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ハローたんぽぽ vol.4

平成26年3月11日
話は突然のことになりますがタバコ屋の島、中島には「葬儀屋」
なるものがかつて一軒もありませんでした。全国どこの僻地、
離島でも似たような状況だったと思うのですが、タバコ屋が子供
の頃には「棺桶屋」というあまり響きの良くない言葉の職業が
あり、そこの息子なんかはカンオケヤの息子とか今で言う差別
用語で呼ばれていたような気がします。その棺桶というのも今の
ように垢抜けたものではなく、粗末なお棺だったように記憶して
います。
野辺送り8
いざ葬儀ともなるとお棺以外の諸々の道具を作る必要がありま
した。当時は野辺送りの儀式として、たいていは自宅からその
町村のはずれにある式場までの練り歩きがあり、幟(のぼり)旗
から始まって辻々で撒き散らす紙吹雪とか遺族が手に持って歩く
小道具とか今となっては滑稽きわまりないようなものを隣近所や
親戚の男性が集まり、真面目くさって作るのです。また女性は
その方々や葬儀に案内した方々のまかない料理を手作りでこし
らえてふるまうのですからもう葬儀の前後3~4日は、つきっきり
という状態でした。
中島昔の野辺送り
この写真はタバコ屋がへたなイラストで当時の記憶を元に野辺
送りの様子をスケッチしたものですが、田舎ではどこも似たよ
うな状況だったと思うのです。都会では古くから葬儀屋があり
タバコ屋の松山での高校時代の同級生にも葬儀屋の息子がおり
ました。しかし田舎、離島では依然として葬儀屋ではなくご近所
親戚が葬儀のお手伝いと施行をする習慣が根強く残っていたと
思います。
野辺送り6
やがて昭和時代も終わり頃になると、田舎にも都会のスマートな
やり方が序々に浸透してきました。映画「お葬式」はそういう社会
状況のもとで制作されました。
野辺送り7
中島のお話しに戻ります。昭和も終わり平成の世となっていま
したが、島でもすでに棺桶屋というようなショウバイはなくな
っており、実はタバコ屋の親戚筋にあたる「おばさん」がお棺
をはじめ葬儀用品を扱うお店をやっていました。葬儀屋ではな
いので、いざ葬儀になると親戚の方がそこへ必要なものを買い
に行き、あとは自分たちで葬儀一切の準備と施行を行うのです。
ホームセンター2
ある日のことでした。それはタバコ屋が島で唯一のホームセンター
をオープンして多忙にしていた頃でしたが、その「おばさん」が
やってきてもう年をとったので自分の店を引き継いでくれないか
というものでした。タバコ屋にとっては専門外のことであり、また
縁起でもないと思いお断りしたのですが、飽きずに何度もやって
来るのです。最後にはとうとう根負けをして引き受けることになっ
てしまいました。平成10年、タバコ屋が48歳の頃のお話です。
赤い霊柩車2
写真はタバコ屋のお気に入りの片平なぎさちゃん主演の山村美沙
サスペンス「赤い霊柩車」シリーズで脇役の大村昆さんと絶妙の
コンビで京都の葬儀社のまわりでおこる様々な事件を解決していく
番組でしたが、葬儀屋のことが少しはわかるかと思いよく見ていた
記憶があります。
赤い霊柩車1
それはともかくやる以上はと思い、実態を調べてみると実は松山
の某葬儀社から特約店的な関係で一切の品を仕入れていました。
今風に言うとお葬儀用品のフランチャイズシステムとでも言うので
しょうか。その葬儀社さんと今後の打合せをしたところ意外な話
を持ち出されたのです。タバコ屋さんは島でいろいろショウバイを
されているのでこの際「葬儀屋」もやってはどうでしょうか。という
ものでした。そのお気持ちがあるならノウハウは当社がお教えする
のでその代わり極力商品仕入れは当社経由にしてほしいと言われ
ました。タバコ屋も50の手習いということになり、かなり躊躇しまし
たが時代も変わりつつあり、島にもせめて一社くらい葬儀屋は必要
だと感じていたので、思い切ってゼロから教わることにし、その後
数年かけて葬儀屋のオベンキョウをするはめになったのです。
たんぽぽロゴ1-1
さて今回のたんぽぽにまつわる一連の記事の謎解きをしなくては
なりません。タバコ屋は新しい事業として葬儀屋を始めるに当たり
その社名を何と言う名前にするか、わが子に名前を付けるのも一緒
でかなり悩みました。その時ふと浮かんだのが伊丹さんの「お葬式」
と「タンポポ」でした。そうだ新しい社名は「たんぽぽ」にしようと直感
で思ったのです。幸い松山界隈では「たんぽぽ」という社名を使って
いるところはありませんでした。
たんぽぽロゴ1
ただ、ここだけの話ですがタバコ屋が知っている限りでは「たんぽぽ」
という名前でショウバイしているのは松山のある飲み屋(クラブ)と
広島のお好み村の3Fにあるお好み焼き屋さんだけです。(今では
あるかどうか・・・?)
ついでに言うなら、愛媛では著名な詩人の坂村真民先生(念ずれば
花開くというコトバが有名です)の記念館として松山市の郊外に
「たんぽぽ堂」というのがあります。
恥ずかしながら、社名のたんぽぽの文字はタバコ屋自身の手で書い
たものでその意味ではかなり愛着のある社名ともなりました。
尚、イメージカラーはタバコ屋の母校、同志社大学のスクールカラー
でもある「紫」とさせて頂きました。(正式にはロイヤルパープルと
いう色だそうです)
大浦地区(公民館)5
写真は地元の公民館を使用してたんぽぽが施行したお葬式の一
例ですが、葬儀屋のオシゴトを甘く見ていたタバコ屋はその後、
夜昼関係ないお葬儀業について地獄の日々が待っていようとは
夢にも思いませんでした。目くら蛇に怖じずとはこのことを言うの
でしょうか。
大浦地区(公民館)2
おもしろ傑作川柳に「プロポーズ、その日に帰って断りたい」と
いうのがありますが、お葬儀のお世話で寝る間もない時などは
それを思い出し「(葬儀屋の)引き受けをその日に帰って断りたい」
と思ったことも何度かありました。
ただその後の中島は「たんぽぽ」の出現により旧来の習慣が一変
し、キョンシーの行列及び八つ墓村みたいなものはすべてなくなり、
都会の葬儀に近い形が徐々に出来ていった訳で、その意味では
島の生活の近代化に役立ちたい」というタバコ屋の切ない願いは
少し果たせたかなと思います。
大浦地区(寺院)
葬儀の会場も自宅を使用することがなくなり、公民館とか写真の
ように菩提寺の本堂をお借りして施行するようになりました。
写真はたんぽぽ流のお荘厳(しょうごん)表現ですが、手前味噌
で恥ずかしながら結構シンプルかつ厳かにまとめていると思うん
ですけど・・・。

