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大阪・京都・奈良・巡礼 vol.3

平成27年12月20日
奈良そして京田辺同志社キャンパスへ
今回の巡礼も終わりに近づきました。大阪モーターショー
エキスポシティ、京都での青春同窓会、いずれも濃厚で
かけがえのないひと時となりました。
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さてその翌日は最後の目的地奈良ですが、平尾センセの
ご好意で近鉄京都線の大久保駅で待ち合わせ、そこから
センセの愛車、ミツビシパジェロで奈良までドライブという
ことになりました。以前の記事でタバコ屋が愛車レジェンド
と20年も連れ添ったと書きましたが、平尾センセもよく似た
愛車変歴?をお持ちでこのパジェロとは17年連れ添ってい
るそうです。ま、彼はそれ以外にもランサー・エボリューショ
ンX(10)をお持ちなので、後期高齢者の仲間入りを果たし
つつある現在、そろそろ身じまいをなさったほうが良いかと
思います。事実彼もそれを考えているようでした。
スパーク2
今回奈良行きの主な目的は、前回の記事で申し上げた如く
どうも奈良に腕利きのレストア屋さん(復刻屋さん)がいる
らしく、タバコ屋はひょんなきっかけでそのお方をブログ記
事で知ることとなりました。その方はまめな方でショウバイ
用の宣伝を兼ねた内容とは言え毎日更新されているので
す。以来興味深く拝見させて頂き、途中からは意外なこと
に先様よりのリクエストがあり、相互リンクさせて頂く仲とも
なりました。その方にとっても、タバコ屋の記事はちょっと
変わっているので興味を持たれたのかも知れません。
スパーク1
場所は奈良市内の東九条町というところにありすぐに見
つかりました。店名はSPARK(スパーク)さんで、事前に
予告はしていたものの日曜日にも拘らず待っていてくれ
ました。店主は50代半ばとおぼしき小松さんという方で、
初対面にも拘らずオクルマ大好き人間にて、昔話や今話
に話の華が咲きました。
スパーク3
小松さんは10代の頃からオクルマいじりが3度のメシより
好きでターボ等のチューニングで有名なHKS関西に入りび
たりで挙句は丁稚小僧のようにしてそこでエンジンチュー
ニングの基礎と応用すべてを体で覚えたという猛者です。
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ここで意外な事実がわかったのです。写真は平尾センセ
愛用の現代の零戦、ランエボX(10)なんですが、彼のエ
ンジンは元々WRCの帝王ミツビシが腕によりをかけてハ
イチューンしたものなので、タバコ屋から見ればそれで十
分満足すべきだったと思います。
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彼はそれでは飽き足らず、そのHKS製のターボシステム
を装着して更なるパワーアップを果たしました。どうも最近
その筋肉増強剤による無理がたたって体の他の部分に
問題が起こったようで、長年自称ミツビシ後援会長を務め
て来た平尾センセのことゆえミツビシさんと協議?の上、
HKSのターボは取り外し、元の健康体を取り戻しつつある
そうですが、タバコ屋にとってはややハラハラする出来事
でした。
(関連記事:終わりなき旅 vol.2:愛車ミーティング参照願い
ます)
スパーク8
それはともかく、作業場を見せて頂いたのですが、広くは
ない敷地にオクルマのボディから、エンジンから、足回り
のパーツから所狭しと置かれていて、さながらツタンカー
メンの王墓に眠る副葬品の山を発見したような気分でした。
お好きな方にとってはたまらないものがあると思います。
スパーク18
拝見させて頂いたところではその中でも日産スカイライン
(箱スカ)、フェアレデイZ(S30)、ブルーバード(P510)あた
りが多くというかゴロゴロしており、昭和40年代のニッサン
車をレストアしたい方にはとても心強いショップであると思
いました。
スパーク9
事実当時のニッサン車に積まれていたL型4気筒や6気筒
エンジンのオーバーホール品がそれこそ量産されている
が如くズラリと並んでいたのには少々ビビりました。
スパーク10
クランクシャフトとカムを繋ぐチェーンの組み付け中のL
型4気筒エンジンですが、小松さんは専門家の立場から
チェーンの張り具合が重要であることと、その組み付け手
順によってはオイル漏れが生じることなど、まるで外科の
ドクターが手術時に起こり得るリスクについて患者に説明
する場面のようでした。
スパーク16
この写真は道路を挟んで向かい側にある板金工場ですが
以前は外注工場として言わばお仲間だったものを、最近
さる事情でスパークさんが買い取ることになり、そうなると
板金だけでなくメカの整備も屋根付きの広い工場でやれる
ことになったようで、これならかなりの数のお客さんの要求
にも応えられると思いました。
スパーク11
写真でおわかりのように箱スカやS30Zがゴロゴロ状態で、
小松さんにとっては最も得意なカテゴリーであるにしても
フツーの整備士、特に40代以前の若い整備士にはお手上
げ分野だけに、ここにこれだけ昭和40年代の特殊なオクル
マが集まって来る理由がわかったような気がしました。
スパーク25
中には毛色の変わったこのようなオクルマもありました。
タバコ屋お気に入りのアストンマーティン・DB6ですが、
これは小松さんのご親友でどうしても断りきれない方から
レストアを頼まれたそうで、エンジンからボディからすべて
大英帝国製なだけに、また年式が昭和40年(1965年)頃
のもので相当古く、よくまあレストアを請け負って仕上げた
もんだと感心しました。匠という言葉はこういうことを意味
します。
(関連記事:GTのお話 vol.1参照願います)
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ところで、小松さんからご来店の目的は何でしょうかと聞か
れたので、実はタバコ屋の愛車であり、汗と涙の結晶でも
