イーハトーヴの頃 vol.2:究極のチューニング

平成29年11月7日
DSCN8928.jpg
突然の写真で恐縮ながら、今回のテーマである「究極の
チューニング
」というのはすべてここから始まるんです。
初代フェアレディZの「京都南座顔見世興行」みたいな
お写真ですが、左から静岡のKさんのS30Z、続いて恥
ずかしながらタバコ屋のサファリ仕様Z、続いてANA国
際線パイロットにして奈良在住のEさん所有のZ432、
その右の黄色いZは岡山のSさん所有のZ432です。
DSCN8948.jpg
ここは岡山の鷲羽山(わしゅうざん)パークウェイの頂上
駐車場なんですが、このように希少なZが何故ここに集
結しているかと申しますと、タバコ屋が最近入会させて
頂いた初代フェアレディZの愛好会で日本でも最高権威
のクラブである「CLUB-S30」において20周年を記念し
て企画された「フラッグ・リレー」の実施中だったんです。
東京を起点に中部東海、関西、中国山陰、九州、東北、
北海道、果てはUSA、イギリスまでに至ろうかという雄大
なプロジェクトです。もちろん、ここ岡山の倉敷に集まっ
たメンバー全員でフラッグに記念のサインを書き入れま
した。すべての巡回が終わった頃には余白は埋め尽く
されていることでしょう。
DSCN8922.jpg
さて、再会を果たしたメンバーは、せっかくなのでこの際
地元のSさんのご案内で「鷲羽山パークウエイヒルクライ
ム」を試みることになりました。事件はそこで起こりました。
写真はその時の模様ですが先頭は岡山のSさんのZ432
、続いては奈良のEさんのZ432、黒いマッドブラックのボ
ンネットはタバコ屋のサファリZです。後ろのしんがりには
静岡のKさんが続いています。先頭のSさんはスタート前、
「ゆっくり行きますから後をついて来て下さい。」と言いま
した。しかしです。スタートすると意外にも相当なスピード
なんです。タバコ屋はビビリました。ヤバイ置いて行かれ
ると・・・。
鉄人28号4
しかし愛しの赤いお嬢ちゃんは3Lにボアアップしている
ためトルクはあるものの、スロットルをいくら煽っても重
々しく加速していくのが精一杯だったのです。胸がすく
ような加速、例えて言えば昔日の記憶の彼方にある
ビューンと飛んでく鉄人28号」の加速ではありません
でした。
DSCN8981-6.jpg
翌日、宿泊先の倉敷アイビースクエア・メインゲートを前
にCLUB-S30副会長であり、タバコ屋の赤いお嬢ちゃん
のメイン・ドクターでもあるKさんのブリティッシュグリーン
に染められ、ワイヤーメッシュのホイールを履いたトラデ
ィショナルなS30Zとタバコ屋のZが揃って記念撮影です。
しばしのお別れとなるのですが、四隅をしっかり踏ん張
ったタバコ屋のZはワイルドで猛々しい外観の割には、
サファリの草原のチーターの如き瞬発力がないことが
露見してしまったのでした。
ややウルッときたKさんとの別れに際し、今回の不本意
な走りに対して、頭に血が上ったタバコ屋は後先考えず
「Kさん、こうなったら究極のチューニングでも何でもして、
鉄人28号みたくビューンと加速するようにして下さい!」
と叫んでいました。
もちろん、メカオンチのタバコ屋は自分では何も出来ない
のでこの際、タバコ屋の超得意技である「MARUNAGE
という極めて高度な技法を採用しました。
Zレストア(川嶋さん)88
さてタバコ屋の「赤いお嬢ちゃん」はKさんのご好意によ
り2度目のホームステイを果たすことになり、遠く静岡の
地へ運ばれて来ました。かつて宮沢賢治が故郷岩手の
地に「イーハトーヴ」なる理想郷を求めたように、タバコ
屋と赤いお嬢ちゃんにとって、駿府のとある浜辺に近い
かの地はもはやエルサレム同様「聖地」とも言える場所
となりつつあります。

そのKさんが一言言われたのは「タバコ屋さんのご希望
を叶えるには心臓の外科手術が必要でしょうね!」と。

タバコ屋は鷲羽山でのホロ苦い出来事を解消するため
に、Kドクターの言われるように外科手術を施した場合、
医療保険は適用される筈もなく、一体オカネがいくら掛
かるのか内心ややビビリながらも鉄人28号への誘惑に
は抗し難く、一大決心をし「Kさん、手術でも解体新書で
も何でもやって下さい!」と再びやけくそ半分で叫んで
しまったのでした。
Zレストア(川嶋さん)89
さて、その手術が始まりました。まずは心臓(エンジン)
を降ろします。タバコ屋自身のオカラダの心臓手術の時
はカテーテル手術だったので胸をさばかずに済んだの
ですが、オクルマの場合はそうはいきません。ターンフロ
ーエンジンゆえSOLEXの3連キャブレターと同じ側に6本
の独立したエキゾーストパイプ(いわゆるタコ足)が見え
ています。尚、キャブレターの下側に付いているプレート
はアルミ製でエキゾーストパイプの熱によりキャブレター
が不調になるのを防ぐ遮熱板です。
Zレストア(川嶋さん)91
エンジンの摘出手術が終わりました。SOLEXの3連装
キャブレターが規則正しく並んでいますが、今回はエン
ジン本体のチューニングが主体なのでキャブのオーバ
ーホールはせず(前回のホームステイ時に徹底調整済)
恐らく組み付け後にジェットの調整程度になるのではな
いかと思われます。
Zレストア(川嶋さん)137
ドクターのお話によれば、パワーはあるもののやや鈍重
レッド・ブルをチーターに変身させるにはカムシャフトを
高速タイプ(ハイカム)に換え、それに伴ってバルブスプ
リングも同様に高速スペックに換える必要があるそうで、
その専用パーツを取り寄せてもらいました。写真左が従
来のカムで右がハイカムです。
Zレストア(川嶋さん)101
写真はバルブヘッドを取り外してカムとバルブスプリング
の交換作業に入るところです。
Zレストア(川嶋さん)112
それと並行して以前3Lにボアアップしたピストンやその
廻りに付着したカーボン他のよごれを落とす作業をして
頂きました。
Zレストア(川嶋さん)128
同様にバルブそのものや燃焼室及びその周辺部もピカ
ピカに磨き直して頂きました。これでエンジン本体(心臓
部)の手術は完了です。
Zレストア(川嶋さん)141
次にカム駆動ギヤチェーンの張り直しです。クランクシャ
フト部との間のチェーンのカーブ形状が大切で駆動抵抗
が少なくて済むよう微妙な調整が必要です。
Zレストア(川嶋さん)148
ヘッドの組み付け及びカムチェーンの取り付けが終わり
エンジン本体のチューニングはほぼ完成です。
Zレストア(川嶋さん)113
今回せっかく長期ホームステイを実施するので、この際
ミッション部もリファインして頂くことにしました。まずクラッ
チディスクのチェックですが、ここは当初のレストア時に
交換しているので、治療は不要でした。
Zレストア(川嶋さん)118
次はミッションです。どの旧車もそうですが経年劣化に
より1速やリバースのシンクロがへたってガリガリ音が
発生しだしますが、タバコ屋の赤いお嬢ちゃんも同様で
この際、痛んだシンクロ部品はすべて取り替え、また
変速ギヤの一部も交換しクロスレシオタイプ(3速4速等
頻繁に使うギヤの減速比を近くし、使いやすくしたもの)
に改良しました。
Zレストア(川嶋さん)122
KさんはZに関しては何でもござれですが、ご専門はL型
系ミッションの修理と製作なので、御覧のとおりZ用5速
トランスミッションはシフトフォークの組み付けも終わり、
見事に仕上がりました。
Zレストア(川嶋さん)127
ミッションカバーを元通り組み付け直して完成です。尚、
エンジン回転を同調させるシンクロメッシュシステムに
はポルシェタイプとワーナータイプがあり、タバコ屋の
Zはワーナータイプでシフトが非常に滑らかという特徴
があります。
Zレストア(川嶋さん)154
エンジンをボディに戻します。エンジンをマウントに固定
した後、ミッションをドッキングさせて駆動部は完成です。
Zレストア(川嶋さん)169
次に今回は「究極のチューニング」をと言うことでエンジ
ンのみならず、点火系にも手を入れることにしました。
従来の接点式点火のものから無接点式点火(フルトラン
ジスタ)方式に変更します。それにはディストリビューター
の交換が必要です。これで安定したより強力な火花が
期待出来ます。上が交換したもので下が旧来のものです。
Zレストア(川嶋さん)170
円筒状のイグニッションコイルの下部にある四角いブラッ
クBOXがフルトラの主装置なんですが、メカオンチのタバ
コ屋にとっては文字通りブラックBOXです。ただ心配な
事は長期に亘るレストアに際し、たいがいの部品は交換
して来たのですがハーネスは交換しておらず、もし40年
以上前の製造当時のものだとすれば劣化が心配です。
蛇足ながら、点火系のコードはすべて永井電子のハイ
テンションコードを使用しており、高電圧、電流に対応
しています。
Zレストア(川嶋さん)165
点火系統のチューニングは出来ましたので、次は燃料
供給系のチューニングです。実は前回のKさんちでの
ホームステイを終え自走して島まで帰る途中、高速で
100km/hを超えるあたりから右のリアフロア下よりガス
が漏れるようなシューシュー音がしだしました。タバコ屋
は原因がわかりませんでしたが、何となく燃料ポンプの
キャパシティ不足によるあえぎ音ではないのかと思うよ
うになりました。今回Kさんの診断ではボアアップし高性
能化したエンジンに対し、標準の燃料ポンプ1基だけで
はキャパシティ不足です、とのことでした。
当然「ビューンと飛んでく」フィーリングを実現出来ない
一因にもなっているはずで、この際燃料ポンプを2連装
にしましょうと言うことになりました。
ちなみに写真の上の黒い筒状のものが標準の燃料ポン
プで下のシルバーのものが追加の燃料ポンプです。
Zレストア(川嶋さん)167
ボディ下部に取り付けた状態です。まさしくこの辺りから
シューシュー音が出ていた訳で、不思議なことに2連装
になって以降、その異音はピタリと止んでしまいました。
Zレストア(川嶋さん)168
それと並行して、燃料供給のパワーが増えたためキャブ
レターへ過剰な燃料が流れすぎるのを防ぐため、レギュ
レーターなるものを付けてくれました。燃料の交通整理を
するお巡りさんのようなもので、電気で言えばコンデンサ
ー的な働きをする装置だと思います。
余計なことながら、Kさんは美的センスも備えていらっし
ゃるようで、その配管はまるでインターチェンジのようで
もありタバコ屋はわからないなりに気に入っています。
DSC_2616.jpg
これで、心臓部の外科手術は概ね終わりました。
メカオンチのタバコ屋ながら、Kさんのアプローチは極め
て正統的であり、燃料、火花、燃焼、とバランス良くチュ
ーニングを施し、奇をてらったヘンテコチューニングでな
く、一定の理論と品性に満ちたものであり、しかも街で乗
れるオクルマとしては「究極のチューニング」ではないか
とタバコ屋は秘かに思っています。
240Zサファリ11-1
直接駆動系ではありませんが、足回りのチューニングの
場合、一般的には車高を下げるのですが、タバコ屋のZ
はサファリ仕様らしく逆に上げる試みをしてきました。
Zレストア(川嶋さん)49
方法はスペーサーを入れるとかいろいろある中で、タバ
コ屋がやったのは前期型のボディに後期型のストラット
を取り付けることでした。これは偶然だったのですが、
前輪の前期型のストラット部品が入手出来ず、仕方なく
後期型を取り付けたところ、ラバーマウントの形状の違
い等により、結果的にかなり車高を上げることが出来た
のです。ただしこれではフロントウイリー状態のままだっ
たので、前回と今回のホームステイ時に2度にわたり交
換と調整を実施してもらい前後とも均等に車高を上げる
ことが出来ました。

駆動系のチューニングについてはやるとすれば、あとリ
アデフの交換を残すのみでタバコ屋のイメージするレス
トアはすべて実施しました。
HONDAレジェンド11
突然の写真で恐縮ながらこれはタバコ屋が20年間連れ
添った二代目HONDAレジェンドなんですが、購入後20
万の大金をはたいてアルパインのカーナビとケンウッド
のオーディオセットを装着しました。島で使うことはほと
んどなく、約10年間宝の持ち腐れ状態で最後の別れを
迎えたのでしたが、それなりに満足していました。
Zレストア(川嶋さん)164
さて赤いお嬢ちゃんです。瀬戸内海の中島からはファー
イーストの彼方ゆえ滅多にKさんちに赤いお嬢ちゃんを
送り込むことは出来ませんので、この際コクピット廻りの
ユーティリティ(使い勝手)も改善して頂くことにしました。

昭和48年(1973年)製造のこのオクルマは当時としては
NISSANの最新技術を注ぎ込んだハイテク車だったので
すが、今となっては軽カーにさえ当たり前で付いている
快適装備がまったくないのです。具体的に申し上げます
と、エアコンはもとよりオーディオ、カーナビ、ETC、等々
また今流行のドライブレコーダーなんて考えも付かない
時代でした。

今回はそのうちカーナビとETCを装着することにしました。
まずカーナビですが、Zのインストルメントパネル(いわゆ
るダッシュボード)は一般車とは逆の勾配が付いており、
非常に装着しにくい構造になっています。そこでKさんは
一計を案じ、カーナビ本体はダッシュの裏のどこかへ収
納したかあるいはディスプレイ部にメカが集約されている
のかうまくまとめ、やや小さめの表示パネルをギヤBOX
の前のフューズBOX部に取り付けてくれました。GOOD
アイデアです。これだと各種コントロールスイッチやラジ
オを犠牲にすることなくシステムが共存出来ます。

またETCはグローブBOXの裏蓋の部分に取り付けてくれ
たので、これも蓋を閉めれば装置が露出することもなく、
スマートに使用出来ます。これもGOODです。

そんな訳でS30-Zを2台お持ちのKさんならではの気配り
施工によりタバコ屋の想像以上の仕上がりとなりました。
P0059660リサイズ-1
また写真ではわかりにくいですが、クラブ創立20周年を
記念して制作されたウッド製のシフトノブを装着してもら
いました。ちなみにこのシフトノブの製作者はKさんです。
またシフトノブの素材はお仏壇等に使用される高級木材
の黒檀を使用しています。S30ZエンスーのKさんならで
はの粋な計らいですよね。
フェアレディZ(ワークスラリー仕様)リアビュー2-1
あと、ボディ回りのチューニングと言うよりは、お化粧的
なデコレーション・アイテムとして、DATSUNのロゴ入り
ワークスタイプ・マッドフラップを装着して頂くことにしま
した。これには若干の補足説明が必要で、実は京都の
ご存知、平尾センセがタバコ屋の構想を事前にキャッチ
し、「それやったら、俺が作ったるわ!」と言ってくれたの
です。
Zレストア(川嶋さん)162
当時のワークスカーやそのレプリカは横にかなり張り出
したデザインですが、タバコ屋はあまり好きではありませ
んでした。
マッドフラップ装着参考写真1
偶然にもタバコ屋の好みのデザインのマッドフラップを
装着した古いS30Zの写真が見つかったので、このイメ
ージを再現したい旨をKさんにも平尾センセにも伝えま
した。
Zレストア(川嶋さん)160
Kさんはタバコ屋のイメージをよくわかって頂き、写真の
ようなデザインのフレームを制作してくれました。イメー
ジ通りの仕上がりです。
Zレストア(川嶋さん)161-1
また平尾センセは、以前小樽の石原裕ちゃん記念館を
訪れており、ここだけの話しながらその時タバコ屋同様、
案内嬢の目を盗んで、「栄光への5000キロ」の撮影に
使用したブルーバードP510のマッドフラップ装着状態を
立入り禁止を無視して根掘り葉掘り調べまくっており、
今回その時の経験がフルに?生かされる訳です。
写真は平尾センセ、オリジナル制作のDATSUN・マッド
フラップですが、純正品よりも出来が良いと思うのです
が、皆さんはどう思われますか?。デザインはタバコ屋
好みの外側に張り出さないストレートタイプです。
Zレストア(川嶋さん)174-1
仕上がりはこんな感じになりました。結構精悍なイメー
ジが表現出来ていると思いませんか。
240Zサファリ3-3
続いてはフロント部です。ワークスサファリ仕様車の場
合はボンネット上及びバンパー、またフェンダー部にも
補助ライトが装着されていました。
240Zモンテ6-2
モンテカルロ仕様車の場合は、狭くて曲がりくねった山
道を走るので、ノーズを短くするためと、明るい光源を確
保するため、バンパー中央部をカットし一段下げた改造
バンパーをくっ付け、そこにスポットやフォグランプを並
べるという方法を採っていました。
DSCN9544-1.jpg
タバコ屋はいろいろ悩んだ末、バンパー改造とかをせず
にファッション・アイテムとしての補助ライトを装着するこ
とにしたのですが、結果としては2灯のスポットランプを
バンパー左右にぶら下げることにしました。
ドライビングランプ868S
実はこの作業はKさんちへホームステイする少し以前に
松山で実施したのでしたが、この際も京都のアオリイカ
大魔王こと平尾センセに煽りまくられブランド品のCIBIE
を付ける寸前でした。また梅田のヤリ手会計士上山青
年からは中古の巨大なCIBIEライトをお送り頂いたりし
たのでしたが、控えめで慎み深いタバコ屋はあまり見せ
びらかし屋のようなことはしたくなかったので国産のごく
安物のIPFというメーカーのスポットランプをアオリ大魔
王氏に斡旋して頂き、装着した次第です。

まあ、やりもやったり、以上タバコ屋の考えうる「究極の
チューニング」及び「お化粧大作戦」は完了致しました。
納車後のZ
思い起こせば、購入時は御覧のように湾岸ミッドナイト
仕様のチンケなしつらえで、見せ掛けのレーシングアイ
テムは付けまくっていたものの肝心なエンジンや足回り
は恐らく資金が尽きてしまったのかガタガタで、まともに
街中で乗れるシロモノではありませんでした。
タバコ屋にとってはくず鉄同然のオクルマを足掛け10年
の歳月を要して一大変身させた訳ですが、その一因と
なったのは忘れもしませんが、S48年卒自動車部同期が
京都祇園の「由良之助」で再会時に、例のアオリ大魔王
平尾センセにその写真をお見せしたのが運の尽きで、
チャンタよ、そらカネ掛かるやろうけど人生一回キリなん
やからレストアに挑戦したらどうや!と煽られ、馬鹿な
タバコ屋はその甘いオコトバに乗せられ、以前にもお話
しした地獄のレストアへと突入したのでした。ま、今となっ
ては懐かしい思い出となりました。

それでは皆さんに今回の赤いお嬢ちゃんの3ヶ月の長期
に及ぶチューニング&ドレスアップの全貌を以下の写真
で御覧頂きましょう・・・。
Zレストア(川嶋さん)175-1
左斜め前方からの写真です。四隅をしっかり踏ん張り、
もう以前のように急な坂道でアルトのおばちゃんにスッ
と抜かれたり、あるいは「名ばかりのGTは道を譲る」
なんていうかつてのCMコピーを気にしなくて良くなった
赤いお嬢ちゃんです。
ジョイナー1
それどころか、スプリンターのF・ジョイナーを彷彿とさせ
る精悍さが出てきたと思うのですが親の欲目でしょうか。
Zレストア(川嶋さん)172-1
ローダウンという世間の定石に背を向け、唯ひたすら
ハイアップを敢行した真横からのプロポーションです。
賛否両論、好き嫌いはあるでしょうが、タバコ屋はこの
プロポーションが極めてお気に入りなんです。
オリジナルと異なるのは純正の砲弾型フェンダーミラー
がしょぼくて使い物にならないのでトヨタMRSのドアミラ
ーを流用したのですが奇跡的にピッタリでした。またホ
イールは当時まだなかったワタナベ製8本スポークアル
ミホイールです。

フロントフェンダーのNISSANワークス風プリントロゴは
ご愛嬌と言うか物好きと言うか・・・。その下には同志社
のステッカーも。
Zレストア(川嶋さん)176-1
左斜め後ろからの写真です。以前はなかったDATSUN
マッドフラップがリアスタイルを引き締めるのに役立って
いると思います。蛇足ながらマッドフラップはファッション
アイテムとしての要素が強いのですが、リアバンパー左
右に付いている小さなブルーのランプはバック用の補助
ランプで非常に明るく実用面で重宝しています。ただし
ここだけの話しながら、法律的には意外な事に違法装置
です。
DSC_2591.jpg
3ヶ月に及ぶ長期のホームステイを終えた赤いお嬢ちゃ
んですがその面会と引取りに遠く静岡のKさんの工房に
おじゃまする時期がやって来ました。行きは松山からフェ
リーで大阪まで行きそこからは新幹線です。
029.jpg
一人では心細いので、タバコ屋の自動車部同期でタバ
コ屋が勝手に任命したお嬢ちゃんの担任教師でもある
例のアオリ大魔王こと京都の平尾センセに恐る恐る同
行及び試走をお願いしたところ、多忙なオカラダながら
快く引き受けて頂きました。
028.jpg
アタマは同期の神戸のギーちゃんこと森本氏から頂い
たはちみつ育毛剤を大量投与しているにも拘わらず
あまりレストアが進まない悲観的な状況ながら、心は
晴れやかで、新幹線の車中で平尾センセと寛いでいる
タバコ屋でした。
013.jpg
さてお嬢ちゃんとのご対面です。長期合宿で鍛え直され
た心臓と足腰が心なしか逞しく感じられた一瞬でした。
031.jpg
Kさんから心臓オペの経過やらその他諸々の改良手術
の説明を頂いた後、近くのと言うかすぐ向かいの海岸道
路でさっそく試乗です。
DSCN4442.jpg
試走は主治医であるKさんにお任せしたまでは良かった
のですが、横に同乗したタバコ屋は久しぶりにビビッて
しまいました。Kさんはご自分のチューニングしたS30Z
でしょっちゅう富士スピードウェイのスポーツ走行会に
参加しているため、MAX加速や高速走行には慣れてい
て、朝飯前の涼しいお顔のドライビングスタイルにて、
5000rpmから7000rpmあたりまでバンバン廻すんです。
その加速はハンパではなく異次元の体験にて、まさしく
「鉄人28号」を再現したものでした。

