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校長先生の青春 vol.2:されどもラリー

平成26年5月17日
ラリー病という不治の病にかかってしまった平尾青年はD大学
自動車部ご卒部後、玉の輿で「ファイト・一発!」で有名な鷲の
マークの某有名製薬メーカーへ入社されたのでしたが、何が
気に入らなかったのか1年も経たずにさっさと退社してしまい
ました。お父様が校長先生をされていたので、ご自分もその後
を継ぎ教育界に身を投じようとしたのかも知れませんがタバコ屋
にとっても他の同期生にとってもミステリアスな出来事でした。
リポビタンD-2
いきなり無職浪人となった平尾青年でしたが、ご自身期するところが
あったのでしょう。一念発起京都市内でオクルマ用品(主にバッテリー
関係)の卸業をやっていた同期のIN君(本名は井上、愛称はター坊)
に頼み込み、店の配達やら雑用やらのアルバイトをしながら、「ファイト
一発
」教師の免許を取り直し念願の教員生活に入ることとなりました。
もともとアタマの出来が良い彼のことですから、教師免許の取得は
あまり困難なことではなかったと推察されます。
12 A73
その間、ラリー病は治癒どころかますます進行し当時三菱がサザン
クロスやサファリ等、世界的なラリーにワークス参戦していたマシン、
ランサー1600GSRを購入しました。当時は厳しい環境だったはず
で、多分ご両親に無理を言ったのか、あるいは井上商店でためた
バイト代で購入されたのかはたまた教師となった初めてのお給料で
買われたのかどうか、まあ余計な詮索と言うものでしょう。

当然ながら彼が三菱ギャランで蓄えたノウハウはこのランサーにも
反映されており、外観は凄みのあるシビエのスポット、フォグランプ
以外、極めてノーマルですが足回りはラリー用に固められ、アンダー
ガードやラリー用タイヤはもちろん、ギャランではそこまでのハイチュー
ンはされてなかったエンジンもSOLEXキャブレターが組み込まれる
等、本格的な戦闘機仕様にしつらえられています。エンジンフードに
ダクトが2個付いているのは伊達ではなく、ハイパワーによって発生
した熱を逃がすためのもので高性能車によく見られる定番装置です。

