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今出川慕情 vol.4:上山青年のこと

平成29年2月19日
パンタロンな人
古今東西、おしゃれと言えば女性の専売特許で、お猿
さんから分岐した人類創生の原始の時代はさておき、
アダムとイヴがオカラダのある部分を意識的に隠すよう
になって以来、女性は男性に対しより良い自分を見せる
ためにOSHAREをするようになりました。そうでないと
世界の絶対真理としてより優秀な男性はゲット出来ませ
んよね。
ジュリアナ東京2
余談ながら、鳥さんの世界ではそれが逆のようで、オス
がかつてのバブル時代、ジュリアナ東京のお嬢さん方
の如く極彩色の衣装で踊り狂い、メスの気を引くという
珍なる現象が特に熱帯地方のジャングルでは日々延々
と繰り広げられていますよね。
(関連記事:鈴鹿サーキットのこと vol.4:絶頂期参照願
います)
戦後復興3
さて、NIPPONです。太平洋戦争の敗北によりアメリカ及
びその連合国によって完膚なきまでに叩きのめされ滅
亡寸前にまで追い込まれた我が祖国NIPPONですが、
幸いなことに占領国が自由の国Americaであったため、
奴隷国に成り下がることなく、かろうじて国体が保たれ
戦後の復興期を経てやがて奇跡の高度成長期を経験
し、今日のNIPPONがあることは皆さん良くご存知の現
代史です。
(関連記事:今出川慕情 vol.2:野尻青年上洛す参照願
います)

戦後の復興期には今までの衣食住をすべて失った国民
はまずどうやって食べるか、どうやって夜露をしのぐかと
いうことが最大テーマでありオシャレなどというコトバ自
体が存在しませんでした。しかしその混沌もやや落ち着
きを取り戻してくると、世の女性は少しずつオシャレに目
覚めるようになりました。
暮しの手帖1
そのような時に、昨年NHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」のモデ
ルとなった大橋鎭子とそのパートナーだった花森安治さ
んが創刊した「暮しの手帖」は、戦後の荒廃した日本の
日常生活を憂い、衣食住にわたりその生活文化の改善
及び啓蒙を試み、女性の洋服の直線裁ち等、オカネを
掛けずに女性のおしゃれが楽しめる方法を提案したり
また当時普及しつつあった家電製品を中心とした生活
用品のテストを実施して、読者に公平な評価を伝えたり
して多大な貢献を果たしました。
(関連記事:時事雑感 vol.8:とと姉ちゃんのこと参照願
います)
君の名は4
一方娯楽面においては戦後間もない昭和22年(1947年)
君の名は」がラジオドラマ化され、その放送時間帯は
銭湯の女湯が空っぽになるほどの人気で、やがて昭和
28年(1953年)には映画化され後宮春樹役の佐田啓二
と氏家真知子役の岸恵子がじれったい恋の道行きを演
じました。
君の名は8
ヒット映画にはつきものの副産物として、主演の岸恵子
さんが着用していたショールの巻き方が「真知子巻き」
として当時大流行したことなんか、タバコ屋を含め、皆さ
んもご存知ない遠い昔の出来事だと思います。
(関連記事:島のスイーツ開発 vol.6:舶来レトロ参照
願います)

