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沖縄巡礼 vol.4:気がかりなこと

平成26年7月27日 【ブログ閲覧2万人突破記念号
【オスプレイとハイブリッド】
中島総代会ご一行の研修旅行は無事終わり、幹事長と
してもほっと一息といったところですが、今回の旅行の
目的は基地視察でもなく、またオキナワモンダイの検証
でもなかった訳で、軍事的な施設の見学はありません
でしたが、タバコ屋としては正直なところ、個人的には
オスプレイをこの目で見てみたい衝動に駆られました。
オスプレイ1
いきなりの写真で恐縮ですが、この奇妙なハゲタカの
ようなヒコーキがオスプレイなんです。プロペラが上向き
に回っており一見羽根が2個付いたヘリコプターのように
見えます。タバコ屋はヒコーキには詳しくないので明快
な説明が出来ませんがわかりやすく言えば垂直離着陸
機(VSTOL)と言われるもので、VSTOLはVertical short
Take-Off and Landingの略なので読んで字の如くという
ことになります。
オスプレイ2
オスプレイの特徴はプロペラ推進のエンジン部分が90
度向きを変えることが出来る可動式になっていることで
離着陸時は推力を縦方向に使い、巡航時は横方向に
使えることです。つまりヘリコプターの便利さとプロペラ
機の高速性(ヘリに比べてですが)を併せ持った主に
有事の際の緊急兵員輸送目的のヒコーキなのです。
ちなみにどうでもいいことなのですが、可動式プロペラ
のことをチルトローターと言います。チルトステアリング
のヒコーキ版です。
オスプレイ3
兵員輸送だけが目的なら、大型ヘリコプターや大型ジェ
ット輸送機があるのですが、ヘリは遅いので撃墜される
危険が大きく、またジェット輸送機の場合は長い滑走路
が必要で、最前線や洋上の空母ないしは強襲揚陸艦
など限られたスペースでは使用出来ません。
オスプレイ6
そこで長い年月の開発期間と莫大な開発費用を掛け完
成したのがオスプレイなんです。開発名称V-22のヘリと
プロペラ機のあいのこ機はヘリの専門メーカー「ベル」社
とヒコーキ総合メーカーの「ボーイング」社が共同で開発
しました。一連のメカはコンピューターで精密にコントロー
ルされ完璧かと思われたのですが、初期の墜落事故等
が多発し実際はなかなかうまくいきませんでした。

それだけならあまり話題にもならなかったのですが、その
問題のオスプレイが、沖縄や岩国等日本の米軍基地に
配属されることが決まったので大騒ぎとなりました。
特に沖縄の普天間基地は街中に基地があるという最悪
の立地で、「もし墜落したらどないするんや~」と仲井真
知事はじめ沖縄中の方が激怒した訳です。
オスプレイ7
政治的な問題はさておき、タバコ屋のしろうと考えを述べ
させて頂けるなら、もともと駆動部分のエンジンを可動式
にするというコンセプト及び基本メカニズムに無理がある
と思うのです。ボディ全体の重量バランスが常に変化す
るということは非常に不安定な状態となり、それをコンピ
ュータ制御するにしても限界があるはずです。その結果
失速したり姿勢を乱したりして墜落事故が多発したよう
に思います。
F15戦闘機2
そもそも、ヒコーキにしろオクルマにしろ、優れた性能の
ものはそれなりに機能美というものを備えているはずだ、
というのがタバコ屋の持論でもありますが、オスプレイ
にはそれが全く感じられません。タバコ屋は断じてオス
プレイのチーフデザイナーのアイデアとセンスを認める
訳にはいかないのです。
ナミール1
かつてアルファロメオ1300GTを始め、我がISUZU-117
クーペや初代ゴルフのデザインを手掛け世界に一大セ
ンセーションを巻き起こしたタバコ屋お気に入りのカー
デザイナージウジアーロに、カテゴリーこそ違え、オスプ
レイのデザインを託したとすれば、あのようにチンケな
ものは創作しなかったと思うのです。ちなみに写真は彼
の息子さんがデザインしたナミールという名前のコンセ
プトカーです。

ついでながらナミールはアラビア語で虎の意味だそうで、
基本メカはガソリンエンジン、それもロータリーで発電し、
4輪を電気モーターで駆動するという一種のハイブリッド
カーでジウジアーロもなかなかやるもんでしょう。ただ
買ってくれるメーカーがなければただの飾り物ではあり
ますが。

ついでの無駄話ながらジウジアーロやピニンファリーナ
に代表されるカロッツェリアと呼ばれる職業は、近年メー
カーが自社内でコンセプト立案からデザインまで一貫し
てやるようになったため、オシゴトが無くなりつつあり、
ほとんどが廃業に追い込まれています。ジウジアーロ
率いるイタルデザイン社もこのナミールを発表後、VW
グループに吸収されてしまったのは残念な出来事です。

オスプレイに戻ります。タバコ屋の私見では、推進エン
ジンはジェットを使用し本体は固定、可動式のノズルを
複数装備して離着陸時は下向きに、巡航時は横向きに
すれば重量バランスが崩れることなく安全性が高まると
思うのです。
ハリアー1
そのことは何もタバコ屋が心配せずともイギリスの「ホー
カーシドレー」社がタバコ屋が小学生の頃、即ち昭和35
年(1960年)に発明していてその7年後にはイギリス海軍
及び空軍に実戦配備されました。ハリアーの愛称で呼ば
れるこの戦闘機は世界初のVSTOL機として注目され、
今までほとんどアメリカ軍のお下がりアイデアを頂戴し
ていたイギリス軍もこれによりやっと溜飲を下げたとか。
(タバコ屋の想像です)
ハリアーⅡ-1
そのせいもあってかどうか、アメリカは空母に積載出来
る攻撃機としてマクダネル・ダグラス社が改良したハリア
ーⅡを海軍機として採用し現在も実戦使用されています。
ハリアー4
そのメカニズムのキモは何といってもこの可動噴出ノズ
ルではないでしょうか。機体に目盛りが付いているのが
見て取れると思うのですが離着陸時は下へ、巡航時は
横へノズルが向くようになっておりこれが機体の数箇所
に分散配置されているのです。
ハリアーⅡ-3
限られた場所でも離着陸出来、一旦離陸すれば攻撃戦
闘機として活躍出来るハリアーはアメリカを始め西側諸
国の空軍、海軍に採用され長い期間に亘り実戦運用さ
れて来ました。
F-35A-3.jpg
しかしハリアーはアイデアは優れていたものの、初飛行
以来50年の年月が経ち老朽化は免れません。現在アメ
リカが開発しているのは次世代主力機となるステルス
戦闘攻撃機F-35Aを改造したF-35Bで、これはかなり
画期的なものになりそうです。
F-35B-2.jpg
そのメカニズムのキモは可動式の噴出ノズルに加え、
離着陸時のホバーリング(空中停止)用にボディの中へ
センプウキを組み込んだことです。このファンは下向き
のエアを強制排出することで他の噴出ノズルとともに安
定したホバーリングを可能にしました。もちろんこのファ
ンは家庭用センプウキの数万倍のパワーであることは
言うまでもありません。まあ、金に糸目を付けないとは
言え、なかなか奇想天外なことを思い付くものです。
F-35B-3.jpg
かくして、このように超音速機が空母に垂直に着艦する
という離れ業が可能になりました。タバコ屋が言いたい
のはF-35Bの優秀性を説明することではなく、何故オス
プレイにこのアイデアが生かされなかったのかと言うこ
とです。それにはメーカー間の駆け引きや政治家の思
惑があり、それらが複雑に絡み合った結果かも知れま
せん。
F-35B-5.jpg
兵員輸送機と戦闘攻撃機という違いはあるにしても、
エンジン本体を両翼に散らし、固定した上で可動噴出
ノズルとセンプウキを併用すれば現在のように不安定
で危険なメカは避けられたと思うのです。
ホンダジェット-7
タバコ屋が秘かに金さえ出来れば購入したいと考えて
いるHONDAジェットにしても、常識を覆すエンジンを両
翼の上に配置するという奇想天外なアイデアが、大幅
な省燃費、省スペースという結果を生み出した訳で、
オスプレイにも出来ないことはなかったのです。
ホンダジェット-4-1
尚、言っておきますが、アラブの王侯やアメリカのセレブ
なら5億円程度のヒコーキ(HONDAジェット)はポケット
マネーでポンと買え、その後の莫大な維持費にも耐えら
れますが、島のタバコ屋では死ぬほど貯金に励んでも
それは実現しそうにありません。つまり、無いものねだり
ということになるでしょうか。

もはや配属されてしまったオスプレイをどうこうしようも
ありませんがVSTOL機の歴史や開発されつつある次世
代ヒコーキを思うにつれまた沖縄の苦しみを思うにつれ
タバコ屋のグチのような記事となってしまいました。