タバコ屋も卒業後、広島方面へ転出したので、その後の状況がよく
わかっていませんが、彼はこの最新マシンを手に入れたものの、
国内ではラリーの開催が難しくなっていた時期であり、また自身も
職業の構造改革?というファイト一発の大勝負をやっていたせいで
ラリーどころではなかったと推察されます。尚、ここだけの話ですが
その当時ランサー1600GSRはラリーオタクの間では一つのトレンド
と言うか、あこがれになっており、自動車部同期の数名も卒業後時を
同じくしてランサー1600GSR購入に至ったと記憶しています。
ワークスランサー1600GSR1
ランサー」日本語では槍騎兵と訳されているようですが、軽快な
騎兵隊のイメージがありますよね。当時の平尾青年始め、オクルマ
大好き人間がハマッていたランサーはそれなりの理由がありました。
240Zサファリ1-1
WRC(世界ラリー選手権)で最も過酷なコースとして知られるサファリ
ラリーにNISSANはブルーバードB410、P510で挑戦、P510で
見事初優勝を飾った後は満を持してフェアレディ240Zを投入、連続
優勝を飾り、極東の小国NIPPONの名を世界に知らしめたことは
以前の記事で何度もお話したとおりです。
(関連記事:好みの基準 vol.2:愛車変歴及び零戦の末裔参照願い
ます)
ギャランサザンクロス
当時、三菱はNISSANとはやや異なるアプローチをしていました。
タバコ屋の専門分野のマーケティング理論から言えば、最高峰たる
サファリラリーとかはいきなり狙わず、ニッチ(隙間)であるローカルの
オーストラリア・サザンクロスラリーで実績を付け、それからサファリ
を狙うという戦略でした。写真は昭和47年オーストラリアのサザン
クロスラリーで初優勝したミツビシワークスギャランです。ドライバー
は名手アンドリュー・コーワンでした。奇しくも丁度同じ年、NISSAN
はフェアレディ240Zでサファリラリー総合優勝、日本が最も輝き始め
た時代でした。
(関連記事:復刻と改造参照願います)
ランサー1600GSR-3
昭和48年、即ち平尾青年やタバコ屋が卒業したその年にデビューし
たランサー1600GSRはスペックこそ前マクファーソンストラット、後
リーフスプリングの足回りにSOHC1600CCエンジンを搭載した
やや平凡なオクルマながら、高性能なSOLEXキャブレターを装備し
また車重が800kg余りと軽く、コンパクトでバランスのよいボディと
相まって高いポテンシャルを備えており、第8回サザンクロスラリーで
1~4位独占という驚異的な成績を挙げたのです。総合優勝は前述の
アンドリュー・コーワンで、長年にわたるランサー栄光のストーリーの
第一歩が記されました。
ランサー1600GSR-5
意を強くした三菱は、次の段階として世界で最も過酷なラリーとして
知られるサファリラリーに挑戦、翌昭和49年のサファリラリーデビュ
ー戦で、ケニアのラリー王ジョギンダ・シンの手によりいきなり初優勝、
わずか1600CCのマシンがポルシェ911をはじめ、並み居る強豪に
競り勝った歴史的な瞬間でした。
ランサー1600GSR-9
サファリラリーの覇者フェアレディ240Zとランサー1600GSRが
仲良く写っている貴重な写真です。メーカーこそ違えこのNIPPON
を代表する二車が当時の世界ラリー界を席捲した訳で、タバコ屋
のみならず、オクルマ大好き青年にとってはたまらなく誇らしい事
だったと思うのです。多分平尾青年はそのような時代背景のもと、
再就職に必死でオクルマどころではなかったにも拘わらず、ラリー
病という難病のせいでうなされるようにディーラーに行きランサーを
見るなり、「これ下さい!」と叫んだのだと思います。他の同期生も
同様の理由だったに違いありません。
ランサー1600GSR-7
その後もランサーはサザンクロスラリー等で勝利し続け、やがて篠塚
建次郎
という世界に通用する日本人ラリーストをも生み出しました。
その無敵ぶりでアフリカでは「キング・オブ・カー」と呼ばれるようになり
ましたがやがてマスキー法の実施による極端な排気ガス規制により
ラリーどころではなくなり、3年後の昭和52年には撤退を余儀なくされ
たのでした。しかしその血統は後のランサーエボリューションシリーズ
に受け継がれていったと思います。
IMG_4407.jpg
突然の写真で恐縮ですが、阿闍梨(あじゃり)のごとくラリーに青春を
捧げた平尾先生に、ご縁あって現在の奥様とご結婚の華燭と相成り、
同期が押しかけた時のものです。何とまあ恥ずかしいほど若々しい
面々のお姿ではないですか。今ではたそがれのおっさんにもこんな
時があったんです。平尾青年の満面の笑顔がなんとも微笑ましい
限りです。恥ずかしながら左端からタバコ屋、ター坊こと井上、佐々木
平尾青年を挟んで右が陛下こと南野ですが、彼は陛下と呼ばれるだ
けあって品性があり、もの静かな好青年でした。ずっと後、タバコ屋が
京都大丸でみかんの販売会催事をやった時、差し入れにご夫婦で来
て頂いてからは会っていません。元気でやっているんだろうか。
ちなみに彼は京都鞍馬口で酒店とコンビニやってるはずですが・・・。
14 健次郎記念写真
前述の世界的な日本人ラリードライバー篠塚建次郎氏と平尾青年
親子が恐らくパリダカールラリー出場の三菱ワークスパジェロの前で
記念撮影したものと思われますが、この時代は同期もオシゴト、結婚
子育てと各地で忙しくしていた頃で、なかなか普段の交流は出来ま
せんでした。
IMG_4406.jpg
それから10数年経った頃でしょうか、あの懐かしい新町ガレージが
京田辺の新キャンパス内に移転するということで、OB会か何かの