ある赤いお嬢ちゃん、フェアレディZが5年もかけてレストア
したにも拘らず、寄る年波には勝てずあちこち不具合が出
て来ていることと、この際再度ファインチューニングを施して
馬力等体力測定もしてみたいという旨を伝えました。
それには死に土産として一度は鈴鹿サーキットをせめて直
線だけでも全力走行してみたいという下心もありました。
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タバコ屋としては、大学病院で手術を受けるが如き心境に
て、恐る恐るではありましたが、小松さんにとっては極めて
日常のオシゴトなので、タバコ屋が持参したお嬢ちゃんの
レストア履歴と修理希望個所を一読し、わかりましたやっ
て見ましょう、と言って頂きました。エンジンンレスポンス
向上についてはご専門だけに症状を言っただけで、改善
する場所が即座にわかったようでした。専門的な話で恐
縮ながら、それはSOLEXキャブのバルブの作動に問題が
あるとのお見立てでした。今TVの下町ロケットで話題の
バルブですが、そうだったのかと目から鱗の心境でした。
また昭和48年(1973年)製造の旧車ゆえに、当時のボディ
製造技術が今のように進歩していない発展途上であった
ため、いくらボディを治しても、現代のオクルマのようになら
ないことはご承知下さいと言われました。(例えばドアの開
け閉めはドスンでなくバタンであること等)それはタバコ屋
も経験しており納得の事柄でした。
(関連記事:終わりなき旅 vol.2:愛車ミーティング参照願い
ます)
スパーク13
この写真は板金工場で只今レストア中のコロナ!ですが、
前回の記事でご紹介したように、かつて同志社大学自動
車部の部車であり、また部長のオーテス・ケーリ先生が
愛用されていたオクルマでもありました。つい懐かしさが
こみ上げウルウルしかかったタバコ屋でしたが、休日でも
ありこれ以上お邪魔するのもいかがかと思い、おいとま
することにしました。
(関連記事:大阪・京都・奈良・巡礼 vol.2参照願います)
スパーク21
また後日、修理出来るスケジュールをやりとりすることを
確約し、今回の目的は達成することが出来ました。
尚、PTA父兄として付き添って頂いた平尾センセは小松
さんと意気投合したのか、何やら他の有名なニッサン車
についてごそごそお話をしていました。何を話していたん
だろう?。いずれわかる日が来るかも。
(尚、スパークさんでの写真は初対面でパチパチやるのも
はばかられたので遠慮し、スパークさんのブログ写真から
流用させて頂きました。写真は板金工場の入口付近です)
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さて晴れ男校長センセの予言どおり、快晴となり目的も達
したので心晴れやかな気分でしたが、昼時となりおなかも
すいたので腹ごしらえしようやということになりました。
パジェロの車中で平尾センセが意外なことを切り出しまし
た。チャンタな~(私のあだ名です)この際ダイブッサン
に行こうか、前回いつごろ行った?と言うので、恥ずかし
ながらそれは中学校の修学旅行以来で50年!ぶりやと
申し上げたところ、実は俺も30年!ぶりやねん、と言うので
こうなったら2人で復刻版ミニ修学旅行をやろうやということ
になりました。
DSCN7384.jpg
やって来ました。ダイブッサン(東大寺)です。大華厳寺
書かれた山門(南大門)です。これには意味があり当時
最新のハイカラ宗教であった仏教の中でも奈良仏教は
華厳経の教えを教義としており、本来の仏教がひたすら
修行によって悟りの境地(解脱)に近づくのが目的だった
のに対し、凡夫にはもともと仏性(仏心)が備わっているん
だから同じ修業をするにしてもそれに気付き自覚すること
が即ち悟りであると。何やらわかったようでわからないよう
な教えを説いていました。こういうのをイデオロギーと言う
んでしょうが、すべての概念は誰かの頭の中(形而上)で
考えたことであり、創始者のブッダ(釈迦)はそんなこと一
切言ってないんです。ただひたすら修行をして煩悩を消し
去り悟りの境地に達すべしと言っただけなんです。でもそ
んなこと百万人に一人の天才にしか出来ませんよね。
出来ないせいかどうか知りませんが、後日いろんな人が
新アイデア(解釈)をひねり出して、実はこうなんやとか
言っていろんな宗派が出来てしまったのだと思います。
元校長平尾センセはそのようなことに思いを馳せて山門
に立たれたのだと思いますが、さて・・・。
金剛力士像1
山門をくぐり抜ける時、左右に恐ろしい表情の巨大な木像
が建っていました。ご存じ運慶とその息子さんたちのビッグ
プロジェクトによる仁王像です。巨大な大仏殿を守る守護神
といいますか、当時版アルソックです。
DSCN7388-1.jpg
大仏殿のエントランスゲート(中門)です。やっぱり山門も
2個くらいないと威厳が保てないと思うのです。
同志社大学自動車部、新町ガレージなんか味気ない鉄
製の引き戸が1個あっただけですけど。それの重かった
こと・・。
DSCN7394.jpg
大仏殿(正式には東大寺金堂)到着です。残念ながらやや
お天気が下り坂になり写真写りが今一つですがご辛抱願
います。ここでセミプロの平尾センセより光線の角度やア
ングル等、写真の撮り方のイロハを教わりました。まさしく
修学(学び修める)旅行となりました。
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う~ん、とにかくデカイです。建立はご本尊の大仏が西暦
752年大仏殿が758年と言いますから中国では唐の時代
でその都、長安は西域で同様に栄えていたいわゆるペル
シャ(アッバース朝)の都バグダードとのシルクロード交易
により世界最大の国際都市として空前絶後の繁栄を誇っ
ていました。日本からは度々難破しつつも果敢にその世界
最新の文化を吸収しようと遣唐使を重ねました。
(関連記事:混沌と秩序 vol.2:流通編(前編)及び
混沌と秩序 vol.3:流通編(後編)参照願います)