今はその時期ではないにしてもかつて世界に冠たるヒコ
ーキ技術を誇った我がNIPPON即ち三菱よ、SUBARUよ、
HONDAよ、英知を結集して世界がアッと驚くVSTOL機
を開発してほしいものです。
くれぐれも言いたいのはそれが平和目的であり、世界の
人々の快適な生活に役立つものでなくてはなりませんが、
それが出来るのは我がNIPPON以外にないとタバコ屋
は思っています。
(関連記事:零戦の末裔参照願います)
プリウス1
さて、VSTOL機というのはヘリコプターの得意技である
ホバーリングと高速移動という二つの目的を同時に満
たすヒコーキな訳で一種のハイブリッド・エアプレイン
も言えるかも知れません。
オクルマの世界では今、省燃費に代表される環境性能
とそれなりの実用走行性能の両立を満たすものとして
ハイブリッド技術が本命視されつつあることは、タバコ屋
が繰り返し述べてきている事柄です。
ラ・フェラーリF150-8
それが証拠に、トップランナーたるフェラーリもラ・フェラ
ーリを開発しマクラーレンも負けじとP1を開発した訳です
が期せずして両車とも基本メカにハイブリッドシステム
(ガソリンエンジン+電気モーター)を採用していました。
(関連記事:紅茶とハイブリッド参照願います)
NSXⅡ-51
また先日、ニュルブルックリンクにて発売前のテスト走行
中によもやまさかの火災事故を起こしてしまった我が
HONDA-NSXも当然のことながらハイブリッド4WDシス
テムを採用していることは言うまでもありません。
(関連記事:燃えよ剣参照願います)
918スパイダー11-1
尚、申し遅れましたが世界の頂点たるスポーツカー御三
家の一つポルシェはすでに918スパイダーというハイブリ
ッドスーパーカーを開発していまして、メカニズムは我が
HONDA-NSXと同じというかHONDAがポルシェのアイデ
アをパクッたのか、また偶然同じになったのかも知れま
せんが、ミッドシップレイアウトのガソリンエンジンにモー
ターを1個くっつけ後輪を駆動、また前輪は2個のモータ
ーでそれぞれ直接駆動するというハイブリッド4WDシス
テムを採用しています。相当凝ったメカですよね。
マクラーレンP1-6
ちなみに前出のラ・フェラーリとマクラーレンP1はハイブ
リッドながらミッドシップ後輪駆動システムを採っていま
す。タバコ屋レベルではどちらが優れているかなどとて
も判断出来るコトではありません。

ただタバコ屋の好みで順位を付けろと言われれば比較
的簡単な作業にて、以下の通りです。
918スパイダー1
1位:ポルシェ918スパイダー・・・ポルシェ伝統の曲線を
基調とした控えめで無駄がなくしかも塊感を上手に表現
したスタイリングだと思います。やや保守的ながら品性
の感じられるボディに凝りに凝ったメカニズムを搭載。
さすがドイツ物、もう言うことなしです。
マクラーレンP1-38
2位:マクラーレンP1・・・妙に前倒しのつんのめったデザ
インが何か落ち着かないのと、蛙のようなフロントフェイ
スがイマイチですが、ロンデニスはこれが最高のデザイ
ンだと信じているのでしょう。おネダンは1億円以上と浮
世離れしたものにて市販版F1カーとも言えるその性能は
過激すぎてこの世のものとも思えません。
NSXⅡ-7
3位:HONDA-NSX・・・かつて初代NSXでフェラーリをビ
ビらせたHONDAよ、再び次期NSXでイタリアの跳ね馬
を跳ね飛ばして見せてほしいものです。デザインは概ね
良いのですがマクラーレンP1同様やや前のめりのルー
フラインが気になります。またリアサイドのエアインテー
クの開口部が小さく、冷却に問題があると思います。
ハイブリッド4WDのメカはポルシェ918同様ピカ一なので
すが、ただ欲を言えば、かつてF1に搭載したV10エンジ
ンを搭載すればポルシェと互角のプレステージを得られ
ると思うのです。そうでないとあの栄光のマクラーレン・
HONDA-F1の歴史がもったいないじゃないですか。
ラ・フェラーリF150-30-1
4位:ラ・フェラーリ・・・フェラーリの自信作ですが、何しろ
デザインコンセプトがやや宇宙的にてタバコ屋はあまり
好きではありません。世界一のアイデンティティと性能
かも知れませんが今回のデザインはフェラーリの自社
チームがやったそうで、タバコ屋に言わせるとピニンファ
リーナがデザインしたフェラーリ以外はフェラーリとして
認める訳にはいかないのです。後方視界もめちゃくちゃ
悪そうですし。
FCXクラリティ-6
もちろん水素と酸素を燃焼させて走る燃料電池車も排
出されるのは水だけという次世代の究極のクリーンカー
として注目はされているものの、水素ステーションという
インフラの整備が不可欠で、その普及はまだ当分先の
ことと思われます。

言っておきますけど、この燃料電池車、現在まともに市
販するなら1億円以上のプライスタグを付けないと採算
が合わないそうで、その意味ではリッパなスーパーカー
と言えるのではないでしょうか。
タバコ屋が気になるHONDA-NSXのお値段にしても、
あのニッサンGT-Rよりはかなり高いという噂ですので
多分2,000万程だと思います。となるとこの燃料電池車
(正確には水素燃料電池車)はベラボーにコストが掛か
っている訳で、それから見ればNSXなんぞオモチャみた
いなものです。

尚、どうでもいいことながら、オクルマのホイールスポー
クの本数は何本がベストか真剣に悩んできたタバコ屋
は7本がベストバランスであるという結論に達しましたが、
次世代カーHONDAクラリティのホイールも期せずして
7本スポークでした。尚、写真はクラリティの初期プロト
タイプです。
(関連記事:東京モーターショー異聞 vol.2参照願います)

今回の沖縄研修旅行から話は飛び、不完全で危険な
オスプレイのことに怒りと歯がゆさを覚え、かなりハイテ
ンションになったタバコ屋は思い高じてハイブリッドなオ
クルマのことまでお話してしまったのでした。F35のセン
プウキシステムや最近のオクルマの事例でおわかりの
ごとく困難な目的を二つのシステムを併用することで解
決するというハイブリッド技術はある意味、今日の時代
の要請なのかも知れません。

沖縄巡礼 vol.3

平成26年7月24日
那覇2日目の夜
「名護パイナップルパーク」でさいふのひもをうんとゆる
めた総代会ご一行は日も傾きつつある中部沖縄に別れ
を告げ、再び那覇の地へUターンすることにしました。
沖縄高速道路1
沖縄へ来て見てタバコ屋が不思議に思ったことは、列
車、電車の類が那覇のモノレールを除きまったく走って
いないことでした。タバコ屋はもしかして太平洋戦争後
長い間ジドウシャの国アメリカに占領されていたので、
そのせいかも知れないと思っていました。

あとで調べたところ、半分は当たっていましたが、主な
原因は先の太平洋戦争前には軽便鉄道や路面電車が
走っていたものの戦争により徹底的に破壊された結果、
もう二度と復元することがかなわなかったのと、占領者
アメリカ軍が鉄道を重視しなかったせいであることがわ
かりました。
モノレール
しかし多分今後は、那覇のモノレールを中心に沖縄各
地に地下鉄等、レール付きのノリモノが復活すると思い
ます。事実本家アメリカでも地下鉄や大陸横断シンカン
セン?が見直されようとしています。

モノレールというのは考えてみると非常に合理的なノリ
モノでレールが1本で済みますし、場所も取らずメンテ
ナンスも安上がりです。これを高架だけで走らせる必要
はなく、地下でも地上でも場所によって使い分ければ良
いのです。環境に負荷をかけないという時代の要請に
も合っていますし、沖縄の上層部にその意志さえあれば、
世界に冠たる鉄道技術を持つニッポンにとってはたやす
いことだとタバコ屋は思います。
DSCN0605.jpg
那覇2日目の夕食は「料亭 那覇」というところでかなりな
老舗だそうですがやはりオキナワらしく純和風でもなくか
なり南国風のエキゾチックなムードが漂っていました。
DSCN0607.jpg
メニューはご覧のとおりで、沖縄らしくゴーヤチャンプル
ーや沖縄豆腐、また後からは豚の角煮等も出て来て、
イメージ通りでした。ただ味付けが甘く薄味?で、島は島
でも瀬戸内海の島の総代さんご一行はややお口に合わ
なかったのではないかと推察します。
DSCN0608.jpg
さてお料理も出揃い、本日お世話頂く沖縄美人のお嬢
様方です。一言ご挨拶をということで雛壇に勢揃いです。
DSCN0610.jpg
総代ご一行の皆さん、くつろいでご歓談中ですが、日本
料亭とは言うものの、床の間や障子の作りはなにか異
国風のものを感じます。やはり元はといえば琉球という
外国だった訳ですから。
DSCN0615.jpg
宴もたけなわとなってまいりました。ウーン、濱田会長、
かなり大胆なポーズで2ショットに収まって頂きました。
隣のお嬢さんとは何やらヒソヒソお話していましたので、
宴会後のご相談をされていたのかも知れません。幹事
長としてはそこまでは立ち入ることが出来なかったのが
残念です。
DSCN0614.jpg
濱田会長はお嬢さんとヒソヒソ話がまとまったのか、余裕
の表情ですが、左手はタバコ屋とは同釜の橘氏が何や
ら添乗員N氏と歓談中です。彼は顔、体格から判断して
一升酒も辞せずと思ったのですが、どうもアルコールは
苦手らしくほとんど口にしません。そのかわりと言っては
失礼ですがアヘン(ニコチン)は平気というよりビョーキに
近く、タバコ屋同様、世の中から排除されつつあるヘビー
スモーカーというジャンルに入るお方です。添乗員のN
氏はアヘンはたしなまないもののアルコールはなんでも
来いでヘビーというよりヘビの如くでしょうか。おかげで
タバコ屋同様、頭髪に影響が出てしまったのかも知れま
せん。