Kさんは言いました。「ご希望通りに鉄人28号の加速を
実現しましたが、タバコ屋さんはご満足頂けましたか?」
と。タバコ屋はと言いますともう数年前にこれまた自動
車部同期の九州のラーメン王こと末永氏のPORSCHE
911カレラ4S(四駆)に同乗しあまりの加速の激しさに失
禁しかかって以来の出来事にて、もう返事もろくにする
余裕もなく「Kさん、もう凄いです、想像以上の加速です。
よくわかりましたのでもうゆっくり走って頂いて結構です」
と言うのが精一杯でした。

ただ訪問する前から気になっていたチューニング後の
実馬力ですが、Kさんに恐る恐るお聞きしたところ、計測
はしていないものの経験上恐らく250馬力以上は出てい
ると思います。とのことでした。そうなると車重は1tと極
めて軽いため、パワーウエイトレシオは欧米流表示の
場合250PS/tとなって我ながらやや気恥ずかしくはある
ものの世界一流のスポーツカーに匹敵する数値です。
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写真はその時の猛然と加速していくお嬢ちゃんの様子を
平尾センセが撮影して頂いたものですが、DATSUN・マッ
ドフラップが後ろにたなびいており、かなりの加速である
ことがご理解頂けると思います。
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ひと時の非日常的な体験を楽しんだ後、おなかもすい
たので、Kさんご推奨のお店で「鰻の蒲焼パスタ」という
これまたマニアックなメニューのランチを楽しみました。
017-1.jpg
3人でZ談義に花が咲き、話しが尽きることはありません
でしたが、場所を移してお茶タイムとし、お別れすること
にしました。いっしょに停まっているのはKさんのもう一
台の愛車であるSUBARUレガシイB4・ブリッツェンです。
021.jpg
ちなみにKさんのFACTORYは霊峰富士を望む風光明媚
なとある街にあり、ヒルクライムを楽しんだ後お別れした
のは全国的に有名な観光名所でもある某丘陵地です。

今回大変お世話になったKさんですが、以前の記事でも
ご紹介しているので、賢明な読者の皆さんにはもうその
お名前がおわかりのことだと思うのでバラしますとヴィン
テージクラフト・イーザというZのエンスー向け工房を営ま
れまた初代S30ZのオーナーズクラブであるCLUB-S30
の副会長でもある川嶋さんです。
フランシスコザビエル1
いつも物静かで、ある時はガンジーの如く、またある時
はフランシスコ・ザビエルの如く哲学的な表情を見せら
る川嶋さんですが、タバコ屋はかつて500年も前、戦国
時代の日本に遠く南蛮の地からカトリックキリスト教を
伝えたst.フランシスコ・ザビエル師になぞらえ、彼のこと
を勝手に「初代S30Zの伝道師」とお呼びしています。
DSCN4459.jpg
さて帰路はタバコ屋御用達のワークスドライバーである
平尾センセにステアリングを託しました。かつて若かりし
頃、学生ラリーで華々しく活躍し同志社に平尾ありと言
われた往年の姿を彷彿とさせる、無理のない理想的な
ドライビングスタイルです。彼曰く「やっぱKさんすごいな
SOLEXの理想的なチューニングやんか!」とのことで、
SOLEXがどう言うものか全くわかっていないタバコ屋に
とっては外人が勝手にしゃべっているチンプンカンプン
のセリフでした。
尚、前回の帰路において100km/hを超えると発生して
いたシューシュー音は見事に消え去っていました。
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京都・宇治への帰路、日もやや陰って来て甲賀の里の
あたりのSAで休憩です。聡明な平尾センセは教え子の
赤いお嬢ちゃんが逞しくなったことに思いを馳せている
のか、はたまた当時のNISSANワークスドライバーだっ
た、E・ハーマンやアールトーネンの気分に浸っている
のかタバコ屋は聞きそびれました。
006L.jpg
やがて平尾センセのご自宅に到着です。恐縮な事に
ご自宅のガレージの愛車ミツビシランサーエボリューシ
ョンX(10)の横に停めさせて頂いて記念撮影です。
奥様の言によれば「まるで紅白饅頭並べたみたいやわ」
と仰ったそうで、彼女もなかなか独特の美的感性をお持
ちのようです。
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あおりを食ったようになったのがこのオクルマで、平尾
センセが毎日のスニーカー代わりにしているNISSAN
キックスなんですが、以前の記事でもお話したように
長きに亘り二代目ミツビシパジェロ・ロングボディをご愛
用だったのでしたが、タバコ屋がダウンサイジングのス
スメで煽ったせいかどうか、その戦車のようなオクルマ
を手放し、娘婿殿がお勤めのNISSANで上記のオクルマ
を購入された次第です。
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しかしエンスーの平尾センセがそのままおとなしく乗る筈
がなく、いつの間にかラジエターグリルはミツビシマーク
となり、どう見てもミツビシパジェロ・ミニです。キックスが
パジェロ・ミニの兄弟車であることもありパジェロを愛した
平尾センセにしてみれば少しでもパジェロ風にしたいの
でしょう。またリアのスペアタイヤカバーの中心には同志
社ラリーの第3回目の記念バッジがさりげなく取り付けら
れていました。
一方ナンバープレートに1933なんて同志社大学自動車
部の創部年度にあやかった数字を付けるは、プレートは
黄色から白に換えるわで、もう完全に常軌を逸した拘り
です。まあ趣味のないない方にとってはバカげた改造で
すが彼にとっては大真面目のオシゴトなんです。
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彼にとってはその程度では納まらず、軽カーにとっては
贅沢な装備であるインタークーラーターボのオイルクー
ラーカバーを始め、何やらラバーの止め金具にも赤い
塗装を施し拘りのオクルマであることを自己主張してい
ます。挙句の果てはステアリングの皮巻き改造もご自
分でやったそうで、MARNAGEが得意のタバコ屋から見
れば、あきれ果てる行為です。それ以外にもエンジンや
足回りをかなり改造しており、スニーカーがいつの間に
やらスポーツカーに変身してしまったようです。
それにしても元校長センセにしてはメチャ器用だと思い
ませんか。
DSCN3767-1.jpg
お嬢ちゃんの引取りに際し、今回またもやお世話になっ
た平尾センセともお別れの時間が近付き、おいとまを
することになりました。会うは楽しく別れはつらいのが
世の習いとは言え、途中まで見送って頂いた時には
こみ上げるものがありました。いつもの慣れた国道2号
を南下し、御堂筋、難波経由で大阪南港に到着です。
IMG_3760.jpg
早朝の愛媛、東予港に到着です。あとは一路中島へ
といきたいところでしたが、丁度車検を受ける時期にな
っていたので、行きつけの松山の整備工場に立ち寄り
お嬢ちゃんを預けることにしました。ようやく再会したと
思ったら再びしばしの別れとなりました。やれやれ。

以上、赤いお嬢ちゃんの3ヶ月に及ぶホームステイの
顛末をお届けしましたが、一連の出来事は物好きとも
言えるもので、決してお勧め出来ることではありません
がタバコ屋自身は山本リンダと同級生のせいでもない
でしょうがやり出すと「もうどうにも止まらない」という悪
い性癖を持っているようで、とうとうここまで来てしまっ
た次第です。紙数も尽きたようですので今回はこれに
てひとまず終わりとします。長時間のご精読有難うござ
いました。

イーハトーヴの頃 vol.1:プロローグ

平成29年10月13日
あれはいつの頃のことだったんだろう。思えばタバコ屋
を始めとする高度成長時代の申し子である「万博世代
(タバコ屋の造語です)が、昭和40年代から平成初期に
かけての20年間、右肩上がりという熱病にうなされて突
っ走って来た時代がありました。その間にはオイルショッ
クを経験し、その後バブル景気にすっかり酔ってしまっ
たものの、その崩壊後は次なるリーマンショックが到来
し、幾度となくショックだらけの冷水を浴びせられ、以後
ひたすら右肩下がりの時代になってからも逞しく?生き
抜いてきた我ら万博世代は、景気がどうあろうと「どっか
らでも掛かって来い!」という腹の据わった気概が生ま
れてしまったように思います。これをアカデミックな学術
用語では「時流適応」と申します。
三波春夫1-1
さて、その万博世代もよわい60有余年を生き、人生の
黄昏を迎えようとするにあたり、ふと自分の人生を振り
返ると悲喜こもごも自責の念やら満足感やら入り混じ
って複雑な感情につまされているのはタバコ屋だけで
はないと思います。

趣味とは申せ、好きなオクルマの遍歴においても同様
で、あこがれのクルマ、初めて購入したクルマ、彼女と
の思い出(その有無は問わず)、お子達との思い出等
々その時期々において様々な事情の中で使い分けて
来たと思うんです。ご自分の夢、思いをすべて実現した
方は幸せだと思いますが、タバコ屋の場合は愛車遍歴
と申しましても、バカの一つ覚えの如くひたすらHONDA
車を愛用してきたことは以前の記事にて何度もご紹介し
て来ましたよね。

もう10年近く前のことになりますが、還暦を間近にして
ああこのまま朽ち果てるのかと思うと一抹の寂しさが
こみ上げ、せめて「死に土産」としてタバコ屋が若かっ
た頃(ということは今出川時代)に憧れだったオクルマ
に一度でも乗ってみたいと思うようになりました。
宮沢賢治2
ところで、憧れや理想といったものは誰もがお持ちだと
思うのですが、タバコ屋の好きな詩人で昭和初期に意
欲的な創作活動をした岩手県出身の宮沢賢治のことで
す。彼の晩年には(と言っても37歳の生涯だったのです
が)あの有名な「雨ニモマケズ、風ニモマケズ、雪ニモ
夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ、(中略)東ニ病
気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ西ニツカレタ母アレ
バ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ、(中略)ホメラレモセズクニモ
サレズ、ソウイフモノニワタシハナリタイ」の詩を残した
彼は、一種のロマンチストだったのではないかと思うん
です。
宮沢賢治5
その彼は自分の理想郷(アタマで考えたユートピア)を
イーハトーブ」と名付けました、語源はどうも岩手弁で
イハテのことらしいのですが、それよりも大切な事は彼
にとっての形而上(アタマで空想した)の理想郷なるもの
即ち「ドリームランド」があったと言うことなんです。
枚方パーク4
さて、タバコ屋にとってその「イーハトーヴ」即ち「ドリー
ムランド」とはどんなものだったのでしょうか。もうセピ
ア色に色褪せた幼い頃の思い出になりますが、タバコ
屋は従兄弟夫婦だった叔父叔母のところへ4才の頃、
養子に貰われて行きました。養父母は早く自分達にな
じませようとして、毎年私を連れて京阪神方面へ遊びに
連れて行ってくれたのです。昭和30年頃から数年間の
出来事だったのですが、当時は高度成長時代に突入し
つつあり、また戦後のベビーブームで大阪の街は活気
に満ち、若い夫婦と子供達で溢れていました。ショーバ
イ人もこれを放っておく筈がなく、阪急、阪神、京阪等、
電鉄系資本が競って百貨店を建て、沿線にはレジャー
ランド(今風に言えばテーマパーク)が作られました。
枚方パーク6
丁度、養父母の妹夫婦が大阪に住んでいて、また私の
従兄弟がいたものですから(後、長岡京市に移住)上阪
の時はそこを根城にして二組の夫婦があちこち遊びに
行った訳です。幼いタバコ屋にとっては見るもの聞くも
の新しいものばかりで、子供なりにカルチャーショックだ
ったと思いますが、従兄弟と一緒に行った阪急百貨店、
阪神パーク、枚方パークは幼いタバコ屋にとっての「ドリ
ームランド」でした。特に乗り物が好きで、今で言う電気
自動車(EV)のお子様用ジドーシャには従兄弟と二人で
飽きもせずコインを浪費したものでした。
事実その後、奈良にはずばり「ドリームランド」という名
前のレジャーパークが出来、そこにも遊びに行ったので
したが、それを最後に年に一度の京阪神遊山は終わり
となりました。
ドリームランド4
その後のことですが、小学校も高学年となり、やがて中
学、高校と進むにつれ「ドリームランド」なるものは長き
にわたり封印されることとなりました。やがて大学進学を
迎えるにあたり、担任のセンセはトウキョウの大学(ユキ
チとかオオクマなんていう名前の人が建学した大学)を
勧めてくれたのでしたが、幼い頃の京阪神での思い出
は進学時にも思い絶ち難く、また実母がプロテスタント
のクリスチャンだったことから同志社大学に行ってほしい
という無言の示唆(願い)もありその結果、同志社大学
とご縁を持たせて頂く事になりました。

今出川時代の出来事は以前の記事で沢山書いていま
すので今回は省略致しますが、当時の若者の誰もが憧
れたオクルマに乗れるという淡い期待で体育会自動車
部という特殊なカテゴリーのクラブに入部してしまった
タバコ屋でした。その後は「ドリームランド」どころか地獄
の日々が待っていたのですが、そのこともすでに何度も
書いていますのではしょります。
ブルーバード310-2
昭和30年代後半から40年代(1970年代)前半にかけて、
当時NIPPONは敗戦で叩きのめされたヒコーキ産業の
リベンジの如くオクルマと家電で世界へ雄飛しHONDA
SONYなどが存在感を示しつつありましたがまだまだ規
模が小さく、オクルマ業界で言えばトヨタ、NISSANが中
心でした。中でも日産は「技術の日産」というキャッチフ
レーズで、しかもヒコーキメーカーの末裔であるプリンス
と合併したこともあり、当時の若者にとって憧れとも言え
る魅力的なオクルマを次々に発表していきました。
スカイライン2000GTR-1
タバコ屋を含む多感な青年たちがそれを放っておくはず
がなく、プリンス製スカイライン2000GTを筆頭に、サニー
1200GX、ブルーバード1600SSS、及び和製ミニクーパー
とも言える、斬新なメカニズムのチェリーX1等々、枚挙に
いとまがない程です。その中でも「坂の上の雲」の頂点
に位置していたのがフェアレディS30Zでした。
フェアレディZ10
ほとんどのNISSAN車には乗ったり、見たりしたはずの
タバコ屋でしたが、フェアレディS30Zにはご縁がありま
せんでした。それはタバコ屋だけでなく当時の同期生
たちも同様にて、またオクルマ好きの先輩、後輩の所
有車はもとより、京都の街中でもZを見かけることはあ
りませんでした。

「イーハトーヴ」のお話しに戻ります。さて長らく封印さ
れていたタバコ屋の「ドリームランド」は今出川時代に
再び蘇ったと申しますか、寝た子を起こしたと申します
か、人生で一番多感な時期を今出川で過ごした訳です
から、そこで受けたカルチャーショックというのはかなり
大きいものがあったと思うんです。
黒船1
かつて幕末にクロフネの襲来に際し、吉田松陰はもと
より、坂本龍馬、勝麟太郎(海舟)が受けたカルチャー
ショックはやがてNIPPNがひっくり返ることになる程の
衝撃だったように、異文化の体験というのは強烈なショ
ックを伴うものなんです。ここでタバコ屋としては皆さん
には未発表の画期的な普遍定義を発表しなければなり
ません。何かと申しますと「カルチャーショック=憧れ=
ドリームランド=イーハトーヴ
」という宮沢賢治もビックリ
ポンの新定義なんです。
240Zサファリ10
さて京都の街では見ることがなかったその憧れのオクル
マ、フェアレディS30Zなんですが、当時ボンビー学生だ
ったタバコ屋が今出川の本屋でオッチャンに、はたきで
追っ払われながら立ち読みしたカーグラフィックの紙面
には世界一過酷とされたサファリラリーでワークス240Z
が満身創痍になりながらも、初出場にして見事初優勝、
また雪のモンテカルロラリーでは奇跡的な総合3位入賞
という勇ましい見出しが紙面を飾っていました。ワークス
ドライバーだった名手アールトーネンによれば、240Zは
ライバルのポルシェ911よりも速かったと言いますから、
そらもうNIPPONの若人としては誇らしいことでした。
240Zモンテ3
一方国内のレースにおいては北野元選手の駆る同じく
ワークス240Zが鈴鹿300kmレースにて初優勝し、もう
タバコ屋にとってフェアレディS30Z、なかでもモータース
ポーツで大活躍した240Zは憧れであり、坂の上の雲の
存在でした。ましてやそのフェアレディS30Zを所有する
など夢にも見ることではなかったのです。
240Z-1.jpg
冒頭の文章に戻りますが、時は過ぎよわい60の還暦が
近付くにつれ、死に土産として、今出川時代憧れだった
オクルマにせめて一度でも乗ってみたいと思うのは人情
と言うものでしょう。そのオクルマというのがフェアレディ
S30Zでした。

長い前置きとなってしまいましたが、そのフェアレディZを
取得しその後馬鹿げたことに足掛け7年間にも及ぶ地獄
の復刻作業(レストア)を敢行した経緯については以前の
記事にて詳しくお話し、しましたよね。

さて紙数は尽きたようですが「煩悩は尽きず!」で次回は
懲りないタバコ屋が究極のチューニングを目指して得意
の「MARUNAGE」を実施した最新の模様をお話ししようと
思います。お楽しみに。

時事雑感 vol.10:HONDAの屈辱2

平成29年9月17日
暑い暑いと言っていたらもう9月半ば過ぎで、ここ数日は
またもや台風18号接近で、荒れ模様どころか今度はどう
も瀬戸内海、しかも中島直撃コースのようです。忘れもし
ませんがタバコ屋が地区長を拝命していた今から3年前
の平成26年10月7日未曾有の大雨土砂災害により甚大
な被害を蒙り、それこそ不眠不休で復旧作業を実施した
ことが苦々しくも懐かしく思い出されます。
金星12号1
さて前回の記事でオバカさんの北朝鮮が性懲りもなく悪
さをしていることを若干述べましたが、安倍総理にとって
は好都合なんです。何故かと申しますとやればやるほど
NIPPONの国民は不安でたまらなくなり、安倍さん何とか
しなさいよ、となるからです。安倍総理にとっては「待って
ました」とばかり、北朝鮮非難と制裁を声高に叫び、憲法
を改正して国防をきちんとすべきだ、となるのです。その
意味ではここだけの話しながら、タバコ屋の私見としまし
ては北朝鮮がまとめて20発ほどミサイルぶっ放してくれ
たらいいのにと思います。もしNIPPONに落とせばそれは
金王朝及び北朝鮮の滅亡を意味する訳ですから、あえて
そのような暴挙を働く訳がないんです。
パック3-1
もうやめましょう無駄な議論は。結論を述べさせて頂きま
す。安倍総理、北朝鮮ミサイル撃墜用のミサイル基地は
あちこち移動したりせずに瀬戸内海の西の玄関「中島
に作りましょうよ。それもハンパなことをせず、まとめて
100基ほど設置し、北朝鮮に対し「いつでもゼンブ撃ち落
したるで~」と宣言するんです。設置のネゴシエイション
と設置時のカンキョーセイビはタバコ屋が引き受けますの
でご安心下さい。何せ、タバコ屋には伝家の宝刀である
MARUNAGE」というハイテクノロジーがありますから。
トロ・ロッソ1
ハイテクノロジーと言えば、前回の記事で詳しくお話した
HONDA-F1のことです。以前から噂には上っていたもの
の遂にマクラーレンとHONDAが決別、代わってトロ・ロッ
ソとHONDAの提携が公式発表されました。何と言う屈辱
でしょうか。わかりやすく言えばHONDAのだるいエンジン
による不甲斐ない成績に業を煮やしたマクラーレンに愛
想をつかされ離縁状を叩きつけられた形です。

