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ブランドに秘められたもの vol.2:外国車

平成25年9月22日
当世オクルマブランド考察:外国車編
VW1
■VW
言わずと知れた世界のフォルクスワーゲンですが、社名
の意味はV:フォルクス=大衆の(英語ではフォークソン
グ等のフォーク)W:ワーゲン=馬車または自動車(英語
ではワゴンとなります)
つまり国民大衆車という意味で、かの有名なフェルディ
ナンド・ポルシェ博士が先の大戦時、ヒトラーの国民大
衆車構想に沿って設計、開発した車がルーツで、戦後
復活し、ビートル(かぶと虫)の愛称で戦後世界を席捲、
長きにわたって親しまれ今日のVWの基礎を築きました。

ブランドロゴは単純明快でそのVとWを組み合わせたも
のです。タバコ屋は個人的にはビートルは好きではあり
ませんでした。戦後の日野ルノー、スバル360、懐かし
いですが、ああいう丸っこいのは何やら不細工で垢抜け
た感じがしませんでした。
しかし、タバコ屋お気に入りのジウジアーロがデザイン
した初代ゴルフが衝撃のデビューを果たすに至って、
VWに対する見方が変わりました。非常にシンプルかつ
シャープでしかも何やら知的な感じもしたりして、お気に
入りとなりました。

今ではトヨタと並び世界制覇を争うまでとなり、元はと
言えばフェルディナンド・ポルシェ博士が創業したポル
シェ、及びアウディ、の2社をもグループ企業化して
大衆車から高級車、SUVやらスポーツカーやら果ては
スーパーカーまで製造販売するオクルマの百貨店と
なりつつあります。
(皆さんよくご存知のイタリアのスーパーカー・ランボル
ギーニは現在VWグループの一員です)

アウディ1

■アウディ
何やらオリンピックのマークのようなブランドロゴですが、
元々アウグスト・ホルヒがアウディ社を創業後、紆余曲
折を経てアウトウニオン社が設立され、その時に4社が
合併したのに因んで4つの輪「フォーシルバーリングス」
がロゴマークになりました。
アウトウニオンは戦後例のロータリーエンジンの開発で
特許を取ったNSUを買収し世に出そうとしましたが、難し
すぎてあきらめました。可愛そうなと言うか、けなげなの
はわがMAZDAで、その特許を法外な値段で買取り、
本家がサジを投げたロータリーをついに完成させたので
す。それにしてもアウトウニオンのやり方はえげつなく、
ものになりもしない特許を超高値で売りつける等、ロクな
奴らではありません。

MAZDAよ、ルマンの舞台でも何でもいいからいつかこの
仇はキッチリ打つべきで、その意味で次世代技術スカイ
アクティブの成功を祈るのみです。
(もっとも、MAZDAはルマンで悲願の初優勝を遂げてい
ますので一回目のリベンジは果たしていますが、スカイ
アクティブでもう一度やらねばなりません。)
アウディ5
昭和60年(1985年)以降はアウディ社となりますが、
タバコ屋の知っているアウディは上品で控えめなオクル
マでしたが、WRCにクワトロ(四輪駆動)システムを引っ
さげて殴りこみをかけた頃からかなり過激志向となり、
現在では昔とは様変わりのトレンディかつスポーティな
プレミアム車メーカーに変身しました。
アウディnanukクワトロコンセプト8
尚写真はアウディのコンセプトカーNANUKで、もちろん
お家芸の4WDですが当然品の良いお色気たっぷりです。
この魅力的なSUV的スポーツカーのデザイナーは誰でし
ょうか?、もちろんタバコ屋のお気に入り、ジウジアーロ
氏なんです。
蛇足ながらジウジアーロ率いるイタルデザイン社は最近
VWグループに吸収されました。独立したデザイン会社
ではメシが食えないのでしょうが、残念なことです。
こうなったら、コンセプトカーだけでなく大衆車で再び世
界をアッと言わせるような斬新なデザインをしてもらいた
いものです。かつて初代ゴルフでやって見せたように。
ポルシェ3
■ポルシェ
フェラーリがイタリアの跳ね馬なら、ポルシェはドイツの
悍馬と言ったところでしょうか。それほどこの2社はモー
タースポーツの世界においてことごとく覇を競ってきま
した。
F1においても勿論ですが、最も象徴的なのはプロトタイ
プのレーシングカーで競われるルマン24時間レースで
しょうか。かつてあの大スターでありカーマニアだった
ステイーブ・マックイーンが破産してまでその制作にの
めり込んだ映画「栄光のルマン」でフェラーリ・P512Sと
実際のレースでも死闘を演じたポルシェ917Kはタバコ屋
が最もお気に入りでもあり、ポルシェの中で史上最強、
最も美しいと言われるレーシングカーです。
ポルシェ917-5
ブランドロゴを見て頂いておわかりのように、やや無機
質な感じを受けますが、実際の歴史は熱く栄光に満ちた
もので、物語性とブランド・アイデンティティはこれ以上
望むべくもありません。

手前味噌になりますが、ポルシェがマクラーレンとコラボ
でF1に参戦していた頃、我がHONDAはウイリアムズと
組み、当時怖いもの知らずの韋駄天ドライバー、ナイジ
ェル・マンセルを擁しそのポルシェを打ち砕いたのです。
タバコ屋は正直、日本の誇りというものをその時感じま
した。奇しくもポルシェはそれを機にF1を去ることになり、
そのパートナーのマクラーレンが今度は宿敵HONDAと
組み怒涛の連勝を開始すると言う歴史の皮肉がありま
した。
ポルシェ911モンテ2
皆さん意外に思われるかも知れませんが、ポルシェは
万能選手で、レースだけでなく、ラリーにおいてもポルシ
ェの市販車の代名詞でもある911で積極的に参戦し、
WRCで世界チャンピオンに輝く等、大活躍をしました。
数あるエピソードの中でも、ニッサンがフェアレディ240Z
でサファリラリーに初優勝を果たした時のポルシェ911と
の息詰まる激闘は思い出深いものがあります。
何とその時予想外にもスピードで圧倒したのは911では
なく240Zだったと言いますから嬉しいじゃありませんか。
耐久性で勝ちましたと言うと何やらまぐれみたいな気が
してスッキリしませんがスピードで競り勝ったとなるともう
文句なしの勝利です。
240Zサファリ3-1
この240Z、ポルシェとの因縁が深いクルマで、デザイン
は気鋭の松尾良彦氏、アメリカでのプロデュースは片山
豊氏が行い、安い、速い、カッコいいの三拍子で当時は
プアマンズ・ポルシェ」と陰口を叩かれながらも爆発的
に売れまくり、結果は世界で最も売れたスポーツカーと
して世界の歴史に名を残しました。
ポルシェカイエン2
ポルシェ・ブランドは高性能スポーツカーの代名詞という
イメージなのですが、最近世界中のメーカーが血まなこに
なって開発しているSUVでもカイエンというブランドで売り
出していますよね。前から何度も書いているので、くどい
ようですが現在のポルシェのショウバイの種はスポーツ
カーではなくSUVなのです。

メルセデスベンツ1
メルセデスベンツ3
■メルセデス・ベンツ
もう誰も知らない方はいないでしょうが、世界最古の自動
車メーカーにして、現在でも世界最高峰のブランドイメー
ジを持つメルセデス・ベンツの「スリーポインテッドスター」
ですよね。
シンプルな造形にもかかわらず、一度見たら忘れられな
いこのロゴマークはデザイン的にも極めて優れていると
思います。
メルセデスベンツ300SL
ただただ神々しいばかりで恐れ多く、タバコ屋がコメント
するような立場でも身分でもありませんが、ベンツと言え
ばやはり日本人では我らが裕ちゃんが一番似合うと思う
のです。オクルマにオーラがあるなら乗る人にもオーラが
必要です。
小樽の裕ちゃん記念館で見た、300SLガルウイングは理
屈抜きでカッコ良かったです。当時はそういう言葉はあり
ませんでしたが、今で言うスーパーカーだと思います。
ベンツC92
印象に残る物語として、平成3年我がMAZDAが苦難の
末に栄光のルマン初優勝に輝いた時のライバルがメル
セデスがザウバーとコラボで参戦したC11でした。
もちろんその時の本命はメルセデスC11でしたが、何しろ
5L-V8ツインターボという化け物であったため長丁場の
安定性に欠け、結局はオーバーヒートで自滅、ここに史
上初、ロータリーエンジンによるルマン制覇と言う偉業を
MAZDAがやってのけたのです。マシンはMAZDA渾身の
作、787Bでした。
MAZDA787B-3
何やらMAZDAの宣伝のようになってしまいましたが、
メルセデス・ベンツの栄光の歴史は数え切れないほど
積み重ねられており、MAZDAやアウディ等の成り上がり
者とは格と歴史が段違いで、言わばオクルマ業界の百
獣の王と言えるのではないでしょうか。タバコ屋にとって
はただただ神々しいばかりです。

BMW
■BMW
ブランドイメージとしてはメルセデス・ベンツがやや権威
的と言うかお固いイメージがあるのに対し、BMWはスポ
ーティで自由なイメージがあると思うのです。
事実アメリカではメルセデスの権威(ステイタス)を嫌って、
ヤッピーと呼ばれる若手の医者、弁護士、実業家たちが
BMWを支持してきました。
遅ればせながら、慣れない高級車レジェンドを開発して
その流れに乗ろうとしたのがHONDAでした。アメリカの
ヤッピーに気に入られたかどうかは別にして、タバコ屋
はBMW・5とどちらにしようか迷うほど、当時の国産車離
れしたインターナショナルテイストのクルマで、結局20年
もレジェンドに乗り続けることとなったいきさつがあります。

タバコ屋のイメージするBMWはとにかく絹のように滑らか
な6気筒エンジンを生産する、元キコーキ屋さんでいわゆ
るドイツ物と言われる、堅牢で高性能なクルマ作りが得
意なメーカーと言ったところです。
日本でもバブル真っ盛りの頃は、BMWブームが興り、
一時は売れ過ぎて「六本木のカローラ」と陰口叩かれた
こともありました。
蛇足ながらBMWのエンジンが絹のように滑らかに回る
と申し上げましたが、HONDAの名誉のために申します
と、レジェンド用に開発されたSOHC・3.2L-V6エンジン
はホントなめらかでシルキーなフィーリングを持ってい
ました。
ついでながら、そのエンジンはHONDAのスーパーカー
NSXのベースとなったことは皆さんご存知だと思います。
その理由はろくに売れないスーパーカー用にエンジン
を別途開発すると莫大な費用が掛かり、そろばんが合
わなかったからです。
その頃HONDAはF1でV10エンジンを開発していました
から、その気になればV6と言わずV10の市販エンジンも
可能ではあったのですが歴史はそうはなりませんでした。
HONDAがアキュラ・ブランドまで立ち上げて高級車の
カテゴリーに参入したものの、真のプレミアムメーカー
に成り切れないのはその辺に原因があると思います。

BMWに戻ります。
レースへの参戦も積極的で、F1を初めツーリングカーレ
ースへの挑戦で、メルセデスに負けず劣らず輝かしい
栄光の歴史を持っています。それゆえ日本のSUBARU
同様、元ヒコーキ屋さんらしくプロペラを図案化したその
ブランドロゴは物語性、アイデンティティ、知名度ともに
十二分です。
BMWミニ
落日の大英帝国にあって、かつて一世を風靡したオース
チン・ミニは近代化競争について行けず、消滅しかかって
いましたが、BMWがブランドを丸ごと買収することで生き
延びることが出来ました。
BMWの立派なところは、買収しただけでなく往年の名車
ミニを現代風にアレンジし見事に復活させたことです。
BMWミニ-18
ドイツ野郎を褒めたくはないのですが、その復刻コンセプ
ト及びデザインはお見事です。いつものグチになります
が、同じくN360(通称Nコロ)をN・ONEという名称で現代
に蘇らせたHONDAもその志は立派ながら、いかんせん
そのデザインはお粗末で、何故もっとNコロのモチーフを
上手に生かせなかったのか残念です。
フィアット3
■フィアット
フィアット社は日本における三菱同様、自動車は言うに及
ばず航空機、船舶、鉄道車両、果ては金融、出版等あら
ゆる産業分野に関わっているイタリアを代表する財閥企
業ですが、肝心の自動車部門が奮わず、苦しいやりくり
をしているようです。
ただし傘下にはフェラーリ、マセラティ、アルファロメオ、
ランチア等々収めており、要するにフィアット=イタリア
全部なのです。
長い歴史と巨大な企業規模にもかかわらずそのブランド
イメージはあまりパッとせず今回ご紹介する中では最下
位に近いものだと思いますが、やや言いすぎでしょうか。
数学や工作が得意な日本とドイツに対し美術だけ飛び
ぬけて優秀なイタリアはもはや熾烈な国際競争について
いけないと言えばわかりやすいと思います。

