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沖縄巡礼 vol.1

平成26年7月15日
翼よあれが那覇の地だ
タバコ屋は現在総代と呼ばれる地区長を拝命してあれ
やこれや地区のお世話をさせて頂いているのですが、
各地区の総代仲間が今年も年に1度の研修旅行を実
施する運びとなりました。ついこないだのようですが
昨年のこの旅行は豪雨の北九州、熊本方面の巡礼に
て散々な目にあったことは記憶に新しい出来事です。
(関連記事:博多・熊本巡礼 vol.1 vol.2 vol.3参照
願います)
DSCN0437.jpg
まずは松山空港に集合です。多分ボーイング767だと
思うのですが、我々を沖縄に連れて行ってくれる頼もし
いヒコーキです。ここだけの話ですが、ボーイングは別
格としてもボンバルディアなどという変なメーカーのプロ
ペラ機など一掃して早くミツビシ製の国産ジェットで旅を
したいものです。何故ならかつての中島飛行機、三菱
は世界のトップクラスのヒコーキ技術を誇っていたから
です。
(関連記事:零戦の末裔参照願います)
ホンダジェット-5
余談ながらタバコ屋の夢はHONDA-JETを購入する
ことで、約5億円はするでしょうから、中島に石油でも出
ない限り夢のまた夢の話ではありますよね。
ちなみにHONDA-JETってイルカに似ていて愛嬌がある
と思いませんか。エンジンも主翼の上部に付いていて、
あまのじゃくというか他社の真似が大嫌いなHONDAら
しい個性的かつ意表を突くレイアウトです。これで燃費
と室内スペースが2割強向上したそうですからHONDA
のアイデアも大したもんです。

タバコ屋は総代会で幹事長という役職を拝命しており、
今回参加する18名の仲間のお世話をしなくてはなりま
せん。もちろんいつもご厄介になっているE旅行社(ばら
してしまいますと愛媛新聞旅行社さん)の名物営業マン
Nさんが添乗員として同行してくれるので何の心配もあ
りません。ただタバコ屋は元ゴフク屋だけあって、皆さん
が不自由しないよう事前にあれこれおつまみを取り合
わせ各人用にパック詰めし、ビールは空港にて冷えた
ものを用意する等、準備万端にていざ出陣と相成りま
した。
DSCN0441.jpg
約2時間の空の旅は結構長く感じられましたが、乗り物
好きのタバコ屋にとっては何の苦にもならないものでし
た。ただ一つだけ呆れるような出来事がありました。
それは我々18名のうちアルコールのお好きな連中が、
機内に自前で持ち込んだビールだけでは飽き足らず、
機内販売のビールをも飲み尽くし、国産某銘柄のビー
ルが売り切れとなってしまったことです。ANAとしても喜
んでいいのかどうか、スチュワーデスさん(古いなあ!)
も笑顔というより苦笑の表情でした。
DSCN0448.jpg
松山とはまるっきり違う空の色、やがて那覇空港に到着
です。滑走路に小さく見えるのは自衛隊の迎撃戦闘機
F15で民間と軍隊が同居しておりただならぬ雰囲気が
感じられます。「翼よこれが那覇の地だ」と一人気取って
みたタバコ屋でした。
F15戦闘機1
我々がのほほんと機内でビールを飲んでいる間にも、
航空自衛隊の精鋭は有事のスクランブルに備えて緊張
状態にある訳で、那覇に降り立つ事でそのことが実感
されるタバコ屋ではありました。
DSCN0456.jpg
ガンガン照りつける日差しのもとANAの新人スチュワー
デス○○さんが会心の笑顔で見送ってくれました。入社
6ヶ月目だそうで初々しくきびきびした立ち居振る舞いに、
タバコ屋ご一行はぞっこんとなり、売り切れになるほど
