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混沌と秩序 vol.3:流通編(後編)

平成27年6月28日
古今東西、商い(ショーバイ)というものは有史以来延々と営
まれ、様々な形態を経て今日に至っていると思いますが、この
稿におきましてもタバコ屋流珍説流通論にお付き合い頂きた
いと思います。
カルタゴ5
ショーバイを場所に捉われず広域に行うものとして国同士の
貿易がありますが、古代ローマ時代には国レベルでの貿易
がさかんに行われ、商益(タバコ屋の造語)=国益であった
ためしばしば戦争になりました。ローマによって滅ぼされた
カルタゴなどはイタリア対岸の北アフリカに位置し、海洋
貿易のパイオニアとして随分栄えた訳で、ショーバイの原
点は双方にないものを補完しあう目的があり、そこに貿易と
いう業態が成り立ったと思うのです。それが国営だったのか
民営だったのかはよくわかりませんが、国を挙げての事業だっ
たことは間違いないところです。
カルタゴ2
ローマとしては地中海貿易を独占していたカルタゴが歯がゆく
てならず、その富を横取りするため戦争を仕掛け、ついには滅
ぼしてしまったという訳です。大きな見方として古代より貿易
は商い(ショーバイ)の原形であり今日もそのことは基本的に
変わりがないと思います。
平山郁夫:流砂浄土変1
また交易という言葉からはシルクロードが連想されますよね。
「♪月の砂漠をはるばると旅のラクダが行きました~」という
歌詞で始まる「月の砂漠」のイメージなんですが、中東ペル
シャから遥か東方の中国唐まで行商キャラバンがラクダを
連ねて気が遠くなるような長旅をし、ペルシャの品から文化
に至るまで運び、帰りは唐の産品や同じく文化を持ち帰ると
いうイメージです。国家レベルの貿易というものではなかった
でしょうが、当時世界を代表するこの二つの国際都市間交易
(バグダード~長安)がもたらした東西間の生活文化への影
響は大きいものがあったと思います。
ペルシャグラス1
西域からはブドー酒やパンやガラスが伝わり、唐からは中国
の三大発明とされる紙や火薬や羅針盤がペルシャに伝わる
といった具合でした。後日イスラムが航海術に長け、それが
やがて大航海時代に繋がるのは羅針盤のお蔭でした。
正倉院唐草文様2
この国際交易は極東の島国ジパングにも大きな影響を与え、
奈良の正倉院には中国の文化はもちろんのこと、ペルシャ
文様とか西域の文化が伝わっていますよね。当時の東西間
交易はタバコ屋にとっては貿易というより行商のイメージが
強く感じられます。
月の砂漠4
タバコ屋流珍説ではありますが、商い(ショーバイ)の原点は
まず貿易あるいは交易、それも行商にあると思います。
まるで乾いた砂に水を注ぐように、それを望んでいるところ
(需要)にそれを満たす品を運ぶ(提供)ことで、行商というの
は大切な営みであったと思います。購入する側にとっては個々
の品の相対的価値というのは中々わかりづらいものがあり、
行商の当事者にとって、商いによっては莫大な利益が得られる
という醍醐味があったことでしょう。そうでなければ、金銀の
元手を用意し、商品を仕入れ、ラクダを連ねて月の砂漠をはる
ばると命懸けで旅したりしませんよね。今流に言えばハイリス
ク・ハイリターンということでしょうか。

どうでも良いことながら、需要の中でもはっきりとわかっている
ものをニーズ(顕在需要)と言い、こんなものがあったらいいの
にというあいまいな願望をウォンツ(潜在需要)と言います。
市場3
次に古代より営まれたであろうと思われるものに市場がありま
す。西洋では市場のことを英語でマーケット、フランス語で
マルシェ、スペイン語でメルカドと言ったりしますが、貿易や
行商が広域で商いの場所を特定しないのに対し、市場はその
町だけの狭い地域に限定し場所も特定され、また多くの売り手
と買い手がそこに集まり、売ったり買ったりする訳で、そこに活
気が生まれました。当初は物々交換から始まったのでしょうが、
やがてオカネの出現により品物の相対的価値(値決め)という
のがますます重要になりました。
市場8
日本での市場と言えば戦国時代の末期、安土桃山時代と呼ば
れる時期に織田信長及びその後の豊臣秀吉が推奨したと言わ
れる楽市楽座がありますよね。これは従来一部の商工業者の
同業組織である座を廃止し新興城下町でいづれの商工業者も
非課税で自由に商い出来るようにしたもので、目的は城下町の
活性化にありました。信長以前にもその萌芽はあったようです
が、本格的に実施したのは信長であり、流通システムの一種
イノベーションだったと言えます。
大原女3-1
余談ながら、皆さんは商業者はモノを売る人、工業者はモノを
作る人というイメージを持たれていると思いますが、それは
間違いです。そうなったのはつい近年のことで、それまでは貿易
等の大規模な専門商人は別として、基本的にショーバイという
のはモノを作った人がじかに売るのが当たり前のことでした。

ちなみに英語で商人のことをマーチャント(merchant)と言い
ますが、売れる商品を企画し(または製造し)適切な価格で
適切な相手に適量を販売することをマーチャンダイジング
(merchandising)と言います。タバコ屋初公開の珍説ながら
マーチャンダイズする人のことをマーチャントと呼ぶように
なったのではないかと思うのです。
つまり、もともと商人はただ品物を右から左へ売るのではなく
モノ作りまたはその商品アイデアを発案し売れるまでの流れ
を作る人だったと思うのです。
IMG_3294.jpg
難しく考えなくてもたとえばお菓子屋さんなんか、代表的な製造
業兼販売業ですよね。ショーバイの原点でもある製造販売業
はやはり食べ物業が圧倒的に多いですが(例えばレストラン
とかうどん屋、そば屋、ラーメン屋、寿司屋等)全てそうです。
蛇足ながら写真はタバコ屋お気に入りの菓子司、京都満月
さんです。
(関連記事:終わりなき旅 vol.1:いざ京都へ参照願います)
パチンコパーラー1
ただしパーラーもそうではありますが、タバコ屋の恥ずかしい
思い出として、倅の大学が東広島にあった関係でそこに行って
昼時にパーラー大学と大きく書かれた看板のある店に飛び込
んだところ、そこはパチンコ屋だったと言う、笑えない実話が
ありました。
(関連記事:ハローたんぽぽ vol.5(完結編)参照願います)
東広島市3-1
同志社大学自動車部、元キャプテンのO氏が東広島在住で
当時東広島市役所のエライさんだったので一言聞いてから
行くべきでしたが市庁舎の威容に気後れがして聞きそびれ
たものの、すべてはあとの祭りでした。
また今では絶滅危惧種ながら洋服の仕立て屋さんなども戦前
にはパーラーならぬテーラーとか言って随分ハイカラなショー
バイでした。
IVY-1.jpg
話は飛びますが、タバコ屋が同志社大学自動車学部(そんな
学部はありませんが)に入学した頃、世は高度成長期真っ盛り
に突入する時代でした。学生の服装もガクラン一色のバンカラ
時代から一足飛びにアメリカンファッション全盛となりました。
アイビーファッション5
当時最新のトレンドとしてアメリカ東部の名門大学グループ
をアイビーリーグと言いますが、その学生やOB達が身に着
けていた一連の洋服アイテムをアイビーファッションと呼び
注目されつつありました。
VAN-5.jpg
仕立て屋でもありデザイナーでもあった若き日の石津謙介氏が
そのアイビーファッションをまるごと採り入れたファッション
ブランド「VANヂャケット」を創業し東京青山に本社を構え
銀座界隈のみゆき通りに店を出したところ、カジュアルという
コンセプトなどなかった当時、ファッションそのものに飢えて
いた若者は先を争って買い求め、そのVAN製品を着てVAN
の袋を持って歩くことが一種のステイタスとなりました。
みゆき族1
一時期「みゆき族」なる言葉が生まれるくらいの大流行現象
が起こりましたがこの現象はある意味ファッションの一大イノ
ベーションでもありました。若者向けの週刊誌平凡パンチが
大ヒットしたものこの頃です。
平凡パンチ1
念のためにそのアイビールックのスペック、及びディテール
を申し上げますと、シャツは基本的にボタンダウンで、ジャケ
ットは襟筋の縁にステッチの入った特徴的なもので、3つボタ
ン中一つ掛け、ズボンはスリムなストレートで、ネクタイは斜
めストライプ(レジメンタル柄)のもの等々一定の決まりごと
がありました。
アイビーファッション4
アメリカでは保守的な階層(ハイソサエティ)が愛用していた
伝統的(トラディショナル)なファッションだったものが、日本
では一転トレンディーな最新ファッションとなった訳でしたが、
当時の若者にとってはアメリカでは伝統的かどうかも知らず、
ただまばゆいばかりのアメリカン・ライフスタイルとして受け入
れたのでした。それ以来今日に至るまであの熱病のようなIVY
ブームに勝る流行というのを聞いたことがありません。
アイビーファッション3
写真はIVYファッションが最も似合うと思われるアメリカの
俳優ジョージ・ペパードで「ティファニーで朝食を」では若き
オードリー・ヘップバーンと共演し一躍世界的なスターとなり
ました。しかしこれもアメリカ人だから似合うのであってやや
サイズが控えめな一般の日本人には少し無理があったように
も思います。特にタバコ屋なんかは・・・。
(関連記事:4000坪のガーデニング vol.2:
ティファニーで朝食を
参照願います)

とにかく戦後の一時期、アメリカ文化が怒涛のように流れ込み、
それはかつての日本が、隋、唐の文化に憧れた時代や明治維
新の文明開化にも勝る強烈なインパクトを日本に与えました。

蛇足ながらおそらく100年後の歴史教科書にはこの時の時代
変化を称して、文明開化ならぬ文明爆発と表記されるのでは
ないでしょうか。寝ても覚めてもアメリカ、右も左もアメリカの
時代でした。
コニーフランシス1-1
尚、IVYファッションの流行に前後してアメリカン・ポップス
のオールディーズも大流行りしました。当時売れっ子歌手だっ
たコニー・フランシスが愛くるしい声で「ヴァケイション」とか
「可愛いベイビー」や「夢のデイト」等、青春ポップスを歌い
大ヒットしたのが懐かしいですよね。ま、我々団塊の前後世代
は愛しのコニーと歌が忘れられずオールディーズ専門のライブ
ハウスで各地にある「KENTOS」へ通ったりするそうです。
弘田三枝子1
ちなみに日本人歌手の弘田三枝子や中尾ミエ、伊東ゆかり
などがコニーフランシスのヒット曲を日本語で歌いこれまた
ヒット歌手に育っていきました。タバコ屋はその中でも弘田三枝
子嬢がお気に入りで、デビュー当時のただ若さでがなり立てる
ような歌よりも、その後やや成長してから後大ヒットした「人形
の家」に最もハマッておりその日本人離れしたボリュームの
ある声量とハスキーな音質は日本人女性歌手の中では過去
現在ともNO.1だと思います。ただ残念なことにその後はあま
りパッとせず、若い頃のあの顔が魅力的だったのにやたら整形
を繰り返し、オバケのようになってしまったのは残念です。
おまけに昨今はあの迫力ある声量も衰えてしまって余計に残念
です。親から頂いた大事なオカオをさわりなさんなっちゅうに。
オーティスケリー先生1-1
余談になりますが、タバコ屋が在籍当時同志社大学自動車部
の部長先生だったアメリカ人のオーテス・ケーリ先生は茶目っ
気はたっぷりながら質実なお人柄でした。身に着けていらっし
ゃったのは今から思い出すとトラディショナルながらもあまり
気取らない(地味な)アイビーファッションだったと思います。
ちなみに元USネイビー情報部将校だったケーリ先生の初期
の愛車はアメリカ軍御用達のトラディショナル乗り物「ジープ」
でした。先生は愛車にも我が子同様ニックネームを付けるのが
お好きで「sister kate=ケイト姉ちゃん」と付けられていまし
た。その意味については黒人の有名歌手アームストロング氏
との交流から生まれたのでしたが、話せば長くなるので省略さ
せて頂きます。
(関連記事:今出川でのこと vol.1参照願います)
マンシング1-1
ついでながら、当時のファッションとしてはブームとなりつつ
あったゴルフに乗じてゴルフウエア(おもにポロシャツ類)も
大流行となりペンギンのマークのマンシングウエア(デサント)
傘のマークのアーノルドパーマー(レナウン)、熊のマークの
ジャックニクラウス(コスギ)等、有名ゴルファーをブランド名
にしたカジュアルウエアが競って売られました。
ユニクロ1
後日談となりますが、今をときめくインターナショナル・ファ
ッション企業のユニクロの柳井社長はタバコ屋と同期かその
前後の世代で、実家は上記のVANヂャケットを扱うメンズ
ショップでした。
現在、シンプルな男女、親子、共有ファッションで世界を席巻
していますが、タバコ屋の私見ではユニクロの基本コンセプト
の部分は、このVANヂャケットが広めたアイビーファッション
が根強く反映されていると思うのです。何故ならタバコ屋や
ユニクロ創業者の柳井さんは青春時代をIVYで過ごしている
からです。その意味ではアイビーは時代を超えて現代のファッ
ションとして蘇っていると思います。
その柳井さんちのユニクロも衣料品の製造販売業ですよね。
つまりユニクロは商品企画から製造、販売に至るまで全部
自社でやっている訳で、タバコ屋理論でいきますと、柳井さん
は筋金入りのプロ商人ということになります。

