32年(1957
年)発売のこのオクルマは通称「バーハンドルミゼット」と
呼ばれます。特徴は単座(座席が一つ)でバーハンドル
という最低限の仕様で、屋根と背面は幌であり、ドアも付
いていませんでした。エンジンは空冷2ストローク単気筒
249 ccで最高出力は8馬力!、最高速度60 km/h、燃
費は驚異的で28km/L、最大積載量は300 kgで車両総
重量は306 kgという超軽量でした。

タバコ屋が7才の時に発売されたシロモノであり、奇しく
もヂャイアント号が中島町営バスに移管された年です。
映画3丁目の夕日を彷彿とさせるノスタルジックな造形
で、ほのぼのとしたジドーシャの黎明期を感じさせます
よね。
さてこのオクルマの評価ですが、プリミティブなメカと造
形ながらシンプルで無駄がなくまた可愛さを感じるデザ
インにて「アッパレ」印を差し上げたいと思います。
カラーリングなんか黄色とグリーンの2トーンカラーに塗
り分けられていてまるでロータスのようでもあり、なかな
かオシャレじゃないですか。
DSCN3583.jpg
初代ミゼットに続きわずか2年後の昭和34年(1959年)に
発売された2代目ミゼットは通称「丸ハンドルミゼット」と呼
ばれるものです。特徴は嘴の形状を連想させるノーズ部
分とジドーシャらしく一体化されたキャビンで、先代と異な
り随分スタイリッシュになりました。仕様はエンジンが空
冷2ストロークながら305ccにボアアップされ、扱いやすく
なり、また最大積載量は350 kgで車両総重量は重くはな
ったものの僅か415 kgでした。各部が随分リファイン近代
化されたこの2代目ミゼットは「NIPPONの元祖軽トラック」
と言えるのではないでしょうか。
評価としては初代からわずか2年で大進化を果たしたそ
の努力に対し「アッパレ」印を差し上げたいと思います。
DSCN9656.jpg
タバコ屋の島でも親戚のオクルマ好きのおじさんがいて
このライトグリーン?色のミゼットを買って農作業に使っ
ていました。そのおじさんには悪ガキの弟がいて中学生
のくせにその虎の子のオクルマを無免許で乗り回してい
ました。2人乗りでしたので小学生のタバコ屋はチャッカ
リ横に乗せて貰ったセピア色に褪せた楽しい思い出が
あります。これを学術用語で「小判ザメ商法」と申します。
紫電改引き上げ1
余談ながら、そのおじさんと言うのはキカイ好きが高じ
てお百姓をやめて民間ヒコーキのパイロットになりまし
た。しかし悲しいことに宇和島沖の海中で「紫電改」が
見つかりその引き上げ作業をセスナで取材中に墜落死
してしまったのです。
F1マクラーレンホンダMP4・4-16
時は過ぎ、その息子さんは最初上記のダイハツに入社
してエンジン研究室にいましたが一念発起、HONDAに
途中入社、HONDA-F1チームの一員として当時F1界を
席捲したアイルトン・セナのサポートをしていたそうです。
バブルの終焉と共に昭和の時代が終わりつつあった頃
の懐かしいお話ですが、彼は今頃どうしているんだろう。

さて昭和30年代はこのくらいにして早く昭和40年代のオ
クルマを見たいのですが、脱線しまくりで紙数が尽きて
しまったようです。今回はこのくらいで終わりとし、次回
また40年代のオクルマをご一緒に見ていくことに致しま
しょう。お楽しみに。
(尚、文中ダイハツ初代及び2代目ミゼットの解説につい
ては一部ウィキペディアより引用させて頂きました)

福井巡礼 vol.3:加賀へ

平成29年6月1日
さて、同釜4人打ち揃って今回の最初の目的地である
「ゆのくにの森」へ向かったのですが、タバコ屋は「ゆの
くにの森」が福井県ではなく石川県にあること自体知ら
なかったのです。そもそもタバコ屋は福井巡礼と言う崇
高な目的のために一念発起したのでしたが、いきなり
加賀の国(石川県)とはこれいかに。

福井県と石川県は隣接県ながら清張の「砂の器」でも
あるまいし、その相関関係はどないなってんねん!と
上山、野尻両氏に言いたいくらいでしたが、現実的には
修学旅行の生徒よろしく、素直に且つはしゃぎながら、
野尻君のメルセデスBENZ-E240ステーションワゴンの
後席に収まっているタバコ屋でした。
福井平野1
野尻君のメルセデスは北陸自動車道をまっしぐら、一路
加賀を目指します。途中広大な福井平野を臨み、坂井、
芦原なんて言う地名が出てくると、かつてタバコ屋の島
の特産品であるみかんを買って頂いた元マイカルグル
ープの「だいとら」さんがこの地域にお店を複数展開し
ていて、各店を表敬訪問したこと等が走馬灯の如く思い
出されるタバコ屋でした。

ただ残念な事に、その後マイカルグループは総帥である
小林社長(京都出身)が、ガンで急逝され、カリスマの求
心力を失ったマイカル(旧ニチイ)は急速に業績が悪化
し、あげくの果ては迷走の末破綻、ライバルであるイオン
が合併吸収してしまったことはタバコ屋にとって痛恨の
出来事ではありました。
マイカル茨木1
現代流通業界の悲劇とは言えこの物語はまるで豊臣
家の栄光と挫折、消滅の物語に似ていると思いません
か。ちなみに当時、全盛期のマイカルの年間設備投資
額はハンパではなく500億円という巨額で、世界を相手
に戦っていたトヨタ、日産の年間投資額と同等だったと
言いますから、小林社長率いるマイカルの事業展開と
言うのはいかにビッグスケールで鼻息荒いものだった
か、おわかり頂けるのではないでしょうか。
露と落ち、露と消えにし我が身かな、難波のことも
夢のまた夢


お話しを「ゆのくにの森」に戻します。野尻君はやがて
高速道を降り一般国道に入ったのですが、途中閑静な
場所を通過中に、見慣れない看板を見かけました。
それには大きく3年2組と書いてありました。田舎者の
タバコ屋はこんな所に学校か学習塾でもあるのかと思
い、地元の野尻君に聞いても顔を伏せて笑っているだ
けでまともに答えてくれません。挙句の果ては「僕は中
学の時3年3組でした」などとタバコ屋の質問とは関係な
いことを仰るので「そんなこと、聞いてないっちゅうの!」
と言いたかったのですが「こらアカンわ」と諦め、ここを
何度も通った筈の平尾センセにお聞きしても、「そうやそ
うやこの道や、この次のカーブがな~」とか、これまた要
領を得ません。
yjimage[1]
こうなったらタバコ屋は推測するしかないのですが、記憶
のカケラによれば「休憩の場合はいくらいくら」とか書いて
あったので、学習塾や学校なら「授業料いくら」のはずな
のに何で塾や学校で休憩するんやろと思いました。

ところでタバコ屋は福井ご出身で今をときめく防衛大臣
の稲田朋美女史がいたくお気に入りで、地元福井産品
の宣伝のため派手なメガネや網タイツをご着用なのは
ご愛嬌としても、知的で理路整然としたお話しぶりに惚
れ惚れしていましたが、昨今はやや狼狽、迷走気味で
従来のキレとツッパリがなくガッカリしています。
稲田朋美1
ところで朋美ちゃんは早稲田に進学する前の花も恥ら
う乙女の時代には、何とタバコ屋が大学自動車部時代
前半の2年間を過ごした叔母の家がある京都長岡京市
の府立乙訓(おとくに)高校へご通学されたそうで、同窓
ではないものの、他人とは思えずこんな閑静な学習塾
もしくは学校で朋美ちゃんと一緒に机を並べてオベンキ
ョウ出来たら楽しいやろなと空想を膨らませたのでした。

昼食時など隣で「ちょっと~何してんの、早よ食べよし」
等と言われるとわざとグズグズしたりして・・・。ま、本日
のドライバーを拝命している野尻君は合宿中そのような
実体験をされたようですが、多くは語りますまい。
香里体育ハウス3
蛇足ながら、かつて同志社大学に学び幾多の苦い体験
とそれによる貴重な学識を習得された、次期福井葵ライ
オンズクラブ会長で地元の名士たる野尻君のお話では、
朋美ちゃんは現在安倍内閣の重要スタッフであり、政務
多忙なれど、福井出身と言うだけであまり地元のお世話
が出来ていないらしく、評判は今一つとのことでしたが、
そんなことより何よりもタバコ屋は乙訓高校出身の朋美
ちゃんと一度でいいから、3年2組の教室でご一緒にオベ
ンキョウしたいと思いました。
鉄人28号1
タバコ屋より福井の方々へ:あまり朋美ちゃんをいじめな
いで下さい。彼女はヤリテながら何でも出来る鉄人28号
でも鉄腕アトムのウランちゃんでもないんです。風邪も引
くし鼻水も出る生のヒトなんです。