折に、同期の皆で新しいガレージを訪問した時の写真です。愛着
はあったものの、オンボロガレージからピカピカの新ガレージに変身
したのを目の当たりにし、皆でしばし感慨に耽っている所でしょうか。
15 800pajero11
三菱は一定期間のワークス活動休止の後、ラリー活動再開後は
活躍の場をパリダカールラリーに移し、マシンもSUVのパジェロを
投入して総合優勝10回以上、クラス優勝は数知れずという圧倒的
な勝利を収め、パジェロ(山猫)ならぬ砂漠のライオンとして世界の
頂点に君臨しました。
(関連記事:東京モーターショー異聞 vol.3参照願います)
46.jpg
平尾青年もオクスリ屋さんから一転、お子達相手にあれこれ教える
という教師のオシゴトに変わったもののラリーへの思いは断ちがたく
三菱が再びパリダカで大活躍するのを見るにつけ、居ても立っても
おれず再びディーラーに赴き「これ下さい!」と叫んだのが写真の
三菱パジェロ、4ドアロングボディ版でオーバーフェンダーやフロント
のプロテクターを始めシビエのでかい補助ランプ等が現代の戦車で
あることを物語っており、ちょっと近寄りがたい威容です。彼は以来
この戦車を大切に乗り続け数十年後の今でも手放す気持ちはまっ
たくないようです。
IMG_3310.jpg
ちなみにこの写真は昨年10月京都リーガロイヤルホテルで行われた
D大学自動車部80周年大会時に平尾氏のパジェロとタバコ屋の赤い
お嬢さんフェアレディZが仲良く記念撮影した時のものですが、もうZ嬢
なんか今にも踏み潰されそうな感じです。
(関連記事:終わりなき旅 vol.2:愛車ミーティング参照願います)
16.jpg
お子達相手に熱血先生であった平尾青年は時を経て校長先生まで
上り詰め、相応の年恰好になってきました。今ではさらに京都市教育
委員会に招かれ、京都発もの作りの精神と技術を次世代のお子達に
伝えるための啓蒙活動拠点「京都まなびの街 生き方探究館」(HPに
リンク)という所で日々精力的に活動されています。しかし一方ラリー
への思いは依然として冷めやらず、パリダカ仕様パジェロエボリュー
ションの前で三菱の幹部の方と記念撮影を敢行しているところです。
(関連記事:校長先生西瀬戸を行く vol.1:中島編参照願います)
54.jpg
また直近では三菱ワークスラリードライバーでパリダカールラリーでも
何度も優勝しているスゴ腕の増岡選手と交流があり、恐らく京都に来
られた時に記念撮影されたものと思われます。左は平尾氏より7期後
輩の横井氏で増岡選手から頂いた色紙を持たれています。
パジェロパリダカ4
その増岡選手が本番のパリダカールラリーにおいて道なき砂漠を
力走中のシーンです。マシンもさることながら知力、体力、判断力
等すべてがうまくシンクロしなければ優勝などという大それたこと
は成し得ません。彼はそれを何度もやって見せたのです。
パジェロパリダカ1
ちなみに増岡選手は平尾氏のお世話で、昨年のD大学自動車部80
周年大会の時特別講師としてお招きし、世界の最新情報を拝聴した
ことは記憶に新しい出来事です。
(関連記事:終わりなき旅 vol.3:宴のあとさき参照願います)
MiEV Evolution II-4
皆さんにはそのサワリをご披露しますが、今世界は高性能な電池
及び電気モーターの開発に躍起となっており、ミツビシはそれを最も
過酷な環境でテストするためにパイクスピーク・ヒルクライムレースに
参戦しているそうです。もちろんエースドライバーは増岡選手です。
45.jpg
型破りの元校長先生の現在の愛車ランサーエボリューションXです。
このオクルマについては度々ご紹介しているのでもうご説明の必要
はないと思いますが、ヤング・アット・ハート の元校長先生は年齢不
相応であろうがどうであろうが、現代のゼロ戦を駆り白昼堂々と京都
中心部にあるご自身の職場に乗り付けるのですから大した度胸です。
(関連記事:終わりなき旅 vol.2:愛車ミーティング参照願います)
3006 2 中書島~淀
前回の記事で平尾青年(少年?)は動くものなら何でも好きと申し
上げましたが、電車も大好きでこの写真は京阪の特急電車だと
思われます。京阪と言えば、自動車部時代合宿所が京阪沿いの
香里園にあったので合宿の度にこの電車を使っていたのを思い出
します。(当時の合宿所、今はどうなったのだろうか?)
1904.jpg
また旅先でも電車が気になって仕方がないようで、これは広島市内
でのワンショットですが、左は現代のモダンな市電で、右は京都市電
が廃止される時譲り受けた京都ゆかりの市電なんです。しかし今時
広島でタバコ屋が大学生当時京都市内を走っていた市電が走って
いるなど考えられないことですが、合成写真ではなく実写真です。
DSC_0136.jpg
これは電車に張られていたプレートで「昭和53年 広電移籍」となって
います。左上の京都市交通局の局章が何やら懐かしい気がします。
DSC_0015.jpg
平尾青年は以前は京都の南、醍醐にお住まいで一度ご自宅を訪ね
たような記憶もあるのですが、最近は宇治市内に移られています。
写真は世界遺産に登録されている国宝の宇治平等院鳳凰堂で、
タバコ屋が中学生の修学旅行の時、立ち寄り見学したぼんやりした
記憶があるのですが、もうほとんど忘れてしまっています。
平等院鳳凰堂2-1
数年前から大規模なレストア(修復作業)が行われ、往時の姿を
取り戻した鳳凰堂です。恐らく数百億円を投じての大事業だったの
ではないかと思われますが、国宝だけに施工された方々も神経を
磨り減らしたことでしょう。タバコ屋も平尾氏よりお誘いを受けている
以上、百聞は一見に如かずで、一度行って見たいと考えています。

