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伊勢巡礼 vol.1:神々の棲む郷

平成25年7月30日
第62回神宮式年遷宮 御白石持行事】によせて
皆さんは関西方面の方はもちろんのことほとんどの方が
修学旅行等で伊勢志摩方面には旅行された経験がある
のではないでしょうか。ましてやその中心的存在である
伊勢神宮には参拝されていると思います。
タバコ屋は恥ずかしながら行った経験がありませんでし
たがこの度、島の「忽那島八幡宮」の大宮宮司さんより
お誘いを頂き、20年に一度という「遷宮行事」の一環で
ある「御白石持(おしらいしもち)行事」という一種のご奉
仕団に参加させて頂くことになり一度は「伊勢神宮」に行
ってみたいという思いは遂に齢(よわい)60を超えて叶う
こととなりました。
IMG_2517.jpg
ついでに言いますと、このご奉仕に参加出来る方は「特
別神領民」という資格らしく目出度くもあり光栄なことでも
あります。中島から参加するのは20名でまずは松山港
(高浜)にてバスに乗込みます。松山の三津浜地区の方
々20名と合流し、合計40名でまずはフェリーにて大阪南
港に向かいます。
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大阪南港では愛媛県各地その他から続々とお仲間が集
結し、結局バス5台総勢約200名で聖地伊勢へと向かい
ます。
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大阪出発前に中島軍団でまずは出陣の記念撮影となり
ました。幟旗には「忽那島八幡宮 御伊勢宿奉仕団」と
書かれています。
余談ながら「御伊勢宿」という言葉には若干の説明が必
要かと思います。タバコ屋の島、中島の大浦地区で古く
からある伝統行事で、主に新築をされた家やお目出度い
ことがあった家等に伊勢神宮ゆかりの御霊を1年間お祭
りし(御宿)順に次の御宿に引き継いでいくという古式ゆ
かしい行事で、全国各地にあったようですが現在では
中島大浦地区と東北の一部にしか残ってないとお聞き
しています。いわゆるお伊勢講とは別物だと思います。
武田鉄矢2
かつてタバコ屋が若かりし頃、現在の女房殿の実家に
その白羽の矢が立ち、それをTBSだったか民放TV局が
取材をしに来たことがありました。その時のレポーターが
当時駆け出しの武田鉄矢さんでした。中島に泊り込みで
取材し全国放送された訳ですが、恥ずかしながらその時
婚約が決まったタバコ屋カップルもダシにされ、御伊勢
宿なのか婚約発表会なのか何やら分からないようなどん
ちゃん騒ぎだったのを覚えています。昭和50年代初頭の
懐かしくも色褪せたお話です。
香取神宮
余談ながら、大宮宮司はかつて千葉県の香取神宮の神
主補佐的な重要役職をされ、将来を約束されていた超
エリートなんですが、島で神主をされていたお父様が亡
くなられたのを機会にその職を投げ打ってふるさと中島
に帰られました。尊敬に値します。
丁度大宮宮司が島に帰られた頃、その御伊勢宿の存続
が危ぶまれる時がありました。タバコ屋は何かとご縁の
行事であり、また先代が宮司のお父様と同級生で親しく
させて頂いていたこともあり、分不相応ではありましたが、
御宿をお引き受けし、事なきを得ました。それ以来御宿
リレーは順調に存続しています。
IMG_2529.jpg
突然タンタンたぬきの写真で恐縮です。聖地巡礼だけ
では奉仕団が可哀想と旅行社が思ったのか、それとも
単なる朝食場所だったのか、信楽の里にて巨大なたぬ
きさんが出迎えてくれました。
IMG_2534.jpg
朝食会場の「信楽陶苑」さんの左手にはたぬきファミリー
も出迎えてくれました。いきなり今からお土産を買う訳に
もいかないので遠慮がちに用を足し、バスへと乗り込ん
だタバコ屋でした。
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名神、名阪、伊勢道を順調に走行しいよいよ聖地伊勢
に到着です。タバコ屋はつい先日、静岡から愛車フェア
レディZ、別名赤いお嬢ちゃんを駆り元校長の旧友平尾
氏といっしょにこの逆のコースをたどり京都まで帰ってき
たばかりで、懐かしいような嬉しいような気分でした。
(関連記事:京都・静岡巡礼 vol.2:静岡詣で参照願います)
IMG_2541.jpg
神々の棲む郷とはいったいどういうところなのか、タバコ
屋の秘かな期待は、予想を裏切るものではありませんで
した。明日への予行演習の意味もあったのか、まず参拝
したのは豊受(とようけ)大神宮、通称「外宮(げくう)」と
呼ばれるところで、祖神(本尊?)である天照大御神の
衣食住を司る神様を祭る場所だそうです。
蛇足ながら、古来より「お伊勢さん」「御大神宮」などと呼
ばれて来た「伊勢神宮」は「神宮(じんぐう)」というのが
正式名称だそうです。

タバコ屋は不謹慎ながら、衣食住を司ることはよしとして、
神々はトイレはどうしているんだろうと真剣に悩みます。
食べたものは排泄しなくてはならずその場所も必要だと
思うのですが、神様のトイレは見当たりませんでした。
尤も「トイレの神様」という歌は最近大ヒットしましたが・・・。
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その外宮のエントランスゲートである第一鳥居です。この
風景は原宿から表参道を抜けた明治神宮のエントランス
に良く似ていると感じたのですが、皆さんはどう思われま
すか。ちなみにこのゲートに至る道は「表参道」と書かれ
ていました。総ヒノキ造りの極めてシンプルな造形である
この鳥居は各地の神社鳥居の中でも特にタバコ屋のお気
に入りデザインで、その訳は上部両端の反りがあまりなく、
中国朝鮮っぽくなく日本的で、非常に好ましく思います。
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境内各所に置かれている灯篭です。これも社殿、鳥居同
様20年に一度作り代えられるため総ヒノキ造りで地下に
電線が通っていて夜は点灯するようになっています。鳥
居同様シンプルなデザインで静寂かつ清楚で清潔な境
内によく調和しています。

話は脱線しますが、一般の神社には定番とも言える「狛
犬」が伊勢神宮に限ってはどこにも見当たりませんでし
た。やや残念な気もしましたが、鳥居と灯篭がGOODデ
ザインであることにつけ、かえって狛犬などがお座りして
いるのは場違いなような気もしました。とにかくコンセプト
はウッド(木)なのですから。
IMG_2552.jpg
途中神楽殿(かぐらでん)がありました。この建物は他の
一般神社と同様の作りで建て替えはしない恒久的なもの
です。ご祈念のお神楽を行ったりお札、お守りを授ける所
です。
IMG_2556.jpg
いよいよ御正殿(ごしょうでん)と呼ばれる本殿に到着で
す。正面の建物がヒノキの大木で日陰になっており、か
なり苔むした感じですが、奥の本殿はもっとしゃきんとし
ていました。これより中は写真撮影が禁止されているの
で画像でお伝えできませんが、左手奥にまったく同じユ
ニットが作られつつありました。
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タバコ屋が撮影した訳ではありませんが、こういうイメー
ジのものがすぐ隣に作られつつありました。この建築様
式は伊勢神宮独特のものであるらしく、「唯一神明造」
(ゆいいつしんめいづくり)と呼ばれ、キーワードは掘立
柱、切妻、平入、千木、鰹木、であり1,500年以上にわた
りオーセンティックな伝統建築様式を守っています。
ルーツはいにしえの弥生時代の穀物倉庫であると言わ
れています。そう言われてみれば清楚なデザインにその
なごりが見られますがどう見ても西洋式の神殿というイ
メージではないです。
伊勢神宮1-1
20年ごとに社殿を新築し御遷宮を繰り返すというしくみ
は一見勿体ないようですが実はそこに壮大なドラマとも
言えるリサイクルシステムが隠されているのです。

