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大阪・京都・奈良・巡礼 vol.3

平成27年12月20日
奈良そして京田辺同志社キャンパスへ
今回の巡礼も終わりに近づきました。大阪モーターショー
エキスポシティ、京都での青春同窓会、いずれも濃厚で
かけがえのないひと時となりました。
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さてその翌日は最後の目的地奈良ですが、平尾センセの
ご好意で近鉄京都線の大久保駅で待ち合わせ、そこから
センセの愛車、ミツビシパジェロで奈良までドライブという
ことになりました。以前の記事でタバコ屋が愛車レジェンド
と20年も連れ添ったと書きましたが、平尾センセもよく似た
愛車変歴?をお持ちでこのパジェロとは17年連れ添ってい
るそうです。ま、彼はそれ以外にもランサー・エボリューショ
ンX(10)をお持ちなので、後期高齢者の仲間入りを果たし
つつある現在、そろそろ身じまいをなさったほうが良いかと
思います。事実彼もそれを考えているようでした。
スパーク2
今回奈良行きの主な目的は、前回の記事で申し上げた如く
どうも奈良に腕利きのレストア屋さん(復刻屋さん)がいる
らしく、タバコ屋はひょんなきっかけでそのお方をブログ記
事で知ることとなりました。その方はまめな方でショウバイ
用の宣伝を兼ねた内容とは言え毎日更新されているので
す。以来興味深く拝見させて頂き、途中からは意外なこと
に先様よりのリクエストがあり、相互リンクさせて頂く仲とも
なりました。その方にとっても、タバコ屋の記事はちょっと
変わっているので興味を持たれたのかも知れません。
スパーク1
場所は奈良市内の東九条町というところにありすぐに見
つかりました。店名はSPARK(スパーク)さんで、事前に
予告はしていたものの日曜日にも拘らず待っていてくれ
ました。店主は50代半ばとおぼしき小松さんという方で、
初対面にも拘らずオクルマ大好き人間にて、昔話や今話
に話の華が咲きました。
スパーク3
小松さんは10代の頃からオクルマいじりが3度のメシより
好きでターボ等のチューニングで有名なHKS関西に入りび
たりで挙句は丁稚小僧のようにしてそこでエンジンチュー
ニングの基礎と応用すべてを体で覚えたという猛者です。
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ここで意外な事実がわかったのです。写真は平尾センセ
愛用の現代の零戦、ランエボX(10)なんですが、彼のエ
ンジンは元々WRCの帝王ミツビシが腕によりをかけてハ
イチューンしたものなので、タバコ屋から見ればそれで十
分満足すべきだったと思います。
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彼はそれでは飽き足らず、そのHKS製のターボシステム
を装着して更なるパワーアップを果たしました。どうも最近
その筋肉増強剤による無理がたたって体の他の部分に
問題が起こったようで、長年自称ミツビシ後援会長を務め
て来た平尾センセのことゆえミツビシさんと協議?の上、
HKSのターボは取り外し、元の健康体を取り戻しつつある
そうですが、タバコ屋にとってはややハラハラする出来事
でした。
(関連記事:終わりなき旅 vol.2:愛車ミーティング参照願い
ます)
スパーク8
それはともかく、作業場を見せて頂いたのですが、広くは
ない敷地にオクルマのボディから、エンジンから、足回り
のパーツから所狭しと置かれていて、さながらツタンカー
メンの王墓に眠る副葬品の山を発見したような気分でした。
お好きな方にとってはたまらないものがあると思います。
スパーク18
拝見させて頂いたところではその中でも日産スカイライン
(箱スカ)、フェアレデイZ(S30)、ブルーバード(P510)あた
りが多くというかゴロゴロしており、昭和40年代のニッサン
車をレストアしたい方にはとても心強いショップであると思
いました。
スパーク9
事実当時のニッサン車に積まれていたL型4気筒や6気筒
エンジンのオーバーホール品がそれこそ量産されている
が如くズラリと並んでいたのには少々ビビりました。
スパーク10
クランクシャフトとカムを繋ぐチェーンの組み付け中のL
型4気筒エンジンですが、小松さんは専門家の立場から
チェーンの張り具合が重要であることと、その組み付け手
順によってはオイル漏れが生じることなど、まるで外科の
ドクターが手術時に起こり得るリスクについて患者に説明
する場面のようでした。
スパーク16
この写真は道路を挟んで向かい側にある板金工場ですが
以前は外注工場として言わばお仲間だったものを、最近
さる事情でスパークさんが買い取ることになり、そうなると
板金だけでなくメカの整備も屋根付きの広い工場でやれる
ことになったようで、これならかなりの数のお客さんの要求
にも応えられると思いました。
スパーク11
写真でおわかりのように箱スカやS30Zがゴロゴロ状態で、
小松さんにとっては最も得意なカテゴリーであるにしても
フツーの整備士、特に40代以前の若い整備士にはお手上
げ分野だけに、ここにこれだけ昭和40年代の特殊なオクル
マが集まって来る理由がわかったような気がしました。
スパーク25
中には毛色の変わったこのようなオクルマもありました。
タバコ屋お気に入りのアストンマーティン・DB6ですが、
これは小松さんのご親友でどうしても断りきれない方から
レストアを頼まれたそうで、エンジンからボディからすべて
大英帝国製なだけに、また年式が昭和40年(1965年)頃
のもので相当古く、よくまあレストアを請け負って仕上げた
もんだと感心しました。匠という言葉はこういうことを意味
します。
(関連記事:GTのお話 vol.1参照願います)
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ところで、小松さんからご来店の目的は何でしょうかと聞か
れたので、実はタバコ屋の愛車であり、汗と涙の結晶でも
ある赤いお嬢ちゃん、フェアレディZが5年もかけてレストア
したにも拘らず、寄る年波には勝てずあちこち不具合が出
て来ていることと、この際再度ファインチューニングを施して
馬力等体力測定もしてみたいという旨を伝えました。
それには死に土産として一度は鈴鹿サーキットをせめて直
線だけでも全力走行してみたいという下心もありました。
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タバコ屋としては、大学病院で手術を受けるが如き心境に
て、恐る恐るではありましたが、小松さんにとっては極めて
日常のオシゴトなので、タバコ屋が持参したお嬢ちゃんの
レストア履歴と修理希望個所を一読し、わかりましたやっ
て見ましょう、と言って頂きました。エンジンンレスポンス
向上についてはご専門だけに症状を言っただけで、改善
する場所が即座にわかったようでした。専門的な話で恐
縮ながら、それはSOLEXキャブのバルブの作動に問題が
あるとのお見立てでした。今TVの下町ロケットで話題の
バルブですが、そうだったのかと目から鱗の心境でした。
また昭和48年(1973年)製造の旧車ゆえに、当時のボディ
製造技術が今のように進歩していない発展途上であった
ため、いくらボディを治しても、現代のオクルマのようになら
ないことはご承知下さいと言われました。(例えばドアの開
け閉めはドスンでなくバタンであること等)それはタバコ屋
も経験しており納得の事柄でした。
(関連記事:終わりなき旅 vol.2:愛車ミーティング参照願い
ます)
スパーク13
この写真は板金工場で只今レストア中のコロナ!ですが、
前回の記事でご紹介したように、かつて同志社大学自動
車部の部車であり、また部長のオーテス・ケーリ先生が
愛用されていたオクルマでもありました。つい懐かしさが
こみ上げウルウルしかかったタバコ屋でしたが、休日でも
ありこれ以上お邪魔するのもいかがかと思い、おいとま
することにしました。
(関連記事:大阪・京都・奈良・巡礼 vol.2参照願います)
スパーク21
また後日、修理出来るスケジュールをやりとりすることを
確約し、今回の目的は達成することが出来ました。
尚、PTA父兄として付き添って頂いた平尾センセは小松
さんと意気投合したのか、何やら他の有名なニッサン車
についてごそごそお話をしていました。何を話していたん
だろう?。いずれわかる日が来るかも。
(尚、スパークさんでの写真は初対面でパチパチやるのも
はばかられたので遠慮し、スパークさんのブログ写真から
流用させて頂きました。写真は板金工場の入口付近です)
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さて晴れ男校長センセの予言どおり、快晴となり目的も達
したので心晴れやかな気分でしたが、昼時となりおなかも
すいたので腹ごしらえしようやということになりました。
パジェロの車中で平尾センセが意外なことを切り出しまし
た。チャンタな~(私のあだ名です)この際ダイブッサン
に行こうか、前回いつごろ行った?と言うので、恥ずかし
ながらそれは中学校の修学旅行以来で50年!ぶりやと
申し上げたところ、実は俺も30年!ぶりやねん、と言うので
こうなったら2人で復刻版ミニ修学旅行をやろうやということ
になりました。
DSCN7384.jpg
やって来ました。ダイブッサン(東大寺)です。大華厳寺
書かれた山門(南大門)です。これには意味があり当時
最新のハイカラ宗教であった仏教の中でも奈良仏教は
華厳経の教えを教義としており、本来の仏教がひたすら
修行によって悟りの境地(解脱)に近づくのが目的だった
のに対し、凡夫にはもともと仏性(仏心)が備わっているん
だから同じ修業をするにしてもそれに気付き自覚すること
が即ち悟りであると。何やらわかったようでわからないよう
な教えを説いていました。こういうのをイデオロギーと言う
んでしょうが、すべての概念は誰かの頭の中(形而上)で
考えたことであり、創始者のブッダ(釈迦)はそんなこと一
切言ってないんです。ただひたすら修行をして煩悩を消し
去り悟りの境地に達すべしと言っただけなんです。でもそ
んなこと百万人に一人の天才にしか出来ませんよね。
出来ないせいかどうか知りませんが、後日いろんな人が
新アイデア(解釈)をひねり出して、実はこうなんやとか
言っていろんな宗派が出来てしまったのだと思います。
元校長平尾センセはそのようなことに思いを馳せて山門
に立たれたのだと思いますが、さて・・・。
金剛力士像1
山門をくぐり抜ける時、左右に恐ろしい表情の巨大な木像
が建っていました。ご存じ運慶とその息子さんたちのビッグ
プロジェクトによる仁王像です。巨大な大仏殿を守る守護神
といいますか、当時版アルソックです。
DSCN7388-1.jpg
大仏殿のエントランスゲート(中門)です。やっぱり山門も
2個くらいないと威厳が保てないと思うのです。
同志社大学自動車部、新町ガレージなんか味気ない鉄
製の引き戸が1個あっただけですけど。それの重かった
こと・・。
DSCN7394.jpg
大仏殿(正式には東大寺金堂)到着です。残念ながらやや
お天気が下り坂になり写真写りが今一つですがご辛抱願
います。ここでセミプロの平尾センセより光線の角度やア
ングル等、写真の撮り方のイロハを教わりました。まさしく
修学(学び修める)旅行となりました。
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う~ん、とにかくデカイです。建立はご本尊の大仏が西暦
752年大仏殿が758年と言いますから中国では唐の時代
でその都、長安は西域で同様に栄えていたいわゆるペル
シャ(アッバース朝)の都バグダードとのシルクロード交易
により世界最大の国際都市として空前絶後の繁栄を誇っ
ていました。日本からは度々難破しつつも果敢にその世界
最新の文化を吸収しようと遣唐使を重ねました。
(関連記事:混沌と秩序 vol.2:流通編(前編)及び
混沌と秩序 vol.3:流通編(後編)参照願います)

その頃大和の国は人口も500~600万人で、にわかに形
だけパクッて隋や唐の都のレイアウトを真似、奈良に都を
構えたものの統治能力は甚だ稚拙で求心力も弱く、その
上庶民は飢饉、疫病に苦しんでいました。
当時の最高権力者は聖武天皇で、そのような窮状を大仏
建立という巨大プロジェクトで切り抜けようと考えたようで
す。コンセプトは「国家安寧、国家護持」というもので、その
予算は現在のお金で4,000億円以上という気が遠くなるよ
うな金額で(今揉めている東京オリンピック用の新国立競
技場2個分+!)まあ建設機械なんかなかった時代に200
万人以上動員して完成させたと言いますから、何とか出来
はしたものの、果たして庶民はそれで癒されたのかどうか、
答えはNOで、もう無茶苦茶に近いですよね。
それに比べれば、現代の大仏?、太陽の塔が残る万博は
巨額な予算は使ったものの三波春夫さんじゃないですけど
ほとんどの国民が幸せ気分に浸れたんではないでしょうか。
DSCN7400.jpg
いよいよ大仏像(盧舎那仏(るしゃなぶつ))にご対面です。
しかし大仏殿もその後度々の戦火で、この歴史遺産に火
を放った不届き者がいて2度も焼け落ち、今回スパークさ
んにお邪魔したせいでもないでしょうがその都度レストア
(復元)
されて来ました。現在でも世界最大級の木造建築
として、当然ながらほとんどの構築物とその付帯品等が
国宝に指定されています。
ま、今回は2人だけの修学旅行でそういうことがテーマで
はないのであまり考えずに見学していくことにしましょう。
DSCN7405.jpg
創建当時のレイアウト模型がありました。本来は左右対
称に七重の塔!があったようですが、落雷や戦火により
現在は二基とも失われたままとなっており、多分将来は
貴重な歴史遺産として、レストア(復元)が行われると思
います。
DSCN7406.jpg
仏像の頭髪は螺髪(らはつ)と言うそうですが、要するに
カールヘヤーと言う意味で、日本、中国は直毛ながら、
インドはカールした人が多いのかどうか、兎に角仏像の
場合は知恵の象徴とされておりすべて右巻きだそうです。
東大寺の大仏さんの場合その螺髪の数は492個だそうで
見学の途中で見かけた写真のクイズによれば当初966個
あると言われていたそうで、その場合にそれを収めるた
めの枠の円の面積が最小になるような面積を螺髪1個の
直径を用いてお答えください、というクイズでした。