余談ながら、この平等院鳳凰堂、見事なシンメトリーの美しさですよ
ね。タバコ屋は何故かこのシンメトリーがお好みで案外几帳面な性
格なのかも知れません。ちなみにシンメトリー(左右対称)という美術
用語を教わったのはタバコ屋が中学生の時の美術の先生でした。
平尾熱血先生も多くの教え子に型破りな彼の生き様の片鱗を伝えた
はずで、それがどのようなオコトバや行動であったのか、またお子達
がどのように受け止めその後の彼らの人生に影響を与えたのか大変
興味のあることです。
鳳凰堂屋根
ついでながら鳳凰堂の由来は、この屋根に燦然と輝く金色鳳凰の
飾り物から来ていると思うのですが間違っていればお許し願います。
DSC_0028.jpg
その平等院鳳凰堂の池に咲いた蓮の花です。いにしえの平安期、
藤原氏がお浄土をイメージして造営したと言われているそうです。
確かにこのきれいな蓮の花を見ているとまさしくこの地がお浄土で
あるような気分になりますよね。長年ラリー病という不治の病に悩
まされてきた平尾先生もこの蓮の花の癒し効果でやや快方に向か
いつつあるのかも知れません。人生も後半に差し掛かり、今までと
は違う世界を発見するという意味で・・・。
稲房安兼 稲房安兼2
花より団子とはよく言ったもので、平等院の参道には京菓子の老舗
「稲房安兼」さんというお店があり宇治茶を使った茶団子で有名だそ
うで、「能登掾(のとのじょう)」というニックネーム?で、かつては
御室(おむろ)御所、御用達の菓子司であった頃の名残と言われて
います。タバコ屋お気に入りの「満月」さんとも通じるトラディショナル・
スイーツ・ストア
です。今度訪問する時は是非立ち寄りたいものです。