その頃大和の国は人口も500~600万人で、にわかに形
だけパクッて隋や唐の都のレイアウトを真似、奈良に都を
構えたものの統治能力は甚だ稚拙で求心力も弱く、その
上庶民は飢饉、疫病に苦しんでいました。
当時の最高権力者は聖武天皇で、そのような窮状を大仏
建立という巨大プロジェクトで切り抜けようと考えたようで
す。コンセプトは「国家安寧、国家護持」というもので、その
予算は現在のお金で4,000億円以上という気が遠くなるよ
うな金額で(今揉めている東京オリンピック用の新国立競
技場2個分+!)まあ建設機械なんかなかった時代に200
万人以上動員して完成させたと言いますから、何とか出来
はしたものの、果たして庶民はそれで癒されたのかどうか、
答えはNOで、もう無茶苦茶に近いですよね。
それに比べれば、現代の大仏?、太陽の塔が残る万博は
巨額な予算は使ったものの三波春夫さんじゃないですけど
ほとんどの国民が幸せ気分に浸れたんではないでしょうか。
DSCN7400.jpg
いよいよ大仏像(盧舎那仏(るしゃなぶつ))にご対面です。
しかし大仏殿もその後度々の戦火で、この歴史遺産に火
を放った不届き者がいて2度も焼け落ち、今回スパークさ
んにお邪魔したせいでもないでしょうがその都度レストア
(復元)
されて来ました。現在でも世界最大級の木造建築
として、当然ながらほとんどの構築物とその付帯品等が
国宝に指定されています。
ま、今回は2人だけの修学旅行でそういうことがテーマで
はないのであまり考えずに見学していくことにしましょう。
DSCN7405.jpg
創建当時のレイアウト模型がありました。本来は左右対
称に七重の塔!があったようですが、落雷や戦火により
現在は二基とも失われたままとなっており、多分将来は
貴重な歴史遺産として、レストア(復元)が行われると思
います。
DSCN7406.jpg
仏像の頭髪は螺髪(らはつ)と言うそうですが、要するに
カールヘヤーと言う意味で、日本、中国は直毛ながら、
インドはカールした人が多いのかどうか、兎に角仏像の
場合は知恵の象徴とされておりすべて右巻きだそうです。
東大寺の大仏さんの場合その螺髪の数は492個だそうで
見学の途中で見かけた写真のクイズによれば当初966個
あると言われていたそうで、その場合にそれを収めるた
めの枠の円の面積が最小になるような面積を螺髪1個の
直径を用いてお答えください、というクイズでした。

そんなもん、落ち着いてやればお答えしますけど、2人は
エキスポシティの見学時と同様、かなり腹が減り、喉も乾
いて来ていたので、それは無視し、また柱の四角い穴くぐ
りも無視してひたすら出口へ急ぎ参道にあるであろう食堂
へ向かったのでした。途中放し飼いの鹿による加齢臭なら
ぬ鹿糞臭と爆買い民族集団との遭遇には閉口しました。

