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アウディな人 vol.2:ピエヒの野望

平成26年6月4日
前回の記事でおとなしい控えめなオクルマメーカーがいかに劇的
に強烈な個性を放つメーカーに変身していったか、その一端をご紹
介しましたが、それはあのポルシェ博士の甥っ子であるピエヒ博士
が仕掛けた一つの野望でした。しかり「アウディ社をVWグループの
中で個性的なスポーツマインドプレミアムメーカーに育て上げること、
またVWグループのトレンドセンターとして高い技術力、デザイン力
を保有すること」というものでした。タバコ屋がピエヒ博士に取材した
訳ではないのでこれはあくまでもタバコ屋がピエヒ自身であったら
こうするであろうという想像なんですが・・・。
アウディ2
アウディ、何やらオリンピックのマークのようなブランドロゴですが、
タバコ屋はアウディ社に対し、あまり良いイメージを持っている訳で
はありません。元々アウディ社はメルセデスベンツの工場長だった
アウグスト・ホルヒがアウディ社を創業、当時としては高性能・高品
質のオクルマを送り出し名声を得ることとなりました。
富岡製糸場2
日本では明治34年頃のお話で日露戦争に向け緊張が高まりつつ
ある頃でしたが、その頃の日本の最先端産業と言えば富岡の製糸
工場に象徴される生糸産業でしたから、ことオクルマに関して言え
ば、その萌芽さえなく、徳川の鎖国政策の後遺症のお陰で欧米に
比べ推定約30年も遅れていた訳です。それを取り戻そうと阿修羅
のごとく突進したその後の日本の歴史については皆さんよくご存知
のとおりです。
D:クラーク記念館2-1
ちなみに手前味噌のお話ながら、我が母校同志社大学設立に向け
奔走した新島襄でしたが、志半ばにして急逝したのが明治23年で
すから、アウディが創業したのはその10年後ということになりますよ
ね。尤もオクルマと申しましても馬車に毛の生えたようなものでした
から、今のイメージとは随分違うことを申し添えておきます。
(関連記事:八重のこと vol.1参照願います)
八幡製鉄所5
ただ極東の小国NIPPONはまだしも幸せでした。欧米に対する遅
れに早く気づき国の体制を素早く修正し、富国強兵策を採ることで
間一髪、欧米列強の侵略を免れることが出来ました。写真は「鉄は
国家なり」というスローガンのもと八幡製鉄所の高炉完成間近に時
の総理伊藤博文が視察した時のもので、アウディ創業の約1年前、
明治33年のお話です。明治の日本は国家予算の大半を基幹産業
への投資と軍備の増強に当てたのでした。
(関連記事:博多・熊本巡礼 vol.3:蒙古襲来参照願います)
アヘン戦争1
一方儒教という悪魔のようなイデオロギーに縛られ旧態然たる体制
を変えず、維新後も頑なに鎖国政策を続けた中国、朝鮮は武力では
欧米に比し、お話にならないほど稚拙でやがて欧米列強のえじき
(植民地)となっていきました。何度も言いますが、イデオロギーなど
と言うものにロクなものはありません。それが証拠に明治維新前夜、
あれほど多くの無駄な血を流した「尊皇攘夷」などというチンケな思
想(朱子学)は維新後、跡形もなく忘れられ文明開化の大合唱にな
ったではありませんか。また近年ではタバコ屋世代が苦々しくも経
験した学園闘争において声高に叫ばれたイデオロギーらしきものは
一体何だったと言うのでしょうか。
(関連記事:八重のこと vol.1ハローたんぽぽ vol.2参照願います)
アウディ4
アウディに戻ります。その後紆余曲折を経てアウトウニオン社が設立
され、その時にアウディ、DKW、ホルヒ、ヴァンダラー4社が合併した
のにちなんで4つの輪「フォーシルバーリングス」がロゴマークになり
ました。ただ間もなくあの不幸な第二次世界大戦に突入しその結果
ドイツは完膚なきまでに叩きのめされ、VWや他の自動車メーカー
同様、踏んだり蹴ったりのアウトウニオンでした。日本も同様でした
が、ただ日本は自動車産業がまだ育っておらず、壊滅的だったの
は当時世界トップクラスだった航空機産業の方でした。
(関連記事:究極のレストア参照願います)
RO-80-5.jpg
その悲惨な状況から立ち直り、徐々に力を回復しつつあったアウト
ウニオンはさらに戦後初のロータリーエンジンの開発で特許を取っ
ヴァンケル博士を擁するNSUを買収しその技術をものにしようと
試みましたが、途中で断念せざるを得ませんでした。発想は素晴ら
しかったにもかかわらずロータリーエンジンの実用化はあまりにも
難しすぎたのです。写真のNSU RO-80はロータリーエンジン搭載
の第1号車として、ボディデザインを始めメカの数々に画期的な工
夫が施され、10年進んだクルマとして世界から注目を浴びました。
しかし現実は、ロータリーエンジン特有の異常磨耗によりクレーム
が続出、ついに生産中止に追い込まれた悲劇のヒーローでした。
何やかやでNSUは出費も重なりとうとうVWグループに入ることに
なり、その後アウトウニオンに吸収されそのアウトウニオンも後年に
は社名が再びアウディに戻ることになったのです。
奇しくもタバコ屋がD大学自動車部2回生の頃のお話ですが、かの
ピエヒ博士は数年後、そのような混沌のアウディに乗り込んで来た
訳です。蛇足ながらNSUはエヌエスウーと読みます。変ですよね。
ロータリーエンジン1
ロータリーエンジン、別名ヴァンケルエンジンとも呼ばれるこの画期
的エンジンは従来のピストン運動をするレシプロエンジンに対し、
回転運動をじかに駆動力に結び付けられることと、給排気バルブ等
の部品が不要で非常にコンパクトに作ることが出来、また無駄な
動きがないので回転がスムーズかつ高回転まで上げることが出来
るという良い事ずくめでしたが、実際はハウジングと呼ばれる外枠
とピストンに相当するローターとの僅かな隙間を埋める数種類の
シール(レシプロのピストンリングに相当)がとても重要で、高速
回転のためシールが異常磨耗したり、逆にハウジングに傷が付い
て駄目になったりで、その難問題が解決出来ずNSUは半ばお手
上げ状態でした。
ロータリーエンジン5
「捨てる神あれば拾う神あり」ということわざは本当だと思います。
その困り果てていたNSUに対し、我がNIPPONのMAZDAが
ヴァンケルエンジンの特許をもとにした技術提携をしたいと言って
きたのです。NSUにしてみれば地獄に仏、渡りに舟ですぐに了解
したのは言うまでもありません。ただし・・・・・、
タバコ屋がNSU(後のアウディ社)に対し、あまり良いイメージを持
っている訳ではないと申し上げたのはその提携内容でした。
ロータリーエンジン4
その内容は10年契約にて今のお金で数十億円もの大金を支払っ
た上、MAZDAが今後取得する特許はすべてNSUにただで提供、
挙句の果てはMAZDAが販売するロータリー搭載のオクルマ1台
ごとにテラ銭(ロイヤリティ)を支払うこと、という一方的なものでした。
それにしてもNSUのやり方はえげつなく、ものになりもしない特許
を超高値で売りつける等、ロクな奴らではありません。
ロータリーエンジン9
可愛そうなと言うか、けなげなのはわがMAZDAでしたがその当時
通産省の主導で業界再編成が図られようとしていた時ゆえに後発
メーカーのMAZDAとしては、乾坤一擲、ロータリーエンジンの将来
に賭けた訳です。
ロータリーエンジン9
聞くも涙、語るも涙のMAZDA苦闘のロータリー開発秘話がそこか
ら始まるのですが、それはかつてNHKプロジェクトXでも取り上げら
れたのでタバコ屋世代ならほとんどの方がご覧になっていると思い
ます。苦節6年、昭和42年に本家がサジを投げたロータリーエンジン
をMAZDAはついに完成させたのです。その苦闘の歴史を記念する
ものとして広島県三次にあるMAZDAのテストコースに石碑が建てら
れていますが、それにはロータリーの開発責任者で後の社長となる
山本健一氏の直筆による「飽くなき挑戦」の文字が記されています。

