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東京大紀行 vol.4:ウォーターフロント

平成29年1月20日
タバコ屋が40才の頃ということは今から25年以上も前
の時代ですが、ウォーターフロントと言う言葉(記号)が
盛んに使われたことがありました。湾岸、ベイサイド、等
色々表現方法はあるでしょうが要するに都市の海岸もし
くは港沿いまたは埋立地のことです。間違っても瀬戸内
海の島の波打ち際
のことではございません。
織田信長1
古い話で恐縮ながら、今から400年以上前の戦国時代
から織豊時代(安土桃山時代)にかけてのお話しになり
ます。当時は下克上の何でもありの時代でその混乱(カ
オス)の中から風雲児、織田信長が出現しその後継者
として取るに足らない一農民の倅だった豊臣秀吉の二
人が2代かかって天下統一を成し遂げたことは今さら言
うまでもないサクセスストーリーですよね。
(関連記事:終わりなき旅 vol.4:姫路での再会参照願い
ます)
安土城2

安土城3
その織田信長なんですが、出身が美濃であり美濃と言
うのは廻りが平野で交通の便がよく、古くから農業より
も広域の商業で栄えた地でした。ゆえに戦国武将として
は革新的な思想の持ち主で、当時築城は攻撃されにく
い峻険な山の頂上に造営するのが常識でしたが、天下
統一が近付いた頃、何と琵琶湖湖畔の安土に居城を
構えたのです。その理由は信長が商人的感覚を持って
おり、交易のための水上交通の要所に拠点を置くと言う
発想をしたことと、防衛についても片一方が水面なので
比較的守りやすいという、一石二鳥を狙っており、言って
みればウォーターフロント開発の先駆者でした。また志
半ばにて倒れはしましたが、その間約10年にもわたって
大坂石山の地にあった一向宗の本拠地(石山本願寺)
を執拗に攻略したのも、湾岸の大坂を貿易の一大拠点
として活用する構想があったためです。
2f67a98f2801c31723bde622ff38f094.jpg

大阪城7
一方豊臣秀吉は信長の構想(ビジョン)を忠実に受け継
ぎ天下統一事業と並行してその大坂の地に空前絶後の
巨城「大坂城」を築き天下にその威を示したのでした。
それにより大坂の地は以前にも増して商業をベースに
して大繁栄を遂げ、また従来より貿易港として栄えた
大坂南郊の堺を控えており、大坂は名実ともに豊臣政
権の首都として最重要拠点となりました。また天下統一
直前に徳川家康に江戸入植を勧めたのも海に面した大
平野(湿地帯)を有していたからで、その後江戸幕府と
なり当時世界有数の大都市になったのも、その発想の
ルーツは豊臣秀吉でした。
安土城5
いずれにせよ、信長、秀吉の商人的、事業家的発想が
安土、大坂、引いては江戸に結びついた訳で、この二
人がNIPPONのウォーターフロント開発の元祖と申せ
ましょう。

