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今出川慕情 vol.7:野尻君の愛車遍歴

平成29年3月11日
オーティスケリー先生2
突然の古い写真で恐縮ながら、これはタバコ屋が同志
社大学自動車部に入部した昭和44年(1969年)から恐
らく卒業した昭和48年(1973年)春までの4年間、自動
車部の部長先生を務めて頂いた、オーテス・ケーリ先生
なんですが、もしそれが事実であれば、タバコ屋の同期
はケーリ先生と共にあった訳で、今となっては言葉には
表せないご縁の不思議を感じます。

またケーリ先生は学生の寄宿舎であったアーモスト館
の館長も拝命されており、そこは俳優の二谷英明先輩
等を輩出した由緒ある施設でした。(ケーリ先生がお亡
くなりになった後、現在は学生の寄宿舎としての使命を
終え、主に外国人研究者の長期滞在用の宿泊施設とし
て再利用されているようです)
(関連記事:京都・宇治・巡礼 vol.1参照願います)
DSCN8336.jpg
さて、今から4年前の平成25年(2013年)10月に同志社
大学自動車部創部80周年大会がありましたがそれより
やや早く前年にアーモスト館も80周年を迎えていました。
ケーリ先生が関わった二つの歴史の営みが、奇しくも
同じ年月を刻んで来た訳です。

ところでアーモスト館80周年の1年前平成23年(2011
年)のことながら、一期後輩のヘータこと井村氏は久し
ぶりに上洛を果たし、醍醐寺や哲学の道の桜がお目当
ての散策を終えた後、懐かしい今出川キャンパスに立
ち寄り、アーモスト館にも足を伸ばしました。そこで偶然
にもケーリ先生のお嬢さんであるベスさんと初対面遭遇
し、知己を得ることとなりました。尚、ケーリ先生の3人の
お嬢さんのご長女であるベスさんはアメリカ在住ながら
その時たまたま帰国しアーモスト館に滞在されていたそ
うで、双方が偶然ながらもまさに奇跡的な出会いだった
と申せましょう。この写真はその時の奇跡の瞬間を井村
氏から送って頂いたものです。
DSCN3444-2.jpg
ただ一部の読者の方は初対面の井村氏は何故その女
性がベスさんだと分かったのか、不思議に思われるで
しょうから、そのいきさつをご説明しますと、アーモスト
館の前を歩く年配の外人男性と若きLADYを発見した
井村氏はその男性がてっきりケーリ先生と思い込み、
とっさに「君の名は」とは言わなかったようですが、つた
ない英語で「私は元自動車部員だった者ですが、ケーリ
先生ではないでしょうか?」と尋ねると横のLADYが「父
は5年前に亡くなりました」と日本語で仰ったので、ああ
先生は既に亡くなられており、目の前にいらっしゃっる
のがケーリ先生のお嬢さんであることがわかったという
次第なんです。ちなみにベスさんは日本人男性とご結
婚されており日本語が堪能であるのも頷けます。

その後井村氏はケーリ先生及びベスさん繋がりで次女
のアンさんやアーモスト館OB会(DAC)のお世話をされ
ている吉﨑さんと知り合いになりました。その吉﨑さん
より両部を結び付ける重要生き証人として、井村氏に
アーモスト館80周年記念OB会報への執筆依頼があり、
その時のいきさつを寄稿されたようです。こう見えても
井村氏はかつて高砂の神童と言われ、学園紛争による
入試の中止がなければ東大に軽く合格したであろうと
言う逸材だったそうですが、残念なことにそれは彼自身
が語った言葉にて信憑性がやや疑われます。

ついでながら井村氏には心秘かにアーモスト館に対す
る憧れと入寮願望があったらしく、どのような事情があ
ったかは存じませんが結果的には果たせなかったもの
の、一連のアーモスト館との数奇な!ご縁もそのような
心情が背景にあったのではないかと推察されます。
(尚、井村氏の愛車遍歴に興味のある方は、
アウディな人 vol.1:高砂での出来事参照願います)
オーティスケリー先生4-1
その後話は更に進展し、そのOB会報へ「ケーリ先生の
思い出
」の執筆依頼が、こともあろうにタバコ屋のところ
に来たのです。丸投げが得意種目のタバコ屋にとっては
井村氏より逆丸投げをやられた訳で、しまったとは思い
ましたが、我慢強く忠誠心の厚いタバコ屋のこと、そこは
耐えて寄稿させて頂きました。

蛇足ながら、その記事が掲載されたOB会報(DACニュ
ース72号)は80周年大会時に吉﨑さんのご好意でOB
諸氏に配布しましたので、ご記憶の方もいらっしゃるの
ではないでしょうか。
(関連記事:終わりなき旅 vol.3:宴のあとさき参照願い
ます)
DSCN5967.jpg
それ以来、共通の師と思い出を共有していることから
吉﨑さんとは急速に親しくさせて頂くことになり、一昨年
はタバコ屋の一期後輩の福ちゃんこと石川女史及び吉
﨑さんのご親友の中山氏と吉﨑さんご夫妻の計4名で、
名も知らぬ遠き島「中島」にご来島頂く等、親密な交友
が続いています。
(関連記事:東京大紀行 vol.4:ウォーターフロント参照
願います)
オーティスケリー先生3
ケーリ先生はお爺さんが同志社大学で教鞭を取られた
同志社ゆかりのご一家なんですが、お父様が宣教師だ
ったため、幼少時代を北海道小樽で過ごされ、青い目
をした日本人ではありましたが、日米開戦となり一旦は
帰国し、USネイビー情報将校として日本通のドナルド・
キーン氏とともに日本軍捕虜への対応をし、戦後はご縁
の同志社大学に教授としてご奉職、以来終生同志社の
ために尽くされました。
(関連記事:今出川でのこと vol.1及び
札幌紀行 vol.2:小樽へ参照願います)
ケイトねえちゃん
この写真はケーリ先生の愛車ケイトねえちゃん7号の前
でのもので、戦後いち早く軍用ジープで幼いベスお嬢ち
ゃんを伴い北海道遠征を敢行する等、カーマニアでもあ
りました。ケーリ先生はオクルマに愛称を付けるのがお
好きで、それには必ずケイトねえちゃんの愛称が付けら
れました。ケイトねえちゃんネーミングのいきさつについ
ては別記事にて詳しくご紹介しているので今回ははしょ
ります。先生はカーマニアではあったものの、オクルマ
自体にのめり込むタイプではなくあくまでも生活をエンジ
ョイするためのツールとして割り切るというタイプでした。
(関連記事:大阪・京都・奈良・巡礼 vol.2参照願います)

そのケーリ先生が、自動車部の部長先生をして頂いて
いた頃、クラブへ寄稿された文章が残っていますので
抜粋させて頂くと、
「クルマが社会の貴重品だった時代は、自動車部という
ものはクルマ自体を動かすということに意義があり、一
種のステイタスのようでもあったでしょうが、これからは
もっと他のことで若い人が共通の何か目的を持って自
動車部を楽しんでいく必要があるでしょうね・・・。」
今読み返しても示唆に富んだお話だと思います。
タバコ屋達はそのケーリ先生の願いを実現出来たので
しょうか・・・。自問する必要はあると思います。
D:クラーク記念館2
さて長い前置きとなりましたが、野尻君の青春に戻りま
す。思い出深い今出川での4年間を過ごした野尻青年
でしたが、ふるさと福井に帰りご実家のコンクリート製品
製造業に携わることになりました。
S30Z-13-1.jpg
いきなりビックリポンな写真ながら、これは野尻君が親
戚の叔父さんちへ恐らく婚約の報告に行った時のもの
だと思われます。当時としては超モダンなS30Zの前で
写されているのは叔父さん夫婦だそうで、ラリー仕様Z
の勇姿もさることながら、元ゴフク屋のタバコ屋としては
叔父さん夫婦のファッションが気になったんです。

後日注釈:実は当初野尻君からお預かりした写真は、
横に伸びた形になっており叔父様夫妻が実際よりずん
ぐりした体型になっていたので、何とかして差し上げた
いと思い、丸投げが得意種目のタバコ屋は平尾センセ
に丸投げ依頼したところ、見事に復刻!してくれました。
平尾センセには誌面をお借りしてお礼申し上げます。)

今の若い方や、当時タッセル・スリッポンで新宿界隈を
のし歩いていた上山青年などはかなり違和感があるか
も知れませんが、タバコ屋にとってはお正月など、押し
なべてこういうファッションが一般的でした。

