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ハローたんぽぽ vol.1

平成26年2月23日
春を告げる代表的な花と言えば菜の花やスミレが思い起こされ
るでしょうが忘れてならないのが「たんぽぽ」ではないでしょ
うか。踏みつけられても逞しく生きる雑草の代表選手としても
有名ですが、葉っぱはアザミのようでイマイチながら黄色い
可憐な花と綿菓子のようなふわふわした種子は「たんぽぽ」
という可愛らしいネーミングと相まって、春の訪れを感じさせ
る花というか野草だと思います。
たんぽぽ5
さて、昭和60年と言いますから今から30年程も前に封切ら
れた映画で「タンポポ」というのがありました。恥ずかしながら
団塊世代の末裔にて万博世代のタバコ屋35才の頃のお話です。
監督は伊丹十三氏、主演はその実際の奥様で宮本信子さん及び
相手役が山崎努氏でした。
たんぽぽ1
タバコ屋世代の方はほとんどの方が、映画やTVのロードショー
でご覧になっていると思いますが、おさらいの意味で簡単にその
ストーリーをご説明しますと・・・
タンポポ4
長距離トラックの運転手、ゴロー(山崎努)とガン(渡辺謙)が
とあるさびれたラーメン屋に入ると、店主のタンポポ(宮本信子)
が幼馴染の土建屋ビスケン(安岡力也)にしつこく交際を迫られ
ていたところでした。それを助けようしたゴローだが逆にやられて
しまう。翌朝、タンポポに介抱されたゴローはラーメン屋の基本を
手解きしタンポポに指導を求められる。そして次の日から「行列の
できるラーメン屋」を目指し、厳しい修行を始め、その後様々な
キャラクターの登場人物が交錯して最後は「タンポポ」という
ラーメン屋が大繁盛と言うハッピーエンドで終わる物語です。
たんぽぽ3
この作品は一種のサクセスストーリーだとタバコ屋は思うのですが
それはともかくこの映画の面白いというかやや変わったところは
いろんなキャラクターの人物が現れてそれぞれ独立した短編物語
を構成しており、一種オムニバス風のコメディとなっているように
タバコ屋は思います。それも随所に伊丹十三氏のエスプリと含蓄が
出てきて、伊丹氏独特の「泣き笑い」という世界へ観客をさそい込ん
でゆくのです。
たんぽぽ2
この写真なんか、笑ってしまいそうなんですが、ラーメンの権威と
いう役柄で出演した故、大友柳太郎氏です。真面目くさった顔で
ラーメンの極意、含蓄をガン(渡辺謙)に話しているシーンです。
大友柳太郎と言えばかつて泣く子も黙る東映時代劇の剣劇スター
として数多くの映画に出演した大スターですよね。伊丹監督は
その大スターをこともあろうにラーメンの先生役に抜擢したのです。
そこが彼一流のエスプリと言いますか、パロディと言いますか
タバコ屋が好きな部分でもあるのです。伊予言葉では彼のような
感性の持ち主をYOMODAと言います。
大友柳太郎1
余談になりますが大友柳太郎氏は広島生まれ(能美島)の山口
(柱島)育ち、長じてはタバコ屋の母校でもあり、かつて明治の
世には夏目漱石が赴任し後年小説「坊ちゃん」の舞台ともなった
松山中学(愛媛県立松山東高校)の出身なのです。と言うことは
タバコ屋の大先輩ということになります。
伊丹十三2-1
また肝心の伊丹十三氏は映画の脚本家、監督だった父の伊丹万作
氏の長男として京都で生まれ一時東京で生活したものの幼少時は
京都で育った生粋の京都っ子でしたが、終戦後父の生まれ故郷で
ある松山に帰り多感な時代を過ごしました。父と同じ松山東高校
に入学し、当時在学中のノーベル賞作家、大江健三郎氏と親しく
交流しましたが、どういう理由だったのか同じ市内の松山南高校
に転校してしまいました。紆余曲折のため彼が高校を卒業したのは
20歳だったと言います。したがってタバコ屋としては先輩ではある
ものの微妙な関係となっています。同級生でもあり親交のあった
大江健三郎氏とはその後も伊丹氏の妹が大江氏に嫁ぎ、より深い
親戚関係となっていきました。
タンポポ5
映画タンポポに戻ります。かくしてタンポポ(宮本信子)はさびれた
ラーメン屋をまわりの暖かい応援により泣き笑いの末繁盛店へと変身
させハッピーエンドとなる訳です。先ほどこの作品はオムニバス風
だと申し上げましたが、劇中で役所広司や井川比佐志、大滝秀治等
芸達者な脇役が出てきて、意味不明ながらもそれぞれ独立した物語
を挿入し、人間の食べることに対する業のようなものや、男女関係
の業について演じておりそれが伊丹流プロデュースということなの
かも知れません。タバコ屋はそのYOMODA感覚が大好きなので
すが、興行的にはややストーリーが散らかったせいなのか成功しま
せんでした。
たんぽぽ3
たんぽぽとラーメン映画「タンポポ」一見何の関連もないことながら
タバコ屋がたんぽぽのことをお話しするにはどうしてもこの映画の
ことから始めなければなりませんでした。

