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劇的ビフォーアフター(環境整備のススメ)vol.1:プロローグ

平成31年1月1日
正月早々恐縮ながら、話しは40年前にさかのぼりま
す。当時タバコ屋は先代と親子鷹で計画した島で唯
一かつ画期的な総合スーパーを開設、食品、生活
雑貨、衣料品を扱う当時としては極めて斬新なお店
として、島の住民の方々には多大な支持を持って歓
迎されました。
ダイエー5-3
一般の読者の方には想像出来ないでしょうが、若き
日のタバコ屋を突き動かしたその動機(モチベーシ
ョン)と申しますのは大学時代、クラブの合宿所が
香里園にあり、忘れもしません昭和44年、香里駅前
に日本で最初のショッピングセンターであるダイエ
ー香里ショッパーズプラザがオープンしたのです。
百貨店とは全く異なる大衆品を衣・食・住にわたっ
て品揃えし、セルフサービスはもちろん、デイスカ
ウントを売り物にまた低層階の広い売場と、モータ
リゼーションの急激な拡大に対応した広大な駐車
場を武器に、その後の日本流通業界を席捲するこ
とになるのですが、当時大学1回生だったタバコ屋
は流通論を専攻していたため、知識としてはあった
ものの実際クラブ員の食事の買い出しに毎日通う
ことにより、その斬新さに驚きを通り越して一種
カルチャーショックを受けたのでした。

その後島に帰ってみて、既存の旧態然たる富永商店
及び併設していた中島主婦の店を見るに及び、これ
では時代遅れも甚だしく、島民の方々に対し恥ずか
しいという気持ちで一杯だったのを覚えています。
IMG_1603.jpg
当時総合スーパーの経営ノウハウは全くありません
でしたが、幸いな事にニチイ(後のマイカル)が全
国の中小流通業者に呼びかけてボランタリーチェ
ーンを組織化しようという動きがあることを知り、
さっそく先代といっしょに約1年!の研修を受け、
加盟させてもらうことにしたのです。店舗設計を皮
切りに商品構成、取引先等々すべてにわたり当時
ダイエー同様日本の流通業界の最先端を走って
いたニチイさんにおんぶにダッコで我が店は颯爽
とオープンしたのでした。
旧ミニ-16
言ってみれば、戦後我がNISSANがオースチンの
エンジンをコピーさせてもらい、日野がルノーの乗
用車をコピー生産させてもらったことと同じことが
瀬戸内海の小さな島で起こったのです。
ホンダシビック8
オクルマ業界では我がHONDAが世界中のどのメー
カーも成し得なかった低公害CVCCエンジンの開発
に成功しシビックに搭載、トテモ鼻息荒かった頃の
お話です。
ホンダシビック1
ちなみに、このブログによくご登場頂く、同志社の
太宰治もしくは神戸のケイサツのギーちゃんこと
同期の森本氏はこの斬新なCIVICを初めてのお給料
で買いました。彼もまた鼻息荒かった頃でした。
スーパートミナガ2
その総合スーパーの店内ですが、最初は慣れない
せいで赤字となりましたが、その後勝手が分かって
きて軌道に乗せた後、次なる仕掛けとして島で唯一
のホームセンターの開設を目指したのでした。
IMG_1618A.jpg
紆余曲折の後、平成5年にホームセンターがオープ
ンしたのですが、総合スーパーが300坪、ホームセ
ンターが150坪という業界常識としては小さな店で
したが、島では唯一の大型店ということで同じ敷地
にスーパーとホームセンターがくっついたこのユニ
ークな店舗はまたもや島民の方々から圧倒的な支持
を受けました。

余談ながら、ホームセンターの開発にあたり、スー
パー開設時同様、ノウハウゼロだったのですが、
この時点ではニチイグループを離れていたため、
たよる相手がおらず困っていたところ、既存の有力
仕入先の社長から、さる地方ホームセンターに指
導の斡旋をして頂き、店舗レイアウト、商品構成、
仕入先等々すべて教わりやっと開設にこぎつけた
という経緯があります。

それらの経験を通じ、タバコ屋は自分一人の力で
出来ることなんてたかが知れていると悟ったのと、
捨てる神あれば拾う神ありで、執念を持って一つの
ことに取り組めば必ず助けてくれる人が現れるとい
うことを悟ったのでした。
蛇足ながら、タバコ屋の特技はMARUNAGEという
大技なんですが、あまり乱発すると信頼を失うとい
う結果に繋がります。
DSCN5480.jpg
写真はホームセンター店内ですが、以来25年の年
月が経過し、その間島のタバコ屋は店の運営を他
の役員にまかせ、自分は更なる新規事業である、
島のみかんの産直販売及びその加工品(ジュース・
ジャム・スイーツ等)の製造販売に無謀にも乗り出
しました。
また困難なことにその途中で今度は島の葬儀屋も
いやいや引き受けねばならない事態となりました。
(先代の従姉妹のお婆さんにそのショウバイを押し
付けられたのです)タバコ屋が断れば葬儀屋が島
に無くなる訳で泣く泣く引き受けたのが実情でした。
IMG_0266.jpg
一方困難を極めたのがジュースの製造事業でした。
ノウハウなし、販路なし、資金なしというナイチン
ゲールの三重苦を地で行くような苦しみが10年続
きました。おかげで豊かに茂っていた頭髪は消え
失せ、白髪親父と成り果てたのですが、倅が親を
不憫と思ったのかどうか、いわばレスキュー隊とし
て帰ってくれたのです。まさに地獄に仏とはこの事
でした。
IMG_1802.jpg
お陰様にて、10年間問題児だったファクトリー事業
は一転、優良児に変身し、利益がしっかり出る体質
に変わりました。タバコ屋の初期投資が身の程知ら
ずとなり、足かせになっていたのは事実ですが、
「稼ぐに追いつくビンボウなし」の諺どおり、見事
損益分岐点という重力の壁を突破し、広大な宇宙
スペース?へ発進しようとしています。

