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夏の日の思い出 vol.2:祇園祭の頃

平成26年9月20日
地区総代の公務が忙しくブログの更新が遅れておりやや
季節外れのお話となりつつあります。
「夏が来れば思い出す・・・」タバコ屋はやっぱり祇園祭で
しょうか。その訳は、タバコ屋がかつて若かりし頃、同志社
大学自動車部で4年間お世話になったのと、元ゴフク屋の
ため京都には馴染みの問屋が何軒もあり卒業後もオシゴ
トでよく通っていたからなのです。
長刀鉾13
地元の方々は親しみを込めてぎおんさんと呼ぶようですが、
何と1,000年以上の歴史があり、当初の興りは初期の平安
京において今の京都のように清潔で住みよい環境とは程
遠く、高温多湿な場所に一時に人口が集中した上に、上下
水道の不備等により疫病が大流行し、ばたばたと人が死ん
でいくことに朝廷は頭を痛めました。
平安神宮3
当時は医学など無きに等しく幅を利かせていたのが科学技
術庁長官のような立場であった陰陽師(おんみょうじ)でし
た。曰く「この疫病の蔓延は先の長岡京遷都工事中に起き
た藤原種継暗殺事件で無実を訴えながら亡くなった早良親
王ら6人の怨霊の仕業である」と。それにビビッた朝廷はさっ
そくその怨霊を鎮めるための鎮魂祭である御霊会(ごりょう
え)
を行ったのがそのルーツとされています。
(関連記事:今出川でのこと vol.2参照願います)
八坂神社2
それ以降は歴史を経るに従い徐々にその性格が変わって
いき、次第に鎮魂祭(厄払い)から八坂神社を中心に京都
の町を挙げてのイベントへと変遷していきました。わかりや
すく図式化すると平安・鎌倉時代(御霊会=朝廷の行事)
→室町時代(イベント=町衆の行事)→応仁の乱・戦国時
代(中断)→織豊・江戸時代(再び町衆行事+町衆お宝ご
開陳)→明治時代(神仏混合から神さんに一本化)→昭和
時代前期(太平洋戦争=中断)→現代(伝統行事は守り継
がれ、今では日本の三大祭としてつとに有名)
長刀鉾4
気の長い話で祇園祭は前後1ヶ月間も行われるのですが
そのハイライトは何と言っても極暑の7月17日に行われる
山鉾(やまぼこ)巡行」ではないでしょうか。タバコ屋も恥
ずかしながら、ろくな知識もない中で、祇園祭=山鉾巡行
というイメージなのです。