意外なことに、参道には食堂はあまり無く、やっと角のとこ
ろに和食堂があったので、急いで入りました。嬉しいことに
タバコ屋が好きなきつねうどん定食がありました。タバコ屋
はうどんを、平尾センセはそばを注文し2人で食べることに
なったのですが、前日ホテル・ハイアットでイタリアンだった
のでタバコ屋はこれでやっと落ち着くことが出来ました。
かくして超はしょりの復刻版ミニ修学旅行は終わりを告げ
ました。

参道の途中のサテン(喫茶店、今はカフェと言います)で
一服中に時間も余裕があるのでこの際京田辺の同志社
キャンパスの麓にある自動車部ガレージへアポなし殴り
込み
をやろうやということになりました。
D:今出川キャンパス2
思えばタバコ屋世代は大学時代を今出川や新町のキャン
パスで過ごし、自動車部のガレージは新町校地の北東隅
にあったので、大変便利でした。しかし今から30年程前の
昭和61年(1986年)にへんぴな(失礼)京田辺の24万坪!
という広大な敷地に一部移転することになり、自動車部
ガレージも時を同じくして引っ越しました。
同志社田辺キャンパス3
24万坪という広さはなかなか想像出来ないと思うのですが
一つの丘陵地帯丸ごとと言えば大体おわかりでしょうか。
広さの比較で言えば同志社大学今出川キャンパスが隣接
する同志社女子大を合わせて6,000坪で、元はと言えば
新島襄の奥様の八重の兄であった、山本覚馬が維新まで
は会津藩の砲術師範として薩摩、長州と戦った訳ですが
敗北はしたものの薩摩の西郷隆盛からはその先見性を見
込まれ一目置かれる存在でした。覚馬が薩摩軍の捕虜と
なったあとも西郷は身の回りの世話をあれこれしていたそ
うで、おそらくその時のご縁があったせいかどうか、覚馬
が維新後、京都府の顧問になっていた頃、今出川の薩摩
藩邸跡地は覚馬が所有していました。
新島襄1
同志社設立の理想に燃えていた若き新島襄に対し、覚馬
は京都府顧問として惜しみない支援を行いました。妹の
八重を嫁に嫁がせたのを皮切りに、そのうえ広大な薩摩
藩邸跡地を、同志社校地として提供したのでした。
新島八重2
覚馬にすれば、賊軍であった会津藩出身の八重が嫁に行
って肩身の狭い思いをすることがないようにと嫁入り道具
の一つとして持たせたのでしょうが、それにしても思い切っ
たことをしたものです。(ま、これには諸説あり、実際は格
安にて新島襄に売り渡したという話もあり真偽のほどは
わかりませんが、そうだとしても当時の新島襄が6,000坪も
もの土地を買える資金など持っているはずがなく、推測な
がらタダ同然ではなかったのかと思います)
ここだけの話ですけど、その時新島襄はシメタ!と言ったと
か言わなかったとか。ちなみに新島襄の本名は七五三太
(シメタ)と言う嘘みたいなほんとの話です。尚、その後は
八重の男勝りの性格によるものか、莫大な土地を貰った
負い目かどうかわかりませんが、八重に一生頭が上がら
なかったそうです。
(関連記事:八重のこと vol.3参照願います)

余談ながら、広さの比較の話をしますと、京田辺キャンパス
24万坪だと申し上げましたが今回行ったエキスポシティ
80万坪!という広大な万博記念公園の一部5万坪を使
用しています。またHONDA寄居工場が28万坪で同志社
京田辺キャンパスよりもやや広い面積です。一方三重県に
ある鈴鹿サーキットは桁違いに広く60万坪ですが近くに
ある鈴鹿製作所が27万坪あり、合わせると87万坪という
気が遠くなるような広さです。これには設備投資も含めて
国家プロジェクト並みの莫大な資金を投入しており、もし
スーパーカブが売れなければ倒産寸前だったというのも
うなずけますよね。また東京のディズニーランドも鈴鹿サー
キットとほぼ同等の60万坪あります。
京田辺キャンパス2
正面入ってすぐの青空チャペルと名付けられた中央広場
です。広大なキャンパスのイメージがわかって頂けると思
います。
京田辺キャンパス1-2
これは京田辺キャンパスの象徴的な施設、ラーネッド記念
図書館
です。見てるだけ~で入ったことはありませんが、
煉瓦造りのアーリーアメリカンな造形コンセプトでタバコ屋
の好きな形の一つであり、品性と知性に加えてプレステー
ジを感じますよね。ああ悲しいかな、HONDAレジェンドの
設計陣よせめてこの図書館で本でも読んでから次期レジェ
ンドのデザインをしてほしかったです。(残念ながらHONDA
は同志社が少なく上智大学出身が多いです)

