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大阪・京都・奈良・巡礼 vol.2

平成27年12月15日
エキスポシティそして京都へ
大阪モーターショーの見学を終え腹ごしらえの後、今度
は万博記念公園の一角に11月オープンしたエキスポシ
ティの見学に出掛けることにしました。ギーちゃんこと森
本氏は点検に出したオクルマの引き取りがあるそうで、
ここでお別れとなりました。ちなみにそのオクルマとは
20年程前のセリカ!だそうで、2度目のビックリポンと
なりました。彼もなかなかご趣味が渋いです。
したがって残った3人でいざエキスポシティへ。
地下鉄で千里中央まで行き、モノレールで万博記念公園
に到着です。でも大阪湾岸から山の手の万博跡地までは
結構な距離がありました。
DSCN7324.jpg
恥ずかしながらここに来るのは初めてでしたが、太陽の塔
にちなんで太陽の駅というサブネームが付いていました。
木で出来た巨大な丸いオブジェがありました。何らかの意
味があるんだと思いますが、さて。太陽をモチーフにしてい
るのかも知れません。
DSCN7325.jpg
長いスロープを伝って目指すは正面遠方の巨大な四角い
箱状の施設です。現代の巨大ショッピングセンターはどこ
も例外なく外観はこのように流通センターの倉庫のように
味気ないもので、その理由はヴェルサイユ宮殿のように
すると建物にお金が掛かり過ぎてしまうからなのです。
寄居工場7-2
ちょっと格好つけて言いますとローコスト・オペレーション
とでも言いますか、とにかく箱が大きい程坪当たりコスト
は安くなります。最新のオクルマ製造工場なんかもそうで
すが、それに加えて屋根にはソーラーパネルを貼り巡らし
電力さえも自前で賄えるようにしつつあります。その結果
施設から排出するCO2をミニマムにするというのが世界
最先端のトレンドです。写真はその困難なテーマを実現
しつつあるHONDA寄居FACTORYです。場所は埼玉県
のど田舎にありますがHONDAはマザー工場などと粋な
名前を付けました。HONDAの製造技術の粋を結集して
作られた工場という意味です。先日NHKのサラメシでも
取り上げられていましたよね。HONDA寄居工場特製の
美味なカレーうどんがテーマで。
(関連記事:オハイオの夢参照願います)
寄居工場14
それにつけても、今日この寄居工場のような世界トップ
レベルのFACTORYを日本のメーカーが実現するなど、
タバコ屋の若かりし頃には夢にも思えなかったことです。

裏話になりますが、この寄居工場は当初日本で高級車
ブランド、アキュラを展開するためレジェンドやNSXを作
る予定の工場として計画されましたがリーマンショックに
より急遽中止され、その後紆余曲折を経てフィット専用
工場としてやっと日の目を見ることになったという経緯が
あります。
鈴鹿工場
余談ながら、かつてHONDAはスーパーカブの生産にあた
り、莫大な投資により昭和35年(1960年)に鈴鹿製作所を
開設、続いてその2年後には近くの広大な丘陵地帯を利
用して国際レーシングコース鈴鹿サーキットを開設しまし
た。その時はもしスーパーカブが売れなければ倒産寸前
だったそうですが、創業者の本田宗一郎氏の胸中には欧
米に追い付き追い越そうとする強烈な意志と向上心があっ
たのだと思います。(写真は鈴鹿製作所エントランスです)
(関連記事:鈴鹿サーキットのこと vol.1:草創期参照願い
ます)
DSCN7326-1.jpg
スロープから話が大分脇道にそれてしまいましたが、途中
左手に万博のシンボルだった奇才岡本太郎画伯の作品で
ある太陽の塔が建っていました。昔TVのCMで岡本画伯が
人生は爆発だ!」とか言っていたのを思い出します。
DSCN7329.jpg
やって来ましたエキスポシティです。つい先日の11月19日
にオープンした、今流行りの複合ショッピング&レジャー
アメニティ施設の最新版です。
エキスポシティ8
開発の主体者は最近「ららぽーと」という名称で全国各地
に大型ショッピングセンターやアウトレットを展開している
三井不動産で、万博跡地の一部、約5万坪!の敷地に
ショッピングモールを核として約300店舗が出店し、周辺に
は7つのレジャー施設を配置し、駐車台数4,000台という
西日本最大の複合施設です。向かって右が正面入り口
で本館への入り口及び主通路は左右2つあり、扇状に広
がった建物です。
レイクタウン9
ただエキスポシティ側は日本最大級の大型複合施設と
謳っていますが、これはややハッタリで、日本最大という
ことになると、イオンが平成20年(2008年)に埼玉県越谷
にオープンしたイオンレイクタウンで、約10万坪!の敷地
に約700店舗が出店し駐車台数10,000台という桁外れの
規模の施設があります。ま、ミュージアムや体験型レジャ
ー施設等、総合的なアメニティ施設という見方であれば
日本最大級なのかも知れません。
蛇足ながら、レジャーに代わりアメニティという言葉が使わ
れ出したのは平成になってからだと思います。

