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福井巡礼 vol.8:北ノ庄の夜は更けて

平成29年8月19日
迷宮(ラビリンス)をやっとの思いで脱出した巡礼団4人
衆は、次の目的地、東尋坊へと向かったのでしたが、
そこは気配りの人野尻君の粋な計らいにて、ご一行は
迷宮見物でさぞかし腹を空かせたであろうという思いや
りのもと、途中の海岸に面した彼のお友達の店「釣」とい
う海辺のレストランでしばし休憩ということになりました。
その場でお聞きしたところ、ここのご主人は「立っちゃん」
即ち立命館大学のご出身にて、タバコ屋も大学自動車
部当時は随分仲良くしていた大学ゆえすぐに親近感が
湧いた次第です。どうも福井というのは織豊の時代から
京都との交流が盛んで京大、同志社、立命館とのご縁
は相当深そうな印象を受けました。
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想定外なことに、普通おやつタイムの時間ながら、彼が
用意してくれていたのはご飯タイムのメニューでした。
カメラマニアの平尾センセは例によってゴッツイNIKON
の一眼レフカメラをご携帯です。テーブルにはこれまた
野尻君が地元のお友達の蔵元から調達して来たラベル
なしのマニアックな地酒(甘口、辛口2種)が用意されて
いました。この手のドリンクが嫌いではないタバコ屋は
おいしく頂いたのでしたが、東尋坊に行く前から酔っ払
ってしまうという事態になりました。
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おやつとは到底言い難い、贅沢な地元の海の幸を頬ば
った一行ですが、またもや野尻君の気配りによりご飯は
ごく少量の控えめでした。しかしタバコ屋は食べ切れませ
んでした。かつて香里の合宿所ではご飯は何度もおかわ
りした筈なんですけど、何故だろう。
DSCN3645.jpg
ご先達の平尾センセは校長時代に何度もこの方面には
お子達を連れて修学旅行に来たらしく、途中海岸沿いの
かつて宿泊した国民宿舎に立ち寄ったりした後、あっけな
く東尋坊に到着です。東尋坊に横文字は似合わないと思
うのですが、CAFEなんてこじゃれた看板がありました。
北海道遠征37
突然の写真で恐縮ながらこれは今から45年も前の東尋
坊付近でのお写真です。恥ずかしながら何やらクドクドと
前で喋っているのがタバコ屋で、もう忘却の彼方に消えて
しまったものの「おまえらな~、もうすぐ京都なんやから、
気を抜かんと、同志社大学自動車部のプライドを持って
運転せないかんぞ~」なんてことを言っていたのではない
かと推察致します。

聞く側から申しますと前列右端は京都洛北の元マドンナ
S嬢でかつて野尻君を悩殺したという殺し文句「あんたら、
早よ、しよし!」と言う名フレーズを発明したお嬢さんです。
お二人目は京都三条麩屋町の老舗のいとはん「福ちゃ
ん」ことF嬢です。彼女はその天性のふくよかな上半身の
ある部分の悩ましさにより自動車部はもとよりアメリカン
フットボール部に至るまで練習に身が入らないほどの
悩ましき魅力」を発散した張本人です。残念な事にタバ
コ屋はオクテだったためにその魅力に気付かずにあたら
青春を無駄に過ごしてしまったのでした。

そのお二人なんですが、察するにチャンタさんもつまらな
いことクドクド言わんと早よ~やめてくれはらへんやろか、
私らトイレ行きたいんやけど・・・。

余談ながら、ここだけの話しとしてそのS嬢には今でもタバ
コ屋のトラウマとなっているある出来事があるんです。
北陸遠征の途中だったと思うのですが、自動車部恒例
の抜き打ちランニング訓練において、S嬢が若き女性特
有のある生理現象中だったにもかかわらず、何も知らな
いタバコ屋は「今からマイクロバス降りて、迎えの車が停
まっているところまで走って来い!」と言ってしまったので
す。S嬢は泣く泣く走ったそうなんですが、ばかなことをし
てしまったと後で悔やんだタバコ屋なれど、もう手遅れで
すよね。それ以来、清張の「砂の器」でもないですけど、
S嬢に対し消し難き業を背負ってしまったタバコ屋でした。
もう地獄の業火に焼かれるしかないんだろうか・・・。
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東尋坊のはしょり訪問も終え、一行は福井市内へと戻り
ました。今晩のお宿は福井城祉そばのアネックスホテル
でお堀に面して福井城の石垣を眺められる野尻君お気
に入りのおすすめホテルです。