さて話しはタバコ屋が40才頃の平成2~3年頃に飛びま
す。いわゆるバブル時代の末期に当たり金融や不動産
関係の業種は黄色信号が灯っていたのですが、流通業
は依然として急成長を遂げていました。
ダイエー1
代表的企業としてはダイエー、ジャスコ、ヨーカドー、ニチ
イ等々ですが、既にそれから遡ること20年以上前から全
国の駅前周辺に都心型の多層型(日本的)ショッピング
センターを怒涛の如く出店していました。
ダイエー5-3
忘れもしませんが、タバコ屋が同志社大学自動車部に
入部したての頃、合宿は京都大阪の中間にある香里に
合宿所があり、そこに通っていたのです。食事の買出し
と調理はもっぱら下級生の仕事で、よく買出しに出かけ
ましたがその入部した年、昭和44年(1969年)に香里園
駅の近くにダイエー香里ショッパーズプラザがオープン
したのです。
ダイエー5
これは後で知ったことですが、当時飛ぶ鳥を落とす勢い
だったスーパーのダイエーが、日本初の郊外型ショッピ
ングセンターを香里園にオープンさせたのです。1階が
食品で2階が衣料品、雑貨、3~4階が立体駐車場で、
何もかも安いプライスの品で構成され百貨店とはまた
違ったモダンでデイリー(カジュアル)な雰囲気を持って
いました。以後、ダイエーはこの店舗スタイルと徹底し
たディスカウンント商法により、全国の主要都市駅前を
席捲する事になります。
(関連記事:大阪・京都・奈良・巡礼 vol.2参照願います)
マイカル本牧1
全国の大都市駅前にショッピングセンターをほぼ出店し
終えた革新的流通勢力(総合スーパー)は次の戦略と
して、郊外に1万坪!程度の敷地を有し、ショッピング
だけでなく映画やレジャーが楽しめるアメリカ型の複合
ショッピングセンターを模索するようになりました。中でも
それに最も熱心だったのがニチイで開発には莫大なオ
カネが必要だったにも拘わらず果敢に挑戦しつつありま
した。横浜本牧のマイカルタウンなどがその走りでした
が、当時のオカネで1年間に500億円も投資していたよう
で、その金額は新日鉄とかNISSANなど大手メーカーと
ほぼ同額でしたからそのスケールはハンパではなかっ
たということです。(尚マイカルとはニチイの後日の社名
です)
スーパートミナガ2
一方ニチイはそれより10年程前から全国の主に地方の
小規模な小売業者を対象に商品供給や店舗運営ノウ
ハウを提供する独特なボランタリーチェーン(ゆるい提
携)を推進しつつありました。名称はニッポン・アライド
・チェーン(通称NAC)でしたが、ご縁あってタバコ屋は
そのNACに加盟させて頂き、昭和53年(1978年)瀬戸
内海の小さな島、中島に近代的な総合スーパーを開設
することとなりました。
(関連記事:人生いろどり参照願います)
マイカル宇多津1
そのニチイは後年、郊外型複合ショッピングセンターを
開発するにあたり、1万坪級!の広大な敷地は全国そう
ザラにある訳ではないので、湾岸埋立地に造られた既
存の造船所や工場が閉鎖や移転した跡地、いわゆる
ウォーターフロントを再利用しようとしたのでした。この
目論見は理に叶ったものであったにも拘わらず、何分
投資がハンパではなかったので持ちこたえることが出
来ず、結局破綻してしまったのでしたが、一時代を象徴
する出来事として、皆さんの知るところです。
マイカル茨木1
ちなみに当時マイカルが推進していたイメージコンセプト
はYMCAL(ヤング・マインド・カジュアル・アメニティ・ライ
フ)と言うややマニアックかつ難解なもので当時の社長
だった京都出身の小林敏峯さんの考えたことなんでしょ
うが、過ぎたるは・・・という結果になりましたよね。どの
ようなことであれ難解なものはダメです。シンプルイズ
ベストなんです。じかにお聞きした訳ではありませんが
MYCAL(マイカル)という社名自体も(マインド・オブ・
ヤング・カジュアル・アメニティ・ライフ)の略称だったの
かも知れません。

小林敏峯社長とは偶然同姓にてシャレにもなりません
が、オクルマ・ジャーナリスト業界でかつてはカリスマ的
存在だった故小林彰太郎さんの口癖であった「ヤング・
アット・ハート」という言葉(記号)も同様の意味があった
と思います。直訳すれば「熱き心に」ならぬ「若き心に」
とでも言うんでしょうか。
(関連記事:時事雑感 vol.8:とと姉ちゃんのこと参照願
います)

それにしてもSATYやVIVREなどというストアブランドは
若い方にはチンプンカンプンでしょうが、我々万博世代、
特に関西方面にお住まいの方にとっては懐かしいヨコ
モジ記号ではないでしょうか。

蛇足ながら、マイカルの崩壊はカリスマ社長だった小林
敏峯さんが難しいご病気で急逝したことにより求心力を
急激に失い、残された経営陣では彼の壮大なビジョンを
継承し発展させ得なかったというのが真相だと思います。
それは400年前の豊臣家が滅亡に至る過程にも似たよ
うなドラマがありましたよね。
イオン1