本来なら、これからいろいろお話しして長たらしい記事となるのです
が、有力なコメンテイターのご助言もあり今回はここまでとし、後は
vol.2にてお話ししたいと思います。お楽しみに。


好みの基準 vol.5:懐かしのチェリーX1

平成26年2月17日
「クグロフとミニ・クーパーの謎」の記事いかがでしたか。
よもやまさかというのは、皆さんの身の回りによくあること
ですが、タバコ屋にとってのよもやまさかが今回のクグロフに
まつわるスイーツ開発でした。まさかマリー妃を中島にお迎え
することになろうとは夢にも思いませんでしたから。ま、それ
はともかく一つ区切りがついた今、コーヒータイムまたはティー
タイムのつもりでくつろいだお話しをすることにしましょう。
今回、ミニ・クーパーにからみ懐かしのチェリーX-1のことを
少しお話ししたのですが、話し足りない部分もありましたので
更に追加記事にてそのチェリーのデザインについてタバコ屋流
の考えをお話ししてみたいと思います。
チェリーX1-2
懐かしのチェリーX-1/4ドアセダンです。今見ても何とも愛らし
いデザインだと思いませんか。昭和45年発売ですからタバコ屋
がハタチの青春時代の頃のノリモノであり、今となれば時代を
感じさせますが、当時としては日本ジドウシャ産業の最先端を
ゆくコンセプトとメカニズムを兼ね備えていました。言うまでも
なく横置きエンジン前輪駆動2BOXスタイルで、その後日本の
ジドウシャの実用車のカテゴリーはすべてこのスタイルとなって
いくのですから、その先駆者としてチェーリーの果たした役割は
大きなものがありました。
日産プリンスロイヤル1
余談になりますが、チェリーの設計者はプリンスの増田忠氏で、
デザイナーではなく設計統括としてまたは総合プロデューサーと
してチェリーを開発したと思われます。それ以外にも天皇家の
御料車(おめしグルマ)として有名なニッサン・プリンスロイヤル
の開発責任者でもあったという当時のプリンス設計陣の中でも
エース級の重要人物だったのだと思います。それはともかく肝心
のチェリーのボディデザインは一体誰がやったのだろうか・・・。

