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4千坪のガーデニング vol.2:ティファニーで朝食を

平成25年6月7日
ティファニー”タバコ屋にとっては本店に行ったこともな
いのに何故か懐かしいような、神聖なような不思議な響
きの言葉です。
ティファニーで朝食を2-1
団塊世代の皆さんには「ティファニーで朝食を」というタイ
トルの映画はなじみ深いものですよね。デビュー間もない
若き日のオードリーヘップバーンが、かつて我々がそうで
あったごとくマルビゆえ(最近はボンビーとも言うようです
が)ティファニーのショーウインドーの前で、いつか目の
前の高価な宝石を身に付けることを夢見ながら、朝食の
パンを頬張るという、荒唐無稽ながらも何やら胸キュンと
なるようなシーンでしたよね。
ティファニーで朝食を16
ご存知のようにティファニーは宝石店であり、レストラン
ではないので、朝食とはまったく結び付かないと思うの
ですがそこは作者一流のユーモアと言いますかパロディ
と言いますか、日本人ではとても思い付かないようなスト
ーリーです。
ティファニーで朝食を6
マルビながらもセレブを気取り、夢見ている乙女をオード
リーが天性の茶目っ気たっぷりの演技で好演し世界中の
ファンを魅了しましたよね。
ティファニーで朝食を9
テーマ曲は今さら説明の必要もない名曲「ムーンリバー
でオードリーが窓辺で物憂げに歌って、映画と同じくらい
大ヒットしました。
ティファニーで朝食を9
共演のジョージペパードがこれまた格好よく、今時の韓
流スターなんぞ及びもつかないほどオーラというか存在
感がありました。
ティファニーで朝食を14
物語の結末は、マルビのオードリーの夢だったセレブの
牧場主との結婚が実現しかかったものの結局はこれま
た売れない作家のペパードのもとに帰り、ハッピーエンド
で結ばれるという古き良き時代のアメリカを象徴するよう
な映画でした。そこに流れているのは、恥じらいのあるウ
イットと言いますか、ユーモアに溢れた品性の香りと言い
ますか、タバコ屋はそういうものを強く感じました。
(関連記事:予期せぬ出来事参照願います)

話はうんと飛びますが、みなさんのおうちのご宗派は様
々だと思います。キリスト教の方もいれば、学会の方、
仏教各派の方、それこそ日本は幸せなことに宗教の自由
が保障されている以上、百花繚乱、千差万別でお考えも
しきたり作法も様々です。

以前から折に触れてタバコ屋は宗教にかかわることを
お話してきましたが、我が家の宗派は浄土真宗本願寺
派(お西さん)で、菩提寺は地元の浄玄寺さんです。
タバコ屋は分家筋で、創業者たる先々代からのお付き合
いですが、本家筋も同じ菩提寺なのでそれから数えると
数百年になるのではないでしょうか。

余談になりますが、日本人は何でもありの民族で出産の
お宮参りから始まり、キリスト教会で結婚式、亡くなれば
仏式でのお葬式と宗教の百貨店です。しかも神道はおお
らかな八百よろずの神であり、節度がないとも言えます。
タバコ屋の個人的な見解としては日本人は大らかであり
また賢いので、それを信条とか教義とか堅苦しいドグマ、
イデオロギーとせずに、身にまとう衣装のごとく祀りごと
としての使い分けをしてきたように思います。おかげで
一部の外国のように宗教をめぐって殺し合いをすること
も滅多になく平和で豊かな国を実現出来たのだと信じて
います。
浄土真宗荘厳2 真言宗荘厳1
ご本尊のまわりや御仏壇をおごそかに美しく飾り整える
ことを荘厳(しょうごん)と言いますが、これもある意味、
品性の表現であるように思います。そのお荘厳のことな
のですが、お仏壇をお飾りする場合、宗派に関係なく一
定の法則があります。
簡単にご説明しますと、上から下、もしくは奥から前に向
かって高貴な、もしくは大切な品の順で飾っていくのです。
まずはご本尊及び創始者の像(御影)です。次にご先祖
の位牌(もしくは過去帖)、次に香炉(フレグランス)です。
あとはご飯(仏飯)、茶水(真言のみ)、お餅(又は団子)、
お菓子、お花と続きます。これを見ると、お供えでは香り
(フレグランス)
が一番高貴で大切なものであることが
わかると思います。
レモン2
飛んだ話がまた飛びますが、以前タバコ屋は4,000坪の
柑橘畑を持て余し、どうすべきか深刻に悩んだことがあり
ましたが、香りをコンセプトに再構築(レストア)し、4,000
坪のガーデニングを目指すことをお話しました。それだけ
の面積があればあらゆる香りの柑橘を植えることが出来、
その広さが生かせると思うのです。ただほとんどが傾斜
地にあるため、平地のバラ園という訳にはいきません。
まずはいよかん、レモン、だいだいを手始めにゆず、キン
カンなども植えてみたいと思います。
(関連記事:農業とレストアvol.4~vol.7参照願います)
山椒4
また意外なところでは伝統的な香りの一つである山椒も
手掛けてみたいですが、皆さん山椒は柑橘の一種なの
をご存知でしたか。タバコ屋は知りませんでした。
山椒7
”サンショは小粒でピリリと辛い”とは昔から言い古され
た言葉ですが、山椒の用途はとても広く、葉っぱはお寿
司や小鉢の添え物として、また花芽は和え物に、小さな
果実は香辛料や佃煮の大切なパートナーとして捨てる
ところがないほど利用価値が高いものです。また昨年よ
り柑橘ではないものの、かつて中島の特産物であった
生姜(しょうが)の有機栽培も試みており、将来の夢は
香りの百貨店」などと大それたことを考えています。
(関連記事:農業とレストア VOL.7参照願います)
帆船9
かつての大航海時代、金より高価だった香辛料をめぐり
スペインやポルトガルが、またオランダ、イギリスがその
争奪のために命がけで覇を競ったごとく、現在の果物離
れしつつある日本で、香りの柑橘やそれに類する作物が、
やがて見直される日が来ることを夢見るのも一興ではな
いでしょうか。

(尚、写真の一部はウィキペディアより引用させて頂きま
した。宗教の記述についてはタバコ屋の個人的見解であ
ることをご了解願います。)


4千坪のガーデニング vol.1:3種の神器

平成25年5月11日
千葉・東京巡礼の興奮冷めやらぬ日々ですが、そうも言
っておれません。タバコ屋が新たな挑戦目標として取り
組もうとしているみかん農業に復帰しなくてはなりません。
おまけにこの4月からは、よもやまさかで地元の総代(地
区長)という公務を拝命することとなり、もう内心はかなり
焦りモードです。
IMG_1955.jpg
ところで、農業と申しましても、お米や麦などの穀類やお
野菜のように暮らしに直結する作物の分野があり、一方
果物や花といった生活必需品ではないものの、暮らしに
なくてはならない品も農業の一分野です。果物や花の分
野はストレートに農業とは言わず、園芸と言ったりもします
からやや趣味性があるということでしょうか。タバコ屋が
関わっているのは柑橘果樹ですので、柑橘農業あるいは
果樹園芸と呼ばれたりしています。
写真はタバコ屋のみかん畑に咲いたいよかんの花です。
この時期の柑橘の花の香りはとてもエレガントで、ティファ
ニーでもシャネルでもディオールでもどこからでも掛かっ
て来いと言いたくなります。
ガーデニング1
よくご自宅の裏庭を改造して自給用の野菜を作られたり
あるいは庭を手入れしてガーデニングを楽しんでおられ
るご家庭を見かけますが、やはりこういうものは趣味の
レベルに留めておくのがケガがなくて無難です。タバコ屋
のように自分から進んでではなかったものの、やむなく
1町歩以上の面積のみかん畑を管理するはめになった
者から見ると、農業の初心者にとってそれは大学時代の
香里体育ハウスにおける夏合宿のごとく地獄の日々であ
り、その広い畑を持て余し、途方にくれた数年間でした。
以前にもそのことをかなりブログに書いてはいるのですが、
改めて、「4,000坪のガーデニング」と題し、その泣き笑い
の一部始終をお伝えしてみたいと思います。
(関連記事:農業とレストア vol.1~vol.7参照願います)

さて、何をやるにも道具というものが必要なことは普通の
大人なら常識というものでしょうが、タバコ屋にとってみか
ん農業はみかんの販売のプロではあっても生産はシロウ
トであった訳で、折に触れそれらの道具を見慣れてはい
ましたがどの程度のものが必要なのか、またそれの使い
方等、ほとんど知識がありませんでした。

実際やってみて、徐々に道具のことがわかってくるように
なりました。みかん農業のプロにとっては当たり前のことで
笑ってしまいそうなことばかりですが、農業版「3種の神器
(じんぎ)
」と名付けてご紹介することに致します。
農機具2
第一の神器、それは草刈機です。そもそも当初は有機
農業というか、自然農業を目指していましたので、単純
な話、草を刈っていさえすればみかんの樹は何とか育つ
くらいしか考えていませんでした。実際はとんでもないこ
とでした。雑草はほっておいてもぐんぐん育ちますが、
みかんの樹はデリケートで、こまめに手入れしてやらない
と雑草に負けて枯れてしまうのです。その雑草というのも、
まわりの畑はよく手入れしているので、ひよこ草とか可愛
らしいものしか生えてきませんが、タバコ屋の畑は数年間
除草剤を一切使ってなかったので、イタドリ、セイタカアワ
ダチソウ、ヤマタバコ、クズ、カズラ類、ムギグサといった
それこそエイリアン級の強力雑草群が雑草の楽園と言わ
れるくらいのさばっていました。
タバコ屋がやったことはその恐るべきエイリアンに対し、
幕末の烈女、新島八重が迫り来る圧倒的勢力の官軍に
スペンサー銃で立ち向かったようなものでした。
(関連記事:八重のこと vol.1参照願います)
ヤシキ1
おかげで昨年一年間は草刈正雄さん(タバコ屋は草刈の
ことをそう名付けています)に明け暮れました。タバコ屋も
同志社大学体育会出身なのであの地獄の夏合宿に比べ
たら、何じゃいこんなもん、と自分に言い聞かせたものの、
炎天下での草刈は正直無謀でした。ちなみにまわりの
プロ農家は早朝に畑に行き早く帰り、また午後遅く出かけ
ていくというパターンで無駄な体力消耗を防ぎ、合理的に
仕事をしていました。
怪我の功名とでも言いますか(実際草刈機で怪我もした
のですが)草刈についてはそのバカな炎天下でのうだる
様な暑さの経験により、短時間で他のプロ同様の知識と
ノウハウを身に付けることが出来たように思います。
農機具2-1
例えば草刈機の刃先部分(チップソーと言います)ですが、
これも色々なメーカーの品があり、各種試行錯誤で試して
みました。写真はバイクのディスクブレーキのように軽量
化の穴を開けたタイプです。それなりに軽くて使いやすい
のですが、問題がありました。それは雑草がディスクのま
わりにすぐからみついて回らなくなり、いちいち取り除く必
要があることです。
IMG_1957.jpg
このタイプは外刃の内側に4つの内刃がついています。
からみ防止用の別刃をつけてみたり、ヘリコプターみたい
にナイロンコードをぶん回すタイプを試みたりしましたが
どれも思うような性能を発揮出来ませんでした。いろいろ
試行錯誤の結果、これは大変な優れものでした。カズラ
等を内刃でカットしてくれるのでからみつくことがありませ
ん。これを考案した人は頭のいい人だなと感心しました。
かくしてタバコ屋にとってはお気に入りのツール第一号と
なりました。蛇足ながら草刈機はガソリンでなく混合油と
いう安い燃料で作動しますので経済的です。
農機具1
続いて第二の神器、それは動力噴霧器(以下動噴)です。
もともとタバコ屋の本家筋であり、広大な畑を維持管理し
ていた私の従弟が早逝する前は、プロとしてそういうキカ
イは使っていたはずなのですが、タバコ屋が引き継いだ
時にはすべて処分されていて、何もありませんでした。

