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好みの基準 vol.2:愛車変歴

平成25年3月23日
先日の記事、「好みの基準 vol.1」でタバコ屋のオクル
マの好みの一端をご紹介した訳ですが、今回は愛車
変歴?の一部をご紹介することでよりいっそうタバコ
屋の変わった好みを理解して頂けるような気がするの
です。
次回からはまた農業のシリーズを再開しようと思いま
すので、やや力が入ると思います。その前にもう少し
休憩のつもりでタバコ屋が過去に購入したクルマ、また
は憧れだけで夢と終わってしまったクルマや思い出に
残っているクルマ等を取り混ぜてご紹介することにしま
しょう。

【昭和40年代】(1970年頃)
日本の高度成長期真っ只中、モータリゼーション華や
かなりし時で、同志社大学自動車部に在籍していた頃
の思い出になります。
地方から出て来たマルビ学生の身、オクルマなぞ買え
る身分ではありません。年代モノの部車を競技や一般
走行、あるいは遠征等で乗り回し、それなりの経験と
知識は身につけていきました。
ホンダN360-2
捨てる神あれば拾う神あり、果報は寝て待てと言いま
すか、4回生になる頃、卒業するO先輩が愛用していた
Nコロを2万円で譲って頂ける事になりました。それでも
大金なので同じ下宿の同期生S君と半分づつ出し合っ
て共同所有することになりました。
写真のNコロとよく似たカラーリングで淡いブルーに屋
根が白のツートンカラーでした。多分O先輩はオースチ
ンミニを気取ってそういうカラーリングにしたのだと思い
ます。Nコロはそれなりによく走り、バイクエンジンのよう
に軽快な吹け上りで、どうしても回し過ぎる傾向があり、
その排気音がまた魅力的でした。標準のバックランプ
はしょぼくて使い物にならず、中古のトラック用バック
ライトをリアのトランク辺りに取り付けていました。
1年乗ったあと、クラブに寄贈して卒業した記憶があり
ます。その後1度だけ香里園の同志社体育会合宿所で
見た記憶があるのですがあれからどうなったのだろう。
(関連記事:鈴鹿サーキットのこと vol.3:混迷期参照願
います)

【昭和50年代】(1980年頃)
世は右肩上がりで、いけいけどんどんの時代ではあっ
たものの、その結果工場やクルマの排気ガスが社会
問題化し法律で規制されるという事態になり、メーカー
各社もその解決を図るためモータースポーツ等の余
分な活動はすべて取りやめ、全力で研究開発を進め
ることとなりました。アメリカのビッグ3などはそんなこ
と無理とか言って政府にダダをこねる始末でしたが、
混沌の中でHONDAは世界に先駆け低公害CVCC
エンジン
の開発に成功したのです。
アコードハッチバック3
タバコ屋が自分のお給料で買った初めてのオクルマ
が昭和51年に発売されたアコードハッチバックでした。
色は黄色で、デザインが当時の国産車とは一線を画
したハイカラなイメージだったのと、誰も出来なかった
技術的困難を克服したイメージが重なり、発売後すぐ
に購入したような記憶があります。
アコードという名前のごとくHONDAの先進性とか合理
性がぎゅっと詰まったパッケージングで、スポーティと
いうよりはハイカラ&モダンというイメージでした。
世界に一石を投じたHONDAのチャレンジング精神
とても誇らしく、まぶしく思えたものです。
アコードハッチバック7
そのコクピットも合理的と言いますか上部が棚状に
なっていて非常にハイカラなイメージでした。当時ロー
ヴァーがこのスタイルをとっていたのでその影響を受
けたのは間違いないと思います。
あれ以降、トラックやバンのアクティにその便利棚コン
セプトは残りましたが、それ以外の車種では跡形もなく
消えてしまったのはどういうことなんだろう。今にも通じ
る合理的かつシンプルデザインだと思うのですが。
写真ではAT仕様ですが、購入したのは5速マニュアル
ミッションでした。
シロッコ3
アコードの発売より少し前に発表された、タバコ屋の
お気に入り、ジウジアーロデザインのVWシロッコとは
コンセプトもデザインもかなり似たところがあり当時HO
NDAは世界に通用する新しいデザインを模索中であり、
相当気負っていたはずで、シロッコもかなり研究したに
違いありません。
(タバコ屋の言うデザインというのはボディの造形だけ
でなく、駆動方式や足回り、ボディの基本レイアウトを
含む総合的なパッケージングのことです)
タバコ屋もシロッコのことは気になっていましたが、何し
ろ高価な舶来品にて、その時は高値の花として購入は
叶いませんでした。
ただアコードハッチバックの方が先進性では勝っていた
と思います。
(関連記事:GTのお話 vol.2参照願います)