どうでもよいことながら、ユニクロが現在使用しているロゴ
は一度マイナーチェンジされたものですが、写真のように
当初のロゴのほうが力強くインパクトがあり、タバコ屋はこの
方がお気に入りです。何故変えたんだろう?。

オクルマの世界でも、以前はメーカーが作り販売は代理店
等のエージェントが受け持っていましたが、最近では製造か
ら販売までメーカーが一貫してやる傾向になりつつあります。
街で見かけるディーラーのショールームは知らない間にメー
カー直営店になりつつあるのです。
市場9
イスタンブールくらい飛んでしまった話を市場に戻します。
古今東西、市場というのは世界共通のショーバイの形態だっ
たと思うのですが、市場には各地から様々な品が集まりそれを
求めて大勢の人が集うことで大変な活気が生まれました。
日本では楽市楽座の後、座という制度は崩壊しましたが、その
後問屋、仲買い、小売り、というような現代に繋がる業態が
徐々に生まれていきます。また販売する場所も独立した店舗
であったり同一業態同士でまとまったりしましたが何と言っても
「市場」というのは大勢の客が一度に集まる場所であり、タバコ
屋流に言いますと「トラディショナル・ショッピングセンター」
とも言うべきものです。
市場10
日本では京都の錦市場とか大阪の黒門市場等、その街を代表
する市場が各地に生まれ、その活況は今日に至っています。
只その伝統的ショッピングセンターは自然発生的に生まれた
ものだけに、また日々の食材の提供を中心にしたものだったの
で、片寄ったところもあり、衣食住にかかわる業種の総合的で
適切な配置という面には欠けていました。
ボンマルシェ2
そこで生まれたのが百貨店(デパートメントストア≒デパート)
でした。起源はヨーロッパで、世界初の百貨店はフランスの
ボン・マルシェ(おいしい市場?)だと言われています。
その後オ・プランタン等いわゆる富裕層を対象にした百貨店
が続々と生まれ、産業革命以来の大量生産に対応した総合
小売業という業態が確立して行きました。百貨店という新業態
は小売業のイノベーションでもありました。
越後屋1
日本での百貨店の草分けは何と言ってもミツコシですよね。
三越の創業は明治37年に三井呉服店によって設立された三越
呉服店に端を発しています。ちょうど日露戦争が始まった同じ
時期にミツコシは誕生しました。ルーツの三井呉服店は松坂
出身の三井高利が江戸時代初期(1673年、延宝元年)に江戸
本町一丁目で越後屋という小さな呉服店を開業したのが始まり
で店は小さいながらも営業方針が大変ユニークかつ革新的な
ものでした。
越後屋3
当時の呉服屋は大名や富裕商人層を相手に屋敷まで出向いて
行きいざ購入となると値決め交渉や掛け売り(後日集金)が常識
でしたが、それを廃止し大衆主義(富裕層でなく大衆相手に店舗
で販売)や現金正札主義(値札通りの価格で現金決済)及び
顧客主義(客の求めに応じて反物を必要なだけ切り売りする)
等今迄考えられなかった斬新な商法で当時の江戸っ子をアッと
言わせ大繁盛となりました。
銀座4三越2
極めて革新的な小売業のイノベーションが江戸時代に三井
高利によって成されましたが、この現金正札制(定価販売)は
世界初の画期的なものでした。
越後屋時代の看板には左右にげん銀、かけ値なしと書かれて
いるのが見て取れます。
(関連記事:千葉・東京巡礼 vol.2:銀座界隈参照願います)
越後屋4
尚、その後越後屋は両替商(銀行)も行い本業の呉服よりも
副業の方が大きくなって今日の三井住友銀行に発展するの
ですが、三越は三井家の三と越後屋呉服店の越を合わせた
店名(社名)にて百貨店事業に専念し今日に至っています。
三越本店3
三越は日本の百貨店(デパート)の歴史そのものと言ってよく、
店内に食堂を設けたり、美術の展覧会を開いたり、屋上に庭園
や遊技場を作ったり、日本で初めてのエスカレーター、エレベ
ーターを設置する等、何もかも初めて尽くしで「今日は帝劇、
明日は三越」の名コピーが生まれたくらい日本の消費文化を
牽引して来ました。
ただ皮肉なことに、三井高利の経営理念は大衆志向でしたが、
明治以降の三越百貨店は高級志向となり存在感とプレステー
ジは最高になったものの、庶民からすれば逆に高嶺の花と
なりました。
(関連記事:千葉・東京巡礼 vol.2:銀座界隈参照願います)
銀座4三越1
その後の百貨店は三越を頂点に大丸、高島屋、そごう、松坂屋
等の呉服屋系と阪急、阪神、近鉄、東急、西武といった電鉄系
に分かれて覇を競ってきましたが、かつてヨーロッパからやっ
て来たその革新的小売業態もやがて戦後アメリカから日本に
上陸する次の時代のイノベーターによって主役の座をおりる
時が来ました。
ダイエー1
それは何かですって?、皆さんもよく御存じのスーパーマーケ
ット
です。スーっと出てきてパーっと消えるのがスーパーだ、と
言った不届き者もいたようですが昭和30年代より当初は「主婦
の店
」といった名前で出現し越後屋の経営理念と同じ大衆主義、
現金正札主義を打ち出しました。さらに顧客主義としてセルフ
サービス方式を採用し、市場にしろ百貨店にしろ当時は対面
販売が常識だったものを客が自由に商品を手に取って吟味出
来、店員に気兼ねなく必要なだけ購入出来るようにしました。
(関連記事:人生いろどり参照願います)
ダイエー4
セルフ方式の導入にあたり、最後の精算をどこかでする必要が
あり、店の出口付近に勘定場(cashier's counter=レジ)を
設ける必要がありました。そこには当時見たこともない金銭登録
機(cash register=レジスター)が置かれましたが前回の記事
でご紹介したようにヨキミセサカエル等と8分類して部門ごと
に売上げや客数及び販売点数を記録出来るキカイでそれに
より客単価等も分析が可能になりました。要するにショーバイ
がより科学的に行えるようになったのです。
キングカレン2
小売業の革新的業態であるスーパーマーケットの発案者(発
明者)はアメリカのマイケル・カレンで何と昭和5年!という
早い時代にキング・カレンという店をオープンしたのが最初
でした。彼は低価格、現金払い、配送なし、大規模店舗、大
駐車場といった特徴を持つ新しいタイプの食料品店を考案し、
それを実現しようとしました。また運営にあたってはセルフサー
ビス形式を採用し、クルマ社会であるアメリカの実態に合わせ
自由に買い物をしてレジで勘定を済ませた後、商品を直接駐車
場に運べるようにショッピングカートを発案する等、大変なアイ
デアマンでした。また経営手法においては部門別管理という
コンセプトを発案し自ら実践しました。
(関連記事:農業とレストア vol.3参照願います)
キングカレン
この部門別管理というのは複式簿記とまではいきませんが、中々
画期的な発明で、分かりやすく申しますと、ある部門をずっと
原価で売り続けても(例えば卵とか)ほかの部門(たとえば惣
菜等)で利益を上げ、トータルで目標の利益が確保出来れば、
結果として安さの演出が出来るという非常に科学的、戦略的
手法で、タバコ屋流珍説によると、スーパーマーケットの発明
がハードウエアの大発明だとすれば部門別管理は複式簿記と
並ぶソフトウエアでの大発明だったと思います。
アメリカンドリーム2
余談になりますが、戦後怒涛のようにやってきたアメリカの様々
な技術、文化、(オクルマやIVYやアメリカンポップスを始め
家電製品やシステムキッチン等に及ぶまばゆいばかりのライフ
スタイル=いわゆるアメリカンドリーム)と共にアメリカでは
常識だったものの、当時の日本では見たこともない革新的な
業態であるスーパーマーケットが進歩的な知識人や書籍によっ
て紹介され、またアメリカのレジメーカーであるNCRが自社の
レジスターを日本へ売り込むため、スーパーマーケットの普及
を促進した一面はありましたが、戦後の闇市から始まった当時
のショーバイの無茶苦茶ぶりに絶望していた日本の若き商人
達によって熱病のごとく歓迎され、また言うなれば新興宗教の
バイブルとしてスーパーマーケット理論の学習と実践が開始さ
れたのでした。
その若き商人達と言うのは後のダイエーの中内氏、ジャスコ
の岡田氏、イトーヨーカ堂の伊藤氏、ニチイの西端氏、等錚々
たる顔ぶれでした。
ダイエー4
当初彼らは、まず主婦の店という名前のセルフサービス店
(はっきり言ってちょっと変わった八百屋の安売り店といった
イメージ)からスタートしましたが、徐々に力を付けアメリカの
模倣(パクリ)ながらも日本全国に本格的?(日本的な)スー
パーマーケットを展開するようになりました。日本的なと言う
のはアメリカと違って郊外ではなく駅前の立地に出店していっ
たことです。アメリカはすでにオクルマ社会だったので郊外
(サバーバン)の広い場所に出店出来たのですが日本はモー
タリゼーションの夜明け前のお話にて駅前(ダウンタウン)に
出店するのが当時としては妥当な選択でした。
スーパー2-1
これはオクルマ業界でも同様で、昭和30年当時は世界で最
も進んでいたのはアメリカでありキャデラックやシボレー等が
最先端の革新技術(オートマやエアコン等)を発明して世界を
席巻していました。片や日本は虎の子だった航空機産業を
完膚なきまでに叩きのめされ破壊されていたので、平和産業
としての自動車は零からの出発であり、まずアメリカの模倣か
ら始まった訳で、その意味で日本の戦後流通業は似たような
混沌(カオス)の状況にありました。
(関連記事:ブランドに秘められたもの vol.2:外国車
参照願います)
ウォルマート1-1
しかし超!先進国アメリカでは次の段階として既存のスーパー
マーケットを核にして衣食住製品を全部品揃えし大規模な売り
場と広い駐車場を備えたこれまた革新的な業態であるショッ
ピングセンター
が主流になりつつあり、日本でも前出の革新
的小売業者達がアメリカ視察等、研究を重ね開発に取り組む
ようになりました。言ってみれば、遣唐使や維新の西欧視察
同様これまた模倣(丸パクリ)から始まった訳です。
ダイエー5
タバコ屋が同志社大学自動車学部?に入学した頃が丁度その
時期で、忘れもしませんが当時香里園にあった同志社大学香里
体育ハウスでの強化合宿中、食事は自炊でしたが、自動車部
ゆえ買物はオクルマで移動し香里園駅の近くでその年の昭和
44年にオープンした日本初!の本格的ショッピングセンター
「香里ショッパーズプラザ」によく通いました。これは当時飛ぶ
鳥を落とす勢いだったダイエーが実験店として開発した意欲的
かつモダンな店舗でした。
ただし買い物内容はカレーかおでんの材料と相場は決まって
おりお粗末なものではありました。しかしタバコ屋にとっては、
百貨店とは全く違う、今迄見たこともないような店舗で一種の
カルチャーショックだったことを鮮明に覚えています。
(関連記事:夏の日の思い出 vol.4:トライアスロン大会
参照願います)
イオン6-2
その後の日本の流通革新は留まるところを知らず次々にアメ
リカ流の新しい業態を導入していきました。ドラッグストア、
ホームセンター、コンビニエンスストア、等々また最近では
メーカーが余った品をお化粧直し(ラベルを替えたり)して
安く販売するアウトレットなども出現し、また百円均一がウリ
のダイソーとか激安が謳い文句のドンキホーテとかも出て
来ました。おまけに家電量販店から中古のオクルマ量販店
等も大繁盛で、それがまたショッピングセンターの中で同居
したりしてもう百花繚乱の時代となりました。
ウォルマート4
それとアメリカ商業文化のもう一つの大きな特徴と言うか、
イノベーションとして、チェーンストア(連鎖店)があります。
アメリカはとにかく広い国土であり、都市や町もあちこち散ら
かっているので、デパートにしろスーパーにしろドラッグスト
アのような専門店(スペシャリティストアと言います)にしろ
多店舗化しないと多くの売り上げが望めないのです。
ウォルマート11
アメリカの代表的な総合小売業としてウォルマートがあります
が当然ながらチェーンストアでアメリカだけで5,000店舗以
上、国外にも1,000店舗以上をチェーン展開し、売り上げも
40兆円以上で、航空産業、石油、自動車等全産業の中でも
世界一位の売り上げ規模であり、もちろん小売業ではダントツ
トップで、チェーンストアの凄さがわかって頂けると思います。
ダイエー
日本にも支店経営はありましたが、アメリカのように本社また
は本部が集中的に仕入れや店舗管理をシステム的に行うやり方
はそれまでありませんでした。日本でスーパーやショッピング
センターの実現を夢見た若き商人達は同時にチェーンストアと
いうアメリカ流のやり方にビックリ仰天し、それは熱病となり、
スーパーを武器にして主だった街の駅前にことごとく出店する
という日本流チェーン展開を実践したのですが、地元の既存
商店街や市場は死活問題であり、摩擦衝突を起こし、行政も
放っておけずその調整に随分苦労した負の現代史もあります。
モール5
それまでタバコ屋世代以上の年代の価値観であった普段の
買い物は近くの市場や商店街や駅前のスーパーで、また贈り
物はミツコシでという秩序(オーダー)は今や大きく変化し、
日本のモータリゼーションも爛熟期を迎えた現在、行動範囲
が広がるとともにお買い物の選択肢が極端に増え、新たな
混沌(カオス)が生まれています。その間かつての革新勢力
だったダイエーやジャスコやニチイ、セイユー等は時代の
役割を終え、百貨店がかつてそうなったように破綻もしくは
大不振に陥っています。
モール3-1
今日最新のコンセプトは大規模なショッピングモールと言うの
が世界共通のトレンドであり、郊外型のものや大きな公共施設
に隣接したもの等様々です。単なるショッピングセンターでは
なくなり、レジャー施設、劇場等アミューズメント機能を備えた
巨大複合施設となりつつあり、施設というよりは一つの街といっ
たほうが良いかも知れません。
モール1
写真は世界一のショッピングモール、モールオブアメリカです
が、何十万坪という敷地にこういう人工的な街が出来ること等
アメリカならではのスケールですが、商業の革新は留まる所を
知りません。革新的商人であった三井高利がもしこのモールを
見たとしたら、よし日本でもこれをやろうじゃないかと言った
かも知れません。