尤も、4人衆の一人福井出身の上山青年によるとこの福
井城祉が気に入らないそうで、歴史を辿れば家康の次男
である結城秀康が北ノ庄の藩主となり松平を名乗り、やが
て北ノ庄城(福井城)が築城されて以来、焼失するまでは
福井のシンボル(ランドマーク)であった訳で、その跡地
にこともあろうに県庁や県警本部など行政の施設を建て
るとはけしからんと憤慨するのです。彼によれば跡地に
は天守閣を再建すべきで、そうすることで福井の歴史文
化が保たれ、観光客もより多く見込めるということでした。
IMG_4385.jpg
福井藩とは近い親戚関係だった我が松山藩は幸い松山
城が焼失せずに残り、その優美な姿を後世に伝えていま
すが、上山青年に言わせれば松山がうらやましいとのこと
です。ま、隣の庭はきれいに見えるものでありまして・・・。
DSCN3660.jpg
さて、ホテルで一休みしたあと野尻君のご先導でお食事
会をということで福井駅前を目指します。
DSCN3663.jpg
福井駅には凄いものがありました。まるでジュラシックパ
ークです。さすが恐竜の街で、これ以外にもいろんな恐
竜の模型が並べられていました。上山青年の仰るように
これに福井城天守閣が加われば有数の観光都市になり
得ると思います。
DSCN3672.jpg
今では珍しくなりつつある路面電車がこの福井の地にも
走っていました。因果関係はないんでしょうが福井とは親
戚だった我が松山にも路面電車が走っています。
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地下鉄のない松山では路面電車とバスが市民の貴重な
足になっており近年は漱石にちなんだ「坊ちゃん列車」
を走らせたりして観光客を楽しませています。
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ただしこれは外観だけのレプリカで、実際の駆動はスチ
ームエンジンではなくディーゼルです。
左大文字-1
ところでこのお写真はどこの路面電車でしょうか。ヒント
がありすぎてもうバレバレですよね。山の中腹に大の字
があるということは京都の路面電車ですよね。

ネタを明かしますと、写真マニアの平尾センセより頂いた
恐らく昭和40年代中頃の懐かしい写真なんですが、恥ず
かしながら当時ジドーシャ部に所属していたタバコ屋は
この便利な路面電車を利用することがほとんどなく、帰省
時に京都駅まで行く時ぐらいしか乗った記憶があまりない
のです。やがて京都も路面電車が廃止となり、ズバリこの
型式の車両は現在松山市や広島市の路面電車としてそ
の余生を過ごしています。
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写真はこれまた平尾センセの撮影した広島市内の路面
電車ですがズバリ京都市電のお下がりですよね。
ちなみに日本で初めて路面電車が走ったのはどこの街
かご存知ですか、それは意外な事に京都市なんです。
明治28年(1895年)のことでした。
DSCN3677.jpg
またしても野尻君の気配りにて、北ノ庄ゆかりのお市の
方、及びそのお嬢さん方である、茶々、お初、お江の三
姉妹の銅像が佇む場所へ案内されました。柴田勝家公
が統治していた時代にはこの場所に北ノ庄城の天守閣
があったそうで、福井の街の原点ともいえる場所ですよ
ね。勝家公とお市の方の悲劇、及びそのお子達の波乱
の人生については小説やTVドラマで何度も取り上げら
れているので今回ははしょることに致します。
IMG_2484.jpg
さていよいよ今晩のお食事会場である居酒屋「わらび」
に到着です。福井のおいしい酒と肴で昔話に花が咲き
盛り上がったのは良かったのですが、野尻君が香里合
宿時代を懐かしみ、かつて悩殺されたS嬢と一目ならぬ
一言お言葉を交わしたいなどと言うものですから、タバコ
屋も不憫に思いS嬢のところ即ちご主人の和君こと奥村
氏にTELするハメになりました。S嬢は快く電話に出て頂
いたのですが、その後は野尻君との秘密の長電話とな
り何を話したのかわかりません。タバコ屋としてはせっか
くのお料理が冷めるので、野尻君に「早よ、しよし!」と
言いたい心境でした。

