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イーハトーヴの頃 vol.1:プロローグ

平成29年10月13日
あれはいつの頃のことだったんだろう。思えばタバコ屋
を始めとする高度成長時代の申し子である「万博世代
(タバコ屋の造語です)が、昭和40年代から平成初期に
かけての20年間、右肩上がりという熱病にうなされて突
っ走って来た時代がありました。その間にはオイルショッ
クを経験し、その後バブル景気にすっかり酔ってしまっ
たものの、その崩壊後は次なるリーマンショックが到来
し、幾度となくショックだらけの冷水を浴びせられ、以後
ひたすら右肩下がりの時代になってからも逞しく?生き
抜いてきた我ら万博世代は、景気がどうあろうと「どっか
らでも掛かって来い!」という腹の据わった気概が生ま
れてしまったように思います。これをアカデミックな学術
用語では「時流適応」と申します。
三波春夫1-1
さて、その万博世代もよわい60有余年を生き、人生の
黄昏を迎えようとするにあたり、ふと自分の人生を振り
返ると悲喜こもごも自責の念やら満足感やら入り混じ
って複雑な感情につまされているのはタバコ屋だけで
はないと思います。

趣味とは申せ、好きなオクルマの遍歴においても同様
で、あこがれのクルマ、初めて購入したクルマ、彼女と
の思い出(その有無は問わず)、お子達との思い出等
々その時期々において様々な事情の中で使い分けて
来たと思うんです。ご自分の夢、思いをすべて実現した
方は幸せだと思いますが、タバコ屋の場合は愛車遍歴
と申しましても、バカの一つ覚えの如くひたすらHONDA
車を愛用してきたことは以前の記事にて何度もご紹介し
て来ましたよね。

もう10年近く前のことになりますが、還暦を間近にして
ああこのまま朽ち果てるのかと思うと一抹の寂しさが
こみ上げ、せめて「死に土産」としてタバコ屋が若かっ
た頃(ということは今出川時代)に憧れだったオクルマ
に一度でも乗ってみたいと思うようになりました。
宮沢賢治2
ところで、憧れや理想といったものは誰もがお持ちだと
思うのですが、タバコ屋の好きな詩人で昭和初期に意
欲的な創作活動をした岩手県出身の宮沢賢治のことで
す。彼の晩年には(と言っても37歳の生涯だったのです
が)あの有名な「雨ニモマケズ、風ニモマケズ、雪ニモ
夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ、(中略)東ニ病
気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ西ニツカレタ母アレ
バ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ、(中略)ホメラレモセズクニモ
サレズ、ソウイフモノニワタシハナリタイ」の詩を残した
彼は、一種のロマンチストだったのではないかと思うん
です。
宮沢賢治5
その彼は自分の理想郷(アタマで考えたユートピア)を
イーハトーブ」と名付けました、語源はどうも岩手弁で
イハテのことらしいのですが、それよりも大切な事は彼
にとっての形而上(アタマで空想した)の理想郷なるもの
即ち「ドリームランド」があったと言うことなんです。
枚方パーク4
さて、タバコ屋にとってその「イーハトーヴ」即ち「ドリー
ムランド」とはどんなものだったのでしょうか。もうセピ
ア色に色褪せた幼い頃の思い出になりますが、タバコ
屋は従兄弟夫婦だった叔父叔母のところへ4才の頃、
養子に貰われて行きました。養父母は早く自分達にな
じませようとして、毎年私を連れて京阪神方面へ遊びに
連れて行ってくれたのです。昭和30年頃から数年間の
出来事だったのですが、当時は高度成長時代に突入し
つつあり、また戦後のベビーブームで大阪の街は活気
に満ち、若い夫婦と子供達で溢れていました。ショーバ
イ人もこれを放っておく筈がなく、阪急、阪神、京阪等、
電鉄系資本が競って百貨店を建て、沿線にはレジャー
ランド(今風に言えばテーマパーク)が作られました。
枚方パーク6
丁度、養父母の妹夫婦が大阪に住んでいて、また私の
従兄弟がいたものですから(後、長岡京市に移住)上阪
の時はそこを根城にして二組の夫婦があちこち遊びに
行った訳です。幼いタバコ屋にとっては見るもの聞くも
の新しいものばかりで、子供なりにカルチャーショックだ
ったと思いますが、従兄弟と一緒に行った阪急百貨店、
阪神パーク、枚方パークは幼いタバコ屋にとっての「ドリ
ームランド」でした。特に乗り物が好きで、今で言う電気
自動車(EV)のお子様用ジドーシャには従兄弟と二人で
飽きもせずコインを浪費したものでした。
事実その後、奈良にはずばり「ドリームランド」という名
前のレジャーパークが出来、そこにも遊びに行ったので
したが、それを最後に年に一度の京阪神遊山は終わり
となりました。
ドリームランド4
その後のことですが、小学校も高学年となり、やがて中
学、高校と進むにつれ「ドリームランド」なるものは長き
にわたり封印されることとなりました。やがて大学進学を
迎えるにあたり、担任のセンセはトウキョウの大学(ユキ
チとかオオクマなんていう名前の人が建学した大学)を
勧めてくれたのでしたが、幼い頃の京阪神での思い出
は進学時にも思い絶ち難く、また実母がプロテスタント
のクリスチャンだったことから同志社大学に行ってほしい
という無言の示唆(願い)もありその結果、同志社大学
とご縁を持たせて頂く事になりました。

