福井巡礼 vol.5:ああ旧車よ(中編)

平成29年6月22日
今回いよいよ昭和40年代のオクルマ達を見て回ること
にします。タバコ屋達、巡礼団4人衆はやっとの思いで
大聖堂の奥に静かに佇む聖母マグダラのマリアならぬ
初代フェアレディZ432にご対面です。
マグダラのマリア1
一部ワタナベのホイールやシビエのヘッドライト以外は
ほぼ発売当時のオリジナルの状態が保たれていました。
ボディカラーはZ432純正色なのかどうか、朱赤のような
カラーでしたが、S30Zの純正色であるグランプリ・レッド
とはやや異なっているように見受けられました。
DSCN3547.jpg
マグダラのマリア様のおなかの中味を拝見することなど
罰当たりで恐れ多いことながら、多分エンジンルームは
このようになっていると推察されます。言わずと知れた
S20エンジンで、日産に合併する以前のプリンスが開発
したプロトタイプレーシングカーR380に搭載されたレース
用GR8型エンジンをデチューンしたものですよね。
S20エンジン1
スペックはZ432の由来でもある4バルブ、ソレックス3キャ
ブレター、ツインカム(DOHC)で160馬力を発生しました。
当時としては夢のようなエンジンでタバコ屋世代はただ
ただ「仰げば尊し」の存在でした。しかし実際は相当ナー
バスなエンジンで調整が難しく、またZに搭載した場合は
車体の剛性が低いため高速で振動が激しくなる欠点が
あり、レースでは実力を発揮出来ませんでした。つまり
(私見ながら)相性が悪かったということです。

Z432の名誉のために申し添えますとタバコ屋の所属す
るクラブS30のお仲間でANAの国際線パイロットである
某氏の愛車Z432は完璧なチューニングで素晴らしい状
態と性能を保たれています。稀なことでしょうけど。
DSCN3549.jpg
この博物館は粋な計らいがされていて、ナンバープレー
トに登録年月日が表記されているんです。即ちこのオク
ルマは日本製で昭和45年(1970年)に登録されたという
ことです。初代フェアレディZが発売されたのは昭和44年
(1969年)ですから、発売1年後のオクルマということでし
ょうか。