モール7
マイカルの志が途中で破綻してしまったのはストアコン
セプトが時代を先取りし過ぎていたとも言えますが、ある
意味その後今日に至る大規模複合ショッピングセンター
の礎となりました。
尚、どうでも良いことながら、近年ではショッピングセンタ
ーでなくショッピングモールと呼んでいるようです。
(関連記事:混沌と秩序 vol.3:流通編(後編)参照願い
ます)

さてウォーターフロントをご説明するための長い前置き
となってしまいました。今回のお話は現代の大東京湾
岸(ウォーターフロント)での出来事なんです。
東京湾岸2
今話題の豊洲、築地等、大東京のかなりの重要部分は
広大な江戸湾の埋め立てを中心に、徳川時代に始まり
長い年月にわたって造成開発されてきた人工都市であ
ることは皆さんご存知の事ながら、今回はそのウォータ
ーフロントの一角にある大田市場訪問のお話しです。
DSCN8336.jpg
以前の記事にも書かせて頂き、このブログにも何度か
ご登場頂いている、同志社アーモストクラブ(通称DAC)
のOBでそのOB会報(DACニュース)の編集長でもある
吉﨑さんが川崎にお住まいで長きにわたり三菱銀行に
お勤めの後、今は奥様と悠々自適のご生活にて、時折
ふるさと大阪の緑地公園に所有されているマンションに
息抜きに帰られている由、また吉﨑さんにとってはご自
分の庭みたいな京都及びオーテス・ケーリ先生ゆかりの
アーモスト館にも度々行き来されている現況だとお聞き
しています。
(関連記事:京都・宇治・巡礼 vol.1参照願います)

今回の上京に当たり、第3日目の予定として、その吉﨑
さんに久しぶりにお会いしたかったのと、タバコ屋として
はまだ一度も見学したことのなかったウォーターフロント
の大田市場を訪問したいと思い、その旨を吉﨑さんに
ご相談したところ、吉﨑さんも興味を示されたようでトン
トン拍子に話が進み、一緒に見学することとなりました。
DSCN2512.jpg
前回の記事でCLUB-S30の昼食ミーティングの模様をご
報告しましたが、すべての予定が終わった後、銀座三越
の塩昆布?みたいな名前の婦人服ショップ(マーク・ジェ
イコブス)で店長を拝命している娘の陽子のところへ一
晩殴り込みを掛けたのでしたが結局HOTELに泊まる方
がまだマシだったくらいの高いお化粧料(おひねり)を渡
すハメになったのでした。娘に嫌がられつつも阿佐ヶ谷
での一夜を過ごしました。
DSCN9944.jpg
さて吉﨑さんとお約束した当日となりました。東京モノレ
ールの流通センター駅で待ち合わせることにしましたが
吉﨑さんがやや遅れるとのことで、タバコ屋は徒歩にて
大田市場を目指すことにしました。写真はその流通セン
ター駅を大田市場の反対方向に向けて撮ったものです。
DSCN9947.jpg
京浜運河に掛かる大和大橋を大田市場に向けてただひ
たすら歩きます。(後でわかりましたが、直通バスで行っ
たほうが時間も断然早く迷わなくてよっぽどマシでした)
DSCN9949.jpg
さすが大東京の台所を賄う大田市場の周辺です。途中
にはデッカイ倉庫群があちこち建っていてスケールの大
きさを感じました。
DSCN9952.jpg
かれこれ20分以上歩いたところにそれらしき看板があり
近付いてよく見るとそこは大田市場花き部とあり、花を
扱うところで目指す青果市場はもっと先だと守衛さんに
言われました。
DSCN9958.jpg
いよいよ大田市場と書かれた大きな建物が見えて来ま
した。もうすぐそこです。
DSCN9960.jpg
目指す大田市場到着です。建物には東京都中央卸売
市場 大田市場と書かれています。吉﨑さんが到着す
るまでしばらく休憩です。
DSCN9964-1.jpg
吉﨑さんが到着されました。息せき切っているのでお尋
ねしたところ市場に隣接する広大な野鳥公園の方向へ
行ってしまい、大回りとなったのでダッシュして来られた
とのこと。スマートな体型ながらお若いです。
DSCN9965.jpg
一昨年5月にはタバコ屋の住む中島へ遠路ご夫婦でお
越し頂き貴重なひと時を過ごさせて頂いたのでしたが、
その時以来にて懐かしい再会でした。
DSCN5967.jpg
話せば長くなりますが、このブログにも時々ご登場頂く
同志社自動車部の一期後輩で福ちゃんこと石川女史と
吉﨑さんの親友で同期の中山さんもご一緒で計4名で
のご来島でした。福ちゃんと吉﨑さんとのご縁と言うの
は福ちゃんの幼なじみである京都河道屋の植田さんが
吉﨑さんとは同志社香里の同期であり親友であったこ
とからソバボウロ繋がりで交流されているという訳です。