今出川時代の出来事は以前の記事で沢山書いていま
すので今回は省略致しますが、当時の若者の誰もが憧
れたオクルマに乗れるという淡い期待で体育会自動車
部という特殊なカテゴリーのクラブに入部してしまった
タバコ屋でした。その後は「ドリームランド」どころか地獄
の日々が待っていたのですが、そのこともすでに何度も
書いていますのではしょります。
ブルーバード310-2
昭和30年代後半から40年代(1970年代)前半にかけて、
当時NIPPONは敗戦で叩きのめされたヒコーキ産業の
リベンジの如くオクルマと家電で世界へ雄飛しHONDA
SONYなどが存在感を示しつつありましたがまだまだ規
模が小さく、オクルマ業界で言えばトヨタ、NISSANが中
心でした。中でも日産は「技術の日産」というキャッチフ
レーズで、しかもヒコーキメーカーの末裔であるプリンス
と合併したこともあり、当時の若者にとって憧れとも言え
る魅力的なオクルマを次々に発表していきました。
スカイライン2000GTR-1
タバコ屋を含む多感な青年たちがそれを放っておくはず
がなく、プリンス製スカイライン2000GTを筆頭に、サニー
1200GX、ブルーバード1600SSS、及び和製ミニクーパー
とも言える、斬新なメカニズムのチェリーX1等々、枚挙に
いとまがない程です。その中でも「坂の上の雲」の頂点
に位置していたのがフェアレディS30Zでした。
フェアレディZ10
ほとんどのNISSAN車には乗ったり、見たりしたはずの
タバコ屋でしたが、フェアレディS30Zにはご縁がありま
せんでした。それはタバコ屋だけでなく当時の同期生
たちも同様にて、またオクルマ好きの先輩、後輩の所
有車はもとより、京都の街中でもZを見かけることはあ
りませんでした。

「イーハトーヴ」のお話しに戻ります。さて長らく封印さ
れていたタバコ屋の「ドリームランド」は今出川時代に
再び蘇ったと申しますか、寝た子を起こしたと申します
か、人生で一番多感な時期を今出川で過ごした訳です
から、そこで受けたカルチャーショックというのはかなり
大きいものがあったと思うんです。
黒船1
かつて幕末にクロフネの襲来に際し、吉田松陰はもと
より、坂本龍馬、勝麟太郎(海舟)が受けたカルチャー
ショックはやがてNIPPNがひっくり返ることになる程の
衝撃だったように、異文化の体験というのは強烈なショ
ックを伴うものなんです。ここでタバコ屋としては皆さん
には未発表の画期的な普遍定義を発表しなければなり
ません。何かと申しますと「カルチャーショック=憧れ=
ドリームランド=イーハトーヴ
」という宮沢賢治もビックリ
ポンの新定義なんです。
240Zサファリ10
さて京都の街では見ることがなかったその憧れのオクル
マ、フェアレディS30Zなんですが、当時ボンビー学生だ
ったタバコ屋が今出川の本屋でオッチャンに、はたきで
追っ払われながら立ち読みしたカーグラフィックの紙面
には世界一過酷とされたサファリラリーでワークス240Z
が満身創痍になりながらも、初出場にして見事初優勝、
また雪のモンテカルロラリーでは奇跡的な総合3位入賞
という勇ましい見出しが紙面を飾っていました。ワークス
ドライバーだった名手アールトーネンによれば、240Zは
ライバルのポルシェ911よりも速かったと言いますから、
そらもうNIPPONの若人としては誇らしいことでした。
240Zモンテ3
一方国内のレースにおいては北野元選手の駆る同じく
ワークス240Zが鈴鹿300kmレースにて初優勝し、もう
タバコ屋にとってフェアレディS30Z、なかでもモータース
ポーツで大活躍した240Zは憧れであり、坂の上の雲の
存在でした。ましてやそのフェアレディS30Zを所有する
など夢にも見ることではなかったのです。
240Z-1.jpg
冒頭の文章に戻りますが、時は過ぎよわい60の還暦が
近付くにつれ、死に土産として、今出川時代憧れだった
オクルマにせめて一度でも乗ってみたいと思うのは人情
と言うものでしょう。そのオクルマというのがフェアレディ
S30Zでした。