どうでもよい話ながら、同じキリスト系大学の中でも同志社
大学はアメリカの清教徒(ピューリタン)に源を発するプロ
テスタント
であるのに対し、上智大学は日本に初めてキリ
スト教をもたらした、フランシスコ・ザビエルの所属していた
保守系カトリックであるイエズス会をその母体としています。
フランシスコザビエル1
蛇足ながら、皆さん意外に思われるかも知れませんが、
同じキリスト教でも戒律の厳しいのがカトリックでその反
対にプロテスタントは自由で戒律も緩やかだと言うイメー
ジをお持ちではありませんか。実際は逆で、堕落したカト
リックに絶望し、立ち上がったのがプロテスタントであり
言わば過激派で、戒律は極めて自己に厳しいものです。
一方、何でもアリで、信じる者は救われるなどといった
いいかげんなことしか教えてなかったカトリックの中で、
これではいかんと立ち上がった保守革新派?がロヨラと
ザビエル達が設立したイエズス会でした。時代的には
イエズス会の方が随分早く、ポルトガルが世界に雄飛
した時代(日本の戦国時代)、命懸けで見知らぬ東洋の
ジパングに布教にやって来たのがフランシスコ・ザビ
エルだったと言う訳です。
(関連記事:農業とレストア vol.1及び八重のこと vol.2
及び混沌と秩序 vol.2:流通編(前編)参照願います)
ローム記念館3
数えきれないほどある校舎の中で大きなものと言えばこの
ローム記念館でしょうが、最先端の情報教育のための複
合施設だそうです。2本のタワー風のデザインモティーフは
最近新築された今出川キャンパスの良心館にも生かされ
ており、校舎一つとってもデザインコンセプトを揃えるという
のは同志社のアイデンティティ(自己証明)を作り上げるに
あたっては大切なことです。
(関連記事:京都・静岡巡礼 vol.1:今出川慕情参照願い
ます)

ついでながら現在村田学長は同志社の悲願である医学
を創設すべく奔走されているようですが、もし出来ると
したらこの京田辺校地だと思います。医学部には講義や
研究の施設に加え大学病院も併設しないといけないでし
ょうから広大な敷地が必要となり、京都市内では無理だと
思います。この構想が実現の暁には同志社大学は文字
通り西の慶応大学となることでしょう。
(関連記事:終わりなき旅 vol.1:いざ京都へ及び
京都・静岡巡礼 vol.1:今出川慕情参照願います)
IMG_4406-1.jpg
突然の写真で恐縮ながら、今から30年程前に自動車部ガ
レージが京田辺校地に引っ越した当時の写真です。
ここはキャンパスとはやや離れた場所にあり自動車部だ
けの占有地となっており我々の時代から比べると随分恵
まれた環境となりました。
写真は昭和48年(1973年)卒のメンバーで、当時同期の
ター坊こと井上氏が監督を拝命していたので皆で押しか
け見学を兼ねて現役を激励に行った時のものです。
左から明石の秀才増本、岡山の神童三宅、監督のター坊
下関のイケメン小田(旧姓佐々木)、タバコ屋、平尾センセ、
姫路の力自慢吉田(旧姓庄坪)、京都の高貴なお方陛下
こと南野の面々です。まあ皆の何と若々しいことか。
髪はどこへ行ったなどというセリフが全く考えもつかなかっ
た頃の遠い昔の物語です。
(関連記事:校長先生の青春 vol.2:されどもラリー参照
願います)
ガレージ2
実は今回の訪問にはその伏線がありました。移転当初は
ピカピカだったガレージ及び付帯の舗装付き!練習グラウ
ンドも30年経った今、当時の面影はなく、歴代の卒業生の
仕業
と見られる廃車(ガレキ)の山と成り果てたのです。
この事態を憂慮したOB諸氏(平尾、井上、今井、横井、
安田女史、等々)はこのままでは歴史と伝統のある体育会
自動車部として恥ずかしい!という結論に至りました。
そこで京都在住のOBの中でも比較的若手である総監督
の今井氏、及び汚れ役を買って出た横井氏や安田女史
が中心となり、OB自ら「環境整備」に乗り出すことになりま
した。
タバコ屋が前回の記事のいかりスーパーさんの項で申し
上げたようにかつてコンサルタントの一倉定氏は口を酸っ
ぱくして「環境整備」の大切さを説きました。その実践優等
生がいかりスーパーさんでした。タバコ屋は出来の悪い
弟子ではありましたが、「環境整備」の大切さは身を以て
痛感して来ました。
(関連記事:大阪・京都・奈良・巡礼 vol.2参照願います)