後でお聞きした話ではそこはお子達ではなく大の大人
がオベンキョウではなくご休憩をされる場所なんだそう
で、いずれにしても大爆笑の道中談となりました。

気配りのヒト、野尻君は後日そのガッコウの写真を決死
の思いで撮影しタバコ屋にお送り頂いたのですが、学校
関係者やPTAの方にご迷惑を掛けるといけませんので、
掲載は見合わせます。選抜白襷隊の野尻君・・・すまん。
DSCN3493.jpg
さていよいよ加賀伝統工芸村「ゆのくにの森」に到着です。
平尾センセがかつてお子達を修学旅行で何度も引率し
て連れて来られたゆかりの地です。平尾センセにとって
はエルサレムよりも永平寺よりも崇高なる巡礼の聖地で
ありましょう。
DSC_3864-1.jpg
それが証拠に、我々ご一行は正面からOKANEを払って
ではなく、横の事務所へ通されそこで平尾センセとは旧
知の福森支配人さんと面会、ひと時お二人の思い出話
に花が咲きました。ここだけの話しですが、その後入館
しようとすると、どうも平尾センセのお顔でフリーパスの
TADAで入れたのでした。何とも申し訳ないような気がし
たタバコ屋でしたが、お二人の長年の交友とご好意に
甘えることに致しました。
DSCN3494.jpg
森と言うだけあって広大な敷地は加賀の伝統工芸を紹介
するテーマ館(屋敷)がゆったりと配置され順路に沿って
見学出来るようになっていました。「彩り長屋」は九谷焼
の紹介と体験実習+お土産を売っている場所のようです。
DSCN3496.jpg
また「金箔の館」では加賀の誇る金箔技術の紹介実演
が行われているようでした。その他輪島塗りから加賀友
禅からガラス工芸から様々なテーマ館がありましたが、
一行は「通るだけ~」とし、次の場所を目指しました。
DSCN3506.jpg
一行の本日お目当ての場所は「和紙の館」及び併設の
「そば処白山」でその理由は、平尾センセがお子達を連
れて何度もここを訪れ、お子達の卒業証書を手漉き和紙
で実習製作するという、奇想天外なアイデアを発案実践
したなつかしの場所であるからなのです。
DSCN3512.jpg
その館のご主人と久しぶりの再会を果たした平尾センセ
ですが、タバコ屋の想像ながらその会話は「いや~ご主
人その節は子供らと何度もお邪魔してお世話になりまし
て。」「いえいえ、こちらこそ。先生の思い出のコーナーは
今でもちゃんと残してありますよ。」といった内容ではない
でしょうか。
DSC_3854-1.jpg
事実そのコーナーには平尾校長センセのお名前で手作
り和紙の卒業証書が飾ってありました。タバコ屋はこの
平尾センセの奇想天外なアイデアと過去の前例にこだ
わらない前向きで革新的な姿勢に感心致しました。
同釜を褒めても仕方ないのですが、京都屈指の優れた
教育者だと思います。
DSCN3521.jpg
せっかくですので同釜4名はその「平尾センセコーナー」
をバックに記念写真をパチリ。
DSCN3515.jpg
お昼になり腹ごしらえをという段になりましたが、ご主人
がなかなか粋な計らいをしていて、予約テーブルには
「京都市立石田小学校御一行様」と書かれていました。
同釜一行はそのウイットに思わず爆笑してしまいました
が、先程の「3年2組」同様ノスタルジー満載のオコトバ
ですよね。
DSCN3517.jpg
同釜一行にふさわしく、この日のスペシャルランチはダ
ジャレっぽい釜飯と手打ち蕎麦に天婦羅付きの豪華定
食でした。お味のほうはとても美味でしたがこの時も
センセの気遣いによるOGORIで皆でごっちゃんに預か
りました。
DSCN3531.jpg
腹ごしらえも出来たところで、施設内にある高名な書家
であり詩人である相田みつをさんの記念館へ立ち寄り
ました。栃木県足利市ご出身の相田みつをさんの記念
館が何故ここにあるのか理由は聞き忘れましたが、書
家である以上本当は字がお上手な筈なのにいわゆる
「へたうま」の技法で、一度見たら忘れらない印象的な
書体で数々の人間賛歌的な詩を残されました。
DSCN3529.jpg
オクルマ好きのタバコ屋としては多くの展示作品の中で
この詩が一番お気に入りでした。詩の中味はアホみたい
なものですが、ほのぼのとした人間味が感じられますよ
ね。残念なことに相田さんは平成3年(1991年)に亡くな
られていますがそのお年が現在のタバコ屋の年である
67才だったそうで、身につまされるものがありますよね。

つまらないギャグながら、タバコ屋が詩を作る場合は以
下のようになります。「あのねえ、自分にエンジン掛ける
のは自分なんやけど、回し過ぎると壊れるんだからね。」
坂村真民1
余談ながら、愛媛松山にも相田みつをさんと良く似た
タイプの書家、詩人がいらっしゃってその名は坂村真民
さん(故人)と言います。「念ずれば花ひらく」という祈り
のコトバが有名で世界中にその碑が建てられています。

お二人に共通するのは「へたうま」な書体で心に残る平
易で印象的な詩を書かれていることでしょうか。
IMG_4353-2.jpg
3年前平尾センセご夫妻が、中島、松山に行幸された時
松山の坂村真民記念館をご案内しました。そこで案内を
お聞きした時、全世界で600基以上の碑が建立されてい
るそうで、その第1号碑は奇しくも京都西北の常照寺さん
にあることが偶然わかったのでした。
念ずれば花ひらく2 念ずれば花ひらく1
平尾センセの地元、宇治の禅定寺(ぜんじょうじ)にもそ
の碑が建てられていることは後日センセが訪問して発見
されたようです。

余計なお話しながら、かつてタバコ屋が若かりし頃、VAN
ヂャケット等のファッション旋風が巻き起こったことがあり
ましたが、その頃時代の波に乗って「レーシングメイト」と
いうオクルマファッションブランドを立ち上げたのが元トヨ
タのワークスドライバーだった杉江博愛(ひろよし)さんで
すが、ブームが去るとその後破綻し、失意のどん底にあっ
たものの、やがてご自分の経験をもとに徳大寺有恒という
ペンネームで「間違いだらけのクルマ選び」を出版、絶大
な支持を受け、晩年は成功者としてカムバック出来たこと
は皆さんご存知のことだと思います。「つまづいたってい
いじゃないか、にんげんだもの」を地で行った人生だった
のではないでしょうか。残念ながら今では泉下の人となり
ました。

さて同釜4人のこれまでの人生は果たして「念ずれば花
開いた」のか、あるいは「つまづきっぱなしの人生」だった
のか分かりませんがでもタバコ屋はすべてを肯定したい
と思います。だって「間違いだらけの!にんげんだもの」。

蛇足ながらタバコ屋の同級生の和田アキ子調で言えば
「笑って許して」になるでしょうし、山本リンダ風に言えば
「もうどうにも止まらない」ということになるのでしょうか。
DSCN3532.jpg
印象深い「和紙の館」や「相田みつを記念館」を後にし、
出口近くのお土産ショップへと戻って来ました。タバコ屋
はTADAで入館させて頂いた以上、ここでどっさりお土産
を買うべきでしたがまだ旅の最初であるのと、次の目的
地である「日本自動車博物館」を早く見学したいため、
入館には感謝しつつ素通りしてしまったタバコ屋でした。

この後、本日の二大目的地である「日本自動車博物館」
へと移動しますがあれこれ余談が多く、紙数も尽きたよ
うですので、その模様は次回の記事でお話ししたいと
思います。お楽しみに。

次の記事の予告 vol.10

平成29年5月27日
今回タバコ屋のブログはシステムトラブル、その他により
予期せぬ事態となり、一時熱心な定期読者の方々にご
心配をお掛けしましたが、無事復旧しましたので今後は
今までどおり楽しい記事を書かせて頂きたいと思います。
砂の器2-2
福井巡礼の入り口付近で足止めとなりましたので、次は
いよいよ巡礼再開です。思えばブログなんていうハヤリ
ものも清張の「砂の器」同様儚いもので、ちょっとしたこと
で無に帰してしまうもののようです。記事を製本して残す
という手段もありますが、経験上一度読むとあとは埃を
被ってしまうものなので、気が進みません。

残り少ない人生ながら、これからは自分の持ち物を増や
すのではなく、どんどん捨てていかねばならないのです。
OKANEは無理に捨てることもないでしょうが、本も含め
て身の回りの品々は現在お持ちの7割は不要だと思い
ます。

最近狭心症の手術を受けやや弱気にはなっているもの
の、今後いかに身の回りのものを捨て去ることが出来る
か、挑戦してみたいと思っています。だって生まれてきた
時は誰も裸一貫で、死ぬ時も持って行けません。諸々の
品を死ぬまで貯め込むのは地球上の生物で人間だけだ
と思います。
CG2
ちなみに、タバコ屋のお宝で創刊号以来全冊揃えてい
たCAR GRAPHICはある日突然なくなってしまいました。
それを強制執行した奥様によれば、どうせ埃被っていて
いらないものかと思ったので捨てましたよと・・・。
ショックで数日間熱が出ましたが、それ以来親鸞の比叡
山下山の如く悟り(諦め)の境地に達したのでした。
240Zサファリ11-1
ただし、それでも諦め切れないものがあったのか、昨年
松山でクラシックカーショーがあった時、中古本を売って
いたので「初代フェアレディZ発売記念号」と「フェアレディ
240Zサファリラリー優勝記念号」の2冊だけは死に土産
として買い求めました。懲りないオバカさんですよね。

福井巡礼 vol.2:同釜の再会

平成29年5月12日
今回の福井訪問にあたり、京都の平尾センセと大阪の
上山青年、そしてタバコ屋の同釜3名で野尻君のところ
へ押しかけることにしたのですが、実は福井、石川の地
はかつてタバコ屋が島の特産品のみかんを売りに行っ
たことがあるのは以前の記事で申し上げたとおりです。
また、平尾センセにとっては京都石田小学校の校長時
代、修学旅行で何度も訪問している地(らしく)、あちこち
思い出の場所があり、従って訪問プランは平尾センセの
大構想に基づきそれを地元の上山、野尻両氏に修正し
てもらうという形にしました。言いだしっぺのタバコ屋は
と言うと、もともとMARUNAGEが得意技でもあり、まる
で修学旅行の生徒のように付き従うことにしました。