まず植林によってヒノキの森を作り、その森が水を含み
ろ過し、清浄な水を野に放つことで田畑を潤し民の生活
を支え、また海に至り海藻や魚介類を育くみ、最後はヒ
ノキの材となって神宮の造営に役立てるというものです。
それは気の遠くなるような悠久の時間の中で静かに着
実に行われてきた営みで湿潤な日本風土の特徴を生か
した循環システムでありそのシンボルとして「伊勢神宮」
があるのだと思います。この世界にも類のないシステム
のテーマは「永遠」であり、20年に一度生まれ変わるとい
う発想が基本になっています。

世界中の古代神殿建築を見てもオリジナルの原型を留
めまた維持出来るシステムを備えた神殿は「伊勢神宮」
のみだそうです。そう言われれば世界の古代神殿は遺
跡ではあるもののかなり崩壊しているものが多く伊勢神
宮のように現役パリパリではありません。
IMG_2560.jpg
「外宮」参拝を終え、「別宮」と呼ばれ宮域内に広く散在
している八百万の神々を訪ねます。まずは風の谷のナ
ウシカならぬ「風宮」(かぜのみや)です。あまり意味も
わからないまま二礼二拍手一礼をして早々に退出しま
した。
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次は「土宮」(つちのみや)です。これらの建物もこの度の
遷宮ですべて作り代えられるのだろうか。
IMG_2564.jpg
別宮最後は「多賀宮」(たかのみや)です。宮域の小山の
頂にあり大行列にて、意味もよくわからず遥拝致しました。
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かなり神様づくしとなり、ある方は西行法師のごとく「何ご
とのおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼる
る」状態となり、またある方はやや神のパワーに食傷気
味となったようです。タバコ屋は両方の気分がしないで
もなかったですが・・・。
ややお疲れ気味のところで癒しのスポット「せんぐう館」
がありました。ここは休憩と「遷宮」についてのわかりや
すいプレゼンテーション展示場を兼ねた施設でした。
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館内に入るとまず目に入ったのが「瑞穂の国」という言
葉です。これは日本という国のアイデンティティを示す言
葉でもあり、はるかないにしえ、1万年の縄文時代を経て
中国雲南から揚子江を下り杭州より日本に伝わったと考
古学的に推察されている稲作文化を表すものでもあり、
伊勢神宮の営みを説明する「基本理念」とも言えます。
日本は弥生以来「稲作の民」となったのです。
IMG_2573.jpg
瑞穂の国のイメージをわかりやすく写真パネルで表現し
ていました。ここからはおおらかな天地創造物への畏敬、
自然の恵みへの感謝といった神道の根っこのようなもの
が自然と醸成されていったのではないでしょうか。その
また根っこははるか中国の雲南の辺りに同様の思想、
文化があるやも知れません。
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また館内には御正殿の精巧な模型や実物大の建物の
一部も展示されており、遷宮のことがよくわかるようにな
っていました。
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池には雅楽または神楽の奉納舞台がしつらえられてい
て心休まる清浄な環境がしつらえられており、タバコ屋
の高揚した気分をしばし鎮めてくれることになりました。

しばらく休憩の後、次は二見ヶ浦浜参宮へと向かうので
すが、今回外宮のことでかなり長くなりましたので、その
ことはvol.2にてお話したいと思います。

(尚、写真の一部は伊勢神宮広報本部発行の冊子より流
用させて頂きました。また歴史や宗教観についての記述
はタバコ屋の個人的見解であることをご了承願います。)