昭和45年と言いますとタバコ屋が同志社大学自動車部
2回生でしかもハタチの頃ということになり、今や当時の
思い出はセピア色に褪せてはしまったものの、人生で
最も多感な時期ではありました。
フェアレディZ5
当時は高度成長時代、モータリゼーションの真っ只中で
戦争で打ちのめされたヒコーキ産業にかわりNIPPONが
カデン産業と共に今後の国の夢を託したジドーシャ産業
が熱にうなされた如く開発に明け暮れた時代で、目まぐ
るしいくらいに次々と新しいオクルマが発売されましたが、
その中でも一際異彩を放ったのがフェアレディZでした。
フェアレディアメリカ試走-1
その開発背景として当時北米NISSAN社長だった片山
豊氏の国際的視野に立った新型スポーツカーの開発
要請に基づき、基本コンセプトの具体化及び車両設計
は東大卒の優秀な設計技師だった植村斎氏を中心と
するチームが、またデザインは神戸生まれの異端児、
松尾良彦氏を中心とするチームが担当し、何と、東洋
の小さな島国からやがて世界を席捲するスポーツカー
が生み出されたのでした。尚、写真中テンガロンハット
を持たれているのがZ開発の中心人物、植村氏です。
片山豊氏Z-2
ちなみに片山豊氏がZの開発を促すにあたり、そのイメ
ージとして伝えた言葉は「ジャガーEタイプみたいなスポ
ーツカー作ってよ」だったそうです。写真は後日片山氏が
アメリカでは発売しなかったロングノーズのZGを日本か
ら取り寄せご自分の愛車としてモディファイしたものです
がある意味ジャガーEタイプよりデザインも性能も洗練さ
れたものとなり、「Z生みの親」である片山豊氏ご自身は
面目躍如たるものがあったと思います。
フェアレディZ2
結果として販売開始直後からアメリカで大ヒット、1978年
までの10年間で世界総販売台数55万台(日本国内は8
万台)という空前の大記録を打ち立て、ジャガー、ポルシ
ェ等世界の強豪を押しのけて世界で最も売れたスポーツ
カーとなりました。当時ジャガーやポルシェは1万ドル以
上したのですが、初代フェアレディZは約3分の1の価格
3,600ドル前後と、当時世界一の文明国アメリカに於いて
は一般庶民でも無理をすれば手の届く価格だったことか
ら、プアマンズポルシェまたは秘書などを務めるやや上
級のオフィスレディがよく購入したことからセクレタリーズ
カーなどと陰口を叩かれたこともありました。
(しかしあの重いステアリングを秘書のお嬢ちゃんはど
うやって乗りこなしたんだろう?)
240Zサファリ1-2
またNISSANは満を持して発売したこのフェアレディZを
当時宣伝目的もあって積極的に参戦していた国際ラリー
に投入しました。特に世界で最も過酷なラリーと言われ
たサファリラリーにおいて初参戦の昭和46年(1971年)
E・ハーマン、H・シュラーのコンビは見事な走りでポルシ
ェ、フォード等他のワークスチームを蹴散らし、前年の
ブルーバードP510の優勝に続き2年連続での総合優勝
という快挙を成し遂げました。
240Zモンテ11
続く翌昭和47年(1972年)雪のモンテカルロラリーでは
名手R・アールトーネン(サイドブレーキターンで有名)は
狭く曲がりくねった道路でのハイスピード走行には不利
なロングノーズ、FR車のZを駆り天才的なドライビングに
より奇跡の総合3位入賞を果たしました。彼の話しによ
ればDATSUN240Zは直線では明らかにポルシェ911よ
り速かったそうで、当時の我等がNIPPON若者衆として
は神様、仏様、240Z様の心境でした。
240Zモンテ5-1
このような快挙が、血気盛んなオクルマ好きの若者の
心を捉えない筈はなく、タバコ屋などは当時大学2回生
だったと思うのですが、カーグラフィックの速報記事を読
んで、手に汗握ったものでした。
240Z-1.jpg
一方、国内では当初PRINCEの桜井真一郎氏を中心と
するワークスチームが開発したレーシングカーR380の
流れを汲むツインカムのS20エンジンを搭載したZ432を
国内レースに投入したものの振動が激しく思うような性
能が発揮出来ずその後NISSAN製のL型SOHC2.4Lエン
ジンに換装してからは目覚ましい活躍を見せ、当時の
NISSANワークスドライバー北野元選手(京都出身)が
昭和48年(1973年)全日本鈴鹿1000kmレースにおいて
総合優勝を飾ったことなど今となっては懐かしい思い出
です。
フェアレディZ9
ついでながら日本国内では2LのS30Zと高性能なツイン
カム仕様Z432の2タイプが売られたのですが広大なアメ
リカでは高速巡航性能重視のため排気量を2.4Lにアップ
した240Zが販売され「DATSUN・Z(ダッツン・ズィー)」また
は「Z・CAR(ズィー・カー)」の呼び名で親しまれました。
当時のアメリカでのNISSAN車はDATSUNブランドで売ら
れていたのです。
ダットサンエンブレム4
余計なことながら後日談として、NISSAN首脳はブランド
統一(CI再構築)のためDATSUNブランドを廃止しました
が、結果としては大失敗で販売ががた落ちとなりました。
タバコ屋に言わせれば机上またはコンサルが進言する
CIの統一などと言うものは吐き違いをしていてむやみに
ブランドを変更したりするものではないのです。何故かと
言えば、そのブランド醸成には長い年月が掛かっており
それ自身の自己証明書みたいなものだからです。
NISSANにとっては極めて恥ずかしいことに今ではブラ
ンド変更の失敗例として大学のセンセの講義材料にな
っているそうですから、悔しいですよね。

タバコ屋の独り言、「当時の日産の責任者、出て来い
と言いたい。「おまえら、何してんねん!」と言いたい。
4才から前垂れ掛けて道端の草にまで「こんにちは」と
言って来たタバコ屋にしてみれば、こんな商いの大切な
基本を無視するようなアホな決定を誰がしたんやと責め
たい気持ちになってしまいます。