余談ながら、以前「野尻君の青春オデッセイア」の記事
では彼が同志社大学自動車部に入部したあとのことを
主に書いたのでしたがそのBEFORE部分がありました。
愛車遍歴1
この写真は野尻君から送って頂いた膨大な写真の中の
一枚で、恐らく昭和40年初頭のものだと思われますが、
オクルマはいすゞベレット4ドアセダンで正面のお嬢ちゃ
んは野尻君の妹さん、後ろに恥ずかしそうに写っている
のが中学生時代の野尻君です。前回の記事で福井の
イメージは雪深く風すさぶ日本海だと申し上げましたが
何の何の、暑い夏があるんじゃないですか。

藪から棒ながら、小学生と思しき野尻君の妹さん、心な
しかほのかな品性が漂っており、このお写真を写したの
がお父さんだとしても「早よ、写しよし」とか言ったんだろ
うか?。遠い記憶の中の夏休み、妹の麦藁帽子は何処
へ飛んでいったのだろう・・・。
ひまわり1
彼の当時の思い出の文言を引用しますと「実家がコン
クリート関係の仕事でトラックはいすゞだったこともあり、
乗用車もずっといすゞ車でした。フローリアンを買うと言
うので格好が嫌いだからと言って反対したことを覚えて
います。」
7月25日10-1
「父はじゃあカッコいい117クーペを買おうと終始言って
いましたが、何せ高価なクルマでしたから結局は実現し
ませんでした。当時ベレットがほぼ2台買える!価格で
したからね。」
IMG_0785.jpg
懐かしい写真と言えば、タバコ屋の手元にはこんな写真
があります。これは何を隠そう、今をときめく京都教育界
の重鎮、平尾センセのご幼少の頃の写真です。恐らく昭
和20年代後半のものと思われますが、ウイリスJEEPの
動くお子様用ジドウシャで、戦後食べるのに精一杯だっ
た時代にこのような希少かつ高価なノリモノをよくぞ買っ
て貰えたものだと思います。センセは既にこの頃から暴
走癖が芽生えていたらしく、前方の丸太に堂々と衝突を
試みているようです。

手前味噌ではなはだ恐縮ながら、タバコ屋の初孫はそ
の平尾センセよりPORSCHE911のノリモノオモチャを
昨年夏お誕生のお祝いに頂戴しており、現在は未来の
PORSCHEドライバーを目指して特訓中です。
IMG_5013-3.jpg
PORSCHEと言えばタバコ屋の同期で九州のラーメン
王こと末永氏の愛車がPORSCHE911カレラ4Sで(6代
目のポルシェ911で通常997の名称で呼ばれる)、彼
は九州地区のポルシェクラブのメンバーでもあります。
ちなみにタバコ屋は歴代ポルシェ911の中ではこのタイ
プのデザインが一番お気に入りでしたが、期せずして
末永センセも同じお気持ちだったようです。

そら、今出川で共に過ごした4年間は伊達ではなく、甘い
も辛いも共有した故に、価値観も同じようなものが芽生
えたのかも知れません。
IMG_5005-2.jpg
そのようなことで、タバコ屋がいつも申し上げている塊感
がありかつシンプルで無駄のない面とラインで構成され
たGOODデザインだと思いますが、NIPPON人デザイナ
ーは何故これが出来ないのだろう?。特にHONDAのデ
ザイナー諸君よ、この際猛反省しなさい

老婆心ながら末永氏に一つだけお願いしたいことは、お
年の割にはアドレナリンの分泌が多すぎるようなので、
福岡県警と仲良くならないようにして頂きたい。警察が
お好きであれば兵庫県警のギーちゃんがいらっしゃる
ではありませんか。

早くも話しが脱線しつつあるので、福井巡礼に戻します。
実は今回の訪問話より少し前、タバコ屋の赤いお嬢ちゃ
んこと愛車フェアレディS30Zを、親しくさせて頂いている
静岡の川嶋さんちに長期ホームステイをしエンジン・足
廻りを徹底的に再レストア?することになりました。
DSCN9545-1.jpg
蛇足ながら彼にご提示したタバコ屋のコンセプトは鉄人
28号の如く「ビューンと飛んでく鉄人28号」にして頂き
たいという意味不明なもので、川嶋さんも当惑している
ことと推察しますが、いずれ近い将来、上山、野尻両氏
がこの赤いお嬢ちゃんに試乗し、この世にこんな素晴ら
しくもパワフルなフェアレディS30Zが存在するのかという
カルチャーショックを味わって頂きたいというささやかな
望みもありました。
鉄人28号1
陸送でお届けすることにしたのですが、丁度福井訪問の
時期と重なったので、福井へ出発する日に松山へ乗って
行き、行きつけの整備屋に持ち込むことにしました。つい
て行きたいような心境で、後ろ髪を引かれる思いでしたが
しばしのお別れです。
DSCN3479.jpg
さて、いつもの上阪のパターンであるオレンジフェリーに
夜遅く乗って翌早朝の大阪南港に到着です。
DSCN3481.jpg
ニュートラムというモノレールに乗り、途中からは乗り慣
れた大阪地下鉄で上山青年の待つ緑地公園を目指しま
す。
DSCN3482.jpg
早朝にてスムーズに目的地に到着です。ただし田舎者
ゆえカードの金額が不足していて改札口を出られず、
まごまごしていると親切な若い女性駅員さんが丁寧に
チャージ代行をしてくれつつあったのですが、そこへい
きなり後ろから「チャンさん朝っぱらから何イチャイチャし
てるんです?」なんて言うけしからぬ男が出現しました。
振り返ると上山氏でした。
DSCN9965.jpg
余談ながら、同志社大学自動車部創部80周年大会の
前後でオーテス・ケーリ先生及びアーモスト館繋がりの
ご縁で親しくさせて頂いている、アーモストクラブOBの
吉﨑さん(川崎市在住)は、ここ緑地公園にもご自分の
マンションをお持ちで、東京、大阪を行ったり来たりの
羨ましい境遇です。
DSCN3484.jpg
上山青年の愛車VOLVO-XC70が駅前でお行儀良く停ま
っていました。タバコ屋はVOLVOに乗るのは久しぶりで
す。
DSCN3485.jpg
一瞬左ハンドルかなと思ったのですが、上山青年は右側
のドアを開けたので右ハンドルであることが判明しました。
リアゲートにはスエーデン製であることを示すSのマーク
やスエーデンの国旗が貼られていましたが中々良いご趣
味だと思いました。

余計なことながら、タバコ屋はVOLVOのアイデンティティ
でもある特徴的なリアコンビランプのデザインがお気に入
りで、あの独特のRを描くラインは中々他のプレミアムメー
カーも真似が出来ないところです。
DSCN3487.jpg
挨拶もそこそこに、平尾センセの待つ京都インター近く
の待ち合わせ場所まで急がねばなりません。上山青年
が随分使い倒したVOLVO-XC70ではありますが、快調
に名神をひた走ります。

メカマニアの上山青年らしくコクピットにはタバコ屋の知
らない計器類があれこれ取り付けられていましたが何に
使うのかは聞きそびれました。ご愛用のXC70は一世代
前のものながらコクピットのデザインはタバコ屋好みのシ
ンプルかつシンメトリカルなもので、個人的には最新の
XC70よりもこちらの方がGOODデザインだと思いました。

上山氏とは一昨年の大阪モーターショーでご一緒して
以来の再会だったのですが、途中上山氏はふるさと福
井の福井城址が県庁になってしまっており地方文化を
代表するランドマークであるべき福井城が県庁や消防
署では嘆かわしいといった話や、片やタバコ屋の住む
中島には信号が2つしかないというような話しをしました。
後日訂正
越前アオリイカこと野尻君よりご指摘があり、福井城の
テナント!は県庁以外では県警本部だそうで、タバコ屋
も道中、上山青年からそのようにお聞きした筈なんです
が記憶違いでした。
BMW5-4.jpg
突然の写真で恐縮ながら、かつてタバコ屋がアコード
ハッチバックに乗っていた頃、カミさんには内緒での次
の愛車として、ローヴァーと合作のHONDAレジェンドに
すべきかそれともBMW5シリーズにすべきかハムレット
のごとく真剣に悩んだことがありました。

これはBMWのチーフデザイナーだったNIPPON人!の
永島譲二さんがデザインしたBMW5ですが当時のBMW
は、PORSCHE同様無駄のない面とラインで構成された
塊感と清潔感のある
デザインで、タバコ屋はいたくお気に
入りでしたが結局はNIPPON人として、また同志社大学
自動車部の元キャプテンとしての矜持からという奇妙な
思い入れによりHONDAレジェンドを選択したのでした。
上山君1
道中で上山青年がポロッと漏らしたお話によると、どうも
彼の次期愛車候補はBMWであるらしく、彼の過去の凛々
しいパンタロンな人としてのお姿はともかく、現在のアピア
ランスからしてBMWが似合うのかどうか、また彼特有の
メカオタク的かつ変人っぽいご性格から総合判断して、
PORSCHEのSUV(マカンあたり)がお似合いだと老婆心
ながら思うのですが彼はPORSCHEはあまり関心がない
ようなので、それ以上はツッコまないことにしました。
DSCN7249.jpg
彼は情緒的なお話よりはオクルマのメカのお話の方が
お好きなようで、昨今流行のオンデマンド方式4WDシス
テム(コンピューターが自動的に最適な駆動方式を選択)
はホンモノの4WDではなくニセモノでけしからんという彼
独特の持論を展開し始めました。こうなるともう雪国福井
出身の彼の独壇場でメカオンチのタバコ屋はかなり閉口
気味でしたが、間もなく平尾センセとの待ち合わせ場所
「竹田」に到着したのでやや救われる思いでした。