思えば、日本は2,000有余年の歴史において、最初は中国、
朝鮮の先進文化を学びやがて近世ヨーロッパ文明を吸収し、
戦後はアメリカの技術、文化を学んできた訳で今や航空宇宙
分野を除き、世界のトップランナーの地位に近づきつつある
と思います。
ショーバイの世界においても情報が瞬時に世界中を駆け巡
る時代となり、インターネットを駆使した新しい業態が次々に
生まれようとしています。しかし時代は変わろうとも商いの基本
が変わる訳ではありません。店は店主、経営者のためではなく
お客のために存在するものである以上、自ら変化してその時代
に適応しない限り、新しい革新勢力によって淘汰されるのは
仕方がないと思います。つまり「店は客のためにある」というの
は永遠の真理なのです。
ドラッカー2
タバコ屋の敬愛する、アメリカの経営学者P・F・ドラッカー
博士は「事業とは新しい顧客を生み出すことである」と言われ
ました。タバコ屋程度の頭ではその深い意味を理解出来ませ
んが、それには常なるイノベーションが必須であることは若干
わかるような気がします。
(関連記事:
カーオブサイヤー異聞:間違いだらけの受賞車選び
参照願います)

また別の視点ながら、かつて中世には文明の後進国であった
ヨーロッパがルネサンス以降、短期間で世界の先進国にな
ったのは隣国同士がマネをし合ったからだと言う人もいます。
我がNIPPONはマネ専門の国のように思われていますが、
決してそうではありません。戦後日本のオクルマ、電機業界
がそうであったように、流通業界においても創意は尊びつつ
良いことはマネることが次の進歩に繋がるのだと思います。

何やら今回は日本とアメリカの流通史みたいなことになりまし
た。ただ神戸方面の読者から長すぎると大ブーイングが起き
そうなので、紙数も尽きたようにて今回はこれくらいで終わりに
致します。長たらしい記事ながら長時間のご精読有難うござい
ました。

尚、ショーバイのことについて書きたいことはまだ山ほどあり
ますので、ひょっとしたら、第四部まで行かねば終わらないかも
知れません。その節はお楽しみに・・・。

(尚、文中の歴史説明や一部写真はウィキペディア及びヤフー
ネット画像等引用させて頂きました。)

混沌と秩序 vol.2:流通編(前編)