そんなもん、落ち着いてやればお答えしますけど、2人は
エキスポシティの見学時と同様、かなり腹が減り、喉も乾
いて来ていたので、それは無視し、また柱の四角い穴くぐ
りも無視してひたすら出口へ急ぎ参道にあるであろう食堂
へ向かったのでした。途中放し飼いの鹿による加齢臭なら
ぬ鹿糞臭と爆買い民族集団との遭遇には閉口しました。

意外なことに、参道には食堂はあまり無く、やっと角のとこ
ろに和食堂があったので、急いで入りました。嬉しいことに
タバコ屋が好きなきつねうどん定食がありました。タバコ屋
はうどんを、平尾センセはそばを注文し2人で食べることに
なったのですが、前日ホテル・ハイアットでイタリアンだった
のでタバコ屋はこれでやっと落ち着くことが出来ました。
かくして超はしょりの復刻版ミニ修学旅行は終わりを告げ
ました。

参道の途中のサテン(喫茶店、今はカフェと言います)で
一服中に時間も余裕があるのでこの際京田辺の同志社
キャンパスの麓にある自動車部ガレージへアポなし殴り
込み
をやろうやということになりました。
D:今出川キャンパス2
思えばタバコ屋世代は大学時代を今出川や新町のキャン
パスで過ごし、自動車部のガレージは新町校地の北東隅
にあったので、大変便利でした。しかし今から30年程前の
昭和61年(1986年)にへんぴな(失礼)京田辺の24万坪!
という広大な敷地に一部移転することになり、自動車部
ガレージも時を同じくして引っ越しました。
同志社田辺キャンパス3
24万坪という広さはなかなか想像出来ないと思うのですが
一つの丘陵地帯丸ごとと言えば大体おわかりでしょうか。
広さの比較で言えば同志社大学今出川キャンパスが隣接
する同志社女子大を合わせて6,000坪で、元はと言えば
新島襄の奥様の八重の兄であった、山本覚馬が維新まで
は会津藩の砲術師範として薩摩、長州と戦った訳ですが
敗北はしたものの薩摩の西郷隆盛からはその先見性を見
込まれ一目置かれる存在でした。覚馬が薩摩軍の捕虜と
なったあとも西郷は身の回りの世話をあれこれしていたそ
うで、おそらくその時のご縁があったせいかどうか、覚馬
が維新後、京都府の顧問になっていた頃、今出川の薩摩
藩邸跡地は覚馬が所有していました。
新島襄1
同志社設立の理想に燃えていた若き新島襄に対し、覚馬
は京都府顧問として惜しみない支援を行いました。妹の
八重を嫁に嫁がせたのを皮切りに、そのうえ広大な薩摩
藩邸跡地を、同志社校地として提供したのでした。
新島八重2
覚馬にすれば、賊軍であった会津藩出身の八重が嫁に行
って肩身の狭い思いをすることがないようにと嫁入り道具
の一つとして持たせたのでしょうが、それにしても思い切っ
たことをしたものです。(ま、これには諸説あり、実際は格
安にて新島襄に売り渡したという話もあり真偽のほどは
わかりませんが、そうだとしても当時の新島襄が6,000坪も
もの土地を買える資金など持っているはずがなく、推測な
がらタダ同然ではなかったのかと思います)
ここだけの話ですけど、その時新島襄はシメタ!と言ったと
か言わなかったとか。ちなみに新島襄の本名は七五三太
(シメタ)と言う嘘みたいなほんとの話です。尚、その後は
八重の男勝りの性格によるものか、莫大な土地を貰った
負い目かどうかわかりませんが、八重に一生頭が上がら
なかったそうです。
(関連記事:八重のこと vol.3参照願います)

余談ながら、広さの比較の話をしますと、京田辺キャンパス
24万坪だと申し上げましたが今回行ったエキスポシティ
80万坪!という広大な万博記念公園の一部5万坪を使
用しています。またHONDA寄居工場が28万坪で同志社
京田辺キャンパスよりもやや広い面積です。一方三重県に
ある鈴鹿サーキットは桁違いに広く60万坪ですが近くに
ある鈴鹿製作所が27万坪あり、合わせると87万坪という
気が遠くなるような広さです。これには設備投資も含めて
国家プロジェクト並みの莫大な資金を投入しており、もし
スーパーカブが売れなければ倒産寸前だったというのも
うなずけますよね。また東京のディズニーランドも鈴鹿サー
キットとほぼ同等の60万坪あります。
京田辺キャンパス2
正面入ってすぐの青空チャペルと名付けられた中央広場
です。広大なキャンパスのイメージがわかって頂けると思
います。
京田辺キャンパス1-2
これは京田辺キャンパスの象徴的な施設、ラーネッド記念
図書館
です。見てるだけ~で入ったことはありませんが、
煉瓦造りのアーリーアメリカンな造形コンセプトでタバコ屋
の好きな形の一つであり、品性と知性に加えてプレステー
ジを感じますよね。ああ悲しいかな、HONDAレジェンドの
設計陣よせめてこの図書館で本でも読んでから次期レジェ
ンドのデザインをしてほしかったです。(残念ながらHONDA
は同志社が少なく上智大学出身が多いです)

どうでもよい話ながら、同じキリスト系大学の中でも同志社
大学はアメリカの清教徒(ピューリタン)に源を発するプロ
テスタント
であるのに対し、上智大学は日本に初めてキリ
スト教をもたらした、フランシスコ・ザビエルの所属していた
保守系カトリックであるイエズス会をその母体としています。
フランシスコザビエル1
蛇足ながら、皆さん意外に思われるかも知れませんが、
同じキリスト教でも戒律の厳しいのがカトリックでその反
対にプロテスタントは自由で戒律も緩やかだと言うイメー
ジをお持ちではありませんか。実際は逆で、堕落したカト
リックに絶望し、立ち上がったのがプロテスタントであり
言わば過激派で、戒律は極めて自己に厳しいものです。
一方、何でもアリで、信じる者は救われるなどといった
いいかげんなことしか教えてなかったカトリックの中で、
これではいかんと立ち上がった保守革新派?がロヨラと
ザビエル達が設立したイエズス会でした。時代的には
イエズス会の方が随分早く、ポルトガルが世界に雄飛
した時代(日本の戦国時代)、命懸けで見知らぬ東洋の
ジパングに布教にやって来たのがフランシスコ・ザビ
エルだったと言う訳です。
(関連記事:農業とレストア vol.1及び八重のこと vol.2
及び混沌と秩序 vol.2:流通編(前編)参照願います)
ローム記念館3
数えきれないほどある校舎の中で大きなものと言えばこの
ローム記念館でしょうが、最先端の情報教育のための複
合施設だそうです。2本のタワー風のデザインモティーフは
最近新築された今出川キャンパスの良心館にも生かされ
ており、校舎一つとってもデザインコンセプトを揃えるという
のは同志社のアイデンティティ(自己証明)を作り上げるに
あたっては大切なことです。
(関連記事:京都・静岡巡礼 vol.1:今出川慕情参照願い
ます)

ついでながら現在村田学長は同志社の悲願である医学
を創設すべく奔走されているようですが、もし出来ると
したらこの京田辺校地だと思います。医学部には講義や
研究の施設に加え大学病院も併設しないといけないでし
ょうから広大な敷地が必要となり、京都市内では無理だと
思います。この構想が実現の暁には同志社大学は文字
通り西の慶応大学となることでしょう。
(関連記事:終わりなき旅 vol.1:いざ京都へ及び
京都・静岡巡礼 vol.1:今出川慕情参照願います)
IMG_4406-1.jpg
突然の写真で恐縮ながら、今から30年程前に自動車部ガ
レージが京田辺校地に引っ越した当時の写真です。
ここはキャンパスとはやや離れた場所にあり自動車部だ
けの占有地となっており我々の時代から比べると随分恵
まれた環境となりました。
写真は昭和48年(1973年)卒のメンバーで、当時同期の
ター坊こと井上氏が監督を拝命していたので皆で押しか
け見学を兼ねて現役を激励に行った時のものです。
左から明石の秀才増本、岡山の神童三宅、監督のター坊
下関のイケメン小田(旧姓佐々木)、タバコ屋、平尾センセ、
姫路の力自慢吉田(旧姓庄坪)、京都の高貴なお方陛下
こと南野の面々です。まあ皆の何と若々しいことか。
髪はどこへ行ったなどというセリフが全く考えもつかなかっ
た頃の遠い昔の物語です。
(関連記事:校長先生の青春 vol.2:されどもラリー参照
願います)
ガレージ2
実は今回の訪問にはその伏線がありました。移転当初は
ピカピカだったガレージ及び付帯の舗装付き!練習グラウ
ンドも30年経った今、当時の面影はなく、歴代の卒業生の
仕業
と見られる廃車(ガレキ)の山と成り果てたのです。
この事態を憂慮したOB諸氏(平尾、井上、今井、横井、
安田女史、等々)はこのままでは歴史と伝統のある体育会
自動車部として恥ずかしい!という結論に至りました。
そこで京都在住のOBの中でも比較的若手である総監督
の今井氏、及び汚れ役を買って出た横井氏や安田女史
が中心となり、OB自ら「環境整備」に乗り出すことになりま
した。
タバコ屋が前回の記事のいかりスーパーさんの項で申し
上げたようにかつてコンサルタントの一倉定氏は口を酸っ
ぱくして「環境整備」の大切さを説きました。その実践優等
生がいかりスーパーさんでした。タバコ屋は出来の悪い
弟子ではありましたが、「環境整備」の大切さは身を以て
痛感して来ました。
(関連記事:大阪・京都・奈良・巡礼 vol.2参照願います)

皆さん「環境整備」とは何のことかピンとこない方もいらっ
しゃると思いますので、わかりやすくご説明をしますと、
大きく行政などで使う場合はインフラ整備と言う意味に
使われるようですが、小さくは、職場、学校、家庭を問わ
ずどのカテゴリーであれ、仕事を快適かつスムーズに行
うために、周りのものを整えておくことを「環境整備」と言
います。
具体的には、お掃除と整理整頓という二つのことを実践
することで、何だそんなことかと仰る方がいるかも知れま
せんが、これが最も基本で最も取組みやすいにも拘らず
最も難しいことなのです。
お掃除という言葉はわかると思いますが、単に四角いと
ころを丸く掃くのではなく、ピカピカに磨き込むというのが
大切なんです。例えばトイレなんかでもピカピカのところ
では粗相をしずらいですよね。(平尾センセなんか現役
時代にお掃除の会に参加し生徒と一緒に他校の学校の
トイレを大汗かいてピカピカに磨いたご経験があるそう
ですが、きれいになったトイレにはトイレの神様?も宿る
んではないかと思うくらいの神々しさがありますよね)
整理整頓についてですが、整理とは不要の物(1年以内
に使用しないであろう品)を捨て去ることであり、整頓
は、残した必要な品を使いやすくするための置き場を決
め、出来れば紛失しないようその置き場に張り紙(シール)
をすることなんです。簡単でしょう、でも実際は不要なもの
を捨てる段になっていろいろ迷ってしまい、結局は整理が
出来ないなんていう笑えない話も多々あるようです。
DSCN7413.jpg
その後、OBで総監督の今井氏や環境整備委員長を拝命
した横井氏及び安田女史等の献身的なお世話により見
違えるようになったとお聞きしての今回のアポなし訪問と
なりました。
あれれ、見たところ一旦きれいになった後、その後の廃車
が増えたのか整然とした様子ではありません。このグラウ
ンドはジムカーナ等の走行練習にも使用しているようなの
で、ビスとかガラスの破片等落ちていれば事故のもとにな
ると思います。また廃車になった車等はこのグラウンドに
放置すべきでなく、直ちに撤去すべきです。

OBとしてこれだけは言っておきたい。ここは部員の廃車
置き場ではないぞ!。それはみっともないことだというこ
とに気付くべきだし、そんなことを平気でやるような部員は
部活動うんぬんの前に恥を知るべきだと思います。

余計なことながら、グラウンドの環境整備は廃車の撤去
が目的ではなく、せっかく快適な環境を大学が用意して
くれたんだから、それを安全、快適に活用すべきだと思う
んです。部車は恐らく競技車も含めて10台近くあると思い
ますが、散らかっているのか、それらしいものが見当たり
ませんでした。

グラウンドでの環境整備の一例を申し上げますと、部車
をガレージの近くのグラウンドに横一列に整然と並べて
おけば一目で部車の状態が把握出来るし(例えばパンク
していなかどうかとか)いざ出動と言う時にはさっと対応が
出来ると思うんです。何も消防署並みにとは言いませんが
体育会自動車部としての矜持は必要だと思います。