さて以前より度々タバコ屋のブログにご登場頂いている
同志社大学自動車部の同釜、同期の元校長先生H氏が
その祇園祭の最新の写真を沢山送ってくれました。彼を
知る人にとってはもう説明の必要もない程の凝り性で、
オクルマにおいては長きに亘りミツビシ車を愛し一穴主
義を貫いてきました。おかげでWRCを頂点とするラリー界
においては世界的に有名な篠塚建次郎氏や、ミツビシの
ワークスドライバーでパリダカを何度も制覇している増岡
浩氏らと親交があり、京都ではミツビシ車PTA会長として
押しも押されもせぬ第一人者であることは周知の事実です。
(関連記事:1.終わりなき旅 vol.3:宴のあとさき
2.校長先生の青春 vol.2:されどもラリー参照願います)
アウトランダーPHEV-9
ここだけの話ですけど、そんな彼ゆえミツビシでは結構大
切にされているらしく最新のオクルマが発売されると(例え
ばPHEVアウトランダー等)ちょっと乗ってみてもらえません
か、とかお声がかかるそうで、タバコ屋なんか40年もHON
DAに操を尽くしてきてもそんなお話一度もありません。
F1のチケット2、3回貰っただけなんですけど、この落差は
何なんだろう・・・。
(関連記事:東京モーターショー異聞 vol.3:百花繚乱
(後編)
参照願います)
211-4.jpg
突然の写真で恐縮ですがそのミツビシが今から20年以上
前の平成4年、パリダカールラリーを制覇したズバリのワー
クスカーです。その年はオリオールが総合優勝、我が篠塚
建次郎選手も3位入賞し、ミツビシワークスが1~3位を独
占するという偉業を達成した年でした。ベース車両はミツ
ビシ御自慢のパジェロで戦闘機に仕上げるとこうなります。
砂漠の山猫という意味のパジェロが世界の強豪をビビらせ
たその雄姿は一種近寄りがたい迫力を感じさせます。
211-9.jpg
何と!、そのワークスマシンにご搭乗遊ばされているのは
H氏ではありませんか。自身もパジェロを所有されています
が、このマシンは外観はパジェロながら中身は全く別物で
それが証拠にコイルダンパーなんかゴッツイのが2本も付
いていますよね。シャシーもかなりの部分がスペースフレ
ーム構造に改造されているようです。さすが世界最高峰の
パリダカラリーで戦うマシンはすべての作りが市販車とは
まるで違います。
211-8.jpg
コクピットに誇らしげに収まっているH氏に聞いたところで
は、20年以上経過したこのマシンをレストアすることになり
腕利きのいる京都のミツビシ直系ガレージへ持ち込まれた
ものだとか。H氏にとっては奇跡のご対面と言うところでしょ
うか。
ついでながら当時はNIKONがメインスポンサーとしてバック
アップしていましたが、そのせいかどうかH氏もNIKONをご
愛用のようです。
祇園祭8
随分話がそれましたが、本題の祇園祭に戻ることに致しま
しょう。彼の送ってきた写真はマニアックな彼らしく、ほとん
どが巡行の写真ではなくてそれに至る準備の模様を取材
したものでした。
祇園祭10
まずは全国及び世界各地から来られる観光客にプレゼン
をと言うことで、京都市内を南北に貫く地下鉄のフロント部
には「おこしやす祇園祭」というプレートが付けられました。
H氏は犬猫の本能をお持ちなのかどうか動くものは何でも
好きでというか飛びつく性癖がありオクルマをメインに電車
もかなりマニアックな追っかけオタクとお聞きしています。
京都タワー1
どういう訳か京都タワーの写真がありました。皆さんおなじ
みのこの建物は日本武道館などを手掛けた著名な建築家
山田守氏が設計し、京都大学の棚橋諒教授が構造設計
及び強度計算を行い万全を期して昭和39年、東海道新幹
線の開通に合わせて竣工しました。

