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校長先生の見果てぬ夢 vol.1:プロローグ

平成27年3月22日
最新版京都見聞録
先日お知らせしたように、さる1月中旬みぞれ雪の降る寒い一日、
底冷えのする京都で、その裏腹に熱気溢れるあるイベントが行わ
れました。そのイベントにご招待頂いたのは、何を隠そうタバコ屋
のブログに度々ご登場頂いている元校長センセの平尾氏でした。
IMG_3475.jpg
彼の経歴は話せば長くなるのではしょって申しますが、タバコ屋と
は同志社大学自動車学部(そんな学部はありません)を昭和48年
に卒業した同期生で楽しいこと辛いことも4年間共有してきた同釜
です。丁度日本が高度成長真っ盛りに突入する熱にうなされたよう
な時代でした。その後彼は某一流製薬会社に就職しましたが、何
が気に入らなかったのか間もなく退職しお父様と同職の教師の道
を志し、工学部出身とは裏腹の教員免許を取得すべくアルバイト
をしながら再度勉強し直した結果、念願叶い、もともとアタマが良か
ったのと、世渡りが上手だったので(彼は認めないでしょうが)あと
はトントン拍子に出世し今日に至ったという訳です。
IMG_4407.jpg
卒業後はお互い社会に溶け込むためと、食べていくために同期生
と遊んでいる間はなく、そのうち結婚、子育てとお互い多忙な日々
を過ごしました。結婚式に呼ばれて行ったのが今では懐かしいよう
な気恥ずかしいような思い出となっています。胸にはお花をあしら
い満面の笑みで人生最良の一瞬を味わっている平尾青年です。
もっともタバコ屋などは「プロポーズ、その日に帰って断りたい」
などと、サラリーマン川柳大賞受賞の一句を思い出したりしている
毎日なんですけど・・・。
ジュリアナ東京1
やがて時代は高度成長時代を終え一段落し今度はこともあろうに
日本中が土地や株の投機に走るというバブルの時代に突入した
のです。昭和60年頃から平成2~3年頃までの10年にも満たない
期間だったと記憶していますがその時代に校長センセやタバコ屋は
30才台の元気盛り、怖いものなしの世代であったと思います。
写真のジュリアナ東京などという世紀末的なディスコハウスが持て
はやされ、その実態はミーハーなお嬢ちゃん達の年中盆踊り大会
の様相を呈していました。
miura5.jpg
当時流行っていたものと言えばスーパーカーでした。大人は言うに
及ばずお子達にも大人気でしたが、浮世離れしたシロモノにて購入
には至らず、見てるだけ~の展示会イベントやプラモデルが中心で
した。やがてその熱病もバブルの終焉とともに消滅していきました。
写真はランボルギーニ・ミウラです。スーパーカーのイメージとして
はカウンタックが定番なのでしょうが、あのパキパキしたデザインを
タバコ屋は認める訳にはいきませんのであえてミウラを載せました。
(関連記事:初夢、イノベーション・オブザイヤー vol.1参照下さい)
ミニ四駆2-1
次に登場したのはミニ四駆でした。所詮はプラモデルなのでお手軽
に購入することが出来、また「動くおもちゃ」としてミニ四駆レースが
開催されたこともあり、自分であれこれパーツを購入して改造が出
来る面白さもあって、またもや大人もお子達もハマッてしまいました。
有名模型メーカーのタミヤの思うツボであったのかも知れません。

当時タバコ屋は島で初めてのホームセンターを開店させるべく、
他店に見学に行ったり、仕入れ商品のルートやメーカー、問屋と
交渉したりで、多忙な日々を過ごしていました。過疎の島にも当時
は自分の倅達を含めてまだお子達が沢山いましたがタバコ屋の
店(スーパーカーならぬスーパーですが)で玩具も扱っていた関係
上、ブームとなったそのミニ四駆なるものも入荷してきておりお子
達には大人気でした。
ミニ四駆5
そこで島でもミニ四駆レース大会が出来ないものかと問屋さんに打
診したところ、どうも模型メーカーのタミヤがミニ四駆レース専用の
組立て簡易サーキットを別売しているということでかなり高価でした
が島のお子達を楽しませる目的で思い切って購入することにしま
した。狭い島にて結構話題性もありお子達は大喜びで参加してくれ
ました。ただ途中からはその親(父親)もほっておけずというかハマ
ッてしまって参加するようになり、他の子供達からブ大ブーイングに
なった程でした。
F1ウイリアムズホンダFW11-2
丁度その頃はHONDAが再度F1に参戦しウイリアムズにエンジン
供給して悲願の世界チャンピオンを勝ち取った頃でもありミニ四駆
のプラモデルはF1マシンとかが多かったように記憶しています。
ただそのブームもマクラーレン・HONDAがF1を席巻した頃には
下火となりやがていつの間にか一部のマニアのみのものとなりまし
たが一時は自分の倅も含めて当時のお子達が夢中になったアソビ
であり今では懐かしい思い出となっています。
(噂では当時の子供だった現在の30才台のオトナを中心に再び
静かなミニ四駆ブームが起きているそうです)
ミニ四駆7
さてその頃、一方京都ではオクルマ好きの熱血先生が理想に燃え
毎日お子達相手に頑張っていた筈です。お互い多忙であったため
その頃の状況については把握出来ていませんが、大学で4年間
苦楽を共にした仲にて、大体のことはわかるような気がします。
距離は離れていても時代の流れは共有していた訳で恐らく京都で
もミニ四駆はブームだったと思うのです。
ミニ四駆3
これはタバコ屋の想像になりますが、アタマの良い彼のこと、多分
このミニ四駆のおもしろコンセプトをお子達の創造性教育に活用
出来ないかと思ったのではないでしょうか。ミニ四駆の極めて優れ
たアップデイトなコンセプトとは
.もの作りの楽しみがある(創意工夫が生まれる)
.競争の原理がある(ミニ四駆レースによるバトル)
.安価である(子供のお小使いの範囲でやれる)
これも全くの想像ですが、彼はそれを一歩進めてもっとシンプルで
どこでも手に入るタダ同然の材料を使用し駆動メカもゴムひもとか
簡単な方法にして、お子達に情操教育の教材として発案したので
はないかと思うんです。お聞きした話では、事実彼は教師になった
初期の頃からそのことに取り組み、以来実に30年以上にわたり
動くおもちゃ」をテーマにした教育活動を続け、今では京都は言う
に及ばず全国的にも有名なセンセになっているようです。〇〇の
一念岩をも通すというのは彼のためにある言葉かも知れません。
ミニ四駆4
その間彼の薫陶を受けたお子達の数はおびたたしい数に上ってお
り、彼らが大人になりその創意工夫(クリエイション)と競争(コンペ
ティション
)の原理を生かし様々な企業や職場で実践しつつあること
を思えば教師冥利に尽きると思うのです。ただし以上のことは全て
タバコ屋の想像もしくは空想にて、間違っている場合はスミマセン。
IMG_0887-1.jpg
ついでながら正確ではありませんが、京都は日本でもノーベル賞
受賞者を最も多く輩出している街だと平尾氏からお聞きした記憶が
あります。彼は自分の教え子から受賞者が出る事を夢見ているの
かも知れません。尚、写真は還暦を過ぎた平尾センセが現在お勤
めの「京都まなびの街 生き方探究館」というところにある情報発信
のための展示ブースで、京都出身のノーベル賞受賞者を紹介して
いるコーナーです。
(関連記事:校長先生西瀬戸を行く vol.1:中島編参照願います)
(関連HP:京都まなびの街 生き方探究館参照願います)
平尾(生き方探求館)
さて例によって前置きが長くなりましたが、今回タバコ屋が京都に
お伺いしたのは、平尾センセが30年間地道に取り組んできたその
「動くおもちゃ」の競技大会、名付けて第9回「至高の動くおもちゃ
づくり
」、トイ・コンテストグランプリin京都という長たらしい名前の
イベントをこの目で確かめてみたいという気持ちがありました。
正直なところ、タバコ屋もその方面はもともとおスキな分野なので
余計興味があったのです。ま、いくらスキとは言えわざわざ京都
まで見聞に行くというのもいかがなものかとは思いますが・・・。

余計な老婆心ながら、この場合の正しいイベントのネーミングは
動くおもちゃコンテストin京都」と簡潔にすべきでしょうが、もし平尾
氏が名付け親だとすれば彼は工学部出身なのでその辺はやや苦
手な分野であるか、またはこだわりすぎかも知れません。
DSCN2083-1.jpg
タバコ屋はやや無謀な方法にて今から40年以上前に製造された
愛車フェアレディZ(通称赤いお嬢ちゃんもしくはお婆さん)を駆って
勇躍京都の会場に向かったのでしたが、カーナビなどもちろんなく、
もっぱら人間ナビもしくは記憶に頼って早朝の大阪南港から会場
まで、それも物好きにもR1号京阪国道をチンタラと走ることにしま
した。写真は早朝の梅田界隈で早くもかなり混み始めています。
DSCN2088-1.jpg
写真左手は東寺の五重の塔ですが、やっとたどり着いたという感じ
ながら、例のセンセからはどこ走ってんねん、はよ来いや~みたい
な煽りの携帯電話を頂いており、タバコ屋は相当焦り気味です。
尚、写真に写っているマットブラックのボンネットはタバコ屋の愛車
赤いお嬢ちゃんのもので、3.1L・SOHC・ソレックス3連キャブ・
タコ足エキゾースト・縦デュアルマフラーというクラシックエンジンが
収まっています。
DSCN2090-1.jpg
京都駅界隈に差し掛かりました。ここまで来ればあとはもう目を
つむっていても目的地まで行ける距離です。写真は東側交差点
ですが本来なら西側堀川通りから右折して烏丸通りに進入すべ
きところやや早とちりして京都駅の東側から入ってきてしまいまし
た。ここを右折すればもう烏丸通りです。ただしタバコ屋はご覧の
ように走行中に写真を撮ったりするものですから、後ろのアルトの
おばちゃんにクラクション鳴らされたりして、かなりイラッとしながら
の走行でした。島ではこういう場合誰もせっついたりしないので。
IMG_3269-1.jpg
目指す会場は、京都烏丸通りを北上し、わが母校D大学を過ぎ
京都洛北北山通りの松ヶ崎にある「京都市こども体育館」でした。
写真は同志社大学今出川キャンパス正面の良心館の前で佇む
赤いお嬢ちゃんですが、この辺を御存じの方ならアレッと思う筈で
す。何故ならば烏丸通りを北上中なのに南方向に止まっているから
です。実はこの写真は一昨年自動車部の80周年大会があった時
に撮ったものなんです。当日は反対方向に走っていました。
(関連記事:終わりなき旅 vol.1:いざ京都へ参照願います)
DSCN2093-1.jpg
これが当日の写真で、ちゃんと烏丸通りを北方向に走っているのが
おわかり頂けると思います。いつも思うのですが、この今出川界隈
に来るとタバコ屋はすごく落ち着いた気分になれるのです。まるで
お母さんの実家へ遊びに来た時のように・・・。だって自分が卒業し
た学校のことを父校とは言わず母校と言うではありませんか。
いつも通った京楽食堂のおっちゃん元気でやっているんだろうか。
(関連記事:京都・静岡巡礼 vol.1:今出川慕情参照願います)
京都こども体育館1
程なくタバコ屋は「京都市こども体育館」に到着することが出来まし
たが赤い御嬢ちゃん改めお婆さんを駆って京都の洛北くんだりま
で出かけていくという無謀な行動はアホなおっさんと映るか、自動
車部出身の筋金入りの行動と見なすか、評価が分かれるところで
しょうがそれは読者の皆さんの判断にお任せすることにしましょう。
北海道遠征5-1
内緒の話ながら、この界隈は確かD大学自動車部時代一期後輩で
ミス自動車部だったS・K嬢のお住まいがあったと思うのです。その
お嬢さんは、彼女の同期の元キャプテンO氏の見初めるところとなり
地獄の北海道遠征を経て卒業後は彼のもとへお輿入れ、今では
東広島界隈でお幸せに暮らしていらっしゃるとか。世の中何がご縁
になるかわからないものです。尚、その彼は元東広島市役所の偉い
サンで今は晴耕雨読、悠々自適の生活と拝察しますが、さて・・・。
写真は今から40年以上前の北海道遠征途中のものですが、その
S・K嬢とO氏が写っており人当てクイズのようですが、探してみて
下さい。余計なことながら、前の二人はオカマではないと思うのです
が、タバコ屋が一人断定する訳にもいきません。また左端のオニイ
さんはやくざではなく卒業後、九州のラーメン王となるお方です。
(関連記事:今出川でのこと vol.3:地獄の北海道遠征参照下さい)
IMG_0874.jpg
到着早々、予期せぬ出来事がありました。当日の影のボスである
平尾センセが待ち構えていて、屋外駐車場の一番目立つ一等地を
確保してくれていました。気恥ずかしくも照れくさい瞬間ではありま
したがせっかくのご好意にて有難く止めさせて頂くことにしました。
ただ当日はみぞれ雪の寒い日で、箱入り娘を雨晒しならぬ雪晒し
にすることなど耐えられないことでしたが、止むことを祈って我慢
することにしました。

全くの余談ながら、この文節で「しました」という言葉が2回出てき
ています。京都ことばのイントネーションではし↑ま→し↓た↑
なるのですが、これは京言葉の独特のアクセントで分布としては
関西一円はもとより、四国地方の主に徳島あたりに及んでいます。
それに対しタバコ屋の島、中島は広島、山口の言語文化の影響を
強く受けており基本的にし→ま↑し→た↓となるのです。
これは基本的に関東アクセントなのです。何故、このように違うので
しょうか、一説によると広島、山口方面はかつて鎌倉、室町の世時
関東武士が大量に移り住んだところにて、言葉がその土地の土着
アクセントと混ざり合ったものの、基本的には関東アクセントが残っ
たという訳です。もっとわかりやすく言えば、雨は京都ではあ→め↑
と言うのに対し広島や中島ではあ↑め↓と発音します。真逆です
よね。
金田一春彦2
蛇足ながら、これは何もタバコ屋が研究したわけではなく日本の
言語学の権威、金田一春彦センセが日本語のアクセントの分布を
調べるためかつて中島を訪れ、そうだ、この地こそが関西系アクセ
ントと広島山口系関東アクセントの境界地だと断定されたそうです。
ただその時、金田一センセが感動的に叫ばれたかどうかは、当時
タバコ屋はまだ子供であったために確認のしようがありません。
アイヌ2
金田一センセと言えば、タバコ屋の一期後輩で、京都の和紙製品
某老舗店のいとはん(通称フクちゃん)がかつてお輿入れされた
北海道のアイヌ言語の権威としても有名ですよね。地獄の北海道
遠征では苦楽を共にしたそのフクちゃんは別にアイヌの方と結婚
した訳ではなく北海道出身の素敵な彼氏とご縁があったということ
でしょう。これはあくまでも想像ですのでフクちゃんにはお許しを。
ちなみにそのフクちゃんのご実家のお店はサンライズを日本語にし
その後ろに堂を付けたようなエレガントなお名前です。
北海道遠征23-1
突然の写真ながら、地獄の北海道遠征、網走編です。人当てクイ
ズ第2弾みたいになりますが。この中にそのフクちゃんと前出のS・
K嬢が写っています。探してみてください。尚、フクちゃんは当時
お胸が日本人離れしていたような記憶がありますが今となっては
確認のしようもないので、定かではありません。このブログにも
度々ご登場される神戸の元ケイサツ官、ギーちゃんも相変わらず
太宰治のごとく憂いを含んだ表情で何やら意味不明のOKサインを
出しています。
(関連記事:今出川でのこと vol.3:地獄の北海道遠征参照下さい)

とうとう脱線してしまいました。本題に戻ります。平尾センセと旧交を
叙した後、いよいよ会場へ殴り込みといきたいところですが以下長い
記事になりそうですので、今回は「最新版京都見聞録」のプロローグ
ということにして、会場での出来事は次回の記事に譲りたいと思いま
す。お楽しみに・・・。

尚、タバコ屋の悪いクセながら、今回の記事もアップした後に書き
足しをやらかしそうな気配なので、読者の皆さんは油断なく監視を
お願い致します。

(文中のミニ四駆やコースの写真他はヤフーネット画像等引用させ
て頂きました。)

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★★島のタバコ屋の独り言★★
【4月10日:ああ創業100年】    島のタバコ屋は先々代が呉服屋を創業以来3代目となり、その間戦後間もない頃には島のバス運営事業を試みる等様々な営みを経て今日に至っています。皆さんよくご存知のNIKONも創業100年なんですが、比較にはならないものの同じ時代を生きてきた訳です。かつてオハイオのメアリーズビルで活躍する夢を抱いたこともあった青年も年を取りました。さて今後の100年をどのように生きて地域のお役に立っていくか、タバコ屋にとっては後継者である倅への「死に土産」としてそのコンセプトを確立しておく必要があると考えています。しかし倅にとっては年寄りの余計なおせっかいに写るかも知れませんよね。
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