【昭和60年代】(1985年頃)
排気ガスの大幅削減という困難なテーマも昼夜を徹し
た研究努力のかいあって一段落し、この頃からどの
産業分野にも先行きの期待感が出てくるようになり、
土地の値段や高額嗜好品の価格が上り始め、いわゆ
バブル時代に突入することとなりました。
ジャパンアズナンバーワンなどと、もてはやされディス
コクラブのジュリアナ東京などという年中お嬢さん盆踊
り会場のようなものが出現しました。スーパーカーブー
ムが起こったのもこの時期です。
レジェンド
タバコ屋には分不相応でしたが、かなりムリをして買っ
たのが初代HONDAレジェンドです。当時HONDAは
イギリスのローヴァー社と提携し、上級セダンの研究
開発を進めていました。

その共同開発第一号がレジェンドだった訳で、それこそ
素人のHONDAがローヴァーからすべてを教わって作っ
た作品だけにイギリスの香りがプンプンするオクルマで
した。当時の国産車はお座敷サルーンのコンセプトで
したから、もうカルチャーショックといいますか、日本も
こんなハイカラな車が作れるんや~という驚きと感動で、
アコードを乗り換えるつもりでディーラーに行ったタバコ
屋は衝動的にレジェンドの購入用紙にサインしてしまっ
たのでした。
アコードハッチバック8
待ち遠しかった納車日にアコードハッチバックと仲良
く写った写真です。とてもお気に入りでしたが、新開発
のSOHC-V6エンジンはHONDAらしく高回転までスム
ーズに回ったものの、如何せんトルクがなく、乗り慣れ
てくるにつれやや不満は残りました。
(関連記事:復刻と改造参照願います)
デルタインテグラーレ4
この頃、気になっていたのがランチアデルタ・HFインテ
グラーレという舌を噛みそうな名前のオクルマです。
初代は昭和50年代に発売されていましたが、改良を重
ねて平成の初期まで生き延びた長命車種でした。
タバコ屋お気に入りのジウジアーロ氏がデザインした
このオクルマはレジェンドとはコンセプトも車格も全く異
なるものでしたが、同じくジウジアーロ氏のデザインした
初代ゴルフにも共通する直線を基調とした四角いハコ
型でした。何故かタバコ屋はそれがすごく気に入ってい
ました。
デルタインテグラーレ9
フェンダーの膨らまし方についてレジェンドと比較して
ほしいのですが同じデザイン手法で、ブリスターフェン
ダーと言います。当時この2車しかこのやり方を採用し
ていなかったように思うのですが、記憶が不確かです。
皆さん多分信じないでしょうが、この存在感のあるボデ
ィーは実際はとてもコンパクトで全長4m弱!と日本の
軽四規格とほぼ同じでした。ただ幅はかなり広いです。
デルタインテグラーレ・WRC4
このランチアデルタ・HFインテグラーレを一躍有名にし
たのがWRC(国際ラリー選手権)での目覚しい活躍で
した。何と昭和61年(1986年)にデビュー以来それまで
の王者アウディクアトロやプジョー205を蹴散らし破竹
の6連覇という前人未踏の偉業を達成したのです。
メカは2リットルDOHCターボで4WDでした。
デルタインテグラーレコクピット2
このクルマをチューニングしたのは写真のステアリン
グ中央部にあるサソリのマークで有名なアバルト社
でした。
このオクルマの前身はデルタS4と言って競技専用に
特別製作されたものでしたが余りにも高性能だった
ため、事故が多発し車両ルール変更の原因にもなっ
た結果、その後は市販車をベースにした規定に改め
られました。それに合わせて開発されたのがランチア
デルタ・HFインテグラーレでした。
しかし我々シロウトはそれとは関係なくやたらインテグ
ラーレに憧れたりするものですからメーカーはしてやっ
たりとなる訳で、こういうのをイメージ戦略と言います。