平成27年6月17日
前回の記事では中国の歴史をからめてタバコ屋の珍説をご披露
致しましたが、今回は見方を変えて西欧の歴史をもとに珍説第
二弾をお届けしたいと思います。流通とか堅苦しいタイトルです
が、要するに商い、ショーバイのことについてその歴史やら、
タバコ屋流の考え方なりをお話してみたいと思います。
エーゲ文明6
前回、4,000年の中国の歴史に触れましたが今回は西欧の歴史
を振り返ってみることにします。
皆さんかつて世界史のお勉強で習われたように世界の四大文明
はエジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、黄河文明と
相場が決まっていますよね。どれも巨大な河沿いに発生したもの
でしたが実はもう一つ海沿いに発生した古代文明がありました。
地中海の東部エーゲ海で発生したものでエーゲ文明(後のギリシ
ア文明)と呼ばれています。それは記録の残る古代中国よりも
やや古く、紀元前3,000年頃と言われていますから、これも
中国同様気が遠くなるようなお話です。
ギリシャ文明5
やがて1,000年後にはエーゲ海一円のクレタ、ミケーネでさらに
発展しその後1,000年程も経った紀元前1,000年頃には本命の
ギリシャ文明が起こりアテネやスパルタ等、ポリス(都市国家)
が出来て行政、軍事、町づくり、言語、哲学、文化芸術に至る
まで、古代中国と双璧をなす一大文明が絶頂を極めました。
この総じてギリシャ文明と言われるものが後のローマ文明に
引き継がれ西洋文明の基礎となりました。
トロイア戦争1
余談になりますが、吟遊詩人ホメロスが残した有名な長編叙事
詩としてイリアス・オデッセイアの物語がありますが、これは
エーゲ海を挟んで西のバルカン半島一帯のギリシャ連合軍が、
東のトルコ半島の都市国家トロイア(イリアス)と数十年にわた
る戦争を行い、ヘクトールやアキレス、オデュッセウスといった
双方の英雄の活躍やトロイの木馬で有名な攻防戦により最後は
ギリシャ連合軍の勝利となる物語ですが、長い間架空の神話だ
と思われていたものが近年(19世紀)、冒険商人シュリーマン
によってトロイア戦争時代の遺跡が発掘され、世紀の大発見と
なりました。
トロイア遺跡6
しかし実際トロイアと思われるヒッサリクの丘を発掘すると次か
ら次に都市が折り重なるように埋もれていてトロイア戦争があっ
たとされる紀元前1,200年頃より1,000年以上も前から作られて
いた城塞都市だったことがわかって来ました。ただシュリーマン
が生きた時代はまだ考古学などが整備されてなく、乱獲ならぬ
乱発掘により遺跡が一部損傷したり、出土品がシュリーマンに
よって勝手に持ち出されたりしたため、遺跡の発見という意義は
大きいものの実際にイリアス・オデッセイアで述べられている
史実があったのかどうか検証が困難になっていて、考古学的に
は残念な面があるそうです。
ツタンカーメン2-1
余談の無駄話ですが、発掘上の大発見と言えばシュリーマン
のトロイア遺跡と並んで、ハワード・カーター博士のツタンカー
メン王の墓(王家の谷)の大発見が有名ですよね。実はタバコ
屋が小学校4年頃担任のM先生からこの二つの発掘物語を描い
た伝記本を頂き、子供心に強烈な印象で還暦を過ぎた今日まで
鮮明に覚えている記憶の一つとなっています。
(関連記事:伊勢巡礼 vol.3:太陽の神参照願います)
シュリーマン3
ちなみに、その伝記ではシュリーマンは苦労人であり子供の頃
読んで聞かされたイリアス・オデッセイアは実話だと信じ、成長
後ショーバイ(貿易)で巨万の富を築いた後、すべてを投げ打っ
て幻の都市トロイヤ発掘に尽くした偉人のごとく書かれてありま
したが、近年のシュリーマンへの評価はボロクソで、山師、詐欺
師まがいの評価がされているのは残念というか、タバコ屋の
子供心?が傷付いた気がしないでもありません。
HONDAオデッセイ2
ついでながら、かつてHONDAがミニバンの開発で後れを取り、
苦し紛れと言うか、起死回生と言うか、満を持して発売したオデ
ッセイはこのオデッセイアからとったネーミングだと思われます
がその後その斬新なコンセプトとスタイリッシュなボディにより
一大ブームを巻き起こした事は記憶に新しい出来事です。
アレクサンダー大王1
さて中国が秦の始皇帝により統一された頃、日本は弥生時代
初期だと思うのですがギリシャ文明という一つの秩序(オーダ
ー)が完成しました。しかし都市国家どうしの抗争により疲弊し
次の混沌(カオス)へと繋がりました。それを統一したのは
アレクサンダー大王率いるマケドニアでした。紀元前4世紀頃
のお話でアレクサンダーの東方大遠征として有名ですよね。
遠征は地中海一帯は言うに及ばずはるかインド方面にまで及び
ました。尚、軍師官兵衛でもないでしょうがプラトンの弟子の
アリストテレスが若き覇王アレクサンダーの家庭教師だった
ことは皆さんご存じでしたか。タバコ屋は知りませんでした。
ブッダ像2
その頃、インドでは釈迦(ブッダ)によりモダンかつシンプルな
宗教である仏教が広まっていましたが、大遠征軍はそのまま居
残る者も出てきました。遠征軍というのは軍事力による征圧が
目的ではあるものの、同時に自分たちの文化も遠征地に持ち込
む訳で、彼らはギリシャ文明をアフガニスタン経由でインドに持
込みました。その居残り組は彫刻職人等もいたようで、釈迦は
偶像崇拝を否定しましたが、一般庶民は物足らず釈迦の死後、
そのお姿を仏像というカタチにして崇めることとなりました。
そのため初期の仏像はギリシャ彫刻そのもののお姿をしてい
ます。それはアレクサンダー大王の残したある意味、文化遺産
と言えるのではないでしょうか。
ブッダ像8
その後、シルクロードを経て中国、やがて日本へモダンな仏教が
伝わるにつれ、仏像は釈迦像だけでなく色々なバリエーションが
加わり、またその外観も当初のギリシャ彫刻からは似ても似つか
ぬ東洋的なものへと変化しました。
カルタゴ3
時代は進み、紀元前1世紀頃には、同じ地中海でも西方のローマ
やアフリカ北沿岸のカルタゴが台頭し、ショーバイ(海洋貿易)
主体のカルタゴは武力国家のローマに滅ぼされ、ローマ帝国が
地中海の覇権を握ることになりました。
シーザー4
その後ローマ帝国は東はエジプト、西はヨーロッパ一円(イギ
リスを含む)を組織的な軍隊をもって次々と征服していくのです
が、その際中心となったのはかの有名なジュリウス・シーザー
でした。
シーザー2
ガリア(フランス)遠征などにより、大成果をあげ、本国ローマ
に凱旋後は実質ローマ帝国の支配者となったものの、歴史の常
で外敵ではなく仲間内に暗殺されるという悲劇的な最後を遂げ
たことはタバコ屋が言うまでもありません。
キリスト4
その間、エルサレムの北方ガリラヤのナザレという荒廃した地
で、イエス・キリストが生まれ、成長後はゴッドという世界唯一
の神様を信じなさいというモダンというか不可思議な宗教を提唱
し、当時のローマ帝国にとっては極めて危険な思想であった
ため、キリストは皆さんご存じの如く磔(はりつけ)の刑にされ
ましたよね。
キリスト5
また南のエジプトでは王朝の内部抗争の末、あのクレオパトラが
女王となり、その時の覇者シーザーやその死後はアントニウスと
の華やかなロマンスがあったもののやがて二人のパトロンを失っ
た彼女は権力闘争に敗れ悲劇的な死を迎えることになりました。
クレオパトラ2
尚、彼女が住んでいたのは前出の偉大なるアレクサンダー大王
の名前にちなんだ海辺の都市アレキサンドリアでした。
ベンハー2
そのあたりの物語は一大スペクタクル映画「ベンハー」で詳しく
描かれています。勿論ベンハー役はチャールトン・ヘストン、
クレオパトラ役はスリムだった頃?のエリザベス・テイラー
でした。
(関連記事:幸せの青い鳥参照願います)
ベンハー4
また、旧約聖書に描かれている「出エジプト記」は事実だったか
どうかは別にして、その時代より1,000年以上も前の出来事で
エジプトで奴隷として虐げられていたヘブライやユダヤの民が
モーゼに率いられて数々の奇跡に助けられながらエジプトを脱出
し、約束の地カナンを目指す物語ですが、海が突然真っ二つに
割れたり現代では到底信じがたい有名なエピソードがあります
よね。このユダヤの民が信仰していたのが唯一神ゼウスで、
キリストの教えはこのユダヤ教がベースとなっているのだと
思います。
(関連記事:伊勢巡礼 vol.3:太陽の神参照願います)
モーゼ4
この物語もベンハー同様チャールトン・ヘストン主演のスペクタ
クル映画「十戒」で雄大に描かれています。
尚、当時のエジプトの名誉のために付け加えますと、ヘブライや
ユダヤの民は奴隷ではなく、技術者や労働者として雇われていた
のであって過度な虐待などなかったという説もあります。
ローマ帝国1-1
その後ローマ帝国は権力争いによる政治の混沌(カオス)と秩序
(オーダー)を際限もなく繰り返すのですが、その間対外的には
領土はますます拡大し、紀元2世紀頃には政治、経済、文化は絶
頂期に達します。後年パックス・ロマーナ(ローマの平和、
秩序)と呼ばれるもので、その特徴は、法律、軍事力、土木
(道路や水道)にありました。
ローマ帝国10
偉大なローマ帝国により一つの秩序(オーダー)が生まれた訳
で、それは当時ヨーロッパ一帯の野蛮な部族にとっては見たこと
もないモダンな文化や技術であり、征服されたことをかえって
感謝するという珍現象がおこりました。
バチカン1
また皮肉なことに、ローマ帝国初期には危険思想として迫害され
たキリスト教もその信者たちが多くローマに移り住み、無視出来
なくなって、紀元4世紀頃にはついにローマ帝国の正式宗教とし
て公認されました。宗教のイノベーションが起こった訳です。
ローマ皇帝にしてみれば秩序(オーダー)を維持するために
キリスト教を認めることで混沌(カオス)を避けたかったのだと
思います。また逆にキリスト教を征服地の民衆統治用ツールと
して利用しようとしたことは十分考えられます。
ローマ帝国3
驕る平家も久しく、ローマ帝国はその後延々と続きますが、紀元
4世紀の終わり頃には食えなくなったゲルマン民族達(要するに
北方のジャーマン(ドイツ)民族)が南下大移動を起こし、同じ
頃、日本で言えば大和朝廷が日本を平定した頃なんですが、
ローマ帝国はあるきっかけで東西に分割されることになりま
した。
ゲルマンの大移動1
やがて西ローマはそのゲルマンによって滅ぼされ、東ローマ帝国
だけが延々以後15世紀まで生き長らえることになりました。
ローマ帝国の興亡をお話しようと思えばタバコ屋のブログ1年分
でも足りないと思いますのではしょります。
イスラム7-1
紀元5世紀に西ローマ帝国が滅んで以来、ヨーロッパは、かつて
ローマ帝国に征服されていた野蛮な部族が、目覚めたと言います
か自立していき、様々な王国になっていくのですが、ベースには
キリスト教という秩序(オーダー)が出来あがったため、イノベ
ーションは起こらず技術や文化の面では後年、中世とか暗黒
時代とか呼ばれる長く停滞した時代が続きました。逆にマホメッ
トが興したイスラム教を信じるエジプト以東やアフリカ北岸の
国々の方が航海術とかさまざまな技術が優位となり、西へ進出
してきたため今度はキリスト教対イスラム教といった図式の
争いと混沌の時代となりました。途中イスラムに対抗するため
十字軍の遠征が起こったり、また東方からはモンゴル帝国が風
のごとく攻めてきて東ヨーロッパやロシアを席巻し、キリスト軍
VSイスラム軍VSモンゴル軍の三つ巴となり、踏んだり蹴ったり
のすさんだ時代が続きました。
ルネサンス2-1
それらはすべてはしょることにしまして、西ローマ滅亡後1,000
年にも及ぶ長い中世という技術や文化における暗黒の時代に
終止符を打ったのは14世紀にイタリアで興ったルネサンス
でした。
ルネサンス4-1
ルネサンス、何か言葉からして光り輝く春の陽光の響きがあると
思いませんか。タバコ屋独自の見解ですと当時、ショーバイの世
界(毛織物等地場産品の交易や金融等)で莫大な富を蓄えつつ
あった北イタリアの諸都市、中でもフィレンツェのメディチ家な
どはその代表で、莫大な富を背景に、今迄のしみったれた諸々
の文化(建築、彫刻、絵画、音楽等)に我慢がならず人間が本来
持っている豊かな感性に基づきいにしえの古代ギリシャ・ローマ
時代を範とするダイナミックな造形や写実美を求めるように
なりました。
ギリシャ文明11
その背景には、ルネサンス期のイタリア商人達はショーバイを
するにあたり、品物を計量したり、シビアなお金のやりとりを
することで現実的、合理的なものの考え方をするようになり、
それまで1,000年にわたってローマ・カトリックによって「すべ
ては神の思し召しに委ねなさい」とか教えられ、前進、革新
よりも平穏、安寧を強要されされてきたことに対し、どうもそれ
はおかしいと考え出した反動だと思います。ルネサンスの背景
にはそういう思想面のイノベーションがあったのではないでしょ
うか。
ギリシャ文明8
その結果、需要のあるところに供給は生まれる訳で、ボッティ
チェリ、ミケランジェロ、レオナルド・ダビンチ、ラファエロと
いった天才肌の芸術家(当時はパトロンお抱え、御用達の職人
だったと思います)が輩出し、今日に残る傑作を数多く残し
ました。
ルネサンス7
余談になりますが、今日オクルマの世界において、その造形力で
は、イタリアのカロッツェリアと呼ばれるデザイン専門屋が優れ
ていて、ルネサンスの絵画や彫刻に見られる塊感、ボリューム
感、躍動性
等をそのまま引き継いでいるように思います。
ただ最近はデザインをメーカー自身がするようになり、カロッ
ツェリアも食えなくなってドイツを始めとする大手カーメーカー
に吸収されつつあるのはやや残念です。その点自動車大国の
日本は長らく襖絵、浮世絵、仏像の世界だったので、塊感の
表現は苦手な民族かも知れません。
(関連記事:好みの基準 vol.7:カーデザイン参照願います)
ルネサンス5-3
文化と言うものはまず川上(ハイソサエティ)から川下(一般社
会)へと波及していくもので、北イタリアのフィレンツェあたり
で興ったこの文化イノベーションはもう後戻りが効かずやがて
長い冬の時代が過ぎたかのようにヨーロッパ中に波及していき
それをきっかけにして、15世紀以降ヨーロッパは目覚ましい
進歩を遂げます。
帆船6
寝た子を起こすという言葉がありますが、中世を脱したヨーロッ
パは人間が本来持っている好奇心というものに再び目覚め、その
目は当時敵対していたイスラムによってもたらされた航海術によ
りまだ見ぬ異国の地を求め冒険航海に乗り出すこととなりま
した。ルネサンスの結果として次は大航海時代が到来したの
です。
帆船9
それにはやむにやまれぬ事情がありました。15世紀当時イスラ
ムの最強勢力となっていたオスマン・トルコは永らえていた東ロ
ーマ帝国を滅ぼし地中海の制海権を一手に握るようになりまし
た。その結果ヨーロッパ諸国(主にポルトガル・スペイン)が
紅海を抜けて東方のペルシャやインドと貿易をしたくても高い
関税によりぼったくられるので、新しい航海ルートを探す必要に
迫られていたのです。大航海時代は好奇心だけではなくそれこ
そ国家プロジェクトとして、新しい航路と新しい交易地を探検、
確保する事業でありました。
エンリケ航海王子
その間、エンリケ航海王子やバスコダ・ガマ、コロンブス、マゼ
ラン等の冒険家が命懸けで新天地を発見しポルトガル、スペイ
ンに莫大な富をもたらしたことは皆さんよくご存じの歴史です。
ただ実態は海賊まがいで略奪、殺人、強姦、何でもござれの犯
罪百貨店の押し売りみたいなものでした。スペインは特に悪質で
今でこそフツーの国の顔をしていますが、当時やったことは到底
許されることではありません。それから見ればポルトガルはやや
ましで、特にエンリケ航海王子という賢者がいたために、悪どい
ことはスペインほどではなく、逆にキリスト教の宣教師を同乗さ
せ、異国の地に布教を試みたりしました。マルコポーロが東方
見聞録で、東の果てのジパングは黄金の国であるなどと煽った
こともあり一種のジパングブームが起こりました。
(関連記事:農業とレストア vol.5参照願います)
フランシスコザビエル1
イエズス会の宣教師であったフランシスコ・ザビエルが戦国時代
の日本にやってきたり、また偶然ながらポルトガルの船が種子島
に漂着し日本に鉄砲をもたらしたことなどにはそういう時代背景
がありました。また当時、ポルトガルとスペインで勝手に世界地
図を2分し領地を分け合っていたことなど今では笑い話ながら、
2国は大真面目でした。
大航海時代と言うのは新しい航海技術により遠洋航海が可能に
なったことでヨーロッパ人が初めて世界的視野を持った一大イノ
ベーションだったと思います。
トラファルガー海戦2
しかしまたしても驕る平家は久しからずで、やがてポルトガル、
スペインは新興のオランダ、その後のイギリスに打ち負かされ、
主役交代となり没落して行きました。何故ならせっかく海賊強盗
をやって稼いだ莫大な富を、宵越しの金は持たない流で使い果た
してしまったからで、もはや海賊強盗に代わる新しい事業を起こ
す力は残っていませんでした。
東インド会社3-1
一方オランダ、イギリスとも東インド会社という国策の貿易会社
を設立して武力を背景にヨーロッパ以外のあらゆる国を植民地
化していくことになりました。18世紀にはイギリスで産業革命
が起こり、生産力が飛躍的に向上したため軍艦付きの貿易に
より自国で余った品をよその国に売りつけるいわゆる重商主義
をとらざるを得なかったのでしょうが、それにしてもその犠牲に
なったインドなどは気の毒でやがて中国もその餌食となりまし
たが、当時日本は徳川が鎖国政策を採っていたため、それら
の情報がわずかしか伝わらず、軍事力や科学技術で大幅な
後れを取り19世紀の中頃にはイギリスならぬ新興国アメリカ
から突然やって来たクロフネの大砲一発で仰天し、尊王攘夷
の大合唱と幕末の大動乱に繋がっていきます。
(関連記事:島のスイーツ開発 vol.4:マリー・アントワネット
のこと
参照願います)
ナポレオン2
19世紀は日本が徳川時代の秩序(オーダー)から幕末の大混乱
(カオス)になっただけでなく、当のヨーロッパも乱立した国々
での争いが絶えず、フランスで民衆革命が起こったり、ナポレ
オンが大暴れしたりしました。一方科学(特に機械や医学)方面
では新発見や新発明が相次ぎ、もうてんやわんやで今朝言った
ことはもう夕方には通用しないといったある意味文明の混沌
(カオス)状態でした。
(関連記事:マリー・アントワネットとフェアレディZの謎
参照願います)