ついでながら、真ん中の空いた席はタバコ屋のものだっ
たのですが、写真撮りが忙しくせっかくのご馳走も大分
食べ損ねたように思います。何を食べたのかあまり記
憶がないのです。
DSCN0625.jpg
ご一行の旅の夜を慰めるため旅行社添乗員N氏の粋な
計らいで沖縄の踊りを何種類もご披露して頂きました。
DSCN0622.jpg
前日の「琉球村」で見かけた「琉球紅型貸衣装店」の沖
縄衣装そのままのスタイルで独特の笠を被りまるで気
功のようにゆったりとした動きの踊りも見せてくれました。
DSCN0628.jpg
タバコ屋がもっともお気に入りだったのは、踊りもさるこ
とながら沖縄民謡を歌ってくれたこのお嬢ちゃんでした。
ルックスも歌も申し分なく恥ずかしながらしばしの間、見
とれて、いや聞き惚れていました。
DSCN0628-1.jpg
伸びやかで張りのある歌声は、元キャンデイーズのスー
ちゃんこと田中好子さん似のルックスと相まって品性さえ
感じられるもので、タバコ屋ももう30才程若ければなりふ
り構わず彼女に突撃するところでした。
キャンディーズ2
そのスーちゃんですが、ランちゃん、ミキちゃんと3人で
「春一番」等の大ヒット曲を連発しその絶頂期、即ち昭和
52年に突然解散宣言をしたのです。タバコ屋27歳の夏
の出来事でした。可愛そうにスーちゃんは先年、難病に
て急逝したのは記憶に新しいところです。

「風さそう花よりもなお我はまた春の名残を如何にとか
せん」スーちゃんとは何の関係もない浅野公の辞世の
句ですが、何故かこの句がふと思い出されたタバコ屋
でした。何故だろう・・・。
DSCN0640.jpg
その後はお嬢ちゃんの歌に合わせて、観客席の総代ご
一行さんも舞台に乱入し、馬の模型を使ってのお座敷
遊びがあったりして、楽しい那覇の夜は更けていった
のでした。

初日の夜はディナーの後、全員で2次会へと突入したの
ですが、2日目は皆さんをあまり縛っては窮屈だろうとい
う幹事長の粋な?計らいで自由行動としました。
宴会中からコンパニオンのお嬢さん達とヒソヒソ話が進
行しているようでしたので、お開きのあとは皆さんそれぞ
れ次の楽しい目的の場所へ移動されたようです。残念
だったのは幹事長であるタバコ屋と添乗員のN氏のとこ
ろへはお嬢さん方の誰一人として、近寄ってこなかった
ことです。何も悪いことしていないのに何故だろう・・・。
DSCN0641.jpg
タバコ屋は沖縄民謡が聞いてみたかったので、前日下
見しておいた沖縄民謡専門の民謡酒場へ数人と連れ立
って行くことにしました。お目当ては「サー 君は野中の
茨の花か サーユイユイ、暮れて帰れば ヤレホニ 引
き止めるマタハーリヌ ツンダラカヌシャマヨ~」で始まる
「安里屋(あさとや)ユンタ」と呼ばれる有名な沖縄民謡
です。
夏川りみ2
沖縄出身のヴォーカル歌手、夏川りみさんもこの曲は
「おはこ」でライブなどでよく歌う歌にて、タバコ屋の耳に
印象的に残っていました。夏川りみさんって可愛いと思
いませんか。タバコ屋はタイプですけど。あのエキゾチッ
クな大きな目で見つめられるとハイライトまとめて3本ほ
ど吸った程クラクラが来ると思うのですが妄想でしょうか。

歌のルーツは八重山諸島の竹富島に伝わる古民謡で
島の絶世の美女クヤマに一目惚れしたお役人が思い
叶わず失意のうちに別の娘と結婚し島を去るという失
恋物語を謡にしたものだそうで、小気味良いテンポのメ
ロディの中にも哀愁が漂う一種の恋歌です。やや趣は
違いますが、沖縄版「真珠採りの歌」と言えなくもないと
思います。
(関連記事:終わりなき旅 vol.3:宴のあとさき 後半記事
の中のテノール歌手石川太一氏の項参照願います)
香西かおり
民謡酒場に戻ります。立ち寄った時は和服のおっちゃん
が一人で熱唱されていたのですが、あまり面白くないの
で、タバコ屋はつい茶目っ気が出てしまい、お給仕をして
いた香西かおりさんそっくりのお嬢さんにその「安里屋
(あさとや)ユンタ」を一曲歌ってくれないかおねだりをし
ました。意外にも私でよければ歌いましょうかということ
で何と前後2回も歌ってくれたのです。もう大サービスで
す。おっちゃんの出番なんかありません。ステージ正面
でエプロン掛けのお嬢さんが歌っているのはそんな理
由があったのです。帰りのおあいそがとても安く感じら
れたのは酔いが回っていたせいだけでしょうか。

その後、タバコ屋を含めた連れの数人は沖縄民謡を聞
くだけでは収まらず、これも前日下見しておいた近くの
近代酒場即ちスナックへ乱入し、那覇の夜が更けるのも
かまわず歌いまくったのでした。お疲れでご迷惑とは思
ったものの添乗員のN氏も無理やりお誘いしたのは言う
までもありません。
国際通り2
かくして那覇2日目の甘美な夜は更けていったのでした
が、又もや幹事長は全員がホテルに帰還したかどうか
確認出来なかったのは悔やまれるところです。

沖縄3日目最終日
DSCN0644.jpg
さていよいよ沖縄研修旅行も最終日の朝を迎えました。
お世話になった大川嬢ともあと半日のお付き合いとなり
ました。濱田会長も沖縄での美食がたたったのかこの
数日であごが垂れてきたようです。原因はビールによる
容積膨張だとは思うんですけど・・・。
ヤンバルクイナ
ちなみに中部観光さんのトレードマークは沖縄の鳥ヤン
バルクイナで山原(ヤンバル)のクイクイと鳴く鳥という
意味だそうで、ほとんど飛べないので山猫などの外敵に
弱く絶滅危惧種になっているそうです。尚、沖縄の県鳥
はクイナではなくノグチゲラという木つつきです。
DSCN0646.jpg
さて那覇は古くは沖縄の海の玄関であり、近年は空の
玄関でもある訳ですが、那覇の街を見下ろす東方の丘
の上に「首里城」があります。城と申しましても防御は名
ばかりのもので実質は迎賓館であったようです。ことデ
ィフェンスに関してはあまりにもショボいので、迎賓館だ
ということになると納得がいきます。

首里城の定番アイテム「守礼の門」を通過です。その意
味は皆さんご存知だと思いますが、おさらいの意味で言
いますと琉球王国のゲストハウスだった首里城大手門
にあたる訳でそこの扁額に「守禮の邦(しゅれいのくに)」
と書かれているのです。即ち琉球は当時のおつきあい
相手だった中国(明国)に対し、明の考える禮(マナー)
をわきまえた国ですよと書いている訳です。
明の皇帝
ちなみに明の要求したマナーと言うのは儒教に基づくも
ので、世界唯一の宗主国(皇帝)である中国に対し、お
付き合いしたいのなら、ひたすら敬い従う態度で接しな
さいと言った訳で、つまり属国として貢ぎ物を納めその
見返りとしてお土産を持たせるという「朝貢貿易」の形態
を要求したのでした。