ユニークなのはその骨格構造で、一般的には東京タワー
のように鉄骨を組み合わせて作るのですが、京都タワーは
特殊な鋼管を筒状につなぎ合わせそれをメインの骨格とし
ました。つまり内部はスッポンポンということです。オクルマ
業界では東京タワーのような構造をスペースフレームと言
いますが、京都タワーの構造はモノコックフレームと言いま
す。現代のオクルマは概ねモノコック構造です。
蛇足ながら前出のミツビシワークスパジェロはモノコックと
スペースフレームを組み合わせたかなり高級な骨格構造
となっています。
京都タワー2
さて京都タワーのデザインコンセプトについてですが、一
説によると京都らしくローソクを模したものであるとかまた
和歌山の潮岬灯台をイメージしたものだとか言われてい
ますがタバコ屋はやや異なるイメージを持っています。
独断と偏見で申し上げますとズバリこれは山鉾をモチー
フにしたものだと思いたいのです。一般の解説資料には
どこにもそのようなことは書かれていないのでここだけの
話にしておいて下さい。
長刀鉾11
カマボコならぬ山鉾は恥ずかしながら一つのものと思って
いました。ところが山と鉾は別物でそれぞれ異なったコン
セプトで作られていることがわかりました。写真左が鉾で
右が山なんですがどこがどう違うんでしょうか。
一般的には大型で、真木(シンギ)と呼ばれるセンター
ポールが立ちその先端にはその鉾を象徴するシンボル
が取付けられます。(長刀(なぎなた)鉾であれば先端に
長刀が取付けられる。)
はやや小型でセンター部に文字通り山を表す真松が取
付けられ、山鉾巡行時は鉾が10体、山が23体という壮大
なスケールにて前祭、後祭に分かれるものの絢爛豪華な
美術品の塊みたいな京風お神輿?の一群が四条烏丸を
起点に四条河原町→河原町御池→烏丸御池を経て新町
御池にゴールする一大パレードが繰り広げられます。
祇園祭9
その山鉾をイラストにしてまとめた大きな展示パネルだと
思うのですがさしずめ入念にレストア&デコレーションされ
たクラシックカーのお披露目のようでもあり、そのほとんど
が国の文化財に指定されているそうで日本的美的感性の
究極表現とも言えると思います。
月鉾3
それでは元校長先生に送って頂いた写真をもとに山鉾巡
行の裏舞台を見ていくことにしましょう。山鉾は写真のよう
な町屋に保存されているらしくぎおんさんが近づくとおもむ
ろに引き出し組み立てが始まります。
月鉾4
これは鉾の一つ月鉾の台座部組み立て風景ですが、釘を
1本も使わないのが特徴で、すべて荒縄で縛る方法にて
これなら数百年に亘りパーツを傷つけることなく再利用が
可能であり先人の知恵の賜物と言えます。
大船鉾10
今では神社の注連縄(しめなわ)くらいにしか使われなく
なった荒縄も祇園祭ではこのように大量に使用されます。
稲作の民日本人が生み出した副産品の藁はロープに応
用され生かされています。
長刀鉾1
問題はメインポールの真木をどうやって立てるかですが、
どうもテコの原理を使って台座ごと90度回すことにより上
手に起こしていくようで、何もタバコ屋が心配することでは
ないようです。
月鉾5 月鉾6
やがて全体の骨組みも概ね仕上がり鉾らしい姿になって
いきます。組み立てに携わる社中の方々の人数も半端で
はないのが見て取れます。
月鉾7
京都タワーにひさしをつけたような格好の上屋ですが、
京都タワーと違い山鉾はすべてスペースフレーム構造
です。
月鉾10
鉾を支えるホイールもハンパではなく直径が人の背丈程
もあります。構造はリジッドアクスル(固定車軸)でサスペ
ンションは無くタイヤも付いていないので乗り心地は最悪
だと思われます。このあたりはオクルマ=馬車文化が発
達しなかったヤマトの国の限界です。それは鎖国政策に
より異国文化を封鎖した徳川幕府にも原因はあると思い
ます。
蛇足ながら、ステアリングもないので方向転換が大変だ
と思うのですが、タバコ屋の取り越し苦労でしょうか。
函谷鉾2 長刀鉾15
その完成型ですが、とにかくメインポールが異様に長いの
がおわかりでしょうか。何でもこの真木を通して厄病を天
に向かって追い払うと言う意味があるんだそうです。
大船鉾1
鉾のボディデザインについては館型が一般的ですがこの
ように船のモチーフを採り入れた船鉾また最近復活したら
しい大船鉾があり、多様な個性を感じさせます。
蟷螂山6
中には蟷螂(とうろう)山などという超ユニークなものもあり
早い話がカマキリカーで何でも昔腕の立つ武将がいてその
刀の切れ味がスゴかったことにちなんでカマキリをモチー
フにした山になったとか。
蟷螂山3
その蟷螂山界隈ではカラクリ仕掛けのカマキリが運ぶオミ
クジが結構人気だそうで、H氏もさっそくチャレンジ、見事
大吉を引き当てたようで、ご満悦でした。もっとも動くもの
何でも大好きオタクの彼はお子達相手に40年以上も動く
オモチャの創作教育事業に携わっており全国大会への
出場を目指した指導を今でも行っています。
「○○の一念岩をも通す」というのは彼の為にある言葉で、
今ではその一徹さが受けて大学等での講演依頼が頻繁
に来ているとか。
(関連記事:校長先生西瀬戸を行く vol.1:中島編参照
願います)
蟷螂山8
夕暮れ時ともなれば各山鉾のまわりに配置された提灯が
一斉に灯され格別の風情を醸し出します。タバコ屋は祇園
祭の宵山を経験していませんが、一度行ってみたいと思っ
ています。
屏風祭り
その宵山では京の有力な町屋衆が行う屏風祭があります
が、一種のお宝ご開陳、見せびらかしイベントで、あらゆる
生活資源を投入して観光客を呼び込もうとする京都人の
したたかさ、すごさを全国の観光地は見習うべきだと思い
ます。
祇園祭グッズ5 祇園祭グッズ3
律儀な彼は写真と一緒に粽(ちまき)とお神酒を送ってきて
くれました。粽は皆さんご存知のように厄除けのお守りとし
て玄関に飾ったり、またお餅の入ったものは厄除け祈願
として食したりする縁起物です。厄除けとしての茅の輪が
起源である粽はさっそく玄関に飾り、お神酒は有難く生き
神様のお腹に入れさせて頂きました。
祇園祭6
1ヶ月に及ぶ長い祇園祭の最後には締めくくりとしてその
茅の輪をくぐり無病息災を願う「夏越祭(なごしまつり)」が
行われますがその模様を伝える記事です。
IMG_4887.jpg
突然で恐縮ですがこれはタバコ屋の島、中島の「忽那島
八幡宮」で祇園さんと同じ日7月31日に行われる島の夏越
祭の模様です。左手でお勤めされているのは以前ご紹介
させて頂いた、香取神宮OBの大宮宮司さんです。中島の
場合は茅(かや)があまり生えていないので笹の輪で行っ
ていると思うのですが間違っていたらご免なさい。
その輪をくぐるので中島でも俗称「輪くぐり祭り」と呼んで
います。それにしても夏越祭と言うのは島だけかと思った
ら全国共通行事なんですね。(やはり蛙は井戸の中から
一度は出るべきです。)
(関連記事:夏の日の思い出 vol.1:プロローグ参照願い
ます)
東邦織物2
彼が送ってくれた写真の中で思わずアレ~と叫んでしま
ったのがこの写真です。同志社大学自動車部時代お世話
になった東邦織物さんのビルです。中京区の新町蛸薬師
にあって祇園祭の社中として山鉾巡行のお世話に関わっ
ているようです。当時といっても40年以上前の話ですが、
クラブのアルバイトとして東邦織物さんの社用車(ほとん
ど社長用)のお抱え運転手をしていたことがありました。
横文字ではショーファーと言いますが社長を乗せて市内
を走るのでかなり気の疲れるバイトでした。
東邦織物1
ちなみに当時のオクルマはクラウンで、我々にとっては雲
の上のクルマでしたし、傷つけると大変なので随分慎重な
運転が必要でした。写真ではメルセデスベンツSクラスの
AMG仕様?が停まっているようですが多分お客様のもの
だと思います。まともに買えば1,500万前後するはずでセレ
ブなお得意さんのものなのでしょう。
当時の社長はとても質素な方で、市内の六波羅蜜寺にお
参りに行くのが日課のひとつでした。