20世紀に入ってからはその流れはますます加速され、国の形や
経済、科学技術、医学、及び諸文化は今までの有史以来5,000
年分のイノベーションをわずか100年でやったほどの質、量
とも驚異的な発見、発明、革新が相次ぎ、それは瞬時に世界中
へ波及し、模倣(パクリ)と改善及び次なるイノベーションに
繋がりました。
第一次世界大戦1
しかし、国益をめぐって争いは絶えず、一国だけでなく周辺の
国々を巻き込んで総力戦で雌雄を決するというバカな時代と
なりました。20世紀初頭の第一次世界大戦はヨーロッパのみ
ならず多くの国を巻き込んだ世界大戦でした。それにも懲りずに
25年後には今度はそれこそ世界中を巻き込んだ第二次世界
大戦をやってしまったのです。それには日本も当事者として深く
関わり、結果は日本そのものが滅亡、消滅する寸前までいった
悲惨な戦争でした。
B29空襲4-1
日本の場合、西欧列強から圧迫を受けそれを何とか打開したい
という思いはあったものの国力、技術力から見て全く勝てる見込
みなどなく、事の是非としては絶対にやってはならないことを
軍部の独走(特に陸軍参謀本部)でやってしまった戦争でした。
参謀本部には当時の日本の最優秀頭脳が集まっていた筈なの
に、偏った情報と実力(科学技術、軍備)を伴わない現状を謙虚
に直視出来なかったのだと思います。例えは悪いですが、これ
では幕末の勤皇攘夷の志士が西欧列強に対し、その力もない
のに攘夷(排斥)を主張したことと同じではないかと思ったり
します。皮肉なことに洋の東西を問わず科学技術のイノベーシ
ョンは2度の大戦によって飛躍的に進んだのでした。
(関連記事:究極のレストア参照願います)

その後、ヨーロッパはイギリスの没落、ドイツの分割等、大いに
疲弊し世界の主役の座を降りたものの、今度はアメリカ、ソ連と
いう超大国同士がいがみ合い、今ではバブルで鼻息荒い中国
がそれに加わり三つ巴の押し合いへし合いが続いています。
前稿でお話した中国4,000年の歴史も混沌と秩序のむなしい繰り
返しでしたが、西洋の歴史も同様で混沌(カオス)からイノベー
ションを経て秩序(オーダー)へと向かいまたそれが新たな
混沌に向かうというループは人類にとって逃れようのない宿命
かも知れません。

今後の日本のあるべき姿については本稿の趣旨ではありませ
んがタバコ屋の私見ではしっかりした国防軍のもとで世界平和
に貢献する科学技術大国であるべきだと思います。何故ならば
ちっぽけなジパングの国にあるものは人的資源だけだからです。

さて前置きが本稿になってしまうほど長くなりましたが、本題で
ある流通(ショーバイ)の変遷についてお話したいと思います。
売春3-1
最初からいきなり唐突ですが、世界最古のショーバイは皆さん何
だと思われますか。そうですご推察のとおりで女性が男性から
オカネをもらって春を鬻ぐ(ひさぐ)ショーバイですよね。検証
した訳ではありませんが、これは古今東西共通の歴史だったよう
です。
(写真はそのこととは全く関係ありません)
ポンペイ3
古代ローマ有数の避暑地バイアの近くにあったポンペイはベス
ビオ火山の大爆発で一夜にして灰の下の廃墟と化しましたが、
お蔭で当時の町がそのままの形で残り、今は当時を偲ぶ遺跡
として世界有数の観光地になっていますよね。そのポンペイ
でもパン屋、バーなどと並んで、女性が春を鬻ぐ(ひさぐ)お店
が大繁盛だったとか。ことの良し悪しは別にして、需要のある
ところには供給が成り立つ訳で、隠された歴史の一面を物語っ
ています。
バイア5
余談ながらかつてのファーストレディ、ジャクリーン・ケネディ
妃のお気に入り避暑地はバイアだったそうで今でも一般庶民
にはあまり知られていないセレブ御用達の温泉リゾート地です
が、海底に沈んだ古代ローマ時代の町の遺跡があることで若
干知られてはいます。(以前NHKの番組で、松山城主松平
(久松)公の親戚筋にあたる松平定知アナウンサーの名ナレ
ーションにてそのバイアが紹介されたことが一度ありました)
尚、悪い冗談ですが、殿方が珍重されると言われるバイア○○
はこの町とは何の関係もありませんので申し添えておきます。

ついでの手前味噌ながらタバコ屋の島、中島なんか雅子妃殿下
に1回だけでも来て頂ければ、日本有数のセレブリゾートに成り
得ると思うのですが、それははかない夢かも知れません。
(関連記事:鉄腕ダッシュと水軍参照願います)

洋の東西を問わず、古代から混沌の時代であれ、平穏の時代
であれショーバイという営みは続いてきた訳ですが、商いの
原始的でシンプルな形はおそらく物々交換だったと思います。
そのうち、オカネに相当するような石や貝で出来た原始的なもの
から始まり金、銀、宝石とかが用いられ、やがて最も強大な力を
持つ国が使うオカネ(金貨とか)がその地域一帯共通の貨幣と
なっていきました。オカネというコンセプトによりそれまでのよ
うに牛一頭と小麦20袋交換しましょうなどという煩わしいこと
から解放され、商いがやりやすくなりました。そのためには物
の価値を相対的に値踏みするという新しい知恵が必要にはな
りましたが貨幣の出現は統治はもとより商いの世界での一大
イノベーションだったと思います。
貨幣2
商いにとって、タバコ屋流、三種の神器と言えばオカネの次には
読み書き(文字や数字とその記録及び方法)、ソロバン、だと
思うのです。読み書き、ソロバンというと何やら寺子屋のメニュ
ーのような気もしますが、ショーバイにとっては儲かっているの
か損をしているのかが分からなければならず、それには商いを
数理的に把握しないとうまくいきません。西洋ではいざ知らず
日本ではどんぶり勘定という荒業もあるようですが、面白い
たとえですよね。
ロゼッタストーン
読み書きのうちの言葉や文字、数字についてですが、これは
世界四大文明が起こったそれぞれの地域は言うに及ばずその
他の古代文明圏でも、お互い相談し合った訳でもないのに独特
のものが発明されてきました。今回お話した西洋文明では元祖
がギリシャ語でありローマ時代にはそれを取り入れたラテン語
が公用語となりやがてそれをもとにしてそれぞれ方言が混じり
合ってスペイン語、フランス語、イギリス語(英語)、ドイツ語
等に分かれて行きました。
ラテン語2
現在の世界公用語は英語ですが、このアルファベットのもとは
ギリシャ語が発展したラテン語の文字がベースとなっており
元は大文字だけでした(ABC、ⅠⅡⅢ)が、書きにくいので日本
語の漢字が略されて平がなが出来たように大文字を略したもの
が小文字(abc)となりました。ただαβγのようにアルファベット
文字からは外されている文字も元はと言えばギリシャ、ラテン
語文字であり、要するに西洋文明及び現代の世界文明はギリ
シャ、ラテン語とその文字がすべての基礎になっている訳です。

ただ数字については5世紀頃にはインドで0の概念が発明された
ものの、ショーバイではそこにある品勘定が主体であり、西洋で
はあまり重視されませんでした。また西洋ではローマ以降1,000
年にも及ぶ中世の長い間ラテン数字(ⅠⅡⅢ)が使われました。
アラビア数字1
現在世界中の公用数字とも言えるアラビア数字(123)の原形
はヨーロッパと対立してきたイスラム圏(特にオスマントルコ)
が使っていたもので、シンプルで非常に書きやすいため西洋圏
でも徐々に取り入れられていきました。
メディチ家4
しかし現在のようにシンプルで洗練されたデザインになったの
は、何と14世紀に興ったルネサンスからでした。当時北イタリ
アのメディチ家を代表とする、新興商人たちは貿易や金融で
莫大な富を築いた訳ですが取引に当たっては従来大福帳?
(収入と支出を記したもの)を付ける以外に管理の方法を知りま
せんでした。しかし貿易や銀行のショーバイが忙しくなり頻繁に
数字を記帳する必要に迫られてきたのです。
ペルセポリス1
皆さん、タバコ屋も含めて西洋は進歩的で、中近東イスラムは後
進的というイメージを持たれていませんか。それは間違いです。
ヨーロッパ中世の暗黒時代、世界をリードしたのは東は中国の唐
であり、西はオリエントと言いますか中近東イスラム圏でした。
それは軍事を始め統治システム、経済、文化全てに亘りました。
ちなみに東の唐が最も栄えた8世紀頃、西ではいわゆるペルシャ
の地でアッバース朝が興り、その都バグダードは唐の都、長安
も勝る当時世界最大の国際都市だったんです。バグダードの文化
と長安の文化は互いに交流、影響し合い、得も言われぬ文明の
絶頂を極め、それにあこがれた日本は遣唐使を盛んに送り込み
その文明にあやかろうとしたことはすでに述べました。
ペルシャ3
話は飛びますが、10世紀頃から数百年かかって完成したと言わ
れる有名なアラビアンナイト(千夜一夜物語)はペルシャ(バグ
ダード)を舞台にした大人のおとぎ話で、「アリババと40人の
盗賊」、「アラジンと魔法のランプ」、「シンドバッドの冒険」
等、皆さんもお馴染みのお話ですよね。これもイスラムで作ら
れたものでした。
ペルシャ2
10世紀から12世紀にかけてのヨーロッパはイスラムに対抗す
るため、十字軍の遠征が起こったり、モンゴルが突然攻めて
きたりして大混乱の時代だったことはすでに述べましたが、当時
ペルシャは軍事大国であると共に周辺諸国との交易による経済
大国でもありました。その頃にはエジプトを始め、北アフリカ
沿岸、リベリア半島(ポルトガル、スペイン)を支配し、地中海
の覇権も握っていました。文化のあらゆる面でイスラム風が浸透
し、例えばF・タレガ作曲のギター曲「アルハンブラの思い出」
で有名なスペインのアルハンブラ宮殿なんかアラブ(イスラム)
そのものといったエキゾチックな風情ですよね。
(関連記事:農業とレストア vol.5参照願います)
アルハンブラ宮殿3
14世紀のルネサンスに戻ります。イスラムによってもたらされ
た航海術を始めとする数々の科学技術や文化ですが、その中
でも経済の分野で最も重要な発明が12紀頃、イスラムによって
成されました。それは「複式簿記」という斬新なコンセプト
でした。
それまでの商い(ショーバイ)は収入と支出を記録する収支帳簿
やどこから仕入れて誰に売ったかを記録する補助帳簿しかなか
ったのですが、複式簿記は収入または支出が発生した時に自分
の財産(元手等)がどういう風に変化するかということを同時に
処理しその結果が一目でわかる帳簿を加えた画期的なシステム
でした。

