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混沌と秩序 vol.4:大丸のこと

平成27年7月24日 【ブログ閲覧3万人突破記念号
恥ずかしながら、タバコ屋も22日に誕生日を迎え65才と
いう高齢者の仲間入りをせざるを得なくなり高齢者保険証
などという見たくもないピンクのカードが届いたりしていま
す。尚、当日お誕生日のお祝いメールを頂いた方々には
紙面をお借りしてお礼申し上げます。タバコ屋の見たくない
もの、それは鏡の自分の顔とピンクの保険証でしょうか。
しかし気分的にはYOUNG AT HEARTであり日本語に訳す
と年寄りの冷や水ということかも知れませんが・・・。
大丸2
以前の記事で日本の百貨店(デパート)の草分けは三越
であると申し上げましたが、三越の前身である越後屋が
創業されたのは江戸時代の1673年(延宝元年)ですから
その40数年後の1717年(享保2年)に京都で創業されたの
が大丸でした。創業者は下村彦右衛門という方で京都伏
見で古着商「大文字屋」を開業したのが始まりでした。
大丸5-1
その後、大坂、名古屋、江戸へと進出し、越後屋同様当時
は画期的であった現金正札販売を始め大繁盛となりました。
経営理念は「先義後利」というシンプルかつユニークなもの
で顧客第一主義と社会への貢献を最優先すれば利益は
後からついてくるというアッパレな理念でした。
(関連記事:混沌と秩序 vol.3:流通編(後編)参照願います)
大丸ロゴ2
余談ながら屋号の大丸は創業時、京都五山(大文字山)
の送り火にちなんで丸に大の文字のロゴマークを作り、
いつしか大丸と呼ばれるようになりました。江戸店開設の
折にはライトグリーンの派手な風呂敷に大丸のマークを
染め抜き、荷物を担いで市中を運ばせたので、当時の江
戸っ子の評判になったそうです。配達と宣伝をかねた中々
憎い演出でした。
風呂敷1-1
ちなみに風呂敷はもともと江戸時代初期に銭湯が発明され
てから、脱衣場で各々衣装を包むのに用いられ始めたそう
ですが、そのうち何でも包んで持ち歩くのに便利だというこ
とで、日本版フレキシブルバッグもしくはキャリアーとして
庶民の生活必需品となりました。何でもないようですがよく
考えると、ほんとに重宝な布製道具で暮らしの大発明と言
ってもいいくらいです。
大丸3-1
その後紆余曲折はあったものの、大丸は越後屋同様着実
な発展を遂げました。維新後は明治、大正、昭和の時代を
経てタバコ屋が若かりし頃、昭和40年代の高度成長期頃
には百貨店業界において東の三越、西の大丸と言われる
ほどになりました。店舗は大阪心斎橋、梅田を中核として
神戸、京都、東京、博多、鳥取、下関、高知、今治他広域
に亘りました。
大丸心斎橋店4-1
皆さん百貨店というと保守的なイメージがあると思います
が、そうではありません。元呉服屋の大丸は業界に先駆け
戦後間もない昭和29年にはデザイナーズブランドである
ディオールと独占契約、また昭和34年には「ティファニーで
朝食を」で一躍大スターとなったオードリーヘップバーン
御用達のジヴァンシィと独占契約する等、革新的でした。
(関連記事:予期せぬ出来事参照願います)
ティファニーで朝食を8
またその間、紳士服においてもプライベートブランドの先
駆けである大丸オリジナルのトロージャンを発売する等、
画期的でしたがプライベートブランドと言えば、タバコ屋
お気に入りのオリジナル大丸饅頭なども一種スイーツの
PBですよね。
大丸饅頭3
タバコ屋が気に入っているのは北海道産の白餡を使って
いるとかそういう拘りスペックではなくてサイズなんです。
一般に手のひらサイズくらいの太鼓饅が多い中で大丸
饅頭は一口サイズなんです。美味であることとはもちろ
んながら食べやすいということがお気に入りの理由です。
(関連記事:島のスイーツ開発 vol.2:タバコ屋のお気に
入り
参照願います)
