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校長先生西瀬戸を行く vol.2:松山編

平成26年4月4日(元校長先生のお誕生日に寄せて)
3月19日の昨日は中島をご案内し、夜は昔話に花が咲きました。
今日は引き続き松山をご案内する予定です。朝早かったのですが
タバコ屋のホームセンターの前で家族とお別れしました。
IMG_4344.jpg
まず向かったのは元高校の教師で詩人だった故坂村真民さんの
業績を偲んで松山市の郊外に建てられた「坂村真民記念館」です。
坂村真民記念館-1
真民さんは詩人でしたが宗教についても幅広く研究されており、
タバコ屋の究極のテーマでもある「幸せって何だろう」を考え続けた
人でした。
それを「念ずれば花開く」という象徴的なコトバと詩で表現し、その
仏教的な世界観をベースにした謙虚で前向きな人生観が日本だけ
にとどまらず世界的な共感を呼び現在ではその石碑が世界中で
数百基に及んでいるとか。その石碑の前でたたずむ平尾夫妻です。
(関連記事:札幌紀行 vol.1:お仕事参照願います)
IMG_4353.jpg
ちなみに「念ずれば花開く」の石碑第一号は、京都の西北にある
常照寺さんの境内だそうで平尾氏も意外なご縁にしばし感じ入って
いるようでした。自称晴れ男の平尾氏の自信と期待を若干裏切り、
当日はあいにくの小雨模様でしたが、あまり観光客の訪れない
場所で静かに見学することが出来ました。
IMG_4375.jpg
次に行ったのはタバコ屋の先輩でもある元映画監督、故伊丹十三
さんを偲んでこれも松山市の郊外に建てられた「伊丹十三記念館」
です。伊丹さんのことにつきましてはタバコ屋のブログ記事にて
詳しくご紹介しているので今さらご説明する必要もないでしょうが
館長である奥様の宮本信子さんはあいにくこの日は来られてなか
ったようでした。
(関連記事:ハローたんぽぽ vol.1 .2 .3 .4参照願います)
IMG_4371.jpg
まず目に入ったのはカーマニアの伊丹さんのお気に入りだった
愛車ベントレーコンチネンタルを納めたガレージでした。
IMG_4357.jpg
伊丹さんとベントレーにまつわるお話はたんぽぽの記事で詳しく
書いたので、はしょることにしてさっそく館内へ入りました。
(関連記事:ハローたんぽぽ vol.5(完結編)参照願います)
IMG_4366.jpg
中村好文さん設計のこの記念館は外観同様中もモダンな作りで、
ダンディだった伊丹さんの遺品が整然と並べられていました。どれ
もこれも伊丹さんらしいセンスとエスプリに溢れていてエッセイや
映画に結びつく品々が並べられ、彼の直筆になる映画「タンポポ」
出演者の似顔絵も残されていてとても上手く、イラストレーターでも
あった彼の才能を彷彿とさせるものでした。
吹き抜けの中庭には所々にたんぽぽが植えられておりとても心安
らぐ空間でした。見学後はお土産コーナーに立ち寄りお土産嫌いの
タバコ屋もたんぽぽをデザインしたハンコを買い求めました。
IMG_4376.jpg
記念館を退出し外に出たのですが、やはりオクルマオタク平尾氏は
中の品よりもベントレーの方が気になるようで彼の愛車三菱ランサー
エボリューションXとともに記念撮影です。前回の記事でクイズの
ようなことを申し上げたガレージ正面の8の文字の謎ですが、もう
ここらでお答えしても良いでしょう。8の意味は伊丹さんの遺品の
整理ナンバーでベントレーは8番目という意味です。
後ろに見えている一六タルトの看板はこの記念館建設にあたり土地
を提供した一六本舗のもので、その本社がある場所です。つまり
隣接しているという訳です。
IMG_4379.jpg
次に向かったのは松山市の中心部で大街道(おおかいどう)と呼ば
れる繁華街です。タバコ屋は高校時代から松山に住んでいたので
期末試験が終わった時などはこの界隈で息抜きに映画(主にスペ
クタル物やマカロニウエスタン)を見に来ていました。その時友人と
よく立ち寄ったのが鍋焼きうどん屋の「ことり食堂」と「アサヒ食堂」
でした。ことりは以前のブログ記事でご紹介しているので、今回は
久しぶりにアサヒへ行くことにしました。
(関連記事:こまどり姉妹参照願います)
アサヒ食堂1
アサヒ食堂の創業は戦後間もなくの昭和22年でメニューは鍋焼き
うどんとお稲荷さんのみで当時は甘いものが貴重品だったため基本
は関西風の薄味ながらとても甘口の味付けで今日までその味は
頑固に守られています。
アサヒ食堂9 アサヒ食堂8
いりこと昆布のダシはとてもおいしいのですが甘口ゆえダイエット
実施中の平尾ご夫妻にはやや気が引けるメニューではありました。
ともあれ腹ごしらえも出来たところでいよいよ松山城に登ることに
しました。松山城へはロープウエイ、リフト、徒歩の手段があります
が、今回は行きはリフト帰りはロープウエイを使うことにしました。
IMG_4380.jpg
自称晴れ男氏のご提案で、小雨の間は他の建物とか見学し松山城の
頃には雨がやむというシミュレーションは見事に当たり雨はやんだもの
の黄砂が押し寄せていたためあいにくの景色でした。奥様も慣れぬ
乗り物にて心なしか不安そうです。
IMG_4385.jpg
やって来ました、松山城天守閣です。松山城は日本三大平山城
にも数えられる名城ですが、皆さんご存知のようにこの松山城を
作ったのは戦国時代の武将であった加藤嘉明(よしあきら)で、
もともと秀吉の家臣として賤ヶ岳の戦い等で武功を立て大名となり
朝鮮の役でも活躍しましたがその後石田三成と対立し関が原の
戦いでは家康派に属し戦功を立て、20万石大名となりました。
もともと朝鮮の役での武功により松山郊外の伊予松前藩の藩主と
なっていたためこれを機会に現在の場所へ引っ越し築城を開始、
自らその地を「松山」と命名しました。ただその完成を見る前に
会津藩に転封(転勤)となり、実際はその後を引き継いだ蒲生氏
によって江戸時代の初期に完成されました。
IMG_4390.jpg
その後紆余曲折があり最後は松平氏が藩主となって200年以上
徳川家の親藩としてこの地を治めましたが明治維新によってその
長い歴史に幕を閉じました。
IMG_4388-1.jpg
織豊時代には鉄砲が急激に普及する等、世界でもトップクラスの
軍事力を誇っていたのですが徳川家康はキリシタン等の異国文化
の流入による社会混乱を防ぎお家安泰を最優先するため鎖国とい
うばかな政策を採りました。おかげでその後急激な発展を遂げた
ヨーロッパ文明の恩典を受けられず、同じ鎖国政策を採っていた
中国、朝鮮同様、幕末頃には非常な脅威を受けることになり、結果
として開国、明治維新へと繋がる訳です。それに早く気付いた日本
はまだましで、頑なに鎖国を続けた中国、朝鮮はヨーロッパに蹂躙
されみじめな結果になりました。いつの世でもひきこもりというのは
良くないですよね。真似をし合うというのが人類進化の理由ですから。
現代のF1なんかひどいもんで、あるチームが革新的なメカをひっさげ
て登場したと思ったら翌月にはもう他のチームが真似ているという
具合です。