タバコ屋はジウジアーロと松尾良彦氏以外はカーデザイナーに
あらずと思っており、(ただしピニンファリーナは一目置くところ
あり)随分乱暴な価値観の持ち主ですが、それでもチェリーの
デザイナーは一体誰だったのか非常に気になるところです。
チェリーX1-36
それはさて置き、チェリーのデザインを見ていくことにしましょう。
まずフロントデザインですが、無駄がなくしかも何故か愛らしく
かつスポーティなデザインだと思いませんか。そのキモは2灯式
ヘッドライトの内側にオレンジの丸型スモールランプを配置した
ことです。これがハニカムメッシュのグリルと相まって一種独特の
スポーティ感を生み出しているのです。「オロナミンCは小さな
巨人です!」などと言うCMコピーが流行ったこともありますが、
チェリーはまさに「ニッサンの小さな巨人です」と言ってやりたい
くらいのインパクトがありました。サイドミラーも今では常識の
ドアミラーでなくフェンダーミラーでした。それもスポーティな
砲弾型のミラーで、大衆車ゆえ仕方ありませんが、デザインの
良し悪しから言えば、ブルーバードやフェアレディZに採用されて
いた砲弾型ミラーの方がよりスポーティで高質な感じでした。
チェリーX1-3-1
リアデザインです。タバコ屋は2BOXボディと申し上げましたが
正確に言うと2BOX風の3BOXセダンなんです。ちなみに
2BOX=フロントエンジン部+キャビン部(例:ミニのような
レイアウト)で、方や3BOX=フロントエンジン部+キャビン部
+リアトランク部と言うデザイン定義をもとにお話ししています。
フロントデザインも愛くるしいものですが、リアも同様に清楚で
可愛らしいデザインです。そのキモはリアコンビネーションランプ
が縦長の控えめなデザインであることです。現代はこれ見よがし
のエグいデザインが主流ですが、チェリーの控えめないじらしい
デザインは品性さえ感じさせます。それにしてもマフラー先端部
のショボイと言うかチャチと言うか極端な細さには今では笑って
しまいそうな気がします。これでも随分高性能でしたから、今時
のストーブの煙突のようなでかいマフラーなんぞ格好だけで何も
大金はたいて付け替えることもなかろうにと思います。
またバンパーもその後の厳しい対衝突基準による無骨で美観を
そこねるようなものを取り付ける必要などなかったのどかな時代
のもので、シンプルで好ましいデザインでした。
チェリーX1-30-1
真横からの眺めです。チェリーで最も特徴的だったのはサイド
ウインドウのデザインで、当時「アイライン」と言われたL字型
に跳ね上がったラインは個性的ではありましたが、クセが強く
実用的な面からは後方視界が非常に悪くて扱いづらかった記憶
があります。タバコ屋の好みからいけば、無理に跳ね上げたり
せず、自然にトップから後ろ斜めにラインを降ろしてきて、視界を
確保してほしかったです。当時のアメリカ車のデザイントレンド
ではあったものの、それを採り入れたデザインにしたことで結果と
してCピラーは富士山のような形となり、車名をフジにしようとか
いう案もあったとか。正直車名はチェリーの方が数千倍も良かっ
たとタバコ屋は思います。日本の象徴の一つ「」がオクルマの
ネーミングに使われたことに限りない愛着を覚えるからです。
それ以降、日本をずばり表すような車名を見たことも聞いたことも
ありません。
ケンメリスカイライン1
チェリーと同じく旧プリンスによって開発されたスカイラインも
通称「ケンとメリーのスカイライン」または「愛のスカイライン」と
呼ばれる4代目のモデルはそのアイラインが採用され見てくれ
はともかく極めて後方視界の悪いクルマでした。やはりスカGと
言えば3代目の「箱スカ」にとどめを刺すのではないでしょうか。
スカイライン2000GTR-1
またチェリーのタイヤサイズは12インチで今では軽四か、それ
以下のショボイサイズであり車重が670kgと信じられないほど
軽かったせいもあって十分なサイズだったのかも知れません。
その結果、タイヤとタイヤハウスの間に隙間が出来、妙に腰高の
イメージとなったのですが、これは好みが分かれるところであり
いやな人は車高を下げたり、タイヤサイズを大きくして改造した
当時の若者も多くいたと思います。
