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初夢、イノベーション・オブザイヤー vol.2

平成27年1月7日
翼よあれがパリの灯だ
vol.1でオクルマのイノベーションについてタバコ屋なりの
考えをお話しましたがvol.2ではヒコーキの分野での頑張
れNIPPONについてお話ししたいと思います。
リンドバーグ3-1
タバコ屋世代にとってヒコーキのことで印象深い出来事と
言えばリンドバーグが史上初めて達成した大西洋単独
無着陸横断飛行
ではないでしょうか。昭和2年と言います
から今から88年も前のことで、タバコ屋の母校同志社大学
自動車部が創部される6年程前の出来事でした。
リンドバーグ14
彼の愛機は言わずと知れたスピリット・オブ・セントルイス号
で単発単葉、単座の今から見ればオモチャみたいなヒコ
ーキでしたが、当時この大西洋単独横断飛行には懸賞金
が掛かっていたらしく、民間航空機会社の若きパイロットで
もあり、冒険野心家でもあったリンドバーグは専門知識を
生かしハンドメイドの別注機を仕立て、資金も限られてい
たため交代のパイロットも用意せず、たった一人で2日間、
6,000km近くの冒険飛行を敢行したのでした。GPSもカー
ナビもなかった時代によくぞパリに辿り着けたものだと思い
ますが、快挙というかまぐれと言うかニューヨークのルーズ
ベルト飛行場を飛び立って以来ノンストップでパリのル・ブ
ルジェ空港に着陸したのです。(老婆心ながら食事とトイレ
はどうしたんだろう?)
リンドバーグ10
映画ではリンドバーグがパリ上空に達した時、「翼よ、あれ
がパリの灯だ」とロマンチックなセリフが発せられたようで
すが、実際は降りるまでそこがパリかどうかもわからなかっ
たらしく、また着陸後愛機から降りるやいなや、「もう我慢
出来ないんやけどトイレないですか?」と言ったとか言わ
なかったとか。
リンドバーグ12
余談になりますが、当時パリにそれだけの暇人がよくぞい
たもので70万人以上がその雄姿を一目見るために押しか
けたそうです。それから見れば、タバコ屋が鈴鹿のF1GPで
アイルトン・セナ見たさに全国から1日、15万人も押しかけ
その異様な光景に腰を抜かした事なんかショボイ出来事
だったように思われます。
リンドバーグ15
また明治36年にライト兄弟が初めてヒコーキを飛ばしてか
ら20年余りしか経っておらず、リンドバーグの決死のフライ
トという勇気は称えられるにしても、技術革新のスピードに
は驚かされますよね。
リンドバーグの偉業は冒険ながら、ヒコーキという最新の
ツールを利用したソフト面でのイノベーションと言えるかも
知れません。
リンドバーグ1-1
もちろん戦後世代のタバコ屋がそのような快挙を知る由も
なく、彼が戦後昭和28年に出版した自伝「The Spirit of
St.Louis」(邦題、翼よあれがパリの灯だ)をもとに昭和32
年に映画化され子供心にその映画を見た時の感動が強く
印象に残っているせいだと思います。
リンドバーグ8
その後リンドバーグはご夫妻で北太平洋空路の調査飛行
も敢行し、途中日本にも立ち寄りました。当時はまだアメリ
カとは蜜月時代でパリ程ではなかったにしても熱烈な歓迎
を受けたそうです。
リンドバーグ7
彼は、各種勲章を授与され一躍有名人となりまたセレブに
もなったのですが妬まれ後年ご長男の誘拐事件により不
幸な目にも合いました。古今東西出る釘は打たれると言う
のは共通なのでしょうか。

リンドバーグは昭和49年惜しまれつつ亡くなりますが、後
日談としてそのお孫さんが平成14年にニュー・スピリット・
オブ・セントルイス号を仕立て、再度祖父の快挙を再現し
て見せたそうで、歴史的意義は薄いもののそのDNAは
脈々と流れているのだと思います。

リンドバーグが活躍した時代はアメリカと日本は仲良しで
した。やがて日本軍部の暴走が始まるとともにその良き関
係が壊れてしまいあの不幸な戦争へ突入してしまった結果、
あまりの国力の差に結果は明らかで、完膚なきまでに叩き
のめされ敗戦を迎えたことはもう皆さんには説明の必要も
ないことでしょう。
零戦-11
さて話はうんと飛びます。皮肉なことに戦争により日本のヒ
コーキ技術は当時の世界トップクラスとなり、戦争のツール
とは言うものの、ゼロ戦、紫電改等の優秀な戦闘機を生み
出したのでしたが、敗戦により製造設備は全て灰燼と化し、
リセットどころか技術そのものをアメリカにより封印されてし
まいました。
(関連記事:究極のレストア参照願います)
ys11-4-1.jpg
その後、日本のヒコーキ技術が壊滅的状況の中、アメリカ
と西欧はジェットエンジンの技術革新でヒコーキ性能の飛
躍的な向上を果たしていきました。その間日本は国産旅客
機YS-11を開発するのが精一杯でした。ここだけの話です
が、タバコ屋は以前一度だけYS-11に乗ったことがあるの
ですが、プロペラエンジンの振動やボディの剛性不足により、
すこぶる不快な乗り心地だった記憶があります。