しかしその栄光もやがて登場する我らがトヨタセリカ
GT-FOURによって打ち砕かれることとなりました。
いずれにせよこのランチアデルタ・HFインテグラーレも
舶来品でありイタリア人の嫁ハンもらうような感じもあり
で、タバコ屋の単なる憧れだけに終わってしまったので
した。

【平成初期から10年頃にかけて】(1990年~1995年頃)
依然としてバブルは続いたもののやや陰りが出始めた
時期です。かつての島のみかんバブルはとっくに終わ
っていましたが、またいいことが起こるのではなかろう
かと皆がほのかな期待を持っていた頃です。
タバコ屋の子育ても3人が小学校、中学校へと進み、
やや一段落といった時期でした。
2代目レジェンド1
当時HONDAはアメリカに進出し成功を収めつつあり
ました。そこで次にはアキュラという耳慣れない新しい
ブランドを作り、アメリカの高級車市場に参入しようとし
ていました。トヨタもレクサスというブランドで同様のこ
とを模索していた時期で、どちらも仮想ライバルはメル
セデスベンツ、BMW、キャデラックでした。
アキュラブランドで投入する第一号が2代目レジェンド
だったのです。その意味では歴史的なクルマですが、
何せアメリカ市場用に開発されたクルマだったので図
体がデカく国内専用のクラウンよりも一回り大きいもの
でした。デザインはかなりドイツ車を意識したもので、
特に当時アメリカのヤッピーと呼ばれる若い知識層に
人気のあったBMWを徹底的に意識したものでした。
NSX3.jpg
またHONDAは当時F1で大成功を収めその絶頂期に
あり、かなりバブリーとも言える2代目レジェンドの発売
に至りましたがアキュラチャンネルを構築するにあたり
そのイメージリーダーとなるフラッグシップが必要で、
HONDA初の2座席ミッドシップスポーツカーNSXの登
場となるのですが、単体ではそろばんが合わないの
でエンジンその他の部品をレジェンドから流用すると
いう方法で、一石二鳥を狙った面もありました。
(関連記事:八重のこと vol.2参照願います)
2代目レジェンド4
2代目レジェンドに戻ります。
タバコ屋は特に買い換える必要もなかったのですが、
世はバブル末期、HONDAがF1で煽り立てるものです
から、またもや衝動的に2代目レジェンドの購入用紙
にサインをするはめになりました。
それはそれとして、レジェンドのデザインがお気に入り
だった面もあります。3.2リットルSOHC-V6エンジンは
非常になめらかで、メカといい、内外装といい、とても
高級感があり、乗った感じもやや硬めでしっかり感が
あって、まるで和製BMWといった風情がありました。
またフロントフェイスも今のようにごてごてしてなく、控え
めでBMW同様、とても知的なイメージを持っていました。