部車のお掃除も大切なことで、我々が1~2回生の時は
洗車と言うのは半ば日課のようなものでした。洗車お掃
除しているとオクルマの不具合な場所がいろいろわかっ
てきます。オクルマを洗い、磨いてやることで愛着という
ものが生まれ、部車を愛おしむ心が芽生えると思います。
乗りっぱなしは言語道断です。

現在は一昔前のようにフィギュア競技というものが無くなっ
ているので日々のトレーニングが以前ほど重視されなくなっ
ているのでしょうが、グラウンドはオクルマを鍛えるだけで
なく、部員のオカラダを鍛えるのにも絶好の場所で、その時
廃車や廃棄タイヤ等が散らかっていたんではランニングも
ままならないと思うんです。

このようにグラウンドとオクルマをピカピカにすることで、
すべてが良い方向に回り出すのです。
DSCN7409.jpg
次はガレージの中を覗かせて頂きました。平尾センセも
懐かしさのあまり落ち着かない様子です。競技用の部車
と思しきオクルマがありました。横っ腹に無限Rとステッカ
ーが貼ってあるのがかすかに見えたので、多分HONDA
インテグラだと思います。学生自動車連盟の登録NOであ
る205の文字も懐かしく眩しく映りました。

正面奥にはトイレもあるようで、新町ガレージ時代、狭い
ところに入れ替わり立ち代わり、常時30~40人の部員が
出入りしていましたが、どうやって用を足していたんだろう
か。尤もすぐ隣は新町校舎だったのでその心配は要らな
かったかも知れません。このトイレだって我々から見れば
夢のようなことにて、平尾センセのお掃除の会でもないで
すが、部員皆で磨けばピカピカになるはずです。トイレは
ある意味神聖な場所なんです。だってトイレの神様がいる
くらいですから。
DSCN7411.jpg
その壁面に飾ってあったのは歴代部員の血と汗の結晶で
ある各種競技における表彰トロフィー、盾でした。う~ん
歴史と伝統の重みというのはこういうことを言うんですね。
老婆心ながら、奥行きが浅いので、もし地震が起こった時
ヤバイと思いました。何らかの予防処置がいるのでは。
透明のアクリル板で、部分的に押さえるとか。
DSCN7410.jpg
我々の新町ガレージ時代はこの半分くらいの面積しかなく
1台整備するのが精一杯でした。それから見れば結構広い
のですから、先ほど申し上げたお掃除と整理整頓により
この倍のスペースは有効に使えるようになると感じました。
今回は、小姑がアラ探しに行ったわけではなく、懐かしさ
が一つと、今井氏、横井氏、安田女史、及び有志のOB達
のご苦労の跡を見てみたかったというだけなのです。

現役諸君はOBのご好意に頼らず自分たちの力でガレージ
ピカピカにしてほしいものです。いずれ社会人となり再訪
した時、何これ?と思わなくても済むように今からやってほ
しいと思います。だって社会人になった時、各々のポテンシ
ャルの差なんて微々たるもので、お掃除や整理整頓が出来
るかどうかと言うことが重要な必要条件なのです。
現役時代、学業成績が多少良かった?、自動車部でドラ
テクが多少うまかった?、そんなもん社会に出れば何の
役にも立たないことを断言して差し上げます。

これは極論ながら、将来同志社大学自動車部から例えば
大手自動車メーカーのトップを輩出した時、記者会見で私
の若かりし頃、過ごした場所がここでした!と胸を張って
言えるような環境(聖地を作ろうではありませんか!!。
マクラーレン・ホンダピット2
かつてマクラーレン・HONDAはアイルトン・セナという天才
ドライバーを擁して世界を席巻した時代がありました。その
頃タバコ屋はよく鈴鹿へ懲りもせず通いました。決勝前夜
徹夜で整備をしているクルーを寒さに震えながら見ていま
したが、そのピットの清潔さと言ったら類がなく、ビス1本、
シミ一つないガレージはまるで病院の手術室の如きでした。
中は当然ピーンとした緊張感が漂い、耳をつんざく様なそ
のエキゾースト音と相まって、決戦を前にした男たちの心
意気というものが直に伝わって来ました。その時タバコ屋
はワンカップ片手でしたのでやや酔いが回っていたかも
知れませんが、「ああF1で世界一を目指すってこういうこと
なんや!」と思いました。
(関連記事:荒ぶる心 vol.6:マクラーレン物語及び
鈴鹿サーキットのこと vol.4:絶頂期参照願います)
DSCN7416.jpg
最後に現役諸君の方から、せっかくですから記念撮影を
と言われ、皆で写真に収まりました。お話すると皆さん
優秀で、人柄の良い方ばかりなので、後はこの若い人達
に、環境整備ということがいかに大切かということを強制
ではなく自発的にやれるような風土を育むことが我々OB
に残された課題かなと思いました。尚、右端の現役君は
タバコ屋同様、喜ばし組の素養があるようで、せっかくの
OB訪問に際し、ちょっとひょうきんな顔をして歓迎してくれ
たんだと思います。
混沌(カオス)から秩序(オーダー)へ!。その成否はこの
若き諸君の双肩にかかっていると思います。
DSCN7419.jpg
その後、後ろ髪を引かれる思いで、懐かしのガレージを後
にし、京田辺キャンパスのローム記念館を、平尾センセの
パジェロのサンバイザー越しに眺めながら、京田辺に別れ
を告げました。

大分日も傾いて来たものの、京田辺から宇治の平尾セン
セの自宅まではそこそこの距離だったので、お邪魔する
ことにし、奥様とも久しぶりの再会を楽しみ話に華が咲き
ました。帰り際に、老婆心ながら平尾センセのパジェロも
年貢の納め時だと思いますがと申し上げたところ、よくぞ
言って下さいました。とは言われませんでしたが、その意
味と受け取れるにこやかな笑顔でお見送り頂きました。
DSCN7421.jpg
帰りは身一つだったので近鉄大久保駅から数回乗換え
最後はニュートラムにて目指す大阪南港に辿り着きまし
たが、宇治から南港までは結構な距離があり結局2時間
を要しました。来た時と同じ、愛媛の東予港行きオレンジ
フェリーです。船内に大浴場もあり、今回の巡礼を振り返
りながら生ジョッキを頂いたのでしたが、楽しかったせいか
いつもより酔いが早かったように思います。

今回の大阪、京都、奈良、巡礼いかがだったでしょうか。
例によって長たらしい記事で閉口された方も多いのでは
ないかと思いますが、脱線はタバコ屋の悪い癖と割り切っ
てお読み頂ければ幸いです。長時間のご精読有難うござ
いました。

(尚、東大寺の歴史等の記述につきましては一部ウィキペ
ディアから流用させて頂きました。また仏教やキリスト教の
解釈等宗教に関することはタバコ屋なりの独断であること
を御了解願います。)

大阪・京都・奈良・巡礼 vol.2

平成27年12月15日
エキスポシティそして京都へ
大阪モーターショーの見学を終え腹ごしらえの後、今度
は万博記念公園の一角に11月オープンしたエキスポシ
ティの見学に出掛けることにしました。ギーちゃんこと森
本氏は点検に出したオクルマの引き取りがあるそうで、
ここでお別れとなりました。ちなみにそのオクルマとは
20年程前のセリカ!だそうで、2度目のビックリポンと
なりました。彼もなかなかご趣味が渋いです。
したがって残った3人でいざエキスポシティへ。
地下鉄で千里中央まで行き、モノレールで万博記念公園
に到着です。でも大阪湾岸から山の手の万博跡地までは
結構な距離がありました。
DSCN7324.jpg
恥ずかしながらここに来るのは初めてでしたが、太陽の塔
にちなんで太陽の駅というサブネームが付いていました。
木で出来た巨大な丸いオブジェがありました。何らかの意
味があるんだと思いますが、さて。太陽をモチーフにしてい
るのかも知れません。
DSCN7325.jpg
長いスロープを伝って目指すは正面遠方の巨大な四角い
箱状の施設です。現代の巨大ショッピングセンターはどこ
も例外なく外観はこのように流通センターの倉庫のように
味気ないもので、その理由はヴェルサイユ宮殿のように
すると建物にお金が掛かり過ぎてしまうからなのです。
寄居工場7-2
ちょっと格好つけて言いますとローコスト・オペレーション
とでも言いますか、とにかく箱が大きい程坪当たりコスト
は安くなります。最新のオクルマ製造工場なんかもそうで
すが、それに加えて屋根にはソーラーパネルを貼り巡らし
電力さえも自前で賄えるようにしつつあります。その結果
施設から排出するCO2をミニマムにするというのが世界
最先端のトレンドです。写真はその困難なテーマを実現
しつつあるHONDA寄居FACTORYです。場所は埼玉県
のど田舎にありますがHONDAはマザー工場などと粋な
名前を付けました。HONDAの製造技術の粋を結集して
作られた工場という意味です。先日NHKのサラメシでも
取り上げられていましたよね。HONDA寄居工場特製の
美味なカレーうどんがテーマで。
(関連記事:オハイオの夢参照願います)
寄居工場14
それにつけても、今日この寄居工場のような世界トップ
レベルのFACTORYを日本のメーカーが実現するなど、
タバコ屋の若かりし頃には夢にも思えなかったことです。

裏話になりますが、この寄居工場は当初日本で高級車
ブランド、アキュラを展開するためレジェンドやNSXを作
る予定の工場として計画されましたがリーマンショックに
より急遽中止され、その後紆余曲折を経てフィット専用
工場としてやっと日の目を見ることになったという経緯が
あります。
鈴鹿工場
余談ながら、かつてHONDAはスーパーカブの生産にあた
り、莫大な投資により昭和35年(1960年)に鈴鹿製作所を
開設、続いてその2年後には近くの広大な丘陵地帯を利
用して国際レーシングコース鈴鹿サーキットを開設しまし
た。その時はもしスーパーカブが売れなければ倒産寸前
だったそうですが、創業者の本田宗一郎氏の胸中には欧
米に追い付き追い越そうとする強烈な意志と向上心があっ
たのだと思います。(写真は鈴鹿製作所エントランスです)
(関連記事:鈴鹿サーキットのこと vol.1:草創期参照願い
ます)
DSCN7326-1.jpg
スロープから話が大分脇道にそれてしまいましたが、途中
左手に万博のシンボルだった奇才岡本太郎画伯の作品で
ある太陽の塔が建っていました。昔TVのCMで岡本画伯が
人生は爆発だ!」とか言っていたのを思い出します。
DSCN7329.jpg
やって来ましたエキスポシティです。つい先日の11月19日
にオープンした、今流行りの複合ショッピング&レジャー
アメニティ施設の最新版です。
エキスポシティ8
開発の主体者は最近「ららぽーと」という名称で全国各地
に大型ショッピングセンターやアウトレットを展開している
三井不動産で、万博跡地の一部、約5万坪!の敷地に
ショッピングモールを核として約300店舗が出店し、周辺に
は7つのレジャー施設を配置し、駐車台数4,000台という
西日本最大の複合施設です。向かって右が正面入り口
で本館への入り口及び主通路は左右2つあり、扇状に広
がった建物です。
レイクタウン9
ただエキスポシティ側は日本最大級の大型複合施設と
謳っていますが、これはややハッタリで、日本最大という
ことになると、イオンが平成20年(2008年)に埼玉県越谷
にオープンしたイオンレイクタウンで、約10万坪!の敷地
に約700店舗が出店し駐車台数10,000台という桁外れの
規模の施設があります。ま、ミュージアムや体験型レジャ
ー施設等、総合的なアメニティ施設という見方であれば
日本最大級なのかも知れません。
蛇足ながら、レジャーに代わりアメニティという言葉が使わ
れ出したのは平成になってからだと思います。

タバコ屋が子供の頃には複合型ショッピング&レジャー
施設などというものはその概念すらなかった時代で、
というよりその日を食べていくのが精一杯の時代でした。
せめてものレジャーと言えば親子連れで動物園へ行き
帰りはデパートでささやかな御馳走(ランチ)を食べる
程度だったと思います。

ちなみにタバコ屋の生まれ育った中島からは松山が一番
近く、その当時道後温泉に隣接した公園内に動物園があ
り、見物したあと市内に戻り松山三越でお食事というのが
お決まりコースでした。
枚方パーク6
タバコ屋が子供時代の遊園地(懐かしい言葉です)と言え
ば、大阪に阪神パークや枚方パークがありました。その
後奈良にドリームランドが出来て、レジャーというものに
お金を使う時代になりました。しかしその頃でもレジャーは
レジャー、お買い物は別という概念しかなく、名前からして
パークとかランドであり、現在のシティとかタウンなどという
想像を絶する規模の複合アメニティ施設の時代になろうと
は夢にも思いませんでした。もっとも遊園地の発展形は別
にディズニーランドやUSJが出来、それはそれで桁外れの
スケールではありますが。