日本はその悔しさの捌け口をオクルマにぶつけた感があり
欧米が油断している隙と言いますか、たかをくくっている間
に絶え間ないイノベーションを進め文字通り世界一のオク
ルマ大国となりました。
DSCN0437.jpg
ヒコーキの世界でも日本はただ指を咥えて見ていた訳で
はなく、NIPPONオリジナルの炭素繊維加工技術を武器に
軽量化という絶対テーマに大きく貢献しボーイング社など
の機体の約半分はNIPPON製という事態になってきました。
またジェットエンジンについても長い間アメリカ製のノックダ
ウン生産を繰り返しているうちに頂点を究めなければ気が
済まないという日本特有の匠心により、近年ではミツビシ、
IHI等がアメリカ製よりコンパクトでしかも高出力のジェット
エンジンを開発出来るまでになりました。オクルマであれ
だけのエンジン技術を持つNIPPONですからジェットエンジ
ンでも同じことが出来るはずですよね。

オクルマのカテゴリーでわかるようにアメリカはマル金の
国だけに基本コンセプトは優れているのですが作りが大
雑把で細やかさというものがなく、マルビの国、NIPPONの
美点であるもったいないコンセプトにも欠けていて年月を
重ねると結果としてNIPPON製品の方が断然良いもの(
ローコスト・ハイパフォーマンス)に仕上がるという寸法です。
(関連記事:好みの基準 vol.7:カーデザイン参照願います)
ホンダジェット-4-1
そのヒコーキ分野にもこの数年、大きな変化のきざしが現
れました。まず先行したのがHONDAで、創業者、本田宗一
郎氏の夢だった大空への挑戦が実を結ぶ時が来たのです。