大丸神戸店3-1
しかし、前の記事でもお話した通り、当時アメリカ流のスー
パーマーケットとチェーンストアを武器にダイエーを始め
とする革新勢力が急成長し、その勢いに押されその頃から
三越同様業績が頭打ちもしくは低迷することとなりました。
その間、昭和35年には自らもスーパーマーケット経営に
乗り出しました。社名は大丸のシンボルマークである孔雀
の英語名ピーコックを使用して大丸ピーコックという名前
にし、ダイエー等のディスカウントスーパーと差別化を図
るため高級輸入食材等を手掛ける高級スーパーとして
関西一円にまた後には首都圏一帯にチェーン展開をし
ていきました。
大丸ピーコック2
万博開催で盛り上がった大阪千里のニュータウン駅前
に昭和48年オープンした大丸ピーコック千里店なんか
はタバコ屋も何度も訪れており当時とても垢抜けた商品
構成で感動したのを鮮明に覚えています。
いかりスーパー1
タバコ屋が親しくお取引させて頂いている芦屋のいかりスー
パーさんも負けず劣らず高級スーパーで、やや似通った
テイストですが、いかりスーパーさんの場合はプライベ
ートブランド(自社製品)の比率が圧倒的に高く、同列に
比較することは出来ないと思います。

大丸は三越とは良きライバルとして覇を競ってきましたが
時代の流れはいかんともしがたく、平成19年には松坂屋
と合併しJフロントリテイリングという持ち株会社により現在
の店舗は運営されています。その結果大丸のスーパー
部門である、大丸ピーコックもピーコックストアに改名され
た後、直近の平成25年には手放すことになり現在はイオン
グループでイオンマーケットという変な名前のスーパーに
なりました。
大丸ピーコック1
余計なおせっかいでしょうがハイクオリティ・スーパーマー
ケットという独自の立ち位置は確立出来ていたのに何故
放り出したんだろう。それだけ世の中甘くないんだろうか。
経営陣が二匹の兎を追いかけたくなかったのか、あるい
は経営内容がうまくいってなかったのかわかりませんが、
古き良き時代の大丸ピーコックを知るタバコ屋にとっては
とても残念な出来事です。
大丸神戸店5-1
どうでもよいことながら、現在の百貨店業界ランキングでは
1位が三越伊勢丹で2位がJフロント(大丸、松坂屋)なんで
すが、傘下のパルコを加えるとJフロントが首位となります。
大丸心斎橋店1
さて長い前置きとなりました。実は大丸の話を持ち出したの
には訳があります。直近のニュースで老朽化した大丸心斎
橋店を建て替えるという話を聞きました。昭和8年に新築され
た大丸心斎橋店ですがその設計は何とW・M・ヴォーリズ
だと言うではありませんか。アメリカ出身のヴォーリズ氏は
昭和初期に活躍し、国内に多数の歴史的有名建築を残され
た方ですが、キリスト教の伝道者として来日して以来、本業
の建築家はもちろんのこと、戦前世代にはお馴染みの塗薬
メンソレータムを製造販売した近江兄弟社を創業したりして
実業家としての側面も持っていました。
(関連記事:沖縄巡礼 vol.1参照願います)
メンソレータム3
ヴォーリズ氏はタバコ屋の母校同志社大学とも随分ご縁の
ある方で、我が自動車部の部長先生をして頂いたオーテス
ケーリ先生が館長をされていたアーモスト館や啓明館、また
新島襄遺品庫などの設計も手掛けました。
D:アーモスト館
特に学生の寄宿舎であったアーモスト館はタバコ屋の好き
なアーリーアメリカンタイプの瀟洒な建物で、わかりやすく
言えばアカ抜けた建物でした。ケーリ先生は長年にわたり
その館長をされていた訳です。
(関連記事:今出川でのこと vol.1参照願います)
関西学院大学
戦前の日本(昭和初期)で、キリスト教ゆかりの大学の多く
はその建物の設計をヴォーリズ氏に委ねており当時は売れ
っ子建築家として多忙であったと思います。関西では関西
学院大学の建物が近代化産業遺産に指定されています。
この建物はアメリカンでもやや南欧風もしくは南部アメリカ
