FC2ブログ

今出川慕情 vol.7:野尻君の愛車遍歴

平成29年3月11日
オーティスケリー先生2
突然の古い写真で恐縮ながら、これはタバコ屋が同志
社大学自動車部に入部した昭和44年(1969年)から恐
らく卒業した昭和48年(1973年)春までの4年間、自動
車部の部長先生を務めて頂いた、オーテス・ケーリ先生
なんですが、もしそれが事実であれば、タバコ屋の同期
はケーリ先生と共にあった訳で、今となっては言葉には
表せないご縁の不思議を感じます。

またケーリ先生は学生の寄宿舎であったアーモスト館
の館長も拝命されており、そこは俳優の二谷英明先輩
等を輩出した由緒ある施設でした。(ケーリ先生がお亡
くなりになった後、現在は学生の寄宿舎としての使命を
終え、主に外国人研究者の長期滞在用の宿泊施設とし
て再利用されているようです)
(関連記事:京都・宇治・巡礼 vol.1参照願います)
DSCN8336.jpg
さて、今から4年前の平成25年(2013年)10月に同志社
大学自動車部創部80周年大会がありましたがそれより
やや早く前年にアーモスト館も80周年を迎えていました。
ケーリ先生が関わった二つの歴史の営みが、奇しくも
同じ年月を刻んで来た訳です。

ところでアーモスト館80周年の1年前平成23年(2011
年)のことながら、一期後輩のヘータこと井村氏は久し
ぶりに上洛を果たし、醍醐寺や哲学の道の桜がお目当
ての散策を終えた後、懐かしい今出川キャンパスに立
ち寄り、アーモスト館にも足を伸ばしました。そこで偶然
にもケーリ先生のお嬢さんであるベスさんと初対面遭遇
し、知己を得ることとなりました。尚、ケーリ先生の3人の
お嬢さんのご長女であるベスさんはアメリカ在住ながら
その時たまたま帰国しアーモスト館に滞在されていたそ
うで、双方が偶然ながらもまさに奇跡的な出会いだった
と申せましょう。この写真はその時の奇跡の瞬間を井村
氏から送って頂いたものです。
DSCN3444-2.jpg
ただ一部の読者の方は初対面の井村氏は何故その女
性がベスさんだと分かったのか、不思議に思われるで
しょうから、そのいきさつをご説明しますと、アーモスト
館の前を歩く年配の外人男性と若きLADYを発見した
井村氏はその男性がてっきりケーリ先生と思い込み、
とっさに「君の名は」とは言わなかったようですが、つた
ない英語で「私は元自動車部員だった者ですが、ケーリ
先生ではないでしょうか?」と尋ねると横のLADYが「父
は5年前に亡くなりました」と日本語で仰ったので、ああ
先生は既に亡くなられており、目の前にいらっしゃっる
のがケーリ先生のお嬢さんであることがわかったという
次第なんです。ちなみにベスさんは日本人男性とご結
婚されており日本語が堪能であるのも頷けます。

その後井村氏はケーリ先生及びベスさん繋がりで次女
のアンさんやアーモスト館OB会(DAC)のお世話をされ
ている吉﨑さんと知り合いになりました。その吉﨑さん
より両部を結び付ける重要生き証人として、井村氏に
アーモスト館80周年記念OB会報への執筆依頼があり、
その時のいきさつを寄稿されたようです。こう見えても
井村氏はかつて高砂の神童と言われ、学園紛争による
入試の中止がなければ東大に軽く合格したであろうと
言う逸材だったそうですが、残念なことにそれは彼自身
が語った言葉にて信憑性がやや疑われます。

ついでながら井村氏には心秘かにアーモスト館に対す
る憧れと入寮願望があったらしく、どのような事情があ
ったかは存じませんが結果的には果たせなかったもの
の、一連のアーモスト館との数奇な!ご縁もそのような
心情が背景にあったのではないかと推察されます。
(尚、井村氏の愛車遍歴に興味のある方は、
アウディな人 vol.1:高砂での出来事参照願います)
オーティスケリー先生4-1
その後話は更に進展し、そのOB会報へ「ケーリ先生の
思い出
」の執筆依頼が、こともあろうにタバコ屋のところ
に来たのです。丸投げが得意種目のタバコ屋にとっては
井村氏より逆丸投げをやられた訳で、しまったとは思い
ましたが、我慢強く忠誠心の厚いタバコ屋のこと、そこは
耐えて寄稿させて頂きました。

蛇足ながら、その記事が掲載されたOB会報(DACニュ
ース72号)は80周年大会時に吉﨑さんのご好意でOB
諸氏に配布しましたので、ご記憶の方もいらっしゃるの
ではないでしょうか。
(関連記事:終わりなき旅 vol.3:宴のあとさき参照願い
ます)
DSCN5967.jpg
それ以来、共通の師と思い出を共有していることから
吉﨑さんとは急速に親しくさせて頂くことになり、一昨年
はタバコ屋の一期後輩の福ちゃんこと石川女史及び吉
﨑さんのご親友の中山氏と吉﨑さんご夫妻の計4名で、
名も知らぬ遠き島「中島」にご来島頂く等、親密な交友
が続いています。
(関連記事:東京大紀行 vol.4:ウォーターフロント参照
願います)
オーティスケリー先生3
ケーリ先生はお爺さんが同志社大学で教鞭を取られた
同志社ゆかりのご一家なんですが、お父様が宣教師だ
ったため、幼少時代を北海道小樽で過ごされ、青い目
をした日本人ではありましたが、日米開戦となり一旦は
帰国し、USネイビー情報将校として日本通のドナルド・
キーン氏とともに日本軍捕虜への対応をし、戦後はご縁
の同志社大学に教授としてご奉職、以来終生同志社の
ために尽くされました。
(関連記事:今出川でのこと vol.1及び
札幌紀行 vol.2:小樽へ参照願います)
ケイトねえちゃん
この写真はケーリ先生の愛車ケイトねえちゃん7号の前
でのもので、戦後いち早く軍用ジープで幼いベスお嬢ち
ゃんを伴い北海道遠征を敢行する等、カーマニアでもあ
りました。ケーリ先生はオクルマに愛称を付けるのがお
好きで、それには必ずケイトねえちゃんの愛称が付けら
れました。ケイトねえちゃんネーミングのいきさつについ
ては別記事にて詳しくご紹介しているので今回ははしょ
ります。先生はカーマニアではあったものの、オクルマ
自体にのめり込むタイプではなくあくまでも生活をエンジ
ョイするためのツールとして割り切るというタイプでした。
(関連記事:大阪・京都・奈良・巡礼 vol.2参照願います)