しかし事実は一方的な話しではなく、ロン・デニス亡き後
文句ばかり言うマクラーレンンにHONDA側も閉口してい
たようで、本音ではマクラーレンとの提携解消は望むとこ
ろだったらしく、最後は「ああわかりました、それでは我々
も独自の道を歩みます」と矜持を見せたというのが真相
だそうです。HONDAにしてみればエンジンは無償で提供
しおまけにスポンサー料として100億円も提供しているの
にその言い様は何やねん!と言いたいところでしょうが、
何やら男女間の別れ話にも似ていて身につまされるとこ
ろがありますよね。
ホンダジェット7-1
このままでは踏んだり蹴ったりのHONDAですが、唯一救
いというかチャンスなのは、世界でも極めて稀な事例とし
て、オクルマメーカーがJETエンジンを生産していることで、
その精密技術をF1エンジンに生かせることにやっと気付
いたことでしょうか。マクラーレンとの関係は破綻してしま
いましたが、今後HONDAがJETエンジン技術のフィード
バックにより劇的なパフォーマンスの向上を果たし、トロ・
ロッソHONDAが優勝争いに加わる!なんてことになれば
マクラーレンも後悔することになりHONDAも今回の屈辱
への溜飲を下げることが出来るでしょう。
レッドブルF1-1-1
荒唐無稽な余談話ながら、噂ではトト・ロッソの次には
その親チームであるレッドブル自身がHONDAエンジン
を搭載するのではないかと言われています。根拠は2つ
あり一つはレッドブルが搭載しているエンジンメーカー
ルノーと犬猿の仲で最悪状態でありエンジンメーカーを
換えたがっていることです。
レッドブル・HONDA-1
二つ目はカテゴリーは異なるものの、二輪のF1とも言え
るMotoGPとは別に市販車を改造したバイクで争われる
スーパーバイク世界選手権(SBK)において、今年から
レッドブルはHONDAワークスチームのメインスポンサー
となり、仲良し関係になったことです。もしその噂が現実
となる場合はレッドブル・HONDAチーム誕生となりかつ
てのマクラーレン・HONDAの如く破竹の快進撃を実現
するかも知れません。また別の見方としてレッドブルは
トロ・ロッソを売りたがっておりひょっとしてHONDAが買
収した場合は再びHONDA-F1ワークスチームの誕生と
いうことになります。
TAG.jpg
その他、数年後はPORSCHEがカムバックしてレッドブル
と組むのではないかという噂もあり、黄昏のF1にあって
メルセデス、フェラーリ、ルノー、HONDA、ポルシェ、の
5大メーカー対決という構図が出来上がりF1業界自体の
活性化と言うか延命処置にはなるでしょう。しかし時代
はもはやエレキの方向に向かっておりエレキ自動車の
F1であるFE(フォーミュラE)は大盛況で世界の有力メー
カーが続々参入していますよね。
ホンダジェット33
さて噂にはきりがないので、タバコ屋がもしHONDAの
経営陣であった場合どういう意思決定をするかを申し
上げましょう。まずF1ですが当面はレッドブル・HONDA
の実現を図り、再びかつての栄光を取り戻そうとするで
しょう。また瓢箪から駒ではあったものの自社のJETエン
ジン技術をF1に活用出来るのであればいっそのことヒコ
ーキのボディ技術を応用した革新的なボディを制作し、
その場合はエンジンもシャシーも自前で賄うワークスチ
ームとして参戦し、現在の屈辱をはね返し、F1界に衝撃
を与えることにします。
近未来F1・LF1-1
ここだけの話しながら、今のF1のボディはゴテゴテとチ
ンケな空力パーツを付けまくった醜いアヒルの子状態で、
美しさというものが全く感じられません。昔から言われて
きたように「速いものは美しい」というのが絶対真理です。
FEジャガー2
またハイブリッドに拘りすぎてエレキの研究でやや立ち
遅れている現状を打開するためにもエレキのF1である
FEに参戦し技術を磨きます。その際はF1同様、HONDA
JETの精密技術を流用し、他チームを圧倒致します。
2013ルマン1-2
一方スポーツカーのカテゴリーでは、NSXハイブリッドを
擁して世界耐久選手権(WEC)及びルマンに挑戦します。
長年PORSCHE、アウディが独占してきた頂点のプロト
タイプカー(LMP)はカネが掛かり過ぎるのでTOYOTA
さんにお任せすることにし、いわゆるスーパーカーと世
間で言われているオクルマが多数出場するGTカー(LM
GTE)のカテゴリーで頂点を目指します。
NSX-GT3-1.jpg
ここでもフェラーリ、ポルシェ、アストンマーティン、BMW
等々世界の強豪がひしめき合っているため、勝つため
にはそれこそHONDA-JETの技術を用いなければ実現
は難しいと思います。しかしもし優勝することが出来れ
ば市販車の販売において、何もTV-CMなど流さなくても
客の方が「これ下さい!」と言ってHONDAのディーラー
に押しかけることでしょう。

蛇足ながら、その場合は購入者には記念プレゼントと
して「POWERED BY HONDA-JET」のステッカーを
差し上げて下さい。尚、発案者のタバコ屋にも1~2枚は
残しておいてほしいと思います。
インディ500優勝3-10-1
佐藤琢磨選手がNIPPON人として初優勝したインディと
現在世界チャンピオンである二輪GPでは一定の成果を
収めているので現状維持とします。

以上好きなこと書きましたが、ここまでやるには1,000億
円近くかかるのではないかと思うので、いくらショウバイ
上手のHONDAと言えども儲けが吹き飛んでしまいます。
もっと儲けりゃいいじゃないか、ですって?。それには
今のHONDAデザインを根本的に見直さないと無理です。
レジェンドを頂点とする現行のチンケなHONDA車の数々
を見て頂ければおわかりのように、タバコ屋がいつも申
し上げている「品性とダイナミズム」に欠けています。

かつてタバコ屋世代が若かりし頃はHONDAは次々と革
新的な製品を生み出してきました。ただあの頃の情熱と
エナジーを取り戻して欲しいと思うのは黄昏のおっさん
の懐古趣味と無いものねだりかも知れません。

時事雑感 vol.9:HONDAの屈辱

平成29年9月9日
タバコ屋にとって福井巡礼は「砂の器」の本浦千代吉、
秀夫(後の和賀英良)親子の苦難の放浪の如く、重い
旅でした。わずか2日の旅が10日間にも感じられる程
濃厚な内容の巡礼旅ではありました。

お陰様にて氏も育ちも世代も異なる巡礼4人衆がかつて
同志社大学体育会自動車部という同じ釜の飯を食った
ことによる同志的結合のもと、まるで兄弟、従兄弟、親
戚のごとく2日間を過ごしたことは奇跡と言わざるをえな
いでしょう。これを学術用語では「同釜」と言うそうですが、
一般常識から言えばアンビリーバブルなことと申せまし
ょう。
紅茶1
さてタバコ屋は、その巡礼記を書き留めるのに多大な
エネルギーを費やし、ほとほと疲れ果てました。ここは
ちょっと一服し、別の軽い話題で気分転換を図りたいも
のです。

何か楽しい話題を皆さんにお届けしたいのですが、現
在を取り巻く社会情勢は、オバカさんの北朝鮮を始め
暗い話題ばかりですよね。現在の緊迫した北朝鮮情勢
は第二次世界大戦前夜の我がNIPPONと同じような状
況で破れかぶれになった北朝鮮が「窮鼠猫を噛む」と
いった暴挙に出なければ良いがと願っています。今回
はそのようなキナ臭い話題がテーマではないので別の
話題に転じます。
マクラーレンMCL32(2017)-1
軽い話題とは言い難いものながら、現在不振の絶頂を
極めるHONDA-F1のことです。HONDAはリーマンショッ
クでF1を撤退し平成26年(2015年)再びカムバックした
訳ですが、当初の目論見としてはかつて頂点を極めた
第二期時代初期のエンジンスペックに良く似たV6ター
ボであったこと、得意のハイブリッド(HV)技術が生かせ
るであろうこと、かつての盟友マクラーレンとタッグを組
むこと、等々で第三期のみじめな結果を繰り返すことは
ないであろうという淡い期待があったのは事実でしょう。
HONDARA166(V6)-9A.jpg
しかし現実はそう甘くはなかったのです。かつて世界の
頂点を極めたシンプルなV6ツインターボエンジンとは異
なり今回はMGU-K(制動エナジー回生発電機+電気モ
ーター)とMGU-H(排気エナジー回生発電機)を併用し
た極めて複雑で一般的には理解しづらいハイブリッド・
ターボシステムになっていたのです。
HONDA-F1エンジン5B
結果は世界に誇るHONDAのハイブリッド技術をもって
しても全く歯が立ちませんでした。パイロットはF1で最
高レベルのF・アロンソ、J・バトンの2枚コンビでしたが
優秀な彼らもパワーがなく、すぐ電池(蓄電気)切れと
なり、しかも壊れまくるエンジンでは勝ちようがありませ
んでした。今年からJ・バトンはS・バンドーンに交代しま
したが状況は同じでした。
HONDARA121(V12)-2A.jpg
2年間の必死の改良努力にもかかわらず、極めて屈辱
的なシーズンを過ごした結果、今年になってその不具
合の真の原因がパーツの精度不足にあることがわかっ
てきました。何と言うことでしょう、かつて時計仕掛けの
ように精密なHONDAエンジンと讃えられたあの技術イメ
ージは何処へ行ったのでしょうか。
ジョンサーティース1
気短かで、何が何でも勝たねば気が済まなかった本田
宗一郎氏なら即座に「勝てねえんだったら、こんなもん
やめちまえ!」と怒鳴り散らすところでしょうが、現在は
かつての本田商店ではなく世界のHONDAですのでそう
簡単にはいかないようです。しかしF1担当の長谷川氏は
もとより、八郷社長までがじくじたる思いで見守っている
筈です。
F1マクラーレンホンダMP4・4-1
当初マクラーレン・HONDA復活のシナリオを描いた張本
人だと推察される元マクラーレンの総帥ロン・デニス氏
は一連の不振のあおりを受けてマクラーレンそのものを
追い出されてしまい、代わりの経営陣はHONDAにそれ
ほどの愛着もなく、今やHONDAは馬鹿にされた挙句、
お荷物扱いで、最近の噂ではマクラーレンはHONDAに
愛想を尽かしルノーエンジンに代えたがっているそうで
す。
さくら研究所5
そうでなくともHONDAはF1復帰にあたり、栃木県のさく
らにF1を中心とした四輪モータースポーツの開発拠点を
新設し、数百名の社員を配置し、莫大な開発費を投入、
おまけに参入に際してはマクラーレンに毎年100億円!
ものスポンサー料(パトロン代)を支払っているそうで、
それらを合計すると推察ながら500億円?くらいの巨費
になるのではないでしょうか。それでうまくいかないなん
て・・・。宗一郎でなくてもやめちまえと言いたくなります
よね。

蛇足ながら皆さん、HONDAがそれほどの巨費をつぎ込
んでF1に執着する真の目的がおわかりでしょうか。
私見ながら、それはマーケティング(ショーバイ)なんで
す。タバコ屋は常々商いの究極の形はイメージ(アイデ
ンティティ)だと申し上げていますがHONDAはF1で勝利
することにより、HONDAの技術の優秀性をアピールし、
ディーラーで営業のお兄さんがくどくど説明しなくても
HONDA車=優れものというイメージを構築し、極論なが
ら商談などしなくても「これ下さい!」というHONDAファン
を作る目論見があるんだと思います。タバコ屋が社長
ならそうします。
ホンダジェット4
それはさて置き、絶体絶命となった今、意外な突破口が
見つかりつつあるようです。業を煮やした経営陣が何と
かならないものかと思案しているうちに、あ、うちには
HONDA-JETがあるじゃないか。JETエンジンンの技術
が何とか応用出来ないものだろうかと考える重役がいた
のです。
ホンダジェットエンジン1
JETエンジンはさくらではなく埼玉県の和光で開発され
ているので、さっそく和光のエンジニアに分析させたとこ
ろ、不具合の原因はパーツの精度不足であることがわ
かったのです。ヒコーキとF1では月とスッポンくらいヒコ
ーキのエンジンのほうが精度が高いそうで、さっそく改
良に取り組みつつあるという現状なんだそうです。
ホンダジェット7
誇り髙きHONDAがアロンソを失望させ、マクラーレンに
は愛想を尽かされ屈辱にまみれている今、JETエンジン
技術の応用による飛躍的な性能向上の実現はもう手遅
れかも知れませんが、自称元HONDA-PTA会長を拝命
していたタバコ屋にしてみれば、アロンソもマクラーレン
も何とか機嫌を持ち直して栄光のマクラーレン・HONDA
の再興を共に図ってもらいたいものです。

一人合点ながら、タバコ屋はその場合のキャッチコピーを
考案済みです。それはPOWERED BY HONDA-JET
なんですけど、少し勇み足ですかね。
ホンダジェット15
余談になりますが、HONDA-JETは小型ビジネスジェット
のカテゴリーにおいて、デビュー早々セスナを抜き現在
世界トップの生産台数を達成しつつあるそうです。思え
ば先の第二次世界大戦で当時世界トップクラスだった
ヒコーキ産業を完膚なきまでに叩きのめされたNIPPON
人の末裔としては誇らしい出来事です。アッパレ!。

福井巡礼 vol.9:出会いと別れ

平成29年9月3日
福井巡礼初日はあっという間に終わったものの、記事
においては8編を要することとなり、その中身はと言うと
日本自動車博物館のオクルマに関することがかなりの
部分を占め、タバコ屋のお好きなカテゴリーとは言え、
ちと度が過ぎたようにも思います。
DSCN3679.jpg
さて、初日の夜も更け3人衆各自ホテルの部屋でご就寝
となった訳ですが、前回記事で予告したように、深夜とん
でもない事件が起こりました。その事件とはまずこむら返
りで足が引きつり、その痛みで深夜飛び起きてしまったこ
とです。別に勝家公の怨念でもあるまいに、しばらく部屋
でストレッチしたりして痛みはなんとか治まりました。しか
しそれから程なく午前3時過ぎだったでしょうか、突然左
胸の腕の付け根あたりが鈍く重い痛みに襲われました。
別に重いものを持った訳でもないのに何故だろうと思い、
水を飲んだり部屋の中をうろついたりしましたが、中々
収まりません。よっぽど隣室の平尾センセを呼ぼうと思
ったりもしましたが、彼も何でも出来るスーパーマンなが
らドクターではないのでご迷惑だと思い、辛抱していると
やっと収まったので事なきを得ました。尤も、かつて若か
った彼も今では高齢者の仲間入りで午前4時頃には目が
覚め、福井城祉のお堀端を散歩でうろついていたそうで
すので声を掛ければ良かったのでしたが・・・。

後日談として、タバコ屋は島に帰った後、再び深夜に同
様の痛みに襲われ島の病院でドクターに相談したところ、
「多分、このままですと今晩死ぬかも知れません」などと
言う物騒なことを宣告され、慌てて松山の総合病院で再
検査したところ、同様の診断結果にて即、心臓のカテー
テル手術となりました。病名は初期の「狭心症」でした。
狭心症1
つい最近まで心臓手術と言えば胸をかっさばいて行う恐
ろしい大手術というイメージがありましたが、タバコ屋が
受けた手術は手首の付け根から細い管を血管に挿入し、
それを心臓まで送ってつまりかけた血管を風船と呼ばれ
る拡張器で膨らませ、再びしぼまないようステントと言う
金属メッシュの管を挿入するというハイテク手術で、今で
はあたりまえの手術となっているそうです。万博世代の
タバコ屋にしてみれば「すごい」の一言に尽きるのですが
レオナルド・ダビンチもビックリポンの急速な医学(医術)
の進歩には驚かされますよね。
レオナルド・ダビンチ2
余談ながら、術後タバコ屋は生まれて初めてICU(集中
治療室)なるところを経験しました。とにかくかみさんに
も知らせずに来たものですから完全看護は有難かった
のですが、尾篭な話しながら尿意を催した時が困りまし
た。絶対安静にてトイレに行くのが禁止!なのです。従
ってベッドの上でYARUしか選択肢はありませんでした。
ナース1-1
うら若き(多分25才前後の)ナースが、ご自分で出来なけ
れば私が尿瓶(しびん)をそっとあてがって差し上げます
よと優しく囁いては頂いたものの、奥ゆかしいタバコ屋と
してはLADYの介添えで堂々と放水する勇気はありませ
んでした。結局ドクターから特別許可を得てベッドのそば
で一人で立って放水作業をすることで事なきを得ました。
スッキリ!。
DSCN4026.jpg
術後の後日談として、手術の翌日ドクターに退院したい
旨申し入れたのですが、いくら手術が簡略化されたとは
言え、翌日退院した患者は今まで皆無だそうで数日は
静養して退院されては如何ですかと勧められましたが、
翌日には倅、若嫁、初孫と一緒に花見の食事を約束し
ていたので、可愛らしいナースには後ろ髪を引かれつつ、
一方的に退院することにしました。結構無茶なおっさん
ですよね。
ミクロの決死圏1
遠い昔の記憶ながらタバコ屋が高校1年生だった昭和41
年(1966年)に「ミクロの決死圏」というSF映画が封切ら
れました。ストーリーは荒唐無稽なもので近未来に物質
をミクロ化する技術が実現されたのですが、ミクロ化は1
時間が限界でそれを越えると元に戻ってしまうのです。
アメリカはこの限界を克服する技術を開発した東側の科
学者を亡命させるものの、敵側の襲撃を受け科学者は
脳内出血を起こし意識不明となりました。科学者の命を
救うには、医療チームを乗せた潜航艇をミクロ化して体
内に注入し、脳の内部から治療するしかないのです。
はたして1時間のタイムリミット内で、チームは任務を遂
行し体内から脱出出来るのか・・・と言うアクションSF映
画でした。
ラクエルウエルチ1
タバコ屋の記憶に残っているのはその奇想天外なストー
リーもさることながら、体内に潜り込む決死隊の一員だ
った肉体派女優のラクエル・ウエルチでした。名前から
してもうムチムチしていますよね。
ラクエルウエルチ6
ここだけの話ながら、タバコ屋の1期後輩で京都の老舗
和紙店のいとはんF嬢はウエルチと互角のプロポ-ショ
ンにて合宿中の男子部員を随分悩ませたと聞き及んで
います。

今回の手術に際しふと昔の映画を思い出したタバコ屋
でしたがもしナースがこのようなお姉さんだったとしたら、
翌日退院するようなバカなまねはしなかったと思います。
DSCN3680.jpg
さて長い前置きとなりましたが、福井巡礼2日目はまず
地元野尻君の経営する野尻コンクリート工業を表敬訪
問することにしました。彼の会社は道路に使うコンクリー
ト製のU字溝やその蓋、取水マスあるいは山間部の土
止め用ブロックやその他建築現場で使用するあらゆる
コンクリートパーツを作っている会社で、福井県でも有
数もしくはトップ企業だとお見受けしました。

ついでながら、彼は県内外で交流が広く近々福井葵ライ
オンズクラブの会長を拝命されるとのことで、多忙に輪を
かけることになると推察致します。
DSCN3682.jpg
梅田のブリンナーこと上山青年が一期後輩の野尻君と
何やら話し込んでいるようですが、察するに「野尻よ、
すまんがこの車止めブロック1セット分けてくれんやろか、
俺近々BMWの4WD買うんやけど、マンションの車止め
壊れてるんや」とか・・・。
DSCN3684.jpg
アオリ大魔王こと平尾センセはと言うと、察するに「いや
実は京都府庁横の俺んとこの事務所もな~元中学校の
再利用なんやけど、取水マスがあちこち壊れてんねん、
野尻よ、すまんけど見積り貰えへんやろか」とか・・・。
DSCN3687.jpg
以前野尻君の青春オデッセイアの記事でご紹介をしたこ
ともある懐かしのご実家です。昭和40年代は日本国中ど
こも新築と言えばこのようなデザインの家でした。ショウ
バイ道具が所狭しと置かれていますが、その脇には朽ち
果てつつあると思われるかなりクラシカルな年式の軽四
バンが止まっていました。何故ここにあるんだろう?。
ちなみに当時の三種の神器は3C即ちカラーTV・マイカ
ー・クーラーでしたよね。エアコンなんてずっと後のお話
です。
DSCN3686.jpg
朝日を背に受けて本社ビルをパチリ、この建物はもとよ
り美人ママ(奥様)の住む豪邸もすべて彼の設計だと言
いますから、ちょっと職業間違えたかも知れませんよね。

ちなみに島のタバコ屋は他の人の仕事を奪ってはいか
ん!という固い信念のもと、今まで行った数々の投資
(店舗等)をはじめ、古いオクルマのレストアに至るまで
すべて丸投げを徹底してきたため、いつしか人知れず
島の丸投げ王」と呼ばれるようになったとか。
DSCN3704.jpg
さて巡礼団4人衆は本日の最初の目的地「恐竜博物館」
に到着です。お出迎えは恐竜のモニュメントでしたが、そ
の近くにはオクルマ業界の恐竜であるTOYOTA・FJクル
ーザーが停まっていました。とにかくデカイです。パワー
、トルク、図体、どれを取っても恐竜並みです。

蛇足ながら、同行の平尾センセもつい最近までこれと同
等のパジェロ4ドア・ロングボディなる獰猛な恐竜を飼育
されていましたが、恐竜時代の終わりを悟られて泣く泣く
手放されたという噂です。
DSCN3694.jpg
巨大なエントランスの吹き抜けを下り、いよいよ恐竜の
ご遺骨?の展示場へと向かいますが、エスカレーターを
降下中の野尻君と上山君はお線香とお数珠は持ってな
いようです。
DSCN3699.jpg
ありました。ありました。皆さんよくご存知のように恐竜
は中世代と呼ばれる今から2億年前という気が遠くなる
ような昔の時代に生息繁栄したイキモノなんですが、そ
れでも地球の誕生が45億年前だそうですのでそれから
見ればごく最近ということにはなりますよね。
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その中世代でも後半の白亜紀と呼ばれる1億年前前後
が最も栄えたらしく写真のティラノサウルスやステゴサウ
ルス等我々になじみの深い恐竜が王者としてのし歩い
ていたようですが、当時は我々人類の祖先である哺乳
類なんていうのは今で言えばアリンコ程度の存在で、
恐竜様の天下が長く続いたのでした。しかしある日突然
大異変が・・・、その後のことは皆さんよくご存知なので
申し上げるまでもないのですが、当時「奢る平家は久し
からず」なんて諺はなかったものの同じことが起こった
訳でして。
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とても短時間では見学しきれないご遺骨の数々を前に
野尻君とタバコ屋は1億年前の地球に思いを馳せたの
ですが、架空の会話ながら「野尻君、こんなんにガブッ
とやられたら一たまりもないやろな」親鸞、蓮如ゆかり
の地、福井の人である野尻君は「チャンさん、そんな時
はもう南無阿弥陀仏と唱えてお浄土へお参りする覚悟
を決めるしかないでしょうね」
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見学を終えた島の丸投げ王は恐竜博士と仲良く記念撮
影となりました。「おぬしも福井のために励まれよ」とか
言葉を掛けたのかどうか忘れましたけど。
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恐竜の聖地から下山途中、立山連峰を背後に望む白
山勝山スキー場に立ち寄りました。3月下旬とはいえ雪
深い景色は南国中島では考えられない異国の風景でし
た。みやげ好きのタバコ屋は、先般札幌東急百貨店で
催事をしたばかりでしたが、同じ東急の経営するリゾー
トホテルでお土産に白山ワインを買い込みました。誰に
差し上げるのかと申しますと、札幌の帰り際に催事を
手伝って頂いたマネキンのおばさん方にワインを送る
約束をしていたのを思い出したのでした。
DSC_4031.jpg
今回の巡礼テーマは教育者である平尾センセの発案で
おもに科学に関する施設を訪問しましたが、地元野尻君
にしてみればまだまだご案内したい場所は沢山あったと
思います。時間もないのでそこらは素通りということにな
りました。写真は鎌倉時代、親鸞や日蓮などと同じく当
時の国立大学であった比叡山延暦寺の古臭くカビの生
えたような教義内容に失望した道元が創業した曹洞宗
の総本山である「永平寺」山門で、代表的な禅宗寺院と
して有名ですよね。
20150602_1646441-1.jpg
いささか古い話しで恐縮ながら、今から35年程前タバコ
屋が30才前半の頃、業界雑誌「商業界」の主幹倉本師
が主催する後継者育成グループに参画していた時期が
ありました。内容は経営コンサルタントを中心とする各
界有識者の講義と合宿実習や社会見学でした。1年間
のコースで延べ12回に亘ったのでしたが多感な時期で
もあり、後の経営観に随分影響を受けたと思います。
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そのセミナーの一環で東京西麻布にある永平寺別院
で数日間体験入山をしたことがあったのです。内容は
もう忘れてしまいましたが午前3時に起床し、洗面、極
めて清楚な朝食のあと座禅、清掃、講義、再び座禅と
いったようなもので、夜は8時か9時頃?にはもう消灯
だったように思います。印象的だったのは食事で一汁
一菜とかいった極めて清楚なメニューはもとより後始
末はたくあんで器をふき取りそれを食べ、最後はフキ
ンのようなものでキレイにしてから箱膳にしまい込む
というやり方で、究極の簡素化、合理化を感じました。
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また、座禅以外はお掃除がおもな日課で、皆がそれを
やるので、建物やそのまわりは古いながらもいつもピカ
ピカの状態が保たれる訳です。タバコ屋がいつも申し上
げているカンキョーセイビの究極の姿がそこにありまし
た。