話しもお腹も満腹になったところで、野尻君の次なるプレ
ゼンテーションが行われました。近くに美人のママが経
営する会員制クラブがあるのでそこへ行きませんかと
仰るので、一同ついていくことにしました。しばらく福井
城祉のお堀端に沿って歩いたのですが、繁華街とは離
れて行くようでややおかしいなとは思いました。やがて
とある一軒の豪邸の前に到着しました。クラシカルなの
かモダンなのかトラディショナルなのかアバンギャルドな
のかよく分からないウッドを多用した豪邸でした。

不思議に思いつつラウンジ(お座敷)に通されたのでし
たがそこでやっと気が付きました。なんやここ野尻君の
ご自宅やんか!、ハメられたとは思ったものの後の祭り
でその後確かに美人のママ(奥様)がご挨拶に見えられ
三つ指つかれたのにはやや当惑しました。
IMG_2485.jpg
結局二次席は野尻君のご自宅でということで、高価な
ブドー酒の肴にはご当地名産の小さなイカ(ホタルイカ
?)の酢味噌合わせが出てきました。同行2人衆はおい
しく頂いたのですが、タバコ屋は島育ちにも拘らず生の
イカを食べると何故かトイレ直行現象を起こすのでご辞
退しブドー酒のみと致しました。

彼の粋な計らいでそこには自動車部当時のアルバムや
部誌「ウインカー」のバックナンバーが用意されており、
3月下旬とは言え、肌寒い福井の夜の更けるまで飽きも
せず、当時の思い出や今後のOB会のあり方等を語り合
ったのでした。

当初は平尾センセとタバコ屋がアオリ役でOB会のことや
らかなりアオッたつもりですが、途中からは野尻君の方
が積極的にあれこれアオッて来るようになり、イカづくし
の今回の旅で彼の学術名を正式に「越前アオリイカ殿
と命名し、一方アオリの世界ではすでに定評のある平尾
センセの学術名を「アオリイカ大魔王」と命名することに
致しました。上山青年についてはかねてよりそのアピアラ
ンスの特徴から「梅田のユル・ブリンナー」というお名前が
付いているので今更必要ないでしょう。

尽きない話に一応の区切りをつけ明日の「恐竜博物館」
見学に備えて野尻君宅を辞した3人衆でした。その後、
ホテルに帰った後、タバコ屋にはとんでもない事件が待
ち構えていましたが紙数も尽きたようですので、詳しいお
話は次回の記事にてお話致します。お楽しみに。

福井巡礼 vol.7:ああ旧車よ(後編)

平成29年8月9日
タバコ屋達、巡礼団4人衆は迷宮(ラビリンス)に迷い込
んだまま、出るに出られずという状態でしたが、40年代
国産車の神々しいお姿を拝見した後、いよいよ最後は
外国車の広場に誘(いざな)われました。
DSCN3553.jpg
大英帝国のオクルマ業界における高貴なる御三家と言
えば、ロールスロイス、ジャガー、ローヴァーではないで
しょうか。今でこそ世界一のSUVの誉れ高きレンジロー
ヴァーを製造するローヴァー社ですが、元はと言えば第
二次世界大戦で戦車や軍用車(ジープのイギリス版)を
作っていたメーカーで、戦後その既存技術の流用でラン
ドローヴァーなる武骨な荒地走行車?を作っていた訳で
す。写真の展示車はそのランドローヴァーで昭和39年
(1964年)登録とクラシカルな外観の割には意外に新し
いものです。
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時は過ぎ、ローヴァー社はローヴァー3500等富裕層を
ターゲットにした高質なセダンを製造するに至り、また
後年、我がHONDAが高級車のカテゴリーに殴り込みを
掛けるにあたり、ローヴァーに教えを請いその第一号と
して初代レジェンドが誕生したことなどは歴史の裏話と
して知る人ぞ知るお話ですよね。

写真はそのロ-ヴァーが絶頂期にあった頃の作品であ
るローヴァー3500で比較的コンパクトなセダンにV8エン
ジを驕り、イギリスの富裕層をターゲットにした高級サル
ーンでした。専門用語で言いますとアッパーミドルサル
ーンと呼ばれるもので、カーグラフィックの元編集長で
あった小林彰太郎氏が絶賛し、こよなく愛したのがこの
オクルマです。写真の展示車は昭和45年(1970年)登
録で、タバコ屋が大学2回生頃のものです。