若干の解説を試みますと、叔父さんはU首のメリヤス下
着の上に長襦袢という下着を着て、その上にウール又
は正絹(しょうけん)=シルクのアンサンブル(羽織+着
物)の上着を着用し多分角帯に黒足袋+スリッポンなら
ぬ桐下駄という出で立ちです。
また奥様はこれまた正絹の小紋または付け下げ(フォー
マルウエア)に袋帯を締め、和装用のバッグに「君の名
は」の氏家真知子もご愛用だった毛糸のショール、白足
袋に草履という出で立ちです。

ここだけの話しながら、超近代的なS30ZとNIPPONの
トラディショナルな衣装との組み合わせが何とも可笑し
く、あえてご紹介させて頂きました。飲み意地の張った
タバコ屋が気になるのは赤いお嬢さんのボンネット上
にある清酒の一升瓶と風呂敷包みなんですが、恐らく
野尻君が叔父さん夫婦に持参したお土産だったのでは
ないでしょうか。
ヂャイアント号1
ちなみにその叔父さんは若い頃、島のタバコ屋の先代
が終戦後間もない昭和28年から昭和33年まで経営して
いた島のバス会社で運行していた「ヂャイアント号」を作
っていた愛知機械(後のコニー)にお勤めだったそうです。
ご縁はわからないものですよね。
(関連記事:異説:007私を愛したスパイ参照願います)
ヂャイアント号資料1-3
その野尻君も良きご縁があり、地元のご親友との繋が
りで現在の奥様と一目惚れ電撃結婚を敢行されたとお
聞きしていますが、デートに際しそれまで得意絶頂で乗
っていた高貴なお名前のフェアレディZながら彼女にとっ
てはすこぶる評判が悪く、かつての鈴木女史のように
「こんなんあかんえ!」とか「乗り心地硬いのいやや!」
とか言われたのかどうか、あれほど愛したフェアレディZ
を泣く泣く手放したとお聞きしています。

老婆心ながら、デートに際し、S30Zでは巨大なフロアト
ンネルのせいで、彼女の手をそっと握るのが精一杯で、
それ以上のエスカレートしたアクションなんて到底無理
なお話しです。やはりデートはキャデラックなんですよ、
野尻君!。
(関連記事:今出川慕情 vol.3:野尻君の青春1及び
今出川慕情 vol.5:野尻君の青春2参照願います)
愛車遍歴2-1 愛車遍歴3-1
その後、TOYOTAランクル、ミツビシJEEP、とワイルド
カントリーライフをテーマとしたオクルマを乗り継がれる
のですが、野尻君の会社がコンクリート製品を扱う会社
なので山間部の工事現場等に出かけることも多かった
のではないかと推察されます。ま、何はともあれ野尻君
の壮大な愛車遍歴はこのあたりから始まるのでした。
愛車遍歴4-1
写真は黄色のSUBARUレオーネツーリングワゴンです。
ターボに乗ってみたくてご購入されたようです。冬はレオ
ーネ、夏は奥に停泊している彼(または会社?)のクル
ーザーヨットでブイブイ言わせたらしく、卒業後もボンビー
生活を送っていたタバコ屋と比べると月とスッポン程の
差があります。
蛇足ながら、この写真を見たらSUBARISTの上山青年
なんか泣いて喜ぶのではないでしょうか。上山君、泣く
のはいいけど、机叩いてまで泣かないように。
アコードハッチバック3
余談ながら、その頃は丁度タバコ屋が島に還った頃だ
と思うんですが、当時タバコ屋はHONDAがお気に入り
で自分のなけなしのお給料で初めて買ったのが野尻君
のレオーネ同様黄色のHONDAアコード・ハッチバック
CVCCスペックでした。当時黄色は斬新で結構流行りま
したよね。
愛車遍歴5
当時京都帰りの舶来品として福井では結構目立つ存在
だったであろうと推察される野尻君の次なるテーマは
キャンピングカー」でした。恐らくケーリ先生がそのこと
を聞けば泣いて喜んだであろう「オートモービルのある
トラベル生活」というアメリカ発祥の新しいライフスタイル
です。ご購入されたのは三菱オタクの平尾先輩が聞け
ばケーリ先生同様大いに喜んでくれたであろう三菱スペ
ースギアでした。
愛車遍歴5-1
今でこそキャンピングカー、百花繚乱のご時勢ですが、
当時としては野尻君なんかそのハシリだったのではな
いでしょうか。まあオトナのママゴトの延長ながら、すべ
ての新しいイノベーションはママゴトから始まるんです。
P1070664.jpg
野尻は野尻でもタバコ屋世代にとっては「坂の上の雲」
の存在である、京都在住の野尻先輩(OB会副会長)の
場合は、同志社大学自動車部創部80周年大会の目玉
イベントであった、「愛車ミーティング」に於てご自分で
は愛車メルセデス・BENZを出すべきか、それともお気
に入りのNISSANシビリアン・キャンピングカー特別改造
スペックを出品すべきか、かなり迷われたようです。
(ちなみにそのオクルマはありとあらゆる情報機器+贅
沢装備満載でフロントシートは何とRECARO!でした)
IMG_3375.jpg
富永君どうやろか?と仰るので、その実行責任者であ
ったタバコ屋は迷わず申し上げました。「野尻副会長、
僭越ながらかつてのオーテス・ケーリ先生のご遺志に
より、是非キャンピングカーのご出品をお願いします」
と。タバコ屋は今でもその時の「愛車ミーティング」に於
いて、野尻先輩のキャンピングカーは自動車部の示す
ニュー・ライフスタイルについてのプレゼンテーションが
果たせたと思っています。タバコ屋としても卒部40年以
上を経てケーリ先生の思い描いていたオクルマのある
楽しい生活
というライフスタイルを少しでも現実化出来
たと自負しています。

しかしまあ、大人のママゴトもここまで来ると、もうハイソ
サエティの高貴なご趣味となり、そうでなくともタバコ屋
にとっては「坂の上の雲」のお人であった野尻先輩は、
いよいよそのまた上のゼウス(神)という存在になりつ
つあります。
(関連記事:終わりなき旅 vol.2:愛車ミーティング参照
願います)
愛車遍歴6
野尻君の愛車遍歴に戻ります。その後野尻君もかつて
明治期の大日本帝国陸軍が新興の強国ドイツに憧れ
たように、質実剛健のメルセデス・BENZに傾倒していく
ようになりました。写真は3Lのメルセデス・BENZ-Eクラ
ス・ステーションワゴンですが、左ハンドルだったゆえ、
またもや鈴木女史でもあるまいに「こんな変な位置の
ハンドルいやや!」とか言う奥様の大ブーイングに会
い、あえなく手放したという苦い思い出を持たれている
ようです。
愛車遍歴7
仕方なく乗り換えたのが写真のBENZ・S320だったそうで、
排気量は似たようなものながらEからSへとご出世されま
した。右ハンドルにしたまでは良かったもののしかしまた
もや奥様からのブーイングで「こんなデカイのいやや!」
とか言われて、またもや手放すという悲劇に見舞われま
した。ちなみに野尻君が購入されたのは、3代目のSクラ
スだと思われます。

野尻君、老婆心ながら申し上げておきます。大和撫子は
毛唐は嫌いなんです。そんなけなげな奥様に何故最初
からフツーのNIPPON製のオクルマをご用意して差し上
げなかったのかと思います。たとえばTOYOTA製の足の
いい奴「カリーナ・セダン」とか。千葉ちゃんのCMもさるこ
とながら、タバコ屋は好きなオクルマでした。
2代目Sクラス7-1
タバコ屋はメルセデス・BENZのオーナーになったことは
ありませんが、親戚のおじさんがBENZオタクでSクラス
以外は目もくれないような方でしたから、横に乗せてもら
う機会は多くありました。

余談ながら、タバコ屋が過去現在とも最もお気に入りの
メルセデス・BENZは2代目のSクラス5Lサルーンで、当
時世界各国のV・I・P御用達のオクルマでしたよね。
塊感と存在感のある重厚なボディは無駄なラインがなく
意外とシンプルで、しかもラジエーターグリルなどにシル
バーメッキを多用することにより、BENZのアイデンティ
ティを上手に表現しています。今でもプレステージサル
ーンはこうあるべきだと思います。特にHONDAのデザ
イナー諸君、今のレジェンドなんてかつてのタバコ屋の
愛車ながら、嘆かわしいデザインにて、宗一郎氏がご
存命なら「やめちまえ!」と怒鳴っているはずです。