さてそのようなことで、女性は徐々におしゃれに目覚め
て行くのですが男性はおしゃれとは無縁で、依然として
国民服に毛の生えたイメージのままでした。
VAN-1.jpg
タバコ屋の偏見ながら男性特に若者のおしゃれと言える
ものが芽生えるには昭和40年(1965年)頃まで待たねば
なりませんでした。その火付け役であり推進役だったの
は服飾デザイナーだった石津謙介氏が大阪で創業した
VANヂャケット」でした。
IVY-1.jpg
コンセプトはアメリカ東部のアイビーリーグと呼ばれる
名門大学校の男子生徒が着用し、社会人になってから
も愛用していた一連のトラディショナル(保守的)な上流
階級のステイタスファッションでした。時代を見抜く感性
を持っていた石津氏は、推測ながら渡米時にアイビー
リーグファッションを一目見るなり「これ、パクッた!」と
言ったかどうかは知りませんが、当時ファッションなど無
きに等しかったNIPPONで売ったらメチャ売れるんと違う
やろかと思った筈なんです。
フェアレディZ5
カテゴリーは異なるものの、当時北米NISSANの社長だ
った片山豊氏が初代フェアレディZ開発時に神戸の異端
児でありアバンギャルドであった松尾良彦氏が中心とな
ってデザインしつつあったZのプロトタイプを一目見るな
り「これ買った!」と叫んだのは有名な逸話ながら、石津
謙介氏も同様のヒラメキがあったんではないでしょうか。
ファミリア4
現在NHKの朝ドラで放映中の「べっぴんさん」に於いて
メインテーマであるベビーファッションの「ファミリア」創業
に関わる物語と並行して「VANヂャケット」の創業当時と
思われるストーリーが度々出て来ますよね。その両社
にからむ源流にあるのは意外にも近江商人の出自であ
る佐々木商会(後のレナウン)であったとは驚きです。
みゆき族1
「VANヂャケット」の出現により、また東京銀座のみゆき
通りにVANの店舗を出店したことにより、その追っかけ
ファンがVANの紙袋をもってみゆき通りを徘徊した事が
一つの社会現象となり「みゆき族」なるものが生まれた
りもしました。
平凡パンチ1
それに便乗したと言うか、同様のコンセプトで当時の若
者に圧倒的支持を受けたのが週刊誌の「平凡パンチ」
でアイビーファッションを大々的に取り上げることで当時
ファッションに飢えていた若者はグラビアの悩ましいセミ
ヌード写真等にも煽られて先を争って買い求めたもので
した。
(関連記事:混沌と秩序 vol.3:流通編(後編)参照願い
ます)
生沢徹1
余談ながら、当時ファッションと並行して若者に関心の
あったことと言えばオクルマで特にモーターレーシング
は若者の憧れであり、生沢徹、福沢幸雄(福沢諭吉の
ひ孫)、浮谷東次郎、本田博俊(宗一郎氏のご長男)、
杉江博愛(ひろよし、後年のペンネーム徳大寺有恒)、
等々錚々たる顔ぶれが活躍していました。
VANヂャケットはモーターレーシングにも密接に関わり、
生沢徹(いくざわ てつ)などはそのスポンサーになって
もらっていました。蛇足ながら写真のオクルマは滝レー
シング所属のPORSCHE-910で、当時国内レースで
ワークス相手に生沢徹を擁して大暴れしたマシンです。
201702202.jpg
(後日追加写真)
野尻君よりご提供があり、当時自動車部のバイトで鈴鹿
サーキットへ行った時に幸運にも生沢徹選手からクラブ
ジャンパーの背中にサインを頂き、今でも大切に保存して
いるそうです。タバコ屋が現役時代はベージュのよれよれ
のジャンパーでそれに比べると随分立派なジャンパーに
なっており羨ましい限りです。右胸のホイヤーのロゴワッ
ペンは多分野尻君が個人的に貼り付けたものだと思わ
れます。お宝鑑定団に出品した場合はさていくらのオネ
ダンが付きますことやら。
レーシングメイト2
また、杉江 博愛氏はレーサー引退後、時代のトレンドに
乗っかったカー用品ファッションブランドの「レーシング
メイト」を創業しましたが、経営には素人であったため程
なく破綻してしまい、やがて得意分野のジドウシャ評論
家として再出発し、「間違いだらけのクルマ選び」がベス
トセラーとなり一世を風靡したことで、想像ながらかつて
の「レーシングメイト」時代のトラウマは相殺されたものと
思われます。

そのような時代の真っ最中にタバコ屋は大学生活を送っ
た訳ですが、所詮はボンビー学生ゆえ、体育会の制服と
も言えるガ・ク・ラ・ンをもっぱら愛用し、最先端のファッシ
ョンなどとは無縁の生活を送りました。
JUNロゴ1
一方、世の中は一筋縄では行かないのが常で、アメリカ
上流階級のトラディショナルファッションであるアイビー
がお好きでない方もいらっしゃる訳で、その対抗勢力と
して「JUN」が台頭しました。コンセプトはアンチVANで
ヨーロピアンスタイルのコンチネンタルファッションを基
本とし、アイビーとは全く異なったディテールを売り物に
していました。例えればパンツはアイビーがストレートで
あるのに対しコンチネンタルは裾広がりのパンタロンな
んです。またシャツの襟はアイビーがボタンダウンの立
ち襟なのに対し、コンチネンタルはボタンなどない広襟
といった具合でした。

タバコ屋はこのパンタロンというコトバを導くために随分
長い前置きを書いてしまいました。そのパンタロンです
が、具体的なイメージとしては「太陽にほえろ」のGパン
刑事と言ったところでしょうか。