皆さん「環境整備」とは何のことかピンとこない方もいらっ
しゃると思いますので、わかりやすくご説明をしますと、
大きく行政などで使う場合はインフラ整備と言う意味に
使われるようですが、小さくは、職場、学校、家庭を問わ
ずどのカテゴリーであれ、仕事を快適かつスムーズに行
うために、周りのものを整えておくことを「環境整備」と言
います。
具体的には、お掃除と整理整頓という二つのことを実践
することで、何だそんなことかと仰る方がいるかも知れま
せんが、これが最も基本で最も取組みやすいにも拘らず
最も難しいことなのです。
お掃除という言葉はわかると思いますが、単に四角いと
ころを丸く掃くのではなく、ピカピカに磨き込むというのが
大切なんです。例えばトイレなんかでもピカピカのところ
では粗相をしずらいですよね。(平尾センセなんか現役
時代にお掃除の会に参加し生徒と一緒に他校の学校の
トイレを大汗かいてピカピカに磨いたご経験があるそう
ですが、きれいになったトイレにはトイレの神様?も宿る
んではないかと思うくらいの神々しさがありますよね)
整理整頓についてですが、整理とは不要の物(1年以内
に使用しないであろう品)を捨て去ることであり、整頓
は、残した必要な品を使いやすくするための置き場を決
め、出来れば紛失しないようその置き場に張り紙(シール)
をすることなんです。簡単でしょう、でも実際は不要なもの
を捨てる段になっていろいろ迷ってしまい、結局は整理が
出来ないなんていう笑えない話も多々あるようです。
DSCN7413.jpg
その後、OBで総監督の今井氏や環境整備委員長を拝命
した横井氏及び安田女史等の献身的なお世話により見
違えるようになったとお聞きしての今回のアポなし訪問と
なりました。
あれれ、見たところ一旦きれいになった後、その後の廃車
が増えたのか整然とした様子ではありません。このグラウ
ンドはジムカーナ等の走行練習にも使用しているようなの
で、ビスとかガラスの破片等落ちていれば事故のもとにな
ると思います。また廃車になった車等はこのグラウンドに
放置すべきでなく、直ちに撤去すべきです。

OBとしてこれだけは言っておきたい。ここは部員の廃車
置き場ではないぞ!。それはみっともないことだというこ
とに気付くべきだし、そんなことを平気でやるような部員は
部活動うんぬんの前に恥を知るべきだと思います。

余計なことながら、グラウンドの環境整備は廃車の撤去
が目的ではなく、せっかく快適な環境を大学が用意して
くれたんだから、それを安全、快適に活用すべきだと思う
んです。部車は恐らく競技車も含めて10台近くあると思い
ますが、散らかっているのか、それらしいものが見当たり
ませんでした。

グラウンドでの環境整備の一例を申し上げますと、部車
をガレージの近くのグラウンドに横一列に整然と並べて
おけば一目で部車の状態が把握出来るし(例えばパンク
していなかどうかとか)いざ出動と言う時にはさっと対応が
出来ると思うんです。何も消防署並みにとは言いませんが
体育会自動車部としての矜持は必要だと思います。

部車のお掃除も大切なことで、我々が1~2回生の時は
洗車と言うのは半ば日課のようなものでした。洗車お掃
除しているとオクルマの不具合な場所がいろいろわかっ
てきます。オクルマを洗い、磨いてやることで愛着という
ものが生まれ、部車を愛おしむ心が芽生えると思います。
乗りっぱなしは言語道断です。

現在は一昔前のようにフィギュア競技というものが無くなっ
ているので日々のトレーニングが以前ほど重視されなくなっ
ているのでしょうが、グラウンドはオクルマを鍛えるだけで
なく、部員のオカラダを鍛えるのにも絶好の場所で、その時
廃車や廃棄タイヤ等が散らかっていたんではランニングも
ままならないと思うんです。

このようにグラウンドとオクルマをピカピカにすることで、
すべてが良い方向に回り出すのです。
DSCN7409.jpg
次はガレージの中を覗かせて頂きました。平尾センセも
懐かしさのあまり落ち着かない様子です。競技用の部車
と思しきオクルマがありました。横っ腹に無限Rとステッカ
ーが貼ってあるのがかすかに見えたので、多分HONDA
インテグラだと思います。学生自動車連盟の登録NOであ
る205の文字も懐かしく眩しく映りました。