すでに宗一郎氏の意思に従い昭和61年には研究所を設
立し本格的なヒコーキの研究をスタートしていました。
長い基礎研究と幾多の試行錯誤の末、平成15年には待
望のオールHONDA製小型ビジネスジェットのプロトタイプ
を完成させるまでに漕ぎ着けました。
ホンダジェット-5
コンセプトは「ボディ、エンジンともすべて自社製で高効率、
高性能な小型ビジネスジェット」というものでした。エンジン
については設計は自社でやるものの生産とかのノウハウ
が必要でアメリカの大手メーカーGE(ゼネラル・エレクトリ
ック社)と提携し、別会社を作って対処し実現に漕ぎ着け
ました。
ホンダジェット-7-1
日本初の国産ビジネスジェットは人マネが大嫌いなHOND
Aらしく大変ユニークなエンジンレイアウトを採用しました。
通常は両翼下か、胴体後部に配置するエンジンを両翼上
に配置したのです。コロンブスの卵と言ってしまえばそれ
までですが、独創的な発想と言えるのではないでしょうか。
ホンダジェット-20
ちなみにこの独創的なHONDAジェットを設計デザインした
のはHONDA航空事業のプロジェクトリーダーでありアメリ
カ現地法人HONDA・AIRCRAFT社の社長でもある藤野道
格氏
で、ユニークなそのエンジンレイアウトはもちろん特許
になっており他社が簡単に真似することは出来ないので
す。う~ん、タバコ屋お気に入りの初代フェアレディZのデ
ザイナー、松尾良彦氏以外にも気骨溢れる日本人デザイ
ナーがいたんですね。コクピットもシンプルかつ機能美に
あふれるGOOD-DESIGNで好ましいです。ただしアナログ
全盛だったタバコ屋世代と違い、計器盤の位置にはすべて
ビジュアルモニターがセットされています。これはこれで
GOODです。
ホンダジェット-9-1
肝心の飛行性能も抜群で、スピード、燃費とも競合他社よ
り2割近く良いそうで、(ちなみにスピードは零戦より遥か
に速い770km/h程度で巡航)、また機内もエンジンを胴体
から切り離すことにより、約20%も広くすることが出来、
その結果ビジネスジェットと言うかパーソナルジェットとし
てエグゼクティブや富裕層の要求を満たす快適仕様に
仕立てられています。セスナを始め競合他社が大慌てす
るのを尻目に、気が遠くなるような膨大な量の事前テスト
を終えいよいよ発売段階に入ろうとしています。
ホンダジェット-15
事業の観点から申しますと、HONDAがここに至るまでは
売上げ(収入)というものが全く発生していない訳で、すべ
て開発のための持ち出し(支出)のみだったと思うのです。
リーマンショック以降はHONDAも業績が悪化し、年間500
億円もかかるというF1から撤退する等、関連事業を縮小し
ただけに、金食い虫の航空機事業は存亡の危機に立たさ
れた訳ですが、おそらく累計では数千億円の開発費を投入
したであろうこの事業を廃止せずよくぞ踏ん張って実現に
漕ぎ着けたものだと思います。HONDAは当面、年間100機
程度売りたいようで、そうなると一気に数百億円規模のビジ
ネス(売上げ)が発生するわけで何かオセロゲームのような
気もします。
年間100機と簡単に申し上げましたが、製造ペ-スは4日に
1機ということになりヒコーキとしては大変な量産規模にな
ります。ま、オクルマとバイクで生産ノウハウでは最先端を
行くHONDAのことですから、あまり心配はしていませんが。
ホンダシビック1
かつて誰も成し得なかったマスキー法をCVCCエンジン
よっていち早くクリアし、アメリカへシビックとアコードで殴り
込みを掛け、一躍新天地を切り開いてきたHONDA、今度
はヒコーキの分野で再びシビック・アコードの奇跡を再現し
ようとしています。
蛇足ながら、このビジネスジェット・シビック版(6人乗り)で
成功したら次は一回り大型のアコード版(10人乗りくらい)
を開発するであろうと思うのはタバコ屋だけではないと思
います。何故ならば、HONDAは航空機事業をバイク、オク
ルマに次ぐ第3の事業の柱にしようと目論んでいるからな
のです。そうなると数千億の規模と言うことになりビジネス
ジェット・シビック版だけではその売上げを賄えませんよね。
(関連記事:オハイオの夢参照願います)
アコードハッチバック3
ヒコーキメーカーだったBMWも、またジェットエンジンメー
カーでもあるロールスロイスだって自前のヒコーキを開発
するには至っておらず、このHONDAの画期的なイノベー
ションと言うか執念に対しオクルマのFCV技術同様、タバ
コ屋は拍手喝采を送りたいです。タバコ屋の敬愛する経
済学者のドラッカー教授も言ってますよね、
事業とは新しい顧客を生み出すことである」と・・・。
(関連記事:カーオブザイヤー異聞:間違いだらけの受賞
車選び
参照願います)
ホンダジェット-19-1
どうでも良いことながら、タバコ屋が唯一気に入らないのは
新しいHONDAジェットのロゴマークなんです。本来の力強
いHONDAロゴやバイクのウイングロゴを見慣れてきたタバ
コ屋にとってはHONDAジェットのロゴは何か弱々しくイン
パクトを感じません。タバコ屋の感性がずれているのか、
デザイナーのセンスが悪いのかは皆さんの判断にお任せ
することにしましょう。
ホンダS800-1
かつてHONDAが無謀にも四輪に進出し今では多くのライ
ンナップを揃える総合メーカーに成長したように、ヒコーキ
のカテゴリーでもこれを皮切りに主に小型ジェットの分野
でユニークかつ魅力的な製品の数々を開発してくれること
でしょう。
ホンダジェット-3
ただこのヒコーキを買いたいと思っている方のためにオネ
ダンを申し上げますと約5億円だそうで、メンテナンス等の
維持費も相当かかるためロールスやフェラーリをゲタ代わ
りにお使いのお方でないと、購入は無理というものです。
ちなみにタバコ屋は当面カタログを眺めるだけにしておき
ます。
ランドスピーダー5
内緒の話ながら、個人的には前回の記事でご紹介した夢
のノリモノ「ランドスピーダー」をHONDAが開発してほしいと
思っています。いやすでに研究中かも知れません。
(関連記事:近未来カー参照願います)
MRJ-3.jpg
次に注目したいのは、悲願の国産ジェット旅客機開発を
ミツビシが実現したことです。その名はMRJ(ミツビシ・リー
ジョナル・ジェット)で読んで字のごとく、近距離間をつなぐ
70~100人乗りの小型ジェット旅客機のことです。NIPPON
お得意のカーボンファイバー技術を駆使し、軽量かつ高
性能なヒコーキを自前で開発したのです。