タバコ屋が子供の頃には複合型ショッピング&レジャー
施設などというものはその概念すらなかった時代で、
というよりその日を食べていくのが精一杯の時代でした。
せめてものレジャーと言えば親子連れで動物園へ行き
帰りはデパートでささやかな御馳走(ランチ)を食べる
程度だったと思います。

ちなみにタバコ屋の生まれ育った中島からは松山が一番
近く、その当時道後温泉に隣接した公園内に動物園があ
り、見物したあと市内に戻り松山三越でお食事というのが
お決まりコースでした。
枚方パーク6
タバコ屋が子供時代の遊園地(懐かしい言葉です)と言え
ば、大阪に阪神パークや枚方パークがありました。その
後奈良にドリームランドが出来て、レジャーというものに
お金を使う時代になりました。しかしその頃でもレジャーは
レジャー、お買い物は別という概念しかなく、名前からして
パークとかランドであり、現在のシティとかタウンなどという
想像を絶する規模の複合アメニティ施設の時代になろうと
は夢にも思いませんでした。もっとも遊園地の発展形は別
にディズニーランドやUSJが出来、それはそれで桁外れの
スケールではありますが。

ついでの話としてタバコ屋が子供の頃、大阪に叔父叔母
夫婦と従兄弟がいたので、年に1回は両親に連れられて
遊びに行っていました。両親は京都奈良の寺社仏閣巡り
がお目当てだったのですが、タバコ屋はレジャー施設や
デパートの屋上がお目当てで、上記の3か所のパークや
ランドを皮切りに梅田阪急百貨店の屋上では従兄弟と一
緒に乗り物やゲームに随分散財した記憶があります。
といっても10円玉コインをということですが。
阪急お子様ランチ
またお食事は梅田阪急百貨店の大食堂がお決まりのコー
スで、タバコ屋と従兄弟はお子様ランチ、親たちはテキ
(当時はステーキのことをテキと言っていましたよね)を
注文していました。阪急大食堂のテキ!は、わらじの
ように大きかったことや、阪急大食堂全体に漂う独特の
食堂の香り???を子供心によく覚えています。
(関連記事:沖縄巡礼 vol.1及び
千葉・東京巡礼 vol.2:銀座界隈参照願います)
ダイエー5-3
古い話続きで恐縮ながら、かつてタバコ屋が同志社大学
自動車部に在籍していた頃、恒例の合宿は香里園にある
香里体育ハウスでした。1~2回生時分は当然ながら下積
み生活で部員の食事の買い出しと調理をする身分でした。
ダイエー5
本来なら香里園の駅前商店街あたりの食品店で買い出し
をするところですが、1回生の時(ということは今から46年
も前の昭和44年(1969年)に駅の近くに香里ショッパーズ
プラザ
が出来たのです。これは後で知ったことですが、
当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったスーパーのダイエーが、
日本初の郊外型ショッピングセンターを香里園にオープン
させたのです。1階が食品で2階が衣料品、雑貨、3~4階
が立体駐車場でした。
(関連記事:夏の日の思い出 vol.4:トライアスロン大会及び
混沌と秩序 vol.3:流通編(後編)参照願います)
DUAC80thロゴマーク
当時自動車部はフィギュア競技等、相当体力を要する競
技がおもな活動だったので体育会に属し、合宿はいつも
アメリカンフットボール部、野球部と一緒でした。練習では
常にアメリカンフットボール部と隣り合わせで、アメリカン
フットボール部は鉄製の枠で出来たバリケードのようなも
のにスクラム組んで突進し押しまくるというハードなトレー
ニングが日課でした。自動車部もランニング、腕立て伏せ
腹筋などは当たり前で、あげくは大型トラック用のタイヤに
ロープを付けそれを腰に巻きつけて引っ張らされたりして
いました。また血気盛りの男連中が寝起きを共にするため
夜はささいなことで殺気立ち、ふすまを蹴破って殴り込み
に会う等、いろいろ事件もありました。

タバコ屋の同期は女っ気がありませんでしたが一期後輩
は3人のお嬢さんが入部し、看板娘となりました。しかし
男子と同等ではなかったものの、嫁入り前の娘が合宿と
はいえこのようなアラレもないことをやらされているのを
両親が見られたらさぞかしお怒りになったことでしょうが、
今さらながら若気の至りであったと思います。