感性の限界

平成25年7月20日
閲覧7,000人突破記念号
博多・熊本巡礼でやや疲れたので、ここはコーヒータイム
ということにしたいと思います。
かつてタバコ屋が若かりし頃、排気ガスに含まれる有害
物質をめぐって世界中の自動車メーカーが死に物狂い
の戦い(排気ガス浄化競争)を繰り広げたことがありまし
た。
ホンダシビック7-1
その時彗星のごとくデビューし世界をアッといわせたのが
我がHONDAのCVCCエンジンでした。シビックとアコード
に搭載され一世を風靡したことはタバコ屋世代の方々に
は印象深い出来事と思います。
(関連記事:鈴鹿サーキットのこと VOL.3:混迷期参照
願います)
アコードハッチバック3
今再び燃費競争という熾烈な(ある意味バカげた)競争
が繰り広げられようとしています。先般の記事でも申し上
げた通りシステムとしての当面の本命はハイブリッド
あることが明白になりつつあります。最大の理由はガソ
リンスタンド等既存のインフラがそのまま使えて、しかも
電気自動車の機能を持ち、現状の燃料エンジン車よりも
高性能、省燃費を実現出来ることでしょうか。タバコ屋は
現実を無視して言うならば水素エンジンが理想のシステ
ムだと思います。なぜなら水素を燃やして走行し排出され
るものは水だけというクリーンシステムだからです。
ま、そのことは置きましょう。
(関連記事:紅茶とハイブリッド参照願います)
プリウス2
第一ステージはトヨタがプリウスの投入によって圧倒的
勝利を収め、続いて第二ステージはアクアの投入により
さらなる勝利を収めつつあります。一方HONDAは指をく
わえていた訳ではないのですが、ここにきてインサイトご
ときではかなわないと判断し、主力車種アコードであっと
驚く燃費30km/Lを実現しました。またそれを皮切りとして
今後の燃費競争においてかつてのCVCCエンジンの如く
圧倒的な優位に立つべく研究開発が進められてきました。
新型フィット18
その成果の第二弾として満を持して発売しようとしている
のが新型フィット(3代目)です。
燃費は何と36km/Lだそうで、タバコ屋のフェアレディZと
比べると(比べる意味はないですが)何と6倍の燃費効率
です。現在全世界においてNO.1の燃費であり、ホンダの
伊東社長が「超気持ちイイ!」と仰ったかどうかは別にし
て世界のトップランナーに踊り出たことは間違いないです。
新型フィット21
メカはすごいです、いいです。デュアルクラッチ7段変速と
言われても、タバコ屋は大学工学部出身ではないので
わかりません。ただポルシェ、アウディはそのデュアルク
ラッチを最近売り物にしているくらいは知っています。
ミッションの中にはモーターも組み込まれていて、走行は
もちろん、減速時に電気を発電する機能もあるらしくて大
変効率がいいようです。もっともこのメカは4~5年前から
F1で先行開発され実戦使用がされてきました。
エンジンはアトキンソンサイクルというメカを新規採用した
もので排気量は2代目同様1.3Lと1.5Lがありハイブリッド
は1.5Lに適用されるようです。
新型フィット13
ここでアトキンソンサイクルという耳慣れないコトバが出
ました。タバコ屋はやはり工学部出身でないのでうまく説
明出来ませんが、要するにエンジンの基本構造はいっし
ょながら、燃焼行程とか内部をいじってより少ない燃料で
同等出力を出せるという燃費向上狙いの省エネシステム
だそうです。それでもパワーが足りない場合は電気モー
ターが補ってくれるというしかけで、驚異的な燃費達成の
為のギミックと言ってしまえばそれまでなんですが・・・。
走りはパワー十分で大変なめらかだそうでこのシステム
が有効に働いていることを物語っています。
蛇足ながらかつてのCVCCエンジンは排気ガス浄化がテ
ーマでしたが今回のハイブリッドシステムは省燃費がテ
ーマなのです。時代変われば品変わるということでしょ
うか。
(写真はエンジン・ミッションのカットモデルのようです)
新型フィット19
問題はコンセプトとデザインです。コンセプトはどうでしょ
うか。多分キープコンセプトだと思います。パッケージン
グにおいて何も目新しいものは見受けられません。コン
パクトクラスの世界戦略車であるため、機能を突き詰め
ていけばこれ以上いじりようがないのかも知れませんが、
かつてジウジアーロがデザインした初代ゴルフやフィアッ
トパンダがデビューした時のような新鮮な驚きは感じられ
ません。タバコ屋が年を取ったせいかも知れませんが、
今回のモデルチェンジはパッケージングのさらなる熟成
とハイブリッド技術の飛躍的な進化がキモだと思います。
新型フィット6
デザインはどうでしょうか、ここだけの話ですがどうもこの
フィットはHONDAのスポーツカー次期NSXをデザインした
チームが担当しているらしく、トップの肝いりで新しいHO
NDAデザインを模索しているようです。確かに今までより
はやや目新しさが感じられるようですがタバコ屋がいつ
も苦言を呈しているガンダムゴテゴテ路線はあまり解消
されていないようです。どうしてもっとシンプルにしかも
塊感がありかつダイナミックなデザインが出来ないのだろ
うかと思います。デザイナーと言えどもチームで動いてお
り、諸々の制約はあるでしょうが、そこにタバコ屋は日本
メーカーに対する感性の限界を感じているのです。
アウディA1-1
一例を挙げますとタバコ屋のお気に入りのデザインの一
つであるアウディA1です。申し上げている意味がわかっ
て頂けると思いますが、確かにアウディにも引きつりお
目々やパックリお口等、品性を欠く部分があるのは事実
です。何もアウディを真似ろと言っているのではなく、ゴ
テゴテ飾らなくてもユーザーを感動させるデザインは出
来るという事例です。
フェアレディZ2
自称HONDA-PTA会長のタバコ屋がもし伊東社長だった
としたら、まずあの不細工な次期レジェンドを何とかしろ
と叱っておき、返す刀で何の迷いも躊躇もなく初代フェア
レディZをデザインした松尾良彦氏(タバコ屋のお気に入
りのデザイナーの一人)を招聘し、松尾さん、社内で摩擦
起してもいいから思う存分やって下さいとお願いするとこ
ろです。もっともその前にそもそも次期NSXのデザインは
松尾良彦氏に依頼していると思います。
新型フィット2
新型フィットのコクピット周りです。確かにモダンで機能的
にデザインされていると思うのですが、これなら何も次期
NSXのデザイナーを呼んでくる程のものではないような気
もします。ただ以前よりは断然いいのは認めます。
新型フィット14
そうは言ってもリッター36kmというすごいメカを引っさげ
ての登場ですので、デザインをあまりくさすのも酷かも知
れません。
タバコ屋が若かりし時は、始動時には水、オイル、バッテ
リー等点検した後、乗り込んだものですが、いくらメンテ
ナンスフリーとは言え昨今はブラックボックス化しており、
触る気も起きません。
新型フィット12
HONDAのハイブリッド技術にはアースドリームスという
名前が付けられているようですが、これももとを正せば数
年前F1に参戦していた頃、開発コンセプトとして使ってい
たコトバです。
アースドリームスF1-1
この時は時代が早すぎてもう一つ何を言っているのかわ
からない面があり、F1の成績も最悪でどうやっても勝てず
HONDAも悔しかったとは思うのですが、今振り返るとアー
スドリームスと言うコンセプトは一般の理解と共感を得て
いなかったと思います。
新型フィット10
バッテリーは従来のニッケル水素電池からリチウムイオ
ン電池に変更され容積は同じで蓄電能力が約2倍になっ
ているそうです。これらハイブリッド技術にまつわる、駆動
システムと蓄電池の進化は留まるところを知らず、タバコ
屋などのついていける世界ではありませんが、再びこの
カテゴリーで世界のトップに立ちつつある日本の技術を誇
りに思うと共にデザインでも世界のトップランナーになって
ほしいものです。
新型フィット20
ついでながら、新型フィットは次期NSXをデザインしたチー
ムが手掛けたと申しましたが、フロントグリルスカート部
両サイドの空気取り入れ口のデザインにNSXとの共通性
が見て取れます。これはこれでダイナミック感が表現され
ていて好感が持てますが、お顔は2代目に比べて個性が
薄れフィットのアイデンティティがやや失われたと感じるの
ですが、皆さんどう思われますか・・・。
新型フィット26
写真は新型フィットの中でも最もスポーティな1.5-RSです。
新開発の1.5L-4気筒直噴DOHCエンジンは、最高出力の
132馬力を発揮しマニアックな高性能仕様となっています。

いずれにせよ、タバコ屋がどう言おうとまたもやベストセ
ラーとなるのは間違いなく、トヨタ、ホンダの大激突が再
び始まろうとしています。

(尚、写真の一部はカービュー等より引用させて頂きまし
た。メーカーの思惑等の記述はあくまでもタバコ屋の個
人的見解であることをご了解願います。)