前回の記事同様、再びクールダウンが必要ですが、それ
はもう言いますまい。さて上記の如くNIPPONの夢を託し、
アメリカで爆発的な人気を勝ち得たポクらの240Zでした
が、当時ボンビー学生だったボクら、即ちタバコ屋達は
国内仕様のS30Z、輸出仕様の240Zなんて和製スーパ
ーカーであり、まして購入なんて夢のまた夢で、言わば
「坂の上の雲」のオクルマでした。
フェアレディZコクピット1
ちなみに日本国内での販売価格が当時90万~100万程
度、アメリカでの価格が排気量が違うにしても130万程度
だった訳で、今の価格に換算すると550万~600万くらい
になるので、やはりボンビー学生などお側に寄れるオク
ルマではなく荒稼ぎして銀座、キタあたりで豪遊している
お兄さんか、もしくはえーとこのボンが親にねだってお乗
りになるシロモノでした。

たとえ買えはしなくても、当時のタバコ屋を始めボンビー
な若者の憧れとしてフェアレディZは存在していたように
思います。
DSCN3548.jpg
以上長たらしい解説はさておき、ヘッドライトはシビエ製
に換えられていました。実は当時の照明技術は今から
思えばショボイものでヘッドライトはもとよりコクピットの
各種計器類の照明もろくに役に立たないくらいのレベル
でした。このオーナーもたまりかねてシビエに換装され
たのだろうと思うのですが、確かにハロゲンランプでは
シビエと言うのは一流ブランドで、我らボンビー学生もか
つて憧れた一品でした。
シビエ1
余談ながら、先般元祖宇治のアオリイカ大魔王こと平尾
センセに、タバコ屋の赤いお嬢ちゃんのヘッドライトが暗
いとグチを漏らしたところ、さっそく煽り攻撃を受け、シビ
エのヘッドライトを買わされました。いつ装着するか迷っ
ているところです。また大阪豊中の別のアオリイカ青年
からは手持ちのシビエドライビングランプを親切にもご送
付頂いたのですが、サイズが巨大過ぎて装着を断念しま
した。
さてフェアレディZの評価です。その栄光の歴史と現車の
素晴らしい保存状態には「超アッパレ!」なんですが、
これほどの博物館にS30(2L版)もしくはHS30(240Z)が
無かったことには「喝!」でしょうか。

蛇足ながら、初代Zはその後アメリカの厳しい排ガス規
制の洗礼を受け、また徐々にゴージャスなGTの方向に
軌道修正された結果、片山氏、植村氏、松尾氏、ひいて
はタバコ屋達が夢見た颯爽としたライトウエイトGTカー
のコンセプトは壊れてしまい、現在のだるくて重々しい
Zに成り果ててしまいました。タバコ屋の激しい失望は
皆さんのご想像に任せることに致します。
DSCN3604.jpg
次に初代フェアレディZと共に、昭和40年代を代表する
オクルマ界の2大スターの一台である3代目スカイライン
2000GTのコーナーに行く前にそのお父さんである2代目
スカイライン2000GTを見ることに致しましょう。
写真はスカイライン2000GT-AかBか確認し忘れたので
すが、外観のイメージからは想像がつかないほど速い、
そうしたクルマのキャラクターを示すのに「羊の皮をかぶ
った狼」という言葉が初めて使われたと言われているの
が、昭和39年(1964年)に誕生したスカイライン 2000GT
-A/Bです。Aタイプはシングルキャブなのに対しBタイプ
はウェーバーキャブ3連装で武装した高性能版で、個人
的にはこのBタイプこそが「羊の皮をかぶった狼」に相応
しいと思います。
2代目スカイライン4-1
コクピットにしても、まるで零戦のそれを移設したような
ビジネスライクなもので、タコメーター、スピードメーター
を中心に、油圧、電流、水温、燃料の各種計器を配した
その出で立ちは、タバコ屋世代にとってはそのスパルタ
ンなムードと共に決して忘れられない室内風景です。
ステアリング中央には誇らしげにPRINCEのロゴが貼ら
れていて、まるでイタリアの毒サソリ、アバルトを彷彿と
させますよね。
第2回日本GP-3
余談ながら、そもそも2代目スカイラインは昭和30年代
後半から過熱しだした自動車メーカー(ワークス)同士の
戦い、即ちその集大成であり絶好の宣伝ともなった日本
GPに勝利を収めるべく各社しのぎを削る中で、プリンス
が第2回日本GP(昭和39年(1964年)開催)に於いてGT
-II(1001〜2000cc)のカテゴリーでクラス優勝を果たす
ために開発されたオクルマでもありました。1500ccクラス
のボディに2000ccのエンジンを無理やり押し込んだので
すから、当然高性能となり、実際のレースでは式場壮吉
氏のPORSCHE・904VS生沢徹氏のスカイライン2000GT
との一騎打ちとなりました。
第2回日本GP-2
理論的にも実際も式場壮吉氏のPORSCHE・904の圧勝
となったのですが、途中一瞬ながら生沢徹氏のスカイラ
イン2000GTがポルシェを抜いたラップがあり、そらもう当
時の観客は総立ちで、単純にもプリンスがPORSCHEに
勝ったなどと勘違いをしたのですがそもそもレース目的
に開発されたプロトタイプスポーツカーのPORSCHE904
にフツーのセダンであるプリンス2000GTがどんなに逆立
ちしようとも勝てるはずがなかったのです。
第2回日本GP-1
しかしイメージというのは恐ろしいもので、その第2回日
本GPにおいて一周なりともプリンスがPORSCHEを抜い
たという事実のみが誇張され、いわゆる「スカイラインは
我らの神なり
」という伝説が誕生することになりました。