チェリーX1-22
コクピットデザインですが、今時のようにエアコン、CD、MD
カーナビ何でもござれの時代とは異なり走行に必要な計器が
適切かつシンプルに配置されたグッドデザインだと思います。
とにかくエアコンなど夢のまた夢で、カークーラーという言葉が
やっと出来た頃のお話なんです。
写真は多分一般のタイプだと思いますがX1の場合はスポーツ
タイプなので正面右がスピードメーター、左の時計のかわりに
タコメーターが装着されていました。ライトやワイパーのスイッチ
も今のように手許での集中操作方式でなくプルトップ式のもの
がそれぞれ独立して付いていました。
特筆すべきはステアリングのデザインで当時の大衆車クラスとは
思えないほど斬新でおしゃれなデザインでした。今でこそ衝突
時の安全性からSRSエアバッグを組み込んだ分厚いものとなり
ましたが、当時はそのような概念は全くなく自由にデザイン出来
る時代でした。
チェリーX1-28
チェリーは何もかも革新的で斬新なメカとデザインでしたが、一点
だけ残念な点がありました。それはギアシフトのフィーリングです。
横置きエンジンでミッションも並列の横置きでしたからそのギアを
縦直角方向から操作しないといけない訳で、どうしても動きに無理
があり、一般的なFRレイアウトのサニー等に比べスムーズな動き
とは言えずゴキゴキッとした感じだったように記憶しています。
その点、軽四ではあったものの同じFWD横置きエンジンレイアウト
だったHONDA-N360はもっと小気味良いシフトフィーリングだった
ように思います。
チェリーX1-35-1
ボディカラーにつきましては、オレンジがチェリーのイメージカラー
ではあったものの、かなり派手なので皆さん気恥ずかしかったの
かあまり見かけませんでした。やはりアイボリー系が圧倒的に多
かったのとタバコ屋がD大学自動車部3回生の時にニッサンから
貸与されたX-1は写真のクリームイエローで、おしゃれないい色
でした。
チェリークーペ1
ここで皆さんチェリークーペのことが全く出て来ないのは何故か
不思議に思われているでしょうが、このロータスヨーロッパにも
似た超斬新なデザインのチェリークーペは当時、サニーとともに
レースでは大活躍しました。また若者の人気も高かったとは思い
ますが、後方視界はまったくないと言ってもいいくらいデザインの
犠牲となっており、またタバコ屋の好みの基準にも合わないので
わざとお話ししなかったという訳です。
チェリーX1-37
今月の気になる写真の欄でもご紹介した、最近のクラシックカー
ラリー(レジェンドオブザラリー)に出場された希少なX-1の一台
ですが、アイボリー色のX-1ボディはラリー車としてチューニング
され、シビエの補助ランプ等で武装されていて精悍なフェイスです。
(関連記事:レジェンドオブザラリー参照願います)
タバコ屋が指摘したややショボいフェンダーミラーはこのオーナー
氏も気になったのかブルーバード用(多分)に取り替えられていま
すよね。おそらくこのボディはドンガラ状態から丁寧にレストアされ
たものだと思うのですが、タバコ屋の好みの基準からいけば、せっ
かくミラーを取り替えるのであればフェンダーからドアに移動した
ほうがスッキリしてモダンな感じになるのにと思いました。これも
好みの問題であり、人様のオクルマをタバコ屋がとやかくいうこと
でもないのです。
尚、ボンネットには当時のニッサンワークスチームのロゴマーク
の一つであったDATSUNの文字が大きく入っていますよね。
これは当時のNISSANラリー車の再現でありタバコ屋は涙が
出るほど懐かしい精悍ないでたちです。もっとも当時は240Zの
華々しい活躍により、チェリーが国際的な表舞台に立つことはあり
ませんでした。
MYフェアレディZ
またフェンダー横にはタバコ屋のフェアレディZにも書き入れている
NISSAN MOTOR CO.LTDのロゴと日の丸が誇らしげに書か
れているのを見て、何やら久しぶりに親友に再会したようで一人
嬉しくなるタバコ屋ではありました。
ついでの話ですが、嬉しがりのタバコ屋も当面ラリーに出る計画も
ないのと気恥ずかしさも手伝い、ボンネットにDATSUNと大書する
勇気はなかったことを申し添えます。