   フェラーリ1
■フェラーリ
この業界ではポルシェと並び、泣く子も黙るスーパー
スターで世界中のオクルマ好きなセレブはほとんど
フェラーリの上得意だそうですから、もう食いっぱぐれ
というものがありません。
エンツォ・フェラーリ(故人)が創業したこの会社は、
レースをやる資金を稼ぐためにクルマを販売するとい
う一風変わったというか、かなり不純な経営理念を持っ
ていますが、それほどレースが好きな会社で、我が
HONDAもややその傾向がありあまりよそ様のことを
とやかくは言えません。
特にF1とルマンを頂点とするプロトタイプレースはおはこ
と言いますか、3度のメシより好きなオシゴトで宿敵ポル
シェとはことごとく激闘を演じてきました。
近年ではその相手がHONDAとなり、一時はV6ターボを
始めV10、V12と続くHONDAパワーで蹴散らされたこと
もあり、随分悔しい思いをしたに違いありません。
H7第9回F1日本GP8-1
ただし鈴鹿サーキットで初めてF1が開催された、昭和
62年(1987年)フェラーリは後にHONDAのF1ドライバー
となるゲルハルト・ベルガーの手により、記念すべき
鈴鹿初優勝を遂げました。
その時初めてF1と言うものを見たタバコ屋は日本人が
初めて黒船を見た時と同様の驚きとカルチャーショック
を受けました。

写真はその後、平成7年(1995年)にタバコ屋が、ふるさ
と中島のみかんを販売しに鈴鹿サーキットを訪れた時、
偶然にも広場に展示されていたのが鈴鹿F1-GPでの初
優勝車フェラーリF1-87でした。
余談ですが、前輪横に白い箱が置かれているのがおわ
かりでしょうか、「希望の島」と書かれているようです。
時効でしょうがフェラーリのスポンサーでもなんでもない
「希望の島」がフェラーリのF1カーと一緒に記念撮影を
させてもらったのでした。
もちろん、警備のガードマンが持ち場を離れた数十秒の
出来事であったのは言うまでもありませんが、フェラーリ
のガードマンさんすみません。

お詫び代わりにフェラーリを褒めておきますと、F1マシン
のエキゾーストサウンドは耳をつんざくような爆音では
あるものの、フェラーリのそれは全開時クオーンというよ
うな澄み切った音がして世に言う「フェラーリミュージック」
が奏でられるのです。
それに比べ我がHONDAはパワフルではあるもののやや
洗練さに欠け、ギャオーンという感じであまり聞き惚れる
ほどのものではありませんでした。尚それは耳栓がない
と鼓膜が破れるのではないかというような大音響の中
での経験です。
フェラーリ348-1
尚、商売っ気のないフェラーリで商業的に一番成功した
のは写真の348でした。3.4L-V8エンジンを搭載すること
から348と名付けられたその魅力的なクルマはピニンファ
リーナのデザインで平成1年発売ながら今見てもまったく
古さを感じさせません。
タバコ屋がお気に入りのジウジアーロ以外で、さすがと
感じるのはこのピニンファリーナだけでしょうか。

ついでながらタバコ屋がHONDAにやってほしいのは、
こういうトゲトゲしてなくて品性があり、しかもモダンかつ
ダイナミックなデザインのことを言うのです。

大成功を収めたかに見えたフェラーリでしたが想定外
だったのはHONDAがNSXを発売したことでした。
約半額のプライスで性能は互角、乗り心地、快適装備、
信頼性は月とスッポンで、NSXが断然勝っており、いくら
商売っ気がないと言ってもかなりビビッたはずです。
ちなみにこのNSXの開発には天才ドライバーアイルトン・
セナが深くかかわっていました。そら凄いものが出来る
はずですよね。

ただ、NSXのデザインは今から思うとやや塊感とダイナミ
ックさに欠け、その点だけはフェラーリ348の方が勝って
いたと思います。NSXのメカに348のボディを載せたら
完璧なものが出来たでしょうが、それは無いものねだりと
いうものです。
アルファロメオ
■アルファロメオ
戦前から長い歴史と伝統を持つアルファロメオですが、
戦後最も成功したのはベルトーネ時代の若きジウジア
ーロがデザインしたジュリアスプリントGTでした。
GTカーを作らせたら右に出るものがいないと言われる
ほどその演出は優れておりもはや「匠」のレベルではな
いでしょうか。またレースにも積極的に参加しフェラーリ
程ではないにしても数々の栄光の歴史を持っています。

ただ近年は技術革新の荒波についていけず、一部のGT
カーで細々と食べています。前にも書きましたがいっそ
のことトヨタからプリウス丸ごと買ってきてそれをアルファ
流GTカーに仕立てて売れば大ヒット間違いなしです。
何しろブランド・アイデンティティは抜群なんですから。
ボルボ1のコピー
■ボルボ
日本ではあまりなじみのないスエーデンのメーカーです
よね。雪国だけに寒冷対策とか耐久性は秀でたものが
あるのですが昔からモータースポーツに積極的に参戦
する訳でもなくその意味ではまだサーブの方が有名な
くらいです。
昔から一部の根強いファンはいたようで、皆さんも例の
四角張ったステーションワゴンはよくご覧になったと思
います。以前のデザインは面白くもおかしくもないもので
したが、最近は塊感がありダイナミックかつ品性を失わ
ないデザインを採用しており、それに反しBMWがエグい
デザインでアクが強くなり、別の方向にいきつつあるの
で、従来のBMWを支持してきた知的な階層がボルボに
乗り換える傾向があります。
ただ残念なことにドラマチックな物語性に欠け、ブランド
の認知度が低いと言わざるをえません。世の中皆が皆、
体育会系ではないようにボルボはこれでいいのかも知
れません。

ついでながら、ボルボはイタリアのフィアット程ではない
にしても、航空エンジン、トラック、バス、建設機械、
金融までに関与する財閥グループで、意外なことに以
前はGMとの関係が深かったものの10年余り前には
乗用車部門をフォードに丸ごと売却し、その傘下になり
ました。どうりでその頃からデザインが変わってきたはず
です。納得。
プジョー2
■プジョー
皆さん意外に思われるかもわかりませんが、フランスの
メーカー、プジョーは世界最古の量産メーカー(大した量
ではありませんが)でもあるのです。近年ではシトロエン
を吸収し、ルノーとともにフランスを代表する2大メーカー
となりました。また自転車レースのツールド・フランス等
に深く関わり、高性能な自転車のメーカーとしても有名で
すよね。

ブランドロゴはライオンが立ち上がり手招きしているよう
なユニークなもので「ベルフォールのライオン」と言うらし
いですがタバコ屋はその意味を知りません。
プジョー205ラリー1
プジョーはヨーロッパの名だたるメーカー同様、ラリーや
レースに積極的に参戦してきました。かつてモンテカルロ
ラリーにおいてフェアレディ240Zが名手アールトーネンの
ドライブで奇跡の3位入賞を果たした時のコ・ドライバー
であったジャン・トッドをモータースポーツ部門の監督に
抜擢し、WRCにおいてはコンパクトな205-GTを擁して
昭和60年と61年(1985年、86年)には連続して世界チャ
ンピオンを獲得、またミツビシが台頭するまでのパリダカ
においても4連覇を果たす等「砂漠のライオン」として君
臨しました。
プジョールマン1
一方、ルマンにおいてはタイプ905で平成4年と5年に連
覇を果たし、ポルシェやフェラーリほど派手な印象はない
ものの、その歴史と物語性は十二分でフランスの実力と
存在感を感じます。

たださすがのプジョーもF1は手に余ったようで、かつて
参戦はしたものの、一度も勝てず撤退してしまいました。
現在のF1界は皮肉にも同じフランスのルノーエンジンを
積んだレッドブルが席捲していますよね。
余談ながら、それも今の内で2年後にはHONDAがマクラ
ーレンとコラボで復活参戦しますのでその時は、レッドブ
ルはそれこそ丸焼きになるか、串差しになることと思い
ます。

実用車においてはルノーやシトロエンがフランス車特有
のアクが強いのに比べ、プジョーは比較的万人受けする
ように作られており、日本でも人気があります。タバコ屋
もフランス車の中では一番のお気に入りです。
キャデラック1
■キャデラック
皆さんご存知のジドウシャはヨーロッパでカール・ベンツ
により発明されましたが、当初は一般大衆とは関係のな
い乗物で、一部の貴族が、馬車の代わりとして今から思
えばショボいメカにコーチビルダーとか、カロッツェリアと
呼ばれる架装屋に特注のボディをしつらえさせ、モダンな
乗物として半ば道楽で乗っていたのです。やがてプジョー
が若干の大量生産を試みましたがそれも大した量では
ありませんでした。
T型フォード3
舞台はアメリカです。ヘンリー・フォードです。彼は最初
有名な発明王エジソンの会社で技師として働いていまし
たが、話題になりつつあった自動車へのあこがれと夢で、
途中退社しフォード自動車会社を創業しました。
広大なアメリカの国土をバックに当時の向上心に燃えた
国民性にも訴え、大衆車としての自動車を製造しようと
試みました。しかし途中共同経営者と方針を巡って対立し、
自身の創業した会社を去ることになりました。

恥ずかしながらタバコ屋はまったく知りませんでしたが、
何とフォードが去った後の会社はキャデラックと社名を
改めたのです。
結局対立の原因は共同経営者は高級車を作りたかった
のですがフォードは大衆車志向であったことでした。
その後キャデラックは紆余曲折の後GMの傘下となりま
したが、ロールスロイス、メルセデス・ベンツと並びアメリ
カのみならず世界を代表する高級車としてプレステージ
を確立しています。
T型フォード1
後日談として、自分の創業した会社を去ったヘンリー・
フォードは、ひるむことなく再度フォード自動車会社を設
立し、今度は歴史に名高いT型フォードを大量生産、大量
販売することで自分の夢であった大衆車時代(モータリ
ゼーション)を正真正銘実現して見せたのです。
つまり生みの親がカール・ベンツならば育ての親はヘンリ
ー・フォードだと言えるのではないでしょうか。
今でこそフォード社はGM同様、オクルマの百貨店ですが、
当初ヘンリー・フォードが目指したのは大衆車専門メーカ
ーでした。

後年GMとフォードがアメリカのみならず世界の2大メーカ
ーとして覇を競ってきたのはもともと両方ともフォードが
作った会社だけに何か歴史の皮肉と言うか不思議な因
縁を感じます。
裕次郎記念館キャデラック1
キャデラックに戻ります。タバコ屋が小樽の裕ちゃん記
念館を訪問した時に見た、裕ちゃんの愛車キャデラック
・フリートウッドです。とにかく戦後から昭和40年代にか
けては、自動車の世界基準というのはアメリカ車だった
訳で、チマチマしたヨーロッパ車などものの数ではなく、
日本車などは問題外で品質もアメリカがダントツ世界一
でした。特に最高峰のキャデラックはコンセプトが「豪華・
快適」であったので、それにまつわるオートマ、パワー
ステアリング、四輪独立懸架、エアコン等々、先進技術
の特許はほとんどキャデラックが発明したものでした。