具体的には収支結果はProfit and Loss Statement(損益計算
書)で表し、財産(元手と負債)の状態はbalanse sheet
(貸借対照表)で表すことにより、一定期間の取引で儲かったの
か損をしたのか、その結果財産及びその内訳である元手や負債
はどうなったのかが鳥瞰図のように眺めて見ることが可能になっ
たのです。
ベニス3
12世紀、ペルシャの商人によって発明されたと言われる世紀の
大発明、複式簿記は14世紀のルネサンスにあって、ベニスの
貿易商人などに大歓迎され、その後15世紀には数学者ルカ・
パチョーリによって体系化され一気にヨーロッパに広まって行き
ました。さしづめメディチ家なんかはこの複式簿記でガッチリ!
だったと思います。ドイツの作家ゲーテなどもこのシステムを
絶賛しておりまた大福帳の日本では明治維新後、福沢諭吉が
「帳合之法」で欧米式会計を翻訳紹介して以来、広まったと言わ
れています。
ショーバイの三種の神器のうちの読み書き、特に記録という面
についてこの複式簿記はとてつもないイノベーションだった訳
で、以後世界共通ショーバイ道具として今日に至っています。
西田佐知子1
突然で恐縮ですが、昭和世代のタバコ屋にはなじみ深かった
歌手の西田佐知子さんが昭和36年にリリースした世界的に
有名な曲をアレンジし歌った大ヒット曲に「コーヒールンバ」が
ありますよね。
「♪昔アラブの偉いお坊さんが、恋を忘れた哀れな男にしびれる
ような香り一杯の琥珀色した飲物を教えてあげました♪」で始ま
るリズミカルなテンポの歌でしたが、この複式簿記はコーヒー
ルンバに例えると「昔アラブの偉いショーバイ人がしびれるよ
うな仕掛けいっぱいの素敵な帳簿の付け方を教えてくれました」
となり、西洋文明というのはアラブ(イスラム)の影響を多大に
受けて(パクッて)熟成されてきたということがお分かり頂ける
と思います。

尚、どうでもよいことながら西田佐知子さんのご主人はタレント
の関口宏さんだったこと皆さんご存知でしたか。タバコ屋は例
によって、まったく存じ上げませんでした。
どうでもいいことの続きにて、男心をくすぐるONNAの人の
条件として、声がハスキーであること、物憂げで投げやりな態度
であること、もちろんオカオが魅力的であること、だと思うの
ですが佐知子さんはそのキーワードをすべて満たしていると
思うのですが。

飛んだ話をアラビア数字に戻します。複式簿記という画期的な
システムが普及するにつけ頻繁な記帳をスムーズにするため
イスラムから伝わったアラビア数字の原型はアルファベットの
大文字が小文字に簡略化されたように単純化されていき現在
の形(123)になったと言われています。複式簿記の効用は会計
の近代化だけでなく、数字の洗練化にも役立ったという意外な
一面を持っています。ただし、このことは概ね事実ながらタバコ
屋の想像による珍説も含まれているのでその点お含み頂きたい
と思います。

さて三種の神器のうち、最後のソロバンですが、計算機と言い
換えてもいいと思います。最も原始的な計算機は恐らく人間の
手足の指だったと思うのですが、それゆえかどうか数を数える
単位は10進法が一般的ですよね。何故人間の手足の指が10本
かについてはダーウィンに聞いてみなければわかりませんの
で悪しからず。
ソロバン1
貨幣が発明されてからは手足だけでは間に合わなくなり、古代
オリエント(メソポタミア?)で平たい板に溝を掘りそれに珠を
並べて使う古代ソロバン(アバカス)が発明され、それが中東
経由で東は中国、西はギリシャ方面に伝わったとされています。
やがて中国では一本の軸上の珠が上下に移動する現在のソロ
バンに改良されましたがルールは下段5個で5までの数字を扱い
上段2個で10の数字を扱うようにしたものでした。
ソロバン2-1
日本では室町時代に中国から輸入されたそうですが、更に工夫
され、下段5個、上段1個に改良され長く使われた後、明治中期
以降はさらに下段4個、上段1個に改良されました。それはおも
に計算スピードを上げるためのイノベーションでもありました。
オクルマ用語でいうとチューニングアップとなりますが、こう
いうカイゼンは日本民族の最も得意とするカテゴリーでござ
います。
ソロバン10
一方古代ギリシャ、ローマ時代に使われたソロバン(アバカス)
も他の文化同様、中世時代は進歩が停滞しましたが、14世紀の
ルネサンス時代には文明開化が一斉に起こり、ショーバイも活
発になってきたので、もっと早く簡単に計算出来る道具を作れな
いものかといろんな学者が研究し17世紀にはパスカルやライプ
ニッツが歯車式の計算機を発明したり、また計算尺が考案され
たりして中世の停滞から徐々に脱皮していきました。
しかしショーバイの道具としてはソロバン(アバカス)の方が
お手軽便利で、計算道具の世界ではソフトウエアの大発明、
複式簿記に匹敵する発明は起こりませんでした。
ソロバン3
話はかなり飛びますが、タバコ屋昭和世代が子供心に覚えてい
るショーバイ道具と言えば、呉服屋時代に仕入れ先の問屋や、
自店の店頭で使っていたやや大振りの5つ珠そろばんです。これ
は主に計算用ではなく客に価格を提示するための道具だったので
大型の方が良かったのです。問屋のお兄さんが勢いよくそろばん
をご破算にし、パチパチ、ジャッと値段をはじいて見せるところ
なんかは結構粋でかっこ良かったのを覚えています。
レジスター1-1
また、昭和30年代には呉服屋ながら、島で初めてのセルフ
サービス衣料品店や主婦の店というセルフ食品店を開業し
たりしたものですから、そのお勘定場に当時ハイカラなショー
バイ道具であった電動キカイ式金銭登録機、いわゆるキャッ
シュレジスターが据えられました。それはヨキミセサカエルなど
と粋なネーミングをした8分類の商品分類別に登録が出来る
シロモノで当時アメリカのNCRというメーカー製のナショナル
金銭登録機という松下とは関係のない名前でしたが、その後
日本にスーパーマーケットが普及していくにつれそのNCRも
レジスターでガッチリ!で大繁盛しました。
タイガー計算機4-1
会計(経理)は依然4つ珠ソロバンでしたが、タバコ屋の先代は
新しいキカイ好きで、子供では持てないような重いリール式の
SONYテープレコーダーとキカイ式のタイガー計算機があった
のを覚えています。

尚、後日談として、タバコ屋が昭和44年、同志社大学自動車部
に入部した頃ラリー競技が大盛況になりつつありましたが、チェ
ックポイントごとの区間を決められた指示速度で正確に走行する
必要があり、何とこの大きく重いタイガー計算機をオクルマに
括り付けて計算しながら走行したものです。しかしタバコ屋は
当時車酔いがひどく、計算係で同乗しても計算しどころではなか
ったのが、青春の苦い思い出として残っています。そのくせ自分
が運転するときは車酔いしないのが不思議ではありました。

尚、もっと気の利いた連中は片手で操作出来るコンパクトな
クルタの計算機や世界的なラリーに参戦するメーカーのワー
クスカー等はモダンなハルダツインマスターとか、スピード
パイロットとか使って計算をしなくても自動的に早遅を判断出来
るようにしていました。万が一転倒でもして頭からタイガー計算
機が降ってきたらどないするっちゅうの。のどかな時代ではあり
ましたがこの稿はラリーがテーマではないのではしょります。
電卓2
ショーバイ道具でソロバンに匹敵する大発明と言えば、何と言っ
ても、電子卓上計算機、いわゆる電卓ではないでしょうか。
昭和30年代にイギリス、アメリカで相次いで発明されそのプロ
トタイプが発売されたものの大きく重いもので実用的ではありま
せんでした。小型軽量化と高性能化はお家芸であるNIPPON
は既にSONYがトランジスタラジオで大成功を収めつつあり、
この電卓についてもカシオ、シャープを筆頭に多くの国内
メーカーがしのぎを削り、演算や表示装置の目まぐるしい
イノベーションもあって、あれよあれよという間に小型軽量化
を成し遂げ、世界に冠たる電卓王国となりました。
言わば電卓はNIPPONの発明品と言ってもいいくらい、世界
に与えた影響は大きいと思います。
電卓5-1
ショーバイの世界でもソフトウエアの複式簿記に匹敵するハード
ウエアのイノベーションはこの電卓だったと思うのです。
現在は会計などもほとんどパソコンによって簡単に処理出来る
時代となりましたが、ショーバイ道具と言う意味でどこでも誰で
も簡単に使える万能計算機である電卓が万人に与えた影響は
計り知れないものがあるのではないでしょうか。

ショーバイの三種の神器としてオカネは今やクレジットカード等
の電子マネーの時代となり、記録は複式簿記というソフトをコン
ピューターで処理し、またソロバンは電卓に代わりました。
しかしこれもイノベーションのループの中では一通過点である
のかも知れません。この稿ではショーバイのインフラみたいな
お話になってしまったのですが、さてそれでは商いそのものは
どうだったのかについては紙数も大幅に尽きてしまったような
ので、次回にお話しさせて頂くことに致します。長時間のご精読
有難うございました。

タバコ屋も軽い気持ちで書き始めたもののつい力が入り、イリア
ス・オデッセイアとはいかないものの、タバコ屋版、一大叙事詩
大作となってしまいました。タバコ屋流の珍説にお付き合い頂い
たことを感謝致します。

(尚、文中の歴史説明や一部写真はウィキペディア及びヤフー
ネット画像等引用させて頂きました。)