余談になりますが、仏教の創始者ブッダ(釈迦)はお浄土をイメージ
していた訳ではなくただ自身の修行による自己の悟りを目的とした
ものでしたが、仏教がシルクロードを経て東方、中国に至る過程で
そのコンセプトはかなりアレンジされ、自己の悟りよりもその教えに
より衆生を救済するという教義に変化しました。
平山郁夫:流砂浄土変1
これは日本を代表する日本画家のお一人、平山郁夫画伯が描いた
「流砂浄土変」ですが、雲間に白っぽく見えているのが平山画伯が
表現した「お浄土」かと思われ、実際の絵にはブッダなのか阿弥陀
如来なのか優しいお姿の像や天女が線描で描かれています。
(関連記事:校長先生西瀬戸を行く vol.3:しまなみ編参照願います)

ともあれシルクロード経由でアレンジされた当時ではハイカラな宗教
はやがて終着点の日本に伝わりました。「仏教に帰依すれば死後は
西方のはるか彼方にあるお浄土なるユートピアに行けるんですよ」と
いうのがそのキモなんですが、そのような最新の概念は当時の上流
階級(ハイソサエティ)にしか伝わらなかった訳で、飛鳥から平安に
かけて、ハイカラな仏教を採り入れる事は貴族階級での一種のステ
イタスにもなったのでした。
それにしても人間のイマジネーションというのはすごいものですね。
それはフィクションと言う名の虚構だとしても、昔も今もそれを信じさせ
る何かがあると言うのが宗教の摩訶不思議なところです。それは
キリストにしてもマホメットにしても同様にて、すべて形而上(ア・タ・マ
で考えたこと)のイマジネーションの産物なのですから。
(注:この項はタバコ屋の個人的な見解にて広く一般に認識されて
いるものではありません。)
常照寺
お寺ついでに話は飛びますが、先日の「校長先生西瀬戸を行く」の
記事で、元校長先生ご夫妻が松山の坂村真民記念館を訪問した
ことはお話しましたが、その時真民さんが残した「念ずれば花ひらく
という有名な詩の石碑が世界中に建立されており、その第1号碑が
奇しくも京都西北の常照寺さんにあることが偶然わかったのでした。
(関連記事:校長先生西瀬戸を行く vol.2:松山編参照願います)
念ずれば花ひらく2 念ずれば花ひらく1
何事もすぐにやらねば気が済まない(IRASUKEの)平尾先生は
さっそくその常照寺さんへ愛車ランサーエボリューションXを駆って
馳せ参じたようです。ありました、ありました。別人かと思われる
ようにスリムに変身中の平尾センセが指差しているのがそれです。
読みにくいですが「念ずれば花ひらく」と彫られています。