さて今回のテーマ「劇的ビフォーアフター中島版」
なんですが、これには少し事情があるんです。上記
新規事業を推進していったタバコ屋ですが、その間
他の役員に任せっきりだった既存のスーパー、ホー
ムセンターにも劇的な変化が起こり、かつてタバコ
屋が育てた優等生は今や問題児となりつつありま
した。店舗が老朽化してきたのに加え、従来任せっ
きりだった他の役員が高齢化し、退職を申し出たこ
とでした。他の高齢化した社員も同様去って行きま
した。また、この25年間に島の人口は最盛時の半
分以下に激減してしまったのです。
ミニ四駆6
例えて申しますと、ホームセンター開設当時(平成
5年)頃に大流行だったミニ四駆の大会を店頭で開
催したのですが、当時お子達は結構沢山いて、また
放っておけないおせっかいの父親達も入れると、
整理券が要るくらい大変な賑わいでした。
ミニ四駆12
タバコ屋の親しくさせて頂いている、京都教育界の
一面を代表する御仁で、通称宇治のアオリ大魔王
こと平尾センセもこのカテゴリーはお好きなはずで
随分お子達を煽りその結果「手作りの動くおもちゃ
」を教材に活用し情操教育を図り、ついには京都の
みならず日本の図工教育界で「京都に平尾あり」と
文科省に言わしめたのかどうか不詳ながら、教育
者に対する数々の賞を受賞しているらしく、不滅の
教育実績を残しつつあります。
548-1.jpg
ちなみに平尾センセの地元京都では、かなり以前
より平尾センセ考案のトイコンテストなるものが開
催されていて、大変な賑わいなんです。

早い話、アオリ大魔王センセは「ゆとり教育」とは
真逆の「競い教育」を推進したわけで、その真価は
後世の判断に委ねることになるでしょうが、タバコ
屋の推察ながら恐らく彼の脳裏には「心のゆとりを
持った競い合い」というコンセプトがあるんだと
思います。
569.jpg
それはスピード競技をはじめ、長距離走からアイデ
ア部門、ビューティ部門等々、男児、女児ともに
興味を持たせるように工夫されていて、はるばる
南の島から見学に行った物好きなタバコ屋さんも
飽きることなく楽しめるイベントでした。
DSCN2167-1.jpg
創造性を育む教材と言うことで平尾センセの苦心
の策としてこのように身の回りにある廃品同様の
パーツを利用して、お子達にクリエイティブな作品
を作らせるという趣向です。
DSCN9851.jpg
余計なおせっかいながら、先般東京工大体育館で
行われたその「動くおもちゃ」の全国競技大会で、
平尾センセの指導する京都お子様チームが悲願の
初優勝を勝ち取ったとかいう噂です。

それはともかく、中島では当時押すな押すなだった
ミニ四駆大会の面影はなく、今ではなんと1年生か
ら6年生までの総数が50人程度という悲しくも由々
しき事態なんです。

したがいまして、お店と言うのは客数がすべてで
あり、近隣人口というのがベースとなっている訳で
すが、それがここ25年間の間に半分以下に激減し、
おまけに店を運営してきた役員や高齢の社員も退
職したとなると、残されたのは「裸の王様!」たる
タバコ屋ただ一人じゃないですか。

何と言うことでしょう。ここで一人の匠が立ち上が
ったのです。かつて若き精鋭だった島のタバコ屋も
今やたそがれの老兵になりつつあり、通常はここで
へたり込んでしまうのが世の常ですが、島のタバコ
屋は地獄の香里合宿を耐えてきた筋金入りの元精鋭
なんです。
IMG_6032-1.jpg
最後の力を振りしぼりそれこそ「死に土産」として
老朽化した既存のスーパー、ホームセンターの復刻
(レストア)復活を一人果たそうと決意しました。

ところで写真は何なの?というご質問ですが、かつ
てタバコ屋が現役時代、全関西フィギュア競技大会
で我が母校自動車部の大先輩でOB会長でもあっ
た、浪速三菱ジドウシャ社長の島治三郎大会会長
を前に選手宣誓をしているところなんです。
(ゴホン、ホン)
ついでの余談ながら、タバコ屋は宣誓どおり正々堂
々とやりすぎたため、頭のよい広島大学の選手に
正々堂々ではない姑息な手段で敗れましたが、後
の祭りでした。以来この事件はタバコ屋のトラウマ
となっており正々堂々ばかりが成功への道ではない
ことを学んだのでした。

何とも長たらしいプロローグとなり梅田の公認会計
士、上山センセには長すぎやと叱られそうですが、
次回よりその復刻(レストア)作業の全貌を御覧頂
くことに致しましょう。お楽しみに・・・。

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★★島のタバコ屋の独り言★★
【7月31日:ああ創業100年】 島のタバコ屋、即ち富永呉服店が創業100年を迎えたことは先般お伝えした通りですが、皆さんよくご存知の世界的宇宙物理学者、故ホーキング博士によれば、100年なんて宇宙的時間軸で言えば、一瞬のまばたきに過ぎない訳で「島でのことも夢のまた夢」ということになりましょう。それはともかく4才の頃から道端の草にも「コンニチハ」なんて愛想を振り撒いて来たタバコ屋にしてみれば「店は客のためにある!」以上、未来永劫、店の続く限りそのテーゼを実践し続けるしかないのです。京都で300年続く老舗料亭、老舗呉服問屋もその志があったのかどうか、お聞きしたことはありませんが、当らずとも遠からじではないでしょうか。
◆◆島のタバコ屋メニュー◆◆
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