長い前置きとなってしまいましたが、そのフェアレディZを
取得しその後馬鹿げたことに足掛け7年間にも及ぶ地獄
の復刻作業(レストア)を敢行した経緯については以前の
記事にて詳しくお話し、しましたよね。

さて紙数は尽きたようですが「煩悩は尽きず!」で次回は
懲りないタバコ屋が究極のチューニングを目指して得意
の「MARUNAGE」を実施した最新の模様をお話ししようと
思います。お楽しみに。

コメント

No title

チワッツ!
死に土産という言葉には共感させられますが、カーキチとして一度は乗っておきたい車というのは皆それぞれ心の中にあるのでは無いでしょうか。 私は後何台乗れるのかと考えた時に、やはり一度は乗っておきたい車を選択しなければという思いもあり乗り換えを決意しました。
更に、人生最後の車は何にするのかも悩みの種です。。
少なくとも自動運転の車は選ばないでしょう。。
コンピューター制御が入り過ぎている車も選びたくないし、となると2010年以前の車とか、1990年辺りの個性ある車も良いなあと考えたりすると悩みはつきません。。
旧車のフェアレディZを悩みなく選んだ チャンさんには脱帽です。

No title

こんにちは空射ちチャンタさん「イーハトーヴの頃」立読みしました。最初「イーハトーヴ」って何のことやろか?、わかりませんでした。読み進めるとこれは「夢創造」ですね。さらに読み進むと空射ちチャンタさんの「人生行路」及び「終活始めました」の記事か?と思いました。言わば遺言ですね!。(笑)
 
宮沢賢治の詩、なかなかいいですね!心に響きます。詩のフレーズで「夏ノ暑サニモマケズ」のところ「夏ノ暑サニモマヌケ」と読んでしまいました。「ドヂ」ですね!
空射ちチャンタさん、この際「富永健次」改め「富永賢治」にしてはいかがですか?「薄幸の詩人空射ちチャンタ」なんかもいいですね!。
 
それはさておき、我々学生時代の憧れの車、初代フェアレディZの当時の活躍の記事及び写真、これがまたいいですね!。こうなると、空射ちチャンタさんの「赤いお嬢さん」のグレードアップ記事が楽しみです。しかしまあいつものことながら、気を持たせますね。いつも楽しいブログありがとうございます。神戸のギ~です。
 

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★★島のタバコ屋の独り言★★
【4月10日:ああ創業100年】    島のタバコ屋は先々代が呉服屋を創業以来3代目となり、その間戦後間もない頃には島のバス運営事業を試みる等様々な営みを経て今日に至っています。皆さんよくご存知のNIKONも創業100年なんですが、比較にはならないものの同じ時代を生きてきた訳です。かつてオハイオのメアリーズビルで活躍する夢を抱いたこともあった青年も年を取りました。さて今後の100年をどのように生きて地域のお役に立っていくか、タバコ屋にとっては後継者である倅への「死に土産」としてそのコンセプトを確立しておく必要があると考えています。しかし倅にとっては年寄りの余計なおせっかいに写るかも知れませんよね。
◆◆島のタバコ屋メニュー◆◆
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