平尾ご夫妻の後ろの壁に四角い窓があるのは皆さんご存知でしょう
が、その鉄砲をうがつ窓です。奥様が持っておられるのは松山城の
絵葉書だと思うんですが・・・はて。ついでながら彼が肩からぶら下
げているのはメカマニアの平尾氏らしいNIKONの高性能カメラです。
DSC_3216.jpg
松山市を一望出来る天守閣に登りそのパノラマを楽しんだと言い
たいところなんですが生憎の黄砂でやや残念な結果となりました。
晴れた日は北西方向に西瀬戸を眺めることが出来るんですが・・・。
タルト3
余談になりますが、その間藩主が長崎の海上警備を命じられて
赴任した折に持ち帰った南蛮菓子がその後改良されて「タルト
というスイーツに生まれ変り現在では松山を代表する銘菓として
広く親しまれています。何が幸いするかわからないものです。
(関連記事:島のスイーツ開発 vol.3:続タバコ屋のお気に入り
参照願います)
明教館2
また手前味噌のような余談で恐縮ですが、藩主松平公の功績と
して江戸時代後期に文武振興のため藩校「明教館」を発起設立し
ました。明治維新後はその建物は松山中学に移築され後の愛媛
県立松山東高校へと引き継がれましたが、伊丹さんもタバコ屋も
その古びた建物を毎日見ながら通学したという古~いお話です。
IMG_4392-1.jpg
桜の開花にはやや早い時期ですが天守閣をバックに記念撮影です。
平尾氏のホームグラウンドの宇治には世界遺産の平等院鳳凰堂
あり、そのレストア(修復)が56年ぶりになされたそうで、タバコ屋
も来年には是非行ってみたいと思います。