平尾センセとも再会出来、いよいよ福井に向けて出発で
す。名神で米原まで行き、そこから北陸自動車道へ入り
敦賀経由で福井北ICを目指します。同釜の3人は久しぶ
りの再会を果たし、福井への道中は飽きることのない話
題でまったく退屈はしなかったのですが、南国育ちのタ
バコ屋にとっては3月下旬とは言えその残雪まだ解けや
らぬ景色は異国情緒たっぷりでした。
伊吹山6-1
敦賀までは琵琶湖東岸を走るので秀吉ゆかりの長浜を
皮切りに伊吹山を右手に見ながら途中信長亡き後羽柴
秀吉と柴田勝家が雌雄を決した「賤ヶ岳(しずがたけ)の
戦い
」の古戦場あたりを通過しました。

福井に至る道筋の地形は起伏のある深い谷間を縫うよう
になっていて、500年前武将はともかく足軽兵隊はすべて
徒歩で移動したわけで、賤ヶ岳の合戦どころか戦場にたど
りつくまでにヘトヘト状態だったのではないかと思います。

皆さんご存知の如く、この戦に破れた柴田勝家は北ノ庄ま
で退却し、自分の命運はもはやこれまでと、お市の方ととも
に自害して果てた戦国の世の悲劇の歴史がありますよね。
賤ヶ岳の戦い1
余談ながら、このやや手前に木の本というところがあり、
実は平尾センセのお嬢さんが嫁がれていて、ご主人は
NISSANのディーラーにお勤めの関係で最近娘婿殿の
お世話で平尾センセはパジェロミニ改めNISSANキック
ス(OEM車)を購入されました。平尾センセにしてみれば
京都で自称ミツビシPTA会長を長年に亘り拝命して来た
以上、そのようなオクルマの一台や二台無償でも手に入
るお立場ながら、ジジバカと申しますか、娘婿は可愛い
のでしょうね。
IMG_2615.jpg IMG_2618.jpg
今まで長年に亘りご愛用だったパジェロを手放し、ダウン
サイジングの実践としてご購入されたのでしたが、フツー
の人と違い彼はネジお父さん(キカイいじりエンスー)で
あるため、いじり倒さねば気が済まず最近とうとうキック
スをパジェロミニに改造してしまいました。
IMG_2616.jpg IMG_2640.jpg
リアのスペアタイヤケースには誇らしげに第3回同志社ラ
リーのカーバッジが取り付けられています。また最近では
ホイールハウスのブラック塗装から始まりタイヤスペーサ
ー装着によるワイドトレッド化等、そのネジ遊びは留まる
ところを知らず、タバコ屋はスニーカー代わりにとお勧め
したものの全く違う方向に暴走中のようです。予言して
おきますが今冬には、ラリータイヤ履いて雪深い今庄!
あたりに出没するかも知れません。

福井巡礼に戻ります。一行は途中賤ヶ岳S・Aは言うに及
ばず、南条S・Aやらあちこち休憩の後、やがて福井北
ICへ到着です。そこには若々しい同志社MANの野尻君
が待ってくれていました。尤も彼は年甲斐もなく野球帽
を被っていたのでそのように見えたのかも知れません。
DSCN3490.jpg
上山青年のオクルマは待ち合わせ場所の駐車場に置
いておき、野尻君の愛車メルセデス・BENZ-Eクラス
2.4Lステーションワゴンに乗り換えて本日の目的地に
移動です。
後日訂正
野尻君からご指摘があり、彼の愛車のBENZ-Eクラスは
正確な車名はE240ステーションワゴンでそれも後期型
にて、2.4Lから2.6Lにスケール(ボア)アップされている
そうです。

このドイツ製のオクルマはサンルーフを装備していたの
ですが、それに何とスリットの仕掛けがあり、暑い時は
サンシェードとして使えるという優れモノでした。気配り
おもてなしでは世界一のNIPPON車ですが、この仕掛け
は今まで見たことがなかったです。

前席パッセンジャーシートには土地勘のある地元出身
の上山青年にお乗り頂き、平尾センセとタバコ屋は黄
門さんよろしく後席でくつろぐことにしました。平尾センセ
は「いや~、野尻君久しぶりやな~」と言ったかどうか
忘れましたが、同釜4名が仲良く同乗して気分はいきな
り40数年前にワープです。

正直、平尾センセは卒業後も京都在住でしたので、同志
社大学自動車部新町ガレージにはかなりな頻度で出没
し、当時新入生だった野尻君らを相手に垂涎の的であっ
たミツビシ・ランサー1600GSラリースペックを前にして、
最新のラリー理論をご教授されたことでしょう。
12 A73
片やタバコ屋は卒業後、今出川からは遠ざかっていた
ので、野尻君との邂逅(めぐりあい)は今回が最初とい
うことになりますが、たとえ一度もお会いしていなくても
同志社大学自動車部の同釜というだけの「浮世の契り
で「竹馬の友」の如き信頼と交友が生まれるというのは
現代科学では解明出来ないことかも知れません。
7月21日 (9)-1
正確に言えばタバコ屋は卒業の翌年、昭和49年の卒業
生歓送会(早よ、しよし及びそんなんいやや~のお姉さ
ん方が卒業された年)には出席していますので間接的
には一度お会いしている筈です。

これから第一の目的地である「ゆのくにの森」へと向かう
のですが、途中抱腹絶倒のお話等もありまして、話せば
長くなりそうです。紙数も尽きてきましたので、そのお話
は次回の記事でご紹介したいと思います。お楽しみに。

福井巡礼 vol.1:プロローグ

平成29年5月9日
太陽がいっぱい1
いきなりの写真で恐縮ながら、タバコ屋を含む万博世代
の皆さんにとってはあまりにも有名なフランス・イタリア
の合作映画「太陽がいっぱい」は、哀愁溢れるテーマ曲
をバックに、アラン・ドロンのデビュー作とも言えるサスペ
ンス映画でしたが、ボンビーで野望を秘めた陰のある青
年が、アメリカから来た裕福な青年を殺害し彼女を騙し
て奪ったうえその青年になりすまそうという完全犯罪を
目論んだのでした。
太陽がいっぱい6
彼女を演じたのはマリー・ラフォレという女優さんでした
が、タバコ屋はあまり記憶に残っていません。その後の
ストーリーは警察がそれを嗅ぎ付け、最後はヨットから
海に投げ込んだ筈の遺体がひっかかったロープによっ
てヨットとともに陸揚げされるという劇的なラストシーンに
よってFINとなるのですが封切りは昭和35年(1960年)
ですから、愛しのオードリー・ヘップバーンとジョージ・ペ
パードが演じた「ティファニーで朝食を」が発表される前
年ということになり、タバコ屋なんかはまだ小学4年生の
頃のお話です。
イスキア島1
何故冒頭から「太陽がいっぱい」かというと、そのロケ地
は南イタリアのリゾート地、イスキア島で、陽光溢れる
地中海の眩しいイメージがタバコ屋の生まれ育った島、
瀬戸内海の「中島」に若干ながらも似ているからなんで
す。
イスキア島2
明るい海の色も似ており、電気もガスも水道も同様に付
いていますが、ただ違うのは建物のデザインと色です。
日本と地中海地方が全く異なるのはこの点です。一方
は絵になり片方は残念ながらあまり絵になりません。
IMG_1580.jpg
これはやや手前味噌ながら、もう30年以上!も続いてい
る恒例の「中島トライアスロン大会」の前座で、お子達の
ジュニア版トライアスロンの競技風景なんですが、大人
顔負けの結構な迫力バトルです。
IMG_1606.jpg
大人たちはと言うと美しい多島美を満喫しながら(でも
ないでしょうが)、スイム1.5kmバイク40kmラン10km
をこなしへとへと状態でゴールするという鉄人競技です。
ちなみに毛色の変わったところではこの中島大会に元
ヤクルトスワローズの古田選手が参加されていました。
また世界的にはF1ドライバーのジェンソン・バトン選手も
著名なトライアスリートですよね。
IMG_2873.jpg
こんなコスチュームで出場するお調子者もいます。にわ
かスコールにてその辺ドロドロでした。
IMG_2822.jpg
これは毎年、前夜祭で見事な京の舞を披露して頂くホン
モノの舞妓ハン親子です。おかあハンの方はややイメー
ジ壊れそうなお姿をしていらっしゃいますが・・・。
「おきばりやして、はよ、走りよし」とか・・・、そんなん言
われると気力も萎えるっちゅうの。

さて長い前置きとなりました。その南国育ちのタバコ屋
なんですが、この度は昨年夏に送られてきた一通のメ
ールが発端となり、その当事者である野尻青年の青春
オデッセイ全7編を執筆するに至り、挙句の果てはお住
まいの雪深い福井の地へ京都の元祖アオリイカ大魔王
こと平尾センセ及びやはり福井が故郷である大阪在住
で同志社大学自動車部のユル・ブリンナーこと公認会計
士上山氏とご一緒に殴り込みを掛けることになりました。
今回は崇高な目的で訪問するため、いわば巡礼と言う
ほうが相応しい旅となることでしょう。
砂の器3
上記のような環境で育ったタバコ屋ですので、福井と言う
とどうしても雪深く寒くて風の強い日本海の冬のイメージ
を描いてしまいます。
日本海と言えば松本清張の推理サスペンス小説の代表
作である「砂の器」を思い出しますよね。既に何度も映画
化やTVドラマ化されて皆さんよくご存知だと思いますが、
タバコ屋が最も印象に残っているのはやはり最初の映画
化作品で昭和49年(1974年)封切られました。昭和49年
と言うとタバコ屋が同志社大学自動車部を卒業した翌年
と言うことになり、随分若い頃の作品であった訳です。