そのケーリ先生が、自動車部の部長先生をして頂いて
いた頃、クラブへ寄稿された文章が残っていますので
抜粋させて頂くと、
「クルマが社会の貴重品だった時代は、自動車部という
ものはクルマ自体を動かすということに意義があり、一
種のステイタスのようでもあったでしょうが、これからは
もっと他のことで若い人が共通の何か目的を持って自
動車部を楽しんでいく必要があるでしょうね・・・。」
今読み返しても示唆に富んだお話だと思います。
タバコ屋達はそのケーリ先生の願いを実現出来たので
しょうか・・・。自問する必要はあると思います。
D:クラーク記念館2
さて長い前置きとなりましたが、野尻君の青春に戻りま
す。思い出深い今出川での4年間を過ごした野尻青年
でしたが、ふるさと福井に帰りご実家のコンクリート製品
製造業に携わることになりました。
S30Z-13-1.jpg
いきなりビックリポンな写真ながら、これは野尻君が親
戚の叔父さんちへ恐らく婚約の報告に行った時のもの
だと思われます。当時としては超モダンなS30Zの前で
写されているのは叔父さん夫婦だそうで、ラリー仕様Z
の勇姿もさることながら、元ゴフク屋のタバコ屋としては
叔父さん夫婦のファッションが気になったんです。

後日注釈:実は当初野尻君からお預かりした写真は、
横に伸びた形になっており叔父様夫妻が実際よりずん
ぐりした体型になっていたので、何とかして差し上げた
いと思い、丸投げが得意種目のタバコ屋は平尾センセ
に丸投げ依頼したところ、見事に復刻!してくれました。
平尾センセには誌面をお借りしてお礼申し上げます。)

今の若い方や、当時タッセル・スリッポンで新宿界隈を
のし歩いていた上山青年などはかなり違和感があるか
も知れませんが、タバコ屋にとってはお正月など、押し
なべてこういうファッションが一般的でした。

若干の解説を試みますと、叔父さんはU首のメリヤス下
着の上に長襦袢という下着を着て、その上にウール又
は正絹(しょうけん)=シルクのアンサンブル(羽織+着
物)の上着を着用し多分角帯に黒足袋+スリッポンなら
ぬ桐下駄という出で立ちです。
また奥様はこれまた正絹の小紋または付け下げ(フォー
マルウエア)に袋帯を締め、和装用のバッグに「君の名
は」の氏家真知子もご愛用だった毛糸のショール、白足
袋に草履という出で立ちです。

ここだけの話しながら、超近代的なS30ZとNIPPONの
トラディショナルな衣装との組み合わせが何とも可笑し
く、あえてご紹介させて頂きました。飲み意地の張った
タバコ屋が気になるのは赤いお嬢さんのボンネット上
にある清酒の一升瓶と風呂敷包みなんですが、恐らく
野尻君が叔父さん夫婦に持参したお土産だったのでは
ないでしょうか。
ヂャイアント号1
ちなみにその叔父さんは若い頃、島のタバコ屋の先代
が終戦後間もない昭和28年から昭和33年まで経営して
いた島のバス会社で運行していた「ヂャイアント号」を作
っていた愛知機械(後のコニー)にお勤めだったそうです。
ご縁はわからないものですよね。
(関連記事:異説:007私を愛したスパイ参照願います)
ヂャイアント号資料1-3
その野尻君も良きご縁があり、地元のご親友との繋が
りで現在の奥様と一目惚れ電撃結婚を敢行されたとお
聞きしていますが、デートに際しそれまで得意絶頂で乗
っていた高貴なお名前のフェアレディZながら彼女にとっ
てはすこぶる評判が悪く、かつての鈴木女史のように
「こんなんあかんえ!」とか「乗り心地硬いのいやや!」
とか言われたのかどうか、あれほど愛したフェアレディZ
を泣く泣く手放したとお聞きしています。

老婆心ながら、デートに際し、S30Zでは巨大なフロアト
ンネルのせいで、彼女の手をそっと握るのが精一杯で、
それ以上のエスカレートしたアクションなんて到底無理
なお話しです。やはりデートはキャデラックなんですよ、
野尻君!。
(関連記事:今出川慕情 vol.3:野尻君の青春1及び
今出川慕情 vol.5:野尻君の青春2参照願います)
愛車遍歴2-1 愛車遍歴3-1
その後、TOYOTAランクル、ミツビシJEEP、とワイルド
カントリーライフをテーマとしたオクルマを乗り継がれる
のですが、野尻君の会社がコンクリート製品を扱う会社
なので山間部の工事現場等に出かけることも多かった
のではないかと推察されます。ま、何はともあれ野尻君
の壮大な愛車遍歴はこのあたりから始まるのでした。
愛車遍歴4-1
写真は黄色のSUBARUレオーネツーリングワゴンです。
ターボに乗ってみたくてご購入されたようです。冬はレオ
ーネ、夏は奥に停泊している彼(または会社?)のクル
ーザーヨットでブイブイ言わせたらしく、卒業後もボンビー
生活を送っていたタバコ屋と比べると月とスッポン程の
差があります。
蛇足ながら、この写真を見たらSUBARISTの上山青年
なんか泣いて喜ぶのではないでしょうか。上山君、泣く
のはいいけど、机叩いてまで泣かないように。
アコードハッチバック3
余談ながら、その頃は丁度タバコ屋が島に還った頃だ
と思うんですが、当時タバコ屋はHONDAがお気に入り
で自分のなけなしのお給料で初めて買ったのが野尻君
のレオーネ同様黄色のHONDAアコード・ハッチバック
CVCCスペックでした。当時黄色は斬新で結構流行りま
したよね。
愛車遍歴5
当時京都帰りの舶来品として福井では結構目立つ存在
だったであろうと推察される野尻君の次なるテーマは
キャンピングカー」でした。恐らくケーリ先生がそのこと
を聞けば泣いて喜んだであろう「オートモービルのある
トラベル生活」というアメリカ発祥の新しいライフスタイル
です。ご購入されたのは三菱オタクの平尾先輩が聞け
ばケーリ先生同様大いに喜んでくれたであろう三菱スペ
ースギアでした。
愛車遍歴5-1
今でこそキャンピングカー、百花繚乱のご時勢ですが、
当時としては野尻君なんかそのハシリだったのではな
いでしょうか。まあオトナのママゴトの延長ながら、すべ
ての新しいイノベーションはママゴトから始まるんです。
P1070664.jpg
野尻は野尻でもタバコ屋世代にとっては「坂の上の雲」
の存在である、京都在住の野尻先輩(OB会副会長)の
場合は、同志社大学自動車部創部80周年大会の目玉
イベントであった、「愛車ミーティング」に於てご自分で
は愛車メルセデス・BENZを出すべきか、それともお気
に入りのNISSANシビリアン・キャンピングカー特別改造
スペックを出品すべきか、かなり迷われたようです。
(ちなみにそのオクルマはありとあらゆる情報機器+贅
沢装備満載でフロントシートは何とRECARO!でした)
IMG_3375.jpg
富永君どうやろか?と仰るので、その実行責任者であ
ったタバコ屋は迷わず申し上げました。「野尻副会長、
僭越ながらかつてのオーテス・ケーリ先生のご遺志に
より、是非キャンピングカーのご出品をお願いします」
と。タバコ屋は今でもその時の「愛車ミーティング」に於
いて、野尻先輩のキャンピングカーは自動車部の示す
ニュー・ライフスタイルについてのプレゼンテーションが
果たせたと思っています。タバコ屋としても卒部40年以
上を経てケーリ先生の思い描いていたオクルマのある
楽しい生活
というライフスタイルを少しでも現実化出来
たと自負しています。