ただ残念なことは、お金があればこれを誰でも買えると
いうことで、中東の王族が金にあかせて特別仕様のSに
乗るのはご愛嬌にしても、今世界中の鼻つまみ者であ
る北朝鮮の元指導者の故金正日(キムジョンイル)が御
愛用だったことなどは、タバコ屋にとっては極めて苦々
しい過去の出来事です。
(関連記事:東京モーターショー異聞 vol.6:外国車編
参照願います)
愛車遍歴8
「いつかはクラウン」というのは高度成長期に誰しも思い
描いた理想のオクルマ購入パターンでしたが、野尻君
の場合も「いつかは5LのBENZ-Sクラス」という夢があり
ました。その夢は以外にも早く叶ったようで、今度は二
度と奥様のブーイングを食らうことのないよう周到に右
ハンドルでメタルトップのBENZ-SL500を見つけ、格安
で購入されたようです。
愛車遍歴8-1
野尻君はこれで理想の桃源郷にたどり着いた訳で、用
もないのにメタルトップを開けたり閉めたりして子供じみ
た喜びを満喫していたものの、さらに落とし穴が待って
いました。今度はよもやまさか、奥様は「こんな税金の
高いのいやや!」というブーイングによりまたしても手放
さざるを得ないはめになりました。こうなるともうBENZに
よる妙なる悦楽どころか地獄のBENZ選びですよね。
愛車遍歴8-3
その間、三菱パジェロ・ミニやNISSANテラノ等、つまみ
食いをされた後、どさくさまぎれと言いますか、野尻君
ご乱心と言いますか、あれほど質実剛健、信頼性の塊
であるかの如きメルセデス・BENZを愛用されていたの
に、ある日突然香里体育ハウスの思い出が蘇ったのか
どうか、一度ローヴァーに乗ってみたいと思うようになり
ました。
(関連記事:今出川慕情 vol.5:野尻君の青春2参照願い
ます)
愛車遍歴9
購入したのはローヴァー・フリーランダーでローヴァー社
の中ではコンパクトで取り回しの良いオクルマであった
筈なんですが、野尻君の場合はアタリが悪くてエンジン
廻りで次々とトラブルが発生しこれも泣く泣く手放したと
いうか返品したと言うか。短い同棲生活だったようです。

それにしても007に出てくるようなゴッツいフロントマスク
は今にもそこからマシンガンが出てきそうで軍用車の様
でもあり異様です。オプションだったのでしょうが、タバコ
屋は初めて拝見しました。
ローヴァー3500-3
タバコ屋にとってローヴァーというブランドは格別の響き
を持っています。その理由はかつて我がHONDAがロー
ヴァーと提携関係にあったからです。ローヴァーというメ
ーカーは戦時中は戦車等の軍用車両を作っていたので
すが戦後はアメリカのジープに刺激されランドロ-ヴァー
なる元祖SUVを開発し、その後上質なサルーンやレンジ
ローヴァー等の高級SUVを生産し英国王室御用達のメー
カーとなりました。

余談ながら当時カーグラフィックの編集長をされていた
小林彰太郎氏は大の英国車贔屓でローヴァーのサル
ーンを絶賛するとともにご自身の愛車もローヴァーV8・
3500でした。
(関連記事:時事雑感 vol.8:とと姉ちゃんのこと参照願い
ます)
初代レジェンド7-1
しかしその後、怒涛のようなNIPPON車、ドイツ車の攻勢
に押しまくられ倒産の危機に瀕しましたが昭和54年(19
79年)に当時破竹の勢いだった我がHONDAと資本及
び技術提携し、ドマーニ、クイント、さらには集大成とし
て満を持して開発していた初のプレステージサルーンで
ある初代HONDAレジェンドの開発に主導的な役割を果
たし、その結果当時のNIPPON高級車とは一線を画する
ヨーロッパの香りのする国産車が誕生したのでした。

タバコ屋はこのようなオクルマが買える身分ではありま
せんでしたが、「HONDAの志やよし!」としてディーラー
に押しかけ、無謀にも「このクルマ、下さい!」と叫んで
しまったのでした。それ以来自称HONDA-PTA会長とし
て、20年もレジェンドを乗り継ぐとは夢にも思いませんで
した。バカですよね。
(関連記事:好みの基準 vol.7:カーデザイン及び
好みの基準 vol.2:愛車変歴参照願います)
愛車遍歴10-2
さてメルセデス・BENZを中心に様々な愛車遍歴を重ね
てきた野尻君ですが、近年は不惑の年からさらにロマン
スグレーのお年となりつつあり、オクルマ選びも落ち着
いて来て、浮世離れしたものからは遠ざかりつつありま
す。写真は現在お乗りになっているメルセデス・BENZ
Eクラス2.4Lステーションワゴンで、現役社長がオーナ
ーとしてお乗りになるのには極めて妥当だと感じます。
またもや老婆心ながら、いいお年ですのでAMG欲しい
などと言って奥様を困らさないで下さいね。
愛車遍歴11-3
またセカンドカーとして、BENZのチョロQことスマート・
フォー2にお乗りで、フツーのお方はベンツのマークが
付いていないため分かりづらいでしょうが、れっきとした
BENZなんです。
IQ-1.jpg
TOYOTAにもスマートと全く同じコンセプトでIQというの
がありますが、そら存在感から言って圧倒的にスマート
フォー2だと思います。その意味でマニアックなセカンド
カーのご趣味ですよね。
シグネット1
尚、蛇足ながら高級スポーツカーメーカーであるアストン
マーティン社は、何を思ったのかよりによってこのTOYO
TA・IQをベースにシグネットというシティカーを開発し販
売しています。メカはIQですがお顔はアストン顔でそれ
なりに高級感を演出しています。最近ではMAZDAロー
ドスターをベースにFIATが124スパイダーというのを発
売しましたが、それと同じ手法です。ただ違うところは
シグネットはアストンマーティン社が仕上げを行うのに
対し、FIATはMAZDAに対し、タバコ屋の得意技である
丸投げをしていることです。
愛車遍歴12-1
それ以外にもサードカーなのかどうか、BENZ・A180も
所有されているようで羨ましい限りです。その内メルセ
デスBENZ・JAPANから表彰状が届くことはほぼ間違
いないと思います。
ディスカバリースポーツ9
最後になりましたが、かつてローヴァーで大やけどをさ
れているだけに、やや申し上げにくい事ながら、BENZ
も乗り尽くしたと思われるので、雪深い北ノ庄福井で乗
られるのであれば、この際ローヴァー・ディスカバリー
スポーツあたりにチャレンジされてはいかがかなとも思
います。
ディスカバリースポーツ5-3
雪国では必需品の4WDは元祖SUVメーカーゆえ当然の
ことながらも、タバコ屋が気に入っているのはかねてより
主張している「ダウンサイジングすべし!」のコンセプト
にぴったりな2L・ターボ仕様だからです。240馬力ありま
すから普段の使用には十分ではないでしょうか。
ディスカバリースポーツ6-1-2
手前味噌で恐縮ながら、タバコ屋は品性漂うコクピット
が大のお気に入りで、安らぎと癒しを感じるのです。
親鸞も蓮如も果ては日蓮上人だってここまでの癒しの
世界のプレゼンテーションは創出出来なかったと思い
ます。それにしてもああ国産車よ、デザイナー諸君よ、
何故このような凛とした品性の漂うハイクオリティな
コクピットをデザイン出来ないのか!。タバコ屋は残念
でなりません。
(関連記事:品性とダイナミズム vol.2:NSXどうやねん
参照願います)

蛇足ながら、同志社大学自動車部OB諸氏の中にも
何人かはローヴァーオーナーがいて欲しいものです。
だってタバコ屋の古くからのお取引先である芦屋の
いかりスーパーさんなんか駐車場にゴロゴロ停まって
ますから。
後日追加
この記事を投了した後、タバコ屋の古くからのお取引先
でオクルマで言えばメルセデス・BENZ-Sクラスやレンジ
ローヴァーを専門にお売りになっているような東京の一
流フルーツ専門店の社長さんから写真付きのお便りを
頂きました。それはビックリ仰天の内容でした。
069.jpg
何とそこに写っていたのは、ランドローヴァー・ディフェン
ダーでした。皆さんピンと来ないでしょうが、ローヴァー
は元々大英帝国陸軍御用達の軍用車両メーカーであり
戦後ジープの影響を受けてランドローヴァーなるSUVを
開発したことは既に述べましたが、その進化系と言いま
すか、かつて野尻君が灼熱の香里体育ハウスグラウン
ドで汗水流してフィギュア競技の練習をした、あのランド
ローヴァーの末裔がこのオクルマなんです。