しかしその大巨人GM、フォードも、物の数でなかったヨー
ロッパの小老舗や日本の新興勢力に押しまくられ、その
大雑把なクルマ作りも裏目に出て、近年は落日の憂き目
にあっているのですが、最近やや持ち直してきており、
やはり元世界の帝王だっただけに今後巻き返しを図ると
思います。

キャデラック、それはレース等の活躍で知名度を上げ
ブランドを確立してきたヨーロッパや日本のメーカーとは
違い、すこぶる高級、高品質であり世界の自動車技術
をリードしてきたという意味でブランド・アイデンティティ
は十二分なのです。
また、アメリカの大統領及び故ジョー・ディマジオ等各界
著名人や日本の皇室に至る御用達車であることもその
ブランドイメージが特別のものであることはおわかり頂け
ると思います。

今回は以前ご紹介した、タバコ屋のお気に入りメーカー
についてそのブランドロゴにまつわるお話しを致しまし
たが、本当はジャガー、アストンマーティン、ロールス
ロイス等についても書きたかったものの紙数も尽きた
ようですので、またイギリス車特集でも組んでお話しし
たいと思います。

(尚、記事の写真やメーカーの歴史説明の一部はウィ
キペディア他から流用させて頂きました)


ブランドに秘められたもの vol.1:国産車

平成25年9月20日
当世オクルマブランド考察:国産車編
これもオクルマ寸評の付録みたいなもので、コーヒー
タイムの延長としてお読み頂きたいと思います。
付録とは言うもののブランドやロゴマークに秘められた
メーカーの理念やポリシーを推察するることで、カビ臭
い大学教授の退屈でピントはずれの講義よりはよっぽ
どましだとは思います。前回のオクルマ寸評で採り上げ
たメーカーを中心に、そのロゴマークについてタバコ屋
なりの考えをお話ししたいと思います。
(国産車)
トヨタ3
■トヨタ
我々の若かりし頃のトヨタのマークと言えば唯一これで
した。良くも悪くもこのマークを引っさげて国内はもとより
世界に殴り込みを掛けたのです。クラウン、コロナ、カロ
ーラと日本を代表するヒット車種を連発し、今日の大トヨ
タへと成長しました。
トヨタ2
アメリカのビッグ3を脅かすほどの規模に育ったトヨタは
今後のブランド確立のためには新しいマーク(ロゴ)が必
要と考え、トヨタのTの字とも地球のカタチともとれるよう
なデザインを採用し、今日に至っています。今では日本
メーカーで最も知名度の高いグローバルブランドの一つ
となっています。
トヨタレクサス3
トヨタが更なる飛躍を期し、メルセデス、BMW、ジャガー
等が得意とする世界の富裕層へ売り込みをはかるため
作ったブランドがレクサスでした。当時HONDAがアメリカ
で同様の目的にて「アキュラ」という耳慣れない造語の
ブランドをを立ち上げていたのでその対抗の意味もあり
ました。大トヨタと言えども全く新しいブランドを立ち上げ
るというのは至難の業で、歴史と物語のないペラペラの
レクサスを軌道に乗せるため随分苦労されたようです
が、HONDAのアキュラがアメリカ以外ではうまくいって
いないのを尻目に、じわじわと実力を蓄え、上記のメー
カー達を脅かす存在になりつつあります。
アキュラがもろにアメリカ人好み一辺倒のデザインであ
るのに比べレクサスはやや普遍的と言いますか、日本
等でも受け入れられるデザインとなっており、いずれか
なりの成功を収めると思います。ただ現状のプレデター
顔はいただけません。
ニッサン1
■ニッサン
かつてはトヨタとともに国産車の草分けメーカーとして、
また途中名門プリンスを合併吸収する等、日本の自動
車メーカーを牽引し、セドリック、ブルーバード、スカイラ
イン、サニー等、数々のヒット車種を生み出しました。
また高度成長期にはいち早くアメリカに進出し世界的メ
ーカーとしての基礎を築きました。しかし大企業病に陥
り、労働組合が不毛な生産妨害をする等、かつてのは
つらつとしたニッサンではなくなりました。やがて外部か
らやり手のゴーン社長を迎えるに及び、タバコ屋の知っ
ているニッサンというのはなくなり、ただ儲け上手なグロ
ーバル企業が残ったという訳です。その意味で、何の感
動もドラマも感じない無機質なロゴマークだと思います。
ニッサン・ダットサン
それに反し、このダットサンブランドは当初からニッサン
車に使用され、片山豊氏がアメリカニッサンの社長をさ
れていた頃、この個性的なブランドで、ブルーバード510、
フェアレディZ、等売りまくり、当時世界をめざし羽ばたこ
うとしていたニッサンを押し上げる原動力となり、特にア
メリカでは知名度抜群となりました。ところが何を血迷っ
たのか、日本の本社はブランドをニッサンに統一すると
言い出し、片山豊氏らの猛反対にもかかわらず、ダット
サンブランドは消滅してしまいました。その後のニッサン
は売上げが激減し、新興勢力のHONDAにアメリカでの
地位を奪われてしまいました。ブランドの失敗事例として
大学の講義などでよく使用されているようですが、悲しい
お話です。
フェアレディZ(ワークスラリー仕様)リアビュー2
当時のニッサンはサファリラリーやモンテカルロラリー等、
モータースポーツに積極果敢に挑戦しており、出場車は
ことごとくダットサンブランドであり、しかも強かったことか
らそのイメージは強烈かつ鮮明で、それゆえタバコ屋は
ダットサンブランド以外はニッサン車であると認めるわけ
にはいかないのです。ちなみに英語ではダッツンです。
最近ではレクサスやアキュラの向こうを張ってインフィニ
ティなる高級車ブランドを展開していますが多分思うほど
はうまくいかないと思います。このことを見てもブランドに
とって物語とそれに伴うイメージというものがいかに大切
かということがおわかり頂けると思います。
ホンダ2
■ホンダ
創業当初からロゴマークはHをデフォルメしたものでした
が、最初頃はもっと肉太で洗練とは程遠いものでした。
ホンダT360
HONDAが四輪車に進出するにあたり、その第一号とな
ったのが写真の軽四トラックTN360でした。スポーツカー
S600とエンジンを共用するため、トラックとしては過剰
スペックのDOHC!を採用していました。若気の至りと
いうのはこういうことです。そのボンネットに描かれてい
るのが当初のロゴマークです。
ホンダ3
ただHONDAはもともとバイクが本業でしたので、写真の
ロゴHONDAウイングが二輪車のロゴとして使用されて
来ました。
ホンダジェット-3
伝えられるところによると、創業者の本田宗一郎はいつ
かヒコーキを作りたいという夢があり、その夢を翼のマ
ークに託したという裏話もあります。
事実その夢はHONDA-JETによって実現しようとしてい
ますよね。
ホンダ10
何と言ってもHONDAのアイデンティティを決定づけるも
のはF1でしょう。かつてマクラーレンとコラボで参戦し、
天才ドライバーアイルトン・セナを擁して無敵の世界チャ
ンピオンに輝いたころのHONDA-F1チームのロゴマーク
です。時代を感じさせます。
ホンダ9
その頃、マシンの横にはpowered by HONDAのロゴが
誇らしげに貼られていたのを忘れることは出来ません。
アイデンティティというのはこういうことだと思います。トヨ
タのレクサス展開にあたり豊田章男社長がほしがってい
るのはこの物語なのです。
ホンダアキュラ1
そのHONDAも高級車ブランド、アキュラを展開してはい
ますが、アメリカでは概ね成功しているもののそれ以外
では多分売れそうにないので足踏み状態です。ロゴに
アドバンスとありますが、例えば日本で高級車を買う富
裕層はアドバンスではなく保守層なので、そういうコンセ
プトの車は売れるわけがないということです。
ちなみにアメリカでのアキュラのターゲットはかつてヤッ
ピーと呼ばれていた、若手の医者、弁護士、実業家等で
BMW、アウディあたりともろに競合する行動的な高所得
者層です。

タバコ屋は個人的にはこのアキュラブランドを好きでは
ありません。何か宇宙からいきなりやってきた異星人み
たいなイメージで、そのブランドから醸し出されるイメー
ジというものが湧かないのです。無理もありません、これ
はアメリカで売り込むためのブランドなのですから。
蛇足ながら、英語読みではエイキュラで、消毒液でも赤
チンなら言いやすいもののマーキュロクロムとかは言い
にくく、誰の発案かは知りませんが、ネーミングは言いや
すいことも大切な要素です。
マツダ2
■マツダ
いまでこそ垢抜けたモダーンかつ個性的なブランドロゴ
になりましたが、タバコ屋が若かりし頃は随分やぼったく
デザインに関してはあまり力を入れてなかったように思
います。それこそ寝ても覚めてもロータリーの開発しか
頭になかったのですから。
マツダ5
当時のロゴマークです、とても気負いが感じられますが、
主流を変えるには至りませんでした。その燃費の悪さか
らオイルショックも重なり挫折を味わうことになりました。
マツダ6
しかし苦節数10年、今度はスカイアクティブという新しい
技術を引っさげてCX-5等斬新なデザインの車で殴り込
みを掛け成功を収めつつあり、その涙ぐましい努力に
拍手を送りたいです。
ミツビシ2
■ミツビシ
言わずと知れた、大三菱グループのロゴマークで、重工
業から家電、自動車、船舶、金融、総合商社、他日本の
主な産業にはすべて関わっている財閥ですよね。
そのグループの一つ、三菱自動車はとても真面目で技
術力があるメーカーだと思うのですがいかんせん真面
目すぎるので、異性(お客)にはあまりもてません。
おまけにデザインがパッとせず、技術面でもせっかくEV
技術で先行しながら、トヨタvsHONDAのHV競争のあおり
を食らってトレンドからは外れており、蚊帳の外で我慢の
子です。
まあ、バックに大三菱というPTAが控えているので、身
内だけの商売をしていれば食えるのでしょうが、やや物
足りないです。
スバル1
■スバル
星座スバル(正確には大きな星だけで6個ある星団、通
称、六連星)をモチーフにした個性的なブランドロゴは一
度見たら忘れられない強烈なオーラを発しています。
それもこれも元々このメーカーの出自がヒコーキ屋(中
島飛行機)で空に関係が深かったことがSUBARUブラン
ドとそのロゴデザインに色濃く反映されていると思います。
ご存知のようにゼロ戦を初めとする当時の戦闘機のエン
ジン製造を数多く手掛けた経験から、高性能かつ堅牢な
ボクサーと言われる水平対抗エンジンを作っていること
でも有名で、現在は世界広しと言えども乗用車用として
ボクサーエンジンを製造しているのはポルシェとスバル
の二社だけだと思います。(バイク用はBMWやHONDA
も作っています)

日本では他社に先駆け、FWD方式のSUBARU-1000を
発売する等、その技術力は抜きん出たものがあり、近年
ではその技術をバックにWRC(世界ラリー選手権)に殴
り込みをかけ幾度も世界チャンピオンに輝く等、その物
語性、アイデンティティは十二分です。
SUBARUはその技術力の高さで、近年にはスバリストと
呼ばれる熱狂的な信者を生むに至り、もはや一連の物
語は神の領域に近づきつつあります。
スバル3
WRCへの挑戦にさいしてはSTI(スバル・テクニカル・イン
ターナショナル)というワークス部隊が主体となり、その
大活躍ゆえSTIそのものが一つのブランドとなりました。
スバリストと呼ばれる信者にとってはSTIスペックの車が
垂涎の的であることは言うまでもありません。またアイド
リング時のボロボロ~という重低音の迫力あるエキゾー
ストサウンドはスバリストにとっては賛美歌よりも何より
も妙なるミュージックとして陶酔を誘うに違いありません。