しかしまあ、大人のママゴトもここまで来ると、もうハイソ
サエティの高貴なご趣味となり、そうでなくともタバコ屋
にとっては「坂の上の雲」のお人であった野尻先輩は、
いよいよそのまた上のゼウス(神)という存在になりつ
つあります。
(関連記事:終わりなき旅 vol.2:愛車ミーティング参照
願います)
愛車遍歴6
野尻君の愛車遍歴に戻ります。その後野尻君もかつて
明治期の大日本帝国陸軍が新興の強国ドイツに憧れ
たように、質実剛健のメルセデス・BENZに傾倒していく
ようになりました。写真は3Lのメルセデス・BENZ-Eクラ
ス・ステーションワゴンですが、左ハンドルだったゆえ、
またもや鈴木女史でもあるまいに「こんな変な位置の
ハンドルいやや!」とか言う奥様の大ブーイングに会
い、あえなく手放したという苦い思い出を持たれている
ようです。
愛車遍歴7
仕方なく乗り換えたのが写真のBENZ・S320だったそうで、
排気量は似たようなものながらEからSへとご出世されま
した。右ハンドルにしたまでは良かったもののしかしまた
もや奥様からのブーイングで「こんなデカイのいやや!」
とか言われて、またもや手放すという悲劇に見舞われま
した。ちなみに野尻君が購入されたのは、3代目のSクラ
スだと思われます。

野尻君、老婆心ながら申し上げておきます。大和撫子は
毛唐は嫌いなんです。そんなけなげな奥様に何故最初
からフツーのNIPPON製のオクルマをご用意して差し上
げなかったのかと思います。たとえばTOYOTA製の足の
いい奴「カリーナ・セダン」とか。千葉ちゃんのCMもさるこ
とながら、タバコ屋は好きなオクルマでした。
2代目Sクラス7-1
タバコ屋はメルセデス・BENZのオーナーになったことは
ありませんが、親戚のおじさんがBENZオタクでSクラス
以外は目もくれないような方でしたから、横に乗せてもら
う機会は多くありました。

余談ながら、タバコ屋が過去現在とも最もお気に入りの
メルセデス・BENZは2代目のSクラス5Lサルーンで、当
時世界各国のV・I・P御用達のオクルマでしたよね。
塊感と存在感のある重厚なボディは無駄なラインがなく
意外とシンプルで、しかもラジエーターグリルなどにシル
バーメッキを多用することにより、BENZのアイデンティ
ティを上手に表現しています。今でもプレステージサル
ーンはこうあるべきだと思います。特にHONDAのデザ
イナー諸君、今のレジェンドなんてかつてのタバコ屋の
愛車ながら、嘆かわしいデザインにて、宗一郎氏がご
存命なら「やめちまえ!」と怒鳴っているはずです。

ただ残念なことは、お金があればこれを誰でも買えると
いうことで、中東の王族が金にあかせて特別仕様のSに
乗るのはご愛嬌にしても、今世界中の鼻つまみ者であ
る北朝鮮の元指導者の故金正日(キムジョンイル)が御
愛用だったことなどは、タバコ屋にとっては極めて苦々
しい過去の出来事です。
(関連記事:東京モーターショー異聞 vol.6:外国車編
参照願います)
愛車遍歴8
「いつかはクラウン」というのは高度成長期に誰しも思い
描いた理想のオクルマ購入パターンでしたが、野尻君
の場合も「いつかは5LのBENZ-Sクラス」という夢があり
ました。その夢は以外にも早く叶ったようで、今度は二
度と奥様のブーイングを食らうことのないよう周到に右
ハンドルでメタルトップのBENZ-SL500を見つけ、格安
で購入されたようです。
愛車遍歴8-1
野尻君はこれで理想の桃源郷にたどり着いた訳で、用
もないのにメタルトップを開けたり閉めたりして子供じみ
た喜びを満喫していたものの、さらに落とし穴が待って
いました。今度はよもやまさか、奥様は「こんな税金の
高いのいやや!」というブーイングによりまたしても手放
さざるを得ないはめになりました。こうなるともうBENZに
よる妙なる悦楽どころか地獄のBENZ選びですよね。
愛車遍歴8-3
その間、三菱パジェロ・ミニやNISSANテラノ等、つまみ
食いをされた後、どさくさまぎれと言いますか、野尻君
ご乱心と言いますか、あれほど質実剛健、信頼性の塊
であるかの如きメルセデス・BENZを愛用されていたの
に、ある日突然香里体育ハウスの思い出が蘇ったのか
どうか、一度ローヴァーに乗ってみたいと思うようになり
ました。
(関連記事:今出川慕情 vol.5:野尻君の青春2参照願い
ます)
愛車遍歴9
購入したのはローヴァー・フリーランダーでローヴァー社
の中ではコンパクトで取り回しの良いオクルマであった
筈なんですが、野尻君の場合はアタリが悪くてエンジン
廻りで次々とトラブルが発生しこれも泣く泣く手放したと
いうか返品したと言うか。短い同棲生活だったようです。