ただ、エンジンだけは開発に時間がかかるためアメリカの
老舗エンジンメーカーでありボーイング社などに多数採用
されているプラット&ホイットニー社のものを採用している
そうですが、これもいずれミツビシ製かIHI製に取って代わ
ることでしょう。
MRJ-4-1.jpg
MRJのコンセプトは経済産業省が提唱した「環境適応型
高性能小型航空機」に呼応して開発されたものであり、
オクニのお金がかなり注ぎ込まれた国家プロジェクトでも
あったのです。
(関連記事:零戦の末裔参照願います)

ミツビシさんには悪いのですが、性能は申し分ないながら、
機体デザインは空力をとことん追求した割にはバランスに
欠けており、前のめりのお口トンガリデザイン、いわゆる
コンコルド顔になっていて、タバコ屋はやや失望です。
MRJ-8.jpg
それはともかく昭和37年より運行開始した国産初のYS-11
より53年ぶりに今度はプロペラではなくジェット推進の国産
旅客機が誕生しようとしています。性能はもちろん機内の
乗り心地や快適さはYS-11とは比較にならないほど改善
されているはずですが所詮は近距離用の小型機なので、
普段ボーイングの大型機に乗り慣れている皆さんにはや
や窮屈に感じられることでしょう。
素人考えながら、多少外観デザインはズングリでも良いか
らバランスの取れたボディとし、その分機内のスペースを
広げてほしかったと思います。
787-2.jpg
余談ながらミツビシが何故ボーイング787等花形路線用
の中大型ジェットを開発しなかったかと言えば、それは
ボーイングやエアバスの酒池肉林のおいしいところへ殴
り込みを掛けることになり、すぐにプロジェクトそのものを
潰されることは明白だったからです。
曰く、「せっかくNIPPONに炭素繊維やらパーツやら沢山
注文してあげてんのに、自前で全部作って俺らの邪魔を
するんやったら、もう注文は出しませんで~!」タバコ屋
はその場にいなくてもボーイング社が言うセリフくらいは
わかります。

思えば、戦後完璧にヒコーキ技術を封印されたNIPPON
でしたがHONDAとミツビシは逆境をはねのけここまで辿
り着きました。それは強い意思(ビジョン)と技術革新(イノ
ベーション)に支えられたものであることは申すまでもあり
ません。
(関連記事:初夢、イノベーション・オブザイヤー vol.1参照
願います)
心神1-1
蛇足ながら、あくまでも国土防衛のためのツールとして
迎撃戦闘機(かつての紫電改や雷電)がありますが、これ
も民間機同様国産化がはばかられ、長きに亘りMADE IN
USAを有難く拝受してきたのですがここへ来てやはりミツ
ビシ及びIHIの連合軍にて新時代のステルス迎撃戦闘機
のプロトタイプ(通称「心神」)が試作完成したようです。
心神3
ステルス技術で現在NIPPONは世界最高水準にあると言
われており、機体の形状及び素材はもちろんのこと、特殊
塗料に至るまで、各種ハイテクノロジーの集成で、この分
野でもNIPPONは存在感を増しつつあります。
心神4-1
二度と戦争はやってはなりませんが祖国防衛は何として
でも果たすべきことだと思います。NIPPONの匠の技術をも
ってすればそれが自前で可能な段階に差し掛かりつつある
のです。

無駄話ながら、地上のノリモノに比べ空のノリモノ特に戦
闘機は単純にその造形が美しいと感じます。機能を追求
すれば必然的にこうなるのでしょうか。タバコ屋はヒコーキ
のことには全く素人ながら美しいのか、ぶっさいくなのか
くらいの判断はつくと思っています。特に稚拙なコンセプト
によるオスプレイの危険さとデザインの不細工さにはとて
も耐えられません。
(関連記事:沖縄巡礼 vol.4:気がかりなこと参照願います)

本当はロケットのことまで書きたかったのですが、例によっ
て長い前置きとなったため紙数が尽きたようですので今回
はここまでと致します。ロケットについてはvol.3にて、
お楽しみに。

(尚、文中の歴史的な記述や一部写真はウィキペディア及
びヤフーネット画像等引用させて頂きました)

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★★島のタバコ屋の独り言★★
【4月10日:ああ創業100年】    島のタバコ屋は先々代が呉服屋を創業以来3代目となり、その間戦後間もない頃には島のバス運営事業を試みる等様々な営みを経て今日に至っています。皆さんよくご存知のNIKONも創業100年なんですが、比較にはならないものの同じ時代を生きてきた訳です。かつてオハイオのメアリーズビルで活躍する夢を抱いたこともあった青年も年を取りました。さて今後の100年をどのように生きて地域のお役に立っていくか、タバコ屋にとっては後継者である倅への「死に土産」としてそのコンセプトを確立しておく必要があると考えています。しかし倅にとっては年寄りの余計なおせっかいに写るかも知れませんよね。
◆◆島のタバコ屋メニュー◆◆
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