実は今回のテーマである「パンタロンな人」それはタバコ
屋がかつて過ごした同志社大学自動車部の後輩の中に
も実在しました。「君の名は」と尋ねし時、その人の名は
何を隠そう上山和彦青年その人でありました。
上山君6
同郷で1期後輩の野尻君が撮影して残してくれた若き日
の上山青年です。雪深い福井の今庄から上洛した彼で
すが、まだ恥じらいを残した初々しいオカオです。事実
タバコ屋が4回生の時に1回生だった訳で大きな声で騒
いだりすることのない物静かな好青年であった印象が
強く残っています。この写真は彼が2~3回生の時だった
のかどうか、まだ本格的パンタロンな人と言うよりはその
予備軍といった感じでしょうか。写真提供者の野尻君の
回想によるとこれは鈴鹿で行われたサーキットラリー時
のもので、野尻君は男女5~6名の選抜ドライバーの一
人だったそうです

余談ながら、ご本人の話によると1回生の時、タバコ屋
と同期で九州のラーメン王こと末永氏にガレージのコン
クリート上に正座させられるという手荒い指導を賜わっ
たそうですが当の末永氏はまったく記憶にないそうです。
上山君5
う~ん、中々精悍な面構えになってきました。私服姿な
ので遠征時ではないかと思われますが、右には同期の
細川君、下村君が写っています。下村君はフィギュア競
技で大型貨物車専攻であったためタバコ屋の直接後輩
にあたり、卒部後、彼がおもちゃのキディランドにご奉職
された後、梅田の店へ激励訪問したことがあるのを覚え
ています。
(後日訂正:野尻君よりご指摘がありこの写真は遠征時
ではなく滋賀県で行われたジムカーナ大会時のものだ
そうです)
上山君4
北海道遠征時、青函連絡フェリーの船中ではないかと
思われますが、ヘアスタイルと言い、パンタロンのジーン
ズと言い、だんだんファッションが決まりつつあります。
ちなみに彼は米どころ福井でうまい米を食って育ったせ
いかスクスク成長され180cmはあろうかという長身にて
やはりアイビーよりはパンタロンが似合うと思います。
蛇足の手前味噌ながら、彼の着用しているネイビーの
クラブトレーナーのD.U.A.Cのロゴマークは、タバコ屋が
現役の時にデザインしたものです。こほん。
(追加説明:野尻君よりの指摘で、正確には北海道遠征
の帰路、函館から舞鶴に帰る途中のものだそうです)
上山君1
その後、精悍さはさらに増し「パンタロンな人」の究極の
お姿です。ヘアスタイル、ジャケット、シャツ、パンタロン
とすべてがビシッと決まっていてもう文句の付けようが
ありません。また後ろにドドーンと写っているのが彼の
愛車でSUBARU-1300G・SPORTSです。写真がモノ
クロなので色がわかりませんが実車は黄色だったそう
です。
当時からメカマニアだった彼のお好みらしく誰も買おうと
しなかったSUBARU-BOXERを購入されたことは彼の
偏った趣味を反映していて面白いと思います。多分ヘッ
ドライトはCIBIEに交換されておりタイヤはラリー用の悪
路走行タイプに交換されています。よくもまあこのタイヤ
で日常の走行をしたもので、乗り心地は最悪だったと推
察されます。その後ろには言わばヒッチコック監督のノリ
で下村君と思しき顔がちょこんと写っていますよね。
また右のオクルマは同期の山田君のブルP510-SSS
2ドアクーペで、上山君同様ラリーマスターと思しきごっ
ついタイヤを履いています。
ホンダシビック3
ついでながら、上山青年のその後の愛車遍歴ですが、
卒部後はまずグリーンのHONDA-CIVIC・1200RSを
購入。5速マニュアル、ケイヒンのCVツインキャブ仕様
でHONDAらしくよく回ったそうでそのエンジンは排ガス
対策を施した1.5LのCVCCエンジンとは別物だったの
ではないでしょうか。
うさぎ(マー君)
余談ながら、タバコ屋は彼の卒業後はてっきり婦人服
のアパレルメーカーにご奉職されたものと思っていまし
た。何故かと申しますとタバコ屋の同期はレナウンとか
山陽商会等に就職した者が何人かいたので、そのよう
に思い込んでいたのです。ところが事実は異なり、彼は
当時急成長中だった玉屋とか婦人服の小売りチェーン
の一つである「うさぎ屋」という婦人服チェーン店に就職
されたそうですが、推測ながら誇り高き彼のこと故、数
年でいやになり一念発起退職し、何と公認会計士を目
指し見事合格、今日に至っていると思われます。
HONDA-CIVIC・1200RSはその当時に乗っていたオ
クルマだった訳です。蛇足ながらステアリングは同志社
大学自動車部御用達であった京都・八幡のスクラップ
屋に足を運んで中古のウッドに替えていたそうです。