写真は購入して間もない頃、宮崎のシーガイアで開催
された、タバコ屋が所属していた経営者研究セミナー
に参加するべく、遠路はせ参じた時のものです。
レジェンドはともかくシーガイアのスケールにも度胆を
抜かれたタバコ屋ではありましたが、ご存知のごとく
シーガイアはやりすぎで後日破綻してしまいましたよ
ね。ハウステンボスもそうですがリゾートやレジャー施
設の経営は難しいです。その点、鈴鹿サーキットは
同じ巨額投資ではあるものの、マニア向けのレジャー
であるレースとファミリー向けの遊園地を上手に組み
合わせ運営していて初期には恐らくHONDAが相当な
不足資金を補填したと思いますが、近年は多分黒字
経営であり、大したものだと思います。
2代目レジェンド3
以前の記事にも書きましたが、タバコ屋が島のみかん
をF1-GP時に販売するためその商談で鈴鹿サーキット
ホテルへ宿泊した時もレジェンドで行きました。ちなみに
購入時のカラーはボディ上部がガンメタで下部がダー
クシルバーのツートンカラーでした。
(関連記事:鈴鹿サーキットのこと vol.4:絶頂期参照願
います)
HONDAレジェンド1
タバコ屋はこのクルマのデザインがとてもお気に入り
だったので手放す気にならず、5、6年たってからボディ
に細かいキズが目立ってきたのと気分転換のためも
あって、買い換えるよりは安上がりな色を塗り替える
という方法をとりました。ガンメタをライトシルバーに塗
り替えましたが見違えるようになりました。
ホイールは購入時、親切なG店長さんに無理を言って、
本当は無理な注文だったクーペ用のものに取り替えて
もらっていました。
HONDAレジェンド4
これはお遊びですが、またもやG店長さんに無理を言
って、本来トランクの左サイドに横一列であったレジェ
ンドのロゴマークを中央上部に楕円形に貼り直してもら
いました。尚ここだけの話ですが、バンパー下左右に
見える補助バックライトは法令違反なので、さすがの
親切なG店長さんも応じてくれず、泣く泣く自分で取り
付けました。
(関連記事:紅茶と人絹モスリン参照願います)
BMW5-4.jpg
2代目レジェンド購入時に悩んだのがドイツ製BMW5
でした。レジェンドがアメリカ市場で直接対決すること
になったライバル車ですが、どちらを購入するか、かな
り迷った挙句、やはり日本男児である以上メイドイン・
ジャパンに乗るべきであるという妙な理屈をつけ自分
を納得させました。
もう一つにはやはり舶来品であり高価だったので、自分
には贅沢な気もしたのです。
また自称HONDA-PTA会長がドイツ野郎のクルマに
乗るとは何ごとかという後ろめたさもあったのは事実
です。結局BMW5の購入は、はかない夢と消えてしま
いました。

余談ですがBMWの特徴であるフロントグリルの2分割
デザインはキドニーグリルと呼ばれていて腎臓という
意味です。そういえば腎臓は左右一対になっていて
目立たないけれど重要な臓器ですよね。創業者が、腎
臓のごとく控えめながら存在感のあるクルマであって
ほしいとの願いからかどうか、創業当時から採用して
いるいわばBMWの自己証明書(アイデンティティ)でも
ある訳です。間違ってもブタの鼻などと、失礼な想像は
しないように・・。
日本メーカーに足りないものがあるとしたら、メカの良
し悪しとかではなくて、このアイデンティティでしょうか。
(関連記事:アイデンティティ及び紅茶とハイブリッド
参照願います)

ついでながら皆さん意外に思われるかも知れませんが
BMW5をデザインしたのは日本人デザイナー永島譲二
氏でBMW在籍中に3シリーズ、5シリーズ及びZ3ロード
スターのデザインを手掛けたことで有名です。
裏返せばアイデンティティの表現は、日本人が不得手
なのではなく日本メーカーが無神経もしくはへたくそ
だと言うことでしょうか。
尚、歴代のBMWでこの時期、永島譲二氏によってデザ
インされた一連のシリーズが最も知的で美しかったと
思います。HONDAも同様でこの時期のレジェンドを始
めアコードやシビック等どれもタバコ屋の好きな無駄な
ラインを省いた塊感があり、シンプルかつ知的なイメー
ジを醸し出していました。今のガンダムデザインを見る
に付け、あの頃のHONDAはどこへ行ってしまったのだ
ろうと思うのはタバコ屋だけではないと思います。
ブルーバードU12-5
先日の記事でもご紹介したニッサンブルーバードU12
SSS-Rです。2代目レジェンドより少し前に発売されま
したが、タバコ屋はとても気になっていました。
悲劇のファイターとでも言いましょうか、性能もデザイ
ンも申し分なかったですが世に出る時期が悪かったと
思います。当時ニッサンは国際ラリーからは撤退して
いましたので、その持てる才能を発揮する場がなく、
従って国際舞台での華々しい活躍といったイメージ戦
略を生み出すに至りませんでした。
ランチアデルタ・HFインテグラーレのようにはいかなか
ったのです。大変残念でしたが、あえてこれを購入し
島のしょぼい道路を土煙立てながら走ってもあまり満
たされるものもないことに気付き、このオクルマもタバ
コ屋の秘めたる憧れに終わりました。
(関連記事:幸せの青い鳥参照願います)
HONDAレジェンド2
結局あれやこれやの事情や、タバコ屋の変わった好み
で購入に至る車が現れず、お気に入りの2代目レジェ
ンドに20年も乗ることになりました。10年一昔と言いま
すが20年と言うと、さすが伴侶というにふさわしい愛着
がありました。