それにしても007に出てくるようなゴッツいフロントマスク
は今にもそこからマシンガンが出てきそうで軍用車の様
でもあり異様です。オプションだったのでしょうが、タバコ
屋は初めて拝見しました。
ローヴァー3500-3
タバコ屋にとってローヴァーというブランドは格別の響き
を持っています。その理由はかつて我がHONDAがロー
ヴァーと提携関係にあったからです。ローヴァーというメ
ーカーは戦時中は戦車等の軍用車両を作っていたので
すが戦後はアメリカのジープに刺激されランドロ-ヴァー
なる元祖SUVを開発し、その後上質なサルーンやレンジ
ローヴァー等の高級SUVを生産し英国王室御用達のメー
カーとなりました。

余談ながら当時カーグラフィックの編集長をされていた
小林彰太郎氏は大の英国車贔屓でローヴァーのサル
ーンを絶賛するとともにご自身の愛車もローヴァーV8・
3500でした。
(関連記事:時事雑感 vol.8:とと姉ちゃんのこと参照願い
ます)
初代レジェンド7-1
しかしその後、怒涛のようなNIPPON車、ドイツ車の攻勢
に押しまくられ倒産の危機に瀕しましたが昭和54年(19
79年)に当時破竹の勢いだった我がHONDAと資本及
び技術提携し、ドマーニ、クイント、さらには集大成とし
て満を持して開発していた初のプレステージサルーンで
ある初代HONDAレジェンドの開発に主導的な役割を果
たし、その結果当時のNIPPON高級車とは一線を画する
ヨーロッパの香りのする国産車が誕生したのでした。

タバコ屋はこのようなオクルマが買える身分ではありま
せんでしたが、「HONDAの志やよし!」としてディーラー
に押しかけ、無謀にも「このクルマ、下さい!」と叫んで
しまったのでした。それ以来自称HONDA-PTA会長とし
て、20年もレジェンドを乗り継ぐとは夢にも思いませんで
した。バカですよね。
(関連記事:好みの基準 vol.7:カーデザイン及び
好みの基準 vol.2:愛車変歴参照願います)
愛車遍歴10-2
さてメルセデス・BENZを中心に様々な愛車遍歴を重ね
てきた野尻君ですが、近年は不惑の年からさらにロマン
スグレーのお年となりつつあり、オクルマ選びも落ち着
いて来て、浮世離れしたものからは遠ざかりつつありま
す。写真は現在お乗りになっているメルセデス・BENZ
Eクラス2.4Lステーションワゴンで、現役社長がオーナ
ーとしてお乗りになるのには極めて妥当だと感じます。
またもや老婆心ながら、いいお年ですのでAMG欲しい
などと言って奥様を困らさないで下さいね。
愛車遍歴11-3
またセカンドカーとして、BENZのチョロQことスマート・
フォー2にお乗りで、フツーのお方はベンツのマークが
付いていないため分かりづらいでしょうが、れっきとした
BENZなんです。
IQ-1.jpg
TOYOTAにもスマートと全く同じコンセプトでIQというの
がありますが、そら存在感から言って圧倒的にスマート
フォー2だと思います。その意味でマニアックなセカンド
カーのご趣味ですよね。
シグネット1
尚、蛇足ながら高級スポーツカーメーカーであるアストン
マーティン社は、何を思ったのかよりによってこのTOYO
TA・IQをベースにシグネットというシティカーを開発し販
売しています。メカはIQですがお顔はアストン顔でそれ
なりに高級感を演出しています。最近ではMAZDAロー
ドスターをベースにFIATが124スパイダーというのを発
売しましたが、それと同じ手法です。ただ違うところは
シグネットはアストンマーティン社が仕上げを行うのに
対し、FIATはMAZDAに対し、タバコ屋の得意技である
丸投げをしていることです。
愛車遍歴12-1
それ以外にもサードカーなのかどうか、BENZ・A180も
所有されているようで羨ましい限りです。その内メルセ
デスBENZ・JAPANから表彰状が届くことはほぼ間違
いないと思います。
ディスカバリースポーツ9
最後になりましたが、かつてローヴァーで大やけどをさ
れているだけに、やや申し上げにくい事ながら、BENZ
も乗り尽くしたと思われるので、雪深い北ノ庄福井で乗
られるのであれば、この際ローヴァー・ディスカバリー
スポーツあたりにチャレンジされてはいかがかなとも思
います。
ディスカバリースポーツ5-3
雪国では必需品の4WDは元祖SUVメーカーゆえ当然の
ことながらも、タバコ屋が気に入っているのはかねてより
主張している「ダウンサイジングすべし!」のコンセプト
にぴったりな2L・ターボ仕様だからです。240馬力ありま
すから普段の使用には十分ではないでしょうか。
ディスカバリースポーツ6-1-2
手前味噌で恐縮ながら、タバコ屋は品性漂うコクピット
が大のお気に入りで、安らぎと癒しを感じるのです。
親鸞も蓮如も果ては日蓮上人だってここまでの癒しの
世界のプレゼンテーションは創出出来なかったと思い
ます。それにしてもああ国産車よ、デザイナー諸君よ、
何故このような凛とした品性の漂うハイクオリティな
コクピットをデザイン出来ないのか!。タバコ屋は残念
でなりません。
(関連記事:品性とダイナミズム vol.2:NSXどうやねん
参照願います)

蛇足ながら、同志社大学自動車部OB諸氏の中にも
何人かはローヴァーオーナーがいて欲しいものです。
だってタバコ屋の古くからのお取引先である芦屋の
いかりスーパーさんなんか駐車場にゴロゴロ停まって
ますから。
後日追加
この記事を投了した後、タバコ屋の古くからのお取引先
でオクルマで言えばメルセデス・BENZ-Sクラスやレンジ
ローヴァーを専門にお売りになっているような東京の一
流フルーツ専門店の社長さんから写真付きのお便りを
頂きました。それはビックリ仰天の内容でした。
069.jpg
何とそこに写っていたのは、ランドローヴァー・ディフェン
ダーでした。皆さんピンと来ないでしょうが、ローヴァー
は元々大英帝国陸軍御用達の軍用車両メーカーであり
戦後ジープの影響を受けてランドローヴァーなるSUVを
開発したことは既に述べましたが、その進化系と言いま
すか、かつて野尻君が灼熱の香里体育ハウスグラウン
ドで汗水流してフィギュア競技の練習をした、あのランド
ローヴァーの末裔がこのオクルマなんです。