研究熱心な平尾先生は、何故京都常照寺さんに第1号の石碑が
建てられたのか、まるでツタンカーメンの王墓を発掘したハワード
カーター博士のごとく、調べ上げたようです。そしてその謎がわか
りました。帯の老舗「じゅらく」の伊豆蔵(いずくら)社長は境内に
供養塔を立てる際、何か中心になるものをと考えて交流のあった
山科の有名な「一燈園」を訪ねたところ真民さんの本が目に留ま
り琴線に触れるものがあったため、さっそく真民さんの了解を得て
石碑を建てたということのようです。
石碑の脇に
その石碑の脇につつましく咲いていたのがこのタンポポだったそう
で、坂村真民さんがこよなく愛したのがこのタンポポであったことや
松山でそのあと訪問した伊丹十三記念館でも映画タンポポ絡みで
タンポポの花がモチーフになっていたこと等、何やらタンポポづくし
の感がありますが、平尾元校長先生も粋な計らいならぬ粋な撮影
をされるものです。気のせいかも知れませんがNIKONの画像は
とてもキレイです。
(関連記事:ハローたんぽぽ vol.1参照願います)
禅定寺1-3 禅定寺2-1
出会いは出会いを呼ぶものらしく、平尾先生が最近偶然に訪れた
宇治市内の禅定寺さんには何と真民さんの石碑が2基も建ってい
たそうで、阿闍梨(あじゃり)のごとく一途な人生を歩んで来られた
平尾青年改め元校長先生はご縁の不思議に感慨深いものがあっ
たに違いありません。
うさぎ(マー君)
かくして、激動の青年時代を過ごし、子育ても終え、校長先生だっ
たお父様も既に泉下の方となられ、残されたお母様のお世話が
忙しい毎日と推察されるのですが、そんな彼にも優しい側面があり
突然生き物を飼ってみたくなったようでつい最近うさぎを買ってきた
ようです。ここだけの話ですが、名前は「マー君」と言うそうで、タバ
コ屋の倅もマー君なので何やら複雑な心境がしています。
もっとも彼にしてみれば、教師時代学校でのうさぎ飼育とかよくある
のでラリー同様、昔取った杵柄かも知れません。マー君頑張れ!。

平尾青年の大学卒業その後をサラッとお話するつもりでしたが、
長々と後半生にまで突入してしまいました。平尾氏より懐かしい
ものから最新のものまで、貴重な写真を頂いたものですからつい
調子に乗って想像を交えてお話致しました。不適切な表現があれ
ばご指摘頂きたいと思います。タバコ屋もやや疲れました。
(尚、記事中の写真は平尾氏から頂いたもの+タバコ屋保存の
写真+ウイキ等の写真を組合わせて掲載させて頂きました)


コメント

No title

こんばんわ!
平尾青年のギャラン・ランサー遍歴、筋が入ってますねー。 確かに当時のギャランから始まりランサーは魅力的な車だったと思います。 アンドリュー・コーワンとサザンクロスラリー、ジョギンダ・シンとサファリラリー。 ダビンダ・シン(弟?)もいました。 サファリでショートカットしていたような。 印象に残っているのは、何かの映像でランサーがサファリの深い泥水の道をクリアしていくシーンなんですが、アクセル全開で右に左に動かして進んでいきます。 なるほどと納得したシーンでした。
いつの頃からかランサーエボリューションにスイッチ。 この頃はフィンランド人ドライバーが多かったように思います。 
また、今思うとパリ・ダカも良いところに目をつけたなと感心させられます。
ただ、パジェロもモデルチェンジごとに大きくなっていって最後はとてもこれでは勝てないだろうと思っていたら、市販車とはかけ離れたマシンに変身していました。
最近のWRCはコンパクトなボディに4WDでないと勝てないので、ベースとなる市販車自体が少なくなっているのはちょっと寂しい限りです。  ランザーエボリューションでもスバルインプレッサでも勝てないのでは。
逆に、人は歳をとるとやはり自然回帰で徐々にのんびりになり、自然や身の回りに興味がいき、やさしくなっていくのでしょう。
イラチなどものんびりしたイラチに変わっていくとしたら、車とは逆の進化というものでしょうか。

Re:現代のダーウイン

拝復、上山青年も久しぶりに青春時代が蘇り、かなり高揚したコメントというか独自の上山解説を頂き有難うございました。ただ今後の日本車を世界にアピールする場はどこなんでしょうかね。F1なのかWRCなのかはたまたパイクスピークなのか、それはタバコ屋にもわからないことですが、ただハイブリッド技術をアピールする競争の場(たとえばルマン)などが本命ではないかと思ったりもします。

さて今回はまたまたユニークな「逆進化」という上山新理論をご披露頂きました。うーん、のんびりイラチとは初めて耳にするオコトバです!?。確かに我々高度成長世代はかなり激しく気ぜわしく生きて来たとは思うのですが、今に至りタバコ屋などは人生の始末をどうつけるか、そのことがかなり気になっています。逆進化で最後はソフトランディングといきたいところですが、さて。