東邦織物さんはいわゆる白生地問屋でどちらかというと
タバコ屋のような小売のゴフク屋よりは染め元とか中間の
問屋が出入りする店だったように記憶しています。しかし
時代の激変の中で京都の室町筋(つまりゴフク問屋)は
壊滅的な打撃を受け廃業が続出しましたが今に至って
商いを継続されているのは大したもんだと思います。
かく言うタバコ屋はゴフク屋をとっくに廃業しています。
北海道遠征6-1
今ではウソのような話ですが、そうやってクラブのために
タダ働きをしてお金をためて買ったのが写真のスカイライ
ン2000GTでした。
以前の記事でも度々ご紹介しているのでもう説明の必要
もないでしょうが処女航海は北海道遠征でした。
(関連記事:今出川でのこと vol.3:地獄の北海道遠征
参照願います)

手前味噌の話で恐縮なんですが、東邦織物の社長さんと
の間で忘れられない思い出があるのです。4回生も押し詰
まり卒論を提出する時期になった頃、ふと社長から「富永
君、君の卒論のテーマは何かね」と聞かれました。恥ずか
しながら「アメリカのスーパーマーケットの歴史とその実践
理論について」というものですと答えました。
社長曰く、「一見ゴフク業界とは関係ないようだが、今日本
はダイエーを始めスーパーが大躍進をしている時代なの
で参考にしたいからコピーをくれないか」と言われました。
恐縮ながらもそのようにしたのですが後日社長に呼ばれ、
何と「御祝儀」なるものを頂戴したのです。自分の書いた
ものでオヒネリを頂くなど生まれて初めてだったのでその
時の感激は忘れることが出来ません。