博多・熊本巡礼 vol.3:蒙古襲来

平成25年7月17日
作家の司馬遼太郎さんは10年の歳月を費やして長編小
説「坂の上の雲」を描かれました。皆さんご存知のように
明治30年代、当時南下政策と領土拡大政策により中国
東北部、朝鮮に迫り摩擦を起しつつあったロシアに対し
このままいくとやがて日本も侵略されるのは目に見えて
いました。そのような緊張状態の中、明治37年日露戦争
が勃発した訳です。
日露戦争3
日本は極端な国力の劣勢にもかかわらず旅順、奉天等
旧南満州での戦いで勝利というよりは何とか負けずに踏
みこたえました。日本で最初に西洋式の騎兵隊を作った
秋山好古は当時最強と言われたロシアのコサック騎兵を
相手に勇敢に戦い勝利に貢献しました。
(戦後は栄達をきらいふるさと松山に帰って県立師範学校
現在の松山北高校の校長先生になりました。欲のない方
でした)
日露戦争5
これは旅順攻略のための203高地争奪戦において苦戦す
る乃木将軍を見かねた児玉源太郎が進言し、国内にあっ
た28センチ榴弾砲を急遽203高地麓に持ち込み難攻不落
のロシア地下要塞を木っ端微塵に打ち砕き日本軍を奇跡
の勝利に導いた貴重な写真です。
(関連記事:203高地参照願います)
日露戦争8
またそれに続く日本海海戦では世界の海戦史に残る圧
倒的な勝利を収めました。参謀秋山真之が練りに練った
T字戦法は東郷元帥との綿密な事前の協議により大成功
を収め、またその他諸々のプラス要因によりはるばるロシ
アから太平洋を経由して日本にやってきた当時世界最強
と言われたバルチック艦隊を撃破し全滅させました。

当初は強気だったロシアもこれにより戦意を打ち砕かれ、
結果はアメリカの仲介で停戦、日本の勝利となったので
すが実際はこれ以上戦う資金も兵士も武器も残っておら
ず薄氷の勝利だったと言われています。

司馬さんは小説のあとがきで日露戦争はロシアに対する
危機感からやむなく戦った祖国防衛戦争だったと述べて
いますが、その後の太平洋戦争に至る軍部の膨張と暴走
については、国民共々に自国の実力を過信した大きな過
ちであったと大変厳しい評価をされています。
元寇1
さて蒙古襲来いわゆる元寇ですが、はるか鎌倉の世に
起こった出来事で、時代は異なるもののその性格、内容
は日露戦争と同様に祖国防衛戦争だったと思うのです。
当時中国は落日の宋に取って代わりモンゴル民族の元が
中国だけに留まらずユーラシア大陸の広範な地域を支配
下に置き世界最大の帝国を築きつつありました。宋は圧
迫され南宋へと追いやられまた朝鮮も高麗が元の属国と
なっていました。
元寇11
元の皇帝クビライは黄金の国ジパングに対し朝貢貿易
(事実上の属国化)を持ちかけ拒否した場合は武力行使
をするぞと脅しの国書を届けました。当時日本は南宋と
友好関係で貿易も盛んであったことから、日本を叩けば
頑強に抵抗していた南宋も陥れることが出来ると考えた
訳です。

話は脱線しますが、元横綱朝青龍に似た元の皇帝クビラ
イの顔についてなのですが、とにかく体全体に対して顔
がスルメイカみたいに平た大きく、目は一重で横長、鼻、
口は小さめ、耳は福耳で大きく体毛は極めて薄いのが特
徴です。(モンゴル人は日本人成年男子には一般的な脛
毛というものがほとんどありません、ツルンです)
しかし遊牧騎馬民族ゆえ小さい頃から馬に親しみ、俊敏
かつ強靭で粗食に耐え、持久力がありました。また性格
はややファニーな顔に似ず、冷酷無比で敵と見れば容赦
なく残忍な方法で殺害し尽したので空前絶後の世界大帝
国が生まれたとも言えるのですが、そのモンゴル遠征軍
によって蹂躙された東ヨーロッパでは今でも悪魔のような
モンゴルの恐怖が語り継がれているそうです。
元寇12
当時の幕府、鎌倉北条氏は北条時宗を執権として擁立し
日本の未来を託しました。若干18歳にして執権(宰相)と
なった時宗のやったことは、ブレーンの進言もあったもの
の若者らしく過激なもので、まずクビライの国書を無視した
上、国使を斬殺(国際ルールでは無謀)するなど、抗戦の
意思を明確にしたものでした。
元寇9
本当は遠征などしたくなかった高麗(その訳は実際遠征と
なった場合、軍船から兵士からすべての調達は高麗の負
担となるためでした)は、日本の過激な返答をのらりくらり
と隠蔽していたのですがしびれを切らしたクビライの知る
ところとなり当然激怒し、即刻、日本討伐遠征(元寇)を命
令したのでした。
いやいやながらもへたをすると自国を滅ぼされるかも知れ
ない高麗はクビライの絶対命令により、漢軍、満州軍、高
麗軍の混成部隊約4万で急遽日本討伐の大艦隊を編成し、
手始めに半ば無防備の対馬、壱岐を蹂躙した後、博多湾
へと押し寄せました。蒙古襲来第一弾、1274年のいわゆる
文永の役です。
元寇15
迎え撃つ日本は、蒙古襲来の事前情報はおおむね察知し
ていて各地の御家人が博多周辺に集結し、勇猛果敢に戦
ったのですが元軍が集団戦法で組織的に行動したのに対
し、日本は古式ゆかしい個人戦法で名乗っている間に矢で
射抜かれるという半ば滑稽な展開でしたが、日本軍も勝手
が分かってからは敵の将校を正確に弓矢で狙撃して混乱さ
せるなど防戦に努めました。
元寇7
苦しい展開を余儀なくされた原因の一つは武器性能の差
にあり、写真の蒙古軍(実際は漢、満州、高麗軍)の弓矢
の射程距離が200mであったのに対し、日本軍は100mだっ
たそうです。(諸説あり日本の方が正確でよく飛んだという
説もあります?ただ威力という点では日本の弓矢のほうが
数段勝っていたようで日本の弓矢は一発必殺型であった
と言えます。)
また蒙古軍の弓矢の先には毒が塗られており、かすり傷
であっても致命傷になる場合があったようです。さらに
てつはう(鉄砲)などという手榴弾のようなもので馬を驚か
せ日本の騎馬武者を混乱させたりもしました。

しかしどういう訳か、蒙古軍は博多一帯に上陸後さんざ
ん狼藉を働いた後、夕刻には沖の船にさっさと引き上げ
てしまいました。日本軍も負けてはおらず小船で奇襲攻
撃をしかけたりして奮戦したものの一夜明けてみると蒙
古軍の大艦隊はもぬけの殻となり一艘もいなくなってしま
ったのです。一般には神風が吹いて全滅したと言われて
いますが、それは間違いで文永の役では神風は吹かず、
蒙古軍が勝手に引き上げたというのが真相で、その帰途
に暴風雨にあい自滅したようです。蒙古軍にしてみれば
小手調べの前哨戦の意味だったのかも知れません。
元寇8
一難は去ったものの、こんなものでは済まないぞと思った
鎌倉幕府は御家人に命じて博多湾一帯に堅固な防塁を
築かせました。それに伴い北九州から周防(山口)に至る
広域の防衛戦線を構築し迎撃体制を整えつつありました。
その幕府の予測どおりその7年後、今度は漢軍、満州軍、
高麗軍の混成部隊である東路軍約5万に加え、元に滅ぼ
された南宋の敗残兵部隊からなる江南軍約10万が2方向
から押し寄せました。蒙古襲来第二弾、1281年のいわゆる
弘安の役です。
元寇4-2
前回の戦のやり方などについて苦い経験をもとに作戦の
変更が行われ、また今回は防塁も完成し、どこからでも
掛かって来いといった感じで各々御家人が防塁の上や前
部に陣取り、待ち構えています。
ややビロウな話で恐縮ですが、タバコ屋がかつて足繁く通
い15万人がひしめきあった鈴鹿F1-GPで仮設トイレが大繁
盛で大行列が出来、中々用を足せなかった思い出から、
この戦では双方どのように用を足していたのか気になると
ころです。その最中に弓矢で射掛けられたりしたらたまった
ものではないですよね。イクサウンが尽きたりして・・・。
笑えない話です。