合宿中の余談として、同期生に遠藤君がいましたが、彼
は大阪出身で、当時日蓮上人をルーツとするある宗派の
学会に入会し彼の住む大阪の地区の青年部長を務めて
いましたが、夜な夜なその会に入ることを勧誘するのです。
我々同期生は閉口し誰もその誘いには乗りませんでした。
そのせいかどうか途中で退部してしまったのです。同期生
随一の俊足で体力も抜群だっただけに惜しまれますが、
卒業後はバーバリーコートを作っていた三陽コート(三陽
商会)に入社し、タバコ屋も1~2度お会いしたことがありま
す。今頃どうしているんだろう。
付け足しながら、あだ名を付ける天才だった同期生のS君
が遠藤君に付けたあだ名は「南無妙(ナンミョウ)」でした。
言い得ていますよね。
2代目クラウン5
香里体育ハウスでは連日泥だらけの風呂に入る等、いろ
いろ悲喜こもごもなことがありましたが、他の体育会と決定
的に違うところはオクルマを所有している為、買い出しは
カーショッピング!が出来たことなんです。
2代目コロナ1
上段の写真は2代目のトヨタ(トヨペット)クラウンですが、
当時この写真とはかなりかけ離れたくたびれたクラウン
を部車として所有していました。1~2回生の買い出しは
このクラウンや下段の写真のやはりくたびれたトヨペット
コロナに乗って行ったような思い出がありますが、何しろ
50年近く前のお話にて記憶が曖昧になっています。

尚、カーショッピングと申しましても、買い出しの中味は
カレーかおでんの材料と決まっており、体力が付くような
献立ではなかったように思います。
1961-11オープンハウスSister KateⅡとエレン
ちなみに当部の部長先生だった、元アーモスト館館長の
オーテス・ケーリ先生は一時このコロナのバンを愛用さ
れていました。尚、ボンネットの上に乗っかっているのは
ケーリ先生のお嬢さんのエレンちゃんで、現在はアメリカ
の大学教授の奥様で2児の母だとお聞きしています。
(この写真は同志社アーモストクラブメンバー(アーモスト
館OB)でDACニュース(アーモスト館OB会誌)編集長で
もある吉﨑雅俊さんより特別にご提供頂きました)

裏話として、そのコロナは同志社大学自動車部のOBで
監督も歴任された元京都トヨタ社長、小西先輩(故人)か
ら購入されたものだそうです。尚、監督はOBの有志がさ
れ、部長は大学内のセンセにお願いするのが通例です。
推測ながら、ケーリ先生と小西先輩はそういう間柄だった
ので親しくお付き合いされていたのだと思います。

またケーリ先生はアメリカン・プロテスタントとして清廉かつ
質実なお方ではありましたが、一面アメリカンな茶目っ気
(ユーモア)がありこのコロナにもSISTER KATE Ⅱ(ケイト
ねえちゃん2号)と言うニックネームを付けていました。
ケイトねえちゃん
ケイトねえちゃんの意味については、話せば長くなるので
かいつまんで申しますと、ルイ・アームストロング氏が来日
(来京)した時通訳されたのがケーリ先生で、ご自分で好き
だったケイトねえちゃんというジャズ曲を演奏時に弾いても
らうようおねだりしたところ、実はその曲はアームストロング
氏自身が作詞作曲したものだと打ち明けられ、おまけに
SISTER KATEという直筆のサインまで頂いたそうで、それ
以来その字体を使ってご自分のオクルマにニックネームを
入れるようになったそうです。
(関連記事:今出川でのこと vol.1及び
今出川でのこと vol.3:地獄の北海道遠征及び
札幌紀行 vol.2:小樽へ参照願います)
大工大ラリー
ついでの話として、モータリゼーション真っ盛りとなりつつ
あった当時(昭和40年代)、身が燃えてうずうずしている
学生が体力勝負のフィギュア競技だけで満足出来るはず
もなく国際ラリーでのニッサン、ミツビシの活躍に触発され
大学対抗の学生ラリーが盛んに行われるようになりました。
(写真は若かりし頃の平尾センセが出場された某大学自動
車部主催のナイトラリーで平尾選手のスタート場面です。
この写真は平尾センセより特別にご提供頂きました。)