ついでながら、ボディカラーはいわゆるブリティッシュ
グリーンと呼ばれる深みのあるグリーンで中々シブイ
です。当時の国産車が白、赤、黄、黒といった単純な
色しかなかった時代にグリーンと言うのは一種エキゾチ
ックな文明の香りがしましたよね。
DSCN3621.jpg
次は御三家ほどではないですが、大英帝国オクルマ界
のアバンギャルドであったロータス社のロータス・7です。
ロータスとは「蓮の花」の意味なんですが、タバコ屋の
こじつけながら、愛媛の詩人坂村真民氏がこよなく愛し
た「念ずれば花ひらく」という理念のイギリス版とも言え
ると思うのです。ロータスは良くも悪くも創業者のコーリ
ン・チャップマンの情熱とともにあった訳で、天才チャッ
プマンの才能により急成長し、またその若すぎる死によ
って名前だけは残ったものの、ロータスは終わりを告げ
たと思います。

展示車の登録は昭和44年(1969年)ですからロータスが
創業時のバックヤード・スペシャル的なオクルマからまと
もな市販車に脱皮しつつあった時期のものです。
DSCN3556.jpg
タバコ屋はロータスのことを思うと、マイクロソフトを創業
したビルゲイツやアップルを創業したスティーブ・ジョブズ
のことに思いが至るのです。カテゴリーは異なるものの
共通していることは彼らが当初はボンビー学生であり、
理想に燃えて大企業が考えつかないような革新的な製
品を生み出し、それが既存の大企業に多大な影響を与
えたばかりか、やがては自らが大企業になって行くと言
うサクセスストーリーを歩んだことです。

ただロータスのコーリン・チャップマンは志半ばで亡くな
ってしまいましたが、晩年には我がTOYOTAと深いご縁
を持つこととなり、現在のロータスのエンジンはTOYATA
製のものが使用されています。

写真のロータス・ヨーロッパはそのロータスがバックヤー
ド・スペシャル的なメーカーから市販車メーカーとして脱
皮し、まともなスポーツカーを販売しつつあった頃の作
品で、日本では目にすることもなかったミッドシップスポ
ーツカーとして自動車史に残る名作でした。登録が昭和
49年(1974年)ですからタバコ屋が大学卒業1年後のこと
にて、オクルマどころか食うや食わずの時代の頃の出来
事です。
F1D中島悟2
尚、ロータスについて話せば、ヨーロッパの後継機種で
あるボンドカーに採用されたエスプリのことや、その後
我がHONDA-F1エンジンを搭載しウイリアムズとともに
大活躍したロータス・HONDA-F1のことなど話せばきり
がなくこの迷宮(ラビリンス)から出ることが出来なくなる
ので今回ははしょることに致します。
DSCN3594.jpg
さて、いよいよジャガーです。展示車は高度成長時代に
至る前の昭和34年(1959年)登録のジャガー・マークⅡ
で比較的安価なスポーティ小型サルーンとして人気を
博しました。いわゆるビンテージカーらしいクラシカルな
デザインで、後年日本の光岡自動車がNISSAN車を改
造してこのレプリカっぽいオクルマを販売していますよ
ね。タバコ屋もこのマークⅡのデザインは結構お気に
入りです。

余談ながら、高名な自動車評論家の徳大寺有恒氏や
タバコ屋の高校時代の先輩である伊丹十三氏などは
ジャガーのことをジャギュワと表現していたようですが、
実際の発音に近いとしてもジャガーの方がスマートだ
と思いませんか。
DSCN3593.jpg
タバコ屋世代がジャガーと言うときはマークⅡではなく
このXJ6を指します。展示車は昭和48年(1973年)登
録ですから、タバコ屋が大学を卒業した年で、もちろん
ボンビーゆえ大英帝国王室御用達のジャガーXJ6なぞ
まったくご縁のない、いわゆるプレステージカーと呼ば
れるカテゴリーのオクルマだったと申せましょう。