以前にも書きましたが、最近トヨタと親戚になったSUBA
RUはパトロンを得たわけですから、以前から作っていた
ショボい軽飛行機の製造やボーイングの下請け生産は
卒業して元々本業であった本格的なヒコーキへの挑戦
をしかもSUBARUブランドでやってもらいたいものです。
以下タバコ屋の想像ですが、中大型機はすでに三菱重
工が手掛けつつあり、そのカテゴリーは避け小型ジェット
分野でHONDAとともに技術を競い合ってほしいものです。
SUBARUの技術をもってすれば今後再び世界のヒコーキ
屋の仲間入りが出来ると思うのです。その時には改めて
六連星SUBARUのブランドが輝こうというものです。
これも想像ですが元ヒコーキ屋のBMWも同じことをやる
かもわかりません。その時はドイツ野郎との一騎打ちと
なり、今度は空を舞台にHONDA、SUBARU、BMWの三
つ巴空中戦ということになります。

紙数も尽きたようですので、今日はこれくらいにして、
外国車ブランドについては次回お話させて頂く事に致し
ます。


当世オクルマ寸評(復刻版)

平成25年9月13日
【以前のオクルマ寸評記事の復刻版】
「スイーツ開発」やら「希望の島物語」やらでやや力が入
ったので、ここでコーヒータイムと致します。
過去の記事を整理していましたら、好きなオクルマの寸
評を別のテーマの記事にくっつけて掲載していましたの
で、ふさわしくないと思い切り取り、再度まとめて掲載し
直しました。やや色褪せた他愛ない内容ですが休憩の
つもりでご覧になって下さい。
平成25年1月2日 【アイデンティティ】より転記
新年早々、重い話となりました。本来ならお正月でもあり
一献差し上げたいところですが、ここはパーッと軽いもの
でお口直しといきましょう。新春初夢オクルマメーカーブ
ランド寸評です。
(国産車)
レクサスLS-3
■トヨタ・・・ハイブリッド技術で独走、ただしデザインは最
悪でターミネーター顔を個性化(アイデンティティの確立)
と勘違い。皆さん、トヨタって保守的なメーカーだと思われ
るでしょうが、実際はとてもアバンギャルドなメーカーなん
ですよ。ただしそれが時々チンケな方向に行く場合もある
んです。
ニッサンリーフ1
■ニッサン・・・ゴーンさん、EVで差別化を狙うもドメスリ、
(ドメスリとは大失敗のこと)デザインはどれもこれも深海
魚のアンコウみたいにエグイのだらけでチーフデザイナ
ーの中村史郎氏には責任取ってもらいたい。ああ第二の
片山豊、松尾良彦氏は出て来ないものか。
Nワン-1
■ホンダ・・・レジェンドみたいな高級車、やっぱり苦手、
得意の軽四に全力投球、ただしNコロの復刻版と称して
天才バカボンの警官顔のNワンを発売、デザインはしゃ
れにもならないオソマツ。メカ、パッケージは他の車種も
とてもいいのにデザインで自滅、ローバーと提携してい
た頃はヨーロッパ車のセンスを取り入れてグッドデザイ
ンでしたが、今はもうガンダム風で言う言葉なし。ああ日
本のジウジアーロは出て来ないものか。
ホンダは日本で唯一、無茶をやりながらもハイカラなイメ
ージを持ったメーカーで、それにぞっこんだったんですけ
どね。近いうちに発売となる次期NSX、買える訳でもない
ですが、どうかチンケなガンダム風でありませんように。
NSX5.jpg
ついでながら前期型NSXの裏話を申し上げますと、着座
位置がかなり低く、またダッシュボードも垂れていたので、
ミニスカートが流行っていた当時、うら若き女性がNSXの
助手席に座ると、フロント外側から大切な場所が丸見え
だとカーグラフィックの某記者が書いていたのを思い出し
ました。尚、私は不幸にもそのような体験はございません
が・・・。
ヴェリーサ5
■マツダ・・・スカイアクティブ、CX-5で絶好調、苦節10年
技術のマツダ、ロータリーの挫折とスカイアクティブでの
復活、再びルマンにも挑戦か。それはそうとマツダのコン
パクトカーベリーサって、ちょっとミニにも似たとこありま
すが、外観、インテリアともにヨーロッパテイストでグッド
デザインだと思いませんか。
XV-5.jpg
■スバル・・・元中島飛行機のヒコーキ屋さんだけあって、
技術は神の領域に入りつつあり、特にエンスー(スバリ
スト)にとっては何が何でもスバルだし、国際ラリーでの
インプレッサの大活躍もあったりして、もうアイデンティテ
ィの強烈さは国産車の筆頭株。昨今の売れ線であり、今
世界中のメーカーが躍起になって開発しているSUVもス
バルは先行実績があり、形だけ真似た俄かSUVとは一
味違い、ラリー等で培ったノウハウは伊達ではありませ
ん。タバコ屋も最近発売のスバルXV、かなりムラムラし
ています。もう10年若ければな~。
インプレッサWRX-10
えこひいきだと思われるかも知れませんが、最近のSU
BARUはデザインもすごく気合が入って来ており、もう一
枚ザブトン(写真)差し上げることにします。ここだけの話
ですがこのプロトタイプ、多分あまり修正なしで近い将来
発売されると思います。塊感、躍動感、先進性、どれをと
ってもピカイチでNISSANには悪いですが、タバコ屋のお
気に入りである240Zの後継車に指名したいくらいです。
アイミーブ2
■ミツビシ・・・パジェロのパリダカ制覇、ランエボのWRC
での活躍と栄光の世界チャンピオン獲得等々技術はスゴ
イし、オクルマの剛性感がすばらしい。つまり日本一真面
目に作っているメーカーなのですがとにかく地味、色気な
し。以前には初代ギャランでジウジアーロも関与しただけ
にデザイン、何とかならないものでしょうか。まあ、バック
に大三菱が控えているだけに、身内だけで食ってはいけ
るのでしょうが、創業の精神に立ち返り頑張れミツビシ。

新年早々、言いたい放題で国産車メーカーさんには失礼
の段、お許し頂きたいと思います。紙数も尽きてきたよう
ですのでこのあたりでひとまず終わりとし、その他の国産
車及び外国車については次の機会に致しましょう。

平成25年1月11日 【八重のこと vol.1】より転記
突然ですが、前回お約束の外車ブランド寸評を今回の付
録として書いておかねばならないと思います。皆さんのご
意見も是非お聞きしたいところです。

(外国車)
■ドイツ御三家(VWファミリー、メルセデスベンツ、BMW)
1.VWファミリー(VW、アウディ、ポルシェ)
もともとこの三社はフェルディナンドポルシェ博士が関わ
ったかあるいは設立したかのメーカーで、現在ではVW資
本のもとで各々が独自のブランド展開をしています。
クロスポロ1
◎VW・・・現代のワールドスタンダード。我がトヨタと同様
に世界制覇の野望を抱いているメーカーで、それゆえヨ
ーロッパテイストは生かしつつも万人受けする車作りを
行っていますが、初代ゴルフの発売時のような衝撃の体
験はもう出来ないかも。タバコ屋はゴルフの上級車種ボ
ーラのコクピットデザインがとてもお気に入りでした。
シンプルな中にも機能美と上質感があり、車好きをうっと
りさせる演出がされていました。HONDAもあのテイストの
パクリならいくらでもして頂いて結構です。
アウディA1-7
◎アウディ・・・良くも悪くも現代のトレンドリーダーです。
VWの先行実験部隊の役割も担っており、アウディで斬新
なメカ、デザイン等を先行発売し、売れればVWがそれを
採用するというしかけです。
タバコ屋が若かりし頃はアウディといえば医者の奥様、
お嬢様御用達で、外観も性能も控えめで品の良いクル
マでした。ところが20年くらい前から、かなり過激志向と
なりラリー世界選手権にはクワトロ(四輪駆動)システム
を採用して殴り込み。ルマンでは近年ターボディーゼル
で常勝将軍となり、もうポルシェも顔負けの奮闘振りです。
まあ出自は争えないもので、創業時はF1とかやってまし
たから、スポーツマインドメーカーではあった訳です。
我がMAZDAも近々、スカイアクティブディーゼルでルマ
ンに再挑戦するそうですので、アウディとのガチンコ勝負
が楽しみです。
デザインも昔の伏目がちな淑女から大変身、お目目パッ
チリのアイラインに始まり、引きつりにらみ顔のヘッドラ
イトですごみを効かせ、今度はお口パックリグリルとひた
すらトレンディです。尚、外観に似合わず、コクピットは伝
統の上質感と機能美に溢れており大変結構かと思いま
す。ただしA6のダッシュのシボは安っぽいと思います。
残念なことに、国産車がこれのオールパクリをやりつつ
あるのは情けないと言うべきか、アウディさん、さすがと
言うべきか・・・。
ポルシェケイマン4
◎ポルシェ・・・長いレース、ラリー等のモータースポーツ
の歴史と実績に裏付けられた確かなメカ(ボクサーエンジ
ン、後輪駆動、4駆等)、比類ない高性能、フェラーリの永
遠のライバル等々、もうブランドとして超一流、アイデンテ
ィティの確立などというものは大学教授のカビ臭い授業を
聞かなくてもポルシェに聞けばいいのです。
先日同志社大学自動車部同期のSU君の愛車、ポルシェ
911カレラ4S(911の高性能版で4輪駆動)に乗せてもらっ
た時も、この世のものとは思えない猛烈な加速性能で、
正直ビビリました。ポルシェといえば911にとどめを刺しま
すがタバコ屋はボクスターの屋根付きバージョンである
ケイマンのデザインもお気に入りで、塊感がありクリーン
なそのボディラインはハイライトを吸った時のようにクラク
ラした気分にさせてくれます。エンジンはボクサー(水平
対向)で、911がリア配置であるのに対し、ケイマンはミッ
ドシップ配置の違いがあり911の弟分という位置づけです。
皆さん意外に思われるでしょうがポルシェのオコメの種
は一連のスポーツカーではなく実はSUVのカイエンなの
です。売り上げの半分以上がカイエンだと言いますから、
世界中のメーカーがSUVの開発にやっきになっている理
由もわかるような気がします。
SLS-AMG10.jpg
2.メルセデスベンツ・・・いわずと知れた世界最古の車メ
ーカーでありながら、絶え間ない技術革新で現在も世界
一級の高級車メーカーとして君臨しているのはたいした
ものです。ガルウイングドアで世間をアッと言わせた300
SLは遠い昔の話にしても、レースでの輝かしい実績をは
じめ、長い歴史と伝統に裏付けられたスリーポインテッド
スターの紋章は伊達ではなく、これぞ真のブランドと呼べ
るもの。ただその三ツ星が災いして大衆車に参入しづら
いのが難点。私の知り合いで600SLに乗っている方がい
ますが、最高の品であるのは認めるものの、昔のように
あこがれの気持ちが起こらないのは何故だろう。
BMWM6-1.jpg
3.BMW・・・皆さんご存知でしょうがBMWのブランドロゴは
プロペラの図案をデフォルメしたもので、元はスバル同様
ヒコーキ屋さんです。そのせいで創業当時から斬新で高
性能なクルマを発売してきました。元ヒコーキ屋さんだけ
あってBMWの6気筒は絹のように滑らかなエンジンとして
世界一の折り紙つきです。
20年前のBMWは高性能もさることながら塊感のあるデザ
インで知的な存在感があり当時アメリカでヤッピーと呼ば
れる若手の医者、弁護士、会計士、実業家等がBMW5や
7を支持しました。ベンツには乗りたくないという変な意地
もあったのでしょう。平成バブルの頃は日本でも大人気と
なり外車と言えばBMWのことでした。HONDAもアメリカで
そのヤッピーに売り込む下心で2代目レジェンドを発売し
ました。
実はタバコ屋は当時BMW5を購入するかどうか真剣に悩
んだ時期がありましたが、自称HONDAのPTA会長であっ
たため結局はレジエンドを購入し20年も乗るはめになり
ました。BMWも10年くらい前より突然有機複雑ねじまげ
デザインを採用しエグイ路線を突っ走るようになりました。
その路線は他社へも影響を及ぼすこととなり寝た子を起
す結果となりました。つまりそれまでとても慎ましかった
アウディをそそのかしたA級戦犯はBMWだったのです。
アウディが色気づいたおかげで当のBMW、最近影が薄く
なっていると思いませんか。(ただしこれはあくまでもタバ
コ屋の推測です)
BMWミニ-7
BMWは近年ローバーを買収しミニを現代流にアレンジし
直しBMWミニとして発売しました。お見事です。ノーベル
復刻賞を差し上げたいです。HONDAは天才バカボンの
警官顔したNワンをN360の復刻版であると言っています
が、この落差・・・もう何も言いますまい。