2015年(平成27年)に生産終了されるまで67年!の長
きに亘り生産され続けたガラパゴスなオクルマですが、
幸運にもその社長さんは製造末期の2012年(平成24
年)頃に直輸入にて入手されたようです。それにしても
タバコ屋がローヴァーのお話をあれこれするものです
からエールの意味で写真をお送り頂いたのではないか
と推察されます。
069-2.jpg
かつてドイツのメッサーシュミットやV2ロケットによる怒
涛の攻撃でスピットファイアによる絶望的な戦いを挑ん
だ大英帝国ですが、パトロンのアメリカの参戦と絶大な
バックアップによりかろうじて薄氷の勝利を得た、アング
ロサクソン・グレートブリテンの意地と誇りがこのディフェ
ンダーという勇ましいブランドとフロントグリルにも感じら
れると言えばタバコ屋の考えすぎかも知れません。
ステッカー01 ステッカー04
尚、その社長さんと言うのはお茶目な方で、何とご自分
でオリジナルのステッカーを作ってはボディのあちこちに
貼られているようです。間違いだらけならぬ「楽しみだら
けのステッカー選び?」皆さんもやってみてはいかがで
しょうか。長年に亘り自称HONDA-PTA会長を拝命して
きたタバコ屋などはPOWERED BY HONDAというステ
ッカーを後生大事に今でも硬く握り締めています。貼る
べきオクルマとて今は無いのに、もうバカですよね。
DSCN6805.jpg
蛇足ながら、その社長さんというのは懐かしいWEBER
キャブの時代からオクルマに親しんで来た、タバコ屋世
代の感性と合い通ずるオクルマのエンスーで、公認会計
士の上山センセ同様、熱烈なSUBARISTでもあり、ちな
みに現在のアシは泣く子も黙るSUBARU・WRX!です。

誰も知らないことながら、数十年前には名も無き瀬戸内
海の島へ行幸頂き、ご一緒に遊んだ懐かしい思い出も
あります。
リゾート風景1(ミリアム)
それにしても野尻君の初恋のオクルマ、初代NISSAN
フェアレディZはもう野尻君の地元の日本自動車博物
館とかいった特別の場所でしか見ることが出来なくなり
つつあります。しかしある内部情報によれば、例外的に
瀬戸内海の名も無き島で、かつての赤いお嬢ちゃんの
残影を垣間見ることが出来るかも知れないそうです。
後日追加
その日本自動車博物館を近々訪問予定なんですが、
事前に展示車両リストを見ると、フェアレディZが載って
ないのです?。もしそれが事実とすればあとは神奈川
の日産座間工場跡地にある日産ヘリテージコレクション
(旧、日産記念車車庫)か、瀬戸内海の名も無き島を訪
れるしかないと思います・・・。
フェアレディZG-1
終わりにあたり上山青年と野尻青年には次の言葉を捧
げたいと思います。蓮如上人のパクリながら、
寂しくば、今出川と唱うべし、我ら同釜は三文字の内
にこそ住め
」  
(作者注:三文字はみもじと読みます)

長きに亘った野尻君の青春オデッセイアもこれをもって
終わりにしたいと思います。7編に亘り辛抱強くご精読
頂いた読者の皆様に感謝申し上げます。タバコ屋も
さすがに疲れました。少し休みます。

今出川慕情 vol.6:野尻君の青春3

平成29年3月8日
青春のカケラ
さて北ノ庄福井から上洛した野尻青年も地獄の1~2回
生を経験し、花の3回生幹部となり青春絶頂期を迎えよ
うとしていました。その後はアルバイトをしない限り収入
は仕送りに頼らざるをえないにしろ、部内においては過
酷な幹部生活からも解放され、お殿様生活が味わえる
4回生の後期を残すのみとなります。
自動車部、贅沢などは望みもせぬが、せめて成りた
や4回生
」という句があるように、卒業までの一瞬ながら
上げ膳据え膳、夢心地のクラブ生活が待ち構えている
のです。ちなみにその句は誰の作かですって?、何を
隠そうタバコ屋の自作です。
高石かつ枝4
突然の写真で恐縮ながら、元青春スターの高石かつ枝
さんです。かつ枝さんは昭和37年(1962年)コロムビアレ
コードから「旅の夜風」でデビューしその後「林檎の花咲
く町」の映画化では主演及びその主題歌を歌い大ヒット、
60年代を代表する青春歌謡歌手の一人になりました。
高石かつ枝9-1
昭和39年(1964年)にはその前年、不滅の学園ソング
「高校三年生」で衝撃のデビューを果たした我らが舟木
一夫さんとデュエットで「東京新宿恋の街」をリリースす
る予定でしたが、かつ枝さんは日本クラウンに引き抜か
れたためこの夢の企画は没となり舟木一夫さん単独で
歌うこととなりました。ちなみに舟木一夫さんの数多くの
ヒット曲の中でタバコ屋が最もお気に入りはこの曲です。
しかし残念なことにこの曲はCDにもカラオケ店にも残っ
ておらず、今やマイク片手にほろ酔い気分で歌うことが
出来ないのです。
(関連記事:荒ぶる心 vol.5:ポルシェのこと参照願い
ます)
高石かつ枝1
高石かつ枝さんはタバコ屋より4つ年上のお姉さんなん
ですが永遠の美女夏目雅子ちゃんとはまた違ったやや
親しみのある顔立ちでしかも何ともいえぬ優しさとほの
かな品性を備えており、恥ずかしながらタバコ屋の最も
お気に入りの青春スターの一人です。

タバコ屋なんかその目で見つめられると、ハイライト10本
吸ったくらいクラクラが来てしまうので、かつ枝さんあまり
タバコ屋を見つめないで下さい。

かつ枝さんはその後、タバコ屋が同志社大学自動車部
に入部する以前に数々のヒット曲を出しましたが、その可
憐さとトップスターだったゆえに吹原産業事件と言う政治
スキャンダルに巻き込まれ、不遇な後半生を送り引退さ
れました。タバコ屋に一言ご相談頂ければ名も知らぬ遠
き島「中島」にかくまって差し上げたのにと思うと今でも心
が痛みます。
高石かつ枝2
タバコ屋は何を喋っているのかわからなくなりそうですが
そのときめきのヒロイン、高石かつ枝ちゃんが歌った
夢見る頃」という歌がタバコ屋のお気に入りなんです。
ちなみに一番の歌詞をご紹介しますと、
「♪あの頃、その頃、楽しい夢の日~
輝く瞳に若さが一杯、若さが若さが一杯~
喜びも悲しみも共に泣いたり笑ったり~
みんな良かった~、みんな良かった~」
何ともまあ乙女チックな青臭い歌詞ではありますが、
上山青年や野尻青年、はたまたタバコ屋世代が過ごし
た今出川での4年間は「♪喜びも悲しみも、過ぎてしまえ
ば懐かしい~」夢の日々だったのだと思います。
大阪産業大ラリー2
さてまたもや突然の写真で恐縮ながら、これは同釜同
期の平尾センセが先輩である大阪ミナミのパチンコ王
西山先輩のチーム・サンダースに所属し大阪産業大学
主催のラリーに出場した時のもので、左から一期後輩
の上田君、平尾センセ、タバコ屋と小森酒店で同居して
いた佐々木氏、かつて高校時代岡山の神童と言われて
いたらしい三宅氏、同志社香里高校元水泳部のター坊
こと井上氏の面々です。平尾センセの愛車はギャラン
1600GSセダンラリー仕様だったように思うのですが。
(関連記事:平尾先生の青春 vol.1:ラリーへの熱き思い
参照願います)

余談ながら、平尾センセはもともとアタマの良い男で、
工学部という超多忙な学部に所属していたにも拘わら
ずラリーに熱中し、数々の輝かしい戦績とともに同志社
に平尾ありと言われるようになりました。それにしても
4年で卒業出来たというのは奇跡を通り越してミステリ
ーです。