【平成15年以降】(2005年頃)
子供が大学生や社会人となり子育ても一段落し、仕事
もやりたいことは概ねやってきたのですが、今までの
人生を振り返り、タバコ屋は以降このまま朽ち果てる
のかと思うと一抹の寂しさもあり、せめて死に土産
青春時代憧れだったクルマに一度は乗ってみたいと
思うようになりました。「♪夢中で~頑張る君に~エー
ルを~」というCMをどこかの不動産屋さんがやってい
たようですが「夢中で頑張った君にご褒美を~」と誰か
に言ってもらいたいものの誰も言ってくれないので、
仕方なく密かに自分で実行に移すことにしたのです。
フェアレディZ2
10年前頃でしょうか、そういうムラムラを見透かしたか
のように「ノスタルジックヒーロー」という団塊世代向け
の旧車専門雑誌が目に留まりました。あるわあるわ、
ボクらの青春時代のオクルマの数々が・・・。
いろいろありましたがタバコ屋のお目当ては当時買い
たくても手も足も出なかったフェアレディS30Zあるいは
国際ラリーで大活躍した240Zでした。

スカイラインGTRは知人の所有車を借りて乗ったこと
もあるのですが、タバコ屋にとってあまり好きな感触で
はなく、一方フェアレディZだけはどういうわけか大学
自動車部時代からご縁がなく、さわったこともなかった
のです。当時の日本の状況では、モータリゼーション
華やかなりしと言えども、やはりフェアレディZは浮世
離れした特殊なオクルマだったのだと思います。
(関連記事:荒ぶる心 vol.1:フェアレディZ参照願います)
フェアレディ240Zモンテカルロラリー出場車4
ご存知のように、フェアレディS30Zは今から40年以上
も前に生産されていた今ではさしずめヒストリックカー
と呼べるものですが、発売されるやいなやその先進的
なデザインと高性能、またポルシェの半額という価格
で世界をアッと言わせ、たちまち世界一のベストセラー
スポーツカーとなりました。
240Zサファリ1-2
そのZの中でも、当時世界一過酷と言われたサファリ
ラリーをいきなり制覇し、また雪のモンテカルロラリー
でも奇跡的な3位入賞を果たすなど、世界を席巻した
DATSUN240Zがタバコ屋にとっては大のお気に入りで
した。
(関連記事:今出川でのこと vol.1参照願います)
240Zモンテ4-1
そこで一大決心をしどうせ現在ではクズ鉄同然でロク
なものはないでしょうから、ベースの車を購入し40年
前の姿に復刻(レストア)しようと思い立ちました。
しかしそこには地獄が待っていようとは知る由もありま
せんでした。
フェアレディZ3
6年ほど前のことでしょうか、松山市内で知人の紹介
で偶然レストアのベースとなるS30Zが見つかりました。
値段は程度の割にはやや高いようにも思いましたが、
なかなか車両そのものが入手出来なくなりつつあった
ので思い切って購入することにしました。
ベース車両と割り切っていたとはいえ、購入後詳しく
調べると一時流行っていた湾岸ミッドナイト仕様という、
ええかっこし~のあんちゃんが街乗りレーサーみたい
に改造したアレでした。
フェアレディZ5 フェアレディZ6
エンジンは改造の定番方程式であるソレックス、タコ足
エキゾースト、カムシャフト及びピストンの組替えがされ
ており、シートはレーシングバケットで、また車高を落と
すためスプリングをカットしており街乗りとは名ばかりで
とても乗れたしろものではありませんでした。
またよくよく調べると一度事故で当たっておりボディが
微妙に歪んでいるのです。
これをレストアするとなるとすべてバラして骨だけにし、
ボディの歪み修正から始め、再塗装、エンジン・ミッショ
ン・その他のパーツや足回り、ダッシュボード、シート、
内張り等の室内仕上げをしなければならず、またエン
ジン、ミッション、足回り等はいろいろ問題を抱えており
結局オーバーホールまたは新品部品に交換が必要で
した。S30ZはGTRとともに旧車の人気車種なので比較
的交換部品は入手しやすいものの欠品が多く入手困
難なものが多くありました。
フェアレディZ8
以前からGTRやZのレストアでかなり名の知れた埼玉
のRJさんというレストアショップには何度か訪れ、顔見
知りだったので、そこに依頼することにしました。しかし
実際作業にかかって頂き、いざ見積りという段になって
あちこち直さないといけないので、いくらかかるかわか
らないなどとタバコ屋の心臓にとても悪いことを言われ、
また遠方なので途中状況を見に行くことも出来ず、不安
だったので、松山のタバコ屋行きつけのTY自動車さん
に腕のいい整備士さんが入社したのをきっかけに依頼
することになりました。しかしそこはレストア専門店では
なく本業の片手間にやってもらうということだったので、
それから足掛け3年もかかることになりました。