正面奥にはトイレもあるようで、新町ガレージ時代、狭い
ところに入れ替わり立ち代わり、常時30~40人の部員が
出入りしていましたが、どうやって用を足していたんだろう
か。尤もすぐ隣は新町校舎だったのでその心配は要らな
かったかも知れません。このトイレだって我々から見れば
夢のようなことにて、平尾センセのお掃除の会でもないで
すが、部員皆で磨けばピカピカになるはずです。トイレは
ある意味神聖な場所なんです。だってトイレの神様がいる
くらいですから。
DSCN7411.jpg
その壁面に飾ってあったのは歴代部員の血と汗の結晶で
ある各種競技における表彰トロフィー、盾でした。う~ん
歴史と伝統の重みというのはこういうことを言うんですね。
老婆心ながら、奥行きが浅いので、もし地震が起こった時
ヤバイと思いました。何らかの予防処置がいるのでは。
透明のアクリル板で、部分的に押さえるとか。
DSCN7410.jpg
我々の新町ガレージ時代はこの半分くらいの面積しかなく
1台整備するのが精一杯でした。それから見れば結構広い
のですから、先ほど申し上げたお掃除と整理整頓により
この倍のスペースは有効に使えるようになると感じました。
今回は、小姑がアラ探しに行ったわけではなく、懐かしさ
が一つと、今井氏、横井氏、安田女史、及び有志のOB達
のご苦労の跡を見てみたかったというだけなのです。

現役諸君はOBのご好意に頼らず自分たちの力でガレージ
ピカピカにしてほしいものです。いずれ社会人となり再訪
した時、何これ?と思わなくても済むように今からやってほ
しいと思います。だって社会人になった時、各々のポテンシ
ャルの差なんて微々たるもので、お掃除や整理整頓が出来
るかどうかと言うことが重要な必要条件なのです。
現役時代、学業成績が多少良かった?、自動車部でドラ
テクが多少うまかった?、そんなもん社会に出れば何の
役にも立たないことを断言して差し上げます。

これは極論ながら、将来同志社大学自動車部から例えば
大手自動車メーカーのトップを輩出した時、記者会見で私
の若かりし頃、過ごした場所がここでした!と胸を張って
言えるような環境(聖地を作ろうではありませんか!!。
マクラーレン・ホンダピット2
かつてマクラーレン・HONDAはアイルトン・セナという天才
ドライバーを擁して世界を席巻した時代がありました。その
頃タバコ屋はよく鈴鹿へ懲りもせず通いました。決勝前夜
徹夜で整備をしているクルーを寒さに震えながら見ていま
したが、そのピットの清潔さと言ったら類がなく、ビス1本、
シミ一つないガレージはまるで病院の手術室の如きでした。
中は当然ピーンとした緊張感が漂い、耳をつんざく様なそ
のエキゾースト音と相まって、決戦を前にした男たちの心
意気というものが直に伝わって来ました。その時タバコ屋
はワンカップ片手でしたのでやや酔いが回っていたかも
知れませんが、「ああF1で世界一を目指すってこういうこと
なんや!」と思いました。
(関連記事:荒ぶる心 vol.6:マクラーレン物語及び
鈴鹿サーキットのこと vol.4:絶頂期参照願います)
DSCN7416.jpg
最後に現役諸君の方から、せっかくですから記念撮影を
と言われ、皆で写真に収まりました。お話すると皆さん
優秀で、人柄の良い方ばかりなので、後はこの若い人達
に、環境整備ということがいかに大切かということを強制
ではなく自発的にやれるような風土を育むことが我々OB
に残された課題かなと思いました。尚、右端の現役君は
タバコ屋同様、喜ばし組の素養があるようで、せっかくの
OB訪問に際し、ちょっとひょうきんな顔をして歓迎してくれ
たんだと思います。
混沌(カオス)から秩序(オーダー)へ!。その成否はこの
若き諸君の双肩にかかっていると思います。
DSCN7419.jpg
その後、後ろ髪を引かれる思いで、懐かしのガレージを後
にし、京田辺キャンパスのローム記念館を、平尾センセの
パジェロのサンバイザー越しに眺めながら、京田辺に別れ
を告げました。

大分日も傾いて来たものの、京田辺から宇治の平尾セン
セの自宅まではそこそこの距離だったので、お邪魔する
ことにし、奥様とも久しぶりの再会を楽しみ話に華が咲き
ました。帰り際に、老婆心ながら平尾センセのパジェロも
年貢の納め時だと思いますがと申し上げたところ、よくぞ
言って下さいました。とは言われませんでしたが、その意
味と受け取れるにこやかな笑顔でお見送り頂きました。
DSCN7421.jpg
帰りは身一つだったので近鉄大久保駅から数回乗換え
最後はニュートラムにて目指す大阪南港に辿り着きまし
たが、宇治から南港までは結構な距離があり結局2時間
を要しました。来た時と同じ、愛媛の東予港行きオレンジ
フェリーです。船内に大浴場もあり、今回の巡礼を振り返
りながら生ジョッキを頂いたのでしたが、楽しかったせいか
いつもより酔いが早かったように思います。