かく言うタバコ屋も4回生の時、上記の夢のお殿様生活
が送れると思いきや、抜き差しならぬ事情で卒業論文を
二人分書くこととなり(時効ながら出石教授には内緒で
す)余裕生活どころではなかった苦渋の思い出がありま
す。前代未聞の事件であったにしても、それについては
あまり多くを語りますまい。(学校関係者はこの項を読ま
ないように)
240Zサファリ4
NIPPONのラリー熱というのは我らがNISSANが昭和
45年(1970年)灼熱のサファリでブルーバードP510を
擁して初の総合優勝を飾り、続く翌昭和46年(1971年)
にはハイスピードラリーに対応した待望のマシン、新星
フェアレディ240Zを駆って2年連続総合優勝を果たした
時から始まったと言っても過言ではなく、それはタバコ
屋がハタチの多感な時期でもありました。
一方ミツビシはやや地味な挑戦ではありましたが、奇し
くもDATSUN-240Zがサファリで総合優勝を飾った翌
年の昭和47年(1972年)オーストラリアのサザンクロス
ラリーに於いて名手A・コーワンがギャランを駆って総合
優勝を飾ることになりました。それはDATSUN240Zが
雪のモンテで名手R・アールトーネンの手によりFR車と
しては奇跡の3位入賞を果たした年でもあり、それらの
輝かしい実績により国内のラリー熱は最高潮に達しま
した。
(関連記事:NISSANについては今出川でのこと vol.1
及び零戦の末裔参照願います。ミツビシについては
校長先生の青春 vol.2:されどもラリー参照願います)
ギャランサザンクロス
ちょうどその頃、タバコ屋世代は同志社大学自動車部で
の4年間を過ごした訳で、そのNIPPONの栄光にあやか
りたいたいと思うのは人情というもので、部内でもラリー
は大人気でした。しかし光には影がつきもので、ラリー
熱がさかんになるにつれ、競技者、オフィシャルを問わ
ず重大な事故や大怪我、はては死亡事故も発生する
ようになり、警察としてもこれを放置する訳にはいかず、
我々が現役時代に主催した同志社ラリー第4回と5回を
もって、その後は公道でのラリーは許可が降りなくなり
ました。

その間タバコ屋は幹部を拝命していた訳ですが、同志
社ラリーは平尾センセを始めとする熱心な部員とOBの
献身的な努力によって4回、5回と奇跡的な成功を収め
たのでしたが、その前後では重大な事故も発生し、死亡
事故には至らなかったものの、タバコ屋としては最終責
任者としてのトラウマが今でも残っています。
多分、上山君、野尻君の代でも似たような苦い経験をお
持ちではないかと推察致します。
16071210.jpg
この写真は、それから数年後、懐かしの新町ガレージ前
と思われる場所で恐らくミツビシ・ギャランGSハードトップ
ラリー仕様車をバックに写した写真と思われます。右端
の「パンタロンな人」上山青年と森君はわかるのですが
あとは誰なんだろう?。
後日追加
上山青年よりのご指摘で、左横は野尻君の同期の樋口
君、また左端は同じく同期の山藤君であることが判明しま
した。
S30Z-6-1.jpg
血気盛んな野尻君も、居ても立ってもおれず、前の記事
でご紹介したように立っちゃんの先輩から幸運にもS30Z
を購入し、幹部時代以降を過ごしたのでした。
(関連記事:今出川慕情 vol.3:野尻君の青春1参照願い
ます)
7月22日12
ビックリポンなことに、野尻君はオクルマ競技用の国内
A級ライセンスを取得していたようで、大したものだと感
心します。タバコ屋なんかせいぜい簿記の3級を取得し
たくらいですから。
S30Z-12-1.jpg
夜間走行における野尻君の愛車S30Zです。こうして見
ると、かつてNISSANワークスのエース、R・アールトーネ
ンが240Zを駆り、雪のチュリニ峠をサイドブレーキターン
という神技を駆使しながら力走しているようなイメージが
浮かびそうです。
S4792-1.jpg
そのような訳で、かつてのように公道でのラリーが大らか
に認められない社会風潮とそれに伴う警察の規制の中
で、大学自動車部連盟が模索した新たな活路はクロー
ズドされたサーキットを使用した変則的なラリーである
サーキットラリー」なる新競技でした。これもタバコ屋が
幹部時代に始まったものですが、尾篭な話しながら丁
度その頃、タバコ屋は痔を患い郷里の中島に帰って島
の赤ひげ先生に執刀手術を受け療養中でしたので、
この新しい競技であるサーキットラリーは全く未経験の
まま卒業に至りました。

写真はその第1回サーキットラリーが鈴鹿サーキットで行
われた時のものだと思うのですが、同期の平尾センセ、
九州のラーメン王こと末永氏、同期一番の力持ち庄坪氏、
一期後輩のジャンボ奥村氏、らが中心となって精力的に
チャレンジしてくれたことを後から聞かされました。

尚、競技車であった部車のスカイライン2000GTのエンジ
ンフードは全開にされ、誇らしげに同志社のロゴマーク
が描かれていますよね。間違っても放射能のマークでは
ありませんので念のため。タバコ屋は我が母校のマーク
はシンプルでお気に入りです。
(関連記事:異説:007私を愛したスパイ参照願います)
16071214.jpg
さて上山、野尻君の代の鈴鹿サーキットラリーの模様で
す。タバコ屋は松山出身の明治期を代表する俳人正岡
子規でもないでしょうが、当時病に臥せっていたので、
未だにルールさえわかっていないのです。
7月19日 (11)-1
その時の、同志社自動車部オールキャストです。この時
は妙にこざっぱりした上山青年が左端に見て取れます
が後日のギンギラギンにパンタロンで決めまくった上山
青年とは別人のようでタバコ屋にとっては謎の一つです。
16071216-1.jpg
野尻君から頂いた膨大な写真の中から拾い出したカケ
ラの中で、これだけはご紹介しておきたい写真です。
野尻君からかつて鈴鹿サーキットでバイトがありその時
生沢徹選手からジャンパーにサインをもらった話しは前
の記事でご紹介しましたが、後ろのフォーミュラカーから
判断してどうもその時の写真ではないかと思うのですが
右端の肥塚君と隣の鈴木君はタバコ屋の2期後輩で、
二人とも人柄の良い好青年でした。特に鈴木君はかつ
てF1日本GPにおいてNIPPON人初の3位入賞を果たし
た鈴木亜久里選手似の長身ハンサムボーイでした。
タバコ屋の記憶では性格は極めて温厚で、しかも要領
が悪く、損な役柄を率先してやるようなタイプだったと
記憶しています。
IMG_1941.jpg
これはタバコ屋が4回生の時に実施した北海道遠征で
函館郊外において例の抜き打ちランニングを強行して
いる模様です。全員かなりバテておりしんがりの鈴木君
はあえぎながらも完走を目指しています。
これを旗艦スカイライン2000GTの車中で指示したのは
誰あろうタバコ屋だった訳で、鈴木君ばかりをしごいた
のではないことを実証するためタバコ屋は数日後旭川
へ向かう見渡す限りの直線道路に於いて同様のことを
自らに課し実施しましたので、鈴木君始め部員達への
トラウマはありません。
(関連記事:今出川でのこと vol.3:地獄の北海道遠征
参照願います)