ラリー競技で数々の輝かしい実績を持つ頭脳明晰な平尾氏の完璧な
シミュレーションのおかげで雨を避けることが出来たのでしたが
ロープウエイでの下山時には再び雨模様となり次の目的地「坂の上
の雲ミュージアム」に徒歩で移動する頃にはズブ濡れ状態でした。
IMG_4395.jpg
突然で恐縮なんですけど、雨宿りのつもりで入ったとあるビルの
エントランスに何とHONDA S800がお座りしていました。
正確にはS800-Mという最後期のタイプで自称ホンダPTA会長
であるタバコ屋も一時期真剣にこのオクルマの取得とレストアを
考えたことがありましたが当時(7年前)まだ見ぬ240Zにはまっ
ていたこともあり二兎を追うわけにはゆかず結局は赤いお嬢さんに
行き着いたというエピソードがあります。ただその後レストア地獄
なるものが待ち構えていようとは夢にも思いませんでした。もう
二度とあのような辛い経験はしたくないですが喉元過ぎればさて・・。
(関連記事:終わりなき旅 vol.2:愛車ミーティング参照願います)
坂の上の雲ミュージアム
さて松山城のふもとにある「坂の上の雲ミュージアム」にやって来
ました。この建物は皆さんよくご存知の小説家、司馬遼太郎さんの
同名小説をテーマにその主人公である正岡子規、秋山好古、真之
兄弟の遺品や資料を中心に明治の日本や松山のことを紹介して
いる博物館で設計は高名な建築家、安藤忠雄さんが手掛けたもの
ですが変な三角形のコンクリート打ちっぱなしの建物でタバコ屋
個人的にはこの設計は好みではなく大好きなジウジアーロかもしく
は伊丹十三記念館を設計した中村好文氏を起用したいところです。
写真では晴れていますが当日は雨で実はタバコ屋のカメラのバッ
テリーがなくなったため他から流用させて頂きました。
尚、これ以降の写真は平尾氏が写したものを使わせて頂きます。
(関連記事:203高地 及び博多・熊本巡礼 vol.3:蒙古襲来
参照願います)
DSC_3187.jpg
タバコ屋のスケジュールでは松山のご案内はここまでであとは
本日の宿泊予定である道後へご案内するのみとなったのですが
すでに松山城に登るまえから平尾氏はしきりに市内電車のこと
が気になっていたようで、あちこち写真を撮り始めなかなか動こう
としませんでした。奥様に聞くと旅先ではいつもこうなので今は
もう諦めていますとのオコトバでしたがやっと納得がいったのか
一路道後温泉を目指すことにしました。
DSC_3197.jpg
それでも途中いろいろなデザインの市内電車が通るのでやはり
気になって仕方がないような風情でした。彼はオクルマに限らず
動くものは何でも好きで、趣味が高じてこのオトシになってもお子
達相手に動くおもちゃの全国大会を目指して熱血指導をされると
言うのはただごとではないような気もします。
正岡子規記念博物館3-1
すでに日は暮れかかっていましたが、時間にやや余裕があったの
で、欲張って道後温泉入口手前にある正岡子規記念博物館にも
立ち寄ることにしました。
正岡子規
子規についてはもう皆さんご存知なので説明の必要もありません
が、松山が生んだ近代俳句の先駆者であるとともに随筆や絵も
得意で、また意外なことですが、現代の文章の書き方、表現の
仕方というのは明治時代この正岡子規や夏目漱石によって確立
されたと言われています。現代に残る子規の業績と言えば「野球」
という言葉の発明者であるとか「近代俳句」の祖であるとか言わ
れますが、最も大切だったのは現代日本語表現の基礎を作ったと
いうことではないでしょうか。教育者でもある元校長先生ご夫妻
を閉館前の30分であわただしくご案内して、本日のゴール道後
温泉へ向かいました。
余談ながら、平尾氏のお父様も教育者で校長先生だったとお聞き
していますが、正岡子規の信奉者で熱心な俳句のファンでもあり
ご自身の句集も随分残され、また松山及びこの子規記念館にも
何度も訪れていらっしゃるとか、世の中狭いです。
(関連記事:農業とレストア vol.7参照願います)
道後椿館2
本日のお泊り予定はタバコ屋お気に入りの「道後椿館」で平尾氏
から依頼されたのでご紹介致しました。支配人さんにもお二人を
ご紹介し快適な宿泊の旨お願いしておきました。
道後椿館4-1
道後椿館のエントランスロビーですが、吹き抜けでゆったりしており
レトロな感じがタバコ屋の大のお気に入りで、きっと平尾氏ご夫妻も
くつろいで頂けると信じてお勧めしました。京都リーガロイヤルほど
の格式はないものの、温泉地のホテルとしては清潔感とおもてなし
感が優れていると思うのですが、タバコ屋のいつもの思い込みかも
知れません。
IMG_2117-1.jpg
突然で恐縮ですが、実はこの写真は九州のラーメン王ことD大学
自動車部同期のSU氏(末永氏のこと)がご夫婦で一昨年中島に
行幸された時のものです。愛車はもちろんポルシェ997カレラ4S
でこのような恐ろしい戦闘機が中島に来ることはもうないと思って
いましたが今度は京都から現代のハイテクゼロ戦の殴り込みに会
い、タバコ屋はもうたじたじです。ちなみにこの2台合わせると
当時のゼロ戦の馬力とほぼ同等になるという凄まじさです。
(関連記事:究極のレストア参照願います)
IMG_2131.jpg
ご縁というのは不思議なものでそれより遡ること数年前、末永夫妻
が松山に宿泊された時ご案内したのも偶然ながらこの「道後椿館」
でした。楽しい一夜だったのは言うまでもありません。