■イタリア御三家(フィアット、フェラーリ、アルファロメオ)
500L-4.jpg
1.フィアット・・・30年前はジウジアーロデザインのパンダ
を発売して気を吐いたのですが、近年はトヨタとVWに押
しまくられ元気がありません。500とか魅力的な大衆車も
あるので、何とか頑張ってもらいたい。
ラ・フェラーリF150-21-1
2.フェラーリ・・・浮世離れしたメーカーだし、乗ったことも
ないのでコメントしづらいです。昔鈴鹿サーキットホテル
に泊まった時、駐車場でタバコ屋のレジェンドの横に348
が止まっていて、しみじみ眺めたことはあります。それは
ともかく長いレースでの経験と栄光の実績によりポルシェ
と双璧をなす世界を代表するスポーツカーブランドには
違いないです。レースをするために市販車を売ってその
元手にするというのが基本ポリシーだといいますから、
あきれますよね。それゆえ、メカもデザインも性能も言う
ことないです。
ただHONDA-NSXが出た時はフェラーリもビビッたそうで
す。何にビビッたかというと、フェラーリの半額で、性能は
ほぼ同じ、しかも乗り心地、快適装備は月とスッポンだっ
たからです。余談ながら、NSXの開発時にはあのポール
フレール先生や音速の貴公子、アイルトンセナが関わっ
ています。フェラーリよHONDAをなめたらいかんぜよ。
近々2代目NSXで殴り込みかけるから待ってろよ。
アルファロメオ159-1
3.アルファロメオ・・・タバコ屋の若かりし頃、今から40年
前は世界の最先端をいくGTメーカーでしたが、時代の変
化と技術革新の波はとても荒く、もうついていけなくなり
そうです。今さらハイブリッドの研究も手遅れだし、どうし
ましょう。ただGTカーのほんものの香りを生み出す手法
は心得ており、プリウス丸ごと仕入れてきてGTカー作ら
せたら世界一のハイブリッドGTカーが出来ることは間違
いなし。
■その他御三家(ボルボ、プジョー、キャデラック)
ボルボV40-7
1.ボルボ・・・20年前はGMの影響か、アメリカンテイスト
のセダンメーカー(大型トラックも)でしたが、ここ10年程
はBMWと正反対の戦略をとり、とんがった高性能を追わ
ず、デザインも塊感のあるクリーンなラインで表現するよ
うになり昔のアウディやBMWを支持した知的階層に好ま
れると思います。タバコ屋の高知の親友がクーペに乗っ
ていますが快適で、性能、デザインとも安心して長く付き
合える雰囲気です。ただ困ったことにその親友は、屋根
の開閉を見せたくて、必要もないのに空けたり閉めたり
で、風邪引きそうでした。
プジョー207-1
2.プジョー・・・あの立ち上がって手招きしているライオン
さんのようなブランドロゴのメーカーですよね。
意外でしょうが知る人ぞ知る、ラリー、レース等モーター
スポーツでは、トップクラスの実力派で、ラリーでは常勝
組、またルマンでもアウディを押しのけて優勝したり、F1
でエンジン供給したこともあります。また世界最古の量
産車メーカーでもあるのです。
市販車(308)は乗ってみた感じでは、外観、室内ともさす
がパリのエスプリが感じられる造形で、ドイツ車独特のソ
リッドな機能美とはまた異なったフランス車独特の柔らか
さのようなものを感じます。それ以外はほとんどのメーカ
ーが平準化されつつあるので、突出したものは感じられ
ません。
キャデラックCTS-1
3.キャデラック・・・先の戦争直後の日本では外車といえ
ばキャデラックを代表とするアメリカ車でした。そこのけ
そこのけアメ車が通るといった加減で、斬新さ、信頼性、
快適性とも抜群で、今をときめくドイツ車もアメ車に比べ
たらブリキ細工のようなもので、日本車にいたってはお
もちゃレベルだったのです。
アメ車の最高峰、キャデラックは一時天皇家のお召し車
にも使用されアメリカでは大統領の公用車でもあります。
コンセプトは快適さですが、長年大雑把に作ってきたつ
けがオイルショックの頃からまわってきて、日本車、ドイ
ツ車に負けだした反省から、最近は作りも、乗り心地も
しっかりしてきてヨーロッパの一流メーカーと遜色のない
ものになっています。しかしタバコ屋は大学時代に先輩
のキャデラックエルドラドを運転した時の、あのUFOのよ
うなふんわりした乗り心地、5リッターエンジンの底知れ
ないトルク、市電の停留所にぶつかるかと思うほど広い
車幅、ベンツどころか他のすべてを圧倒するあちこちと
んがりまくった個性的、威圧的?デザインが懐かしく現
代のキャデラックは何だか角が取れてしまってヨーロッ
パの車に見えてしまうのです。

以上、以前の記事を転記したものにイメージ写真を添え
て復刻致しました。辛口コメント大歓迎です。


「希望の島物語」3

平成25年9月11日
お客様から見た希望の島スイーツ
今まで、作り手、売り手から見た島のスイーツ開発につ
いてそのコンセプトなりを模索してきましたが、お客様か
ら見てそれを買う動機と言いますかニーズはどういうも
のがあるのでしょうか。以下、買う立場としてお話しして
みたいと思います。
■島内の方が買う場合
1.親戚、友人、取引先等、島外からの来客へのお土産
として
2.葬儀、法事等のおよばれごと(結婚式、名付け等の
祝い事はほとんどありません)での引き出物として
3.仏壇等へのお供え用として
4.病人等へのお見舞いとして
5.ちょっとしたお返しものとして
■島外の方が買う場合
1.お盆、正月等に帰省客が引き返す時のお土産として
2.島へ仕事や遊びで訪問された方がお土産として
3.通販で自家消費用に購入
もみじ饅頭3
つまり広島のもみじ饅頭や松山のタルト同様ほとんどが
お土産ないしちょっとしたプチギフトでの購入ということに
なります。また季節で言いますと、冬場は特産のみかん
があるのでそれを差し上げることが出来るのですが、夏
場はシーズンオフでひじき等の海産物を除けば何もない
のが現状です。
ジュースギフト250ml6JM2
手前味噌ながら、「希望の島」のジュース、ジャムはその
意味では夏場のお土産ギフトとして随分ご愛顧頂いてい
ますが何分ビン詰めというのは重いので、手土産という
ことになると軽いスイーツ類が最適ということになります。
中島いよかんマドレーヌ2
その意味では、昨年度から発売となった「中島いよかん
マドレーヌ」は島のスイーツ土産、トップバッターとして貴
重であり、現在多くのご利用を頂きつつあることは既に
述べました。
梅ちゃん先生9
またお客様の客層と言いますか年齢層を見てみるとや
はりそういうものを買われるのは60代以上の方が中心で、
あまり奇をてらったものは望まれないと思うのです。
いわゆる団塊の世代以上の方は昭和30年代を懐かしが
る傾向にあり、その意味ではノスタルジー(郷愁)を誘う
ようなものが喜ばれると思います。(タバコ屋はもし梅ち
ゃん先生が中島出身なら迷うことなく梅ちゃん先生最中
を売り出していることでしょう)
浦島太郎2
もう一つ大切なことは、お客様はお土産として買うのだ
から、おいしさもさることながら、昔々浦島は助けた亀に
連れられて・・・といったものから始まり、そもそもこの品
が天皇家御用達になったいきさつは・・・とかのいわゆる
物語性(アイデンティティ)があるかどうかです。
お客様は商品をよくよく吟味して買っているようですが、
実はその商品に込められた物語=イメージを買っている
のです。
ティファニーで朝食を12
わかりやすい話をしますと、あるパン屋さんが意図的に
自社のパンを宣伝しようとする場合、たとえば「ティファニ
ーで朝食を」の映画で、オードリーにそのパンを持たせた
だけで、もう大成功なのです。実はあのパンは当社の品
でしてとささやくだけで数十億円の年商が転がり込んで
来るのです。何故なら「ティファニー」と言うだけであるい
は「オードリー」とささやくだけで、もう物語性は十分だか
らです。
世にも恐ろしいもの、それは「イメージ」という得体の知れ
ないものなのです。だからこそ物語から醸し出されるイメ
ージはとても大切なことです。業界ではこれを「イメージ
戦略
」と言ったりするようです。
とらや本店2
肝心なことを忘れていましたが「名物、土産物にうまいも
のなし」とは古来言い古されてきた言葉ではありますが、
やはり「おいしい」と言うのが前提であるべきで、長年の
歴史を経て残っている全国の銘菓は例外なく物語(アイ
デンティティ)を持ち、且つおいしいからこそ生き残ったの
だと思います。
鈴鹿の風
ここだけのお恥ずかしい話ですが、タバコ屋がF1-GP観
たさに凝りもせず鈴鹿サーキットに通い、思い高じて中
島みかんの販売までやった足掛け10年近く、お土産は
いつも「鈴鹿の風」でした。
これは多分仙台の「萩の月」のパクリと思われるような
カスタードクリームをふわふわの生地でくるんだもので
すが、10万人以上のおのぼりさんを前にして、文字通り
飛ぶように売れており、鈴鹿サーキットに行って来ました
よという証拠の品を買い求めるみたいなところがあり、
中身は無視でそのパッケージング=イメージを買ってい
たように思います。まずくはなかったですが、同じ場所で
売られていた「赤福」のような歴史もなく、今となればアホ
な買物を凝りもせずやってきたもんだと自省しています。
(ちなみに赤福は伊勢神宮ではベストセラーながら鈴鹿
サーキットではイマイチだったように記憶しています)

タバコ屋が客の立場で言いますと、購買指数を10とした
場合物語=イメージ7、商品3といったところでしょうか。
その意味でも、島のスイーツ開発におけるパッケージン
グの重要性はおわかり頂けると思います。

前回も申し上げたごとく、こうなると瀬戸内海周辺のこと
は知り尽くし瀬戸内の発掘王とも呼ばれている広島の
ギミックさんにその物語の具体化を託すしかないと思う
のです。

今日は客の立場からあれこれお話させて頂きました。


「希望の島物語」2

平成25年9月10日
KJ法による問題解決へのアプローチ
若い人達には笑われてしまいそうですがタバコ屋が子供
の頃は、三種の神器と言われたテレビ、洗濯機、冷蔵庫
も珍しかった時代でその後昭和40年代の高度成長時代
には三種の神器もカラーテレビ、カー、クーラーへと進化
しましたが、物事を考えたり、記録したりするのは依然と
して紙と鉛筆でひたすら手作業に頼っていました。今時
のやれパソコンだ、データベースだ、検索だといったよう
なことは夢にも考えられなかったことです。
川喜田二郎1
そのような時代にあって、著名な文化人類学者川喜田
二郎先生(東京工業大学教授)は京大在学中サルの研
究で有名な今西錦司先生に師事し、世界各地でのフィ
ールドワークにより集めた膨大なデータから一つの傾向
や推論を導くために何か効率的な方法はないものかと
試行錯誤の末、昭和42年(1967年)にKJ法なる手法を考
案しました。
KJ法2
皆さん多分ご存知でしょうが、一応おさらいの意味でご
説明しますと、KJ法はバラバラでまとまりのないデータや
意見を整理し、一定の傾向や結論を導くために考案した
手法で、データをカードに記述し、カードをグループごと
にまとめて、図解し、一つにまとめてゆくやり方です。
尚、KJ法は考案者である川喜田二郎氏のイニシャルに
ちなんだもので、学窓だけに留まらずその後企業等でも
さかんに導入され「問題解決」や「創造性開発」に随分役
立てられました。
デミング1
タバコ屋が丁度社会へ出立ての若かりし頃がこのKJ法
が流行りだした時期で、製造業界ではデミング博士によ
る品質向上のための科学的管理手法の導入により日本
の工業製品の品質が急激に向上しつつありました。
やがてそれは後年、QCサークル(職場小集団活動)によ
るさらなる向上へと繋がって行くものでした。その過程で
KJ法も諸問題解決のツールとして併用されていったと
記憶しています。(別途魚骨図を使用した要因分析の手
法も登場しました)本国アメリカではあまりパッとしなかっ
たデミング博士も日本では品質管理の偉大な指導者とし
て「デミング賞」なども設けられ神様となりました。
デミング2
さて前置きが長くなりました。希望の島スイーツ開発に
当たりタバコ屋は昔取った杵柄でもないですがこのKJ法
を利用しておもにコンセプトの確立に役立ててみたいと
思うのです。「希望の島物語」はご覧頂いたと思うのです
が、では次期スイーツはどのようなコンセプトで開発され
るべきなのか、その物語の中のカケラを集めることにより
何か一つのテーマが浮かび上がるかも知れません。
以下、データ(カケラ)の羅列をしてみようと思います。