ちなみにその後彼は他大学の道場荒らし?でメキメキ実
力を付け、同志社に平尾ありと言われるようになりました。
また当部においても同志社ラリーを主催していましたが、
その存続が危ぶまれた困難な状況の中、第4回、第5回と
連続して成功に導いた立役者でもありました。その後は
社会情勢が厳しくなり、残念ながら大学自動車部が公道
を使用してラリーを行うことはほぼ出来なくなりました。
古き良き時代の最後の一時期であったように思います。
DSCN7446.jpg
尚、タバコ屋の赤いお嬢ちゃんのボンネットに並べている
のは当部主催の同志社ラリーのカーバッジで、第2回から
最後の第5回までのものです。どなたかOBで第1回のもの
お持ちでしたら借用頂けないでしょうか。(尤もその時カー
バッジを作っていればの話ですが)
DSCN7449-1.jpg
そのカーバッジの拡大版です。右端のカーバッジは創部35
周年記念のものですが、あれからもう45年も経ったなんて
到底信じることは出来ません。
(関連記事:校長先生の青春 vol.1:ラリーへの熱き思い
及び校長先生の青春 vol.2:されどもラリー参照願います)

それはいいのですが、ビンボー自動車部としては、上記の
クラウンやコロナを競技車として使用したのでした。当然の
ことながらフニャフニャのサスペンションと眠いエンジン、
及び薄暗いヘッドライトでまともに(速く)走れる訳もなく、
ナイトラリーの最中にひっくり返り山中の田んぼで朝を迎
える等、今から思えば随分無茶なことをしたもんだと思い
ます。
DSCN7330.jpg
話が随分脱線してしまいました。エキスポシティーに戻り
ます。エントランスでは今風の派手な看板と言うのかポス
ターでお出迎え頂きました。施設名はららぽーとです。

エキスポシティ10

エキスポシティ11

エキスポシティ12

エキスポシティ13
最近出来たショッピングモールでは羽田空港のモールが
立派ですが、エキスポシティはそれを横に広げた感じです。
基本レイアウトは扇状の施設左右に主通路があり、それ
を繋ぐように前後2本の吹き抜けが通り、その真ん中に
光りの広場と称する空間が配置されています。

建物は3層になっていて、1階が主に食品、2階が主に衣料
品、3階が主に家電、雑貨となっています。300店舗も入店
しているのでいくら広いとはいえ3階まで必要なのでしょうが、
タバコ屋流に言わせれば、巨大モールは2層に抑えるべき
です。若い人はともかく後期高齢者はもう3階まであると行く
気力が萎えてしまいます。
エキスポシティ15
蛇足ながら、全国各地にイオンや大手スーパーが展開して
いる総合ショッピングセンターのことを業界用語でネイバー
フッドショッピングセンター
(近隣型ショッピングセンター)と
言い、今回のように大商圏を対象にし、アメニティの機能を
充実させた複合型モールのことをリージョナルショッピング
センター
(広域型ショッピングセンター)と言うようですが、
エキスポシティ級ともなると、その定義も通用しないほど、
桁外れにスケールが大きく、多機能です。ま、欲を言えば
これにホームセンターが加われば鬼に金棒でしょうが、
レジャーやアメニティにかなり力を入れているので、多分
敷地が足りなかったのではないかと思います。

ついでの話にて、タバコ屋は職業柄どうしても年商が気に
なりますが、公式発表では600億円だそうで、大都会の繁
盛している百貨店1店舗分ということになります。面積の割
には少ないような気もしますが、ここは庶民の広場であっ
て、宝石、毛皮、高級時計を売る場ではないので、それも
妥当なところとかなと思います。
DSCN7331.jpg
1階部分主通路からの眺めです。只今好調の無印良品の
ショップが入っていました。日本よりも外国で評判が良い
ようで、長きに亘り苦労してきた成果が出つつあり、ここに
至るには大変な試練と努力があったはずで、無印君には
がんばり賞を差し上げたいと思います。
DSCN7335.jpg
いちいち取り上げませんが、皆さんご存知の有名店が
ずらりと並んでいました。土曜日でもあったので大変な
人出と混雑でした。
DSCN7334.jpg
センターコートというのか光りの広場と称する中央吹き抜
け部分です。クリスマスをテーマにしたオブジェが飾られて
華やかなイメージを演出していました。
DSCN7338.jpg
ご存じロフトのショップはやや意表を突く店舗演出がされ
ていて、オープンショップが多い中、わざと壁を作りクロー
ズドショップにしていました。個人的にはオープンの方が
開放的で好みですけど。タバコ屋流に言うならば、モダン
と言うよりはチンケです。
DSCN7364.jpg
食品ゾーンにやって来ました。神戸の老舗パン屋さんの
DONQです。タバコ屋は知りませんでしたが、創業110年
の歴史があるそうです。
DSCN7365.jpg
食品の核となるスーパーはイズミヤさんが入っていました。
イズミヤさんのルーツはタバコ屋とよく似ており元は大阪
西成区の呉服屋さんでした。創業者は和田さんという方で
熱心なクリスチャンでありまた戦後の混乱期に日本の商業
の正しいあり方や近代化を啓蒙、指導した雑誌「商業界
の主幹であった倉本長治氏に心酔し、毎年箱根で開催さ
れた「商業界ゼミナール」に通い、タバコ屋の先代も同じ
席で当時アメリカからやって来たスーパーマーケット理論
と今後の展望をそれこそ熱にうなされるごとく熱心に受講
した一人でした。多分受講生の多くが新しい時代の予感
を直感的に感じたんだと思います。
(関連記事:希望の島物語1参照願います)
キングカレン2
和田さんは元呉服屋でありながら、衣料品を中心にまず
セルフサービス方式を採り入れ、その後はスーパーマー
ケットをチェーン展開、また昭和43年(1968年)には大阪
岸和田で日本初のショッピングセンターをオープンさせる
等(尚、これは駅前ショッピングセンターで郊外型の本格
的ショッピングセンターはダイエーの香里ショッパーズが
日本で最初でした)革新的商業経営を推進し、やがては
ダイエーと張り合うようになりました。その過程で商業界
の立ち位置は、言ってみれば幕末における松下村塾のよ
うなものでイズミヤさんはその優等生であったと思います。
(関連記事:混沌と秩序 vol.4:流通編(後編)参照願い
ます)
ダイエー4
アメリカのスーパーマーケットを中心とした最新流通理論
の指導をしたのは主に渥美俊一氏というコンサルタント
でしたが、東大出の元読売新聞記者でアメリカに幾度も
視察を重ね、当時(昭和30年前半)のスーパーマーケット
や様々な流通業態が日本とは桁違いの先進性とスケー
ルであることにカルチャーショックを受け、そのノウハウを
学び(悪く言えばパクり)商業界ゼミナールにおいて日本
の若き商人達(後のダイエー、ジャスコ、ニチイ、イズミヤ
等々)に熱心に指導し、その実践を迫ったのでした。