余談が長くなりました。タバコ屋はもうそろそろおいとましないと
中島行きのフェリー便がなくなるのと、どうも夕食までに時間の
余裕がありそうだったので道後温泉駅まで3人で銀ブラならぬ道後
ブラをしながら坂道を下って行きました。
DSC_3224.jpg
すぐそこにはかの有名な道後温泉本館があり最近建物やこの周辺
一帯が大規模なリフレッシュにより生き返りました。丁度春のイベント
が行われていてトークショーや餅撒きが始まる予定でしたが時間が
ないので駅へ向かうことにしました。
DSC_3227-2.jpg
道後温泉本館の正面ですがこの日も多くの入浴客で混み合っている
ようでした。万葉集にも出てくる日本最古級の温泉とは言われるもの
の地元のタバコ屋などはいつでも入れるという安易な気持ちがあるの
で、今までで2~3回しか行ったことがありません。
DSC_3247-1.jpg
道後温泉の入り口にはからくり時計があり、D大学自動車部で
タバコ屋の一期後輩のT女史が嫁に行っている飛騨高山のから
くり人形ほどではないと思いますが、夕闇せまる道後の町で
なかなか風情のあるたたずまいでした。
DSC_3253.jpg
駅に到着です。ノリモノ好きの平尾氏はさっそく「坊ちゃん列車」が
気になって仕方がなく撮影に精を出されていました。これは飾り物で
はなく現役で市内を定期的に運行しています。もちろん燃料は石炭
などと野暮なものではなく恐らくディーゼルだと思います。
DSC_3242.jpg
タバコ屋は朝日は好きですがたそがれは嫌いで何となくうら寂しい気
がしてきます。D大学自動車部の一期後輩には「朝日堂のいとはん」
と呼ばれる爽やかI女史がいらっしゃいますが、やはり「たそがれ本舗」
より「朝日堂」のほうが断然いいですよね。平尾ご夫妻と昼飯食った
のも「アサヒ食堂」でしたし・・・。
DSC_3237-1.jpg
いよいよしばしのお別れです。これ以上まごまごしていると島に
帰れません。涙もろいタバコ屋は一瞬うるうるしかかりましたが
何とか笑顔でお別れをすることが出来ました。
平尾ご夫妻はこのあと甘美な道後の夜を満喫されたと思うので
すが、その後のお話は平尾氏から写真を頂いたので想像物語を
書かせて頂く事にして今日のところはこの辺で終わりにしたい
と思います。
平尾ご夫妻は2日間にわたるタバコ屋のつたないエスコートを
気に入って頂いたのでしょうか・・・さて。