ここだけの話しながら、数年前、自動車部創部80周年大
会の帰途、久しぶりに懐かしの京田辺キャンパスにある
自動車部のガレージに立ち寄った際、あまりの荒廃ぶり
に驚き、失望しブチ切れてしまったことは以前の記事で
お話したとおりなんですが、その背景にはこういう体験が
あった訳なんです。そのせいかどうか、その後ガレージ
を綺麗にするための環境整備委員会が発足し、本来の
姿に戻りつつあるのは大変喜ばしいことだと思います。
IMG_4406-1.jpg
手前味噌になりますが、この写真は京田辺キャンパスに
自動車部ガレージが出来た当時のもので今から約30年
程前のものです。ガレージもピカピカ、我々昭和48年卒の
同釜もピカピカで、多分自動車部創部50周年大会の終了
後、皆で殴り込みを敢行した時のものだと思われます。
DSCN3718.jpg
さて「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」とは松尾芭蕉
がおくのほそ道紀行で平泉を訪れた際に往時の藤原一
族の栄華とそこで悲劇的な死を遂げた義経に思いを馳
せて詠んだ有名な俳句ですよね。
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我々巡礼4人衆は奥州の覇王、藤原氏とまではいかな
いものの、戦国時代に一乗谷城を中心に越前国を支配
した戦国大名朝倉氏が信長によって滅ぼされ家臣の柴
田勝家が北ノ庄に越前の首邑を構えるまではこの狭隘
な谷が天然の要害となり栄華を誇った一乗谷朝倉氏遺
跡を訪れました。尤も平尾センセはお子達を引率して何
度も訪問されているでしょうから「トロイヤの遺跡」を発掘
したシュリーマンのような感動はないと思うのですが・・・。
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短時間ながら一行は駆け足で見学をさせて頂きました。
ただ困ったことに上山青年はトイレを見つけることが出
来ずにあちこち徘徊したようで、集合時間がやや遅れた
のでしたが、遅れついでにタバコ屋は芭蕉気取りで日向
ボッコをしながら一句捻りました。
「春草や、上山トイレは早よ、しよし!」
DSCN3720.jpg
野尻君ご推奨場所の見学も終え、一行は福井市内へと
逆戻りです。途中で道の駅っぽいJAさん経営の「愛菜館」
に立ち寄りました。想像ながら「平尾先輩、この店無茶苦
茶流行っているんですわ、市内のどのスーパーより客が
多いんですよ」それに応えて「野尻君、俺もな~ヨメはん
と一緒にアッシー君兼ねてしょっちゅう宇治のスーパー通
ってる買い物おじさんなんやけど、そらちょっとホラっぽい
んと違うか」・・・。
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タバコ屋が気になったのはご当地グルメの「おろし餅」で
した。大根おろしに味付けしたタレで餅をまぶしただけの
シンプルな食べ物ですが、何故か一番印象に残りました。
正岡子規の後輩であるタバコ屋としては、ここで一句捻る
べきだと考え、ひとしきり悩んだ末の句が以下のもので、
「餅見れば、腹が減るなり愛菜館」でした。
DSCN3726.jpg
そのような訳で、お昼時を迎えた一行は「愛菜館」のすぐ
隣の「蔵」というトンカツ専門店に向かいました。お聞きす
るとここのオーナーは野尻君とはかねてよりのご親友で、
奥さん同士も職場で元同僚という少なからぬご縁のある
ご夫婦が経営しているお店らしく、既に予約されているよ
うでした。
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もちろんトンカツ定食を頂いたのでしたが、聞くところに
よると福井の地はトンカツソースではなくウースターソー
スを掛けたソーストンカツが名物だそうで、それを頂くこ
とにしました。タップリのカツに目玉焼きが載せられ、ボ
リューム満点で、タバコ屋には多すぎる量でした。
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尚、昔話しで恐縮ながら、同志社大学自動車部在籍中
の4年間、今出川キャンパスの向かいにあり新町ガレー
ジからも程近いところにあった「京楽食堂」がタバコ屋唯
一の御用達食堂であったのですが、卒業後オハイオ・
メアリーズビルのHONDA社員食堂でサラ・メシを食べる
夢を投げ捨てたタバコ屋は、数年後大阪京都を股に掛
けゴフク屋、衣料品屋のバイヤーとして各地に出没する
ことになったのでした。その当時、お気に入りは大阪本
町の「自由軒」の元祖ハヤシライスと船場の「マツバヤ」
の鍋焼きおじやうどんだったでしょうか。京都室町では
ほとんどゴフク問屋さんが仕出しの幕の内弁当を用意し
てくれるので食べに行く必要がありませんでした。

余計なことながら、その昼食時にうら若き社員のお嬢ち
ゃんが、「ごゆっくりしていっておくれやす」とか言ってお
茶などよそおって引き下がると、要らないものまで余計
に仕入れてしまうタバコ屋ではありました。
DSCN3734.jpg
福井名物ソーストンカツを頂いた後、しばしの休憩です。
まったくの想像の会話ながら「野尻君、今回は俺の我儘
なプランをよく調整してくれて素晴らしい出会いの旅にな
ったと思うんやけど、お世話になりました。この調子で今
後も自動車部OB会のために尽力してくれんやろか。また
チャンタが今回どうしても上山君のご実家へ行きお母様
に一言ご挨拶したい言うてんのやけど・・・。ちょっと上山
よ、俺の話聞いてんの?。」
DSCN3735.jpg
腹ごしらえも終わり、再び福井の中心部に帰ってきました。
美人ママがお住まいの某豪邸に立ち寄りおいとまをする
ことにしました。ご夫婦揃ってスリーポインテッドスター印
のオクルマをご愛用です。
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少し時間の余裕があったので、野尻君のご自宅のすぐ
近くにある福井市立郷土歴史博物館に立ち寄りました。
またせっかくなので隣接する旧福井藩主松平家の別邸
である「養浩館庭園」も見学しました。日本の名園の一つ
らしく平尾センセの薀蓄話しによれば、天井に写る水面
(みなも)の明かりが風情のあるものだそうで、この写真
は平尾センセの撮影されたものです。

このような風情ある場所を訪れるとふと思い出すのが、
タバコ屋が自動車部4回生の晩秋に訪れた京都洛北、
岩倉にある円通寺の借景です。訪れたのにはある意味
もあったのですが、忘却の彼方にしまい込み多くを語り
ますまい。
DSCN3741.jpg
その床の間ですが、室町時代に確立されたと言われる
日本建築様式を代表するような佇まいにて、簡素化され
た中に洗練された美を感じますよね。ただしこの違い棚
にシャケを咥えた北海道の熊や布袋(ほてい)さんその
他ご趣味の品を所狭しと雑多に並べてあるおうちを拝見
したりすると幻滅の悲哀を感じる時があります。何も飾ら
ないのがベストですがあえて一品飾るとすれば備前焼の
壷くらいでしょうか。
DSCN8594-1.jpg
ついでながら、備前焼の壷をご所望の場合はタバコ屋
の同期で、岡山在住の三宅裕氏にお願いするとお値打
ち品が入手出来ます。ちなみに彼はかつて岡山の神童
と言われ、蝶よ花よともてはやされ、京大を蹴って同志
社大学にご入学、栄えある自動車部卒業後は地元岡山
高島屋にご奉職、外商部に配属されトップの成績を収め
山陽新聞にデカデカと掲載された記事の切抜きを貰った
ことをタバコ屋は昨日の事のように覚えています。写真
真ん中のアーティスト風変なおじさんが彼です。
DSCN3743.jpg
さて短くも味わい深かった福井巡礼の旅も、まずは野尻
君とお別れの時が来ました。「♪松風さわぐ丘の上~」と
はいかないまでも現代の福井城天守閣を仰ぎつつ再会
を期してしばしの別れと致します。野尻君お心尽し有難う。
DSCN3753.jpg
タバコ屋の我儘な希望ながら、帰り道でかねてより親し
くさせて頂いている上山青年のご実家に立ち寄り、お母
様に一言ご挨拶をさせて頂くことにしました。上山青年
のご実家はかつて京都、敦賀方面から北国街道へ向か
う要衝の宿場町として栄えた今庄にあり、その役割を終
えた今は山間の静かな町となり、タバコ屋の中島同様
過疎化が進んでいるようです。
DSC_4056-1.jpg
全く意外でしたが、今庄にはオートパーク今庄というダー
トコースがあり上山青年の案内で見学しました。何でも
日本屈指の有名なコースだそうですが、恥ずかしなが
らタバコ屋は生まれて初めてダートコースなるものを見
聞しました。
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各地からその道のオタク連中が集まって走行練習をし
ていました。中でも平尾センセ御用達の現代の零戦こと
ミツビシランサーエボ10と同じタイプのオクルマは一際
精悍で存在感を示していました。このオクルマは一旦生
産中止となったのですが、ファンの熱い期待に応えて再
びカムバックするという噂です。ただ残念な事にNISSAN
と親戚になったせいでエンジンはルノー製になるとかなら
ないとか、ルノーランサー?、ミツビシオタクにとっては耐
えられない屈辱かも知れません。

それはさておき、今回の巡礼のもう一つの目的である
上山家訪問とお母様へのご挨拶がやっと実現しました。
ついでながら、せっかくなので仏間へ通して頂きお線香
を上げさせて頂きました。
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上山青年から亡きお父様の思い出話やら聞かせてもら
ったあと望外にもお母様手作りの手打ち蕎麦が出てきま
した。何でも近くの道の駅で販売している今庄名産手打
ち蕎麦の製造指導部長さんだそうで、素朴な中にも腰の
ある美味な蕎麦でした。
DSCN3749.jpg
それで終わりかと思いきや、今度は蕎麦のエビセンの
ようなおつまみと、蕎麦入りのお稲荷さんが出て来まし
た。もう蕎麦尽くしの歓待にて恐縮してしまった同行2人
?ではありました。また別れ際にはその手打ち蕎麦や
お稲荷さんをお土産に頂き、お母様の優しいお心遣い
に二度恐縮をしてしまいました。
DSCN3754-1.jpg
今庄駅から敦賀行きの列車に乗る予定でしたが上山
青年のご好意で敦賀まで彼の愛車VOLVOで送って頂
くことになりました。せっかくなのでしばし駅を見学して
歴史ある町、今庄に別れを告げました。
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敦賀駅で上山青年とはしばしの別れとなりました。駅の
売店で平尾センセと車中で一杯やるべく缶ビールとつま
みを買い込み、これより特急サンダーバードにて一路、
京都、大阪を目指します。ただフランシスコ・ザビエルで
もあるまいに、かつてはフサフサしていた体のある部分
は一体何処へ行ってしまったんだろう。
DSCN3758.jpg
やがて大阪行きの特急列車が入ってきました。あっとい
う間の2日間でしたが、感慨深い巡礼の旅にて車中2人
で飲んだ缶ビールは心なしか酔いが回るのが早かった
ようです。
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鉄道マニアの平尾センセはタバコ屋が乗ったこともない
デラックスなグリーン車指定席を取ってくれていて、2人
でビールを飲みながら今回の旅を振り返りました。尚、
F・ザビエル風の頭髪とは不釣合いの派手なジャケット
はタバコ屋が所属している初代フェアレディZのオーナ
ーズクラブであるCLUB-S30の会員用のものでロゴや
ワッペンだらけで知らない人が見たらNISSANの廻し者
かと思いますよね。
clubs30.gif
列車は途中、平尾センセのお嬢さんが嫁いでいる琵琶
湖、湖北の永原を通過しやがて京都に到着、同行2人
(どうぎょうににん)の一人平尾センセともしばしのお別
れとなりました。別れに際しこの濃厚な2日間のことを思
うとタバコ屋は一瞬ながらウルッとくるものがありました。
DSCN3761.jpg
終点大阪駅に到着です。ここまで来るとタバコ屋の庭み
たいなもので、何も考えずに南港方面に移動です。
DSCN3764-1.jpg
途中、駅中を通過中タバコ屋の古くからのお取引先で、
芦屋に本店のあるいかりスーパーさんが目に留まりまし
たが、お疲れモードにて素通りすることにしました。
DSCN3770.jpg
大阪南港フェリーターミナルに到着です。夜の10時出港
ながら8時頃から乗船させて貰えるので、タバコ屋はそそ
くさと乗船し、展望浴場へ直行、その後は定番の泡の出
るドリンクにて疲れを癒すことに致しました。
DSCN3773.jpg
早朝の愛媛、東予港に到着です。いつものようにこれか
らバスで松山まで移動し、島に帰ります。

思えば今回の福井巡礼の旅はわずか2日間だったにも
拘わらず、ブログ記事においては何と過去最高の9編
にも及びました。比較的筆まめなタバコ屋も今回は疲れ
ました。次回はちょっと一服で、短い記事をご紹介したい
と思います。尚、今回の長たらしい福井巡礼シリーズを
最後までご精読頂いた読者の皆様には感謝致します。

福井巡礼 vol.8:北ノ庄の夜は更けて

平成29年8月19日
迷宮(ラビリンス)をやっとの思いで脱出した巡礼団4人
衆は、次の目的地、東尋坊へと向かったのでしたが、
そこは気配りの人野尻君の粋な計らいにて、ご一行は
迷宮見物でさぞかし腹を空かせたであろうという思いや
りのもと、途中の海岸に面した彼のお友達の店「釣」とい
う海辺のレストランでしばし休憩ということになりました。
その場でお聞きしたところ、ここのご主人は「立っちゃん」
即ち立命館大学のご出身にて、タバコ屋も大学自動車
部当時は随分仲良くしていた大学ゆえすぐに親近感が
湧いた次第です。どうも福井というのは織豊の時代から
京都との交流が盛んで京大、同志社、立命館とのご縁
は相当深そうな印象を受けました。
DSCN3641-1.jpg
想定外なことに、普通おやつタイムの時間ながら、彼が
用意してくれていたのはご飯タイムのメニューでした。
カメラマニアの平尾センセは例によってゴッツイNIKON
の一眼レフカメラをご携帯です。テーブルにはこれまた
野尻君が地元のお友達の蔵元から調達して来たラベル
なしのマニアックな地酒(甘口、辛口2種)が用意されて
いました。この手のドリンクが嫌いではないタバコ屋は
おいしく頂いたのでしたが、東尋坊に行く前から酔っ払
ってしまうという事態になりました。
DSCN3638-1.jpg
おやつとは到底言い難い、贅沢な地元の海の幸を頬ば
った一行ですが、またもや野尻君の気配りによりご飯は
ごく少量の控えめでした。しかしタバコ屋は食べ切れませ
んでした。かつて香里の合宿所ではご飯は何度もおかわ
りした筈なんですけど、何故だろう。
DSCN3645.jpg
ご先達の平尾センセは校長時代に何度もこの方面には
お子達を連れて修学旅行に来たらしく、途中海岸沿いの
かつて宿泊した国民宿舎に立ち寄ったりした後、あっけな
く東尋坊に到着です。東尋坊に横文字は似合わないと思
うのですが、CAFEなんてこじゃれた看板がありました。
北海道遠征37
突然の写真で恐縮ながらこれは今から45年も前の東尋
坊付近でのお写真です。恥ずかしながら何やらクドクドと
前で喋っているのがタバコ屋で、もう忘却の彼方に消えて
しまったものの「おまえらな~、もうすぐ京都なんやから、
気を抜かんと、同志社大学自動車部のプライドを持って
運転せないかんぞ~」なんてことを言っていたのではない
かと推察致します。

聞く側から申しますと前列右端は京都洛北の元マドンナ
S嬢でかつて野尻君を悩殺したという殺し文句「あんたら、
早よ、しよし!」と言う名フレーズを発明したお嬢さんです。
お二人目は京都三条麩屋町の老舗のいとはん「福ちゃ
ん」ことF嬢です。彼女はその天性のふくよかな上半身の
ある部分の悩ましさにより自動車部はもとよりアメリカン
フットボール部に至るまで練習に身が入らないほどの
悩ましき魅力」を発散した張本人です。残念な事にタバ
コ屋はオクテだったためにその魅力に気付かずにあたら
青春を無駄に過ごしてしまったのでした。

そのお二人なんですが、察するにチャンタさんもつまらな
いことクドクド言わんと早よ~やめてくれはらへんやろか、
私らトイレ行きたいんやけど・・・。

余談ながら、ここだけの話しとしてそのS嬢には今でもタバ
コ屋のトラウマとなっているある出来事があるんです。
北陸遠征の途中だったと思うのですが、自動車部恒例
の抜き打ちランニング訓練において、S嬢が若き女性特
有のある生理現象中だったにもかかわらず、何も知らな
いタバコ屋は「今からマイクロバス降りて、迎えの車が停
まっているところまで走って来い!」と言ってしまったので
す。S嬢は泣く泣く走ったそうなんですが、ばかなことをし
てしまったと後で悔やんだタバコ屋なれど、もう手遅れで
すよね。それ以来、清張の「砂の器」でもないですけど、
S嬢に対し消し難き業を背負ってしまったタバコ屋でした。
もう地獄の業火に焼かれるしかないんだろうか・・・。
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東尋坊のはしょり訪問も終え、一行は福井市内へと戻り
ました。今晩のお宿は福井城祉そばのアネックスホテル
でお堀に面して福井城の石垣を眺められる野尻君お気
に入りのおすすめホテルです。

尤も、4人衆の一人福井出身の上山青年によるとこの福
井城祉が気に入らないそうで、歴史を辿れば家康の次男
である結城秀康が北ノ庄の藩主となり松平を名乗り、やが
て北ノ庄城(福井城)が築城されて以来、焼失するまでは
福井のシンボル(ランドマーク)であった訳で、その跡地
にこともあろうに県庁や県警本部など行政の施設を建て
るとはけしからんと憤慨するのです。彼によれば跡地に
は天守閣を再建すべきで、そうすることで福井の歴史文
化が保たれ、観光客もより多く見込めるということでした。
IMG_4385.jpg
福井藩とは近い親戚関係だった我が松山藩は幸い松山
城が焼失せずに残り、その優美な姿を後世に伝えていま
すが、上山青年に言わせれば松山がうらやましいとのこと
です。ま、隣の庭はきれいに見えるものでありまして・・・。
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さて、ホテルで一休みしたあと野尻君のご先導でお食事
会をということで福井駅前を目指します。
DSCN3663.jpg
福井駅には凄いものがありました。まるでジュラシックパ
ークです。さすが恐竜の街で、これ以外にもいろんな恐
竜の模型が並べられていました。上山青年の仰るように
これに福井城天守閣が加われば有数の観光都市になり
得ると思います。
DSCN3672.jpg
今では珍しくなりつつある路面電車がこの福井の地にも
走っていました。因果関係はないんでしょうが福井とは親
戚だった我が松山にも路面電車が走っています。
DSC_3187.jpg
地下鉄のない松山では路面電車とバスが市民の貴重な
足になっており近年は漱石にちなんだ「坊ちゃん列車」
を走らせたりして観光客を楽しませています。
DSC_3253.jpg
ただしこれは外観だけのレプリカで、実際の駆動はスチ
ームエンジンではなくディーゼルです。
左大文字-1
ところでこのお写真はどこの路面電車でしょうか。ヒント
がありすぎてもうバレバレですよね。山の中腹に大の字
があるということは京都の路面電車ですよね。

ネタを明かしますと、写真マニアの平尾センセより頂いた
恐らく昭和40年代中頃の懐かしい写真なんですが、恥ず
かしながら当時ジドーシャ部に所属していたタバコ屋は
この便利な路面電車を利用することがほとんどなく、帰省
時に京都駅まで行く時ぐらいしか乗った記憶があまりない
のです。やがて京都も路面電車が廃止となり、ズバリこの
型式の車両は現在松山市や広島市の路面電車としてそ
の余生を過ごしています。
DSC_0116-1.jpg
写真はこれまた平尾センセの撮影した広島市内の路面
電車ですがズバリ京都市電のお下がりですよね。
ちなみに日本で初めて路面電車が走ったのはどこの街
かご存知ですか、それは意外な事に京都市なんです。
明治28年(1895年)のことでした。
DSCN3677.jpg
またしても野尻君の気配りにて、北ノ庄ゆかりのお市の
方、及びそのお嬢さん方である、茶々、お初、お江の三
姉妹の銅像が佇む場所へ案内されました。柴田勝家公
が統治していた時代にはこの場所に北ノ庄城の天守閣
があったそうで、福井の街の原点ともいえる場所ですよ
ね。勝家公とお市の方の悲劇、及びそのお子達の波乱
の人生については小説やTVドラマで何度も取り上げら
れているので今回ははしょることに致します。
IMG_2484.jpg
さていよいよ今晩のお食事会場である居酒屋「わらび」
に到着です。福井のおいしい酒と肴で昔話に花が咲き
盛り上がったのは良かったのですが、野尻君が香里合
宿時代を懐かしみ、かつて悩殺されたS嬢と一目ならぬ
一言お言葉を交わしたいなどと言うものですから、タバコ
屋も不憫に思いS嬢のところ即ちご主人の和君こと奥村
氏にTELするハメになりました。S嬢は快く電話に出て頂
いたのですが、その後は野尻君との秘密の長電話とな
り何を話したのかわかりません。タバコ屋としてはせっか
くのお料理が冷めるので、野尻君に「早よ、しよし!」と
言いたい心境でした。