タバコ屋が大学入学時(昭和44年(1969年)は学園紛争
がピークに達した時で、東大の入試は中止となり、大学
は過激学生グループに占拠され、タバコ屋も1回生の時
は試験がすべて妨害され、レポート提出という異常事態
でした。何が言いたいかと言うと、その時活躍したのが
アジテーターと称する過激学生で、例えは悪いでしょうが
渥美俊一氏はさながら戦後日本の流通業革新における
アジテーターだったと思うのです。

いみじくも日本のオクルマ業界が欧米の先進的技術に
圧倒され、それを吸収すべく夜を徹して技術の習得(パク
リ)をやり、それこそ欧米に追い付け追い越せと家庭も顧
みずに血の滲むような努力をした同時代のことでした。
izumiya.jpg
イズミヤさんはその後堅実な経営を続け、当初は近畿圏
やがて中国、九州、関東圏にも店舗網を拡大しチェーン
ストアとして一大勢力となっていきました。

時代は進みかつての流通業界の覇者ダイエーは今はなく
タバコ屋も一時期そのグループで活動していたニチイその
後のマイカルは破綻し、九州の覇者寿屋も消滅してしまい
ました。この40年間の流通業界というのは合従連衡を繰り
返し、さながら戦国時代のようでした。現在はイオンとヨーカ
ドーの二強時代なのでしょうが、さてどうなるんでしょう。

一方独立路線を歩んで来たイズミヤは最近伊藤忠商事
と提携後、今度は阪急・阪神グループを統括するエイチツー
オーとの統合を発表しました。お客様とは関係ないことな
がら、う~ん寄らば大樹の陰なのかどうか、そこらはガラ
パゴスの中島に住むタバコ屋にはわからないことです。