当初タバコ屋は無知にて、水や液肥や農薬を散布すると
いうような考えはなかったので、それ程気にも留めません
でしたが、徐々に実体がわかってくると、それらのことは
必須作業にて動噴はとても大切なツールでした。それを
全部処分していたとは・・・。それではあんまりやないか!
とも思いましたが、気を取り直し自分で調達することにし
ました。

写真は知り合いが使っていた時代物のディーゼル動噴で
す。ただでもらったので贅沢は言えませんでしたが、始動
時は操作が重くて非常に使い勝手の悪いものでした。ま
た本体の重量も相当な重さで、固定するならともかく移動
して使うには不向きでした。燃料は当然ながら軽油です。
ミニ動噴4
みかんの収入がろくにないので新しいキカイなど買える状
況ではありませんでしたが、使い勝手が悪くモチベーショ
ンが下がりっぱなしだったので、思い切って最新のコンパ
クトな動噴セットを購入することにしました。これは動噴と
ホースが一体となった優れもので持ち運びが楽な上、少
量散布から大量散布までマルチにこなします。まるで
イスズの2トン車からミニクーパーに乗り換えたような爽快
感がありました。
ちなみにキカイの構成は右側がエンジンと燃料タンク、
真ん中の赤いダイヤルが付いている部分が超小型ポンプ
で、ピストンシリンダーによって液をホースに圧送するよう
になっています。
左は50メートルのホースで通常のものよりやや細くドラム
リールも均等に巻き取れる移動式ガイドが付いておりとて
も便利です。
IMG_1290.jpg
キカイ自体はコーシンというメーカーのものでしたが、そ
の動力はSUBARUの超小型エンジンを使っていました。
下の方には控えめにSUBARUのロゴが見えます。燃料は
ガソリンです。始動はセルモーターはなく、手前の握りの
ついたヒモを引っ張るタイプです。とても軽く一発始動で
快適です。
右の黒い2本のホースはポンプと薬槽をつなぐもので、
吸い込みと吐き出し用です。薬液の散布中は吸入のみで
すが、散布を中断した時は、吐き出しホースから薬槽タン
クに還流するシカケです。
IMG_1282.jpg
その薬槽タンクですが、従来はもらいもののポンコツだっ
たので、タンクを荷台に固定する時のヒモ掛け用溝が付
いておらず危険だったため思い切って400リットル用の新
品を購入しました。
写真は動噴と薬槽タンクをセットにして作動させていると
ころです。動噴及びホースのスペースは、まわりの農家
さんが使っているものに比べて約1/2でスッキリとしてい
ます。薬槽タンクも固定用マイカー線で締め付けたので
ずれることがなく安全です。
ちなみに移動はスズキ軽四キャリーの4駆で、青森のリン
ゴ畑のように平地やゆるい傾斜地と違い、急勾配の斜
面が多い島のみかん畑での作業には四輪駆動(四駆)
が大前提です。昨今のSUVのブームで4WDがもてはやさ
れていますが、こちらは四駆でないとそもそも畑に辿り着
くことが出来ず、生活直結型の必需品です。

蛇足ながらタバコ屋はスズキキャリーを使用していますが、
まわりの農家さんはほとんどがSUBARUサンバー4WDで、
しかもJAが別注している特別丈夫なタイプです。愛称は
JA営農サンバーと言います。そのサンバーもSUBARUが
軽四から撤退してしまったので今後どうなるんでしょうか。
IMG_1404.jpg
ホースの先端部には当然のことながらノズルが付いてい
るのですが、噴口(ふんこう)と言うそうで、写真は水や農
薬のうすめ液を散布する場合のノズルです。2連装になっ
ていてかなりの範囲に散布出来ます。
IMG_1283.jpg
その散布状況です。散布しているのは農業用マシン油で、
害虫をオイルでコーティングすることにより窒息死させま
す。毒性がほとんどなく安全です。それにしてもマシンオ
イルを農業用に利用することを思いついた人って賢いで
すよね。当然水で薄めて使うのですがやや粘性がありま
す。ノズルの軸部は伸縮するので樹に登らなくてもほとん
どの部分をカバー出来ます。
IMG_1403.jpg
これは除草剤の散布専用ノズルです。同じく2連装ですが、
液が泡状になるように(吸着効果と薬液が少量で済む)
工夫がされていますが散布範囲は狭いです。
IMG_1422.jpg
ややお遊びになってしまいますが、取っ手の赤いノズル
は高圧専用のもので、動噴が今はやりの高圧洗浄機に
早変りとなり、洗い物には非常に便利で、安価なので
ついでに購入しました。
高圧とは言っても圧を下げてやれば苗木の水遣り等に
は便利でこれも多用途に使用出来ます。赤い取っ手が
ダイヤル式で噴き出しの形状を自由に調整出来ます。
ノズルとハサミは使いようというところでしょうか。
IMG_1411.jpg
第三の神器はクローラーです。キャタピラー付きの近距
離運搬車で、通常は4WDの軽四一台あれば不要なので
すが、これを購入するには特殊な事情がありました。
モノラック4
一般的に急傾斜地の畑で運搬に利用されているのは写
真のモノラックと言われるもので、畑に長いレールを敷設
しその上を動力車でラックを牽引するものでエンジン付き
トロッコみたいなものです。タバコ屋の畑にもこれがありま
したが、相当な時代物で老朽化し、最初は使用していた
ものの、途中で壊れてしまいました。直そうにも部品が生
産されておらず新品にするにはレールごと取り替える必
要があるとかで100万以上かかり、おまけにモノラック自
体が不便なものでタバコ屋は嫌いだったのでいっそやめ
てしまうことにしました。そうなると軽四では行けない道の
ない急傾斜地の畑に肥料を運んだり、収穫したりするに
はモノラックの代わりになる運搬具が必要になりました。
すべて人力でやるという手もありましたが、それも続かな
いことなのであきらめ、数十万の大枚をはたいてクロー
ラーを導入することにしました。
IMG_1415.jpg
その操作部です。運搬具とはいえややオクルマに近づい
た複雑なしかけがあり、ハンドルから赤いカバー部分に
かけてエンジンの入り切りスイッチやスロットルレバー、
方向転換握りレバー等があります。また中央下部はミッ
ションの切り替えレバーで、前進、後進や、変速レバー等
があり、細かい調整が出来るようになっています。
IMG_1413.jpg
そのエンジン部分です。こちらは動噴と違ってミツビシの
エンジンが使用されていました。始動はセルモーターは
付いておらず、ヒモで引っ張るタイプです。これも非常に
軽く一発始動です。燃料は動噴同様ガソリンです。
IMG_1408.jpg
その荷台部分ですが、モノラックと同程度の積載能力が
あり、今後、肥料運搬やみかんの採り入れに威力を発揮
しそうです。尚、前述のコンパクト動噴を積んで薬槽タンク
のかわりにポリバケツでも流用すれば農薬散布車にも変
身出来るので多用途に利用可能です。キャタピラーの良
いところは、よっぽどの急傾斜でない限り、スタックせずに
入っていけることでモノラックを廃止した以上、このクロー
ラー君には縦横無尽に活躍してもらいたいところです。

ともあれエイリアンに対し無謀にも素手で立ち向かおうと
した「志や、よし」ではありましたが、志は折れかけてしまい、
途方に暮れるところでした。しかし今回ご紹介した3種の
神器を手に入れることによりヤマトタケルは再びヤマタノ
オロチに立ち向かう勇気を取り戻すことが出来そうです。

余談ながら、農業は体一つでお金の掛からないものであ
ると思っていましたが、それは大間違いで結構お金の掛か
るものであることがやってみてよくわかりました。
恥ずかしながら現状では費用10に対し収入は1くらいなの
で破産状態であり、早く技術を身に付け、苗も大きくして
費用10に対し収入15くらいにはなるよう努力したいと思い
ます。

タバコ屋は当初、有機農業、自然農業を目指しかけました
が、かなり無理があることを痛感し、減農薬農業を目指す
ことにした訳ですが、次回はそのあたりをもう少しお話した
いと思います。


農業とレストア(付録)

平成25年2月18日
農業、それも柑橘農業について商業などとからませた
「農業とレストア」シリーズvol.1~7いかがでしたでしょう
か。少しでも柑橘のことに関心を持って頂けると有難い
です。
農商一如(のうしょういちにょ)」という言葉があります。
タバコ屋がかつて経営のことを教わった師匠が言われた
コトバですが、農業も商業も目的は一つで同じものなん
ですよ、という意味だそうです。工業が入っていませんが
同様のものでしょう。さて、その目的とは・・・。

農業は食べ物や鑑賞の花などを作ることにより消費者
(生活者)の暮らしを守り、より豊かにすること、または
自給自足を目指すなら自分や家族の食生活を守ること、
商業は自分で作るかあるいは仕入れたものを客(生活
者)に売り、客の暮らしを助け、より豊かにすること、が
目的であると。またその師匠はこうも言われました。

店は客のためにある」と・・・。けだし名言だと思います。
店は経営者のためにあるのでもなければ、一儲けして
資本を溜め込む道具でもなく、客と言う名の生活者
利便のためにあります。
また農業も換金する行為は伴いますが、その真の目的は
消費者という名の生活者の食生活を守るためにあると思
います。
つまり農業も商業も最終目的は生活者がより豊かになれ
るためのお手伝いをするオシゴトなのです。
ただし昨今はそれに流行り、すたりという要素が絡み、
ある程度時代のトレンドを反映したものでなくては立ち行
かなくなってきているのは事実です。時代の要請とでも
言うんでしょうか、
梅ちゃん先生10
NHKの朝ドラ、梅ちゃん先生のタイトルシーンですが戦後
の数十年間の町の様子がよく再現されていると思います。
タバコ屋が生まれ育った瀬戸内海の中島にもこういう風情
がありました。
(関連記事:アイデンティティ参照願います)
商業ではゴフク屋、カナモノ屋、デンキ屋、駄菓子屋、
その他諸々、我々団塊世代の前後が子供の頃には当た
り前に親しんできた店々が知らないうちになくなりました。
かつて銀座通りなどと呼ばれた各地の商店街は今や
シャッター街と化してしまいました。

商いが良心的かどうかということとは別に時代のニーズ
に合っているかどうかということは大切なことで、そこに
自己革新(イノベーション)がなされない限りは滅び消え
去るということでしょう。
千疋屋小田急店
これはタバコ屋のお取引先である、東京の千疋屋という
果物専門店の新宿小田急支店です。一般の青果店では
なく高級果物店であるにしても、一昔前のようにみかんと
りんごとバナナのてんこ盛りではなく百花繚乱、とにかく
果物一つとっても多様化しています。
(関連記事:荒ぶる心 vol.5:ポルシェのこと参照願います)

余談になりますが、日本人というのは食べ物、特に果物
を芸術品にまで仕上げないと気がすまない民族で、この
お店などに並んでいる品は、それこそ食べる芸術品とも
呼べるものです。
欧米人にとっては理解に苦しむ習性の一つでありそれだ
け農業に携わる人も大変だと言うことです。
ネーブル園地4
一例を言いますと、この写真のネーブルです。
ちなみにネーブルとはへそという意味なのですが、皆さん
ご存知でしたか。その由来はおしりのところにへそがある
ことから来ていますが、そのへそには内部にもう一つ小さ
な果実がへそくりされているというシャレにもならないユニ
ークな構造を持っています。
この変り種オレンジは原種が地中海からブラジルへ渡り、
かの地で変異発生したものですが、何故ネーブルがブラ
ジルへ渡ったかということについては前の記事で述べた
大航海時代のポルトガルがブラジルを征服し、植民地に
していたことと大いに関係があります。
(関連記事:農業とレストア vol.5参照願います)