写真は骨組みだけにしボディの歪み修正を行なった後
再塗装の準備で既存の塗料を剥ぎ取っているところで
す。この時塗装に隠れて見えなかったサビとかパテ埋
めでごまかしていた腐食穴等を徹底的に補修します。
補修だけでなくボディをオリジナルの仕様に戻すのが
大変で、例えばフロント下部のアゴの部分ですがベース
車には改造の定番であるチンスポイラーが取り付けら
れていました。人気のあったいわゆるGノーズと呼ばれ
るフルフェイスのパーツなら入手可能でしたが、オリジ
ナルのショートノーズに戻そうと思えばそのアゴの部品
がないのです。結局中古部品をレストア専門ショップか
らやっと分けてもらって修復にこぎ着けました。

3年間の泣き笑いレストア記を書くと長くなりますので、
いつか特集記事としてご紹介することにし、今回は結
果のみのご紹介に致します。詳細なスペックもその時
のお楽しみと致しましょう。
(但しこっそり見たい方は、関連記事:ヤマトとラムネ
参照願います)
Zレストア納車時1
いつまで待っても仕上がらないので、しびれを切らし
度々催促して昨年春、やっと納車にこぎ着けました。
これとて完全に仕上がった訳ではなく内外装を整え
一応走れる状態にしただけでソレックス、足回り、ミッ
ション等課題は山積です。
しかしここまでたどり着くのにもう何回投げ出そうとした
ことでしょう。結局5年の歳月と最新のアウディ6ターボ
を新車で買うほどの費用を投じての執念のレストアで
した。今から思うと埼玉のレストアショップRJさんが言っ
た、「いくらかかるかわかりません」という言葉が現実味
を帯びて重く重く感じられるタバコ屋ではありました。
Z&レジェンド
せっかくだったので永年連れ添ったレジェンドと仲良く
記念撮影です。別れ辛かったですがレジェンドはこの
後手放すことにしました。今回5年掛かりでフルレストア
に挑戦したのですが、意外にもオリジナルの状態に戻
すのが一番難しく、改造パーツは沢山販売されている
中で、オリジナルパーツはほとんど皆無でした。
新旧Z
赤いお嬢さんの処女航海を実施するに当たり松山郊外
の風和里(ふわり)という道の駅に行った時のことです。
最新型Zの一つ前の代のZがいきなり横にやってきて、
いろいろ話しかけられました。某タクシー会社の社長
さんでしたがその方もS30Zがほしくて仕方がないとか。
処女航海記念に仲良く2台で記念撮影をしました。

死に土産とは言うものの、めくら蛇に怖じずとはこのこ
とで、古いクルマのレストアが如何に困難であるか、
思い知らされた5年間でした。しかし快適なアウディ6
ターボをすんなり購入することよりは、青春時代憧れ
だったオクルマを入手し、往年の姿に復刻することに
若干の意義はあったと思いたいタバコ屋です。
でも一体こんな風変わりなカラーリングのオクルマで
どこを走るというんだろう。