ご案内する所とて何もない島ながら一通り島内巡りをし
た後、タバコ屋のスーパーに戻り、恥ずかしながらオリ
ジナルの中島いよかんマドレーヌ等を品定めして頂い
たりしました。
DSCN5943.jpg
夜は倅のマー君やタバコ屋のカミサンも交えての楽しい
夕食会となり、その後2次会に繰り出したまでは良かっ
たのですが福ちゃんが得意の喉をご披露されている時、
ちょっとしたハプニングがありタバコ屋はそれがトラウマ
になりつつあります。何があったのかですって。それは
タバコ屋が福ちゃんのスカートを踏んづけてしまって彼
女共々転倒しかかったオソマツな出来事です。

翌日には司馬遼太郎さんの小説「坂の上の雲」の主人
公である秋山好古、真之兄弟の実家や松山城、あるい
は高校時代の先輩である伊丹十三記念館や同志社ゆ
かりの東雲(しののめ)女学校等をご案内致しました。
DSCF2299-1.jpg
松山城ではかつての自動車部時代の乙女に還られたの
かどうか、このようなお茶目なことをされる某女史もいら
っしゃいました。
(関連記事:校長先生西瀬戸を行く vol.2:松山編参照
願います)
ことり10

ことり5
お腹がすいたところで、かつて高校時代タバコ屋がよく
通ったことり食堂へご案内して昔懐かしい鍋焼きうどん
を召し上がって頂いたりもしました。ちなみに50年前か
らメニューも味も器さえも全く変わっていないのです!。

タバコ屋はかつてショーバイと言うのは時流適応業で
あると偉いコンサルのセンセから教わりましたが、ことり
食堂なんてその真逆のやり方で、それでも大繁盛してる
んですから世の中わかりませんよね。
DSCN5978.jpg
かくして、もう二度とない一期一会のひと時はあっという
間に過ぎてしまい、それぞれ帰途につかれたのでしたが
ただ残念なことに吉﨑さんのご親友の中山さんはその
後、難しい病気が急激に悪化し若くして天に召されてし
まったのです。まさに一期一会の貴重な旅となりました。
DSCN9967.jpg
話しが随分それてしまいました。大田市場に戻ります。
さすが日本一の青果市場だけあって上段に専用の見学
通路があり、係員さんの簡単な説明の後さっそく見て回
ることにしました。吉﨑さんは同志社ではタバコ屋より一
期後輩に当たりますが、同じ商学部にて、学んだ講義等
も似たようなものにて、見学当日もその当時の話題となり
「経済原論」の平山センセなんかカビの生えたような退屈
な講義をされていて、タバコ屋はあれで大学の講義に失
望したんですよと申し上げたら、吉﨑さんも同意見でした。