中国というのは意外にええかっこし~で、貢ぎ物の何倍
もの手土産を持たせたため結局、朝貢貿易というのは
大きな損失で、それよりも自由に貿易させたほうが双方
はるかにメリットがあったのですが、儒教という呪いのよ
うな規範を持っていたため数百年にわたり無益な行為を
繰り返したのでした。
琉球貿易1
余談になりますが、当時でも今でも中国という国は自国
を世界の宗主国と考えているふしがあって、儒教という
文化を持つ中国及びその思想を採り入れた国以外は野
蛮な国(夷えびす)であるという変てこりんなイデオロギ
ーを持っているのです。これは中華思想と呼ばれていま
すが、一時というか長期に亘りモンゴル(蒙古)=元に
征服されていた時期があり、敗れた漢民族=宋は南に
逃れ(南宋)、その恨みから尊王攘夷思想(王を敬い夷
を打ち払う考え)を生み出しましたが、そのヴィールス
(朱子学)が日本に伝染し、幕府や水戸藩を中心に醸
成された結果、幕末には皮肉なことに自分達(徳川)が
信奉した思想により自分たちが滅ぼされるという結果に
なりました。
(関連記事:八重のこと vol.1参照願います)
琉球貿易2
それはともかく、琉球は海外との貿易によって成り立っ
ていた国なので近くは中国、日本や遠くはルソン(フィリ
ピン)、シャム(ビルマ)、ベトナム、インドネシアに至る
国々との交易で栄えました。当然それらの国々とは仲
良くしなければショウバイはうまくいきません。ばかな日
本は逆に鎖国政策をとってしまいましたが、琉球は禮を
守りつつ海外へ飛躍して行った訳です。
IMG_2937.jpg
突然で恐縮ですが、この額はタバコ屋の先代のショウ
バイの師匠であり戦後日本の流通業に思想的啓蒙を
された故倉本長治氏が中島に来られた時揮毫されたも
ので「四海皆可航」と読めますが、その意味はサントリー
の経営理念「やってみなはれ」と同様、中島は島国なん
だからどこへでも出かけて広くショウバイをしなさいとい
う意味だと思うのです。事実中島はいにしえの忽那水軍
の時代より軍隊付きの貿易によって栄えた訳で、琉球の
ことを思うにつけ「四海皆可航」というコトバは昔も今も
変わらぬ真理だとタバコ屋は思っています。
(関連記事:「希望の島物語」1参照願います)
DSCN0658.jpg
首里城に戻ります。天守閣とも呼べる「正殿」ですが、
南国の大らかさと言いますか、大雑把な作りで日本の
城を見慣れている我々からすると何となく物足りなさを
覚えてしまいました。
DSCN0666.jpg
中は完全にチャイナ風の作りで今にも西太后が現れそ
うな雰囲気です。タバコ屋の好みには合いませんが中
国というのは何でもかんでもこのようにコッテリ金襴好み
です。
DSCN0660.jpg DSCN0659.jpg
それに比べ、興味深かったのは、正殿の左右に建って
いる賓客をもてなすための施設で、向かって左は中国を
中心とした諸外国用、右側は日本専用でこれを見ても
やはり日本の位置付けというのは大きかったのだと思
います。
DSCN0663.jpg
日本専用迎賓館の内部はもう純和風の作りにて、中国
風コッテリ味に少々閉口していたタバコ屋もやや落ち着
きを取り戻せました。

言っておきますが、首里城は太平洋戦争時、日本陸軍
の司令部が置かれていて、アメリカ軍により徹底的に爆
撃破壊され尽くしました。また戦後はその跡地に琉球大
学が建てられたこともあり、琉球大学が移転するまでは
手付かずのままでした。修復が始まったのはごく近年の
ことであり、わずかな資料や記憶をたよりにレストア(復
元)が試みられ、まだ途中ながらも現在に至っています。
従って、日本専用迎賓館なども修復間もない真新しい状
態でした。

余談ですが、京都、奈良、日光はアメリカ軍の爆撃を免
れ、今では日本を代表する景勝、観光地になっています
が、この首里城及び周辺の街並みも戦前の状態が維持
されていればそれに並ぶ風情があったという方もいます。
DSCN0669.jpg
正殿前広場の模型ですが、当時外国からの賓客を迎え
た場合など、広場に軍隊にしろ官吏にしろずらり整列し
て威を示すなり、友好を表すなりしたのではないでしょう
か。賓客を中に招き入れた後はトップ商談も行われたの
かも知れません。
「サンゴの首飾りのエエモンが手に入りましたんやけど、
貴国の王女はんにどうですやろ~」とか何とか・・・。
DSCN0673.jpg
総代さんご一行様の好みはどうだったのか、タバコ屋は
早々に城を出て、城外にあった憩いのスペースへと足を
運びました。とにかくこの日は猛暑にて、早く涼しいところ
へ逃げ込みたかったのとアヘン(シガレット)の禁断症状
が出てきたためです。ついでながらこうも禁煙区域が多
いと喫煙本数も減ってしまうので有難いことだとは思い
ますが。

手前はアイスクリームの売店、真ん中は土産物、奥は
休憩所及びレストランになっていて、タバコ屋はこの建
物の配置、センス、色使い、等々大変お気に入りで時
間が許せばもう少しくつろいでいたい場所でした。

うまく考えているなと思われたのは、奥のレストランの地
下に首里城の大きな駐車場があるのですが、この一連
の場所を通らねば行けないようになっていて、首里城見
物でややお疲れのご一行様のさいふをゆるめる絶妙の
配慮がされていました。ちなみに土産物嫌いのタバコ屋
はレストランで抹茶アイスクリームを美味しく頂きました。

蛇足ながら、沖縄でよく見られる寄棟の屋根の形状と
それに渋いオレンジがかったレンガ色の丸瓦屋根及び、
白いしっくいまたはアイボリー色の壁とのマッチングが
タバコ屋は大変お気に入りで、北国にはない南国のセン
ス、また同様に陽光降り注ぐ地ながらエーゲ海にもない
琉球独特の感性が見て取れます。
DSCN0674.jpg
その地下駐車場の壁に飾ってあった絵が非常に気にな
りました。琉球時代の外国からの賓客の行列か何かの
ようですが、風俗はもとより琉球という国が平和志向だっ
たことが偲ばれ、思わず足を留めたタバコ屋でした。
おかげで集合時間ギリギリとなり、心配した添乗員N氏
から「何やってんの」と催促されてしまった幹事長ではあ
りました。バスに戻ってみれば先ほど「守礼の門」で記念
撮影した写真屋が早速ショウバイをしていてニンマリの
ご様子でした。
DSCN0679.jpg
すべての行程を終えた中島総代会ご一行様は、お世話
になった中部観光バスの浜元氏、大川嬢に別れを告げ、
まるで羽田空港を思わせるような超近代的設備の「那覇
空港」へと戻りました。

ここで最後のハプニングがありました。ご同行のお一人
が突然行方不明となったのです。ベテラン添乗員N氏も
青くなり必死の捜索の結果、あれほど単独行動はしない
ようにと周知したにも関わらずご当人は土産物売り場を
一人徘徊されていたそうで、無事見つかったものの大幅
に時間をロスしてしまい、おかげでご一行様が最後の土
産をゆっくり買う時間がなくなってしまいました。
DSCN0678.jpg
あわただしく昼食をすませ、急ぎ足で最後の土産を買っ
た総代会ご一行は抜けるような青さの那覇空港を一路
松山へと向かいました。帰りの機内ではややお疲れ気
味だったのか、行きの機内のようにANA機内売店が売
り切れになるほどのビールオーダーはなかったことをご
報告しておきます。

かくして中島総代会ご一行の沖縄研修旅行は無事終わ
りましたが帰りの機内では、その後発生した中島での未
曾有の大雨大災害の事など予想すら出来ませんでした。
そのことにつきましてはまた機会があればご報告するこ
とに致します。