主演は加藤剛でその恋人役が島田陽子、脇役として丹波
哲郎、森田健作、緒方挙、加藤嘉、等々豪華キャストで監
督は野村芳太郎でした。
砂の器2-1
「砂の器」は昭和35年(1960年)5月から翌年4月にかけ
て「読売新聞」夕刊に連載されたいわゆる推理小説もの
で、時代背景としては、戦中から終戦直後及び戦後にか
けての日本が描かれています。
おさらいの意味であらすじをご紹介しますと、ある日の
早朝、国電蒲田操車場内にて、男の殺害死体が発見さ
れた。前日の深夜、蒲田駅近くのバーで、被害者と連れ
の客が話しこんでいたことが判明するが、被害者のほう
は東北訛りと思しきズーズー弁で話し、また二人はしき
りと「カメダ」の名前を話題にしていたという。当初「カメダ」
の手がかりは掴めなかったが、ベテラン刑事の今西栄太
郎は、秋田県に「羽後亀田」の駅名があることに気づく。
今西は若手刑事の吉村と共に周辺の調査に赴くが結果
は芳しいものではなかった。帰途につこうとする二人は、
そこに評論家・関川重雄と前衛音楽家・和賀英良がいる
のを発見した。
砂の器13
一方殺人事件の捜査は行き詰まっていたが、被害者が
島根県出雲地方の元巡査「三木謙一」であることが判明
する。実は島根県出雲地方は東北地方と似た方言を使
用する地域であることがわかり島根県の地図から「亀嵩」
の駅名を発見する。続いて第二・第三の殺人が発生し、
事件の謎は深まっていくが、長い探索の末に、今西はつ
いに犯人の過去に迫ることになる。
砂の器12-1
捜査はやがて、本浦秀夫という一人の男にたどり着く。
秀夫は石川県の寒村に生まれた。父・千代吉がハンセ
ン氏病に罹患したため村を追われ、やむなく父と巡礼
(お遍路)姿で放浪の旅を続けたが、秀夫が7歳の時に
父子は、島根県の亀嵩に到達し、当地駐在の善良な巡
査・三木謙一に保護された。三木は千代吉を療養所に
入れ、秀夫をとりあえず手元に置こうとしたが、秀夫は
すぐに三木の元を逃げ出し姿を消した。
砂の器12-11
大阪まで逃れた秀夫は、和賀英蔵・キミ子夫妻のもとで
住み込み奉公していたが大阪市浪速区付近が空襲に遭
い、住民の戸籍が原本・副本ともに焼失した。当時18歳の
秀夫は戸籍の焼失に乗じて、和賀夫妻の長男・和賀英良
として年齢も詐称し、新たな戸籍を作成していた。
砂の器8-2
いまわしい過去を消し去り長じては前衛音楽家として華々
しい再スタートを切ったかに思われた矢先、その三木巡
査から英良のもとへ便りが届き、父千代吉が生きている
ことを告げようと東京に上京し、事件の冒頭のバーで英良
に再会するが英良は自分の過去がバレるのを恐れ三木を
殺害する。第二・第三の殺人も犯し完全犯罪になるかと思
われたが、今西刑事の執念の捜査はそれを許さず、英良
の新作発表会の会場へ逮捕状を携え吉村刑事と赴くので
あった・・・。
砂の器7
加藤剛演じる英良の恋人役で英良の子を宿しながら捨て
られ失意のうちに流産出血多量で死んでしまう可愛そう
な女性を演じたのが若き日の島田陽子ちゃんです。これ
がまたタバコ屋にとってはTOTEMOお気に入りでした。

「あなた、今晩はすき焼きにする?、それとも水炊き?」
なんてもし陽子ちゃんが言ったとしたら、タバコ屋はその
場で失禁、気絶することでしょうよ。これを究極の楽園と
申しますが、イエスだって、空海だって、親鸞だって、
果ては日蓮だって現出することは不可能だと思います。
HONDA-F1チームでは1,000馬力のエクスタシーなんて
言っていた時代もかつてあったようですけど・・・。
砂の器11-2
タバコ屋より3つ年下のお嬢ちゃん(だったの)ですが、
持って生まれた品の良さというのは争えません。陽子
ちゃんお願いですから、タバコ屋の方を見ないで下さい。
ハイライト10本まとめて吸ったくらいクラクラが来てしま
います。そうでなくとも最近狭心症のカテーテル手術で
一命を取りとめたばかりなんですから。

余談になりますが、上記二つの映画が作られたのは10
年程の開きがありますが「太陽がいっぱい」が封切られ
た頃、「砂の器」が新聞に連載されたのでした。偶然なが
ら二つの物語の主人公は暗い過去を持ったボンビーな
青年で、犯罪を犯してまで自己中な野望を果たそうとした
ことがよく似ていますよね。

タバコ屋が何故「砂の器」を持ち出したかと言いますと
小説の舞台は石川県だった訳ですが、福井、石川とい
うのは隣接しており、他県からみると同じに思えてしま
うのです。よってタバコ屋のイメージする日本海の厳し
い感じをご説明しようとこのようなお話しになりました。

さてタバコ屋は福井巡礼をしなくてはならないのですが
またもや寄り道をしてしまいました。この現象をダッチロ
ールと言うのか、ミスコースと言うのか、4輪ドリフトと言
うのか分かりませんが、ステア修正をしていよいよ巡礼
に出発です。

大阪で上山青年が愛車に乗せてくれて、途中京都で
平尾センセをお迎えし、3人そろっていざ福井へという
算段ですが紙数も尽きてしまったようですので、この続
きは次回の記事で詳しくお伝えします。お楽しみに。

次の記事の予告 vol.9

平成29年5月8日
タバコ屋は、同志社大学体育会自動車部に入部するま
ではアオリやプレッシャーというコトバには無縁だったよ
うに思うのですが、その後4年間でそのような事態に数
多く遭遇し「ああ都会での学生生活の何と不自由な事よ」
と松山ゆかりの夏目漱石の如く嘆いたものでした。
(ちなみに彼は松山では親友子規と愉快に過ごしたよう
ですが、ロンドンでの留学生活時代は半ばノイローゼ状
態だったようです)
夏目漱石1
そのような諸々の事も卒業後は開放されたかに思いき
や、よわい60有余年を経て昨今やたらとその類の現象
に遭遇しつつあります。京都宇治の元祖アオリイカ大王
を筆頭に、福井には新種の越前アオリイカが発生しつつ
あり、また大阪豊中あたりにも珍種のアオリイカが、大阪
福井間を回遊大繁殖しつつある実態を見るに付け、タバ
コ屋としては、やや恐怖に近いプレッシャーを感じつつあ
る昨今です。「次の記事、早よ書きよし!」とか?。

札幌大紀行 vol.3:ああ203高地

平成29年4月21日
JR貨物車の脱線事故というよもやまさかの事態により
一時パニックになりかけた物産展でしたが、追加補給の
砲弾(商品)に頼らず、また正面突破の正攻法(柑橘を
中心とした売上内容)をやめ、今ある在庫を売り尽くす
という戦略の一大転換を実施した結果、危機を脱しつつ
ある「フレッシュファクトリートミナガ」でした。
DSCN3316.jpg
当初から朝は開店準備のためろくにホテルでの朝食が
取れなかったタバコ屋親子でしたが、事件が一段落した
翌日の朝は、ホテルの立派なお庭の白樺を眺めながら、
デラックスなバイキング朝食を頂きつつ、やや心の余裕
を取り戻したタバコ屋でした。しかし最後の2日間で所期
の売り上げ目標450万を達成出来るかどうか、まだまだ
予断は許せません。
DSCN3319.jpg
猛吹雪の昨日とは打って変わってこの日は快晴でした。
どうかうまくいきますように、手は打ったのであとは祈る
ような気持ちです。東急の社員食堂から見える向かい
の立派なビルはJA北海道さんの建物のようです。
DSCN3235.jpg
昨日まで大活躍してくれたマドンナ大使のお嬢ちゃんも
松山へ帰ってしまいましたし、やっとの思いで届いた追
加商品(みかん類)も実際は半分以上がバックオーダー
品(事前売約済みの商品、しかしまあ現品なしでご予約
頂くとは有難いやら恐ろしいやら!)だったので、この後
が何とも心細い気もしましたが、タバコ屋はいくさ(商い)
のプロであり、後に引く訳にはいきません。
DSCN3350.jpg
お客様は弾(商品)が底を尽きつつあることなどは露知
らず、怒涛の如く押し寄せて来ています。
ちょっと~、「せとか」っていうの欲しいんだけど、箱で届
けてよ、え、もう売り切れ?、じゃあ「ひめのつき」って言
うのでいいから箱で届けてね、大丈夫?お願いよ!。
こまどり姉妹6-1
戦闘員(マネキンさん)達は補充する弾がないことがわ
かっているだけに、「顔で笑って心で泣いて」まるでかつ
ての「こまどり姉妹」の如くけなげにお客様に振舞ってく
れたのでした。
DSCN3348.jpg
しかし、作り笑顔にも限度があり、ご覧の有様になって
きました。もう弾が枯渇しつつあります。マネキンさん達
は最後の力を振り絞り、パック詰めとかにして白兵戦
持ち込もうとしています。どういう意味かと申しますと、
一撃必殺、パックしたものはお客様に必ず買って頂くん
です、それが全く押し売りではなく、買わなきゃ損みた
いな気分にさせるのはマネキンさん達の匠の技では
ないのでしょうか。