富永呉服店、大正6年、ヂャイアント号、中島主婦の店、
スーパー、ホームセンター、未曾有の災害、危機、中島
みかん、希望の島、お見舞い、冥利に尽きる、上等品、
等外品、ジュース工場、ハンドメイド、島のジュース、
丸しぼり果汁、商標登録、島のジャム、手作り、第2工場、
島のスイーツ、付加価値、OEM生産、タルティ、フランセ、
媛みかん、マドレーヌ、中島いよかんマドレーヌ、いよか
んピール、メイドイン中島、中島ヂャイアント、帰省客、
南北朝時代、800年前、忽那水軍、最も栄えた時代、忽那
義範公、総合商社、交易、大航海時代、倉本長治氏、
イノベーター(革新的商人)、四海皆可航、店は客のため
にある、昭和30年代、3丁目の夕日、みかん景気、みかん
バブル、長屋門、三津浜、坂の上の雲、正岡子規、秋山
兄弟、夏目漱石、メイドイン三津浜、三津浜の味、中島の
味、安芸の広島、ふるさと中島、ダッシュ島、架空の島、
小さな島、大きな希望、わがふるさと、美しき中島

これをいくつかのグループに分けてみます。
1.中島のこと
南北朝時代、800年前、忽那水軍、最も栄えた時代、
忽那義範公、総合商社、交易、大航海時代、みかん景気、
みかんバブル、長屋門、未曾有の災害、危機、中島みか
ん、中島の味、安芸の広島、ふるさと中島、ダッシュ島、
架空の島、小さな島、大きな希望、わがふるさと、美しき
中島
2.富永呉服店のこと
富永呉服店、大正6年、ヂャイアント号、中島主婦の店、
スーパー、ホームセンター、倉本長治氏、四海皆可航、
イノベーター(革新的商人)、店は客のためにある、
3.希望の島のこと
希望の島、お見舞い、未曾有の災害、危機、中島みかん、
冥利に尽きる、上等品、等外品、ジュース工場、ハンドメ
イド、島のジュース、丸しぼり果汁、商標登録、島のジャム、
手作り、第2工場、島のスイーツ、付加価値、OEM生産、
タルティ、フランセ、媛みかん、マドレーヌ、中島いよかん
マドレーヌ、いよかんピール、メイドイン中島、中島ヂャイ
アント、帰省客、
4.三津浜のこと
三津浜港、坂の上の雲、正岡子規、秋山兄弟、夏目漱
石、メイドイン三津浜、三津浜の味、中島の味、安芸の
広島、

さらにこの中から重要と思われるキーワードを抜き出し
てみることにします。
1.中島のこと
800年前、忽那水軍、最も栄えた時代、総合商社、交易、
大航海時代、みかん景気、みかんバブル、長屋門、
未曾有の災害、危機、中島みかん、中島の味、小さな島、
大きな希望、わがふるさと、美しき中島
2.富永呉服店のこと
倉本長治氏、四海皆可航、イノベーター(革新的商人)、
店は客のためにある、
3.希望の島のこと
中島みかん、ハンドメイド、島のジュース、丸しぼり果汁、
島のジャム、手作り、島のスイーツ
4.三津浜のこと
三津浜の味、中島の味

さらに絞込みをしてみます
1.800年前、忽那水軍、大航海時代、中島みかん、
みかん景気、、中島の味、小さな島、大きな希望、
わがふるさと、美しき中島
2.四海皆可航、イノベーター(革新的商人)、店は客の
ためにある、
3.希望の島、ハンドメイド、島のジュース、島のジャム、
島のスイーツ
4.三津浜の味、中島の味

これから導かれる仮設の物語を書いてみることにします。
まあ、「希望の島物語」のダイジェスト版みたようなもの
ですが。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
西瀬戸内海に浮かぶ中島は800年前の南北朝時代、
忽那水軍により随分栄えました。それは一種の大航海
時代とも言える武力を伴った交易の歴史でした。はるか
後年、昭和30年代にはみかんにより再び栄えましたが
時代の変遷によりその輝きは今や失われつつあります。

3代に亘り島の暮らしに関わってきた富永呉服店は現在
の危機に対し先代の師、倉本長治氏から受けた「四海皆
可航」の言葉を真摯に受け止め、革新的商人としての自
覚のもと、「希望の島」ブランドを創出し、独自に「中島み
かん」の全国への拡販及び付加価値を高めたジュース、
ジャム、スイーツ等二次加工品の製造販売に乗り出しま
した。すべて自力ではまかなえず中島の味のルーツでも
ある三津浜の方々の協力も仰がねばなりません。それら
はささやかな試みなのでしょうが、苦境にあるこの小さな
島に大きな希望を抱かせるものであり、わがふるさと美し
き中島が栄えてほしいという祈りでもあるのです。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

さて、次期スイーツのコンセプトは浮かび上がったでしょ
うか。一つのイメージとしては、水軍、みかんと繁栄の
キーワードはあるのですが、タバコ屋の私見では「水軍」
というのは何やら場末のレストランのようなイメージがあ
り気が乗りません。みかんはどうでしょうか、もうすでに
さんざん他の方々も使い回してきて食傷気味です。今さ
らという気がします。ここは斬新かつ個性的な切り口で
いきたいものです。

これ以上は「お口に広がる瀬戸内海」の名キャッチフレ
ーズを考案頂いた広島の某デザイナー氏に委ねるしか
ないと思います。

(尚、写真や歴史記述の一部は ウィキペディア、他から
流用させて頂きました。)


「希望の島物語」1

平成25年9月7日
これは西瀬戸内海の小さな島で起こった実際の出来事
です。
大浦湾遠景3
平成3年(1991年)のことでした。台風19号は豊後水道に
侵入、瀬戸内海西部一帯を直撃し、広島から山陰方面
へ抜け、日本海を北上、今度は再び青森に上陸し、大暴
れした挙句やっと収まりました。
超大型台風でした。結果は家屋はもちろんのこと西瀬戸
一帯のみかん園地及び青森のりんご園地が壊滅し日本
の二大果物が甚大な被害を蒙りました。わが中島も直撃
状態で雨、風に加え高潮や強風による山の斜面への潮
の吹きつけによる塩害によりみかん園地の樹木の半分
以上が枯死する事態となりました。
富永呉服店
富永呉服店のことです。大正6年(1917年)先々代が創
業以来、戦後は島で初めての三輪バス「ヂャイアント号」
を走らせ、島民の足の便利を図ったり、当時アメリカか
ら導入されつつあったセルフサービス方式を取り入れた
「中島主婦の店」を開店、またその後はやはり島で初めて
のスーパーマーケットやホームセンターを開設する等、
島の暮らしを守り、向上させることを信条に経営をしてき
ました。
(関連記事:人生いろどり参照願います)
ヂャイアント号2
未曾有の災害による島の危機に直面し、トミナガはどう
すべきか今の商いだけで良いのか悩んだ末、苦しんで
いるみかん農家さんのみかんを農協だけが売るのでな
く、我々も別の切り口、別のルートで販売し、少しでも島
の収入向上のお役に立つべきであると思い至りました。
最初は何の知識もなく、販路もあった訳ではありません
があれこれ奔走した結果、少しづつ農家さんにも理解さ
れ販路も広がっていきました。

そこで困ったのが従来は「中島みかん」という銘柄で大
阪東京の市場では結構名の知れた銘柄でしたが、我々
が別に売るとなると独自のブランドが必要であることを
痛感するようになったのです。
いろいろ悩んだ末思い浮かんだのが、現在の絶望的な
島の状況に一筋の希望の光をもたらすものでありたい
という願いを込めてブランド名を「希望の島」と命名しま
した。
希望の島ロゴ3
これも最初は老人ホームのような名前ですねとかさんざ
ん悪口を言われましたが、徐々にその名前に込められた
意味をわかって頂くようになりました。後日談ですが東京
のある専門店のお取引先からお客様が「希望の島」の
みかんを買われて病院のお見舞いに持参したところ、
そのネーミングが良かったようで患者さんから大変喜ば
れた旨を聞かされました。話、冥利に尽きました。
いよかん園地2
それも束の間、次の難題が待ち構えていました。みかん
農家では上等品から中等品、果ては等外品まであらゆ
るものを作るというより出来てしまうのです。そうなると
上等品のいいとこ取りだけをするわけにもいかず、等外
品の処理をどうするかという問題に直面しました。適切
に処理をするためにはジュース工場の建設が必要で、
まだ十分に事業として確立してない段階で加工工場へ
の投資は第3セクターとか大半を国の補助金でまかなう
事業体ならともかく純民間企業がそこまでの投資をする
ことはかなり危険な賭けでした。しかし将来のことを考え
ると、島にもせめて一つはジュース工場があるべきと結
論付け、平成16年その建設に踏み切りました。色々なと
ころを見学したり、また県の技術指導センターに製造法
を教わったりで、ほとんどハンドメイドに近い形ながらや
っと「島のジュース」製造にこぎ着けました。
工場外観2
さてそのジュースを世に出すにあたりどのようなブランド
にするか色々悩みましたが、製造方法をズバリ商品名
とすることに決め「希望の島 丸しぼり果汁」と命名しま
した。またこれは創業以来初めて「商標登録」された品で
あり当社にとっては歴史に残る一ページとなりました。
IMG_2511_3.jpg IMG_2506_3.jpg
しかし実態は再びすごろくの振り出しに戻ったようなもの
で、ジュースの製造技術、みかんの生果実とは異なる販
路開拓等、何もかもゼロからの出発でした。先代が戦後
バス事業を始めた時にも道路事情は最悪で、バスもしょ
っちゅう故障しまったく採算が取れず苦しんでいたようで、
子供心には知る由もなかったのですが、それと同様なこ
とが再び起ころうとしていました。その間、行政や国の支
援機構、また取引銀行さん等の支援を頂きながらまとも
な製品を製造出来るようになり、販路も徐々に広がって
いきました。