だってタバコ屋は一回生の当時、アメリカから導入されつ
つあった最新のスーパーマーケット理論を書籍等で既に
見聞していましたので、大学ではその最先端の知識が
吸収出来るものと淡い期待を抱いていたのです。それは
3回生の専門ゼミ課程でも満たされることはなく、例えは
悪いながらも、ジェット機の最新技術を学びに来たのに
プロペラ機の技術しか教えてもらえなかった訳で、その
反動が自動車部での精力的な活動源になったとも言え
ますがそれはもう言いますまい。
DSCN9970.jpg
とにかく見渡す限りの膨大なみかん、りんご、メロン、バナ
ナ等、この世のフルーツ全部集合です。特にみかん、りん
ごが量的には突出していました。東京の巨大な胃袋を満
たすためにこれだけの量が1日で消えてしまうとお聞きし
て2度ビックリでした。タバコ屋はみかんの産地で生まれ
育ち、また何の因果かみかんを扱う事業も手掛けている
のでこの日本一の市場は死に土産に見ておきたかった
のですが、これで思いが叶いました。ただしセリはもうと
っくに終わっていました。
DSCN9976.jpg
主に果物の部を見学したかったので、野菜の部は素通り
し、あとは仲卸さん達がズラリと入居している区域を見学
しました。
DSCN9978.jpg
その仲卸さんストリートを歩いている途中、全く予期せぬ
ビックリポン事件がありました。タバコ屋が数十年前から
お取引頂いており三越果物売場を運営されているサン・
フルーツさんの仕入れ担当で、中島にも度々お越し頂い
た事のあるMさんにバッタリお会いしたのです。
Mさんも20年以上お勤めされた名門サン・フルーツを
つい最近退社され第二の人生を模索中であることをお
聞きしていたのですが、偶然お会いしたことで双方懐か
しさが込み上げ近日中の再会を約してお別れしました。
(後日談ながらつい先日そのMさんが約束どおり中島に
視察訪問されました。かくなる上はタバコ屋も再度Mさん
のところへ表敬訪問する必要がありますよね)