尚、それには余談があるのですが、当時同じ下宿で生活
していた同期のS君が事故で長期入院をしていて卒論を
書ける見込みが無く、このままでは同期として卒業が危ぶ
まれました。そこで一計を案じ幸い同じゼミだったのでタバ
コ屋は自分の卒論を大幅に手直しし似たようなテーマで
別の卒論を書きS君のものとして提出しました。
大きい声では言えませんが奇跡的にもそれが通り、S君は
同期の桜として同じ春に今出川のキャンパスを後にしまし
た。つまりタバコ屋は卒論を2つ書いたことになります。
今となってはのどかというか懐かしい思い出です。
長刀鉾10
雅な町京都で夏が来れば繰り広げられる熱き祭りそれが
「祇園祭」ではないでしょうか。四条河原町周辺で祇園祭
の見物時は大変蒸し暑く、香里体育ハウスの合宿で鍛え
たはずのタバコ屋ですが、もう座り込みそうなほどヘトヘト
でした。
島でのセミ採りの思い出とともに、夏が来れば思い出す
タバコ屋にとっては大切な思い出の一ページです。

今回は同釜の元校長先生H氏が送ってくれた写真をもと
にタバコ屋の思い出話やらをお話しました。H氏と言って
もこの記事をお読みの方は概ねご存知だと思うのでバラ
しますと京都の平尾センセです。
一風変わった「祇園祭」の記事としてお読み頂ければ幸い
です。長時間のご精読有難うございました。

コメント

東邦織物さん

突然で失礼します。今日、東邦織物さんとこを通ったら、分室が取り壊され、本館ビル自体も取り壊されそうな囲いがしてあったため、閉店されたのかと思ってネット検索してみましたところ、こちらを拝見することができました。味のある建物と歴史ある企業がまた一つ新町通からなくなるのは残念ですが、時代でしょうか。

Re: 東邦織物さん

はじめまして。コメント有難うございます。そうですか「夏の日の思い出 vol.2:祇園祭の頃」をご覧頂きましたか。本来なら「君の名は」と問いかけたいところながら控えさせて頂きましょう。京都のお方でしょうね。

東邦織物さんは島のタバコ屋にとっては思い出の一杯詰まったところなんですが、時代の流れには逆らえないものがあるのでしょう。社長のお孫さんに義三君(通称ギーちゃん)がいらっしゃいましたが、45年程たった今はもういい年こいだオッサンになられていると思います。

夏が来れば思い出す、タバコ屋の場合は、はるかな尾瀬ではなく祇園さんであることは記事でも申し上げていますが、東邦織物さんでお世話になった日々も決して忘れることはありません。社長のオクルマ・クラウンの真っ白いシートカバーとか。

余談ながら、タバコ屋は元ゴフク屋だったので室町界隈はよく仕入れに通いました。室町万寿寺角には丸八さんがあり、親しくお取引をさせて頂いていました。社長の哲哉さんは高校生のころホームステイで島のタバコ屋の家に夏休みの間一ヶ月くらい滞在され一緒に生活した楽しい思い出があります。当時タバコ屋は小学生でした。

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★★島のタバコ屋の独り言★★
【4月10日:ああ創業100年】    島のタバコ屋は先々代が呉服屋を創業以来3代目となり、その間戦後間もない頃には島のバス運営事業を試みる等様々な営みを経て今日に至っています。皆さんよくご存知のNIKONも創業100年なんですが、比較にはならないものの同じ時代を生きてきた訳です。かつてオハイオのメアリーズビルで活躍する夢を抱いたこともあった青年も年を取りました。さて今後の100年をどのように生きて地域のお役に立っていくか、タバコ屋にとっては後継者である倅への「死に土産」としてそのコンセプトを確立しておく必要があると考えています。しかし倅にとっては年寄りの余計なおせっかいに写るかも知れませんよね。
◆◆島のタバコ屋メニュー◆◆
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