わずか8年と言う短命に終わったチェリーですが、タバコ屋の青春
時代と共にあった訳で、やや大げさに言えば「ひとときの恋」とも
言える愛着がありました。


クグロフとミニ・クーパーの謎

平成26年2月7日
今迄の記事でタバコ屋がかなり力を入れて開発した期
待の新製品「中島いよかんクグロフ」についての開発ス
トーリーを数回に亘りお話し致しましたが、一応の締め
として今回はクグロフとミニ・クーパーとの似ても似つか
ぬ関係についてお話ししたいと思います。
旧ミニ-12
オクルマ好きなら誰でも知っていて日本人が大好きな英
国車と言えば写真のミニ・クーパーに決まっていますよ
ね。ミニ・クーパーのルーツをお話しするとあくびが出る
ほど時間が掛かりますのでかいつまんでご説明しますと、
メーカーはBMC社(ブリティッシュ・モーター・コーポレー
ション)で戦後の一時期までは輝いていたイギリスの自
動車産業でしたが、その後の急激な技術革新(イノベー
ション)についていけなくなり、オースチン社を中心とす
る数社が合併して出来たメーカーでした。
旧ミニ-3
BMC社は当時新進気鋭の天才設計者アレック・イシゴ
ニスを抜擢し、彼が温めていたアイデアをズバリ新型車
に採用することになります。
その名は「ミニ」でした。発売に当たってはオースチンミニ
とモーリスミニという名前でしたが同じものでした。その
構想は極めて革新的なもので、基本コンセプトは「人の
スペース最大、メカのスペース最小」というものでした。
後年我がHONDAはこのコンセプトをパクッたのかどうか
知りませんが「マン・マキシム メカ・ミニマム」というコン
セプトを打ち出しました。タバコ屋の推測では多分パク
リだと思います。では天才イシゴニスはそのコンセプトを
どのように実現したのでしょうか。
旧ミニ-16
ミニのエンジンルームです。彼は当時の常識をことごとく
覆す設計をしました。まずエンジンは縦置きが常識だっ
たものを横置きとし、前後のスペースを短縮しました。
ミッションは縦置きエンジンの後ろに直列にくっ付けるの
が常識でしたがエンジンの下部へ並列にくっ付け2階建
ての構造としました。それにより前後スペースは格段に
短縮されました。
そして前2輪を駆動させるFWDいわゆる前輪駆動とした
のです。FWDのメリットは後輪に動力を伝えるプロペラ
シャフトが不要となり、いわゆるフロアトンネルがなくな
ることでキャビンが広く使えることにあります。それと部
品点数が少なくて済むので大衆車にとっての至上命題、
コストダウンに貢献することにもなるのです。
ボディ形状はいわゆる2BOXスタイルとし車輪は出来る
だけ四隅に配置することによりキャビンスペースが最大
になるよう配慮しました。サスペンションには金属コイル
でなくゴムを使用する等、何もかも革新だらけの設計で
した。

当時、ロールスロイスのキャッチフレーズは「必要十分
な性能を備えています。これ以上何をお望みでしょうか」
と豪語していましたが、ミニは「実用車で、これ以上何の
機能をお望みでしょうか」と言わんばかりに他のライバ
ルを圧倒する画期的なデザインと機能で颯爽と登場し
たのです。人気が出ない訳がありません。その後の世
界的な大ヒットは言うまでもないことで、近年BMWによっ
て吸収され、BMWミニが誕生するまで40年もの長きに
わたり生産され続けてきました!。
(関連記事:復刻と改造参照願います)
チェリーX1-2
我がニッサンが昭和45年(1970年)に発売した意欲作
NISSANチェリーはミニ同様4気筒OHVエンジンを横置き
にし、ミッションはイシゴニス流の並列配置による前輪
駆動システムを採用していました。早い話がミニのパク
リですが当時タバコ屋は同志社大学自動車部の2回生
でした。