ついでの話としてタバコ屋が子供の頃、大阪に叔父叔母
夫婦と従兄弟がいたので、年に1回は両親に連れられて
遊びに行っていました。両親は京都奈良の寺社仏閣巡り
がお目当てだったのですが、タバコ屋はレジャー施設や
デパートの屋上がお目当てで、上記の3か所のパークや
ランドを皮切りに梅田阪急百貨店の屋上では従兄弟と一
緒に乗り物やゲームに随分散財した記憶があります。
といっても10円玉コインをということですが。
阪急お子様ランチ
またお食事は梅田阪急百貨店の大食堂がお決まりのコー
スで、タバコ屋と従兄弟はお子様ランチ、親たちはテキ
(当時はステーキのことをテキと言っていましたよね)を
注文していました。阪急大食堂のテキ!は、わらじの
ように大きかったことや、阪急大食堂全体に漂う独特の
食堂の香り???を子供心によく覚えています。
(関連記事:沖縄巡礼 vol.1及び
千葉・東京巡礼 vol.2:銀座界隈参照願います)
ダイエー5-3
古い話続きで恐縮ながら、かつてタバコ屋が同志社大学
自動車部に在籍していた頃、恒例の合宿は香里園にある
香里体育ハウスでした。1~2回生時分は当然ながら下積
み生活で部員の食事の買い出しと調理をする身分でした。
ダイエー5
本来なら香里園の駅前商店街あたりの食品店で買い出し
をするところですが、1回生の時(ということは今から46年
も前の昭和44年(1969年)に駅の近くに香里ショッパーズ
プラザ
が出来たのです。これは後で知ったことですが、
当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったスーパーのダイエーが、
日本初の郊外型ショッピングセンターを香里園にオープン
させたのです。1階が食品で2階が衣料品、雑貨、3~4階
が立体駐車場でした。
(関連記事:夏の日の思い出 vol.4:トライアスロン大会及び
混沌と秩序 vol.3:流通編(後編)参照願います)
DUAC80thロゴマーク
当時自動車部はフィギュア競技等、相当体力を要する競
技がおもな活動だったので体育会に属し、合宿はいつも
アメリカンフットボール部、野球部と一緒でした。練習では
常にアメリカンフットボール部と隣り合わせで、アメリカン
フットボール部は鉄製の枠で出来たバリケードのようなも
のにスクラム組んで突進し押しまくるというハードなトレー
ニングが日課でした。自動車部もランニング、腕立て伏せ
腹筋などは当たり前で、あげくは大型トラック用のタイヤに
ロープを付けそれを腰に巻きつけて引っ張らされたりして
いました。また血気盛りの男連中が寝起きを共にするため
夜はささいなことで殺気立ち、ふすまを蹴破って殴り込み
に会う等、いろいろ事件もありました。

タバコ屋の同期は女っ気がありませんでしたが一期後輩
は3人のお嬢さんが入部し、看板娘となりました。しかし
男子と同等ではなかったものの、嫁入り前の娘が合宿と
はいえこのようなアラレもないことをやらされているのを
両親が見られたらさぞかしお怒りになったことでしょうが、
今さらながら若気の至りであったと思います。

合宿中の余談として、同期生に遠藤君がいましたが、彼
は大阪出身で、当時日蓮上人をルーツとするある宗派の
学会に入会し彼の住む大阪の地区の青年部長を務めて
いましたが、夜な夜なその会に入ることを勧誘するのです。
我々同期生は閉口し誰もその誘いには乗りませんでした。
そのせいかどうか途中で退部してしまったのです。同期生
随一の俊足で体力も抜群だっただけに惜しまれますが、
卒業後はバーバリーコートを作っていた三陽コート(三陽
商会)に入社し、タバコ屋も1~2度お会いしたことがありま
す。今頃どうしているんだろう。
付け足しながら、あだ名を付ける天才だった同期生のS君
が遠藤君に付けたあだ名は「南無妙(ナンミョウ)」でした。
言い得ていますよね。
2代目クラウン5
香里体育ハウスでは連日泥だらけの風呂に入る等、いろ
いろ悲喜こもごもなことがありましたが、他の体育会と決定
的に違うところはオクルマを所有している為、買い出しは
カーショッピング!が出来たことなんです。
2代目コロナ1
上段の写真は2代目のトヨタ(トヨペット)クラウンですが、
当時この写真とはかなりかけ離れたくたびれたクラウン
を部車として所有していました。1~2回生の買い出しは
このクラウンや下段の写真のやはりくたびれたトヨペット
コロナに乗って行ったような思い出がありますが、何しろ
50年近く前のお話にて記憶が曖昧になっています。

尚、カーショッピングと申しましても、買い出しの中味は
カレーかおでんの材料と決まっており、体力が付くような
献立ではなかったように思います。
1961-11オープンハウスSister KateⅡとエレン
ちなみに当部の部長先生だった、元アーモスト館館長の
オーテス・ケーリ先生は一時このコロナのバンを愛用さ
れていました。尚、ボンネットの上に乗っかっているのは
ケーリ先生のお嬢さんのエレンちゃんで、現在はアメリカ
の大学教授の奥様で2児の母だとお聞きしています。
(この写真は同志社アーモストクラブメンバー(アーモスト
館OB)でDACニュース(アーモスト館OB会誌)編集長で
もある吉﨑雅俊さんより特別にご提供頂きました)

裏話として、そのコロナは同志社大学自動車部のOBで
監督も歴任された元京都トヨタ社長、小西先輩(故人)か
ら購入されたものだそうです。尚、監督はOBの有志がさ
れ、部長は大学内のセンセにお願いするのが通例です。
推測ながら、ケーリ先生と小西先輩はそういう間柄だった
ので親しくお付き合いされていたのだと思います。

またケーリ先生はアメリカン・プロテスタントとして清廉かつ
質実なお方ではありましたが、一面アメリカンな茶目っ気
(ユーモア)がありこのコロナにもSISTER KATE Ⅱ(ケイト
ねえちゃん2号)と言うニックネームを付けていました。
ケイトねえちゃん
ケイトねえちゃんの意味については、話せば長くなるので
かいつまんで申しますと、ルイ・アームストロング氏が来日
(来京)した時通訳されたのがケーリ先生で、ご自分で好き
だったケイトねえちゃんというジャズ曲を演奏時に弾いても
らうようおねだりしたところ、実はその曲はアームストロング
氏自身が作詞作曲したものだと打ち明けられ、おまけに
SISTER KATEという直筆のサインまで頂いたそうで、それ
以来その字体を使ってご自分のオクルマにニックネームを
入れるようになったそうです。
(関連記事:今出川でのこと vol.1及び
今出川でのこと vol.3:地獄の北海道遠征及び
札幌紀行 vol.2:小樽へ参照願います)
大工大ラリー
ついでの話として、モータリゼーション真っ盛りとなりつつ
あった当時(昭和40年代)、身が燃えてうずうずしている
学生が体力勝負のフィギュア競技だけで満足出来るはず
もなく国際ラリーでのニッサン、ミツビシの活躍に触発され
大学対抗の学生ラリーが盛んに行われるようになりました。
(写真は若かりし頃の平尾センセが出場された某大学自動
車部主催のナイトラリーで平尾選手のスタート場面です。
この写真は平尾センセより特別にご提供頂きました。)

ちなみにその後彼は他大学の道場荒らし?でメキメキ実
力を付け、同志社に平尾ありと言われるようになりました。
また当部においても同志社ラリーを主催していましたが、
その存続が危ぶまれた困難な状況の中、第4回、第5回と
連続して成功に導いた立役者でもありました。その後は
社会情勢が厳しくなり、残念ながら大学自動車部が公道
を使用してラリーを行うことはほぼ出来なくなりました。
古き良き時代の最後の一時期であったように思います。
DSCN7446.jpg
尚、タバコ屋の赤いお嬢ちゃんのボンネットに並べている
のは当部主催の同志社ラリーのカーバッジで、第2回から
最後の第5回までのものです。どなたかOBで第1回のもの
お持ちでしたら借用頂けないでしょうか。(尤もその時カー
バッジを作っていればの話ですが)
DSCN7449-1.jpg
そのカーバッジの拡大版です。右端のカーバッジは創部35
周年記念のものですが、あれからもう45年も経ったなんて
到底信じることは出来ません。
(関連記事:校長先生の青春 vol.1:ラリーへの熱き思い
及び校長先生の青春 vol.2:されどもラリー参照願います)

それはいいのですが、ビンボー自動車部としては、上記の
クラウンやコロナを競技車として使用したのでした。当然の
ことながらフニャフニャのサスペンションと眠いエンジン、
及び薄暗いヘッドライトでまともに(速く)走れる訳もなく、
ナイトラリーの最中にひっくり返り山中の田んぼで朝を迎
える等、今から思えば随分無茶なことをしたもんだと思い
ます。
DSCN7330.jpg
話が随分脱線してしまいました。エキスポシティーに戻り
ます。エントランスでは今風の派手な看板と言うのかポス
ターでお出迎え頂きました。施設名はららぽーとです。

エキスポシティ10

エキスポシティ11

エキスポシティ12

エキスポシティ13
最近出来たショッピングモールでは羽田空港のモールが
立派ですが、エキスポシティはそれを横に広げた感じです。
基本レイアウトは扇状の施設左右に主通路があり、それ
を繋ぐように前後2本の吹き抜けが通り、その真ん中に
光りの広場と称する空間が配置されています。

建物は3層になっていて、1階が主に食品、2階が主に衣料
品、3階が主に家電、雑貨となっています。300店舗も入店
しているのでいくら広いとはいえ3階まで必要なのでしょうが、
タバコ屋流に言わせれば、巨大モールは2層に抑えるべき
です。若い人はともかく後期高齢者はもう3階まであると行く
気力が萎えてしまいます。
エキスポシティ15
蛇足ながら、全国各地にイオンや大手スーパーが展開して
いる総合ショッピングセンターのことを業界用語でネイバー
フッドショッピングセンター
(近隣型ショッピングセンター)と
言い、今回のように大商圏を対象にし、アメニティの機能を
充実させた複合型モールのことをリージョナルショッピング
センター
(広域型ショッピングセンター)と言うようですが、
エキスポシティ級ともなると、その定義も通用しないほど、
桁外れにスケールが大きく、多機能です。ま、欲を言えば
これにホームセンターが加われば鬼に金棒でしょうが、
レジャーやアメニティにかなり力を入れているので、多分
敷地が足りなかったのではないかと思います。

ついでの話にて、タバコ屋は職業柄どうしても年商が気に
なりますが、公式発表では600億円だそうで、大都会の繁
盛している百貨店1店舗分ということになります。面積の割
には少ないような気もしますが、ここは庶民の広場であっ
て、宝石、毛皮、高級時計を売る場ではないので、それも
妥当なところとかなと思います。
DSCN7331.jpg
1階部分主通路からの眺めです。只今好調の無印良品の
ショップが入っていました。日本よりも外国で評判が良い
ようで、長きに亘り苦労してきた成果が出つつあり、ここに
至るには大変な試練と努力があったはずで、無印君には
がんばり賞を差し上げたいと思います。
DSCN7335.jpg
いちいち取り上げませんが、皆さんご存知の有名店が
ずらりと並んでいました。土曜日でもあったので大変な
人出と混雑でした。
DSCN7334.jpg
センターコートというのか光りの広場と称する中央吹き抜
け部分です。クリスマスをテーマにしたオブジェが飾られて
華やかなイメージを演出していました。
DSCN7338.jpg
ご存じロフトのショップはやや意表を突く店舗演出がされ
ていて、オープンショップが多い中、わざと壁を作りクロー
ズドショップにしていました。個人的にはオープンの方が
開放的で好みですけど。タバコ屋流に言うならば、モダン
と言うよりはチンケです。
DSCN7364.jpg
食品ゾーンにやって来ました。神戸の老舗パン屋さんの
DONQです。タバコ屋は知りませんでしたが、創業110年
の歴史があるそうです。
DSCN7365.jpg
食品の核となるスーパーはイズミヤさんが入っていました。
イズミヤさんのルーツはタバコ屋とよく似ており元は大阪
西成区の呉服屋さんでした。創業者は和田さんという方で
熱心なクリスチャンでありまた戦後の混乱期に日本の商業
の正しいあり方や近代化を啓蒙、指導した雑誌「商業界
の主幹であった倉本長治氏に心酔し、毎年箱根で開催さ
れた「商業界ゼミナール」に通い、タバコ屋の先代も同じ
席で当時アメリカからやって来たスーパーマーケット理論
と今後の展望をそれこそ熱にうなされるごとく熱心に受講
した一人でした。多分受講生の多くが新しい時代の予感
を直感的に感じたんだと思います。
(関連記事:希望の島物語1参照願います)
キングカレン2
和田さんは元呉服屋でありながら、衣料品を中心にまず
セルフサービス方式を採り入れ、その後はスーパーマー
ケットをチェーン展開、また昭和43年(1968年)には大阪
岸和田で日本初のショッピングセンターをオープンさせる
等(尚、これは駅前ショッピングセンターで郊外型の本格
的ショッピングセンターはダイエーの香里ショッパーズが
日本で最初でした)革新的商業経営を推進し、やがては
ダイエーと張り合うようになりました。その過程で商業界
の立ち位置は、言ってみれば幕末における松下村塾のよ
うなものでイズミヤさんはその優等生であったと思います。
(関連記事:混沌と秩序 vol.4:流通編(後編)参照願い
ます)
ダイエー4
アメリカのスーパーマーケットを中心とした最新流通理論
の指導をしたのは主に渥美俊一氏というコンサルタント
でしたが、東大出の元読売新聞記者でアメリカに幾度も
視察を重ね、当時(昭和30年前半)のスーパーマーケット
や様々な流通業態が日本とは桁違いの先進性とスケー
ルであることにカルチャーショックを受け、そのノウハウを
学び(悪く言えばパクり)商業界ゼミナールにおいて日本
の若き商人達(後のダイエー、ジャスコ、ニチイ、イズミヤ
等々)に熱心に指導し、その実践を迫ったのでした。