沖縄巡礼 vol.2

平成26年7月18日
沖縄中部の旅
一夜明けて沖縄研修旅行第2日のスタートです。昨日の
甘美な那覇の夜は各人さまざまな思い出が出来た事と
は思いますが、幹事長の立場としては本日またご一行
様には快適に研修頂けるよう、そこはかとなく気配りが
必要かと思われます。
DSCN0463.jpg
今回の研修旅行は添乗員のN氏の手配にて、中部観光
バスの大型リムジンバスが用意されていました。しかも
下ろしたての新車だそうでピカピカの車体にて運転手は
浜元氏、ガイドは大川さんというキャストで3日間お世話
になりました。彼女も当初の自己紹介では23歳とかいう
強気の発言でしたが、総代ご一行の自白強要により最
後はアラサーティどころかジャストーサーティであること
がバレてしまいました。
零戦-20
ところで、大型バスの排気量って皆さんご存知でしたか。
何と13リットル、つまり13,000cc前後だそうで、おそらく
V8エンジンだと思うのですが、我が零戦の排気量の約
半分です。零戦にはスーパーチャージャーという過給装
置がついていましたがバスにはおそらくターボチャージ
ャーという排気を利用した過給装置によりパワーアップ
し、あの大きなボディを軽々と走らせているのです。
零戦-11
余談になりますが、零戦は太平洋戦争初期、2,200km
に達する長大な航続距離及び20mm機関砲2門の重武
装や優れた格闘性能によって、米英の戦闘機に対し圧
倒的な勝利を収め、太平洋戦線の占領地域拡大に貢
献し、米英パイロットからは「ゼロファイター」の名で恐れ
られました。零戦の性能は太平洋戦争初期には米英戦
闘機を圧倒していましたが、大戦中期以降にはアメリカ
陸海軍の対零戦戦法の確立、及び新鋭機の大量!投
入により反撃され、逆に多数の熟練した零戦パイロット
の戦死によって零戦は劣勢に追い込まれました。大戦
末期には苦肉の策として、特攻機として使用されました
が無能な参謀本部のやったこととはいえ、かけがえの
ない若い命が大空へと散って行きました。ここ沖縄の空
でも最後の決戦に際し、迎撃よりは敵空母、戦艦への体
当たり特攻機として絶望的な戦いを繰り広げたのでした。
(関連記事:究極のレストア参照願います)
大和4
沖縄の窮地を救うため、当時世界最強の戦艦であり海
軍の虎の子だった「戦艦大和」も、戦闘機の護衛もろく
にない状態で、やられるとわかっていながら、それでも
かすかな望みを託し、やけくその出撃を実行し、結果は
沖縄に到達することなく3,000名!以上の尊い命とともに
海の藻屑と消え去った悲惨な歴史が物語るように、陸
海空にわたる無謀な戦略に対し、当時の参謀本部には
一大責任があるとタバコ屋は思います。
戦艦大和5
どうせなら、あまり勇ましくはないでしょうが母港の呉軍
港に繋いでおき、いざという時は迎撃要塞として使えば、
燃料はあまり使わなくて済んだでしょうし、3,000人も道
連れにすることもなかったかも知れません。またたとえ
撃沈されたとしても呉の軍港内であれば戦後引き上げ
ることも可能だったと思います。
(関連記事:高貴な色参照願います)
DSCN0531.jpg
さて2日目は南部地域を離れ中部地域を中心に廻るメニ
ューで、最初の訪問地は「琉球村」です。開園前に着い
てしまいやや待ってからの見学でした。横断歩道の向こ
うで添乗員のN氏が切符を手配して待ってくれています。
施設もさることながらこの建物の屋根のデザイン、タバ
コ屋はかなりお気に入りです。大きな庇も格子状のグリ
ルが貼られていて非常に特徴的です。
DSCN0533.jpg
沖縄でシーサーと呼ばれるこの置物は「獅子」がなまっ
たものだそうで建物の門前もしくは屋根に置かれる魔除
けだそうですが、神社の狛犬と同じ目的だと思われます。
つまり南国風狛犬という訳です。
DSCN0536.jpg
さてファサードの部分では沖縄の民族衣装を着たお二
人が沖縄三味線である三線(さんしん)と沖縄カスタネッ
トの三板(さんば)で賑やかに出迎えてくれました。
DSCN0555.jpg
ここからがエントランスでやはり両脇にはシーサーが鎮
座しています。「獅子」と言うからにははるか遠くエジプト
時代にはスフィンクスと呼ばれピラミッドを守った守護神
がルーツではないかと思うのですが絹の道シルクロード
を経て中国に至り、随分アレンジされてそれがさらに琉
球に渡りシーサーとなり、また日本では狛犬となり、ある
いは獅子舞いとなって今日に伝えられているように思い
ます。ただあくまでもこれはタバコ屋の推測です。
スフィンクス3
ちなみに古代エジプトでは動物を擬人化して表現する
風習があり、写真のスフィンクスも半獣半人の守護神と
なっています。それがギリシャ、アッシリア方面に行くと
リアルな造型となりやがてそれがシルクロードを経るに
従い完全な空想の動物化していきます。
キリンビールロゴ
特に中国という国はそれが得意な分野で、龍とか麒麟
もこの世に存在しない完全に空想の動物ですよね。
日本はそれに多大な影響を受け、襖絵や神社の狛犬等
あらゆるジャンルにその名残が残っています。キリンビ
ールなんかその空想の動物でショウバイしているのです
から大したもんです。
DSCN0540.jpg
かつて「琉球」と呼ばれていた頃の沖縄を再現するという
「琉球村」のコンセプトはタバコ屋の大のお気に入りと
なりました。その訳は、とにかく新たに作るというのは
その構想、企画には骨が折れるにしても、製作はある
意味簡単なのですが、こと古いものの再現、もしくは
修復(レストア)となると、その数倍大変なんです。
IMG_3183-1.jpg
余談になりますが、タバコ屋なんかよりによって今から
40年以上前に製造された昭和48年製のフェアレディZを
レストア(復刻)しようと思い立ち、幾度か折れそうにな
る気持ちを励ましながら5年!の歳月をかけてフル・レス
トアしたのです。
蘇る金狼でもないでしょうが「蘇る赤いお嬢さん」と相成
りました。故に琉球村の復元に際してのご苦労は陰な
がらわかるような気がします。
DSCN0542.jpg
琉球建築で特徴的だと思われたのは丸瓦を多用してい
ることでした。平瓦の境目ごとに丸瓦を重ねていくのは
それなりに堅牢で風速30m以上の台風が日常茶飯事の
琉球では効果的ではあるものの、かなり高価なものとな
り当時の琉球で一般庶民はなかなかこういう建物には
縁がなかったのではないかと思います。この下で暮らし
たのは当時のハイソサエティである、高官や大地主、豪
商だったのではないでしょうか。尚、これだけでは風速
30mには耐えられもせず、まわりは珊瑚が固化した岩を
使った堅牢な石垣で囲っていたことは言うまでもないこ
とです。
DSCN0551.jpg
タバコ屋が感心したのは、レストアされた琉球村の建物
のそこここにいろいろなお店が配置されていて総代ご一
行様のサイフをゆるめるには絶妙の仕掛けがされてあっ
たことです。高知のはりまや橋ではかんざしを買わなか
った土産嫌いのタバコ屋もシーサーの飾り物や紅型(び
んがた)のハンカチを買ってしまいました。誰に差し上げ
るのかは公表を控えさせて頂きますが・・・。
DSCN0557.jpg
元ゴフク屋のタバコ屋としては何と言っても気になったの
がこの店で「琉球紅型貸衣装店」でした。タバコ屋がかっ
て過ごした京都でも観光旅行の女性の間では舞妓さん
の衣装を着せてもらって舞妓さんのお化粧を施し記念
撮影をする企画が大人気だそうで、言わば沖縄版「舞妓
さん成りきり撮影」の専門店でした。
叶笑
ちなみにタバコ屋お気に入りの祇園の舞妓はんは「叶笑
(かのえみ)」言いましてそれはそれは可愛くも優しいお
子です。尚、写真左は同志社大学自動車部2期先輩の
山田氏、右はこのブログにも度々登場する一期後輩の
井村氏です。タバコ屋はこの向かいに座っている訳です
が「叶笑」ちゃんから、そんないけず言わんといてくれは
りますか~とか鼻にかかって言われると、もうヘロヘロ
になってしまうタバコ屋でありました。バカですよね。
(関連記事:終わりなき旅 vol.3:宴のあとさき参照願い
ます)
紅型2
紅型(びんがた)日本古来の伝統的な文様と南国風の
エキゾチックなそれがミックスされ輪郭のはっきりした独
特の力強い文様は縮緬(ちりめん)生地に染められ沖
縄のアイデンティティとして今日まで伝えられて来ました。
島の元ゴフク屋としてはこの情熱的な文様がとてもお気
に入りでしたが、いざ販売するとなるとクセがあるため
ほとんど売れませんでした。やはり一般の日本女性は
京友禅の繊細な優しさを好むのではないでしょうか。
DSCN0559.jpg
琉球村を後にし、やって来たのは「万座毛(まんざもう)」
という景勝地でした。タオルを首に掛けた総代会の若き
リーダー濱田氏は猛暑の中随分リラックスしてご見学中
のようです。自称23歳の大川嬢もにこやかにエスコート
を勤めてくれました。
DSCN0561.jpg
この景色を見る限り、地球は丸いのか四角いのかタバ
コ屋には判断がつきませんが、実は20数年前タバコ屋
はこの沖縄の地、万座毛と先ほどの琉球村との間の恩
納村(おんなそん)というところにある「ホテルムーンビー
チ」で一週間ほど過ごしたことがあるのです。
ホテルムーンビーチ3
阪神タイガースのキャンプ地としても有名な沖縄でも老
舗のリゾートで、ホテルと海水浴場がセットになっており、
とてもスケールの大きいトロピカルなイメージたっぷりの
豪華リゾートホテルでした。
ホテルムーンビーチ4
残念ながらロマンティックな滞在ではなく、若手経営者の
セミナー合宿でした。講師は当時流通業界においてダイ
エー、ヨーカドー等を指導していたカリスマコンサルタント
渥美俊一氏やそごう等百貨店業界を中心に指導してい
た船井幸雄氏、ではなくその2人のアンチテーゼとして
のある意味カリスマであった一倉定氏でした。