尚、写真のうさぎさんは上山青年とは直接関係はござい
ませんが、間接的には同釜で3期先輩の平尾センセが
お飼いになっている「マー君」で、まんざら関係がないと
も言えません。平尾センセがマー君を飼い始めた理由と
言うのはタバコ屋も同様ながら、子育ても終わりご夫婦
二人で寂しくなったのでつい近所のペットショップ(デカイ)
で買ってしまったそうです。ちなみにタバコ屋の倅もマー
君なので、やや複雑な心境です。失礼ながらそう言えば
野尻君もマー君でしたよね。
(関連記事:校長先生の青春 vol.2:されどもラリー参照
願います)
グランドワゴン1
その後は再びビョーキがぶり返しSUBARUへと回帰して
行ったようです。車名をご紹介しますと、
まずレオーネツーリングワ ゴン1700cc・ターボ・4WDに
始まりレガシイツーリングワゴン・2000GT(新車)へとご
出世、しかしSUBARU病は収まる気配を見せず、懲りも
せずにレガシイグランドワゴン・ランカスターリミテッド・
2500ccへと発展、これは現在のアウトバックの祖先だ
そうで上山青年が一番のお気に入りのオクルマだった
そうです。
しかしさすがのビョーキもやや変化が見え始め、次には
VWパサートワゴンV6・2800 cc、続いてAUDI-A4アバ
ント・クアトロ・V6・2400ccと遍歴を重ねました。
XC70-1.jpg
人生の表裏を十分経験された後現在はVOLVO・XC70
・5気筒・2500ccをご愛用で、メカマニアの彼らしくブレー
キはブレンボに換装・スタビライザー強化・ブッシュ強化・
マフラーはRモデルのものに換装、交換部品はすべて
アメリカから輸入し、車屋に持ち込んで取り付けてもらっ
ているそうですから、車屋泣かせのOSSANですよね。
その点タバコ屋は丸投げ主義でビス1本自分で触った
ことがないのが秘かな自慢です?。だってクライアント
が自社で決算書まで作られてしまったら公認会計士の
上山センセはオシゴトがなくなってしまうじゃないですか。
旧XC70-3
(後日訂正:上山青年より指摘があり、彼のオクルマは
写真のXC70ではなく一つ前の世代のモデルだそうです。
彼にとっては重大問題なのかも知れませんが、タバコ屋
にとってはどちらでも良いのです。そもそも「ボルボな人」
のイメージとしては知的レベルが高くて、しかも目立ちた
がりではない地味な方で、オクルマに動力性能よりも堅
牢性を望むような人が購入されるイメージがあります。
さて、上山青年にはどの程度そのイメージが当てはまる
ことでしょうか。さらに詳細を知りたい方はみんカラの彼
のスペシャルコーナーである「duac51」をご覧下さい。

ちなみにツタンカーメン発掘のカーター博士でもないで
しょうが、その名前の意味を推察すると、DOSHISHA
UNIV AUTOMOBILE CLUB 昭和51年卒上山です、
と読み取れるんですけど、どうなんでしょう)
マカン13
上山センセお気に入りのVOLVOも最近は飽きてきたら
しく、近いうちに買い替えを予定されているようです。
タバコ屋は先般老婆心ながら、上山青年の次期主力戦
闘機としてSUVのPORSHEマカンをお勧めしましたが・・。
彼のお話によるとマカンは購入時にマカンないので気に
入らないとか?。
(関連記事:終わりなき旅 vol.7:同窓会余話2参照願い
ます)
DSCN7237.jpg
突然の写真で恐縮ながら、これは一昨年の12月、大阪
モーターショーを4人で見学に行った時のものです。その
4人とは、タバコ屋及び同釜同期の平尾センセ、元兵庫
県警のギーちゃんこと森本氏、そして上山青年です。
今では同志社大学自動車部OB会の「ユル・ブリンナー
と言われている彼ですが、今回ご紹介した若かりし頃の
上山青年と現在の彼・・・、このギャップはどうご説明して
良いのやらタバコ屋は言葉を知りません。

その反面、お顔立ちは、蓮如上人を彷彿とさせるような
品格と威厳が出てきたようにように思われるのはタバコ
屋の一人合点なんでしょうか。
DSCN7249.jpg
これは推測ながら、彼がVOLVOのブースでマニアック
な質問をして担当者を困らせているところだと思うので
すが、担当者もわきまえたものでろくに上山青年の質問
には応えてないように思われます。ちょっと~、話し聞い
てんの?。
(関連記事:大阪・京都・奈良・巡礼 vol.1参照願います)

いくら同釜と申しましても、親しき仲にも礼儀ありで、彼
のプライベートについてはあまり立ち入るべきではない
ものの、聞くところによるとチョンガーらしく、今後老後
の茶飲み友達がご所望ではなかろうかと思うんです。
その意味でも、婚活用のオクルマが必要で、前回の記
事で野尻君にも忠告申し上げましたが、ラリーマスター
を履いたオクルマなどは論外でキャデラックかポルシェ
あたりがお勧めですけどダメでしょうか。