その後アメリカのチベット婦人という著名な園芸家の手に
より改良育成されました。チベット婦人はワシントン郊外
に住んでいたので以後、ワシントンネーブルと呼ばれる
ようになりました。
日本にも昭和初期に導入され、匠の民族日本人はこれを
芸術品に仕上げねば気が済まず、静岡の白柳さんという
篤農家により改良が重ねられた結果、白柳ネーブルとし
て世に出ることとなり、柑橘の女王として一世を風靡しま
した。その芸術品とも言えるネーブルでさえも今は時代
から忘れ去られようとしています。
IMG_2154.jpg
前回の記事でもご紹介した、タバコ屋のお取引先である
芦屋のいかりスーパーさんはこのネーブルがお好みで、
お客様のニーズがあるからなんでしょうが、変わっている
というかマニアックなお店ですよね。
関西在住(大阪以西)の方で、ネーブルが食べたい時は
お近くのいかりスーパーへお出かけ頂きたいと思います。
(関連記事:ヤマトとラムネ参照願います)
せとか園地9
それに代わって今もてはやされているのが、せとかという
品種です。これも話せば長くなりますが、日本初(世界
初)の人工交配種(混血児)である清見タンゴールを親に、
さらに外来種のアンコールとマーコットを交配させるとい
う複雑な交配過程により誕生したハイブリッドな混血児
(タンゴール)なのです。尚、開発したのは長崎県口之津
にある国立農業試験場です。

ガソリンあるいは電気だけの単一機能だったものが組合
せの妙によりハイブリッド(HV)が出現しさらにPHVになり、
ますますハイテクになっていくオクルマとある意味似たも
のがあります。

そのせとかですが、果肉がジューシーで柔らかく、香りが
良く、食味よしで、色香を備えた言わばマリリンモンロー
嬢なのです。しかしこの売れっ子スターも次のライバル
が現れるとネーブルと同じ運命を辿ることになります。
果物は嗜好品の要素もあり、実生活に大きな比重を持っ
てはいないでしょうが、基本的な傾向を申し上げました。

このように農業についても食生活(食文化)の変化により、
生活者が食べなくなったものを作ったのでは自身の生活
が破綻してしまいます。それはやや大きく捉えると産地の
興亡がかかっているとも言えるのです。またその素材を
生かした食品工業も同じ運命です。工業においても同様
で、一時は黒いダイヤと呼ばれ、あれほど栄えた三池炭
鉱、夕張炭鉱は廃墟と化しています。

タバコ屋の今回のテーマであるみかん畑の復元(レストア)
一つ取ってみても、以前と全く同じに修復するのではなく、
新しい時代に合わせた品種構成をし、再出発をしなけれ
ばなりません。
言い換えれば、農業も商業も時代適応しつつ生活者の
役に立つオシゴトをしていく必要があると思います。工業
もいっしょです。
自己革新」コトバ四文字で言うのは簡単ですが、なかな
か困難なテーマです。タバコ屋は柑橘農業のシロウトと
して何を為すべきかについて、随分苦しみぬいた末、
上記の食べるファッションの方向でなく、香りを楽しむ
いうコンセプトに辿り着きました。あとは実務ということ
ですが、これも根気と体力が必要で(それとオカネも)
元同志社大学ガクラン体育会の意地にかけても実現し
たいところです。

尚、上記の食べるファッション柑橘は現在さまざまな品
種が開発されており、タバコ屋が扱っているものでも
両手で足りないほどです。このことについてはまた別の
機会に楽しい解説(裏話)をお届けしたいと思います。


農業とレストア vol.7

平成25年2月13日
さて柚子(ユズ)のことです。この極めて東洋的かつ日本
的な柑橘はタバコ屋の島では栽培されておらず、なじみ
があまりないのですが、栽培適地かどうかということも
あるのでしょう、温暖な瀬戸内海沿岸部や島嶼部では
ユズの栽培をあまり見かけません。どちらかというと寒さ
の厳しい山間部や山深い里山で栽培されているイメー
ジがあり、事実柑橘の中では耐寒性が最も強いと言わ
れています。
ユズ1
話は飛びますが、かつてタバコ屋が通った松山東高校の
古い先輩になりますが、明治の世に松山中学と呼ばれて
いた頃、正岡子規(本名のぼる)、秋山真之(さねゆき)、
がいて真之の兄好古(よしふる)とともに、後日というか
近年、司馬遼太郎氏による小説、「坂の上の雲」でその
3人が主人公となりました。
皆さんもNHK-TV大河スペシャルで夢と希望にあふれた
明治を生き生きと描いた大作ドラマとして放映されたこと
は記憶に新しいと思います。
正岡子規1
その主人公の一人、子規のことです。彼はそれまでの
カビが生えたような日本の短歌、俳句を否定し、見たま
まを写生するという近代写実俳句に至る革新(イノベー
ション)をやった先駆者ですが、当時の「文明開化」とい
う熱にうなされたような時代の中で、子規もじっとしておれ
ず、日清戦争に新聞記者として従軍、結果は肺結核にか
かり、晩年は脊椎カリエス(結核菌が脊髄に転移する病
気)という難病に冒され、真之や夏目漱石などの錚々た
る親友を持ちながらも、若干36歳の若さで亡くなりました。

「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」
子規が松山から上京する途中に立ち寄った法隆寺で詠ま
れた秋の句だと言われていますが、鮮やかな秋の色をし
た柿と、美しい秋空の下に広がる法隆寺の抒情的な情景
と、荘厳な時の鐘の音を句に含め、人の五感を刺激して
秋を感じさせる名句だと言われています。
タバコ屋は子規の後輩ではありますが、俳句の素養がな
いので十分に意図を解せません。ただユズが里山でたわ
わに実っている秋の風景に思いをはせる時、同時に柿の
ことが思われ子規の一句となりました。
子規や坂の上の雲のことについてはまた別の機会にお話
したいと思います。
ユズ4
ユズのルーツはレモンやダイダイ等、主な芳香系柑橘
のふるさと、インドアッサム地方ではなく中国、揚子江上
流の山間部が原産であると言われますが、日本へは、
ダイダイ同様遣隋使、遣唐使によって持ち帰られ、飛鳥、
奈良時代にはすでに栽培されていたという記録があるよ
うで橘、橙(ダイダイ)、柚子(ユズ)、は日本の古代柑橘
御三家
とも言えるほど歴史の古いものです。

ユズは他の芳香系柑橘(レモン、ダイダイ等)同様、酸
味が強く、生食には適しませんが、香りがよく、果皮と
ともに多くの料理に用いられています。
果汁は焼き肉、焼き魚、炊き込みご飯などに香味を添え、
また果皮は細切りして吸い物に浮かせる等、広く用いら
れます。また果皮、果肉に砂糖を加え、煮つめて柚(ゆ)
ねり(日本版ジャム)にしたり、実の中をくりぬいて、そこ
に餅粉、砂糖などを入れた柚餅子(ゆべし)と呼ばれる
お菓子に加工したりあるいは果汁を用いて柚(ゆず)みそ、
柚餅(もち)に利用するなど、日本の食文化の形成には
一役買ってきました。
お料理以外では、冬至の日に果実を風呂(ふろ)に入れ
柚湯を楽しむ風習もあります。これらはすべて他の芳香
系柑橘(レモンダイダイ、カボス、スダチ等)と同じ用途
であり、現状日本では洋のフレーバーの代表がレモン、
和のフレーバーの代表がユズだと言えるのではないでし
ょうか。(ダイダイはややマイナー)
ユズ5
ゆず、この日本的な名前のフォーク歌手ユニットがあり
ますよね。岩沢さんと北川さんのペアで(最近はデュオと
言うそうです)
当初「Light's」という名前だったそうですが、名前のごとく
軽すぎるので、当時一緒にやっていたアルバイト先の
食事会で食べた柚子シャーベットから「ゆず」へと変更、
NHK紅白歌合戦に何度か出場の後、『栄光の架橋』が
NHKの2004年アテネ・オリンピック放送の公式テーマソ
ングに起用され、それ以降ゆずの知名度は更に高まり
ニューフォークというジャンルを確立し、今日に至ってい
ます。
美輪明宏5
ただタバコ屋世代はゆずよりも美輪明宏さんの「よいと
まけの歌」のほうが強烈なインパクトとして残っており、
かあちゃんがドカチン(中島では土木作業のことをその
ように呼びます)で働いて帰った後、とうちゃんはショウ
チュウまたは酒を飲むでしょうが、かあちゃんはゆず入
りの汁で疲れを癒したと思うのです。
タバコ屋のゆずに対するイメージは高貴なものというより
は、そういう汗臭いもっと泥臭いものです。
美輪明宏1
余談ながら、美輪明宏さんはかつて小説家、三島由紀夫
氏が健在の頃、仲が良かったそうですが、さもありなんと
思わせるような妖艶なオーラを放っています。
ところで、話はさかのぼりますがフランシスコ・ザビエル
が日本にキリスト教(カトリック)を布教した15世紀の頃、
日本の大名階級では男色はいわば公然のたしなみで、
美少年を君主の横にはべらせるのは半ばファッションに
近いものでした。(タバコ屋の私見です)
そこへもってきて、キリスト教は教義の中で男色を厳しく
禁じていましたので、当初は好意的だった諸大名も、
それには猛反発、キリシタンはけしからんということにな
りました。
もっとも弾圧した本当の理由は当時のスペインがポルト
ガルからの派遣だったザビエルのイエズス会より後に
負けてはならじと宣教師をジパングに派遣したのですが、
実はキリスト教に名を借りて日本を占領しようという下心
があることがわかったためでした。
(関連記事:農業とレストア vol.1参照願います)

ユズの話に戻ります。
先ほどユズは山間部や山深い里山のイメージがあると
申し上げましたが、タバコ屋は10年ほど前、自社のジュ
ース工場を作るにあたり、その山深い「ユズの里」で実際
に果汁を搾っている所があると聞き、見聞に行ってきまし
た。それは愛媛県南西部の山間日吉村という所でした。
日吉村1
愛媛としては山深い場所で、行った時もかなり雪が残っ
ておりタバコ屋の島に比べ厳しい環境の土地だと感じま
した。カゴの中に入っているのはこれから搾る加工用の
ユズです。
日吉村2 日吉村3
左はおばちゃんたちが不良果(腐敗果や規格外サイズ
のもの)を選別している工程です。右はシャワーで洗浄
中です。
日吉村4
洗浄したユズはこの搾汁機でプレスされ果汁を取り出し
ます。これは内臓の2本の縦ベルトで果実を挟み込んで
プレスするのですが、シンプルなメカニズムながら、果実
を丸ごとゆるく搾ることで、苦味を押さえることが出来る
スグレモノです。ただ風味を優先する結果、搾汁率とか
の効率は非常に悪いものです。
後日、ごっくん馬路村で有名な高知県のJA馬路村の工場
も見に行きましたが、同じキカイでした。手前味噌ながら、
タバコ屋のジュース工場はこのキカイと同じものを使って
います。
日吉村5 日吉村6
左は搾汁した果汁から種や異物を除去するろ過器です。
ろ過された後、18リットルずつ充填機で自動的にパック
詰めされます。中にポリの容器があり、ダンボールは
その保護用です。
日吉村7 日吉村8
搾汁した後のカス(残渣)は全量ではないですが一部柚
子皮としてお菓子屋さん等に販売するようです。残りは
オガクズ等といっしょに発酵させて堆肥にします。
つまり完全リサイクルシステムが出来上がっているので
す。右はパック詰めしたユズ果汁の出荷をしているとこ
ろです。
日吉村9 日吉村10
その日吉村にある地産地消の直売所です。建物が出来
たてだったせいもありますが、非常にきれいに手入れさ
れていました。
もちろんユズの里なので、ポン酢をはじめあらゆるものに
加工され、バラエティに富んだ品揃えでした。
日吉村11
やや意外だったのは、真冬なのにゆずソフトとアイスの
直売所があったことです。一体誰が食べるんだろう・・・。
そうかヒーターの効いたオクルマで来るので冬でも売れ
るんですね。

商いのプロであるタバコ屋としては中島にもこのような
直売所が出来たらいいのにな~と思い、「私がやらねば
誰がやる
」と維新の志士のごとく密かに心の腕まくりをし
たのでした。
余談ですが、サントリーの経営理念は極めてシンプルで
やってみなはれ」だそうです。言われてみれば、駄目で
元々、やってみないとええか悪いかわかりませんものね。
サントリーの若い社員は燃えるやろな~。