話しもお腹も満腹になったところで、野尻君の次なるプレ
ゼンテーションが行われました。近くに美人のママが経
営する会員制クラブがあるのでそこへ行きませんかと
仰るので、一同ついていくことにしました。しばらく福井
城祉のお堀端に沿って歩いたのですが、繁華街とは離
れて行くようでややおかしいなとは思いました。やがて
とある一軒の豪邸の前に到着しました。クラシカルなの
かモダンなのかトラディショナルなのかアバンギャルドな
のかよく分からないウッドを多用した豪邸でした。

不思議に思いつつラウンジ(お座敷)に通されたのでし
たがそこでやっと気が付きました。なんやここ野尻君の
ご自宅やんか!、ハメられたとは思ったものの後の祭り
でその後確かに美人のママ(奥様)がご挨拶に見えられ
三つ指つかれたのにはやや当惑しました。
IMG_2485.jpg
結局二次席は野尻君のご自宅でということで、高価な
ブドー酒の肴にはご当地名産の小さなイカ(ホタルイカ
?)の酢味噌合わせが出てきました。同行2人衆はおい
しく頂いたのですが、タバコ屋は島育ちにも拘らず生の
イカを食べると何故かトイレ直行現象を起こすのでご辞
退しブドー酒のみと致しました。

彼の粋な計らいでそこには自動車部当時のアルバムや
部誌「ウインカー」のバックナンバーが用意されており、
3月下旬とは言え、肌寒い福井の夜の更けるまで飽きも
せず、当時の思い出や今後のOB会のあり方等を語り合
ったのでした。

当初は平尾センセとタバコ屋がアオリ役でOB会のことや
らかなりアオッたつもりですが、途中からは野尻君の方
が積極的にあれこれアオッて来るようになり、イカづくし
の今回の旅で彼の学術名を正式に「越前アオリイカ殿
と命名し、一方アオリの世界ではすでに定評のある平尾
センセの学術名を「アオリイカ大魔王」と命名することに
致しました。上山青年についてはかねてよりそのアピアラ
ンスの特徴から「梅田のユル・ブリンナー」というお名前が
付いているので今更必要ないでしょう。

尽きない話に一応の区切りをつけ明日の「恐竜博物館」
見学に備えて野尻君宅を辞した3人衆でした。その後、
ホテルに帰った後、タバコ屋にはとんでもない事件が待
ち構えていましたが紙数も尽きたようですので、詳しいお
話は次回の記事にてお話致します。お楽しみに。

福井巡礼 vol.7:ああ旧車よ(後編)

平成29年8月9日
タバコ屋達、巡礼団4人衆は迷宮(ラビリンス)に迷い込
んだまま、出るに出られずという状態でしたが、40年代
国産車の神々しいお姿を拝見した後、いよいよ最後は
外国車の広場に誘(いざな)われました。
DSCN3553.jpg
大英帝国のオクルマ業界における高貴なる御三家と言
えば、ロールスロイス、ジャガー、ローヴァーではないで
しょうか。今でこそ世界一のSUVの誉れ高きレンジロー
ヴァーを製造するローヴァー社ですが、元はと言えば第
二次世界大戦で戦車や軍用車(ジープのイギリス版)を
作っていたメーカーで、戦後その既存技術の流用でラン
ドローヴァーなる武骨な荒地走行車?を作っていた訳で
す。写真の展示車はそのランドローヴァーで昭和39年
(1964年)登録とクラシカルな外観の割には意外に新し
いものです。
DSCN3624.jpg
時は過ぎ、ローヴァー社はローヴァー3500等富裕層を
ターゲットにした高質なセダンを製造するに至り、また
後年、我がHONDAが高級車のカテゴリーに殴り込みを
掛けるにあたり、ローヴァーに教えを請いその第一号と
して初代レジェンドが誕生したことなどは歴史の裏話と
して知る人ぞ知るお話ですよね。

写真はそのロ-ヴァーが絶頂期にあった頃の作品であ
るローヴァー3500で比較的コンパクトなセダンにV8エン
ジを驕り、イギリスの富裕層をターゲットにした高級サル
ーンでした。専門用語で言いますとアッパーミドルサル
ーンと呼ばれるもので、カーグラフィックの元編集長で
あった小林彰太郎氏が絶賛し、こよなく愛したのがこの
オクルマです。写真の展示車は昭和45年(1970年)登
録で、タバコ屋が大学2回生頃のものです。

ついでながら、ボディカラーはいわゆるブリティッシュ
グリーンと呼ばれる深みのあるグリーンで中々シブイ
です。当時の国産車が白、赤、黄、黒といった単純な
色しかなかった時代にグリーンと言うのは一種エキゾチ
ックな文明の香りがしましたよね。
DSCN3621.jpg
次は御三家ほどではないですが、大英帝国オクルマ界
のアバンギャルドであったロータス社のロータス・7です。
ロータスとは「蓮の花」の意味なんですが、タバコ屋の
こじつけながら、愛媛の詩人坂村真民氏がこよなく愛し
た「念ずれば花ひらく」という理念のイギリス版とも言え
ると思うのです。ロータスは良くも悪くも創業者のコーリ
ン・チャップマンの情熱とともにあった訳で、天才チャッ
プマンの才能により急成長し、またその若すぎる死によ
って名前だけは残ったものの、ロータスは終わりを告げ
たと思います。

展示車の登録は昭和44年(1969年)ですからロータスが
創業時のバックヤード・スペシャル的なオクルマからまと
もな市販車に脱皮しつつあった時期のものです。
DSCN3556.jpg
タバコ屋はロータスのことを思うと、マイクロソフトを創業
したビルゲイツやアップルを創業したスティーブ・ジョブズ
のことに思いが至るのです。カテゴリーは異なるものの
共通していることは彼らが当初はボンビー学生であり、
理想に燃えて大企業が考えつかないような革新的な製
品を生み出し、それが既存の大企業に多大な影響を与
えたばかりか、やがては自らが大企業になって行くと言
うサクセスストーリーを歩んだことです。

ただロータスのコーリン・チャップマンは志半ばで亡くな
ってしまいましたが、晩年には我がTOYOTAと深いご縁
を持つこととなり、現在のロータスのエンジンはTOYATA
製のものが使用されています。

写真のロータス・ヨーロッパはそのロータスがバックヤー
ド・スペシャル的なメーカーから市販車メーカーとして脱
皮し、まともなスポーツカーを販売しつつあった頃の作
品で、日本では目にすることもなかったミッドシップスポ
ーツカーとして自動車史に残る名作でした。登録が昭和
49年(1974年)ですからタバコ屋が大学卒業1年後のこと
にて、オクルマどころか食うや食わずの時代の頃の出来
事です。
F1D中島悟2
尚、ロータスについて話せば、ヨーロッパの後継機種で
あるボンドカーに採用されたエスプリのことや、その後
我がHONDA-F1エンジンを搭載しウイリアムズとともに
大活躍したロータス・HONDA-F1のことなど話せばきり
がなくこの迷宮(ラビリンス)から出ることが出来なくなる
ので今回ははしょることに致します。
DSCN3594.jpg
さて、いよいよジャガーです。展示車は高度成長時代に
至る前の昭和34年(1959年)登録のジャガー・マークⅡ
で比較的安価なスポーティ小型サルーンとして人気を
博しました。いわゆるビンテージカーらしいクラシカルな
デザインで、後年日本の光岡自動車がNISSAN車を改
造してこのレプリカっぽいオクルマを販売していますよ
ね。タバコ屋もこのマークⅡのデザインは結構お気に
入りです。

余談ながら、高名な自動車評論家の徳大寺有恒氏や
タバコ屋の高校時代の先輩である伊丹十三氏などは
ジャガーのことをジャギュワと表現していたようですが、
実際の発音に近いとしてもジャガーの方がスマートだ
と思いませんか。
DSCN3593.jpg
タバコ屋世代がジャガーと言うときはマークⅡではなく
このXJ6を指します。展示車は昭和48年(1973年)登
録ですから、タバコ屋が大学を卒業した年で、もちろん
ボンビーゆえ大英帝国王室御用達のジャガーXJ6なぞ
まったくご縁のない、いわゆるプレステージカーと呼ば
れるカテゴリーのオクルマだったと申せましょう。

余談ながらジャガーはネコ科の猛獣ですが、ジャガー
のスポーティでしなやかな足回りがいつの頃からか
ネコ足と呼ばれるようになりました。多分それはこの
XJ6あたりからだったのではないでしょうか。
ジャガーXE-1
ちなみに現代のジャガーはというと、ローヴァーと一括
りとなってインド人もビックリのタタモータースというイン
ド資本の傘下となっています。かつて植民地として支配
していたインドに逆支配されるというのも歴史の皮肉で
しょうが、パトロンを得たジャガーは往年の輝きを取り戻
し魅力的なオクルマを次々と世に送り出しつつあります。
その中でもタバコ屋が最もお気に入りのオクルマはジャ
ガーXEサルーンで、日本でいえばアコードクラスのオク
ルマですが、スペックはともかくそのスポーティかつ洗練
されたデザインはさすがジャガーと思わせる高貴な香り
がします。

チンケなデザインを懲りずに連発する我がHONDAのデ
ザイナー諸君には猛省を促したいです。高等教育を受
けた彼らが何故「品性とダイナミズム」というデザイン
コンセプトを理解出来ないのかタバコ屋は歯がゆくてな
りません。

またかつてタバコ屋が20年間にわたって乗り続けたレジ
ェンドに至っては世界一売れない高級車などと言われて
いる今、おまえらHONDAマンとしてのプライドっちゅうも
のはないのかと言いたいです。
DSCN3608.jpg
次はロールスロイスです。展示車はシルヴァーレイスで
昭和20年代後半から30年頃に製造されたものだと思わ
れます。現役のナンバープレートが付いており、プレート
からは登録年度が判別出来ませんでした。
DSCN3609.jpg
シルヴァーレイスと言えばロールスロイスが戦後初めて
製造販売したプレステージカーでパルテノン神殿をモチ
ーフにしたその特徴的なラジエターグリルが当時の世界
最高級車であることを誇示しています。

皆さんご存知のようにロールスロイスは進歩的な貴族
で車の販売を手掛けていたロールズと裸一貫でたたき
上げた実業家のロイスが創業したメーカーで良心的か
つ堅実な設計でやがて世界最高級の評価を得るように
なりました。
P51マスタング-2
第二次世界大戦中はオクルマ作りをやめ有名な液冷
V12気筒の「マーリンエンジン」を製造し、スピットファイ
アやアメリカのP51マスタングに搭載され、その名声を
高めたのでした。
シルバーシャドウ4
戦後、オクルマ作りを再開し、展示車のシルヴァーレイ
スを皮切りにシルヴァークラウド、そしてタバコ屋世代に
なじみの深いシルヴァーシャドウへと血脈が受け継が
れます。
伊丹十三記念館15
余談になりますが、タバコ屋の高校時代の先輩である
故伊丹十三氏がその晩年においてこよなく愛したベント
レー・コンチネンタル(カブリオレ)はシルバーシャドウの
クーペ版だったロールスロイス・コーニッシュの姉妹車と
してベントレーブランドで販売されたものです。
DSCN3562.jpg
この展示車はシルヴァーシャドウの後継モデルである
シルヴァースピリットだと思いますがナンバーが丸に外
という文字が入っているので、外国大使館が使用して
いたものではないでしょうか。ロールスもこの辺まで来
るともう旧車とは言えず、タバコ屋のあまり関心がない
昭和50年以降の年代物となります。
DSCN3628.jpg
さて果てしない迷宮(ラビリンス)も薄っすらとその出口
が見えてきたようです。巡礼団4人衆は最後にジドーシ
ャそのものを発明したメルセデス(ダイムラー)ベンツの
コーナーを参拝することに致しました。

展示車は数ある歴代ベンツの中でもその歴史的価値か
ら言って最高峰とも言えるメルセデス・ベンツ300SLで、
今で言うところのスーパーカーのカテゴリーのオクルマ
ではないでしょうか。展示車は昭和30年(1955年)の登
録で、いわゆる高度成長時代以前のオクルマです。

そのスペックは3L直列6気筒SOHCエンジンながらソレッ
クス製キャブレターに替えて、ボッシュ製の機械式燃料
噴射装置を世界で初めて採用し、最高出力は当初の2
倍近い215 馬力を発生しました。今でこそ平凡な数値で
しょうが、昭和30年当時では驚異的なパワーだったと思
います。

そんなことよりもSLを最も特徴付けているのはガルウイ
ング(カモメの翼)ドアで、当時としては革新的なこのメカ
は以来、ベンツの特許になっていると聞いています。
裕次郎記念館300SL-7
メルセデス・ベンツ300SLと言えば、真っ先に思い浮かぶ
のは我らが裕ちゃんの愛車ですよね。裕ちゃんの300SL
は現在世界に6台しかないらしく、裕ちゃんが年俸をすべ
て注ぎ込んだと言いますから、フェラーリ、アストンマー
ティン、はてはマクラーレン等よりも高価で今のお金で
1億円以上したと思われます。(タバコ屋の推測です)
DSCN3630.jpg
さて迷宮巡りも最後となりました。しんがりを飾るのは
巡礼団4人衆の一人、タバコ屋より4期後輩の野尻君が
007の「私が愛したスパイ」改め「私が愛用したベンツ」
の一台である、メルセデス・ベンツSLです。展示車は
ナンバープレートが外されていましたので登録年はわか
りませんでしたが、上記の初代SLから数えて4代目に当
たり、バブル華やかなりし頃の昭和64年(1989年)に発
表されたオクルマです。

メカと装備もさることながら、このSLを特徴付けているの
は、初代SL同様メタルトップの開閉式ルーフではないで
しょうか。このエレキ仕掛けによりあるときはクーペとして
ある時はオープンロードスターとして自在に使えるという
のはキカイ好きなセレブのお方が好むメカなんです。

ま、タバコ屋にとっては浮世離れした「坂の上の雲」のオ
クルマであり、竜宮城で垣間見た鯛やヒラメの舞踊りの
一つだったのかも知れません。
DSCN3635-3.jpg
さて大急ぎでの巡礼参拝となりましたが、これで迷宮か
らいよいよ脱出という段になって、一つの誘惑が待ち構
えていました。お土産売場です。土産好きのタバコ屋が
あれこれ拝見していると、アオリイカ3人衆に取り囲まれ
あれ買え、これ買えと煽られまくり、その結果DATSUN
のプレートと博物館の名入りキーホルダーを買うことに
しました。我ながら修学旅行の頃のパターンが抜け切
れず子供っぽい趣味だと苦笑した次第です。                                                
DSCN3635-1.jpg
もと来た正面玄関を退出します。可愛そうなことにアメリ
カご自慢のリンカーン・コンチネンタルには誰も関心を示
そうとはしませんでした。何故だろう。

思えば、オクルマを始めとする製品にはイメージというも
のが付いて回るのですが、ショーバイという観点からは
良いイメージの構築(アイデンティティ)が最も大切である
ことは前の記事でも申し上げました。アメリカ車いわゆる
「アメ車」はオートマやエアコン、エアサスペンション等々
快適装備に関わる数々の発明や技術革新をもたらした
にも拘わらず、「粗大」という負のイメージが出来てしまい、
戦後は世界一のオクルマ大国だったにもかかわらず、
タバコ屋世代にとってはただ大きいだけの魅力のない
オクルマになってしまったのです。ああ世に恐ろしきは
「イメージ」です。
DSCN3633.jpg
あっと言う間の迷宮巡礼は終わりました。記念に玄関前
で野尻君の愛車メルセデス・ベンツEクラス2.4Lステーショ
ンワゴンをバックにパチリです。タバコ屋としては今後もこ
のアオリイカ3人衆に煽られまくるのかと思うと何やら複雑
な心境がしないでもない一瞬でした。

これで日本自動車博物館見学記を終わらせて頂きます。
例によって4編にもわたる長たらしい記事を最後までご精
読頂いた読者の皆さんに感謝致します。

この後、越前アオリイカ殿のコーディネートで福井の夜へ
と誘(いざな)われるのですがそれは次回の記事にて。
お楽しみに。

福井巡礼 vol.6:ああ旧車よ(中篇の続き)

平成29年7月17日
クノッソス宮7
巡礼団4人衆は膨大な旧車コレクションを前にして、まる
でクレタ島の迷宮(ラビリンス)クノッソス宮殿にでも迷い
込んだ如くになりました。
クノッソス宮2-2
途中には悩ましいお姿をした数々のオクルマが微笑ん
でおり、その都度そのお姿に見とれることになると、一行
は果たしてその迷宮から出て来られるのでしょうか。
MGTF
あれはいつの頃の事だったのか・・・。タバコ屋がこのオ
クルマかっこいいな!と思ったのは。遠いセピア色の記
憶を辿ってみると、多分その皮切りは小学生時代、タバ
コ屋の母校松山東高校の先輩でもある故、伊丹十三氏
が愛用した大英帝国のスポーツカーMGだったと思うん
です。(伊丹先輩はTFでしたがタバコ屋の思い出にある
のは初期のTDでした。写真はTFです)さっそく安モンの
プラモデルを組み立て、後生大事に飾っていたのを思い
出します。
DSCN3589.jpg
時は過ぎ、今から思えばタバコ屋の先代は随分キカイ
好きで、SONYのバカ重いオープンリールのテープレコー
ダーを愛用し、ショウバイのセンセの講義録を熱心に聞
いていたのを覚えています。さてその父はタバコ屋が高
校3年の頃、ということは昭和43年(1968年)なんですが、
NISSANサニー4ドアセダンを購入しました。タバコ屋は
まだ免許がなかったので横に乗せて貰うだけでしたが
随分モダンな印象がありました。博物館にはその同じ年
に登録されたサニークーペが展示されていました。
サニー1000クーペ-3
タバコ屋がMG-TDの次にかっこいいなと思ったのは実は
このサニークーペでした。スリムで無駄のないボディに当
時としては斬新なファストバックデザインを採用したとても
おしゃれなオクルマでした。リアゲートが跳ね上げ式では
なく、トランク部しか開かない形式でしたので実用面では
今一つでしたが、スマートさに惹かれて購入した人が多
かったのではないでしょうか。リアトランクのエンブレムが
またかっこよくて・・・。
サニー1200GX-6
サニーで特徴的だったのはその軽量(645kg!)でスマ
ートなボディもさることながら、軽やかに吹け上がるエン
ジンでした。A型エンジンと呼ばれ、L型エンジンとともに
NISSANの屋台骨を支えた看板エンジンでした。L型の
重くて眠い特性とは真逆で、ビューンと軽快によく回り、
給排気が同じ側にあるターンフローでしかもOHV機構
のいわば古めかしいメカだったにも拘わらず性能は抜
群で、後に傑作エンジンと呼ばれるようになりました。
旧ミニ-16
ルーツはミニなどにも搭載された大英帝国のオースチ
ン製エンジンで、戦後の一時期NISSANにとってはオー
スチン社がセンセだった訳です。見た目もそっくりだと
思いませんか。
さてサニーの評価ですが、「隣のクルマが小さく見えま~
す」なんていうセコいCMを流す前の初代サニーは軽量
コンパクト、必要十分の動力性能を備え近代的大衆車
の草分けとして高度成長時代を切り開いた意味で「アッ
パレ」を差し上げます。
DSCN3590.jpg
続いてはNISSANチェーリーです。こちらはサニーより
やや遅れて開発されたものの、合併前の旧プリンスが
総力をあげて開発した意欲作で、前輪駆動横置きエン
ジン、2層式ギヤボックスレイアウト等、アレック・イシゴ
ニス博士が発明したオースチン・ミニのメカをそっくりパ
クッたものでした。エンジンはNISSANと合併したために
サニーと共通のA型エンジンを横置きにして搭載されま
した。それにより偶然ながらパッケージデザインからエン
ジンまでオースチン・ミニの完全パクリ版となりました。
以後、大衆車クラスはすべてこの合理的なレイアウトが
採用されることになりますが、アレック・イシゴニス博士
はさぞかし面目躍如たるものがあったことでしょう。
展示車は昭和昭和45年(1970年)の登録ですから、タ
バコ屋が同志社大学自動車部2回生の頃のものです。
チェリーX1-2
チェリーはその斬新なメカもさることながら、ネーミング
同様可愛らしいデザインが特徴で、特にスポーティ版で
あるX・1はグリルのオレンジ色のウインカーランプが特
徴的で結構精悍なフェイスとなりタバコ屋にとってはサニ
ークーペの次にかっこいいなと思ったオクルマでした。
チェリーX1-3-1
リアがまたシンプルながらも可愛らしいデザインでタバコ
屋のお気に入りでしたが、Jラインと呼ばれるCピラー周
辺のデザインは今一つで、斜め後方視界はゼロに近く、
もっと他に方法があったように思います。
ケンメリスカイライン1
余談ながら、このデザインコンセプトは4代目スカイライン
通称「ケンメリ」にも引き継がれ、確かに個性があり格好
良かったのかも知れませんが、斜め後方視界ゼロという
悪しき伝統は引き継がれました。
チェリーX1-25
チェリーのエンジンはサニーと同じA型OHVエンジンを
横置きに搭載しエンジン下部にギヤBOXをくっつける
方法でプロペラシャフトを省略し、軽量(670kg!)かつ
広いキャビンを確保することに成功しました。写真は
スポーティ版のX・1のものですがSUツインキャブでチュ
ーニングし、1200ccで80馬力程度ながら車重がメチャ
軽いためキビキビとよく走りました。
北陸遠征-1
ところで、そのチェリーX・1と同志社大学自動車との間
には深いご縁と思い出があるのですが、いったん話せ
ばフェアレディZの記事よりも長くなってしまいますので、
かいつまんでお話し致しますと、昭和46年(1971年)、
タバコ屋が自動車部の幹部を拝命した3回生の時です
が、大阪ニッサンチェリーより、新発売を記念して光栄に
も、モニターとして我が自動車部に1年間そのX・1を貸与
して頂ける事になったのです。
S575-1.jpg
当時はモータースポーツの一環としてレースほどオカネ
が掛からないラリーが盛んで、我が自動車部も「同志社
ラリー」を主催し第3回まで開催するに至っていました。
部内にもラリーおたく、メカおたく、レースおたく、部活の
取り仕切りおたくと、そのカテゴリーにおいてそれぞれ得
意な科目でグループ化していたのですが、このチェリー
X・1貸与のお話しは平尾センセを中心とするラリーおたく
にとっては願ってもないおいしいお話で、その後平尾セン
セを中心に部員一丸となり、何と第4回、5回と続けさまに
同志社ラリーを成功させたのでしたが、その裏でコース
作成の試走にはこのチェリーX・1が縦横の働きをしてく
れたのでした。その間、筆舌に尽し難い様々なトラブル
も経験し、苦渋の決断もあったりしましたが、幸い死亡
事故等による破滅的なアクシデントが起こらなかった事
は不幸中の幸いだったのかも知れません。