ただ極めて残念なことに、鈴木君はよもやまさか卒業を
待たずして天に召されてしまったのです。心残りです。
後日訂正
上山氏よりご指摘があり、鈴木君が亡くなったのはご卒
業後、住友生命にご勤務の時だったそうで、推察ながら、
生き馬の目を抜くような激しい職場の中で彼の優しい性
格が災いしてしまったのかも知れません。タバコ屋に一
言ご相談頂けていれば、上司のところに殴り込みを掛け
ていたものを。返す返すも残念です。
北海道遠征15
さてこの写真は野尻君の代に同志社大学創立100周年
を記念して実施された遠征の時のものだと思われます
が、それが北海道だったのかどうか、タバコ屋には判断
が出来ませんが、いすゞエルフを先頭に整然とコンボイ
で艦隊走行が行われている様子です。
後日追加
野尻君のコメントにより、この写真は一連の北海道遠征
時の記録写真の一枚と判明しました。
北海道遠征18
さてここは何処なんでしょう。部車の大量部員輸送車で
あるMAZDAマイクロバスが停まっています。我々の時
代から現役だったこのオクルマは直線走行が苦手種目
でダッチロールが得意でした。少しスピードを上げた時
などはかなり怖い思いをしたのはタバコ屋だけではなか
ったと思います。ご覧の通り、ボディに対しホイールベー
スが極端に短か過ぎますよね。
後日追加
野尻君のコメントにより、MAZDAマイクロバスに同志社
創立百周年記念遠征と書かれているのは北海道遠征
であったことが判明しました。よくよく見れば後ろに大雪
山国立公園の看板が見えますのでまぎれもなく北の大
地北海道です。
北海道遠征17
旗艦スカイライン2000GTです。L型エンジンはこれがGT
かと思うくらい眠くて重いものでしたが、とにかくノントラブ
ルで、我々の北海道遠征の時も他のオクルマが次々と
へたってしまうのを横目に無傷で5,000キロ以上を走破し
ました。トテモ頼りになるオクルマでした。
後日追加
後で見直してみてやや気になったのが旗艦スカイライン
2000GTをドライブしている某幹部のドライビングポジショ
ンです。少なくともタバコ屋時代には大切な部車を運転
する場合、片肘運転というのは許されるものではありま
せんでした。とっさの対応が出来ないばかりではなく、
同志社大学自動車部という看板を背負っている訳です
から人目というものもあります。ちなみにP・フレール先
生にしろ、R・アールトーネンにしろ、A・セナにしろこの
ようなドライビングポジションを取っているのをタバコ屋
は見たことがありません。
DSCN9568-1.jpg
余談ながら、その40年後にそのエンジンと基本的に同じ
シロモノを搭載したくず鉄同然のS30Z-280改を入手し
5年を要してレストアとフルチューンをやってしまい、後で
死ぬほど後悔しつつあるタバコ屋はここだけの話し自分
でもバカなOSSANだと思います。ただしエンジンだけは
チューニング次第でこれがあのL型かと思うくらい軽い
吹け上がりとなりましたが、それはSOLEXという特殊兵
器で武装する必要がありました。
(関連記事:蘇る青春 vol.2:旧車恋しや参照願います)
北海道遠征14
さてこの写真は北海道なのかどうか、そうであるとすれ
ば、数え切れないほどの湖の名所の一つでしょうが、
霧の摩周湖なのかはたまた阿寒湖なのかそれとも・・・。
後日追加
野尻君のコメントによりここは霧の摩周湖であることが
判明致しました。それにしては見事な快晴ですよね。
ちなみに左端が「パンタロンな人」の若き日のお姿であ
るとはタバコ屋には信じがたいのですけど。
北海道遠征25
蛇足ながら、タバコ屋の代の北海道遠征時の霧の摩周
湖です。高石かつ枝ちゃんでもないでしょうが、あの頃は
みんな若かったんです。ちなみに左より憂いを含んだ表
情から同志社の太宰治と言われていたギーちゃんこと元
兵庫県警のエライさん森本氏、同志社自動車部のマドン
ナこと鈴木女史、三条麩屋町のイトハン福ちゃん、九州
のラーメン王こと末永氏(実家を継ぐより二谷英明先輩
を頼って日活に入社したほうが良かったのでは)、それ
と恥ずかしながら、夢もTOUHATUも一杯あったかつて
のタバコ屋です。
7月22日2-2
かくして野尻青年の今出川での4年間は終わりました。
数々の甘苦い思い出を残して、恒例の弁慶楼にて昭和
52年度卒業生歓送会が挙行されました。こうして見ると
野尻君の代は卒業生が14名おり、タバコ屋の代が13名
でしたからそれよりも一人多い訳で40年経った今、今後
のOB会での活躍が切に望まれます。
duac-09.jpg
これは伝統的に卒業生に対し自動車部より送られる卒
部の記念ペナントでタバコ屋も当時の品はほとんど残っ
ていないにも拘わらずこのペナントだけは後生大事に保
存しています。TO M.NOJIRIと書かれているのがはっきり
見て取れますよね。野尻君卒部おめでとう。
7月29日2-1
最後になりましたが、この写真があの野尻青年だなんて
今の上山青年同様、誰が信じてくれましょう。しかし、
頭部のあるパーツは上山青年やタバコ屋よりも格段に
まともで羨ましい限りです。

現役の大社長を前に釈迦に説法ながら、今元気で生か
されているご自分に感謝し、自動車部OB会が何をして
くれるかではなく、OB会のために何が出来るかをご一
緒に考えようではありませんか。でも既に野尻君は今回
自動車部時代の貴重な思い出写真を提供されることに
より多大な貢献を果たしつつあると思います。

次回はいよいよ野尻青年シリーズの最終回として、卒業
後の野尻君のオクルマ遍歴をご紹介したいと思います。
お楽しみに。

今出川慕情 vol.5:野尻君の青春2

平成29年3月4日
香里体育ハウスのこと
かつて50年近くも前、京都今出川キャンパスで広島出
身の和田先輩のおいしいお話しに誘われて(騙されて
、失礼)ついフラフラと同志社大学自動車部へ入部して
しまったタバコ屋でしたが、入ってみるとそこは体育会と
いう恐ろしいクラブでした。
同志社チアガール1
タバコ屋は田舎者ゆえ運転免許さえ取ればあとは他の
部員達と楽しく京都名所でもドライブさせて頂けるのかと
思いきや、来る日も来る日もトレーニングと洗車ばかりで、
入部前の淡いイメージは消し飛んでしまいました。
(関連記事:異説:007私を愛したスパイ参照願います)
IMG_6029-2.jpg
やがて体育会ゆえの恒例である強化合宿があることを
知りました。場所は京都と大阪の中間にある香里園で
「香里体育ハウス」という名前が付いていました。
何も自動車部専用合宿所ではなく、野球部やサッカー
部、アメリカンフットボール部が共同使用していたよう
に記憶しています。

ただ困ったことにタバコ屋は島育ちに似合わずアレルギ
ー体質で合宿が始まる前に下級生は先発でお掃除をし
に行くのですが、ほこりとカビだらけの合宿所は効果てき
めんで、合宿が始まるといつも鼻風邪状態の半病人とな
り、つらかった思い出があります。尤も3回生以降は体質
が変わったのかそれとも免疫が出来たのか何ともなくなっ
たのが不思議です。
香里体育ハウス12
それでは「香里体育ハウス」の全貌をご覧頂きましょう。
この写真は野尻君が撮影した貴重な映像で右の一階建
て部分が厨房、お風呂、管理人室等で、左の二階建て部
分の二階部分が合宿部屋だったと思います。
一階部分はさて何の部屋だったんだろう?。食堂とかトイ
レがあったようにも思いますが・・・。
(野尻君、正確なレイアウト覚えてたら教えて下さい)
二階の合宿部屋は真ん中廊下を挟んでそれぞれ数室づ
つあり、学年ごとに部屋が割り当てられていました。
後日追加資料
香里体育ハウス間取り2
ビックリポンなことに、その後程なく野尻君から詳細な
吉良屋敷ならぬ香里体育ハウスの見取図が送られて
来ました。彼の会社は福井ではコンクリート製品のトッ
プ企業であると推察されるため、クライアントは建設関
係の方も多いでしょうからこんな図面はお手のものなん
でしょう。

吉良屋敷の配置はこれでよくわかり、往時の思い出が
図面と共に再び蘇りました。やはりタバコ屋がぼんやり
記憶していたとおりで、1階部分にはかなり広い食堂が
あったんですね。トイレは確か男女兼用で特に男子用
は横一列にコンクリートの溝と壁があるだけという粗末
なものであった記憶があります。同期のギーちゃんこと
元兵庫県警のエライさんとはよく連れ〇〇〇に行った
もので、ある時など二人であまりお品の良くないオハナ
シをしていたところ、いきなり女子トイレから後輩の某女
史が飛び出してきて、双方ともビックリ仰天ながらしばら
く気まずい思いをした記憶があります。ギーちゃん、トイ
レではもっとウンチクのある高尚なオハナシをしましょう
よ。恥ずかしながら古き良き時代のオハナシでした。

残念なことにせっかく野尻君から往時の吉良屋敷の図
面を頂いたにもかかわらず、今では跡形もなくなってい
るためタバコ屋は再び殴り込みを掛ける事が出来ませ
ん。香里体育ハウスの思い出は遠い記憶の中だけに
留まることとなりました。
香里体育ハウス10
さて正面入り口です。表札左が野尻君で、右は森君だと
思われます。またそのすぐ左下には一期先輩の「パンタ
ロンな人」改め何とGAKURAN姿の上山青年が写っている
ではありませんか。一番前には細川君と下村君のお姿も。
香里体育ハウス13
同じく入り口で写した若き日の野尻君と森君です。
何と初々しいお姿でしょうか。それなりの若者特有の気
負いとツッパリも感じられるワンショットです。後ろの表札
にははっきりと「同志社大学香里体育ハウス」と書かれ
ているのが見て取れます。