そのような訳で、ユズのこと長々とご説明しましたが、
先日いつもコメント頂く、同志社大学自動車部出身の
U氏が述べられていたように、
「桃栗3年柿8年、梅は酸い酸い(すいすい)13年、柚子
は大馬鹿18年」
ということわざがあるごとく、ユズは成長に時間がかか
り結実までには辛抱がいるということです。またトゲが
あるので、ユズの採取はすり傷だらけを覚悟する必要
があります。もっとも、最近は世界に冠たる改良技術で
早く実のなる品種、トゲのない品種が開発されているよ
うです。
タバコ屋も「香りの百貨店」を目指す以上、ユズの栽培
に取り組む必要があるのではないかと思っています。
その際は坂本冬美さんが歌っている「白い香りの島へ」
の歌詞の一部を変更しないといけません。
♪レモン、いよかん、みかんの花が咲いて~の部分は
♪レモン、だいだい、ユズの花が咲いて~となります。
(関連記事:農業とレストア vol.4参照願います)

以上をもって、タバコ屋が考える香りの柑橘についての
概要はおおむねわかって頂けたのではないでしょうか。
適所・適果、まだまだ日本各地には優秀な香りの柑橘
があると思いますが(例えば沖縄のシークワーサーとか)
この項はひとまず終わりにさせて頂きたいと思います。

(尚、写真の一部はウィキペディアより引用させて頂きま
した。歴史の記述の一部についてはタバコ屋の個人的
見解であることをご了解願います。)


農業とレストア vol.6

平成25年2月10日
先の記事でレモンが洋のテイストの代表なら和のテイ
ストの代表がダイダイとゆずであると申し上げました。
さて橙(ダイダイ、代々とも書きます)のことです。
だいだい3
熟す前の11月頃の写真です。
レモン同様、芳香系柑橘のふるさとインドヒマラヤ山麓
アッサム地方が原産地ですが、橙もシルクロードを経て
レモンと同様に地中海沿岸に伝わりました。やや苦味が
あるためビターオレンジという名前でその子孫が今に
伝わり、丈夫なことから街路樹に使われたり、マーマレー
ドの原料などに利用されています。
片や東方へはどういう訳かレモンでなく橙だけが伝わり
中国を経て恐らく遣隋使、遣唐使が日本に持ち帰ったと
推察されています。(諸説あり)
日本の古来からある橘も有名ですが、古事記に出てくる
柑橘は橙であるとする説が有力で、日本で最も古くから
ある柑橘の一つとされています。
だいだい5
橙の果実は食用には適さず、その芳香性や果実の特質
により古来、ご神果(神にお供えする果実)、またご神木
として珍重されて来ました。果実の特質というのは最初
は緑、冬に熟して朱赤、春には黄緑となり回生をするた
め、代々にわたり実が続くという縁起かつぎから、代々と
か回青橙(カイセイトウ)とも呼ばれています。
鏡餅飾り3
その縁起の良さから、神饌以外でも正月の鏡餅飾り、
しめ飾り、戦後はマイカーのフロントグリルにぶら下げ
る正月マスコット?としても使われてきました。
いずれにせよ、日本の神様に捧げる高貴な果実として
扱われて来ました。
しめ飾り1 しめ飾り2
尚、しめ飾りは日本版リースとも言えますが、昨今では
しめ飾りをリースそのもののデザインで洋風にするのが
はやってき出しましたよね。
正月クルマ飾り2
かなりコンパクトでおしゃれな感じのクルマ飾りです。
普通はもっと大きくて安っぽいのですが、これはかなり
高級感アリ。
オクルマがパリのエスプリと言われるプジョーだからで
しょうか。クルマ用の場合はダイダイでは大きすぎるの
で小みかんを付けたり、あるいは省略したりしているよう
です。

余談になりますが橘も古来より橙同様の高貴な果実とさ
れ、家紋等にそのなごりが残っています。
橘家紋
橘の花をデフォルメした橘紋ですが、それにしても日本の
家紋デザインというのは西欧の家紋とはまた違ったシン
プルな美しさというのがあり、以前の記事で触れたタバコ
屋の母校同志社大学の校章などと合わせてとても優れ
た感性だと思うのです。
つまり事物を単純化、シンプル化する造形才能を持って
いるわけで、オクルマのデザインなどにももっと生かせ
たら、日本のアイデンティティが際立って発揮出来るの
にと思ったりします。
(関連記事:八重のこと vol.2参照願います)
たち吉2のコピー
突然の写真で恐縮ですが、京都の創作陶器店、たち吉
さんの丸に橘の家紋を使った社名ロゴマークです。
文字といいマークといい、タバコ屋のお気に入りです。
実はタバコ屋がゴフク屋をやっていた頃、お客様に差し
上げる記念品や景品等によく利用させて頂きました。
食器が主で、和食器はたち吉、洋食器はアダム&イブ
というブランドで展開しています。

ダイダイの話に戻ります。
芳香性の柑橘はどれもかなり共通した用途があります
が、ダイダイも、お供えやお飾り用、オクスリ(漢方では
古くから胃腸薬として用いられてきました)としての用途
を始め、その香りの良さからポン酢(ポンス、またはポン
ズ)として使用されてきました。
だいだい2
写真はまだ熟す前のダイダイを鍋物のポン酢として使用
するためカットしたものです。
和にマッチする強い芳香と酸味のなかにほのかな甘さを
持ち、お料理に多用されて来ましたが、鍋物のポン酢以
外でも調理酢として酢の物やお寿司に使うと味がまろや
かになり食通に好まれてきました。
また意外なところで緋かぶらの色付け、七味とうがらしの
原料の一部には、なくてはならないものです。
スペイン、ポルトガルが血眼になって追い求めた香辛料
というジャンルにもダイダイは大きな位置を占めている訳
です。

ところでポンスまたはポンズというのはポルトガル語だっ
たのを皆さんご存知でしたか。恥ずかしながらタバコ屋は
知りませんでした。
多分フランシスコザビエルが南蛮文化(ポルトガル文化)
を日本に初めて伝えて以来、ベランダ、タルト、カステラ
などの外来語同様、ビターオレンジ=ダイダイ、の搾り汁
のことを日本でもポンスと呼ぶようになり、それがポン酢
になったようです。
(関連記事:八重のこと(付録)参照願います)
だいだい1
ついでながらダイダイのことをタバコ屋の島や瀬戸内周
辺ではカブスという呼び名で親しんできました。
どうもカブスという言い方は江戸時代頃からのようでそれ
以前には阿部橘とも呼ばれていたらしく(つまり古代より
栄えた奈良県桜井市阿部で採れる橘)まあいろいろな呼
び名があるものです。
カブスの語源については諸説あるものの、通説ではおも
しろくないのでここはタバコ屋の勝手な想像では、ポンス
同様ポルトガル語ではないのかと思ったりします。
何かカブスというのが日本語になじまないと言うのが根拠
ですが、どの文献にもそのようなことは書かれてないので
ここだけの話にしておいて下さい。

尚、タバコ屋の島では見かけ倒しで役に立たない人のこ
とをお飾りカブスと言います。高貴な果実に反してカブスに
はどういう訳か私の島ではあまりいいイメージがありませ
ん。またカブスの呼び名から派生したと思われる、大分特
産のカボスもダイダイの枝分かれ品種で同じような特性、
用途で親しまれています。
蛇足ながら、山口県の萩では夏みかんのことをダイダイ
と呼ぶようで、もうそうなるとかなり混乱してきます。
だいだい果汁
手前味噌になりますが、タバコ屋の自社工場で搾った、
ダイダイ果汁です。皆さん意外に思われるかも知れませ
んが、多分もっと透明な液体のイメージがあると思うの
です。実際搾ってみるとこのような黄色がかった色の果
汁なんです。

ラベルに丸しぼり果汁と書いていますが、果実を洗浄後
に丸ごと搾るのが特徴で、苦味が出ないようゆるく搾る
ため、30%前後の搾汁率となり非常に贅沢な搾り方です。
それ故、ダイダイならではのまろやかな和のフレーバー
が楽しめるという訳です。
ただし一般のご家庭では、お醤油とダイダイ酢を別々に
用意し、合わせながら食べるというのはじゃまくさいので、
あまり人気がありません。やはりこのダイダイ果汁という
のは一次加工製品ともいえるもので、更にこれをお醤油
その他とブレンドした二次加工製品であるポン酢醤油に
仕上げる必要があると思います。
いわゆる付加価値度を上げるということですが、ヒット商
品を作るためにはある一面じゃまくさがり屋さんを喜ばせ
ることを考えればよいのかも知れません。

余談ですが、希望の島というブランドは商標登録されて
いますが、丸しぼり果汁についても4~5年間その名前を
使用して販売していましたが、その後登録の必要性を感
じ、申請したところ実はポッカさんが同名で登録しており、
使用は難しいと思われました。
しかし、捨てる神あれば拾う神ありで、名前の使用開始
時期がタバコ屋のほうがポッカさんより早かったようで
特許庁から許可が出て使用が認められることになりまし
た。何とも幸運でした。

その割には(オカネが掛かったわりには)上記の理由で
あまり売れていません。ニーズに合わない商品だった訳
で、結果は大失敗ということになりました。
ビターオレンジを搾って苦い思いをしたと言う洒落にもな
らないお話でした。
だいだい苗
ダイダイは頑健で病害虫や寒さにも強いので、無農薬栽
培にはもってこいの品種です。タバコ屋は苗から育て、
おいしいポン酢に加工したいと思っています。写真は
その苗を植え付けたところですが、育つまでには時間も
かかり気の遠くなるような話です。

紙数も尽きたようなので今日はこれくらいにして、次回
はゆずのことについてお話したいと思います。

(尚、写真の一部はウィキペディアより引用させて頂き
ました。ダイダイの呼び方の由来考証については一部
タバコ屋の私見もあり正規の文献の引用ではないことを
ご了解願います。)


農業とレストア vol.5

平成25年2月5日
前回の記事で、新しい切り口として「香りの柑橘」という
テーマで取り組んでみたいと申し上げました。
いよかんも香りがよく芳香系柑橘と言えますが、おもに
香りだけを楽しむものとして、レモン、ライム、だいだい、
ゆず、すだち、等があります。ライムは一般的でないの
と、すだちは摘果(果実の間引き)作業の副産物として
青みかんを採取すれば、すだちと同様のものが取れる
のでこの2点は除外したいと思います。
レモン2
レモンのルーツはインドヒマラヤ山麓のアッサム地方
といわれており、シルクロードを経て地中海沿岸へと伝
わりました。
やがて15世紀以降、スペイン、ポルトガルによる中世の
大航海時代が始まるにつれ、長期の航海で船乗りが
原因不明の病気でバタバタ倒れるようになりました。
それはずっと後になりビタミンCの欠乏による壊血病で
あることがわかりましたが、その予防や治療にどうも
レモンが効くということが体験的に分かり始めたのです。
今ではビタミンCなど子供の常識ですが当時の医学知識
というものはその程度でした。
尚、長期の航海時には散髪屋が乗り込んでいましたが、
簡単な外科治療は散髪屋が兼業でやっていたそうです。
傷口の縫合が済んだら次は理髪に髭剃りと、分からない
でもないですが、今ではとても考えられないようなデタラ
メさです。皆さんご存知でしたか。タバコ屋は知りません
でした。メスとハサミは使いようということなんでしょうか。
帆船9
余談になりますが、大航海時代といえば未知の海域へ
の挑戦と新航路の開拓、新大陸の発見等、随分雄大で
聞こえがいいようですが、スペインのやったことといえば
船による集団強盗、略奪、強姦、殺人とこの世の悪行は
何でもありで、狂気の犯罪百貨店を船ごと輸出したような
ものでした。
持ち帰ったものといえば当時金より高価だったインドの
香辛料や金銀宝石等の財宝でしたが、やっかいなことに
西インド諸島(カリブ)の風土病であった梅毒というおまけ
まで持ち帰ったのでした。
それを奨励したのが国王(当時はフェリッペ2世)だったの
でA級戦犯は国王ということになります。その結果スペイ
ンには莫大な富が転がり込み、ヨーロッパ最強国として
君臨しました。
帆船6
当時の帆船を復元(レストア)したものです。こんなショ
ボイ船で外洋に乗り出した訳ですから、命知らずのなら
ず者でないと出来なかったのかも知れません。
当然?トイレなどはありませんでした。どこで用を足した
かですって?・・・。それは甲板の端っこです!。