余談ながらジャガーはネコ科の猛獣ですが、ジャガー
のスポーティでしなやかな足回りがいつの頃からか
ネコ足と呼ばれるようになりました。多分それはこの
XJ6あたりからだったのではないでしょうか。
ジャガーXE-1
ちなみに現代のジャガーはというと、ローヴァーと一括
りとなってインド人もビックリのタタモータースというイン
ド資本の傘下となっています。かつて植民地として支配
していたインドに逆支配されるというのも歴史の皮肉で
しょうが、パトロンを得たジャガーは往年の輝きを取り戻
し魅力的なオクルマを次々と世に送り出しつつあります。
その中でもタバコ屋が最もお気に入りのオクルマはジャ
ガーXEサルーンで、日本でいえばアコードクラスのオク
ルマですが、スペックはともかくそのスポーティかつ洗練
されたデザインはさすがジャガーと思わせる高貴な香り
がします。

チンケなデザインを懲りずに連発する我がHONDAのデ
ザイナー諸君には猛省を促したいです。高等教育を受
けた彼らが何故「品性とダイナミズム」というデザイン
コンセプトを理解出来ないのかタバコ屋は歯がゆくてな
りません。

またかつてタバコ屋が20年間にわたって乗り続けたレジ
ェンドに至っては世界一売れない高級車などと言われて
いる今、おまえらHONDAマンとしてのプライドっちゅうも
のはないのかと言いたいです。
DSCN3608.jpg
次はロールスロイスです。展示車はシルヴァーレイスで
昭和20年代後半から30年頃に製造されたものだと思わ
れます。現役のナンバープレートが付いており、プレート
からは登録年度が判別出来ませんでした。
DSCN3609.jpg
シルヴァーレイスと言えばロールスロイスが戦後初めて
製造販売したプレステージカーでパルテノン神殿をモチ
ーフにしたその特徴的なラジエターグリルが当時の世界
最高級車であることを誇示しています。

皆さんご存知のようにロールスロイスは進歩的な貴族
で車の販売を手掛けていたロールズと裸一貫でたたき
上げた実業家のロイスが創業したメーカーで良心的か
つ堅実な設計でやがて世界最高級の評価を得るように
なりました。
P51マスタング-2
第二次世界大戦中はオクルマ作りをやめ有名な液冷
V12気筒の「マーリンエンジン」を製造し、スピットファイ
アやアメリカのP51マスタングに搭載され、その名声を
高めたのでした。
シルバーシャドウ4
戦後、オクルマ作りを再開し、展示車のシルヴァーレイ
スを皮切りにシルヴァークラウド、そしてタバコ屋世代に
なじみの深いシルヴァーシャドウへと血脈が受け継が
れます。
伊丹十三記念館15
余談になりますが、タバコ屋の高校時代の先輩である
故伊丹十三氏がその晩年においてこよなく愛したベント
レー・コンチネンタル(カブリオレ)はシルバーシャドウの
クーペ版だったロールスロイス・コーニッシュの姉妹車と
してベントレーブランドで販売されたものです。
DSCN3562.jpg
この展示車はシルヴァーシャドウの後継モデルである
シルヴァースピリットだと思いますがナンバーが丸に外
という文字が入っているので、外国大使館が使用して
いたものではないでしょうか。ロールスもこの辺まで来
るともう旧車とは言えず、タバコ屋のあまり関心がない
昭和50年以降の年代物となります。
DSCN3628.jpg
さて果てしない迷宮(ラビリンス)も薄っすらとその出口
が見えてきたようです。巡礼団4人衆は最後にジドーシ
ャそのものを発明したメルセデス(ダイムラー)ベンツの
コーナーを参拝することに致しました。

展示車は数ある歴代ベンツの中でもその歴史的価値か
ら言って最高峰とも言えるメルセデス・ベンツ300SLで、
今で言うところのスーパーカーのカテゴリーのオクルマ
ではないでしょうか。展示車は昭和30年(1955年)の登
録で、いわゆる高度成長時代以前のオクルマです。

そのスペックは3L直列6気筒SOHCエンジンながらソレッ
クス製キャブレターに替えて、ボッシュ製の機械式燃料
噴射装置を世界で初めて採用し、最高出力は当初の2
倍近い215 馬力を発生しました。今でこそ平凡な数値で
しょうが、昭和30年当時では驚異的なパワーだったと思
います。