蛇足ながら、札幌ではその場合「早よ、買いよし」などと
は言いません。「ちょっと~、もう来年までないんだから
さっさと買っときなさいよ、何も考えることないっしょ!
(ないでしょ)」札幌のお姉様方、結構迫力あります。
タバコ屋の同級生に和田アキ子と山本リンダがいます
が、う~ん、いい勝負です。
DSCN3349.jpg
かくしてご覧のような戦場(売場)となりました。あれほど
うず高く積み上げてあった壁面のみかん箱も跡形もなく
消えています。お客様は寂しそうです。え~、何もないじ
ゃない。ちょっと~、何かないの。
DSCN3351.jpg
数時間が経過後、ご覧の如くになりました。「旅順港は
見えるか
」・・・、そらここまでスカスカ(空っぽ)状態なら
旅順港の端から端まで丸見えですわ!!!。
203高地1
今回苦し紛れとは言え、タバコ屋は一世一代の大博打
を敢行したのでしたが、結果は203高地陥落(売り尽くし)
をもって、作戦は終了したのでした。
DSCN3345.jpg
東急の正規軍レジ担当佐藤さんです。もう入力なんか
は目にも止まらぬ早業で打ちまくりです。オープン当初
からお世話になり、いよいよ最後を迎えつつあります。
佐藤さんも今まで何年もこの催事に関わっているので
タバコ屋の過去の売上げデータは感覚でわかっていら
っしゃるようで、今回の特別作戦は意表を突かれたよう
でしたが、刻々と過去の記録を塗り替えつつある売上げ
額に彼女自身も、これって新記録と違いますか!と驚い
ていました。道産子のお嬢さんゆえ「島のおっちゃん、無
茶苦茶しはるわ~」とは言いいませんでしたが、内心そ
のように思われていたのでは・・・。
マー君も危機を乗り越え、ご満足そうな表情です。推測
ながら「佐藤さん、今現在の売上げ合計打ち出して頂け
ませんか」などと言っている様子が見て取れます。
DSCN3359.jpg
いよいよ閉店30分前となりました。旅順は陥落したもの
の、撃つべき弾も無くなり果て、マー君は呆然と天井を
見上げています。残ったものは希望の島のダンボール
空箱だけなんですがタバコ屋はとっさにそれを切り取り、
お客様への御挨拶メッセージを書くことにしました。
その文言とは「またお会いしましょう!」でした。このよう
な結末を迎えるにあたり、6日間の激闘が思い起こされ
閉店までの数分間が何やら愛おしくも感じられたことで
した。
結局今回23日から28日までの6日間の催事(今回は変
則的で通常は7日間)で、東急からの希望額は450万で
したが470万を売り切ることが出来ました。消費税込み
ですと500万をオーバーし、過去最高の売上げとなりま
した。大阪京都あたりで最も良く売れた時でも250万程
度ですから札幌がいかに桁外れかおわかり頂けるので
はないでしょうか。
マジェスタ3
今回達成した売上げでもしオクルマを買うとしたら、せめ
てTOYOTAマジェスタあたりは余裕で買えると思ってい
ましたが現実は甘いものではなく、お値段を調べてみる
ともっとお高い値段でした。え!マジェスタってこんなに
高くなってたの?、古き良き時代は去りつつあるのです。
DSCN3363.jpg
戦い済んで日が暮れて。実はこの夜、松山市観光協会
主催の慰労パーティが「すすきの」のとある料亭で開催
されるとのことで地下鉄で移動です。
DSCN3368.jpg
北の大都市、札幌の繁華街「すすきの」です。内地の繁
華街とあまり変わりませんが、雪が積もり肌を刺すような
寒さで、ああここは札幌なんだと自覚されます。
DSCN3371.jpg
会場は札幌の海産卸大手の「佐藤水産」さんが経営す
る「まるだい亭」という海鮮料理のお店でした。
DSCN3376.jpg
松山市観光協会会長で「小池養蜂園」のオーナーでもあ
る新居田さんより、皆さんへの慰労の御挨拶です。
DSCN3379.jpg
ご招待している東急の偉いさんはやや遅れるということ
でとりあえず乾杯です。マー君の奥隣に座っていらっしゃ
るのが、この会場をお世話頂いた同釜の「マキノ海産」
さんです。マキノさんは瀬戸内海産の魚の一夜干しで有
名な会社で伊予鉄高島屋の海産物コーナーにも出店さ
れています。タバコ屋とは古くからのお取引先で親しく
させて頂いています。その2代目若社長です。
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東急の催事の総責任者で営業推進部長という肩書き
の北村さんが到着されました。さっそくご挨拶を頂きま
したが、結構多忙のご様子で寸暇を割いて駆けつけて
頂きました。
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札幌と言えば北海の恵みKANIですよね。本日のメイン
ディッシュはKANI鍋でした。でっかいつみれも食べ切れ
ないほど入っていて、もうお刺身とこれだけで満腹なん
ですが、焼き物から揚げ物から次々出てきて結局食べ
切れず勿体無いことをしました。というのもお酒が入ると
お話が忙しくなり、食べる方がおろそかになるのです。
DSCN3387.jpg
新居田会長と北村部長も目標達成で満足そうです。
想像の会話ながら「北村部長、この度はお世話になり
ました、今度松山にいらっしゃった時は是非一献交わし
ましょうよ。」「新居田さん、JR脱線事故等で随分ご心配
をお掛けして申し訳ございませんでした。そら次回松山
出張の折は是非ご一緒したいものです。」とか。
追加記事
実は、その後新井田会長よりお呼びが掛かり、タバコ屋
も松山遠征軍の一員として北村部長にご挨拶をという
事になりました。タバコ屋はせっかくのご縁のお席ゆえ、
名刺交換だけでは面白くもなく、北村部長に何か差し上
げるものはないかと一瞬考えたのですが、今回の遠征
前にタバコ屋お気に入りで、毎年参拝する道後湯の町
伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)でご祈念頂いた破魔
矢(はまや)の必勝祈願のお守りを持参していたのに気
付きました。これなら小さなものでお持ち帰りの邪魔に
もならないと思い、失礼とは思ったものの「東急の繁栄
をご祈念したお守り
」として差し上げることにしました。
その趣旨はいずれ松山にも次回のご相談でいらっしゃ
るでしょうから、少しでも松山のことを気持ちの隅に残し
てほしいという思いがありました。
ただし、タバコ屋の浅はかな思い付きはすぐに見抜か
れ、新居田会長と北村部長の失笑及び爆笑を買った
のは言うまでもありません。
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マー君とマキノ水産さんも随分話しがはずんでいるよう
です。実はマキノさんは以前地元の銀行にお勤めだった
のですがお父様が病気で倒れられたのを機会に後を継
ぐことになりました。元銀行勤めだけにマー君よりもかな
り年上にも拘わらず物腰の柔らかい紳士でした。

余談ながら、マキノ水産さんに札幌行きをお勧めしたの
は何を隠そうこのタバコ屋で、1級戦犯としてマキノ水産
さんには今後是非成功して頂きたいと思っています。

プロのマキノさんには僭越とは思いますが、老婆心から
申し上げますと、成功のメニューは「高級一夜干し」の
提供だと思います。それも鯛とかメバルとか北海道では
獲れない瀬戸内海特産のオサカナでしょうか。
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さて一次席は豪華料理で盛り上がり「すすきの」の夜は
更けていきつつありましたが、予期せぬことに中締めの
発声のご指名がタバコ屋のところに舞い込みました。
恥ずかしながらもビッグ3のトップとしては受けて立たざ
るを得ないと判断し、同志社大学自動車部直伝のエー
ルとタバコ屋流変則3・3・4拍子で締めることにしました。

まずエールは松山市観光協会と東急百貨店に対して
発しました。続いて最後の締めですがシャシャシャン・
シャシャシャン・シャシャシャンシャンという締め拍子を
ご披露させて頂きました。通常は一本締めなどと言って
味も素っ気もない締めなので、この日は中締めが大い
に盛り上がりました。同志社大学自動車部が体育会で
ある所以をエールと締めで示した一瞬でした。

余談ながら、この中締めには新居田会長も北村部長も
意表を突かれ体育会的場違いなムードにやや呆れた
ようでしたが、これも一夜の座興にてお許し頂きたいと
思います。

その後、すすきの別席にて二次席、三次席と続くのでし
ょうが、タバコ屋は老体ゆえその使命はマー君に託し、
やや後ろ髪を引かれつつも「すすきの」を後にしたので
した。あとは安らかなおやすみが待っているのみです。
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「逢うは別れの始めなり」とはよく言ったものですが、一
週間過ごした札幌ともお別れです。翌日の朝、これから
新千歳空港に向かいます。
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札幌駅には鉄道オタクの元校長、京都の平尾センセが
ご覧になったら泣いて喜ぶであろう、「スーパーカムイ」
などと名付けられた列車が停まっていました。
5イルカ
タバコ屋も空港に向かうひと時、このカムイ号が雪のツ
ララをぶら下げて札幌駅に佇んでいたりするとつい感
傷的となり、同級生のイルカのことなんか思い出します
よね。彼女は昭和50年(1975年)「なごり雪」の大ヒット
で不動のフォーク歌手の地位を得たのですが、その歌
詞は同級生ながらアッパレで胸キュンとなるようなセリ
フが散りばめられていました。
「汽車を待つ君の横で 僕は時計を気にしてる、
季節はずれの 雪が降ってる、東京で見る雪は
これが最後ねと、さみしそうに 君がつぶやく
なごり雪も 降るときを知り、ふざけすぎた季節の
あとで、今春が来て 君はきれいになった
去年よりずっと きれいになった・・・。」