ただしスペインは武力によるパクリ行為に慣れてしまい、
強奪した金で地道な殖産興業をやらず、無敵艦隊の構
築等、消費することばかりにアッパッパ~と使い果たし
たので、頼みの無敵艦隊が後日イギリスにやられた後
は坂道を転がり落ちるように没落し、今ではセミの抜け
殻のような国に成り果てましたよね。
それにつけてもタバコ屋はモノ作り大国日本を誇りに思
います。
エンリケ航海王子
ポルトガルも似たり寄ったりのチンピラ国家でしたが、
スペインとやや違ったのはエンリケ航海王子という賢者
がいたことです。
彼は熱心なキリスト教信者で10世紀頃に起こった十字
軍の後釜的な組織であるキリスト騎士団の団長を務め、
未知の国の侵略と言うよりは、キリスト教(カトリック)の
布教とキリスト教的秩序の普及を目指したのです。
今から思えば無茶で、未開地の住民にキリスト教への
改宗を迫り、従わない場合は暴力(殺人)も辞さない
方針でした。
ポルトガル版尊王攘夷運動とも言えますが、事実フラ
ンシスコ・ザビエル等が起した過激なカトリック集団で
あるイエズス会を丸抱えとしインドや極東への布教派
遣を強力に後押ししました。
清廉なエンリケ航海王子のせいではなかったにしても、
結局は未開地の征服と植民地化を推し進めた訳で、
あきれたことに後日にはスペインとの間で当時ろくに
わかっていなかった世界地図をりんごを縦に割るように
2国で勝手に2分割したりして無茶苦茶なことをやった
訳です。
しかし皮肉にもポルトガルによる冒険航海(漂着)の
おかげで日本には鉄砲が伝わり、またザビエルにより
キリスト教を始めとする南蛮文化が伝わった訳で、これ
により中国以外にも別の世界があることを日本は知る
ことになりました。

これらの濡れ手で粟みたいな時代の後を継いだのが
イギリスとオランダで、彼らはスペイン、ポルトガルほど
荒っぽくはなかったものの世界初のカイシャ組織である
東インド会社なるものを発明し、結局は植民地帝国主義
を推進していくことになります。
会社と言っても貿易のほかに国から、条約の締結や交
戦権などを委託されていたので、ほとんど国家と呼べる
ものでした。
今では大英博物館など大そう権威のあるものですが、
早い話ドロボウの戦利品陳列場みたようなものです。
ヴァスコダガマ1 コロンブス1
当時の冒険的航海者と言えば、南アフリカ南端(喜望峰)
経由でインドへの航路を発見したヴァスコダ・ガマやイン
ドへ行きたくて大西洋を横断し島を発見、やった~といっ
て西インド諸島(実際はカリブ)と命名して、結果的には
アメリカの発見者となったコロンブス、また南アメリカ南
端経由で太平洋を横断し、フィリピン諸島等を発見後、
スペインに帰還し初の世界一周を果たし、地球は丸い
ことを証明したマゼラン(途中死亡)等が挙げられます。
マゼラン
彼らに共通していたのは、イスラム勢力に押さえられて
いた地中海を通らずに、何とかして宝の山インドや黄金
の国ジパングへ行きたかったことです。

話は前後しますがそもそも十字軍の遠征は地中海一帯
で勢力を拡大していたイスラム教勢力を排除するために
キリスト教の騎士団が起したものですが、スペイン、ポル
トガルのイベリア半島は7世紀頃より数百年、北アフリカ
のムーア人を中心とするイスラム勢力により征服されて
いたのです。
十字軍遠征と前後して起こったレコンキスタ(国土回復
運動)により12世紀頃にはポルトガルが独立し15世紀に
はスペインのグラナダにあるイスラム勢力最後の砦であ
ったアルハンブラ宮殿が陥落し、スペインが独立しました。
アルハンブラ宮殿3
スペインの作曲家でギタリストのF・タレガによる「アルハ
ンブラの思い出」はその哀愁ただようトレモロの曲であま
りにも有名ですよね。皆さんも何度か聞かれた名曲です
が、ムーア人たちの悲しい歴史が込められています。

ただしレコンキスタを果たしたキリスト教勢力も、大航海
時代にあたり何の技術もなく、別名航海と貿易の民でも
あったイスラム勢力の技術、人材を丸パクリすることで
やっと成し遂げることが出来ました。例えば羅針盤とか、
星の位置から現在地を割り出す航海術等は皆イスラム
から教わったものでした。

レモンの話に戻ります。そのような訳で、当時レモンは
香りを楽しむどころではなく、長期航海の命を守る機能
食品(救命サプリメント)として重宝され、栽培が奨励さ
れたのでした。
明治の世に日本に紹介、導入された当時は貴重な品で
珍重されましたが、おもに太平洋戦争後アメリカから
大量に輸入されだしてからはフルーツというよりベジタ
ブル・フルーツとして多用されることとなりました。
タバコ屋が同志社大学在学中の頃から、船で輸送中の
腐敗を防ぐため、強力な防カビ剤を散布しそれが遺伝
子を傷つける発ガン物質だったため大騒ぎになりました。
いわゆるポストハーベスト問題です。
当時タバコ屋は農業とは関係なかったですが、そのこと
はよく覚えており、後日無農薬栽培に取り組むことにな
ったのもそのことが遠い要因になりました。
レモン1
まだ完全に熟す前の11月頃の写真です。一般にグリー
ンレモンと呼ばれ、さわやかな芳香と酸っぱさが喜ばれ、
この頃から出荷が始まります。
三越恵比寿店
突然の写真で恐縮ですが東京恵比寿にある三越恵比寿
・ガーデンプレイスです。
この店はエビスビールの工場跡地再開発の一環で、その
一角に三越が出店し、郊外型ショッピングセンターの実験
店舗として開発したものです。
「カジュアルな都会生活」をコンセプトにした比較的コンパ
クトな親しみの持てる店舗ですが、レモンと何の関係が
あるんだろう?・・・。それが大ありなんです。
以前の記事で東京圏の三越のフルーツ売り場はすべて、
タバコ屋の古くからの取引先であるサン・フルーツさんが
運営していることは既に述べました。
サンフルーツ
三越恵比寿・ガーデンプレイスの果物食品売場で、若い
頃の浅田美代子ちゃんのような可愛いお嬢さんがグリー
ンレモンを品出ししている最中です。
手前味噌ながら、よく見るとダンボール箱に「希望の島
と書いてあるのが僅かに見えますよね。弊社がお届け
した「希望の島レモン」です。ガーデンプレイスではやや
早めの11月から国産グリーンレモンとして販売頂いて
います。
(関連記事:荒ぶる心 vol.5:ポルシェのこと参照願います)
IMG_3432.jpg
関西ではいかりスーパーの主要店舗で同様に販売頂い
ています。写真はJR大阪駅構内のいわゆるエキナカと
いわれる店舗です。
三越恵比寿店4
その美代子ちゃんが元気一杯試食販売をしているところ
です。レモンではなくカリフォルニア産のオレンジと国産
のラ・フランスを売ろうとしているようです。若いというこ
とは素晴らしいです。
タバコ屋も以前はよく催事とかでお手伝いに行き、声を
涸らして頑張りましたが、今となっては気味悪がられる
だけです。
レモン3
ところで、レモンは葉っぱや若芽、花にも果実と同じよう
に芳香があるのをご存知でしたか。タバコ屋は恥ずかし
ながら知りませんでした。徳島の山奥では葉っぱを売っ
て3億円の年商を上げているおばちゃん(というよりばあ
ちゃん)グループがあると聞いています。
レモンも同様で果実ばかり売るのが能ではありません。
葉っぱや若芽も売れないものだろうか・・。
(関連記事:人生いろどり参照願います)

例えは悪いですが、独創的な二重空冷エンジンの設計
は出来ませんが、葉っぱや若芽売るくらいならタバコ屋
にも出来るのではないかと思ったりします。
以前いちごクラブで苦い経験をしていますので、安易な
ブランディングはやりたくないですが、ここは慎重に考え
て可能性を探って見たいと思います。
逆転の発想と言えるかどうか、何も紅茶に浮かべるの
はレモンの輪切りでないといけないというルールはない
のです。香りが楽しめれば若芽でも良いかと・・・。

ご参考のためにレモンの利用方法についてタバコ屋なり
のご紹介をさせて頂きます。
『レモンの使い方いろいろ』
●お料理のフレッシュな引き立て役として自在にお使い
下さい。
●手作りのレモネード、お湯と蜂蜜を加えてのホット
レモン、焼酎のお湯割り等に御利用下さい。
●輪切りにしてお風呂に浮かせるとお湯の粒子が細か
くなり体の芯から温まり、また肌がなめらかになります。
●お洗濯の仕上げ洗いにレモン水を少し落としてくださ
い。さわやかな香りが楽しめます。

長い歴史のあるレモンにまつわるお話を致しました。
「香りの柑橘」の中で、レモンが洋のテイストの代表なら、
和の代表は「だいだい」と「ゆず」ではないでしょうか。
次回はそのことについてお話してみたいと思います。

(尚、大航海時代の写真についてはウィキペディアより
引用させて頂きました。歴史の記述についてはタバコ屋
の個人的見解であることを御了解願います)


農業とレストア vol.4

平成25年2月3日
タバコ屋は島の農業で何を作るべきか、トテモ重要な
課題です。かつて中島がみかんバブルを経験したこと
はすでに述べました。その時の主役は温州(うんしゅう)
みかんでした。
やがていよかんがもてはやされ愛媛の代表柑橘として、
その中でも中島は中心的な産地として一世を風靡した
時代もありました。
この二つの果実がマルビの島だった中島を一躍マルキ
ンの島に変えたのです。
(余談ながらマルビ、マルキンは広島出身のイラストレー
ター渡辺和博さんが発明したコトバで一時はやりコトバ
となりましたよね。エンスーという言葉も彼が発明した
ものです。残念なことに渡辺さんは、先年若くして亡く
なられました。)
温州みかん
いきなりですが温州みかんの写真です。温州みかんの
原産地は九州鹿児島と言われており、はるか昔中国か
ら遣唐使によって持ち帰られた原種から巡り巡って江戸
時代頃に偶然に出来た品種と言われ、それゆえ明治期
にはサツマとも呼ばれていました。
余談になりますが、江戸時代嵐を衝いて江戸までみかん
を届け大儲けした紀伊国屋文左衛門が運んだのはこの
温州みかんでした。
フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教(カトリック)と
南蛮文化(ポルトガル文化)をもたらした数年前、偶然に
も種子島に漂着したポルトガル人が伝えた鉄砲は数年
を経ずして紀州の根来衆に伝わり製法を習得、その後
急速にいくさ面での近代化が進んだように、当時九州
方面と紀州は海路で繋がっており、おそらくサツマと呼
ばれた美味なる果実は海路紀州に伝わり栽培が始まっ
ていたはずで、それを紀伊国屋文左衛門がうまくやった
ということなのです。

現在は、和歌山、愛媛、静岡が主産地で、むきやすく
美味なうえサイズも手頃で、長年にわたる品種改良も
あり、みかんといえば温州みかんのことを指すほど親し
まれています。
今では国果(国を代表する果実)とも呼ばれるほどにな
りましたが、前にも述べたように核家族化に代表される
ライフスタイルの激変から、家族がこたつに入ってみかん
を食べるといった生活様式は今やノスタルジーとなりつつ
あり、生産量も最盛期の半分以下に落ち込んでいます。

中島は降水量が少なく温暖で日照量も多く、いわば地中
海とよく似た気候で、おまけに潮風による海水ミネラル
成分のスプレー効果によって非常にコクのある味が特徴
です。
いよかん1
皆さんおなじみのいよかんです。タバコ屋はこんな立派
なものは作れませんが、匠が作るとこのように見事なも
のが出来ます。

みかん(タンジェリン)とオレンジを交配したものをタンゴ
ールと言いますが、いよかんはごくまれに自然交配した
タンゴールで、ルーツは山口県に自生していた穴門
(あなど)みかんと言われるものです。明治期に温暖な
伊予松山に持帰られ適地を得た後、それがいつしか
「いよかん」と呼ばれるようになりました。