余談になりますが我が松山(伊予)の名誉のために申し
上げますと、伊予の御家人河野通有も馳せ参じていて、
防塁をバックに布陣し勇猛果敢に戦ったとか(当然中島
の忽那水軍も同行したはずなのですが、タバコ屋の不勉
強にて事実関係は検証出来ていません)
元寇6
前回と異なり、圧倒的な勢力で押し寄せたのですが、15
万と言っても、戦闘兵士は6万ほどでそれに対し日本は一
説によると戦闘勢力10万であったと言われ、武器の優劣
はあるにしても今回は蒙古軍も苦戦を強いられました。
おまけに夜になって舟に引き上げると今度は日本軍の小
船による夜襲があり、蒙古軍はおちおち眠れなかったよう
です。また江南軍10万と言っても、実質は日本と仲の良か
った南宋が元に滅ぼされた結果の敗残兵の集団みたいな
もので、戦闘意欲は低かったようです。もし侵略が成功し
た時のために農機具等が沢山積まれており、敵地に集団
入植させ屯田兵として日本に住まわせる計画だったようで
す。

双方様々な戦略、思惑が飛び交ったなかで、今度は本
当に神風と称する暴風雨が発生し、蒙古軍は一夜にし
て全滅、4,000艘余りが海のもくずと成り果てました。
その後もクビライはあきらめるどころか次の遠征を計画
していたらしいのですがクビライの死によって元寇プロジ
ェクトは終わりました。まるで後日秀吉の起した朝鮮出兵
と同様の結末となったのですが、結果として日本は勝利し
、いわゆる神国不敗神話なるものが生まれました。
元寇16
当時、日本国内の名だたる社寺仏閣では蒙古軍撃退の
ための祈祷の類が行われ、勝利の結果自分のところの
祈りが届いたのだといった鎌倉への恩賞要求が多発した
そうです。また当然のことながら手柄を立てた武将は鎌倉
に恩賞を要求しましたが幕府はそれに対し十分なねぎら
いが出来ず、不満を残すとともに出陣や防塁構築の費用
は実質的に御家人のボランティアに近い結果となり、御家
人自身の疲弊を招きました。

以上日本には過去2度にわたる「祖国防衛戦争」があった
と思うのですが、今回太宰府天満宮を訪問するにあたり
元寇の史跡を訪ねる時間はなかったものの、蒙古襲来の
ことが気になり、付録として記事にさせて頂いた次第です。

(尚、写真と歴史記述の一部はウィキペディアより引用させ
て頂きました。歴史の記述で記憶違いがある場合はお許し
願います。)


博多・熊本巡礼 vol.2:豪雨の熊本城

平成25年7月10日
研修旅行2日目は博多を出発、九州自動車道を一路南
下し、筑後川の両側東西に広がる広大な平野部の東端
をかすめ、お茶の産地で知られる八女(やめ)インターで
高速を降り西へ、水郷「柳川」へとやってきました。
IMG_2443.jpg
実は八女インターを降りてすぐのところには筑後市市役
所のある羽犬塚があります。羽犬塚は東西南北交通の
要衝として宿場町を形成し古き昔より栄えてきました。
戦時中は大牟田の三池炭鉱に従事する勤労兵士の前
線基地としての役割も果たしました。
羽犬塚駅
羽犬塚という変わった地名の由来は秀吉が天下統一の
ため九州遠征を行った時、この地で羽の生えた犬のごと
く強い勢力の抵抗に会いやっとの思いで征伐したものの
その勇猛さを称えて塚を作ったと言う説と、秀吉が可愛が
っていた愛犬がこの地で死んだのでそれを悼んで塚を作
ったという二つの説があるようです。
羽犬の像
タバコ屋が羽犬塚のことを持ち出すには2つの理由があ
ります。一つは先代が勤労兵士として徴用され三池炭鉱
の石炭掘りに従事し短期間ながら羽犬塚に滞在していた
ことです。先代は幼い頃牛に与える草を押し切りで切って
いる最中に誤って右手の人差し指を切断し、徴兵検査に
兵士としては合格しませんでした。同年配の方々は相当
数が戦死していますので、このことが九死に一生を得る
こととなりました。災い転じて・・・の一例です。

もう一つはタバコ屋が過ごした同志社大学自動車部の同
期生SU君がこの羽犬塚で先代より続く製麺業を手広くや
っており、2回ほどお邪魔した事もあるのです。彼のことに
ついては度々ブログに登場頂いていますがその彼も40年
越しの執念が実り、最近あこがれのポルシェを手に入れ
ました。
IMG_5013-3.jpg
ポルシェ911カレラ4S(四駆)です。パワーは400馬力近く
あり、タバコ屋が同乗してビビッたことはすでに述べました。
走るヒコーキとも呼べるマシンです。願わくば福岡県警の
高速パトカーさん達とは仲良くしてほしいものですが、果た
して彼にアクセルを踏みすぎない辛抱が出来るかどうか・・。
(関連記事:荒ぶる心 vol.5:ポルシェのこと参照願います)
柳川の途中で随分脱線してしまいました。本当は彼にも
会いたかったのですが団体行動中のため、我儘は控え
ました。
IMG_2444.jpg
同行の総代さん仲間が先行していますが、優雅な柳川の
川下りを楽しみました。尤も下るというよりはお城の掘割
を縦横に巡って行ったという感じでしょうか。随所に北原
白秋の歌碑とかが配置されていて、風情ある舟遊びを
満喫しました。この後の昼食は川舟屋さんの経営する店
で、柳川のどぜうならぬ鰻重を頬張りました。
何とか持っていたお天気もここにきて急速に崩れだし雨
模様となりました。今来た道をUターン、再び八女インター
から高速に乗り、目指すは熊本です。
IMG_2446.jpg
まずは水前寺公園に到着です。雨の中ユルキャラのくま
もんが出迎えてくれました。昨今ユルキャラブームでつい
このあいだも全国ユルキャラコンテストで我が愛媛今治の
バリーさんがこのくまもん等強豪を押さえ見事優勝致しま
した。ただしタバコ屋はこのユルキャラブームにはやや否
定的です。三越のライオンは重すぎるにしてもユルキャラ
は何やら軽薄で・・・。
IMG_2447.jpg
熊本のご当地名物の一つが「からし蓮根」だそうで、熊本
藩主細川忠利公の時代、病弱な御殿様に元気になって
もらおうと当時の殿中お抱えシェフが考案したアイデア食
品らしく、蓮根の穴に辛子味噌を詰め、衣をつけて揚げた
ものを献上したところ、御殿様は大層喜ばれたとか。
辛子蓮根4
先般の梅ヶ枝餅にしてもからし蓮根にしても元々は上流
階級(ハイソサエティ)が食していたものが、時を経て庶
民のものとなりやがてそれがまことしやかな物語を伴った
名物となる訳で、毎回くどいようですがそれがブランドとい
うものでしょう。
タルト6
ついでながら、我が松山ではやはり「タルト」でしょうか。
尤も本来のポルトガル語のタルトというスイーツはあのよ
うなロール巻きではなく平らなパイなのですが、アレンジ
の名手、我が日本人、殊に伊予の国のお殿様はフルーツ
パイをあんこロールケーキに変えてしまったという、ウソ
のようなほんとの話でこれもある種のブランドに繋がるお
話です。
IMG_2449.jpg
タバコ屋にとっては、あまり興味のない立派なお庭を巡回
見学したのですが、この庭園の池の水源が阿蘇山に源を
発する白川の伏流水で賄われていることを知り、水前寺と
いう名前の意味が若干理解出来たような気がしました。
全然関係ない話ですが、ご当地出身の水前寺清子さん、
今頃どうしているんだろう。
IMG_2450.jpg
代々細川家をお祀りする出水神社です。タバコ屋お気に
入りの神田明神の本殿ともよく似たデザインの神社本殿
らしい建物です。ご存知のごとく西南の役でこのあたりは
戦場となり、元の建物は焼失しましたが、明治以降地元
の有志により再建がなされました。
只今、メイドイン中島の総代有志の方々が参拝中です。
一番後方のお方はタバコ屋の隣の島で神主さんをされて
いる総代M氏だと思われます。