以上、長々と書き連ねましたが、タバコ屋の愛車変歴
を通して、変わった好みの一端を理解して頂けたでしょ
うか。
尚、記事中の時代背景説明やメーカーの思惑等につ
いては、あくまでもタバコ屋の個人的見解であることを
ご了解願います。

(一部の特殊な記述や写真等はウィキペディアその他
より引用させて頂きました。)


コメント

No title

こんばんわ。
さすがホンダのPTA会長ですねー。 Nコロに始まりアコード、レジェンドでレジェンドの20年はすごいです。 本来は耐久消費財という視点から見るとメンテナンスしながら長期間愛用するのが本来の姿ではないでしょうか。当然商品自体も長く使いたくなるような魅力と耐久性が要求されますが、メーカーとしては自分の組織のことが中心なので、逆の短いサイクルで買い換えさせようとあの手この手で攻めてきますが、それが省資源やユーザーのあるべき方向とは逆の方向に多々動いているように感じます。 
90年代後半でも東南アジアで大学時代の車が現役で走っていたのを見たときは、日本車は本当はきちんとメンテナンスしていけば30年近く十分乗れるのではと思わされました。
但し、元々ドイツ車のように剛性は高くないので、この点は?ですけど。
デザイナーに関しては日本人でもセンスのある人は結構いると思いますが、日本の組織では弾き飛ばされるのではないでしょうか? 多分優秀であればあるほど自分の信念を貫くでしょうから、日本の風土では「協調性が無い」ということで、センスのない上司等とは当然合わないので辞めていくのではと推測します。
(あくまであてずっぽうの可能性です)

旧車のレストアは傍で見ている分には楽しそうに見えますが、部品一つ探すだけでも結構大変そうですね。 大量に売れた車なら(特にアメリカ)意外と部品があるとは思いますが、レアなマニアックな車は日本にそういう土壌があまり無い分大変でしょう。
ちょっと前に オイルを販売している人のblogに米子の「IKオートボディ」の池上と言う人が 240ZGをレストアして車検とってきた時の写真が載っていましたが、やはりフェアレディZは惚れ惚れする車です。
まだ道半ばでしょうが、我々の青春時代の憧れの車ですので是非とも完成されるのを楽しみにしております。(気持ちだけで勘弁ください)
Zの横に写っているシルバーの「レジェンドもカッコ良いです。

Re: 惚れた弱み

拝復、熱いエールの感じられる某社のCMのようなコメントを賜り感謝極大です。
この時期は会計士の先生は猫の手も借りたいほど超多忙と推察されますが、その合間を縫ってのコメント恐縮至極です。
オクルマをファッション商品としてでなく耐久消費財としてみた場合は、良質なものを長期間大切に乗るべきであるという上山理論のご指摘を頂きました。同感の2乗です。ただタバコ屋はそれに惚れた弱みという要素も加わりPTA会長を引き受けたり、同一車を20年も撫でくり回すはめになりました。2代目レジェンドはBMW5を徹底的に意識して作られたので、剛性不足のへたりもあまりなかったように思います。特筆ものはアンダーフロアの塗装で、島の潮風に晒されながらもサビ一つ発生しませんでした!。赤いお嬢さんなどは納車一ヵ月後からすでにサビが発生しつつあります。技術革新の凄さというものを改めて感じています。

デザイナーの才能についてのご指摘がありました。これも同感の3乗です。ご存知のようにS30Zをデザインした松尾良彦氏などはそのままNISSANに在籍すれば相当いい作品を残されたでしょうが、上山青年推察の「智に働けば角が立つ」ということでS30Zを出産後、さっさとやめてしまいましたよね。BMW5の永島譲二氏も同様の理由で国外に飛び出したのではないでしょうか。
余談ですが、S30Zの影のプロデューサー兼応援団長だった片山豊氏もアメリカ日産の社長まで勤め、田舎っぺの日産を世界の日産に押し上げた実績を持ちながら、日産没落のA級戦犯、当時の労働組合委員長塩路一郎と確執が起こりやめてしまいましたよね。塩路こそクビにすべきだったのです。私が本社のトップだったらそうしたでしょう。たとえ刺し違えることになったとしても。