2015年(平成27年)に生産終了されるまで67年!の長
きに亘り生産され続けたガラパゴスなオクルマですが、
幸運にもその社長さんは製造末期の2012年(平成24
年)頃に直輸入にて入手されたようです。それにしても
タバコ屋がローヴァーのお話をあれこれするものです
からエールの意味で写真をお送り頂いたのではないか
と推察されます。
069-2.jpg
かつてドイツのメッサーシュミットやV2ロケットによる怒
涛の攻撃でスピットファイアによる絶望的な戦いを挑ん
だ大英帝国ですが、パトロンのアメリカの参戦と絶大な
バックアップによりかろうじて薄氷の勝利を得た、アング
ロサクソン・グレートブリテンの意地と誇りがこのディフェ
ンダーという勇ましいブランドとフロントグリルにも感じら
れると言えばタバコ屋の考えすぎかも知れません。
ステッカー01 ステッカー04
尚、その社長さんと言うのはお茶目な方で、何とご自分
でオリジナルのステッカーを作ってはボディのあちこちに
貼られているようです。間違いだらけならぬ「楽しみだら
けのステッカー選び?」皆さんもやってみてはいかがで
しょうか。長年に亘り自称HONDA-PTA会長を拝命して
きたタバコ屋などはPOWERED BY HONDAというステ
ッカーを後生大事に今でも硬く握り締めています。貼る
べきオクルマとて今は無いのに、もうバカですよね。
DSCN6805.jpg
蛇足ながら、その社長さんというのは懐かしいWEBER
キャブの時代からオクルマに親しんで来た、タバコ屋世
代の感性と合い通ずるオクルマのエンスーで、公認会計
士の上山センセ同様、熱烈なSUBARISTでもあり、ちな
みに現在のアシは泣く子も黙るSUBARU・WRX!です。

誰も知らないことながら、数十年前には名も無き瀬戸内
海の島へ行幸頂き、ご一緒に遊んだ懐かしい思い出も
あります。
リゾート風景1(ミリアム)
それにしても野尻君の初恋のオクルマ、初代NISSAN
フェアレディZはもう野尻君の地元の日本自動車博物
館とかいった特別の場所でしか見ることが出来なくなり
つつあります。しかしある内部情報によれば、例外的に
瀬戸内海の名も無き島で、かつての赤いお嬢ちゃんの
残影を垣間見ることが出来るかも知れないそうです。
後日追加
その日本自動車博物館を近々訪問予定なんですが、
事前に展示車両リストを見ると、フェアレディZが載って
ないのです?。もしそれが事実とすればあとは神奈川
の日産座間工場跡地にある日産ヘリテージコレクション
(旧、日産記念車車庫)か、瀬戸内海の名も無き島を訪
れるしかないと思います・・・。
フェアレディZG-1
終わりにあたり上山青年と野尻青年には次の言葉を捧
げたいと思います。蓮如上人のパクリながら、
寂しくば、今出川と唱うべし、我ら同釜は三文字の内
にこそ住め
」  
(作者注:三文字はみもじと読みます)

長きに亘った野尻君の青春オデッセイアもこれをもって
終わりにしたいと思います。7編に亘り辛抱強くご精読
頂いた読者の皆様に感謝申し上げます。タバコ屋も
さすがに疲れました。少し休みます。

コメント

No title

ちわっす!
オーティス・ケーリ先生についても、歴代の他の部長先生も全然覚えてないですね。 誰か知っている人がいたら教えてもらいたいです。
主将か総務してないと接点はあまりなかったからでしょうか。
野尻君の愛車遍歴は羨ましい限り。
私は、黄色いランドクルーザーが一番で二番は黄色いレオーネツーリングワゴン(私もグレーのツートンの同じ車に乗っていました)、ベンツのSLも乗ってみたい車です。
野尻君と同期の中西君も ベンツのW124のセダンに乗っていて、一度乗せてらったことがありますが、気密性や安定感は抜群でした。
後半の愛車はやはり実用性と安全性と高性能のハザマでの選択のようにも見えて、悩んだのではないでしょうか。
ちなみにチャンさん推薦のローバーですが、イボーグなんかはどうでしょう?

クラシックカーのローバー3500? は私も大好きな車であり、プジョ505V6とサーブ99が私のお気に入りの3台です。
野尻君も最後にフェアレディZというのも良いんではないでしょうか。



Re:あるSUBARISTの悩み

拝復、ちわっすです。
そうですか、野尻青年はケーリ先生のイメージがあまり湧いてこないご様子ですが、タバコ屋も幹部を拝命後に年に数回お会いするくらいで、恐れ多い「坂の上の雲」のお方でしたから親しい交流があった訳ではありません。

かつて銀座をのし歩いた「パンタロンな人」も中々オクルマを手当たり次第乗り換えるだけのご身分ではなかったようですが、好ましいじゃないですか、その方がいつか乗りたいというモチベーションが続いてお仕事にも力が入ろうというものです。しかしSUBARISTの上山青年がかつてのローヴァー3500がお好みとは意外でした。話しはしてみないとわからないものです。でもこれを入手してレストアしようなどという野望は捨てられたほうが賢明です。

さてレンジローヴァー・イヴォークはどうやろかということですが、確かに品質抜群、斬新なデザインながらも、乗られている方が松山や祇園の飲み屋のネーやんが多いので興ざめします。タバコ屋の払った飲み代がイヴォークに廻されていると思うと酔いがさめてしまうのです。またタバコ屋の主張するダウンサイジングの思想にも合いません。よって、そのような他愛ない理由でお勧め出来ません。

No title

ちわっ!
記事とは全然関係ない話ですが、「みんカラ」見てたら、毎年のようにヒストリック・モンテを走っている(ナビ)人のブログの記事に、東大工学部の学生が2~3年前に シビックとTE27レビンでヒストリック・モンテに出ていたチームが、今年はニュージーランドのロトルアで行われるラリーに出場するそうで、そのドライバーはなんと「篠塚建次郎」だそうです。
東大の自動車部でないところが寂しいですが、ヒストリックカーを再生してラリーに臨んでいるのは素晴らしいし羨ましいとは思いませんか。(正規の授業に組み入れられていたそうですし、発案者の東大OBの草加?さんで、昔ラリーでコドライバーしてたそうです。) DUACでもこんなことができれば素晴らしいと思った次第です。 フィギュアやジムカーナだけじゃ面白くないと思うんですが。