さて最高の舞台は最悪の豪雨の中に準備されていまし
た。「雨は降る降るズボンは濡れる、登るに登れぬ熊本
城」字余り。
IMG_2454.jpg
とにかく最悪でした。止む気配のない豪雨なのです。押す
も引くもままならず、一気に敵陣突破を試みた結果全身
ズブ濡れという結果となりました。
IMG_2459.jpg
日本三大名城(大阪城、名古屋城、熊本城)に数えられる
城郭で惚れ惚れするほど端正かつ質実剛健な外観です。
タバコ屋は個人的には大阪城が好きで、その理由はデザ
インの美しさもさることながら、熊本城が機能一点張りとい
った感じなのに対し、大阪城は城郭+宮殿(パレス)といっ
た華やかな趣があることでしょうか。
蛇足ながら皆さん傘をさされていますが、ドシャ降りでほと
んど意味がなかったように思います。

皆さんご存知のように、この城は築城の名手でもあった
加藤清正が27歳の時に秀吉から熊本の領主を拝命し、
その後7年余りの歳月をかけて今まであった城を改良及
び増新築し難攻不落の名城を作り上げたと言われてい
ます。ちなみに日本の三大名城の造営はすべて加藤清
正が関わっており、築城の天才と言われる所以もその辺
にあります。
IMG_2462.jpg
天守閣入口です。幕には左側に辛子蓮根のような細川
家の家紋(九曜紋)が入っており、右側には加藤家の家
紋(蛇の目紋)が入っていました。なるほどと一人納得し
て門をくぐりました。

加藤清正が親子二代にわたって熊本を治めた後、徳川
の世となり関が原の戦いで戦功のあった細川忠興(その
奥さんはかの有名な細川ガラシャ夫人)の子、細川忠利
が後を治めることになったものの、加藤清正があまりにも
偉大であり名声が高かったため、細川忠利が熊本に入所
する時は加藤清正の位牌を先頭に高々と掲げて当時の
領民の反感を買わないよう腐心したという逸話が残って
いる程です。
IMG_2465.jpg
本丸に隣接する本丸御殿の一部が最近レストア(修復)
され平成20年に完成し一般公開されました。
タバコ屋も含めて、皆さん勘違いされる面があると思うの
ですがこういう場所に御殿様が日常住まわれていたんじ
ゃなかろうかと思うのは大間違いで、こういった場所は行
政(謁見とか)の場であって暮らしの場所ではなかったと
いうことです。いくら御殿様とはいえ、こういう場所では
くしゃみも、あくびもしずらかったはずです。この部屋は
豊臣家の忠臣であった加藤清正が秀吉の子、秀頼公を
お迎えすることのみに造ったとされる謁見の間です。
IMG_2469.jpg
復元された本丸御殿廊下の襖戸(板戸)です。謁見の間の
襖絵や天井画、この襖絵にしても当時の狩野派お抱え絵
師といった匠が精魂傾けて描いた作品に違いありません。
尚、余計な事ながらこの絵は違う柄が表裏に描かれており
今風に言えばリバーシブルといったところでしょうか。

しばしの間、豪雨を忘れ、説明員の方の解説(例えば謁
見の間に描かれている中国の故事を題材にした絵物語
等)を熱心に聞き入っていたところ、総代さん仲間とはぐ
れてしまい、皆をバスで待たせるハメになってしまいまし
た。ズブ濡れの上塗りにて集合場所までダッシュしたの
は言うまでもありません。
西郷隆盛1
余談ながらタバコ屋の好きな司馬遼太郎さんの作品で
NHKの大河ドラマでも放映され、西郷隆盛を中心に維新
の激動期を描いた長編小説「翔ぶが如く」に明治10年、
西南の役における熊本城の争奪戦や田原坂の攻防戦が
描かれていますが、司馬さんご自身は、元帝国陸軍戦車
隊の青年将校だった経験から、薩摩軍は何故戦略的に
は占領する意味のなかった熊本城の攻防戦に多大な犠
牲を払い、東上して江戸を目指すという大目標を優先しな
かったのかと、批判的に述べられています。当時の薩摩
軍にとって熊本城はそれほどまでに魅力的だったのかも
知れません。

熊本城の攻撃に手を焼き失敗した結果、それ以降は東上
どころか敗走へと反転し、ふるさと鹿児島へ辿りついたも
のの最後は悲惨な玉砕敗北という結末になったことは国内
最後の内戦史として皆さんよくご存知のことだと思います。

説明員さんの解説をお勉強しすぎたタバコ屋は濡れ鼠に
なりながらも充実した熊本城見学を終えることが出来まし
た。その後、一路熊本市内のホテルへと直行し濡れた体
を休めた後、夜は博多に続き「翔ぶが如く」の楽しいひと
時を過ごすことになりました。宴の後は近くの繁華街に出
かけ夜の銀ブラならぬ熊本ブラを楽しみました。