次の記事の予告

平成27年6月14日
倅の結婚式で前後慌ただしかったタバコ屋ですが、その一大イベ
ントも無事終わり、倅も新婚旅行に出掛けやれやれで、ここ数日
はやや放心状態です。ブログの効用としましては、だらけそうに
なる自分に鞭打ち、つたない記事を読んで下さる読者と言う名の
友人(一部神戸方面には勝手に立ち読みの方もいらっしゃいます
が)のために楽しい記事を書かなくてはと頑張れることです。
ブログを書く以前はそのようなことはありませんでした。先日リリー
スしました記事の第二弾を準備中ですが、例によってあちこち話が
飛ぶので自分でもまとめるのに難儀しています。今しばらくお待ち
願います。今度も長~い記事になりそうですが、お楽しみに・・・。
2015ルマン・ポルシェ2-1
余談ながら、只今ルマン24時間レース本番中にて、F1同様気に
なっています。多分ルマンの牢名主ポルシェがワークスとして出て
きた以上、アウディもトヨタも勝利はさっさと諦めた方がよいと思い
ます。言い過ぎかも知れませんけど・・・。
2015ルマン・アストン1
それよりも今年はGTEクラスの方が面白いです。このクラスでは
フェラーリ、ポルシェ、アストンマーティン、シボレーの大混戦となっ
ています。ベースは市販車として現実味のあるオクルマだけに余
計熱がこもります。来年はフォードが居ても立ってもおれず、あの
栄光のマシン、フォードGT40の現代版を引っ提げて殴り込みを
掛けるそうで、ますます面白くなると思います。そうなってくると我
らがHONDAもF1なんかでグズグズ?して無駄使いするよりは、
NSXをあっと驚くスーパーマシンに仕上げ、ルマンやWEC(世界
スポーツカー選手権)にチャレンジする方が、マーケティングの面
でもよっぽど効果が上がると思います。元、HONDA-PTA会長の
タバコ屋が言うんですから間違いないと思います。

混沌と秩序 vol.1:オクルマ編

平成27年6月8日
いきなりのテーマで皆さんやや面食らっておられると思いますが
しばらくはタバコ屋の珍説にお付き合い願いたいと思います。
やや気取って言いますと混沌はカオス、秩序はオーダーとも言い
ますが以下その混沌(カオス)と秩序(オーダー)について気の向く
ままにお話し致します。前回の最新版京都見聞録が長い記事だっ
たので今回はチョット一服のつもりでお読み頂きたいと思います。
甲骨文字1
歴史は繰り返すと申しますが、古今東西の歴史を振り返ってみて
も、混沌と秩序の繰り返しだったのではないかと思います。
一例を挙げますとお隣の中国において、気が遠くなり気絶する程
長い歴史の中で西暦での紀元が始まって2,000年程経つものの
それと同じくらい前の紀元前2,000年頃から象形文字(亀甲文字
とか甲骨文字)による記録が残っているらしくその頃に夏、殷(商)、
周などの国が興り、その後1,000年以上も経過後春秋戦国時代
が続き、また1,000年程も経った頃、紀元前246年には兵馬俑で
有名な秦の始皇帝が中国の統一を成し遂げました。
兵馬俑2
その後は皆さんも世界史で習われたと思うので、馴染み深いでしょ
うが、漢の後は魏、呉、蜀の三国時代を迎えました。紀元前200年
頃のお話で、抗争の末、呉が滅び亡命の民がはるか日本にやって
来て、稲作や呉の服装(呉服)を伝えたという説もあります。
縄文時代3
その頃の日本はと言えば1万年にも及ぶ縄文時代の末期で稲作
というものを渡来民が持ち込んだものですから相当面食らったと
思いますが、食料及びライフスタイルの一大変革(イノベーション)
だった訳で、渡来民はその後古来の縄文人とも一部同化(混血)
しつつ勢力を広げていったのだと思います。結果としては従来の
縄文人は東へ東へと追いやられていき、最後に残ったのが西の
果ての沖縄と、東の果ての北海道で、そう言われれば沖縄の人
やアイヌの人は顔の彫が深く、多毛で、縄文人のDNAを色濃く
残しているのかも知れません。渡来人というのは当然、中国、
朝鮮の人達で、一重瞼で毛が少ないのが特徴ですよね。
ちなみに、渡来人はその後、続々と日本に渡ってきており、以後
は農業よりも技術系の製鉄、土木、陶芸等のエンジニアが主体で
京都の秦氏などは当時最新の土木エンジニアだったとお聞きして
います。
弥生時代1
日本は中国から比べると半分くらいの歴史しか記録されていませ
んが有史以前には1万年!以上も縄文時代が続いた訳で、その
時代は狩猟採取という一定のライフスタイルで秩序が保たれてい
たことでしょう。秩序=平穏=文化の停滞ということではあります
が、その平穏が中国もしくは朝鮮の渡来民(ボートピープル)によ
って紀元前数百年前に劇的に変わったのでした。即ちその民に
よってもたらされた稲作文化(定住、農耕)によりもう食べ物を探し
に行かなくても済むという新しいライフスタイルがもたらされたの
です。また縄文時代は道具と言えば石器や木、もしくは簡単な土
器しかなかったものが、弥生稲作文化がもたらされて以降、今度
は青銅器、続いて鉄器が伝わり、弥生初期には木製の農具で土
をかきむしっていただけのものが鉄器の出現で飛躍的な能率向上
を果たしました。縄文から弥生へ、石から鉄へ、これは稲作という
渡来民のイノベーションによって実現した一大変革でありました。
(関連記事:好みの基準 vol.7:カーデザイン参照願います)
長安3-1
その後ややあって、紀元500年を過ぎる頃、隋、唐の大帝国が出
現しました。この頃になりますと古代中国文明は絶頂期を迎えて
いて政治、経済、都の作り、文化芸術、技術(例えば紙や火薬の
発明)等すべてが当時の世界最先端でした。唐の都、長安には
イラン系の美女がもてなすバーやサロンもあったようで、今のニュ
ーヨークや東京とあまり違わない風景がそこにはありました。
遣唐使船4-1
インターネットなどは当然なかった時代ながら、どうも中国の唐は
すごい国らしいという噂は風の便りで西はシルクロード経由で中東、
東ヨーロッパに伝わり、東は極東の日本まで伝わりました。日本か
らはその眩しいばかりの文化にあやかろうと遣隋使、遣唐使を繰り
出し、命懸けでひたすら学ぶ(パクる)という作業を繰り返しました。
最澄 空海
唐が栄えた頃、日本は平安時代で、有名な話としては遣唐使とし
て最澄、空海という二人の天才が命からがら中国に渡り、帰国後
最澄は天台宗を、空海は真言密教を興しました。当時としては
最新のモダンな宗教だった訳で、どうも唐では新しい仏教が流行
っているらしいということが伝わり、上記の二人はその研究のため
国費で唐に派遣された訳です。
(関連記事:農業とレストア vol.1参照願います)
奈良大仏
それまでの飛鳥、奈良、仏教は、国家護持の守護神ツールとして
の役割で、国政のための国営宗教だったため、貴族達にとっては
何か物足らなかったのです。特に貴族たちは祈祷により現世の災
いから逃れることや、修業とかしなくても寄進とかのオカネで自分
の死後、浄土という安住の地(誰も見たことがない架空の地)に行
けることを切望しており、まさにそれを満たす宗教であったため、
その意味で貴族達に大歓迎されました。宗教のイノベーションが
起こったのです。(ただし庶民のための宗教は鎌倉時代の法然、
親鸞、日蓮、道元等を待たねばなりませんでした。)
比叡山焼き討ち1-1
その後乱世には信長等の新興支配勢力とのバトルがありましたが
爾来1,000年以上の時を経て最澄の業績は比叡山延暦寺に残り、
空海(弘法大師)の業績は高野山及び四国八十八か所霊場として
残ることになりました。当時でこそモダンな宗教だったのでしょうが
タバコ屋から見ればウソを理屈で無理やり塗り固めたフィクション
であり、真面目に信じることは到底出来ませんが、現在ではそれが
ご先祖祀り等の社会生活をスムーズに行う祀りごとの手段となって
おり、それならあえて否定することもないと思っています。
チンギスハーン4
やがて空前絶後の唐帝国も終わりを告げ混乱の後、モンゴル高
原で興ったチンギスハーンに率いられた騎馬民族が飛躍し西は
中近東は言うに及ばずロシア、東ヨーロッパにまたがるモンゴル
帝国を築きつつあり残虐非道なそのやり方により彼らはタタール
と呼ばれ恐れられましたが悪魔と言う意味があるそうです。
元寇11
当時中国は宋の時代でしたが、そのモンゴルに圧迫され、華南
に逃れて南宋を興していました。やがて孫のフビライの代には
中国全土が蹂躙され南宋も滅ぼされ、その後は元として巨大な
モンゴル帝国の一部となりました。
元寇6
日本で言えば鎌倉時代で執権の北条氏が幕府を仕切っていたの
ですが、そこへ突然、元が攻めてくるというので国中大変な緊張
状態となり、事実攻めてきて大苦戦しました。文永の役、弘安の役
と2度にわたりましたが、最初は不可解な元の撤退、二度目は
神風と呼ばれる暴風雨によって助けられ、日本はかろうじて元の
侵略から逃れることが出来ました。
元寇1-2
ちなみに先進国の元はてつはうと呼ばれる、火薬を使った手榴弾
を使用したり毒矢を使ったりで、散々日本を苦しめましたが、神風
という意外な強敵によって元(主力は南宋の敗残兵と朝鮮の高麗
軍であり元の精鋭部隊ではありません)は全滅してしまいました。
フビライには悪いですが骨折り損のくたびれ儲けというのはこの
ことだと思います。一番のとばっちりは朝鮮の高麗だったでしょう。
(関連記事:博多・熊本巡礼 vol.3:蒙古襲来参照願います)
信長・秀吉
蛇足ながらそれと同様の事を晩年の豊臣秀吉が朝鮮出兵という
クレージーな思い付きでやっており、人様のことを言う資格はあり
ません。晩年の秀吉は心理学的に言っても完全にクレージーだっ
たとタバコ屋は思います。思い起こすに、秀吉はイノベーターと
しての信長に仕えており、信長は恐らく南蛮の宣教師達の情報
から生き長らえていれば大陸侵攻を企てるか、それをやっていた
筈なので、言わば秀吉はその構想を忠実にトレースしたに過ぎな
いのではないかと思うのです。その意味では秀吉がクレージーと
言うよりは信長がクレージーだったので、そのコピーたる秀吉の
晩年もクレージーだったと思います。思うに草履取りあがりの秀吉
にこのような大スケールの構想は描けなかったし、またその事の
是非、善悪の判断も出来なかったと思うのです。タバコ屋流珍説
ですよね。
清王朝3
驕る平家は久しからずで強大無比の元もやがて衰え、明に取って
代わられると同時に彼らはさっさと故郷のモンゴル高原に去って
行きました。その後紆余曲折あり今度は満州を本拠とする女真族
の金が勃興し中国に侵攻、清を建国し再び異民族が中国を支配
することになりました。国教として中国古来からの儒教を奨励し、
また鎖国政策を採ったために300年の平穏(秩序)は保たれたも
のの、やがて国の活力は停滞し、後年急速に力を付けてきた西欧
列強の餌食となっていきました。中国の忠実な属国であった朝鮮
も同様の政策を採っていたため宗主国の清同様、西欧列強の餌
食とされてしまいました。
(関連記事:ハローたんぽぽ vol.2参照願います)
アヘン戦争1
日本も徳川時代、中国が模範であったため鎖国政策を採り、儒教
(特に朱子学)を重んじたため、300年の平穏を保ちましたが国力
(特に軍事力や科学技術)は停滞しました。ただ極東の国日本は
やや事情が異なり幕末には尊王攘夷という異常熱病がはやり、
国中、極度の緊張状態が起こりましたが、攘夷の掛け声だけでは
西欧列強に太刀打ち出来ないことが徐々にわかってきてその後、
明治維新という一大革命の後は一転、近代化という名の西欧列強
の模倣(パクり)を猛烈に進め、かろうじて西欧列強による植民地化
を防ぐことが出来ました。皮肉にも攘夷(外国人を打ち払うこと)に
よって日本国を護持しようとしたことが、逆に外国人熱烈大歓迎に
よって日本国が守られたという結果になりました。不思議なことに
維新前はあれほど攘夷、攘夷と叫ばれ、日本国中おびただしい血
が流されたにも拘らず、維新後はそのスローガンを誰も言わなくな
りました。
(関連記事:アウディな人 vol.2:ピエヒの野望参照願います)
北京6
清帝国を最後にボロボロになってしまった中国ですが不幸な日中
戦争を経て、中華民国が建国され、その後毛沢東革命により中華
人民共和国が生まれ現在に至っていますが、その間の日本との
関わりについては、事の是非は別にして不幸な関係であったし、
皆さんよく御存じの現代史なのでここでは触れないように致します。