現在のいよかんは松山市の宮内さんと言う篤農家が
自園にて枝変わりの新種を発見し改良を重ねた結果、
「早生(わせ)いよかん」または「宮内いよかん」として
世に出すこととなり今日に至っています。従来からの
晩生(おくて)いよかんは香りはいいものの大玉果に
なりにくく早生いよかんに主役の座を譲りました。

現在では愛媛県を代表する柑橘として広く普及し、特
に中島のいよかんはコクのある「島いよかん」として高
い評価を得て来ました。
ティファニーの朝食(ありえませんが)のデザートに出し
ても恥ずかしくないプレステージを持つに至っています。
もともと浮き皮のためむきやすく、甘酸っぱくてジューシ
ーかつ強い芳香は心なしか春の訪れを感じさせるもの
があります。
品川プリンスホテル2
余談にながら、かつてタバコ屋は品川プリンスホテルへ
飛び込み営業に行き、レストラン・ハプナのデザートメニ
ューとして中島いよかんをご採用頂いたことがあります。
同志社大学自動車部での地獄の夏合宿からみれば、
飛び込み営業などものの数ではありませんでした。
今では懐かしい思い出です。

地獄の夏合宿といえばOBの方ならおわかりでしょうが、
当時香里園に体育会の合宿所があり、自炊の買出しは
近くのダイエー香里ショッパーズプラザでした。
ここは前回の記事でお話した郊外型ショッピングセンタ
ーの日本でのハシリ(第一号)でダイエー渾身の実験
店舗でした。当番の日はカレーやおでんの材料をよく
買い出しに行きました。
合宿所には管理人のおっちゃんがいて、それがいわゆる
おネエタイプ?にて、とても優しく、ここだけの話ですが
消灯前後におっちゃんの部屋へ数人で押しかけウイス
キーのサイダー割りを内緒でご馳走になるのが地獄で
の唯一の楽しみでした。
ただ合宿は自動車部だけでなく、野球部サッカー部な
ども共同使用でしたが、中でも柄が悪かったのがアメリ
カンフットボール部で、消灯頃うるさいと言ってふすまを
蹴破って殴り込んできて、あわや乱闘になる寸前までい
ったこともありましたが、それも遠い昔の思い出となりま
した。

みかんの話に戻ります。確かに戦後の中島は、温州みか
んといよかんで栄えてきたのですが、今やそれも過去の
話となりつつあります。
坂本冬美5
突然の写真ですが言わずと知れた坂本冬美さんです。
以前の記事でご紹介しましたが、冬美さんはさるご縁
で旧中島町時代のテーマソングを歌って頂いたことで、
名誉町民となり、現在も島のアイドルとして何度も来島
され、その都度熱狂的な歓迎を受けています。

それにつけても、女盛りとはこういうことを言うのでしょ
うか・・・。その目で見られるとタバコ屋はハイライトと
ゴールデンバットいっぺんに10本くらい吸ったように
クラクラ来てしまうので、見つめないで下さい。
またタバコ屋に恋してるとか言われたら全財産投げ出し
そうです。

不謹慎な話で恐縮ですがもし新島八重女史が冬美さん
の容姿であったなら、慶応、早稲田、京大など問題外で、
東の東大、西の同志社と謳われることになっていたでし
ょう。
その冬美さんが歌っていて、中島行きのフェリー内でも
流されている曲が「白いかおりの島へ」です。浜口庫之
助作曲、池田充男作詞の歌の歌詞をご紹介しますと、
♪青い海がある かもめがとんでいる~
♪白い砂がある 裸足(はだし)で来ませんか~
♪春の瀬戸内 島から島へ~
♪船をはしらせ めぐってみませんか~
♪レモン・伊予柑 みかんの花が咲いて~
♪島はいいかおり さわやか花ざかり~
メロディーがないのでいま一つイメージが湧かないかも
知れませんが、冬美さんが演歌を歌う時のように力まず
にさわやかに歌っているのが特徴です。あの鼻にかかる
魅力的な声で・・・。
(関連記事:鉄腕ダッシュと水軍参照願います)

それはさておき、タバコ屋は前回の記事で人まねをした
くない、独自のやり方で農業に取り組みたいと言いました。
どうもその答えがこの歌の中に隠されているような気が
します。
そうです、キーワードは「白い香りの島へ」です。過去も
現在もほとんどの農家さんは、お金になりそうな品種、
トレンディーな品種を追っかけて四苦八苦してきました。
長期的視野もへちまもあったものではありません。
コンセプトとかテーマとか、そんなこと考える暇があった
ら畑に行って仕事しろが合言葉です。

香りに白いも黒いもなく、極めて情緒的な表現ですが、
白い香りというと何やらさわやかで、思わず冬美さんを
思い起こしそうなイメージですよね。
何を作るのかというのはずいぶん長い間悩んでいた課
題ですが、ズバリ答えは「香り」です。タバコ屋は今後
香りの柑橘をテーマに取り組んでみようかと思うのです。

柑橘には元々芳香系のものが多いのですが、ほとんど
がインドの奥地アッサムが原産地です。例えばレモン、
ライム、だいだい、ゆず、どれも個性的で独特の癒し系
フレグランスを持っています。
不思議なことにこの芳香系柑橘はいのししもヒヨ鳥も関
心を示さず、というより嫌いなようで、畑が荒らされない
ので一石二鳥です。
今、一般の農家さんが血まなこで取り組んでいる新品種
はどれも甘くてジューシー系のもので、いのしし、ヒヨ鳥
の大好物です。

何を作るのかということについてやっと方向が定まり、
皆さんにお話しすることが出来たので嬉しいです。
今回はこれくらいに留め、次回はその「香りの柑橘」に
ついて詳しくお話したいと思います。


農業とレストア vol.3

平成25年2月2日
前回の記事でタバコ屋は農業をどのように見ているのか、
また何をやりたいのかについてお話しました。
その一つ一つが実現にはかなりの困難が伴うもので
簡単には問屋が卸さない訳です。
そこで今回は、何を作ればいいのかについてお話したい
と思います。

話は飛びますが今から25年前、タバコ屋がみかん事業に
乗り出した頃、つまり平成の始め頃の事です。事業に乗り
出した原因は当時滅多にないことでしたが、台風19号が
九州と四国の間の豊後水道というせまい海域をすり抜け、
瀬戸内海に侵入、中島を直撃、その後広島に上陸し大暴
れした後、今度は日本海を北上し、こともあろうに青森県
の弘前へ再上陸、結果は瀬戸内海西部の中島を中心と
するみかん産地と遠く青森県弘前のりんご産地に壊滅的
な被害を与えました。
タバコ屋は当時農業とは何のかかわりも持っていません
でしたがこのままでは中島はだめになるという自分なりの
危機感を強く持ち、JAにまかせておくだけでなく自分でも
出来ることはやってみようと、まずは自分のツテを頼り
みかんの販売に乗り出したという訳です。
程なくして根源的な疑問、斜陽化しつつあるのに何故
みかん産地の復興をはかり、同じみかんを作らないと
いけないのかという問題を考えるに至り、時代はみかん
ではなくいちごを要求していると自分なりの結論を出し
ました。
アイベリー3
そこからが大変でした。ある方のご縁でアイベリーという
大玉のいちごを産地である新居浜で生産しつつあるのを
耳にし、そこへお邪魔し、指導を頂くとともに中島でも生産
者を募り3名の生産者の方と共同開発をやることになりま
した。
とにかく見たこともないような大玉のいちごで口に入らない
ほどなのです。タバコ屋お得意のカルチャーショックを受
けました。
アイベリー5
ブランディングはタバコ屋の得意科目だったので、いちご
クラブ
という名称で売り出すことにしました。当時タバコ屋
は本業のスーパーでニチイ(後のマイカル)の主催する
全国規模のNACというボランタリーチェーンに加盟して
いましたので、売り先はニチイ及びNAC加盟店にお願い
し、生産から販売までの流れを作れたかに見えました。
事実数年間はうまくいったのです。
しかし生産に大問題が起こりました。みかん農家が兼業
で始めたので、みかんといちごはその管理作業の時期
がことごとく重複し片手間ではなかなか出来ないことが
わかったのです。また病気等の対処法のノウハウもなか
ったので生産者の方がもう出来ないと言ってきたのです。

当時はタバコ屋も本業が忙しく、自社生産などは思いも
よらず結局断念し、いちごのブランド化は出来ずじまい
でした。口に入らないくらい大きく甘いいちごで後ろ髪を
引かれる思いでしたが、生産出来ないのであれば仕方
がありません。
当時はそのストレスでふさふさしていたタバコ屋の頭髪
は抜け落ち、また500円大のハゲがあちこち出来(円形
脱毛症)、自分でもかなり無理をしていると感じました。
(ただしいちごを断念したあとは、嘘のように直りました)

何を作るかという問題について、タバコ屋なりに冒険は
してみたのですが大やけどをしてしまい結果として苦い
レンコン汁を飲むことになりました。
ただ、叶匠寿庵さんで強い衝撃を受けそのモチーフが
色濃く残っていて、アイベリーに対しても初恋の残像
もいうべき愛着があり、完全にあきらめた訳ではありま
せん。
マリリンマンロー3
例えが悪いですが食べるモンローとでも言いましょうか、
夏目雅子ちゃんとはまた違う圧倒的な迫力なのです。
いつかきっとアイベリーの復刻を・・・かなわぬ夢かも
知れません。
マリリンマンロー2
皆さんご存知でしょうけど、マリリンはその恵まれた?
ボディゆえ映画等でイメージが歪められましたが本人
は清純な役柄を望んでいて、映画会社を困らせたそう
です。「ティファニーで朝食を」もマリリンとJ・ペパードの
共演だったらまた違ったものになっていたでしょう。

何を作るかということは大切で、その読みが的確だった
場合は大ヒットにも繋がる場合があるでしょうが、逆に
失敗した場合は破産してしまうこともあるでしょう。
(以前の記事でHONDAが独創的な1300を開発したも
のの、偉大なる失敗作となったことは述べました。)
そこで現実にはリスクヘッジということを考える訳で、
複数のものを並行して作りながら徐々に有利なものに
軸足を移すというのが比較的安全なやり方ということに
なります。

タバコ屋が閉鎖された離島で、先々代の創業時はゴフク
屋だったものが時代とともに総合衣料品店となりタバコ
屋を兼業、また主婦の店というセルフサービス方式の
食品店を始めるなど、それなりのリスクを背負ってきまし
た。また私の代になってからはニチイ(マイカル)と共同
で総合スーパーの開発、また後日には独自でホームセ
ンターの開設等そのことをいっそう推し進めて来た様に
思います。
尚、どうでもよいことながら、新規分野に参入することを
業界用語ではラインロビングと言います。
(関連記事:人生いろどり参照願います)
キングカレン
スーパーと言えば今ではワールドスタンダードな生活
文化の一つとしてなくてはならぬものとなっていますが、
この画期的な業態はアメリカのマイケル・カレンという当
時クローガーという食品店に勤めていた青年が発明した
コンセプトでセルフサービス、現金払い、部門ミックスに
よる安さの演出等、旧態然とした当時の商いの形態を根
底から覆すものでした。
提案はしたものの、雇い主のクローガーは相手にしてく
れず、カレンは職を辞しキング・カレンという店名の自身
の店でその斬新なショウバイ方法を実践することとなりま
した。やがてその商法は大ヒット、その後チェーンストア
方式も取り入れ、どの町でも同品質の買い物が出来るよ
うにしました。
やがてこのやり方は他社もまねすることになり全米に波
及、大量生産大量販売という時代の要請にもマッチし、
また広い駐車場を構えクルマで買い物に行く習慣のある
アメリカにはもってこいの形態でもあり、スーパーマーケ
ットはアメリカ小売業の主要業態へと成長しました。

昭和初期から太平洋戦争にかけての時代の出来事です
が、アメリカの一青年が発想した全く新しい小売業の形
態は新しいキカイの発明とかいうことではなく、革新的な
ソフトウエアの発明だったということです。