熊本は我が松山にもご縁の深い夏目漱石が、若き日を
英語教師として過ごした地でもあり、そのことにも触れた
いところですが皆さん気が散るでしょうから今回は熊本城
のことだけに留めます。
またタバコ屋の母校である同志社大学の草創期に熊本
バンドとして上洛し、若き新島襄、八重夫妻のもとで同志
社英学校に学んだ明治の著名な思想家徳富蘇峰、及び
小説家徳富蘆花兄弟のことも書いてみたい気もしました
が夏目漱石と同様の理由にて今回は控えることにしまし
た。
IMG_2477.jpg
3日目最終日は、ただひたすら今来た道を帰るだけのコー
スでしたが、九州自動車道での帰路、山田SAにおいて敷
地一面にソーラーパネルが設置されていました。建物の
屋上も含めこの装置でSA全体の電力を賄えるのだとか、
時代は変わりました。
IMG_2423.jpg
最後の昼食は再び湯の町別府温泉に立ち返り、食事と
お土産の定番コースとなりました。タバコ屋は土産物屋
でなく普通の店で買い物をしたい方なのですが、バスガイ
ドのTさんがザビエルというお菓子を勧めるものですから
少し買いました。
蛇足ながら私の叔母と従兄弟が住む京都長岡京市のお
菓子屋さんには細川家ゆかりのガラシャ夫人にちなんだ
ズバリの名前のお菓子があります。尤も今回の旅行には
関係ないことでしょうが・・・。

2泊3日の小旅行ではありましたが楽しい思い出が出来、
勉強にもなりました。旅行社のヤリ手添乗員さんのNさん、
ドライバーのSさん、ベテランバスガイドのTさんには感謝
致します。

ついでながらタバコ屋一行の乗って行った大型バスの排
気量って皆さんご存知でしたか。何と13リットルだそうです。
おそらくV8エンジンだと思うのですが、零戦の排気量の約
半分です。ドライバーのSさんに車検証見せてもらって確
かめました。Sさんも今までのお客さんでバスの排気量聞
かれたの初めてですわと苦笑いされていたようで、旅とは
関係ないことにこだわるタバコ屋ではありました。

(尚、写真の一部はウィキペディアより引用させて頂きました。
歴史の記述で記憶違いがある場合はお許し願います。)


博多・熊本巡礼 vol.1:大宰府界隈

平成25年7月7日
「♪ささの葉 サラサラ のきばに ゆれる
 お星さま キラキラ 金銀砂子(すなご)」
七夕1
今年も七夕の季節です。情緒ある夏の風情ですが昨今
は早々と台風がやって来たり、豪雨が襲ったりで現実は
深刻です。
さて今回、中島大浦地区の総代(地区長のようなもの)を
拝命したことはすでにお話しましたが、中島6つの島の各
地区総代(正副で34名)が交流を深めるため九州へ研修
旅行に行くことになりました。コースは佐賀関~別府~太
宰府~博多~柳川~熊本~別府~佐賀関で2泊3日の
小旅行となりました。
IMG_2414.jpg
まずは松山より海岸沿いを走行し四国の西端、佐田岬
半島の先っぽに近い三崎という港にやってきました。
IMG_2412.jpg
ここから九州の佐賀関行きのフェリーに乗船しました。
約80分の船旅です。交流研修はアルコールがないと出
来ないのかどうか船内ではさっそくビールが振舞われま
した。
IMG_2417.jpg
東西に長く伸びる佐田岬半島の先端部をかすめながら
一路佐賀関(さがのせき)に向かいます。見えにくいです
が、尾根にそって白く建ち並んでいるのは風力発電用の
プロペラです。このあたりは風が強く、半島全域にこのプ
ロペラを設置すれば地域の電力は大半賄えるのではな
いかと潮風に煽られながらぼんやり考えていました。
IMG_2421.jpg
間もなく佐賀関に到着です。後ろに見えている煙突は佐
賀関で産出する銅鉱石の精錬所の大煙突で高さ約200m
あり、佐賀関のシンボルともなっています。またこの一帯
で獲れるサバ、アジは高品質で関サバ、関アジのブランド
でつとに有名です。上陸後は湯の町別府で食事をし、一
路太宰府を目指します。
IMG_2432.jpg
やって来ました。太宰府天満宮の参道鳥居です。鳥居は
かなりくたびれていましたがタバコ屋は職業柄参道両脇
の店が気になり一行からはかなり遅れてしまいました。
IMG_2429.jpg
どういう訳かキティちゃんのショップがありました。全国か
ら訪れる若い方をあてにして出しているのでしょうか。
看板には和雑貨工房とありますから、天満宮のコンセプト
に合わせて和風のオリジナル商品も売っているのかも知
れません。
IMG_2430.jpg
キティちゃん以外は、参道の店全体が和風のレトロな雰
囲気で統一されていてとても好感が持てました。これは
石ころを置物等に細工して販売する店のようでその名も
「石ころ館」でした。
IMG_2431.jpg
お隣のレトロな「風見鶏」という和風喫茶店です。看板が
無ければ風呂屋か芝居小屋のようなイメージです。松山
にもつい最近までレトロな洋館風喫茶店が残っていまし
たが、残念なことに次々廃業してしまい、タバコ屋のお気
に入りの店がなくなりつつあります。これも時代の移り変
わりと言えばそれまでなんですが・・・。
IMG_2433.jpg
朱赤と黒のあざやかな店作りで、オリジナルのがま口を
販売している「櫻日和」というショップです。ネーミングが
なかなかおしゃれですよね。入口の欄干は意表を突いた
感じですがこれはこれで天満宮にちなんだ意味があるの
かも。
IMG_2434.jpg
タバコ屋お気に入りの店、博多のふくやさんです。ご存
知のように明太子ではかなり有名で、かつて若かりし頃、
工場を見学させて頂いたこともあります。ふくやさんは元
々食品の総合問屋でしたが、創業者が戦後朝鮮から引
き上げてきて、朝鮮の日常食であった辛子明太子を商品
化したところ大ヒットとなり今日に至っている訳ですが、
当初は通信販売一本(今では考えられない現金封筒)で
押し通した話、皆さんご存知でしたか。今は博多周辺だけ
でなく東京にもショップを開設されているようです。
ちなみにふくやの社長さんとも一度だけお話したことがあ
りますが、慶応ボーイでした。モットーは地域密着でタバ
コ屋も示唆を受けることの多い内容だったように記憶して
います。ともあれふくやさんの歩んできた道は食品版サク
セスストーリーの一つだと思います。
梅ヶ枝餅2
蛇足ながら、お土産には道真公ゆかりの梅ヶ枝餅(うめ
がえもち)を買いました。言い伝えによれば道真公が太
宰府に権帥(長官)として着任した後も、それは形式的な
ものであり実際は左遷幽閉に近いものであったため、失
意の日々を送っていたところ、地元の老婆が売っていた
焼き餅をいたく気に入り道真公の好物となったそうです。
その死後、道真公を偲び老婆が焼き餅に梅の枝を添えて
墓前に供えたことから「梅ヶ枝餅」と名付けられた故事に
ちなんでいるそうで、実際はあんこ入りの焼き餅で大変
美味でした。

いわゆるブランド品というものには、その品を語る歴史物
語が必要で、ブランドアイデンティティとも呼ばれますが、
その意味ではこの「梅ヶ枝餅」などは十分すぎるほどの
ストーリーを持っておりこれがブランドというものでしょう。
梅ヶ枝餅4
参道には「梅ヶ枝餅」を売る店が何軒も軒を連ねており
仲良く販売していました。まあ全国からご参拝者が押し
かけるのですから多くの店でもやっていけるのだと思い
ます。