考えてみればこれは男子が女子に向かって歌っている
歌で、女子のイルカが歌うというのもちょっと変だと思い
ますし、歌詞もやや意味不明なところ(何考えてんねん)
もありますが、要するに事情はともかく東京駅で恋人同
士が別れに至った決定的シーンを歌っているんだと思う
んですが、タバコ屋流に言えば、「おまえら何ジクジクし
てんねん、早よ駅弁でも買うて、自由席確保しいや!」と
言いたいです。
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さて、新千歳空港です。ここでささやかなハプニングが起
こりました。昨晩マー君は新居田会長のご指名に遭い、
二次席、三次席のご同伴の栄誉を賜ったのは良いので
すが体力が持たず、本日は病人状態となりました。昼時
なんですがロビーのソファーに横たわっているのはマー
君でタバコ屋は仕方なく一人寂しく昼食を済ませました。

若いマー君のことゆえその後ほどなく元気回復し、「俺
腹へった~」などと勝手な事をほざいていましたが。
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旅と言えば土産がつきものですが、今回は東急さんでお
世話になった関係上、空港でも東急さんのショップを利用
させて頂くことにしました。北海道のお土産ビッグ3と言え
ば、白い恋人、ROYCE´、六花亭でしょうか。タバコ屋も
かつて30年前!後継者育成セミナーで六花亭の2代目と
机を並べてオベンキョウした時期もありました。今となって
は懐かしい思い出ですが、六花亭さん今頃どうしているん
だろうか。
DSCN3420.jpg
今回の旅も終わりを告げようとしています。東京まで帰
ると、ああ内地に帰ったとつくづく実感します。乗り換え
までのしばしの時間を過ごし、住み慣れた松山へと向か
うタバコ屋親子でした。

札幌大紀行 vol.2:東急での戦い 

平成29年4月17日
「多数ノオ客様ヲ見ユトノ警報ニ接シ、タバコ屋艦隊ハ
直チニ出動、コレヲ捕捉セントス。本日札幌ハ、天気晴
朗ナレドモ雪多シ。

日本海海戦1-3
2月23日(木)午前10時、年に一度の待ちに待った戦い
の火蓋が切って落とされました。ただし決戦の場は対馬
海峡でも津軽海峡でも中島沖でもなく札幌東急百貨店
催事場です。
DSCN3223.jpg
お客様が一斉に雪崩れ込んで来られました。どこへ行
かれるのかと思いきや一斉にタバコ屋の店目がけて来
るではありませんか。やや恐怖を覚えましたが、マネキ
ンのお姉さん方は手馴れたもので、来たぞ、来たぞと
腕まくりで、倅のマー君が「撃ち方始め!」と叫んだかど
うかは知りませんが、一斉射撃(販売)を開始しました。
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(エピソード1)
「ちょっとお兄さん、それ頂戴」「はい、いよかん何玉ほど
お入れしましょう?」「何言ってんの、玉じゃなくて箱で頂
戴!」「5kgと10kg箱がございますが」「5kgじゃ少なくて
だめよ、あ、10kg箱1箱じゃなくて3箱届けてね、すぐ無く
なっちゃうから。そうそう、はるみって言うみかんもおいし
そうだから1箱いよかんと一緒に届けて頂戴、あ、それと
今日家に帰って食べるのがいるからテキトーにおいしそ
うなの見繕って袋に入れて頂戴な」・・・・。
お客様とマー君の想像の会話ながらかつて内地(大阪、
京都、東京)の催事でこのような会話を交わしたことが
あったでしょうか。大陸的と申しますか、ダイナミックと
言いますか、お買い物の仕方がまるでNIPPON離れし
ているんです。今はやや下火とはなりましたが中国の方
々の爆買いにもひけを取らない「買いっぷり!」には4才
の頃から前垂れ掛けてきた商いのプロであるタバコ屋も
正直ビビリました。
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開店(開戦)早々の一斉射撃で「まあ一年ぶりね、今年
の味はどう?とりあえずこれ頂戴!」と次々に押し寄せ
て来るお客様を恐る恐るご満足させつつある秋山隊長
改めマー君は、幸先の良いスタートに手応えを感じつつ
「いらっしゃいませ~」と声を張り上げるのでした。
ちなみに札幌というか北海道の方々の言葉は基本的に
東京弁でとても歯切れが良いです。タバコ屋などは関西
系ですので、マネキンさんなどのハキハキした言葉に遭
遇すると何か叱られているような気がしないでもありませ
ん。
(エピソード2)
開戦直前「さつまいも」試食用焼き芋に必要なトースター
を入れ忘れてきたことに気付き、現地調達をすることに
なりました。マネキンさんたちも早く焼き芋を作ってお客
様に試食をして頂かねばなりません。「社長、突っ立っ
てないで、早くトースター買って来て下さい!」とか言わ
れるとやはり何か叱られている様な気分です。京都風
ですと「早よ行ってきよし」もしくは「早よう行ってくれはり
ませんか」ですが、これでは気が抜けて戦にならないか
も知れませんよね。ちなみにトースターはビックカメラで
2,000円で入手出来ました。
DSCN3229.jpg
タバコ屋がトースターを調達に行って帰って来ると会場
はご覧の通り大混雑で、身動きが取れないほどです。
やがてトースターはマネキンさんにひったくられ、程なく
芳ばしい香りが漂い、みかんの香りと相まって、集客の
強力なシカケが完成致しました。尤も、そのシカケは必
要ないほどお客様が押しかけていたのでしたが・・・。
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押し合いへし合いもうお祭り騒ぎです。右に腰掛けてい
らっしゃるのは発送の手続きをしているお客様で、大抵
がみかんを箱単位で(5~10kg)で購入され、ご自宅届け
もしくは贈答品としての発送となります。まあ、ビックリし
たのはその比率が他の百貨店に比べ格段に高いのです。
札幌市内ですと送料も300円とかタダみたいな料金なの
で皆さん気軽に利用されるのかも知れません。
この発送コーナーが終日満席だという事実をもってして、
「フレッシュファクトリートミナガ」がビッグ3の頂点である
理由がおわかり頂けると思います。専門的に申しますと
お一人当たりのお買い上げ額(客単価)がべらぼうに高
いということなんです。
IMG_2585.jpg
(エピソード3)
送りと言えば忘れもしませんが、今から10年程前ご縁が
あって京都大丸でみかんの催事をさせて頂いたことがあ
りました。とある上品な高齢の奥様がお買い物をして頂
き、やはりご自宅届けという段になり、ふとご住所を拝見
すると、「中京区千本通り元誓願寺西入・・・」アレレレ、
これって同志社大学自動車部時代、一期後輩のT女史
のご実家の近くやんかと思いつつ、その奥様にT女史の
ことをさりげなくお聞きすると、どうもお隣にお住まいだ
そうで、「Aちゃん(T女史のお名前)は生まれた時からよ
く存じてますけど、遠方へお嫁に行かはって時々は実家
のお母さんのところへ帰ってはるみたいやわ・・・・。」
35年の時の流れを感じたひと時でした。
その奥様は、その後も催事の度にご来店頂きましたが
数年でこの企画はなくなり、大丸にお邪魔することもなく
なりました。今頃お元気にされていらっしゃるだろうか。
DSCN3232.jpg
愛媛・松山の催事らしいと言えばこのシーンでしょうか。
夏目漱石の小説「坊ちゃん」に出てくるマドンナ嬢をモチ
ーフにした「マドンナ大使」です。赤い矢絣の小紋にマル
ーン(海老茶色)の袴のいでたちで、観光協会の新居田
会長の粋な計らいにより、タバコ屋のところが多忙を極
めているのを見かねて、販売応援のためマドンナ大使
を派遣してくれたのでした。
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マドンナ嬢が手にしているのは「ひめのつき」という新品
種みかんの試食容器で、さわやかでジューシーなお味
のため、てんこ盛りだった試食品があっという間になくな
ってしまいました。
ちなみにこのお嬢ちゃんは地元松山の国立愛媛大学の
学生さんで今回マドンナ大使に選ばれて札幌に同行し
て来ました。可愛らしいでしょう。
祇園花見小路2
(エピソード4)
空想ながら京都祇園は花見小路のとあるお座敷あたり
で、このお嬢ちゃんが舞妓はんの格好をして出てきて一
通り舞を披露した後、お席の横にしとやかに座し、おも
むろかつにこやかに「タバコ屋はん、お一つど~え?」
などと言われたらもうどうしよう。盃2~3杯で酔っ払って
しまうんではないだろうか。