今回の大阪、京都、奈良、巡礼いかがだったでしょうか。
例によって長たらしい記事で閉口された方も多いのでは
ないかと思いますが、脱線はタバコ屋の悪い癖と割り切っ
てお読み頂ければ幸いです。長時間のご精読有難うござ
いました。

(尚、東大寺の歴史等の記述につきましては一部ウィキペ
ディアから流用させて頂きました。また仏教やキリスト教の
解釈等宗教に関することはタバコ屋なりの独断であること
を御了解願います。)

コメント

No title

ちわっす!
先日はお疲れ様でした。
奈良のレストア店はなかなかすごそうなところですね。
自動車部のガレージもこれくらいだとOBもわんさか寄ってくれてにぎやかなんでしょうけど。
ガレージのことですが、今年の1月に聞いた時には汚い状態をきれいに掃除したということでしたが、1年もたたないうちにまた汚くなり始めているとは。
折角きれいにしたのに、汚いのが好きなんでしょうか? 世の中に汚いのが好きな人はほとんどいにと思います。 
テレビでごみ屋敷の問題が報道されていますが、本人は社会性が欠如していてみんなの迷惑を感じられない社会人としては失格どころか自分のことだけで公共の利益のことは考えられない欠陥人間でしょう。
同じような目で見ればガレージが汚いまま放置するのは同じようなレベルかむしろそれ以下にも思えます。
ゴミ屋敷は個人ん所有地・自宅であるけど、ガレージは学校法人から無償にて使わせてもらっていることを考えれば、きれいに維持しながら使わせてもらうという意識を持つべきであると思います。
現状の認識と問題意識の欠如というか、そういう意識を持っていないのが問題であり、ここを出発点に現役に意識を改革していって欲しいですね。
自分に当てはめれば、現役時代にはこのようなことはかんげてもいませんでしたし、そういう教育を先輩からも受けていなかったので、今の現役にいきなりきれいにしろと言っても駄目で、現状認識とどこに問題があるか、問題軽決するにはどうしたらよいか等、教育というかOBも一諸に考える必要があるのではないでしょうか。
安全や効率よい整備のためにもきれいな環境は不可欠。
泥だらけのWRCでさえサービスの時は信じられないくらいきれいな環境を作り出しているくらいですから。
私自身は整理整頓が苦手ですが、他人さまからただで貸してもらっている土地であれば性格とは別の問題で、できないのではなくしなければならないと思います。
ましてやOBが車を廃車場に捨て置くがごときは言語道断。
即座に引き取りをしてもらうべき。 すぐに行動に出てくれないようなOBはOB会から除名でしょう。
綺麗にすれば良いことがいっぱい待っているのではないでしょうか。 良いことに気づくための心の持ち方も必要でしょう。
人の心も成長するものですから、若いうちに感受性が豊富になれば人間レベルも早く上がっていくでしょう。
スタートラインに立って、人間性や環境が行動に与える影響に思考を巡らせてほしいと思いますし、我々OBも協力して力になれるようにしないといけませんね。

いつもながらの長編力作、そしてチャンさんの旺盛な行動力に敬服いたしております。今回の大阪・京都・奈良・巡礼、特に大阪ではビックリポンのチーム編成で、その会場での会話の様子が目に浮かぶようで、ニヤケながら楽しく読ませて頂きました。ところで、奈良編の最後の田辺の自動車部ガレージの件ですが、以前からOB会等で状況をお聞きし、横井委員長からも環境整備の作業の案内を毎回メールでいただくので、関心を持つとともに、熱心な取組みに頭の下がる思いをしておりますが、今回現場の写真を見るに、まるで解体業者のそれのようで予想以上に酷い現状に少々ビックリしております。一度も作業に参加せずに勝手なことを申しますが、環境整備の進捗以上に廃車等の放置等がなされてしまっているのかなとも思ってしまいます。何れにしても、現役諸君がしっかりと問題意識を持って、先ずは新たなゴミ(廃車等)は絶対に出さない取組から始める必要があるのではないでしょうか。チャンさんが言われるように、こんなグラウンド、ガレージ環境では、決して良好な成績など望めません。OBの一人として、現役諸君の改めての意識改革、奮起に期待をするものです。

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★★島のタバコ屋の独り言★★
【4月10日:ああ創業100年】    島のタバコ屋は先々代が呉服屋を創業以来3代目となり、その間戦後間もない頃には島のバス運営事業を試みる等様々な営みを経て今日に至っています。皆さんよくご存知のNIKONも創業100年なんですが、比較にはならないものの同じ時代を生きてきた訳です。かつてオハイオのメアリーズビルで活躍する夢を抱いたこともあった青年も年を取りました。さて今後の100年をどのように生きて地域のお役に立っていくか、タバコ屋にとっては後継者である倅への「死に土産」としてそのコンセプトを確立しておく必要があると考えています。しかし倅にとっては年寄りの余計なおせっかいに写るかも知れませんよね。
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