次のステップはジャムでした。国の支援機構から派遣し
て頂いた講師の先生の指導を受けながら、これも曲がり
なりにも自家製造出来る体制となりました。ジュースで
苦しんだのでジャムの製造は最初の時よりはかなり短
期間で技術の習得を図れました。ジュース同様、これを
世に出すに当たりまたもや色々悩んだ末、「希望の島
 手作りジャム
」と命名しました。平成20年(2008年)の
出来事です。
ジャム180g温州みかん マーマレード180gいよかん
ここまで来て問題となったのは既存の工場が手狭になっ
たのとノウハウなしで建てた工場の衛生面が不安にな
り、その諸問題を抜本的に解決するため、既に取得して
いた隣接地に第2工場を建設することにしました。これは
10年前に取得していた隣接地を早く有効活用したいとい
う思いがありました。土地を寝かせておくだけでは一円の
利益も産まないだけでなく雑草退治とか余分な手間が掛
かるだけです。またそれまでの一連の開発の集大成とい
う意味もありました。
FF工場2
新工場は紆余曲折あったものの無事竣工し、加工原材
料の搬入のしやすさ、加工原料であるみかんの屋外保
存用冷蔵庫の配置、衛生的な製造環境、また出来上が
った果汁の冷凍保存庫の新設、等々、従来から比べ格
段に環境整備がされました。
現在鋭意稼働中ですが、更なるステップとして工場で製
造されたジュースやジャムを利用して「島のスイーツ」や
ドレッシング、ポン酢等の2次加工製品を開発し、世間一
般で言われるところの「高付加価値」を目指そうとしてい
ます。ただそれは自社製造の原材料を使用するものの、
すべてを自家製造出来る訳もなく将来は別として、現状
は他社に委託して製造してもらう、いわゆるOEM生産を
意味しています。
FF工場3
実は第2工場が出来る以前、すでにいよかんを使った
ロールケーキを松山のK洋菓子店にお願いし委託製造を
試みていました。発売にあたり、伊予のタルトにちなんで
タルティ」と命名し、松山市商工会議所主催の「ふるさと
産品コンテスト」で優秀賞を頂くなどして評判も良かった
のですが、生クリームを使用しているため扱いが難しく
現状は冷蔵ケース付きの店舗を持っていないこともあっ
て通販のみの取り扱い商品となっています。次なる商品
は常温で販売出来るスイーツが待ち望まれました。
いよかんタルティ
それやこれやで試行錯誤の最中に、今まで40年近くスー
パートミナガのテナントショップとして一緒にやってきた
島で唯一の洋菓子屋である「フランセ」さんがいきなり廃
業すると言い出したこともスイーツの開発を急がねばな
らない理由の一つでした。当時島で唯一のお土産菓子
であった「媛みかん」がなくなってしまうからです。幸いに
も島内で独自のスイーツを委託で製造してくれる店が見
つかり、トントン拍子で製品化にこぎ着けることが出来た
のでした。その商品は「マドレーヌ」でいよかんのピール
や果汁を使用した100%メイドイン中島の品となりました。
中島いよかんマドレーヌ2
世に出すにあたっては以前情報誌「中島ヂャイアント」の
制作でお世話になっていた広島ギミックの小原さんに依
頼し、「中島いよかんマドレーヌ」と命名しました。
平成23年(2011年)冬から発売となり、島内の皆さんや
帰省客のお土産菓子として、現在多くのご利用を頂くま
でになりました。
(関連記事:あこがれの宮島参照願います)
楠木正成1
さて話しは800年前に溯ります。世は鎌倉から室町にか
けての混乱期で、後醍醐天皇と足利尊氏が南朝、北朝
に分かれて激しく争い不毛な戦を繰り返し覇権を争った
時代で、後年「南北朝時代」と呼ばれている頃の話です。
水軍合戦5
当時中島には「忽那水軍」と呼ばれる武装集団が西瀬
戸内海一帯を仕切っていて、中島の過去の歴史の中で
最も栄えた時代が約300年続いたのです。その代表的
な武将が忽那義範公で島にはその武勇と南朝への忠
義を称えた顕彰碑が建てられています。
忽那義範公顕彰碑
水軍とは言うものの、その実態は戦の場合の戦闘請合
(当時忽那水軍は南朝方についていました)+海上通
行税の徴収
(当時京の都から九州へ下るには瀬戸内海
航路が主体で西端に位置する中島はJR新幹線の特急
駅みたいなものでそこでキップ代を徴収していた訳です)
貿易(当時の中国は元から明への移行期でしたが貿
易はさかんだったようで日本からは刀剣や砂金、銀、胴
などを輸出、元(南宋)からは陶磁器や絹織物、胴銭、
文書などを輸入していたようです)+海賊(当時元寇によ
り滅ぼされた対馬・壱岐の生き残りが中心になり九州の
勢力も加えて元寇へのリベンジから朝鮮、中国の沿岸を
荒らしまわった倭寇に忽那水軍も関わった可能性があり
ますが検証は出来ていません。)つまりわかりやすく言え
ば「忽那水軍」とは「武装した総合商社」であったのです。
少なくとも栄えた要因は交易(商い)であり農業、漁業で
はありませんでした。
(関連記事:鉄腕ダッシュと水軍参照願います)
帆船9
かつてのスペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスが大
航海時代にスケールは違うにしろ同様のことをやったの
ではないかと思います。しかし「忽那水軍」の栄光も織豊
時代の到来により天下が平定されてくるに伴い、対立の
構図による戦の請合いということがなくなり、終わりを告
げることになりました。今から約500年前、天下人秀吉に
逆らった中島は、配下の軍勢により滅ぼされてしまい、
栄光の忽那水軍の歴史は終わりました。
(関連記事:農業とレストア vol.5参照願います)
倉本先生
再び太平洋戦争後のお話に戻ります。戦後間もない当
時、ヤミ市を始めとする混乱した日本の商業のあり方を
憂い、正しい商いのあり方を啓蒙し続けた思想家で雑誌
「商業界」の主幹(編集長)でもあった倉本長治氏(写真
中央)は、それに共鳴する全国の若き商人達を激励し
ダイエー、ジャスコ、ヨーカドー他幾多のイノベーター(革
新的商人)を輩出しました。私の先代も倉本氏に共鳴し
師事していました。(写真左端が若き日の先代です)
その師が全国講演の途中で中島に立ち寄られたのです。
つぶさに島の現状を視察、島での講演も頂いたその時
に揮毫されたのが「四海皆可航」という5文字の言葉でし
た。子供の頃からその言葉を見て育った訳ですが当時は
意味がよくわかりませんでした。

蛇足ながら当時、松山地区での倉本師の弟子にはお菓
子の一六本舗さん、履物のつるやさん、書店の明屋(ハ
ルヤ)さん等、松山では成功された方々が名を連ねてい
ました。それもそのはず倉本師の思想「店は客のために
ある
」を実践した方ばかりでした。
IMG_2937.jpg
ついでながら、当時昭和30年前半は映画3丁目の夕日
に描かれているように日本中貧しいながらものどかな時
代だったのですが、その頃の中島は、瀬戸内海一帯が
戦後のみかん景気に沸き返り、一夜にして長屋門付き
の立派なみかん御殿が建ち、蔵が建ちで一種のみかん
バブルとも言える社会現象が起きていました。
結果としては「忽那水軍」以来歴史上で2番目に栄えた
時代となるのですが、それにより商業も随分潤った訳
です。
IMG_0241.jpg
当時の買い物と言えば、最寄品は島内でややの買回り
品は対岸の三津浜(現松山市)で、高級品は松山市内
でというふうに分かれていました。
手前味噌ながら富永呉服店は最寄品から高級品まで
例外的に取り扱っていました。当時のドル箱は団塊の
世代のユニホーム「学生服」でした。
三津浜港3
三津浜のことです。古くから松山の海の玄関として諸航
路の発着で賑わいました。遠く明治の世には大阪行き
の大型客船はすべてこの三津浜港が起点で、司馬遼太
郎さんの小説「坂の上の雲」にも正岡子規や秋山兄弟が
上京する場面が描かれ、子規の親友であり小説「坊ちゃ
ん」を書いた夏目漱石もこの三津浜港には子規たちと何
度も足を運んだようです。(下の写真は明治中期頃の三
津浜港の様子)
三津浜港6
また魚の集散地でもあり市場や加工業で賑わいました。
更に周辺島嶼部(中島他)の買い物場所として、さまざま
な業種の商店が立ち並び、随分栄えてきました。従って
中島は食生活の嗜好(味の好み)なども古くからこの三
津浜の影響を随分受けて来たと思うのです。味噌、醤油
はもちろんのこと、果てはお菓子(スイーツ)類もメイドイ
ン三津浜製の味になじんできました。
独断ですが、ある意味、中島の味=三津浜の味でもあ
るのです。もっと言えば、その味は遠く安芸の広島に繋
がるかも知れません。
240px-Nakajimakisen[1]
話しを「四海皆可航」に戻します。後年になり、中島が
かつて最も栄えた800年前の忽那水軍の時代に思いを
馳せた時、ハタとこの言葉が思い出されたのです。
即ち「希望の島」の事業とは「忽那水軍」の現代版であり
その5文字「四海皆可航」の実践であるべきだと・・・。
倉本師の残された言葉は何と示唆に富むものであった
ことでしょうか。そこに思いが至った時、何をすべきかと
いう迷いや悩みは消えていきました。
中島遠景
「希望の島」、生まれ育ったふるさと中島、過疎の島とな
りつつあるこの島にもダッシュまではしなくても希望を持
って前進してほしいという願いを込めて付けた名前でし
た。ここだけの話しですが、TV放映中の「鉄腕ダッシュ」
の「ダッシュ島」は中島の近くの無人島「由利島」が舞台
ですが、設定は架空の島ということになっています。
(関連記事:鉄腕ダッシュと水軍参照願います)

しかし、架空ではない現実は今までお話してきたように
困難の連続であり、「小さな島に大きな希望」を持って、
それを一つずつ実現していくことで真に希望の持てる島
としたいのです。
栄えよわがふるさと、美しき中島」それが先々代より島
の暮らしに関わって来た富永呉服店の願いであるととも
に「希望の島物語」の初めでもあり終わりであるかも知れ
ません。

(尚、写真や歴史記述の一部は ウィキペディア、他から
流用させて頂きました。)


島のスイーツ開発 vol.3:続タバコ屋のお気に入り

平成25年9月2日
お気に入りの続編
前回に引き続き、タバコ屋のお気に入りスイーツについ
てそのカケラや思い出やらをお話してみたいと思います。
HONDAF1の挑戦
突然の写真で恐縮ですが、かつてHONDAが昭和39年、
(1964年)自動車レースの最高峰F1に挑戦し、その後40
年にわたり飽くなきチャレンジを続けてきたという意味の
ポスターです。平成16年(2004年)の鈴鹿F1GP出走に
際してのモノだと思います。日本人ドライバー佐藤琢磨
が活躍していた頃の話です。

その後、リーマンショック等社会情勢の悪化によりF1か
ら撤退し今日に至っていますが、嬉しいことに平成27年
(2015年)からは再び古巣のF1に復帰することが最近発
表されました。
F1マクラーレンホンダMP4・5-1
何と言う執念でしょうか。好きこそものの上手なれとは言
うものの出来ることではありません。その参戦費用だけ
でも年間300億円~500億円かかると言うのですから我
々庶民には腰の抜けてしまいそうなお話です。HONDA
はその間、昭和63年から平成3年(1988年~1991年)
にかけてマクラーレンとのコラボにより4年連続で世界チ
ャンピオンに輝くという前人未踏の圧倒的な勝利を収め
F1界を席巻したことは皆さんの記憶に新しいことだと思
います。
(関連記事:鈴鹿サーキットのこと vol.4:絶頂期参照願い
ます)

蛇足ながら平成27年の復帰にあたってのパートナーは
もちろんかつての盟友マクラーレンです。
MAZDA787B-3
またロータリーエンジンの苦難の開発に成功し、一方の
世界最高峰レースであるルマンにそのエンジンをひっさ
げて挑戦し続け、遂に栄光を勝ち取ったMAZDAもその
志は同様なのです。ちなみにロ-タリーエンジンの生み
の親であり、ルマン優勝当時の社長であった山本建一
氏が残された言葉は「飽くなき挑戦」だそうです。
(関連記事:荒ぶる心 vol.4:栄光のルマン参照願います)

この二つの物語は損得を超越しています。会社が潰れ
てまでやるようなことではないでしょうが、とにかく自分
達のプライドを掛けて必死にやってきたある意味大馬
鹿モノのお話です。

スイーツとは全く関係ない長い前置きとなってしまいまし
たが、タバコ屋が「ふるさと中島を何とかしたい」という
思いは一緒でそれこそ大げさに言えば「40年の挑戦
なのです。