Re:タバコ屋の憂鬱

拝復、ちわっすです。
上山青年の仰ることはよくわかりますが、篠塚建次郎さんとは旧知で同類の平尾センセがこのコメントをご覧になると、「寝た子を起こす」ことになり、大変なトバッチリ事態が予想されますのでタバコ屋は今回に限りコメントを控えさせて頂きます。私事ながら平尾センセの奥様からも主人の吼えまくっていることは本気で聞かないようにして下さいときつ~く釘をさされていますので。

No title

「こんにちはチャンタさん、またまた立ち読みしました。野尻君、上山君、車歴(洒落気)遍歴読みました。最初から白黒写真見てすぐにオーテス・ケーリ先生と分かりました。自動車部時代先生とはあまり面識なかったですが、懐かしい思い出が甦って来ました。ケーリ先生と同志社との繋がりも改めて知りました。4年前80周年の時にチャンタさんから貰った「真珠湾日本人捕虜」の本、再度読んでう・・なるほど・・とも思いました。
 
本題の野尻君の車遍歴、読んでいくとベンツ遍歴ですね。もともと大きくどっしりした車がお好きだったんでしょう。今でこそ少し無理すれば買えると思いますが、我らが若い頃は超高級車のイメージがあり、手出しなど出来ない高嶺の花でしたよね。
 
チャンタさんの好みのレンジローバーも出てましたね!。ローバーからホンダの名前が出てホンダの元PTA 会長としてレジェンドを20年も乗り続けるなど、オクルマを大切に乗る「自動車部時代の精神が骨まで身に付いている」せいだと思います。20年も乗るなど、偉いですね!いや本当にバカデスネ(冗談です、笑)
 
今回チャンタさんはメルセデスの回し者になっていましたね!。また記事終盤の意味深なコトバでは「あしり日のZ 」が中島本島で、現役のラリー仕様で走行しているのを見ることが出来るとかで。いいですね!チャンタさんの「赤いお嬢さん」ですよね。 チャンタさんのブログは日頃からいつも読んでいて、文章滑らか、豊富な内容で読みごたえがあり楽しいです。いつもありがとうございます。神戸のギ~です。」

野尻君シリーズ #2

こんにちはチャンタさん。立ち読みしました。
過去の分もまとめてコメントします。
幕末の尊皇攘夷の意味、語源が中国のものとは全く知りませんでした。一つ勉強になりました。幕末の歴史、会津藩の忠誠、八重さんのお話、同志社の歴史、文科省の検定教科書に載っていない歴史の勉強させてもらいました。よく資料調査し文章を吟味して書かれていますね。感心します!
ブログの中で「野尻」なる姓名を聞けばチャンタさん驚くのも無理ないと思います。大先輩の身内の方と思いますよね!(笑)今回、その後輩の野尻君のかっての自動車部生活をのぞき見したようで「何だか凄く自分に置き換えて懐かしい気持ちになりました。」
 
掲載の写真、ヨタ八(S800)など凄いな・・と思いました。
チャンタさんなんかも「下宿の写真、新町ガレージーの写真など懐かしく思っている」と思います。40数年前に戻ったような気持ちになりますよ!懐かしい・・・
 
チャンタさんの赤いお嬢さんのブログを見た野尻君も学生時代「オレ乗ってたやつや」心ときめいたと思います。また彼が沢山の自動車部時代の写真を所持していて、それがブログに載れば、OB 等に見てもらえるなどOB 諸氏も懐かしく思うこと「間違いない!」と思います。自分はそうですから・・。さらに、ウィンカーの写真があり「ああ・・・こんなんあったな!」と記憶をたどっています。本当、学生時代、自動車部時代、苦しいこともあったですけど、よき友、先輩、同僚、後輩との繋がりがず~っと続くことは人生にとって大切なことと、今更ながら思います。
私、ギ~のことも載せていただき恐縮です。岡山の高島屋三ちゃん(三宅氏)も話題に載せてあげて下さい。(笑)
 
チャンタさんのいつもながらの文章作成能力、構成能力は凄い!頭の中に「インテル」「入ってる」のソフトが入力されているみたいです。
いつも楽しいブログありがとうございます。ギ~(義)です

野尻君シリーズ #3

チャンタさんこんにちは、またまた、立っちん、ただ読みしてしまいました。
初めに、パンダ🐼のズボン、間違いました(笑)パンタロンズボンのことが書かれており、何だこれは?読んでいくと、暮らしの手帳、映画(君の名は)さらにNHK朝ドラ「ベッピンさん」からVAN ジャケットの流れまで載っていて、またモーターリーゼーション時代の往年のレーサーの名前がずらりと並んでおり、さらに故徳大寺氏(初代)の名前も出ており、2代目と目されるチャンタさんは「独断と偏見の車選び」を、出版されてはいかがですか?
 
上山氏の自動車部時代は「頭ふさふさ」現在は「つるつる」・・・、年輪を感じます。人は年を重ねるとほとんどの人が薄くなりますね!車遍歴もさすがお金をあまり気にせず、自分の「アイテム」に合った車種を選んでいるようですね。少し(肩)こりしょう(頭を使うので禿げて肩凝るのかな?笑)ですね。
 
一昨年3人で行った大阪モーターショーの写真も掲載されていて、またまた岡山の高島屋三ちゃんが俺も載せろとクレーム言ってきますよ!
いつも読み応えあるブログありがとうございます。ギ~より
 

野尻君シリーズ #4

チャンタさんこんにちは
Vol 5野尻君の青春2立ち読みしました。
 
香里の合宿場の写真、見て非常に懐かしく、青春時代だったな・・・と思います。「春木のおっちゃん」の写真も懐かしいです。
合宿は本当にしんどかった日々です。走ったり、タイヤを引かされたり、ハンドルを限界までロックからロックに回すなど腕がパンパンになったこと思い出します。私は皮膚が弱かったのか両手の豆が全て潰れて、剥離した状態で、合宿終わってから医者に行きました。医者が「何でこんな状態になるのか?と驚いていました。夜は雑魚寝で楽しかったこと思い出します。1~2年は食事の用意などいも、人参、玉ねぎなど皮をむいて大きな洗面器に入れて洗ったことも思い出します。
 
ここだけの話ですが、チャンタさんがよくトイレの連れしょんの時「T女史がトイレに入っている」の知らずに2人で「チンタ」の話したこと、私は記憶にないのですが、いつも彼が「面白、可笑しく」話すので楽しい話だと思っています。その時「愚息」の皮も剥いていたのかな?それは「チン」のみぞ知ることですね!(笑)(下ネタばかりですみません)
 
「花の3人トリオの写真(白黒)」いいですね!野村佃煮のCMコピーも載ってましたね。女性3人、男性7人のカラー写真、我々が現役時代の遠征時写真と思いますが、ヘイカこと南野君、宮尾君など写っており懐かしいです。(出たかったであろう、岡山の百貨店王が見えないですね!)
 