のイメージでヴォーリズ氏はデザインについていろいろバリ
エーションを持っていたようです。
大丸心斎橋店5
しかしまさか大丸心斎橋店がヴォーリズ氏の設計であった
ことは恥ずかしながら最近まで知りませんでした。
ちなみに建替えにあたっては大正ロマンの香りを随所に残
した構造物や装飾をなるべく生かすそうですのでどのような
ビフォーアフターになるか今から楽しみです。
東京駅2-1
タバコ屋が若かりし頃の高度成長時代には列島改造論華や
かなりし頃で、古臭いものは全部取っ払って新しいものを作
るべしというような時代風潮でしたが、その結果いろいろ副
作用も出てきて、昨今ではその時代の反省をふまえ古き良
き時代のものはなるべく残し次の世代に伝えていこうという
考えが主流になりつつあります。それは東京駅の大復刻工
事の例を見ても明らかです。オクルマ用語で言えばフル・
レストア
ということになりますが、今回の大丸心斎橋店建て
替えについても同様のコンセプトだと思われます。
大きく言って我々の若かった時代を混沌の時代とするならば
現在は秩序の時代と言えるかも知れません。
大丸京都店1
余談になりますが、大丸ついでにタバコ屋の京都大丸での
思い出をお話してみたいと思います。今からもう10年以上前
のことですが、母校同志社大学自動車部の70周年大会が
京都で開催されました。その時に同期のS君も一緒に参加
しました。彼は当時下関商工会議所の事務局長をしていま
した。チャン(タバコ屋のあだ名)は最近景気はどうやと言う
ので実は島のみかんをジュースやジャムにして売り出そうと
しているが、販路開拓が難しいと言うと、それやったら下関
大丸の店長が今度栄転で京都大丸の支配人になるので、
顔見知りやし、頼んでみてやろうかということになりました。
二つ返事で受け、S君に根回しをしてもらった上で面会に行
きました。今言葉でいうプレゼンでしょうか。新しい支配人は
京大卒のエリートでしたが、有難いことに快く話を聞いて頂
き、しかるべき部署に紹介してくれました。
そこの食品部長曰く、いきなりのお取引は無理やから、まず
は年2回程度催事で入られたらどうでしょうと言うことになり
タバコ屋はそれ以来、通い妻を実践することになりました。
京都大丸催事1
同志社で4年間を過ごしたとはいうものの京都大丸とのご縁
は初めてで、まずは新入生のつもりでゼロからのスタートと
なりました。タバコ屋はそれまでゴフク屋として京都へは仕入
れによく来ていましたので勝手はわかっているようなものの、
自社の商品をデパートで売るとなると、どのような品が売れ
るのか、またどんなお客様が来られるのか不安でした。
またゴフクは衣料品ですがみかんやジュースは食品であり
まるきりカテゴリーの違う分野にて余計に不安がありました。
京都大丸催事2
催事は普通一週間が単位でその間、他の複数の業者さん
と一緒に売る訳です。また販売は大丸がマネキンと呼ばれ
る販売員さんを斡旋してくれ、一週間いっしょに販売します。
最初はお互いギコチないものがありますが、1~2日で慣れ
てきて仲間として行動出来るようになります。そのあたりは
4年間、部活で苦いレンコンの汁?を飲んできたので苦痛
ではありませんでした。
京都大丸催事0
その催事でのある日のこと、上品なおばあちゃんが来店さ
れ一通りみかんやジュースを試食試飲された後、お兄ちゃ
んどこから来はったん?と言われるので愛媛の小さな島で
すと言うと、そしたら皮切りに買わせてもらいましょうと言っ
て持ちきれないほど沢山買って頂きました。ご自宅届けに
するために配送伝票に住所を記入するのを見ていたところ
あれれ、と思いました。ご自宅が上京区千本通元誓願寺・・
となっているではありませんか。そこはタバコ屋の自動車
部での一期後輩のT・A嬢の住所のお近くでした。もしやと
思いおばあちゃんにAさんはご存知ですかと尋ねたところ
Aちゃんかいな、お隣で小さい頃から知ってます。でも遠い