実はその翌年、販売促進の一環として我々の自動車部
にそのチェリーのスポーツタイプX-1を1年間モニターとし
て貸与頂くことになったのです。思いも掛けないことにて
クラブ内で一躍スター車輛としてもてはやされることに
なったのは言うまでもありません。1年間とは言え愛着
があり、キビキビとした俊敏な走りで思い出深いクルマ
でした。
北陸遠征-1
今では滑稽な裏話が一つあります。このチェリーX-1は
関西の有力な大学自動車部の数校に貸与されたので
すが、京大がもれていてある日その京大のキャプテン
以下数名が我が部室に怒鳴り込んで来たのです。
俺達の大学が漏れて何故おまえらの大学が貰えるのか
と。答えはクラブでの競技実績のあまりにも大きい差に
あったのですが、タバコ屋は当時キャプテンを拝命して
おり、そういうことはニッサンに行って申し述べるのがよ
ろしかろうと答えるに留め乱闘にはならずに済みました。
若気の至りとは言え予期せぬ出来事があったことを鮮
明に覚えていますが、その当時の懐かしい写真で北陸
遠征に行った時のものです。
(関連記事:荒ぶる心 vol.3:チェリーX1参照願います)
チェリーX1-3
このチェリーは元々ニッサンと合併直前だったプリンス
の設計部隊によって開発されたものでしたが直後に合
併となりニッサンブランドで発売されると言ういわく付き
のオクルマでもありました。多分プリンスの設計技術者
達はアレック・イシゴニスとその作品であるミニに惚れ込
んでいたのだと思います。
(関連記事:零戦の末裔参照願います)
チェリーX1-25
チェリーの高性能版X-1のエンジンルームです。OHVな
がら高性能エンジンとして評価の高かったA12型エンジ
ンは当時サニーにも搭載されていました。それをチェリー
は横置きにし、出力を高めるためサニーGX-5同様のSU
キャブレターを2連装していました。今から思えば軽度の
チューニングながらとにかく車重がたったの670kgと今
のクルマの半分くらいしかなく、80馬力程度だったにも
拘わらず、とにかくバカッ速かった記憶があります。
チェリーX1-22
コクピットのデザイン一つとっても、今では笑ってしまい
そうですが当時としては無駄を排し機能美に溢れたスポ
ーティなデザインだったように思います。但しそれは単な
るタバコ屋のノスタルジーであるのかも知れません。

無駄話を一つしますと、タバコ屋は今でもチェリーという
ネーミングが大変お気に入りであり、また初代チェリー
の愛くるしいデザインもネーミングと合わせて魅力的で
した。残念ながらその後2代目以降はデザインも改悪さ
れ、初代の魅力は失われてしまいました。また8年後に
はパルサーという名前に変わってしまいタバコ屋の落胆
が大きかったことは言うまでもありません。多分プリンス
の技術者達も同じ心境だったと思います。
IMG_3183-1.jpg
余談になりますが、タバコ屋の愛車、昭和48年製のフェ
アレディS30-Zが昭和44年(1969年)の発表ですから、
チェーリーはその1年後に発売されたということであり、
とにもかくにもタバコ屋の青春時代そのものでもあった
訳です。ちなみに後ろに写っている可愛い小島が今回
の開発のモチーフとなった「城」でタバコ屋だけの愛称
は「おにぎり山」です。
N360-3.jpg
実は日本にはもう一人、ミニに惚れ込んでいた男がいま
した。それは本田宗一郎氏でした。彼は当時通産省から
ママ子扱いをされながらも四輪車事業に進出すべく執念
を燃やしていました。
その苦労は実を結び記念すべき第一号として歴史に残
るあのHONDA-N360を発売するに至りました。当時の
若者は言わばクルマに飢えた状態でしたので革新的な
メカと高性能かつスタイリッシュなデザイン、おまけに安
価な価格設定と3拍子揃ったN360に人気が殺到したの
です。それでも貧しかったタバコ屋は新車など夢のまた
夢にて、大伴先輩からお古のN360をお下がりとしてタダ
同然の値段でそれも同期の佐々木君と共同購入し、随
分お気に入りで乗り回したものでした。若気の至りとは
このことを言います。
ホンダN360-3
そのN360ですがよく観察すると宗一郎氏が惚れ込んだ
だけあって、ミニのパクリと言えば聞こえが悪いので言
い方を変えればイシゴニスのコンセプトに共鳴し、優れ
た部分を設計に採り入れたものと言えます。ただエンジ
ン屋である宗一郎氏の矜持としてエンジンだけは空冷2
気筒OHC360ccのハイパワーエンジンを搭載しHONDA
としてのアイデンティティを保ったのだと思います。
以後チェリー、N360に限らず前輪駆動、横置きエンジン、
2BOXボディというパッケージコンセプトは異端児から時
代の主流へと変わることになりました。その意味で天才
アレック・イシゴニスの功績は多大なものがあると思い
ます。
(関連記事:鈴鹿サーキットのこと vol.3:混迷期参照
願います)