上山青年はレストアに対する深いご理解があるようです。赤いお嬢さんにエールまで頂きました。またレジェンド君に対しても頭を撫でて頂き、もう泣く寸前です。タバコ屋のイメージするS30Zになるには切りも際もないでしょうが一定のレベルで満足すべきかもわかりません。完成後は上山青年に是非一度ご試乗頂き、ロードインプレッションなど頂きたいところです。目標は「キドニー」で控え目ながら存在感があり、またボクらの青春時代を彷彿とさせるイメージを残すフツーのGTカーです。この死に土産も惚れた弱みがあったのかも知れません。

No title

タバコ屋様 こんにちは!
血と汗と涙の愛車遍歴。(笑)
微笑みながらも、その大変さが伝わってきました。
やぱっり!最後は「じゃじゃ馬レディ」がお好みでしたね。

僕も愛車の点検がてら、隣接するVWで新型UP(アップ)
を試乗しましたが、もうその潔さにあっぱれで必要以上の
装備は付けずとも車の楽しさは味わえるものだと
改めて感心しました。
時代遅れの5速オートマはシフトアップでしゃくれるし
リアウィンドウは昔の斜めにちょっと開くタイプ
等々
ほんと無いものばかりの車ですが
排気量は1000CCでも基本の走りはしっかりしてるし
久しぶりにきゃきゃと騒いで試乗しました。
昔の車が当たり前にそうであった様に・・・
自分の中にあるノスタルジーも、
ある種タバコ屋さんと同じかな?と
感じさせる出来事でした。

ですから
がんばって「じゃじゃ馬レディ」をかわいがって
あげて下さい。

そして一度は助手席にぜひ乗せてくださいね。
ではまた。(^_^)v


Re: じゃじゃ馬馴らし

拝復、年度末のご多忙の中、愛車変歴の記事をお読み頂き、大感謝です。
もうそろばんさんにはかなり本音を見透かされているので、容疑者が
取調べ官の前で泥を吐くようなことなのですが、死に土産はやっぱり
赤いお嬢さんだったのかと調書に書かれているような気分です。

黒い紳士AUDIのオーナーもドイツ版軽四のVW-UPにご試乗された
とか。その点イースター島にはディーラーがないので羨ましい限りです。
UPに触れて昔を懐かしむとはそろばんさんも中々奥の深いものをお持ち
ではないでしょうか。

じゃじゃ馬レディさんももう少し可愛げがあるといいのですが、オーナー
の言うことを依然として聞きません。もうこうなったらヤケクソで、もう
一年がかりで調教を試みようと思います。
願いかなった暁には、厩舎から引っ張り出して来ますので、助手席どころか
運転席にお乗り頂き、千舟ストリートでも環状線サーキットでも、ブイブイ
やって頂きたいところです。

デルタS4とデルタHFインテグラーレは全くの別車でクラスも違いますよ。
ちなみにデルタS4はグループB。
それまで2WDでグループBを戦ってきた037ラリーに変わって作られたのが市販車のデルタをベースにしたミッドシップ4WD・デルタS4。ホロモゲーション関係で市販用のデルタS4ストラダーレというのが存在します。
このデルタS4が「走る棺桶」になったのでグループBが廃止されグループAという戦場になった際にランチアは市販用デルタを4WDにしたHFデルタ4WDで参戦。このHFデルタ4WDがインテグラーレになり16Vになりエボルツィオーネになりました。

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★★島のタバコ屋の独り言★★
【7月31日:ああ創業100年】 島のタバコ屋、即ち富永呉服店が創業100年を迎えたことは先般お伝えした通りですが、皆さんよくご存知の世界的宇宙物理学者、故ホーキング博士によれば、100年なんて宇宙的時間軸で言えば、一瞬のまばたきに過ぎない訳で「島でのことも夢のまた夢」ということになりましょう。それはともかく4才の頃から道端の草にも「コンニチハ」なんて愛想を振り撒いて来たタバコ屋にしてみれば「店は客のためにある!」以上、未来永劫、店の続く限りそのテーゼを実践し続けるしかないのです。京都で300年続く老舗料亭、老舗呉服問屋もその志があったのかどうか、お聞きしたことはありませんが、当らずとも遠からじではないでしょうか。
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