また葬儀に関わる仕事をするしないは別にしてタバコ屋は中国の
道教(俗習)の影響が大きいと思われる日本の旧来のキョンシー
まがいの習慣が大嫌いだったので、それをなくするという望みも
叶えることが出来ました。多分熱心なクリスチャンだった実母の
影響もあったと思いますが、その母親もそのようなチンケな習慣や
当時の女性蔑視の社会状況が嫌で嫌でたまらなかったのだと思
います。タバコ屋がかつて新島襄、八重夫妻が興した同志社大学
に学んだこともその後の人生観を大きく左右したのかも知れません。
中島斎場1
余談になりますが近年、島内の火葬場が甚だしく老朽化し、島民
の方々も松山で葬儀をするようになってしまい、「たんぽぽ」も
その役割を終えたかなと思っていましたが、昨年春松山市によって
写真の近代的な斎場が島に建設され島民の方々も序々に新斎場
を利用するようになりました。そうなると一転「たんぽぽ」も再び
忙しくなってくる訳で、島の波打ち際で辞世の句を読んでいる場合
ではなくなりつつある今日この頃です。
FF第二工場1-1
余談の余談ながら、タバコ屋は島の特産品である柑橘を使用して
ジュースやジャムを作る工場を建設したのですが、写真はその建設
中のものです。偶然なんですが、新設の斎場とデザインがよく似て
おり、また屋根や壁に使用している材料もガルバ鋼板という最新式
のもので他人の空似とは言え、何やら因縁を感じます。
たんぽぽ5
今回は野に咲く可愛い花、たんぽぽに始まり映画「タンポポ」や
「お葬式」にからんで「たんぽぽ葬儀社」が誕生したいきさつを
お話し致しました。尚、前回お約束した伊丹さんのカーマニアで
もあった一面や、その後の彼のことについてはVOL.5にてお話し
したいと思います。今日のところはこの辺で・・・。


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Re: 御見舞い有難うございます

いつもお世話になっております。ややのご無沙汰です。この度は地震の御見舞いを頂き、有難うございました。夜中の2時過ぎの突然の大揺れにやや肝をつぶしました。以前の芸予地震の時よりやや小さい地震だったのですがそれでもあの感触というのはいやなものですよね。さっそく店内及びファクトリーを見て回り棚から商品が落ちて割れたりはありましたが、施設の損傷は軽微で事なきを得ました。たそがれのタイタニックに魚雷を打ち込まれたようなものでしたが何とか難を逃れられました。先日60の手習いにて防火管理士の資格を取ったところなのですが、お互い防火、防災の心がけが大切かと存じます。まずは御見舞いのお礼まで。

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★★島のタバコ屋の独り言★★
【4月10日:ああ創業100年】    島のタバコ屋は先々代が呉服屋を創業以来3代目となり、その間戦後間もない頃には島のバス運営事業を試みる等様々な営みを経て今日に至っています。皆さんよくご存知のNIKONも創業100年なんですが、比較にはならないものの同じ時代を生きてきた訳です。かつてオハイオのメアリーズビルで活躍する夢を抱いたこともあった青年も年を取りました。さて今後の100年をどのように生きて地域のお役に立っていくか、タバコ屋にとっては後継者である倅への「死に土産」としてそのコンセプトを確立しておく必要があると考えています。しかし倅にとっては年寄りの余計なおせっかいに写るかも知れませんよね。
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