当時1~2回生のやることと言えば、地獄のトレーニング
を挟んで食材の買出しと準備でした。それまで先輩達は
香里園駅前の昔ながらのお店で買出しをされていたので
はないかと思うのですが、タバコ屋が入部したその年に
当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったスーパーダイエーが香里
園駅前に超モダンな恐らくNIPPONで最初のアメリカンス
タイルのショッピングセンターをオープンさせたのです。
ダイエー5-3
詳しくは他の記事にも度々書いているので今回ははしょり
ますが、田舎出のタバコ屋にとってはそれこそまばゆいば
かりの近代的なお買い物センターでした。故に、タバコ屋
達1回生が部車のくたびれたコロナで買出しに行くのは
決まってこの「香里ショッパーズプラザ」でした。
(関連記事:大阪・京都・奈良・巡礼 vol.2参照願います)
香里体育ハウス11-3
さて、突然の写真で恐縮ながら、これはグンゼのカシミヤ
のもも引きの宣伝ポスターではありません。「君の名は」
と問いかけし時、その人の名は「春木のおっちゃん」こと
香里体育ハウスの管理人であり牢名主でもあった春木
為一氏その人のお姿です。別名「香里オペラ座の怪人」
とも言われていたようですが、管理人としてご赴任される
前はいろいろご苦労されて来た様で、そのいかつい風貌
に似ず、根は優しく部員の食生活、健康管理はもとより
場合によっては「恋の悩みのご相談!」にも乗っていた
ようで合宿所ではお父さんのように慕われていました。

タバコ屋は元々上山青年同様控えめな性格なので、夜
食事と入浴を済ませた後、春木のおっちゃんの部屋へ押
しかけたことは一度くらいしか記憶にありませんが、同期
や後輩の厚かましい連中は夜な夜な押しかけては未成
年の分際でウイスキーのサイダー割をおねだりしたり、
また昼間はカシミヤのもも引きで徘徊しているおっちゃん
も夜になるとたまには粋な着流し姿となり、くっ付き虫の
部員を連れて夜の香里園へ繰り出したと言う逸話を聞い
たことがあります。当然ながらタバコ屋は極めて控えめ
であり、そのような狼藉を働いた記憶はありません。
後日追加
香里体育ハウス17
上山、野尻両青年よりご指摘があり、特徴的なキャラに
は事欠かない春木のおっちゃんでしたが、すべてをまと
め直してみますと「オカマっぽいしぐさ、かつら、金の指
輪、カシミヤのもも引き、趣味の木目込み人形作り、ウイ
スキーのサイダー割り、夜の着流し」といったキーワード
で決まりではないかと思います。
(もっと詳しい内容は野尻君が投稿された長大なコメント
をご覧願います)
花の中三トリオ2
蛇足ながら一言申し添えますと、入浴と言うのは砂風呂
を意味しており、下級生にとっては先輩の入った後に入
るものなので、常に昼間の激しいトレーニングの後の砂
が浴槽に溜まった状態でした。当然ではありましたが、
女子組、花の3人トリオなどは入浴できる筈もなく、特権
としてオクルマ付きで香里園の銭湯へご通勤でした。

そんな面倒見の良い春木のおっちゃんも心を痛めていた
ことがありました。それは入部時はいつも50人以上入る
のにクラブ生活が始まり、特に強化合宿を経験すると部
員が大量に辞めて極端に減少してしまうことなんです。
香里体育ハウス11-1
管理人就任8年目に春木のおっちゃんが部誌WINKER
に寄稿された提言文を引用しますと「体育会のムード
が現代の学生気質に合わないのかよく考える必要があ
る。考えられることは、今に残る封建性と閉鎖性であり
それを取り除く事を望みます。厳しい中にもほんのりと
楽しさを味わえるクラブになるよう気を配り退部者を一
人でも少なくするよう努力願いたい。」
と述べられています。真理だとタバコ屋は思います。
夜の着流しは伊達ではありません。

長々と春木のおっちゃんのご紹介を致しましたが、合宿
中の食事の献立と主な調理指導はすべて春木のおっち
ゃんがしてくれていたように思います。「今日はオデンに
するから、これとこれを買って来なさい」といった調子で
出来上がるまで何かとさいきを焼いてくれるのです。
ちなみにタバコ屋が覚えているのはオデンとカレーなん
ですがそれ以外にもあれこれ作った筈なんですけど、
まったく覚えていません。何故だろう。
(上山センセ何作っていたか覚えていたら教えて下さい)
後日追加
やはり上山、野尻青年のご指摘にて、HOTEL KOORI
の定番メニューとして、オデンとカレー以外に、とんかつ、
釜飯、うどん、ハンバーグ、板ワサ、具なし味噌汁等々、
結構多彩なメニューを作っていたんですね。それにして
もタバコ屋は全く記憶がなく、得意技である丸投げを誰
かにしていたのかも知れません。ただはっきり覚えてい
るのは食事前には全員着座し「静粛!」「黙想!」「頂き
ます!」の儀式があったことでした。
(もっと詳しい内容は野尻君が投稿された長大なコメント
をご覧願います)
香里体育ハウス3
さて競技練習です。野尻青年が乗っているのは極めて珍
しい2シーターのランドローヴァーだと思うのですが、タバ
コ屋が現役当時はこのようなオクルマは存在せず、部誌
を拝見するとその後OBの方より寄贈されたもののようで
す。もともとファニーなボディスタイルにちょこんと顔を出し
ている野尻君がなんとも可笑しく笑ってしまいました。
(失礼)古きよき時代の一ページでしょう。
よくよく見ると、サイドウインドーガラスはスライド式?!
もう笑いを通り越して絶句です。
ランドローバー1
多分前から見るとこういうデザインのオクルマだと思いま
すが、ローヴァーはSUV大流行の今でこそその頂点に君
臨するプレステージSUVカーメーカーですが、元はと言え
ばイギリス・アーミー御用達の軍用車両メーカーであり、
武骨なオクルマばかり作っていました。それにしてもその
ローヴァーが自動車部の練習車とは・・・、マニアックです。
ただし、スペアタイヤが視界を遮り、練習にならないっち
ゅうの。
フィギュア
競技と言うのはフィギュア競技で、これも他の記事で詳
しくお話ししているので省略しますが、要するに運転免許
試験を3倍くらい難しくしたコースをいかにスムーズに早く
帰ってくるかという競技で、腕力、体力も要求されこれが
体育会である所以でもあります。
16071510.jpg
また競技のカテゴリーは小型乗用、普通乗用、小型貨物、
大型貨物、3種競技と多岐に亘りそれぞれ高度な運転ス
キルが要求され、しかもクローズドのコースで実施される
のでラリーのような事故の危険性も全くないため、タバコ
屋はこのフィギュア競技が今後も部活動の中心であるべ
きだと思います。
7月19日 (12)
たとえスピード競技でもダートであろうが舗装であろうが
完全にクローズドされたコース(例えばサーキット)で行
われるべきで、公道では如何なる私的な競技も行われ
るべきではありません。いやしくも大学の体育会自動車
部である以上、社会に対する責任と矜持が必要である
とタバコ屋は思っています。
香里体育ハウス7
血気盛りの若者が一つ屋根に1週間以上も過ごすので
すから、こういう場面はタバコ屋の時代も日常茶飯事で
した。野尻君がVサインをしているのが見て取れます。
ただ香里体育ハウスは他のクラブと共同使用のため、
合宿が重なることが多く、特にアメリカンフットボール部
とはしょっちゅう一緒でした。そのためこの写真のような
場面が消灯後に起こると問題となり、タバコ屋が1回生の
時にはアメリカンの連中がうるさいと言って襖を蹴破って
殴り込みに来たことがあります。乱闘になるかと思いまし
たが、双方の幹部のとりなしで事なきを得ました。
やれやれ。
香里体育ハウス15
もうすっかり忘れかかっていましたが、体育ハウスの向
かって右手にはガレージがあり、合宿中は整備等で使用
していました。正面奥のハッチバックリアゲートを開けて
いるのは野尻君のS30Zではないのでしょうか。
S30Z-2-1.jpg
忘れもしませんが、タバコ屋が卒業する時、大伴先輩か
ら大枚2万円で譲って頂き、同期の佐々木君と共有して
いた可愛らしいホワイトとライトブルーの2トーンに塗り分
けたHONDA-N360(通称Nコロ)をクラブに寄贈したので
すが、いよいよお別れで、最後に香里体育ハウスに出向
いた時このガレージに置かれていたのを覚えています。
その後このNコロは無残にも一期後輩で、仲の良かった
井村氏によっていたぶられることとなるのですが、井村氏
の名誉のためにあまり多くを語りますまい。
香里体育ハウス1
この写真は前々回の記事でお話しした一期後輩の小西
君のTOYOTA-S800の前で写したもので、左がおとなしく
控え目だった小西君、エンジンフードの上に無邪気にも
堂々と腰掛けているのは小西君と同期の上田君で彼の
飄々とした野生児の性格は今に始まったことではなく、
タバコ屋も泣かされたことが数知れずありました。
しかし残念なことに当時元気だった小西君は先年若くし
て天に召され、上田君は健在ながらもかつてのフサフサ
した頭髪は何処かへ消えていってしまいました。
DSC05827.jpg
この写真は5年前の平成24年10月に宝ヶ池のプリンス
ホテルでタバコ屋の一期後輩が同窓会をした時に単身
殴り込みを掛けた時のものです。中央の髪の薄いお方
が上の写真の上田君であると誰が信じてくれましょう。
尚その左は同じくずるむけ状態となった河合石油の御
曹司、河合君です。今は老人施設の理事長をされてい
るそうですが、ひょうきんでやや意味不明な言動は50年
前と全く変わりません。
蓮如2
余談ながら、上山青年と野尻青年という逸材を輩出した
北ノ庄、福井の地で親鸞の志を継ぎ、消滅しかかった
浄土真宗を再興した蓮如上人は5度の結婚をし、20人以
上の子を残したエネルギッシュな方で、織田信長、豊臣
秀吉が天下統一を目指す数十年前の時代に活躍した方
でした。その蓮如上人は有名な「御文章」と呼ばれる手
紙を残しそれが後年、門徒衆の半ばバイブルとして今日
まで伝えられました。
その中の有名な「白骨の章」という一文の中に、次のよう
な文章があります。
前略
「我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、遅
れ先立つ人は、元のしずく、末の露より繁しと言えり。
されば朝(あした)には紅顔ありて夕(ゆうべ)には白骨
となれる身なり