蛇足ながら、写真は同志社ラリーのコース作成で試走
中に写した若き日の平尾青年と庄坪青年です。チェリー
X・1を挟んでお二人の胸の三つ葉のクローバーが誇ら
しげです。
チェリーX1-34-1
さてチェリーの評価ですが、当時としては極めて斬新な
エンジン横置き前輪駆動車として、特にX・1は和製ミニ
クーパーとして颯爽とデビューし、タバコ屋を始めとする
オクルマ好きの若い衆をビビらせた点で「アッパレ」を差
し上げたいと思います。ただし横置きミッションゆえにシ
フトチェンジには無理があり、特徴的なゴキッというシフ
トフィールだったのには「喝」です。

蛇足ながらメカオンチのタバコ屋にとってはシフト方向が
ギヤBOXと直角になる構造のシフトってどうやってやるん
だろうと今でもミステリーの部分です。
DSCN3540.jpg
次はNISSANブルーバードです。当時NISSANはフェアレ
ディと言い、このブルーバードと言い、オーナー自らが
夢に溢れたネーミングをし、それが多くの人に愛された
という微笑ましくものどかな時代でもありました。展示車
は昭和55年(1980年)の登録ですから6代目ということに
なります。
ブルーバード3
ブルーバード、幸せを運ぶ青い鳥ですよね。初代が発
売されたのは昭和34年(1959年)ですが、その後例の
ピニンファリーナがデザインしたタレ尻の2代目となり、
タバコ屋の青春時代にはスーパーソニックラインと呼ば
れる直線的でスマートなデザインの3代目となりました。
ブルーバードは2代目以降曲線デザイン、直線デザイン
を交互に繰り返し、直線デザインのみが成功するという
ジンクスが出来、その中でも最も成功したのがこの3代
目でした。
P510サファリ仕様-1
当時NISSANは世界に打って出ようと目論んでいる最中
であり、世界に認めてもらう手っ取り早い方法として、世
界ラリー選手権に果敢に挑戦しつつありました。我らが
裕ちゃんこと石原裕次郎が映画化した「栄光への5,000
キロ」で一躍有名になったDATSUNブルーバードP510-
SSSは、エドガー・ハーマンのドライブにより、昭和45年
(1970年)悲願のサファリラリー総合優勝を遂げることに
なりました。タバコ屋が大学2回生の頃の出来事です。
P510サファリ仕様-3-1
ビックリポンのこのお写真はタバコ屋の1期後輩で、京
都の某和紙製品老舗のいとはんである福ちゃんが銀
座のニッサンギャラリーに立ち寄られた際、偶然P510
ワークス仕様車が展示されてあった時のものを頂いた
貴重なお写真です。尚彼女からは掲載許可を頂いてお
りますので念のため。

ついでながら、彼女が同志社大学自動車部在籍中には
ご両親におねだりしてブルーバード1600SSSを買って貰
い、クラブのガレージに乗り付けたものの、心ない先輩
に無断乗車され、乙女の心はいたく傷付いたとか・・・。
その時無断乗車したやつ、出て来い!。
サファリP510-3
ブルーバードの評価につきましては、ある意味昭和40年
代のNIPPONを代表するオクルマでもあり、その国際ラリ
ー特にサファリラリーでの活躍により世界で最もタフで壊
れないオクルマというイメージを獲得したことは「アッパレ」
印以外にはあり得ません。ただしチェリー同様そのシフト
フィールはポルシェシンクロ特有のグニュッとした感覚で
メリハリがなく、シフトの爽快さという点ではサニー等の
ワーナータイプに数段劣っており、「喝」でしょう。
DSCN3560.jpg
さてオクルマ好き、ラリー好きの御三家メーカーと言えば
昭和40年代当時、NISSAN、ミツビシ、スバルだったので
はないでしょうか。その中でもマニアックでメカ志向のや
や変態っぽい方が好まれたのがSUBARUだったと思う
んです。その理由は独創的なメカニズムにありました。
写真はSUBARU1000で昭和42年(1967年)登録のもの
です。
スバル1000-11
SUBARU1000が独創的だったのはそのメカニズムで、
水平対向4気筒(BOXER)エンジンを縦置きにし、前輪
駆動としたことでフラットで広いキャビンを生み出しまし
た。ボディデザインもシンプルで無駄なラインがなく好
感が持てるものでしたが、2代目以降は徐々にやぼっ
たいデザインとなり、タバコ屋の好みからはズレていき
ました。そのBOXERエンジンはボロボローという独特の
エキゾーストノートを発し、マニア好みの個性的メカニズ
ムと相まって後にスバリストと呼ばれる熱烈ファン集団
を生み出すこととなりました。

余談ながら、それまでもっぱら欧米車の技術のパクリを
重ねてきたNIPPON車でしたが、SUBARUのエンジニア
の意地の結晶でもあるこのオクルマのメカは初めて欧
米のエンジニアの注目するところとなり、アルファロメオ
のコンパクトセダン、アルファ・スッドにはSUBARU1000
のメカが丸パクリされたことは知る人ぞ知る裏話です。
上山君1
今回の巡礼団4人衆の一人、タバコ屋の3期後輩で通称
パンタロンな人」上山青年もメカマニアの例に漏れず、
SUBARUの熱心な信奉者で、自動車部在籍中から中古
の1300G・SPORTSを購入し武骨なラリータイヤを装着し
て乗り回したようですが、雪深い福井のご出身という出
自が影響し、その後はSUBARUの4WDを延々と乗り継
ぎ、VOLVO等の遍歴の後、最近BMW・330Xi(4WD)と
いう誰も買わないようなオクルマを購入された由、変態
メカマニアの面目躍如たるものがあると思いませんか。

さて、SUBARU1000の評価ですが、その独創的メカニズ
ムにより欧米の技術者の鼻を明かしたという点で「アッ
パレ」を差し上げたいと思います。2代目以降のデザイ
ンについてはその野暮ったさに対し「喝」でしょう。
DSCN3561.jpg
ミツビシギャランGTO・MRです。昭和46年(1971年)登録
となっていますから、タバコ屋が大学3回生の頃のオクル
マです。GTOは当時流行り始めていたスペシャリティー
カー、もしくはアメリカンマッスルカーの草分け的な存在
で、ギャランの派生車でした。
ギャランGTO-2
そのエンジンルームです。ギャランンのSOHC1600cc
エンジンをDOHC化したものを搭載し高性能を誇りまし
た。ボンビー学生だったタバコ屋はこんな高級なオクル
マには乗ったことがありませんが、ギャランのフツーの
セダンには乗ったことがあり、そのエンジンはNISSAN
のL型エンジンとは雲泥の差で軽やかに吹け上がりまし
た。しゃれにもなりませんが、ギャラーンというようなエ
キゾーストノートだったのを覚えています。
ギャランサザンクロス
当時のミツビシはNISSAN同様ラリーに力を入れていて
オーストラリアのサザンクロスラリー等に果敢に挑戦し
昭和47年(1972年)には名手アンドリュー・コーワンの
ドライブでギャランが悲願の初優勝を果たしました。
奇しくも丁度同じ年、NISSANはフェアレディ240Zでサフ
ァリラリー総合優勝を果たし、日本が最も輝き始めた時
代でした。
大阪産業大ラリー1
突然の写真で恐縮ながら、これは今回の巡礼4人衆の
ご先達である平尾センセの若かりし頃の写真で大阪産
業大学主催のラリーで初優勝した時のものと推察され
ます。尚、撮影は自動車部今出川ガレージ前です。

ラリーおたくの平尾青年がミツビシの活躍に影響を受け
ない筈はなく、彼の愛車はギャラン1600GSでした。それ
にしても平尾センセのお若いこと。ABURAぎってますわ。
DSCN3564.jpg
マツダの広場に移動します。マツダのアイデンティティ
(自己証明)は何かと言えばロータリーエンジンですよね。
写真は世界初の実用・量産ロータリーエンジンを搭載した
マツダ・コスモ・スポーツです。
ロータリーエンジン1
アイデアは超革新的ではあったものの実際は出来損な
いのヴァンケルエンジンの特許をボッタクリ価格で当時
のNSU(現アウディ)から買い取ったマツダはその後聞く
も涙、語るも涙の苦闘により世界で初めて実用化に成
功したことはNHKのプロジェクトXにも採り上げられまし
たよね。展示車の登録年度は昭和43年(1968年)で、
タバコ屋が高校3年生の時のものです。
コスモ24
さてロータリー・コスモの評価ですが、誰も成し得なかった
夢のロータリーエンジンを実用化し搭載したということに
対し「大アッパレ」を差し上げたいと思います。ただし妙に
現実感のない宇宙的(まさしくコスモ)ボディデザインは
好みの問題でしょうがタバコ屋は「喝」です。
ずっと後のMAZDA787Bによるルマンでの執念の総合優
勝のお話しなどは別記事で紹介していますし長くなるの
で今回は省略致します。
DSCN3563.jpg
続いては、マツダ・カペラです。展示車の登録が昭和45
年(1970年)ですから、タバコ屋がハタチの青春真っ盛り
の頃のオクルマです。カペラの特徴は何と言っても夢の
ロータリーエンジンを搭載していたことです。結果として
ゼロヨン加速は凄まじくGTRと互角かそれ以上の15秒台
でした。ただ哀しいかな、バカッ速いのが取り柄ではある
ものの、当時としては二流メーカーの哀しさ、前回の記事
でも申し上げた「イメージの構築」及び「アイデンティティ
の確立」がまったく出来ておらず、正直なところタバコ屋
世代の話題にも上らないオクルマでした。そういう訳で
夢のロータリーエンジンを実用化し、またそれを実用セダ
ンに搭載した快挙には「アッパレ」を、またイメージ戦略の
稚拙さには「喝」を差し上げたいと思います。「愛のスカイ
ライン」に対し「風のカペラ」では勝負になりませんよね。
DSCN3541.jpg
浦島太郎の如く、まばゆいばかりの旧車達を目の前にし
て、鯛やヒラメの舞踊りを堪能しつつある巡礼団ご一行
ですが、次は我がHONDAのコーナーです。SONYと共に
戦後のNIPPONを牽引してきた双璧のメーカーと言えば
HONDAですよね。創業者本田宗一郎は原動機付き自転
車、バタバタからスタートしベンリイ号やカブ号の大ヒット
によりあれよあれよと言う間に二輪車のトップメーカーへ
とのし上がったのでしたが、次なる一手は四輪車への進
出でした。
ホンダS800-2-1
宗一郎の目論みはまずバイクのエンジン技術を応用して
360ccエンジンを開発し、それをこともあろうに軽のトラッ
クに搭載したのでした。しかし彼のホンネはスポーツカー
をやりたかった訳で、その証拠にそのエンジンとは凝り
に凝ったDOHC4気筒4キャブレター仕様で、当時参戦し
ていたF1エンジンの技術!が流用されていました。
その後、すぐにS600・800が発表され、非常にいびつな
形で、四輪車参入を果たしたのでした。

写真の展示車S600は昭和39年(1964年)登録で、タバコ
屋世代より一世代上の方々が憧れたオクルマにて自動
車部で言えば3期上の石黒先輩が乗られていたのを覚
えています。
ホンダS800-3-1
タバコ屋も一度だけ横に乗せてもらった記憶があります
が、その乗り心地はスパルタンを通り越してまるで戸板
の上に乗っているような感覚でした。一方そのコクピット
は非常に斬新かつ機能的で、タバコ屋は今でもGOOD
デザインだと思っています。またギヤシフトはカチッとし
た感じの極小ストロークで、節度のあるものでした。

ついでながら、タコメーターのレッドゾーンは9500rpm!
からとなっており、もうスポーツカーと言うよりはバイク
のエンジンですよね
F1メキシコGP
余談ながらS600・800の設計者は元ヒコーキエンジニア
でHONDA-F1の監督を務めた中村良夫さんでした。彼
はまっとうで賢い技術者でしたが、きかん坊の宗一郎氏
はなかなか勝てないF1に業を煮やして彼と対立し、勝手
に別の空冷マシンを開発した挙句J・シュレッサーの事故
死という痛ましい事態となり、F1撤退に追い込まれたこと
はHONDAの負の歴史としてタバコ屋の記憶に痛々しく残
っています。
DSCN3582.jpg
軽四トラックにDOHCエンジンを積むなんていう無謀な
ことをやらかしたその記念すべきオクルマがコレで、
ボンネットには初期のHONDAロゴマークが描かれてい
ます。尚、このオクルマは珍しい雪上車仕様!です。
DSCN3580.jpg
町工場あがりのオッサン経営者、本田宗一郎氏が全身
全霊を傾けて開発したのがこのN360でした。HONDAに
とっても四輪車に参入したのはいいものの、軽四トラック
とスポーツカーではオクルマメーカーとしての面目が立
たず、是非とも大衆乗用車の開発が必要でした。

まだ若かった宗一郎氏は不眠不休で開発に没頭し、極
めてユニークと言うか、バイクエンジンを流用したような
空冷!4サイクルSOHC2気筒エンジンを完成させたので
した。独創的なエンジン同様、パッケージもモダンな前輪
駆動方式でボディデザインも当時の常識を覆すシンプル
かつ可愛らしい2BOXカーでした。ま、言ってみれば和製
ミニのパクリ版であり事実宗一郎おじさんはミニの影響
を相当受けていたと思います。展示車は昭和44年(19
69年)登録ですから、タバコ屋が大学に入学した年のも
のでやがてその2年後には大伴先輩からこの通称Nコロ
のお下がりを譲り受けることになるのですが・・・。

その結果、当時は若者だった団塊の世代に爆発的な支
持を受け、大ヒットとなり販売台数ダントツ1位のオクル
マとなったのでした。ただその大成功の後遺症?として
宗一郎氏はF1エンジンを始め市販車のエンジンも排気
量を問わずすべて空冷でなければ気が済まず、その拘
りがあだとなり、F1での失敗や若手エンジニアとの空冷
水冷理論を巡って深刻な対立を招き、天才技術者として
の限界を示すことになりました。

蛇足ながら、事実として空冷が適しているのはエンジン
が外気にさらされるバイクのしかも500cc程度までの小
中排気量のノリモノに適したメカニズムだと思います。
(大排気量のゼロ戦も空冷でしたが大空で冷気に晒さ
れるのでオクルマとは全く状況が異なります)
DSCN3577.jpg
本田宗一郎の信念を具体化したオクルマの代表として
HONDA1300がありますが、写真の展示車は昭和45年
(1970年)登録の1300クーペ9です。
ホンダ1300エンジン-2
HONDA-1300の最大の特徴としては、空冷に拘る本田
宗一郎氏の信念によりF1マシン、RA302からのフィード
バックである一体式二重空冷(DDAC)と呼ばれる冷却
方式を採用した空冷エンジンを用いていた点で、そのス
ペックはオールアルミ製 1,298 cc 直4 SOHC 8バルブ
クロスフローで、当時の1.3 L級エンジンとしては驚異的
なシングルキャブレター仕様で100馬力、4連キャブレター
仕様は115馬力!を発生しました。

ただエンジンに力を入れすぎたために重くなり、また足
回りがそれに付いて行けず、フロントヘビーによるアン
ダーステアやタックインといった挙動で、乗りにくいオク
ルマになってしまい、宗一郎氏渾身の作にも拘わらず
N360の成功作に比べ世紀の失敗作となってしまったの
でした。
ホンダ1300クーペ11-1
ただそんなこととは夢にも思わないタバコ屋はひたすら
HONDA神話を信奉しまた自動車部の同期の連中もこの
1300にはぞっこんだったと思います。それが証拠に2期
先輩の下村キャプテンは奈良のオウチが裕福だったの
かどうか、発売間もない1300クーペ9の新車!を購入し
普段のアシにしてました。
ホンダ1300クーペコクピット
タバコ屋は一度だけ横に乗せて頂いたことがあるのです
がそのメカと言い、ボディデザインと言い、コクピットと言
い、当時の国産車とは一線を画するスポーティでアカ抜
けたシロモノで、後にタバコ屋が自称HONDA-PTA会長
を拝命する一因ともなったオクルマでした。
HONDARA109(V10)-14D.jpg
余談ながら、タバコ屋は軽やかに吹け上がるエンジンに
ぞっこんで、重くて眠いNISSAN-L型にはあまり良い印象
を持ってなかっただけに、8,000rpm!までストレスなく吹
け上がるHONDAエンジンは大のお気に入りでした。まし
てやその後のF1での大活躍は強烈なインパクトとなり、
自称HONDA-PTA会長を拝命したのでしたが、今となっ
てはそれも遠い日の懐かしい思い出となりつつあります。

さてHONDAの評価です。創業者の本田宗一郎氏の志
やよし、それには「アッパレ、アッパレ」ですが、ご自身が
あまりにもオクルママニアだったためメカに懲りすぎたこ
とには「喝」でしょう。そのレベルは客の要求をはるかに
超えていたにしろ、「過ぎたるは・・・・」という事なんです。
DSCN3598.jpg
さて国産車のシンガリは王者トヨタです。トヨタも最初か
ら王者であった訳ではなく、地道な開発、改良と丁寧な
販売活動によってその地位を築いたのですが、技術の
NISSANに対し販売のトヨタと言われ、それはタバコ屋が
ハタチの頃からだったでしょうか。写真はそこに至る前
のトヨタが開発したスポーツ800で、展示車は昭和40年
(1965年)の登録ですから、まだタバコ屋が中学生だった
頃の作品です。この可愛らしいオクルマはHONDA-S600
・800のよきライバルとして当時の若者の憧れとなったの
ですが、HONDA同様、元ヒコーキのエンジニアが設計し
ただけあってメカ及びボディは斬新かつ独創的で、エンジ
ンはパブリカの流用ながらボディは空気力学を取り入れ
た抵抗の少ない形状でしかも徹底した軽量化により重量
は僅か580 kg !に抑えられていました。
S800-2.jpg
余談ながら、今回の巡礼4人衆の一人、越前アオリイカ
こと野尻君は自動車部時代初期にこのオクルマに乗っ
ていた幸福な青年のお一人だったようですが、お聞きす
るとお父様がメチャオクルマが好きなお方(エンスー)で
まずかなりくたびれたスポーツ800を購入し、続いて中古
のパブリカを買ってきて主な部品をすべて移し変えて完
成させたワンオフカー(手作り別注品)だったそうで、蓼
食う虫も好き好きというのはこのお方のためにある言葉
ではないでしょうか。う~んその執念に脱帽ですが、一
方、大切なお父様のオクルマをパクッて京都で乗り回す
ご子息がいたとは、言語道断のようにも思われます。ま、
お父様が倅のために作られたのならハナシは別です。
S800-7.jpg
トヨタスポーツ800の評価ですが肩肘張ったものでなく、
慎ましくも可愛らしい国産初のライトウエイトスポーツカ
ーとして「アッパレ」を差し上げたいと思います。
DSCN3620.jpg
次は言わずと知れたトヨタのドル箱車種カローラですが
ブルーバードとともに当時のNIPPONを代表するオクル
マでしたよね。展示車は昭和48年(1969年)登録で発売
4年後のものですが、高度成長期の絶頂を迎えようとし
ていた当時、カローラVSサニー、コロナVSブルーバード
の開発競争及びシェア争いが激しく行われました。挙句
の果ては「となりのクルマが小さく見えま~す」なんて言
う品性に欠けるCMの登場となりました。

その熾烈なシェア争いに関して、専門的なお話しながら
トヨタは敵の2倍の販売力を持つには4倍の戦力を投入
する必要があるといういわゆるランチェスターの法則
実践したのでした。この法則は第二次大戦で投入戦力
とその結果(勝敗)を科学的に研究したランチェスター
によって発見された法則なんですが、戦後は戦争では
なく実業の世界でも応用されるようになりました。その
方程式は2乗または平方根の数式ながら、逆に言えば
4倍の戦力で戦ってやっと2倍の効果があらわれるとい
うことで、技術で劣っていたトヨタがNISSANを抜くため
に人、物、カネを販売に集中的に投入した結果、徐々に
引き離すようになり、やがてNISSANがどのように努力
しようと二度と追い付けないことになったのです。
結果は三河あきんどの勝利に終わったのでした。
DSCN3618.jpg
続いてはそのカローラの派生車種でスポーティ版と言う
より本格的なメーカーチューング車であるレビンです。
特徴はエンジンでセリカ1600GTから移植された2T-G型
1.6L のそれは、2バルブながらも高度なDOHCが採用さ
れ、115馬力を誇っていました。また当時流行のオーバー
フェンダーを装着し、ボンビーな若者の垂涎の的でした。
展示車は昭和48年(1973年)の登録ですから丁度タバコ
屋が大学を卒業した年になります。