タバコ屋が同志社大学自動車部で過ごした京都でも、八
つ橋が名物の一つですが、元祖から総本家から百花繚
乱入り乱れて皆さんそれぞれ結構儲けているようで大変
喜ばしいコトです。
ただ最近のJAS法を始めとする各種法律により、上記の
ような叙情的な表現は禁止されており、誇大表示はなく
なったものの、味気ない表現となりました。ちなみに「梅ヶ
枝餅」は単に名物と表記されていました。
IMG_2436.jpg
いよいよ天満宮境内入口の楼門です。タバコ屋のお気
に入りの場所、神田明神の楼門にもやや似た感じです。
いつも不思議に思うのですが、神田明神にしてもこの太
宰府天満宮にしても神社なのに楼門の作りは寺院のそ
れだと思いませんか。(例えば東大寺とか大寺院の楼門
に良く似ています。)
まあそれも明治の世に廃仏毀釈令が出されて、仏教と
神道を分離するまでは、長い間同居もしくは同棲生活で
仲良くやってきた訳ですから何でもありの我がニッポンと
しては無理からぬことだったのかも知れません。
ついでながら、日本民族の感性と言うものには感心しま
す。もともと仏教にしろ建築様式にしろ中国、朝鮮から
渡来してきたものですが、あの中国式の屋根が妙につり
上がった変てこなデザインをシンプルな日本風に修正し、
色彩もやや控えめな極彩色に留めているのはとても好
ましいです。
IMG_2437.jpg
意外に清楚な感じの社殿です。今同行の仲間内の方達
が参拝中です。神田明神の場合は楼門と社殿の作りが
同じ感覚なのですが天満宮の場合は社殿のみがやや
神社っぽいです。
写真左はタバコ屋の隣地区のN総代さん、右は隣の島
で洋品店と美容室を経営されている従兄弟のF総代さん
で、真ん中のガイドさん(松山の方)以外はすべてメイド
イン中島の諸氏です。
IMG_2440.jpg
社殿右横にある有名な「飛梅」です。今更ご紹介するま
でもないでしょうが平安時代の貴族・菅原道真は、朝廷
内での藤原時平との政争に敗れて遠く大宰府へ左遷さ
れることとなった延喜元年(901年)、屋敷内の庭木のうち
日頃からとりわけ愛でてきた梅の木・桜の木・松の木との
別れを惜しみましたが、その時に梅の木について詠んだ
歌が「東風(こち)ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじ
なしとて 春なわすれそ」という有名な一句です。
IMG_2438.jpg
そのうち桜は枯れ、梅と松は空を飛んで主人のいる太宰
府を目指したものの松は途中で力尽き、梅だけが一夜の
うちに太宰府に降り立ったという、現代では荒唐無稽な
お話ですが、この飛梅は樹齢1,000年を超えているらしく、
その出自については道真自身が植えたものとか、家来が
旧邸から株分けして持ち出したものであるとか諸説ある
ようです。
やっこ行列
余談ながら「飛梅」のごとく話が飛びますが、我が中島と
菅原道真公との意外な関係についてです。
すでにお話したように道真公は京の都から遠く太宰府に
流される訳ですが、当時の交通機関といえば西国は海
(瀬戸内海)が主要ルートでした。それも当時はショボい
帆掛け船で潮待ちや風波を避けるため瀬戸内海北部の
沿岸や島嶼部に立ち寄りながらの悠長な旅だったよう
です。
やっこ行列3
さて中島です。道真公は途中時化(しけ)に合い難を避け
るため中島の宇和間という地区に立ち寄りました。村人
はその経緯を知り不憫に思い、上2枚の写真のやっこ行
列(やっこ振り)をして道真公を慰めたと言われ、以来この
古風な行列(イベント)は島の伝統行事として長く伝えられ
てきました。今ならさしずめ元内閣総理大臣、御来島記念
パレードといったところでしょうか。
IMG_2439.jpg
境内に鎮座していた狛犬です。この狛犬は何やらエキゾ
チックなムードで太宰府は古来より中国や朝鮮の窓口で
もあったことからタバコ屋の見解では中国風じゃないか
と思うのですが、皆さんはどう思われますか?。
太宰府天満宮3
また境内では七夕祭りの準備がされており、きれいな飾
り付けがあちこちにされていました。冒頭でも触れた七夕
は古来中国から伝わり日本独自の内容が織り交ぜられ
て今日の七夕祭りになりました。またそれにまつわる七
夕伝説は皆さんよくご存知でしょうが一応おさらいしてお
きますと、
天の川3
「天の川を司る天帝の娘、織姫は機織の上手な働き者の
娘でした。また夏彦(牽牛、彦星)もまた天の川のほとりに
住む働き者の牛飼いでした。天帝は年頃でもあり相思相
愛となった二人の結婚を認めるのですが、二人は生活が
楽しく織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなった
のです。このため天帝は怒り、二人を天の川を隔てて引
き離しましたが、一生懸命に働くのであれば、年に1度、
7月7日だけは会うことを許し、天の川にどこからかやって
きたカササギが橋を架けてくれ会うことが出来るようにな
りました。しかし7月7日に雨が降ると天の川の水かさが
増し渡ることが出来ず二人は会うことが出来ないと言わ
れています。」
以上が七夕伝説ダイジェストですが、写真天の川を隔て
て左上の明るい星が織姫星(ベガ)で一方右下の明るい
星が彦星(アルタイル)です。それにしても夏の天上を見
上げていにしえの人々は随分ロマンチックな物語を考え
付いたものだと感心します。

以上で太宰府天満宮の見学は終わりましたが、この後
宿泊は博多市内のホテルということで一路市内へと向か
いました。博多市内での夜の楽しいひとときは写真もは
ばかられますので伏せておくことに致しましょう。
宴の後、夜風に吹かれての最後のシメは細麺トンコツ味
の博多ラーメンであったことは言うまでもありません。

(尚、写真や説明文の一部はウィキペディア及び中島商
工会HPより引用させて頂きました。)

★★島のタバコ屋の独り言★★
【7月31日:ああ創業100年】 島のタバコ屋、即ち富永呉服店が創業100年を迎えたことは先般お伝えした通りですが、皆さんよくご存知の世界的宇宙物理学者、故ホーキング博士によれば、100年なんて宇宙的時間軸で言えば、一瞬のまばたきに過ぎない訳で「島でのことも夢のまた夢」ということになりましょう。それはともかく4才の頃から道端の草にも「コンニチハ」なんて愛想を振り撒いて来たタバコ屋にしてみれば「店は客のためにある!」以上、未来永劫、店の続く限りそのテーゼを実践し続けるしかないのです。京都で300年続く老舗料亭、老舗呉服問屋もその志があったのかどうか、お聞きしたことはありませんが、当らずとも遠からじではないでしょうか。
◆◆島のタバコ屋メニュー◆◆
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