タバコ屋が大学入学時(昭和44年(1969年)は学園紛争
がピークに達した時で、東大の入試は中止となり、大学
は過激学生グループに占拠され、タバコ屋も1回生の時
は試験がすべて妨害され、レポート提出という異常事態
でした。何が言いたいかと言うと、その時活躍したのが
アジテーターと称する過激学生で、例えは悪いでしょうが
渥美俊一氏はさながら戦後日本の流通業革新における
アジテーターだったと思うのです。

いみじくも日本のオクルマ業界が欧米の先進的技術に
圧倒され、それを吸収すべく夜を徹して技術の習得(パク
リ)をやり、それこそ欧米に追い付け追い越せと家庭も顧
みずに血の滲むような努力をした同時代のことでした。
izumiya.jpg
イズミヤさんはその後堅実な経営を続け、当初は近畿圏
やがて中国、九州、関東圏にも店舗網を拡大しチェーン
ストアとして一大勢力となっていきました。

時代は進みかつての流通業界の覇者ダイエーは今はなく
タバコ屋も一時期そのグループで活動していたニチイその
後のマイカルは破綻し、九州の覇者寿屋も消滅してしまい
ました。この40年間の流通業界というのは合従連衡を繰り
返し、さながら戦国時代のようでした。現在はイオンとヨーカ
ドーの二強時代なのでしょうが、さてどうなるんでしょう。

一方独立路線を歩んで来たイズミヤは最近伊藤忠商事
と提携後、今度は阪急・阪神グループを統括するエイチツー
オーとの統合を発表しました。お客様とは関係ないことな
がら、う~ん寄らば大樹の陰なのかどうか、そこらはガラ
パゴスの中島に住むタバコ屋にはわからないことです。

イズミヤさんのお話から戦後流通概論に脱線してしまい
ました。さて今回、元校長センセの平尾氏も公認会計士
の上山氏もオカタイ仕事なのでショッピングモールの見学
など本意ではなかったでしょうが、モーターショーの二次
会のつもりでおつきあいして頂いたのだと思います。
DSCN7342-1.jpg
いよいよタバコ屋お目あての「いかりスーパー」さんの店
にやってきました。外観は一目でわかる例のいかりロゴ?
を散りばめた外壁で囲われており、相当目立ちます。ただ
ショッピングモールなので、オープンショップにしたほうが
良かったかなという気はします。
DSCN7345.jpg
いかりスーパーさんというのは日本にスーパーと名の付く
お店が数々あれど最も個性的なお店ではないかとタバコ
屋は思っています。何が個性的かと申しますと店で販売
しているほとんどの品を自社で製造!するかまたは外注
するにしても自社企画のPB(プライベートブランド)として
販売している点です。メーカーはともかく小売り店でこの
ように自社製造にこだわっている店はいかりさんしかない
と思うのです。またその品が百貨店もビビるハイクオリティ
ーで、もうこの分野ではいかりさんの独壇場だという気が
します。
モーターショー帰りでオクルマに例えるのも変なのですが
いかりさんの立ち位置はオクルマで言えばジャガーもしく
はランドローヴァーあたりかなと思います。つまりスーパー
業界では大手ではありませんが、高質な個性を発揮する
ことで他社が絶対真似の出来ない、いかりワールドという
アイデンティティ(自己証明書)を作り上げているからなん
です。
IMG_2140.jpg
10年以上も古い写真で恐縮ながらいかりスーパー芦屋店
の外観です。店舗は芦屋山の手の高級住宅街の麓にあり
文字通り日本のセレブがお住まいの場所にあるスーパー
です。創業者は行光さんという方で、元々は洋菓子屋さん
からスタートし、オフネが大好きだったせいで社名とロゴを
いかりにしたとか。タバコ屋は何度もお邪魔していますが
芦屋店の店頭にも大きな本物のイカリが飾られています。
先ほど申し上げたいかりさんのイメージがジャガー、または
ローヴァーであると言うのは嘘でなく、事実お買い物に来ら
れる妙齢のご婦人方の多くがジャガー、レンジローヴァー
は元よりポルシェ、ベンツはざらで、某国産車で駐車した
タバコ屋は一瞬外国へ来たような錯覚を覚え、また自分が
やや場違いなところへ来てしまったという後悔を覚えた程
でした。ちなみに昔、青春映画でこのいかりスーパー芦屋
店がロケに使われたことがあるそうです。
(関連記事:ヤマトとラムネ参照願います)
IMG_2151.jpg
その芦屋店の店内です。古い写真なので今は変わってい
るでしょうが非常に高級感あふれるムードですよね。

手前味噌になってしまいますが、話せば長くなるお話です。
イズミヤさんの項で前述の戦後スーパー業界を理論指導し
牽引してきた渥美俊一氏は過激なアジテーターという側面
を持っていたので、熱心な一部の革新的な若手商業者か
らは熱狂的な支持を得たのですが、箱根のゼミナールへ
全国から研修に来る零細な小売業者のほとんどは、違和
感というより恐怖を覚えていたと思います。つまりこの理論
によって日本中の小売業は押しつぶされてしまうと。
一方最高指導者の倉本長治先生は戦後の混乱から全国
の商業者に正しい商いを啓蒙、指導しようとした訳で一部
の革新勢力だけを後押しした訳ではなく、その片寄った事
態をかなり憂慮されていたとお聞きしています。
タバコ屋もそのアメリカ流、非情の資本論理に違和感を覚
えていたところ、ひょんなご縁で、一倉定氏というコンサル
タントと出会うことになりました。一倉氏は「環境整備」と
経営計画書」というタバコ屋にとっては聞き慣れない理念
を徹底的に指導する個性的で、純日本的な先生でした。
渥美俊一氏のことも良く知っていて、かなり否定的というよ
り、日本の商業をだめにするけしからん奴というような見方
をされていました。それ以後、一倉氏のセミナーや研修会
に出席し、後には中島まで来て頂いて教えを乞う等親しく
させて頂きましたが先年泉下の人となられました。

実はその講義や、研修の中で「環境整備」の実践例として
芦屋のいかりスーパーさんのお名前がひんぱんに出て来
たのです。そのバックルームは店舗以上にクリンリネスが
行き届いているとか、製品のほとんどは自社製造品である
とか、一倉氏は厳しい指導で有名でしたが、こといかりさん
のことになると手放しで絶賛という有様でした。
IMG_2155.jpg
タバコ屋もそんな凄いスーパー、一度見学して見たいと思っ
てはいましたが、その後数年たって、タバコ屋が島のみかん
を島外へ販売する事業を始めた折、一倉氏の言葉を思い
出し、目くら蛇におじずもいいところで、思い切って芦屋の
いかりスーパーさんへ飛び込み訪問したのでした。その時
統括責任者は取締役でもあった小倉さんでしたが、初対面
にも拘らず何かと親切にして頂き、「十分吟味をしたうえで
いかりはその品が真に優れた品であるなら、世界中どこか
らでも
規模の大小に拘らず購入させて頂きます。タバコ屋
さん(とは言いませんでしたが)とお取引しましょう」と言わ
れたのです。この言葉にはシビれました。その夜は寝付か
れなかったのを覚えています。以来20年のお取引となりま
した。その間いまわしい阪神大震災が発生しいかりさんも
甚大な被害を蒙りましたが、見事に復活されました。
その後思い高じて、タバコ屋の倅や社員をいかりさんに実
務研修でお預かり頂く等、随分なお世話になって今日に至
っています。
いかりSJR大阪店
いかりさんはその後、JR大阪駅構内のいわゆるエキナカに
も出店し、かなりモダンで個性的な店舗展開をしています。
IMG_3430-1.jpg
あれれ、これはタバコ屋のジュース、ジャムのフルラインナ
ップじゃないですか。実は手前味噌もいいところなんですが、
タバコ屋が島でジュース工場を立ち上げた後、問題は販売
で、そのことをいかりの小倉さんにご相談したところ、ウチの
店で宣伝したらどうですか、と言って下さり、上記のJR大阪
店を皮切りに芦屋、夙川、三宮等、主だった店で試飲販売
会をさせて頂きました。都会のお客様が何を要求しているの
か体で体験するいい機会を与えて頂いたのでした。
その結論が何だったのですかって?、それはクオリティです。
DSCN7346.jpg
またまたラリー用語で言うところのコースアウトをしてしまい
ました。エキスポシティのいかりさんのお店に戻ります。
いかりさんオリジナルのお好み焼きの素です。まだ買った
ことがないので何とも言えませんが店頭にドドーンと積ん
でありました。食堂のメニュー見本のようなダミーが飾っ
てありましたが、お金は掛かるでしょうけど購買欲をそそ
るいいアイデアだと思いました。
DSCN7352-1.jpg
平尾センセはワインコーナーが気になっているようです。
センセはタバコ屋みたくに呑兵衛ではないですがお酒は
たしなまれます。尚、いかりさんのワインは輸入業者から
買ったりはせず、直接社長と前述の小倉さんがヨーロッパ
やその他のワイン産地に行き、直に買い付けるそうです。
出張コストも馬鹿にならないでしょうけど、とにかくやること
が徹底していますよね。ソムリエの田崎さんもビックリポン
の変な?スーパーですよね。
DSCN7354.jpg
一方、上山青年はいかりさんオリジナルのスイーツコーナ
ーの棚が気になっているようです。プライバシーに触れよ
うとは思いませんが、上山公認会計士も人の子、独身で
ある以上いい人が出来て、プレゼントする時はこれにしよ
うとか思っているんではないでしょうか。はたまたふる里
福井で残されているお母様にいかりのマドレーヌ送って
あげようかと思っているのかも知れません。彼はいかつい
顔してますけど(失礼)結構お母さん思いの孝行息子なん
です。
DSCN7356-1.jpg
上山青年が見ていたのはこの芦屋マドレーヌではないかと
思うんですが、すべてオリジナルでフルーツやパンプキン
等バリエーションも豊富で売れ筋だと思いました。
DSCN7360.jpg
やはり、いかりさんオリジナルのホットケーキの素を山積
みしていました。世の奥様方は歴戦の強者にて、お店に
陳列しているからと言ってすぐに購入される訳でもないで
しょうが、タバコ屋などは単細胞人間にて、いかりさんが
出したものなら「それ全部下さい!」と言ってしまう種類の
人種です。学術用語ではそのカテゴリーをオッサンと言う
そうです。
DSCN7355.jpg
これは推測ですが、いかりさんがエキスポシティに出店
されたキモはこの自家製パンとスイーツのコーナーだと
思うんです。そら、元はと言えば洋菓子屋さんがルーツ
な訳ですから、パンとスイーツはお手のもんだと思います。
IMG_2979-1.jpg
ただ難しいのは、かつていかりさんも東京へ殴り込みを
掛けたことがあり、大宮と横浜に店舗を構え、タバコ屋も
横浜店へは表敬訪問して店長の原田さんを激励しに行っ
たこともありますが、推測ながら結局は思うようにいかず
数年で撤退しました。