コメント

No title

ちわっ!
松山には仕事で1,2回行ったことがありますが、遠くから松山城を眺めただけでした。 立派なお城なんですねー。 
そういえば福井の越前は松平家ですが、最後の松平氏は姻戚関係があるのかもしれません。 
私はいまだにお殿様が転勤していたことがよく理解できていません。  自分で勝ち取った領土を代々守ってきたという風にずっと思っていました。
黄色いS800良いですね。 部車はS600だったと思いますが、インパネと特にギアシフトのストロークが短くて小気味よくシフトチェンジでした。 現在のオートマでは味わえない感触でしょうか。
そのS6で思い出すのはサーキットラリーです。 私はメカ担当でピット待機、そのときのピット作業の課題はディストリュビューターのポイントの交換作業でした。 事前にホンダのディーラーにて適合するポイントを探してもらい適合確認もせずに本番に臨んだのですが、何と何回チャレンジしても上手く取り付けできないので、諦めて元に戻したのを今でも覚えています。 やはり何事も事前準備・確認が必要だというのを感じた私にとっての事件でした。
ピット担当ということでサーキットを走ることは出来無かったので、残念でしたが、1周でも良いから走りたかったことも思い出します。
一度で良いからぜひとも聖地である鈴鹿サーキットを走ってみたいですね。

また、車とは趣が違いますが、旅先での電車(特にローカル線)は時間がゆっくり流れて良いものです。 

Re: 予期せぬご縁

拝復、ちわっすです。そうですか上山青年は松山に来られたことがあるんですね。松山城、お褒め頂き有難うございます。お殿様のことですがご指摘のように福井松平家と松山松平家とは親戚です。ちなみに福井松平家は家康の次男松平秀康が藩祖で、松山松平家は家康の弟の息子松平定行が伊勢桑名藩から転封(転勤)してきた訳で、つまり従兄弟ということになりますよね。ともに徳川家を支えた親藩であったのはご存知のとおりです。こじつけかもわかりませんが上山青年とタバコ屋はご縁があるということなのです。

お殿様の転勤についてですが、ご存知のごとく平安時代末期までは国土はすべて国有地だった訳で、それに頭にきたおもに関東地方(坂東)の土着民(後の武士)たちが自分たちの住んでいる土地の領有を主張しだし勝手にもぎ取るようになりました。それは鎌倉時代で大流行となり、室町まで混乱は続きましたが、織豊時代を経て徳川の世にはそれが武力で再統一され今度は国有でも大名のものでもなく徳川家のものとなりました。そこで各大名はサラリーマンとなってしまい転勤というものが発生した訳です。

そうですか、S800でサーキットラリーを思い出されましたか。聖地「鈴鹿」、上山青年も主張されているようにOB会は一度そのSUZUKAでやりたいものですよね。

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★★島のタバコ屋の独り言★★
【4月10日:ああ創業100年】    島のタバコ屋は先々代が呉服屋を創業以来3代目となり、その間戦後間もない頃には島のバス運営事業を試みる等様々な営みを経て今日に至っています。皆さんよくご存知のNIKONも創業100年なんですが、比較にはならないものの同じ時代を生きてきた訳です。かつてオハイオのメアリーズビルで活躍する夢を抱いたこともあった青年も年を取りました。さて今後の100年をどのように生きて地域のお役に立っていくか、タバコ屋にとっては後継者である倅への「死に土産」としてそのコンセプトを確立しておく必要があると考えています。しかし倅にとっては年寄りの余計なおせっかいに写るかも知れませんよね。
◆◆島のタバコ屋メニュー◆◆
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