一倉氏は徹底してアメリカ式の経営手法をきらい、また
社長としての心得を説くにあたり、「経営計画書」という
社長にとってのバイブルを全身全霊で作成、実践する
ことによりその企業は発展するという理念を持っていま
した。また一倉氏自身は熱心な東洋医学の信奉者で、
陰陽学にもとづマクロビオティック(玄米を主食とした食
事)を実践し、合宿中の食事も沖縄料理が出ることを期
待していたにも関わらず毎日玄米和食料理ばかり食べ
さされ閉口したのを覚えています。
また講義の骨子はおもに社長のリーダーシップのあり方
についてと、環境整備の大切さ、またお掃除がすべての
基本であること等他では聞けない独特のセミナーでした。
いかりスーパー芦屋店1
一倉氏の講義はかなり偏向したもので、すべてが正しか
ったとは思いませんでしたが、話の中でスーパーの一つ
のモデルとして芦屋に本店のある「いかりスーパー」のこ
とがよく出てきました。
いかりスーパー芦屋店2
芦屋を中心に神戸~大阪間の阪急沿線に数十店舗を
展開する高級スーパーなんですが、他のスーパーとまっ
たく異なる点は生鮮品を除き、販売商品のほとんどが
自社製品(プライベートブランド)であることです。後日実
際に行って見て、どれもこれもアンカー(いかり)のマー
クがついているのには驚きました。もう一つ驚いたのは
駐車場に停まっているオクルマがほとんど外車でメルセ
デスを始めジャガー、レンジローバー、ポルシェ、BMW、
ボルボ等、芦屋の富裕層の奥様方御用達の店である
ことはそれを見てもよくわかりました。
いかりスーパー3
余談ながら、島のタバコ屋は後日、島の特産物である
みかんやその加工品であるジュース、ジャム等を独自の
「希望の島」ブランドで販売することになるのですが、沖
縄ムーンビーチでの研修の話が忘れられず、無謀にも
何の面識もご縁もないいかりスーパーへ飛び込みで営
業に行ったのです。目くら蛇に怖じずとはこのことでした
が数度の訪問の後、望外にもお取引をさせて頂けるこ
とになりました。
思えば20年前のお話ではありますが、今回はそのこと
がテーマではないので沖縄のお話しに戻ります。
DSCN0599.jpg
総代ご一行は中西部へと移動し、沖縄海洋博を記念し
て出来た記念公園内にある「美ら海・水族館」を目指す
ことになりました。昼食は隣接地にあるチサングループ
経営のチサンリゾートホテルでバイキングを頂くことにし
ました。
DSCN0566.jpg
ムーンビーチほどではありませんが海に面した広々とし
たレストランで皆さんくつろいでいます。例によって1ダー
ス以上のビールはあっという間になくなってしまいました
が、これから水族館の見学ゆえ、幹事長としてはこれ以
上の追加は控えることにしました。
DSCN0574.jpg
いよいよ「美ら海(ちらうみ)水族館」に到着です。巨大な
ジンベイザメが出迎えてくれました。
DSCN0590.jpg
その水族館を海側から見たところなんですが、傾斜地を
利用してかなり大規模に作られているのが見て取れると
思います。
DSCN0587.jpg
やはりここのウリはなんと言っても巨大なジンベイザメで、
ゆったりと滑るように泳ぐさまは鯨以外では海の王者と
言えるのではないでしょうか。
DSCN0596.jpg
またもう一つのウリはイルカショーで愛嬌があり俊敏で
賢いイルカはお子達はもちろんのこと大のオトナも十分
楽しませてくれました。最後には希望者に限り、イルカに
よる水掛けずぶ濡れショーまで用意してくれていました。
島の総代さんご一行は海の水には飽きているのでそれ
に参加する物好きはいなかったようです。
IMG_2212.jpg
ついでの蛇足ながら、実は昨年京都の西本願寺へご奉
仕団の一人として参加した際、その帰りに皆で京都駅梅
津車庫跡の広大な敷地に出来た「京都水族館」に立ち
寄りました。スケールは「美ら海」の方が随分大きいと思
いますが、コンセプトは全く同じで、おそらく京都水族館
を作るにあたってはオキナワを随分研究したのではない
かと思われました。不思議なご縁と言いますか、奇しくも
その時にご一緒した、同じ大浦地区の橘氏ですが今度
同じ総代仲間となりオキナワもご一緒した訳で、同釜意
識が高まりつつあるように思います。その彼が、「ちらう
み水族館」でタバコ屋の禿げ頭を不憫に思ってくれたの
でしょう、テンガロンハット風の麦わら帽子を買ってきて
そっと手渡してくれました。もうこれ以上は禿げないよう
にという心配りが嬉しく、イルカ君の水しぶきを浴びても
いないのにウルっとしたタバコ屋ではありました。
DSCN0577.jpg
紺碧の海を前にしてうだるような暑さのもと、広大な敷
地にある水族館を見て回るのは大変でした。ただ例に
よってご一行に多数存在する、アヘン患者達は滅多に
ない喫煙所を捜し求めて右往左往していましたが、自分
も含めてかなり惨めな気分がしなくもありませんでした。
何故ならば、くそ暑い中、アヘン(シガレット)を吸う様は
あまり格好の良いものではなくなりつつあるのです。
DSCN0601.jpg
「ちらうみ」にも別れを告げ、今度は中部方面にある「名
護パイナップルパークへ立ち寄ることになりました。
ショウバイのプロであるタバコ屋の目に映ったのは、外
観からしてすでに怪しげなムードの建物でした。怪しげ
ということは反面そそられるような魅力があるとも言えま
すが、まずは恐る恐る中に入ってみることにしましょう。
DSCN0602.jpg
総代ご一行の職業はみかん農家が多いのですが同じ
フルーツでもここはパッションフルーツのパイナップルに
て、珍しさもあってか勇んで中に入って行きました。
DSCN0603.jpg
広大なパイナップル畑が開けていると思いきや、何やら
中庭のようなところに様々なパイナップルが植えられて
いました。みかん同様パイナップルにも色々な種類があ
ることがわかり勉強になりました。
名護パイナップルパーク3
パイナップルのカッティングなのか搾汁なのかはたまた
選別のためのキカイなのかよくわからないものが並んで
いる工場です。これが通路の側面にありガラス越しに見
えるよう配慮されているのですが現代のたとえばアヲハ
タのジャム工場などを見慣れた目にはかなり違和感を
覚えました。製造設備自体はかなりレトロな雰囲気です。
名護パイナップルパーク11
一転、そこを通り抜けると別世界が広がり、パイナップル
ワールドと言いますか、これでもかと言うくらいパイナッ
プルを使った様々な製品が所狭しと並んでいました。
飲み物ではまずワインでパイナップルから始まりぶどう、
シークワーサー、またそれのミックス等、個性的な品々
が沢山並んでいました。
名護パイナップルパーク9
次はジュース類でワイン同様、オキナワ特産品を上手
に加工し、ずらりと陳列していました。
名護パイナップルパーク16
本命だと思ったのはスイーツのコーナーで、パイン入り
のカステラを売っていました。ここの特徴は試食品が豊
富に用意されていることで、パインの果汁のみが入って
いるタイプと果肉入りを食べ比べた結果、果肉入りを買
うことにしました。「パインカステラ」というネーミングもな
かなかいいですよね。
名護パイナップルパーク12
ただオキナワは大らかと言うか、国内では食品表示につ
いては厳しく規制されており「元祖」という言葉は誇大表
示ということになり使えません。ここのオーナーさんは知
ってか知らずかわかりませんが、お味の方は結構なもの
でしたので、元祖とか無理に書かなくても大丈夫なのに
とタバコ屋は思います。
名護パイナップルパーク17
沖縄特産黒糖を使った飴類とかもいろいろ売っていまし
たが、ここは足早に通り過ぎます。
名護パイナップルパーク10
もう一つの本命はパイナップルの生果実だと思いました。
ここでも地方発送のコーナーで多くの方が買っているよ
うでしたので売れ方はハンパではないように思いました。
名護パイナップルパーク15
修学旅行生さんも多く来ていたようで、やはり名所見学
だけでなくここのようにサイフのひもを徹底的にゆるめ
る場所も必要なんです。
名護パイナップルパーク14
かくして、土産嫌いのタバコ屋も「パインカステラもう5個
追加して下さい」などと結構あせって買いましたから他
の同行ご一行様も推して知るべしではないでしょうか。

さてこの一見怪しげな見世物小屋のような施設ですが、
当初の食べず嫌いの憶測と異なり、店を出る頃にはここ
がすっかりお気に入りになってしまったタバコ屋でした。
何故かと申しますと、商品が自社製造かOEM(委託製造
)かは別にしてほとんどが自社プライベートブランドであ
ることです。これって芦屋のいかりスーパーの沖縄版じゃ
ないですか。それもハンパな品数ではなく、これでもかと
いうくらいパイナップルもしくはオキナワ特産に関わる品
で埋め尽くしているのです。

以前から何度も申し上げていることですが、タバコ屋が
考える、あるべき小売業の姿というのは、今日のように
生産と販売が高度に分業化されてきているご時勢の中
でも、極力自社生産もしくは自社ブランドにこだわりそれ
をお客様に直接販売するというやり方が正しいと思って
います。

先日の宮島詣でと言い、今回の沖縄巡礼と言い、各地
には無数の実例、成功例が埋もれており、村おこし、
島おこし、商いのあり方、等々について深く考えさせら
れた島のタバコ屋ではありました。

さて沖縄中部巡礼を果たした中島総代会ご一行はこの
後再び那覇に戻り、魅惑の第二日の夜を迎えることとな
るのですが、あれこれ余談話を沢山書いたせいで、紙
数も尽きたようなので、その模様はVOL.3にて詳しくお伝
え致します。お楽しみに・・・。