文化と言うのは難しいです。神戸、大阪で断トツの知名度
プレステージを誇るいかりさんも横浜モトマチでは相手
にされなかったということなので、ましてやタバコ屋なんか
そこいらのゴミ同然のしろものです。
それにしても芦屋シュークリーム、何とも言えない高級感
と絶対においしいという期待感を抱かせるお名前じゃない
ですか。タバコ屋ならすぐ「それ全部下さい!」と言ってし
まうと思いますが、一体どこへ配るんだろう?。
DSCN7367.jpg
いかりさんの見学も終え、2階、3階へとも思いましたが
同行の2人とも、もう十分や腹も減ったし、のども乾いた
一服しましょうや、となりました。おそらくアタマの回転の
早い彼らのことゆえ、2階、3階のレイアウトなど見なくて
も、ぱぱーっと頭に描いてしまったんだと思うんです。
かくして本館の見学は終了(放棄?)し、一服することに
なりました。やってきたのは懐かしい万博食堂でしたが
長蛇の列にて入るのをあきらめました。結局どこもすぐに
は席に着けない混雑ぶりだったので、すべて諦め元来た
道を万博記念公園駅へと引き返すことにしました。
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帰り際にエントランス広場にて、可愛らしいお嬢ちゃんが
お写真を撮っていましたが、3人はお互いこんな年もあっ
たよな~なんて感慨にふけったのかどうか、確かめは
しませんでしたが、日もかなり傾きつつあり、喉も乾いた
ので駅に向かって急ぎました。
DSCN7373.jpg
上山青年もおさそいしたかったのですが翌日早朝ゴルフ
を予定しているそうで、万博記念公園駅でお別れすること
にし、平尾センセとタバコ屋は南茨木経由、阪急電車で
一路京都へ向かう事にしました。もうすっかり暗くなって
しまいましたが、久しぶりの京都四条河原町です。島の
タバコ屋は普段は暗黒世界で生活している故、こういう
都会のケバい雑踏が大好きなんです。
DSCN7375.jpg
青春同窓会、第3部は平尾センセのはからいで京都南座
の中にある京懐石の店「花萬」さんで開幕することとなり
ました。目指すは正面の南座です。
DSCN7378.jpg
南座到着です。丁度この日は市川海老蔵、京都公演の
最中だったようです。
DSCN7379.jpg
鴨川べり正面に今夜の会場である「花萬」さんがありまし
た。今夜のメンバーは同期の平尾センセ、同じく同期で
市内在住のター坊こと井上氏、同じく陛下こと南野氏、
また紅一点として一期後輩の福ちゃんこと石川女史、
そしてタバコ屋の計5名です。
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その日は丁度週末で、行楽シーズンでもあり、予約は
したものの個室満席にて、カウンターで旧交を温める事
になりました。左より髪はどこへ行った?のタバコ屋と
自動車部元マドンナこと福ちゃん、平尾センセ、ター坊、
陛下の面々です。タバコ屋は秘かにギトギトのテキ!
食べたかったのですがここは京懐石にて順次お品の良
い品々を頂き、お酒もはずみ昔話や近況に華が咲きまし
た。ただし皆さん近況は孫ラッシュにて各人孫自慢大会
に突入し、スマホの写真見せびらかしみたいになって
しまいました。市川海老蔵の顔見世というよりは、孫の
顔見世興行&コンペになってしまったお席でした。

福ちゃんとも久しぶりの再会でしたが、この日はクレオパ
トラ妃がお付けになるようなゴールドに真珠をあしらった
首輪?を召されておりタバコ屋にはまばゆいばかりで心
なしか日本酒の回りが早かったように思います。
ちなみに彼女のご子息ター君こと太一君は京都きっての
テノール歌手で、自動車部80周年記念大会の時はその
自慢の喉をご披露頂きました。タバコ屋のお気に入りは
彼の歌った「真珠採りの歌」でしたが、偶然にも福ちゃん
はその真珠をあしらったKUBIWAをご装着でした。
(関連記事:終わりなき旅 vol.3:宴のあとさき参照願い
ます)

蛇足ながら福ちゃんは京都三条麩屋町の老舗和紙店の
イトハンなのでタバコ屋は朝ドラの「あさが来た」のあさ
ちゃんとイメージがかぶってしまいます。彼女の名誉の
ために申し添えますと、その行動力は互角で、ふくよか
なオムネに至っては完全にあさちゃんに勝っていると思
います。いくら同釜とは言え、じかに拝見したことはあり
ませんが(残念)、香里体育ハウスの時代はアメリカン
フットボール部とも一緒だったのでトレーナーの上から
その上下動の激しさ?を御覧になった部員もいらっしゃ
るかも知れません。

4人の仲間との名残尽きなく、話尽きないひと時でしたが、
お開きの時間がやってきました。福ちゃんは洗濯物の取り
入れ?とかあるといけないのでお別れし、野郎どもは東の
方角が気になっており、意のままに足の向くまま流れる
ことに致しました。あとはご想像に任せることにしまして、
今回の記事を終わることに致します。長時間のご精読
有難うございました。

尚、この翌日平尾センセと青春同窓会ならぬミニ修学旅行
を実施しましたが、そのお話は次の記事にてご紹介致しま
す。お楽しみに。

大阪・京都・奈良・巡礼 vol.1

平成27年12月11日
大阪モーターショー
瀬戸内海の島で生まれ育ったタバコ屋にとっては、子供
の頃から旅=船というのが常識というかルールでした。
大陸の民ロシア人が瀬戸内海を旅行した時、この湖は
なんという名前ですかと言ったそうで、彼らにとってはこの
多島美の瀬戸内海が湖か池くらいにしか感じられなかっ
たのだと思います。
くれない丸1
余談ながらタバコ屋が子供だった昭和30年代前半当時
新婚旅行がブームとなり、九州の別府はそのメッカとなり
つつありました。その別府へ新婚さんをいざなう交通手段
として、関西汽船が「くれない丸」という当時としては最新
豪華客船を建造し(ミツビシby神戸製)、阪神~別府航路
途中松山寄港)に就航させました。
別府温泉1
タバコ屋の想像ながら「夢の豪華客船くれない丸で別府
へのハネムーンを満喫しませんか!」とか何とかうまいこと
キャッチフレーズ作って宣伝したのだと思います。その企
画は大当たりで「そのチケット下さい!」と言って別府へ
雪崩れ込んだカップルは大変な数にのぼりました。
くれない丸13
当然新婚さんだけが相手ではショウバイが成り立ちません
から、新婚さんは特等室か1等室にお入り頂き、一般の客
は2等も3等もありますからご利用下さいという仕掛けでし
た。当時は新幹線もなく列車も遅かったのでこの関西汽船
の阪神別府航路は大繁盛しました。九州北部の方や寄港
地の松山近辺の人にとっては、一晩寝ている間に阪神方
面へ出かけられ格安でもあったので大変便利でした。
(写真はタバコ屋達が利用したお部屋ではなく、新婚さん
がお泊りのオヘヤです、念のため。ただしツインというのは
無駄なような気がしませんか???)

ここだけの話ですけど、夏休みや盆正月の帰省時期などは
定員超オーバーを押し込み、夏の時期なんかは外の廊下や
食堂の床まで毛布を敷いて寝たものでした。おかげで翌朝
の顔は煙突の煙のススだらけという有様でした。
くれない丸(ロイヤルウイング)4-1
しかしやがて時代は変わり、モータリゼーション、新幹線、
ヒコーキの時代となり、もはや花の阪神別府航路は役割を
終え、関西汽船は儲からなくなりその後撤退してしまいまし
た。また後日談として、くれない丸はミナト横浜でお色直し
の末、海上レストランとなって余生を過ごしています。
ちなみに、船名はくれない丸からロイヤルウイングという
ハイカラな名前に替わりましたがタバコ屋にとっては何時
までもくれない丸であることに変わりはありません。
(関連記事:夏の日の思い出 vol.1:プロローグ参照願い
ます)
331.jpg
話を現在に戻します。今回久しぶりに大阪方面へ出かける
ことになったのですが、その目的はタバコ屋の好きなオクル
マの博覧会、即ち大阪モーターショーが開催されるからなの
です。
実はこのブログに度々ご登場頂いている京都の名物元校
長こと平尾センセからお誘いがあったのです。
お誘い頂いた時が丁度ホロ酔い気分の時でもあったので
即座に「行きます!、行こうや」などと景気のいいこと言っ
てしまいました。それでもう後へ引けなくなりました。
東京モーターショーはバーチャルながらあれこれ記事で
見ていて行く必要もないと思っていたにも拘らず、実車の
迫力には抗し難いものがあるにしても、バカですよね。

でも60も大分過ぎたオッサンが手弁当でモーターショーに
というのも芸がないのでここは一計を案じ、青春同窓会
兼ねることにし、また欲張りなことに先日万博記念公園の
一角にオープンした日本最大級のアメニティ&ショッピン
グゾーンのエキスポシティ見学も実施すべく平尾センセに
ご提案したところ快諾を頂いたので、ますます断れないこ
とになりました。

さて青春同窓会のメンバーですが、このブログにも時々ご
登場頂く、元兵庫県警のコワいお兄さんギーちゃんこと
森本氏と三期後輩ながら卒業後は苦学して公認会計士と
なり、梅田でご活躍されている上山青年!の計4名です。
(何故上山氏が青年なのかについては諸説ありますが
女性の好みがひどく、未だに独身貴族を通されていると
いうのが定説のようです。また異説ながら、フランシスコ
・ザビエルと同等の崇高な哲学をお持ちのゆえに婚期を
逃し今日に至っているという説もあるようですが定かでは
ありません。)

また前からどうも奈良に腕利きのレストア屋さん(旧車の
復刻屋さん)がいるらしいということを聞いていたのでそこ
へも行ってみたいと思っていました。
とにかく平尾センセが寝た子を起こした結果、欲張りてんこ
盛りツアー企画となりました。
DSCN7231.jpg
まずはそのオフネに乗って大阪南港へ到着です。すでに
関西汽船はなくなっていますので現在はオレンジフェリー
という会社が1万トン級の大きな船を走らせています。
(関連記事:終わりなき旅 vol.1:いざ京都へ参照願い
ます)
DSCN7230.jpg
ただ到着が早朝6時なので、船内で休憩していたところ
7時半になってしまい、平尾センセから煽りのお電話を
頂いたので慌てて下船致しました。
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一旦梅田で待合せ、会場のインテック大阪に到着です。
タバコ屋はかつて仕入れ等で頻繁に大阪へ来ていました
が、ほとんどが船場や梅田、難波、新大阪界隈だったの
で、恥ずかしながらこの場所に来たのは初めてです。
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入場前にまずは青春同窓会の記念撮影というところです。
かつてピーター・ポール&マリーが歌っていたフオークソン
グに「花はどこへ行った」というのがありましたが、今回の
場合は「髪はどこへ行った」でしょうか。ただし全員瑞々し
い青春の時代はあったんです。タバコ屋も写ってはいませ
んが、人様のことを言える立場ではございません。

まずは外国車ブースです。マセラティは皆知らんふりして
通り過ぎました。興味なし!やや可哀そうかも。
やはり黒山の人だかりは何といってもPORSCHEです。
ここでポルシェのラインナップについて簡単におさらいし
ておく必要があります。
1.911シリーズ(BOXER-6気筒、3.5/3.8L、RR/4WD)
長きに亘り世界最高峰のスポーツカーであり続けている
ことの証明品、ブランド名は911ですが当初から頭に9が
付くコードネームで呼ばれており最近の呼称は997/991
と言うようです。フェラーリ458/488の天敵。
2.ボクスター(BOXER-6気筒、2.7/3.5/3.8L、MR)
ポルシェ市販車初のミッドシップオープンカー
3.ケイマン(BOXER-6気筒、2.7/3.5/3.8L、MR)
そのボクスターのハードトップ版
4.パナメーラ(V-6/8気筒、3.6/4.8L、3L-HV、FR/4WD)
ポルシェ初の5ドアサルーン、ポルシェ嫌いのポルシェ
5.カイエン(V-6/8気筒、3.6/4.8L、3L-HV、4WD)
ポルシェ初のSUV、ポルシェのお米の種
6.マカン(V-6気筒、3/3.6L、4WD)
SUVカイエンの弟分、2匹目のドジョウ狙い
7.918スパイダー(V-8気筒、4.6L-HV、4WD)
浮世離れした別格のスーパーカー、ラ・フェラーリの天敵

以上をざっと参考にして頂きたいと思います。
DSCN7238.jpg
パナメーラ・ハイブリッドです。ここはあまり人気がなかった
ようです。
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やはり本命は911でしょう。展示車は4Sでした。ということは
このブログにもご登場頂く九州のラーメン王、末永氏のオク
ルマと同一でその最新型ということになります。4Sとは4WD
タイプのことを指します。(最近は997/991等の型式名)
ちなみに末永氏は九州のポルシェクラブに入会され、錚々
たる顔ぶれのお方たちとミーティングやツーリングを満喫さ
れているようです。
(関連記事:荒ぶる心 vol.5:ポルシェのこと参照願います)
DSCN7240.jpg
ポルシェで感心するのは高性能なメカはもちろんですが、
デザインをあまり変えず、リファインしていく方法を採って
いることです。これだと基本は変わりませんから洗練に磨
きがかかるというものです。とにかく実車の無駄のない流
れるように滑らかなラインはうっとりします。しかも控えめ
なデザインなので周りにあまり威圧感を与えません。それ
でいてポルシェであることが一目でわかるアイデンティティ
を備えており、国産車も見習ってほしいですが、もう言い
飽きました。
DSCN7239.jpg
ポルシェのミッドシップスポーツカー、ケイマンです。
911より大きく感じましたが実際は911より若干小さく、
あくまでも911の弟分という立ち位置です。ポルシェの
エントリーカーということなんでしょうが、それにしては
高性能すぎます。
DSCN7244.jpg
ポルシェ、スパイダーのエンブレムが見えますが、要する
にボクスターで、ケイマンの原形たるオープンカーですが
スパイダーとはロードスターのことで、屋根がありません。
DSCN7247.jpg
SUVのマカンのリアビューです。お人が多く、撮影もまま
ならなかったせいかお尻の写真が多くなりました。
マカンとはまた大阪言葉で言えばけったいなお名前で、
タバコ屋に言わせれば、カイエンの弟分のSUVながらも
お値段はマカリマヘンと言っているように聞こえます。
DSCN7247-3.jpg
ちなみにまからないマカンを購入される場合は諭吉の顔
の入ったお札、即ち1万円札を800枚から1,000枚ご用意
して頂く必要があります。
DSCN7245.jpg
ポルシェのブースでご案内係をしていたお嬢さんです。
お嬢さんからはポルシェ911の写真入りカードを頂きまし
たがこの目で見られると、セブンスター10本一度に吸った
くらいクラクラッとなるのはタバコ屋だけなんでしょうか。
ちなみに後方には上山青年が写っていますが、別の方向
を向いています。
DSCN7250.jpg
上山青年がよそを向いていた理由がわかりました。彼は
ポルシェのお隣のボルボが気になっていたんです。
梅田界隈で、公認会計士として稼ぎまくっている?彼は
ボルボを御愛用中です。
DSCN7249.jpg
上山氏はメーカーの担当者を捕まえて何やらマニアックな
質問をしているようですが、担当者としてはもう勘弁と言っ
た様子でよそを向いています。ボルボ後援会梅田支部長
の上山氏に捕まったのが運の尽きです。