戦後は日本でも創業間もないダイエー、ジャスコ、ヨーカ
ドーなどがそのやり方を熱心に研究(パクリ)、当初主婦
の店という名称で業態の模倣からスタートしましたが、
その後改良熟成が進み、やや変形した日本独自のGMS
(ゼネラルマーチャンダイズストア=衣食住の総合品揃え
店でいわゆる総合スーパー)を全国の主要駅前に出店し、
一時代を築きました。
現在は郊外型のショッピングセンターにその主役の座を
譲りましたが、初期にはそういう歴史がありました。
ゆめタウン西条店
前回の記事でご紹介したO氏の地元、東広島市の西条
町にある郊外型のショッピングセンターゆめタウンです。
YOUとMEでゆめタウンとはダジャレのような店名ですが、
広島のスーパー、イズミが経営しています。倅が近畿大
学在学中に訪問した時、立ち寄ったものです。
多分このショッピングセンター開設時は許認可の問題で
O氏も相当ご尽力と言うか関与されたのではないかと推
察します。
皆さんよくご存知なので説明の必要もないですが、一般
に大手のスーパーまたは百貨店が核テナント(胴元)と
なり、専門店や飲食その他のサービス業を周辺配置した
いわゆるワンストップショッピングが可能な現代的ショッ
ピングセンターです。

現代はカレンのスーパーマーケット第一号店からは随分
進歩しましたが、本場アメリカではさらに進化して数万坪
の敷地に巨大モールを作りアミューズメント(レジャー)
施設まで組み込んで、ワンストップどころか1日中過ご
せる夢の国と化しました。

日本でもイオンモールとか各地に大規模なものが作ら
れつつある昨今です。それに比し、昔の商店街はシャ
ッター通りとなり、風情やふれ合いがなくなりつつある
のは全国共通現象です。
時代の流れとはいえ、三丁目の夕日の世界で育った
タバコ屋世代にとっては一抹の寂しさがあります。
何も全部が全部アメリカのやり方を真似しなくても良か
ろうにと思ったりもします。
トミナガ
タバコ屋の店はこれらとは比較にもなりませんが、言って
みれば総合スーパーのミニチュア版ということになります。
余談ながら、早いもので気が付くともう30年以上も経ちま
したがオープン時の基本設計はニチイの店舗開発部の
スタッフが手掛けました。ニチイとしては当時5,000人程度
の人口しかなかった島に店舗を作るのは初めてで、その
設計事例がなく、やむなく駅前に出店していた比較的小型
の総合店を参考にして設計したそうです。
手前がスーパー、奥がホームセンターです。
トミナガ店内
スーパー店内です。離島の店なので、他店との競争とい
うよりは島の暮らしを守るというのがタバコ屋のコンセプ
トです。
末永3
突然の写真で恐縮です。以前の記事でご紹介した同志社
大学自動車部の同期で九州羽犬塚在住のSU氏が長躯
中島に訪問頂いた時の写真です。愛車はPORSHE 911-
カレラ4Sで、このようなスーパーカーが島に行幸されるこ
とはもう二度とないと思いますが・・・。
(関連記事:荒ぶる心 vol.5:ポルシェのこと参照願います)
ただしこういうオクルマが見たい方はタバコ屋の取引先
でもある芦屋のいかりスーパーへお出かけ下さい。
ポルシェを始めレンジローバーとかごろごろ停まってい
ますので。

農業で何を作るかについてもっとお話しかかったので
すが、かなり脱線してしまいました。紙数も尽きたよう
なので今日はこの辺で一旦終わりに致します。


農業とレストア vol.2

平成25年1月30日
タバコ屋がかつて過ごした同志社大学自動車部の一期
後輩で、長身、筋肉隆々、頭脳明晰と三拍子揃ったO氏
は、キャプテンも務め、卒業後は出身地の東広島市に
に帰りました。
東広島市は旧西条町が中心で賀茂鶴など昔から酒処
として有名で、また近年は広島大学、近畿大学等が当
地へ移転し、現在は学園都市として20万人近くの人口
を擁する雄市に発展しています。

そこの企画課(多分)に永年お勤めで、地域おこしに随
分尽力されたとお聞きしています。さしづめ、東広島版
山本覚馬といったところでしょうか。
ただし覚馬氏とは異なり、チャーミングな京女の正妻殿
がご健在で後妻さんをもらったという話は聞きません。
(関連記事:八重のこと vol.3参照願います)
東広島市2
東広島市(西条町)の遠景です。随分大きな町ですよね。
実はタバコ屋の次男も市のはずれの高屋というところに
ある近畿大学工学部でお世話になりました。
パチンコパーラー1
訪問した時に昼時となりパーラー大学と書いてある看
板があったのでてっきり大学関係の食堂だと思い、飛び
込んだら、そこはパチンコ屋だったという笑えない話が
ありました。タバコ屋の恐ろしい思い込みで、パーラー
ならカレーくらいは食べられるだろうと思ったのでした。
東広島市3
倅のところへ行った時、多分O氏がお勤めになっている
であろうと思いつつ会釈しながら?通過した東広島市
役所です。立派な建物でいきなり訪問するのには気が
引けました。

そのO氏なら地域おこし等に携わったと思うので、よく口
にし、耳慣れもした言葉だと思いますが「環境整備」とか
「環境保全」というようなややカタイ言葉についてです。
まず環境整備についてですが、お役所や企業等では、
地域や企業内のインフラ整備(道路や公園や建物、工場
等の整備)のイメージがあります。
タバコ屋流の環境整備とは、まずいるものといらないも
のを分別し、不要なものを捨て去りどうしても必要なもの
だけを残す。次に残ったものを徹底的にきれいに磨き
(または修復し)大切に長く使えるようにする。これが定
義です。(尚いらない物とは3年以内に使う予定のない
ものを指します)
次に環境保全についてですが、O氏なら詳しく知っている
はずで、国が補助金を出し、国土や農地の保全を図る
といった意味に使われていると思いますが、タバコ屋流
の環境保全とはみかん畑等園地の維持管理又は修復
(レストア)を指します。

お堅い話は退屈でしょうから、わかりやすいお話にしたい
と思います。前回の記事で素人のタバコ屋がみかん畑
の管理といよかん栽培に挑戦することになり、無知ゆえ
の困難さに音(ね)を上げつつあることはすでに述べまし
た。そこで一度タバコ屋はどうしたいのか、またどうすれ
ばいいのかということを考えてみたいのです。
大浦湾遠景3
話は飛びますが、遠く700年昔の南北朝時代、中島は
南朝方として瀬戸内海の覇権を握り、最も栄えた忽那
(くつな)水軍の時代がありました。
栄華は200年程続きましたが、戦国の世も終わりその後
秀吉に逆らった忽那水軍は伊予松山の河野氏とともに
攻め滅ぼされ、それ以降は二度と歴史の表舞台に立つ
ことはありませんでした。天下統一により戦乱による対
立の構図がなくなり、水軍の存在意義が失われたことも
その一因だったと思います。
(関連記事:鉄腕ダッシュと水軍参照願います)

それ以降、江戸時代、維新後も長い貧困の時代が続い
たあと、戦前には生姜(ショウガ)の生産で豊かになった
時代もありましたが戦後の高度成長期、瀬戸内海一帯
を潤した、いわゆるみかんバブルの時代が到来し、争う
ように開墾、みかんの植付をし増産、毎年新築ラッシュ
で立派な長屋門を備えたみかん御殿が建ち並んだ時代
がありました。今のお金で2,000万くらいの年収がザラに
あったのではないかと推察します。言葉は悪いですが
にわか成金です。

しかしいいことはいつまでも続きません。やがてみかん
を山盛りにしたコタツを囲んで紅白歌合戦を家族全員で
見るというようなライフスタイルがなくなり、みかんを前
ほど食べなくなった結果、にしんの来なくなった番屋の
ごとく、またあれほど黒い宝石とまで言われた石炭が不
要となった三池や夕張炭鉱のごとく、みかんの産地中島
は今、収入が激減し閉塞感で満たされています。
学園都市、広島のベッドタウンとして発展を続ける東広
島市を見るにつけ、何とかしなければという気持ちもあり
ます。

話を個人のことに戻します。
まずタバコ屋は何をしたいのか、KJ法でもないですが、
考えの断片を集めてみたいと思います。
■農薬を使わない農業をしたい
■いろんな品種を作ってみたい
■しんどいことは避けたい
■一般農家のまねをしたくない
■そこそこの収入は得たい
■生きがいの一助としたい  
■独自ブランドを確立したい
■観光農園をやりたい

現実はどうなのか
■農薬を使わない農業をしたい・・・害虫、病気、雑草に
より生産量が激減し、草刈だけでも重労働なので気持ち
がへし折れ、今年からは除草剤を使うことにしました。
また害虫、病気に対しては最低限度の薬剤を使用する
ことを検討中。
■いろんな品種を作ってみたい・・・今の畑はいよかん
バブル全盛期のままでほとんどいよかんだけなので、
いわゆる品種更新をやりたいところですが、技術や知識
がないため成木の管理もろくに出来ておらず、苗木の育
成技術、高接ぎの技術(高接ぎとは既存の成木の幹を
カットし違う品種の芽を移植し生まれ変わらせる外科手
術のこと)などを早くマスターしたいと思います。
■しんどいことは避けたい・・・と虫のいいこと考えました
が、本気でやろうとおもえばしんどいことは避けて通れそ
うにありません。いわゆる3K(危険、きたない、きつい)
職場で、後継者がいなくなるという現実もわかるような気
がします。
ただしそれを解消または緩和する専門のキカイはいろい
ろありまた別の項でご紹介しますが、それも購入にはお
金がかかりまたキカイゆえ取り扱いを誤ればケガをする
ことになります。
■一般農家のまねをしたくない・・・そう思い、当初無農
薬栽培に挑戦しましたが、現実は甘くなく、上記の結果
となりつつあります。ただ今後は農薬を極力控えた、
減農薬栽培を目指そうと考えています。
■そこそこの収入は得たい・・・販売先は本家の従兄弟
がやっていた時はJAに所属していましたが、タバコ屋は
別事業でみかんの販売会社を運営しているので販売に
ついては不安はあまりありません。
ただしろくなものが出来てないので恥ずかしながら年間
数十万の収入しかなく、本気出してせめて100万程度の
収入にはしたいと思います。そうでないと肥料、薬剤、
ガソリン代等がまかなえずキカイの購入も出来ません。
■生きがいの一助としたい・・・収入も大切ですが、やは
り60の手習いとはいうものの、やるからには今後の負担
になるのではなく生きがいの一つとなるようにしたいもの。
もう若い時のようにがむしゃらにやる訳にはいかずクオリ
ティ・オブライフを目指すべき年齢なので、そこらあたり
の考え方が大切になると思います。
■独自ブランドを確立したい・・・これについては既にタバ
コ屋が始めたみかん事業で「希望の島」という地域ブラン
ドを確立し、生果とオリジナルジュース、ジャム等に生か
されていますので目的はある程度達成されています。
タバコ屋はショウバイ人が本業なので、マーケティング、
マーチャンダイジングについてはプロであり、この辺は
地元の農家さんとは異次元のオシゴトをやってきたと
思います。
(関連記事:人生いろどり参照願います)
ジュースギフト250ml6JM1FS1-2
手前味噌で恐縮ながら、写真のほうがわかりやすいと
思い掲載しました。タバコ屋が開発したオリジナルの
ジュース、ジャム、フルーツソースの詰合せです。
関西にお住まいの方ならご存知でしょうが、いかりスー
パーさんにはジュースを販売してもらっています。また
ギフトはコープこうべさんで採用頂いたこともあります。
あと有機農産物を中心に宅配等やっているひこばえさん
でも取り扱って頂いていますが、偶然にもそこの女専務
さんがタバコ屋の母校同志社大学の先輩でした。
■観光農園をやりたい・・・皆さん意外に思われるでしょ
うが、みかんの大産地中島には観光みかん園が一軒も
ありません。やはり離島であることが大きな障害になっ
ているんでしょうか。
タバコ屋が若かりし頃、滋賀の「叶匠寿庵」さんの主催
する催しに招かれたことがありました。「叶匠寿庵」さん
は故松下幸之助氏がこよなく愛した和菓子屋さんとし
て皆さんもよくご存知のことと思います。
そこではタバコ屋お得意のカルチャーショックだらけでし
たが、最もスゴイなと思ったのが、数万坪の山林を丸ご
と買い取って自社の直営農園とし、お菓子に使う梅や
各種の果物等を無農薬で栽培していることでした。
また山腹にはそれらを加工する自社工房も作っていて、
タバコ屋がイメージする桃源郷に近いものでした。その
モチーフは今でもずっと頭の中に残っており、そこまで
いかなくてもせめて観光農園くらいは出来るのではない
かと思うのです。そもそもこの無謀なことを引き受けたの
もその時の強烈な印象が忘れられないせいだったのかも
知れません。