世にボーイズレーサーという言葉があるようですが、この
オクルマはまさにそれで、高性能かつお手頃価格のオク
ルマに飢えていた当時の若者はこぞってこのレビン(しか
も中古車)のお世話になったのではないでしょうか。ライ
バルはNISSANサニー1200GX-5で、どちらとも甲乙付け
がたい魅力があったように覚えています。
DSCN3619.jpg
さて、販売のトヨタと言われながら性能イメージで劣って
いたトヨタですが、そのダルい!イメージを払拭したのが
セリカではないでしょうか。写真の展示車はセリカ・リフト
バックGTで昭和49年(1974年)の登録ですからタバコ屋
が大学を卒業した翌年のものだと思います。
セリカ6
セリカは昭和46年(1970年)に発売されましたが、日本
初のスペシャリティ・カーとして70年代に一世を風靡した
オクルマですよね。そのずっと後の4代目にはWRC(世界
ラリー選手権)への挑戦にからみ、4WDシステムを備えた
GT-FOURを発売するに至り、初代から数えて20年後!
の平成2年(1990年)に名手カルロス・サインツの手によっ
て日本車初のドライバーズタイトルを獲得することとなっ
たのですが、販売のトヨタのみならず技術のトヨタとなり
得た歴史的な一瞬でした。
DSCN3543.jpg
ご先達の平尾センセが3期後輩の上山青年にレクチャー
しているオクルマは5代目セリカGT-FOURですが、偶然
にもC・サインツが4代目セリカを駆りドライバーズチャン
ピオンに輝いた同じ年の平成2年(1990年)に登録された
ものです。ワークスカラーに塗られていますが、本物の
ワークスカーかどうかは確認出来ませんでした。

勢いに乗ったトヨタはこの5代目セリカをインタークーラ
ーやターボで重武装し、再びWRCに挑戦、3年後の平
成5年(1993年)には名手C・サインツを擁して並み居る
世界の強豪ランチア、アウディ、プジョー等を蹴散らし、
悲願のドライバーズ&メイクスダブルタイトルを獲得、
ついに世界の頂点に上り詰めたのでした。
セリカWRC-1
平尾センセのレクチャーの中味は推察ながら「なあ上山
よ、トヨタもこのセリカで世界一になったんやけど、やっぱ
4WDやないと世界では通用せ~へんのやなあ。」とか。
受講生の上山青年も普段はかなりの論客ながら、相手
が先輩にて、フムフムとかいう感じで神妙に聞き入って
いる風情です。

まったくの余談ながら、タバコ屋はその頃に何をしていた
かと申しますと、当時全国で急成長中だったホームセン
ターを中島で開設すべく研究中でしたが数年間の開発
期間を経てそのトヨタの快挙と同じ年の4月、ついに念
願の島で唯一のホームセンターを開設するに至りまし
た。コホン。
DSCN3613.jpg
さてトヨタのというか国産車の最後を飾るのは言わずと
知れた、珠玉の名車トヨタ2000GTです。展示車の登録
は昭和44年(1969年)となっていますが、形式には前期
型と後期型があり、各部のディテールからして後期型で
すが、この年はタバコ屋がちょうど同志社大学自動車部
に入学?(入部)した年なんです。
DSCN3614.jpg
トヨタ2000GTは、トヨタとヤマハが共同開発し、実際の生
産はヤマハが担当したいわゆるOEM(委託)生産車で、
昭和42年(1967年)から数年間販売された国産初の超高
級スポーツカーでした。
トヨタ2000GTエンジン-1
開発の裏話として当初ヤマハが企画した夢のスポーツ
カー構想をNISSANに持ち込んだのですがNISSANでは
既にフェアレディZの企画が始まりつつあり断られた結
果、トヨタに採用されトヨタの設計陣との共同開発という
ことになりました。芸術品のようなエンジンはトヨタのクラ
ウン用2M型エンジンをヤマハが改良チューニングし、ヘ
ッドをDOHC化するとともに当時としてはレーシングカー
用だったSOLEXキャブを3連装するという夢のようなスペ
ックでした。その結果150馬力を発生しましたが今でこそ
大した数字ではないものの、ベースの2Lエンジンの馬力
が100馬力程度であったことを考えると5割増しであり、
当時の国産2Lクラス市販車では最強馬力を誇りました。
007トヨタ2000GT-1
発売時の価格が238万円で、トヨタ自動車の高級車であ
るクラウンが2台、大衆車のカローラが6台買える程に高
価でした。昭和42年(1967年)当時の日本における大卒
者の初任給がおおむね2万6000円前後であったので、
現在の価格に換算すると1500万円から2000万円程度の
超高額車でした。

トヨタはその価格で販売しても赤字だったそうですが、世
界への宣伝の意味があった訳で、そのせいもあって話題
にはことかかず、娯楽映画「007は二度死ぬ」でも定番の
ボンドカーであるアストンマーティンDB5とは別に写真の
若林映子さんが乗るトヨタ2000GTロードスター(別注品)
が採用されました。裏話として若林さんは免許を持ってお
らず実際の走行シーンはカツラを被った別の男性が運転
したそうです。
トヨタ2000GTコクピット-4
タバコ屋の思い出としては、自動車部時代5年先輩で通
称ミナミのパチンコ王と言われた西山さんのキャデラック
をご自宅まで運転して行った時、トヨタ2000GTがドドーン
と鎮座しており、その後何度かクラブのガレージにも乗っ
て来られました。タバコ屋ふぜいはこの世のものとは思
われないそのオクルマにただただ憧れと畏怖を感じて
そっとフェンダーを撫でる程度ではあったもののヤマハ
のピアノ木工技術を駆使したそのコクピットは芸術品の
如きに輝いていたのをはっきり記憶しています。
トヨタ2000GT-11
さてトヨタ2000GTの評価ですが、浮世離れしたオクルマ
だけに恐れ多く評価も何もあったものではありません。
しいて言えば高度成長時代の技術革新の頂点とも言う
べきこのトヨタ2000GTは発売に際し、当時の長時間走
行スピード記録を塗り替える等、NIPPONが世界にその
技術を誇らしげに示したことに対し「大アッパレ」を差し
上げたいと思います。またそのデザインといいクオリティ
と言い、非の打ち所がなくこれはもうオクルマというより
は「神(ゴッド)」と申し上げたほうがよろしいでしょう。

巡礼団4人衆はこれでやっと国産車を回り終えたのです
がまだ外国車が残っています。ふ~。
それにしても昭和30年代後半から40年代にかけての国
産車を見て回りそれぞれに忘れ難い思い出があるので
すが、不思議なことにフェアレディZの実車での思い出と
いうものがまったくないのです。あれだけの名車でカーグ
ラフィック等の雑誌を華々しく飾っていたにもかかわらず
先輩の誰も乗っていませんでしたし、京都の街中でも滅
多に見ることはありませんでした。
IMG_2789-1.jpg
それゆえ卒業後40年もたってからせめて「死に土産」に
乗ってみたいと思うようになったのかも知れません。
誓って申しますが、一部宇治方面のアオリイカ大魔王
氏が目論んでいる様なこれでレジェンド・オブ・ラリー
に出場し篠塚建次郎氏に一泡吹かせるなどという野望
を持っている訳ではありません。
しかし40年以上も前の昭和48年(1973年)に製造され
たオクルマをまともに走らせること自体が大変なことで、
そこには「地獄のレストア」が待ち構えていようとは当時
夢にも思いませんでした。
手前味噌になりますが、この度タバコ屋の「赤いお嬢ち
ゃん」は2度目の大規模なレストア及びチューニングを
実施し見違えるように若返ったことをご報告致します。
そのいきさつについては別の記事にて詳しくお話しする
ことに致しましょう。山口百恵ちゃんでもないでしょうが、
「♪緑の中を走り抜けてく真っ赤なZ~」なんて。
S30Z-4.jpg
後日談ながら昨年4期後輩の野尻君から膨大なお写真を
頂いた時、彼が現役時代そのZのオーナーだったのを知
りビックリ仰天し、何やら戦友に巡り会ったような懐かしい
気分がしたのですが、それ以後彼とは親密な交友が始ま
り今日に至っています。

タバコ屋は今回の記事で迷宮から這い出たかったのです
が、国産車だけで紙数が尽きてしまいました。外国車に
ついては次回の記事でお伝えすることに致します。お楽し
みに・・・。長時間のご精読有難うございました。

福井巡礼 vol.5:ああ旧車よ(中編)

平成29年6月22日
今回いよいよ昭和40年代のオクルマ達を見て回ること
にします。タバコ屋達、巡礼団4人衆はやっとの思いで
大聖堂の奥に静かに佇む聖母マグダラのマリアならぬ
初代フェアレディZ432にご対面です。
マグダラのマリア1
一部ワタナベのホイールやシビエのヘッドライト以外は
ほぼ発売当時のオリジナルの状態が保たれていました。
ボディカラーはZ432純正色なのかどうか、朱赤のような
カラーでしたが、S30Zの純正色であるグランプリ・レッド
とはやや異なっているように見受けられました。
DSCN3547.jpg
マグダラのマリア様のおなかの中味を拝見することなど
罰当たりで恐れ多いことながら、多分エンジンルームは
このようになっていると推察されます。言わずと知れた
S20エンジンで、日産に合併する以前のプリンスが開発
したプロトタイプレーシングカーR380に搭載されたレース
用GR8型エンジンをデチューンしたものですよね。
S20エンジン1
スペックはZ432の由来でもある4バルブ、ソレックス3キャ
ブレター、ツインカム(DOHC)で160馬力を発生しました。
当時としては夢のようなエンジンでタバコ屋世代はただ
ただ「仰げば尊し」の存在でした。しかし実際は相当ナー
バスなエンジンで調整が難しく、またZに搭載した場合は
車体の剛性が低いため高速で振動が激しくなる欠点が
あり、レースでは実力を発揮出来ませんでした。つまり
(私見ながら)相性が悪かったということです。

Z432の名誉のために申し添えますとタバコ屋の所属す
るクラブS30のお仲間でANAの国際線パイロットである
某氏の愛車Z432は完璧なチューニングで素晴らしい状
態と性能を保たれています。稀なことでしょうけど。
DSCN3549.jpg
この博物館は粋な計らいがされていて、ナンバープレー
トに登録年月日が表記されているんです。即ちこのオク
ルマは日本製で昭和45年(1970年)に登録されたという
ことです。初代フェアレディZが発売されたのは昭和44年
(1969年)ですから、発売1年後のオクルマということでし
ょうか。

昭和45年と言いますとタバコ屋が同志社大学自動車部
2回生でしかもハタチの頃ということになり、今や当時の
思い出はセピア色に褪せてはしまったものの、人生で
最も多感な時期ではありました。
フェアレディZ5
当時は高度成長時代、モータリゼーションの真っ只中で
戦争で打ちのめされたヒコーキ産業にかわりNIPPONが
カデン産業と共に今後の国の夢を託したジドーシャ産業
が熱にうなされた如く開発に明け暮れた時代で、目まぐ
るしいくらいに次々と新しいオクルマが発売されましたが、
その中でも一際異彩を放ったのがフェアレディZでした。
フェアレディアメリカ試走-1
その開発背景として当時北米NISSAN社長だった片山
豊氏の国際的視野に立った新型スポーツカーの開発
要請に基づき、基本コンセプトの具体化及び車両設計
は東大卒の優秀な設計技師だった植村斎氏を中心と
するチームが、またデザインは神戸生まれの異端児、
松尾良彦氏を中心とするチームが担当し、何と、東洋
の小さな島国からやがて世界を席捲するスポーツカー
が生み出されたのでした。尚、写真中テンガロンハット
を持たれているのがZ開発の中心人物、植村氏です。
片山豊氏Z-2
ちなみに片山豊氏がZの開発を促すにあたり、そのイメ
ージとして伝えた言葉は「ジャガーEタイプみたいなスポ
ーツカー作ってよ」だったそうです。写真は後日片山氏が
アメリカでは発売しなかったロングノーズのZGを日本か
ら取り寄せご自分の愛車としてモディファイしたものです
がある意味ジャガーEタイプよりデザインも性能も洗練さ
れたものとなり、「Z生みの親」である片山豊氏ご自身は
面目躍如たるものがあったと思います。
フェアレディZ2
結果として販売開始直後からアメリカで大ヒット、1978年
までの10年間で世界総販売台数55万台(日本国内は8
万台)という空前の大記録を打ち立て、ジャガー、ポルシ
ェ等世界の強豪を押しのけて世界で最も売れたスポーツ
カーとなりました。当時ジャガーやポルシェは1万ドル以
上したのですが、初代フェアレディZは約3分の1の価格
3,600ドル前後と、当時世界一の文明国アメリカに於いて
は一般庶民でも無理をすれば手の届く価格だったことか
ら、プアマンズポルシェまたは秘書などを務めるやや上
級のオフィスレディがよく購入したことからセクレタリーズ
カーなどと陰口を叩かれたこともありました。
(しかしあの重いステアリングを秘書のお嬢ちゃんはど
うやって乗りこなしたんだろう?)
240Zサファリ1-2
またNISSANは満を持して発売したこのフェアレディZを
当時宣伝目的もあって積極的に参戦していた国際ラリー
に投入しました。特に世界で最も過酷なラリーと言われ
たサファリラリーにおいて初参戦の昭和46年(1971年)
E・ハーマン、H・シュラーのコンビは見事な走りでポルシ
ェ、フォード等他のワークスチームを蹴散らし、前年の
ブルーバードP510の優勝に続き2年連続での総合優勝
という快挙を成し遂げました。
240Zモンテ11
続く翌昭和47年(1972年)雪のモンテカルロラリーでは
名手R・アールトーネン(サイドブレーキターンで有名)は
狭く曲がりくねった道路でのハイスピード走行には不利
なロングノーズ、FR車のZを駆り天才的なドライビングに
より奇跡の総合3位入賞を果たしました。彼の話しによ
ればDATSUN240Zは直線では明らかにポルシェ911よ
り速かったそうで、当時の我等がNIPPON若者衆として
は神様、仏様、240Z様の心境でした。
240Zモンテ5-1
このような快挙が、血気盛んなオクルマ好きの若者の
心を捉えない筈はなく、タバコ屋などは当時大学2回生
だったと思うのですが、カーグラフィックの速報記事を読
んで、手に汗握ったものでした。
240Z-1.jpg
一方、国内では当初PRINCEの桜井真一郎氏を中心と
するワークスチームが開発したレーシングカーR380の
流れを汲むツインカムのS20エンジンを搭載したZ432を
国内レースに投入したものの振動が激しく思うような性
能が発揮出来ずその後NISSAN製のL型SOHC2.4Lエン
ジンに換装してからは目覚ましい活躍を見せ、当時の
NISSANワークスドライバー北野元選手(京都出身)が
昭和48年(1973年)全日本鈴鹿1000kmレースにおいて
総合優勝を飾ったことなど今となっては懐かしい思い出
です。
フェアレディZ9
ついでながら日本国内では2LのS30Zと高性能なツイン
カム仕様Z432の2タイプが売られたのですが広大なアメ
リカでは高速巡航性能重視のため排気量を2.4Lにアップ
した240Zが販売され「DATSUN・Z(ダッツン・ズィー)」また
は「Z・CAR(ズィー・カー)」の呼び名で親しまれました。
当時のアメリカでのNISSAN車はDATSUNブランドで売ら
れていたのです。
ダットサンエンブレム4
余計なことながら後日談として、NISSAN首脳はブランド
統一(CI再構築)のためDATSUNブランドを廃止しました
が、結果としては大失敗で販売ががた落ちとなりました。
タバコ屋に言わせれば机上またはコンサルが進言する
CIの統一などと言うものは吐き違いをしていてむやみに
ブランドを変更したりするものではないのです。何故かと
言えば、そのブランド醸成には長い年月が掛かっており
それ自身の自己証明書みたいなものだからです。
NISSANにとっては極めて恥ずかしいことに今ではブラ
ンド変更の失敗例として大学のセンセの講義材料にな
っているそうですから、悔しいですよね。

タバコ屋の独り言、「当時の日産の責任者、出て来い
と言いたい。「おまえら、何してんねん!」と言いたい。
4才から前垂れ掛けて道端の草にまで「こんにちは」と
言って来たタバコ屋にしてみれば、こんな商いの大切な
基本を無視するようなアホな決定を誰がしたんやと責め
たい気持ちになってしまいます。

前回の記事同様、再びクールダウンが必要ですが、それ
はもう言いますまい。さて上記の如くNIPPONの夢を託し、
アメリカで爆発的な人気を勝ち得たポクらの240Zでした
が、当時ボンビー学生だったボクら、即ちタバコ屋達は
国内仕様のS30Z、輸出仕様の240Zなんて和製スーパ
ーカーであり、まして購入なんて夢のまた夢で、言わば
「坂の上の雲」のオクルマでした。
フェアレディZコクピット1
ちなみに日本国内での販売価格が当時90万~100万程
度、アメリカでの価格が排気量が違うにしても130万程度
だった訳で、今の価格に換算すると550万~600万くらい
になるので、やはりボンビー学生などお側に寄れるオク
ルマではなく荒稼ぎして銀座、キタあたりで豪遊している
お兄さんか、もしくはえーとこのボンが親にねだってお乗
りになるシロモノでした。

たとえ買えはしなくても、当時のタバコ屋を始めボンビー
な若者の憧れとしてフェアレディZは存在していたように
思います。
DSCN3548.jpg
以上長たらしい解説はさておき、ヘッドライトはシビエ製
に換えられていました。実は当時の照明技術は今から
思えばショボイものでヘッドライトはもとよりコクピットの
各種計器類の照明もろくに役に立たないくらいのレベル
でした。このオーナーもたまりかねてシビエに換装され
たのだろうと思うのですが、確かにハロゲンランプでは
シビエと言うのは一流ブランドで、我らボンビー学生もか
つて憧れた一品でした。
シビエ1
余談ながら、先般元祖宇治のアオリイカ大魔王こと平尾
センセに、タバコ屋の赤いお嬢ちゃんのヘッドライトが暗
いとグチを漏らしたところ、さっそく煽り攻撃を受け、シビ
エのヘッドライトを買わされました。いつ装着するか迷っ
ているところです。また大阪豊中の別のアオリイカ青年
からは手持ちのシビエドライビングランプを親切にもご送
付頂いたのですが、サイズが巨大過ぎて装着を断念しま
した。
さてフェアレディZの評価です。その栄光の歴史と現車の
素晴らしい保存状態には「超アッパレ!」なんですが、
これほどの博物館にS30(2L版)もしくはHS30(240Z)が
無かったことには「喝!」でしょうか。

蛇足ながら、初代Zはその後アメリカの厳しい排ガス規
制の洗礼を受け、また徐々にゴージャスなGTの方向に
軌道修正された結果、片山氏、植村氏、松尾氏、ひいて
はタバコ屋達が夢見た颯爽としたライトウエイトGTカー
のコンセプトは壊れてしまい、現在のだるくて重々しい
Zに成り果ててしまいました。タバコ屋の激しい失望は
皆さんのご想像に任せることに致します。
DSCN3604.jpg
次に初代フェアレディZと共に、昭和40年代を代表する
オクルマ界の2大スターの一台である3代目スカイライン
2000GTのコーナーに行く前にそのお父さんである2代目
スカイライン2000GTを見ることに致しましょう。
写真はスカイライン2000GT-AかBか確認し忘れたので
すが、外観のイメージからは想像がつかないほど速い、
そうしたクルマのキャラクターを示すのに「羊の皮をかぶ
った狼」という言葉が初めて使われたと言われているの
が、昭和39年(1964年)に誕生したスカイライン 2000GT
-A/Bです。Aタイプはシングルキャブなのに対しBタイプ
はウェーバーキャブ3連装で武装した高性能版で、個人
的にはこのBタイプこそが「羊の皮をかぶった狼」に相応
しいと思います。
2代目スカイライン4-1
コクピットにしても、まるで零戦のそれを移設したような
ビジネスライクなもので、タコメーター、スピードメーター
を中心に、油圧、電流、水温、燃料の各種計器を配した
その出で立ちは、タバコ屋世代にとってはそのスパルタ
ンなムードと共に決して忘れられない室内風景です。
ステアリング中央には誇らしげにPRINCEのロゴが貼ら
れていて、まるでイタリアの毒サソリ、アバルトを彷彿と
させますよね。
第2回日本GP-3
余談ながら、そもそも2代目スカイラインは昭和30年代
後半から過熱しだした自動車メーカー(ワークス)同士の
戦い、即ちその集大成であり絶好の宣伝ともなった日本
GPに勝利を収めるべく各社しのぎを削る中で、プリンス
が第2回日本GP(昭和39年(1964年)開催)に於いてGT
-II(1001〜2000cc)のカテゴリーでクラス優勝を果たす
ために開発されたオクルマでもありました。1500ccクラス
のボディに2000ccのエンジンを無理やり押し込んだので
すから、当然高性能となり、実際のレースでは式場壮吉
氏のPORSCHE・904VS生沢徹氏のスカイライン2000GT
との一騎打ちとなりました。
第2回日本GP-2
理論的にも実際も式場壮吉氏のPORSCHE・904の圧勝
となったのですが、途中一瞬ながら生沢徹氏のスカイラ
イン2000GTがポルシェを抜いたラップがあり、そらもう当
時の観客は総立ちで、単純にもプリンスがPORSCHEに
勝ったなどと勘違いをしたのですがそもそもレース目的
に開発されたプロトタイプスポーツカーのPORSCHE904
にフツーのセダンであるプリンス2000GTがどんなに逆立
ちしようとも勝てるはずがなかったのです。
第2回日本GP-1
しかしイメージというのは恐ろしいもので、その第2回日
本GPにおいて一周なりともプリンスがPORSCHEを抜い
たという事実のみが誇張され、いわゆる「スカイラインは
我らの神なり
」という伝説が誕生することになりました。