イズミヤさんのお話から戦後流通概論に脱線してしまい
ました。さて今回、元校長センセの平尾氏も公認会計士
の上山氏もオカタイ仕事なのでショッピングモールの見学
など本意ではなかったでしょうが、モーターショーの二次
会のつもりでおつきあいして頂いたのだと思います。
DSCN7342-1.jpg
いよいよタバコ屋お目あての「いかりスーパー」さんの店
にやってきました。外観は一目でわかる例のいかりロゴ?
を散りばめた外壁で囲われており、相当目立ちます。ただ
ショッピングモールなので、オープンショップにしたほうが
良かったかなという気はします。
DSCN7345.jpg
いかりスーパーさんというのは日本にスーパーと名の付く
お店が数々あれど最も個性的なお店ではないかとタバコ
屋は思っています。何が個性的かと申しますと店で販売
しているほとんどの品を自社で製造!するかまたは外注
するにしても自社企画のPB(プライベートブランド)として
販売している点です。メーカーはともかく小売り店でこの
ように自社製造にこだわっている店はいかりさんしかない
と思うのです。またその品が百貨店もビビるハイクオリティ
ーで、もうこの分野ではいかりさんの独壇場だという気が
します。
モーターショー帰りでオクルマに例えるのも変なのですが
いかりさんの立ち位置はオクルマで言えばジャガーもしく
はランドローヴァーあたりかなと思います。つまりスーパー
業界では大手ではありませんが、高質な個性を発揮する
ことで他社が絶対真似の出来ない、いかりワールドという
アイデンティティ(自己証明書)を作り上げているからなん
です。
IMG_2140.jpg
10年以上も古い写真で恐縮ながらいかりスーパー芦屋店
の外観です。店舗は芦屋山の手の高級住宅街の麓にあり
文字通り日本のセレブがお住まいの場所にあるスーパー
です。創業者は行光さんという方で、元々は洋菓子屋さん
からスタートし、オフネが大好きだったせいで社名とロゴを
いかりにしたとか。タバコ屋は何度もお邪魔していますが
芦屋店の店頭にも大きな本物のイカリが飾られています。
先ほど申し上げたいかりさんのイメージがジャガー、または
ローヴァーであると言うのは嘘でなく、事実お買い物に来ら
れる妙齢のご婦人方の多くがジャガー、レンジローヴァー
は元よりポルシェ、ベンツはざらで、某国産車で駐車した
タバコ屋は一瞬外国へ来たような錯覚を覚え、また自分が
やや場違いなところへ来てしまったという後悔を覚えた程
でした。ちなみに昔、青春映画でこのいかりスーパー芦屋
店がロケに使われたことがあるそうです。
(関連記事:ヤマトとラムネ参照願います)
IMG_2151.jpg
その芦屋店の店内です。古い写真なので今は変わってい
るでしょうが非常に高級感あふれるムードですよね。

手前味噌になってしまいますが、話せば長くなるお話です。
イズミヤさんの項で前述の戦後スーパー業界を理論指導し
牽引してきた渥美俊一氏は過激なアジテーターという側面
を持っていたので、熱心な一部の革新的な若手商業者か
らは熱狂的な支持を得たのですが、箱根のゼミナールへ
全国から研修に来る零細な小売業者のほとんどは、違和
感というより恐怖を覚えていたと思います。つまりこの理論
によって日本中の小売業は押しつぶされてしまうと。
一方最高指導者の倉本長治先生は戦後の混乱から全国
の商業者に正しい商いを啓蒙、指導しようとした訳で一部
の革新勢力だけを後押しした訳ではなく、その片寄った事
態をかなり憂慮されていたとお聞きしています。
タバコ屋もそのアメリカ流、非情の資本論理に違和感を覚
えていたところ、ひょんなご縁で、一倉定氏というコンサル
タントと出会うことになりました。一倉氏は「環境整備」と
経営計画書」というタバコ屋にとっては聞き慣れない理念
を徹底的に指導する個性的で、純日本的な先生でした。
渥美俊一氏のことも良く知っていて、かなり否定的というよ
り、日本の商業をだめにするけしからん奴というような見方
をされていました。それ以後、一倉氏のセミナーや研修会
に出席し、後には中島まで来て頂いて教えを乞う等親しく
させて頂きましたが先年泉下の人となられました。