後略
まさにその通りですよね。タバコ屋を始め上山青年なんぞ
も頭がずるむけであろうがどうであろうが、元気で生かさ
れていることに感謝しなくてはなりません。婚活に於いて
も蓮如上人にあやかるべきで、それが成就するのであれ
ばツールとしてPORSCHEの1台や2台安いものです。
DSCN3286.jpg
どうでも良いことながら、先日倅の手伝いで松山市主催
の物産展に札幌東急に行ってきたのですが、宿泊の際
ホテルのエントランスにタバコ屋の赤いお嬢ちゃんの宿
敵であるPORSHEカイエンが威風堂々と停まっていまし
た。北の大地らしくつららがぶら下がっていましたけど。
香里体育ハウス16
さて懐かしの香里体育ハウスともお別れする時間が近付
いて来ました。この写真は推測ながらタバコ屋の一期後
輩の面々が卒業を間近にして香里体育ハウスグラウンド
で送別のセレモニーかなんかをやっているところでしょう
か。
正面には同志社大学自動車部が誇るマドンナKUMIこと
鈴木女史が愛くるしいポーズで写っています。これなら
夏目雅子ちゃんとも勝負出来ると思うんですが、どうな
んでしょう。彼女の口癖であった、特徴的な京女コトバ
である「早よ、しよし!」「そんなん、あかんえ!」とか言
われると野尻君なんかはそのはんなりした京コトバにう
っとりとして、わざと動作を鈍らせ、鈴木女史の次なる
叱咤激励のお言葉を待っていた「ふし」が伺えます。
だって野尻マー君の頭文字はMじゃないですか。

右にちらっと写っているのがカズ君こと奥村氏でその左
はかつて同志社大学自動車部女子部の栄光を担った
坪野女史だと思われます。彼女も高校時代バスケット
で鍛えたゴッツいオカラダの割にはオコトバはハンナリ
でした。「そんなん、いやや~!」とか、鼻に掛かって言
われると、ついその平常心が・・・。
IMG_1977.jpg
そのような彼女もご縁あって同期のキャプテン奥村氏
(通称カズ君)に見初められることとなり、遠く東広島の
地へお輿入れすることとなりました。広島男に京女の
すてきなカップルが誕生致しました。お輿入れに際して
は6トン車一杯の嫁入り道具を持って行かれたとか行か
なかったとか・・・。

写真はカズ君が3回生でタバコ屋が4回生の時一緒に行
った北海道遠征時のもので、左からフクちゃん、井村、
KUMI、カズ君ですが、この頃からAIが芽生えていたのか
も知れません。尚、この時の企画実行委員長はタバコ屋
が丸投げした井村氏だったのですが、その雄大かつ行き
当たりバッタリなプランにより散々な目に会ったことを申し
添えておきましょう。
(関連記事:今出川でのこと vol.3:地獄の北海道遠征
参照願います)
IMG_2285.jpg
尚、前の香里グラウンドでの写真には写っていませんが
同志社大学自動車部、花の3人トリオの一人だった福井
女史(通称フクちゃん)は京都の老舗のイトハンでもあっ
たので4回生になってからご両親がこのままだと嫁にも
行けんようになるとご心配され、泣く泣くクラブを去った
経緯がありますが、紆余曲折の後、現在はOB会で見事
に復活され活躍されています。

写真は今から4年前平成25年秋に実施された創部80周
年大会の準備のため役員会があった時のもので、キャ
プテンのカズ君こと奥村氏とご一緒に写したものです。
それにしても素敵なワンピースとブレザーをお召しです。
彼女はこう見えても現役の大学講師のセンセ!なんで
すよ。

余計なことながらそのカズ君もかつては紅顔の美青年
だった筈ですがご覧のとおりで卒業後は東広島市にご
奉職され、幹部としての激務がたたったのか、あるいは
京マドンナへの気遣いが過ぎたのか、近年大病を患い
生死の境をさまよいました。右に写っているタバコ屋の
同期のター坊こと井上氏も立て続けに御両親と愛妻を
亡くされ、ご苦労している筈なんですがその割には髪ふ
さふさで色艶も良く50年前とあまり変わっていません。
何故なんだろう?。
(関連記事:京都・静岡巡礼 vol.1:今出川慕情参照願
います)
北陸遠征2
蛇足ながら、現役時代のフクちゃんはその強大に発達
されたオカラダのある部分がトレーニング中やランニング
中に激しく上下バイブレーションを起こし、いつも練習が
一緒だったアメリカンフットボール部の連中の目がそちら
へ行ってしまい、練習にならなかったとつい最近人づて
に聞かされました。写真の左から3人目がフクちゃんで
当時流行っていたコッポリサンダルが何とも可愛らしい
ですよね。

さて今回は野尻君から頂いた懐かしい香里体育ハウス
の写真をもとに「D.U.A.C青春同窓会」を開催致しました
が、果たして読者の皆さんは楽しんで頂けたでしょうか。
ただ時は移り、懐かしの香里体育ハウスはその後取り
壊され現在は残っていません。50年近く前の香里での
出来事はまさしく「夢のまた夢」だった訳です。
DUAC同窓会3
最後になりましたが、未公開の写真をご披露してこの稿
を終えたいと思います。全関西をビビらせた往時の花の
3人組トリオ+三谷優子ちゃんです。ブラザーズフォアで
もないでしょうが「花はどこへ行った?」・・・のでしょうか。
3人組のLADYとは辛苦を共にしてきたので、感慨深い
ものがあり、年甲斐もなくウルウル寸前でしたが、意外
にも優子ちゃんとお話しすると「御仏かマリア様に抱か
れた」ような気分になるのが不思議でした。蛇足ながら
タバコ屋の場合は「髪はどこへ行った?」と自問したい
と思います。いずれにしても平成24年10月京都宝ヶ池
プリンスホテルに於ける「一期一会」の貴重なひと時で
ありました。

次回は野尻君の代の北海道遠征の模様をお伝えしよう
かとも思いましたが、写真ごとの場所や状況がわからな
いので、そのカケラを少し拾い集めてご紹介したいのと
野尻君の卒業後の愛車遍歴などを中心にご紹介して、
長かったこのシリーズをひとまず終えたいと思います。
お楽しみに。

★★島のタバコ屋の独り言★★
【7月31日:ああ創業100年】 島のタバコ屋、即ち富永呉服店が創業100年を迎えたことは先般お伝えした通りですが、皆さんよくご存知の世界的宇宙物理学者、故ホーキング博士によれば、100年なんて宇宙的時間軸で言えば、一瞬のまばたきに過ぎない訳で「島でのことも夢のまた夢」ということになりましょう。それはともかく4才の頃から道端の草にも「コンニチハ」なんて愛想を振り撒いて来たタバコ屋にしてみれば「店は客のためにある!」以上、未来永劫、店の続く限りそのテーゼを実践し続けるしかないのです。京都で300年続く老舗料亭、老舗呉服問屋もその志があったのかどうか、お聞きしたことはありませんが、当らずとも遠からじではないでしょうか。
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