タバコ屋はこれらの鮮烈な事実を体験したうえで、究極
の商いというのは「イメージの構築」だと思うようになり
ました。販促も安売りも要らないんです。企業イメージの
構築(アイデンティティの確立)こそ、各企業が目指すべ
きものなんです。

母校同志社において、かつては経済学部の平山センセ
が「経済原論」などと言ってカビの生えたような講義を懲
りもせずお話され、他の教授も五十歩百歩似たようなも
ので、ゼミに進級してからもそのクオリティの低さは覆い
がたく、最新の流通理論を学びたいという夢は果たせず
同志社大学そのものに対し多大な幻滅を感じたタバコ
屋でしたが、当時の過激派学生のように「授業料返せ」
とまでは言う勇気がありませんでした。と言うより、その
うちに自動車学部での幹部としてのオシゴトが山積し、
本来のオベンキョウは放ったらかし状態になりました。

その結果、タバコ屋は皮肉にも大学の講義ではなくオク
ルマの世界での見聞によって「商いの真髄」を知ること
となりました。その真髄とは「自分は何者かというアイデ
ンティティ(自己証明書、個性)の確立」と「良きイメージ
の構築」だと思います。
DSCN3603.jpg
そのような時代背景の下で昭和43年(1968年)日産との
合併を経てプリンス荻窪で開発された3代目スカイライン
2000GT(通称ハコスカ)がデビューしたのでした。展示車
両は後期型で、フロントグリルのデザインが初期型より
も洗練されたものになっています。それが証拠にナンバ
ープレートには発売4年後の昭和47年(1972年)製となっ
ていますよね。
スカイライン2000GTR-16
さてスカイライン2000GTことスカGですが、話せばブログ
記事3回分の長さになるくらいタバコ屋及びタバコ屋世代
にとっては思い出深いオクルマゆえにここは読者のご迷
惑を考えて簡潔にお話しする必要があります。
スカイライン2000GTR-7
まず、第2回日本GPにおいて「神」となったスカGは3代目
となってその集大成と言うべく、国内レースにおいて空前
の52勝という大記録を打ち立て、やがて神から一歩前進
し「不滅のスカイライン神話」となったのでした。