沖縄巡礼 vol.1

平成26年7月15日
翼よあれが那覇の地だ
タバコ屋は現在総代と呼ばれる地区長を拝命してあれ
やこれや地区のお世話をさせて頂いているのですが、
各地区の総代仲間が今年も年に1度の研修旅行を実
施する運びとなりました。ついこないだのようですが
昨年のこの旅行は豪雨の北九州、熊本方面の巡礼に
て散々な目にあったことは記憶に新しい出来事です。
(関連記事:博多・熊本巡礼 vol.1 vol.2 vol.3参照
願います)
DSCN0437.jpg
まずは松山空港に集合です。多分ボーイング767だと
思うのですが、我々を沖縄に連れて行ってくれる頼もし
いヒコーキです。ここだけの話ですが、ボーイングは別
格としてもボンバルディアなどという変なメーカーのプロ
ペラ機など一掃して早くミツビシ製の国産ジェットで旅を
したいものです。何故ならかつての中島飛行機、三菱
は世界のトップクラスのヒコーキ技術を誇っていたから
です。
(関連記事:零戦の末裔参照願います)
ホンダジェット-5
余談ながらタバコ屋の夢はHONDA-JETを購入する
ことで、約5億円はするでしょうから、中島に石油でも出
ない限り夢のまた夢の話ではありますよね。
ちなみにHONDA-JETってイルカに似ていて愛嬌がある
と思いませんか。エンジンも主翼の上部に付いていて、
あまのじゃくというか他社の真似が大嫌いなHONDAら
しい個性的かつ意表を突くレイアウトです。これで燃費
と室内スペースが2割強向上したそうですからHONDA
のアイデアも大したもんです。

タバコ屋は総代会で幹事長という役職を拝命しており、
今回参加する18名の仲間のお世話をしなくてはなりま
せん。もちろんいつもご厄介になっているE旅行社(ばら
してしまいますと愛媛新聞旅行社さん)の名物営業マン
Nさんが添乗員として同行してくれるので何の心配もあ
りません。ただタバコ屋は元ゴフク屋だけあって、皆さん
が不自由しないよう事前にあれこれおつまみを取り合
わせ各人用にパック詰めし、ビールは空港にて冷えた
ものを用意する等、準備万端にていざ出陣と相成りま
した。
DSCN0441.jpg
約2時間の空の旅は結構長く感じられましたが、乗り物
好きのタバコ屋にとっては何の苦にもならないものでし
た。ただ一つだけ呆れるような出来事がありました。
それは我々18名のうちアルコールのお好きな連中が、
機内に自前で持ち込んだビールだけでは飽き足らず、
機内販売のビールをも飲み尽くし、国産某銘柄のビー
ルが売り切れとなってしまったことです。ANAとしても喜
んでいいのかどうか、スチュワーデスさん(古いなあ!)
も笑顔というより苦笑の表情でした。
DSCN0448.jpg
松山とはまるっきり違う空の色、やがて那覇空港に到着
です。滑走路に小さく見えるのは自衛隊の迎撃戦闘機
F15で民間と軍隊が同居しておりただならぬ雰囲気が
感じられます。「翼よこれが那覇の地だ」と一人気取って
みたタバコ屋でした。
F15戦闘機1
我々がのほほんと機内でビールを飲んでいる間にも、
航空自衛隊の精鋭は有事のスクランブルに備えて緊張
状態にある訳で、那覇に降り立つ事でそのことが実感
されるタバコ屋ではありました。
DSCN0456.jpg
ガンガン照りつける日差しのもとANAの新人スチュワー
デス○○さんが会心の笑顔で見送ってくれました。入社
6ヶ月目だそうで初々しくきびきびした立ち居振る舞いに、
タバコ屋ご一行はぞっこんとなり、売り切れになるほど
機内ビールを飲み干したという笑い話です。彼女にして
みれば今日は安全かつバカ売れのフライトにて、上司
からお褒めの言葉を頂いたかも知れません。但しANA
は飲み屋じゃないっちゅうの!。
DSCN0459.jpg
めんそ~れ、沖縄方言でウエルカムの意味でしょうが、
タバコ屋世代にとってはめんそ~れと言うとどうしても
メンソレータムを連想してしまいます。皆さんご存知の
ように古くからあるアメリカ製の万能傷薬で近江兄弟社
がパテント製造していました。
メンソレータム3
近江兄弟社(おうみきょうだいしゃ)の創業者はアメリカ
人のW・M・ヴォーリズで、熱心なプロテスタント伝道者
でありまた有能な建築家でもありました。彼は明治末期
に来日、建築事務所を開設し、日本国内で多くの教会、
学校、銀行等の設計を手掛けました。彼の特徴はアカ
デミックな分野に留まらず宗教観に基づく理念を実業に
生かそうとしたことでした。今で言えばベンチャー企業と
言うことになりますが、当時は医薬品もろくになかった
頃で、写真の可愛いリトルナースが登録商標のアメリカ
製軟膏傷薬を日本で製造販売しようと志したことはタバ
コ屋もカテゴリーは違うものの、創業の苦しみを味わっ
て来ただけに、その勇気に敬服するとともにご苦労の一
端がわかるような気がします。
(関連記事:「希望の島物語」1参照願います)
アーモスト館
余談になりますが、タバコ屋の母校同志社大学とW・M・
ヴォーリズ氏は深いご縁があり、タバコ屋が4年間親し
んだ自動車部の部長先生でもあった青い目の日本人、
オーテス・ケーリ先生が長年館長を勤めたアーモスト館
をはじめその隣の同志社宣教師館や今出川キャンパス
の啓明館、また新島襄遺品庫など多くの施設の設計を
手掛けています。そのテイストはアーリーアメリカンの古
き良き伝統にそったトラディショナルな造りで、かなりの
遺構が国の重要文化財となっています。
(関連記事:今出川でのこと VOL.1参照願います)
関西学院大学
比較的大きなものでは写真の関西学院大学の建物が
有名でやはりコンセプトは一貫してアーリーアメリカンの
香りで統一されています。若くして明治の日本にやって
来た彼は白いキャンバスに絵を描くようにその造型才能
を思いっきり発揮したのではないでしょうか。
DSCN0478.jpg
沖縄に戻ります。ご一行は遅い昼食を済ませた後、ひめ
ゆりの塔を目指すことになりました。太平洋戦争末期、
この地沖縄は日本本土防衛の最後の砦となり、悲惨な
歴史が刻まれたことは申すまでもないことですが、戦後
生まれのタバコ屋世代にとってはその現実を厳粛に直
視し、億の民を道連れにするような愚かな戦いをすべき
ではないことを心に誓うしかありません。
DSCN0470.jpg
お花の一輪でも差し上げたいと思っているところに手回
し良く献花販売店がありましたので、当然のごとく買い
急いで手向けました。しかしまあ、右から左とはこのこと
で面白いように花束が売れていました。タバコ屋としまし
ては商いの原点について考えさせられるところがありま
した。つまりニーズがあるところに商いありということで
す。そこに気の利いた商品と売り子さんを用意すれば
必ずショウバイは成功するという訳です。
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この右手の地下壕の中に沖縄陸軍の病院があり瀕死
の怪我人や病人を看護治療しやがて自らも力尽きて死
んでいった幾多の若き医師や看護婦、女学生がいたこ
となど現地に来なければわからず、また見聞してもただ
ただその冥福を祈るのみです。世の中で最も醜いこと、
それは戦争という名の殺し合いではないでしょうか。

「衣食足りて礼節を知る」という言葉があります。当時の
日本の置かれていた立場は欧米列強の狭間で極東の
黄色いサルと言われながらも何とか生き残る方策を必
死にあがき探し求めた結果の戦争ではあったのでしょう
が、日中戦争の時点で思い切った方針転換をはかり、
「衣食足りずとも礼節を重んじる」方向、つまりもうこれ
以上もがき暴れることはせず、つつましく生きることを
国の方針としたら満州国境ノモンハンでの惨めな敗戦を
皮切りに、ガダルカナルを始め南方戦線での悲惨な戦
い、フィリピンから沖縄までの絶望的な玉砕戦、とどめは
本土への大空襲の果ての原爆投下による数百万人の
大虐殺など起こらずに済んだと思うのです。