そんなことよりもSLを最も特徴付けているのはガルウイ
ング(カモメの翼)ドアで、当時としては革新的なこのメカ
は以来、ベンツの特許になっていると聞いています。
裕次郎記念館300SL-7
メルセデス・ベンツ300SLと言えば、真っ先に思い浮かぶ
のは我らが裕ちゃんの愛車ですよね。裕ちゃんの300SL
は現在世界に6台しかないらしく、裕ちゃんが年俸をすべ
て注ぎ込んだと言いますから、フェラーリ、アストンマー
ティン、はてはマクラーレン等よりも高価で今のお金で
1億円以上したと思われます。(タバコ屋の推測です)
DSCN3630.jpg
さて迷宮巡りも最後となりました。しんがりを飾るのは
巡礼団4人衆の一人、タバコ屋より4期後輩の野尻君が
007の「私が愛したスパイ」改め「私が愛用したベンツ」
の一台である、メルセデス・ベンツSLです。展示車は
ナンバープレートが外されていましたので登録年はわか
りませんでしたが、上記の初代SLから数えて4代目に当
たり、バブル華やかなりし頃の昭和64年(1989年)に発
表されたオクルマです。

メカと装備もさることながら、このSLを特徴付けているの
は、初代SL同様メタルトップの開閉式ルーフではないで
しょうか。このエレキ仕掛けによりあるときはクーペとして
ある時はオープンロードスターとして自在に使えるという
のはキカイ好きなセレブのお方が好むメカなんです。

ま、タバコ屋にとっては浮世離れした「坂の上の雲」のオ
クルマであり、竜宮城で垣間見た鯛やヒラメの舞踊りの
一つだったのかも知れません。
DSCN3635-3.jpg
さて大急ぎでの巡礼参拝となりましたが、これで迷宮か
らいよいよ脱出という段になって、一つの誘惑が待ち構
えていました。お土産売場です。土産好きのタバコ屋が
あれこれ拝見していると、アオリイカ3人衆に取り囲まれ
あれ買え、これ買えと煽られまくり、その結果DATSUN
のプレートと博物館の名入りキーホルダーを買うことに
しました。我ながら修学旅行の頃のパターンが抜け切
れず子供っぽい趣味だと苦笑した次第です。                                                
DSCN3635-1.jpg
もと来た正面玄関を退出します。可愛そうなことにアメリ
カご自慢のリンカーン・コンチネンタルには誰も関心を示
そうとはしませんでした。何故だろう。

思えば、オクルマを始めとする製品にはイメージというも
のが付いて回るのですが、ショーバイという観点からは
良いイメージの構築(アイデンティティ)が最も大切である
ことは前の記事でも申し上げました。アメリカ車いわゆる
「アメ車」はオートマやエアコン、エアサスペンション等々
快適装備に関わる数々の発明や技術革新をもたらした
にも拘わらず、「粗大」という負のイメージが出来てしまい、
戦後は世界一のオクルマ大国だったにもかかわらず、
タバコ屋世代にとってはただ大きいだけの魅力のない
オクルマになってしまったのです。ああ世に恐ろしきは
「イメージ」です。
DSCN3633.jpg
あっと言う間の迷宮巡礼は終わりました。記念に玄関前
で野尻君の愛車メルセデス・ベンツEクラス2.4Lステーショ
ンワゴンをバックにパチリです。タバコ屋としては今後もこ
のアオリイカ3人衆に煽られまくるのかと思うと何やら複雑
な心境がしないでもない一瞬でした。

これで日本自動車博物館見学記を終わらせて頂きます。
例によって4編にもわたる長たらしい記事を最後までご精
読頂いた読者の皆さんに感謝致します。

この後、越前アオリイカ殿のコーディネートで福井の夜へ
と誘(いざな)われるのですがそれは次回の記事にて。
お楽しみに。

★★島のタバコ屋の独り言★★
【7月31日:ああ創業100年】 島のタバコ屋、即ち富永呉服店が創業100年を迎えたことは先般お伝えした通りですが、皆さんよくご存知の世界的宇宙物理学者、故ホーキング博士によれば、100年なんて宇宙的時間軸で言えば、一瞬のまばたきに過ぎない訳で「島でのことも夢のまた夢」ということになりましょう。それはともかく4才の頃から道端の草にも「コンニチハ」なんて愛想を振り撒いて来たタバコ屋にしてみれば「店は客のためにある!」以上、未来永劫、店の続く限りそのテーゼを実践し続けるしかないのです。京都で300年続く老舗料亭、老舗呉服問屋もその志があったのかどうか、お聞きしたことはありませんが、当らずとも遠からじではないでしょうか。
◆◆島のタバコ屋メニュー◆◆
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