またフェアレディZが2シーターのスポーツカーであったの
に対し、スカGは2ドアハードトップ/4ドアセダンであり実
用的であったことと、当時のお値段がGTRの150万は例
外としても2000GTが80~90万だったことから、我々庶民
の中でも比較的オカネ持ちの家では無理をすれば買え
た価格でした。
スカイライン2000GT-2
スカイラインはGTRのレースでの活躍によってメチャ高性
能なオクルマという「イメージ!」が確立しそれによって大
ヒットした訳ですが、この「イメージ戦略」というのが商い
にとっては最も高級で重要なことであることがわかります
よね。ただ3代目スカイライン(通称ハコスカ)のキャッチ
フレーズは広告代理店の電通あたりが考えたものかも知
れませんが「愛のスカイライン」で「なんのこっちゃ」と思い
ますが、4代目が「ケンとメリーのスカイライン」ですから、
キャッチフレーズと言うのは荒唐無稽で非現実的なもの
が好まれるのかも知れません。
L型エンジン
ところで、フェアレディZ432とGTRにはプリンス製DOHC
4バルブのS20エンジンが搭載されたのですが、フェアレ
ディS30Zとスカイライン2000GTにはそれとは逆に日産
製のSOHCターンフロー(吸排気口が同じ側にあるもの)
式のL型エンジンが搭載されました。このエンジンはとに
かく丈夫に作られていたのですが、その結果重くて眠い
エンジンとなり、軽快な吹け上がりを期待して購入した
ユーザーをがっかりさせるものでした。
IMG_6034-1.jpg
それにまつわるお話として、タバコ屋が同志社大学自動
車部3回生の時、クラブ員の皆がアルバイトで稼いだお
金をもとに中古の3代目スカイライン2000GT4ドアセダン
を部車として購入したのでした。もうそれはそれは「神」
のごとく部車の旗艦としてまた幹部専用車として大切に
されましたが、「竜頭蛇尾」の言葉どおりレースでの輝か
しいイメージとは裏腹に重々しいフィーリングのオクルマ
で、タバコ屋は内心ああ、竜のアタマをイメージしていた
のに蛇のシッポだったのかと、やや失望した思い出が残
っています。
スカイライン2000GT-15
尚、L型エンジンの名誉のために申し添えますと、それ
だけチューニングのキャパシティが大きかった訳で、事
実L型2000ccエンジンはボアアップと高速走行用チュー
ニングを施した場合は、見違えるようにレスポンスが良
くなり、もともとトルクが大きく扱い易いエンジンであった
ため、スカGはもとより、フェアレディZとの相性も良く、中
でもワークス240Zは国際ラリーで驚異的な活躍を見せ、
また国内レースで240ZRはS20エンジン搭載のZ432を
凌ぐ大活躍を果たしたのでした。
鉄人28号3
さて桜井真一郎氏を中心とする旧プリンスチームの渾
身の作品であるスカイライン2000GTの評価ですが、極
めてNIPPON的な感性のGTとして、またレースでの輝か
しい実績に対して「アッパレ」を差し上げたいと思います。
しかしタバコ屋が抱いていた颯爽と軽やかに「ビューン
と飛んでく鉄人28号
」というイメージに対しては「喝」で
しょう。

今回は一気に40年代オクルマ見学を済まそうと思った
のですが意に反しフェアレディZとスカイライン2000GT
のことだけで紙数が尽きてしまいました。まだまだ書き
残したことは多いのですが、このあたりで終わりに致し
ます。次回は昭和40年代を彩ったその他のオクルマ達
を駆け足で一気に見て行く事に致します。お楽しみに。

コメント

No title

ちわっつ!
S20のエンジンは綺麗で、特にプラグコードの赤とのコントラストが良いですね。
写真の中では、白いZが一番バランスのとれた形に見えます。
ブルーバードやセドリックと日産の主要車種は一杯あったけど、スカイラインはプリンスを買収して手に入れたブランドなのに、ブルーバードやセドリックは残っていなくてスカイラインだけが今も残っているというのは何故なんでしょうか。トヨタはカローラとクラウンは残っているのに(コロナは消滅してますが)

部車のL20のエンジンは確かに重たいというのが印象に残ったままでしたが、ターンフローとは知りませんでした。 
S20が入っていてもスカスカのエンジンルームは現代車からしたら羨ましい限りです。 

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★★島のタバコ屋の独り言★★
【4月10日:ああ創業100年】    島のタバコ屋は先々代が呉服屋を創業以来3代目となり、その間戦後間もない頃には島のバス運営事業を試みる等様々な営みを経て今日に至っています。皆さんよくご存知のNIKONも創業100年なんですが、比較にはならないものの同じ時代を生きてきた訳です。かつてオハイオのメアリーズビルで活躍する夢を抱いたこともあった青年も年を取りました。さて今後の100年をどのように生きて地域のお役に立っていくか、タバコ屋にとっては後継者である倅への「死に土産」としてそのコンセプトを確立しておく必要があると考えています。しかし倅にとっては年寄りの余計なおせっかいに写るかも知れませんよね。
◆◆島のタバコ屋メニュー◆◆
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