最後に「昔の美女4人」に囲まれた写真の真ん中の御仁、誰かと思いきや、頭の薄いチャンタさんではないですか?鼻の下がかなり長くなってます!
今回は同志社大学自動車部OBの青春時代を甦らせる内容と写真でした。40数年前にタイムスリップしたような感覚で読み終えました。
いつもありがとうございます。義~~より

Re:青春同窓会

拝復、まとめてちわっすです。
ギーちゃん、苦楽を共にした同釜として、野尻君の40年以上前の懐かしい写真をもとに、あれこれ当時のことを語り合えるなんて幸せですよね。かつて兵庫県警で鳴らしたギーちゃんも、京都教育界の異端児平尾センセも、九州のラーメン王も、岡山の百貨店の貴公子も若かったんです。マドンナKUMIを娶った奥村和君だって高砂の神童だって若かったんです。もちろん今ではずるむけの「パンタロンな人」や福井の「コンクリート王」だってみんな若かったんです。オクルマはBENZであろうが、ロールスであろうがお金を出せば買えますが、この同釜の思い出と連帯はオカネでは買えないのです。

今回野尻君の貴重な写真資料をもとにカーター博士のツタンカーメンの王墓発掘みたような作業が延々と続き、タバコ屋は正直疲れました。「鶴の恩返し」でもないでしょうが、お通は夜な夜な自分の羽をむしって美しい織物に仕上げたそうですが、タバコ屋なんか、むしろうにもその羽毛がほとんど残っていないという悲劇がありました。ただ唯一の救いとしてギーちゃんから送って頂いた山田養蜂場のKEHAE薬が効を奏すれば、お通のハタ織りの原料が再確保出来ると言うものです。

もうお互い、何年生きられるかわかりませんが、残された人生をかつて多感な青春時代にご縁のあった人達とともに悔いなく過ごしたいものですよね。しかしここだけの話しながら、ギーちゃんがネオクラシックなセリカにお乗りになっていることなどは、多分OB諸氏の誰もご存知ないと思います。お宝鑑定団の中島先生でもいないですが「大切になさって下さい。」

No title

野尻君の膨大な写真データは、過日私にも送っていただきました。彼の車遍歴にはびっくりですね。ベンツ、Z、その他ちゃんと写真も残していることにはまめに撮っていたのは、やはり自動車部のみんな共通することですが、自動車になみなみならぬ愛情を感じます。野尻君の車にはかなりの財力がないとできない愛車群です。私の愛車は20台はありますが、台数では野尻君には負けていませんが、古い車ばかりなので国産車がほとんどで、外車は、ゴルフとアウデイA4くらいですから、お金はかかっていないです。地方の小学校教員の給料では、しかたないですね。現在の愛車は、レガシイツーリングワゴンスペックBです。走りには十分満足しています。しばらくはこれでゴルフやスキーに行きます。高砂の神童ことヘータ 井村

Re:親孝行な人

拝復、ちわっすです。久しぶりのコメント有難うございます。上山青年も野尻青年も喜ばれることでしょう。

そうでしたか、膨大なツタンカーメンの発掘資料は井村氏の元へも送られましたか。タバコ屋はそのお陰で半年間苦しみました。何とか貴重な資料を整理して世に出したいと悪戦苦闘した結果が今回の7編にわたる野尻青年のオデッセイアでした。お陰で心なしか、ずるむけが進行したようにも思います。

井村氏のオクルマ遍歴も野尻青年に劣らずマニアックなものであることは先般より承知していることですが、何よりも思い出深いのは80周年大会の愛車ミーティング表彰時に、井村氏が壇上でSUBARU商品開発部に勤務の後輩とショートトークを交わせたことではないでしょうか。ベスさんとの奇跡の出会いがあったように井村氏にはどうも奇跡の出会いが付いて回っているような気がします。

それにしても今まで井村氏のことを長々と!ご紹介する機会があまりなかったのですが(タバコ屋手帳の「アウディな人」以来かな)今回「今出川慕情」というタイトルにはピッタリのケーリ先生にまつわるお話の中でのご登場ということで、タバコ屋の責務は若干果たせたように思います。ヘータ氏の同期にも見てもらって下さい。

タバコ屋は、井村氏や上山、野尻両青年とは真逆のバカの一つ覚えで、長きにわたりHONDA一筋で来ました。幕末の尊皇攘夷の志士の如くけなげなオクルマ人生だった訳で、「赤いお嬢ちゃん」は別格としても、死に土産として外国のオクルマと言うものに乗ってみたいと思っています。ワキガ臭いのかも?。ただし変わらぬテーマはダウンサイジングです。

プライベートな事ながら、高砂の神童はご両親にも優しく身の回りのお世話を随分して来られたことは風の便りでお聞きしています。なかなか出来ないことです。感心です。お若い頃にけなげな後輩の女子を泣かせた罪滅ぼしをされているのかどうか、それは霧の摩周湖の深い闇の中のことでしょうが・・・。

追記:次回のコメントからはマイナンバーまでの記入は不要ながら、最初にお名前を入れて頂くと目次欄で確認出来ますので、他の読者に親切かと。

今出川慕情加筆編

こんにちはチャンタさん、「今出川慕情」最終編の加筆版、立ちんぼ読みしました。
ケーリ先生はS48年卒業組が部員であった4年間部長をされ、かく言うギ~も部誌編集長として「ウィンカー」を作成時、先生に「巻頭言」の文章を依頼したか?、しなかったか?確かな記憶はございませんが(はやりの国会答弁です、笑)、多分先生のところにお邪魔してお願いしたと思います。
 