結局は、前述の元同志社大学自動車部キャプテンのO氏
が手掛けきた東広島市地域おこしの中島版、個人版を
生きがいのある形でやりたいのだと思うのです。
「環境整備」とか「環境保全」とかいうお堅い言葉が伴うに
しても・・・。

今回、タバコ屋は何をやりたいのかについてKJ法的にお
話させて頂きました。
蛇足ながらKJ法は文化人類学者であり京都大学出身の
川喜田二郎先生が散らばったデータ(かけら)をまとめて
一つの結論を導くために発明した手法ですよね。
後日企業等でもさかんに取り入れられ、問題解決の有力
な手法として活用されてきました。
(皆さんも魚骨図にKJカードいっぱい貼り付けて熱い議論
をやった思い出があると思いますが・・・)
これは世界に誇るべき日本の発明だと思います。

尚、今回O氏に無断でプライベートなことを記事にしてし
まいましたが、元同釜のよしみにてお許し頂きたいと思い
ます。次回はもう少し具体的にやや汗臭くみかん農業の
ことをお話したいと思います。

農業とレストア vol.1

平成25年1月27日
昨今、復刻ばやりですが、復刻、修復、復元、等、日本
語にも様々な表現があるように英語でもreproduction、
restore、repair、等様々な言い方があるようです。

話は飛びますが、日本と言う国は古来より文化は外国
から来るものという観念があり、古くは飛鳥、奈良時代よ
り遣隋使、遣唐使によって中国の文明、文化が日本に
もたらされました。
当時の中国、特に唐は今のアメリカのごとく世界随一の
文明国家で世界中の人と文化が行き交い極東のちっぽ
けな島国である日本から見ればそれこそ夢の国で、
それゆえ隋、唐の文明、文化を有難く押し頂くことに専念
してきました。ただ賢いことに律令制は取り入れても科挙
や宦官の制度は採用しませんでした。
同じパクリでも朝鮮は丸ごとコピーしたので、その後それ
の弊害が出て、国自体が停滞することになります。

平安時代には中国伝来文化の一つである仏教について
も硬直化しつつあった奈良仏教にかわり、最澄(天台)、
空海(真言)という二人の天才により唐から新しい仏教
が伝えられました。
この時期は極東のイナカッペであった日本が隋、唐の
あらゆる文明、文化を貪欲に吸収し新しい日本のカタチ
が出来上がった意味で第一の日本文化大革命とも言え
ます。

平安末期には平清盛が、宋との貿易で巨万の富を蓄え
その財力で宮島の厳島神社の造営を果たし後世に文化
を残しました。
鎌倉時代には文化どころではなく、元の軍隊が押し寄せ
てきて日本は必死で防戦、かろうじて独立を維持しまし
たが、朝鮮は元(げん)の属国となり果てていました。
フランシスコザビエル1
室町時代になると中国の明との交流がさかんとなり
それに伴い、書院造り等家の構造や能、書画、しきたり
等今日まで続く日本の伝統文化が確立されました。

その後、戦国時代は中国よりも当時世界の海へ勇躍
乗り出していたポルトガルの影響を強く受け、鉄砲伝来
やフランシスコ・ザビエルの来日等を機に南蛮文化、
キリスト教文化が伝わりました。
中国以外の西欧文化、文明が初めて伝わり日本に根付
いたという意味で第二の日本文化大革命だったのでは
ないでしょうか。

徳川時代は鎖国政策により外来文明の点では暗黒時
代となり逆に日本独自の感性が醸成された時期でも
あります。

やがて激動の幕末、維新を経て明治となると今度は
ヨーロッパやアメリカの文明、文化が徳川の禁制時代
の反動とでも言うのでしょうか、怒涛のように日本に押し
寄せ、またそれが砂漠に水を注ぐごとく吸収されました。

ヨーロッパからは主に憲法や政治の仕組み、陸海軍の
軍隊の形、武器の調達、鉄の大量生産の方法から西洋
料理のレシピまで、アメリカからは、黒船による空前の
カルチャーショックに始まり、プロテスタント・キリスト教
や自由の精神といったものが挙げられ、それこそありと
あらゆる西欧文明、文化が取り入れられました。

遣隋使、遣唐使による中国文化の吸収に始まり、途中
南蛮文化との出会いを経て今度は本格的に西欧文明を
取り入れることとなり、ある意味、明治時代というのは
第三の日本文化大革命と言える時期でもありました。

日清、日露の戦いによる奇跡的な勝利とその後の日本
の奢りによる膨張政策により、不幸な太平洋戦争による
初めての悲惨な敗北を経て、戦後の復興、高度成長時
代には、あれほど敵対したアメリカの文明、文化を一転、
丸ごとガブ飲みに近い形で再び吸収することとなりました。

アメリカとの安全保障条約締結によるいわゆるアメリカ
の傘に組み込まれることを手始めに、アメリカ語の日本
語化、コークに代表されるアメリカ流の食べ物、アイビー
ファッションなどの服飾品や3種の神器(テレビ、冷蔵庫、
洗濯機)などの家電製品等、アメリカのライフスタイルが
明治維新以来、またしても怒涛のように押し寄せました。
これは第四の日本文化大革命と呼べるのではないでしょ
うか。われわれ戦後団塊世代及び、準団塊世代はその
真っ只中で育った訳です。
(関連記事:アイデンティティ参照願います)

これらのことから、日本人が文化は外国から来るものと
思うのも当然と言うか、歴史の必然として仕方のなかっ
たことかも知れません。

話を復刻のことに戻します。その熱にうなされたような
高度経済成長時代はスクラップアンドビルド、朝令暮改、
使い捨て、右肩上がりの何でもありの時代でしたが、
オイルショック、平成バブルの破綻を経て、日本人は落ち
着きを取り戻し、自分たち固有の歴史を見直すことや、
過去のものを大切に保存したり、修復して再利用すると
いったことに関心を持つようになりました。
遺跡、蒸気機関車、古民家のブーム、またTVのビフォー
アフターによるリフォームの大人気等、それを物語ってい
ます。

タバコ屋の趣味のオクルマの世界でも、同世代の方で
古いクルマを修復、復刻(レストア)して楽しむという風潮
が感じられます。
西欧ではオクルマの歴史が長く、かなり以前からそういう
レストア文化があり、同好の士がクラブを作ったりして
随分盛んです。
(関連記事:復刻と改造参照願います)

またメーカーレベルでも近年、我々団塊世代を当て込ん
でかどうか、過去に生産した名車と呼ばれるものを現代
風にアレンジして再び世に出すという「復刻版」の販売が
見られるようになりました。
新ミニ-12
名車オースチン・ミニを現代風に復刻したBMWミニが皮
切りだったように思うのですがこれが大ヒット、他のメーカ
ーも指をくわえて見ている訳にはいかなくなりました。
Nワン-1
HONDAが発売しヒット中のN-ONEです。HONDAはN360
の復刻版というような言い方をしていますが元N360に乗
っていたタバコ屋としては、メカは言い分ないにしても
デザインに納得がいきません。全体のバランスが悪く、
お顔も間が抜けたようで、自称HONDA-PTA会長として
は残念です。
コンセプトカー
これはHONDAの近未来カーのデザイン習作で未発表の
ものですが、フロントフェイスのデザインはこちらのほう
がN360の現代版としてよほどマッチしていると思うので
すが、皆さんはどう思われますか・・・。
トヨタ2000GT-SEV-1
これは特殊な例ですが、往年の名車トヨタ2000GTを修復
するだけでなく、現代の最先端技術を加えて復刻製作し
た現代版2000GTですが、どうもリチウムイオン電池と
ソーラーパネルを組み合わせ電気モーターで駆動する
EVのようです。
ただしトランスミッションはATでなく6速マニュアルです。
市販を計画しているわけではないのですが、こういう復刻
の方法もあるという事例としてご紹介しました。

話がうんと飛びすぎました。今回のテーマは農業にかかわ
る復刻、修復のお話でした。実はタバコ屋は今、一日の
かなりの時間を農業にそれもみかん農業に割いているの
ですが、タバコ屋、ゴフク屋、果てはスーパー、ホーム
センターをやっている人間が何故全く異分野、異業種の
みかん農業に精を出しているのか、不思議に思われる方
もいらっしゃると思います。
実はウチの本家筋が代々みかん農家で先代はその本家
からウチへ養子に入ったいきさつがあります。
その本家の跡取りである私の従兄弟が7年程前に急死し、
家業であるみかん農業を誰も引き受ける人がなく、タバコ
屋は本家が潰れてしまうのは忍びないと思い、後先考え
ずにという面もありましたが、一面当時タバコ屋はみかん
の販売やジュース製造事業にも乗り出していましたので、
後々ためになることもあるだろうという考えで、管理を引き
受けたのでした。それは甘い考えであったことが後々思い
知らされることになるのですが・・・。
(関連記事:苦渋の選択参照願います)
いよかん園地2
写真はタバコ屋が無農薬で作っているいよかんです。
しかし数年間やってみると、害虫、病気、雑草にやられ
まくりで生産量は激減、写真のように立派なものはあま
りとれなくなりました。何せ引き受けた面積が半端でなく
当初1.5町歩(4,500坪)あり、草刈りだけでも超重労働
でさすがの筋金入り元学ラン体育会もねを上げ、面積を
1町歩余りに削減、それでも全部には目が行き届かない
のにもってきて、近年は広島県の倉橋方面から泳ぎ渡っ
てきたイノシシが異常繁殖し、荒らしまくるようになり、
現在中島の山間部とみかん園地はイノシシに実効支配
されてしまいました。当然無農薬で草の多いタバコ屋の
園地はイノシシの楽園みたいなもので、雑草と合わせて
二大天敵に園地を征服されつつあります。

そのような中、このままでは荒れ果ててしまうと強い危
機感を持つようになりました。そこで今期から除草剤を
使用することにしました。
農業従事の方なら誰でも知っているサンフーロンという
薬剤です。またイノシシの被害を防ぐためフェンスで畑
を囲い込む作業も手がけました。
中島園地風景1
栽培管理を引き受けた当時のいよかん畑です。
いよかんがたわわに実り収穫直前の12月頃の写真だと
思われますが、今後のタバコ屋のテーマはみかん園地
復刻です。

農業後継者の方のように若い時から農業専門学校で学
び、また自分のみかん畑で実務をこなしてきたみかん
農業プロと違い、タバコ屋は小学校時代に理科の実験
でモヤシの発芽を経験したくらいで、基礎知識も技術も
経験もないまま、大面積のみかん栽培に直面した訳で、
目くらヘビに怖じずとはこのことだと思います。
しかし毎日畑に通いだすと素人なりに課題がいろいろ
見えて来るもので、今後いろいろご紹介しながら泣き笑い
の奮闘記をお届けしたいと思います。

長くなりますので今日はこの辺にて。


★★島のタバコ屋の独り言★★
【7月31日:ああ創業100年】 島のタバコ屋、即ち富永呉服店が創業100年を迎えたことは先般お伝えした通りですが、皆さんよくご存知の世界的宇宙物理学者、故ホーキング博士によれば、100年なんて宇宙的時間軸で言えば、一瞬のまばたきに過ぎない訳で「島でのことも夢のまた夢」ということになりましょう。それはともかく4才の頃から道端の草にも「コンニチハ」なんて愛想を振り撒いて来たタバコ屋にしてみれば「店は客のためにある!」以上、未来永劫、店の続く限りそのテーゼを実践し続けるしかないのです。京都で300年続く老舗料亭、老舗呉服問屋もその志があったのかどうか、お聞きしたことはありませんが、当らずとも遠からじではないでしょうか。
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