しかし歴史にIFは無いように、当時としては極度に肥大
化した軍部(参謀本部)の暴走を止めることは出来ず、
あの今ではリベラルの代表とされる朝日新聞ですら戦
争を煽った事実があります。一部の良識ある人々は国
賊とされ、タバコ屋の母校、同志社大学も戦争反対でし
たから終戦までの間、随分国からいじめられたとお聞き
しています。
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総代会ご一行は次に摩文仁の丘(平和祈念公園)に移
動しました。写真の平和祈念堂を始め、平和の礎(いし
じ)、平和祈念資料館等、広大な敷地の中に様々な施
設が配置されています。すべてを廻るには炎天下の徒
歩では結構重労働でしたが、先人のご苦労を偲びタバ
コ屋は幹事長の立場としてあえて場内移動バスの切符
を買いませんでした。ややのブーイングはあったようで
すが聞こえぬふりを決め込みました。
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中島がまるでベルギーのごとく愛媛と広島と山口の3県
の県境にあることはさておき、所属は愛媛県であるため
全国各都道府県の慰霊碑がある中で愛媛の塔にお参
りすることにしました。愛媛県出身の方で沖縄戦で亡く
なった方も多く、しばしの黙祷を捧げました。
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平和の礎(いしじ)エリアにやって来ました。沖縄戦で亡
くなったすべての方の名前が彫られているとかで、意外
だったのは当時日本領だった台湾の方々が多くいたこ
とです。もちろん愛媛県人の多くも犠牲になっていまし
た。富永という性を探しましたが冨永という姓しか見つ
かりませんでした。ちなみに冨永姓は内子、大洲方面
に結構多く、上に点のある富永は愛媛では少数派です。
DSCN0499.jpg
平和の礎のそばから平和祈念資料館に繋がる場所に
は海に向かってプラザと呼べるような広場がありました。
広大な空間を生かしたゆったりとした設計にて、ここに
も高名な設計家の手が入っているのでしょう。向こうに
見える平和祈念資料館はコロニアル風リゾートを思わ
せる南国らしいデザインセンスだと思います。
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その平和祈念資料館のエントランスです。中はとても広
く沖縄戦での悲惨な遺品や解説資料が展示されており、
修学旅行生たちが熱心に見学していました。バスガイド
さんの説明によるとアメリカ軍の砲撃は熾烈を極め、
1坪当たり50発平均の爆弾の雨が降り注いだそうでそ
の中で生き延びることは不可能に近く、おまけに軍によ
る集団自決の強要などもあったため、沖縄はこの世の
地獄と化した訳です。

余談ながら、明治期の日清、日露戦争は拡大侵略政策
をとるロシアに対する祖国防衛戦争だったのに比べ、
先の太平洋戦争は見方にもよるでしょうが、軍部の偏っ
た世界観と状況判断によりやけっぱちな侵略戦争となっ
てしまい、億の民を道連れに日本国そのものを滅ぼす
結果となってしまいました。
DSCN0500.jpg
広場にあったこのモニュメントを見る限り極東の国日本
同様難しい位置にある沖縄も古来より周辺の国々と仲
良くしなければやっていけない立場にあったと推察され
ました。タバコ屋一行は大分歩き疲れたので、次の目的
地へバスで移動です。
DSCN0505.jpg
沖縄戦の激戦地であった南部周辺を短時間で廻るプラ
ンにて、近くの琉球ガラス村を見学です。そうでなくても
30数度の極暑の沖縄で、よりによって高温のガラス製造
工房など長時間居られるものではありません。早々に通
り過ぎることにし、隣のガラスショップで涼むことになりま
した。すばらしい工芸ガラスが沢山ありましたがかなり
高額にてひめゆりの塔の花屋さんのように飛ぶように
売れるという状況ではありませんでした。そのかわりに
幹事長であるタバコ屋が買ったのはバスに積み込む
オリオンビールで、皮肉にも猛暑の中で飛ぶように売れ
たのはガラス細工ではなく缶ビールでした。沖縄のご当
地ビールであるオリオンビールは癖がなく、長い間アメ
リカ軍によって占領されていたせいか国産ビールよりは
バドワイザーに近い飲みやすい味でタバコ屋はすぐに
お気に入りとなりました。
DSCN0507.jpg
午後から大急ぎで廻った初日の沖縄でしたが、日もやや
傾き、再び那覇市内に戻りました。宿泊は国際通りに近
い旭橋のビジネスホテル「ユクエスタ旭橋」で名物営業
マンN氏が宿泊にあまりお金をかけないようにという配
慮があったものと思われます。
総代ご一行はこのご時勢に反しアヘン患者(喫煙者)が
多いため喫煙ルームが必要なのですが当日は喫煙ル
ームが限られていたため何名かはガマンをすることに
なりました。国には多くの税金を払いながらも、何とも肩
身の狭いアヘン族ではありました。タバコ屋は幹事長の
立場ゆえ率先してガマン組に参加したことは言うまでも
ありません。
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さてホテルのチェックインも済ませ一休みしたご一行は
たそがれの那覇国際通りへ夕食に繰り出しました。
正面県庁から左手が国際通りで沖縄随一の繁華街に
なります。
DSCN0510.jpg
松山の三番町を西方面から大街道に向けて歩いている
ような風情の那覇国際通りですが今日は添乗員Nさん
のお世話でアメリカンな沖縄らしくステーキハウスでの
ディナーが予定されているようです。
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そのステーキハウス「サムズ・アンカー・イン」に到着で
す。やはりアメリカンなテイストで可愛い女性水兵さん
にお出迎え頂きました。
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アメリカ人のオーナーに聞いた訳ではありませんが多分
「アメリカンなテイストのクルーザーでのアメリカンなお食
事」というコンセプトがこの店のウリだと思うのです。
水兵さんもきびきびと立ち働いていましたが、あとで聞
いた話ではこの可愛い水兵さんたちはおもにネパール
人だそうで、エベレストの山の民が島で働くとはこれい
かに!とやや驚いた島のタバコ屋ではありました。
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多分フルコースディナーだと思うのですが、まずは前菜
取り合わせやカレースープが出てきて、その後ボリュー
ムたっぷりのステーキの登場です。食べ切れない程で
したがさらにロブスターも出てきました。
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ご一行18名はそれぞれのお席で舌鼓を打たれているよ
うでした。正面奥でVサインをされているのは今回の旅
行をお世話頂いた愛媛新聞旅行社のN氏で、長年周り
に気を使われ続けたせいか大切な頭髪がどこかへ行っ
てしまいつつあるようです。
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中にはトロピカルなカクテルを注文され盛り上がってい
たテーブルもありました。タバコ屋も久しぶりのステーキ
の味を堪能し、沖縄初日の夜を楽しみました。ちなみに
左側で誇らしげにカクテルを掲げているのは今回の総
代連の若きリーダーH氏で、若い日を東京で過ごした後
中島に帰って来ました。タバコ屋は彼の父君とは旧知の
仲で、かなりな親しみを覚えています。
ステーキ1
蛇足ながらステーキと言えば、約20年前タバコ屋が大
阪に出張した折、京都の長岡京市に住んでいた叔父
夫婦が久しぶりに梅田でステーキ食べようやと誘って
くれました。場所は忘れましたが阪急梅田近くのステー
キ専門店でした。その時のステーキと言ったら霜降り肉
の最高級品らしく、とろけるように甘く柔らかで、もうこの
世のものとは思えませんでした。赤ワインも美味にてか
なり酔っ払ってしまったのでしたが、遠い昔の出来事な
がらも終生忘れ得ぬ思い出となっています。
銀座4三越7-2
皆さん不思議に思われるかも知れませんが、島で生ま
れ育ったタバコ屋は皮肉にも魚は苦手でお肉が好きな
のです。それも梅田界隈のステーキに止めを刺すのは
自分でも理由は分かりません。ただ梅田阪急百貨店の
お子様ランチになじんで来た島のタバコ屋としては当然
の帰結だったのかも知れません。
サムズビーフ1
今回の沖縄ステーキはそれとはかなりコンセプトの異な
るもので、霜降りではない赤身のオーストラリアンビーフ
でした。郷に入れば郷に従えでそれなりにおいしく頂い
たタバコ屋ですが、同行の皆さんは果たして気に入って
頂いたのでしょうか。幹事長としてとても気になるところ
です。最後は南国沖縄らしいトロピカルなデザートで締
めくくりとなりました。
国際通り1
かくして那覇の夜は更けていったのですが、ステーキの
フルコースディナーの後はこれまた添乗員のN氏にお骨
折り頂き、18名全員で行ける夜の社交場へと場所を移す
ことになりました。この後の甘美な夜のひと時については
お話しするのもはばかられると思いますので、今日のと
ころはこの辺で終わりにしたいと思います。沖縄2日目の
出来事につきましてはvol.2にて詳しくお話致しますので
お楽しみに。

蛇足ながら、幹事長として全員がホテルに帰還したかど
うか確認出来なかったのがやや悔やまれます。

★★島のタバコ屋の独り言★★
【7月31日:ああ創業100年】 島のタバコ屋、即ち富永呉服店が創業100年を迎えたことは先般お伝えした通りですが、皆さんよくご存知の世界的宇宙物理学者、故ホーキング博士によれば、100年なんて宇宙的時間軸で言えば、一瞬のまばたきに過ぎない訳で「島でのことも夢のまた夢」ということになりましょう。それはともかく4才の頃から道端の草にも「コンニチハ」なんて愛想を振り撒いて来たタバコ屋にしてみれば「店は客のためにある!」以上、未来永劫、店の続く限りそのテーゼを実践し続けるしかないのです。京都で300年続く老舗料亭、老舗呉服問屋もその志があったのかどうか、お聞きしたことはありませんが、当らずとも遠からじではないでしょうか。
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