さてこの稿は何も悠久の中国4,000年の歴史をご説明する意図
ではありません。4,000年を圧縮して早送りにしてみると人間と
いう生き物は何と無限に「混沌」と「秩序」を繰り返して来たのだろう
と思うのです。作っては破壊しまた作っては壊す、何かむなしい気
もしますが、時代、時代でそうせざるを得ない状況が生まれるので
しょうね。詳しくは触れませんが日本の歴史もしかりだと思います。

歴史の話はこれくらいにして、話はうんと飛びます。今度はタバコ
屋の好みの分野、即ちオクルマ業界について混沌(カオス)と秩序
(オーダー)のお話をしてみたいと思います。
ガソリン自動車1
今回は自動車の動力の変遷についてなんですが、その生い立ち
は19世紀にダイムラーとベンツにより相次いで発明されたガソリ
ンを燃料とする内燃機関(エンジン)によって、それまで長いこと
馬によって動いていた車が人工動力の自動車に取って代わると
いうイノベーションが成し遂げられました。尤もそれまでに蒸気自
動車なども発明されたようですが効率が悪く実用化されませんで
した。その頃相次いでディーゼル等、いろいろな燃焼システムが
並行して発明されました。もう19世紀から20世紀にかけては機
械の大発明時代とも言うべき時代で社会全体(特にヨーロッパ)が
日々、新発見や新発明というイノベーションの連続でした。
BOXERエンジン2
余談ながら、ポルシェとSUBARUのお家芸である水平対向エン
ジンはカール・ベンツが発明したものだそうで、恥ずかしながら
タバコ屋は知りませんでした。
T型フォード1
それ以来、化石燃料(石油)をエンジン内で燃焼させることにより
駆動力を生み出す方式が定着しました。どのメーカーもそのよう
にしてきましたからこれは一つの秩序(オーダー)だと思うんです。
ロータリーエンジン1
途中ではヴァンケルのようなアマノジャクがいてピストンじゃなく
ロータリーのほうがいいんじゃないのというアイデアを出したもの
の、自分ではものに出来ず、結局我がNIPPONのマツダが苦心
惨憺の末、唯一実用化した訳ですがこれも内燃機関にかわりは
ありませんでした。
(関連記事:荒ぶる心 vol.4:栄光のルマン参照願います)
電気自動車1-1
ところが、そのガソリンエンジンが発明された頃と同じくらいの時期
にアイデア化され実用化されてはいたもののコストと性能面(航続
距離が短い)で日の目を見なかった電気自動車(EV)は内燃機関
ではなくバッテリーとモーターで駆動する方式でした。ついでながら
写真はイギリスのローナー社が発売したEVで、設計は意外なこと
に当時は駆け出しだったあのフェルディナンド・ポルシェ博士でした。
ニッサンリーフ2
近年世界的に環境負荷(化石燃料を燃やすことによる地球温暖化
や大気汚染)を減らすことが大きなテーマとなり、内燃機関にかわる
ものとしてEVが注目を浴びて来ました。アメリカのテスラやニッサン
が力を入れておりゴーンさんも鼻息荒いのですが、残念かな航続
距離が短く、タバコ屋の考えでは年収10億のゴーンさんには悪い
ですが、今後の主流にはならないと思っています。(狭い範囲を走
るフォークリフト等にはもってこいのシステムですが)
NSXⅡ-72-1
それが証拠に最先端のメカを採用する宿命にある世界の名だた
るスーパーカーメーカーもその旗艦にはこぞってハイブリッドシス
テムを採用しました。ポルシェ、フェラーリ、マクラーレンはもとより
我がHONDA-NSXも例外ではありません。ただ残念なことに
NSXはメカは全く言い分ないものの、スーパーカーに必須の妖艶
な品性という点でオカオとボディがだめで、歯がゆい思いをしてい
ます。それを直せば買う気があるかですって?・・・。エンジンが
3.5L DOHC-V10ターボであれば真剣に悩むかも知れません。
プリウス2
またアイデアの一つとして従来のエンジンとモーターを組み合わせ
たハイブリッドシステムが考えられ、世界中のメーカーはどれにしよ
うか迷っていた時期に我がNIPPONのトヨタとホンダは腹を決め、
これで行くぞということで現在の、そこのけそこのけハイブリッドが
通るといった一大ブームとなりました。トヨタ、ホンダの決断は難し
かったと思いますがアッパレだと思います。
(関連記事:初夢、イノベーション・オブザイヤー vol.1
参照願います)
インプレッサWRX-10
あの超こだわり派のSUBARUも現在ハイブリッドには力を入れて
いますので、いずれアッと驚くユニークなHVシステムを発表する
かも知れません。現在は、ご自慢のBOXERエンジンとモーターを
トランスミッションを挟んで縦にならべ、ギヤの選択でどちらかもしく
は同時に全部走行に活かせるようなシステムだと思うのですが、
いずれ、世界の度肝を抜くようなシステムが出来た時は是非あの
魅力的なプロトタイプ、WRXに搭載してほしいものです。それこそ
無敵の近未来戦闘機が出来上がると思いませんか。
WRCポロR-8
そうなってくると、現在一人横綱のVWワークス・ポロなんか一気
に蹴散らしてくれると思うのですが、タバコ屋の妄想でしょうか。
尤もSUBARUの開発部ではタバコ屋が言わなくても、そんなもん
とっくに研究しているでしょうが・・・。
アウトランダーPHEV-15-1
最近ではHVに加えてバッテリーにコンセントから充電出来る
プラグインハイブリッド(PHV)が開発され、ハイブリッド方式に更
に磨きがかかりつつあります。これはミツビシがお得意の分野で、
ご存じのようにミツビシはEVではi-MiEVで先行しており今後どの
ような展開を見せるか興味深いところです。
MiEV Evolution II-3-1
またかつて世界のラリーを制したミツビシは今度はEV技術の優秀
性を実証するためにアメリカのパイクスピーク・ヒルクライムに我ら
が増田浩選手を擁して挑戦中ですよね。パリダカでは前人未踏の
栄光の歴史を残しているだけに必ず勝利すると思います。
ちなみに写真のミツビシ製EVレーサーはウイーンというモーター
音とともに100km/hに達するのに3秒も掛からないほど俊足で、
発進後いきなりバカ力が出る事がEVの特徴です。
(関連記事:終わりなき旅 vol.2:愛車ミーティング参照願います)
モンスター田嶋
最新情報によりますと、今回ミツビシは準備が間に合わず、出走
を見合わすようで、この大会の牢名主的なモンスター田嶋氏は当
然EV部門優勝狙いで参加するにしても、その他ではHONDAが
エキジビションクラスながらCRZ-EV版で参戦、またサプライズと
して新型NSX!が公式ペースカーを務めるとか・・・。
(関連記事:東京モーターショー異聞 vol.3:百花繚乱(後編)
参照願います)
ナミール1
またハイブリッド方式の別のアイデアとしてはエンジンは発電のみ
に使用し動力は電気モーターのみを使用するというもので、より
EVに近いハイブリッドシステムだと思います。写真は非現実的な
コンセプトモデル、ジウジアーロデザインのナミールですが、その
システムを採用しています。ただしさすがにこの超前衛的なデザイ
ンのオクルマを採用した物好きなメーカーはなかった模様です。
現実的なお話ではVWあたりが研究熱心で、宿敵トヨタを出し抜こ
うと思っているんでしょうが、さてさて。タバコ屋の定義ではこれは
ハイブリッドではないと思っています。何故ならばガソリンカーの
反対で、発電用エンジンをくっ付けたEVだからです。
(関連記事:沖縄巡礼 vol.4:気がかりなこと参照願います)
トヨタFCV-16-1
一方、純粋な電気自動車(EV)のアイデアの一つとして燃料電池
車(FCV)が開発されてきました。従来のバッテリー(鉛蓄電池)の
代わりに水素と酸素を化学反応させ電気を発生させる燃料電池を
使用しモーターを駆動させる一種のEVで、燃料はガソリンに代わ
り水素を充填しそれを燃やす?というシステムで、化学反応後に
排出されるガスではなく残りカス?は水だけという夢のようなシス
テムです。これはトヨタが先行しHONDAが追っかけるという図式
で、トヨタに至ってはその特許をタダで公開しみんなで渡れば怖く
ないよ~と全世界へ呼びかけ中です。
う~ん、しかしこのダースヴェーダー顔、近未来的と言えば聞こえ
がいいのですが、超個性的ですよね。
(関連記事:EとHの相克参照願います)
FCEVコンセプト31
大気汚染をどうしようかという混沌(カオス)の中でEV、HV、PHV
FCV、等それこそ百花繚乱のごとくさまざまなアイデアが出され覇
を競いつつありますが、果たしてどれが本命になるのか、その後
にはやがて一つの秩序(オーダー)が生まれると思います。
タバコ屋の私見では前から申し上げている通り、今後数年の主流
はプラグインハイブリッド(PHV)になると思うのです。
蛇足ながら、今燃費40km/Lとかで、うわ~すごいとか言ってい
ますが、EVなら燃料不要な訳で今後はHVでも走行はおもにモー
ターを使用しごく限られた場合にエンジンを使用することで燃費80
km/Lとかになってくると思います。そうなるとガソリンタンクも20L
以下の容量(灯油のポリタンク1個程度)でよくなり軽量化にも役立
ち、良いことづくめです。
IMG_3183-2.jpg
しかし悲しいことにタバコ屋の所有する昭和48年製の赤いお嬢さ
んZなんかは、それから見ると化石燃料を使う自動車の化石とも
言えるもので、6km/Lとかで化石燃料を垂れ流しておりいつまで
公道を走らせてもらえるのか秘かに心配しています。ただしほとん
どは床の間ガレージに飾って置くだけなので燃料は使わず、従っ
て究極のエコカーであると秘かに自負しています。

混沌(カオス)と秩序(オーダー)、有史以来人間社会で繰り返され
てきたテーマですが、混沌の中で革新(技術だけでなく、社会の
しくみやライフスタイル、芸術、文化に至るまで)=イノベーションが
起こり、やがてそれが一つの秩序(オーダー)となって定着していく。
しかしそれはやがて陳腐化して次の混沌へと繋がっていくという
螺旋状の果てしないループについて、今回は中国の歴史やオクル
マの歴史を例にして長々とお話致しました。しかしこれはあくまでも
タバコ屋の珍説であって一般的ではないことを御了解願います。

(尚、文中の歴史説明や一部写真はウィキペディア及びヤフーネッ
ト画像等引用させて頂きました。)

★★島のタバコ屋の独り言★★
【7月31日:ああ創業100年】 島のタバコ屋、即ち富永呉服店が創業100年を迎えたことは先般お伝えした通りですが、皆さんよくご存知の世界的宇宙物理学者、故ホーキング博士によれば、100年なんて宇宙的時間軸で言えば、一瞬のまばたきに過ぎない訳で「島でのことも夢のまた夢」ということになりましょう。それはともかく4才の頃から道端の草にも「コンニチハ」なんて愛想を振り撒いて来たタバコ屋にしてみれば「店は客のためにある!」以上、未来永劫、店の続く限りそのテーゼを実践し続けるしかないのです。京都で300年続く老舗料亭、老舗呉服問屋もその志があったのかどうか、お聞きしたことはありませんが、当らずとも遠からじではないでしょうか。
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