機内ビールを飲み干したという笑い話です。彼女にして
みれば今日は安全かつバカ売れのフライトにて、上司
からお褒めの言葉を頂いたかも知れません。但しANA
は飲み屋じゃないっちゅうの!。
DSCN0459.jpg
めんそ~れ、沖縄方言でウエルカムの意味でしょうが、
タバコ屋世代にとってはめんそ~れと言うとどうしても
メンソレータムを連想してしまいます。皆さんご存知の
ように古くからあるアメリカ製の万能傷薬で近江兄弟社
がパテント製造していました。
メンソレータム3
近江兄弟社(おうみきょうだいしゃ)の創業者はアメリカ
人のW・M・ヴォーリズで、熱心なプロテスタント伝道者
でありまた有能な建築家でもありました。彼は明治末期
に来日、建築事務所を開設し、日本国内で多くの教会、
学校、銀行等の設計を手掛けました。彼の特徴はアカ
デミックな分野に留まらず宗教観に基づく理念を実業に
生かそうとしたことでした。今で言えばベンチャー企業と
言うことになりますが、当時は医薬品もろくになかった
頃で、写真の可愛いリトルナースが登録商標のアメリカ
製軟膏傷薬を日本で製造販売しようと志したことはタバ
コ屋もカテゴリーは違うものの、創業の苦しみを味わっ
て来ただけに、その勇気に敬服するとともにご苦労の一
端がわかるような気がします。
(関連記事:「希望の島物語」1参照願います)
アーモスト館
余談になりますが、タバコ屋の母校同志社大学とW・M・
ヴォーリズ氏は深いご縁があり、タバコ屋が4年間親し
んだ自動車部の部長先生でもあった青い目の日本人、
オーテス・ケーリ先生が長年館長を勤めたアーモスト館
をはじめその隣の同志社宣教師館や今出川キャンパス
の啓明館、また新島襄遺品庫など多くの施設の設計を
手掛けています。そのテイストはアーリーアメリカンの古
き良き伝統にそったトラディショナルな造りで、かなりの
遺構が国の重要文化財となっています。
(関連記事:今出川でのこと VOL.1参照願います)
関西学院大学
比較的大きなものでは写真の関西学院大学の建物が
有名でやはりコンセプトは一貫してアーリーアメリカンの
香りで統一されています。若くして明治の日本にやって
来た彼は白いキャンバスに絵を描くようにその造型才能
を思いっきり発揮したのではないでしょうか。
DSCN0478.jpg
沖縄に戻ります。ご一行は遅い昼食を済ませた後、ひめ
ゆりの塔を目指すことになりました。太平洋戦争末期、
この地沖縄は日本本土防衛の最後の砦となり、悲惨な
歴史が刻まれたことは申すまでもないことですが、戦後
生まれのタバコ屋世代にとってはその現実を厳粛に直
視し、億の民を道連れにするような愚かな戦いをすべき
ではないことを心に誓うしかありません。
DSCN0470.jpg
お花の一輪でも差し上げたいと思っているところに手回
し良く献花販売店がありましたので、当然のごとく買い
急いで手向けました。しかしまあ、右から左とはこのこと
で面白いように花束が売れていました。タバコ屋としまし
ては商いの原点について考えさせられるところがありま
した。つまりニーズがあるところに商いありということで
す。そこに気の利いた商品と売り子さんを用意すれば
必ずショウバイは成功するという訳です。
DSCN0481.jpg
この右手の地下壕の中に沖縄陸軍の病院があり瀕死
の怪我人や病人を看護治療しやがて自らも力尽きて死
んでいった幾多の若き医師や看護婦、女学生がいたこ
となど現地に来なければわからず、また見聞してもただ
ただその冥福を祈るのみです。世の中で最も醜いこと、
それは戦争という名の殺し合いではないでしょうか。