ブログの内容では高砂の神童こと井村氏がアーモスト館訪問時にケーリ先生のお嬢さん「ベス」さんと偶然にも会われるなど何か、「神の思し召し」又は80周年行事のアンビリーバブルな出来事にまつわるようなことと思います。その後人の輪が広がり、チャンタさんにアーモスト館OB会(DAC)ニュースの投稿依頼が来るとは誰も思わなかったと思います。
 
さらに、DACの吉崎さんが京のいとはん(福ちゃん)達と一緒に「いよ~~!ミカン」の中島本舗を訪問されるなど親密なお付き合いになるとは凄いです。繋がってますね!
また、ケーリ先生の「着物姿」、先生は本当に日本がお好きだったんでしょう。日本人以上に日本人らしかったのかも知れませんね。
我々が自動車部に在籍したのは人生のほんの一時期でしたが、今思えばとても輝いていた青春時代だったと思います。(現役時代は苦しい地獄の連続でしたが、楽しいことも沢山ありました)これからもず~~と繋がって行ってほしいと思います。
 
神戸のギ~~より

井村さん加筆編繋がり

チワッス!
井村さんのアーモスト館やケーリ先生への気持ちが伝わりますね。 私は縁が無かったのでケーリ先生の名前しか知りませんでしたし、アーモスト館に入ったのも80周年行事の前年でしたし、ドナルドキーンさんの名前を知ったのも、キーンさんが福井市に講演に来るといったニュースが初めてでした。 誇るべき部長さん繋がりで中島を訪問された吉崎さんの写真の舟、「まじかな」ーー「マジかな」ーーなんか可笑しいなマジかなと思っていたら「なかじま」でした。
また、ランドローバーディフェンダーもコレぞRVでしょう。
カイエンやらその他の俄かSUVなんかパチもんでしょうと言いたくなります。

Re:ガラパゴスな人

拝復、ちわっすです。
今回上山青年からまたしてもユニークなコメントを賜りました。昔TV・CMで「上から読んでも山本山、下から読んでも山本山」という海苔メーカーの面白いのがありましたよね。オクルマや船では社名や船名を表記する場合、どういう訳か右サイドは左からではなく右から書く例が多いのですが(伝統的日本文字の表記法)、今回上山氏は右から書いてあるフェリー船名の「なかじま」を英語式に左から読んで「まじかな」と言うことになったようです。このギャグを思い付く方はあまりいないと思うので是非パクらせて頂きたいものです。

上山青年から新理論を頂きました。それは「名ばかりのSUVは道を譲れ!」という過激なもので、「ユニクロ亡国論」で有名な同志社の浜教授も仰りそうな気がしますが、上山青年は本物のSUVとしてディフェンダーを称賛されています。PORSCHEカイエンやマカンに至ってはパチもん扱いです。そのお考えは本物志向であり真理だと思います。しかし40年以上前のオクルマを直して乗ろうかと言うバカな人種も含めて、もうガラパゴスなんです。一握りの「ガラパゴスな人」を除き、世の大半のハヤリモノに流される方々は泥道などは走れなくても、カッコよくしつらえた今風のSUVを好まれます。ま、上山センセの業界の言葉で言いますと「悪貨は良貨を駆逐する」ということでしょうか。

「オーティス・ケーリ先生との再会」

 卒業後、楽しく勤務していた会社を強制退社させられ郷里の福井に帰り、家業に就いた私は、28歳の時に友人の勧めで青年会議所(JC)に入会しました。30歳を超えていたと思いますから、卒業後10年位は経っていたでしょう。講演会の担当になり講師を選定することになりました。日本青年会議所の推薦する講師リストを見ていると、何とオーティス・ケーリ先生のお名前がありました。他のメンバーは誰も知らないので、反対意見もあったのですが、素晴らしい経歴で押し切って、先生に例会講師に来て頂きました。講演会が終った後、一緒に食事をして自動車部時代の話をしましたね。お歳を召されていて、講演の方は難解で何のお話だったか全く印象に残っていませんが、久し振りに先生にお会い出来て嬉しかった覚えがあります。ネットで先生のことを検索すると、偉い方だったんですね…。

Re:越前アオリイカの躍進

野尻君、貴重な裏話を公表頂き有難うございました。我等今出川の同釜にとって神(ゴッド)であった故オーテス・ケーリ先生をこともあろうに雪深い北ノ庄福井へ引っ張り出すとは・・・。う~ん、野尻君も大した男(アオリイカ)です。先生は知的な行動派でしたから当時からお話しは苦手だったように記憶しています。先生は著書を多く残されていますが「横糸のない日本」が有名で、野尻君は読まれているでしょうか。

野尻君の半生はJCと共にあったようにも感じられますが、いずれ地元ライオンズ、ロータリーの会長さんも引き受けねばならない立場かと推察致します。となるとタバコ屋のみならず地元越前のご縁の方々も新種の越前イカにあおられまくるということになるのでしょうか。

さて、死に土産としての福井巡礼記どうなりますか、只今推敲中ですがあっと驚く内容が待っているかも知れません。お楽しみに。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) URL

★★島のタバコ屋の独り言★★
【4月10日:ああ創業100年】    島のタバコ屋は先々代が呉服屋を創業以来3代目となり、その間戦後間もない頃には島のバス運営事業を試みる等様々な営みを経て今日に至っています。皆さんよくご存知のNIKONも創業100年なんですが、比較にはならないものの同じ時代を生きてきた訳です。かつてオハイオのメアリーズビルで活躍する夢を抱いたこともあった青年も年を取りました。さて今後の100年をどのように生きて地域のお役に立っていくか、タバコ屋にとっては後継者である倅への「死に土産」としてそのコンセプトを確立しておく必要があると考えています。しかし倅にとっては年寄りの余計なおせっかいに写るかも知れませんよね。
◆◆島のタバコ屋メニュー◆◆
メニューの見方について
各カテゴリー別に最新記事10件が表示されます。10件以上の場合は最下行のホーム右の矢印で次のページをご覧頂けます。
記事の見方について
島のタバコ屋手帳のタイトルをクリックすると最新記事10件が表示されます。また個々の記事のタイトルをクリックするとその記事と投稿コメントが表示されます。
最新記事(30件)
月別アーカイブ
最新トラックバック
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる