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混沌と秩序 vol.2:流通編(前編)

平成27年6月17日
前回の記事では中国の歴史をからめてタバコ屋の珍説をご披露
致しましたが、今回は見方を変えて西欧の歴史をもとに珍説第
二弾をお届けしたいと思います。流通とか堅苦しいタイトルです
が、要するに商い、ショーバイのことについてその歴史やら、
タバコ屋流の考え方なりをお話してみたいと思います。
エーゲ文明6
前回、4,000年の中国の歴史に触れましたが今回は西欧の歴史
を振り返ってみることにします。
皆さんかつて世界史のお勉強で習われたように世界の四大文明
はエジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、黄河文明と
相場が決まっていますよね。どれも巨大な河沿いに発生したもの
でしたが実はもう一つ海沿いに発生した古代文明がありました。
地中海の東部エーゲ海で発生したものでエーゲ文明(後のギリシ
ア文明)と呼ばれています。それは記録の残る古代中国よりも
やや古く、紀元前3,000年頃と言われていますから、これも
中国同様気が遠くなるようなお話です。
ギリシャ文明5
やがて1,000年後にはエーゲ海一円のクレタ、ミケーネでさらに
発展しその後1,000年程も経った紀元前1,000年頃には本命の
ギリシャ文明が起こりアテネやスパルタ等、ポリス(都市国家)
が出来て行政、軍事、町づくり、言語、哲学、文化芸術に至る
まで、古代中国と双璧をなす一大文明が絶頂を極めました。
この総じてギリシャ文明と言われるものが後のローマ文明に
引き継がれ西洋文明の基礎となりました。
トロイア戦争1
余談になりますが、吟遊詩人ホメロスが残した有名な長編叙事
詩としてイリアス・オデッセイアの物語がありますが、これは
エーゲ海を挟んで西のバルカン半島一帯のギリシャ連合軍が、
東のトルコ半島の都市国家トロイア(イリアス)と数十年にわた
る戦争を行い、ヘクトールやアキレス、オデュッセウスといった
双方の英雄の活躍やトロイの木馬で有名な攻防戦により最後は
ギリシャ連合軍の勝利となる物語ですが、長い間架空の神話だ
と思われていたものが近年(19世紀)、冒険商人シュリーマン
によってトロイア戦争時代の遺跡が発掘され、世紀の大発見と
なりました。
トロイア遺跡6
しかし実際トロイアと思われるヒッサリクの丘を発掘すると次か
ら次に都市が折り重なるように埋もれていてトロイア戦争があっ
たとされる紀元前1,200年頃より1,000年以上も前から作られて
いた城塞都市だったことがわかって来ました。ただシュリーマン
が生きた時代はまだ考古学などが整備されてなく、乱獲ならぬ
乱発掘により遺跡が一部損傷したり、出土品がシュリーマンに
よって勝手に持ち出されたりしたため、遺跡の発見という意義は
大きいものの実際にイリアス・オデッセイアで述べられている
史実があったのかどうか検証が困難になっていて、考古学的に
は残念な面があるそうです。
ツタンカーメン2-1
余談の無駄話ですが、発掘上の大発見と言えばシュリーマン
のトロイア遺跡と並んで、ハワード・カーター博士のツタンカー
メン王の墓(王家の谷)の大発見が有名ですよね。実はタバコ
屋が小学校4年頃担任のM先生からこの二つの発掘物語を描い
た伝記本を頂き、子供心に強烈な印象で還暦を過ぎた今日まで
鮮明に覚えている記憶の一つとなっています。
(関連記事:伊勢巡礼 vol.3:太陽の神参照願います)
シュリーマン3
ちなみに、その伝記ではシュリーマンは苦労人であり子供の頃
読んで聞かされたイリアス・オデッセイアは実話だと信じ、成長
後ショーバイ(貿易)で巨万の富を築いた後、すべてを投げ打っ
て幻の都市トロイヤ発掘に尽くした偉人のごとく書かれてありま
したが、近年のシュリーマンへの評価はボロクソで、山師、詐欺
師まがいの評価がされているのは残念というか、タバコ屋の
子供心?が傷付いた気がしないでもありません。
HONDAオデッセイ2
ついでながら、かつてHONDAがミニバンの開発で後れを取り、
苦し紛れと言うか、起死回生と言うか、満を持して発売したオデ
ッセイはこのオデッセイアからとったネーミングだと思われます
がその後その斬新なコンセプトとスタイリッシュなボディにより
一大ブームを巻き起こした事は記憶に新しい出来事です。
アレクサンダー大王1
さて中国が秦の始皇帝により統一された頃、日本は弥生時代
初期だと思うのですがギリシャ文明という一つの秩序(オーダ
ー)が完成しました。しかし都市国家どうしの抗争により疲弊し
次の混沌(カオス)へと繋がりました。それを統一したのは
アレクサンダー大王率いるマケドニアでした。紀元前4世紀頃
のお話でアレクサンダーの東方大遠征として有名ですよね。
遠征は地中海一帯は言うに及ばずはるかインド方面にまで及び
ました。尚、軍師官兵衛でもないでしょうがプラトンの弟子の
アリストテレスが若き覇王アレクサンダーの家庭教師だった
ことは皆さんご存じでしたか。タバコ屋は知りませんでした。
ブッダ像2
その頃、インドでは釈迦(ブッダ)によりモダンかつシンプルな
宗教である仏教が広まっていましたが、大遠征軍はそのまま居
残る者も出てきました。遠征軍というのは軍事力による征圧が
目的ではあるものの、同時に自分たちの文化も遠征地に持ち込
む訳で、彼らはギリシャ文明をアフガニスタン経由でインドに持
込みました。その居残り組は彫刻職人等もいたようで、釈迦は
偶像崇拝を否定しましたが、一般庶民は物足らず釈迦の死後、
そのお姿を仏像というカタチにして崇めることとなりました。
そのため初期の仏像はギリシャ彫刻そのもののお姿をしてい
ます。それはアレクサンダー大王の残したある意味、文化遺産
と言えるのではないでしょうか。
ブッダ像8
その後、シルクロードを経て中国、やがて日本へモダンな仏教が
伝わるにつれ、仏像は釈迦像だけでなく色々なバリエーションが
加わり、またその外観も当初のギリシャ彫刻からは似ても似つか
ぬ東洋的なものへと変化しました。
カルタゴ3
時代は進み、紀元前1世紀頃には、同じ地中海でも西方のローマ
やアフリカ北沿岸のカルタゴが台頭し、ショーバイ(海洋貿易)
主体のカルタゴは武力国家のローマに滅ぼされ、ローマ帝国が
地中海の覇権を握ることになりました。
シーザー4
その後ローマ帝国は東はエジプト、西はヨーロッパ一円(イギ
リスを含む)を組織的な軍隊をもって次々と征服していくのです
が、その際中心となったのはかの有名なジュリウス・シーザー
でした。
シーザー2
ガリア(フランス)遠征などにより、大成果をあげ、本国ローマ
に凱旋後は実質ローマ帝国の支配者となったものの、歴史の常
で外敵ではなく仲間内に暗殺されるという悲劇的な最後を遂げ
たことはタバコ屋が言うまでもありません。
キリスト4
その間、エルサレムの北方ガリラヤのナザレという荒廃した地
で、イエス・キリストが生まれ、成長後はゴッドという世界唯一
の神様を信じなさいというモダンというか不可思議な宗教を提唱
し、当時のローマ帝国にとっては極めて危険な思想であった
ため、キリストは皆さんご存じの如く磔(はりつけ)の刑にされ
ましたよね。
キリスト5
また南のエジプトでは王朝の内部抗争の末、あのクレオパトラが
女王となり、その時の覇者シーザーやその死後はアントニウスと
の華やかなロマンスがあったもののやがて二人のパトロンを失っ
た彼女は権力闘争に敗れ悲劇的な死を迎えることになりました。
クレオパトラ2
尚、彼女が住んでいたのは前出の偉大なるアレクサンダー大王
の名前にちなんだ海辺の都市アレキサンドリアでした。
ベンハー2
そのあたりの物語は一大スペクタクル映画「ベンハー」で詳しく
描かれています。勿論ベンハー役はチャールトン・ヘストン、
クレオパトラ役はスリムだった頃?のエリザベス・テイラー
でした。
(関連記事:幸せの青い鳥参照願います)
ベンハー4
また、旧約聖書に描かれている「出エジプト記」は事実だったか
どうかは別にして、その時代より1,000年以上も前の出来事で
エジプトで奴隷として虐げられていたヘブライやユダヤの民が
モーゼに率いられて数々の奇跡に助けられながらエジプトを脱出
し、約束の地カナンを目指す物語ですが、海が突然真っ二つに
割れたり現代では到底信じがたい有名なエピソードがあります
よね。このユダヤの民が信仰していたのが唯一神ゼウスで、
キリストの教えはこのユダヤ教がベースとなっているのだと
思います。
(関連記事:伊勢巡礼 vol.3:太陽の神参照願います)
モーゼ4
この物語もベンハー同様チャールトン・ヘストン主演のスペクタ
クル映画「十戒」で雄大に描かれています。
尚、当時のエジプトの名誉のために付け加えますと、ヘブライや
ユダヤの民は奴隷ではなく、技術者や労働者として雇われていた
のであって過度な虐待などなかったという説もあります。
ローマ帝国1-1
その後ローマ帝国は権力争いによる政治の混沌(カオス)と秩序
(オーダー)を際限もなく繰り返すのですが、その間対外的には
領土はますます拡大し、紀元2世紀頃には政治、経済、文化は絶
頂期に達します。後年パックス・ロマーナ(ローマの平和、
秩序)と呼ばれるもので、その特徴は、法律、軍事力、土木
(道路や水道)にありました。
ローマ帝国10
偉大なローマ帝国により一つの秩序(オーダー)が生まれた訳
で、それは当時ヨーロッパ一帯の野蛮な部族にとっては見たこと
もないモダンな文化や技術であり、征服されたことをかえって
感謝するという珍現象がおこりました。
バチカン1
また皮肉なことに、ローマ帝国初期には危険思想として迫害され
たキリスト教もその信者たちが多くローマに移り住み、無視出来
なくなって、紀元4世紀頃にはついにローマ帝国の正式宗教とし
て公認されました。宗教のイノベーションが起こった訳です。
ローマ皇帝にしてみれば秩序(オーダー)を維持するために
キリスト教を認めることで混沌(カオス)を避けたかったのだと
思います。また逆にキリスト教を征服地の民衆統治用ツールと
して利用しようとしたことは十分考えられます。
ローマ帝国3
驕る平家も久しく、ローマ帝国はその後延々と続きますが、紀元
4世紀の終わり頃には食えなくなったゲルマン民族達(要するに
北方のジャーマン(ドイツ)民族)が南下大移動を起こし、同じ
頃、日本で言えば大和朝廷が日本を平定した頃なんですが、
ローマ帝国はあるきっかけで東西に分割されることになりま
した。
ゲルマンの大移動1
やがて西ローマはそのゲルマンによって滅ぼされ、東ローマ帝国
だけが延々以後15世紀まで生き長らえることになりました。
ローマ帝国の興亡をお話しようと思えばタバコ屋のブログ1年分
でも足りないと思いますのではしょります。
イスラム7-1
紀元5世紀に西ローマ帝国が滅んで以来、ヨーロッパは、かつて
ローマ帝国に征服されていた野蛮な部族が、目覚めたと言います
か自立していき、様々な王国になっていくのですが、ベースには
キリスト教という秩序(オーダー)が出来あがったため、イノベ
ーションは起こらず技術や文化の面では後年、中世とか暗黒
時代とか呼ばれる長く停滞した時代が続きました。逆にマホメッ
トが興したイスラム教を信じるエジプト以東やアフリカ北岸の
国々の方が航海術とかさまざまな技術が優位となり、西へ進出
してきたため今度はキリスト教対イスラム教といった図式の
争いと混沌の時代となりました。途中イスラムに対抗するため
十字軍の遠征が起こったり、また東方からはモンゴル帝国が風
のごとく攻めてきて東ヨーロッパやロシアを席巻し、キリスト軍
VSイスラム軍VSモンゴル軍の三つ巴となり、踏んだり蹴ったり
のすさんだ時代が続きました。
ルネサンス2-1
それらはすべてはしょることにしまして、西ローマ滅亡後1,000
年にも及ぶ長い中世という技術や文化における暗黒の時代に
終止符を打ったのは14世紀にイタリアで興ったルネサンス
でした。
ルネサンス4-1
ルネサンス、何か言葉からして光り輝く春の陽光の響きがあると
思いませんか。タバコ屋独自の見解ですと当時、ショーバイの世
界(毛織物等地場産品の交易や金融等)で莫大な富を蓄えつつ
あった北イタリアの諸都市、中でもフィレンツェのメディチ家な
どはその代表で、莫大な富を背景に、今迄のしみったれた諸々
の文化(建築、彫刻、絵画、音楽等)に我慢がならず人間が本来
持っている豊かな感性に基づきいにしえの古代ギリシャ・ローマ
時代を範とするダイナミックな造形や写実美を求めるように
なりました。
ギリシャ文明11
その背景には、ルネサンス期のイタリア商人達はショーバイを
するにあたり、品物を計量したり、シビアなお金のやりとりを
することで現実的、合理的なものの考え方をするようになり、
それまで1,000年にわたってローマ・カトリックによって「すべ
ては神の思し召しに委ねなさい」とか教えられ、前進、革新
よりも平穏、安寧を強要されされてきたことに対し、どうもそれ
はおかしいと考え出した反動だと思います。ルネサンスの背景
にはそういう思想面のイノベーションがあったのではないでしょ
うか。
ギリシャ文明8
その結果、需要のあるところに供給は生まれる訳で、ボッティ
チェリ、ミケランジェロ、レオナルド・ダビンチ、ラファエロと
いった天才肌の芸術家(当時はパトロンお抱え、御用達の職人
だったと思います)が輩出し、今日に残る傑作を数多く残し
ました。
ルネサンス7
余談になりますが、今日オクルマの世界において、その造形力で
は、イタリアのカロッツェリアと呼ばれるデザイン専門屋が優れ
ていて、ルネサンスの絵画や彫刻に見られる塊感、ボリューム
感、躍動性
等をそのまま引き継いでいるように思います。
ただ最近はデザインをメーカー自身がするようになり、カロッ
ツェリアも食えなくなってドイツを始めとする大手カーメーカー
に吸収されつつあるのはやや残念です。その点自動車大国の
日本は長らく襖絵、浮世絵、仏像の世界だったので、塊感の
表現は苦手な民族かも知れません。
(関連記事:好みの基準 vol.7:カーデザイン参照願います)
ルネサンス5-3
文化と言うものはまず川上(ハイソサエティ)から川下(一般社
会)へと波及していくもので、北イタリアのフィレンツェあたり
で興ったこの文化イノベーションはもう後戻りが効かずやがて
長い冬の時代が過ぎたかのようにヨーロッパ中に波及していき
それをきっかけにして、15世紀以降ヨーロッパは目覚ましい
進歩を遂げます。
帆船6
寝た子を起こすという言葉がありますが、中世を脱したヨーロッ
パは人間が本来持っている好奇心というものに再び目覚め、その
目は当時敵対していたイスラムによってもたらされた航海術によ
りまだ見ぬ異国の地を求め冒険航海に乗り出すこととなりま
した。ルネサンスの結果として次は大航海時代が到来したの
です。
帆船9
それにはやむにやまれぬ事情がありました。15世紀当時イスラ
ムの最強勢力となっていたオスマン・トルコは永らえていた東ロ
ーマ帝国を滅ぼし地中海の制海権を一手に握るようになりまし
た。その結果ヨーロッパ諸国(主にポルトガル・スペイン)が
紅海を抜けて東方のペルシャやインドと貿易をしたくても高い
関税によりぼったくられるので、新しい航海ルートを探す必要に
迫られていたのです。大航海時代は好奇心だけではなくそれこ
そ国家プロジェクトとして、新しい航路と新しい交易地を探検、
確保する事業でありました。
エンリケ航海王子
その間、エンリケ航海王子やバスコダ・ガマ、コロンブス、マゼ
ラン等の冒険家が命懸けで新天地を発見しポルトガル、スペイ
ンに莫大な富をもたらしたことは皆さんよくご存じの歴史です。
ただ実態は海賊まがいで略奪、殺人、強姦、何でもござれの犯
罪百貨店の押し売りみたいなものでした。スペインは特に悪質で
今でこそフツーの国の顔をしていますが、当時やったことは到底
許されることではありません。それから見ればポルトガルはやや
ましで、特にエンリケ航海王子という賢者がいたために、悪どい
ことはスペインほどではなく、逆にキリスト教の宣教師を同乗さ
せ、異国の地に布教を試みたりしました。マルコポーロが東方
見聞録で、東の果てのジパングは黄金の国であるなどと煽った
こともあり一種のジパングブームが起こりました。
(関連記事:農業とレストア vol.5参照願います)
フランシスコザビエル1
イエズス会の宣教師であったフランシスコ・ザビエルが戦国時代
の日本にやってきたり、また偶然ながらポルトガルの船が種子島
に漂着し日本に鉄砲をもたらしたことなどにはそういう時代背景
がありました。また当時、ポルトガルとスペインで勝手に世界地
図を2分し領地を分け合っていたことなど今では笑い話ながら、
2国は大真面目でした。
大航海時代と言うのは新しい航海技術により遠洋航海が可能に
なったことでヨーロッパ人が初めて世界的視野を持った一大イノ
ベーションだったと思います。
トラファルガー海戦2
しかしまたしても驕る平家は久しからずで、やがてポルトガル、
スペインは新興のオランダ、その後のイギリスに打ち負かされ、
主役交代となり没落して行きました。何故ならせっかく海賊強盗
をやって稼いだ莫大な富を、宵越しの金は持たない流で使い果た
してしまったからで、もはや海賊強盗に代わる新しい事業を起こ
す力は残っていませんでした。
東インド会社3-1
一方オランダ、イギリスとも東インド会社という国策の貿易会社
を設立して武力を背景にヨーロッパ以外のあらゆる国を植民地
化していくことになりました。18世紀にはイギリスで産業革命
が起こり、生産力が飛躍的に向上したため軍艦付きの貿易に
より自国で余った品をよその国に売りつけるいわゆる重商主義
をとらざるを得なかったのでしょうが、それにしてもその犠牲に
なったインドなどは気の毒でやがて中国もその餌食となりまし
たが、当時日本は徳川が鎖国政策を採っていたため、それら
の情報がわずかしか伝わらず、軍事力や科学技術で大幅な
後れを取り19世紀の中頃にはイギリスならぬ新興国アメリカ
から突然やって来たクロフネの大砲一発で仰天し、尊王攘夷
の大合唱と幕末の大動乱に繋がっていきます。
(関連記事:島のスイーツ開発 vol.4:マリー・アントワネット
のこと
参照願います)
ナポレオン2
19世紀は日本が徳川時代の秩序(オーダー)から幕末の大混乱
(カオス)になっただけでなく、当のヨーロッパも乱立した国々
での争いが絶えず、フランスで民衆革命が起こったり、ナポレ
オンが大暴れしたりしました。一方科学(特に機械や医学)方面
では新発見や新発明が相次ぎ、もうてんやわんやで今朝言った
ことはもう夕方には通用しないといったある意味文明の混沌
(カオス)状態でした。
(関連記事:マリー・アントワネットとフェアレディZの謎
参照願います)

20世紀に入ってからはその流れはますます加速され、国の形や
経済、科学技術、医学、及び諸文化は今までの有史以来5,000
年分のイノベーションをわずか100年でやったほどの質、量
とも驚異的な発見、発明、革新が相次ぎ、それは瞬時に世界中
へ波及し、模倣(パクリ)と改善及び次なるイノベーションに
繋がりました。
第一次世界大戦1
しかし、国益をめぐって争いは絶えず、一国だけでなく周辺の
国々を巻き込んで総力戦で雌雄を決するというバカな時代と
なりました。20世紀初頭の第一次世界大戦はヨーロッパのみ
ならず多くの国を巻き込んだ世界大戦でした。それにも懲りずに
25年後には今度はそれこそ世界中を巻き込んだ第二次世界
大戦をやってしまったのです。それには日本も当事者として深く
関わり、結果は日本そのものが滅亡、消滅する寸前までいった
悲惨な戦争でした。
B29空襲4-1
日本の場合、西欧列強から圧迫を受けそれを何とか打開したい
という思いはあったものの国力、技術力から見て全く勝てる見込
みなどなく、事の是非としては絶対にやってはならないことを
軍部の独走(特に陸軍参謀本部)でやってしまった戦争でした。
参謀本部には当時の日本の最優秀頭脳が集まっていた筈なの
に、偏った情報と実力(科学技術、軍備)を伴わない現状を謙虚
に直視出来なかったのだと思います。例えは悪いですが、これ
では幕末の勤皇攘夷の志士が西欧列強に対し、その力もない
のに攘夷(排斥)を主張したことと同じではないかと思ったり
します。皮肉なことに洋の東西を問わず科学技術のイノベーシ
ョンは2度の大戦によって飛躍的に進んだのでした。
(関連記事:究極のレストア参照願います)

その後、ヨーロッパはイギリスの没落、ドイツの分割等、大いに
疲弊し世界の主役の座を降りたものの、今度はアメリカ、ソ連と
いう超大国同士がいがみ合い、今ではバブルで鼻息荒い中国
がそれに加わり三つ巴の押し合いへし合いが続いています。
前稿でお話した中国4,000年の歴史も混沌と秩序のむなしい繰り
返しでしたが、西洋の歴史も同様で混沌(カオス)からイノベー
ションを経て秩序(オーダー)へと向かいまたそれが新たな
混沌に向かうというループは人類にとって逃れようのない宿命
かも知れません。

今後の日本のあるべき姿については本稿の趣旨ではありませ
んがタバコ屋の私見ではしっかりした国防軍のもとで世界平和
に貢献する科学技術大国であるべきだと思います。何故ならば
ちっぽけなジパングの国にあるものは人的資源だけだからです。

さて前置きが本稿になってしまうほど長くなりましたが、本題で
ある流通(ショーバイ)の変遷についてお話したいと思います。
売春3-1
最初からいきなり唐突ですが、世界最古のショーバイは皆さん何
だと思われますか。そうですご推察のとおりで女性が男性から
オカネをもらって春を鬻ぐ(ひさぐ)ショーバイですよね。検証
した訳ではありませんが、これは古今東西共通の歴史だったよう
です。
(写真はそのこととは全く関係ありません)
ポンペイ3
古代ローマ有数の避暑地バイアの近くにあったポンペイはベス
ビオ火山の大爆発で一夜にして灰の下の廃墟と化しましたが、
お蔭で当時の町がそのままの形で残り、今は当時を偲ぶ遺跡
として世界有数の観光地になっていますよね。そのポンペイ
でもパン屋、バーなどと並んで、女性が春を鬻ぐ(ひさぐ)お店
が大繁盛だったとか。ことの良し悪しは別にして、需要のある
ところには供給が成り立つ訳で、隠された歴史の一面を物語っ
ています。
バイア5
余談ながらかつてのファーストレディ、ジャクリーン・ケネディ
妃のお気に入り避暑地はバイアだったそうで今でも一般庶民
にはあまり知られていないセレブ御用達の温泉リゾート地です
が、海底に沈んだ古代ローマ時代の町の遺跡があることで若
干知られてはいます。(以前NHKの番組で、松山城主松平
(久松)公の親戚筋にあたる松平定知アナウンサーの名ナレ
ーションにてそのバイアが紹介されたことが一度ありました)
尚、悪い冗談ですが、殿方が珍重されると言われるバイア○○
はこの町とは何の関係もありませんので申し添えておきます。

ついでの手前味噌ながらタバコ屋の島、中島なんか雅子妃殿下
に1回だけでも来て頂ければ、日本有数のセレブリゾートに成り
得ると思うのですが、それははかない夢かも知れません。
(関連記事:鉄腕ダッシュと水軍参照願います)

洋の東西を問わず、古代から混沌の時代であれ、平穏の時代
であれショーバイという営みは続いてきた訳ですが、商いの
原始的でシンプルな形はおそらく物々交換だったと思います。
そのうち、オカネに相当するような石や貝で出来た原始的なもの
から始まり金、銀、宝石とかが用いられ、やがて最も強大な力を
持つ国が使うオカネ(金貨とか)がその地域一帯共通の貨幣と
なっていきました。オカネというコンセプトによりそれまでのよ
うに牛一頭と小麦20袋交換しましょうなどという煩わしいこと
から解放され、商いがやりやすくなりました。そのためには物
の価値を相対的に値踏みするという新しい知恵が必要にはな
りましたが貨幣の出現は統治はもとより商いの世界での一大
イノベーションだったと思います。
貨幣2
商いにとって、タバコ屋流、三種の神器と言えばオカネの次には
読み書き(文字や数字とその記録及び方法)、ソロバン、だと
思うのです。読み書き、ソロバンというと何やら寺子屋のメニュ
ーのような気もしますが、ショーバイにとっては儲かっているの
か損をしているのかが分からなければならず、それには商いを
数理的に把握しないとうまくいきません。西洋ではいざ知らず
日本ではどんぶり勘定という荒業もあるようですが、面白い
たとえですよね。
ロゼッタストーン
読み書きのうちの言葉や文字、数字についてですが、これは
世界四大文明が起こったそれぞれの地域は言うに及ばずその
他の古代文明圏でも、お互い相談し合った訳でもないのに独特
のものが発明されてきました。今回お話した西洋文明では元祖
がギリシャ語でありローマ時代にはそれを取り入れたラテン語
が公用語となりやがてそれをもとにしてそれぞれ方言が混じり
合ってスペイン語、フランス語、イギリス語(英語)、ドイツ語
等に分かれて行きました。
ラテン語2
現在の世界公用語は英語ですが、このアルファベットのもとは
ギリシャ語が発展したラテン語の文字がベースとなっており
元は大文字だけでした(ABC、ⅠⅡⅢ)が、書きにくいので日本
語の漢字が略されて平がなが出来たように大文字を略したもの
が小文字(abc)となりました。ただαβγのようにアルファベット
文字からは外されている文字も元はと言えばギリシャ、ラテン
語文字であり、要するに西洋文明及び現代の世界文明はギリ
シャ、ラテン語とその文字がすべての基礎になっている訳です。

ただ数字については5世紀頃にはインドで0の概念が発明された
ものの、ショーバイではそこにある品勘定が主体であり、西洋で
はあまり重視されませんでした。また西洋ではローマ以降1,000
年にも及ぶ中世の長い間ラテン数字(ⅠⅡⅢ)が使われました。
アラビア数字1
現在世界中の公用数字とも言えるアラビア数字(123)の原形
はヨーロッパと対立してきたイスラム圏(特にオスマントルコ)
が使っていたもので、シンプルで非常に書きやすいため西洋圏
でも徐々に取り入れられていきました。
メディチ家4
しかし現在のようにシンプルで洗練されたデザインになったの
は、何と14世紀に興ったルネサンスからでした。当時北イタリ
アのメディチ家を代表とする、新興商人たちは貿易や金融で
莫大な富を築いた訳ですが取引に当たっては従来大福帳?
(収入と支出を記したもの)を付ける以外に管理の方法を知りま
せんでした。しかし貿易や銀行のショーバイが忙しくなり頻繁に
数字を記帳する必要に迫られてきたのです。
ペルセポリス1
皆さん、タバコ屋も含めて西洋は進歩的で、中近東イスラムは後
進的というイメージを持たれていませんか。それは間違いです。
ヨーロッパ中世の暗黒時代、世界をリードしたのは東は中国の唐
であり、西はオリエントと言いますか中近東イスラム圏でした。
それは軍事を始め統治システム、経済、文化全てに亘りました。
ちなみに東の唐が最も栄えた8世紀頃、西ではいわゆるペルシャ
の地でアッバース朝が興り、その都バグダードは唐の都、長安
も勝る当時世界最大の国際都市だったんです。バグダードの文化
と長安の文化は互いに交流、影響し合い、得も言われぬ文明の
絶頂を極め、それにあこがれた日本は遣唐使を盛んに送り込み
その文明にあやかろうとしたことはすでに述べました。
ペルシャ3
話は飛びますが、10世紀頃から数百年かかって完成したと言わ
れる有名なアラビアンナイト(千夜一夜物語)はペルシャ(バグ
ダード)を舞台にした大人のおとぎ話で、「アリババと40人の
盗賊」、「アラジンと魔法のランプ」、「シンドバッドの冒険」
等、皆さんもお馴染みのお話ですよね。これもイスラムで作ら
れたものでした。
ペルシャ2
10世紀から12世紀にかけてのヨーロッパはイスラムに対抗す
るため、十字軍の遠征が起こったり、モンゴルが突然攻めて
きたりして大混乱の時代だったことはすでに述べましたが、当時
ペルシャは軍事大国であると共に周辺諸国との交易による経済
大国でもありました。その頃にはエジプトを始め、北アフリカ
沿岸、リベリア半島(ポルトガル、スペイン)を支配し、地中海
の覇権も握っていました。文化のあらゆる面でイスラム風が浸透
し、例えばF・タレガ作曲のギター曲「アルハンブラの思い出」
で有名なスペインのアルハンブラ宮殿なんかアラブ(イスラム)
そのものといったエキゾチックな風情ですよね。
(関連記事:農業とレストア vol.5参照願います)
アルハンブラ宮殿3
14世紀のルネサンスに戻ります。イスラムによってもたらされ
た航海術を始めとする数々の科学技術や文化ですが、その中
でも経済の分野で最も重要な発明が12紀頃、イスラムによって
成されました。それは「複式簿記」という斬新なコンセプト
でした。
それまでの商い(ショーバイ)は収入と支出を記録する収支帳簿
やどこから仕入れて誰に売ったかを記録する補助帳簿しかなか
ったのですが、複式簿記は収入または支出が発生した時に自分
の財産(元手等)がどういう風に変化するかということを同時に
処理しその結果が一目でわかる帳簿を加えた画期的なシステム
でした。

具体的には収支結果はProfit and Loss Statement(損益計算
書)で表し、財産(元手と負債)の状態はbalanse sheet
(貸借対照表)で表すことにより、一定期間の取引で儲かったの
か損をしたのか、その結果財産及びその内訳である元手や負債
はどうなったのかが鳥瞰図のように眺めて見ることが可能になっ
たのです。
ベニス3
12世紀、ペルシャの商人によって発明されたと言われる世紀の
大発明、複式簿記は14世紀のルネサンスにあって、ベニスの
貿易商人などに大歓迎され、その後15世紀には数学者ルカ・
パチョーリによって体系化され一気にヨーロッパに広まって行き
ました。さしづめメディチ家なんかはこの複式簿記でガッチリ!
だったと思います。ドイツの作家ゲーテなどもこのシステムを
絶賛しておりまた大福帳の日本では明治維新後、福沢諭吉が
「帳合之法」で欧米式会計を翻訳紹介して以来、広まったと言わ
れています。
ショーバイの三種の神器のうちの読み書き、特に記録という面
についてこの複式簿記はとてつもないイノベーションだった訳
で、以後世界共通ショーバイ道具として今日に至っています。
西田佐知子1
突然で恐縮ですが、昭和世代のタバコ屋にはなじみ深かった
歌手の西田佐知子さんが昭和36年にリリースした世界的に
有名な曲をアレンジし歌った大ヒット曲に「コーヒールンバ」が
ありますよね。
「♪昔アラブの偉いお坊さんが、恋を忘れた哀れな男にしびれる
ような香り一杯の琥珀色した飲物を教えてあげました♪」で始ま
るリズミカルなテンポの歌でしたが、この複式簿記はコーヒー
ルンバに例えると「昔アラブの偉いショーバイ人がしびれるよ
うな仕掛けいっぱいの素敵な帳簿の付け方を教えてくれました」
となり、西洋文明というのはアラブ(イスラム)の影響を多大に
受けて(パクッて)熟成されてきたということがお分かり頂ける
と思います。

尚、どうでもよいことながら西田佐知子さんのご主人はタレント
の関口宏さんだったこと皆さんご存知でしたか。タバコ屋は例
によって、まったく存じ上げませんでした。
どうでもいいことの続きにて、男心をくすぐるONNAの人の
条件として、声がハスキーであること、物憂げで投げやりな態度
であること、もちろんオカオが魅力的であること、だと思うの
ですが佐知子さんはそのキーワードをすべて満たしていると
思うのですが。

飛んだ話をアラビア数字に戻します。複式簿記という画期的な
システムが普及するにつけ頻繁な記帳をスムーズにするため
イスラムから伝わったアラビア数字の原型はアルファベットの
大文字が小文字に簡略化されたように単純化されていき現在
の形(123)になったと言われています。複式簿記の効用は会計
の近代化だけでなく、数字の洗練化にも役立ったという意外な
一面を持っています。ただし、このことは概ね事実ながらタバコ
屋の想像による珍説も含まれているのでその点お含み頂きたい
と思います。

さて三種の神器のうち、最後のソロバンですが、計算機と言い
換えてもいいと思います。最も原始的な計算機は恐らく人間の
手足の指だったと思うのですが、それゆえかどうか数を数える
単位は10進法が一般的ですよね。何故人間の手足の指が10本
かについてはダーウィンに聞いてみなければわかりませんの
で悪しからず。
ソロバン1
貨幣が発明されてからは手足だけでは間に合わなくなり、古代
オリエント(メソポタミア?)で平たい板に溝を掘りそれに珠を
並べて使う古代ソロバン(アバカス)が発明され、それが中東
経由で東は中国、西はギリシャ方面に伝わったとされています。
やがて中国では一本の軸上の珠が上下に移動する現在のソロ
バンに改良されましたがルールは下段5個で5までの数字を扱い
上段2個で10の数字を扱うようにしたものでした。
ソロバン2-1
日本では室町時代に中国から輸入されたそうですが、更に工夫
され、下段5個、上段1個に改良され長く使われた後、明治中期
以降はさらに下段4個、上段1個に改良されました。それはおも
に計算スピードを上げるためのイノベーションでもありました。
オクルマ用語でいうとチューニングアップとなりますが、こう
いうカイゼンは日本民族の最も得意とするカテゴリーでござ
います。
ソロバン10
一方古代ギリシャ、ローマ時代に使われたソロバン(アバカス)
も他の文化同様、中世時代は進歩が停滞しましたが、14世紀の
ルネサンス時代には文明開化が一斉に起こり、ショーバイも活
発になってきたので、もっと早く簡単に計算出来る道具を作れな
いものかといろんな学者が研究し17世紀にはパスカルやライプ
ニッツが歯車式の計算機を発明したり、また計算尺が考案され
たりして中世の停滞から徐々に脱皮していきました。
しかしショーバイの道具としてはソロバン(アバカス)の方が
お手軽便利で、計算道具の世界ではソフトウエアの大発明、
複式簿記に匹敵する発明は起こりませんでした。
ソロバン3
話はかなり飛びますが、タバコ屋昭和世代が子供心に覚えてい
るショーバイ道具と言えば、呉服屋時代に仕入れ先の問屋や、
自店の店頭で使っていたやや大振りの5つ珠そろばんです。これ
は主に計算用ではなく客に価格を提示するための道具だったので
大型の方が良かったのです。問屋のお兄さんが勢いよくそろばん
をご破算にし、パチパチ、ジャッと値段をはじいて見せるところ
なんかは結構粋でかっこ良かったのを覚えています。
レジスター1-1
また、昭和30年代には呉服屋ながら、島で初めてのセルフ
サービス衣料品店や主婦の店というセルフ食品店を開業し
たりしたものですから、そのお勘定場に当時ハイカラなショー
バイ道具であった電動キカイ式金銭登録機、いわゆるキャッ
シュレジスターが据えられました。それはヨキミセサカエルなど
と粋なネーミングをした8分類の商品分類別に登録が出来る
シロモノで当時アメリカのNCRというメーカー製のナショナル
金銭登録機という松下とは関係のない名前でしたが、その後
日本にスーパーマーケットが普及していくにつれそのNCRも
レジスターでガッチリ!で大繁盛しました。
タイガー計算機4-1
会計(経理)は依然4つ珠ソロバンでしたが、タバコ屋の先代は
新しいキカイ好きで、子供では持てないような重いリール式の
SONYテープレコーダーとキカイ式のタイガー計算機があった
のを覚えています。