タバコ屋はチェリーにしろ、N360にしろ、そのコンセプト
はミニのパクリであると申し上げましたが、それを悪い
ことだとは思いません。発明者の創意を尊びつつ、良
いものはどんどん真似るべきで小国がひしめき合って
いたヨーロッパも江戸時代頃から急激に近代化を遂げ
世界を支配し得た理由は隣国のいろんな知恵を真似し
合ったからなのです。その点日本はキリシタン化を恐れ
て鎖国してしまったため世界から取り残されたという訳
です。

タバコ屋の若かりし頃、日本は高度成長期と呼ばれる
急激な近代化を成し遂げましたが、その当時は貪欲に
世界の最先端技術を学ぶ(パクる)必要があり自動車
産業においてはやがて世界の頂点へと上り詰めること
になりますが、当時の若者の一人だったタバコ屋は「追
い付け、追い越せ」というキャッチフレーズはよく耳にし
たものの、正直日本がそこまでになるとは思いもよりま
せんでした。
クーパーF1-T51-2
話をミニ・クーパーに戻します。ミニが発売された当時、
カテゴリーは違うもののF1で大活躍をし成功を収めつつ
あったジョン・クーパーは好奇心に溢れていたというべき
か、商売上手だったと言うべきかミニの優れた潜在性能
に目を付け、当時のメーカーBMCに対しお得意のチュー
ンナップ技術によるスポーツタイプの提案をし、意外にも
それが採用されたのです。言ってみればブルーバードの
スポーツタイプSSSみたようなものでそのアイデアが採用
されるやいなや、世界中で大人気となりました。
車名はミニ・クーパーで更にチューンしたものはミニ・クー
パーSと呼ばれました。
(関連記事:荒ぶる心 vol.6:マクラーレン物語参照願い
ます)
旧ミニ-11
当時のF1レース各チームのボディはナショナルカラー
が塗られており、クーパーはイギリスのナショナルカラ
ーであるブリティッシュグリーンに2本の白いストライプ
を入れたものであったため、ミニ・クーパーも上の写真
のボディカラーが正式なものとされていました。
旧ミニ・モンテ-8
その後コンパクトな大衆車にも拘わらず高性能化され
たミニクーパーはモンテカルロラリーに出場し昭和39年、
40年(1964、65年)と連続優勝、41年も実質は優勝した
ものの車輛規定違反で失格、翌42年は再び優勝を飾る
等大活躍しました。
旧ミニ・モンテ-10
失礼ながらこんなちっぽけなクルマでもランチア、ポル
シェ等一流のスポーツカーを打ち負かすことが出来た
のです。その原因としては、ベースであるミニの車輛設
計が優れたものであったことと、それの改良チューニン
グを提案、実現したジョン・クーパーの着眼が良かった
ことが挙げられると思います。
BMWミニクロスオーバー2
ちなみにそれから50年経った今、BMWによってミニが
再び蘇り、世界中でベストセラーになりつつありますが
そのスポーツ精神は引き継がれ今度は世界一苛酷な
ダカールラリーへの挑戦を試み、今年も含めて3連覇を
果たす等、栄光の伝統は息づいています。
尚ラリー競技車はミニのSUV版であるミニ・クロスオー
バーですがこのラリー車には栄光のジョン・クーパーの
名が冠せられています。
BMWミニクロスオーバー3
余談ながら現代は50年前のようにのどかではなく、ラリ
ー車のスペックはBMW製3Lディーゼル・ツインターボで
300馬力以上の過激な戦闘仕様になっていて、実際は
もっと馬力を上げられるのでしょうが何しろ数千キロの
長丁場にて壊れるといけないので押さえているのだと
思います。
BMWミニ-7
かつてのオースチン・ミニのオリジナルデザインモチー
フを上手く採り入れ、ハイテク高性能のドイツメカを組み
合わせ、現代のミニとして見事に復活させたBMWは、ま
さに天晴れと言うべきでしょう。
一説によると日本のメーカーがその役をやるかも知れな
かったそうですが、かつてBMC(後のローヴァー)と提携し
レジェンドを産み出した我がHONDAがそうではなかった
のかと思います。
それ以前にも宗一郎氏がF1参戦の時クーパーF1を購
入して熱心に研究していたし、BMC-ミニはN360開発時
のお手本となったことは間違いなく、あれもこれも数奇
なご縁で繋がることばかりなのです。タバコ屋は現代の
BMWミニがお気に入りであることはさておき、HONDA
がそれをやりたかったことを確信している一人です。