今回は野尻君が送ってくれた貴重な写真をもとに同釜
の上山君の青春をお送りしました。いかがだったでしょ
うか。次回は懐かしい香里体育ハウスのことを書いてみ
たいと思います。お楽しみに。

追記:だらだらと書き連ねるうちに、はや4部まで来てしま
いました。実は数日後には松山市主催の「松山の物産と
観光展」が札幌東急で開催され、一週間ほど出張します
ので、記事が書けません。続編は帰ってからということに
なりますので、ご了解願います。

コメント

No title

ちわーっす??
なkなか好青年が登場してますねー。 パンタロンと私が結びついているとは。 と言いながら高校の同級生にも言われたことがあるんですわ。  
四柱推命で言うと、私は印綬傷官が出ていて、印綬の方がきつく傷官は弱いので、表には傷官は出てきてないです。 傷官は芸術やスポーツ等に才能が出ます。印綬は理論的な頭脳的なところが出ます。つまり、芸術や美術的な才能は多少あるが大したことなく、表面的には表れていないということになり、パンタロンがしょうもない才能の表に出てきた部分でしょうか。  創作の才能は無く鑑賞の才能は多少ありますので、車のデザインもなんとなく良いちかイマイチとかの判断はインスピレーションです。 基本は全てバランスに行きつきます。色・形・雰囲気などのバランスです。 これは好みは人それぞれなので、バランスも人によって受け取り方が違うようですが、黄金比と言われるようにバランスがすべてだと思っています。
クラブ在籍時は貧乏学生ですので、何とも評価のしようがないですね。 あまり格好良いとは思えませんけど。 成績は超がつく最低で、卒業時にはオイルショックで就職先はなし。地元のスーパーの「平和堂」(ここは同志社のネームバリューは水戸黄門並みで、入社試験受けてすぐに内定をもらいましたが、地元には帰りたくないので仕方なく受けた婦人服の小売りチェーン店「うさぎ屋」)で ファッション業界に不況は無いと豪語していました。 結局ここしか選択肢がなく就職。 今のブラック企業よりもひどいのではないかと思う残業の連続でした。 会社の運営の仕方にも「それは違うだろう」と思うようなところもあったので、かなり会社批判はしていました。営業部長と喧嘩したこともあります。 見る目を生かして本来は商品仕入れをしたかったのですが、何を考えているかわからないということで冷や飯を食わされ、商品仕入れ担当にはなれそうにもなかったのといつまでも店に立っているのもどうかと思い、結局は会社に愛着は無いのでやめました。 ディスプレーの効果や、ショーケースの商品の配列で売り上げが変わることもありました。 
ということで、「パンタロンな人」のキャッチは意外にも的を得ているのかもしれません。
スバル1300Gは就職して2年くらい乗っていましたが。転勤などもあったので手放したのだと思います。 
軽くてよく回るエンジンで快適でした。 最後はいちびってロールバーいれてましたよ。 ただ、ブレーキは思うようには効きませんでした。 面白い経験は、冬の途中越えでチェーンを巻くときに、サファリのZが使っていた方法で、空気を抜いた状態丁度の長さでチェーンを巻きそのあとに空気を入れてパンパンになるようにして使う方法を試したことがあり、すごく良い感じだったのを覚えています。 チェーンも必要ない時代には思いつきもしない方法ですね。
次のシビックですが、これは八幡で部品撮りして少しいじっていたのが印象的です。 
その後は実家が豪雪地帯ということで、すべて4輪駆動で統一です。 レオーネワゴンのドルフィントップは剛性が不足していて、時々ピキンという音が出ていて、力を逃がすt時に出るようで、どうしようもないんですと言われて諦めるしかなかったのに続き、次のレガシーツーリングワゴンは街乗り5km/Lの燃費に泣かされましたが、雪道では快適でした。
その跡がレガシーグランドワゴンで、大きさ・性能・デザインと私の中のベストカーです。 ただし、これもブレーキの効きはイマイチで、雨の国道の端の手前で停車していたトラックに気づくのが遅れ、めいっぱいブレーキ踏んも効かなかったので、ぶつかるか横のガードレールにぶつけるかで悩んでガードレールにぶつけました。 私の乗った車は、ボルボにブレンボをつけるまでは、いずれもンーマルでは効かないという車ばかりでした。 ちゃんと踏力が伝わるように踏んでいなかったのが原因かもと最近では考えたりもしています。 
それ以後の、VWパサートワゴンV6syncro(3BAPRF) 1999年式 、AUDI A4 avant quatro (8DAPSF)200年式、VOLVO XC70(SB5254AWL) 2004年式 についてはメンテナンス中心に乗っています。 部品を輸入しやすくメンテナンスしてコンディション良く長く乗るというコンセプトです。VOLVOは13万キロ落ちの中古ですが、購入価格の3倍はかけてメンテナンスしているので、現在23万キロですがとてもそんなに走っているようには見えないほど綺麗です。
 日本のショップなどは工賃に対する考え方が定着していなくて、部品で利益を稼いで、それで工賃を抑える的な考えですが、 部品は安く売って利益は出さずに、その分工賃を適正な金額をもらうというようにすべきだと思うんですが。 部品持ち込みすると工賃は高くなりますよいわれるのは本末転倒で無いんでしょうか? ちなみに 輸入車の部品代ですが、1$が100円と仮定すると、日本における純正品の部品価格は2倍から5倍くらいまでの幅があります。 
古い車には高い税金かける国ですから、修理の実態とか見ても同じように車文化は育ちにくい環境ですが、それに疑問を持たない国民が多いのも問題です。
チャンさん、VOLVOの写真は、2008年にモデルチェンジした現行のXC70ですよー。 私のは一つ前のモデルです。
XC70はメンテナンスしながら30万キロまでと思っていましたが、持病の突発性目眩が頻繁に出ると車に乗りにくくなるので、年齢も考えて乗りたい車には乗っておかないと乗れなくなるということで次期車両を選択中です。 残念ながらチャンさんご推薦の車は買えません。 