余談ながら、タバコ屋はみかんの島で全くの異業種であったにも拘
わらず誰もやろうとしなかったジュース、ジャムの製造事業に挑み、
製造法、販路等、未知の分野にてずいぶん苦い汁を飲んできた
自身の体験と重ね合わせ、MAZDAとはレベルもラベルも違うもの
の、非常に感慨深いものがあります。
コスモ9
写真はそのロータリーエンジン搭載の第一号車コスモ・スポーツで、
スポーツカーとは言え超前衛的なデザインと相まって一躍脚光を浴び
MAZDAの存在感を世界に示す記念すべき車となりました。
(関連記事:荒ぶる心 vol.4:栄光のルマン参照願います)
サバンナGT2
その後の、ロータリーエンジンの躍進、特にレースでの圧倒的なパワ
ーによる常勝スカイライン2000GT-Rとの一騎打ちとその後の勝利は
タバコ屋が青春真っ盛りの時代の思い出として鮮明に覚えています。
このことに関しましては書くとまた長い物語となりますので、別の機会
にお話したいと思います。
フェルディナンド・ピエヒ6
ピエヒ博士に戻ります。彼は若い時から研究していた4WDシステム
(クワトロ)と直列5気筒エンジンの成功、特にラリーの最高峰である
WRC(世界ラリー選手権)でのチャンピオン獲得はアウディの優秀
性を世界に証明した訳で、それにより彼の野望は果たされました。
やがて彼はその手腕を買われ、親会社であるVWに移籍し後には
会長に就任するのですが、その間アウディは次の目標であるルマン
24時間レースに挑戦すべく準備を始めていました。
本当はそのことを書きたかったのですが、ロータリーエンジンのことを
多く書いてしまい紙数も尽きたので今日はこの辺で終わりにします。
次回はアウディのルマン挑戦のことやらをお話したいと思います。
お楽しみに・・・。