DSCN7248.jpg
ボルボS60のリアフェンダー部分です。写真では分かり
づらいですが、ボルボもポルシェ同様基本デザインは
あまり変えずに各部をリファインしていく手法を採ってお
り、現在は中国資本に支配されているとは言え、ボルボ
のアイデンティティは保たれていると思います。
ボルボS60-4
何を隠そう、上山青年同様タバコ屋も最近のボルボは
いたくお気に入りで、シンプルながら塊感がありしかも
品性の漂う佇まいはグッドデザインだと思います。もう
こうなったらスペックなんかどうだっていいんですよ。
ただ写真にはありませんがコクピットは安っぽいです。

それにつけても我がHONDAよアコードよ当初はボルボ
同様の好ましいデザインコンセプトであったにも拘らず
いつのまにかマクドナルドハンバーガーになってしまいま
した。とても残念です。かつての志はどこへ行ってしまった
んだろうか。もう苦言を申し上げる気力もなくなりました。
DSCN7252.jpg
突然ですが、ややこしいオジサンの登場です。可愛らしい
お嬢さんの前に佇むのはご存じ平尾センセなのですが、
長年に亘りミツビシの自称PTA会長兼後援会長を自認し
てきただけに、彼は他のメーカーは素通りしてミツビシの
ブースに足早にやってきました。テーブル上のしゃれたカ
タログを頼まれもしないのに廻りに配る等、さっそく旺盛な
サービス精神を発揮していました。まあ長年連れ添ってき
たミツビシが可愛くて仕方がないのでしょう。
(関連記事:校長先生の青春 vol.2:されどもラリー及び
夏の日の思い出 vol.2:祇園祭の頃及び
終わりなき旅 vol.2:愛車ミーティング他参照願います)
DSCN7257-1.jpg
そのミツビシの自信作アウトランダーPHEVです。いわゆる
プラグイン・ハイブリッドカーで、ガソリン走行はおまじない
程度にて実態はほとんどEV(電気自動車)です。アメリカの
パイクスピーク・ヒルクライム等で鍛えた技術は伊達では
なく、以前にも書きましたが現在世界で最も優秀なPHEV
と言われています。ただデザインが当初ダメだったのです
が、タバコ屋が指摘したせいでもないでしょうが、あわてて
修正しました。これならGOODです。平尾センセも心なしか
やや誇らしげな安心感の表情で立たれています。
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蛇足ながらかつてラリー界でのケンカ友達だったSUBARU
は最近方向転換し、俄然ショウバイに熱心になりだしました。
その意味はメカだけでなくデザインに熱心に取り組み始め
たのです。その結果売れすぎて悲鳴を上げる程になりつつ
あります。真面目なミツビシも自分の身内(三菱財閥)ばかり
に売るのではなく、もっと客の要求が何かを見直す必要が
ありそうです。答えの一つはデザインです。
写真は最近国際ラリーに復帰したワークスカーで平尾セン
セも交流のある増岡選手のオクルマです。それにしても
ややデカすぎるので本当に勝つためにはこれのショートボ
ディスペックが必要だと思います。
(関連記事:東京モーターショー異聞 vol.3:百花繚乱(後編)
参照願います)
DSCN7258.jpg
お隣はタバコ屋お気に入りのアストンマーティンでしたが、
他の3人は全く関心がなく、さっさと行ってしまうので写真を
撮るのもままならず、あせりました。展示していたのは007
のボンドカーで全くの別注品で多分非売品ながら1億円と
かのプライスタグが付いていました。
DB9-17.jpg
こんな浮世離れしたシロモノを乗っていく場所もなく購入出
来もしないのに何故、というご意見があるでしょうが、タバコ
屋はただアストンの造形が非常に美しいため、ただただうっ
とりと眺めていたいだけなんです。
DB9-11.jpg
愚痴になりますが、我がニッサンよフェアレディZよ。このマネ
をせよとは言いませんが、せめてこの妖艶な品性のカケラ
でも模倣したらどうだろうか。今のZデザイン、想像ながら
初代S30Zのデザイナー松尾良彦氏はタバコ屋同様嘆いて
いると思うのです。
(関連記事:好みの基準 vol.7:カーデザイン参照願います)
DSCN7265.jpg
歩き疲れて来たので、2階のレストランでティータイムと
なりました。これは2階へ行くエスカレーターなんですが、
何とカーブしているいるんです。かなり高度なカラクリが
必要だとは思いますが、回転寿司大国のNIPPONのこと
これくらいの技術は朝飯前だと思います。
ちなみに平尾センセはぶっといNIKONの一眼レフカメラを
ぶら下げていますが、彼によると安い方のものだそうで、
そういえば以前京都で動くおもちゃコンテスト訪問時には
もっとゴッツイNIKONをぶら下げていました。
(関連記事:校長先生の見果てぬ夢 vol.1:プロローグ及び
校長先生の見果てぬ夢 vol.2:晴れ舞台参照願います)

彼は何でも凝りに凝るタイプで、NIKONの特別会員さん
でもあるそうです。センセとは比較になりませんが、タバコ
屋などはNIKONでも一番安いクラスのデジカメ持参でした。
でもコイツが意外と便利できれいに写るんですよ。腐っても
NIKONというところでしょうか。
どうでもいいことながら、NIKON一眼レフカメラのデザイン
はタバコ屋のお気に入りジウジアーロ氏です。念のため。
(関連記事:時事雑感 vol.1:ジウジアーロ氏のこと参照
願います)
D4-1-1.jpg
余談ながら、かつてタバコ屋はCANON御用達でした。
CANONの一眼レフも数台使いましたが、デジタルになっ
てから写りが暗くなったので、NIKONに換えました。
ただCANONの名誉のために申し添えますと、タバコ屋が
親しくさせて頂いている神田明神下の、故秋山庄太郎
先生の甥っ子さんでかつての弟子でもあり現在は高名な
フルーツ専門店のオーナーさんでもあるI社長はCANON
党で、そのプロがCANONなんだからタバコ屋の浅はかな
判断は早とちりということではないでしょうか。
DSCN7267.jpg
さてコーヒーでリフレッシュした後、次はニッサンのブース
です。宇宙戦士ガンダムみたいな変てこりんなオクルマが
展示されていました。そのディテールの特徴から察するに
これはGT-Rの近未来プロトタイプということではないで
しょうか。う~ん、いくらタバコ屋が新し物好きといっても
これは新し物ではなくチンケ物です。ああかつてのニッサ
ンの栄光はどこに行ったのだろうか。これではスカイライン
生みの親の故桜井真一郎氏も草葉の陰で涙ぐんでいる
と思います。ただし残念な意味で。
ニッサンブースはこれを見ただけで100年の恋も冷め果て
他の3人も同様の体だったので次へ移動しました。
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我がHONDAのブースにやってきました。思えば古い話
ながら平成3年(1991年)の東京モーターショーで二代目
レジェンドが発表されたのですが、タバコ屋はその実物
を見て、不覚にもディーラーへ行き「これ下さい!」と言っ
てしまいました。
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当時HONDAは鼻息荒く、ローヴァーも買収しようかという
勢いで、アメリカ市場でBMWと決戦すべく二代目レジェンド
を開発しました。結果は惨敗でしたが、タバコ屋はその志
の高さに感動し、つい軽率な行動に出てしまったのです。
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お蔭様で、その恋女房とは20年!も連れ添うハメになろう
とは当時夢にも思いませんでした。ちなみにホイールは
クーペ用純正で、ディーラー泣かせの無理な注文でした。
でも結構スポーティでしょう。フフフ。
どうでもよいことながら、タバコ屋の考えるホイールの
スポークの本数は7~8本がベストでそれ以上でも以下
でもバランスが悪いです。
(関連記事:東京モーターショー異聞 vol.1:20年前の
出来事
参照願います)
DSCN7283.jpg
さて最新のレジェンドです。この記事の冒頭で花はどこへ
行ったと申し上げ、同行の3人(正確には2人)に失礼な
セリフを言ってしまったのでしたが、レジェンドに言いたい
です。「伝説はどこへ行った」と。残念です。何の進歩も
ないです!。進歩と言うのはメカではなく志と品性のこと
を言います。世界の強豪ひしめくプレステージカーの
カテゴリーでこれを本気で売ろうとしているのでしょうか。
情けない気がします。デザインはアメリカ野郎が関わっ
ているだけあって大雑把で大陸的です。もっともアメリカ
で売るオクルマなのでそれで良しと言えば反論のしよう
もありません。
ホンダジェット-3
例えは適切でないかも知れませんが、かつてHONDAの
創業者、宗一郎氏が抱いた大空への夢は50年がかりで
実現されつつあり、まもなくHONDAジェットが発進です。
オネダンは5億円余りだそうですが、このHONDAジェット
を買われる方が、はたしてレジェンドを購入されるだろう
か、大いに疑問です。
(関連記事:零戦の末裔及び
初夢、イノベーションオブザイヤー vol.2参照願います)
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HONDAブースの受け付けはイメージカラーの白でまとめ
清潔感に溢れていました。コーポレートアイデンティティで
ある、THE POWER OF DREAMS と言うのは直訳すれば
「夢の力」でしょうが、意訳すれば「夢を実現するHONDA
パワー」といった意味でしょうか。簡潔で非常にいいと思い
ます。ただ、サブコピーとして「夢を超えろ」というのが各所
に見受けられました。これは自分に言っているのかお客様
に言っているのか、多分前者だと思うのですが、タバコ屋
に言わせれば、夢を超える前に「品性を整えよ!」と言い
たいです。世界のHONDAがあのようなガンダムデザイン
やだらしないデザインで品性を表現するのは無理だと思い
ます。何やかやで、自称HONDA-PTA会長を辞任してしま
ったタバコ屋にはもう苦言を呈する気力がありません。
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ガッカリしたのは、本来ならHONDAの目玉であるNSXを
展示すべきなのですが、どういう訳かレース仕様のNSX
コンセプトを展示していました。これは外観がNSXと同じ
というだけで中身は全く似ても似つかぬ別物だからです。
大阪をなめるなよと言いたいです。
DSCN7280.jpg
唯一救いだったのが、来年発売予定の次世代水素燃料
電池自動車(FCV)のクラリティーが展示されていたこと
です。しかしモウカリまっかの現実的な大阪では皆さん
あまり関心はないようでした。それは尤もなことで定価
750万にて補助金200万差引いても550万もするオクル
マですからおいそれと庶民に手が出るシロモノではない
ですよね。
それにしても左右の縦方向に入った刀傷?(スリット)は
最近ちょくちょく見かけるトレンドですが、機能上必要であ
れば仕方ないものの、単なるデザインであればなくして
ほしいです。
(関連記事:EとHの相克及び
東京モーターショー異聞 vol.5:国産車編参照願います)
DSCN7284.jpg
さて続いてはタバコ屋お気に入りのローヴァーのブース
です。写真はイヴォークですが、落日の英国にあって
お金はないけどお金を出してくれるパトロンさえ現れれば
イギリスは品性と魅力に溢れるオクルマ作りが出来る余
力を残しているんだなと感じます。そのパトロンは皮肉に
もかつての英国の植民地インドのタタモータースと言いま
すから笑えないブラックジョークですよね。
(関連記事:東京モーターショー異聞 vol.6:外国車編参照
願います)
イヴォーク1
ここだけの裏話ですが、かつて我がHONDAがローヴァー
と提携してレジェンドを開発したのは既成の事実ですが、
その後ローヴァーが左前になった時、HONDAに買い取っ
てもらうという話が持ち上がり、寸前のところまでいったの
でしたが、結果はBMWという伏兵が現れ、油揚げをさらっ
て行かれたのでした。歴史にIFはないものの、もしあの時、
HONDAがローヴァーを買収していれば今のようにぶざま
なレジェンドを発売していることはなかったろうと思います。
(関連記事:好みの基準 vol.7:カーデザイン参照願います)
DSCN7287.jpg
ランドローヴァー・ディスカバリーです。レンジローヴァー
は所詮高嶺の花なので、現実的にはいつかはクラウンの
ローヴァー版としてディスカバリーは現実的なチョイスに
なるのではないでしょうか。昔々HONDAがSUVの開発に
手間取り、手持ちのクルマがなかった頃、一時ディスカバ
リーの旧型を売っていたような記憶があります。それでも
現在新車を買うとなると1万円札600枚くらい持っていかな
いと買えません。
DSCN7288.jpg
さてさて次はジャガーです。今世界中のメーカーが血眼に
なって開発しているSUVの元祖はローヴァーですが、誇り
高きジャガーも黄昏の大英帝国にあって食べていけなく
なり、紆余曲折の末ローヴァーと同じくインドのタタモータ
ースに買い取られ、今ではローヴァーとジャガーは同じ屋
根の下で暮らす身となりました。高性能なサルーンとスポ
ーツカーが専門ですが、流行りもののSUVを指を咥えて
見ている訳にもいかず、今回F-PACEを発表しました。
やはりローヴァー同様、お金を出してくれるパトロンが見つ
かれば本来のジャガーらしい優美かつ繊細で高性能な
オクルマが作れるポテンシャルがあり、おそらくF-PACEは
期待を裏切らないと思います。
F-PACE5.jpg
そのコクピットはシンプルかつ近未来的で、デザインセ
ンスは奇をてらったものでなく非常に洗練されていると
思います。
DSCN7290.jpg
ジャガーの本命と言うかドル箱になるであろうXEサルーン
です。平尾センセのご指摘によればフロントグリルに付い
ているジャガーのエンブレムが、グリコのおまけのように
ショボイ感じでプレミアムサルーンとして他に非の打ちど
ころがないと思われるXEだけにやや意外でした。
ジャガーXE-15
ただしリアトランク部には本来の立派なジャガーのマーク
が付いていました。腐ってもジャガーです。リア全体のデザ
インは申し分ないですが、2本のエキゾーストパイプ廻りも
なかなか渋いですよね。
ジャガーXE-30-2
恥ずかしながら、タバコ屋は年甲斐もなくジャガーXEに
ぞっこん状態でジャガーがデザインするとかくも繊細かつ
優美にしかもダイナミックなサルーンが出来上がってしま
うのです。あと20年も若ければ「それ下さい!」と言って
ディーラーに押しかけるところなんですが残念。