スイーツの話に戻します。いくら島育ちとは言え海を隔
ててすぐそこには伊予の松山があり、松山の銘菓と言
えるものも数あるなかで好き嫌いは別にして「タルト」を
ご紹介しないわけにはいかないでしょう。
タルト3
7.タルト
手前味噌ながらタルトのルーツをお話しますと、江戸時
代に溯り、当時の松山藩主松平定行公によって長崎か
ら伝えられました。長崎探題職を兼務していた定行公
は正保4年(1647年)ポルトガル船が長崎に入港した際
に南蛮菓子(カステラ?の中にジャムが入ったもの)に
接しその味にいたく感動しその製法を松山に持ち帰った
といわれています。現在の餡入りのタルトは定行公が
独自に考案したものと言われ、その後久松松平家の家
伝とされ、明治以降は松山の菓子職人に技術が伝わり
今に至る松山の銘菓となりました。

本来のポルトガル語のタルトというスイーツはあのような
ロール巻きではなく平らなパイなのですが、アレンジの名
手、我が日本人殊に伊予の国のお殿様はフルーツパイ
を大胆にアレンジしロールケーキに変えてしまったという、
ウソのようなほんとの話です。ただ水を差すようですが
タバコ屋は子供の時からこのタルトがあまり好きではなく、
今でもいっしょです。

尚、地元のメーカーとしては一六本舗さんが有名で、創
業が明治16年(1883年)だったため、社名を一六にした
というギャグのような話です。その他にも六時屋さん等、
多くの菓子メーカーがご当地名品として作っています。
竹の里3
8.最中
最中(もなか)は日本中ご当地名産が数え切れないほど
あるでしょうが、タルトをあまりけなすと一六さんに悪い
ので、その一六さんが作っている餅入り最中をご紹介し
ておきます。別に取り立てて言うほどのものでもないで
すが、タバコ屋はこの餅入りの粒餡最中がお気に入り
で、「竹の里」というネーミングです。
薄墨羊羹1
9.羊羹
これぞジャパン・トラディショナル・スイーツとも言えるもの
で、その歴史は気が遠くなるほど古く、もともとは中国の
料理で、読んで字のごとく羊の羹(あつもの)、つまりは羊
の肉を煮たスープの類でした。冷めることで肉のゼラチン
によって固まり自然に煮凝りの状態となったものを指した
ようです。

鎌倉時代から室町時代に禅僧によって日本に伝えられ
ましたが禅宗では肉食が戒律により禁じられていたため、
精進料理として羊肉の代わりに小豆を用いたものが日
本における羊羹の原型になったとされています。
とらや本店1
日本での代表的なものはご存知「虎屋」の羊羹がありま
すよね。「虎屋」は初めは室町時代に京都で創業し、後
陽成天皇に和菓子を献上して以降、皇室御用達となっ
た菓子司で約480年!の歴史があります。
とらや本店2
TV「八重の桜」でも放映されている明治維新直後の混乱
の中での東京遷都に伴い、「虎屋」も東京に移りました。
つまり皇室御用達であるが故のある種「追っかけ」でした。
特に羊羹が有名で、「とらやの羊羹」としてブランド品となっ
ています。物語性(アイデンティティ)はもう十二分でしょう。
薄墨羊羹3
「虎屋」の羊羹もさることながら、タバコ屋のお気に入りは
松山の老舗「中野本舗」が作っている「薄墨羊羹」です。
ネーミングの由来は、地元に伝わる伊予節に謡われた
「薄墨桜」にちなむものだそうですが、現在の薄墨羊羹
は明治7年(1874年)に松山在住の中野元三郎なる菓子
職人が独自の製法により製造を開始し創業したもので、
甘さを抑えた上品な生地に白豆?を中に散らしたもの
で抹茶と非常に相性が良く何の行儀作法も身に付けて
いないタバコ屋でも薄墨羊羹と抹茶をセットで頂くと、
しばし「ええとこのボン」になったような気がします。
薄墨羊羹4
本店はタバコ屋が高校生時代から通いなれた松山の銀
天街の一角にあり老舗ゆえなのか、商売っ気があるよう
には見えません。昔変わらぬお店と商品で、その意味で
は「安心と信頼」の塊のようなものです。
萩の月5
10.萩の月
昭和58年(1983年)当時タバコ屋が30才の頃若手経営者
の研修セミナーが仙台でありました。その時お土産に買
って帰ったのが「萩の月」でした。そのふわふわの食感と
シュークリームのようなアンコ?の味がとても印象的だっ
たのを覚えています。それ以来タバコ屋のお気に入りと
なりました。

皆さんご存知「萩の月」は、笹かまぼこや牛タンと並び、
昭和54年(1979年)誕生と歴史は浅いながらも仙台を代
表するお土産菓子としてつとに有名です。業界紙が選ん
だ「20世紀を代表する日本の土産品」では北海道の白い
恋人、福岡県の辛子明太子に次いで、第3位にランクさ
れたこともあるそうです。現在では1日あたり10万個が製
造・販売されているベストセラースイーツとなっています。
三全1
製造は仙台のメーカー「三全」さんですが、「萩の月」誕生
物語はドラマチックなもので、皆さんご存知だとは思いま
すが一応おさらいの意味でご紹介しておきます。
「菓匠三全」の前身である三全工業は昭和45年、伊達騒
動を描いたNHK大河ドラマ『樅ノ木は残った』の放送を機
に観光客が激増していたのをチャンスに、バウムクーヘン
をもとに新商品「伊達絵巻」を開発しましたがそれがヒット
し、勢いを得て次の新商品を開発することになりました。

当時、洋菓子店で一番売れていた商品はシュークリーム
であり、贈答品として人気があるのはカステラであったた
め両者を組み合わせた「萩の月」を開発、ただし「萩の月」
は保存料を使用しない生菓子だったため日持ちせず、土
産品や贈答品としては不向きでした。そこで大胆にも三菱
瓦斯化学(現三菱ガス化学)が商品化に成功したばかり
の脱酸素剤を用いて、賞味期限延長の共同研究を始めた
のです。
萩の月7
昭和53年(1978年)、幸運にも東亜国内航空(後の日本エ
アシステム)の機内菓子に採用されることが決まりました
が、当時の航空便はビジネスマンやVIPが利用客の中心
の時代であったため、高級に見せる必要があり、そのた
め一個づつ小さな箱で個別包装するという凝ったパッケ
ージを採用しました。

また三菱瓦斯化学との3年以上に亘る共同研究の結果、
今では業界の常識資材となった脱酸素剤「エージレス
が完成しました。酸素が入らないよう密閉したフィルムで
個包装された「萩の月」は、この「エージレス」を併用する
ことで保存料なしでも日持ちする土産品へと生まれ変わ
ったのです。それはタバコ屋が初めて仙台を訪問し「萩の
月」をお土産に買った4年前、昭和54年の出来事でした。
三全2
商品名は、「萩が咲き乱れる宮城野の空に浮かぶ満月」
に由来しているそうで、シンガーソングライター松任谷由
実のラジオ番組での紹介(絶賛)で一気に全国的な知名
度を得たと言われています。

「萩の月」が有名になるにつれ、例によって日本各地で
数百点のコピー商品が発売されるようになり、現在では
「萩の月」というスイーツが1つのジャンルになりつつある
ようです。それ程業界に与えたインパクトが大きかったと
言うことでしょう。歴史は浅いながらもその歴史に残る銘
菓を生み出したことで仙台市民もさぞかし誇らしいことだ
と思います。残念ながらわが松山は、やや負けているか
も知れません。先輩である伊丹十三さんがもっと宣伝し
ていてくれたらいい勝負になっていたかもわかりません
が・・・。

余談ながら、司馬遼太郎さんの小説「坂の上の雲」のド
ラマ化をキッカケに松山ではその類のお菓子も発売され
ていますが「萩の月」に比べればお話にもなりません。
いちご大福1
11.大福餅
大福は小豆でできた餡を餅で包んだ餅菓子で大福餅と
も言われ甘党にとっては堪えられない魅力の和製スイー
ツです。そのルーツは江戸時代初期に生まれた鶉餅
(うずらもち)が序々に改良されて現在のような形になっ
たと言われています。そのネーミングも腹持ちが良いこ
とから腹太餅(はらぶともち)、大腹餅(だいふくもち)と
呼ばれていたものが今の大福餅に変化したそうです。

タバコ屋はいわゆる大福はあまり好きではありません。
それよりも中にフルーツを仕込んだフルーツ大福は魅力
的です。特にいちごをくるんだ「いちご大福」は、甘すぎず、
また色の取り合わせも良いので食べるファッションスイー
ツとしてかなり気に入っています。
(関連記事:農業とレストア vol.3参照願います)
みかん大福3
ちょっと気の利いた和菓子屋さんなら思いつくことですが、
みかんを仕込んだ「みかん大福」もアリでしょう。ただし
サイズがデカすぎて商品としてはいかがなものかと思い
ます。
きんかん大福1
それよりもタバコ屋が気になるのは「きんかん大福」でサ
イズもちょうどいいし、きんかんの甘煮は香りも良く薬効
効果もあるので数段魅力的だと思います。タバコ屋はみ
かん産地にいるだけあってこのあたりかなり気になるとこ
ろですが、ただ「萩の月」同様生菓子であるだけにお土産
菓子としては難しいところです。
淡雪2
12.淡雪(あわゆき)
さていろいろなお気に入りのスイーツについて気ままに
述べてきましたが、ここで「淡雪」についてお話しておか
なくてはなりません。それは市販の品うんぬんではなく
タバコ屋の思い出の品であり最もお気に入りの品でもあ
った母の手作りスイーツのことです。
タバコ屋は5才の時、伯母の家に養子にもらわれたので
すが、養子と言っても実家は数百メートル離れているだ
けで、毎日会おうと思えばいつでも会えたものの生活は
いきなり別々で5才の子供にとってはやや辛いものがあ
りました。そんな遠い昔の記憶の中で、年に一度の節句
(ご馳走を作って家族で島内のれんげ畑や満開の桜の
もとで花見をします)の時に手作りの「淡雪」を作ってくれ、
それを実家に貰いに行くのがとても楽しみでした。
母の「淡雪」は写真のものとはやや異なり、3層になって
おり下段がパイ缶の細かくしたものを入れた寒天、中段
が卵の黄身をホイップして砂糖で味付けしたもの、上段
が卵の白身を細かくホイップして淡雪のようにふんわり
乗せたものでした。
淡雪1
この写真ともかなり異なるのですが、適当なものが見つ
かりません。それはあっさりと甘い味で、バニラエッセン
スが少量入れてあり、昭和30年代、3丁目の夕日の時代
にはそれが年に一度のことだったにしろ子供心にとても
モダンでハイカラな食べ物に思われました。
その母も、もうこの世にはいません。養母には大切にし
て貰ったので感謝あるのみで何も言うことはありません
が、タバコ屋は美味いまずいは別にしておふくろの味と
いうものを知りません。それで余計にその年に一度の母
の味が懐かしく恋しく思われるのかも知れません。
手作りの慈愛あふれる淡雪は、忘れ得ぬ味、母の味

余談ながら母はタバコ屋の母校、同志社大学の創始者、
新島襄、八重夫妻同様、熱心なプロテスタントクリスチャ
ンでした。母が建てた島の小さな教会は今でも信者の方
の集会所として使われています。

とりとめのない思い出話となりました。話せばきりがない
のでこれくらいにしていよいよ次回からはスイーツ開発実
戦編をお話ししたいと思います。

(尚、写真の一部やお菓子の名前の由来、メーカーの歴
史等はウィキペディア他から流用させて頂きました。)

★★島のタバコ屋の独り言★★
【4月10日:ああ創業100年】    島のタバコ屋は先々代が呉服屋を創業以来3代目となり、その間戦後間もない頃には島のバス運営事業を試みる等様々な営みを経て今日に至っています。皆さんよくご存知のNIKONも創業100年なんですが、比較にはならないものの同じ時代を生きてきた訳です。かつてオハイオのメアリーズビルで活躍する夢を抱いたこともあった青年も年を取りました。さて今後の100年をどのように生きて地域のお役に立っていくか、タバコ屋にとっては後継者である倅への「死に土産」としてそのコンセプトを確立しておく必要があると考えています。しかし倅にとっては年寄りの余計なおせっかいに写るかも知れませんよね。
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