No title

ちわっ!
車をアピールする場は必要なくなってくるのではないでしょうか?
VOLVOとBENZはドライバーが運転しない全自動走行の車を開発できてますから、そうなれば車は単なる移動手段となり、個性は必要ないので、個人は趣味的要素での車の所有は必要ないように感じます。 あえて言うなら最後はデザインと価格だけが選択要素になると思います。 車のファッソンショー的な発表の場はありですけど。

スターウオーズやフィフスディメンションなんかの未来映画では車は空を飛んでいますし、自動操縦でしょう。 
エンジンとタイヤがなくなった時点で我々が思う自動車ではないと思うのですが、どうでしょうか?
自動車メーカーは産業の観点からは継続していってもらいたいですが。





Re:果てしなき競争

拝復、ちわっすです。またまた過激な上山理論を頂きました。レースやラリーなど従来のコンペティションは将来無くなるか不要になるのではと・・・。うーんそういうのも一面当たっているでしょうが、何せ人類誕生以来ここまで進化した大きな原因は「競争と模倣」にある訳で、「這えば立て、立てば歩めの親心」でもないでしょうが、「より速く、より快適に」という本能が衰えない限り平和的なバトルというのは続くのではないでしょうか。

ただしタイヤなしのオクルマが出現するという上山予測には大賛成で、スターウオーズの世界は必ず実現すると思います。そうなるとブリヂストンやミシュランは倒産ということになり、また違った産業が生まれてくることになるでしょう。その頃には上山青年もタバコ屋も泉下の人になっているかも知れません。

No title

こんばんわ!
平和的バトルは続くとは思いますが、運転しない車なら安全で便利な車を貸してもらえるレンタカーみたいなもので十分だと思うと、所有しない-->運転する必要はない-->安全確実に目的地まで運んでくれるーー>性能や安全性は皆横並びーー>車に対する興味は薄れるーー>となると、現在のようなメーカー間の競争はデザインと値段に絞られる。 このように考えた次第です。 

Re:オクルマ家電論

拝復、多分上山青年のおっしゃることは近未来の一面現実となるでしょう。それが証拠に若者のオクルマ離れははなはだしく、もうこれだけ猫も杓子も運転免許を所持する時代となると我々世代の頃にはまだ残っていたオクルマへの崇拝やあこがれのようなもの、またそれを所持することのステイタス性などというものは消し飛んでしまいつつあります。それは上山青年及びタバコ屋の母校であるD大学自動車部の京田辺ガレージの惨状を見れば一目瞭然です。その熱病のごとき時代は終わりました。

ただオクルマがひたすら家電化し、夢やあこがれの対象から遠のいていく方向性とは裏腹に、一つのショウバイとして考えるなら我々戦後世代は日本で一番大きな人口構成を占めている訳で、そのオクルマ好きを対象に若かった時代のノスタルジーを煽ったり、くすぐったりする品やイベントを開発すれば、そらヒット間違いないと思うのはタバコ屋の独断に過ぎないのでしょうか・・・。

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★★島のタバコ屋の独り言★★
【4月10日:ああ創業100年】    島のタバコ屋は先々代が呉服屋を創業以来3代目となり、その間戦後間もない頃には島のバス運営事業を試みる等様々な営みを経て今日に至っています。皆さんよくご存知のNIKONも創業100年なんですが、比較にはならないものの同じ時代を生きてきた訳です。かつてオハイオのメアリーズビルで活躍する夢を抱いたこともあった青年も年を取りました。さて今後の100年をどのように生きて地域のお役に立っていくか、タバコ屋にとっては後継者である倅への「死に土産」としてそのコンセプトを確立しておく必要があると考えています。しかし倅にとっては年寄りの余計なおせっかいに写るかも知れませんよね。
◆◆島のタバコ屋メニュー◆◆
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