No title

ちわ~っす!
書き忘れました。 現在はパンタロンではありませんんので、念のため。
就職して東京転勤で新宿ルミネ店にいたときに、隣がテイジンメンズショプとタカキューでしたので、時々タカキューで最後はテイメンのトラッドでした。 タッセルスリッポンなんかも履いてましたよー。 衣服には結構金使いましたが、当時はスーツなら5~8万円、コートも7万円位でしたが、今はこんな値段の衣服は高級品以外は無いですね。 こんなところにも日本人の豊かさがなくなっていることが表れています。当時より所得は多いはずなのに5万円のスーツなんて買わないのですから、日本はやはり貧しくなったと言うこともできるのではないでしょうか。 食なんかは最たるもので、自然の食品なんかはほとんどないに等しい現状です。
脱線しましたが、歳とった現在は、ネクタイもスーツも着ないで、もっぱら登山やアウトドア用品の機能性重視のウェアで仕事もしています。 パンタロンはどこへやら。

No title

恥ずかしながらの、再度書き忘れのちわっ!です。
私の愛車遍歴は、carviewのみんカラに「duac51」のネームで愛車遍歴から修理やら部品強化・オイル交換に至るまで全て載せています。 VOLVO XC70の正しいモデル写真も確認できますので、のぞいてみてください。
 
 北海道の人のお金をゴッソリ愛媛に持ち帰るんじゃないんですか?

No title

ちわっ!
もひとつ書き足します。 歴代の車にずっと悩ませられてきたブレーキですが、ここにきてAT車(ツーペダル)ということで 左足ブレーキを練習中です。 まだ慣れていませんが、低温や雨などによる初期制動の遅れを解消できることや、コーナへの進入時のブレーキングやスピード調整の自由度が高まるので結構面白いです。
Zにはヒールアンドトーですが、AT車には左足ブレーキを習得できれば違った世界が経験できます。
アクセルとブレーキの踏み間違いも防止できると思います。
パンタロンと違って、車に関しては歳とっても飽くなき探求心を持っていたいですね。

Re:スリッポンな人

拝復、ちわっすです。
今回、上山青年よりコメントの波状攻撃どころか絨毯爆撃の猛攻を受けつつあります。上山センセご自身の青春記でもあるため、懐かしくも言いたいことは山ほどあると思います。しかしタバコ屋が最も驚いたのはずっと「パンタロン一筋な人」と思っていた彼がトラッドの定番であるタッセル・スリッポンなど履いて銀座を徘徊していた時代があったということです。あのユル・ブリンナー氏にもそんな時代があったとは・・・もう絶句です。

彼も生まれついてのメカマニアゆえ、自分で自分をどうしようも出来ないサガをお持ちのようです。それが偏見だらけのオクルマ選びにも色濃く反映されています。それは平尾センセもある種同様のDNAをお持ちだと思うのですが、丸投げ王タバコ屋にとっても地獄のレストアを経験している以上、あまり人様のことをとやかく言えた義理ではございません。

まだいろいろご返事を書きたいのですが、明日から北の大地にて札幌の富める方のOKANEをお預かりし、中島のみかん農家の方にバラ撒かねばなりません。さてどうなりますことやら。ただ上山センセご指摘のように「北海道の人のお金をゴッソリ愛媛に持ち帰るんとちがいますか」とか言われると、4才の時から前垂れ掛けて育った商いビト、タバコ屋も何やら後ろめたいような気がして来るのが不思議です。

No title

ちわっす!
「ゴッソリ」は、また荒稼ぎしてるのとちゃいます? という意味ですのであまり深い意味はありませんので、念のため。
さては、笑いが止まらないほど儲けけてるんですかー?