「衣食足りて礼節を知る」という言葉があります。当時の
日本の置かれていた立場は欧米列強の狭間で極東の
黄色いサルと言われながらも何とか生き残る方策を必
死にあがき探し求めた結果の戦争ではあったのでしょう
が、日中戦争の時点で思い切った方針転換をはかり、
「衣食足りずとも礼節を重んじる」方向、つまりもうこれ
以上もがき暴れることはせず、つつましく生きることを
国の方針としたら満州国境ノモンハンでの惨めな敗戦を
皮切りに、ガダルカナルを始め南方戦線での悲惨な戦
い、フィリピンから沖縄までの絶望的な玉砕戦、とどめは
本土への大空襲の果ての原爆投下による数百万人の
大虐殺など起こらずに済んだと思うのです。

しかし歴史にIFは無いように、当時としては極度に肥大
化した軍部(参謀本部)の暴走を止めることは出来ず、
あの今ではリベラルの代表とされる朝日新聞ですら戦
争を煽った事実があります。一部の良識ある人々は国
賊とされ、タバコ屋の母校、同志社大学も戦争反対でし
たから終戦までの間、随分国からいじめられたとお聞き
しています。
DSCN0492.jpg
総代会ご一行は次に摩文仁の丘(平和祈念公園)に移
動しました。写真の平和祈念堂を始め、平和の礎(いし
じ)、平和祈念資料館等、広大な敷地の中に様々な施
設が配置されています。すべてを廻るには炎天下の徒
歩では結構重労働でしたが、先人のご苦労を偲びタバ
コ屋は幹事長の立場としてあえて場内移動バスの切符
を買いませんでした。ややのブーイングはあったようで
すが聞こえぬふりを決め込みました。
DSCN0497.jpg
中島がまるでベルギーのごとく愛媛と広島と山口の3県
の県境にあることはさておき、所属は愛媛県であるため
全国各都道府県の慰霊碑がある中で愛媛の塔にお参
りすることにしました。愛媛県出身の方で沖縄戦で亡く
なった方も多く、しばしの黙祷を捧げました。
DSCN0498.jpg
平和の礎(いしじ)エリアにやって来ました。沖縄戦で亡
くなったすべての方の名前が彫られているとかで、意外
だったのは当時日本領だった台湾の方々が多くいたこ
とです。もちろん愛媛県人の多くも犠牲になっていまし
た。富永という性を探しましたが冨永という姓しか見つ
かりませんでした。ちなみに冨永姓は内子、大洲方面
に結構多く、上に点のある富永は愛媛では少数派です。
DSCN0499.jpg
平和の礎のそばから平和祈念資料館に繋がる場所に
は海に向かってプラザと呼べるような広場がありました。
広大な空間を生かしたゆったりとした設計にて、ここに
も高名な設計家の手が入っているのでしょう。向こうに
見える平和祈念資料館はコロニアル風リゾートを思わ
せる南国らしいデザインセンスだと思います。
DSCN0501.jpg
その平和祈念資料館のエントランスです。中はとても広
く沖縄戦での悲惨な遺品や解説資料が展示されており、
修学旅行生たちが熱心に見学していました。バスガイド
さんの説明によるとアメリカ軍の砲撃は熾烈を極め、
1坪当たり50発平均の爆弾の雨が降り注いだそうでそ
の中で生き延びることは不可能に近く、おまけに軍によ
る集団自決の強要などもあったため、沖縄はこの世の
地獄と化した訳です。