などと考えているとマー君から「おやじ、ボーっとせんと
早よ、裏からみかんの追加運んで来てや!」と檄が飛
び現実に引き戻されたタバコ屋でした。
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初日は地元北海道TVもレポート番組を計画していて、
松山から来ている坊ちゃんとマドンナ嬢にレポーターと
して出演して貰い、出店企業をいろいろご紹介するとい
う企画のようです。
ちなみに弊社はマドンナ嬢が紹介する「紅まどんな」と
行きたかったのですが、紅まどんなはもう時期が終わっ
てしまっており、今回は「甘平(かんぺい)」という新品種
のご紹介になりました。
DSCN3202.jpg
せっかくですので、出店仲間のお店を若干ご紹介して
おきましょう。まず弊社の向かいは「後藤商店」という味
噌屋さんです。地味なお店で向かいのみかん屋が派手
に大騒ぎしているだけにやや可愛そうな気もします。
店長の小林さんとはすぐに仲良しになりました。
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会場の真ん中あたりに陣取っている会長の新居田さん
のお店です。養蜂とハチミツ採取は「小池養蜂園」で、
各種製品加工は「サンビーフーズ」という会社が行って
おりどちらもオーナーはいっしょです。タバコ屋は新居田
さんとはひょんなご縁でお近づきになり、希望の島の
「みかんハチミツ」はこの新居田さんから分けて頂いて
います。非常に高品質です。
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夏目漱石ゆかりの地、松山はその作品にまつわるご当
地スイーツも数多く開発されていますが、その中でも有
名なのが「うつぼ屋」さんの「坊ちゃん団子」です。
坊ちゃん団子2
普通お餅は中に餡子が入っているのですが、このお団
子はお餅を餡子でくるんで団子にしている訳で、お菓子
としての団子はそれが普通なのかそれとも特殊なのか
タバコ屋は今一つ不勉強にて・・・。
DSCN3322.jpg
続いて「田川椎茸」さんです。左の巨体にオレンジ色の
ハッピをまとったお方がその田川さんです。椎茸の専門
店なのでスペースはそんなに必要でなく非常にコンパク
トにまとまって比較的静かに販売されていました。
但しオーナーの田川さんはおもしろキャラクターのお方
で、松山遠征軍団の重要な一角を構成されています。
DSCN3323.jpg
このブースはビッグ3の一つ森水産さんと同じ中島対岸
の北条地区から出店されている「忽那醸造」さんです。
弊社は三津浜地区の「村要醸造」さんと長いお取引なの
で忽那さんとはご縁がありませんが、同釜の仲間であり
この催事では常連さんです。お醤油がメインですが、だい
だいを使ったポン酢等持参されているようでした。
DSCN3291.jpg
そのようなことでまずは上々のスタートとなりました。宿
泊はマー君が事前にフライト込みの格安プランを押さえ
てくれており、中島公園横の「札幌パークホテル」でした。
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タバコ屋親子にとっては勿体無いような立派なホテルで
正面エントランスもご覧の如く重厚なしつらえです。
お部屋も広く調度も立派で、朝の食事も豪華バイキング
にて3拍子揃っており、仕事以外でも是非宿泊したいと
思いました。
北海道クリスチャンセンター3
(エピソード5)
4年前に同じ目的で札幌に来た時は同志社大学自動車
部ゆかりの地としてオーテス・ケーリ先生の故郷であり
また我等が裕ちゃんの故郷でもある小樽と裕ちゃん記
念館を訪問し、また自動車部OBの矢島先輩が館長をさ
れていた「北海道クリスチャンセンター」を訪問したりしま
した。(残念なことに矢島先輩はタバコ屋が訪問させて
頂いた時、危篤状態にてその後程なくして天に召されま
した)従って駅の北へ宿泊する時は、北海道大学前に
あるクリスチャンセンター、駅の南へ宿泊する時は札幌
パークホテルにしたいと思いました。
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札幌パークホテル最上階のレストラン「灘万」さんから見
た雪の札幌市南方面です。南の瀬戸内海の島から来て
いるタバコ屋にとってこのような純白の凛とした光景は
異質のものです。
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異質なものは風景だけではありませんでした。エントラン
スにはタバコ屋お気に入りのSUVであるPORSCHEマカ
ンの兄貴分であるカイエンが雪のツララをぶら下げて止
まっていました。お出かけなのかチェックインされるのか
わかりませんでしたがしばし未知との遭遇がありました。
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フロントは塊感とボリューム感があり申し分ないと思うの
ですが、リアエンドはPORSCHEにしては雑なデザイン
で、特にリアコンビネーションランプにはもう一工夫が
要ると思います(造形が安っぽいと思いませんか)。
ま、PORSCHEのSUVを横目で眺める心の余裕が生ま
れるくらいこの時点(3日目の朝)までは諸事、順風満帆
でした。
DSCN3298.jpg
★3日目の朝、よもやまさかの緊急事態が発生しました。
各社が商品補給のために松山から送った荷物がJR貨
物列車の函館郊外での脱線事故により入荷の見通し
が立たないと言うんです。ここで致命的な打撃を蒙るお
店は約3社あったのですが、その中の1社が弊社でした。
何故致命的かと申しますと、今回の商品搬入について
は初回及び中日(なかび)の3日目に到着するものに限
り観光協会が送料全額負担してくれるのでそれに頼れ
ば輸送コストは劇的に低減される訳です。

秋山参謀改めマー君は事故が起こるなどというシミュレ
ーションは想定しておらず、その補給作戦に賭けていま
した。ところがよもやまさか、追加商品が届かないとなる
と作戦は大失敗となり、目の前に押し寄せるお客様を前
に「打つ弾」もなく、むざむざと敗退の白旗を揚げるしか
なくなるのです。札幌の奥様方の「え~!もうないの~」
という悲痛な叫びを聞かされつつ・・・・。
DSCN3294.jpg
観光協会としても新居田会長を始めメンツに関わること
でもあり、かなり殺気立って来ました。マー君もJR及び
日通との事後交渉(いかに早く荷物を着けるか)のため
一時、戦艦三笠(店)を離れ、あちこち飛び回っている
ようです。
さて、タバコ屋です。マー君の留守中、マネキンさん達に
も動揺が広がりました。どうする、どうするの大合唱の中
タバコ屋も悩みましたが決断しました。「よし、こうなった
らあるもの全部売り尽くそう!」とマネキンのお姉さん方
に宣言したのです。それには根拠がありました。毎年こ
の催事を横目で見て来ましたが、必ずジュースやジャム、
さつまいも等が余って帰ってくるのです。つまり柑橘類は
売り易いので全品捌けるけどそれ以外は意外にもかな
り残るんです。
日本海海戦2-1
タバコ屋は決断しました。「弊社ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。
各員(各女子)一層奮励努力シ、売リ尽シヲ完遂セヨ。

戦略が決まるとあとは簡単ですよね。要するに今ある品
を限りなく横に広げてボリュームを付け売り尽くすんです。
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さっそく戦闘配置(レイアウト変更)です。写真の如く新品
種で好評の「ひめのつき」は2倍のスペースでもって販売
再開です。(たまたま多く持参していたのが幸いしました)
DSCN3270.jpg
さつまいもコーナーも2倍のスペースに広がりました。
また、割安感を演出するため、パックに詰め直して販売
する等、あの手この手で再アプローチです。
DSCN3269.jpg
その間にも在庫はどんどん減っていき、しまいにはスイ
ーツのいよかんマドレーヌやいよかんゼリーも横一線
全品陳列という事態となり、それもどんどん売れていく
ので、内心心細い状態となってきました。尚、後ろ壁面
にうず高くみかんの箱が積まれていますが、悲しい事
にすべて空箱です。
DSCN3310.jpg
万策尽き、もうダメかと思われた頃、JR及び日通の必死
の配送作業が実り、追加商品の入荷が実現したのです。
タバコ屋はヤッターと声には出しませんでしたが、心の
中で叫びました。これで最後の2日間が存分に戦えると
言いたいところだったんですが、実際はそれどころか、
すでに売れているご注文分(バックオーダー)だけで、そ
の追加商品は無くなってしまうほど売れてしまっていた
んです。

ま、パニックは収束に向かいつつある中、やや残念なこ
とに、松山のマドンナ看板娘2人が松山へ帰るそうでタ
バコ屋の店にご挨拶に来たのです。お着物姿とはまた
違うお嬢様方のなまめかしいOIROKEを感じたタバコ屋
でしたが決して変態オジサンではないと思っています。
DSCN3304.jpg
外は事の経緯を象徴するような猛吹雪の一日でした。
社員食堂からの眺めなんですが、北海道札幌ならでは
の風景ですよね。四国松山、ましてや瀬戸の中島では
全く考えられない景色です。
DSCN3314.jpg
その吹雪も夕刻には収まり、一安心です。これで明日以
降の戦にも望みが持てたので、倅殿に相談し、ここは
明日でもサッポロビール園に繰り出して疲れを癒そうじ
ゃないかと。
DSCN3326.jpg
やって来ました、サッポロビール園です。タバコ屋はかつ
て45年前、同志社大学自動車部北海道遠征において
札幌では矢島先輩の北海道クリスチャンセンターでお世
話になったのでしたが、当時ビール園に立ち寄った記憶
が全く無いのです。多分一期後輩の奥村氏か井村氏な
ら遠征はず~っと一緒だった訳で真相を覚えていると思
うのですが、さて。
DSCN3333.jpg
とにかく、パニックは収束し不十分ながらも最終決戦に
臨む体制が整いました。東急の閉店後にのこのこ出か
けたビール園にて、閉店までわずかしかなく気ぜわしい
夕食となりましたが、あまり好きではないラム肉のジン
ギスカンとソーセージを焼き、慌しく店を後にしたタバコ
屋親子でした。
さてサッポロビール園ですが、ヘリテージとしての意義
は大きいのでしょうが、レストランとしてはあまり感動す
るものはありませんでした。時間が無かったことも残念
でした。

かくして最大の危機を脱し、いよいよ最後の2日間の戦
いへと突入することになりましたが続きは次回の記事で
お話することにし、今日のところはこの辺で終わりにした
いと思います。タバコ屋はかなりお疲れモードです。

★★島のタバコ屋の独り言★★
【4月10日:ああ創業100年】    島のタバコ屋は先々代が呉服屋を創業以来3代目となり、その間戦後間もない頃には島のバス運営事業を試みる等様々な営みを経て今日に至っています。皆さんよくご存知のNIKONも創業100年なんですが、比較にはならないものの同じ時代を生きてきた訳です。かつてオハイオのメアリーズビルで活躍する夢を抱いたこともあった青年も年を取りました。さて今後の100年をどのように生きて地域のお役に立っていくか、タバコ屋にとっては後継者である倅への「死に土産」としてそのコンセプトを確立しておく必要があると考えています。しかし倅にとっては年寄りの余計なおせっかいに写るかも知れませんよね。
◆◆島のタバコ屋メニュー◆◆
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