ところ(高山)にお嫁に行かはったけど時々帰ってきてはる
みたいやわ、ところでお兄ちゃん(おじさんだっちゅうの)は
Aちゃんとはお知り合いですかと言うので、私の大学時代
の後輩ですと答えると、Aちゃんも京都に残したお母さんが
心配で時々帰ってはんのやろなとか聞きもしないことを仰
った後、そうでしたか、それはよろしけど、はよ~みかんと
ジュース届けといてなと言われ、その後そそくさと荷造りを
したタバコ屋でした。
京都大丸催事4
それ以来京都大丸さんに行くときはそのあばあちゃんに
ご案内状を出していましたが、律儀にも必ずご来店頂き
ご近所におすそ分けするのか食べきれもしないほど沢山
買って頂きました。そういう楽しい商いが3年程続いたでし
ょうか、その間京都大丸も松坂屋との合併があったりして
大幅な組織変更や担当者変更があってうまくいかなくなり
やがてタバコ屋の京都大丸通い妻紀行は、やまってしま
いました。いつまでも楽しいことは続かないものですが
あのおばあちゃん今頃どうされているんだろう、ひょっとし
たらもう泉の下でしかお会い出来ないのかも知れません。
京都大丸催事5-2
また、同志社大学自動車部時代の同期で京都市内在住
のM君がいますが烏丸鞍馬口で酒屋とコンビニをされて
います。現役時代は容貌に特徴があり何とも言えず優雅
と言うか見方によれば眠そうなオカオだったので陛下とい
う有難いような迷惑なようなあだ名を頂戴していました。
タバコ屋が電話したのか偶然お会いしたのか忘れました
が、その後ご夫婦で差し入れにやって来てくれて、地獄に
仏のような心境がした時もありました。
京都大丸催事6
尚、京都には超有名人のH氏こと平尾センセがいらっしゃ
いますが当時は現役だった校長センセをデパートに呼び
つけるのもいかがなものかと思い気後れしたような記憶
があります。当時はラインなどという便利なツールはなか
ったのでした。

結局は京都大丸との正規のお取引には至らずじまいでし
たが、京都店の担当者が大阪梅田店に移り、今度は梅田
店からのお誘いがあったりして数年過ごしました。
しかしタバコ屋もいつまでも通い妻を続ける訳にはいかず
地元松山や個人のお客様を中心に商いの中心を変えること
にしたこともあり、その後催事での出張販売はごく限られた
ものだけになりました。
大丸京都店5
伝え聞くところでは、京都大丸も外装をお色直し中だそうで
なかなかシックな外観になるようです。ご縁のあったタバコ
屋としては今出川キャンパスの良心館などの新しい建物
にもモチーフや色使いが良く似ており、ヴォーリス氏ならず
とも嬉しい限りです。欲を言えば窓をもう少し立体的にすれ
ばより重厚感が出ると思うのですが・・・。

それにしても、販路開拓という目的のためいろいろ漂流した
タバコ屋でしたが、今となっては京都大丸での元誓願寺の
おばあちゃんとの数年の思い出が何故か心地よいものと
して強く印象に残っています。

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★★島のタバコ屋の独り言★★
【4月10日:ああ創業100年】    島のタバコ屋は先々代が呉服屋を創業以来3代目となり、その間戦後間もない頃には島のバス運営事業を試みる等様々な営みを経て今日に至っています。皆さんよくご存知のNIKONも創業100年なんですが、比較にはならないものの同じ時代を生きてきた訳です。かつてオハイオのメアリーズビルで活躍する夢を抱いたこともあった青年も年を取りました。さて今後の100年をどのように生きて地域のお役に立っていくか、タバコ屋にとっては後継者である倅への「死に土産」としてそのコンセプトを確立しておく必要があると考えています。しかし倅にとっては年寄りの余計なおせっかいに写るかも知れませんよね。
◆◆島のタバコ屋メニュー◆◆
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