蛇足ながら、ご一緒した吉﨑さんも三菱銀行東京勤務
時代、お歳暮等のギフトを発注するにあたって、神田明
神下のサン・フルーツ本社へは何度か足を運ばれてい
る由、タバコ屋も絡めて不思議なご縁としか言いようが
ありません。
DSCN9974.jpg
見学コースのうち屋上の通路沿い駐車場部分に福岡ナ
ンバーのハデなオクルマが停まっていました。これは
アメリカのかつてのビッグ3の一つクライスラー社(現在
はフィアットと合併したのでFCA社)の唯一まともに売れ
ている品(失礼)と言ってもよい300シリーズセダンです。
まるでエジプトのファラオの被り物のようなデザインの
ホイールと超扁平ワイドタイヤを装着しており、オーナー
さんのものすごい趣味の片鱗が偲ばれました。内装は
もう見なくてもわかります。
DSCN9983.jpg
かくして急ぎ足でしたが、念願の大田市場見学を終え
市場の裏側にあるバス停へと向かいました。2人とも往
路にこりて大森までバスで移動することにしました。
この後は地元川崎の吉﨑さんの気配りにて新橋へ、そ
の後浜松町界隈を散策することになりました。
IMG_0523.jpg
まずは新橋駅前の新橋マリンビルにある「せとうち旬彩
館」に向かいます。ここは愛媛県と香川県が合同で展開
している今流行のいわゆるご当地特産品のアンテナショ
ップで愛媛から上京したタバコ屋のために吉﨑さんが粋
な計らいをしてくれました。ちなみに吉﨑さんは三菱銀行
にご奉職されていた東京時代にここ新橋支店に2年間お
勤めだったそうで彼にとってこの界隈は庭みたいなもの
なんです。
旬彩館1
店内は愛媛と香川の特産品が所狭しと並べられている
のですが、実はタバコ屋の展開しているみかん事業の
「希望の島」ブランド商品の一部であるジュース類やレモ
ン果汁等を採用展示して頂いており、既に何度も訪問
している馴染みのショップでもあります。
旬彩館2
2階は「かおりひめ」という名前のせとうち郷土料理のお
店で満員の大盛況ではありましたがちょうどお腹もすい
てきたところだったのでここでランチタイムとなりました。
レーズンウィッチ1
食事後、吉﨑さんがおもむろに「有楽町で逢いましょう」
ならぬ「小川軒へ行きましょう」と言われるので、え?今
食事したばかりなのに、ラーメン屋か洋食屋へランチの
はしごかなと思いましたが、田舎者の早とちりにて、そこ
は有名な洋菓子屋さんだったのです。吉﨑さんは名物
のレーズンウィッチを買いたかったようでしたが、いつも
早々に売り切れるそうでこの日も売り切れにて仕方なく
他の品を買い求めました。
六花亭マルセイバターサンド1
ふと思ったのですが、以前から経営者研修セミナーの
同期生だったご縁で面識があった帯広の六花亭さんの
マルセイバターサンドとよく似た品だなと思いました。
小川軒さんはトビキリの老舗なので、似たような品であ
るとすれば、それは六花亭さんのパクリだと思います。
(関連記事:札幌紀行 vol.1:お仕事参照願います)
DSCN9985.jpg
次はタバコ屋の推測ながら、吉﨑さんの気配りでこの後
羽田へ向かうため近い場所がよかろうと浜松町へ移動し
「旧芝離宮恩賜庭園」を見学することになりました。
旧芝離宮恩賜庭園は江戸幕府の老中・大久保忠朝の
上屋敷内に造営した楽寿園を起源とする回遊式庭園で
明治以後は宮内庁管理の離宮を経て大正13年(1924年)
東京市に下賜され、旧芝離宮恩賜庭園として現在に至っ
ているそうです。
DSCN9989.jpg
さっそく入り口案内所を訪れたのですが、ここでビックリ
ポンなことが起こりました。というのは吉﨑さんが同志社
アーモスト館(学生寄宿舎)のOBであることはすでにご紹
介しましたがその一期後輩で大西君という方がこの施設
の庭園管理スタッフとして働いているというのです。ちょう
ど事務所にいらっしゃったのでお会いし、吉﨑さんは先程
小川軒で買い求めたお菓子を手土産に渡されつつ、タバ
コ屋に引き会わせてくれました。
DSCN9991.jpg
恐縮ながらその大西君が自ら園内を案内してくれること
になりました。その道すがら今度は2度目のビックリポン
な事が起こりました。その訳というのは、大西君がかつ
て同志社自動車部に数ヶ月ながら在籍していたと言う
のです。ということはタバコ屋が現役の3回生の時に1回
生として入部された筈であり後輩の肥塚、水谷、高須君
達と同期だった筈です。
DSCN9992.jpg
ごっつい体格の大西君でしたが、タバコ屋は痴呆がかっ
て来たのかどうか、当時のことがどうしても思い出せない
のです。多分今のご体格とはやや違っていたことと僅か
の期間の在籍だったので記憶に残っていないのかも知
れません。
IMG_1644.jpg
余談ながら大西君は昭和46年頃(1971年頃)には同志
社大学自動車部の部員としてまたその後はお聞きする
ところアーモスト館の寄宿生として、双方にご縁があっ
た訳で、奇しくもかつては同時期の創始にて今では80
有余年の歴史を有するアーモスト館と自動車部ではあ
りますが、タバコ屋や大西君が在籍していた当時、アー
モスト館館長としてまた自動車部の部長先生として随分
お世話になった故オーテス・ケーリ先生がその両方に
関わっていらっしゃったというのも数奇なご縁と申せま
しょう。
(関連記事:終わりなき旅 vol.3:宴のあとさき参照願い
ます)

その意味で、やや大げさながらケーリ先生同様双方に
関係していた唯一の生き証人として、大西君の存在意
義は大きいものがあると思います。歴史にIFはないもの
の、大西君が最後まで部活を全うしてくれていたら、また
別の物語となったことでしょう。
DSCN9998.jpg
ざっくばらんな大西君の薀蓄話として、江戸時代末期、
お台場が砲台として江戸湾の防衛拠点だったのに対し、
このウォーターフロントの美しく広大な庭園は、幕府の
要人の政治サロンだったそうで、よく手入れされたお庭
の一角で抹茶でも立てながら重要な政治案件が語られ
たことでしょう。「クロフネ来たけど一体どないすんねん」
とか。