もっとも、車格から言えばいわゆるDセグメントで、HONDA
アコードなどが同じクラスです。ああオネダンはかなり違う
もののHONDAアコードよしっかりしろと言いたい。

このデザインを見て頂ければ、いつもタバコ屋が口が酸っ
ぱくなるほど言っている、塊感とか、無駄のないラインとか
ダイナミズムとかの意味がわかって頂けると思うのですが。

架空のお話ながら、もしタバコ屋が自由に使えるお金が
5~6億円あったとしたら、HONDAジェットを買い、空港へ
の行き帰りにはこのXEを使いたいと思います。XJでは
大きすぎます。
DSCN7295.jpg
お待たせ致しました。只今国産車で最も元気なメーカーの
一つ、SUBARUのブースにやってきました。
目玉は限定400台が即座に売れてしまったWRX-STI・207
でした。もう黒山の人だかりでしたが、残念なことにこの
オクルマはお金を持って行っても買えないのです。

究極の見せびらかしですが、ここ最近SUBARUはショウバ
イのやり方がわかってきたようで、元々スバリストと呼ばれ
る熱狂的なファンに支持されてきた独自の技術をもとに、
デザインに随分力を入れアカ抜けたGOODデザインとなり
つつあります。そのせいかどうか「作りたくないけど、客の
方からもっともっと作れと言われて困っています」などとい
う贅沢な悲鳴を上げているようです。
DSCN7297.jpg
SUVの近未来プロトタイプであるヴィジヴです。細部の処
理は漫画チックなところもありますが、基本的な造形が非
常にしっかりしていて、好ましいと思います。
DSCN7298.jpg
出来ればあれこれ変えずにこのままで市販してもらいたい
ところです。ただしドアは、跳ね上げ式でなくフツーの形に
して下さいね。
DSCN7302.jpg
次期インプレッサのプロトタイプです。非常にソリッド感の
あるダイナミックなデザインです。以前の変てこりんなデザ
インと比べると隔世の感があり、最近のSUBARUの大躍進
はやはりデザインの進歩が大きいと思います。オメメの廻
りのデコボコをもう少し整えれば市販OKです。
(関連記事:好みの基準 vol.3:レストアの時代及び
好みの基準 vol.4:品性とダイナミズム参照願います)
DSCN7304.jpg
次はBMWミニです。かつての名車ミニをBMWの資本と技
術で現代に蘇らせ大ヒットとなりました。BMWも相当お金を
注ぎ込んだでしょうが大したものです。
(関連記事:好みの基準 vol.6:セカンドカーのこと参照願い
ます)

それにしてもここ最近、かつての英国の有名ブランドが他
国資本、メーカーの手により次々に復活しています。
オクルマ好きにとっては、資本がどこであれそのブランドが
復活するのは喜ばしいことです。
DSCN7305.jpg
突然ですが、ビックリポンとはこのことで、元兵庫県警の
オジサン、通称ギーちゃんこと森本氏とタバコ屋です。
アメリカ車はジープだけが出品していたと思いますが
モーターショーというよりはどこかの観光地にある記念
撮影のシカケのごとくでした。
DSCN7309.jpg
VWと世界一の座を巡って熾烈な戦いを繰り広げている
我がトヨタですが、今回のVWの排ガスを巡る不正事件に
より、VWが致命的なダメージを受けつつありトヨタは労せ
ずして間違いなく世界一のメーカーとなる見通しです。

思えばタバコ屋の若かりし頃は、東洋の島国のちっぽけ
な国産メーカーたちが欧米に追い付き追い越せとそれこ
そ血の滲むような努力をした結果何と今では世界一とは!
感無量のものがあります。
DSCN7310.jpg
トヨタブースにやってきました。広いスペースはプリウス一
色でした。さてこのプリウス、燃費が何と40km/L!という
驚異的なもので、ショウバイ上手のトヨタは既に予約受付
を開始しておりすでに6万台!もの注文が入っているそう
です。タバコ屋はすぐ計算してしまうのですが仮に一台の
オネダンが300万として6万台ですから1,800億円!が
一瞬で売れてしまっているということになります。
DSCN7307.jpg
さてそのプリウスですが、トヨタはドイツ勢の端正なデザイ
ンに対抗して、近年個性化を図るためプレデター顔やナマ
コボディの変てこりんなデザインを展開していますが、先代
プリウスのまともなデザインからニュープリウスもその変て
こりん路線に一新してきました。まあ予約だけで6万台も売
れているのですから、文句の付けようもありませんがう~ん
このオカオは何ともコメントのしようがありません。

同行の3人も同意見らしくさっさと他のブースへ移動してしま
いました。待ってくださいよ~。
DSCN7313.jpg
トヨタの親戚、ダイハツのブースです。東京モーターショーの
記事でも申し上げましたが。タバコ屋お気に入りのHINATA
が展示されていました。度々くどい話ながら現在の軽自動
車はどれもこれもスペース効率追求のため規格一杯のサイ
ズを使って非常にいびつなデザインとなっています。
その点、このHINATAは久しぶりに縦横バランスのとれた軽
自動車としてGOODデザインだと思うのです。
ヒナタ3
コンセプトが奥様、お嬢様用の普段のスニーカー替わりと
言うものですから無理もないことで、各部にかなり安っぽ
いデザインがされていて一見見逃しがちですが、基本の
ボディはシンプルで無駄がなく、このてのオクルマには
ダイナミックさは必要ないものの、縦横前後のバランスが
大変いいと思います。
★重要記事
ここでダイハツさんへのご提案なんですが、今後我々団塊
世代及びその前後世代は少子化とも相まって急激に人口
構成比を増して総人口の60%は我々世代という恐ろしいこ
とが現実になりつつあります。また若い世代はオクルマ離
れが進行中ですので、いくらメーカーが躍起になって開発
しても元々興味がないので買わないのです。
その端的な一例が最近発表され大人気のHONDA-S660
なんか、若者向けの軽四スポーツカーながら買っているの
はオッサンばっかりという皮肉な現実があります。
DSCN7316.jpg
したがって買うのは高度成長期を経験し、オクルマが
ごとくであった我々おっさん世代なんです。ただしおっさん
もすでに年金受給者、高齢者介護保険適用者と成り果て
つつあり、今さらファーストカーを無理して買うような状況
ではありません。ズバリ売れるのはセカンドカーなんです。
(関連記事:好みの基準 vol.6:セカンドカーのこと参照
願います)
ヒナタ1-1
ダイハツさん、今後の開発の方向を誤らないでください。
キモは60代~70代向けのセカンドカーでそれは軽四で
もいいし取り回しの良い全長4m未満であれば普通車で
もいいんです。またSUVでなければオクルマにあらずとい
うご時勢ですので、車高が高く乗り降りにも便利なSUVの
スタイルとし、奥様、お嬢様仕様とは別個のスポーティな
おっさん仕様を是非開発してもらいたいと思います。
尚、ベースは格好の素材であるHINATAをご使用下さい。
(最近発表されたSUVのキャストは縦横バランスが悪いの
で不可です。)
Z-3.jpg
具体的イメージが湧かない方のために参考写真を公開
します。二代目HONDA-Zですが、マニアックでしょう。
ただし後席下にエンジンがあったので後席がメチャクチャ
狭く荷物置き場程度で実際はまったく売れませんでした。
HONDAの苦い経験から後席スペースを改善して4ドアに
すれば間違いなく売れます。
もし売れなければタバコ屋が責任取ってもいいです。責任
取ると申しましても一台買うくらいしか出来ませんけど・・・。
その時はオメメはロボタン君でなくフツーのオメメにして
下さい。
(関連記事:次の記事の予告 vol.4:未来へ及び
東京モーターショー異聞 vol.5:国産車編参照願います)
DSCN7318.jpg
さて最後は現在国産車メーカーでSUBARUとともに鼻息荒
いMAZDAのブースです。元気なMAZDAだけあって心なしか
受付嬢も超ベッピンさんを揃えていました。またパンフレット
も唯一ブラックの袋入りで、気配りが感じられました。
DSCN7320.jpg
当然ながら黒山の人だかりで、MAZDAの人気の高さが伺
えました。MAZDAは我々から見ると大メーカーですが世界
的には小規模のメーカーで、弱者の戦略は集中化という
ことであり、SKYACTIV技術と、車種をSUV及びスポーツカ
ーに絞り込むことで、大成功を収めつつあります。写真は
SUVのCX-3だったと思うのですが、とにかく大混雑でろくに
見ることも出来ませんでした。
DSCN7322.jpg
只今世界中で絶賛を浴びつつあり、先日のCOTY主催の
2015年カーオブザイヤーの栄誉にも輝いたロードスター
です。今回のショーでも一番の人だかりだったのではない
でしょうか。MAZDAは若い人にも買って貰いたいでしょうが
実際「これ下さい!」とディーラーに駆け込むのは皮肉にも
おっさんばっかりなのです。
MAZDAもSUBARU同様、躍進の要因の一つはデザインの
大幅な向上です。鼓動というテーマでダイナミックで塊感の
あるデザインを採用してから、俄然売れるようになりました。
結論としては揺るぎないメカ=技術+魅力的なデザイン
このどちらが欠けても成功しないということです。
SUBARUとMAZDAはその成功方程式にやっと気付いたと
いうことでしょうか。まだ気付いていないか、勘違いをして
いるHONDA、ニッサン、ミツビシ、etc諸君、早く気付いて
下さい、お願いします。
DSCN7323-1.jpg
一点サプライズです。今回どう言うわけか、大阪府警さん
のブースがあり、お仲間の元兵庫県警ギーちゃんは親しく
お話をされていたようでしたが、やおら府警さんの帽子を
お借りしてパトカーの前で記念撮影となりました。
若い頃から太宰治のごとく憂いを含んだお顔でしたが、
お年を召してもそれは変わらず、タバコ屋としては笑いを
こらえておごそかに敬礼を奉じることに致します。

この後は4人とも疲れ果ててしまい、他のメーカーに立ち寄
る気力も消え失せ、見学はこれで終了となりました。おなか
も減ったことにて、お隣のハイアットホテルに移動し、きつね
うどんが好きなタバコ屋にはやや似つかわしくないイタリアン
レストランで遅い昼食となりました。青春同窓会にて話は尽
きないものの、これをもってとりあえずのお開きと致しました。

紙数も尽きたようなので、今回はこれにて終わりますが、
その後続いて万博会場跡地に出来たエキスポシティーの
見学を試みましたので、その様子は次回の記事でご紹介
したいと思います。長時間のご精読有難うございました。

★★島のタバコ屋の独り言★★
【4月10日:ああ創業100年】    島のタバコ屋は先々代が呉服屋を創業以来3代目となり、その間戦後間もない頃には島のバス運営事業を試みる等様々な営みを経て今日に至っています。皆さんよくご存知のNIKONも創業100年なんですが、比較にはならないものの同じ時代を生きてきた訳です。かつてオハイオのメアリーズビルで活躍する夢を抱いたこともあった青年も年を取りました。さて今後の100年をどのように生きて地域のお役に立っていくか、タバコ屋にとっては後継者である倅への「死に土産」としてそのコンセプトを確立しておく必要があると考えています。しかし倅にとっては年寄りの余計なおせっかいに写るかも知れませんよね。
◆◆島のタバコ屋メニュー◆◆
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