初めて…

こんにちわ。初めてコメントします。
昨年、4年に1度の高校の学年同窓会をお盆に開催することになり、当時の写真を広く集めることになりました。その役に白羽の矢が当ってしまったのが私で、卒業アルバム編集委員長だったのです。卒業アルバムの最終ページに、クラスから選抜された委員の皆さんと中央に私が写った証拠写真が残っていますから、断ることが出来ませんでした。そこで、同窓会の案内と共に写真の協力を記載したのですが、あまり情報が集まらず、それなら私の所蔵するネガフィルムを探してみるかと思い、ネガ保管箱を開けてみると結構な量が残っていました。父は、写真が趣味で、自宅に現像や焼付けをする暗室があったくらいですから、私も父からカメラを借りて写していたのです。ネガ保管箱というのは、ネガフィルムは湿気ですぐにカビが生じて変色してしまうため、父に習って防湿箱に保管してあったのです。
印刷業を営む同級生からネガスキャンする機器を借りて、やり出すとこれがまぁ楽しいこと極まりない。ネガから当時の綺麗なデジタル画像が甦って出て来るのですから、こんな楽しいことはないので、早速同窓会の幹事連中に見せたところ大喜び!開催当日には600枚ほどの上映会をしてCDで配りました。当然のことながら、同窓会は大盛況で歓声に包まれました。時間をかけて作業をした苦労が吹っ飛びました。
お借りしたネガスキャン機器は、しばらく使っていて良いと言われたので、私と父との膨大なネガフィルムを全てスキャンする作業に入りました。父のネガからは私の幼少からの画像が大量に出て来ました。1954年(昭和29年)生まれの私が生まれた直後、産湯を使っている画像もあり驚きました。幼稚園頃からはカラー画像もあり、父が私のことを大切に記録してくれたのだと、感謝の念が湧き上がりました。
今回の同志社大学在学中の大量のネガもまた、デジタルデータとして甦ることになったのです。しばらくニヤニヤと眺めていたのですが、これは、皆にも見せてあげたいという気持ちになり、先ずは大阪で事務所を開いている同郷の上山先輩なら、ホームページくらいあるだろうと思って検索するもヒットせず。追っかけているうちに辿り着いたのが、この「島のタバコ屋手帳」だったのです。富永先輩のご卒業と私の入学のすれ違いで面識がなく、躊躇したのですが思い切ってメールをさせて頂きました。
DUACのOB会からは、ご案内の連絡を頂いていたのですが、1度も出席をしたことがなく、連絡を取り合っていた方がなかったのです。60歳を超えて、今回のネガスキャンの経緯もあり、昔が妙に懐かしく思えて来ました。高校の仲間達も都会に出て行った奴が、定年になって地元に帰って来て、また新しく懐かしい交友関係が出来ました。
今回の画像を提供することにより、DUACのOBの方々が昔に戻り、懐かしく語り合える場が出来れば望外の幸せです。また、このことにより、OBの方々が全国を行き来するようになればと思いを馳せています。1973年入学からの4年間分しかありませんが、このブログで公開され皆様の青春が甦ることを切に願っています。

No title

痴話っす! じゃなかった、ちわっす! 
野尻君には感謝ですねー。 残念なのは、チャンさんと野尻君とがダブっていないことですが、チャンさんの若かりし頃の写真がわんさかあれば、私を茶化すこともはばかられたのではないかと思うと・・・
写真や音楽で一瞬にして遠い昔にタイムスリップできるので貴重ですが、記録に残っている人生は修正できないのが良いのでしょう。 さらに、どんな当時の記憶を蘇がえらせてくれる写真が出てくるのか、楽しみです。 
これを機会に、ひそかにチャンさんと内通している常連の読者もどんどんコメントしてください。 

ところで、みんカラの「duac51」はチャンさんの杉下右京バリの推測どおりでございます。 車に関するハンドルネームなんで迷った挙句に使わせていただきました。 
私の中では、リアのスタビライザー強化が一番効果が感じられました(安いですし)、オイルも奥が深いですよ。