実はその講義や、研修の中で「環境整備」の実践例として
芦屋のいかりスーパーさんのお名前がひんぱんに出て来
たのです。そのバックルームは店舗以上にクリンリネスが
行き届いているとか、製品のほとんどは自社製造品である
とか、一倉氏は厳しい指導で有名でしたが、こといかりさん
のことになると手放しで絶賛という有様でした。
IMG_2155.jpg
タバコ屋もそんな凄いスーパー、一度見学して見たいと思っ
てはいましたが、その後数年たって、タバコ屋が島のみかん
を島外へ販売する事業を始めた折、一倉氏の言葉を思い
出し、目くら蛇におじずもいいところで、思い切って芦屋の
いかりスーパーさんへ飛び込み訪問したのでした。その時
統括責任者は取締役でもあった小倉さんでしたが、初対面
にも拘らず何かと親切にして頂き、「十分吟味をしたうえで
いかりはその品が真に優れた品であるなら、世界中どこか
らでも
規模の大小に拘らず購入させて頂きます。タバコ屋
さん(とは言いませんでしたが)とお取引しましょう」と言わ
れたのです。この言葉にはシビれました。その夜は寝付か
れなかったのを覚えています。以来20年のお取引となりま
した。その間いまわしい阪神大震災が発生しいかりさんも
甚大な被害を蒙りましたが、見事に復活されました。
その後思い高じて、タバコ屋の倅や社員をいかりさんに実
務研修でお預かり頂く等、随分なお世話になって今日に至
っています。
いかりSJR大阪店
いかりさんはその後、JR大阪駅構内のいわゆるエキナカに
も出店し、かなりモダンで個性的な店舗展開をしています。
IMG_3430-1.jpg
あれれ、これはタバコ屋のジュース、ジャムのフルラインナ
ップじゃないですか。実は手前味噌もいいところなんですが、
タバコ屋が島でジュース工場を立ち上げた後、問題は販売
で、そのことをいかりの小倉さんにご相談したところ、ウチの
店で宣伝したらどうですか、と言って下さり、上記のJR大阪
店を皮切りに芦屋、夙川、三宮等、主だった店で試飲販売
会をさせて頂きました。都会のお客様が何を要求しているの
か体で体験するいい機会を与えて頂いたのでした。
その結論が何だったのですかって?、それはクオリティです。
DSCN7346.jpg
またまたラリー用語で言うところのコースアウトをしてしまい
ました。エキスポシティのいかりさんのお店に戻ります。
いかりさんオリジナルのお好み焼きの素です。まだ買った
ことがないので何とも言えませんが店頭にドドーンと積ん
でありました。食堂のメニュー見本のようなダミーが飾っ
てありましたが、お金は掛かるでしょうけど購買欲をそそ
るいいアイデアだと思いました。
DSCN7352-1.jpg
平尾センセはワインコーナーが気になっているようです。
センセはタバコ屋みたくに呑兵衛ではないですがお酒は
たしなまれます。尚、いかりさんのワインは輸入業者から
買ったりはせず、直接社長と前述の小倉さんがヨーロッパ
やその他のワイン産地に行き、直に買い付けるそうです。
出張コストも馬鹿にならないでしょうけど、とにかくやること
が徹底していますよね。ソムリエの田崎さんもビックリポン
の変な?スーパーですよね。
DSCN7354.jpg
一方、上山青年はいかりさんオリジナルのスイーツコーナ
ーの棚が気になっているようです。プライバシーに触れよ
うとは思いませんが、上山公認会計士も人の子、独身で
ある以上いい人が出来て、プレゼントする時はこれにしよ
うとか思っているんではないでしょうか。はたまたふる里
福井で残されているお母様にいかりのマドレーヌ送って
あげようかと思っているのかも知れません。彼はいかつい
顔してますけど(失礼)結構お母さん思いの孝行息子なん
です。
DSCN7356-1.jpg
上山青年が見ていたのはこの芦屋マドレーヌではないかと
思うんですが、すべてオリジナルでフルーツやパンプキン
等バリエーションも豊富で売れ筋だと思いました。
DSCN7360.jpg
やはり、いかりさんオリジナルのホットケーキの素を山積
みしていました。世の奥様方は歴戦の強者にて、お店に
陳列しているからと言ってすぐに購入される訳でもないで
しょうが、タバコ屋などは単細胞人間にて、いかりさんが
出したものなら「それ全部下さい!」と言ってしまう種類の
人種です。学術用語ではそのカテゴリーをオッサンと言う
そうです。
DSCN7355.jpg
これは推測ですが、いかりさんがエキスポシティに出店
されたキモはこの自家製パンとスイーツのコーナーだと
思うんです。そら、元はと言えば洋菓子屋さんがルーツ
な訳ですから、パンとスイーツはお手のもんだと思います。
IMG_2979-1.jpg
ただ難しいのは、かつていかりさんも東京へ殴り込みを
掛けたことがあり、大宮と横浜に店舗を構え、タバコ屋も
横浜店へは表敬訪問して店長の原田さんを激励しに行っ
たこともありますが、推測ながら結局は思うようにいかず
数年で撤退しました。