ついでながら、このような名所旧跡を復刻(レストア)し、
維持して行くには古今東西を問わず、莫大な費用と手
間がかかる訳で、現在は樹木医の資格を持つ大西君
を始めとするメンテナンス専門部隊が常駐管理してい
るそうです。
DSCN8389-1.jpg
昨年訪問させて頂いた平尾センセの地元である宇治の
平等院も同様に数十人の維持管理スタッフが常駐して
お手入れをしている旨お聞きしました。まさにゴミ一つ、
チリ一つ落ちていない状態にて、究極の環境整備と申
せましょう

ま、それからすればタバコ屋の赤いお嬢さんのレストア
なんぞはままごと遊びの範疇かも知れません。
DSCN0002.jpg
大西君とお別れした後、タバコ屋は羽田に向かったので
したが、義理堅い吉﨑さんはわざわざ羽田まで見送りに
同行して頂きました。お茶でもと思いましたが出発ゲート
が混んでいて、時間も迫りつつあったので仕方なく断念し
ましたが、吉﨑さんとのあっという間の再会と別れとなり
ました。温かいお人柄に触れ機知に富んだお話しやおも
てなしに対し、タバコ屋はややウルッと来るものがあり、
吉﨑さんに感謝しつつ松山へと飛び立ったのでした。

いつもながら脱線だらけの長たらしい記事にて恐縮です
が、今回の東京大紀行4部作いかがだったでしょうか。
またご意見をコメント欄にご投稿頂ければ幸いです。

コメント

No title

チワッス!
チャンさん流「ウオーターフロント論」 恐れ入りました。
ウオーターフロントというと「水際」としか思い浮かばないので、あまり良いイメージは出てきませんが、あえて言うなら長崎の「出島」が頭に浮かびまして、とても秀吉やら信長はどこをひねっても出てきませんでした。 貿易や守りを考えると一石二鳥の立地というのも納得です。商売人の発想がないと思いつかないかもしれません。
大学時代は、ダイエー・ニチイ・ジャスコは知っていても東京のヨーカドーは知りませんでした。 一番なじみが深かったのはやはり香里園のダイエーですね。 合宿の時のひそかな楽しみはダイエーに買い出しにいき、ミスタードーナッツで同期の部員の注文も含めて買い出ししたことを思い出しました。 
何でもある大規模スーパーマーケットでしたが、まさかダイエーがなくなるなんてことは考えも及びませんでしたし、ジャスコがイオンに名前を変えてダイエーを凌駕するなど微塵も頭をよぎることはなかったのですが、時代の変遷は流れを見誤ると組織が大きければ大きいほど適応できないというのは一つの教訓だと思います。 今のイオンを見るとかじ取りがしっかりしていないとダイエーの二の舞になってしまうのだろうと大規模なショッピングセンターをあちこちで見るたびに思ってしまいます。 
別の面から見みると、これも地方の活力を削ぎ、地方の金を吸い上げていってしまうので、便利とか安いとかだけで判断すると、気が付けば地方から商業がなくなり、地方のの税収も減少、雇用も減り衰退の一途という結末になってしまうので、良し悪しでしょう。 さらには、採算が合わないとさっさと撤退された日には目も当てられません。
最近のスーパーなんかは、地元資本であっても地元産の野菜や魚はほとんど売っていないので、本部一括仕入れなんていうのは地元民からしたら「ねんでやねん」と言いたくなります。
全国から商品を集める市場で、太田市場と言えば花きというイメージでしたが、築地が魚が中心みたいに思うと野菜等は太田市場になるんでしょうか。
いずれにしても、少しでも高く売れるところを無線を使ってトラックドライバーに持ち込みする市場を指示している番組を見たことがありますが、トラックによる流通が普及しすぎた弊害が消費者に来ているなあと感じたことを思い出します。