Re:青春同窓会

野尻君、初コメント有難うございます。貴君の貴重な写真データ提供のお陰で新たな展開やご縁が生まれるかも知れず、タバコ屋としても涙が出るくらい嬉しいです。何故かと申しますと、記事は見て頂いていながらコメント欄には投稿せず、直接メールで辛辣かつ奇想天外なコメントを頂く事例が多いのです。タバコ屋手帳へのコメントは極めて嬉しい便りです。ただコメント波状攻撃を実施中の某OBもいらっしゃるようですが・・・。

野尻青年のご指摘の如く、タバコ屋手帳を落書き帳がわりにして頂いて、もっとコメントを頂きたいのがホンネです。特に同志社大学自動車部OB諸氏にはそれを強く望みたいところです。ま、それもこれも次回公開予定の「オペラ座の怪人」香里版によって一気に爆発するかも知れませんよね。一通りの人生経験を終えて、今無性に思われるのはかつての青春時代の追憶とともにその時の先輩後輩を交えた仲間達との再交流、即ち「青春同窓会」ではないのでしょうか。

余談ながら1週間ほど札幌出張致しまして、昨日遅く帰島致しました。札幌というのは想像を絶する北の大地にて、お買い物もスケールが違います。おっちゃん、そのいよかん10キロ箱で3個ほど届けといて!とか、大阪、東京では考えられないようなダイナミックな買い方をされます。ただし札幌は標準語なのでおっちゃんとは言いませんけど。しかし上山はけしからんと思いませんか。タバコ屋が札幌のOKANE掻き集めて島へ持って帰るんと違いますか、などと仰るのです。

Re:雪にビックリポン

拝復、ちわっすです。
しかし意外にも上山青年がコトバ遊びを心得ていらっしゃるとは存じませんでした。「痴話っす」というオコトバに早々と今年の流行語大賞を差し上げたいと思います。

さて、札幌では南国瀬戸内海の田舎者が行ったせいかどうか猛吹雪となり、タバコ屋の島では雪など年に一度か二度おまじない程度に見るか見ないかの現象にて、度胆を抜かれました。またとても寒かったです。上山青年のふるさとはこれまた豪雪の福井ゆえ、雪などへっちゃらでしょうが南国育ちのタバコ屋は大の苦手です。尚、催事の方は上山青年の予言通り札幌のOKANEを有難く拝受し数百万を島の生産者さんにお配りすることが出来そうです。

余談ながら、タバコ屋が宿泊したのは中島公園横の札幌パークホテルでしたが、催事の初日出掛けようとした時、ホテルのエントランスにおごぞかに駐車されていたのは、何と雪とツララに覆われたPORSCHEカイエンでした。そのような訳でビックリポンのスタートではありましたがお陰様にて松山から約30社が出店しましたが、ヘトヘト状態ながらもダントツトップの売上にてTOYOTAマジェスタ1台分程度の金額をお預かりして帰ることとなりました。

Re:コメント返信訂正

札幌でお預かりしたOKANEはTOYOTAマジェスタ1台分と申し上げましたが、あとでTOYOTAのHPを見てビックリしました。結構お高いお値段になっていますね。実際はその8掛け程度でしょうか。今さらながらというか昔も今もオクルマというのは家と同様人生で最も高い買い物の一つであり、移動ツールというにはあまりにも勿体無いシロモノですよね。その点ケーリ先生は合理主義者で愛着は持たれたものの、オクルマはあくまでも移動ツールとして割り切っていらっしゃったと思います。

余談ながら、タバコ屋は40才頃までは何が何でも新車でなくては気に入らずしかも一徹なことにオールHONDAの新車に乗って来ましたが、還暦が近くなった頃からは何かバカバカしくなり、またHONDAデザインの不甲斐なさを筆頭に気に入ったオクルマも皆無に近いためもっぱら中古車に目がいくようになりました。

それも物好きなことに40年以上前の中古車(クズ鉄)を探し出し、そのレストアにTOYOTAマジェスタの新車1台分以上の費用を注ぎ込むなんてもう物好きを通り越してバカですよね!。

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★★島のタバコ屋の独り言★★
【4月10日:ああ創業100年】    島のタバコ屋は先々代が呉服屋を創業以来3代目となり、その間戦後間もない頃には島のバス運営事業を試みる等様々な営みを経て今日に至っています。皆さんよくご存知のNIKONも創業100年なんですが、比較にはならないものの同じ時代を生きてきた訳です。かつてオハイオのメアリーズビルで活躍する夢を抱いたこともあった青年も年を取りました。さて今後の100年をどのように生きて地域のお役に立っていくか、タバコ屋にとっては後継者である倅への「死に土産」としてそのコンセプトを確立しておく必要があると考えています。しかし倅にとっては年寄りの余計なおせっかいに写るかも知れませんよね。
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