タバコ屋はこれらの鮮烈な事実を体験したうえで、究極
の商いというのは「イメージの構築」だと思うようになり
ました。販促も安売りも要らないんです。企業イメージの
構築(アイデンティティの確立)こそ、各企業が目指すべ
きものなんです。

母校同志社において、かつては経済学部の平山センセ
が「経済原論」などと言ってカビの生えたような講義を懲
りもせずお話され、他の教授も五十歩百歩似たようなも
ので、ゼミに進級してからもそのクオリティの低さは覆い
がたく、最新の流通理論を学びたいという夢は果たせず
同志社大学そのものに対し多大な幻滅を感じたタバコ
屋でしたが、当時の過激派学生のように「授業料返せ」
とまでは言う勇気がありませんでした。と言うより、その
うちに自動車学部での幹部としてのオシゴトが山積し、
本来のオベンキョウは放ったらかし状態になりました。

その結果、タバコ屋は皮肉にも大学の講義ではなくオク
ルマの世界での見聞によって「商いの真髄」を知ること
となりました。その真髄とは「自分は何者かというアイデ
ンティティ(自己証明書、個性)の確立」と「良きイメージ
の構築」だと思います。
DSCN3603.jpg
そのような時代背景の下で昭和43年(1968年)日産との
合併を経てプリンス荻窪で開発された3代目スカイライン
2000GT(通称ハコスカ)がデビューしたのでした。展示車
両は後期型で、フロントグリルのデザインが初期型より
も洗練されたものになっています。それが証拠にナンバ
ープレートには発売4年後の昭和47年(1972年)製となっ
ていますよね。
スカイライン2000GTR-16
さてスカイライン2000GTことスカGですが、話せばブログ
記事3回分の長さになるくらいタバコ屋及びタバコ屋世代
にとっては思い出深いオクルマゆえにここは読者のご迷
惑を考えて簡潔にお話しする必要があります。
スカイライン2000GTR-7
まず、第2回日本GPにおいて「神」となったスカGは3代目
となってその集大成と言うべく、国内レースにおいて空前
の52勝という大記録を打ち立て、やがて神から一歩前進
し「不滅のスカイライン神話」となったのでした。

またフェアレディZが2シーターのスポーツカーであったの
に対し、スカGは2ドアハードトップ/4ドアセダンであり実
用的であったことと、当時のお値段がGTRの150万は例
外としても2000GTが80~90万だったことから、我々庶民
の中でも比較的オカネ持ちの家では無理をすれば買え
た価格でした。
スカイライン2000GT-2
スカイラインはGTRのレースでの活躍によってメチャ高性
能なオクルマという「イメージ!」が確立しそれによって大
ヒットした訳ですが、この「イメージ戦略」というのが商い
にとっては最も高級で重要なことであることがわかります
よね。ただ3代目スカイライン(通称ハコスカ)のキャッチ
フレーズは広告代理店の電通あたりが考えたものかも知
れませんが「愛のスカイライン」で「なんのこっちゃ」と思い
ますが、4代目が「ケンとメリーのスカイライン」ですから、
キャッチフレーズと言うのは荒唐無稽で非現実的なもの
が好まれるのかも知れません。
L型エンジン
ところで、フェアレディZ432とGTRにはプリンス製DOHC
4バルブのS20エンジンが搭載されたのですが、フェアレ
ディS30Zとスカイライン2000GTにはそれとは逆に日産
製のSOHCターンフロー(吸排気口が同じ側にあるもの)
式のL型エンジンが搭載されました。このエンジンはとに
かく丈夫に作られていたのですが、その結果重くて眠い
エンジンとなり、軽快な吹け上がりを期待して購入した
ユーザーをがっかりさせるものでした。
IMG_6034-1.jpg
それにまつわるお話として、タバコ屋が同志社大学自動
車部3回生の時、クラブ員の皆がアルバイトで稼いだお
金をもとに中古の3代目スカイライン2000GT4ドアセダン
を部車として購入したのでした。もうそれはそれは「神」
のごとく部車の旗艦としてまた幹部専用車として大切に
されましたが、「竜頭蛇尾」の言葉どおりレースでの輝か
しいイメージとは裏腹に重々しいフィーリングのオクルマ
で、タバコ屋は内心ああ、竜のアタマをイメージしていた
のに蛇のシッポだったのかと、やや失望した思い出が残
っています。
スカイライン2000GT-15
尚、L型エンジンの名誉のために申し添えますと、それ
だけチューニングのキャパシティが大きかった訳で、事
実L型2000ccエンジンはボアアップと高速走行用チュー
ニングを施した場合は、見違えるようにレスポンスが良
くなり、もともとトルクが大きく扱い易いエンジンであった
ため、スカGはもとより、フェアレディZとの相性も良く、中
でもワークス240Zは国際ラリーで驚異的な活躍を見せ、
また国内レースで240ZRはS20エンジン搭載のZ432を
凌ぐ大活躍を果たしたのでした。
鉄人28号3
さて桜井真一郎氏を中心とする旧プリンスチームの渾
身の作品であるスカイライン2000GTの評価ですが、極
めてNIPPON的な感性のGTとして、またレースでの輝か
しい実績に対して「アッパレ」を差し上げたいと思います。
しかしタバコ屋が抱いていた颯爽と軽やかに「ビューン
と飛んでく鉄人28号
」というイメージに対しては「喝」で
しょう。

今回は一気に40年代オクルマ見学を済まそうと思った
のですが意に反しフェアレディZとスカイライン2000GT
のことだけで紙数が尽きてしまいました。まだまだ書き
残したことは多いのですが、このあたりで終わりに致し
ます。次回は昭和40年代を彩ったその他のオクルマ達
を駆け足で一気に見て行く事に致します。お楽しみに。

福井巡礼 vol.4:ああ旧車よ(前編)

平成29年6月15日
前の記事で、タバコ屋は何故「ゆのくにの森」などという
名前を付けたのか意味がわからなかったのですが、ま
わりをよく見ると加賀温泉を始め山中温泉、その他温泉
だらけで後になってなるほどそうだったのかと思った次
第です。印象深いその「ゆのくにの森」を後にし、同釜4
人は自動車部OBとして是非とも訪問しておかねばなら
ない聖地「日本自動車博物館」を目指します。ここは我
々にとってはエルサレムよりも永平寺よりも本願寺より
も果てはガンジス川の畔よりも崇高な場所なのです。
モーゼ3
その聖地はあっけないほど近くにありました。「ゆのくに
の森」から北へ少し走って国道8号線に行き当たる少し
手前の閑静な場所にいきなり場違いとも思われる建物
が出現したのでした。ああモーゼよ、紅海が二つに割れ
ようが割れまいが、約束の地カナン改め小松の地に導
いて頂いた事に感謝致します。

これも後から知ったことですが、「ゆのくにの森」も「日本
自動車博物館」も加賀市ではなくお隣の小松市に所在
しており小松市としては加賀温泉に来られたお客をうま
く取り込むというなかなか賢いやり方です。
14737417385.jpg
建物の外観はまるでベルサイユ宮殿か赤坂の迎賓館か
と思わせる重厚なもので、やはり美術館とかコレクション
ホールと言われるものはまず入れ物からして「華」がなく
てはなりません。大英美術館にしてもルーブル美術館に
してもドロボーして自分のものにした世界の遺産を誇らし
げに見せびらかすその神経は厚顔無恥レベルではある
ものの、そのプレゼンテーション自体は洗練されたもの
ですよね。(但し、今からでも遅くないから返却しなさい)

英国よ、フランスよドイツよロシアよ、強欲、搾取、強奪、
あなた達は時代に沿ったとは言え何と破廉恥なことをし
て来たのでしょうか。大航海時代の前段で活躍したスペ
イン、ポルトガルに至っては言語道断で、強盗国家と断
定してもよく、当時のチンケな世界地図を前にして半分
っこしようやなどと笑止千万な目論見を企てたと言いま
すから呆れ果てます。
帆船9
勝てば官軍という言葉があるのはタバコ屋とて知らない
筈はありませんが、人類としてあまりにも品性に欠ける
行為をやり過ぎたと思わないのでしょうか。タバコ屋の
独り言、「おまえら毛唐連中、許さへんど

ま、今回のテーマとは関係ない事でカッカすることもない
ので、しばしクールダウンすることに致します。
DSC_3865-1.jpg
実は福井巡礼の少し前、スケジュールが決まった後、何
もかも皆さんにMARUNAGEでは申し訳ないと思い「日本
自動車博物館」にどのようなオクルマが保存展示されて
いるのか調べてみようと思い立ちました。博物館のHPを
拝見するとタバコ屋お目当てのフェアレディS30Zが展示
リストにないのです。え~日本屈指のコレクションを誇る
この博物館にS30Zがないなんて、嘘やろ~と思いました
がその代わり後ろに補助座席の付いたフェアレディZ2+2
とGTRと同じDOHCエンジンを搭載したフェアレディZ432
がリストアップされていました。ま、百聞は一見に如かず
でまずは見学あるのみです。
DSCN3535-1.jpg
建物に入る前からして、すでに他を圧する威容を漂わせ
つつ、かつての大英帝国のオクルマのシンボルである
ロールスロイス・シルバーシャドウのお出迎えです。我ら
同釜4人のうちアオリイカ3人衆がさっそく記念撮影です。
DSC_3866-1.jpg
余談ながら、シルバーシャドウが発売されたのは昭和40
年(1965年)で、タバコ屋がまだ中学生の頃でしたので
知る由もなかったのですが、後日今出川時代にオクル
マに興味を持って以降はプレステージサルーンとして
世界で最も気品と格調のあるデザインだと思うようにな
りました。
ゴースト12-1
ちなみにその後継車種であるゴーストはプレステージカ
ーのカテゴリーにおいてタバコ屋が世界で最もお気に入
りのデザインです。乗ることは一生ないでしょうけど・・・。
DSCN3537-1.jpg
気のはやる一行は横のリンカーンには目もくれず、正面
エントランスからそそくさと入館したのでしたが、さて膨大
なコレクションをどのように見学するか、修学旅行ではな
いので、別に打ち合わせた訳ではありませんがタバコ屋
なりに一定のテーマは携えて来ました。そのテーマとは
我ら同釜が今出川時代に親しんだオクルマ」を見学す
ることでした。

タバコ屋の定義によれば、戦前から敗戦直後(昭和30年
年代前半まで)のオクルマをクラシックカー(ビンテージカ
ー)と呼び、昭和30年代後半から40年代及び50年代にか
けてのオクルマをネオクラシックカー旧車)と呼びます。

今回、「今出川時代」と言うことはNIPPONのオクルマ産
業が最も輝き熱病にうなされた如く成長、発展した昭和
40年代のオクルマ達を見たいという下心がありました。
DSCN3559.jpg
博物館側では粋な計らいをしていて、昭和30年から40
年にかけて日本のライフスタイルをイメージする展示ブ
ースをしつらえていました。そうなんです、こういうイメー
ジのもとでボクらは育ったんです。
梅ちゃん先生16-1
つつましくも向上心に燃え、3種の神器(じんぎ)と言われ
た、白黒TV、冷蔵庫、洗濯機を購入するという夢に憧れ
た時代でした。昭和40年代になるとその夢は更にエスカ
レートし3C即ちカラーTV、クーラー、マイカーへと高度化
していきました。我々同釜4人はまさにそのうなぎ上りの
狂気の時代に青春時代を過ごした訳です。
B29空襲4-1
さて太平洋戦争の敗戦によりアメリカによって完膚なき
までに叩きのめされたNIPPONのヒコーキ産業ですが、
敗戦後行き場のなくなったそのヒコーキ産業の若きエン
ジニア達は活路をオクルマ産業に求めました。その萌
芽となったのは昭和20年代に試みられた数々の国産車
開発でした。お目当ての狂気の時代(昭和40年代)のオ
クルマを見る前に、それまでの時代のオクルマを見学す
ることに致します。
DSCN3569.jpg
まずは昭和30年(1955年)発売のフライングフェザー号
です。メーカーは何と現在ではカーペット製造の大手で
あるスミノエ織物の子会社であった住江製作所製で、
日産自動車出身の富谷専務が中心となって開発されま
した。当時の国産小型セダンと言えばダットサンでした
が、それよりも更に小型軽量のオクルマを企画開発し
発売したものの、前輪ブレーキを省略する等の超合理
化!や、簡素すぎる装備・デザインにより評判が悪く、
わずか50台足らずの生産で中止されたようです。

ただタバコ屋は世間の評判とは全く逆で、このオクルマ
を実用軽自動車としてではなくスポーツカーとして見た
場合、タイヤはまるでバイクのように超大径で、ボディは
超軽量(400kg!)、まるでイギリスのライトウエイトスポ
ーツカーの趣があり、前輪ブレーキがない等は論外と言
うか笑ってしまうものの、造形も斬新かつ個性的でむしろ
GOODデザインだと思うんです。
オースチン・ヒーレースプライト6
愛嬌のあるヘッドライトなんかオースチン・ヒーレー・スプ
ライトを彷彿とさせるじゃないですか。
DSCN3570.jpg
リアデザインにしても、初代フェアレディZで松尾良彦氏
が試みたコーダトロンカ(リアエンドをスパッと切ったデザ
イン)が採用されていて、なかなかモダンで渋いです。

本日の見学評価の目安としてフライング・フェザー号に
は「アッパレ!」印を差し上げたいと思います。以下、
関口宏さんのサンデーモーニングのパクリにて、タバコ
屋のお気に入りには「アッパレ!」、気に入らないものに
は「喝(かつ)!」を差し上げたいと思います。
DSCN3574.jpg
続いて、コニー・グッピーです。このオクルマはかつて存
在した愛知機械工業が、昭和36年(1961年)に発売した
軽商用自動車(ピックアップトラック)なんですが、今とな
っては笑ってしまうほどつつましいスペックで、排気量は
何と200ccの空冷エンジン、車両重量は290kgとメチャ軽
く、しかも4輪独立懸架を備えたユニークなものでした。

さてこのオクルマの評価ですが、商業的にはデザインが
ダサく、性能もメカがユニークな割にはパッとせず、失敗
作としてやがて生産中止となりました。したがって「喝!」
印を差し上げたいと思います。
ヂャイアント号1
実はこのオクルマにまつわるオハナシが2つ程あるんで
す。一つは昭和20年代の新興メーカーだった愛知機械
は「ヂャイアント号」というトラックを製造していて、島の
タバコ屋の先代はゴフク屋でありながら島で最初のバス
事業を試みるにあたり、その運行車両としてコンパクトな
「ヂャイアント号」をバスに改造し、ろくな道とてない島の
デコボコ道を果敢に走らせたのでした。
IMG_0048-1.jpg
しかし道路整備に金はかかるは、しょっちゅう故障で走る
よりピットに居座る時間の方が長いはではショウバイに
はならず、結果大赤字となり、悪戦苦闘した訳でしたが
昭和28年の開業5年後の昭和32年に旧中島町がバス
事業を丸ごと引き受け町営バスとなり、それにより先代
は危機を脱したのでした。

タバコ屋は当時4~5才だったのですが、ガソリンの懐か
しい匂いと、子供なりに大きなオクルマだったのを鮮明
に覚えていますが実際は現在のミニバン程度の大きさ
で乗車定員も10人程度だったのではないでしょうか。
ダットサンベビー1
もう一つのオハナシはその後、愛知機械工業はうまくい
かなくなり昭和40年(1965年)頃より日産自動車と業務
提携するに至ったのですが、昭和45年頃(1970年頃)
その日産が神奈川県の遊園地「こどもの国」の遊戯車
用にダットサン・ベビイという可愛いオクルマをコニー・
グッピーのパーツを使って開発し100台程製造したので
したが、何とそのデザインには初代フェアレディZの主な
デザインスタッフだった松尾良彦氏が入社前の職場体
験時に関わったそうで、知る人ぞ知る意外な裏話ですよ
ね。

愛知機械工業は結局、昭和45年(1970年)日産自動車
に吸収され日産の子会社となったのですが、生産面で
はエンジン、トランスミッション等一部の精密部品の製
造に特化しまた販売面では日産・コニーから日産・チェ
リーを経て現在のレッドステージ店系列に吸収されまし
た。

ビックリ・ポンながら、愛知機械工業の技術力は相当優
秀で、現行ZやGTRのトランスミッションを始めミツビシ・
ランエボⅧのマニュアルミッションは愛知機械製だと言い
ますから大したものだと思います。元「故障だらけのヂャ
イアント号」の末裔?として誇らしく思います。
コニーフランシス1-1
脱線ついでの余談ながら、コニーと言えば我ら団塊の
端っこの世代で思い出されるのは、コニー・フランシス
ですよね。戦後のオールディーズと呼ばれるアメリカン
ポップスの代表的な歌手としてその甘ったるくも伸びの
ある歌声で世界中を魅了しました。
コニーフランシス3
代表曲は「大人になりたい」「ボーイハント」「夢のデイト」
「ヴァケイション」など多く、日本では弘田美枝子や伊東
ゆかり等がその日本版を歌いこれまた大活躍しました。

コニー・フランシスはその歌もさることながら、イタリア系
のオカラダもよくご成長され、上半身のある部分などは
重いほどたわわに実っており、吸引?は望めないまでも
せめて両手で支えてあげたいほどです。
DSCN3585.jpg
さて続いてダイハツ・初代ミゼットです。昭和32年(1957
年)発売のこのオクルマは通称「バーハンドルミゼット」と
呼ばれます。特徴は単座(座席が一つ)でバーハンドル
という最低限の仕様で、屋根と背面は幌であり、ドアも付
いていませんでした。エンジンは空冷2ストローク単気筒
249 ccで最高出力は8馬力!、最高速度60 km/h、燃
費は驚異的で28km/L、最大積載量は300 kgで車両総
重量は306 kgという超軽量でした。

タバコ屋が7才の時に発売されたシロモノであり、奇しく
もヂャイアント号が中島町営バスに移管された年です。
映画3丁目の夕日を彷彿とさせるノスタルジックな造形
で、ほのぼのとしたジドーシャの黎明期を感じさせます
よね。
さてこのオクルマの評価ですが、プリミティブなメカと造
形ながらシンプルで無駄がなくまた可愛さを感じるデザ
インにて「アッパレ」印を差し上げたいと思います。
カラーリングなんか黄色とグリーンの2トーンカラーに塗
り分けられていてまるでロータスのようでもあり、なかな
かオシャレじゃないですか。
DSCN3583.jpg
初代ミゼットに続きわずか2年後の昭和34年(1959年)に
発売された2代目ミゼットは通称「丸ハンドルミゼット」と呼
ばれるものです。特徴は嘴の形状を連想させるノーズ部
分とジドーシャらしく一体化されたキャビンで、先代と異な
り随分スタイリッシュになりました。仕様はエンジンが空
冷2ストロークながら305ccにボアアップされ、扱いやすく
なり、また最大積載量は350 kgで車両総重量は重くはな
ったものの僅か415 kgでした。各部が随分リファイン近代
化されたこの2代目ミゼットは「NIPPONの元祖軽トラック」
と言えるのではないでしょうか。
評価としては初代からわずか2年で大進化を果たしたそ
の努力に対し「アッパレ」印を差し上げたいと思います。
DSCN9656.jpg
タバコ屋の島でも親戚のオクルマ好きのおじさんがいて
このライトグリーン?色のミゼットを買って農作業に使っ
ていました。そのおじさんには悪ガキの弟がいて中学生
のくせにその虎の子のオクルマを無免許で乗り回してい
ました。2人乗りでしたので小学生のタバコ屋はチャッカ
リ横に乗せて貰ったセピア色に褪せた楽しい思い出が
あります。これを学術用語で「小判ザメ商法」と申します。
紫電改引き上げ1
余談ながら、そのおじさんと言うのはキカイ好きが高じ
てお百姓をやめて民間ヒコーキのパイロットになりまし
た。しかし悲しいことに宇和島沖の海中で「紫電改」が
見つかりその引き上げ作業をセスナで取材中に墜落死
してしまったのです。
F1マクラーレンホンダMP4・4-16
時は過ぎ、その息子さんは最初上記のダイハツに入社
してエンジン研究室にいましたが一念発起、HONDAに
途中入社、HONDA-F1チームの一員として当時F1界を
席捲したアイルトン・セナのサポートをしていたそうです。
バブルの終焉と共に昭和の時代が終わりつつあった頃
の懐かしいお話ですが、彼は今頃どうしているんだろう。

さて昭和30年代はこのくらいにして早く昭和40年代のオ
クルマを見たいのですが、脱線しまくりで紙数が尽きて
しまったようです。今回はこのくらいで終わりとし、次回
また40年代のオクルマをご一緒に見ていくことに致しま
しょう。お楽しみに。
(尚、文中ダイハツ初代及び2代目ミゼットの解説につい
ては一部ウィキペディアより引用させて頂きました)

★★島のタバコ屋の独り言★★
【4月10日:ああ創業100年】    島のタバコ屋は先々代が呉服屋を創業以来3代目となり、その間戦後間もない頃には島のバス運営事業を試みる等様々な営みを経て今日に至っています。皆さんよくご存知のNIKONも創業100年なんですが、比較にはならないものの同じ時代を生きてきた訳です。かつてオハイオのメアリーズビルで活躍する夢を抱いたこともあった青年も年を取りました。さて今後の100年をどのように生きて地域のお役に立っていくか、タバコ屋にとっては後継者である倅への「死に土産」としてそのコンセプトを確立しておく必要があると考えています。しかし倅にとっては年寄りの余計なおせっかいに写るかも知れませんよね。
◆◆島のタバコ屋メニュー◆◆
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