文化と言うのは難しいです。神戸、大阪で断トツの知名度
プレステージを誇るいかりさんも横浜モトマチでは相手
にされなかったということなので、ましてやタバコ屋なんか
そこいらのゴミ同然のしろものです。
それにしても芦屋シュークリーム、何とも言えない高級感
と絶対においしいという期待感を抱かせるお名前じゃない
ですか。タバコ屋ならすぐ「それ全部下さい!」と言ってし
まうと思いますが、一体どこへ配るんだろう?。
DSCN7367.jpg
いかりさんの見学も終え、2階、3階へとも思いましたが
同行の2人とも、もう十分や腹も減ったし、のども乾いた
一服しましょうや、となりました。おそらくアタマの回転の
早い彼らのことゆえ、2階、3階のレイアウトなど見なくて
も、ぱぱーっと頭に描いてしまったんだと思うんです。
かくして本館の見学は終了(放棄?)し、一服することに
なりました。やってきたのは懐かしい万博食堂でしたが
長蛇の列にて入るのをあきらめました。結局どこもすぐに
は席に着けない混雑ぶりだったので、すべて諦め元来た
道を万博記念公園駅へと引き返すことにしました。
DSCN7368-1.jpg
帰り際にエントランス広場にて、可愛らしいお嬢ちゃんが
お写真を撮っていましたが、3人はお互いこんな年もあっ
たよな~なんて感慨にふけったのかどうか、確かめは
しませんでしたが、日もかなり傾きつつあり、喉も乾いた
ので駅に向かって急ぎました。
DSCN7373.jpg
上山青年もおさそいしたかったのですが翌日早朝ゴルフ
を予定しているそうで、万博記念公園駅でお別れすること
にし、平尾センセとタバコ屋は南茨木経由、阪急電車で
一路京都へ向かう事にしました。もうすっかり暗くなって
しまいましたが、久しぶりの京都四条河原町です。島の
タバコ屋は普段は暗黒世界で生活している故、こういう
都会のケバい雑踏が大好きなんです。
DSCN7375.jpg
青春同窓会、第3部は平尾センセのはからいで京都南座
の中にある京懐石の店「花萬」さんで開幕することとなり
ました。目指すは正面の南座です。
DSCN7378.jpg
南座到着です。丁度この日は市川海老蔵、京都公演の
最中だったようです。
DSCN7379.jpg
鴨川べり正面に今夜の会場である「花萬」さんがありまし
た。今夜のメンバーは同期の平尾センセ、同じく同期で
市内在住のター坊こと井上氏、同じく陛下こと南野氏、
また紅一点として一期後輩の福ちゃんこと石川女史、
そしてタバコ屋の計5名です。
DSCN7379-1.jpg
その日は丁度週末で、行楽シーズンでもあり、予約は
したものの個室満席にて、カウンターで旧交を温める事
になりました。左より髪はどこへ行った?のタバコ屋と
自動車部元マドンナこと福ちゃん、平尾センセ、ター坊、
陛下の面々です。タバコ屋は秘かにギトギトのテキ!
食べたかったのですがここは京懐石にて順次お品の良
い品々を頂き、お酒もはずみ昔話や近況に華が咲きまし
た。ただし皆さん近況は孫ラッシュにて各人孫自慢大会
に突入し、スマホの写真見せびらかしみたいになって
しまいました。市川海老蔵の顔見世というよりは、孫の
顔見世興行&コンペになってしまったお席でした。

福ちゃんとも久しぶりの再会でしたが、この日はクレオパ
トラ妃がお付けになるようなゴールドに真珠をあしらった
首輪?を召されておりタバコ屋にはまばゆいばかりで心
なしか日本酒の回りが早かったように思います。
ちなみに彼女のご子息ター君こと太一君は京都きっての
テノール歌手で、自動車部80周年記念大会の時はその
自慢の喉をご披露頂きました。タバコ屋のお気に入りは
彼の歌った「真珠採りの歌」でしたが、偶然にも福ちゃん
はその真珠をあしらったKUBIWAをご装着でした。
(関連記事:終わりなき旅 vol.3:宴のあとさき参照願い
ます)

蛇足ながら福ちゃんは京都三条麩屋町の老舗和紙店の
イトハンなのでタバコ屋は朝ドラの「あさが来た」のあさ
ちゃんとイメージがかぶってしまいます。彼女の名誉の
ために申し添えますと、その行動力は互角で、ふくよか
なオムネに至っては完全にあさちゃんに勝っていると思
います。いくら同釜とは言え、じかに拝見したことはあり
ませんが(残念)、香里体育ハウスの時代はアメリカン
フットボール部とも一緒だったのでトレーナーの上から
その上下動の激しさ?を御覧になった部員もいらっしゃ
るかも知れません。

4人の仲間との名残尽きなく、話尽きないひと時でしたが、
お開きの時間がやってきました。福ちゃんは洗濯物の取り
入れ?とかあるといけないのでお別れし、野郎どもは東の
方角が気になっており、意のままに足の向くまま流れる
ことに致しました。あとはご想像に任せることにしまして、
今回の記事を終わることに致します。長時間のご精読
有難うございました。

尚、この翌日平尾センセと青春同窓会ならぬミニ修学旅行
を実施しましたが、そのお話は次の記事にてご紹介致しま
す。お楽しみに。

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★★島のタバコ屋の独り言★★
【4月10日:ああ創業100年】    島のタバコ屋は先々代が呉服屋を創業以来3代目となり、その間戦後間もない頃には島のバス運営事業を試みる等様々な営みを経て今日に至っています。皆さんよくご存知のNIKONも創業100年なんですが、比較にはならないものの同じ時代を生きてきた訳です。かつてオハイオのメアリーズビルで活躍する夢を抱いたこともあった青年も年を取りました。さて今後の100年をどのように生きて地域のお役に立っていくか、タバコ屋にとっては後継者である倅への「死に土産」としてそのコンセプトを確立しておく必要があると考えています。しかし倅にとっては年寄りの余計なおせっかいに写るかも知れませんよね。
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