余談ながら、明治期の日清、日露戦争は拡大侵略政策
をとるロシアに対する祖国防衛戦争だったのに比べ、
先の太平洋戦争は見方にもよるでしょうが、軍部の偏っ
た世界観と状況判断によりやけっぱちな侵略戦争となっ
てしまい、億の民を道連れに日本国そのものを滅ぼす
結果となってしまいました。
DSCN0500.jpg
広場にあったこのモニュメントを見る限り極東の国日本
同様難しい位置にある沖縄も古来より周辺の国々と仲
良くしなければやっていけない立場にあったと推察され
ました。タバコ屋一行は大分歩き疲れたので、次の目的
地へバスで移動です。
DSCN0505.jpg
沖縄戦の激戦地であった南部周辺を短時間で廻るプラ
ンにて、近くの琉球ガラス村を見学です。そうでなくても
30数度の極暑の沖縄で、よりによって高温のガラス製造
工房など長時間居られるものではありません。早々に通
り過ぎることにし、隣のガラスショップで涼むことになりま
した。すばらしい工芸ガラスが沢山ありましたがかなり
高額にてひめゆりの塔の花屋さんのように飛ぶように
売れるという状況ではありませんでした。そのかわりに
幹事長であるタバコ屋が買ったのはバスに積み込む
オリオンビールで、皮肉にも猛暑の中で飛ぶように売れ
たのはガラス細工ではなく缶ビールでした。沖縄のご当
地ビールであるオリオンビールは癖がなく、長い間アメ
リカ軍によって占領されていたせいか国産ビールよりは
バドワイザーに近い飲みやすい味でタバコ屋はすぐに
お気に入りとなりました。
DSCN0507.jpg
午後から大急ぎで廻った初日の沖縄でしたが、日もやや
傾き、再び那覇市内に戻りました。宿泊は国際通りに近
い旭橋のビジネスホテル「ユクエスタ旭橋」で名物営業
マンN氏が宿泊にあまりお金をかけないようにという配
慮があったものと思われます。
総代ご一行はこのご時勢に反しアヘン患者(喫煙者)が
多いため喫煙ルームが必要なのですが当日は喫煙ル
ームが限られていたため何名かはガマンをすることに
なりました。国には多くの税金を払いながらも、何とも肩
身の狭いアヘン族ではありました。タバコ屋は幹事長の
立場ゆえ率先してガマン組に参加したことは言うまでも
ありません。
DSCN0509.jpg
さてホテルのチェックインも済ませ一休みしたご一行は
たそがれの那覇国際通りへ夕食に繰り出しました。
正面県庁から左手が国際通りで沖縄随一の繁華街に
なります。
DSCN0510.jpg
松山の三番町を西方面から大街道に向けて歩いている
ような風情の那覇国際通りですが今日は添乗員Nさん
のお世話でアメリカンな沖縄らしくステーキハウスでの
ディナーが予定されているようです。
DSCN0512.jpg
そのステーキハウス「サムズ・アンカー・イン」に到着で
す。やはりアメリカンなテイストで可愛い女性水兵さん
にお出迎え頂きました。
DSCN0513.jpg
アメリカ人のオーナーに聞いた訳ではありませんが多分
「アメリカンなテイストのクルーザーでのアメリカンなお食
事」というコンセプトがこの店のウリだと思うのです。
水兵さんもきびきびと立ち働いていましたが、あとで聞
いた話ではこの可愛い水兵さんたちはおもにネパール
人だそうで、エベレストの山の民が島で働くとはこれい
かに!とやや驚いた島のタバコ屋ではありました。
DSCN0521.jpg
多分フルコースディナーだと思うのですが、まずは前菜
取り合わせやカレースープが出てきて、その後ボリュー
ムたっぷりのステーキの登場です。食べ切れない程で
したがさらにロブスターも出てきました。
DSCN0523.jpg
ご一行18名はそれぞれのお席で舌鼓を打たれているよ
うでした。正面奥でVサインをされているのは今回の旅
行をお世話頂いた愛媛新聞旅行社のN氏で、長年周り
に気を使われ続けたせいか大切な頭髪がどこかへ行っ
てしまいつつあるようです。
DSCN0518.jpg
中にはトロピカルなカクテルを注文され盛り上がってい
たテーブルもありました。タバコ屋も久しぶりのステーキ
の味を堪能し、沖縄初日の夜を楽しみました。ちなみに
左側で誇らしげにカクテルを掲げているのは今回の総
代連の若きリーダーH氏で、若い日を東京で過ごした後
中島に帰って来ました。タバコ屋は彼の父君とは旧知の
仲で、かなりな親しみを覚えています。
ステーキ1
蛇足ながらステーキと言えば、約20年前タバコ屋が大
阪に出張した折、京都の長岡京市に住んでいた叔父
夫婦が久しぶりに梅田でステーキ食べようやと誘って
くれました。場所は忘れましたが阪急梅田近くのステー
キ専門店でした。その時のステーキと言ったら霜降り肉
の最高級品らしく、とろけるように甘く柔らかで、もうこの
世のものとは思えませんでした。赤ワインも美味にてか
なり酔っ払ってしまったのでしたが、遠い昔の出来事な
がらも終生忘れ得ぬ思い出となっています。
銀座4三越7-2
皆さん不思議に思われるかも知れませんが、島で生ま
れ育ったタバコ屋は皮肉にも魚は苦手でお肉が好きな
のです。それも梅田界隈のステーキに止めを刺すのは
自分でも理由は分かりません。ただ梅田阪急百貨店の
お子様ランチになじんで来た島のタバコ屋としては当然
の帰結だったのかも知れません。
サムズビーフ1
今回の沖縄ステーキはそれとはかなりコンセプトの異な
るもので、霜降りではない赤身のオーストラリアンビーフ
でした。郷に入れば郷に従えでそれなりにおいしく頂い
たタバコ屋ですが、同行の皆さんは果たして気に入って
頂いたのでしょうか。幹事長としてとても気になるところ
です。最後は南国沖縄らしいトロピカルなデザートで締
めくくりとなりました。
国際通り1
かくして那覇の夜は更けていったのですが、ステーキの
フルコースディナーの後はこれまた添乗員のN氏にお骨
折り頂き、18名全員で行ける夜の社交場へと場所を移す
ことになりました。この後の甘美な夜のひと時については
お話しするのもはばかられると思いますので、今日のと
ころはこの辺で終わりにしたいと思います。沖縄2日目の
出来事につきましてはvol.2にて詳しくお話致しますので
お楽しみに。

蛇足ながら、幹事長として全員がホテルに帰還したかど
うか確認出来なかったのがやや悔やまれます。

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★★島のタバコ屋の独り言★★
【4月10日:ああ創業100年】    島のタバコ屋は先々代が呉服屋を創業以来3代目となり、その間戦後間もない頃には島のバス運営事業を試みる等様々な営みを経て今日に至っています。皆さんよくご存知のNIKONも創業100年なんですが、比較にはならないものの同じ時代を生きてきた訳です。かつてオハイオのメアリーズビルで活躍する夢を抱いたこともあった青年も年を取りました。さて今後の100年をどのように生きて地域のお役に立っていくか、タバコ屋にとっては後継者である倅への「死に土産」としてそのコンセプトを確立しておく必要があると考えています。しかし倅にとっては年寄りの余計なおせっかいに写るかも知れませんよね。
◆◆島のタバコ屋メニュー◆◆
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