コメント

No title

こんばんわ!
NSUヴァンケルは記憶のどこかに残っている名前でした。 ロータリーエンジンを開発した会社というころまでは知っていましたが、ヴァンケルは開発者の名前だったんですね。
ロータリーエンジンとは関係ないですが、RO-80のデザインは私の好みのデザインであるプジョー504によく似ていて良い感じです。
プジョー504は 確かピニンファリーナのデザインでしたでしょうか。
そのロータリーエンジンをマツダがモノにするには相当な苦労があったことでしょうが、ルマン制覇までもっていったのですから賞賛に値する研究開発です。 その後は時代の変化によって燃費競争になると構造ゆえの不利を解決するまでの開発は実現できなかったのは残念でした。
私は一度もロータリーエンジン車に乗った経験がないのですが、一度乗ってみたいですね。
ロータリーエンジンといえば、クラブから鈴鹿サーキットのアルバイト行ったときにサバンナが走っていましたが、甲高い節度感の無い排気音が耳に焼き付いてます。

Re:ロータリーの思い出

拝復、NUS社のアドバンストカーとも言えるRO-80気に入って頂いたようですね。当時としては随分アカ抜けしており後のアウディ100シリーズに多大な影響を与えたことは知られざる事実です。プジョー504とも相通じるところがありますよね。

どうも高砂の元神童氏はロータリーに惚れ込みかつてオーナーだったらしいのですが、タバコ屋は残念ながら所有経験がありません。ただRX7最後期のモデル(例のアンフィニ7)には短時間試乗経験があります。とにかくエンジンレスポンスが軽くスムーズで、ホイールスピンしながら発進し、横のディーラー担当者にたしなめられた思い出があります。

またレースでは787Bもそうでしたが、ロータリーのエキゾーストサウンドと言うのは上山青年ご指摘の通り官能とは程遠く性能は別にして、ただうるさく甲高いだけのものでした。

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★★島のタバコ屋の独り言★★
【4月10日:ああ創業100年】    島のタバコ屋は先々代が呉服屋を創業以来3代目となり、その間戦後間もない頃には島のバス運営事業を試みる等様々な営みを経て今日に至っています。皆さんよくご存知のNIKONも創業100年なんですが、比較にはならないものの同じ時代を生きてきた訳です。かつてオハイオのメアリーズビルで活躍する夢を抱いたこともあった青年も年を取りました。さて今後の100年をどのように生きて地域のお役に立っていくか、タバコ屋にとっては後継者である倅への「死に土産」としてそのコンセプトを確立しておく必要があると考えています。しかし倅にとっては年寄りの余計なおせっかいに写るかも知れませんよね。
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