尚、後日談として、タバコ屋が昭和44年、同志社大学自動車部
に入部した頃ラリー競技が大盛況になりつつありましたが、チェ
ックポイントごとの区間を決められた指示速度で正確に走行する
必要があり、何とこの大きく重いタイガー計算機をオクルマに
括り付けて計算しながら走行したものです。しかしタバコ屋は
当時車酔いがひどく、計算係で同乗しても計算しどころではなか
ったのが、青春の苦い思い出として残っています。そのくせ自分
が運転するときは車酔いしないのが不思議ではありました。

尚、もっと気の利いた連中は片手で操作出来るコンパクトな
クルタの計算機や世界的なラリーに参戦するメーカーのワー
クスカー等はモダンなハルダツインマスターとか、スピード
パイロットとか使って計算をしなくても自動的に早遅を判断出来
るようにしていました。万が一転倒でもして頭からタイガー計算
機が降ってきたらどないするっちゅうの。のどかな時代ではあり
ましたがこの稿はラリーがテーマではないのではしょります。
電卓2
ショーバイ道具でソロバンに匹敵する大発明と言えば、何と言っ
ても、電子卓上計算機、いわゆる電卓ではないでしょうか。
昭和30年代にイギリス、アメリカで相次いで発明されそのプロ
トタイプが発売されたものの大きく重いもので実用的ではありま
せんでした。小型軽量化と高性能化はお家芸であるNIPPON
は既にSONYがトランジスタラジオで大成功を収めつつあり、
この電卓についてもカシオ、シャープを筆頭に多くの国内
メーカーがしのぎを削り、演算や表示装置の目まぐるしい
イノベーションもあって、あれよあれよという間に小型軽量化
を成し遂げ、世界に冠たる電卓王国となりました。
言わば電卓はNIPPONの発明品と言ってもいいくらい、世界
に与えた影響は大きいと思います。
電卓5-1
ショーバイの世界でもソフトウエアの複式簿記に匹敵するハード
ウエアのイノベーションはこの電卓だったと思うのです。
現在は会計などもほとんどパソコンによって簡単に処理出来る
時代となりましたが、ショーバイ道具と言う意味でどこでも誰で
も簡単に使える万能計算機である電卓が万人に与えた影響は
計り知れないものがあるのではないでしょうか。

ショーバイの三種の神器としてオカネは今やクレジットカード等
の電子マネーの時代となり、記録は複式簿記というソフトをコン
ピューターで処理し、またソロバンは電卓に代わりました。
しかしこれもイノベーションのループの中では一通過点である
のかも知れません。この稿ではショーバイのインフラみたいな
お話になってしまったのですが、さてそれでは商いそのものは
どうだったのかについては紙数も大幅に尽きてしまったような
ので、次回にお話しさせて頂くことに致します。長時間のご精読
有難うございました。

タバコ屋も軽い気持ちで書き始めたもののつい力が入り、イリア
ス・オデッセイアとはいかないものの、タバコ屋版、一大叙事詩
大作となってしまいました。タバコ屋流の珍説にお付き合い頂い
たことを感謝致します。

(尚、文中の歴史説明や一部写真はウィキペディア及びヤフー
ネット画像等引用させて頂きました。)

コメント

No title

タバコ屋様こんにちは
世界4大文明から始まり、なんとも深い読み応えのある内容に感心しきりでございます。
そしてなんと最後の締めは私の名前と同じ「ソロバン」ですから
これはもう確信犯ですか?(笑)
ショウバイ・そこには人と人との心が通い合っていて、大事なものを差し上げる代わりに相手から大事なものを頂く。心と心の交換、改めて人の心の大事さを感じました。
今の何でもデジタルの世の中ではない良さが昔のソロバンにはあったような気がします。数字が生きていた感じがありますね。
今は電卓・コンピューターになって同じ数字なんだけど、頭の中に描けない数字になっちゃいました。便利さと引き換えに色々なものを捨てちゃったのかもしれませんね。
どんどんバカになっちゃいます。


Re:ネタばれ

ソロバンさん、熱きコメント有難うございます。そうなんです、もう早々とネタばれしましたね。今回の記事はかなりソロバンさんのことを意識して書きました。というよりもう何十年ものお付き合いにてショーバイのことを書くとなるとどうしてもソロバンさんの守備カテゴリー(会計)のことに触れますよね。しかしショーバイは心と心の交換であるとのソロバンさんのオコトバ、骨身に沁みました。真理だと思います。尚、タバコ屋のいつもの珍説はご容赦頂くとして、ダラダラ長い記事を最後まで読んで頂いた忍耐力に感謝致します。読み応えありなどと言って頂くと嬉しくなって木に登ってしまうのですが、反面各方面(特に神戸方面)からもうちょっと短い記事にしたらどうやねんというキツイご指摘を頂いています。ここは早速、日本民族の得意種目であるカイゼンを試みたいと思います。

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★★島のタバコ屋の独り言★★
【4月10日:ああ創業100年】    島のタバコ屋は先々代が呉服屋を創業以来3代目となり、その間戦後間もない頃には島のバス運営事業を試みる等様々な営みを経て今日に至っています。皆さんよくご存知のNIKONも創業100年なんですが、比較にはならないものの同じ時代を生きてきた訳です。かつてオハイオのメアリーズビルで活躍する夢を抱いたこともあった青年も年を取りました。さて今後の100年をどのように生きて地域のお役に立っていくか、タバコ屋にとっては後継者である倅への「死に土産」としてそのコンセプトを確立しておく必要があると考えています。しかし倅にとっては年寄りの余計なおせっかいに写るかも知れませんよね。
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