その市場のすぐ近くに現代とはかけ離れた庭園があるというのも面白いですね。 昔は風光明媚な場所だったんでしょう。
庭園の手入れは大変だと思います。 みかんの樹の選定のルーツみたいなものかもしれませんし、逆かもしれませんね。 どちらが先か知っていたら教えてください。
ここで自動車部の縁が出てくるとは、何かで繋がっているのでしょう。 卒業までクラブを続けなかった人達を含めて、人生の一時期を共有したというのはある意味特別な存在なのかもしれませんね。 
私の同期でも途中で退部した人達の消息は掴みようがなく、このようなヒョンな形で出会えれば最高だと思います。

Re:自己中余話

拝復、ちわっすです。
う~ん、さすが元アパレル流通業にご奉職されていただけあって、長大な上山新理論を頂きました。かつての総合スーパーという名の革新的流通勢力もやったことは柳井ユニクロの先駆けみたいなことで、プライベートブランド(おもに中国製)によるディスカウント攻勢で地方の既存商店を根こそぎつぶしていき、儲からなくなったらさっさと撤退する。あとには荒廃した商店街(シャッター街)が残るだけ。これってユニクロやトランプ同様、自己中の塊やんか!と。

仰るとおりで、当時既存の地元商店街勢力と大変な経済摩擦が生じ、国も放っておけず大規模店舗法を制定して規制しましたがなかなか解決には至らず大きな社会問題となりました。タバコ屋は公害問題と併せて2大社会現象だったと記憶しています。肝心なことは誰がやるにしても地域の消費生活を支えると共に、地域に根ざした活動(地産地消、あるいは地産他消)を多面的、永続的に行い地域のお役に立つことだと思うのですが、上山青年が毛嫌いする資本主義の論理から言うと生ぬるいことかも知れません。
何故ならばそういう活動はパパッと儲からないからです。

今回の上京は濃厚な内容にて良い死に土産となりましたが、「旧芝離宮恩賜庭園」でお会いした大西君の自動車部時代の思い出話の中で全く意外なことに川崎君が大ケガをしたことが出てきてビックリしました。ただしタバコ屋は申し訳ないことにそれらが全く記憶にないのです。お二人とも僅かな期間の在籍だったためOB会とはご縁のない方ではあるものの、人生の不可思議を感じたひと時でした。余談ながら、大西君はアーモスト館には卒業時まで寄宿生だったのでDACのメンバーであり吉﨑さんとは毎年お正月に会って食事をされている仲だそうです。

尚、みかんの木の剪定についてですが、旧芝離宮では樹木医の資格を持つプロの庭師である大西君達が寄ってたかってお手入れしている訳で、まったくレベルもラベルも比較になりません。ただ元ゴフク屋のタバコ屋がしろうとなりに気をつけているのは、木の中の方までまんべんに日が当たるように邪魔になる枝を切り落とすくらいでしょうか。タバコ屋の理想はクリスマスツリーにドーナツを2~3段重ねたような円錐形で、みかんの果実がそのドーナツ周辺にたわわにぶら下がるというイメージなんですが、ハシゴが必要なほど大きくなった木は思い切って切り下げるようにしています。あくまでも下手の横好きというお話しです。

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★★島のタバコ屋の独り言★★
【4月10日:ああ創業100年】    島のタバコ屋は先々代が呉服屋を創業以来3代目となり、その間戦後間もない頃には島のバス運営事業を試みる等様々な営みを経て今日に至っています。皆さんよくご存知のNIKONも創業100年なんですが、比較にはならないものの同じ時代を生きてきた訳です。かつてオハイオのメアリーズビルで活躍する夢を抱いたこともあった青年も年を取りました。さて今後の100年をどのように生きて地域のお役に立っていくか、タバコ屋にとっては後継者である倅への「死に土産」としてそのコンセプトを確立しておく必要があると考えています。しかし倅にとっては年寄りの余計なおせっかいに写るかも知れませんよね。
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