歴史にIFはありませんがもし我がHONDAがイギリスの
BMCと親戚関係を続けていればデザインにおいても、
もっと品性にあふれたものが生み出されていると思うの
ですがタバコ屋の妄想かも知れません。
(関連記事:好みの基準 vol.1参照願います)
クグロフPOP3(保存用)
さて長い前置きとなりましたが、「中島いよかんクグロフ
」のことです。タバコ屋は今月の気になる写真欄でクグ
ロフのことを発作的に「食べるBMWミニクーパー」などと
口走ってしまいましたが、その根拠をお話ししないといけ
ません。
クグロフは既にお話ししたように数百年も前からフランス
アルザス地方に伝わる伝統的なお菓子で、ベースがしっ
かりしたものであると言うことです。しかもヴェルサイユ
のマリー王妃がこよなく愛したという、とびっきりのストー
リーが付いているお菓子なのです。
マリーアントワネット2
その素性の良いベースに対し、今回我がふるさと中島
産のいよかんを使って味とパッケージデザインのチュー
ニング?を施し、高性能版(高付加価値版)に作り直す
ことによって新しい別のものを生み出すと言う試みを致
しました。タバコ屋が「食べるミニ・クーパー」と言った理
由がこれでおわかり頂けたと思います。
(関連記事:マリー・アントワネットとフェアレディZの謎
参照願います)
IMG_3982-1.jpg
いろいろ紆余曲折がありましたが、最初クグロフに出会
って感じたその形が島をイメージさせる、それもタバコ
屋にとって思い出の詰まったある小島を思い起こさせ
るという「特定のモチーフ」が開発に生かされ、ブレるこ
となく最終の製品に反映することが出来たことは、関係
して頂いたすべての方に「有難う」と感謝したい気持ち
で一杯なんです。まだ売れてもないのに・・・。
(関連記事:島のスイーツ開発 vol.7:クグロフ発進参照
願います)
旧ミニ・モンテ-9
ミニ・クーパーの歴史を辿る時、それは最初からその形
であったものではなくまずミニというしっかりしたベース
があり、ジョン・クーパーの熱いアイデアとその実現に
よりミニの高性能版(高付加価値版)として世に出た訳
で、それがなければ世紀のベストセラー「ミニ」も、単に
革新的な大衆車であったというだけのストーリーで終わ
っていたと思うのです。ミニ・クーパーのモンテカルロラリ
ー等での活躍があったことでそれに別の物語が加わり
ミニ・ブランドに対し今日のようなアイデンティティが確立
したのだと思います。
旧ミニ・モンテ-3-1
そのようなことを思い合わせるにつけ、タバコ屋もクグ
ロフに対しややピント外れながら秘かにミニ・クーパー
のイメージを重ね合わせているのかも知れず、ある日
突然「食べるミニ・クーパー下さい!」などと年甲斐も
ないことを口走ってしまいそうなタバコ屋自身に対し、
思わず苦笑してしまう今日この頃です。

★★島のタバコ屋の独り言★★
【7月31日:ああ創業100年】 島のタバコ屋、即ち富永呉服店が創業100年を迎えたことは先般お伝えした通りですが、皆さんよくご存知の世界的宇宙物理学者、故ホーキング博士によれば、100年なんて宇宙的時間軸で言えば、一瞬のまばたきに過ぎない訳で「島でのことも夢のまた夢」ということになりましょう。それはともかく4才の頃から道端の草にも「コンニチハ」なんて愛想を振り撒いて来たタバコ屋にしてみれば「店は客のためにある!」以上、未来永劫、店の続く限りそのテーゼを実践し続けるしかないのです。京都で300年続く老舗料亭、老舗呉服問屋もその志があったのかどうか、お聞きしたことはありませんが、当らずとも遠からじではないでしょうか。
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